権藤 博(ごんどう ひろし、1938年12月2日 - )は、… 権藤 博(ごんどう ひろし、1938年12月2日 - )は、佐賀県鳥栖市出身の元プロ野球選手(投手・内野手、右投右打)・コーチ・監督・野球解説者・野球評論家。 現役時代は中日ドラゴンズでプレーし、全盛期は短いながら1961年から1962年にかけて2年連続で30勝以上を記録してセントラル・リーグの最多勝利投手となるなど、エース投手として活躍、新人年の1961年にはセ・リーグの投手三冠(最多勝・最優秀防御率・最多奪三振)を達成、沢村賞と同リーグの新人王を同時受賞した。投手としての通算成績は5年間で210登板、1136投球回、82勝60敗、667奪三振、防御率2.69。引退後は中日や近鉄バファローズ、福岡ダイエーホークス、横浜ベイスターズでコーチを、また1998年から2000年には横浜の監督を務め、横浜監督就任1年目の1998年にはチームを38年ぶりのセ・リーグ優勝と日本シリーズ優勝に導いた。
前田 哲男(まえだ てつお、1938年9月28日 - )は、… 前田 哲男(まえだ てつお、1938年9月28日 - )は、日本のジャーナリスト・軍事評論家。元東京国際大学国際関係学部教授、元沖縄大学客員教授。専門は軍事・安全保障論。 福岡県福岡市生まれ。県立福岡高校卒業後、長崎放送に入社、放送記者となる。1971年に退社後、ジャーナリストとしての活動を始める。 日本社会党(現社会民主党)の安全保障問題に関するブレーンであり、日本とアメリカの軍事戦略に、その立場から平和主義を唱えて反対している。 2015年12月9日には憲政記念会館において、辻元清美議員の「政治活動20年へ、感謝と飛躍の集い in 東京」という政治資金規正法に基づく資金集めのパーティに参加している。
富士川 義之(ふじかわ よしゆき、1938年9月13日 - … 富士川 義之(ふじかわ よしゆき、1938年9月13日 - )は、日本の英文学者・文芸批評家、翻訳家。東京大学名誉教授。 1938年、富士川英郎の長男として赴任先の岡山市で生まれた。東京教育大学文学部英文科を経て、東京大学大学院人文科学研究科に進んだ。1970年に博士課程を満期退学。 その後は國學院大學助教授、旧・東京都立大学助教授・教授を経て、1990年より東京大学文学部英文科教授。後に人文社会系研究科教授。1998年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。退任後は駒澤大学文学部教授となり、2009年に退職。学界では、1996年から1998年まで日本英文学会会長を務めた。 ポー、ナボコフ、ペイターなど、イギリス文学の耽美主義、幻想文学を専攻し、著訳書も多く出版、近代日本の作家論も執筆している。
湯川 豊(ゆかわ ゆたか、1938年8月16日 ‐ )は、日… 湯川 豊(ゆかわ ゆたか、1938年8月16日 ‐ )は、日本の編集者、評論家、エッセイスト、元京都造形芸術大学教授。
井尻 千男(いじり かずお、1938年8月2日 - 2015… 井尻 千男(いじり かずお、1938年8月2日 - 2015年6月3日)は、日本の評論家、コラムニスト。拓殖大学名誉教授、拓殖大学日本文化研究所顧問(前所長)。新しい歴史教科書をつくる会顧問。 山梨県出身。立教大学文学部日本文学科卒業後、日本経済新聞社入社。文化部に勤務し、読書面のコラム『とじ糸』 『活字のうちそと』などのコラムを25年間執筆し、コラムニストとして活動。 1982年7月、月刊誌『Voice』誌上において、佐々木敦というペンネームでコラム「ベストセラー最前線」の執筆を開始。連載は1991年3月に『流行の言説・不易の思想―ベストセラー書評社会学』、1996年4月に『読書の醍醐味―ベストセラーで読み解く世紀末』としてまとめられている。
永竹 由幸(ながたけ よしゆき、1938年7月26日 - 2… 永竹 由幸(ながたけ よしゆき、1938年7月26日 - 2012年5月9日)は、オペラ研究家、評論家、昭和音楽大学教授。 東京都中央区築地生まれ。慶應義塾中等部の頃から歌舞伎を観るほか、藤原歌劇団の練習所に通い詰める。慶應義塾高等学校演劇部に在籍し、市川猿之助作「宝島」の作曲を担当、猿之助と共に白木劇場の舞台に立つ。慶應義塾大学ではオペラ研究会を創立、慶應義塾創立100年記念に若杉弘指揮、メノッティの「電話」を演出。1961年慶應義塾大学商学部を卒業、三井物産に入社、1965年同社イタリア修業生としてボローニャ大学に留学。その後二回にわたり計11年、同社ミラノ店に勤務し、1988年退社。ANFコーポレーション、サウンド・バンク社長を歴任し、1996年退任。
勝又 浩(かつまた ひろし、1938年7月24日 - )は、… 勝又 浩(かつまた ひろし、1938年7月24日 - )は、日本の文学者、文芸評論家。法政大学文学部名誉教授。 神奈川県生まれ。法政大学文学部卒業。学部生時代に「山月記」を読んだことがきっかけで中島敦の研究に取り組み始める。卒論指導教官の小田切秀雄の薦めで大学院に進学し、研究者となる。「我を求めて―中島敦による私小説論の試み」で、1974年に群像新人文学賞評論部門を受賞する。2004年、『中島敦の遍歴』でやまなし文学賞を受賞する。法政大学文学部日本文学科教授を務め、『私小説研究』を刊行、2009年3月に退職し、名誉教授となる。 2016年、『私小説千年史 日記文学から近代文学まで』(勉誠出版)により第28回和辻哲郎文化賞(一般部門)を受賞する。
山本 一義(やまもと かずよし、1938年7月22日 - 2… 山本 一義(やまもと かずよし、1938年7月22日 - 2016年9月17日)は、広島県広島市出身のプロ野球選手(外野手)・監督、野球評論家。
柘植 光彦(つげ てるひこ、1938年7月17日 - 201… 柘植 光彦(つげ てるひこ、1938年7月17日 - 2011年11月15日)は、日本の文芸評論家。専修大学名誉教授。 東京府出身。東京大学仏文科在学中の1960年、小説『大きな赤い太陽』を『文學界』に発表。1961年第16次『新思潮』創刊。1964年第17次『新思潮』創刊(第17次『新思潮』同人郷正文小説集『愛の家族』(審美社刊)の<あとがき>に「郷正文作品の現代的意味 ― 解説に代えて」を書く)。 東京大学大学院人文科学研究科国語国文学専攻修士課程修了。専修大学助教授、1981年教授、2009年定年退職、名誉教授。 大学院博士課程在学中に東大闘争に遭遇し、ノンセクトの思想に共鳴した。以後、学問論や研究者論を展開するとともに、現代日本文学研究者として活動。
戸張東夫(とばり はるお、1938年7月9日 -2022年1… 戸張東夫(とばり はるお、1938年7月9日 -2022年1月9日、享年83 )は、日本の中国映画・社会・政治・外交評論家。 東京生まれ。東京外国語大学中国語科卒業。読売新聞入社、香港特派員。帰国後、東京本社編集局勤務。産業能率大学経営情報学部教授を務めた。 中国語圏の映画に関する活動は最初は愛好家としてスタートしたが、やがて評論をするようになり、最終的に山田辰雄らの理解もあり学術・研究までもっていった。
中平 卓馬(なかひら たくま、1938年7月6日 - 201… 中平 卓馬(なかひら たくま、1938年7月6日 - 2015年9月1日)は、日本の写真家、写真評論家。 東京の原宿に生まれる。父は、書道家の中平南谿(本名:恵)。 東京都立小山台高等学校を経て、東京外国語大学スペイン語学科卒業。 『現代の眼』編集者時代には、柚木明の名前で作品を発表。1970年発表の写真集『来たるべき言葉のために』までは森山大道とともに「アレ、ブレ、ボケ(荒い画面、手ブレや被写体ブレ、ピント外れの意)」の作風で知られたが、1973年発表の『なぜ、植物図鑑か』では一転して「アレ、ブレ、ボケ」の作風を否定し、撮り手の情緒を排したカタログ写真や図鑑の写真のような写真を目指した。 作家の辺見庸は、2002年に出版した「永遠の不服従のために」で、「私の長く敬愛する写真家」と述べ、中平の『来たるべき言葉のために』について「その比類ない映像はほぼ三十年近くも私の胸の中に着床したままだ」と書き、自作品への影響を認めた。
門馬 忠雄(もんま ただお、1938年6月27日 - )は日… 門馬 忠雄(もんま ただお、1938年6月27日 - )は日本のジャーナリスト、プロレス評論家。ニックネームは「ぼやき評論の第一人者」。 福島県相馬市出身。日本大学藝術学部卒業後の1962年、東京スポーツ新聞社に入社(「新日本プロレス12人の怪人」著者紹介より)。以降、プロレス記者として現場に関わり続け、記者時代には取材よりも取材先での飲み歩きに没頭していたことから「ドサ回りのモン」と呼ばれ、多い時には年間約200日も出張取材を行っていた。国際プロレスを主に担当し、国際プロレス所属レスラーやスタッフから「モンちゃん」のあだ名で親しまれた。1970年代には国際プロレス中継「国際プロレスアワー」の、また1980年代には「世界のプロレス」(ともにテレビ東京にて放映)の解説者も務めた。
増田 俊男(ますだ としお、1938年4月18日 - )は、… 増田 俊男(ますだ としお、1938年4月18日 - )は、日本の著作家、時事評論家、投資家。 投資顧問会社「サンラ・ワールド」最高顧問。月刊「力の意志」編集主幹。グローバル・レインボーシップ相談役 東京都生まれ。1962年に慶應義塾大学商学部を卒業し東急エージェンシーに入社するも、1964年に退社。 1974年に「アメリカンドリームを求め」て渡米、ロサンゼルスを本拠に天下一家の会の活動に従事し有罪判決を受ける。保護観察の後、畳や布団を全米各地で売り歩く等の事業を展開。1986年にハワイに渡り、先住ハワイアンの土地奪還請求運動を支援(後述)、1994年パラオが米国から独立後、同国国会アドバイザーに任命されたと自称。
津野 海太郎(つの かいたろう、1938年4月6日 - )は… 津野 海太郎(つの かいたろう、1938年4月6日 - )は、日本の演出家・編集者・評論家。元晶文社取締役、和光大学名誉教授。NPO法人共同保存図書館・多摩、顧問。 福岡県生まれで、川崎に育つ。本姓・鈴木。東京都新宿区立落合中学校から東京都立戸山高等学校を経て早稲田大学第一文学部国文科卒。 大学時代は「演劇研究会」に所属していた。在学中の1961年に、中学時代からの仲間の草間暉雄の劇団「独立劇場」に参加する。だが、草間は設立後に持病を悪化させて25歳で亡くなる。 大学卒業後の1962年に、アルバイト生活を経て、『新日本文学』編集部員に補欠で採用される編集者となる。その直前、新日本文学会を支配していた共産党との関係が崩れメディアも大きく報じた時代だった。
近藤 昭仁(こんどう あきひと、1938年4月1日 - 20… 近藤 昭仁(こんどう あきひと、1938年4月1日 - 2019年3月27日)は、香川県高松市出身のプロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 妻は元女優の北沢典子。一男二女の子がおり、次女は女優の近藤典子。プロレスラーの中西学は次女の元夫で、長女が結婚した際にはタモリ夫妻が媒酌人を務めた。 近藤の登録上の誕生日は1938年4月1日であるが、実際は4月10日が誕生日である。9日の違いがあるのは父親が「1年得するから」という理由で誕生日を繰り上げて役所に届け出たためである。 近所の遊び友達に4学年上の中西太がおり、1953年に中西と同じ高松一高へ進学。3年次の1955年には春季四国大会に進むが、準決勝となった1回戦で鳴門高に敗れる。
田之倉 稔(たのくら みのる、1938年3月24日 - )は… 田之倉 稔(たのくら みのる、1938年3月24日 - )は、日本の演劇評論家、イタリア演劇研究家。共立女子大学非常勤講師。見世物学会会長。 1961年、東京外国語大学イタリア語科卒業、1970年、集英社嘱託、1971年、同社パリ支局長として赴任、1981年、『イタリアのアヴァンギャルド』でマルコ・ポーロ賞、1986年、『ピエロの誕生』で蘆原英了賞受賞。静岡県立大学教授を務めた。著書多数。劇評も行う。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。 この項目は、舞台芸術に関連した書きかけの項目です。
米田 哲也(よねだ てつや、1938年3月3日 - )は、鳥… 米田 哲也(よねだ てつや、1938年3月3日 - )は、鳥取県西伯郡大篠津村(現・米子市)出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者・評論家。血液型はAB型。 プロ野球歴代2位(達成当時は歴代1位)の949試合に登板し、歴代2位の通算350勝を記録した。通算先発626登板、通算1940失点、通算1659自責点、通算120与敬遠、通算4561被安打の日本記録保持者。 その驚異的スタミナから「ガソリンタンク」「人間機関車」「タフマン」などと呼ばれる。 祖父・長次郎は海産物仲買業を営み、『伯耆国実業人名録』(明治37年 (1904年))に載せられていた大篠津の代表的な商人であった。父・雅明は薪炭雑貨商。
草森 紳一(くさもり しんいち、1938年2月23日 - 2… 草森 紳一(くさもり しんいち、1938年2月23日 - 2008年3月19日)は、日本のマンガ、広告、写真評論家。 北海道河東郡音更村(現・音更町)生まれ。長男の渡部幻は映画批評家で編集者。長女の東海笑子は翻訳家。 北海道帯広柏葉高等学校を経て、1浪後慶應義塾大学文学部に入学して中国文学科に進む。大学時代は奥野信太郎や村松暎に師事。また慶應義塾大学推理小説同好会に参加、このときの先輩に紀田順一郎や田波靖男がいる。 映画監督を志望し、1960年に東映の入社試験を受けたが面接で失敗。 1961年、大学卒業後は婦人画報社(現ハースト婦人画報社)に入社し、『男の服飾』を『MEN'S CLUB』に改名する発案をする。
谷川 晃一(たにがわ こういち、1938年2月16日 - )… 谷川 晃一(たにがわ こういち、1938年2月16日 - )は、画家・エッセイスト・美術評論家・絵本作家。妻も画家・エッセイストの宮迫千鶴。1988年より伊豆高原在住で、伊豆高原アートフェスティバル運営委員長。
寺島 靖国(てらしま やすくに、1938年2月11日 - )… 寺島 靖国(てらしま やすくに、1938年2月11日 - )は、日本のジャズ評論家。吉祥寺のジャズ喫茶「Meg(メグ)」のオーナー兼マスターとして知られる人物であるが、ジャズとオーディオに関する著書も多数ある。 東京都中野区出身。東京都立杉並高等学校を経て早稲田大学文学部独文科卒。1970年にジャズ喫茶「Meg」を開店。その後ジャズに関する著述業を初め、処女作「辛口! JAZZノート」を発表して以来、印税収入を元にオーディオ探求にも取り組み、ジャズ雑誌やオーディオ雑誌などに評論やエッセイを発表している。 2007年に自身のプロデュースによるレーベル「寺島レコード」を発足。第1弾『アローン・トゥゲザー / 松尾明トリオ』は「曲は哀愁、演奏はガッツ」「三分間芸術」「ニュー・レトロ・フィデリティ・サウンド」をテーマに録音やジャケットにもこだわっている。
麻生 千晶(あそう ちあき、1938年〈昭和13年〉2月8日… 麻生 千晶(あそう ちあき、1938年〈昭和13年〉2月8日 - )は、日本の作家、評論家、コメンテーター。女性。週刊誌などのテレビ番組や芸能人に対する批評で知られる。ジェイ・キャストの「てれび見朱蘭」では黄蘭名義。 岡山県出身。1961年(昭和36年)、東京大学文学部仏文科卒業。 1969年(昭和44年)、『小説現代』にて『ビフテキとブラームス』を発表し作家デビュー。以降はコメンテーターとして辛口のテレビ批評などを新聞・雑誌で長期連載している。日本民間放送連盟賞、広告電通賞、放送批評懇談会ギャラクシー賞、文化庁芸術選奨放送部門推薦委員、文化庁芸術祭放送部門テレビドラマ選考委員ほか、選考委員多数を務める。
加藤 諦三(かとう たいぞう、1938年〈昭和13年〉1月2… 加藤 諦三(かとう たいぞう、1938年〈昭和13年〉1月26日 - )は、日本の社会学者、心理学者、評論家。早稲田大学名誉教授、早稲田大学エクステンションセンター講師、日本精神衛生学会顧問、ハーバード大学ライシャワー研究所アソシエイト。1972年からニッポン放送のラジオ番組『テレフォン人生相談』のパーソナリティを務める。 1938年、東京都で生まれる。祖父は政治家の加藤政之助、父親は大学教員である。東京都立西高等学校を卒業した後、東京大学教養学部教養学科(1963年3月、人文地理、文化人類分科卒業)、同(1965年3月、国際関係論分科卒業)を経て、同大学院社会学研究科博士課程を修了した。1972年4月より早稲田大学理工学部で社会学の助教授に、1977年4月からは教授を務め、2008年に名誉教授となる。
米倉 守(よねくら まもる、1938年1月23日 - 200… 米倉 守(よねくら まもる、1938年1月23日 - 2008年2月25日)は、日本の美術評論家。 三重県安芸郡河芸町(現:津市)生まれ。関西学院大学を経て、関西大学文学部国文科卒業後、朝日新聞社入社。大阪本社および東京本社学芸部の美術担当記者、編集委員を経て、1994年に多摩美術大学教授に就任。造形表現学部長、松本市美術館長を歴任。 美術評論家・東野芳明の評伝を執筆中に下咽頭癌で死去し、未完に終わった。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
川戸 貞吉(かわど さだきち、1938年1月20日 - 20… 川戸 貞吉(かわど さだきち、1938年1月20日 - 2019年3月11日)は、日本の演芸評論家。代表的な名跡は都家西北。 アナウンサー・ジャーナリストの川戸恵子は妻である。 神奈川県横浜市出身。早稲田大学卒業。大学で落語研究会に入会し、のちに7代目立川談志となる柳家小ゑん、三遊亭全生、林家照蔵、のちに3代目古今亭志ん朝となる古今亭朝太、など同世代の若手と知り合って落語に没頭し、8代目桂文楽に目をかけられたのをきっかけに落語の録音、文献のコレクターとしても知られるようになる。3代目志ん朝の初高座を生で見た人物の一人でもある。 1961年4月にTBSへアナウンサー7期生として入社し、1993年3月に退社。
早房 長治(はやぶさ ながはる、1938年1月19日 - )… 早房 長治(はやぶさ ながはる、1938年1月19日 - )は、日本のジャーナリスト、政治経済評論家。 北海道生まれ。東京都立新宿高等学校を経て1961年東京大学教養学部卒業、朝日新聞社入社。1982年経済部次長を経て、論説委員、1985年編集委員、1998年朝日新聞社退職。地球市民ジャーナリスト工房を設立、代表。 株式会社チャンネルジェイの設立に参画。日本ネットジャーナリスト協会理事。
大矢 鞆音(おおや ともね、1938年1月15日 - )は、… 大矢 鞆音(おおや ともね、1938年1月15日 - )は、日本の作家、美術評論家、研究者。 1938年(昭和13年)、日本画家大矢黄鶴の次男として東京に生まれる。7人兄弟の次男で、2歳年長の兄大矢紀、2歳下の弟大矢十四彦も後に日本画家となる。1962年(昭和37年)、早稲田大学第一文学部美術史学専修卒業。在学中から『萌春』など美術雑誌の展覧会評を執筆し、河北倫明らの知遇を得る。日本放送出版協会(NHK出版)に入社。同社で『趣味の園芸』編集長などを経て、美術書の企画・編集にも携わり、取締役美術部長。1977年(昭和52年)の『杉山寧:エジプト幻想行』・『平山郁夫:わが心のシルクロード』を皮切りに河北倫明を監修に刊行を始めた「現代日本画家素描集」シリーズ全20巻は当時、こうした美術書としては空前のヒットとなった。
黒田 恭一(くろだ きょういち、1938年1月1日 - 20… 黒田 恭一(くろだ きょういち、1938年1月1日 - 2009年5月29日)は、日本の音楽評論家。 1938年、東京市神田区(現在の東京都千代田区)生まれ。東京都立西高等学校、早稲田大学教育学部卒業。 在学中からクラシック音楽評を雑誌などに書き、以後、音楽評論一筋を歩んだ。新聞、雑誌への執筆が多くあり、特にコンサートやオペラ、レコードなどの評論で活躍した。 かつては隔月刊誌「暮しの手帖」の花森安治に依頼され、同誌の『レコード・ショップ』というコーナーを担当していた時期もあった。 1984年にステレオサウンド社から創刊された『音楽通信』では編集長を務めたが、半年で休刊に追い込まれた。 1999年には東京の東急Bunkamuraオーチャードホールのプロデューサーに就任。
藤原 肇(ふじわら はじめ、1938年 - )は、石油開発コ… 藤原 肇(ふじわら はじめ、1938年 - )は、石油開発コンサルタント、評論家。 東京市神田区生まれ。埼玉大学卒、フランス・グルノーブル大学構造地質学専攻理学部博士課程修了、理学博士。アフリカ、中東、ヨーロッパ、北米などで多国籍石油会社の開発担当ジェオロジストとして活躍。米国カンザス州とテキサス州で石油開発会社を経営、ペパーダイン大学総長顧問となり、のち名誉総長顧問。
塩川 寿平(しおかわ じゅへい、1938年- )は、日本の幼… 塩川 寿平(しおかわ じゅへい、1938年- )は、日本の幼児教育学者・評論家。大地教育研究所所長。 満洲国奉天市生まれ。母は「大地保育」を掲げ、野中保育園を創設した塩川豊子(1915-99)、兄は放送作家の塩川寿一(1933- )。1946年、一家で静岡県富士宮市に引き揚げ、1953年、両親が野中保育園を開園したため塩川も保育を手伝う。日本社会事業大学卒業、明治学院大学大学院(社会学修士)修了。1974年5月、倉橋惣三賞を受賞。静岡県立厚生保育専門学校(静岡県立大学短期大学部)、淑徳大学社会福祉学部助教授、共栄学園短期大学教授、静岡県立大学短期大学部教授、東横学園女子短期大学保育学科特任教授などを務めた。
兵本 達吉(ひょうもと たつきち、1938年(昭和13年) … 兵本 達吉(ひょうもと たつきち、1938年(昭和13年) - )は、日本の政治評論家。元国会議員秘書。なお兵本自身は「共産主義研究家」を自称している。 奈良市生まれ。横田めぐみ失踪事件について、彼女の父横田滋に石高健次リポート(1996年11月発売『現代コリア』収載)に記された「元北朝鮮工作員」の目撃証言を伝えた人物で、これにより日本人拉致問題が一挙に国民的関心事となって拉致被害者に対する救援活動が活発化した。1988年(昭和63年)、日本人拉致問題で初めて北朝鮮の関与を認めた答弁(「梶山答弁」)を引き出した国会質問の作成に関与したが、1998年(平成10年)日本共産党から「“公安警察のスパイ”として一方的に除名された」。
谷口 源太郎(たにぐち げんたろう、1938年 - 2024… 谷口 源太郎(たにぐち げんたろう、1938年 - 2024年6月22日)は、日本のスポーツ評論家。 鳥取県鳥取市出身。早稲田大学中退後、講談社、文藝春秋の雑誌記者を経て、フリーとして活動する。 1998年2月に開催された長野オリンピックでは、競技コース開発による自然破壊(1998年長野オリンピックの滑降競技場設営問題を参照)を理由に招致に反対した。また、東京都や福岡市が2016年の開催地に立候補したオリンピック招致運動(2020年東京オリンピック)にも一貫して反対している。 2008年8月の北京オリンピックで日本代表を応援する日本人を「偏狭ナショナリズム」とし、原爆詩人の作品を引用して「星野ジャパン」や「日の丸」の露出度を過去の侵略戦争に無反省なあり方・態度として問題視した。
高橋文利(たかはし ふみとし、1937年11月3日 - 20… 高橋文利(たかはし ふみとし、1937年11月3日 - 2004年11月3日)は、日本のジャーナリスト、経済評論家、政治家。 長野県諏訪郡下諏訪町生まれ。長野県諏訪清陵高等学校を経て、東京大学文学部卒、朝日新聞社に入り、論説副主幹。1995年立命館大学政策科学部教授となる。2002年脱ダムを唱えて長野県下諏訪町長に当選するが、在任中の2004年に急性心筋梗塞のため死去した。
門野 晴子(かどの はるこ、1937年10月12日 - )は… 門野 晴子(かどの はるこ、1937年10月12日 - )は、日本の教育評論家、ノンフィクション作家。 旧姓:太田。東京・浅草出身。東京都立竹台高等学校卒業。商社勤め、専業主婦を経て、様々な市民運動に参加。奈良県に転居後は話し方教室の講師を務め、フェミニストセラピィ「いかるが」を開設。 1982年に『わが家の思春記』を執筆。 軽薄で刺激的な物言いが特徴的。 1989年には「ちきゅうクラブ」から参議院比例区に立候補するも、落選となった。
尾高 修也(おだか しゅうや、1937年10月7日 - )は… 尾高 修也(おだか しゅうや、1937年10月7日 - )は、日本の作家・文芸評論家。本名尾上潤一。 東京府生まれ。都立日比谷高校を経て、1961年早稲田大学政経学部卒。1972年、「危うい歳月」で文藝賞受賞。谷崎潤一郎論をライフワークとする。日比谷高校時代の同級生に、塩野七生、庄司薫、古井由吉などがいた。日本大学芸術学部助教授、教授を務め、2008年定年退任。
前田 一郎(まえだ いちろう、1937年9月26日 - )は… 前田 一郎(まえだ いちろう、1937年9月26日 - )は、政治評論家・元NHK解説委員。 和歌山県和歌山市出身。和歌山県立向陽高等学校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。 1960年NHK入局。政治部次長、解説委員を経て、1996年退職に伴い部外解説委員に就任。その後部外解説委員を外れ、政治評論家となる。
反畑 誠一(たんばた せいいち、1937年9月24日 - )… 反畑 誠一(たんばた せいいち、1937年9月24日 - )は、日本の音楽評論家。上智大学文学部新聞学科卒業。「週刊女性」副編集長を経て、1983年より音楽評論活動に専従。歌謡曲を中心にジャンルを超えて幅広い視野で、新聞や雑誌、ラジオを通じて評論活動を展開。また40年余間、日本人アーティストのアジア公演に同行取材を続ける傍ら、(財)音楽産業・文化振興財団(PROMIC)の調査団員として、アジア各国の音楽産業事情の研究・分析も継続中。2014年、それら音楽文化活動の集大成とも言える、JASRAC創立75周年記念として出版された「うたのチカラ」(2014年11月刊:集英社)では、昭和から平成に至るまでの日本の「うた」を生み出してきた人・時代・現場を400ページに渡ってまとめあげ、その編纂、監修を務めている。
成井 惠子(なるい しげこ、1937年9月20日 - )は、… 成井 惠子(なるい しげこ、1937年9月20日 - )は、日本の俳人、図書館学者、文芸評論家。 茨城県生まれ。文部省図書館職員養成所卒。日本原子力研究所技術情報部勤務。1988年茨城女子短期大学助教授、2007年准教授。2008年定年退職。1987年現代俳句評論賞受賞。長塚節文学賞選考委員。
坂本 泰造(さかもと たいぞう、1937年7月17日 - )… 坂本 泰造(さかもと たいぞう、1937年7月17日 - )は、日本の教育者、評論家。 埼玉県秩父市山田生まれ。埼玉大学教育学部卒業。国語専攻。埼玉県春日部市立備後小学校教諭など小学校教師を務め、教育関係の著書を書いた。全国生活指導研究協議会(全生研)会員。
栗谷川 虹(くりやがわ こう、1937年(昭和12年)7月1… 栗谷川 虹(くりやがわ こう、1937年(昭和12年)7月17日 - 2021年(令和3年)10月28日[要出典])は、日本の文芸評論家。本名は宇江 誠(うえ まこと)。 主として評伝、史伝を執筆。
野口 武彦(のぐち たけひこ、1937年6月28日 - 20… 野口 武彦(のぐち たけひこ、1937年6月28日 - 2024年6月9日)は、日本の文芸評論家、国文学者、思想史家、作家。神戸大学名誉教授。 東京府出身。1956年、東京都立戸山高等学校卒業。1962年、早稲田大学第一文学部卒業。その後、東京大学文学部卒業、東京大学大学院博士課程中退。 神戸大学大学院人文学研究科・文学部助教授、教授を経て、2002年に定年退官、名誉教授。ハーバード大学客員研究員、プリンストン大学客員教授を務める。 1973年に『谷崎潤一郎論』で亀井勝一郎賞、1980年に『江戸の歴史家』でサントリー学芸賞、1986年に『「源氏物語」を江戸から読む』で芸術選奨文部大臣賞、1992年に『江戸の兵学思想』で和辻哲郎文化賞、2003年に『幕末気分』で読売文学賞を受賞。
冨士田 元彦(ふじた もとひこ、1937年6月26日 - 2… 冨士田 元彦(ふじた もとひこ、1937年6月26日 - 2009年12月18日)は、日本の評論家、編集者、実業家。京城府(現・ソウル特別市)生まれ、山形県出身。 山形県立山形東高等学校を経て、早稲田大学文学部史学科卒業。角川書店の「短歌」編集長として60年代の前衛短歌運動の一端を担う。1972年、個人誌「雁-映像+定型詩」を創刊。14号まで編集・発行を続ける。小紋潤と設立した書肆「雁書館」代表。短歌及び日本映画の評論を精力的に行った。著書に「冨士田元彦短歌論集」など。2009年、敗血症のため逝去。
長谷川 堯(はせがわ たかし、1937年〈昭和12年〉6月1… 長谷川 堯(はせがわ たかし、1937年〈昭和12年〉6月16日 - 2019年〈平成31年〉4月17日)は、日本の建築史家、建築評論家。武蔵野美術大学名誉教授。建築学会賞受賞。島根県旧八束郡玉湯村(現松江市)出身。長男は俳優の長谷川博己。 島根県八束郡玉湯村(現松江市)に生まれる。生家は玉造温泉の老舗旅館『保性館』を営んでいた(現在は経営権をホテルマネージメントインターナショナルに譲渡)。島根県立松江高等学校(現・島根県立松江北高等学校)卒業後上京、早稲田大学第一文学部で美術史を専攻、卒業論文でミース・ファン・デル・ローエとル・コルビュジエらを論じ、1960年同大学卒業後、卒業論文が雑誌『国際建築』(第27巻8号・1960年8月号)に掲載され、評論活動をスタートする。
大室 幹雄(おおむろ みきお、1937年6月12日 - 20… 大室 幹雄(おおむろ みきお、1937年6月12日 - 2021年9月13日)は、日本の歴史人類学者、日本の文芸評論家、文明評論家、中国文化評論家。 東京都出身。早稲田大学を卒業し、東京大学大学院修了。 その後高等学校教諭、山梨大学教授を経て千葉大学教授。退官後は千葉大学名誉教授。 2004年(平成16年)に刊行『ふくろうと蝸牛 柳田国男の響きあう風景』により、同年度芸術選奨を受賞。 ウェブ上において確認される、大室に対するまとまった評価を行っている評者を記す。
稲尾 和久(いなお かずひさ、1937年6月10日 - 20… 稲尾 和久(いなお かずひさ、1937年6月10日 - 2007年11月13日)は、大分県別府市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者・評論家。血液型はB型。 昭和30年代のパ・リーグを代表する本格派投手。大下弘・中西太・豊田泰光らと共に、西鉄ライオンズの3年連続日本一(1956年 - 1958年)を成し遂げるなど、「野武士軍団」と呼ばれた西鉄黄金時代の中心選手として活躍した。連投・多投の中で好成績を挙げたことから「鉄腕」の異名で呼ばれ、特に1958年の日本シリーズではチームが3連敗したあとで4連投4連勝して日本一を達成し、「神様、仏様、稲尾様」と賞賛された。 1961年に記録したシーズン42勝は、ヴィクトル・スタルヒンと並ぶNPBタイ記録。
中丸 薫(なかまる かおる、1937年〈昭和12年〉5月23… 中丸 薫(なかまる かおる、1937年〈昭和12年〉5月23日 - )は、国際政治評論家。米国財団法人『国際問題研究所』有限会社『国際問題研究会』及び『太陽の会』を主宰。日本ペンクラブ会員。配偶者は俳優の中丸忠雄(2009年、死別)。 中国生まれ。父親は明治天皇の落胤とも称される堀川辰吉郎、母親は日本赤十字の看護師として大陸に渡り、満洲事変から日中戦争期に抗日兵士の帰順工作を行ったという中島成子だとしている。 著書によれば、薫の生後45日後に盧溝橋事件が起こり、中島成子は関東軍の依頼により日中間の交渉を担うことになったため、薫は松村正之・北京大学教授[要検証 – ノート]夫妻に預けられた。6歳の誕生日を迎えてまもなく、松村夫妻の故郷である山梨県甲府市に移住。
秋葉 四郎(あきば しろう、1937年(昭和12年)5月18… 秋葉 四郎(あきば しろう、1937年(昭和12年)5月18日 - )は、日本の歌人・文芸評論家・随筆家・教育者。学位は、文学博士。短歌結社「歩道」編集長、斎藤茂吉記念館館長、日本歌人クラブ顧問(第6代会長)。千葉県出身。 第一歌集『街樹』における時代の息吹を反映した新鮮な詠風から出発し、以後現在に至るまで旺盛な作歌活動を続けている歌人。1966年(昭和41年)に「歩道」に入会し佐藤佐太郎に師事。都市風景や現代の世相を鋭敏な感覚で捉えた作品に優れたものが多く、雄渾な歌風を特色とする。また、オーロラ、鯨など、従前の歌人が対象とすることのなかった海外詠も多く、作品の幅が広い。1970年代(昭和40年代後半)から十数年間、歌人佐藤佐太郎を献身的に支え、その随聞をまとめた『短歌清話』上下二巻は、佐藤佐太郎の純粋短歌の世界を余すところなく伝える好著である。
梶木 剛(かじき ごう、1937年5月8日 - 2010年5… 梶木 剛(かじき ごう、1937年5月8日 - 2010年5月19日)は、日本の文芸評論家。本名は佐藤春夫。 新潟県新潟市生まれ。1957年に新津高校を卒業し、法政大学文学部に入る。在学中に、吉本隆明と出会い、雑誌「試行」に文学評論を発表する。1962年より千葉県の県立高校に教諭として勤務し、1998年に退職する。その後、弘前学院大学教授、法政大学大学院講師などを務めた。 2010年5月19日0時8分、千葉市中央区の病院で食道癌による敗血症のため73歳で死去。
長崎 浩(ながさき ひろし、1937年5月8日- )は、日本… 長崎 浩(ながさき ひろし、1937年5月8日- )は、日本の社会評論家、身体運動学者。元の妻は東大名誉教授の長崎暢子。 東京生まれ。東京大学理学部卒、同大学院修士課程を経て、東京大学物性研究所、東北大学医学部リハビリテーション医学研究施設、東京都老人総合研究所勤務。1986年東北大学医学博士。1999年から東北文化学園大学医療福祉学部教授。2009年退職。 学生時代は1960年安保運動に参加し第一次共産主義者同盟で活動した。全共闘運動には助手共闘の一員として参加する。その後も左翼活動家として著述活動を続けた。 成田空港問題において、成田開港翌年の1979年に三里塚芝山連合空港反対同盟の幹部が政府と締結した覚書(その後情報漏洩により協定は流産となった)の文案は、長崎が書いたものだといわれる。
小沢 遼子(小澤遼子、おざわ りょうこ、1937年〈昭和12… 小沢 遼子(小澤遼子、おざわ りょうこ、1937年〈昭和12年〉5月4日 - )は、日本の政治家、評論家。 地方議員時代には浦和市議会議員を3期、埼玉県議会議員を1期務めた。 東京都出身。埼玉県立浦和第一女子高等学校、療養生活を経た後に法政大学社会学部心理学科卒。学生時代は学生運動に明け暮れていた。後の平凡パンチのインタビュー[要文献特定詳細情報]で法政大学に入学した理由を「病み上がりだったので入学しやすく、卒業しやすいところを選んだ。」と語っている。卒業後、広告代理店、出版社勤務を経て、1967年、当時継続していたベトナム戦争に異議を唱えるため、ベトナムに平和を! 埼玉市民連合結成、自ら代表としてベトナム反戦運動を展開。
宮本 信生(みやもと のぶお、1937年5月3日 - )は、… 宮本 信生(みやもと のぶお、1937年5月3日 - )は、日本の外交官・外交評論家。 京都府京都市生まれ、愛媛県出身。1962年慶應義塾大学法学部卒、1990年「中ソ対立生成・発展の基本要因についての研究: 米中ソの「核」と中ソの大国民族主義・意識の結合」で法学博士。1962外務省入省、駐キューバ特命全権大使、駐チェコ特命全権大使を歴任後、外交評論家として執筆、講演活動に入る。2000年、フルート奏者・歌手・女優の神崎愛と結婚。