高橋 紘(たかはし ひろし、1941年(昭和16年)12月1… 高橋 紘(たかはし ひろし、1941年(昭和16年)12月12日 - 2011年(平成23年)9月30日)は、日本のジャーナリスト、皇室研究者。 東京都生まれ。東京都立竹早高等学校、早稲田大学法学部卒業後、1965年(昭和40年)に共同通信社に入社。社会部長・仙台支社長、ラジオ・テレビ局長、取締役事業本部長などを経て退職。同じく皇室関係の著作がある橋本明は上司にあたる。2005年(平成17年)に、小泉政権時代に開かれた「皇室典範に関する有識者会議」にて議題となった皇位継承問題においては女系天皇化を主張していた。2008年(平成20年)まで、静岡福祉大学社会福祉学部教授(専攻は皇室制度、近現代日本史)。
吉田 信行(よしだ のぶゆき、1941年11月23日 - )… 吉田 信行(よしだ のぶゆき、1941年11月23日 - )は、日本のジャーナリスト、元産経新聞社専務取締役論説委員長。元国家公安委員会委員。父親は大本営参謀だった陸軍少佐の吉田信次。 東京都出身。早稲田大学政治経済学部卒業。 1フジテレビジョン、産業経済新聞社、ニッポン放送、サンケイビル、ポニーキャニオン、文化放送を中心に構成する日本最大級のメディア・コングロマリット。2フジテレビジョン、ニッポン放送、ポニーキャニオンなどを傘下に持つフジサンケイグループを統括する認定放送持株会社。3フジ・メディア・ホールディングスの連結子会社。FMHのほか、産経新聞社と芙蓉グループ各社が出資している。41951年(昭和26年)6月11日、大阪市北区に産経新聞社の子会社「株式会社産業会館ビル」として設立。
笠井 鉄夫(かさい てつお 1941年(昭和16年)9月15… 笠井 鉄夫(かさい てつお 1941年(昭和16年)9月15日 – )は、日本のジャーナリスト。元日本放送協会(NHK)副会長・顧問。 1965年、明治大学を卒業し、日本放送協会に入局。報道畑を歩み、1997年6月の経理局長就任を経て、2001年4月に理事に就任。2003年7月には副会長となり、次期会長候補にも挙げられたものの、顧問に就任する予定となった。しかし、NHKの一連の不祥事及び、その後の対応に視聴者のNHK不信が強まり、受信料の支払い拒否・留保などが増える中、責任をとるかたちで、2005年1月、海老沢勝二会長などと共に辞任した。
河野 實(こうの まこと、1941年(昭和16年)8月8日 … 河野 實(こうの まこと、1941年(昭和16年)8月8日 - )は、日本のジャーナリスト。『愛と死をみつめて』の筆者でもある。 大阪府大阪市に生まれる。太平洋戦争中、長野県伊那市に疎開した。自身は「長野の農家の息子」と称し、畑仕事は小学生時から嫌々ながら手伝わされたという。 長野県伊那北高等学校卒業後、浪人中に大阪大学医学部附属病院に入院する。中央大学商学部に進学後、3年生の時に実体験をもとにした『愛と死をみつめて』を出版し、150万部を超えるベストセラーとなった。のちに大学は中退した。 1965年(昭和40年)、ジャーナリストを目指して、東京写真専門学校報道写真科に入る。 その後、フリーカメラマン、自動車専門誌記者を経て、1976年(昭和51年)、経済界 (出版社)に入社。
高木 桂蔵(たかぎ けいぞう、1941年8月 - )は日本の… 高木 桂蔵(たかぎ けいぞう、1941年8月 - )は日本の著述家、ジャーナリスト、教育者、文化人類学者・民俗学者・社会学者(華僑論)。静岡県立大学名誉教授、東方工商専科学校名誉教授、東方技術学院名誉教授、東方設計学院名誉教授。 東京プレスセンター株式会社編集長、静岡県立大学国際関係学部教授、国際ことば学院外国語専門学校校長などを歴任した。 広島県尾道市に生まれる。1966年に早稲田大学政治経済学部政治学科を卒業後、イギリス領香港に渡航し、1968年から香港日文専科学校にて日本語講師を務める。専科学校講師と並行して、香港中文大学大学院新亜研究所にて中国の少数民族や華僑についての研究を行い、1970年に同大学院を修了した[要出典]。
君和田 正夫(きみわだ まさお、1941年(昭和16年)6月… 君和田 正夫(きみわだ まさお、1941年(昭和16年)6月26日 - )は、日本のジャーナリスト、実業家。朝日新聞社専務を経て、テレビ朝日社長などを務めた。神奈川県出身。 1964年(昭和39年)早稲田大学商学部卒業後、朝日新聞社入社。経済部記者として主に経済畑を歩み、東京本社経済部長等を歴任。96年に朝日新聞社の子会社であるテレビ朝日が、ソフトバンクとニューズ・コーポレーションが設立した合弁会社に株の21%を取得された際には、買い戻しのため、ソフトバンクの北尾吉孝(現:SBIホールディングス社長)などと厳しい交渉をこなした。 1997年(平成9年)6月、取締役に選任。01年6月専務(グループ政策担当)、03年2月専務(編集・出版担当)、6月代表取締役専務(編集担当、電子電波メディア局長)。
島村 俊治(しまむら としはる、1941年6月25日 - )… 島村 俊治(しまむら としはる、1941年6月25日 - )は、スポーツジャーナリスト、フリーアナウンサー。 個人事務所である有限会社「ニューヴォイス嶋村プロ」所属で、代表取締役。元NHKエグゼクティブアナウンサー。 東京都出身。早稲田大学高等学院、早稲田大学政治経済学部卒業後、1964年にNHKにアナウンサーとして入局。 音楽好きであることや高校・大学時代に合唱をしていた経験もあって、NHK入局時にもアナウンサーではなくミュージカルを担当する音楽ディレクターを志望していたが、米子支局(現在は鳥取放送局のエリア)在籍時代に、高校野球秋季中国大会での岡山東商・平松政次と関西・森安敏明の投手戦の実況を務めて感動し、スポーツアナウンサーを目指すことになった。
北村 正任(きたむら まさとう、1941年(昭和16年)4月… 北村 正任(きたむら まさとう、1941年(昭和16年)4月29日 - )は、日本のジャーナリスト、実業家。毎日新聞社社長、第15代横綱審議委員会委員長。 青森県出身。父は青森県知事を務めた北村正哉。青森県立八戸高等学校、東京大学法学部を卒業後、1965年(昭和40年)毎日新聞社に入社。 岡山、京都支局、大阪社会部、東京政治部、ボン支局長、東京本社外信部長、論説委員長を経て、1998年(平成10年)取締役・編集局長、00年常務・主筆、04年社長、08年会長。ほかに日本記者クラブ理事長、日本新聞協会会長、日本ユニセフ評議員、公益財団法人イオン環境財団の評議員も務めた。 現在は、毎日新聞社の名誉顧問、一般社団法人アジア調査会理事。
吉村 秀實(よしむら ひでみ、1941年3月19日 - )は… 吉村 秀實(よしむら ひでみ、1941年3月19日 - )は、フリージャーナリスト・防災評論家で、元NHK解説委員。 現役記者時代、社会部記者として様々な事件・事故の取材に携わり、いつしか防災の分野に深くかかわるようになった。
古森 義久(こもり よしひさ、1941年〈昭和16年〉3月1… 古森 義久(こもり よしひさ、1941年〈昭和16年〉3月11日 - )は、日本のジャーナリスト。国際問題評論家。 麗澤大学特別教授。産経新聞ワシントン駐在編集特別委員兼論説委員。一般社団法人ジャパンフォワード推進機構特別アドバイザー。国際教養大学客員教授。 ジョージタウン大学「ワシントン柔道クラブ」で指導経験がある柔道家 トランプ大統領は透明な政治家で、発言にも矛盾がないという明らかな間違いを標榜する人物として有名である(参考:BSフジプライムニュース2026年4月20日)。 1941年(昭和16年) 東京府(現:東京都)に生まれる。1956年(昭和31年)慶應義塾普通部、1959年(昭和34年)慶應義塾高等学校、1963年(昭和38年) 慶應義塾大学経済学部をそれぞれ卒業後、ワシントン大学ジャーナリズム学科留学、毎日新聞社入社。
小早川 隆治(こばやかわ たかはる、1941年〈昭和16年〉… 小早川 隆治(こばやかわ たかはる、1941年〈昭和16年〉3月8日 - )は、東京都出身の自動車技術者、モータージャーナリスト。小早川家当主。 日産自動車の自動車技術者の小早川元治の長男として誕生。 学習院大学理学部物理学科を卒業後、広島県の東洋工業(現:マツダ)に入社。RX-7&モータースポーツ担当主査、北米マツダ副社長などの役職を務める。 マツダを退職後はモータージャーナリストとしても活動。日本自動車研究者ジャーナリスト会議監事を務める。 出典が無い限り霞会館 1996, p. 608を参照している。
大宅 映子(おおや えいこ、本名:枝廣 映子、1941年(昭… 大宅 映子(おおや えいこ、本名:枝廣 映子、1941年(昭和16年)2月23日 - )は、日本のジャーナリスト、評論家、コメンテーター。 ジャーナリスト大宅壮一の三女。兄は詩人・大宅歩。芸能事務所ホリプロがマネジメントしている。 株式会社大宅映子事務所代表取締役、公益財団法人大宅壮一文庫理事長。(母・大宅昌から引き継いだ。) CNNj放送番組審議会委員、AXNエンタテインメント放送番組審議会委員、西武ホールディングス社外取締役、日本年金機構理事、公益財団法人日本国際フォーラム評議員、日本ゴルフ改革会議議長。元日本インフォメーションシステムズ (NIS) 代表取締役、元株式会社髙島屋社外取締役、元資生堂社外監査役。
横田 哲治(よこた てつじ、1941年- )は、国際マーチャ… 横田 哲治(よこた てつじ、1941年- )は、国際マーチャンダイジング研究所代表、農政・食生活ジャーナリスト、ノンフィクション作家。 1941年、中国・上海生まれ。戦後、上海より帰国し長崎県の開拓地に入植した父のもとで農業に従事しながら少年期を過ごす。長崎県立諫早農業高等学校卒業。その経験から農業者の視点での発言の必要性を感じ、農政ジャーナリストに転じた。 栃木県立農業者大学校、宇都宮大学教育学部の講師を経て、現在はFSN代表、国際マーチャンダイジング研究所代表。客員待遇で近畿大学農学部、慶應義塾大学総合政策学部で非常勤講師を務める。国際農業ジャーナリスト連盟(IFAJ)正会員。 1984年に出版した『明日の農業を求めて-自立をめざす青年たち-』など多数の著書がある。
各務 英明(かがみ ひであき、1941年(昭和16年) - … 各務 英明(かがみ ひであき、1941年(昭和16年) - )は、日本のジャーナリスト、元産経新聞整理部長。 岐阜県生まれ。1964年(昭和39年)同志社大学文学部卒業。産経新聞社大阪本社に入社し、中部総局、京都支局、社会部、夕刊フジを経て、産経新聞整理部長、夕刊フジ関西総局次長兼整理部長などを歴任。退職後は大阪成蹊大学現代経営情報学部、大阪成蹊短期大学の非常勤講師も務めた。 産経新聞時代、同社の実在する15人家族の新聞記者一家のルポルタージュを出版。1991年(平成3年)この本を原作としてTBSテレビが女優・岡江久美子を主役にしたホームドラマ番組「天までとどけ」を制作。「愛の劇場」枠で放送され、シリーズの最高視聴率19%という昼のドラマとしては驚異的な高視聴率を記録、幾度も続編が作られ2004年まで続き話題となった。
神子 久忠(かみこ ひさただ、1941年 - )は、日本の建… 神子 久忠(かみこ ひさただ、1941年 - )は、日本の建築評論家、ジャーナリスト。 1967年日本大学建築学科を卒業後、新建築編集部、相模書房、日刊建設通信新聞社をへて日刊建設工業新聞社編集部長。神楽坂建築塾顧問もつとめる。2009年神子編集室設立。 共著に『建築21世紀はこれからだ―編集者・写真家 三〇〇年の視点』(スパイラル 2013)、共に『村野藤吾著作集』(同朋舎出版 1991)がある。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
北村 元(きたむら はじめ、1941年 - )は、日本教育テ… 北村 元(きたむら はじめ、1941年 - )は、日本教育テレビ(NET)・テレビ朝日の元アナウンサー、フリーのジャーナリストである。日本大学卒業。
加藤 和雄(かとう かずお、1941年 - )は、ジャーナリ… 加藤 和雄(かとう かずお、1941年 - )は、ジャーナリスト、ニュースキャスター。元共同通信社論説委員。 奈良県奈良市生まれ。1963年、早稲田大学仏文科卒業後、共同通信社に入社。地元関西の大阪支社と京都支局の記者として活動後、本社政治部に転じる。 共同通信社に在籍していた1983年から1985年にかけて、キャスターとしてTBSテレビ(当時東京放送のテレビ部門)の『JNNニュースデスク』に出演。1年目は川戸恵子と共にニュースを読んでいた。ニュースデスクの歴代キャスターは、TBS(当時の東京放送)か、初期に限りJNN系列地方局の報道デスクやアナウンサーが出演していたため、局外司会者は加藤が唯一の例だった。
牧久(まき ひさし、1941年 - )は、日本のジャーナリス… 牧久(まき ひさし、1941年 - )は、日本のジャーナリスト。日本経済新聞社客員。 大分県生まれ。早稲田大学第一政治経済学部政治学科卒業後、日本経済新聞社に入社。社会部記者、サイゴン・シンガポール特派員、社会部部長、労務担当常務などを経て、代表取締役副社長、テレビ大阪会長を務めた後、2009年から作家専業となりノンフィクション作品を発表。 その間国鉄記者クラブに常駐した経験があり(1968年~)、満鉄理事・国鉄総裁を務めた十河信二の伝記『不屈の春雷』、革マル派副議長・旧動労・JR東労組委員長を務めた松崎明の伝記『暴君』を手掛けた。 国鉄分割・民営化に至るまでの20年を描いた『昭和解体』は第4回城山三郎賞候補。
佐藤 昭弘(さとう あきひろ、1941年 - )は日本のジャ… 佐藤 昭弘(さとう あきひろ、1941年 - )は日本のジャーナリスト、翻訳家。
瀬木 潔(せぎ きよし、1941年 - 2021年2月3日)… 瀬木 潔(せぎ きよし、1941年 - 2021年2月3日)は、日本の実業家、ジャーナリスト。信濃毎日新聞社専務取締役、長野放送副社長を歴任。 長野県上伊那郡辰野町出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、東北大学文学部卒業。信濃毎日新聞社入社。同社松本本社代表、同社常務取締役、同社専務取締役、同社監査役を経て、長野放送副社長。長野県バレーボール協会会長。
平野 次郎(ひらの じろう、1940年(昭和15年)12月1… 平野 次郎(ひらの じろう、1940年(昭和15年)12月19日 - )は、日本のジャーナリスト、学者である。日本放送協会(NHK)解説委員、記者を経て、学習院女子大学特別専任教授。
竹内 謙(たけうち けん、1940年(昭和15年)12月6日… 竹内 謙(たけうち けん、1940年(昭和15年)12月6日 - 2014年(平成26年)4月2日)は、日本の政治家、ジャーナリスト。神奈川県鎌倉市長(2期)。 祖父・竹内金太郎は尾崎秀実、阿部定らの弁護にあたった刑事弁護士。 東京府東京市本郷区(現・東京都文京区本郷)生まれ。竹内誠・彗子の四男。第二次世界大戦中は夏季を神奈川県鎌倉市で過ごし、戦後はそのまま鎌倉市に定住する。神奈川県立湘南高等学校、早稲田大学理工学部土木工学科卒業。早稲田大学大学院理工学研究科修士課程(都市計画専攻)修了。1967年、朝日新聞社に入社。(同期は熊本朝日放送元会長の門垣逸夫)朝日新聞社では青森支局、山口支局、西部本社社会部での地方勤務を経験した後、東京本社政治部記者、朝日ジャーナル副編集長、調査研究室主任研究員、政治部編集委員(地球環境問題担当)等を務める。
近藤 紘一(こんどう こういち、1940年(昭和15年)11… 近藤 紘一(こんどう こういち、1940年(昭和15年)11月27日 - 1986年(昭和61年)1月27日)は、日本のジャーナリスト、作家。サンケイ新聞編集委員。サイゴン支局長として赴任した際にはベトナム戦争を取材し、サイゴン陥落を目撃した。東京府出身。 祖父、父と2代続いた医師の家の長男として東京大学医学部附属病院で生まれる。父・台五郎は、東京女子医科大学教授などを務め、ファイバースコープの開発にも貢献した。 湘南・逗子で育ち、進学した神奈川県立湘南高等学校では、万葉集などの日本の古典やサルトルなどのフランス文学に親しんだ、なかでも大河小説『チボー家の人々』に感銘を受け、早稲田大学仏文専修に入ったのも、訳者の山内義雄を慕っての選択だった。
馬場 錬成(ばば れんせい、1940年11月9日 - )は、… 馬場 錬成(ばば れんせい、1940年11月9日 - )は、科学ジャーナリスト。 元読売新聞論説委員、元東京理科大学専門職大学院総合科学技術経営研究科教授。認定NPO法人21世紀構想研究会理事長。読売新聞社社友、東京都出身。 東京理科大学理学部卒業。読売新聞社で社会部、科学部、解説部記者などを務め、2000年まで論説委員。 記者時代には、東京都と神奈川県の間を流れる多摩川でのカムバックサーモン運動の起ち上げで中心的な役割を果たした。1979年、テムズ川に鮭を呼び戻すことを目標に掲げて川の浄化運動をしていることを書いたイギリスの新聞記事に接して、馬場は、東京でも似たことができないかと考えた。馬場は専門家や地方自治体の関係者に相談して、1981年2月に支流野川での試験放流にこぎつけた。
千葉 敦子(ちば あつこ、1940年(昭和15年)11月6日… 千葉 敦子(ちば あつこ、1940年(昭和15年)11月6日 - 1987年(昭和62年)7月9日)は、日本のジャーナリスト、ノンフィクションライター。死に至るまで自らのガン闘病記を出版し続けた。そのほかキャリアウーマンとしての生活術・仕事術、日本人論などについての著書もある。
片山 修(かたやま おさむ、1940年10月21日- )は、… 片山 修(かたやま おさむ、1940年10月21日- )は、日本の経済ジャーナリスト、経営評論家。 愛知県名古屋市に生まれる。 明治大学経営学部を卒業し、名古屋タイムズ記者を経て、1970年以降はフリーランスのジャーナリストとして活動する。 2001年から2011年にかけて、学習院女子大学客員教授であった。日本ペンクラブ会員。
平田 翼(ひらた よく、1940年10月9日 - 2012年… 平田 翼(ひらた よく、1940年10月9日 - 2012年12月30日)は、日本のスポーツジャーナリスト(スポーツライター)。企画つばさ社長。東京都港区出身。 主に日本プロ野球の読売ジャイアンツ(巨人)専門に活動。 学習院高等科三年、夏の甲子園の東京都予選大会で早稲田実業のエースピッチャー王貞治に3打数3三振に抑えられ野球を断念。 その後、巨人へ入団した王を取材しようと、1963年に学習院大学を卒業後、報知新聞社へ入社。報知新聞(現:スポーツ報知)の記者となり、巨人の番記者として活躍した後、月刊ジャイアンツ編集長を務め、フリーとなる。1980年代前半頃から2004年頃まで、ラジオ日本ジャイアンツナイターの解説者をはじめ、テレビやラジオの放送メディアにおいても活動した。
山口 昌子(やまぐち しょうこ、1940年9月5日 - )は… 山口 昌子(やまぐち しょうこ、1940年9月5日 - )は、日本のジャーナリスト、翻訳家。 大連市生まれ。慶應義塾大学文学部仏文科卒業後、産経新聞社入社。1969年から1970年、フランス政府給費留学生としてパリ国立ジャーナリスト養成所(フランス語版)で学ぶ。産経新聞教養部、夕刊フジ、外信部次長、特集部編集委員を経て、1990年まら2011年の21年間、フランスでパリ支局長を務める。フランソワ・ミッテラン、ジャック・シラク、ニコラ・サルコジと大統領3代にわたりフランスを取材。 1994年、ボーン・上田記念国際記者賞を受賞。2001年フランス政府から「国家功労勲章(L’ORDRE NATIONAL DU MERITE)シュバリエ」を受章。
野崎 靖博(のざき やすひろ、1940年6月24日 - )は… 野崎 靖博(のざき やすひろ、1940年6月24日 - )は、日本のスポーツライター(スポーツジャーナリスト)。元日刊スポーツ編集委員。石川県生まれ。 テレビ番組への出演も多く、眉毛がとてつもなく太くて濃いため「まゆげのノーさん」、「眉毛の野崎さん」の愛称で親しまれた。 1960年、東京都立桜町高等学校から中央大学法学部法律学科に入学。1964年に同大学を卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。校閲部を経て、1968年には野球部に配属。その後コミッショナー事務局、遊軍記者を経て、1980年12月に野球部次長に就任。 1986年4月よりテレビ朝日『ニュースステーション』に出演。木曜日のプロ野球コーナーを担当するなどメディアにも登場し、テレビゲーム「プロ野球チームをつくろう!」にも「まゆげのノーさん」として登場した。
伊藤 正(いとう ただし、1940年6月2日 - )は日本の… 伊藤 正(いとう ただし、1940年6月2日 - )は日本のジャーナリスト。産経新聞特別記者兼論説委員。前中国総局長。中国報道で知られる。
立花 隆(たちばな たかし、本名:橘 隆志 1940年〈昭和… 立花 隆(たちばな たかし、本名:橘 隆志 1940年〈昭和15年〉5月28日 - 2021年〈令和3年〉4月30日)は、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家、評論家。執筆テーマは、生物学、環境問題、医療、宇宙、政治、経済、生命、哲学、臨死体験など多岐にわたり、「田中角栄研究」・「臨死体験」・「日本共産党の研究」など、詳しくは下に書いてあるが、多くの著書がベストセラーとなっている。その類なき知的欲求を幅広い分野に及ばせているところから「知の巨人」のニックネームを持つ。 1974年(昭和49年)、『文藝春秋』に「田中角栄研究~その金脈と人脈」を発表して田中金脈問題を暴いて田中角栄首相退陣のきっかけを作り、ジャーナリストとして不動の地位を築く。
石 弘之(いし ひろゆき、1940年5月28日 - )は、日… 石 弘之(いし ひろゆき、1940年5月28日 - )は、日本の環境ジャーナリスト、環境問題研究者。専門は地球環境論。朝日新聞編集委員を経て東京大学教授、駐ザンビア特命全権大使等を歴任した。 その他にも、国連環境計画上級顧問、国連開発計画上級顧問、東欧環境センター常任理事、国際協力機構参与、通商産業省産業構造審議会委員、運輸省運輸政策審議会環境部会長、持続可能な開発のための日本評議会議長などを務めた。 東京市(現東京都豊島区)生まれ[要出典]。1953年、東京教育大学附属小学校(現・筑波大学附属小学校)卒業、1959年同中学校・高等学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業[要出典]、1965年東京大学教養学部教養学科卒業。
村田 幸子(むらた さちこ、1940年5月14日 - )は、… 村田 幸子(むらた さちこ、1940年5月14日 - )は、福祉ジャーナリスト、アナウンサー。 NHKのアナウンサーおよび解説委員を歴任。NHK退職後、福祉問題を専門に取材活動を続けている。
小林 和男(こばやし かずお、1940年5月2日 - )は、… 小林 和男(こばやし かずお、1940年5月2日 - )は、日本のジャーナリスト。NHK記者を務めた。専門はロシア情勢。 長野県茅野市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1963年に東京外国語大学ロシア語学科を卒業。 同年にNHK入局後、神戸放送局で新人時代を送る。東京に異動後は外信部(現在の国際部)に配属され、1970年から1972年までモスクワ特派員を務めた後、ウィーンを拠点とする東欧移動特派員として活動した。 東京に戻ってからは、1982年より野中ともよと共に『海外ウィークリー』(現在の『NHK海外ネットワーク』のルーツにあたる)のキャスターとして活動。番組終了後、再び現場に戻り、1984年から1987年まで、1989年から1995年までの2度に渡ってモスクワ支局長を務める。
鳥越 俊太郎(とりごえ しゅんたろう、1940年〈昭和15年… 鳥越 俊太郎(とりごえ しゅんたろう、1940年〈昭和15年〉3月13日 - )は、日本のジャーナリスト。辺野古基金共同代表。 鳥越製粉の創業者・鳥越彦三郎の曾孫で、歌手の鳥越さやかは次女。 1940年、福岡県浮羽郡吉井町(現:うきは市)出身。父親は俊雄といい、その俊の一字をとって俊太郎という名前がついた。父親は大学を卒業して企業に入り、現場で様々ないじめにあい神経症を発症、俊太郎が生まれたときは九州大学の精神科の病棟に入院していた。 1946年、小学校へ入学し、戦後教育の第一期生となる。久留米大学附設高等学校を経て、1965年、京都大学文学部(国史学専攻)を学生運動にのめり込んだため、二年留年した後に卒業。
許 文道(ホ・ムンド、朝鮮語: 허문도、1940年2月26日… 許 文道(ホ・ムンド、朝鮮語: 허문도、1940年2月26日 - 2016年3月5日)は、大韓民国のジャーナリスト、政治家。第五共和国の大統領府政務秘書官、国土統一院長官を務めた。本貫は金海許氏で、全斗煥政権では許三守、許和平と共に「スリー許」と呼ばれた。 日本統治時代の慶尚南道固城郡に生まれた。釜山高等学校、ソウル大学校農科大学、東京大学大学院社会学科卒業。卒業後は朝鮮日報記者、東京特派員を務め、1979年に駐日韓国大使館の公報官に就任した。 1980年に新軍部に抜擢され、中央情報部秘書室長、国保委文化公報委員、文化公報部次官、青瓦台政務秘書官、第13代国土統一院長官を歴任した。特に在任中は言論統廃合を主導したほか、1981年5月には文化祭「国風81」を開催した。
下河辺 元春(しもこうべ もとはる、1940年2月10日 -… 下河辺 元春(しもこうべ もとはる、1940年2月10日 - )は、日本のジャーナリスト・経済学者で、元嘉悦大学助教授。専門は、国際経済・通商政策・政治外交史。 下河辺三史・美世夫妻の長男として東京府(現・東京都)に生まれる。父・三史は実業家・下河辺建二の次男で日製産業(現・日立ハイテク)の元社長、母・美世は元内閣総理大臣・芦田均の長女。末弟は音楽プロデューサーの下河辺晴三。 成蹊大学を卒業後共同通信社に入社。共同通信時代に国際政治学者の進藤榮一とともに『芦田均日記』の編纂をしたことで知られている。退社後、学校法人嘉悦学園法人事務局企画室長を務めたのち、嘉悦女子短期大学で教鞭を取る。 ミュージシャン・小沢健二の母・牧子(心理学者)は、下河辺の従姉にあたる(牧子の父・下河辺孫一は元春の父・三史の兄にあたる)。
伊藤 章治(いとう しょうじ、1940年1月22日 - )は… 伊藤 章治(いとう しょうじ、1940年1月22日 - )は、ジャーナリスト、桜美林大学名誉教授。 満州生まれ。愛知県出身。1964年名古屋大学法学部卒、中日新聞社(東京新聞)に入社、社会部記者、バンコク支局長、東京本社文化部長などを経て、1998年編集委員兼論説委員。2001年桜美林大学教授。2010年定年、名誉教授。筆名・小野英二。
鈴木 正俊(すずき まさとし、1940年1月14日 - )は… 鈴木 正俊(すずき まさとし、1940年1月14日 - )は、日本の経済学者、ジャーナリスト。 北海道室蘭市生まれ。東京大学経済学部卒、1969年同大学院博士課程満期退学。ハーバード大学・イエール大学・総合研究開発機構客員研究員、日本経済新聞社編集委員などを経て、拓殖大学政経学部教授。2010年定年退職。
丹藤 佳紀(たんどう よしのり、1940年 - )は、日本の… 丹藤 佳紀(たんどう よしのり、1940年 - )は、日本のジャーナリスト、元読売新聞記者。中国研究者。 福島県会津若松市生まれ。福島県立会津高等学校卒、1963年東京外国語大学中国語科卒、読売新聞社入社。横浜支局を経て外報部勤務。サイゴン・ソウル・北京各特派員、北京支局長、編集委員。2000年から2006年まで東洋大学教授を務める。日中友好協会参与。
大熊 由紀子(おおくま ゆきこ、1940年 - )は、日本の… 大熊 由紀子(おおくま ゆきこ、1940年 - )は、日本の科学ジャーナリスト。朝日新聞社の論説委員を経て国際医療福祉大学大学院教授。夫は元朝日新聞記者の大熊一夫。母方の祖父は山川章太郎、伯父(母の兄)は山川邦夫、叔父(母の弟)は山川民夫。 東京都立日比谷高等学校卒業。東京大学教養学部教養学科で科学史・科学哲学を専攻。大学卒業後、朝日新聞社に入社。社会部記者、科学部記者、科学部次長等を経て、1984年、同業他社に先駆け同社で女性初の論説委員になり、医療、福祉、科学分野の社説を17年間担当。 1976年夏から朝日新聞紙上で原子力発電に関係する記事を48回にわたって連載し、加筆して『核燃料 : 探査から廃棄物処理まで』として朝日新聞社から刊行した。
三橋 規宏(みつはし ただひろ、1940年 - )は経済・環… 三橋 規宏(みつはし ただひろ、1940年 - )は経済・環境ジャーナリスト、千葉商科大学政策情報学部名誉教授。1964年慶應義塾大学経済学部卒業。日本経済新聞社に入社し、主として財政金融政策などマクロ経済政策を担当。日本経済研究センターでは金森久雄の指導を受ける。ブリュッセル特派員、ロンドン支局長、日経ビジネス編集長、科学技術部長、日経サイエンス編集長、出版局次長、論説副主幹を歴任。国連大学が提唱したゼロエミッション運動の推進者の一人として活躍、2001年4月に第1回ゼロエミッション賞を受賞した[要出典]。また、1997年1月に経済人の環境NGO、「環境を考える経済人の会21、略称B-LIFE21」を立ち上げ、経済人と環境NGO/NPOとの交流を促進する一方、慶應義塾大学SFC、立命館大学、早稲田大学、千葉商科大学、明治大学、京都大学、横浜国立大学などで環境講座を開設し、経営者と学生との直接対話に道を開くなど独自の立場から実践活動を続ける[要出典]。
守部 喜雅(もりべ よしまさ、1940年 - )は、日本の作… 守部 喜雅(もりべ よしまさ、1940年 - )は、日本の作家・ジャーナリスト・編集者。 1940年、上海市に生まれた。慶應義塾大学を卒業し、いのちのことば社に入社する。1977年より1997年までクリスチャン新聞の編集部長を行う。1999年より2004年まで百万人の福音の編集長を務める。現在は、クリスチャン新聞の編集顧問を務める。 ジャーナリストとして中国大陸のキリスト教の状況を取材し続けた。また、日本キリスト教史の著作を発表している。2018年に出版された『西郷隆盛と聖書』について文書盗用疑惑が指摘され、出版元であるいのちのことば社は訂正再版をし、『西郷隆盛と聖書』引用表記ミスに関してにてその旨をお知らせした。
石塚 雅彦(いしづか まさひこ、1940年 - )は、日本の… 石塚 雅彦(いしづか まさひこ、1940年 - )は、日本のジャーナリスト、翻訳家。 東京生まれ。1963年国際基督教大学教養学部社会科学科卒業、日本経済新聞入社。1970年コロンビア大学ジャーナリズムスクール卒業。1976年から1980年香港支局長、1983年から1988年The Nikkei Weekly(英文日経)編集長、1990年から2000年論説委員。2000年から2004年フォーリン・プレスセンター専務理事。英国首相の回想記を度々訳した。
野上 忠興(のがみ ただおき、1940年(昭和15年) - … 野上 忠興(のがみ ただおき、1940年(昭和15年) - )は、日本の政治ジャーナリスト。 1940年に東京府に生まれる。1964年(昭和39年)に早稲田大学政治経済学部政治学科を卒業後、共同通信社へ入社した。同社では社会部、横浜支局を経たのち、1972年(昭和47年)に本社政治部に配属された。政治部では佐藤栄作や田中角栄の首相番として首相官邸の取材を皮切りとして、主に自由民主党清和政策研究会の番記者を長らく担当し、安倍晋太郎と親交した。野党、外務省、2回の自民党各担当キャップを務めたほか、政治部次長、整理部長、静岡支局長などを歴任して2000年(平成12年)に共同通信を退社した。 以降はフリーの政治ジャーナリストとなり、月刊誌や週刊誌で政治レポートを執筆しつつ、早稲田大学エクステンションセンターの講師としての講義や講演活動も行っている。
久保 紘之(くぼ こうし、1940年 - )は日本のジャーナ… 久保 紘之(くぼ こうし、1940年 - )は日本のジャーナリスト・評論家。産経新聞編集特別委員を歴任。
堤 堯(つつみ ぎょう、1940年 - )は日本のジャーナリ… 堤 堯(つつみ ぎょう、1940年 - )は日本のジャーナリスト、評論家。
岡田 幹治(おかだ もとはる、1940年 - 2021年7月… 岡田 幹治(おかだ もとはる、1940年 - 2021年7月21日)は、日本のジャーナリスト・ノンフィクション作家。 元朝日新聞論説委員、元朝日ニュースター(CS放送)キャスター、元『週刊金曜日』編集長。 新潟県高田市(現・上越市)生まれ。1959年新潟県立高田高等学校卒業。 1964年、一橋大学社会学部を卒業後、朝日新聞社に入社。1979年にワシントン特派員を経て、1988年に朝日新聞論説委員となる。2000年、同社を定年退社。『週刊金曜日』編集長を経て、フリージャーナリストに転身した。現在は、食の安全や公共事業、日本経済を主なテーマにして、市民の立場から取材・執筆・講演活動をしている。 FSN(食の安全を考えるネットワーク)理事のほか、上智大学や法政大学の講師、東京経済大学の非常勤講師も務めている。
林 利隆(はやし としたか、1939年10月29日 - 20… 林 利隆(はやし としたか、1939年10月29日 - 2005年9月16日)は、日本のジャーナリスト・大学教員。関西大学社会学部教授・早稲田大学教育学部教授を歴任。専門分野は、ジャーナリズム論・マスコミュニケーション論・新聞学・メディア論。 長野県岡谷市出身。1958年長野県諏訪清陵高等学校卒業、1962年早稲田大学第一文学部哲学科卒業。日本新聞協会入社。編集部副主管、業務部副主管を経て、1977年より編集部主管。1983年に日本新聞協会研究所研究員、1986年から再び編集部主管として雑誌『新聞研究』・機関紙『新聞協会報』の編集長を務め、1988年より日本新聞協会研究所所長。1991年、同職を退任、退職。
溝口 泰男(みぞぐち やすお、1939年〈昭和14年〉10月… 溝口 泰男(みぞぐち やすお、1939年〈昭和14年〉10月26日 - 1989年〈平成元年〉6月17日)は、栃木県出身のタレント、司会者、ジャーナリスト、日本教育テレビ→テレビ朝日専属契約キャスター。 栃木県で出生し、生後すぐ東京へ移った。学習院大学政経学部卒業。 経済誌の記者や月刊『今日』編集長を経て、選挙運動を通じて知り合った小田久栄門にスカウトされ、1969年に『奈良和モーニングショー』(NET、後のテレビ朝日)のサブ司会に抜擢され、テレビデビューを果たす。同時にNETとの専属契約を結んだ。 1977年5月からはメイン司会者(溝口泰男モーニングショー)となり、1983年3月末で政界進出のため番組を降板した。