栗原 圭介(くりはら けいすけ、1976年10月9日 - )… 栗原 圭介(くりはら けいすけ、1976年10月9日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 ママさんバレーをしていた母親の影響で那珂川南中学1年よりバレーボールを始める。 法政大学を経て、1999年サントリーサンバーズに入部。チームの司令塔として活躍し、2006年には全日本代表に選出されている。2009年3月、コーチ兼選手として連続試合出場記録歴代1位(236試合)を更新した。 2010年、2009/10シーズン終了をもって現役を引退した。コーチはそのまま継続する。 2016/17シーズン終了をもってコーチを退任し、チームディレクターに就任した。 2023年、ゼネラルマネージャーに就任。
徳元 幸人(とくもと ゆきと、1976年10月9日 - )は… 徳元 幸人(とくもと ゆきと、1976年10月9日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者。 沖縄県国頭郡恩納村出身。実兄の影響で、恩納小4年 (恩納クラブ) よりバレーボールを始める。その後、恩納中、石川高と進学。1993年高2時に国体出場、1994年高校3年次にはインターハイおよび国体出場する。1995年、中央大へ進学、1996年大学2年次には全日本インカレ優勝を飾る。1998年大学4年次には栗生澤淳一の指導を受けている。 1999年、JTサンダーズ(現・広島サンダーズ)に入団。Vリーグ初出場は1999年2月19日の旭化成スパーキッズ戦。2000年入団2年目からレギュラーを獲得、2002年全日本代表に初選出された。
谷口 雅美(たにぐち まさみ、1976年9月17日 - )は… 谷口 雅美(たにぐち まさみ、1976年9月17日 - )は、日本の元女子バレーボール選手、スタッフ。 宮崎県宮崎市出身。小学校4年生からバレーボールを始める。宮崎日大高校を経て1995年、小田急ジュノー入団。1999年小田急休部に伴い日立ベルフィーユに移籍するが、2001年日立廃部に伴いJTマーヴェラスへ移籍。第5回V1リーグから第12回Vリーグまで主将を務めた。 強烈なジャンプサーブと高さのあるスパイクを武器に、2006-07Vプレミアリーグにおいて、日本人最多得点を挙げる活躍でチーム初のリーグ準優勝に貢献。ベスト6を受賞した。その後も国内では得点を量産する活躍で、第57回黒鷲旗大会で敢闘賞を受賞、同大会から3大会連続でベスト6賞を獲得した。
浅川 敏(あさかわ さとし、1976年8月28日 - )は、… 浅川 敏(あさかわ さとし、1976年8月28日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者である。 長野県須坂市出身。中学1年生のとき、2歳年上の兄の影響でバレーボールを始める。 バレーボール強豪校である岡谷工業高校に進学。中学・高校時代はチャアと呼ばれていた。 三橋栄三郎に憧れ、繰り返しビデオを見てはスパイクの練習に明け暮れる毎日を送る。めきめきと頭角を表し、長野県選抜に選ばれる。 1993年には全日本ユースに選出され、アジアユース選手権で準優勝、世界ユース選手権で準優勝の成績を修めた。1995年に中央大学へ進学、関東大学リーグではレシーブ賞を受賞した。 1999年、Vリーグ・東レアローズに入団。
加藤 陽一(かとう よういち、1976年8月12日 - )は… 加藤 陽一(かとう よういち、1976年8月12日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、現指導者。元日本代表。マネジメント契約先はスポーツビズ。 ママさんバレーをやっていた母親の影響で上野ヶ丘中学でバレーボールを始める。中学2年、3年時には全国都道府県対抗中学バレーボール大会の選抜に選ばれた。大分工業高校の高校3年時はキャプテンとしてプレーし、1994年の春の高校バレーで3位入賞、インプレッシブプレーヤー賞を受賞した。 筑波大学に進学後、2年生から4年生までの3年間、チームのインカレ3連覇に貢献。大学在学中の1998年世界選手権で全日本代表デビューを果たし、朝日健太郎、西村晃一とともに全日本代表の顔となった。
中野 由紀(なかの ゆき、1976年8月5日 - )は、日本… 中野 由紀(なかの ゆき、1976年8月5日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 大阪府寝屋川市出身。家族は両親と兄。中学でバレーボールを始める。中学校3年生のときにさわやか杯に大阪北選抜代表として出場。ダイナミックなスパイクで脚光を浴び、オリンピック有望選手に選ばれた。高校進学の際、私学の名門校からの誘いを断り、公立校である大阪府立南寝屋川高校に進学した。 1993年、春高バレー大阪府予選で初優勝し、女子チーム初の公立校代表となった。同年、16歳という史上3番目(当時)の若さで全日本代表に選出、『スーパー女子高生』と話題になった。1995年東洋紡に入社。内定選手時代に第26回実業団リーグに出場、新人賞を受賞。
濱野 礼奈(はまの れな、1976年7月19日 - )は、日… 濱野 礼奈(はまの れな、1976年7月19日 - )は、日本の元女子バレーボール選手、現指導者。 父は住友軽金属男子排球団の中心選手として活躍した濱野光之(後に順天堂大学男子バレーボール部監督)、母は元カネボウの苗代裕子というバレーボール一家に生まれた。母の実家(熊本県水俣市)で誕生し、埼玉県越谷市で育つ。人呼んで「バレーの申し子」。小学時代は硬式テニスに打ち込んだが、中学1年次にバレーボールに転向し、1991年に出場した全国都道府県対抗中学大会で埼玉県チームの一員として3位入賞を果たすと、一躍脚光を浴びた。 高校は國學院大學栃木高等学校に進学すると、1993年の春高準優勝やインターハイ優勝、国体優勝などに大きく貢献し、國學院栃木の一時代を築いた。
森 和代(もり かずよ、1976年6月21日 - )は、日本… 森 和代(もり かずよ、1976年6月21日 - )は、日本の元女子バレーボール選手である。プレミアリーグ・岡山シーガルズに所属していた。 岐阜県海津市南濃町太田(旧 南濃町)出身。「なにかスポーツがしたい」との理由で小学4年よりバレーボールを始める。大阪国際滝井高校時代に春高バレー優勝を経験。高校卒業後、東芝シーガルズに入団。1999年東芝休部に伴い、クラブチームとなったシーガルズへ移籍。 2008年4月、Vリーグ出場試合が251試合となり、2007年にリーグ40回大会を記念し創設された『Vリーグ特別表彰制度』の表彰基準を達成したため、長期活躍選手として特別表彰された。2007-08プレミアリーグでチーム初となる四強入りに貢献した。
満永 ひとみ(みつなが ひとみ、1976年6月3日 - )は… 満永 ひとみ(みつなが ひとみ、1976年6月3日 - )は、日本の元女子バレーボール選手である。 長崎県長崎市出身。九州文化学園高校時代は、センタープレーヤーとして春高バレーにおいて1年次ベスト8、2年次準優勝。1994年愛知国体で優勝を経験した。 1995年、ダイエーにセッターとして入団。その後、ライトプレーヤーに転向し、1998年第4回Vリーグではヨーコ・ゼッターランドとツーセッターシステムを組んでリーグ優勝に貢献。新人賞を獲得した。 2005年に現役を引退。 2019年時点では長崎北児童クラブでコーチを務めている。 レフトやライトからのオープンスパイクやバックアタックに加え、センターからのクイック・時間差攻撃、ブロード攻撃など多様な攻撃を仕掛けた。
岡野 弘子(おかの ひろこ、1976年5月25日 - )は、… 岡野 弘子(おかの ひろこ、1976年5月25日 - )は、日本の元女子バレーボール選手である。 父親が転勤族の一家の次女として愛媛県で生まれ、その後金沢市に移住した。小学3年次に実姉がバレーボールをやりたいと言いだし、両親はバレーボールチーム(南小立野スポーツ少年団)を作り、監督・コーチとなった。弘子もごく自然のなりゆきでバレーボールを始める。富山を経て、大阪府高槻市に転居。 高槻二中ではエースアタッカーだったが、帝国女子高校監督(当時)の河本昭義に指導を受ける機会を得、河本からセッター転向を勧められる。勧めに応じるまま、大阪国際滝井高校(帝国女子高校から校名変更)入学後にセッターとなり、春高バレーで主将兼セッターとして優勝に貢献した。
山本 辰生(やまもと たつお、1976年5月25日 - )は… 山本 辰生(やまもと たつお、1976年5月25日 - )は、日本の元インドアバレーボール選手、ビーチバレーボール選手である。 大阪府出身。立命館大学時代には4年連続で全日本大学選手権に出場。1999年に、堺ブレイザーズに入団。2002年の第8回Vリーグでは3位。 2003年にビーチバレーに転身。同年、国内最大の大会であるビーチバレージャパンで3位という結果を残した。 2005年の第5回アジアビーチバレーボール選手権では西村晃一とペアを組み出場、5位という結果を残した。 現在はバレーボール指導者、大学非常勤講師として活動する。
三浦 聖子(みうら せいこ、1976年5月24日 - )は、… 三浦 聖子(みうら せいこ、1976年5月24日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。兵庫県姫路市出身。 デンソーのサイドアタッカー(主にライトポジション)として長く活躍した。 1995年に日本電装に入社、翌年の実業団リーグ(現・チャレンジリーグ)で新人賞を受賞。1998年のVリーグオールスターではファン投票で出場選手として選出される(故障の治療を理由に辞退)。バーバラ・イエリッチのワンマンチームとなっていた90年代後半のデンソーにおいて、櫻井由香と共にレシーブの要として貢献。スパイクやサーブでも活躍を見せた。 後年は若手選手の台頭により控えに回ったが、レシーバーとして出場する機会も多く、欠かせない存在であった。
山口 誠(やまぐち まこと、1976年5月1日 - )は、日… 山口 誠(やまぐち まこと、1976年5月1日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、現指導者である。元日本代表。 石川県小松市出身。1991年の第5回さわやか杯(全国都道府県対抗中学バレーボール大会)で強化選手に選出される。 清風高等学校ではインターハイでベスト4の実績を残した。 筑波大学では同級生の加藤陽一とともに全日本インカレ連覇に貢献し、1998年に加藤、浅川敏、清水喬嗣とともに東レアローズの内定選手となる。1999年に筑波大学を卒業し東レに入社。 2002年には第51回黒鷲旗全日本選手権でMVPにあたる黒鷲賞とベスト6を獲得し、日本代表に選出。世界選手権に出場した。 2005年に東レを退団・退社し、デンマークのSKオーフス(フランス語版)に移籍。
桑田 鎮典(くわた やすのり、1976年4月26日 - )は… 桑田 鎮典(くわた やすのり、1976年4月26日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 福岡県福津市出身。友人に誘われて、福間東中学1年よりバレーボールを始める。1993年、世界ユース代表として準優勝に貢献した。 法政大学4年生だった1999年の第5回Vリーグでサントリーの内定選手としてプレー。レギュラーとして活躍し、スパイク賞を獲得する。しかし、第6回vリーグを目前に突然チームを退部(サントリーも退社)、地元の福岡へ帰郷する。再びバレーボールへの情熱が再燃した2000年末、自らオファーする形で日立国分に加入し、現役復帰。オポジットとして貢献するものの、2002年にチームが休部し、同年サントリーに復帰した。
川北 元(かわきた げん、1976年3月25日 - )は、日… 川北 元(かわきた げん、1976年3月25日 - )は、日本のバレーボール指導者。妻は北京オリンピック日本代表の狩野美雪。 東京都出身。東京都立千歳丘高等学校を卒業後、順天堂大学に進学しバレーボール部に在籍。コーチング科学を学び、1999年に順天堂大学大学院スポーツ健康科学研究科で修士号を取得。その後は、同大学のバレーボール部コーチをしながら、幼稚園・中学・高校の講師を掛け持ちしていた。 2001年に渡米し、ユタ州プロボにあるブリガムヤング大学のカール・マクガウン(Carl McGown)監督のもとで1ヶ月学んだ後、ペンシルベニア州にある州立大学(ロックヘブン大学)のトム・ジャスティス(Tom Justice)監督に誘われて同大学のアシスタントコーチに就いた。
山田 晃豊(やまだ あきのり、1976年2月20日 - )は… 山田 晃豊(やまだ あきのり、1976年2月20日 - )は、バレーボール指導者。北海道江別市出身。2018年までV・プレミアリーグのNECレッドロケッツ監督を務めた。 東海大四高校、東海大学を経る。全日本インカレにて優勝1回経験している。 1998年にNECレッドロケッツのコーチに就任。2001年に全日本女子のコーチに就任。2003年にNECのコーチに復帰する。2004年に、日本オリンピック委員会のスポーツ指導者海外研修員として、イタリアのナショナルチームやセリエAを中心に視察、コーチングの研修。1年後もNECのコーチを継続し、2008年5月に吉川正博の退任を受け、監督に昇格。 2018年6月、NECは山田の監督勇退を発表した。
江口 理代(えぐち まさよ、1976年2月5日 - )は、日… 江口 理代(えぐち まさよ、1976年2月5日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 宮崎県宮崎市出身。中学校1年生からバレーを始め、宮崎日大高校から鹿屋体育大学を経て、鳥栖久光に所属するまでは高校の教員をしていた。久光製薬スプリングスではチーム屈指のマルチプレーヤーとして第8回Vリーグ優勝に貢献。2004年久光退団後、故郷宮崎県で会社勤めをしていたが、2005年当時の監督アリー・セリンジャーに請われてパイオニアレッドウィングスで現役復帰し、同年の第12回Vリーグ優勝に貢献した。 2006年、全日本代表候補に選出されたが、膝の故障を理由に辞退している[リンク切れ]。 2008年5月、パイオニアを退団し、現役引退した。
臺 光章(うてな みつあき、1976年1月1日 - )は、日… 臺 光章(うてな みつあき、1976年1月1日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 広島県広島市出身。小学校5年の時に地元のスポーツクラブ・八木スポーツ少年団に入り[要出典]、バレーボールを始める。高校は地元名門の崇徳高等学校へ進学し、3年次には教育実習で来ていた本多洋から影響を受けた[要出典]。その後、中央大学へ進学する。 1998年、日本たばこ産業 (JT) に入社し、JTサンダーズに入団。同期に苅谷淳司、河野裕輔、下田悟、齋藤学。順調に試合出場を重ね、1999年2年目からチームキャプテンを務めた。2001年、黒鷲旗で優勝しベスト6。同年のアジア選手権で全日本に選出されて金メダルを獲得し、2002年釜山アジア大会では銅メダル獲得に貢献した。
西田 靖宏(にしだ やすひろ、1975年12月13日 - )… 西田 靖宏(にしだ やすひろ、1975年12月13日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、現指導者である。元日本代表。 福井県鯖江市出身。鯖江市中央中学校でバレーボールを始め、1990年に第4回さわやか杯(全国都道府県対抗中学大会)に出場。オリンピック有望選手に選出された。 福井工大福井高等学校から筑波大学を経てVリーグ・NTT西日本レグルスに入団。第8回Vリーグ(2001/02シーズン)ではアタック決定本数・総得点で日本人トップの成績を残した。リーグ終了後、チームが本社の業績不振に伴い休部となったため、サントリーサンバーズへ移籍した。 2003年には日本代表に選出され、ワールドリーグに出場した。
川浦 博昭(かわうら ひろあき、1975年11月13日 - … 川浦 博昭(かわうら ひろあき、1975年11月13日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 群馬県高崎市出身。箕郷中学1年生からバレーボールを始める。 1994年、全日本ジュニア代表に選出。1997年及び1999年、ユニバーシアード代表として同大会に出場した。 全日本代表としては、1999年ワールドカップ、2002年世界選手権のほか、ワールドリーグに5大会、アジア選手権に3大会出場した。 2002年に、所属していた富士フイルム・プラネッツが廃部となり、移籍先がなかなか見つからず、一度は引退を覚悟したという。しかし、豊田合成トレフェルサに入団し、9年間プレーを続けた。Vプレミアリーグ2006-2007シーズンではスパイク賞・ベスト6を受賞した。
脇戸 新之助(わきと しんのすけ、1975年11月2日 - … 脇戸 新之助(わきと しんのすけ、1975年11月2日 - )は、日本の男子バレーボール選手。 熊本県宇土市出身。鎮西高等学校、法政大学を経て、1998年4月、NECブルーロケッツに入団。 2001年、全日本代表に初選出。 2008年5月、NECブルーロケッツを退団。 2010年、東京ヴェルディに入団し、現役復帰。2012年9月、同チームを勇退。
津曲 勝利(つまがり かつとし、1975年11月2日 - )… 津曲 勝利(つまがり かつとし、1975年11月2日 - )は、日本の元バレーボール選手、現指導者。 宮崎県串間市出身。本人の希望で福島小学3年よりバレーボールを始める。 鹿屋体育大学卒業後、一時期准看護師を志しながら病院に勤務し、その傍ら、病院のバレーボールチームである三好循環器科EKGに在籍していたが、当時からレシーブが上手く、噂を聞きつけたサントリーサンバーズの関係者にその実力を見込まれ、リベロとしてサントリーに移籍することになった。 1999年8月19日の全日本親善試合で試合中にチームメイトとの激突で転倒し、右肘下じん帯を損傷し入院した。 2001年全日本代表入り。2008年、オリンピック最終予選および16年ぶりの出場となる北京オリンピックで活躍した。
楠原 千秋(くすはら ちあき、1975年11月1日 - )は… 楠原 千秋(くすはら ちあき、1975年11月1日 - )は、日本のプロビーチバレー選手(元インドアバレーボール選手)。
先野 久美子(さきの くみこ、現姓大山(おおやま)、1975… 先野 久美子(さきの くみこ、現姓大山(おおやま)、1975年9月23日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 山口県豊浦郡豊北町(現下関市)出身。小学校4年生の時バレーボールを始める。中学時代はさわやか杯(現・JOCカップ)に2年連続選出される。三田尻女子高校(現・誠英高校)では春高バレー・インターハイに出場した。 1994年、ダイエーに入社。内定選手時に日本リーグ出場を果たしていたが、入社後の招待試合で膝を痛め、その後5シーズン近くケガとの戦いが続いた。2000年、第6回Vリーグでスパイク賞を受賞。2002年、第8回Vリーグで久光初のリーグ優勝に貢献し、最高殊勲選手賞を獲得。2007年、 2006-07プレミアリーグにおいて5年ぶりのリーグ優勝に貢献、2度目の最高殊勲選手賞を獲得した。
苅谷 淳司(かりや じゅんじ、1975年9月22日 - )は… 苅谷 淳司(かりや じゅんじ、1975年9月22日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 岐阜県岐阜市出身。中学時点で身長が187cmあり、岐南工業高校からスカウトされ入学、バレーボール部に入部する。この時からバレーボールを始める。その後、日体大へ進学する。 1998年、日本たばこ産業(JT)に入社、JTサンダーズに入部する。同期に臺光章、河野裕輔、下田悟、齋藤学。2003-04シーズンではリーグ戦におけるブロック決定本数2位、2004-05シーズンでは3位に入る活躍をするなど、主力センターとして活躍した。2007年5月、チームの若返り方針に伴い引退、その後は社業に専念している。
朝日 健太郎(あさひ けんたろう、1975年〈昭和50年〉9… 朝日 健太郎(あさひ けんたろう、1975年〈昭和50年〉9月19日 - )は、日本のバレーボール・ビーチバレーボール選手、政治家。自由民主党所属の参議院議員(2期)。 NPO法人日本ビーチ文化振興協会理事長。一般財団法人日本スポーツ振興会代表理事。公益財団法人日本バレーボール協会事業本部運営委員・ビーチバレーボール事業本部企画競技部長。株式会社フォーバル男子バレーボールチーム監督。 熊本県熊本市北区出身。 熊本市立楠中学校でバレーボールを始める。バレーボールの名門の鎮西高等学校で春の高校バレーとインターハイの準優勝を経験。法政大学時代には1995年に全日本大学選手権で優勝、1997年にはユニバーシアードに出場。
坂本 雄一郎(さかもと ゆういちろう、1975年8月27日 … 坂本 雄一郎(さかもと ゆういちろう、1975年8月27日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。Vプレミアリーグのサントリーサンバーズに所属していた。 茨城県潮来市出身。ママさんバレーをしていた母親の影響で、高校1年よりバレーボールを始める。 日立国分トルメンタの休部に伴い、2002年にサントリーサンバーズへ移籍した。2011/12シーズンをもって勇退。
備前 夕子(びぜん ゆうこ、1975年8月6日 - 2015… 備前 夕子(びぜん ゆうこ、1975年8月6日 - 2015年6月3日)は、日本の元バレーボール選手。 神奈川県厚木市出身。 八王子実践高校2年生の時春高バレー優勝を経験。1994年日立に入団。同年アジアジュニア女子選手権に出場し、スパイク賞、サーブ賞、サーブレシーブ賞を獲得。同年第1回Vリーグ新人賞を獲得した。 1998年6月に日立を退団し、同年10月にオレンジアタッカーズに移籍。1999年に退団した。 現役引退後は結婚して4児の母となっていたが、2015年6月3日に肝臓病のため死去。39歳没。
河野 裕輔(かわの ゆうすけ、1975年8月1日 - )は、… 河野 裕輔(かわの ゆうすけ、1975年8月1日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者。 茨城県古河市出身。第四小5年生次からバレーボールを始める。全国大会では下田悟がいた尼崎北SSに敗れている。第二中学へ入学すると吹奏楽部に入部するも、夏にはバレー部へ編入する。高校は栃木県の足利工大付属高へ越境入学し、主にレフトだったが様々なポジションを経験した。その後、中央大へ進学する。大学の同級に臺光章。 1998年、日本たばこ産業(JT)に入社し、JTサンダーズに入団。同期に臺、下田、苅谷淳司、齋藤学。オポジットとして活躍、2000年黒鷲旗でベスト6賞、2000-01シーズンの第7回Vリーグ新人王、2001年黒鷲旗で優勝しベスト6賞を受賞した。
渡辺 聡(わたなべ さとし、1975年8月1日 - )は、群… 渡辺 聡(わたなべ さとし、1975年8月1日 - )は、群馬県出身の元ビーチバレーボール選手。現在は湘南ベルマーレビーチバレーチームコーチ。 国士舘大学でビーチバレーボールを始め、1995年より全日本大学選手権で連覇。 1999年からは海外を転戦。アジアサーキット(現・アジアツアー)でタイトルを獲得し、ワールドツアーにも参戦。 2000年、ジャパンサーキット(後のJBVツアー)で優勝。 2001年には白鳥勝浩とペアを組み、2002年のアジア競技大会で金メダル獲得。この年からはビーチバレージャパン3連覇を果たす。この頃よりビーチウィンズと契約。 2004年、アテネオリンピック予選に出場するが、9位に終わり本大会切符を逃す。
吉田 千絵(よしだ ちえ、1975年7月11日 - )は、日… 吉田 千絵(よしだ ちえ、1975年7月11日 - )は、日本の元女子バレーボール選手、現指導者。 岡山県岡山市出身。友人に誘われて小学4年次よりバレーボールを始める。就実中学校在学中には、全国都道府県対抗中学バレーボール大会に3年連続出場。就実高校在学中の1993年には、インターハイ準優勝を果たし、自らも優秀選手に選出された。早稲田大学を経て、1998年に地域リーグの日立茂原(後に茂原アルカス)に入部。 チームが地域リーグから実業団リーグに昇格後、チーム主将として2000年度のV1リーグ準優勝に大きく貢献し、自らも敢闘賞を獲得した。 2014年11月に早稲田大学女子バレーボール部の監督に就任し、2016年度まで務めた。
森山 淳子(もりやま じゅんこ、1975年2月26日 - )… 森山 淳子(もりやま じゅんこ、1975年2月26日 - )は、日本の元女子バレーボール選手である。 大分県別府市出身。中学校1年生からバレーボールを始める。扇城高等学校(現・東九州龍谷高等学校)卒業後、小田急ジュノーに入部。韓国籍の在日3世(韓国名:朴淳子、박순자)であったが、20歳の時に日本国籍を取得した。 1997年、東洋紡オーキスへ移籍。翌年、全日本代表に選出。2001年には全日本のキャプテンを任されたが、ワールドグランドチャンピオンズカップ直前に故障し、代表を外れた。全盛期はレシーブのできるセンターとして活躍し、東洋紡時代には1試合だがリベロを務めた。東洋紡の休部に伴い、2002年8月、JTマーヴェラスに移籍した。
森川 太地(もりかわ たいち、1975年2月25日 - )は… 森川 太地(もりかわ たいち、1975年2月25日 - )は、日本のビーチバレーボール選手。神奈川県横浜市出身。出身校は日本航空高等学校および専修大学。身長190センチメートル、体重78キログラム。1999、2000ビーチバレージャパン2連覇ならびに2年連続日本ランク1位。日本代表として主に海外を転戦。2003年に引退。ビーチバレーボランティアクラブチームFOVAキャプテンとして、藤沢市鵠沼海岸で年間30大会草ビーチバレー大会の運営に参加。(2008/11/1現在)
竹内 裕幸(たけうち ひろゆき、1975年1月11日 - )… 竹内 裕幸(たけうち ひろゆき、1975年1月11日 - )は、日本のバレーボール指導者である。星城高等学校男子バレーボール部総監督、同校教諭。全日本ユース(U-19)コーチ。 愛知工業大学名電高等学校卒業後、中京大学体育学部に進学。 高校時代全国ベスト16だった為期待され中京大学バレー部に入部、1年生からレギュラーだったが3年生の時当時の監督と戦術面で衝突し自らコートを離れ、退部はせずにサポート役へ回った。 大学卒業後、母校である愛知工業大学名電高校のコーチを3年間勤めた。 2000年より現在の星城高等学校に移り監督に就任した。 2020年に自身の教え子であり、同年にジェイテクトSTINGSを引退した中根聡太をコーチとして迎えた。
坂本 将康(さかもと まさやす、1974年12月21日 - … 坂本 将康(さかもと まさやす、1974年12月21日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、バレーボール指導者。 東京都品川区出身。品川区立浜川中学校でバレーボールを始め、全国大会出場を果たす。その後、法政第二高校へ進学し、インターハイ、国体に出場。明治大学を卒業後、 1997年にVリーグの松下電器(現:大阪ブルテオン)に入団。 2000年にはオランダのCadenz Nesselandeに移籍し、帰国後、東京ヴェルディでプレーした後、2002年には東京ガス(現:FC東京)へ。 2006年6月1日、FC東京公式サイトにて現役引退が発表された。 2006年6月1日、FC東京公式サイトにて引退と同時にJTマーヴェラスのコーチ就任が発表された。
畠山 亜希子(はたけやま あきこ、1974年12月1日 - … 畠山 亜希子(はたけやま あきこ、1974年12月1日 - )は、日本の元女子バレーボール選手、指導者である。 1989年にさわやか杯(全国都道府県対抗中学バレーボール大会)に出場しオリンピック有望選手に選出された。 市立川越商業高校(現・市立川越高等学校)では全国大会に出場。1学年下には田中姿子がいる。 嘉悦女子短期大学卒業後、南ミシシッピ大学(英語版)に留学。その後テンプル大学に編入し、1997年のNCAA女子選手権初出場に貢献した。 1999年にテンプル大学を卒業し、プロバレーボール選手として各国でプレー。2002年には1シーズンのみアメリカに存在したプロバレーボールリーグのUSPV(英語版)でプレーした。
島崎 みゆき(しまさき みゆき、現姓:佐藤、1974年10月… 島崎 みゆき(しまさき みゆき、現姓:佐藤、1974年10月13日 - )は、日本の元女子バレーボール選手である。 大分県別府市出身。友人に誘われて小学4年からバレーボールを始める。1987年、第3回さわやか杯ではエースとしてオリンピック有望選手に選出。扇城高校(現・東九州龍谷高校)在学時には、インターハイ3位入賞や春高バレー準優勝に大きく貢献した。 1993年日立に入団。同年全日本代表に初選出され、1994年世界選手権に出場した。 2001年日立廃部に伴い、東洋紡オーキスに移籍した。2002年の東洋紡廃部後は現役引退し、同社の事務職として勤務していたが、2003年パイオニアに入団し現役復帰、同年度のパイオニア優勝に貢献した。
藤本 幹朗(ふじもと みきお、1974年10月4日 - )は… 藤本 幹朗(ふじもと みきお、1974年10月4日 - )は、日本のバレーボール指導者。 兵庫県神戸市出身。兵庫県立神戸高塚高、東北福祉大学を経る。 三洋電機レッドソアの監督を務め、2006/07V・チャレンジリーグ優勝に導く。2008年に退任。同年、上尾メディックスのコーチに就任。2012年6月に同チームから柏エンゼルクロスに移籍し、監督に就任。 2013年7月、コーチとしてV・プレミアリーグのトヨタ車体クインシーズに移籍。2016年に退団。 2018年、9人制のパイオニアレッドソニックスで監督を務めた。 2020年からは、同じく9人制のデンソーテンレッドフェニックスのコーチを務め、2023年に監督に就任した。
木原 丈裕(きはら たけひろ、1974年9月13日 - )は… 木原 丈裕(きはら たけひろ、1974年9月13日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 福岡県北九州市出身。先生の誘いを受け、曽根中学1年よりバレーボールを始める。 直方高校在学時に1991年世界ユース代表に出場。早稲田大学卒業後の1997年にサントリーサンバーズへ入団した。第7回Vリーグから第9回Vリーグにかけてチームの主力として出場し、サントリーのVリーグ5連覇に貢献した。 2001年に全日本代表に選出され、韓国釜山で行われた2002年にアジア大会で銅メダルを獲得。2003年ワールドカップに出場した。 2005年、左膝半月板を損傷し手術。1年半のリハビリを経てチームに復帰。 2009年4月、2008/09 V・プレミアリーグをもって現役を引退した。
金森 純子(かなもり じゅんこ、1974年9月4日 - )は… 金森 純子(かなもり じゅんこ、1974年9月4日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。プレミアリーグ・岡山シーガルズに所属していた。 大阪府吹田市出身。友人の影響で小学5年よりバレーボールを始める。大阪国際滝井高校を経て1993年東芝シーガルズに入団。ここ数年は正リベロの座を若手に譲り、ピンチレシーバーとしての登場が多いが、安定したレシーブ力が持ち味である。 2014年11月に現役を引退し、岡山のアシスタントコーチに就任。2017年まで務めた。 1999年からのVリーグ及びVプレミアリーグレギュラーラウンドにおける個人成績は下記の通り。
櫻井 由香(さくらい ゆか、1974年9月2日 - )は、日… 櫻井 由香(さくらい ゆか、1974年9月2日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 岐阜県海津市出身。小学校5年生の時にバレーボールを始める。養老女子商業高校(現・大垣養老高校)では、春高バレー・インターハイ・国体に出場した。 1993年、当時実業団リーグの日本電装(現・デンソーエアリービーズ)に入部。当初はレフトプレーヤーとしてプレーしていたが、リベロ制が導入された1998年にリベロへ転向する。 1999年、ワールドカップへ出場し、全日本リベロとして活躍。2001年にはグラチャンで銅メダルを獲得した。2005年には主将として、デンソーの第11回Vリーグ第3位に貢献し、ベストリベロ賞を獲得した。
青木 一平(あおき いっぺい、1974年8月31日 - )は… 青木 一平(あおき いっぺい、1974年8月31日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、現指導者。千葉県習志野市出身。ポジションはミドルブロッカー。 中学1年からバレーボールを始める。船橋市立船橋高等学校を経て順天堂大学へ進学。 1997年4月大学卒業後、NECホームエレクトロニクス・ホワイトブリッツに入団。廃部により1997年6月NECブルーロケッツに移籍。 1999年Vリーグ優勝、1999年、2003年黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会優勝などに貢献し、2006年現役引退。 2008年NECブルーロケッツコーチに就任。2009年チーム休部。
徳野 涼子(とくの りょうこ、現姓:伊藤、1974年8月27… 徳野 涼子(とくの りょうこ、現姓:伊藤、1974年8月27日 - )は、日本の元プロビーチバレー選手(元インドアバレーボール選手)。日本ビーチ文化振興協会常任理事。 筑波大学時代まではインドアのバレーボールをプレー。卒業後、ダイキヒメッツに入り、ビーチバレーに転向。楠原千秋とペアを組み国内外を転戦。ビーチバレーの国内大会「BVJC」(ビーチバレージャパンサーキット)で数多くの優勝、準優勝を経験。2001年アジアサーキット2001フィリピン・マニラ大会、同タイ・トラン大会で優勝を飾り、クィーン・オブ・ザ・ビーチ2001のチャンピオンにも輝いた。2002年にはワールドツアー4位となり、アジア大会銅メダル獲得。
花野 裕祥(はなの ひろよし、1974年7月24日 - )は… 花野 裕祥(はなの ひろよし、1974年7月24日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、現指導者。 大阪府泉北郡出身。小学校のころからスポーツ万能・勉学優秀だった。実姉の影響で、忠岡中学1年よりバレーボールを始める。忠岡中学校の黄金期のパイオニアとなる。(1年後輩大阪ベスト8・3年後輩大阪2位・4年後輩大阪2位・6年後輩大阪3位)中学時代の最高位は夏の大阪大会でベスト8。当時の監督・大谷忠は『私が携わったチームの中で一番まとまりがあり強かった』と振り返る。 姉は大阪南選抜に選ばれたが、本人は最終選考まで。高校へはスポーツ推薦ではなく一般入試で上宮高校英数コースに進学。上宮高校時代はアタッカーとして活躍しインターハイで準優勝した。
藤好 麻希(ふじよし まき、1974年5月24日 - )は、… 藤好 麻希(ふじよし まき、1974年5月24日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 茨城県出身。 中学まではバスケットボールの選手として活躍し、中学日本代表に選出された選手であった。しかし実業団バレー選手をやっていた父親の影響で、高校からバレーボールを始める。 1993年日立に入団。同年全日本代表初選出。身長184cmの大型サウスポーとして期待を集め、1994年世界選手権に出場した。2001年日立廃部に伴い、膝の故障もあり現役引退した。
辻 健志(つじ たけし、1974年5月22日 - )は、日本… 辻 健志(つじ たけし、1974年5月22日 - )は、日本のバレーボール指導者である。 愛知県名古屋市出身。中京大学大学院修了。 2000年、Vリーグ(当時1部リーグ)に所属するデンソーエアリービーズのコーチに就任。 2012-13シーズン、チームはV・チャレンジリーグ(当時2部リーグ)に降格。2013年、達川実が監督を退任し、後を継ぐ形で監督に就任した。2000年から13シーズンコーチを続けた末の監督昇格であった。チームは1シーズンでV・プレミアリーグ(当時1部リーグ)復帰を果たした。 2014年、女子日本代表コーチに就任。そのため、1シーズンでデンソーの監督を退任し山口祐之に引き継いだ。 2016年、デンソーエアリービーズにチーフコーチとして復帰した。
清家 ちえ(せいけ ちえ、現姓:有田、1974年5月4日 -… 清家 ちえ(せいけ ちえ、現姓:有田、1974年5月4日 - )は、日本の女子バレーボール選手、ビーチバレー選手である。愛媛県越智郡菊間町(現今治市)出身。 成安女子高校(現:京都産業大学附属高校)から1993年ユニチカに入社。インドアで活躍していたが、アトランタ五輪直前に左膝を負傷。五輪にはマネージャーとして帯同したが、その後インドアを引退した。 1997年ダイキに入社しビーチバレーへ転向。インドアでは叶わなかった五輪出場を2000年シドニー五輪で成し遂げた。(ペアは石坂有紀子) 2007年7月に第一子を出産し、現在活動休止中。 2005年にはビーチバレー2年目だった浅尾美和とペアを組んでいた。
足立 留美(あだち るみ、1974年4月25日 - )は、日… 足立 留美(あだち るみ、1974年4月25日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 兵庫県加古川市出身。小学校4年生より地域スポーツクラブでバレーボールを始める。氷上高校時代は春高バレー(ベスト6賞)、インターハイ優勝(優秀選手)を経験した。 1993年、イトーヨーカドーに入社。第5回Vリーグよりレギュラー獲得、ヨーカドー最後の主将を務めた。2001年イトーヨーカドー廃部に伴い、武富士バンブーへ移籍。小柄を生かした速いスパイクとサーブに加え、巧みなテクニックを武器に主力選手として活躍。 2007年4月、Vリーグ出場試合がNECレッドロケッツの大貫美奈子と共に女子選手歴代1位の275試合(当時)となり、リーグ40回大会を記念し創設された『Vリーグ特別表彰制度』で長期活躍選手として特別表彰された。
熊前 知加子(くままえ ちかこ、1974年4月11日 - )… 熊前 知加子(くままえ ちかこ、1974年4月11日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。神奈川県川崎市出身。ニックネームはチカ。
小林 敦(こばやし あつし、1974年3月10日 - )は、… 小林 敦(こばやし あつし、1974年3月10日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者。 埼玉県深谷市出身。深谷市立大寄小学校でサッカーを始め、深谷市立深谷中学校でバレーボールを始める。 深谷高校から筑波大学へ進学し、大学卒業後の1996年にVリーグの東レアローズに入団。1998年の第4回Vリーグでスパイク賞を受賞した。東レでは2000年から5年間キャプテンを務め、2005年の東レ悲願のリーグ初優勝に貢献した。 2002年、全日本に選出され、2002年世界選手権、2003年ワールドカップに出場。2004年アテネオリンピック世界最終予選では全日本キャプテンを務めた。 2006年の第55回黒鷲旗大会の優勝を最後に現役引退。