江頭 美智留(えがしら みちる、1962年10月11日 - … 江頭 美智留(えがしら みちる、1962年10月11日 - )は、日本の脚本家。女性。ドリームプラス株式会社所属。劇団クロックガールズ主宰。『ごくせん』、『1リットルの涙』などの作品がある。父親は、文芸評論家の松原新一。 兵庫県神戸市生まれ、西宮市出身。西宮市立浜甲子園中学校、西宮市立西宮東高等学校出身。高校では演劇部に所属した。 高校卒業後、駅の売店の売り子、和文タイプの仕事などを経験。1982年、たまたま知ったという「読売ゴールデンシナリオ賞」(読売テレビ主催)に初めて受験戦争の愚かさを描いたサスペンス作品で応募し、同賞を受賞。1990年、火曜サスペンス劇場『人生相談殺人事件』にて脚本家デビュー。
沼田 やすひろ(ぬまた やすひろ、沼田康博、1962年9月2… 沼田 やすひろ(ぬまた やすひろ、沼田康博、1962年9月26日 - )は、日本の脚本家である。 神奈川県横浜市出身。水野プロダクションでの玩具業界と出版業界を繋ぐキャラクター・ビジネス経験の後、作家・長谷川潤二(ジャーナリスト・古屋信二)に師事し、フリーランスの編集・脚本家となる。キャラクター設定と世界観設定に独自の視点を持ち、書籍・ゲーム・アニメ・映画などのコンテンツ制作に携わる。必要に応じ、コンテンツ開発企業に在籍。現在、講師業務のかたわら、映像企画の推進中。
檜木田 正史(ひのきだ まさし、1962年8月28日 - )… 檜木田 正史(ひのきだ まさし、1962年8月28日 - )は、日本の脚本家、ゲームクリエイター、小説家。 広島県出身。修道高等学校卒業。早稲田大学第二文学部演劇専修卒業。映画監督・野村芳太郎に師事し、アシスタントを10年近く務める。プロットライター(200本以上のプロットや企画書を執筆)、公募小説の下読みなどを経て、ゲームや映像の脚本、小説執筆、演出などを行うようになった。専門学校デジタルアーツ東京他、いくつかの専門学校のノベルス科、ゲーム科、CG科で講師もしてきた。株式会社ラインスタッフ・プロダクツ代表として、作品ごとにシナリオライターを集めてチームを作る方法で、多くのゲームシナリオのチーム編成・監修も行っている。
金子 二郎(かねこ じろう、1962年8月21日 - )は、… 金子 二郎(かねこ じろう、1962年8月21日 - )は、日本の脚本家。日本脚本家連盟会員。 東京都渋谷区出身。東京都立調布南高等学校、東洋大学文学部英米文学科卒業。一時期、金子弦二郎の名義で執筆。TBSラジオ「たまむすび」リスナー(2017年10月30日出演)。 父は「アメリカはベトナムから手を引け」等の反戦ゼッケンを、8年もの間、胸に付けて通勤し続けた金子徳好、母は切絵作家の金子静枝である。兄は映画監督の金子修介。妻は香取薫。 ・戦慄怪奇ファイル コワすぎ!史上最恐の劇場版(2014年)物理学者 斉藤雅彦 役 ・カマキリの夜 (2018年) 金井二郎 役
なかむら 治彦(なかむら はるひこ、1962年8月17日 -… なかむら 治彦(なかむら はるひこ、1962年8月17日 - )は、漫画家、作家、落語脚本家。福岡県生まれ、愛知県稲沢市在住。AB型。「なかむら治彦」は本名ではない(後述)。落語脚本を書くときは、「尾張家はじめ」を名乗る。 『月刊OUT』の読者コーナー「私立さくま学園」の常連投稿者であった関係から、同コーナーのライターであったさくまあきらの創刊した新人漫画家発掘雑誌『マンガハウス』の創刊号に掲載した『ドラゴンズは負けない』でデビューした。その後も同誌や、リニューアル後の『プルプル』で4コマ漫画を執筆していた。さくまより「中村治彦」のペンネームをもらい、のち1987年より表記を「なかむら治彦」に改名。
樹林 伸(きばやし しん、1962年7月22日 - )は漫画… 樹林 伸(きばやし しん、1962年7月22日 - )は漫画原作者、小説家、脚本家。東京都出身。O型。東京都立武蔵高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業。
かわさき ひろゆき(1962年6月26日 - )は、日本の監… かわさき ひろゆき(1962年6月26日 - )は、日本の監督、俳優、舞台演出家、脚本家、プロデューサー。 宮崎県延岡市出身。B型。超新星オカシネマ所属、おかしな監督映画祭オカシネマ代表。 1983年、森田童子コンサートにて朗読をする少年でデビュー、劇団街の灯に所属する。1986年より劇団(流星舞台〜星座〜超新星オカシネマ)を主催して活動。1990年代からは俳優・スタッフとして多くの映画・Vシネマに関わる。 2003年、「奇麗に咲いた」で監督デビュー。 2006年より、マクシム・ゴーリキーの「どん底」とレナード・メルフィの「小鳥の水浴」を定期的に上演。 2009年6月にはサンフランシスコ・インディペンデント映画祭で監督作「嵐 ARASHI -風魔一族の逆襲-」(米題:Ninja Pussy Cat)が上映された。
山下 規介(やました きすけ、1962年6月19日 - )は… 山下 規介(やました きすけ、1962年6月19日 - )は、日本の俳優、脚本家、映像ディレクター。実父は脚本家のジェームス三木、母はエッセイストの山下典子。既婚。1女の父。血液型はAB型。ジェンコエージェンシー所属。 神奈川県横浜市出身。桐蔭学園高等学校、立教大学卒業。 1983年に、大林宣彦監督の映画『廃市』で俳優デビュー。解答者として出演した『象印クイズ ヒントでピント』ではテクニカルクイズで幾多の好成績を残した。司会の土居まさるからは、父も同番組に出演していたことからか「キスケ」と呼ばれた。 かつてバラエティー番組で語ったところによると、若い頃レコード(シングル)を発売したこともあったが、たった5枚しか売れず、レコード会社から大目玉を食らったという。
千葉 雅子(ちば まさこ、1962年5月16日 - )は、日… 千葉 雅子(ちば まさこ、1962年5月16日 - )は、日本の女優、脚本家、演出家。 東京都出身。ザズウ所属。劇団「猫のホテル」主宰。血液型はO型。 國學院大學卒業後、会社員を続けながら、劇団旗揚げメンバーに加わり、中村まこと、森田ガンツ、市川しんぺーらとともに1990年に劇団「猫のホテル」を結成。 1991年「プレシャスロード」にて脚本家デビュー。以後、猫のホテルのほぼ全作の脚本を手掛ける。女優として他劇団への客演も多い。 2005年から2011年には村岡希美らと「真心一座 身も心も」を旗揚げ、座付き作家兼主演を務める。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
中野 貴雄(なかの たかお、1962年5月15日 - )は、… 中野 貴雄(なかの たかお、1962年5月15日 - )は、日本の映画監督、脚本家、興行師、着ぐるみ造形家。 別名:中野TKO。キャットファイト団体「ギャルショッカー」大幹部(「地獄女史」名義)。 大阪府大阪市出身。大阪市立十三中学校卒、大阪府立北野高校卒。 1991年、特撮AV「メトミック・アクション」シリーズ連作後、1992年、昭和30年代の新東宝映画のお色気アクションを目指した異色作『女体渦巻地帯(SPIRAL ZONE)』で劇場映画監督デビューし、ピンク大賞新人監督賞を受賞。以後、キャットファイト系映画監督として数々の作品を発表、フランスでビデオ化されるなど海外での評価も得る。1995年6月~10月、パリにて女相撲興行。
戸田山 雅司(とだやま まさし、1962年4月29日 - )… 戸田山 雅司(とだやま まさし、1962年4月29日 - )は、日本の脚本家。
西園 悟(にしぞの さとる、1962年4月28日 - )は、… 西園 悟(にしぞの さとる、1962年4月28日 - )は、日本の男性脚本家。鹿児島県鹿児島市出身。血液型はA型。 鹿児島県立甲南高等学校を経て早稲田大学法学部卒業後、日本公文教育研究会へ入社。在職中にアニメーション制作会社が主催する通信講座のシナリオライター科を受講したのち、講師であった森忠明の紹介で、園田英樹に師事。退職後の1989年にアニメ脚本家デビュー。主にアニメ作品の脚本を執筆している。1996年9月にニフティサーブに関する書籍『NIFTY-Serveのはまり方』をNTT出版から出している(ISBN 978-4871884631)。 SFを好んでおり、『ゾイドジェネシス』では制作上の都合でSF設定の担当者が配置されなかったため、自身で設定を作成した。
要 ゆうじ(かなめ ゆうじ、本名非公表。1962年3月28日… 要 ゆうじ(かなめ ゆうじ、本名非公表。1962年3月28日 - )は、日本の脚本家・劇作家・ライター・俳優・声優・ナレーター。北海道旭川市出身。北海道旭川北高等学校卒業。 高校時代より、伝説のサブカルチャー雑誌「ビックリハウス」(パルコ出版)の常連投稿者として活動する(当時のペンネームは“かなめゆうじ”)。投稿時代の同期には、大槻ケンヂ、渡辺いっけい、犬童一心、常盤響などが常連投稿者だった。 18歳でアメリカに留学。帰国後上京し、同郷の作家である窪田僚に師事。1982年、窪田の紹介で雑誌ライターとしてデビューする。 1980年代前半の雑誌創刊ブームに乗り、主に芸能雑誌のインタビュアーとして活躍。
山賀 博之(やまが ひろゆき、1962年3月23日 - )は… 山賀 博之(やまが ひろゆき、1962年3月23日 - )は、日本の映画監督、脚本家。株式会社ガイナックス元代表取締役社長。 監督作品として映画『王立宇宙軍 オネアミスの翼』などが知られる。 新潟県新潟市生まれ。新潟市立宮浦中学校卒業、新潟県立新潟南高等学校卒業、1980年、大阪芸術大学芸術学部映像計画学科(現・映像学科)入学、中退。 映画監督の庵野秀明とは同じ寮で知り合い、この時に初めてアニメーションに興味を持つ。 1981年、第20回日本SF大会(愛称:DAICON 3)のオープニングムービー制作を期に集まったDAICON FILMのメンバーとして自主制作アニメや映画に携わる。 1984年、ガイナックスを設立。
小松 江里子(こまつ えりこ、1962年3月17日 - )は… 小松 江里子(こまつ えりこ、1962年3月17日 - )は、日本の脚本家である。本名、伊藤 江里子。 大阪府松原市出身。大谷女子大学文学部幼児教育学科卒業。夫は元TBSテレビプロデューサーの伊藤一尋。 北海道を拠点に活動する同姓同名のスタイリストとは別人である。 脚本家になりたいと思うようになったのは、1980年、向田邦子が直木賞を受賞したことで一躍脚本家が脚光を浴び出したころ、これに触発されるようになったことだったという。向田作品を書き写して脚本家修業に励み、19歳の時に私小説風シナリオが映人社『月刊ドラマ』に掲載される。しかしその後は「脚本家なんて無理」とあきらめて大学卒業後は小学校教員となる。
吉野 晃章(よしの てるゆき、1962年〈昭和37年〉3月2… 吉野 晃章(よしの てるゆき、1962年〈昭和37年〉3月2日 - 2004年〈平成16年〉4月15日)は、日本の放送作家、脚本家。東京都港区出身。血液型O型。 帝京高校在学中サッカー部に所属。当時のチームメート木梨憲武と出会い、遅れて石橋貴明とも付き合いを始める。高校卒業後、グランドシートを扱う会社に就職するが、木梨・石橋とはとんねるず結成後も付き合いを続け、仕事の合間を縫ってコントのアイディア提供を行っていた。「とんねるずのオールナイトニッポン」では、中期ごろから共に番組収録に参加し、その独特な笑い声はリスナー達にはお馴染みだった。林家パー子よりも軽いと言われた笑い屋で、ハガキ職人の常連に感謝された。
橋本 裕志(はしもと ひろし、1962年2月5日 - )は、… 橋本 裕志(はしもと ひろし、1962年2月5日 - )は、日本の脚本家。北海道出身。北海道旭川北高等学校、小樽商科大学卒業。 大学時代は演劇部で活動。上京して孫家邦主宰の劇団に所属し、荒戸源次郎に浦沢義雄を紹介される 。1989年、『とっておき Virgin Love! 童貞物語3』(バンダイ)で脚本家デビュー。その後浦沢の紹介で、アニメの脚本・シリーズ構成などに携わる。1998年の『ショムニ』以降は実写作品中心となる。
長谷川 圭一(、1962年2月1日 - )は、日本の脚本家。… 長谷川 圭一(、1962年2月1日 - )は、日本の脚本家。静岡県熱海市出身。 日本大学芸術学部映画学科卒業後、未公開映画『朽ちた手押し車』で助監督デビュー。その後は『太陽にほえろ!』末期シリーズに参加後、美術部に転じて10年以上、小道具・装飾係などの美術スタッフを務め、『ゴリラ・警視庁捜査第8班』『バトルヒーター』『丹波哲郎の大霊界 死んだらどうなる』『1999年の夏休み』『ガメラ 大怪獣空中決戦』『ガメラ2 レギオン襲来』など多数の作品に参加する。 1997年、前述の『大怪獣空中決戦』に参加した流れで、本編装飾スタッフとしても参加していた『ウルトラマンティガ』にて、脚本家として参加したい想いを抑えきれず、監督やプロデューサーに過去に書いた脚本を読んでもらい、同作品の第22話「霧が来る」で脚本家デビュー。
山田 英樹(やまだ ひでき、1962年1月26日 - )は、… 山田 英樹(やまだ ひでき、1962年1月26日 - )は、日本の脚本家。 法政大学法学部卒業後、多数の仕事に従事しながら主にプロットライターとして活動している。受賞歴としては2001年「第27回 城戸賞」准入賞や2002年の「橋田賞新人脚本賞」などの受賞がある。初の映画脚本作品として2006年上映の「紙屋悦子の青春」を監督との共同執筆で担当し、2年後に製作された「夢のまにまに」は監督、我妻正義との執筆を務めた。
長谷川 隆(はせがわ たかし、1962年1月13日 - )は… 長谷川 隆(はせがわ たかし、1962年1月13日 - )は、兵庫県神戸市出身の日本の脚本家。 大阪外国語大学イタリア語科卒業。 テレビ番組製作会社に勤務した後、フリー助監督に。澤井信一郎、和田誠、金子修介らの作品に携わったのち、脚本家となる。アンドリーム(&REAM)所属。 2003年、照明技師・熊谷秀夫に行ったロング・インタビューをキネマ旬報誌上に連載、2004年「照明技師熊谷秀夫 降る影 待つ光」として上梓。同インタビューを撮影した映像と、登場する映画のシーンで再構成した「照明熊谷学校」の、小泉今日子によるナレーション台本を担当した。
薩川 昭夫(さつかわ あきお、1962年1月5日 - )は、… 薩川 昭夫(さつかわ あきお、1962年1月5日 - )は、日本の脚本家、映画編集者。日本シナリオ作家協会会員。兵庫県立伊川谷高等学校、早稲田大学第一文学部卒業。
福田 靖(ふくだ やすし、1962年 - )は、日本の脚本家… 福田 靖(ふくだ やすし、1962年 - )は、日本の脚本家。株式会社CRG所属。山口県徳山市(現・周南市)出身。 山口県立徳山高等学校を卒業後、上京し明治学院大学文学部仏文学科に進学した。その後、大学を中退し、劇団の主宰を経て、脚本家としてデビューした。 全国朝日放送と共同テレビジョンが製作した『BLACK OUT』にて、脚本家としてのデビューを果たす。以降はテレビドラマの脚本を中心に活動しており、群像劇を多く手掛けている。 2002年、『ウエディングプランナー SWEETデリバリー』にて、初めて連続ドラマの脚本を単独で執筆した。また、2010年の大河ドラマに起用され、『龍馬伝』の脚本を手がけた。
河原 ゆうじ(かわはら ゆうじ、1962年 - )は、日本の… 河原 ゆうじ(かわはら ゆうじ、1962年 - )は、日本の脚本家、演出家。アニメーションの脚本を手がけている。東京都出身。東京経済大学、日本映画学校卒。 日本映画学校を卒業した後、スタジオぴえろ(現:ぴえろ)で絵コンテ、演出としてアニメ制作に関わる。1990年頃から演出業と並行して脚本を執筆し始め、2000年代は脚本専業で活動。のちに、脚本で参加していた『はなかっぱ』で絵コンテを担当したことを契機に、演出家としても活動を再開した。同番組の第670回「ドリナとカラパッチョ」(2023年)は、視聴者より寄せられた性の多様化や家族観の変化に対する意見を反映して作成されたもので、専門家の指導のもと河原が脚本を担当し、大きな反響を読んだ。
齊藤 珠緒(さいとう たまお、1962年 - )は、神奈川県… 齊藤 珠緒(さいとう たまお、1962年 - )は、神奈川県川崎市出身の日本の脚本家。 1985年に日本大学藝術学部映画学科を卒業し、同年に火曜サスペンス劇場『ある少女の犯罪 私は女!!』の脚本でデビュー。 脚本家の国弘威雄の娘であり、かつては「国弘 珠緒」名義で活動していたほか一部の作品では父と共同で脚本を担当した。「国広 珠緒」、「斉藤 珠緒」、「斎藤 珠緒」、「齋藤 珠緒」名義でクレジットされることもある。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
十川 誠志(そご まさし、1962年 - )は、日本の脚本家… 十川 誠志(そご まさし、1962年 - )は、日本の脚本家、漫画原作者。埼玉県出身。 法政大学文学部日本文学科卒。映像制作会社でアニメーションの制作進行を務めた後、脚本家デビュー。脚本家となった当初は『テニスの王子様』や『BLEACH』、『キューティーハニーF』などのアニメ作品の脚本を主に行っていた。作品によってはシリーズ構成も務めており『FAIRY TAIL』では総計で5年半ほど構成を担当、また2003年からはテレビアニメ『ポケットモンスターアドバンスドジェネレーション』、『ポケットモンスターダイアモンドパール』の脚本も行った。 加えて2005年公開の『交渉人 真下正義』や2007年公開の『龍が如く 劇場版』などのように実写作品の脚本を手がけることもある。
木村 信司(きむら しんじ、1962年 - )は、宝塚歌劇団… 木村 信司(きむら しんじ、1962年 - )は、宝塚歌劇団所属の演出家、脚本家。 1962年、千葉県に生まれる。1988年、早稲田大学第二文学部卒業後、宝塚歌劇団に入団する。1993年、天海祐希が主演した『扉のこちら』で脚本・演出家としてデビュー、翌年には宝塚ロンドン公演に参加する。1997年には文化庁在外派遣員としてニューヨークに留学、2004年にはパリに留学した。2002年に日本演劇協会協会賞、2004年に文化庁芸術祭優秀賞を受賞した。 (2001年『プロヴァンスの碧い空』以降は演出補として) モーニング娘。の楽曲「わたしがついてる」に歌詞を提供している。) 高峰妙子・・初代瀧川末子・・奈良美也子・・汐見洋子・・神代錦・・打吹美砂・・越路吹雪・・淀かほる・・星空ひかる・・麻鳥千穂 ・・甲にしき - 安奈淳、松あきら&瀬戸内美八 - 榛名由梨&安奈淳 - 安奈淳 - 松あきら - 松あきら&順みつき - 順みつき - 高汐巴 - 大浦みずき - 安寿ミラ - 真矢みき - 愛華みれ - 匠ひびき - 春野寿美礼 - 真飛聖 - 蘭寿とむ - 明日海りお - 柚香光 - 永久輝せあ(現役) 秋田露子・・初代春日花子・・初代大江美智子・・久美京子・・打吹美砂・・日下輝子・・宮城野由美子・・鳳八千代・・夏亜矢子・・美和久百合・・竹生沙由里・・上原まり(固定でない) - 上原まり&北原千琴 - 美雪花代 - 若葉ひろみ - 秋篠美帆 - ひびき美都 - 森奈みはる - 純名里沙 - 千ほさち - 大鳥れい - ふづき美世 - 桜乃彩音 - 蘭乃はな - 花乃まりあ - 仙名彩世 - 華優希 - 星風まどか - 星空美咲(現役) 高砂松子 - 初代瀧川末子 - 奈良美也子 - 三浦時子 - 汐見洋子 - 神代錦 - 打吹美砂 - 大路三千緒 - 藤波洸子 - 打吹美砂 - 畷克美 - 美吉左久子 - 淡路通子 - 恵さかえ - 但馬久美 - 宝純子 - 北小路みほ - 未沙のえる - 星原美沙緒 - 磯野千尋 - 夏美よう - 高翔みず希 - 美風舞良(現役)
北川 悦吏子(きたがわ えりこ、1961年12月24日 - … 北川 悦吏子(きたがわ えりこ、1961年12月24日 - )は、日本の脚本家、映画監督、エッセイスト。 岐阜県美濃加茂市出身。早稲田大学第一文学部哲学科東洋哲学専修卒業。血液型B型。 岐阜県立加茂高等学校卒業後、オフコースの大ファンだった北川は小田和正と同じ大学に入りたいという思いから早稲田大学に合格し、進学した。当初は、地元の東濃信用金庫に勤務する父親に上京を反対されており、「4年で戻る」との誓約書を書いて許可された。 1984年に卒業後、広告代理店に入社するが雑用ばかりの環境に心身ともに疲れ、半年で退社。半年間休養した後、にっかつ撮影所に入社し、勤務しながら脚本を学ぶ。1989年に『月曜 女のサスペンス』(テレビ東京系)の一編『赤い殺意の館』で脚本家デビュー(佐治乾と共同執筆)。
園 子温(その しおん、 1961年〈昭和36年〉12月18… 園 子温(その しおん、 1961年〈昭和36年〉12月18日 - )は、日本の映画監督・脚本家。愛知県豊川市出身。脚本業では、山本孝之名義も使う。 1961年(昭和36年)、愛知県豊川市生まれ。父である園音巳は英語を教えていた愛知大学の教授であった。豊川小学校、豊川東部中学校を卒業。とても厳格な家庭で育った反動で17歳の時に実家を飛び出し、上京したとされるが、豊橋東高校は卒業している。17歳で詩人デビューし、『ユリイカ』と『現代詩手帖』に詩が掲載された。 映画監督として活動する以前は漫画家志望でもあり、法政大学入学後、20歳の時に出版社に漫画の持ち込みを行うも「まだ他人の気持ちがよく判らないんじゃないかな」と言われボツを喰らう。
高松 信司(たかまつ しんじ、1961年12月3日 - ) … 高松 信司(たかまつ しんじ、1961年12月3日 - ) は、日本の男性アニメーション演出家、アニメーション監督、脚本家、音響監督。栃木県宇都宮市出身。日本サンライズ(現・バンダイナムコフィルムワークス)の制作進行を経て『機動戦士Zガンダム』で演出デビュー。初監督作品は、OVA『機動戦士SDガンダム・SDガンダム猛レース』。主な監督作品として、『勇者特急マイトガイン』「こちら葛飾区亀有公園前派出所』『スクールランブル』『銀魂』『美男高校地球防衛部LOVE!』など。 高校時代より、8ミリフィルムによる自主制作映画やアニメの制作を手がけており、当時栃木県にて開催されていた自主制作上映会「アウトラインフェスティバル」では、中心的な人物の一人として数えられていた。
金 秀吉(キム・スギル、1961年11月27日 - )は映画… 金 秀吉(キム・スギル、1961年11月27日 - )は映画監督、脚本家、映像プロデューサー。大阪芸術大学短期大学部メディア・芸術学科特任教授。大阪芸術大学芸術学部映像学科兼担教授。大阪市生まれ。
川崎 郷太(かわさき きょうた、1961年11月6日 - )… 川崎 郷太(かわさき きょうた、1961年11月6日 - )は、日本の特撮監督、映画監督、脚本家。平成ウルトラマンの演出で知られる。東京都出身。 1984年、日本大学藝術学部卒業(卒業制作の題名は「恐竜泥棒」)。同年、木下プロダクションに入社し、テレビドラマの現場に付く。1988年、休職して渡米。ディズニー映画『ミクロキッズ』SFX班にインターンとして参加。帰国後に復職し、展示映像の映像やオリジナルビデオを監督する。1990年よりフリーランス。 2006年以後の作品はないが、八木毅など旧知の監督が川崎と会談している。 円谷プロダクション製作のウルトラシリーズにおいて、史上初めて脚本・監督・特技監督の三役を一つのエピソードで公式に兼ねた。
浅野 妙子(あさの たえこ、1961年10月4日 - )は、… 浅野 妙子(あさの たえこ、1961年10月4日 - )は、日本の脚本家。神奈川県出身。慶應義塾大学文学部仏文科卒業。同大学院文学研究科修士課程修了。 1994年、『無言電話』で第7回フジテレビヤングシナリオ大賞の佳作を受賞。その後、『ラブジェネレーション』『神様、もう少しだけ』『大奥』『ラスト・フレンズ』など、数々の話題作を発表。2006年の連続テレビ小説『純情きらり』の脚本も執筆している。
矢城 潤一(やぎ じゅんいち、 1961年10月1日 - )… 矢城 潤一(やぎ じゅんいち、 1961年10月1日 - )は、日本の映画監督、脚本家。本名は八木潤一郎(やぎ じゅんいちろう)。 神奈川県三浦市出身。神奈川県立横須賀高等学校、専修大学経済学部卒業。大学を卒業後、フリーの助監督になる。北野武、原田眞人、長崎俊一など個性的な監督の現場で経験を積んだ後、自己資金で『ある探偵の憂鬱』を監督。バンクーバー国際映画祭 ドラゴン&タイガーアワードにノミネートされる。以降、様々な映像作品に関わりながら、テレビドラマや映画の脚本も手がけるようになる。 初小説『55(ごじゅうご)』が第5回「日本ラブストーリー大賞」エンタテインメント特別賞を受賞した。 『原田眞人の監督術』という本の中で、『KAMIKAZE TAXI』のチーフ助監督時代のエピソードと共に優秀な助監督だった一人として取り上げられている。
塩田 明彦(しおた あきひこ、1961年9月11日 - )は… 塩田 明彦(しおた あきひこ、1961年9月11日 - )は日本の映画監督、脚本家、映画批評家、教師である。
有里 紅良(ありさと あから、本名:伊藤 勇喜子(いとう ゆ… 有里 紅良(ありさと あから、本名:伊藤 勇喜子(いとう ゆきこ)、1961年(昭和36年)8月31日 - 2015年(平成27年)7月2日)は、日本の漫画原作者、小説家、演劇脚本家、同人作家、映像編集技師。北海道根室市出身。 同人サークルから発展して結成された創作集団および劇団である「有限会社La・Moon」の初代代表取締役。同団体発行作品の主幹編集者。同じく「ら・むうん」に所属する漫画家兼イラストレーターの夢来鳥ねむとのコンビで知られる。ら・むうんメンバーおよびファンからの愛称はママ。夢来鳥が漫画家デビューに伴う上京に際し有里を、東京における第二の母として慕い呼び習わした事に由来する。 1961年、北海道根室市に生まれる。
中島 淳彦(なかしま あつひこ、1961年8月24日 - 2… 中島 淳彦(なかしま あつひこ、1961年8月24日 - 2019年12月4日)は、日本の脚本家、演出家。ジェイ・クリップに所属していた。宮崎県日南市出身。 1981年、20歳の時に劇団ホンキートンクシアターを旗揚げし、10年後の解散まで主宰として作・演出・出演を手がける。 1997年11月に劇団ホンキートンクシアターの俳優・青山勝と劇団道学先生を旗揚げし、同劇団ならびに劇団ハートランドの座付き作家として脚本を執筆に専念。文学座、劇団東京ヴォードヴィルショー、劇団青年座など他の劇団にも精力的に新作を提供する。 主に舞台の脚本、演出を行っている。駄目な人間たちを描く人情味のある喜劇、音楽劇などの作品が多い。
今川 泰宏(いまがわ やすひろ、1961年7月24日 - )… 今川 泰宏(いまがわ やすひろ、1961年7月24日 - )はアニメーション監督、映画監督、演出家、脚本家、放送作家。大阪府出身。
三谷 幸喜(みたに こうき、1961年〈昭和36年〉7月8日… 三谷 幸喜(みたに こうき、1961年〈昭和36年〉7月8日 - )は、日本の劇作家、脚本家、演出家、映画監督、俳優。 劇団「東京サンシャインボーイズ」主宰。シス・カンパニー所属。身長174 cm。 東京都世田谷区出身。父が好きだった大相撲力士・大鵬幸喜(当時は大関、後に横綱に昇進)にちなんで「幸喜」(こうき)と命名。両親は九州出身で、父は福岡市の中洲でクラブを数店舗経営していた実業家であった。家は裕福であったが、父は三谷が10歳の時に亡くなった。 小学生の頃、「ビバ!チャップリン」シリーズからチャールズ・チャップリンのファンになり、スイスにあった自宅前までチャップリンに会いに行ったことがある。
遠藤 憲一(えんどう けんいち、1961年〈昭和36年〉6月… 遠藤 憲一(えんどう けんいち、1961年〈昭和36年〉6月28日 - )は、日本の俳優、声優、ナレーター、脚本家、タレント。愛称は、エンケン(さん)。東京都品川区出身。アクターズカンパニーなどを経て、エンズタワー所属。 眼光鋭く、強面な風貌から悪役を演じることが多かったが、大橋のぞみ演じるヒロインの育ての親を演じた2009年の連続ドラマ『白い春』や瀧本美織演じる主人公の育ての親を演じた2010年の連続テレビ小説『てっぱん』出演をきっかけに、コミカルな役どころなど役柄の幅が多彩となり、主役・準主役級の人気俳優として活躍している。 高校中退後、アルバイトを転々としていたが、ある日広告で劇団員募集の広告を見て軽い気持ちで入団。
井上 由美子(いのうえ ゆみこ、1961年 6月24日 - … 井上 由美子(いのうえ ゆみこ、1961年 6月24日 - )は、日本の脚本家。兵庫県神戸市出身。 神戸市立夢野中学校、兵庫県立夢野台高等学校を経て立命館大学文学部中国文学専攻卒業。卒論では阮籍を扱った。テレビ東京に入社するが、希望していたドラマ制作に携われなかったため3年で退職し、シナリオライターを目指してシナリオ作家協会シナリオ講座研修科を修了。1991年に『過ぎし日の殺人』で脚本家としてデビュー。 『ギフト』『GOOD LUCK!!』『エンジン』などをヒットさせ、『白い巨塔』や『14才の母』などの社会問題を題材にした作品も話題となった。 2006年にはNHK制作のドラマ『マチベン』で第25回向田邦子賞を受賞。
源 孝志(みなもと たかし、1961年6月5日 - )は、日… 源 孝志(みなもと たかし、1961年6月5日 - )は、日本の演出家、脚本家、映画監督。岡山県出身。岡山県立岡山大安寺高等学校、立命館大学産業社会学部卒業。ホリプロを経て、オッティモ所属。 1984年立命館大学産業社会学部卒業後、ホリプロ入社。入社後はCM制作に携わる。1986年に日本テレビへ出向、1988年より主にバラエティ番組のプロデューサーを務め、1992年よりディレクターに転身してジャンルを問わず幅広く活躍した。『同窓会へようこそ』(2000年、TBS)、『マイリトルシェフ』(2002年、TBS)などでATP賞を受賞。 またドキュメンタリー番組『世紀を刻んだ歌-ヘイ!ジュード-』(2001年)で放送文化基金賞グランプリを受賞。
真保 裕一(しんぽ ゆういち、1961年5月24日 -)は、… 真保 裕一(しんぽ ゆういち、1961年5月24日 -)は、日本の小説家、脚本家、元アニメーター。 東京都生まれ。習志野市立第三中学校、千葉県立国府台高等学校を卒業後、『ドラえもん』のような夢あふれるアニメを作りたいと考え、シンエイ動画の採用試験を受けるも、作画能力の不足で不採用となる。シンエイ動画の下請けをしていたオカスタジオなどでアニメーターを経験し、漸くシンエイ動画への入社を果たす。腱鞘炎を患っていたこともあって作画部門には配属されず、脚本の進行管理を行う文芸担当のほか、『笑ゥせぇるすまん』『おぼっちゃまくん』では演出を担当した。 シンエイ動画の業務と並行して漫画原作を手掛けていたこともあって、本格的に小説家を志すようになり、シンエイ動画に仕事を減らしてもらいながら『連鎖』を書き上げ、1991年に同作で江戸川乱歩賞を受賞。
福田卓郎(ふくだ たくろう、1961年5月16日 - )は、… 福田卓郎(ふくだ たくろう、1961年5月16日 - )は、日本の脚本家、演出家。愛媛県(旧・伊予三島市)四国中央市出身。アンドリーム所属。 日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業。在学中から映画、演劇活動を開始し、脚本や演出を手掛ける。 卒業後は東宝演劇演出部に入社。 1987年に福田自身が主宰する「劇団疾風DO党」を結成。これに伴い東宝を退社する。2002年、劇団をDotoo!(ドトォ!)と改名。 1988年に、コピーライターとしてラジオCM「うちのお母さん」(ライオン)でACC最優秀スポットCM賞ラジオ部門民放祭優秀賞を受賞する。 1991年にシナリオライターとして、映画『就職戦線異状なし』でデビュー。
飯田 馬之介(いいだ うまのすけ、本名:飯田 勉(いいだ つ… 飯田 馬之介(いいだ うまのすけ、本名:飯田 勉(いいだ つとむ)、1961年4月30日 - 2010年11月26日)は日本のアニメーション監督、演出家、プロデューサー、脚本家、漫画家。北海道浦河町出身。北海道浦河高等学校卒。日本アニメーター・演出協会(JAniCA)会員。旧名は飯田 つとむ。
今井 雅之(いまい まさゆき、1961年〈昭和36年〉4月2… 今井 雅之(いまい まさゆき、1961年〈昭和36年〉4月21日 - 2015年〈平成27年〉5月28日)は、日本の自衛隊員・俳優・演出家・脚本家・タレント・エッセイスト。兵庫県城崎郡日高町生まれで現在の豊岡市出身。代表作は「自分の魂」と形容している神風特別攻撃隊が主題の『THE WINDS OF GOD』や、出身地で撮影した初監督作『SUPPINぶるうす ザ・ムービー』など。最終所属先はオスカープロモーション。 幼い頃から映画やテレビドラマが好きだった。特に千葉真一の熱狂的なファンで、『キイハンター』に影響され、友達と『キイハンター』ごっこで遊ぶ時には千葉に扮していた。 兵庫県立豊岡高等学校卒業後、俳優になろうと志すが、俳優になりたいのであれば自活するよう自衛官の父に言われ、1980年(昭和55年)4月に陸上自衛隊へ一般曹候補学生で入隊。
菊原 共基(きくはら ともき、1961年4月7日 - )は、… 菊原 共基(きくはら ともき、1961年4月7日 - )は、愛媛県大洲市出身の放送作家(構成作家)、脚本家、元お笑い芸人。別名義に菊原 智岐、ファニー菊原などがある。日本脚本家連盟会員。 1980年、日本大学藝術学部映画学科入学。1982年、コントグループ「ファニーズ」結成。日本テレビお笑いスター誕生9週勝ち抜き、ゴールデンルーキー賞獲得。1984年、前衛劇団「超薄的ワルツ」結成。1985年、コピーライターとして広告デザイン会社に入社。フランスベッドなどの広告を担当。1987年、放送作家に転向。秋元康に二番弟子として弟子入りし、SOLD-OUT、オフィスクレッシェンド、エイティーワン・エンタテインメント、イキナを経て現在はフリー。
大山 淳子(おおやま じゅんこ、1961年4月7日 - )は… 大山 淳子(おおやま じゅんこ、1961年4月7日 - )は、日本の小説家・脚本家。東京都港区赤坂生まれ。東京都立武蔵高等学校、早稲田大学教育学部国語国文学科卒業。 2004年からシナリオの勉強をはじめる。2006年、『三日月夜話』で第32回城戸賞入選。2007年、『届けてレッドマン』でNHK名古屋放送局が主催する第22回創作ラジオドラマ脚本募集入選。同年、『モモと見た夢』でNHK中四国ラジオドラマ脚本コンクール佳作。2008年、『通夜女(つやめ)』で第12回函館港イルミナシオン映画祭シナリオ大賞グランプリ(函館市長賞)。 シナリオライターとしての道を歩み始めるが、なかなか映像化のチャンスに恵まれず、「それならば原作者になって、自分の世界観を描こう」と思い立ち小説家への転向を試み、2009年より小説を書きはじめる。
小中 千昭(こなか ちあき、男性、1961年4月4日 - )… 小中 千昭(こなか ちあき、男性、1961年4月4日 - )は、脚本家、小説家。東京都生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒業。映画美学校脚本コース講師。 代表作に、実弟のSF映画監督・小中和哉との映画『くまちゃん』(音楽も担当)、特撮『ウルトラマンティガ』『ウルトラマンガイア』、アニメ『serial experiments lain』『神霊狩/GHOST HOUND』などがある。アニメ『ふしぎ魔法ファンファンファーマシィー』では全エピソードの脚本を執筆している。 初期は主にホラー作品の脚本を執筆。『邪願霊』『ほんとにあった怖い話』などのオリジナルビデオ作品で、のちに映画監督の中田秀夫や黒沢清、脚本家・高橋洋らが展開していく「ジャパニーズ・ホラー映画」に大きな影響を与えた。
いとう 斗士八(いとう としや、1961年-)は、静岡県出身… いとう 斗士八(いとう としや、1961年-)は、静岡県出身の脚本家。 日本大学芸術学部在学中の1981年、同じく日芸生の片渕須直らと共に宮崎駿演出の新作アニメ脚本テストに参加し、提出したシナリオは1984年に『名探偵ホームズ』の一篇として採用される。卒業後、松竹シナリオ研究所、雑誌編集などを経て、1987年にテレビドラマ『あぶない刑事』で本格デビュー。主に刑事ドラマや2時間サスペンスなどを手掛ける他、最終話の視聴率が37.2 %(ビデオリサーチ関東地区)に達した1994年のドラマ『家なき子』の脚本も担当した。 1959年から1964年の間に生まれ、1960年代後半のテレビ高度成長期を幼少期に経験したテレビ作家であるSSジェネレーションの一人。
青島 武(あおしま たけし、1961年 - )は日本の脚本家… 青島 武(あおしま たけし、1961年 - )は日本の脚本家、プロデューサー。 静岡県出身。横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)を卒業後、20歳からフリーの製作部スタッフとして映画製作に携わり、1990年にオリジナルビデオ「DOOR II TOKYO DIARY」でプロデューサーを務める。1992年にVシネマ「とられてたまるか!」シリーズで脚本家デビュー(当時は上田武郎名義)。2012年、「あなたへ」で第36回日本アカデミー賞優秀脚本賞を受賞。