川上 隆朗(かわかみ たかお、1938年 - )は日本の外交… 川上 隆朗(かわかみ たかお、1938年 - )は日本の外交官。 神奈川県生まれ。1961年に東京大学法学部卒業後、外務省に入省する。フランス、イタリア、英国、ザイール(現コンゴ民主共和国)、国連代表部、OECD代表部などでの海外勤務を経て、経済協力局政策課長、審議官を務める。その後、1988年にソ連特命全権公使となる。そして、1990年に経済協力局長を務めた。1994年に駐パキスタン大使となる。1997年には駐インドネシア大使として赴任する。2001年に国際協力事業団総裁(~2003年)、後に外務省参与、国際協力機構顧問、2007年に国際開発高等教育機構理事長を歴任した。2013年、秋の叙勲で瑞宝重光章を受章した。
村田 光平(むらた みつへい、1938年 - )は、日本の元… 村田 光平(むらた みつへい、1938年 - )は、日本の元外交官。大学教授。東京都出身。 1938年、東京都に生まれる。 1961年、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業後、2年間、外務省研修生としてフランスに留学。 その後、分析課長、中東第一課長、宮内庁御用掛、在アルジェリア公使、在仏公使、国連局審議官、公正取引委員会事務総局官房審議官、在セネガル大使、衆議院渉外官などを歴任。 1996年~1999年9月、在スイス大使。 1999年~2011年、東海学園大学教授。 2000年~2002年、稲盛財団評議員、京セラ株式会社顧問。 2002年~2012年、サカエ・シュテンジ財団理事。 2004年~2008年、原発震災を防ぐ全国署名連絡会顧問。
林 貞行(はやし さだゆき、1937年11月10日 - )は… 林 貞行(はやし さだゆき、1937年11月10日 - )は、日本の外交官。
松浦 晃一郎(まつうら こういちろう、1937年9月29日 … 松浦 晃一郎(まつうら こういちろう、1937年9月29日 - )は、日本の外交官、国連職員。公益財団法人日仏会館理事長、一般社団法人アフリカ協会会長、一般財団法人日本ウズベキスタン・シルクロード財団評議員、株式会社パソナグループ監査役、中国人民大学名誉教授、東邦音楽大学パフォーマンス総合芸術文化専攻客員教授。 過去に、駐フランス共和国特命全権大使やユネスコ(国際連合教育科学文化機関)第8代事務局長を務めた。山口県佐波郡島地村(後の徳地町、今の山口市)出身。 三井生命保険(現大樹生命保険)勤務の父親誠一と山口市の造り酒屋「松屋」の娘だった母清子の子として東京府荏原区(現東京都品川区)で生まれ、父の生地である島地村で幼少を過ごす。
宮本 信生(みやもと のぶお、1937年5月3日 - )は、… 宮本 信生(みやもと のぶお、1937年5月3日 - )は、日本の外交官・外交評論家。 京都府京都市生まれ、愛媛県出身。1962年慶應義塾大学法学部卒、1990年「中ソ対立生成・発展の基本要因についての研究: 米中ソの「核」と中ソの大国民族主義・意識の結合」で法学博士。1962外務省入省、駐キューバ特命全権大使、駐チェコ特命全権大使を歴任後、外交評論家として執筆、講演活動に入る。2000年、フルート奏者・歌手・女優の神崎愛と結婚。
柳井 俊二(やない しゅんじ、1937年1月15日 - )は… 柳井 俊二(やない しゅんじ、1937年1月15日 - )は、日本の外交官。外務事務次官(1997年7月 - 1999年9月)、駐米大使(1999年9月 - 2001年10月)。2005年からは国際海洋法裁判所の判事を務めており、2011年10月には同裁判所長に選出された。 東京生まれ。父は条約局長を務めた外交官・弁護士の柳井恒夫、兄は運輸官僚の柳井乃武夫。姉婿は柳谷謙介(1924年 - 2017年。元外務事務次官、成城大学・成城学園理事長)。祖父は医師の柳井貴三で、柳井家は代々備中松山藩の藩医をしていた家系。 学習院初等科、学習院中・高等科を経て、1961年、東京大学法学部卒業、外務省入省。フランス語研修(ストラスブール大学)、在フランス大使館、国連代表部、在インドネシア大使館、在韓国大使館の各在外公館に勤務。
山口 洋一(やまぐち よういち、1937年1月14日 - )… 山口 洋一(やまぐち よういち、1937年1月14日 - )は、日本の元外交官、著作家。 本籍は佐賀県。同県で生まれ、少年期に神奈川県鎌倉市に移り住む。1960年東京大学教養学部教養学科仏文科卒、同年外務省入省。同省経済局、アジア局、調査部、情報文化局、在フランス、南ベトナム、イタリア、インドネシア各大使館での勤務や、外務省情報文化局海外広報課長を経て、1981年よりパリ・ユネスコ常駐代表、駐マダガスカル特命全権大使兼駐コモロ特命全権大使、駐トルコ特命全権大使。1995年から駐ミャンマー特命全権大使。1998年外務省退官。その後、2006年から2009年までNPO法人国際芸術家センター理事長を務める。
久米 邦貞(くめ くにさだ、1937年(昭和12年)1月 -… 久米 邦貞(くめ くにさだ、1937年(昭和12年)1月 - )は、日本の外交官。ドイツ駐箚特命全権大使、ハンガリー駐箚特命全権大使などを歴任した。2010年(平成22年)からボーイスカウト日本連盟副理事長兼国際コミッショナー。 1937年1月生まれ。曽祖父は肥前佐賀藩出身の歴史学者久米邦武、祖父は洋画家の久米桂一郎である。 学習院初等科・中等科・髙等科を経て、東京大学教養学部を卒業して、1961年(昭和36年)に外務省に入省する。中近東アフリカ局参事官、外務大臣官房外務参事官、外務大臣官房領事移住部長、ベルリン総領事、在ウィーン国際機関日本政府代表部大使、外務省儀典長、ハンガリー駐箚特命全権大使などを経て、1998年(平成10年)から2001年(平成13年)までドイツ駐箚特命全権大使を務めた。
角田 勝彦(つのだ かつひこ、1937年 - 2018年)は… 角田 勝彦(つのだ かつひこ、1937年 - 2018年)は、日本の外交官。元ウルグアイ駐箚特命全権大使。元日本ウルグアイ協会会長。サント・ドミンゴ・カトリック大学名誉教授。O&M大学名誉博士。 東京生まれ。開成高等学校を経て、1959年一橋大学法学部卒業。早瀬勇元金沢星稜大学学長は大学のクラスの同級生。大学卒業後外務省に入省し、マドリード大学外国人コース留学。外務大臣官房移住課長や、在ギリシャ日本国大使館公使、衆議院事務局渉外部副部長、外務省経済局開発途上地域課長を経て、1989年から駐ドミニカ共和国特命全権大使、ジャマイカ、バハマ駐箚、1993年から駐ウルグアイ特命全権大使を務め、1997年に退官し、中部大学国際関係学部国際関係学科教授。
原島 秀毅(はらしま ひでき、1937年 - 2017年2月… 原島 秀毅(はらしま ひでき、1937年 - 2017年2月27日)は、日本の外交官。橋本内閣で初代沖縄担当特命全権大使兼政府代表として在日米軍基地問題などにあたった。駐マレーシア特命全権大使を経て、退官後、沖縄に移住し大学で琉球文学を講じたり、琉球民謡創作を行うなどした。琉球民謡新人賞受賞。 愛媛県今治市出身。1956年愛媛県立今治西高等学校卒業。1962年一橋大学法学部卒業、外務省入省。外務省中近東アフリカ局アフリカ課長、国際連合日本政府代表部参事官、外務省欧亜局西欧第一課長、外務大臣官房文書課長、国際連合日本政府代表部公使等を歴任。1983年から宮内庁御用掛として昭和天皇のフランス語通訳を務めた。
糠沢 和夫(ぬかざわ かずお、1936年11月20日 - 2… 糠沢 和夫(ぬかざわ かずお、1936年11月20日 - 2020年9月28日)は、日本の経済人、外交官。むつ小川原開発社長、経団連専務理事を経て、経団連出身者として初の特命全権大使や、民間人初の外務省大臣官房文化交流部長を務めた。初代本宮市名誉市民、タイ王国功労賞受賞、ハンガリー共和国功労中十字型章受章。外務大臣表彰。 福島県安達郡本宮町(のち本宮市)中條で実業家・糠沢仙吉の七男として生まれる。母のユウは、元棚倉町町長・宗田利助の六女。祖父の糠沢仙助は元本宮銀行頭取。 本宮町立本宮小学校、本宮町立本宮中学校、福島県立安積高等学校を経て、1959年一橋大学経済学部卒業。同年、経済団体連合会事務局入局。
春江 一也(はるえ かずや、1936年10月9日 - 201… 春江 一也(はるえ かずや、1936年10月9日 - 2014年8月2日 )は、日本の作家、外交官。 朝鮮京城に生まれる。法政大学経済学部を卒業後、1962年に外務省に入省する。1968年、駐チェコスロバキア大使館在勤中に「プラハの春」に遭遇し、ソ連軍侵攻の第一報を打電する。その後、駐東ドイツ大使館、在ベルリン総領事館、フィリピン在ダバオ出張駐在官事務所(現・在ダバオ総領事館)等に勤務する。 2000年に定年退官し、同年、日比友好と相互理解推進の功績により、ダバオ市議会より名誉市民称号を贈られる。のち参議院議員政策秘書を経て、チェコスロバキア勤務時代の体験をもとにしたドキュメントタッチのサスペンス・ノベル『プラハの春』を出版し、小説家としてデビューする。
太田 博(おおた ひろし、1936年(昭和11年)10月7日… 太田 博(おおた ひろし、1936年(昭和11年)10月7日 - )は、日本の外交官、外交評論家。認定NPO法人岡崎研究所 前理事長。 サウジアラビア駐箚特命全権大使、タイ王国駐箚特命全権大使を歴任した。 兵庫県出身。1959年(昭和34年)東京大学教養学部教養学科を卒業する。同年外務公務員採用上級試験に合格、翌1960年(昭和35年)外務省に入省する。
井上 美代(いのうえ みよ、1936年6月13日 - 202… 井上 美代(いのうえ みよ、1936年6月13日 - 2022年5月21日)は、日本の政治家、女性運動家、元外交官。日本共産党所属の元参議院議員。党中央委員会憲法改悪反対闘争本部員。新日本婦人の会元会長。女性「九条の会」世話人代表。 佐賀県出身。中央大学法学部政治学科卒業。外務省に入省した。 1990年、新日本婦人の会会長となる。 1998年の第18回参議院議員通常選挙に東京都選挙区(改選数4)より日本共産党公認で立候補。自民党は現職の小野清子と新人の塚原宏司の2人を擁立したが共倒れし、井上は3番目の得票数で初当選した。 その後、病気療養のため、2004年の第20回参議院議員通常選挙には立候補せず、議員を引退した。
谷野 作太郎(たにの さくたろう、1936年6月6日 - )… 谷野 作太郎(たにの さくたろう、1936年6月6日 - )は、日本の外交官。東京都出身。
渡辺 允(渡邉 允、わたなべ まこと、1936年(昭和11年… 渡辺 允(渡邉 允、わたなべ まこと、1936年(昭和11年)5月9日 - 2022年(令和4年)2月8日)は、日本の外交官。位階は正三位。 元・侍従長、前・宮内庁参与。東京府(現・東京都)出身。 学習院初等科(1949年(昭和24年)卒業)、都立日比谷高校を経て、1959年(昭和34年)東京大学法学部卒業後、外務省入省。同期には松浦晃一郎ら。 英語研修(米国スワースモア大学)、北米局北米第一課事務官、1976年(昭和51年)条約局法規課長、1977年(昭和52年)国際連合局政治課長、1979年(昭和54年)在フィリピン日本国大使館参事官、1981年(昭和56年)在アメリカ合衆国日本国大使館参事官、1983年(昭和58年)在アメリカ合衆国日本国大使館公使、1985年(昭和60年)外務省大臣官房審議官(北米局担当)、1988年(昭和63年)駐ヨルダン大使を歴任。
ナオユキ・トヨトシ(Naoyuki Toyotoshi、豊歳… ナオユキ・トヨトシ(Naoyuki Toyotoshi、豊歳 直之、1936年‐)は、パラグアイ共和国の外交官、実業家。 2009年に駐日パラグアイ特命全権大使に就任した。東京に駐日パラグアイ大使館が開設されてから第9代特命全権大使となる。2017年離任。 日本生まれの日本育ちの日本人であり、アルゼンチンを経て、パラグアイ移住後も長く日本国籍者であった。しかし、パラグアイ共和国政府より2009年に駐日特命全権大使に就任を要請され、パラグアイ国籍を取得した。日本国の戸籍の漢字表記は「豊歳 直之」。 トヨトシは、パラグアイの日系社会出身者として、イサオ・タオカ(田岡功)駐日大使(第8代:在任2004年‐2009年)に次いで、2人目の駐日特命全権大使となった。
久山 純弘(くやま すみひろ、1936年 - )は、日本の外… 久山 純弘(くやま すみひろ、1936年 - )は、日本の外交官。岡山県出身。元国際連合事務次長補。元国際連合人間居住計画(UN-HABITAT)事務次長。元国際連合総会第5委員会議長(行財政問題担当)。元国連合同監査団(JIU)議長。日本国際連合協会理事。外務大臣表彰状受賞。瑞宝中綬章受賞。 岡山県出身。岡山県立朝日高等学校卒業。東京大学教養学部卒業。上智大学国際部(現・国際教養学部)大学院修了。経済企画庁(現在は内閣府)、ニューヨークの国連開発計画(UNDP)等を経て、1975-1984年、日本政府国連代表部にて外交官として従事。その間、1979-83年に国連総会の主要委員会の一つである国連行財政諮問委員会(ACABQ)のメンバー、1983年には国連総会第5委員会議長を兼任。
兵藤 長雄(ひょうどう ながお、1936年(昭和11年) -… 兵藤 長雄(ひょうどう ながお、1936年(昭和11年) - )は、日本の外交官。ポーランドおよびベルギー駐箚特命全権大使、外務省欧亜局長などを歴任した。退官後は、東京経済大学教授や名古屋市立大学特任教授などを務めた。
福田 博(ふくだ ひろし、1935年8月2日 - )は、日本… 福田 博(ふくだ ひろし、1935年8月2日 - )は、日本の元外交官、元最高裁判所判事、弁護士(西村あさひ法律事務所)。
股野 景親(またの かげちか、1935年1月16日 - 20… 股野 景親(またの かげちか、1935年1月16日 - 2007年7月17日)は、日本の外交官。公正取引委員会委員。京都ノートルダム女子大学大学院客員教授。従三位瑞宝重光章。
町田 貢(まちだ みつぐ、1935年 - )は、日本の外交官… 町田 貢(まちだ みつぐ、1935年 - )は、日本の外交官。元駐韓日本大使館公使、韓国・成均館大学教授、現会社役員。 新潟県刈羽郡小国村(現・長岡市)出身。大阪商業大学附属高等学校卒業。1958年、天理大学外国語学部朝鮮学科卒業。同年、外務省に入省。1年間研修後、米国テキサス州のヒューストン総領事館勤務。 1964年、ソウル(半島ホテル)駐在。1965年、在釜山日本国総領事館副領事に就任。 1973年、在ソウル大使館政治部に異動。同年11月、金大中と初めて会う。1997年12月の大統領当選直後まで24年にわたって直接付き合い、泣き笑いを共にした。外交官人生の大半の期間をこの事件と向き合って過ごすことになった。
阿曾村 邦昭(あそむら くにあき、1935年‐)は、日本の外… 阿曾村 邦昭(あそむら くにあき、1935年‐)は、日本の外交官 。書籍等の著者名では「阿曽村 邦昭」と表記されている。 1935年、秋田県秋田市生まれ。東京大学農業経済学科及び米国アマースト大学政治学科各卒業。 外務省に入り、1988年に在ベトナム、1991年に在チェコスロバキア(1993年チェコに改称)、1994年に在ベネズエラ各特命全権大使を歴任した。 その後、富士銀行顧問、麗澤大学外国語学部客員教授、吉備国際大学大学院国際協力研究科科長(主任教授)、ノースアジア大学法学部教授、日本紛争予防センター所長、ジャパン・プラットフォームNGOユニット理事、(社)ラテンアメリカ協会理事、(株)インターナショナル映画社取締役会長を経て、(岡山県)公設国際貢献大学校教授、日本教育再生機構代表委員、認定NPO法人「難民を助ける会」顧問、「メコン地域研究会」会長を務めた。
田中 義具(たなか よしとも、1935年 - 2015年6月… 田中 義具(たなか よしとも、1935年 - 2015年6月20日)は、日本の外交官。 在バングラデシュ、ジュネーブ軍縮会議日本政府代表部、在ハンガリー特命全権大使を歴任した。。 1956年、外交官試験に合格し、東京大学法学部を中退し、外務省に入省した。国際連合局軍縮室長、同科学課長、在オーストラリア大使館参事官、 在ソビエト連邦大使館参事官、大蔵省国際金融局投資第3課長、外務省大臣官房参事官、 欧亜局審議官を務めた。1983年に在シドニー総領事、1985年に在バングラデシュ大使、1989年に昭和天皇大喪の礼事務局長を務めた。査察担当審議官、外務省儀典長を経て、1992年にジュネーブ軍縮会議日本政府代表部大使、1995年に在ハンガリー大使を歴任した。
中村 順一(なかむら じゅんいち、1934年11月26日 -… 中村 順一(なかむら じゅんいち、1934年11月26日 - )は、日本の外交官。京都国際会館館長も務めた。神奈川県横浜市出身。長男は財務官僚の中村英正。岳父は大蔵官僚の山田義見。 1958年に東京大学法学部を卒業し、1960年にケンブリッジ大学大学院修士課程修了。 その後、外務省に入省し、在インドネシア公使、在シドニー総領事、国際協力事業団理事、外務省儀典長、ベルギー国駐箚特命全権大使などを歴任し、現在は外務省参与を務めている。 1998年から2008年までに京都国際会館館長を務めた。 平安女学院大学客員教授、京都外国語大学理事、国際京都学協会副理事長も兼任している。 著書に「日本の感性と東洋の叡智」(淡交社、2021年)などがある。
都甲 岳洋(とごう たけひろ、1934年(昭和9年)11月1… 都甲 岳洋(とごう たけひろ、1934年(昭和9年)11月1日 - 2014年(平成26年)4月4日)は日本の外交官。元ロシア連邦駐箚特命全権大使。位階は従三位。大分県杵築市(旧速見郡山香町)出身。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
佐藤 嘉恭(さとう よしやす、1934年9月27日 - 20… 佐藤 嘉恭(さとう よしやす、1934年9月27日 - 2022年9月6日)は、日本の外交官。外務省大臣官房長、駐中華人民共和国特命全権大使などを務めた。 1984年多忙で体調不良のため医師の進言で在アメリカ合衆国日本国大使館公使に異動。帰国後、外務省経済局長、大臣官房長を経て、1992年には外務審議官に起用されるはずだったが、大学の先輩にあたる当時の渡辺美智雄外務大臣兼副総理が大臣官房長留任を希望し、松浦晃一郎が代わりに外務審議官に就いた。クリスチャン。
佐藤 ギン子(さとう ギンこ、1934年7月6日 - 202… 佐藤 ギン子(さとう ギンこ、1934年7月6日 - 2023年12月9日)は、日本の労働官僚、外交官、実業家。駐ケニア特命全権大使、証券取引等監視委員会委員長を務めた。 1958年に東京大学教養学部卒業後、労働省入省。婦人局長などを務めたのち、ケニア大使になった。 女性労働協会会長、女性労働協会名誉会長、銀行等保有株式取得機構運営委員、国際教育振興会理事、日立製作所取締役、東京大学女子卒業生同窓会さつき会会員、ヘルシーソサエティ賞審査委員会委員などの要職を歴任した。夫は元通産官僚で日本ガス機器検査協会理事長などを務めた佐藤満秋。 この項目は、外交官に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ政治)。
渡辺 泰造(わたなべ たいぞう、1934年3月16日 - )… 渡辺 泰造(わたなべ たいぞう、1934年3月16日 - )は、東京府出身の外交官。駐エジプト大使、駐インドネシア大使、外務省顧問、全日空顧問、青山学院大学教授などを務めた後、2005年日本国際博覧会政府代表。
上東 輝夫(かみひがし てるお、1934年 - )は、日本の… 上東 輝夫(かみひがし てるお、1934年 - )は、日本の元外交官、名古屋商科大学名誉教授。政治学博士(Ph.D.)。
片倉 邦雄(かたくら くにお、1933年〈昭和8年〉10月2… 片倉 邦雄(かたくら くにお、1933年〈昭和8年〉10月22日 - )は、日本の外交官。湾岸戦争時にイラク駐箚特命全権大使を務めた。 1933年(昭和8年)10月22日、東京に生まれる。本籍地は宮城県。片倉家は伊達政宗の乳母喜多の名跡を継いだ田村宗顕の後裔に当たる。夫人は民族学者の片倉もとこ。 旧制宮城県佐沼中学校(現在の宮城県佐沼高等学校)、東京都立戸山高等学校を経て、1953年(昭和28年)4月、東京大学教養学部理科Ⅱ類に入学する。1954年(昭和29年)4月、東大教養学部文科Ⅰ類に入学する。1957年(昭和32年)から1958年(昭和33年)までダートマス大学に留学した。1959年(昭和34年)東大法学部公法科に戻り、在学中の同年9月、外務公務員採用上級試験に合格する。
藤井 宏昭(ふじい ひろあき、1933年8月21日 - )は… 藤井 宏昭(ふじい ひろあき、1933年8月21日 - )は、日本の外交官。森アーツセンター理事長。日比谷高校を経て東京大学教養学部を中退し、1956年に外務省に入省した。外務省北米局長、外務省大臣官房長、駐OECD代表部大使、在タイ日本大使、在イギリス日本大使等を務めた。退官後は国際交流基金理事長等も務めた。 この項目は、外交官に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ政治)。
坂本 重太郎(さかもと じゅうたろう、1933年7月15日 … 坂本 重太郎(さかもと じゅうたろう、1933年7月15日 - 2015年3月2日)は、日本の外交官。外務省中南米局長や、駐スペイン特命全権大使を務めた。 北海道余市町出身。父は余市町長の坂本角太郎。北海道余市高等学校を経て、1957年一橋大学法学部卒業、外務省入省。スペイン語研修としてコロンビアに2年間留学。 1972年外務省中南米局中南米第二課長、1973年外務大臣官房国際報道課長、在英国日本国大使館参事官、1979年外務省経済協力局政策課長、1981年外務大臣官房総務課長。総務課長時代に情報調査局(現国際情報統括官組織)新設に尽力。 経済協力開発機構政府代表部公使、駐パラグアイ特命全権大使を経て、1988年外務省中南米局長。
有馬 龍夫(ありま たつお、1933年6月13日 - )は、… 有馬 龍夫(ありま たつお、1933年6月13日 - )は、日本の外交官。元日本国政府代表で、外務省北米局長、内閣外政審議室長、駐ドイツ特命全権大使、早稲田大学教授、中東調査会理事長を歴任。次男の有馬裕も外交官で、外務省大臣官房審議官及びサイバーセキュリティ政策担当大使である。 北海道札幌市生まれ。1950年、成蹊中学校卒業。成蹊高等学校在学中に、米国セント・ポールズ・スクールへ留学。1957年、ハーバード大学政治学部卒業。ハーバード大学大学院に進み、博士号取得、同大講師となる。1962年、外務省入省。北米局長、内閣外政審議室長、駐オランダ大使、駐ドイツ大使などを歴任。1997年、同省参与。1998年4月から2004年3月にかけ、早稲田大学政治経済学部教授。
谷口 禎一(たにぐち さだかず、1933年(昭和8年)4月2… 谷口 禎一(たにぐち さだかず、1933年(昭和8年)4月28日 - 2008年(平成20年)11月16日)は、日本の外交官。駐ニュージーランド特命全権大使、駐イスラエル特命全権大使、関西大使などを務めた。 大阪府出身。大阪府立清水谷高等学校卒業。1956年(昭和31年)東京大学法学部を卒業し外務省入り。在アルゼンチン公使、在ボストン総領事、1989年(平成元年)特命全権大使(イスラエル駐在)を経て1992年3月から特命全権大使(関西担当)、政府代表。大臣官房審議官を経て1993年4月から特命全権大使(駐ニュージーランド兼西サモア大使、1993年 - 1996年)。 関西大使として40年ぶりに大阪で暮らした際、イスラエル駐在経験をもとに「エルサレムも京都も資源のない国で人間が英知を絞って発展した」点を踏まえ、東京一極集中に対抗ではなく、「現実の東西格差を前提としたうえで、質で勝負する」ように助言。
加藤 淳平(かとう じゅんぺい、1933年2月15日- )は… 加藤 淳平(かとう じゅんぺい、1933年2月15日- )は、日本の外交官。 岐阜県生まれ。1955年東京大学教養学部教養学科卒業、外務省入省。フランスのポワティエ大学とトゥール大学で、フランス語とフランス哲学を学んだ後、パリの日本大使館勤務。その後エジプト大使館、ヨーロッパ共同体 (EC) 日本代表部、ベトナム大使館などの書記官として、外務省で主として経済協力局、官房調査部に勤務。その間、昭和天皇のフランス語通訳、外交官試験試験官。1975年以後は、国連日本代表部参事官、公使、国際協力事業団 (JICA) 企画部長と同時に、上智大学、早稲田大学等の非常勤講師を務める。1983年には、オマーン常駐の初代大使として、在オマーン日本国大使館を開設。
大村 喬一(おおむら きょういち、1933年 - )は、日本… 大村 喬一(おおむら きょういち、1933年 - )は、日本の外交官。在ユネスコ日本代表大使や、駐モロッコ特命全権大使、奈良大学総合研究所長などを務めた。 静岡県立清水東高等学校を経て、1957年一橋大学法学部卒業、外務省入省。1972年外務省中近東アフリカ局アフリカ課長。1974年在イラン日本国大使館一等書記官。1976年経済協力開発機構日本政府代表部参事官。1977年大蔵省国際金融局投資第三課長。 1979年外務大臣官房領事移住部外務参事官。1980年外務大臣官房外務参事官兼大臣官房領事移住部。1981年在モントリオール日本国総領事館総領事。1982年在フランス日本国大使館公使。 1983年在フランス日本国大使館公使ユネスコにおける日本政府代表大使。
江 丙坤(こう へいこん、1932年〈昭和7年〉12月16日… 江 丙坤(こう へいこん、1932年〈昭和7年〉12月16日 - 2018年〈民国107年〉12月10日)は中華民国(台湾)の政治家、外交官。台湾の対中交渉窓口機関である財団法人 海峡交流基金会(海基会)董事長、中国国民党副主席、国際民主同盟(IDU)副議長、東京スター銀行取締役会長等を歴任。2015年に旭日重光章を受賞した。日本統治時代に使用していた名は江原 正雄。 1932年(昭和7年)12月16日、台中州南投郡(現在の南投県)の貧農の家に生まれる。台湾省立法商学院(現在の国立台北大学)地政学科を卒業し、1960年(民国49年)に中国国民党第一期中山奨学金を得て東京大学に留学、農業経済学博士号を取得した。
小和田 恆(小和田 恒、おわだ ひさし、1932年〈昭和7年… 小和田 恆(小和田 恒、おわだ ひさし、1932年〈昭和7年〉9月18日 - )は、日本の外交官、国際法学者。第22代国際司法裁判所(ICJ)所長。 国連大使・外務事務次官などを歴任。皇后雅子の実父。愛子内親王の外祖父。 新潟県北蒲原郡新発田町(現:新発田市)生まれ。小和田毅夫・静夫妻の次男で、8人きょうだいの4番目。父・毅夫は新潟県立高田校長を務めた。生家の跡地は現在清水園の駐車場となっている。本籍地は新潟県村上市。 旧制新潟県立柏崎中学校(現:新潟県立柏崎高等学校)2年のとき、父の転勤により旧制新潟県立高田中学校に転校した。高田中学校在学中の学制改革を経て新潟県立高田高等学校を卒業し、東京大学文科一類に進学し、東京大学教養学部教養学科(国際関係論分科)在学中の1954年(昭和29年)に外交官領事官試験に合格、翌年の1955年 (昭和30年)に大学を卒業して(教養学士)、外務省に入省した。
波多野 敬雄(はたの よしお、1932年(昭和7年)1月3日… 波多野 敬雄(はたの よしお、1932年(昭和7年)1月3日 - )は、日本の外交官。第25代学習院長。元国連大使。 学習院幼稚園から戦後の学制改革を経て新制学習院高等科まで一貫して学習院で過ごした。伏見宮博明王の学友。東大法学部3回生在学中に外交官試験に合格し、1953年外務省入省。1990年代の在国際連合日本政府代表部大使在任中、日本が国連安保理常任理事国入りを目指す外交方針のなかで現場にいた事務方の代表者。 第25代学習院長。学習院長田島義博の急逝に伴い選出された。任期は田島義博の残任期間となる2006年(平成18年)6月1日から2008年(平成20年)9月30日までであったが、2008年8月6日に再選され、2014年(平成26年)9月30日退任。
飯島 光雄(いいじま みつお、1932年 - 2021年)は… 飯島 光雄(いいじま みつお、1932年 - 2021年)は、日本の外交官。内閣官房内閣審議官兼インドシナ難民対策連絡調整会議事務局長等を経て、1990年(平成2年)から1994年(平成6年)までジンバブエ駐箚特命全権大使を務めた。 日本統治時代の朝鮮で生まれる。埼玉県立浦和高等学校を経て、1956年一橋大学法学部卒業、外務省入省。国際連合日本政府代表部一等書記官、国際連合日本政府代表部参事官、外務省経済協力局書記官を経て、1976年外務省経済協力局技術協力第二課長。1978年在パキスタン日本国大使館参事官。 1981年在ノルウェー日本国大使館公使。1983年内閣審議官(内閣官房内閣審議室)兼インドシナ難民対策連絡調整会議事務局局長。
末沢 昌二(すえざわ しょうじ、1932年 - )は、日本の… 末沢 昌二(すえざわ しょうじ、1932年 - )は、日本の外交官。 香川県生まれ。1956年に東京外国語大学を卒業し、外務省に入省。在レニングラード(現・サンクトペテルブルク)日本総領事、在モンゴル日本大使、在ウクライナ日本大使、在モルドバ日本大使などを務めた。1997年に退官した。 この項目は、外交官に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ政治)。
塙 治夫(はなわ はるお、1931年11月8日 - 2016… 塙 治夫(はなわ はるお、1931年11月8日 - 2016年4月7日)は、日本の外交官、アラブ文学翻訳家。 茨城県生まれ。茨城大学政経学部で学び、1952年外務省入省、1953年から1954年までカイロでアラビア語の研修を受けた後、エジプト、レバノン、シリア、イラク、オーストラリア、サウジアラビアへの勤務を経て、駐カタール大使、駐オマーン大使を歴任。 大使時代を含め、アラブ七カ国に駐在、のちエジプトのノーベル文学賞作家となるナギーブ・マフフーズの作品などを翻訳する。「カイロ3部作」の翻訳により、2012年に日本翻訳出版文化賞、2015年にアラブ首長国連邦のシェイク・ザーイド・ブック・アワードの翻訳賞を受賞した。
明石 康(あかし やすし、1931年〈昭和6年〉1月19日 … 明石 康(あかし やすし、1931年〈昭和6年〉1月19日 - )は、日本の外交官、国際公務員、政治家。特定非営利活動法人 Reach Alternatives(REALs)顧問、国際教養大学名誉教授、同大学トップ諮問会議委員、名城大学アジア研究所名誉所長、群馬県立女子大学外国語教育研究所所長、京都文教学園学術顧問、神戸大学特別顧問・特別教授。国際連合事務次長や国際連合事務総長特別代表を歴任。 戦国時代のキリシタン武将の明石全登の子孫であるといわれている。母親の実家は、忠犬ハチ公の生家であった。 秋田県北秋田郡扇田町(現在の大館市比内町扇田)出身。築山小学校在学時に秋田市に移住。県立秋田中学校(現在の秋田県立秋田高等学校)から旧制山形高校(現在の山形大学人文学部および理学部)を経て、東京大学に進学。
高柳 芳夫(たかやなぎ よしお、1931年1月17日 - 2… 高柳 芳夫(たかやなぎ よしお、1931年1月17日 - 2023年11月23日)は、日本の元小説家、外交官。 栃木県宇都宮市生まれ。栃木県立宇都宮高等学校卒業、京都大学文学部独文科卒業。同大学大学院文学研究科修士課程修了。 1957年、外務省入省。在独大使館、ベルリン総領事館副総領事等を歴任。 1971年、「『黒い森』の宿」で第10回オール讀物推理小説新人賞受賞。1973年、「『禿鷹城』の惨劇」で第19回江戸川乱歩賞候補になるが落選。松本清張の推薦もあって刊行されるが、外務省研修所教務主事に左遷され、1977年に退職。 1979年、プラハの春以後の国際情勢を題材とした「プラハからの道化たち」で第25回江戸川乱歩賞受賞。
谷田 正躬(たにだ まさみ、1931年1月 - )は、日本の… 谷田 正躬(たにだ まさみ、1931年1月 - )は、日本の外交官。リオ・デ・ジャネイロ総領事や、ブルガリア国駐箚特命全権大使、ヴァチカン国駐箚特命全権大使等を歴任した。 岡山県生まれ。1953年東京大学法学部第二類(公法コース)卒業、外務省入省。在ベルギー日本国大使館三等書記官、在ベルギー日本国大使館二等書記官、外務省条約局条約課首席事務官等を経て、1968年外務省経済局中近東課長。1969年外務省経済局国際経済課長。同年在レバノン日本国大使館一等書記官。 1971年在フランス日本国大使館一等書記官、ユネスコにおける日本政府代表。1973年外務省経済協力局経済協力第1課長。1975年外務大臣官房領事移住部外務参事官。
波多野 裕造(はたの ゆうぞう、1930年12月18日 - … 波多野 裕造(はたの ゆうぞう、1930年12月18日 - 2017年2月17日)は、日本のジャーナリスト、外交官、翻訳家。位階は正五位。 京都府出身。1953年東京大学文学部卒、毎日新聞社に入り、政治記者、ワシントン特派員などを務める。 1976年に毎日新聞社を辞して外交官となり、エジプト、イギリス公使、カナダ・トロント総領事、カタール大使、アイルランド大使などを務めた。 1994年、外交官から転じて白鷗大学教授となり、2003年退任、名誉教授。2006年、瑞宝中綬章受章。 2017年2月17日に死去。86歳没。没後に正五位に叙された。
三宅 和助(みやけ わすけ、1930年9月27日 - 200… 三宅 和助(みやけ わすけ、1930年9月27日 - 2004年1月24日)は、北海道夕張郡由仁町出身の元外交官。外務省外務報道官、中近東アフリカ局長、駐シンガポール特命全権大使等を歴任。
岡崎 久彦(おかざき ひさひこ、1930年〈昭和5年〉4月8… 岡崎 久彦(おかざき ひさひこ、1930年〈昭和5年〉4月8日 - 2014年〈平成26年〉10月26日)は、日本の外交官、評論家。位階は従三位。サウジアラビアとタイ王国で特命全権大使を歴任し、また外務省で情報調査局長を務めた。祖父の岡崎邦輔は、陸奥宗光の従弟にあたる。 関東州・大連生まれ。白金小学校、旧制府立高等学校を経て、東京大学法学部入学。東大法学部在学中に外交官試験合格。大学を中退し、外務省に入省。八木秀次によれば、岡崎は卒業証書は小学校のものしか持っておらず、その後は大学まですべて「飛び級」だったという。岡崎邦輔は祖父。 外務省ではケンブリッジ大学での英語研修を皮切りに、在外で在フィリピン大使館、在フランス大使館、在米国大使館、在韓国大使館に駐在し、本省では国際連合局に勤務する。
谷口 誠(たにぐち まこと、1930年3月31日 - 202… 谷口 誠(たにぐち まこと、1930年3月31日 - 2024年1月14日)は、日本の外交官、経済学者。専門は南北問題・国際経済。国連貿易開発会議議長、日本人として2人目のユニセフ議長、国連大使、日本人初OECD事務次長、早稲田大学教授等を歴任。 大阪府出身。羽曳野市立高鷲小学校、旧制大阪府立富田林中学校、新制大阪府立富田林高等学校を経て、一橋大学大学院経済学研究科修了後、ジョーン・ロビンソンの勧めで、ロビンソンの指導を受け1958年にケンブリッジ大学を卒業し、新渡戸稲造にあこがれ、1959年外務省入省。1960年にはケンブリッジ大学で修士号を取得。 国際連合新再生エネルギー会議議長や、国際連合貿易開発会議議長、日本人としての2人目のユニセフ議長、国連大使や日本人初のOECD事務次長を務めた後、早稲田大学教授、天津外国語学院客員教授等を歴任。