千野 陽一(ちの よういち、1931年6月26日 - )は、… 千野 陽一(ちの よういち、1931年6月26日 - )は、日本の教育学者、歴史学者、東京農工大学名誉教授。 愛知県安城市生まれ。1955年東京大学教育学部教育行政学科卒。東京農工大学工学部助教授、教授。96年定年退官、名誉教授。その後、帝京大学教授、2002年定年退職。戦時下の婦人団体の歴史、農村での教育などを研究した。
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千野 陽一(ちの よういち、1931年6月26日 - )は、… 千野 陽一(ちの よういち、1931年6月26日 - )は、日本の教育学者、歴史学者、東京農工大学名誉教授。 愛知県安城市生まれ。1955年東京大学教育学部教育行政学科卒。東京農工大学工学部助教授、教授。96年定年退官、名誉教授。その後、帝京大学教授、2002年定年退職。戦時下の婦人団体の歴史、農村での教育などを研究した。
児玉 彰三郎(こだま しょうざぶろう、1931年6月16日 … 児玉 彰三郎(こだま しょうざぶろう、1931年6月16日 - 1969年11月19日)は、日本の歴史学者。元新潟大学助教授。専門は郷土史、新潟史、上杉氏。 1931年東京生まれ。1955年東京大学文学部国史学科卒業後、1959年に東京大学大学院人文科学研究科国史学専門課程修士課程を修了する。都立高校教諭を経て、1963年に新潟大学人文学部講師となる。1967年に助教授に昇格するも、1969年に交通事故により38歳で死去した。墓所は青山霊園。 この間、小千谷市史編修委員、新井市史編纂委員、栃尾市史編輯委員、市島家文書取扱委員などを務めた。また著書『上杉景勝』が2010年に復刊された。
望田 幸男(もちだ ゆきお、1931年5月30日 - 202… 望田 幸男(もちだ ゆきお、1931年5月30日 - 2023年1月6日)は、日本の歴史学者、同志社大学名誉教授。専門はドイツ近現代史。 山梨県甲府市生まれ。1974年京都大学大学院文学研究科博士課程修了、「近代ドイツの政治構造 :プロイセン憲法紛争史研究」で文学博士。同志社大学助教授、教授。2002年定年、名誉教授。 非核の政府を求める会・京都 代表世話人を務めるなど、市民運動にも携わった。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
古屋 哲夫(ふるや てつお、1931年3月21日 - 200… 古屋 哲夫(ふるや てつお、1931年3月21日 - 2006年12月2日)は、日本の歴史学者。専攻は日本近代史。京都大学名誉教授。 1931年、東京都で生まれた。1948年、東京都立第九中学校(現東京都立北園高等学校)卒業。1949年、浦和高等学校 (旧制)(現埼玉大学文理学部)に進学したが、学制改革にともなって新制へ移行したことにより、1949年に第1学年のみ修了。同年、東京大学教養学部文科1類に入学。1951年、同大学法学部に進学。1953年、法学部(政治コース)を修了。同年、同大学大学院社会科学研究科政治専門課程に進学し、1956年に同修士課程を修了、同博士課程に進学。1958年、歴史学研究会書記長。
田中 圭一(たなか けいいち、1931年3月15日 - 20… 田中 圭一(たなか けいいち、1931年3月15日 - 2018年4月4日)は、日本の歴史学者。筑波大学教授、群馬県立女子大学教授。専門は近世史。佐渡島出身。 新潟県佐渡郡金井町(現・佐渡市)出身。新潟県立佐渡高等学校、新潟大学人文学部を卒業後、高校教諭として勤務しながら研究成果を次々と発表。1967年に京都大学に国内留学して小葉田淳に師事。1987年、『佐渡金銀山の史的研究』で第9回角川源義賞受賞[要出典]。1988年筑波大学教授、95年定年退官、群馬県立女子大学教授[要出典]。「佐渡を世界遺産にする会」の中心として活躍した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
脇田 修(わきた おさむ、1931年3月14日 - )は、日… 脇田 修(わきた おさむ、1931年3月14日 - )は、日本の歴史学者。大阪大学名誉教授。元大阪歴史博物館館長。専門は日本近世史。妻は歴史学者脇田晴子。大阪市生まれ。
上横手 雅敬(うわよこて まさたか、1931年〈昭和6年〉3… 上横手 雅敬(うわよこて まさたか、1931年〈昭和6年〉3月7日 - )は、日本の歴史学者。専門は、日本中世政治史・日本中世社会史。学位は、文学博士。京都大学名誉教授。和歌山県出身。 若き日に中世史において画期的で洞察に満ちた見解を数多く示した。 後鳥羽は当初武家の臣従を前提とする公武融和路線を取り、建保6年(1218年)の政子上洛時に、幕府と後鳥羽との間に後鳥羽の皇子を実朝の養子として東下させ、後継将軍とする密約が成立していたと説いた(「北条泰時」1958年、「承久の乱」1962年)。 また、承久の乱に際し、大江広元以外の武士たちが唱えた迎撃によれば鎌倉方は敗れていたであろうとし、広元の功績を特筆した。
中丸 和伯(なかまる かずのり、1931年3月3日 – 19… 中丸 和伯(なかまる かずのり、1931年3月3日 – 1982年1月25日)は日本の歴史学者。 神奈川県生まれ。1953年に東京教育大学理学部地学科を卒業し、さらに1955年に卒業論文「近世封建社会の形成過程-特に後北条治下に於て」を提出して、同大学文学部史学科を卒業。同大学大学院に進学し、1961年に同大学大学院文学研究科博士課程を修了。1977年に「後北条氏の歴史地理的研究」により、東京教育大学から文学博士の学位を授与される。 相模工業大学教授、東日本学園大学理事。
熱田 公(あつた いさお、1931年2月5日 - 2002年… 熱田 公(あつた いさお、1931年2月5日 - 2002年9月3日)は、日本の歴史学者。神戸大学名誉教授。 和歌山県那賀郡上岩出村(現:岩出市)に上野家の次男として生まれる。1943年和歌山県立粉河中学校に入学。翌1944年中退し、大坂陸軍幼年学校に入学するが、敗戦により復員し、和歌山県立粉河中学校に復学し、1948年卒業。1953年、卒業論文「中世末期における国人層の動向」をまとめ、京都大学文学部史学科国史学専攻卒業。1960年、京都大学大学院文学研究科博士課程単位修得退学、京都大学文学部助手となる。 1970年に神戸大学教育学部助教授に転任、1979年同教授、1992年神戸大学文学部教授。
小山 仁示(こやま ひとし、1931年(昭和6年)1月23日… 小山 仁示(こやま ひとし、1931年(昭和6年)1月23日 - 2012年(平成24年)5月26日)は、日本の歴史学者。専門は日本近現代史。関西大学名誉教授。 和歌山県生まれ。大阪府立生野中学校および大阪府立生野高等学校を経て、1953年に大阪大学文学部史学科を卒業。大阪府立園芸高等学校教諭をしながら、大阪大学大学院日本史学専攻修士課程に進学。1960年、同課程修了。大阪府立市岡高等学校教諭を経て、1966年に関西大学文学部講師に就任。2001年に定年退職、名誉教授となった。 2012年5月26日、肺炎のため死去。 妻の節子(旧姓岸田)は大学の同窓生で、大阪市消費者リーダー協議会初代会長、吹田市消費者相談室コンサルタントを務めた。
西村 圭子(にしむら けいこ、1931年(昭和6年)1月22… 西村 圭子(にしむら けいこ、1931年(昭和6年)1月22日 - 2001年(平成13年)10月18日)は、日本の歴史学者、日本女子大学名誉教授。 福岡県に生まれる。日本女子大学文学部史学科卒、東京教育大学大学院博士課程単位取得満期退学。文学博士。共立女子高等学校教諭、日本女子大学助教授、同大学教授を経て平成11年(1999年)名誉教授となった。 2001年10月18日、肝性昏睡のため死去。
乾 宏巳(いぬい ひろみ、1931年1月17日 - )は、… 乾 宏巳(いぬい ひろみ、1931年1月17日 - )は、日本の歴史学者。大阪教育大学名誉教授。専門は日本近世史(都市史)。東京都墨田区出身。 1956年、東京教育大学大学院文学研究科修士課程修了。東京都立高校教諭・大阪教育大学助教授を経て同大学教授。1996年退官。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
三上 昭美(みかみ てるみ、1931年〈昭和6年〉1月1日 … 三上 昭美(みかみ てるみ、1931年〈昭和6年〉1月1日 - 2018年〈平成30年〉8月19日 )は、日本の歴史学者。元中央大学文学部教授。日本の近代史の研究者として知られ、日本古文書学会常任理事などを務めた。岡山県新見市出身。 1931(昭和6)年、岡山県阿哲郡新見町(現:新見市)で出生する。1943(昭和18)年、地元に近い旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学する。同期には岡山大学名誉教授の佐藤巌がいた。1945(昭和20)年、学徒動員先だった山口県の小野田セメント工場で玉音放送を聴く。 5年制であった旧制中学を4年で飛び級卒業(新制中学校へ移行処置)し、旧制高等学校で最後の入学生となる1947年に京都にある第三高等学校文科へ進学した。
小林 正彬(こばやし まさあき、1931年 - )は、日本の… 小林 正彬(こばやし まさあき、1931年 - )は、日本の経済学者、経営学者、歴史学者。関東学院大学名誉教授。専門は近現代日本経済史・経営史。経済学博士(東京大学、1978年)。 東京府出身。1953年東京教育大学(現:筑波大学)文学部社会科学科経済学専攻卒業。59年同大学院文学研究科社会学専攻博士課程単位取得。 (下川浩一・杉山和雄・栂井義雄・三島康雄・森川英正・安岡重明)『日本経営史を学ぶ』(有斐閣、1976年) この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、鉄道に関連した書きかけの項目です。
西川 幸治(にしかわ こうじ、1930年12月20日 - )… 西川 幸治(にしかわ こうじ、1930年12月20日 - )は、日本の歴史学者。専攻は都市史。京都大学名誉教授、滋賀県立大学名誉教授・元学長。 滋賀県彦根市出身。京都大学工学部建築学科卒業後、同大学院工学研究科(建築学専攻)単位取得。1959年京都大学助手、1964年講師、1966年助教授、1977年教授を務める傍ら、1985年から1991年まで同埋蔵文化財研究センター長を併任し、1994年同退官、名誉教授。1995年より、滋賀県立大学教授および人間文化部長を経て、2001年より日高敏隆の後任として同学長を2005年まで務めた。2005年より国際日本文化研究センター客員教授を務める。 1968年京都大学より工学博士。
馬原 鉄男(まはら てつお、1930年12月15日 - 19… 馬原 鉄男(まはら てつお、1930年12月15日 - 1992年7月2日)は、日本の歴史学者・部落問題研究家。宮崎県高千穂町の貧しい小作農の三男。中原 京三名義による著作もある。 部落問題研究所主任研究員として、共同研究『水平運動史の研究』(全6巻)、『戦後部落問題の研究』(全7巻)を主導した。 一方、主著『日本資本主義と部落問題』の主張の根幹が、日本共産党の「国民的融合論」提唱によって否定されたため、自ら絶版に付したこともあった。[要出典]
小野 信爾(おの しんじ、1930年10月23日 - )は、… 小野 信爾(おの しんじ、1930年10月23日 - )は、日本の歴史学者。花園大学名誉教授。専攻は中国近代史。 1930年、大分県竹田市で生まれた。生家は豊後岡藩主中川家の菩提寺として知られる寺院・碧雲寺。山門には豊臣秀吉の朝鮮出兵に際して略奪してきたという「碧雲寺」の扁額が掲げられていた。父親は旧制中学の国語教師であった。 大分県立竹田高等学校を経て、1949年に京都大学文学部入学。1951年2月22日、下鴨警察署近くで「アメリカの朝鮮戦争に協力するな」という趣旨のビラを撒いたことで、GHQの占領政策違反に問われて軍事裁判を受け、重労働3年・罰金1000ドルの判決を受けた。文学部の同級生、教授らの減刑嘆願署名などによって刑期は2年に減刑された。
斯波 義信(しば よしのぶ、1930年10月20日 - )は… 斯波 義信(しば よしのぶ、1930年10月20日 - )は、日本の歴史学者。専門は中国史、特に宋代の商業史、華僑・華人研究など。公益財団法人東洋文庫文庫長、大阪大学名誉教授、東京大学名誉教授。2003年日本学士院会員。2006年文化功労者。2017年文化勲章。2018年唐奨。 1930年、東京府東京市小石川区(現・東京都文京区)で生まれた。1943年に学習院初等科を卒業し、都立高等学校で学んだ。1950年に卒業し、東京大学文学部に進学。東洋史学科で学び、1953年に卒業。東京大学大学院人文科学研究科東洋史学専門課程に進み、1955年に修士課程を修了。 1961年、熊本大学法文学部助教授に就いた。
横山 昭男(よこやま あきお、1930年10月16日 - 2… 横山 昭男(よこやま あきお、1930年10月16日 - 2022年11月30日)は、日本の歴史学者、山形大学名誉教授。日本近世史(藩政史・交通史)専攻。 山形県北村山郡大石田町生まれ。1960年東北大学大学院文学研究科修士課程修了。山形大学助教授、教授、1996年定年退官、名誉教授。1981年「近世河川水運史の研究 最上川水運の歴史的展開を中心として」で東北大学より文学博士。 2022年11月30日、老衰のため山形市の病院で死去、92歳。
永積 洋子(ながづみ ようこ、1930年〈昭和5年〉10月8… 永積 洋子(ながづみ ようこ、1930年〈昭和5年〉10月8日 - 2023年〈令和5年〉7月29日)は、日本の歴史学者。東京大学名誉教授。文学博士。専門は、近世通行貿易史。 哲学者三木清の娘、東京大学農学部助教授(当時)東畑精一の姪として1930年(昭和5年)、東京に生まれる。1954年(昭和29年)、東京大学国史学科卒、1956年(昭和31年)、同大学大学院修士課程修了、同年より三度にわたってオランダに留学。 中央大学講師を務め、1987年(昭和62年)、夫の東京大学文学部教授永積昭の死後、東京大学文学部教授となり、東京大学文学部の初の女性教官となった。1991年(平成3年)、初の単著『近世初期の外交』で第3回和辻哲郎文化賞学術部門を受賞。
原田 勝正(はらだ かつまさ、1930年9月27日 - 20… 原田 勝正(はらだ かつまさ、1930年9月27日 - 2008年4月7日)は、日本の歴史学者。和光大学名誉教授。 東京出身。専門は日本近現代史、鉄道史。特に鉄道関連の研究で知られた。 旧制浦和高等学校を経て1953年に東京大学法学部政治学科(旧制)卒業。国民金融公庫に就職するが3カ月で退職し、服部之総が主宰する日本近代史研究会同人となる(同人にはほかに色川大吉、川村善二郎、小西四郎、遠山茂樹、松島栄一らがいた)。 1961年から日本国有鉄道総裁室修史課嘱託として『日本国有鉄道百年史』編纂業務に従事。本巻14巻、別巻5巻、総頁数11,719頁におよぶ超大冊の国鉄公式年史をまとめあげるうえで中心メンバーの1人として活動した。
今井 宏(いまい ひろし、昭和5年(1930年)9月2日 -… 今井 宏(いまい ひろし、昭和5年(1930年)9月2日 - 平成14年(2002年)10月16日)は、日本の歴史学者。専門はイギリス近代史。東京女子大学名誉教授。 1930年、大阪府で生まれた。。東京大学大学院文学研究科西洋史学専攻に進み、1958年に博士課程を満期退学。 1958年より41年間、東京女子大学で教鞭をとった。1999年に東京女子大学を定年退職し、名誉教授となった。2002年10月16日、リンパ腫のため死去 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
奥野 中彦(おくの なかひこ、1930年8月29日 - 20… 奥野 中彦(おくの なかひこ、1930年8月29日 - 2010年11月18日)は、日本の歴史学者、国士舘大学教授。 東京市赤坂に弁護士の奥野彦六の二男として生まれる。二本松藩士の家だという。1951年に日本史を学ぶため大学に進学し、学生団体の早稲田大学歴史学研究会で日本中世史を学び、網野善彦、松本新八郎らの指導も受けていた。1955年に早稲田大学第一文学部を卒業し、同大学大学院に進学。大学院では前年に東京大学史料編纂所から転任していた西岡虎之助に学び、日本中世史を専攻する。東京都立上野高等学校教諭を勤めたのち、1981年鹿児島県立短期大学教授、1984年に山形県立米沢女子短期大学教授、1991年に国士館大学文学部教授となる。
村井 康彦(むらい やすひこ、1930年8月28日 - )は… 村井 康彦(むらい やすひこ、1930年8月28日 - )は、日本の歴史学者。専攻は日本文化史。国際日本文化研究センター・滋賀県立大学名誉教授、財団法人京都市芸術文化協会顧問、元京都市美術館館長。 1930年、山口県生まれ。1953年に京都大学文学部史学科を卒業。同大学院に学び、1958年博士課程を中退。 1958年に京都女子大学助教授となり、1966年に教授昇格。1964年、学位論文『律令国家解体過程の研究』を京都大学に提出して文学博士の学位を取得。1987年に設立された国際日本文化研究センター教授となり、1995年には定年退官し、名誉教授となった。その後も滋賀県立大学教授、京都市歴史資料館館長を兼ねた。
井本 英一(いもと えいいち、1930年7月20日 - 20… 井本 英一(いもと えいいち、1930年7月20日 - 2014年1月26日)は、日本のイラン学者、神話学・歴史学者。 1930年、兵庫県神戸市で生まれた。京都大学文学部言語学科で学び、卒業。その後、イラン・テヘラン大学に留学。 日本に帰国後、広島大学文学部助教授に就いた。その後、大阪外国語大学助教授に転じ、1970年に教授昇格。1994年に大阪外国語大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は桃山学院大学教授として教鞭を執った。2001年に退任。2014に死去。 専門はオリエント学で、特にイラン文化。
岡田 芳朗(おかだ よしろう、1930年6月12日 - 20… 岡田 芳朗(おかだ よしろう、1930年6月12日 - 2014年10月21日)は、日本の歴史学者、暦学者、女子美術大学名誉教授。日本古代史専攻。暦の会会長。東久留米市文化財保護審議会会長。新宿区文化財保護審議会会長。杉並区文化財保護審議会委員。 東京市日本橋区生まれ。1953年早稲田大学教育学部卒業。1956年同大学院修士課程修了。女子美術大学助教授、教授、1994年定年、名誉教授、文化女子大学教授。2001年退職。日本カレンダー暦文化振興協会最高学術顧問のほか、暦の歴史を研究する民間団体「暦の会」を1973年に設立し、会長を務めた。 2014年10月21日に肺炎のため死去。84歳没。死後、所蔵していた蔵書や資料が遺族から国立天文台に寄贈され、三鷹図書室岡田芳朗文庫となった。
栗木 安延(くりき やすのぶ、1930年5月8日 - 200… 栗木 安延(くりき やすのぶ、1930年5月8日 - 2002年3月1日)は、日本のマルクス経済学者・歴史学者。専修大学名誉教授。博士(経済学)。 大分県中津市出身。雑貨商の家に生まれる。1944年、旧制大分県立中津中学校(現在の大分県立中津南高等学校・大分県立中津北高等学校の前身)在学中に、熊本陸軍幼年学校に入学した。しかし、敗戦に伴い、陸軍幼年学校は解散し、中津中学校に復学した。中学校卒業後、旧制第五高等学校(現在の熊本大学)への入学を希望したが、GHQが軍関係の学校に在籍していた者の旧制高等学校入学者に占める割合を制限したため、やむなく1948年、官立明治工業専門学校(現在の九州工業大学)に進学した。
伊東 俊太郎(いとう しゅんたろう、1930年4月25日 -… 伊東 俊太郎(いとう しゅんたろう、1930年4月25日 - 2023年9月20日)は、日本の歴史学者(科学史・文明史)。Ph.D.(ウィスコンシン大学)。東京大学名誉教授・国際日本文化研究センター名誉教授・麗澤大学名誉教授。位階は正四位、瑞宝中綬章受章者・文化功労者。 ウィスコンシン大学人文科学研究所助手、東京大学教養学部教授、麗澤大学教授、麗澤大学比較文明文化研究センター所長(初代)などを歴任した。 東京生まれ、旧制東京高等学校、東京大学文学部哲学科卒業。同大学院修士課程修了、ウィスコンシン大学PhD.修得。 ウィスコンシン大学人文科学研究所助手、東京大学教養学部助手・講師・助教授を経て、東京大学教養学部教授を務め、1989年より国際日本文化研究センター教授を兼任、1991年東大定年退官、名誉教授、1995年より2007年まで麗澤大学教授、同比較文明文化研究センター初代所長。
黛 弘道(まゆずみ ひろみち、1930年4月24日 - 20… 黛 弘道(まゆずみ ひろみち、1930年4月24日 - 2010年12月17日)は、昭和・平成時代の日本の歴史学者。専攻は日本古代史。学習院大学名誉教授。 東京大学教授の坂本太郎の弟子。律令国家・律令制度の成立史に関する研究で博士号を取得した。
有元 正雄(ありもと まさお、1930年2月13日 - 20… 有元 正雄(ありもと まさお、1930年2月13日 - 2024年1月14日)は、日本の歴史学者。広島大学名誉教授。 岡山県生まれ。1953年、広島文理科大学史学科卒業。1971年、「地租改正と農民闘争」で広島大学文学博士。岡山朝日高等学校教諭、広島修道大学助教授を経て、広島大学教授。1998年、定年退官、名誉教授、広島経済大学教授。2005年、退職。
余 英時(よ えいじ、1930年1月22日 - 2021年8… 余 英時(よ えいじ、1930年1月22日 - 2021年8月1日)は、中国系アメリカ人の歴史学者・思想史家。新儒家の一人。青年時代の筆名は艾群。 河北省天津市生まれだが、本貫は安徽省潜山県。 1949年、燕京大学に入学するが、国共内戦の動乱を避けて香港に赴き、銭穆が香港で設立した新亜書院(中国語版)に転学する。1952年、新亜書院の第1回卒業生となる。 1955年、渡米してハーバード大学で楊聯陞(英語版)の指導を受ける。1962年、博士論文 “Views of Life and Death in Later Han China” によってPh.D.を取得する。 1969年、ハーバード大学の教授となり、香港の新亜書院の校長を一時的に兼任する。
戸田 金一(とだ きんいち、1930年1月1日 - )は、日… 戸田 金一(とだ きんいち、1930年1月1日 - )は、日本の歴史学者・教育学者。秋田大学名誉教授。元聖園学園短期大学保育科教授。専門は近代日本教育史・教育学。 栃木県に生まれる。1953年、東京文理科大学教育学科卒業。秋田大学教授、八戸工業大学教授、聖園学園短期大学教授をへて、秋田大学名誉教授、教育学博士。1981年に秋田市文化賞、1994年に北方教育特別賞を受賞。かつて皇民化教育を批判的に研究していた。2008年秋の叙勲で、瑞宝中綬章を受章。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
山田 欣吾(やまだ きんご、1930年 - )は、日本の歴史… 山田 欣吾(やまだ きんご、1930年 - )は、日本の歴史学者、経済学者。主専攻はドイツ中世史。一橋大学名誉教授。 1930年、長野県長野市生まれ。長野県長野高等学校を経て、1954年一橋大学経済学部卒業、1959年同大学大学院経済学研究科博士課程修了。大学では一橋新聞部に所属。 1960年一橋大学経済学部専任講師、1972年より同教授。1995年に定年退官し、その後共立女子大学国際文化学部教授として教鞭をとった。
神田 文人(かんだ ふひと、1930年 - 2005年)は、… 神田 文人(かんだ ふひと、1930年 - 2005年)は、日本の歴史学者。横浜市立大学名誉教授。 長野県生まれ。東京大学文学部卒業。高校教諭などを経て、横浜市立大学教授。労働運動史、社会運動史、戦後政治史などを研究。2005年夏にガンで急逝。『昭和・平成現代史年表』はロングセラー。
保田 孝一(やすだ こういち、1929年(昭和4年)12月1… 保田 孝一(やすだ こういち、1929年(昭和4年)12月16日 - 2006年(平成18年)2月15日)は日本の歴史学者。岡山大学名誉教授。専門は近代ロシア史。 静岡県浜松市に生まれる。法政大学社会学部を卒業し、東京大学大学院人文科学研究科西洋史学専攻修士課程を修了する。1958年(昭和33年)に岡山大学に赴任し、ロシア革命前のミール(農村共同体)、日露関係史を研究する。1995年(平成7年)に退官し、名誉教授となる。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
松尾 尊兊(まつお たかよし、1929年(昭和4年)11月1… 松尾 尊兊(まつお たかよし、1929年(昭和4年)11月1日 - 2014年(平成26年)12月14日)は、日本の歴史学者。日本近現代史専攻。大正デモクラシー研究をライフワークとした。京都大学名誉教授。 1929年、鳥取県鳥取市で生まれた。旧制鳥取第一中学校(現・鳥取県立鳥取西高等学校)、旧制松江高等学校(現・島根大学)文科甲類を経て、京都帝国大学文学部に進学。この年の学生は、入学・卒業いずれも旧制では最後の京都大学の学生であった。京大では国史学の北山茂夫に師事した。1953年9月に卒業。 1954年4月、京都大学人文科学研究所助手に採用された。1970年5月に同研究所助教授に昇格。1971年1月、京都大学文学部史学科助教授に移り、現代史学講座を担当した。
石井 米雄(いしい よねお、1929年10月10日 - 20… 石井 米雄(いしい よねお、1929年10月10日 - 2010年2月12日)は、日本の歴史学者。京都大学名誉教授、神田外語大学名誉教授。文化功労者。専門は東南アジア史、特にタイ王国研究。 1929年、東京生まれ。1945年3月、山形県飽海郡高瀬村(元遊佐町)に疎開。疎開先の酒田中学校で学びつつ、帝国石油の油田で勤労動員に応じた。戦後の1947年東京に戻り、旧制早稲田第一高等学院(1949年学制改革後、早稲田大学に移行)に入学するも、東京工業大学の言語学者小林英夫の言語学講義にのめり込み、その中でその後に学び続けることになるタイ語やラテン語など言語研究やタイ語学者松山納など研究者と出会うことになった。
中塚 明(なかつか あきら、1929年(昭和4年)9月17日… 中塚 明(なかつか あきら、1929年(昭和4年)9月17日 - 2023年(令和5年)10月29日)は、日本の歴史学者。奈良女子大学名誉教授。専門は日本近代史、特に近代日朝関係史。 大阪府出身。1953年(昭和28年)、京都大学文学部史学科国史学専攻卒業。奈良女子大学文学部附属高校教諭をへて、1963年(昭和38年)から奈良女子大学文学部に勤務、1993年(平成5年)定年退職。 「九条科学者の会」呼びかけ人、奈良県歴史教育者協議会会長、非核の政府を求める奈良の会常任世話人を務めていた。 2023年10月29日、肺癌のため死去。94歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
高橋 崇(たかはし たかし、1929年8月13日 - 201… 高橋 崇(たかはし たかし、1929年8月13日 - 2014年7月29日)は、日本の歴史学者。専門は日本古代史。 静岡県生まれ。1953年、東北大学文学部国史学科卒業。1963年、「律令官人給与制度の研究」で東北大学文学博士。弘前大学講師、東北大学教養部助教授、岩手大学教授を歴任。
井出 義光(いで よしみつ、1929年8月11日 - 201… 井出 義光(いで よしみつ、1929年8月11日 - 2011年4月19日)は、日本の歴史学者。専門はアメリカ史。特にアメリカ南部史専攻。筑波大学名誉教授。静岡市出身。 1929年、静岡市に生まれる。1947年、静岡県立静岡中学校卒業。東京大学教養学部教養学科卒、同大学大学院修士(西洋史)課程、フロリダ大学博士課程修了。Ph.D. 日本女子大学教授、立教大学教授、筑波大学教授を歴任。筑波大学名誉教授。筑波大学を離れた後、共立女子大学においてアメリカ研究を含む地域研究新学部を設立し、国際文化学部長に就いた。その後、女子教育に従い城西大学女子短期大学部副学長、定年後一年間、客員教授。アメリカ学会会長(1990年〜1992年)。
内藤 正中(ないとう せいちゅう、1929年7月13日- 2… 内藤 正中(ないとう せいちゅう、1929年7月13日- 2012年12月16日)は、日本の歴史学者。島根大学名誉教授、鳥取短期大学北東アジア文化総合研究所長。専攻は日本経済史。 岡山県生まれ、京都大学経済学部卒、同大学院修了(旧制)。父親の内藤雋輔が島根県出身だった縁で、1955年島根大学講師となり、1968年同大学教授、附属図書館長や法文学部部長を務めた。1993年退官。退官後は鳥取短期大学北東アジア文化総合研究所所長に就任した。 日本が係争中の領土問題を巡って、自著の中で、外務省の主張の矛盾や、原史料の隠蔽を暴いた。 父は岡山大学名誉教授・内藤雋輔。
中村 義(なかむら ただし、1929年7月2日 - 2008… 中村 義(なかむら ただし、1929年7月2日 - 2008年4月19日)は、日本の歴史学者。東京学芸大学名誉教授。専門は中国近代史。 1929年、東京で生まれた。東京教育大学文学部東洋史学科で学び、1953年に卒業。同大学大学院に進学し、1955年に修士課程を修了。 1969年、東京学芸大学助教授に就き、後に教授昇格。1977年、学位論文『辛亥革命の研究:湖南省を中心にして』を東京教育大学に提出して文学博士号を取得。1994年に東京学芸大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は二松学舎大学教授をつとめた。2008年4月19日、出血性胃潰瘍のため死去。
池庄司 敬信(いけしょうじ けいしん、1929年6月9日 -… 池庄司 敬信(いけしょうじ けいしん、1929年6月9日 - 2007年7月31日)は、日本の政治学者・歴史学者。専門は、ロシア政治思想史・ロシア史。中央大学名誉教授。広島県福山市出身。 広島県立福山誠之館高等学校卒業。1953年中央大学法学部卒業。1958年同大学院法学研究科政治学専攻博士課程単位取得退学。同年、同法学部助手。1961年同法学部専任講師。1962年同法学部助教授。1968年同法学部教授。1970年イギリス・ロシアで在外研究。1978年中央大学学生部長。その後、同通信教育部長。2000年中央大学定年退職。同名誉教授。 学外として武蔵野市宅地開発等紛争調整委員、武蔵野市特別職報酬等審議会委員。
三浦 圭一(みうら けいいち、1929年4月21日 - 19… 三浦 圭一(みうら けいいち、1929年4月21日 - 1988年8月1日)は、日本の歴史学者。専門は日本中世史。 愛媛県生まれ。1953年、愛媛大学文理学部文学科を卒業。1960年、京都大学大学院文学研究科(国史学専攻)を修了。愛泉女子短期大学講師、四天王寺女子大学文学部助教授などを経て、1970年、立命館大学助教授、1971年、同大学教授。 1985年、「中世民衆生活史の研究」により、京都大学から文学博士の学位を授与される。 『和泉市史』、『堺市史』、『新修大阪市史』などの自治体史の編さんや史料集編さんに尽力した。
好並 隆司(よしなみ たかし、1929年4月19日 - 20… 好並 隆司(よしなみ たかし、1929年4月19日 - 2010年9月23日 )は日本の歴史学者、社会運動家。専門は中国古代史。 京都府京都市生まれ。高校時代、平和運動に目覚める。1947年、岡山大学法文学部文学科1期生入学。1948年日本共産党入党。開学期の岡山大学学生運動を指導する。 岡山大学卒業後は広島大学大学院文化研究科を経て岡山大学文学部教官となる。 1961年、春日庄次郎らとともに日本共産党を批判、除名される。社会主義革新運動創設に参加し、その後共産主義労働者党に参加。 1969年、岡山大学闘争に際しては入試拒否27教官に名前を連ねる。 1973年、岡山大学教養部教官坂本守信の解雇処分に反対する教養部バリケード封鎖では学生らとともに教養部構内に立てこもる。
藤村 道生(ふじむら みちお、1929年3月3日 - 199… 藤村 道生(ふじむら みちお、1929年3月3日 - 1999年4月7日)は、日本の歴史学者、元上智大学文学部教授。専門は日本政治外交史。 愛知県名古屋市に生まれる。京都臨時教員養成所物象科を経て東海大学予科文科を卒業。1952年名古屋大学文学部史学科卒業、同大学院文学研究科に入学、信夫清三郎に師事。並行して愛知県立瀬戸高等学校教諭を務める。 早稲田大学教育学部非常勤講師を経て、1962年より名古屋大学文学部助手。九州工業大学助教授(1968-74年)、同教授(1974-77年)を経て、1977年より上智大学文学部教授を務める。1994年に定年退職。
西垣 晴次(にしがき せいじ、1929年2月24日 - 20… 西垣 晴次(にしがき せいじ、1929年2月24日 - 2013年1月6日)は、日本の歴史学者。位階は従四位。 文学博士(東京教育大学・1977年)。群馬大学名誉教授。日本学術会議会員。 東京生まれ。1952年東京文理科大学史学科卒業。 1973年群馬大学講師、以後、助教授、教授となり、1993年定年により退官となり、名誉教授。同年から1999年まで目白大学教授。 1988年日本学術会議会員。1977年に「中世社会の展開と神社の研究」で東京教育大学より文学博士の学位を取得。従四位。 専攻は日本宗教史。地方史運動にも活躍したほか、1980年には日本学術会議会員として、「文書館法の制定について(勧告)」の成立に寄与した。
亀田 隆之(かめだ たかし、1929年2月11日 - 200… 亀田 隆之(かめだ たかし、1929年2月11日 - 2000年4月12日)は、日本の歴史学者、関西学院大学名誉教授。日本古代史専攻。 栃木県生まれ。1952年東京大学文学部国史学科卒業。1975年「日本古代用水史の研究」で東大文学博士。関西学院大学文学部助教授、教授、1997年定年退任、名誉教授、関西福祉科学大学教授。 2000年4月12日、骨髄異形成症候群のため死去。
德川 宗英(正字: 德川 宗英、とくがわ むねふさ、1929… 德川 宗英(正字: 德川 宗英、とくがわ むねふさ、1929年(昭和4年)1月30日 - )は、日本の歴史学者。田安徳川家第11代当主。慶應義塾大学工学部卒業。イギリス・ロンドン出身。 父は徳川達成、母は徳川元子。料亭「御花」女将の立花文子(旧柳川藩主家立花氏)は従姉。徳川家康や徳川吉宗の男系子孫に当たる。 1929年1月30日、徳川達成の子として、達成の留学先であったイギリス・ロンドンで生まれる。 学習院中等科(現・学習院高等科)を経て、海軍兵学校に入学(77期)。海兵在学中に終戦を迎え、後に慶應義塾大学工学部を卒業。その後、石川島重工業に入社した。 1995年に石川島播磨重工業を退職した後、静岡日伊協会名誉顧問、全国東照宮連合会顧問、社団法人霞会館評議員、社団法人尚友倶楽部評議員などを務める傍ら、作家として多数の著書を執筆するなどの活動を続けている。
志田 諄一(しだ じゅんいち、1929年1月29日 - 2… 志田 諄一(しだ じゅんいち、1929年1月29日 - 2011年12月21日)は、日本の歴史学者。 山形県生まれ。明治大学大学院文学研究科博士課程修了、1998年「常陸国風土記と説話の研究」で史学博士。茨城キリスト教大学教授、学長、99年定年退職、名誉教授。茨城県教育委員長、元日立市郷土博物館館長、日本古代史・古代中世氏族研究の研究者。 茨城県文化財保護審議会委員、県教育委員長を歴任。 2005年、瑞宝中綬章を受章した。武田氏の発祥について、現在では、1968年に志田諄一が『勝田市史』において発祥を清光(新羅三郎義光)の三男(次男とも)である源義清が常陸国那珂郡武田郷を本貫として武田姓を名乗ったとする説が提唱され、以来定説として支持されている。