谷田部 勝義(やたべ かつよし、1956年7月11日 - )… 谷田部 勝義(やたべ かつよし、1956年7月11日 - )は、東京都出身の脚本家、アニメ演出家、監督、音響監督。別名義に森田光太、森田風太がある。 1975年、日本大学芸術学部映画科に入学、大学時代には後に俳優として名を馳せる内藤剛志らとともに5、6人で自主制作映画を撮っていたと後に述懐しているが、ある時受けたアニメーションのゼミをきっかけとして、その講師であった池田宏の人柄に触発される形で大学を中退。新聞広告に載っていたというアドコスモへと1978年に入社し、制作進行に従事することとなる。 在学中は特にアニメが好きであったわけでもなく、入社当時もアニメのことは全然知らなかったという谷田部であるが、一方で当初から演出の仕事をしたいという意思も持ち合わせてはいた。
喜多 一郎(きた いちろう、1956年6月9日 - )は、日… 喜多 一郎(きた いちろう、1956年6月9日 - )は、日本の映画監督、テレビプロデューサー、音楽プロデューサー、作家、脚本家、大学客員教授。株式会社オフィスキタCEO。 1956年6月9日東京都出身。日本大学芸術学部映画学科卒業。株式会社オフィスキタ代表取締役社長。テレビ、音楽業界を経て1997年に自社を設立。2002年より映画監督。 「人間再生」を一貫したテーマにオリジナル脚本で12本の映画を監督する。大ヒットした2005年公開の映画『Life on the longboard』(大杉漣、小栗旬 他)では日本中の海を、中年サーファーで一杯にした社会現象を生み出す。2013年公開映画『ヨコハマ物語』(北乃きい、奥田瑛二、市毛良枝 他)は神奈川県推薦映画第一号に指定され大ヒットを記録する。
西岡 琢也(にしおか たくや、1956年5月27日 - )は… 西岡 琢也(にしおか たくや、1956年5月27日 - )は、日本の脚本家。京都府出身。関西大学法学部卒業。 大学が面白くなく、好きな映画を観まくり、字を書くことが好きだったため、6カ月間、脚本の通信講座を受ける。たまたま新藤兼人と同じ字の並びでホンを書いていたら、井筒和幸監督がそれを読み「お前は脚本書けるんやな」と言われ、1979年、『暴行魔真珠責め』でシナリオライターとしてデビューした。以降、ピンク映画の現場で助監督・シナリオを担当した。 『ガキ帝国』『TATTOO<刺青>あり』などの話題作を執筆、日本を代表する脚本家となる。 テレビの仕事も多く、特にテレビ東京とは同局初の2時間ドラマ枠「女と愛とミステリー」の立ち上げに協力するなど親密な関係にある。
高木 功(たかぎ いさお、1956年5月17日 - 1994… 高木 功(たかぎ いさお、1956年5月17日 - 1994年7月19日)は、日本の映画脚本家、小説家、エッセイストである。大阪市天王寺出身。大阪芸術大学映像学科(夜57期)卒業。 高校卒業後、会社勤めをしながらシナリオの勉強をし、大阪芸術大学で本格的にシナリオ製作を学ぶ。滝田洋二郎がピンク映画監督に昇格するにあたり脚本家を探していたとき、シナリオ研究誌『ズームアップ』で高木の才能を認め、滝田のデビュー作『痴漢女教師』で高木も脚本家としてデビューする。以後、滝田とピンク映画・ポルノ映画で20本以上タッグを組む。ポルノ映画では2人の当時の代表作ともいえる『痴漢』シリーズなどコメディ作品が多い一方で、『連続暴姦』のような本格的なサスペンスも残している。
金春 智子(こんぱる ともこ、本名:同じ、1956年〈昭和3… 金春 智子(こんぱる ともこ、本名:同じ、1956年〈昭和31年〉3月13日 -)は、日本の脚本家、小説家。奈良県奈良市出身。血液型AB型。アニメの脚本では豊富なキャリアを有し、漫画家の高橋留美子絡みの作品が多い。 上智大学外国語学部英語学科卒業。大学時代に作ったSFサークル名は「アニメディア」。大学4年のときに脚本家の辻真先が主宰する劇画まんが原作教室に通い、アニメコースに通ったのが脚本家デビューのきっかけ。1977年、辻の講座の課題として出されたテレビアニメ『一休さん』の脚本が認められて、3か月の推敲を経て「ギヤマンの壷と一尺の板」として放送された、以後、『一休さん』には3か月に1度のペースで執筆を続け、続けて『花の子ルンルン』でレギュラー脚本家の座を掴む。
古内 一成(こうち かずなり、1956年1月18日 - 20… 古内 一成(こうち かずなり、1956年1月18日 - 2016年7月18日)は、日本の脚本家。東京都出身。上智大学法学部卒。日本脚本家連盟会員。 大学4年生の時に、『太陽にほえろ!』のプロット募集に合格し脚本家デビュー。プロデューサーを介して同作のメインライターだった小川英に師事。同時期にプロットが合格となった同期の脚本家に尾西兼一がいる。大学卒業後は大手損害保険会社に就職したが、転勤が不安な上、脚本家活動するなら新人は東京にいるべきと判断して約4か月で退職。自身のデビュー作が放送された日が偶然にも会社を退職した日と同じだったという。以降、テレビ映画やビデオ映画を中心に活動していた。 1996年には『太陽にほえろ!』などで関わりのあった柏原寛司からの誘いにより、テレビアニメ『名探偵コナン』に参加。
蔵元 三四郎(くらもと さんしろう、1956年 - )は、日… 蔵元 三四郎(くらもと さんしろう、1956年 - )は、日本の脚本家。日本脚本家連盟理事。鹿児島県出生、兵庫県神戸市育ち。追手門学院大学文学部心理学科卒業。 小川英が主宰する脚本家育成塾「英塾」の1期生。1985年に小川がメインライターを務めていた刑事ドラマ『太陽にほえろ!』で脚本家デビューする。それ以降、刑事ドラマや時代劇、サスペンス作品の脚本を担当している。 1994年、師である小川の死去後、テレビドラマ界から離れ、クイズ番組の構成やアニメ、ゲームソフト、舞台、出版プロデュースなどに進出した。 2001年にインターネット塾「シナリオ実践塾クラム」を開設した。「育てて売り込む」をスローガンに後輩脚本家の育成にあたっている。
岡本 螢(おかもと ほたる、女性、1956年 - )は、劇作… 岡本 螢(おかもと ほたる、女性、1956年 - )は、劇作家、脚本家、漫画原作者、作家。東京都中央区日本橋出身。なお、岡本蛍という表記は誤りである[疑問点 – ノート]。 日本大学藝術学部演劇学科卒業。1975年、19歳の時に「半変化束恋道中」でテアトル・エコー創作戯曲募集入選。 江戸を舞台としたミュージカル作品を発表し劇作家として活躍。その後はテレビ・ラジオドラマの原作脚色にも携わる。 1992年、映画化された代表作『おもひでぽろぽろ』で日本アカデミー賞特別賞受賞。 読売演劇大賞の選考委員を務めた。 伊東四朗 - えなりかずき - 魁三太郎 - 桜金造 - 重田千穂子 - 前田吟 - 杉浦日向子 石原詢子 - 香西かおり - 伍代夏子 - 坂本冬美 - 長山洋子 - 藤あや子 浅茅陽子 - 篠田拓馬 - 竹下景子 - 野川由美子 - 松金よね子 - 由紀さおり 井上頌一 - 海老原靖芳 - 大橋泰彦 - 岡本螢 - 小澤寛 - 数原晋 - 清水東 - 滝大作 - 藤野浩一 捨てられて - みれん酒 - 夜桜お七 コメディー道中でござる - NHK総合 瀬川瑛子 - 田川寿美
佐野 和宏(さの かずひろ、1956年 - )は日本の映画監… 佐野 和宏(さの かずひろ、1956年 - )は日本の映画監督、脚本家、俳優。静岡県出身。 監督作はドラスティックでメッセージ性の強い作品を作る作家として評価されピンク四天王の一人として挙げられている。1983年、自主製作映画『ミミズのうた』が、ぴあフィルムフェスティバルに入選。1989年『監禁 ワイセツな前戯』で監督デビュー。全部の監督作品で単独脚本と主演を兼ね(1989〜1994年の13作品では主演女優も岸加奈子で固定)、日本の商業映画では希少な自作自演作家に徹し作品世界を構築し続けた。並行して、俳優としての他監督作品への出演も多い。1997年『熟女のはらわた 真紅の裂け目』以降、監督作品は途絶えていた。
福岡 芳穂(ふくおか よしほ、1956年 - )は、日本の映… 福岡 芳穂(ふくおか よしほ、1956年 - )は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサー、俳優である。 1956年、福岡県に生まれる。早稲田大学在学中より若松プロダクションに参加。若松孝二、高橋伴明に師事する。 1981年、『ビニール本の女 密写全裸』でズームアップ映画祭新人監督賞を受賞する。2010年、京都造形芸術大学映画学科の教授に就任する。2015年、岸部一徳を主演に迎えた監督映画『正しく生きる』が公開される。2021年、京都造形芸術大学映画学科の学生とプロの映画スタッフ、キャストが一丸となり劇場公開映画を製作するプロジェクト「北白川派」の第8弾となる監督映画『CHAIN/チェイン』が公開される。
万田 邦敏(まんだ くにとし、1956年 - )は日本の映画… 万田 邦敏(まんだ くにとし、1956年 - )は日本の映画監督、脚本家、映画批評家。東京都出身。立教大学現代心理学部映像身体学科教授[3]。妻の万田珠実とは『Unloved』『接吻』で共同脚本を執筆している[4]。
西村 純二(にしむら じゅんじ、1955年12月23日 - … 西村 純二(にしむら じゅんじ、1955年12月23日 - )は、日本の男性アニメーション演出家、アニメーション監督、脚本家。佐賀県東松浦郡呼子町(現:唐津市)出身。 「西村 ジュンジ」名義で脚本家としても活動している。 明治学院大学卒業後の1980年、アニメ下請制作会社の「にしこプロダクション」に入社。広川和之の下でアニメの演出を勉強し、翌年放送の『宇宙戦士バルディオス』第20話「甦った悪魔(前編)」にてアニメーション演出家としてのデビューを果たした。その後同プロダクションでは、『忍者ハットリくん』『六神合体ゴッドマーズ』『魔法のプリンセス ミンキーモモ』(第1作)などの演出も担当。 1984年、にしこプロダクションを退社し、活動の拠点をスタジオディーンに置いた。
平野 靖士(ひらの やすし、1955年12月1日 - )は、… 平野 靖士(ひらの やすし、1955年12月1日 - )は、日本の男性脚本家である。大阪府出身。最初期には平野靖司名義でも活動していた。横浜放送映画専門学院(現:日本映画大学)卒業。 脚本家の平野美枝は元妻。 専門学校を卒業後、脚本家の永原秀一に師事。円谷プロダクション文芸部を経て、'80年代から主にアニメ・特撮分野で活躍。90年代以降はシリーズ構成を務めることも多い。特に谷田部勝義の作品に多く参加し、最新の担当作品である『古代王者 恐竜キング Dキッズ・アドベンチャー』もその一つである。円谷プロに在籍していた関係上、特撮作品への参加は同社製作のものが多い。キャラクター作品以外に、一般向けの実写刑事・アクション物なども多数手掛ける。
小川 亜佐美(おがわ あさみ、1955年10月31日 - )… 小川 亜佐美(おがわ あさみ、1955年10月31日 - )は、新潟県出身の日本の女優・脚本家。日本脚本家連盟会員。 1977年に『OL官能日記 あァ!私の中で』で主演デビュー。その後も日活ロマンポルノの主力女優の一人として小沼勝、山本晋也、長谷部安春らの監督作品で主演を務めた他、助演としても多数の成人映画やテレビドラマに出演する。1980年代中盤には小川 あさ美名義で『ドラえもん』『オバケのQ太郎』などの子供向けアニメーションの脚本も執筆している。
鳴海 丈(なるみ たけし、1955年10月30日 - )は、… 鳴海 丈(なるみ たけし、1955年10月30日 - )は、日本の作家、脚本家。山形県米沢市出身。西南学院大学法学部卒業。 シナリオ、ライトノベル、時代小説、官能小説、ハードボイルド、漫画原作、とジャンルを問わずに活躍している。 特撮テレビドラマ『超電子バイオマン』第42話でシナリオ・デビュー。初期はコバルト文庫でファンタジー小説を書いていたが、『聖痕者ユウ』執筆中に乞われてひそかに書いていたアダルト小説『修羅之介斬魔劍』が編集者に発覚し、コバルト文庫を契約停止になる。その後、数年間はアダルト時代小説ばかりを書いていたが、現在は現代物にも手を広げている。週刊少年チャンピオンで連載の『伝鬼活人剣』で漫画原作者デビュー。
遊川 和彦(ゆかわ かずひこ、1955年10月24日 - )… 遊川 和彦(ゆかわ かずひこ、1955年10月24日 - )は、日本のテレビドラマの脚本家。東京都出身。広島県大竹市育ち。修道高等学校、広島大学政経学部卒業。 既婚。
ラサール 石井(、1955年10月19日 - )は、日本のお… ラサール 石井(、1955年10月19日 - )は、日本のお笑いタレント、声優、俳優、司会者、脚本家、演出家、著作家、政治家、コラムニスト。社会民主党所属の参議院議員(1期)、社会民主党副党首。第23回読売演劇大賞優秀演出家賞受賞。 ラ・サール高等学校卒業、早稲田大学第一文学部除籍。石井光三オフィス所属。 大阪府大阪市住吉区帝塚山出身。大阪市立住吉小学校、住吉中学校卒業。快活で、児童会の会長に立候補して当選するほど目立つ子どもであった。松竹新喜劇や吉本の漫才を見て育ち、姉に連れられて宝塚歌劇団も鑑賞していた。コメディアンに憧れはあったが、クラスには必ず自分よりも面白い子がおり、二番手では無理であろうとあきらめていた。
宮本昌孝(みやもと まさたか、1955年9月11日 -)は、… 宮本昌孝(みやもと まさたか、1955年9月11日 -)は、日本の脚本家、時代小説作家、SF作家。 骨太な作風でありながら、明るくにじみでるユーモアに特徴がある。静岡県浜松市出身。 2001年時点で日本SF作家クラブ会員だったが、2024年10月時点では会員名簿に名前がない。 小学生の頃は、当時の日本が映画の全盛期ということもあって、映画をよく観たり、ちばてつやや川崎のぼるの漫画に親しんだ。小学校高学年の時に担任の教師から授業参観日の演し物を行うように指示され、宮本が作、演出、出演を行ったところ、これを教師に気に入られる。この頃からストーリー漫画を描くのも好きになり、一時期は漫画家を目指していた。
黒沢 清(くろさわ きよし、1955年〈昭和30年〉7月19… 黒沢 清(くろさわ きよし、1955年〈昭和30年〉7月19日 - )は、日本の映画監督、脚本家、映画批評家、小説家。東京芸術大学大学院映像研究科映画専攻教授。同業である黒澤明との血縁関係はない。 1955年、兵庫県神戸市生まれ。六甲学院高等学校卒業。大学在学中より8ミリ映画の制作をはじめる。1980年、立教大学社会学部産業関係学科卒業。 立教大学では、自主映画製作集団「パロディアス・ユニティ」に所属。同サークルには森達也や塩田明彦らがいた。蓮實重彦の「映画表現論」を受講し強い影響を受ける。 1981年、8ミリ映画『しがらみ学園』が第4回ぴあフィルムフェスティバルに入選。 大学4年生の時に雑誌『GORO』の対談で出会い知遇を得た長谷川和彦から声をかけられ『太陽を盗んだ男』に制作助手として参加。
菅原 浩志(すがわら ひろし、1955年7月4日 - 202… 菅原 浩志(すがわら ひろし、1955年7月4日 - 2025年11月12日)は、日本の映画監督・脚本家・プロデューサー。 北海道夕張郡長沼町生まれ、札幌市育ち。深川市納内町にルーツを持つ。クレジットには菅原 比呂志名義も存在する。 北海道札幌啓成高等学校卒業後、『ゴッドファーザー』のフランシス・フォード・コッポラ監督が映画を学んだカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)芸術学部映画テレビ学科に留学。そこで『フラッシュダンス』『カラーパープル』などのエグゼクティブ・プロデューサーとして知られるピーター・グーバーに映画製作・演出を学び、クームルーデ賞(優秀賞)を受賞し卒業する。その後もロサンゼルスに残り、コマーシャル・フィルムなどの仕事をする。
原田 聡明(はらだ としあき、1955年6月29日 - )は… 原田 聡明(はらだ としあき、1955年6月29日 - )は、日本の映画監督・脚本家。
渡邊 孝好(わたなべ たかよし、1955年4月10日 - )… 渡邊 孝好(わたなべ たかよし、1955年4月10日 - )は日本の映画監督、脚本家。
武上 純希(たけがみ じゅんき、1955年2月26日 - )… 武上 純希(たけがみ じゅんき、1955年2月26日 - )は、日本の脚本家・小説家。鹿児島県出身。 ラ・サール高等学校、日活芸術学院技術科卒業。主にテレビシリーズのアニメーションや特撮ヒーロー物の脚本、或いはシリーズ構成等を手掛けている。過去には、本名の山崎 昌三()や谷本 敬次()の筆名を用いた事もあり。 アニメーション製作会社葦プロダクションの社員として編集に携っていたが、1981年には初期の企画時から文芸スタッフも兼ねていた同社のTVシリーズ作品『戦国魔神ゴーショーグン』の第6話「光る眼の悪魔」にて、本名の山崎昌三名義で脚本家としてのデビューを果たすことになる。翌年の『魔法のプリンセス ミンキーモモ』においても本名、もしくは谷本敬次の名義で脚本を担当。
平光 琢也(ひらみつ たくや、1955年1月13日 - )は… 平光 琢也(ひらみつ たくや、1955年1月13日 - )は、日本の俳優、演出家、脚本家、音響監督。岐阜県出身。「ひらこう」と読まれるが「ひらみつ」が正しい。趣味は絵画、ドラム。 神奈川県立小田原高等学校を経て、1975年日本大学芸術学部演劇学科在学中に「劇団魔天楼」を結成。また、同時期に劇団雲研究生、円・演劇研究所研究生を経て、1978年、演劇集団 円に俳優として入団。 1983年に「劇団魔天楼」で共に活動していた赤星昇一郎、郷田ほづみと結成したお笑いトリオ「怪物ランド」で、『お笑いスター誕生!!』に出場。10週勝ち抜きチャンピオンとなる。その後、冠番組となった『ウソップランド』(テレビ朝日)に出演しカルト的な人気を獲得した。
尾西 兼一(おにし けんいち、1955年1月10日 - )は… 尾西 兼一(おにし けんいち、1955年1月10日 - )は、日本の脚本家。 北海道足寄町出身。北海道足寄高等学校卒業。東京映像芸術学院出身。 大学受験浪人中に大学はあきらめて演出家になろうかと思っていたが、師事していた山田正弘の脚本の清書を手伝っているうちに、脚本家志望に変わる。東京映像芸術学院卒業後、『太陽にほえろ!』のプロット募集に合格して『太陽 - 』のメインライターであった小川英に師事するようになる。1979年、その『太陽にほえろ!』の一編でデビュー。以降、テレビドラマを中心に活動中。数多くの刑事ドラマを手がけてきており、人間ドラマ、人情ものから、アクションものまで幅広く手がける。
永井 寛孝(ながい かんこう、本名読み:ながい ひろたか、1… 永井 寛孝(ながい かんこう、本名読み:ながい ひろたか、1955年1月8日 - )は、日本の演出家、脚本家、俳優、声優。テアトル・エコー所属。愛知県出身。 1978年に劇団テアトル・エコー養成所に入所 1980年入団。退団後、歌芝居集団「おっ、ぺれった」を結成。その後プライムワン、フリーを経て、再び1999年にテアトル・エコーに入団し文芸演出部に在籍。 初めから演出家になろうと思っていたわけではなく、演劇の世界で色々していくうちに少しずつ領域が広がっていったという。「いったい、世間は自分に何をもとめているんだろう」と自問自答して、「だったら、みなさんのもとめに応えて身を任せてみよう」と思い、その結果、最初に目指していた演技の仕事より、演出の仕事の方が広がったという。
伊藤 和典(、1954年〈昭和29年〉12月24日 - )は… 伊藤 和典(、1954年〈昭和29年〉12月24日 - )は、日本の脚本家。山形県上山市出身、神奈川県横浜市在住。早稲田大学第一文学部中退。 山形県上山市の映画館「トキワ館」を経営する実家で育ち、中学生のころは円谷英二のような特撮監督になりたいと思っていた。早稲田大学ではテレビ芸術研究会に所属。大学生のころに現場を体験しようと「ライオン奥様劇場」と「土曜ワイド劇場」のADを体験し、演出は朝が早いので向かないと達観し脚本家を意識し始める。テレビドラマの助監督やシナリオライターのアルバイトを始め、やがて大学は3年で中退したがライターの仕事では食べられずに、アニメ業界へ足を踏み入れる。 24歳のころ1年ほど続けた缶コーヒーの自動販売機のセールスの仕事を休んだ日にスポーツ新聞に日本サンライズの制作進行募集の求人広告を見付け応募。
矢崎 仁司(やざき ひとし、1954年11月20日 - )は… 矢崎 仁司(やざき ひとし、1954年11月20日 - )は、日本の映画監督、脚本家。 1956年11月20日、山梨県南巨摩郡鰍沢町に生まれる。山梨県立巨摩高等学校を卒業。日本大学芸術学部映画学科に在学中の1980年、『風たちの午後』で映画監督デビューを果たす。1992年、『三月のライオン』でベルギー王室主催ルイス・ブニュエルの「黄金時代」賞を受賞する。2010年、中谷美紀と大森南朋を主演に迎えた『スイートリトルライズ』が公開される。
縞田 七重(しまだ ななえ、1954年9月24日 - )は、… 縞田 七重(しまだ ななえ、1954年9月24日 - )は、千葉県千葉市出身の脚本家、小説家である。 日本大学芸術学部放送学科を卒業。広告代理店勤務の後、1978年にフリーのシナリオライターとして、『女高生初体験』(大蔵映画)でデビュー。その後、2年間で30本のピンク映画を執筆する。その他、TV台本や劇画原作などにも携わる。 日本放送作家協会主催のシナリオ講座に通い、基礎科終了後、当時ピンク映画監督だった和泉聖治と出会い、映画業界に携わるようになる。『女性自身』での漫画脚本として携わる。
長崎 行男(ながさき ゆきお、1954年8月5日 - )は、… 長崎 行男(ながさき ゆきお、1954年8月5日 - )は、日本の音響監督・脚本家・音楽プロデューサー。城西国際大学メディア学部兼任講師。 法政大学経営学部卒業後、ホリプロダクションに入社。EPIC・ソニーで所ジョージなどのアーティストや、アニメ、ゲームのプロデュースを担当。その後、ソニー・コンピュータエンタテインメントに移籍しゲーム制作が中心となる。現在はマイルストーン音楽出版に所属し、アニメーションなどの音響演出も行っている。 ジャストプロ運営の声優・俳優養成機関 ボイスラボ トーキョーの所長としても活動している。 クロコダイルの顧問としても活動している。 ※ 特記のない限り音響監督としての参加。
伴 一彦(ばん かずひこ、1954年8月3日 - )は、日本… 伴 一彦(ばん かずひこ、1954年8月3日 - )は、日本の脚本家。福岡県出身。 福岡県立福岡高等学校を経て日本大学芸術学部映画学科脚本コース卒業。在学中に石森史郎、佐治乾らに師事。1981年頃から本格的に脚本家の活動を開始する。 2005年8月、自身の短編小説集「ラヴ・コール」を無断で俳優養成学校公演の脚本に使用されたとして、脚本家の高橋いさをと養成学校の経営者を相手どり、550万円の損害賠償や謝罪広告の掲載を求め、東京地裁に提訴した。2006年3月30日に高橋が著作権侵害を認め、謝罪金50万円を払うことなどで和解が成立。 2012年2月、同年4月からフジテレビ系列で放送されたドラマ『家族のうた』について、自身が以前脚本を担当した『パパはニュースキャスター』と設定が酷似していると自身のTwitter(現:X)で指摘し、話題となった。
関根 和美(せきね かずよし、1954年8月2日 - 201… 関根 和美(せきね かずよし、1954年8月2日 - 2019年10月10日)は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサーである。東京都出身。日本大学藝術学部文芸学科卒業。 大学卒業後、フリーの助監督として小川欽也、山本晋也らに師事した後独立し、脚本家として『下半身美人 狂いそう』(1980年、久我剛監督)などを執筆。飯泉大の推薦を受け国映制作『OL襲って奪う』(1984年)で映画監督デビュー。以降、主に独立系(インディーズ)の成人映画をコンスタントに制作し、監督している。関根プロダクション社長。成人映画だけではなくVシネマ、テレビ番組、VP作品も手がけており、一般作品としては『不思議めがね』(2002年、三村渉監督)において監督補としてメガホンを取っている。
山田 隆司(やまだ たかし、1954年6月15日 - )は、… 山田 隆司(やまだ たかし、1954年6月15日 - )は、日本の脚本家、構成作家。山梨県出身。法政大学卒業。 1979年に『宇宙空母ブルーノア』第8話「あの塔を撃て!」で脚本家デビュー。執筆作品は主にアニメ、特撮や、ノベライズ。 栗山緑というペンネームも持っている(『明日のナージャ』のみK・Y・グリーンという栗山緑の変名を使用)。
三村 渉(、1954年5月7日 - 2021年8月26日)は… 三村 渉(、1954年5月7日 - 2021年8月26日)は日本映画の脚本家。三重県出身。 日本大学藝術学部映画学科卒業。大学卒業時に、自身は現場に向かないと考えたことから脚本家を目指して様々なコンクールに応募し、1982年サンリオ脚本賞受賞。映画監督の野村芳太郎に師事する。1987年に映画『フリーター』で脚本家デビュー。代表作はゴジラシリーズ。 日本映画学校の講師も務めていた。 2021年8月26日、長年の体調不良の悪化により[要出典]死去。享年67歳。 野村へ師事したのは脚本を読んでもらったことがきっかけであり、サンリオ脚本賞受賞後、自費出版した自作の脚本を複数名に贈ったが、返答があったのは野村だけであったという。
山田 耕大(やまだ こうた、1954年3月23日 - )は、… 山田 耕大(やまだ こうた、1954年3月23日 - )は、日本の脚本家、映画プロデューサー、シナリオ作家協会主催シナリオ講座講師。 愛知県名古屋市生まれ。東海高校、東京大学経済学部卒業。日活企画部にて多数のロマンポルノ作品のプロデュースを行い、後に独立して映画製作会社「メリエス」を設立。数多くの映画をヒットさせた。こがねみどりの別名で脚本を書いたこともあった。現在はシナリオライター業に専念している。血液型はO型。
橋本 以蔵(はしもと いぞう、1954年2月21日 - )は… 橋本 以蔵(はしもと いぞう、1954年2月21日 - )は、日本の脚本家、映画監督。 島根県出身。島根県立津和野高等学校卒業。 映画好きだった公務員の父の影響もあって子供の頃から映画監督になりたかったという。高校卒業後に上京し、映画への接点を見つけるために新劇の俳優養成所に入る。映画監督の神代辰巳らとの接点も出来、シナリオを書いては見てもらう習作活動に入る。映画評論家の白井佳夫の紹介で映画化の話があった『喜作新道』の映画監督をやるよう声がかかったが制作会社が倒産したために実現しなかった。自主制作活動を経て1982年、自主映画『パソコンウォーズISAMI』で監督デビュー。テレビドラマ『スケバン刑事』シリーズの脚本を担当してメジャーデビュー。
加藤 正人(かとう まさと、1954年1月14日 - )は、… 加藤 正人(かとう まさと、1954年1月14日 - )は、日本の脚本家。秋田県出身。 囲碁ファンであり、映画「碁盤斬り」では対局シーンをふんだんに盛り込んだ。囲碁殿堂表彰委員会委員。
小林 政広(こばやし まさひろ、1954年〈昭和29年〉1月… 小林 政広(こばやし まさひろ、1954年〈昭和29年〉1月6日 - 2022年〈令和4年〉8月20日)は、日本の映画監督、脚本家。映画製作会社モンキータウンプロダクション代表。 1970年代頃は高田渡に師事し、林ヒロシという名でフォークシンガーをしており、脚本家時代には小林宏一名義での作品もある。 東京都文京区本郷生まれ。学習院高等科卒。 『痛快!婦警候補生やるっきゃないモン!』などのテレビの脚本家を経て1980年代後半からピンク映画の脚本を執筆。サトウトシキ監督らと組んで数々の話題作を生み出し、名脚本家として名を高めた。並行して『これでいいのだ』『おごるな上司!』などのNHKドラマ脚本も多数執筆している。
廣木 隆一(ひろき りゅういち、1954年1月1日 - )は… 廣木 隆一(ひろき りゅういち、1954年1月1日 - )は、日本の映画監督、脚本家、俳優。福島県郡山市出身。
野澤 和之(のざわ かずゆき、1954年〈昭和29年〉 - … 野澤 和之(のざわ かずゆき、1954年〈昭和29年〉 - )は、日本の映画監督、脚本家、演出家、プロデューサー。新潟県南魚沼郡六日町(現・南魚沼市)出身。 新潟県立六日町高校卒、立教大学社会学部社会学科卒、立教大学大学院文学部博士前期課程修了。文化人類学専攻。その後、米国に留学している。 記録文化映画のフリーランス助監督を経て、テレビ報道の道を歩んだ。その後、テレビドキュメンタリーの世界へも進出し、数々の賞も受賞している。現在は、ドキュメンタリー映画監督として広く知られている。 野澤の作品づくりには、大学で文化人類学を学んだ経験が活かされているという。それは、つまり、「周縁に生きる人々を描く」という、野澤監督独特の感性であり、特徴ともなっている。
東 多江子(ひがし たえこ 1954年 - )は、日本の脚本… 東 多江子(ひがし たえこ 1954年 - )は、日本の脚本家、小説家。 福岡県北九州市出身。同志社大学文学部(社会学科新聞学専攻)卒業。フリーライターを経て、1982年、NHK大阪放送局主催のラジオドラマ懸賞募集にて最優秀賞を受賞。脚本家になった。1985年新人ライターのグループ、ライターズ・カンパニーを設立。 文化庁の平成23年度(第62回)芸術選奨委員(放送部門)も務めた。
古山 敏幸(ふるやま としゆき、1954年 - )は日本の著… 古山 敏幸(ふるやま としゆき、1954年 - )は日本の著作家、脚本家。 1981年にオリジナル脚本『雷鳴のきざし』が城戸賞準入賞となった。 兵庫県の神戸市に産まれる。 同志社大学文学部卒業後、1981年にオリジナル脚本『雷鳴のきざし』が城戸賞に準入賞となる。審査員の野村芳太郎監督の下で脚本を学ぶ。前田勝弘が代表を務める幻燈社で劇映画の企画開発に関わる。 古書店店員、編集者などで生計を立てながら脚本を書き、発表された脚本もあるが、『雷鳴のきざし』を含め映像化は一度もされていない。 2008年よりビリー・ワイルダー論を考察中であるが、2025年現在、出版されていない。 上原輝樹の海の沈黙の評 VシネマHなビンビン大作戦!! 1992 映画 1997年11月22日公開の小林政広監督第1作目『CLOSING TIME』(協力) 論文 DVDソフト批評(1)『マーティン・スコセッシ 私のイタリア映画旅行』、ミロシュ・フォアマンのチェコ時代の未公開映画『ブロンドの恋』『火事だよ! カワイ子ちゃん』古山 敏幸 FB : 映画研究誌 / FB編集同人 編 (19) 145-149, 2004 創作シナリオ 男の首古山 敏幸 FB : 映画研究誌 / FB編集同人 編 (19) 191-221, 2004 創作シナリオ 弁士須田貞明とその弟古山 敏幸 FB : 映画研究誌 / FB編集同人 編 (18) 177-214, 2003 若き日の投稿=キネマ旬報の読者評に評が載せられたこともある
植岡 喜晴(うえおか よしはる、1954年- 2022年4月… 植岡 喜晴(うえおか よしはる、1954年- 2022年4月10日)は日本の映画監督、脚本家。 兵庫県出身。大学卒業後、広告代理店に勤めるが退社。長編8mm『夢で逢いましょう』をSABホールで上映し80年代初頭に関西自主制作映画の中心人物の一人となった。 1987年にはつみきみほ主演の『精霊のささやき』で劇場映画デビュー。その後、テレビ作品などを撮るとともに、万田邦敏、井川耕一郎、西山洋市らと映画美学校の講師を務める。 2000年、映画美学校フィクション・コース高等科のカリキュラムの一環として受講生とコラボレートした『月へ行く』を監督、2001年にアテネ・フランセ文化センターにて、万田邦敏『夜の足跡』、井川耕一郎『寝耳に水』、西山洋市『桶屋』とともに上映される。
長嶺 高文(ながみね たかふみ、1953年12月29日 - … 長嶺 高文(ながみね たかふみ、1953年12月29日 - 2014年10月7日)は、日本の映画監督、テレビディレクター、脚本家、演出家。 東京都台東区谷中生まれ。東京都立板橋高等学校、武蔵大学経済学部卒業。武蔵大学在学中より、自主映画製作をはじめる。卒業後、ピンク映画の獅子プロダクションに助監督として入社するが、1977年独立して、自主制作映画集団「パノラマフィルム」を設立。 1978年『喜談 南海燮化玉』を監督し、続いての2作目『歌姫魔界をゆく』は高田馬場パール座上映が連日の盛況から、自主映画としては異例の話題となり、各メディアにもとりあげられる。 大阪11PM「自主映画監督特集」で荒戸源次郎と出会い、1982年シネマ・プラセット製作にて、遠藤賢司主演のスーパー・SFミュージカル・コメディ映画『ヘリウッド』を上映、熱烈な支持と強い反発という両極の反響からカルト映画と評される。
西 ゆうじ(にし ゆうじ、1953年11月15日 - 201… 西 ゆうじ(にし ゆうじ、1953年11月15日 - 2013年2月6日)は、日本の漫画原作者、脚本家、放送作家。男性。福井県坂井郡丸岡町(現・坂井市)出身。本名:西 祐治(読み同じ)。 桜美林大学卒業後、美学校映画技作工房で脚本・演出・映画美術を学ぶ。鈴木清順に師事し、共同脚本をきっかけに放送作家として活動を開始する。『オールナイトニッポン』をはじめ多くのテレビ・ラジオ番組の構成を手がけた。 漫画原作者としても活動し、1985年、『ビッグコミックオリジナル増刊号』掲載の読切作品『スローラブ』(作画:あきやま耕輝)で原作者としてデビューした。代表作は『華中華』『あんどーなつ』(いずれも絶筆作品となった)『蔵の宿』など。
松井 今朝子(まつい けさこ、1953年9月28日 - )は… 松井 今朝子(まつい けさこ、1953年9月28日 - )は、日本の小説家、脚本家、演出家、評論家。 1953年、京都・祇園にある料亭の娘として生まれる。聖母学院中学高等学校、早稲田大学第一文学部演劇学科卒業。早稲田大学大学院文学研究科(演劇学)修士課程修了後、松竹株式会社に入社。歌舞伎の企画・制作に携わる。 松竹を退職後フリーとなり、武智鉄二に師事して、歌舞伎の脚色・演出・評論などを手がけるようになる。 1997年、『東洲しゃらくさし』で小説家としてデビュー。同年に『仲蔵狂乱』で第8回時代小説大賞を受賞。この作品は2000年に、市川團十郎、新之助の出演でTV化された
長谷川 康夫(はせがわ やすお、1953年〈昭和28年〉6月… 長谷川 康夫(はせがわ やすお、1953年〈昭和28年〉6月12日 - )は、日本の劇作家、演出家、脚本家、映画監督。妻は女優の大橋恵里子。 北海道生まれ。銀行の管理職であった父親の転勤で、幼少期は道内各地を転々として育った。北海道札幌南高等学校卒業後、早稲田大学政治経済学部に進むが中退。向島三四郎・知念正文主宰の劇団「暫」に入団し、つかこうへいと出会う。 在学中から劇団つかこうへい事務所に属し、74年「初級革命講座飛龍伝」でデビュー。劇団「暫」に所属のまま、風間杜夫、平田満らと、つかこうへい作品のほとんどに出演。『いつも心に太陽を』、NHKドラマ『かけおち'83』で主演。また、『蒲田行進曲』のヤスのモデルとして知られ、経歴等のキャラクター設定は長谷川のそれから取られている。
合津 直枝(ごうづ なおえ、1953年 - )は、日本のテレ… 合津 直枝(ごうづ なおえ、1953年 - )は、日本のテレビプロデューサー・映画プロデューサー・ディレクター・映画監督・脚本家。脚本家としては、野々山 花見(ののやま はなみ)という筆名を用いることもある。テレビマンユニオン所属。長野県大町市出身。 長野県松本深志高等学校を経て早稲田大学第一文学部心理学科を卒業後、テレビマンユニオンに参加。音楽番組、ドキュメンタリー番組などの制作を経て、テレビドラマのプロデュースに携わる。1994年放送のテレビドラマ『真昼の月 続・病院で死ぬということ』は放送文化基金賞奨励賞、ATP賞優秀賞、ギャラクシー賞奨励賞を受賞。ドラマ番組では以降も単発・連続もののプロデュースを主に行うが、2013年のNHK連続ドラマ『書店員ミチルの身の上話』では、プロデュース・演出・脚本の三役を務めた。
柏田 道夫(かしわだ みちお、1953年 - )は、日本の脚… 柏田 道夫(かしわだ みちお、1953年 - )は、日本の脚本家、シナリオ講師、小説家。 シナリオ・センターの講師も務める。青山学院大学文学部日本文学科卒業。 ストレス解消は映画観賞で、年間130〜150本の作品を映画館で観る。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
九十九 一(つくも はじめ、1952年〈昭和27年〉11月1… 九十九 一(つくも はじめ、1952年〈昭和27年〉11月1日 - )は、日本のお笑い芸人、俳優、脚本家、演出家。 ピン芸人(漫談・ひとりコント)として芸能活動開始。現在は俳優(主に喜劇)として活動テリトリーを拡げ、放送作家としても活動している。 本名:福地 隆(ふくち たかし)。大阪府大阪市出身。エンパシィ所属。過去にE-Pin企画に所属していた。 高校時代から落語家を目指し、3代目桂米朝への弟子入りを志すも、3代目笑福亭仁鶴らによる落語ブームが生じたため断念する。母親からは高校だけは卒業するようにと言われ、高校卒業後は全国各地を転々と放浪した。 帰阪後の1976年、滝あきらの門下から「滝たかし」の芸名でデビューする。