戸田 皓久(とだ あきひさ、1933年2月26日 - 198… 戸田 皓久(とだ あきひさ、1933年2月26日 - 1981年9月1日)は、日本の俳優、声優。神奈川県鎌倉市出身。東京演劇アンサンブルに所属していた。 1951年に日本大学第三高校を卒業し、俳優座養成所三期生となる。同期には、小山田宗徳や穂積隆信、楠侑子などがいる。 翌1954年、卒業と同時に同期生の本郷淳らと劇団三期会を結成。演劇活動に乗り出す一方、劇団ユニットで『スーパーマン』など多くの吹き替えに出演し声優としても活動。その後はテレビドラマにも出演するようになる。 1967年、劇団三期会を東京演劇アンサンブルと改称し舞台公演を行う一方で声優、俳優としての活動も続け、主に味のある脇役、悪役として助演した。
山田 吾一(やまだ ごいち、1933年〈昭和8年〉2月20日… 山田 吾一(やまだ ごいち、1933年〈昭和8年〉2月20日 - 2012年〈平成24年〉10月13日)は、日本の俳優・声優。 北海道瀬棚郡瀬棚町(現・久遠郡せたな町)出身。北海道深川西高等学校卒業。 高等学校時代に演劇部で活動し、1951年、卒業後に会社員となるも、演劇への夢を捨てきれず、1952年上京。舞台芸術学院本科に入る。卒業後、劇団四季・劇団中芸に所属。 1958年には『事件記者』にガンさんこと岩見記者役で出演。猪突猛進型の正義感溢れる記者役を演じ、これが生涯の当たり役となり、後の劇場版にも同役で出演した。テレビドラマや映画の脇役で活動し、1973年の『仁義なき戦い 完結篇』では大友勝利(宍戸錠)大友組組長から松村保(北大路欣也)天政会会長代行に寝返るヤクザを演じ、1974年の『激突! 殺人拳』では千葉真一が扮する主人公の相棒である中国人を演じている。
小島 康男(こじま やすお、1933年1月15日 - )は、… 小島 康男(こじま やすお、1933年1月15日 - )は、日本の男性声優、俳優。奈良県出身。『W3』のノッコ役で知られる。 日本大学卒業後、東宝芸能学校演技科を経て、東宝劇団に所属。『恋すれど恋すれど物語』が初舞台。その後、シバプロ、鷹の会を経て、1969年4月、六芸社に所属。 この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJ:アニメ/PJ:声優)。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
小林 清志(こばやし きよし、1933年1月11日 - )は… 小林 清志(こばやし きよし、1933年1月11日 - )は、日本の声優、俳優、ナレーター。東京俳優生活協同組合に所属。創立メンバーの一人でもある。主な出演作は『妖怪人間ベム』(1968年)のベム、『ルパン三世』シリーズの次元大介など。また、『SASUKE』、『中居正広の金曜日のスマたちへ』、『太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。』等のナレーションも多く担当。洋画ではジェームズ・コバーン、リー・マーヴィンの専属吹き替えをしている。
田口 計(たぐち けい、1933年1月10日 - )は、日本… 田口 計(たぐち けい、1933年1月10日 - )は、日本の俳優、声優。 次男は俳優の岩田和樹、甥は作家の吉岡忍。 長野県南佐久郡臼田町(現・佐久市)出身。高校生時に替え玉試験で停学となった際、ラジオで田村秋子が出演した文学座公演「姫岩」の舞台中継を聞いたことで、役者の仕事に興味を持つ。 長野県野沢北高等学校を卒業後、東京大学文学部英文学科を卒業。 大学在学中の1955年、山本薩夫の監督映画『愛すればこそ』で銀幕デビューし、以後も多数の映画に出演。 1958年頃からはテレビ関係の仕事も増え、多くのドラマに出演。その一方、TBSの須子というプロデューサーに「口説かれた」ことを機に、吹き替えで声優としても活動するようになる。
翠 準子(みどり じゅんこ、1933年1月1日 - )は、日… 翠 準子(みどり じゅんこ、1933年1月1日 - )は、日本の女優、声優。東京府(現・東京都)出身。旧芸名は緑 準子(読み同じ)。ぷろだくしょんバオバブ所属。 八雲学園高等学校卒業。 松竹歌劇団、劇団華、テアトル・エコー、グループだいこん、同人舎プロダクション、三船プロダクション、タート・プロモーション、岩崎事務所を経て、ぷろだくしょんバオバブに所属。 2023年4月、ぷろだくしょんバオバブのサイトにおける公式プロフィールが、それまでの女性所属者一覧から「Archive(アーカイブ)」の欄に移動した。 声種はアルト。方言は東北弁。 趣味はミステリーを読むこと、旅行、水泳。 声優としては外画吹き替え、テレビアニメなどで活躍。
楠 侑子(くすのき ゆうこ、1933年〈昭和8年〉1月1日 … 楠 侑子(くすのき ゆうこ、1933年〈昭和8年〉1月1日 - )は、日本の女優、声優。夫は劇作家の別役実(2020年死別)。本名は別役侑子(べつやく ゆうこ)。かたつむりの会所属。身長158cm、体重48kg(公称)。一人娘の怜は、イラストレーターのべつやくれいである。 東京都台東区出身。立教女学院高等学校卒業。俳優座養成所第3期生。劇団俳優座、劇団新人会、劇団俳優小劇場と渡り歩き、結婚・出産を機に家庭中心の生活に入った。その後、1978年にかたつむりの会を結成し、現在に至る。デビューは、1953年の映画『ひめゆりの塔』(東映)での端役出演。 長年にわたり、東京・渋谷の小劇場「ジァン・ジァン」にて、毎年6月(「かたつむり」の由来でもある)に男優一人を招いて別役作品を上演し続けていたが、ジァン・ジァンが閉鎖された後は、目立った活動をしていない。
柳澤 愼一(やなぎさわ しんいち、1932年〈昭和7年〉12… 柳澤 愼一(やなぎさわ しんいち、1932年〈昭和7年〉12月19日 - 2022年〈令和4年〉3月24日)は、東京府東京市(現:東京都)出身のジャズ歌手、俳優、声優、福祉活動家、ボードビリアン、作詞家である。エム・スリー所属。NPO法人日本アビリティーズ協会会長顧問。有料老人ホーム気まま館東大和名誉館長。 旧芸名は柳沢 真一、柳澤 真一。 江上トミから「在野の料理名人」と呼ばれた柳澤愛子の息子。戦時中、東京で空襲に遭って祖父母の住む新潟県長岡市に疎開するが、長岡でも空襲に遭って東京に戻る。東京都立豊多摩高等学校在学中、日本共産党の下部組織に参加するも、男女交際の乱れを嫌い、青山学院高等部に転校。
仲代 達矢(なかだい たつや、英︰Tatsuya Nakad… 仲代 達矢(なかだい たつや、英︰Tatsuya Nakadai、本名︰仲代 元久(なかだい もとひさ、Motohisa Nakadai)、1932年〈昭和7年〉12月13日 - 2025年〈令和7年〉11月8日)は、日本の俳優、演出家、歌手、ナレーター、声優。位階は従三位、文化勲章受章者。劇団俳優座出身。無名塾主宰。仕事所属。東京都目黒区出身。愛称︰モヤ。 劇団俳優座出身で演劇・映画・テレビドラマで活動を続け、映画全盛期から斜陽時代以降までの映画界を支えてきた代表的俳優である。 東京府東京市目黒区(現:東京都目黒区)生まれ。4兄弟の長男。父親は茨城県稲敷郡長竿村(現:河内町長竿)の豪農の長男で、茨城県立江戸崎農学校を卒業しており、千葉交通(現:京成バス)のバス運転手をしていた。
朝井 ゆかり(あさい ゆかり、1932年10月30日 - 2… 朝井 ゆかり(あさい ゆかり、1932年10月30日 - 2010年11月28日[要出典])は、日本の声優。愛知県名古屋市出身。「浅井 ゆかり」表記もある。 かつて同名で活動していたとされる声優の浅井淑子とは別人である。 愛知県名古屋市で生まれ、福岡県で育つ。 福岡県立福岡中央高等学校卒業。在学時はスポーツが得意であり、陸上部でキャプテンを務めたほか、走高跳では当時のアマチュア全国大会で10位以内に入るなど好成績を残した。 1957年、東京女子大学短大部を卒業後に人形座を経て劇団舞芸座へ入団。1964年に同劇団が解散してからは、東京アーチスト・プロに所属していた。 1968年、量子生態学提唱者野上倫加(本名・導子)の夫・野上昭治と結婚、2男1女をもうけるが1987年に離婚。
岩崎 加根子(いわさき かねこ、1932年10月25日 - … 岩崎 加根子(いわさき かねこ、1932年10月25日 - 本名:村田 加根子)は、日本の女優、声優。北海道函館市生まれ。大田区久が原にあった立華女子高等学校卒業。 幼少期に東京へ移る(父親は熊本県、母親は近畿出身である)。 1949年、劇団俳優座養成所の第1期生となり、1952年の卒業と同時に入団。現在は劇団俳優座代表を務める。 主な活動の場は舞台で、1970年代には市原悦子と安部公房が主宰する演劇集団安部公房スタジオに所属していた。 『反逆児』では中村錦之助からのお墨付きで相手役に抜擢されたという。 『太陽への脱出』では石原裕次郎の相手役を、『座頭市地獄旅』では勝新太郎の相手役を演じた。 *太字の題名はキネマ旬報ベストテンにランクインした作品 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。
椎原 邦彦(しいはら くにひこ、1932年10月10日 - … 椎原 邦彦(しいはら くにひこ、1932年10月10日 - )は、日本の男性俳優、声優。鹿児島県出身。 1951年、鹿児島県立甲南高等学校卒業。高校演劇コンクールで優勝し演出賞と演技賞を受けたことをきっかけに新劇入りを決意。1954年、俳優座演劇研究所3期卒業後、三期会(のちの東京演劇アンサンブル)を結成。地方にも巡演して、新劇運動を続けた。 1964年9月、劇団新劇場に加盟し、創作活動に入る。映画やテレビドラマにも出演。その後は劇団歴史座に所属していた 劇団外のマネジメントはグループ・てえぶらを経て、1959年、太平洋テレビジョン芸能部、1960年から東京俳優生活協同組合に所属。
若山 弦蔵(わかやま げんぞう、1932年9月27日 - )… 若山 弦蔵(わかやま げんぞう、1932年9月27日 - )は、日本の男性俳優、ラジオパーソナリティ、ナレーター、声優、フリー。
二瓶 秀雄(にへい ひでお、1932年9月12日 - 200… 二瓶 秀雄(にへい ひでお、1932年9月12日 - 2001年10月9日)は、日本の俳優、声優。福島県いわき市出身。 福島県立磐城高等学校、早稲田大学卒業。 1956年、演出劇場に入団。1959年にフリーとなり、1964年の時点では文芸ぷろに所属。その後、ぷろだくしょん森、クレオ、サヴァーグループを経て、再びフリーとなる。 東映演技研修所などで講師の仕事も行っていた。
山田 康雄(やまだ やすお、本名:同じ、1932年9月10日… 山田 康雄(やまだ やすお、本名:同じ、1932年9月10日 - 1995年3月19日)は、日本の俳優、声優、司会者、ナレーターである。テアトル・エコーに所属していた。
幸田 弘子(こうだ ひろこ、本名:三善 弘子(旧姓:臼田)、… 幸田 弘子(こうだ ひろこ、本名:三善 弘子(旧姓:臼田)、1932年〈昭和7年〉8月29日 - 2020年〈令和2年〉11月24日)は、日本の女優、声優、朗読家。東京都出身。 夫は音楽評論家で東京音楽大学名誉教授の三善清達。長女は中央線沿線文化に関する著書などの多いエッセイストの三善里沙子。 1953年NHK東京放送劇団に5期生として入り、舞台・放送で女優として活動。1976年の連続テレビ小説「雲のじゅうたん」に出演。また、NHKラジオで主演した音楽詩劇「オンディーヌ」(三善晃作曲)で文部大臣賞、イタリア賞大賞受賞。 舞台で古典から現代文学作品までの朗読を続け、1977年から毎年「幸田弘子の会」を開催、樋口一葉を中心に、『源氏物語』や泉鏡花・森鷗外・夏目漱石・堀辰雄・瀬戸内寂聴の作品などを舞台で朗読。
川野 耕司(かわの こうじ、1932年7月27日 - )は、… 川野 耕司(かわの こうじ、1932年7月27日 - )は、日本の俳優、声優。本名・旧芸名は川野 孝司。群馬県出身。 身長173cm→172cm。体重63kg→69kg。 日本大学芸術学部卒業。 1952年、劇団ぶどうの会入会。劇団白鳥座設立、劇団造形を経て、エヌ・エー・シー、東企画に所属していた。 1970年代後半より高崎 良三に改名。 趣味はスキー、水泳。
海野 かつを(うみの かつを、1932年4月29日 - )は… 海野 かつを(うみの かつを、1932年4月29日 - )は、日本の芸人・俳優・声優。本名は海野 教麿(うんの きょうまろ)。旧名:海野かつお。東京府東京市(現・東京都区部)出身。 代々浅草区育ちで、実家は仁丹塔の傍のお好み焼き屋。来店する芸人に幼少時より可愛がられ、1944年の大映作品『五重塔』に子役で初出演。 戦後コメディアンを志し、日本大学第一高等学校を休学してムーランルージュ新宿座で演出見習として働き始めた途端に閉館の憂き目に遭い、同高に復学して卒業。東京吉本のシミキン一座に入り、浅草花月劇場のストリップの幕間コントで初舞台を踏んだ。 その後は脱線トリオ一門に移り、浅草フランス座をホームグラウンドに活動した。
川合 伸旺(かわい のぶお、1932年4月18日 - 200… 川合 伸旺(かわい のぶお、1932年4月18日 - 2006年6月24日)は、日本の俳優、声優。愛知県豊橋市出身。 悪役俳優として知られ、特に時代劇での悪代官役で著名であった。 1945年、豊橋市立八町小学校卒業。同年に豊橋空襲で自宅を失う。 終戦後、通学する愛知県立豊橋中学校が新学制度により、愛知県立豊橋時習館高等学校となる。在学中は美術部に在籍しており、演劇部のため書き割りを描いてた際に「役者が足りないからちょっとやってみて」と言われたことがきっかけで俳優を目指す。1951年に高校を卒業し上京、舞台芸術学院本科に入学する。 卒業後は劇団青俳へ入所。『反応工程』『モンセラ』などの舞台に立つ傍らで、1956年公開の映画『道』に「河井信旺」名義で映画初出演を果たした。
三谷 昇(みたに のぼる、1932年〈昭和7年〉4月9日 -… 三谷 昇(みたに のぼる、1932年〈昭和7年〉4月9日 - 2023年〈令和5年〉1月15日)は、日本の俳優・声優、芸術家。 広島県立福山葦陽高等学校卒業。「文学座」や「劇団雲」を経て、「演劇集団 円」に所属していた。特技は広島弁。 高校時代から演劇活動を開始。1951年に高校を卒業後、画家を志望して東京藝術大学を受験するが失敗。郷里に帰るのが嫌で文学座に裏方として入団した。4年後、役者へと転身した。 絵心は晩年まで持ち続け、舞台でピエロを演じた経験から「役者は道化」と思い定め、ピエロを描いた「道化石」を共演者らに送ったり、新美南吉の童話『いつのことだかどこのことだか』を紙芝居化したり、公演先でスケッチしたりしており、没後には遺作展も開かれた。
森川 公也(もりかわ きんや、1932年〈昭和7年〉3月17… 森川 公也(もりかわ きんや、1932年〈昭和7年〉3月17日 - 1989年〈平成元年〉12月11日)は、日本の俳優、男性声優。本名同じ。 満洲国哈爾浜市出身。明治大学英文学科卒業。 第二次世界大戦まで満洲国で過ごし、戦後は広島県に引き揚げて広島県立呉三津田高等学校を卒業。 明治大学入学後は、のちに俳優となる金内吉男たちと演劇活動を行い、大学卒業後の1952年に東京演技研究所に入所。その後は、劇団現代派、劇団中芸を経て1961年に劇団演劇座に所属する。東京芸術座、鈴木事務所、文芸ぷろだくしょん、劇団四季、タドポール企画、プロダクションエム・スリー、モリヤマ企画、エムワイ企画、MOU企画、大沢事務所にも所属していた。
和久井 節緒(わくい せつお、1932年〈昭和7年〉3月5日… 和久井 節緒(わくい せつお、1932年〈昭和7年〉3月5日 - 1981年〈昭和56年〉1月18日)は、日本の声優、俳優。東京府日本橋区(現:東京都中央区)出身。東京俳優生活協同組合に所属していた。 東京府日本橋区(現:東京都中央区)で誕生。 日本大学芸術学部演劇学科卒業。 1954年、ドラマグループ二十一世紀参加。劇団新芸設立を経て、一時的に芸能界から離れていたが復帰。1957年、金星プロ所属、1959年、PTC芸能部所属、東京俳優生活協同組合、笹の会、文芸プロを経て、再び東京俳優生活協同組合に所属していた。 『ジ・アニメ』で連載されていた『勝田久の声優入門』にあるニュースによると、1981年当時は、体調が悪かったものの、同年1月17日夕刻まで、CM録音に奮戦して、帰宅後に胸の苦しみを訴えて直ちに入院。
岡部 政明(おかべ まさあき、1932年2月16日 - )は… 岡部 政明(おかべ まさあき、1932年2月16日 - )は、日本の男性俳優、声優、ナレーター。東京俳優生活協同組合所属。北海道深川市出身。リーディングドラマの会・伽羅主宰(をはり万造・森うたうと共同主宰)。
伊藤 正博(いとう まさひろ、1932年2月6日 - )は、… 伊藤 正博(いとう まさひろ、1932年2月6日 - )は、日本の俳優、声優。東京都出身。 日本大学芸術学部卒業。かつては、劇団宗芸、東京映画、タレントエージェント、劇団東芸、プロダクション・エムスリー、希楽星に所属していた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
中村 靖之介(なかむら せいのすけ、1931年10月13日 … 中村 靖之介(なかむら せいのすけ、1931年10月13日 - )は、日本の俳優、声優。北海道出身。プロ・フィット(声のみ)所属。
浦野 光(うらの ひかる、1931年9月22日 - 2018… 浦野 光(うらの ひかる、1931年9月22日 - 2018年5月2日)は、日本の声優、俳優、ナレーター。神奈川県出身。 神奈川県小田原市で育ち、父親の仕事の都合で東京府(現:東京都)、三重県四日市市と移り住む。 早稲田大学商学部を経て、設立されたばかりの中部日本放送放送劇団に応募した。一度は落選するが、1953年(昭和28年)春、二期生の募集に再度応募し合格した。養成期間を経て、ナレーションでデビュー後、3年でラジオ東京放送劇団に移籍した。吹き替えの仕事を開始した後、フリーとなり、タレントエージェント、シナリオ文芸協会、グループだいこん、セブンセンター、クリエイティブオフィスZなどに所属した。
小林 恭治(こばやし きょうじ、1931年9月3日 - 20… 小林 恭治(こばやし きょうじ、1931年9月3日 - 2007年3月8日)は、日本の声優、俳優、ナレーター。東京都出身。息子は広告写真家の小林恵介、娘はニュースキャスターの小栗泉。従甥にはライターの竹熊健太郎がいる。 代表作に『おそ松くん(第1作)』(イヤミ)、『ひょっこりひょうたん島』(マシンガン・ダンディ)、『巨人の星』(ナレーション)などがある。 中学時代、文化祭で中野重治の詩を読んだところ快感で、学校の教師が「読むということがいかにも面白いか」というのを植え付けたという。それが一生の仕事のようなものになったため、1990年にはその教師をありがたく思っていると話している。 高校時代に詩の朗読研究会に参加し、詩の朗読の勉強を始める。
八奈見 乗児(やなみ じょうじ、本名:白土 繁満(しらと し… 八奈見 乗児(やなみ じょうじ、本名:白土 繁満(しらと しげみつ)、1931年8月30日 - )は、日本の声優、俳優、ナレーター。2016年現在は青二プロダクションに所属している。東京府(現:東京都)生まれ、福岡県育ち。血液型はA型。
浦川 麗子(うらかわ れいこ、1931年8月20日 - )は… 浦川 麗子(うらかわ れいこ、1931年8月20日 - )は、日本の女優、声優。岡山県井原市井原町出身。福島県立女子高等学校卒業。國學院大學文学部国文科中退。 高校在学中は演劇部で活動し、アマチュア劇団の福島演研にも所属していた。NHK福島放送劇団に入り、プロとしての活動を開始。高校卒業後は上京し、劇団廿世紀、劇団こまどりを経て、1952年、ラジオ東京放送劇団に2期生として入団。1959年に退団した後は東京俳優生活協同組合を経て、1969年4月に文学座に入団。 1955年から放送が開始されたラジオ番組『ポポン・ミュージック・レター』の司会を志摩夕起夫とともに担当。志摩がアナウンサ―では声が型にはまっていて面白くないので、家庭の奥様のような艶のある人の起用を要望したため、浦川が起用された。
北町 嘉朗(きたまち よしろう、1931年8月1日 - 20… 北町 嘉朗(きたまち よしろう、1931年8月1日 - 2021年5月4日)は、日本の俳優、声優。本名・武井 和雄。埼玉県出身。 法政大学中退。劇団十三人座、八田元夫演出研究所、銀座プロダクション、天知茂が設立したA&Aプロダクション(後にアマチプロゼに改称)などを経て北斗七星所属。山村聰に師事していた経験もある。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
二見 忠男(ふたみ ただお、1931年〈昭和6年〉7月21日… 二見 忠男(ふたみ ただお、1931年〈昭和6年〉7月21日 - 1994年〈平成6年〉8月1日)は日本の俳優、声優。本名同じ。 東京都出身。早稲田大学卒業。テアトル・エコーに所属していた。 大学卒業後、1957年2月、グループかささぎに所属。1958年3月にテアトル・エコーに入団。味わい深い脇役としてテレビドラマ、舞台、映画、アニメなどで活躍。特に『仮面の忍者 赤影』では飄逸な忍者を一人二役で演じた。 1970年代、1980年代には『太陽にほえろ!』をはじめ、東宝・NTV系のアクションドラマの悪役としてもお馴染みの存在だった。 テアトル・エコー退団後はオールススタッフへ移籍。舞台『いずみたくミュージカル・俺たちは天使じゃない』を最後に、1994年8月1日、肺癌のため死去。
北里 深雪(きたざと みゆき、1931年7月20日 - )は… 北里 深雪(きたざと みゆき、1931年7月20日 - )は、日本の元女優、元声優。東京府出身。 聖心女子大学在学時、夏休みの宿題に悩む中で新聞広告を見たことを機に俳優座養成所の門を叩いた。この時、両親からは大目玉を食らったという。 1954年、劇団新人会の設立に参加し同劇団で活動。同期には北條美智留がいる。ドラマ『夫婦百景』の共演が縁で同劇団の穂積隆信と結婚するもすぐに離婚し、1955年に劇団四季に移籍した。 1956年、海外ドラマ『名犬リンチンチン(英語版)』にて主人公のラスティ・ハリス少年の吹き替えを担当し、子供を中心に人気を得た。同作の担当者である大久保正雄によると、キャスティング時に候補者がさえず悩んでいたところ、北里の「子供らしい明るさと甘さに満ちた声」がとびこんできたといい、それまで下馬評にも挙がらなかった中での抜擢だったという。
木下 秀雄(きのした ひでお、1931年7月17日 - 20… 木下 秀雄(きのした ひでお、1931年7月17日 - 2014年3月8日)は、日本の男性俳優、声優。東京府(現:東京都)出身。 明治大学卒業。1953年、東京放送劇団入団。第5期生同期には、里見京子、黒柳徹子がいる。テレビ勃興時代から活動をはじめ、晩年までCMや舞台に出演。 以前はKプロダクション、プロダクション・タンクに所属していた。 声種はハイバリトン。 NPO法人の日本ネイリスト協会で副理事長も務めた。妻は株式会社ユミ・クリエイションの木下ユミ(木下由美)で、娘はネイリストの木下美穂里。 2014年3月8日死去。82歳没。 この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。
来宮 良子(きのみや りょうこ、1931年7月10日 - 2… 来宮 良子(きのみや りょうこ、1931年7月10日 - 2013年11月25日)は、日本の声優、女優、ナレーター。東京俳優生活協同組合に所属していた。東京府荏原郡荏原町(後の東京府東京市荏原区、現:東京都品川区荏原)出身。 キャリア初期は、本名の櫻井 良子(さくらい りょうこ)名義でも活動していた。 小さい頃から本を朗読することが好きであり、アナウンサーになることを志望していた。 当初は東京府青山師範学校(後の東京第一師範学校)に通っていたが、小学4年生から東京都白金国民学校(現:港区立白金小学校)に転校。戦時中は疎開がてらに茨城県立土浦高等女学校(現:茨城県立土浦第二高等学校)に進学し、女子寮に入る。
あずさ 欣平(あずさ きんぺい、1931年5月1日 - 19… あずさ 欣平(あずさ きんぺい、1931年5月1日 - 1997年5月24日)は、日本の男性声優、演出家。千葉県本八幡生まれ、福島県出身。青二プロダクション所属であった。旧芸名に梓欣三・梓欣造がある。 千葉県本八幡で生まれ、福島県で育つ。 学生時代のあだ名は「豆タンク」だった。早稲田大学卒業。劇団ピッコロ、劇団制作座、劇団仲間、劇団現代座を経て、1962年5月1日、劇団芸協を設立して後進の指導に当たった。当時は、芝居の演出の他に、外国映画、アニメーションのディレクターもしていた。声優としては江崎プロダクション。オフィス央経て、最後は青二プロダクションに所属していた。 真山美保原作の『泥かぶら』の三郎兵衛役で初舞台。
西 桂太(にし けいた、1931年3月31日 - )は、日本… 西 桂太(にし けいた、1931年3月31日 - )は、日本の男性俳優、声優、演出家、映像ディレクター、吹き替えディレクター、翻訳家、劇作家。本名及び演出家としての名義は大西 桂太。翻訳家としての名義は秋元 良介。大阪府出身。 1956年、大学在学中にぶどうの会演出部に入団。早稲田大学演劇科卒業後はTBS放送劇団、青年工房、土の会で俳優・声優として活動後、フリーランスとなり、日本合唱センター、劇団アトリエ座、劇団どらま座、声の劇団イマージュ(代表を経て、顧問)、演劇企画集団「人」などを設立した。 日活芸術学院、東京アナウンス学院などで講師も行っていた。 2017年、親戚関係にあたる高嶺巌によって引退していることが明かされた。
小池 朝雄(こいけ あさお、1931年〈昭和6年〉3月18日… 小池 朝雄(こいけ あさお、1931年〈昭和6年〉3月18日 - 1985年〈昭和60年〉3月23日)は、日本の俳優、声優、ナレーター。代表作のひとつである『刑事コロンボ』など、洋画・海外ドラマの吹き替えを担当した。アニメ『あしたのジョー』のエンディングテーマ「ジョーの子守唄」では歌手を務めた。 東京府豊多摩郡代々幡町(後の東京府東京市渋谷区、現:東京都渋谷区)出身。 学生時代から演劇活動にのめり込み、東京都立青山高等学校在学中は演劇部のキャプテンとして活躍した。 1950年(昭和25年)に文学座付属演劇研究所に入所。1951年の文学座アトリエ公演、飯沢匡・作『崑崙山の人々』にて初舞台を踏んだ。
笹山 栄一(ささやま えいいち、1931年3月13日 - 2… 笹山 栄一(ささやま えいいち、1931年3月13日 - 2022年3月15日 )は、日本の俳優、声優。三重県出身。 劇団東演所属。日本大学芸術学部卒業。1952年11月、新演劇研究所に入所し、1958年12月まで在籍。1959年4月、劇団東演(旧:東京演劇ゼミナール)の創設に参加。劇団と並行して東京俳優生活協同組合に所属していた時期もある。
宮部 昭夫(みやべ あきお、1931年2月26日 - 200… 宮部 昭夫(みやべ あきお、1931年2月26日 - 2006年6月17日)は、日本の男性俳優、声優。北海道函館市出身。 北海道函館市出身で、父は文部省に務めており、父の再婚相手の母は島根県松江市に在住しており、小学3年生まで松江市に過ごしていた。父が東京都に転勤になり、その後は東京都で過ごしていた。 当初は医学部を目指して慶應義塾大学といった大学の入学試験に受けたが、不合格になり、父に「じゃあ先生になれ」と言われて東京学芸大学に進学。旧制中学校時代から演劇を始め、当時同大学になかった演劇部を創設している。大学卒業後、半年間は母校だった小学校で教員として就職していたが、芝居がしたかったこともあり、親には猛反対されたが、退職する。
日下 武史(くさか たけし、1931年〈昭和6年〉2月24日… 日下 武史(くさか たけし、1931年〈昭和6年〉2月24日 - 2017年〈平成29年〉5月15日)は、日本の俳優、声優である。本名は日下 孟。東京都豊島区出身。劇団四季の創設者のひとり。身長168cm。体重60kg。愛称は「ギョブツ」。 2年遅れで慶應義塾普通部に入学、老け顔だったため「御仏」(ぎょぶつ)とあだ名された。慶應義塾高等学校在学中に浅利慶太と出会い、当時同校の英語教師だった劇作家の加藤道夫に師事したことが機縁となって演劇の道を志す。実際の演劇活動は慶應義塾大学文学部仏文科在学中からである。1953年、経済的理由もあって慶應大学を2年で中退し、同じ仏文科の浅利慶太、水島弘、藤野節子、井関一らと劇団四季を結成する。
今井 和子(いまい かずこ、1930年(昭和5年)12月12… 今井 和子(いまい かずこ、1930年(昭和5年)12月12日 - 2012年(平成24年)10月14日)は、日本の女優、声優。身長157cm、体重55kg。 のちの東京都世田谷区(当時は東京府の郡部)出身。 日劇ダンシングチームに入団するが、足の怪我のために退団。劇団俳優座養成所(5期生)を経て、1956年に劇団青年座に入団。 洋画吹き替えではキャサリン・ヘプバーンやソフィア・ローレン等を担当していた。 2012年10月14日、肺がんのため死去。81歳没。
明石 一(あかし はじめ、1930年12月7日 - )は、日… 明石 一(あかし はじめ、1930年12月7日 - )は、日本の元男性声優、元俳優、元ナレーター。本名・別名:明石 速男(あかし はやお)。 東京府南多摩郡小宮町(現・東京都八王子市)出身。 ラジオ東京放送劇団(後のTBS放送劇団)2期生。劇団と並行してりんどうプロに所属していた時期もある。 東京都立石神井中学校卒業。慶應通信教育図書、東京農工大学事務局で働きながら舞台芸術学院で学ぶ。1952年5月にラジオ東京放送劇団に入団。1958年5月にラジオ東京の番組には優先して出演し、それ以外の番組への出演は局側の許可を得て出演するという契約を結び、1年ごとに更新していた。 主にナレーターとして活躍していた。
滝田 裕介(たきた ゆうすけ、1930年11月29日 - 2… 滝田 裕介(たきた ゆうすけ、1930年11月29日 - 2015年5月3日)は、日本の俳優、声優。本名:滝田 進(たきた すすむ)。旧芸名・別名は滝田 祐介。東京府荏原郡世田ヶ谷町北沢(現・東京都世田谷区北沢)出身。以前は劇団俳優座に所属していた。 東京都立戸山高等学校卒業。早稲田大学の演劇科を中退後、1953年に劇団俳優座の養成所2期生となりデビュー。同期には小林昭二、佐竹明夫、武内亨、土屋嘉男、横森久などがいる。1956年から1964年にかけて出演したテレビドラマ『事件記者』で人気を博した。『水戸黄門』や『暴れん坊将軍』などの時代劇では悪役を演じることが多かったが、のちに善人役を演じる機会が増えた。
林 洋子(はやし ようこ、1930年11月3日 - 2025… 林 洋子(はやし ようこ、1930年11月3日 - 2025年7月31日[要出典])は、日本の女優、声優。宮沢賢治作品のひとり語り芸の公演を長年続けていた。元夫は作曲家の林光。 東京都大田区蒲田生まれ。都立第六高等女学校(現:東京都立三田高等学校)卒業後、1949年に俳優座付属俳優養成所の第1期生となり、1952年に卒業(同期生に岩崎加根子、野村昭子らがいる)。 俳優座養成所第一期卒業後、劇団三期会(現・東京演劇アンサンブル)で数々のブレヒト劇に主演し、声優として吹き替えにも多く出演。後にフリーとなる。 1970年、水俣病の実態に触れ、翌年に、石牟礼道子原作「苦海浄土」巡礼公演。以後「私って何だ、俳優って何なんだ」と考え自発的に芝居が出来なくなり俳優として沈黙する。
外山 高士(とやま たかし、1930年〈昭和5年〉9月5日 … 外山 高士(とやま たかし、1930年〈昭和5年〉9月5日 - 2022年〈令和4年〉8月28日)は、日本の俳優・声優。 拓殖大学商学部貿易学科卒業。在学中は新聞部で大学の先輩である佐佐木隆を取材したのが機縁となり、劇団文化座に入る。1952年に同劇団の『陽気な地獄』で初舞台。中里事務所に所属していた。 『怪傑黒頭巾』で正義役をしていたが、その後は時代劇で悪代官・悪徳商人、現代劇でも悪役を中心に出演した。一方で『燃えよ剣』の伊東甲子太郎、刑事ドラマ『西部警察 PART-III』の第9話「白銀に消えた超合金X! -福島・前篇-」では善人役の冷静に状況説明する科学者など、悪役に限らず演じている。 吹き替えにおいては日本で初めての吹き替え海外ドラマ『ロビンフットの冒険』で主人公のロビンフット役を担当。
藤岡 琢也(ふじおか たくや、1930年〈昭和5年〉9月4日… 藤岡 琢也(ふじおか たくや、1930年〈昭和5年〉9月4日 - 2006年〈平成18年〉10月20日)は、日本の俳優、声優。 兵庫県姫路市出身。身長165cm、体重71kg。兵庫県立姫路西高等学校卒業、関西学院大学文学部中退。 1930年、姫路市にて会社員の父・憲一の第一子として誕生。当時としては裕福な家庭に育ち、成績は優秀だった。 旧制姫路中学校(現:兵庫県立姫路西高等学校)から広島陸軍幼年学校に進学するが、終戦により姫路中に復学後、関西学院高等部に編入。慶応義塾大学への進学を志望していたが、不合格となり明治大学商学部に進学するも父親の意向で関西学院大学に移り、翌年に結核を患い中退。 1953年、関西学院大学文学部社会学科に再入学。
阿部 寿美子(あべ すみこ、1930年〈昭和5年〉9月3日 … 阿部 寿美子(あべ すみこ、1930年〈昭和5年〉9月3日 - 2023年または2024年)は、日本の女優・声優。東京府豊多摩郡代々幡町(現:東京都渋谷区)出身。夫は映画評論家の深沢哲也。 俳優座養成所の第1期生。 1952年俳優座準劇団員となり、同年映画「慟哭」でデビューする。1954年青年座に参加するがすぐに脱退、同年新東宝と専属契約。1957年劇団現代座に入るがまもなく脱退。同年、深沢哲也と結婚。 以前はプロダクションMAY・25に所属していた。 声優としては、NHKの人形劇『新八犬伝』の玉梓役が有名。登場時の「我こそは玉梓が怨霊」という決まり文句は、辻村ジュサブローによる迫力ある造形の人形と相まって、当時の視聴者の子どもに強い印象を与えた。
戸浦 六宏(とうら ろっこう、1930年(昭和5年)4月30… 戸浦 六宏(とうら ろっこう、1930年(昭和5年)4月30日 - 1993年(平成5年)3月25日)は、日本の俳優・声優。大阪府大阪市出身。本名は東良 睦宏(とうら むつひろ)。 代表作に『藪の中の黒猫』・『竹山ひとり旅』・『沈黙 SILENCE』・『とべない沈黙』など。 ライター・編集者・AV監督の東良美季は息子(次男)。 旧制・上宮中学校(現在の上宮高校)を経て京都大学に進学する。 京都大学文学部英文学科在学中から演劇志望であり、大学内の劇団「風波」で活動していた。映画監督の野田幸男も、在学中に同劇団に参加している。また、同窓生の大島渚らと学生運動にも参加していた。 大学卒業後は大阪高等学校で英語教師とラグビーフットボール部顧問をしながらセミプロの劇団活動を行っていた。
岸田 今日子(きしだ きょうこ、1930年〈昭和5年〉4月2… 岸田 今日子(きしだ きょうこ、1930年〈昭和5年〉4月29日 - 2006年〈平成18年〉12月17日)は、日本の女優、声優、童話作家。本名同じ。身長156 cm。血液型はA型。 自由学園高校卒業。父は劇作家で文学座創設者の岸田國士、母は翻訳家の岸田秋子。姉に詩人で童話作家の岸田衿子、俳優の岸田森とは従弟にあたる。元夫は俳優の仲谷昇。 東京府豊多摩郡(現在の東京都杉並区)に劇作家の岸田國士・秋子夫妻の次女として生まれる。 10代の頃戦争により姉妹で長野県に疎開した後、1946年に東京に戻り自由学園高校に入学。在学時に彫刻家・本郷新の美術の講義に触発され、同時に父の蔵書で戯曲に親しんだ。舞台美術に興味を抱いて舞台美術家を志し、高校卒業と同時に裏方として文学座付属演技研究所に入り研修生となる。
中 庸助(なか ようすけ、本名:中島 和男、1930年(昭和… 中 庸助(なか ようすけ、本名:中島 和男、1930年(昭和5年)3月30日 - )は、日本の俳優・声優。千葉県出身。マウスプロモーション所属。旧芸名:中 庸介。