浅野 桜子(あさの さくらこ、1998年5月15日 - )は… 浅野 桜子(あさの さくらこ、1998年5月15日 - )は、静岡県浜松市中央区出身の元女子プロ野球選手(内野手)。 父親と兄の影響で、小学校1年時に「上島北西ソフトボール」に入団しソフトボールを始め、同4年時に女子ソフトボールチーム「浜松ドルフィンズ」に移籍した。浜松市立中部中学校入学を機に同校の軟式野球部に入部した野球に転向、遊撃手でキャプテンを務めた。 京都両洋高等学校に進学、3年時は春の大会でベスト4、西日本大会で優勝した。 2017年、レイアに入団。 2018年に京都フローラへ移籍。二塁手として、ゴールデングラブ賞を受賞。 2019年は愛知ディオーネに移籍し、2年連続でゴールデングラブ賞を受賞。
山口 裕次郎(やまぐち ゆうじろう、1998年5月14日 -… 山口 裕次郎(やまぐち ゆうじろう、1998年5月14日 - )は、大阪府寝屋川市出身の元社会人野球選手(投手)。 寝屋川市立池田小学校時代に寝屋川スカイヤーズで野球を始め、寝屋川市立第二中学校時にはヤングリーグの寝屋川ベースボールフレンズに所属。 履正社高等学校では1年秋からベンチ入りし、2年秋から同級生の寺島成輝と2本柱を形成。3年夏は大阪府大会で24回を投げ、3失点32奪三振の成績を残し、甲子園出場に貢献した。3回戦で鈴木昭汰擁する常総学院戦に先発したが、2回途中4失点で降板し敗戦した。 2016年10月20日に行われたプロ野球ドラフト会議において、北海道日本ハムファイターズから6位指名を受けたが、下位指名を理由に入団を拒否した。
堀 瑞輝(ほり みずき、1998年5月10日 - )は、広島… 堀 瑞輝(ほり みずき、1998年5月10日 - )は、広島県呉市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。北海道日本ハムファイターズ所属。 小学校2年生の時に軟式野球を始め、呉市立昭和中学校で軟式野球部で投手兼外野手としてプレー。広島新庄高校では1年生の夏からベンチ入りし、2年生の夏に、チーム初の甲子園に出場する。3年生の夏にも甲子園で登板する。3年生の秋には、第11回 BFA U-18アジア選手権大会で日本代表のエースとして、チームは優勝する。いわて国体ではストレートで自己最速の150km/hを記録した。 2016年10月20日に行われたドラフト会議では、北海道日本ハムファイターズから1位指名を受け、契約金7000万円、年俸750万円(金額は推定)で入団した。
今井 達也(いまい たつや、1998年5月9日 - )は、栃… 今井 達也(いまい たつや、1998年5月9日 - )は、栃木県鹿沼市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。MLBのヒューストン・アストロズ所属。 小学1年から野球を始め、鹿沼市立西中学校時代はクラブチームの鹿沼レッドソックスに所属し、全国野球大会に出場した。 中学卒業後は作新学院高等学校に進学。2年夏は栃木大会で背番号「11」でベンチ入りし、準決勝の白鷗大学足利戦に先発するも、四球と大下誠一郎の右前安打でピンチを招き、二死一・三塁からライトスタンドへの同点3点本塁打を打たれ、1回3安打2四死球3失点で降板した。國學院栃木との決勝戦では6回からリリーフ登板したものの制球が定まらず、相手打者に対して頭部死球を与えるなど、1回1/3を1安打4四死球で降板した。
藤嶋 健人(ふじしま けんと、1998年5月8日 - )は、… 藤嶋 健人(ふじしま けんと、1998年5月8日 - )は、愛知県豊橋市出身のプロ野球選手(投手)。中日ドラゴンズ所属。
山﨑 友輔(やまさき ゆうすけ、1998年5月2日 - )は… 山﨑 友輔(やまさき ゆうすけ、1998年5月2日 - )は、岡山県倉敷市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。 倉敷市立西中学校では軟式野球部に所属。 玉野市立玉野商工高校では、3年夏の県大会2回戦が最高成績で、甲子園出場は無かった。 福山大学経済学部経済学科に進学。硬式野球部に所属し、1年秋からエースの座を獲得し、中国六大学野球リーグでの4年間の通算成績は50試合登板、16勝22敗、防御率2.50。 2020年10月26日に行われたプロ野球ドラフト会議において、読売ジャイアンツより育成ドラフト10巡目で指名を受けた。福山大学及び玉野商業高校の出身者として初のプロ野球選手となった。
萩原 哲(はぎわら てつ、1998年5月1日 - )は、京都… 萩原 哲(はぎわら てつ、1998年5月1日 - )は、京都府宇治市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投左打。 宇治市立御蔵山小学校1年の時から少年野球チームに所属し、宇治市立木幡中学校では京都木津川シニアに所属。 宮崎県の日南学園高校に進学し、2年春から正捕手。3年時は春夏連続で甲子園に出場し、3年夏はベスト16。 創価大学では1年春から正捕手。リーグ戦は通算77試合に出場し、打率.269(242打数65安打)、1本塁打、38打点。4年時は主将も務めた。 2020年10月26日のドラフト会議において、読売ジャイアンツから7巡目で指名された。このドラフトでは同級生の保科広一も読売ジャイアンツから育成11位で指名されている。
糸川 亮太(いとがわ りょうた、1998年4月30日 - )… 糸川 亮太(いとがわ りょうた、1998年4月30日 - )は、愛媛県四国中央市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。 2人の兄(7歳上と3歳上)の影響で四国中央市立妻鳥小学校1年生のときに『妻鳥ファイターズ』で野球を始め、四国中央市立川之江北中学校では硬式野球の『川之江ボーイズ』に所属。中学3年時はチームのキャプテンとエースを務め、夏には愛媛県選抜に選ばれた。 川之江高校に進学し、1年夏からベンチ入りしたが、結果を残せずにいた。控え投手であった2年夏は愛媛大会準々決勝で敗退し、新チームが始動して間もない頃に友近拓也監督から「変化球ピッチャーになれ」と告げられ、投球スタイルを変更すると、エースに成長。
郡 拓也(こおり たくや、1998年4月25日 - )は、東… 郡 拓也(こおり たくや、1998年4月25日 - )は、東京都三鷹市出身のプロ野球選手(捕手、内野手、外野手)。右投右打。読売ジャイアンツ所属。 三鷹市立南浦小学校時に連雀スパローズで兄と同様に野球をはじめ、三鷹市立第一中学校入学とともにシニアリーグの武蔵府中シニアに加入する。帝京高等学校進学後は、中堅手や二塁手やリリーフとして出場もあるが、捕手にコンバート。全国大会の出場はないが、高校3年時の東東京大会では同一回に二盗、三盗、本盗を続けて決める「パーフェクトスチール」を達成、その走塁が話題となった。帝京高校時代は2学年先輩に清水昇と田島洸成、1学年後輩に佐々木俊輔が在籍していた。 2016年10月20日に行われたドラフト会議では、北海道日本ハムファイターズから7位指名を受け、契約金2000万円・年俸480万円(金額は推定)で契約した。
木澤 尚文(きざわ なおふみ、1998年4月25日 - )は… 木澤 尚文(きざわ なおふみ、1998年4月25日 - )は、千葉県船橋市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。 小学校2年生の時に友達から誘われて野球を始める。小学校6年生の時に、千葉ロッテジュニアに選ばれ藤平尚真とチームメイトだった。小学校卒業時には身長は176cmだった。 慶應義塾高校では甲子園出場経験はなく、3年春の県大会で右肘靱帯を損傷し、同年の夏の神奈川県大会決勝では痛み止めを打ち登板していた。 慶應義塾大学時代は2年春に公式戦初登板を果たし、通算成績は23試合登板、7勝2敗、防御率2.98。3年秋には明治神宮野球大会に出場している。投球技術の勉強のため積極的にオンラインサロンに出席したり、全体練習が終わった後は都内のトレーニングジムにも通っていた。
千葉 耕太(ちば こうた、1998年4月22日 - )は、岩… 千葉 耕太(ちば こうた、1998年4月22日 - )は、岩手県盛岡市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。 小学1年から盛岡市立好摩小学校で野球を始める。盛岡市立巻堀中学校では軟式野球部に所属した。 花巻東高校進学後は、2年の夏に1学年先輩のエース高橋樹也を擁し、第97回全国高等学校野球選手権大会に出場。2回戦の敦賀気比高校戦では7番ライトで出場し、平沼翔太からヒットを放った。3回戦の仙台育英高校戦では2打数0安打に終わり、チームも敗れた。2年秋から右肩痛を発症。3年夏も右肩痛の影響で登板機会が無く、4番ライトで出場したが、岩手県大会初戦の盛岡工業高校に敗れた。 2016年10月20日に行われたプロ野球ドラフト会議で東北楽天ゴールデンイーグルスに育成ドラフト1巡目で、投手として指名され、支度金200万円、年俸240万円で合意、入団。
大本 将吾(おおもと しょうご、1998年4月22日 - )… 大本 将吾(おおもと しょうご、1998年4月22日 - )は、愛媛県西条市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。NPB在籍時は育成選手だった。 西条市立壬生川小学校の1年生頃から、「小松リトル」で野球を始める。2年生からは「西条リトル」に所属。小学3年生の頃に、西条市東予運動公園野球場でおこなわれた四国アイランドリーグの愛媛マンダリンパイレーツ主催試合を観戦しており、これが初めて実際に見た「プロ野球」だったという。 西条市立東予東中学校時代には、「西条シニア」や「BB凌駕」(ヤングリーグ)で、投手や一塁手としてプレーする。打順は4番だった。 高校は帝京第五高等学校に進学。1年の新人戦からベンチ入りし、2年生春からは4番・一塁手で先発出場する。
奈良木 陸(ならき りく、1998年4月16日 - )は、広… 奈良木 陸(ならき りく、1998年4月16日 - )は、広島県府中市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)。プロでは育成選手だった。 府中市立第一中学校では軟式野球部に所属し県大会に優勝。 広島県立府中高等学校では甲子園出場はなく、3年夏の県大会は3回戦敗退。 筑波大学理工学群社会工学類に一般受験で現役合格し野球部に入部。首都大学リーグ戦では主にリリーフとして登板。3年までの登板数はわずか5試合であり目立たなかったが、4年時に自己最速の151km/hを記録し、8月に行われた巨人三軍とのプロアマ交流戦で1回を無失点に抑えるなど、急速にレベルアップしドラフト候補に浮上した。 2020年10月26日に行われたプロ野球ドラフト会議において、読売ジャイアンツより育成ドラフト9位で指名を受け、11月28日に支度金300万円、年俸400万円(推定)で仮契約を結んだ。
石川 達也(いしかわ たつや、1998年4月15日 - )は… 石川 達也(いしかわ たつや、1998年4月15日 - )は、神奈川県横浜市都筑区出身のプロ野球選手(投手)。左投右打。読売ジャイアンツ所属。 横浜市立下田小学校1年の時に港北リトルで野球を始めた。横浜市立東山田中学校時代は中本牧シニアに所属。 横浜高等学校では1年秋からベンチ入りを果たす。2年夏の神奈川県大会は、決勝の東海大相模戦で先発したが4回3失点で降板。打線も小笠原慎之介に散発7安打に封じられ準優勝に終わった。3年夏は同級生の藤平尚真と左右の二枚看板で予選を勝ち進み、第98回全国高等学校野球選手権大会に出場した。1回戦の東北戦は「5番・右翼手」で先発出場。またリリーフで登板し2回1/3を無失点に抑えた。
加藤 壮太(かとう そうた、1998年4月15日 - )は、… 加藤 壮太(かとう そうた、1998年4月15日 - )は、愛知県春日井市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。NPBでは育成選手であった。 春日井市立神領小学校3年時に野球を始め、春日井市立南城中学校では瀬戸シニアに所属していた。 中京高校進学後、3年夏に2番センターとして岐阜県大会を勝ち抜き、第98回全国高等学校野球選手権大会出場に貢献。2回戦で敗退したが、7打数3安打2打点の成績を残した。野球部の同期には今井順之助、1年後輩に茶野篤政がいる。 NPBに1年でも早くという理由でベースボール・チャレンジ・リーグの武蔵ヒートベアーズに入団した。 1年目から主力として活躍。1年目は打率.213、2年目には打率.245と徐々に成績を伸ばし、3年目(このシーズンよりチームは「埼玉武蔵ヒートベアーズ」に改称)は打率.310、7本塁打29盗塁と自己最高の成績を残した。
梁 培(りょう ばい、リャン・ペイ、Liang Pei、19… 梁 培(りょう ばい、リャン・ペイ、Liang Pei、1998年4月14日 - )は、東京都国分寺市出身の中国のプロ野球選手(外野手)。右投右打。北京タイガース所属。 北京出身の両親の下に東京で生まれる。小学生時代は国分寺市立第四小学校の国分寺ストロングジャガーズに友人の誘いで入団、 その後は「調布シニア」でプレーした。なお、シニア時代の後輩に清宮幸太郎がいる。その後、東海大菅生高校に進学したが、同学年の外野手に比べて打力面が課題となりベンチ入りすることができなかった。2学年下の後輩に田中幹也がいる。 卒業後は母親の勧めもあり、中国に渡り野球を続ける。シニア時代のつてがあった北京タイガースに入団し、2019年のCNBLでの優勝に貢献した。
若林 楽人(わかばやし がくと、1998年4月13日 - )… 若林 楽人(わかばやし がくと、1998年4月13日 - )は、北海道白老郡白老町出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。読売ジャイアンツ所属。 5歳で野球を始め、白老町立緑丘小学校1年次に緑丘ファイターズに入る。6年生の時にはファイターズジュニアでもプレーした。白老町立白老中学校野球部3年次には全日本少年軟式野球大会でベスト16を経験している。 駒澤大学附属苫小牧高等学校では1年秋からベンチ入り、3年次から三塁手のレギュラーだった。2年春に全道大会で準優勝したが、甲子園出場経験はない。1学年上には伊藤大海がいる(ドラフトでは同期にあたる)。 駒澤大学に進学すると、1年春からベンチ入りし、2年生からはレギュラーとして活躍。
森山 孔介(もりやま こうすけ、1998年4月13日 - )… 森山 孔介(もりやま こうすけ、1998年4月13日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手(内野手)。
佐藤 蓮(さとう れん、1998年4月11日 - )は、静岡… 佐藤 蓮(さとう れん、1998年4月11日 - )は、静岡県三島市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。現在は社会人野球選手としてマルハンGIVERS所属。 小学4年生から「長伏ヴィーナス」で野球を始める。当時のポジションは捕手。中学時代は「三島シニア」に所属。2年時に投手に転向すると、最速136km/hの速球を武器に3年時には静岡県選抜、U-15日本代表に選出された。 飛龍高校では2年時に投手として最速140km/hを計測。3年春から背番号1を背負うも、制球難に苦しんだ他、検査で医師から「まだ靭帯が子供」と告げられるなど身体が発達途上であったことから同年夏は野手としてプレーした。同年の静岡大会2回戦の加藤学園高校戦で本塁打を放つなどの活躍を見せたが、チームは3回戦で敗退。
杉浦 健二郎(すぎうら けんじろう、1998年4月10日 -… 杉浦 健二郎(すぎうら けんじろう、1998年4月10日 - )は、神奈川県相模原市南区出身のプロ野球選手(投手)。右投両打。フランスのプロ野球リーグであるディヴィジオン・アンのチームに所属。 相模原市立桜台小学校在学時、1年生の時から野球を始め、同小学校に通う小学生で構成されたチーム「サンダース」でプレー。相模原市立相模台中学校までは野球部に所属しており、この時から全力で投げれば130km/hの直球を投げることができたという。しかし、2年生で肘、3年生春に肩を故障し、公式戦には未登板で、3年生夏は二塁手としてプレーしていた。 中学卒業後は怪我や指導の理不尽さから野球から離れ、神奈川県立麻溝台高等学校ではバドミントン部に所属。
小川 龍成(おがわ りゅうせい、1998年4月5日 - )は… 小川 龍成(おがわ りゅうせい、1998年4月5日 - )は、群馬県館林市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。右投左打。千葉ロッテマリーンズ所属。 館林市立第八小学校1年時に多々良クラブで野球を始める。館林市立多々良中学校時代には館林ボーイズでプレー。 高校は前橋育英高校に進学。1年夏からショートのレギュラーとして活躍し、3年夏に主将を務め、第98回全国高等学校野球選手権大会に出場。初戦で嘉手納高校に敗れた。2学年先輩に髙橋光成、1学年後輩に丸山和郁がいる。 大学は國學院大學に進学。1年春からベンチ入りし、2年春にはベストナインを受賞した。3年時には第43回日米大学野球選手権大会の代表に選出された。
松尾 大河(まつお たいが、1998年4月5日 - )は、横… 松尾 大河(まつお たいが、1998年4月5日 - )は、横浜DeNAベイスターズに所属するプロ野球選手(内野手)。
立野 和明(たての かずあき、1998年4月3日 - )は、… 立野 和明(たての かずあき、1998年4月3日 - )は、愛知県西春日井郡豊山町出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 名古屋市立楠西小学校時代に野球を始め、豊山町に転居後は豊山フェニックスに所属。豊山町立豊山中学校時代は、東海チャレンジャーに所属する。 中部大第一高校に進学し、2年秋からエースになるものの、在学時は甲子園出場経験はなかった。高校卒業後は少しでも早いプロ入りを志望し、大学進学ではなく社会人野球の道に進んだ。 東海理化では、チームとしては都市対抗野球大会への出場経験はないが、補強選手として3度出場している。2年目の第44回社会人野球日本選手権大会では1回戦の室蘭シャークス戦に登板し、12回1失点と完投勝利を収める。
箭内 翔太(やうち しょうた、1998年3月29日 - )は… 箭内 翔太(やうち しょうた、1998年3月29日 - )は、日本の野球選手(投手)。ゴリラクリニックベースボールに所属している。 小学生から野球を始め、ポジションは内野手であった。東日本国際昌平高校に進学し、高校1年生で、スタメン入りを果たした。3年生の時の練習試合で、初めて投手として登板した(この試合では140km/h を越える球速を出したとされる)。 東京国際大学に進学後、突然粉砕骨折が発生し、野球ができない状態となっていたが、ケガから2か月後に登板した草野球(千葉マリンスタジアムで開催)において、149km/h の球速を記録する。これを機に野球選手を続行する一方、大学は中退した。 2017年に、主に野球をジャンルとした動画を投稿するYouTuberのクーニンが運営する草野球チーム「クーニンズ」に、親友である関口裕貴(現高知FD所属)とともに入団。
小野寺 暖(おのでら だん、1998年3月17日 - )は、… 小野寺 暖(おのでら だん、1998年3月17日 - )は、奈良県奈良市出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。阪神タイガース所属。 奈良市立左京小学校の2年時に「奈良リトル」で硬式野球を始めると、奈良市立平城東中学校在学中には「南都ボーイズ」へ所属していた。以上の球歴は西岡剛と同じ(西岡は郡山リトルシニア)で、小学2年時に西岡と会ったことをきっかけで、プロ(NPB)入りを目指すようになったという。 京都翔英高校への進学後に硬式野球部へ入ると、1年時の秋から正左翼手に定着し、在学中は対外試合で通算20本塁打を放ったが、春夏とも甲子園球場での全国大会とは無縁であった。硬式野球部での1学年後輩に、石原彪や山本祐大がいる。
梅林 優貴(うめばやし ゆうき、1998年3月14日 - )… 梅林 優貴(うめばやし ゆうき、1998年3月14日 - )は、広島県広島市安佐北区出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。北海道日本ハムファイターズ所属。 広島市立亀山南小学校5年から野球をはじめる。高校は広島県立高陽東高等学校に入学するが高校時代は甲子園出場はなく、3年時の夏の広島地方大会8強が最高成績だった。高校卒業後は中国地区大学野球連盟に加盟している広島文化学園大学(当時2部リーグ)に進学する。大学時代も注目選手ではなく、4年の春時点でもスカウトが見に来ていないほどであったが、JFE西日本の河野竜生の視察に来ていた北海道日本ハムファイターズの加藤竜人スカウトの目に留まる。4年秋にはサイクル安打の達成だけでなく、首位打者を獲得しリーグMVPに選ばれ、広島文化学園大学を初の1部昇格に導く。
小澤 怜史(こざわ れいじ、1998年3月9日 - )は、静… 小澤 怜史(こざわ れいじ、1998年3月9日 - )は、静岡県三島市出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。東京ヤクルトスワローズ所属。 三島市立北小学校3年生からリトルジャイアンツで軟式野球を始めた。サイドスローするクセがあり、監督の指導でオーバースローに矯正された。中学では1つ上の兄とともに静岡裾野リトルシニアに所属していた。 日大三島高校に進学し、1年生からベンチ入りメンバーとなる。春夏ともに甲子園出場はなかったが、2年生の秋季静岡大会で1安打完封勝利や、3年夏の静岡大会では、自己最速152km/hを計測するなど注目された。 2015年10月22日に行われたプロ野球ドラフト会議にて福岡ソフトバンクホークスから2位指名を受け、同年11月25日に契約金6000万円、年俸700万円(金額はすべて推定)で契約を合意し、入団。
與那原 大剛(よなはら ひろたか、1998年3月9日 - )… 與那原 大剛(よなはら ひろたか、1998年3月9日 - )は、沖縄県出身の元プロ野球選手(投手・育成選手)。右投右打。 小学3年生で野球を始め、6年生の時には県大会ベスト8進出、学童軟式野球全国大会優勝を果たす。桑江中学校では日隈ジュリアスと同級生だった。 高校進学を控え複数の高校から勧誘を受けたものの、小学校時からバッテリーを組んでいたチームメイトと同じ高校に入ることを希望し、沖縄県立普天間高等学校に進学した。高校では3年夏の全国高等学校野球選手権大会で県予選ベスト8に進出したのが最高成績で、甲子園出場は果たせなかったものの、身長190cm、体重89kgの体格と、最高球速148km/hの速球で注目され、県予選ではプロ11球団のスカウトが視察に訪れていた。
伊勢 大夢(いせ ひろむ、1998年3月7日 - )は、熊本… 伊勢 大夢(いせ ひろむ、1998年3月7日 - )は、熊本県熊本市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。横浜DeNAベイスターズ所属。 小学4年生から野球を始め、当初は内野手としてプレー。中学では軟式野球部に所属し、内野手兼投手を務めた。 九州学院高等学校では1年秋から活躍。2年秋の公式戦は1人で投げ抜いていた。全国大会には春夏合わせて2回出場。3年春に出場した第87回選抜高等学校野球大会では八戸学院光星相手に9回完投したものの、9失点し初戦敗退した。3年夏の第97回全国高等学校野球選手権大会では遊学館相手に8回を投げて5失点の成績だった。また、このとき1年生で4番を務めていたのが村上宗隆だった。
出口 匠(でぐち たくみ、1998年3月3日 - )は、三重… 出口 匠(でぐち たくみ、1998年3月3日 - )は、三重県桑名市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。プロでは育成選手であった。2018年シーズンの登録名は「匠(たくみ)」。 10歳の頃に両親が離婚。様々な事情からどちらの親にも引き取られず、当時所属していた少年野球クラブチーム代表の娘の家庭に引き取られた。桑名市立正和中学校時代に名古屋フレンズボーイズへ所属。 津田学園高校への進学後は、1年時の夏から出場機会を得て中心選手として活躍。2年時の3月には、岐阜県立岐阜商業高校との練習試合で、髙橋純平から本塁打を放った。3年時の夏には、投手としても活躍。選手権三重大会の3回戦では、菰野高校の山田大樹と投げ合った末に、4-3のスコアでチームを勝利に導いた。
松谷比菜乃(まつや ひなの、1998年2月18日 - )は、… 松谷比菜乃(まつや ひなの、1998年2月18日 - )は、新潟県柏崎市出身の元女子プロ野球選手。
山本 武白志(やまもと むさし、1998年2月17日 - )… 山本 武白志(やまもと むさし、1998年2月17日 - )は、神奈川県横浜市出身のクリケット選手、元プロ野球選手(内野手、右投右打)。実父は元プロ野球選手・監督の山本功児。 プロ野球では育成選手であり、2018年シーズンのみ名前の武白志(むさし)を登録名に用いていた。 小学3年生から「元石川サンダーボルト」で野球を始め、中学時代には「都筑ジャイアンツボーイズ」(前田幸長が主宰する硬式野球チーム)で投手兼4番打者として活躍。中学卒業後は、九州国際大学付属高校へ進学。 九州国際大学付属高校では、1年生の秋からレギュラーに定着。2年生の夏に第96回全国高等学校野球選手権大会に出場し、3年生の夏の第97回全国高等学校野球選手権大会・福岡大会では投手として登板。
成田 翔(なりた かける、1998年2月3日 - )は、秋田… 成田 翔(なりた かける、1998年2月3日 - )は、秋田県秋田市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 保戸野小学校4年生から野球をスタート。秋田東中学校では軟式野球部に所属していた。中学時代の同学年のチームメイトに石井大智がおり、それまでエースだった石井から、3年生のときにエースの座を奪っている。 秋田商業高等学校進学後は、1年の夏は控え投手として第95回全国高等学校野球選手権大会に出場。初戦の富山第一高校戦にリリーフで登板し、2回を無失点3奪三振と結果を残した。2年の秋からエースとしてチームを引っ張り、3年の夏の秋田県大会では準々決勝の西目高校戦で9回16奪三振、続く秋田工業戦では9回14奪三振、そして決勝の秋田南高校戦では9回9奪三振完封、県大会は39回を投げ55奪三振の好投で甲子園出場を決めた。
石原 貴規(いしはら ともき、1998年2月3日 - )は、… 石原 貴規(いしはら ともき、1998年2月3日 - )は、兵庫県宝塚市出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。広島東洋カープ所属。 小学校2年から野球を始め、宝塚市立宝塚第一中学校時代は甲子園リトルシニアに所属。 創志学園高等学校時代は2年秋から正捕手。1学年下の高田萌生とバッテリーを組み、3年夏の県大会は決勝戦に進出するも敗退し、甲子園出場経験はなかった。 天理大学時代はベストナインを3度受賞し、4年春のリーグ戦では打率.408で首位打者を獲得している。大学の1年後輩に、後にプロでもチームメイトとなる森浦大輔がいた。 2019年10月17日に行われたプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから5位指名を受け、11月15日に契約金4000万円、年俸700万円(推定)で仮契約した。
望月 大希(もちづき だいき、1998年2月1日 - )は、… 望月 大希(もちづき だいき、1998年2月1日 - )は、千葉県船橋市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学生時代は、南流ファイターズでプレー。中学時代は、船橋市立八木が谷中学校の軟式野球部に所属。 市立船橋高校時代は、甲子園出場経験はない。 創価大学時代は、1年冬の健康診断にて蛋白尿と血尿が見つかったため、練習量を最低限にこなしていた。さらに、2年春には指定難病である「IgA腎症」を発症し、扁桃腺を摘出する手術を受けるなど実戦から遠ざかっていた。2年秋から試合に復帰したが、2年冬から3年春にかけては、ステロイド治療に専念した。 その後、3年春にリーグ最優秀防御率となると、同期の杉山晃基と小孫竜二らと共に強力な投手陣を形成した。
大城 駿斗(おおしろ はやと、1998年1月31日 - )は… 大城 駿斗(おおしろ はやと、1998年1月31日 - )は、沖縄県那覇市出身の元プロ野球選手(外野手)。 小学2年生まではサッカー好きだったが、3年生のころから野球を始める。高校は沖縄県有数の公立進学校である那覇国際高校に在籍し、野球部では主将としてプレー。 一般入試で筑波大学に合格し、沖縄を離れる。恵まれた体格から入学当初より強打者として期待される。しかし、練習では調子がいいものの、紅白戦などの実戦形式になると全く打てず、ベンチ入りすることもなかなかできなかった。4年生秋頃から紅白戦で結果を残し始め、2019年10月21日、首都大学野球連盟秋季リーグ戦の対東海大戦で代打として起用され、初めて公式戦出場を経験した。
佐藤 都志也(さとう としや、1998年1月27日 - )は… 佐藤 都志也(さとう としや、1998年1月27日 - )は、福島県いわき市出身のプロ野球選手(捕手、内野手)。右投左打。千葉ロッテマリーンズ所属。 いわき市立平第六小学校3年時に、地域の子ども会でソフトボールを始め、5年時からは「みまやスポーツ少年団」で本格的にプレーし始めた。いわき市立平第二中学校で軟式野球部に所属。最初は遊撃手だったが、東日本大震災の影響で5人ほど転校してきたためメンバーを外れ、2年時から捕手となる。 聖光学院高等学校では2年、3年時に夏の甲子園に出場。プロ志望届を提出し、ドラフト会議当日には地元のテレビ局が生中継を行うなど、注目を集めていたが指名球団はなかった。2学年先輩に園部聡、1学年先輩に船迫大雅と八百板卓丸、2学年後輩に湯浅京己がいた。
津森 宥紀(つもり ゆうき、1998年1月21日 - )は、… 津森 宥紀(つもり ゆうき、1998年1月21日 - )は、和歌山県和歌山市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。 和歌山市立楠見小学校3年から野球を始め、楠見中学時代は硬式野球の和歌山ビクトリーズに所属。2年から投手になり、3年夏には全国大会に出場する。高校は和歌山東高校に進学し、1年秋に上手投げからサイドスローに転向する。2年秋からエースになるものの、高校時代は甲子園出場経験はなかった。 高校卒業後は東北福祉大学に進学し、3年の第67回全日本大学野球選手権大会ではリリーフ投手として同大学の14年ぶりの優勝に貢献し、最優秀選手に輝く。また2年と3年に大学野球日本代表に選出され、ドラフト上位候補に挙がっていたが4年の春にフォームを崩してしまい、第68回全日本大学野球選手権では準々決勝の対佛教大学戦で3点差をリードしている7回に登板するものの、制球難に苦しんだ上にサヨナラスクイズにより敗退した結果、3年連続の大学野球日本代表入りを逃した。
吉村 貢司郎(よしむら こうじろう、1998年1月19日 -… 吉村 貢司郎(よしむら こうじろう、1998年1月19日 - )は、東京都足立区出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。 足立区立興本小学校2年生の時に野球を始め、足立区立第八中学校在学中は硬式野球のクラブチームである足立ベルモントボーイズでプレーした。 日本大学豊山高等学校に進学し、1年秋からエースを務めた。3年夏の東東京都大会では決勝まで進出したが、オコエ瑠偉らを擁する関東第一高等学校に敗れた。3年間で甲子園大会出場はなし。 國學院大學に進学し、2年春からリーグ戦に登板したが怪我に苦しみ、4年秋のリーグ戦では1試合の登板に留まった。プロ志望届を提出したが、2019年のドラフト会議では指名がなかった。
茶谷 健太(ちゃたに けんた、1998年1月16日 - )は… 茶谷 健太(ちゃたに けんた、1998年1月16日 - )は、神奈川県茅ヶ崎市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。 茅ケ崎市立浜須賀小学校から「三ヶ丘スポーツ少年団」で軟式野球を始め、茅ケ崎市立浜須賀中学校では投手として「緑中央シニア(現・横浜青葉シニア)」に所属。 帝京第三高等学校では、1年から控えとしてベンチ入りし、3年春には4番エースになったが、春季山梨大会ベスト4が最高で、第97回全国高等学校野球選手権山梨大会では、準々決勝で甲府城西高等学校に4対2で敗れ、甲子園出場はなかった。9月にプロ志望届を提出した。1学年下には水上由伸がいる。 2015年10月22日に行われたドラフト会議では、福岡ソフトバンクホークスから4位指名を受け、11月21日に契約金4000万円、年俸500万円で入団した。
大塲 亜莉菜(おおば ありな、1998年1月13日 - )は… 大塲 亜莉菜(おおば ありな、1998年1月13日 - )は、静岡県出身の女子ソフトボール選手(投手)。NECプラットフォームズレッドファルコンズ所属。 姉の影響で6歳でソフトボールを始めた。 2015年、木更津総合高校3年生の時にインターハイ優勝を経験。 2016年に地元静岡県を本拠地とするNECプラットフォームズレッドファルコンズに入団。 2022年4月10日、JDリーグ第2節の戸田中央メディックス埼玉戦でノーヒットノーランを達成。 2022年のJDリーグ創設以降、NECプラットフォームズレッドファルコンズの主戦投手としてチームを牽引しており、2シーズン連続でチーム内で唯一の規定投球回に到達している。
橋本 侑樹(はしもと ゆうき、1998年1月8日 - )は、… 橋本 侑樹(はしもと ゆうき、1998年1月8日 - )は、福井県大飯郡高浜町出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。中日ドラゴンズ所属。 高浜町立高浜小学校3年生の時から野球を始めた。高浜町立高浜中学校時代は若狭高浜ボーイズで活躍した。高校は岐阜県の大垣日本大学高等学校に在学していた若狭高浜ボーイズの1年先輩から勧誘を受け、同校へ進学した。 高校1年の夏には、高校野球岐阜県大会決勝戦で胴上げ投手となり、監督の阪口慶三から賛辞を受けた。試合に集中するあまり、チームメイトがマウンドへ集まるまで、甲子園出場が決定したことに気付かなかった。夏の甲子園大会では開幕戦の有田工業高等学校戦で救援登板するも、1回3失点で敗戦投手となった。
内藤 航世(ないとう こうせい、1998年1月5日 - )は… 内藤 航世(ないとう こうせい、1998年1月5日 - )は、兵庫県加古川市出身の元プロ野球選手(投手)。 加古川市立平岡東小学校1年時に稲美イーストフレアーズで野球を始め、加古川市立平岡中学校では硬式野球のクラブチーム兵庫播磨リトルシニアでプレー。 1993年第75回全国高等学校野球選手権大会で主将(二塁手)として全国制覇を経験した育英高OBの安田聖寛氏が指揮を執る兵庫の名門育英高等学校に進学。1年秋に控え投手でベンチ入り。3年夏の兵庫大会はベンチ入り登録メンバー外となり、5回戦で明石商業高等学校に敗戦。最高成績は兵庫県大会ベスト4。甲子園出場はなし。2学年先輩に平岡敬人、1学年後輩に矢野雅哉が在籍していた。
森 翔平(もり しょうへい、1998年1月1日 - )は、鳥… 森 翔平(もり しょうへい、1998年1月1日 - )は、鳥取県鳥取市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。広島東洋カープ所属。 鳥取市立青谷小学校1年生の時に軟式野球を始め、鳥取市立青谷中学校では硬式野球のクラブチームである鳥取クラウンボーイズでプレーした。 鳥取県立鳥取商業高等学校に進学し、1年時から一塁手のレギュラーに定着。投手も兼任した。3年春の鳥取県大会で優勝し、中国大会に出場。創志学園との1回戦で髙田萌生と投げ合ったが敗れた。同年夏の鳥取大会は準々決勝で鳥取西に敗れ敗退。3年間で甲子園出場はなかった。 関西大学に進学し、以降は投手に専念した。3年春からベンチ入りし、4年秋は先発の一角としてチームの第50回明治神宮野球大会準優勝に貢献。
郡司 裕也(ぐんじ ゆうや、1997年12月27日 - )は… 郡司 裕也(ぐんじ ゆうや、1997年12月27日 - )は、千葉県市原市出身のプロ野球選手(捕手、内野手、外野手)。右投右打。北海道日本ハムファイターズ所属。 小学校1年から野球を始め(ちはら台ファイターズ)、3年の時に自ら志願し捕手となる。6年の時には津留﨑大成や網谷圭将らとともに千葉ロッテマリーンズジュニアに選ばれる。中学時代は千葉市リトルシニアに所属しキャプテンを務めた。中学3年の春には全国大会優勝を遂げた。同期には網谷圭将、1学年後輩に藤平尚真、齊藤伸治、中村亮太などがいた。 慶應義塾高校への進学を目指したが不合格となり、仙台育英高校に進学。2年秋には明治神宮大会で優勝した。3年春は第87回選抜高等学校野球大会に出場し、初戦の神村学園戦では3安打の活躍を見せたが、2回戦では平沼翔太擁する敦賀気比高校に敗れた。
平沢 大河(ひらさわ たいが、1997年12月24日 - )… 平沢 大河(ひらさわ たいが、1997年12月24日 - )は、宮城県多賀城市出身のプロ野球選手(外野手、内野手)。右投左打。埼玉西武ライオンズ所属。 多賀城市立城南小学校時代から軟式野球を始めると、地元球団の東北楽天ゴールデンイーグルスが運営する「楽天イーグルスベースボールスクール」に所属していた。中学時代は七ヶ浜リトルシニア(現仙台伊達リトルシニア)で野球を続けた。 仙台育英学園高等学校への進学後は、1年時の春から公式戦に出場。1年時の秋から、遊撃手のレギュラーに定着した。2年時の秋に出場した明治神宮野球大会・高校の部では、浦和学院高等学校との決勝戦で2点本塁打を放ち、チームの優勝と翌春の第87回選抜高等学校野球大会への出場権確定に貢献した。
植田 将太(うえだ しょうた、1997年12月18日 - )… 植田 将太(うえだ しょうた、1997年12月18日 - )は、大阪府大東市出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。 小学校1年生の頃に野球を始め、オール松原ボーイズに所属。当時の監督である光山英和から指導を受けた。 四條畷学園中学校在学中は生駒ボーイズに所属。3年時にはNOMOジャパンに選出された。 高校は慶應義塾高等学校に進学。同期に津留﨑大成、柳町達、1学年後輩に木澤尚文がいる。 大学は津留﨑、柳町とともに慶應義塾大学に進学。同学年に1年時からレギュラーを掴んでいた郡司裕也がいたこともあり、なかなか出場のチャンスは巡ってこなかったが、3年秋のリーグ戦で代打出場し大学初安打を放った。
大関 友久(おおぜき ともひさ、1997年12月14日 - … 大関 友久(おおぜき ともひさ、1997年12月14日 - )は、茨城県土浦市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。福岡ソフトバンクホークス所属。 小学校1年生から野球を始め、土浦市立都和中学校時代は硬式野球のクラブチームである常総ドリームボーイズに所属。茨城県立土浦湖北高等学校では1年秋からチームのエースとなったが、3年夏は右手を疲労骨折していた影響もあって3回戦で敗退し、プロ志望届を提出したものの指名漏れとなった。甲子園出場経験は無し。 その後仙台大学に進学し、1年春からリーグ戦に出場。リーグ戦では通算19試合に登板して4勝3敗、54回1/3を投げて防御率3.15という成績を残し、2019年9月24日付でプロ志望届を提出したが、チームのエース格ではなく、ドラフト前の調査書が届いたのは福岡ソフトバンクホークスのみであった。
藤田 航生(ふじた こうき、1997年12月11日 - )は… 藤田 航生(ふじた こうき、1997年12月11日 - )は、青森県弘前市出身の元プロ野球選手(投手)、理学療法士。左投左打。 中学生時代は硬式野球チーム「弘前シニア」に所属していた。青森県立弘前工業高等学校では甲子園出場経験は無い。高校通算奪三振率は11.65だった。 2015年10月12日に行われたプロ野球ドラフト会議で埼玉西武ライオンズから9巡目で指名を受け、契約金1,000万円、年俸500万円(金額は推定)で仮契約を結んだ。背番号は「67」に決まった。 2016年は二軍で1試合の登板にとどまり、2017年も一軍登板はなく、二軍で3試合に登板し防御率は18.00だった。現役引退時に明かしたイップスの症状は1年目の段階から発症していたとされる。
鈴木 健矢(すずき けんや、1997年12月11日 - )は… 鈴木 健矢(すずき けんや、1997年12月11日 - )は、千葉県袖ケ浦市出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。広島東洋カープ所属。 小学校2年から野球を始め、中学校は学校の軟式野球部に所属していた。中学校卒業後は木更津総合高校に進学し、第87回選抜高等学校野球大会に出場。同大会でチームは2回戦で敗退したが、鈴木は2試合ともに登板した。高校卒業後はJX-ENEOSに入社し、1年目より都市対抗野球の補強選手として選ばれる。2年目には侍ジャパンの社会人野球選手代表に選ばれ、3年目にはドラフト指名解禁の年であったが、指名はなかった。4年目は第45回社会人野球日本選手権大会に出場し、西部ガスとの1回戦で7回から登板し、3回無失点と好投した。