片山 文彦(かたやま ふみひこ、1936年9月18日 - 2… 片山 文彦(かたやま ふみひこ、1936年9月18日 - 2016年7月16日)は、東京都生まれの神職、花園神社名誉宮司、医師、医学博士。神道時事問題研究会を主催。 東京市(現東京都新宿区)に生まれる。昭和医科大学卒業、1971年東京女子医科大学大学院修了(衛生学教室)、「東京女子医科大学病院の診療圏」で医学博士。國學院大學神道研修別科修了。 東京女子医科大学講師、立教大学講師、國學院大學講師を歴任。
原 真(はら まこと、1936年8月16日 - 2009年3… 原 真(はら まこと、1936年8月16日 - 2009年3月20日)は日本の医師・登山家である。愛知県名古屋市の出身で、札幌医科大学卒。2009年3月20日に脳疾患で死去。享年72。姉に岡崎恒子。 名古屋で病院を経営する外科医・原多喜萬の長男として生まれる。札幌医科大学に入学し、山岳部を立ち上げて主将を務める。学生時代の1956年、北海道大学山岳部に入部。1961年3月、名古屋大学医学部学生だった弟の原武が、鹿島槍北壁で遭難死。遺体の捜索で、のちにアイガー北壁を日本人で初めて制覇する登山家の高田光政と知り合う。高田は武の遺体を山から下した捜索隊の一人だった。原武の遺稿をまとめて『北壁:原武遺稿集』として自費出版(原多喜萬発行,1964年)、のちに『北壁に死す』として山と渓谷社から出版(1973年、1984年)、さらに『北壁に消えた青春』と改題し「追憶の山」(「山の本」No.29,白山書房,1999年所収)を後記として加えて出版(本の泉社,2008年)。
飯野 四郎(いいの しろう、1936年7月18日 - 200… 飯野 四郎(いいの しろう、1936年7月18日 - 2008年9月2日)は、日本の医学者、医師。医学博士。専門は、肝臓病学。日本「ウイルス性肝炎治療の父」と呼ばれる。 福岡県出身。1964年東京大学医学部卒業。1992年聖マリアンナ医科大学教授。インターフェロン治療の先駆者で、長く勤務した東京都杉並区の清川病院玄関の「インターフェロン治療発祥の地」の碑が立つ。 2002年に提起された薬害C型肝炎訴訟で原告側を支援し、結果、国と製薬会社の責任を認めた大阪地裁判決となった。2008年、膵臓癌のため72歳で死去。
岸部 陞(きしべ すすむ、1936年(昭和11年)6月23日… 岸部 陞(きしべ すすむ、1936年(昭和11年)6月23日 - 2025年5月15日)は、日本の政治家、医師。元秋田県北秋田市長(1期)。 弘前大学大学院医学研究科博士課程修了後、北秋中央病院勤務。院長を務めた。2003年の鷹巣町長選挙に出馬、高福祉・合併反対を掲げる3期目の現職岩川徹を破り、初当選。 2005年3月22日、鷹巣町は、北秋田郡の森吉町・合川町・阿仁町の3町と合併し北秋田市となり廃止された。これに伴い行われた北秋田市長選挙で旧鷹巣町議との一騎討ちを制し、初代市長に当選した。 2012年(平成24年)11月22日、医師退職による無医村問題に揺れる上小阿仁村に赴き、上小阿仁村国保診療所所長に就任、診療を開始した。
長坂 信夫(ながさか のぶお、1936年6月15日 -)は日… 長坂 信夫(ながさか のぶお、1936年6月15日 -)は日本の歯科医師、歯学者。朝日大学顧問、元朝日大学学長、広島大学名誉教授、元広島大学歯学部長。元日本小児歯科学会理事長。 1962年、大阪歯科大学卒業。以後、愛知学院大学小児歯科助教授を経て、1977年岐阜歯科大学小児歯科学教授に就任。以後、1979年に広島大学教授、1997年広島大学歯学部長、2000年に朝日大学副学長、2001年に朝日大学学長に就任。
瀬川 昌也(せがわ まさや、1936年6月4日 - 2014… 瀬川 昌也(せがわ まさや、1936年6月4日 - 2014年12月14日)は、日本の医学者、小児科医、医学博士、専門は小児神経学。1972年に報告した「著明な日内変動を呈する遺伝性ジストニア(Hereditary progressive dystonia with marked diurnal fluctuation=HPD)」「dopa responsive dystonia 5 =DRD5」には、瀬川病(Segawa Disease)の名前がつけられている。瀬川小児神経学クリニック(現:瀬川記念小児神経学クリニック)院長、獨協医科大学特任教授、日本小児神経学会理事、日本睡眠科学研究所顧問、などを務めた。
久保 武士(くぼ たけし、1936年4月10日 - 202… 久保 武士(くぼ たけし、1936年4月10日 - 2025年11月22日[要出典])は、日本の医学者・産婦人科医。筑波大学名誉教授。 専門は産婦人科学。医学博士(東京大学・1968年)。 東京大学附属病院助手・筑波大学臨床医学系産婦人科教授・筑波大学臨床医学系長・龍ケ崎済生会病院初代院長を歴任した。 香川県善通寺市生まれ。善通寺第一高校卒業。 専門は産婦人科学であり、周産期医学、産婦人科ME、新生児・産婦人科疫学、計量診断学などの研究に従事。筑波大学教授として産科医療に従事する他、茨城県周産期医療体制の構築にあたり、母胎搬送等の基準の作成や運用に関する中心的役割を果たした。 1992年から2000年まで日本産婦人科学会茨城地方部会会長を務め茨城県の産科学、婦人科学の進歩・発展に寄与。
石川 恭三(いしかわ きょうぞう、1936年3月22日 - … 石川 恭三(いしかわ きょうぞう、1936年3月22日 - )は、杏林大学医学部名誉教授、医学博士。東京都出身。 循環器・心臓病の分野を専門とし、日本の名医の一人として知られている。メディアへの出演も多い。著書は専門書・一般書合わせて70冊以上。
荒川 正昭(あらかわ まさあき、1936年3月2日 - 20… 荒川 正昭(あらかわ まさあき、1936年3月2日 - 2022年10月30日)は、日本の内科医。新潟大学名誉教授、大学入試センター名誉教授・顧問。新潟大学学長や、大学入試センター理事長を務めた。魚沼市名誉市民。 旧満州(中国東北部)生まれ。新潟県北魚沼郡(現・魚沼市)出身。新潟県立小千谷高等学校を経て、1960年新潟大学医学部卒業。 1972年川崎医科大学内科学腎臓アレルギー部門助教授。1976年川崎医科大学内科学(腎)教授。1980年新潟大学医学部内科学第二講座教授。1994年新潟大学医学部長。1998年新潟大学長。2002年新潟県福祉保健部参与。2003年広神村名誉村民。2004年大学入試センター理事長。
岡田 昌義(おかだ まさよし、1936年2月18日 - )は… 岡田 昌義(おかだ まさよし、1936年2月18日 - )は、日本の心臓外科医。専門分野は心臓血管外科・胸部外科・レーザーと医学・補助循環法など。 昭和36年、兵庫県立神戸医科大学卒業。昭和41年、同大学院博士課程(外科学専攻)修了、医学博士の学位を取得。助手として、ドイツのハイデルベルク大学(外科学教室)に国費留学し、とくに、心臓血管外科学を研鑚した。その後、神戸大学医学部第二外科の講師、助教授、教授を歴任した。平成11年、神戸大学医学部教授(外科学第二講座)を定年にて退官。心筋内血管形成術に関し、1985年11月12 日に臨床例で本法単独の世界初の成功例を得た 神戸循環器クリニック院長、国際先端総合医学研究所 所長、加古川総合保健センター理事、兵庫大学教授(健康科学部)、兵庫大学健康管理センター所長、大阪府済生会中津病院顧問、新日鉄広畑病院顧問、神鋼加古川病院顧問などを歴任。
帯津 良一(おびつ りょういち、1936年2月17日 - )… 帯津 良一(おびつ りょういち、1936年2月17日 - )は、日本の医師、著述家、帯津三敬病院名誉院長。 埼玉県川越市生まれ。東京都立小石川高等学校を経て、1961年に東京大学医学部医学科を卒業。医学博士。東京大学医学部第三外科、東京都立駒込病院外科医長などを経て、1982年、埼玉県川越市に帯津三敬病院を設立。西洋医学に中国医学や代替療法を取り入れ、医療の東西融合という新機軸を基に、がん患者などの治療に当たる。人間をまるごと捉えるホリスティック医学の第一人者として、日本ホリスティック医学協会会長・現名誉会長、日本ホメオパシー医学会理事長、国際生命情報科学会(ISLIS)会長、その他数多くの団体の役職なども務める。
上之園 昌隆(うえのその まさたか、1936年(昭和12年)… 上之園 昌隆(うえのその まさたか、1936年(昭和12年)2月8日 - 2013年(平成25年)9月5日)は、日本の医学博士、予防医学研究家、サプリメント開発者。 京都府生まれ。1954年に京都大学医学部に入学。後に交換留学生として、パリ国立医学大学に留学。生化学を専攻し、卒業後パリに20年間在住し予防医学を研究。 その後、日本に帰国し、慶應義塾大学病院に勤務。 予防医学を浸透させるべく、1991年(平成3年)に株式会社アーヴァン研究所を開設。自身の患者の治療のためのサプリメントの製品を開発し、治療効果を上げた。開発した商品は、現在主流となっているコラーゲン、プロポリス、ブルーベリー等を主成分とした先駆的製品となっている。
福島 章(ふくしま あきら、1936年1月29日 - 202… 福島 章(ふくしま あきら、1936年1月29日 - 2022年8月1日)は、日本の医学者・精神科医。専門は、犯罪精神医学・病跡学。上智大学名誉教授。 1936年、東京生まれ。東京都立大学附属高等学校を卒業。東京大学医学部を卒業し、同大学大学院医学系研究科精神医学専攻に進んだ。1968年、博士課程を修了し、学位論文『窃盗累犯の精神医学的研究 意志欠如精神病質者の犯罪学および性格学への一寄与』で医学博士の学位を取得。 卒業後は府中刑務所医師として勤務した。後に東京医科歯科大学助教授、上智大学文学部教授となった。2001年に上智大学を定年退任し、名誉教授となった。学界では、日本病跡学会名誉会長をつとめた。
中原 爽(なかはら そう、1936年(昭和11年)1月26日… 中原 爽(なかはら そう、1936年(昭和11年)1月26日 - 2022年(令和4年)9月21日)は、日本の政治家、医師、歯科医師。 参議院議員(2期)、日本歯科医師会会長を務めた。 東京都出身。獨協高等学校卒業、日本歯科大学卒業、同大学院修了し、1964年歯学博士。論文の題は「オリゴジナミー作用に対する感受性菌に就いての研究」。日本大学医学部卒業し、医師になる。 日本歯科大学の理事長や学長、日本歯科医師会会長を経て1995年、第17回参議院議員通常選挙において自由民主党の比例区候補として出馬し初当選。派閥は平成研究会に所属した。 2000年7月、第2次森内閣で総理府政務次官を務める。 2001年、第19回参議院議員通常選挙で再選。
蓮田 太二(はすだ たいじ、1936年〈昭和11年〉1月23… 蓮田 太二(はすだ たいじ、1936年〈昭和11年〉1月23日 - 2020年〈令和2年〉10月25日)は、日本の産婦人科医、医学博士。慈恵病院で病院長を務め、親が育てられない赤ちゃんを匿名で受け入れる日本国内唯一の施設(2020年現在)である「こうのとりのゆりかご」を創設したことで知られる。蓮田善明の二男。 台湾の台中商業学校教師として赴任していた国文学者蓮田善明の次男として、 台中市村上町(現西区)で誕生。熊本県立済々黌高等学校で学び、1962年に熊本大学医学部を卒業。 熊本大学産婦人科教室の研究員を経て、1969年(昭和44年)2月からカトリック教会のマリアの宣教者フランシスコ修道会によって設立された社会福祉法人聖母会・琵琶崎聖母慈恵病院に勤務。
黒木 登志夫(くろき としお、1936年1月10日 - 20… 黒木 登志夫(くろき としお、1936年1月10日 - 2025年8月28日)は、日本の医師・医学者。医学博士(1966年)。東京大学名誉教授、岐阜大学名誉教授。 東京生まれ。1960年東北大学医学部卒。1966年医学博士。東北大学抗酸菌病研究所助手、1961年東北大学医学部助教授、1971年東京大学医科学研究所助教授、教授。1996年定年退官、名誉教授、昭和大学教授。2001-2008年岐阜大学学長、同名誉教授。2000年日本癌学会会長。2008年日本学術振興会学術システム研究センター副所長(2012年−同相談役、2016年−同顧問)。専門は、がん細胞・発がん。 2025年8月28日、虚血性心不全のため川崎市の自宅で死去。
青木 範充(あおき のりみつ、1936年 - )は、日本の医… 青木 範充(あおき のりみつ、1936年 - )は、日本の医師。旧国立東信病院元院長。旧東長野病院名誉院長。長野県出身。 1936年(昭和11年)長野県生まれ。1954年(昭和29年)長野県松本県ヶ丘高等学校卒業。1961年(昭和36年)信州大学医学部卒業。同大学院修了。 信大大学院修了後は、国立病院機構信州上田医療センターの前身である旧国立東信病院に入り、整形外科医としてまた院長として30年余り勤務。その間、新病院建設にも関わり「増え続けるがん患者にしっかり対応し、救急医療など地域のニーズにこたえられる病院」を目指した。上田市の旧国立東信病院で5年間、長野市の東長野病院で4年間院長を務め、地域医療の発展に力を注いだことにより、2011年(平成23年)「瑞宝中綬章」(保健衛生功労)を受勲した。
澤田 淳(さわだ ただし、1936年(昭和11年) - )は… 澤田 淳(さわだ ただし、1936年(昭和11年) - )は、日本の医師(小児科学)。京都府立医科大学名誉教授。世界で初めて神経芽腫(小児がん)マス・スクリーニングを開始。世界に類を見ない大規模2300万人超のコホート研究を生み出した。京都市子ども保健医療相談・事故防止センター(京あんしんこども館)センター長。 大阪府生まれ、大阪府立清水谷高等学校卒業。京都府立医科大学医学部医学科卒業、京都府立医科大学大学院医学研究科臨床医学専攻(博士課程)修了。1968年(昭和43年)京都府立医大の助手、1975年助教授、1986年教授に就任した。 1974年神経芽腫の子供を治したい思いから、世界で初めて乳児の神経芽腫マス・スクリーニングを開始した。
青野 敏博(あおの としひろ、1936年 - )は、日本の医… 青野 敏博(あおの としひろ、1936年 - )は、日本の医学者、産婦人科医。徳島大学名誉教授。愛媛県出身。大阪大学医学部医学科卒業。同大学大学院医学研究科修了。 1965年に大阪大学大学院医学研究科を修了し、1966年にハーバード大学に留学。その後、大阪大学助教授を経て、1986年に徳島大学教授に就任。2003年から2010年までは同大学学長を務めた。また日本産婦人科学会会長も歴任。1999年徳島新聞賞受賞。2011年秋の叙勲で瑞宝重光章受章。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
森 崇(もり しゅう、1936年 - 2024年)は、日本の… 森 崇(もり しゅう、1936年 - 2024年)は、日本の内科医。 名古屋市生まれ。1959年名古屋市立大学医学部卒業後、九州大学医学部心療内科医局に入局。1966年、福岡市の長尾病院が心療内科を開設するとのことで若者の診療の手がかりを得る。同時期、福岡家庭裁判所の医務官として勤務し、非行少年らの診療にあたる。その後、福岡教育大学体育科助教授、同保健管理センター教授を経て、北九州津屋崎病院副院長、青春期内科部長。2007年4月まで日本思春期学会副理事長、現在は名誉会員。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
石井 禮次郎(いしい れいじろう、1936年 - 2014年… 石井 禮次郎(いしい れいじろう、1936年 - 2014年)は、医師、熊本県出身。聖母幼稚園理事長。マックスファクターの化粧品ブランド「SK-II」の開発にも携わった。 1961年(昭和36年)、日本大学医学部卒業。1973年(昭和48年)、東京・南青山に日本初の美容皮膚科「石井クリニック」を開設。 大手化粧品会社の顧問医を歴任。その経験を生かしてMD化粧品を開発。様々な発酵液を治療に活用。SKⅡの開発に携わる。石井クリニックで40年来処方してきた酵母発酵湿布薬「フィンギーマスク」を「THE FINGGY」として化粧品化。 歌手坂本スミ子と結婚、歌手石井聖子の父親。母親は、熊本市の聖母保育園幼稚園・幼愛園で園長を務めた。
竹田 美文(たけだ よしふみ、1935年〈昭和10年〉11月… 竹田 美文(たけだ よしふみ、1935年〈昭和10年〉11月 - )は、日本の医師・医学者。学位は医学博士(大阪大学・1965年)。国立感染症研究所名誉所員。専門は細菌学、感染症学など。2006年瑞宝重光章受章。 東京大学医科学研究所教授、京都大学医学部教授、日本細菌学会理事長、日本熱帯医学会理事長、野口英世記念会理事長等を歴任した。息子は大阪大学大学院医学研究科免疫制御学教授の竹田潔、東京大学大学院医学系研究科微生物学教授の竹田誠。
吉川 武彦(きっかわ たけひこ、1935年10月30日 - … 吉川 武彦(きっかわ たけひこ、1935年10月30日 - 2015年3月21日)は、日本の医学者、精神科医。金沢市出身。1961年千葉大学医学部医学科卒。1966年同大学院医学研究科神経精神医学専攻修了(医学博士、論文の題は「ロールシャッハテストによる不安の研究 : 特に不安の顕在化と潜在化をめぐる精神力動について」)。 また、日本泳法委員として日本泳法の普及、発展に尽力。古式泳法の水府流太田派 桐游倶楽部の免許皆伝。 学生時代には安保闘争に参加、1960年6月15日のデモでは国会へ詰めかける。この時、先頭に立っていた樺美智子が倒れ込むところを間近に目撃、混乱のなかから樺美智子を引きずり出して救護所へ運び込んだ。
稲村 博(いなむら ひろし、1935年9月2日 - 1996… 稲村 博(いなむら ひろし、1935年9月2日 - 1996年5月14日)は、日本の医学者・精神科医。 徳島県生まれ。東京大学医学部卒、同医学科大学院修了。1973年「犯罪性精神障害者の精神医学的研究」で医学博士。 東京医科歯科大学医学部助手や筑波大学社会医学系助教授などを経て、1994年に一橋大学保健センター所長・教授となるが、翌々年の1996年に逝去。ちなみに、後任の保健センター所長となった湊博昭も在任中に逝去した。
佐々木 正美(ささきまさみ、1935年〈昭和10年〉8月25… 佐々木 正美(ささきまさみ、1935年〈昭和10年〉8月25日 - 2017年〈平成29年〉6月28日)は、日本の児童精神科医。男性。 1935年、群馬県前橋市に、3人兄弟の長男として生まれる。3歳のころに一家で東京都世田谷区に転居し、同区の国民学校に入学。戦争が激しさを増し、東京も頻繁に空襲に見舞われるようになった9歳のころ、父の郷里の滋賀県蒲生郡西桜谷村に縁故疎開して少年時代を過ごす。東京ではメッキ工場の工場長を務めていた父は、非農家であったため自前の田畑がなく、疎開先では毎日のように母とともに、他人所有の山や田畑に出向いての日雇い労働で糊口を凌いだ。その後、近所の人の好意により遠方の山間に小さな畑を借りることができ、その畑にも通うようになった。
吉原 忠男(よしはら ただお、1935年7月8日 -)は、日… 吉原 忠男(よしはら ただお、1935年7月8日 -)は、日本の医師(外科学)、推理作家。医学博士。埼玉県医師会元会長。日本ペンクラブ会員。 青森県三戸郡三戸町出身。1960年、東京慈恵会医科大学医学部卒業。1962年に医師国家試験合格(医籍174945号)。同大学第一外科学教室助手を経て、1968年に埼玉県浦和市(現・さいたま市)で吉原医院を開設。1970年、医学博士(東京慈恵会医科大学)。 埼玉県医師会常任理事を経て、2004年4月から2010年まで埼玉県医師会長。2006年に医療功労賞(読売新聞社主催)を受賞。2011年4月、旭日小綬章を受章。 現役の開業医として地域の保険・医療活動に力を入れながら、合間を縫って海庭 良和(かいば よしかず)のペンネームで豊富な医学知識を生かしたミステリー作品の執筆活動に取り組む。
村崎 芙蓉子(むらさき ふよこ、1935年7月 - )は、日… 村崎 芙蓉子(むらさき ふよこ、1935年7月 - )は、日本の医師・文筆家。東京都出身。循環器内科医。 東京都立西高等学校を経て、東京女子医科大学を卒業後、同大学の附属研究機関である日本心臓血圧研究所にて循環器医学を学ぶ。 その後、新宿三井ビルクリニック副院長を経て、1992年に「女性成人病クリニック」を開設し、同クリニック院長となる。診療の傍ら執筆や講演活動を行なっていたが、著書「カイワレ族の偏差値日記(鎌倉書房)」がTVドラマ化され話題となり、「カイワレ族(土ではなく、ウレタンの苗床で完全管理の下に育てられるカイワレに例え、管理社会でしか生きられない成績が普通の中学生・高校生)」が流行語となるなどして広くその名を知られるようになった。
柳澤 信夫(やなぎさわ のぶお、1935年6月22日 - )… 柳澤 信夫(やなぎさわ のぶお、1935年6月22日 - )は日本の医学者、医師、医学博士。信州大学名誉教授。東京工科大学名誉教授。専門は神経学。日本学術会議会員(第17期)。 東京府出身。1960年に東京大学医学部卒業後、同大学大学院を修了する。1965年に東京大学医学部附属病院神経内科の助手となる。同年3月、東京大学医学博士。論文の題は 「Thalamic influences on the gamma motor system(視床外腹側核刺激のガンマ運動系に及ぼす影響)」。1969年にハーバード大学霊長類研究所生理学部門へ留学する。その後、1980年に信州大学教授となり、1993年に信州大学医学部附属病院院長に就任する。
志賀 貢(しが みつぐ、1935年6月10日 - 2023年… 志賀 貢(しが みつぐ、1935年6月10日 - 2023年2月20日)は、北海道出身の作家・医師。 昭和医科大学卒業、同大学院医学研究科博士課程修了後、1971年「腫瘍細胞の細胞周期と放射線感受性について」で医学博士を取得。臨床医として約50年にわたって診療を行い、現在も現役医師として日々患者に接している傍ら、文筆活動においても『医者のないしょ話』(角川文庫)を初めとする小説やエッセイなど著書多数を出版。 また、内科医として診療の傍ら、小説、エッセイを執筆し、美空ひばり「恋港/美幌峠」(1986年)などの作詞も手掛け、屈斜路湖畔を望む美幌峠には歌碑が建立されている。この2作品は1986年10月10日に角川文庫から発行された「美幌峠で逢った女」の作中に詩として挿入されており、美幌町図書館に同書が保存されている。
石川 春律(いしかわ はるのり、1935年4月22日 - 2… 石川 春律(いしかわ はるのり、1935年4月22日 - 2008年9月23日)は、日本の細胞生物学者、医師。群馬大学名誉教授。日本電子顕微鏡学会会長や、日本細胞生物学会会長を務めた。 鹿児島県出水市出身。1960年九州大学医学部医学科卒業後、整形外科入局。1965年九州大学大学院医学研究科修了、医学博士。1966年ペンシルベニア大学医学研究員。1972年東京大学医学部助教授。1983年群馬大学医学部解剖学第二講座教授。1994年群馬大学医学部長、日本細胞生物学会会長。2000年日本電子顕微鏡学会会長。2001年群馬大学名誉教授。2008年没。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
今村 貞夫(いまむら さだお、1935年2月5日 - )は、… 今村 貞夫(いまむら さだお、1935年2月5日 - )は、日本の医師。医学者。京都大学名誉教授。医学博士。専門は皮膚科学。 1935年、京都府京都市生まれ。1953年、福井県立若狭高等学校卒業。1959年、京都大学医学部卒業。1968年、「ブドウ球菌、連鎖状球菌の螢光抗体法による研究:主としてアレルギー性皮膚疾患への関与について」で京都大学より医学博士号取得。1972年1月、京都大学医学部講師、1978年同助教授、1980年から1997年まで同教授。皮膚疾患に関する多くの研究を行った。 学術業績としては,小児腹壁遠心性脂肪委縮症 (Lipodystrophia centrifugalis abdominalis infantilis (Imamura)の発見が知られる。
高野利也(たかの としや、1935年2月4日- )は、日本の… 高野利也(たかの としや、1935年2月4日- )は、日本の医師・医学者、慶応義塾大学名誉教授。 東京生まれ。1960年慶応義塾大学医学部卒業。1967年医学博士。マサチューセッツ工科大学に招かれ、のち米国NIHに移る。1974年慶大医学部教授。2001年定年、名誉教授となる。北里賞、三越医学賞受賞[要説明]。
広田 伊蘇夫(ひろた いそお、1935年(昭和10年)2月2… 広田 伊蘇夫(ひろた いそお、1935年(昭和10年)2月2日 - 2011年(平成23年)9月18日)は、日本の精神科医。 富山県魚津市出身。1961年(昭和36年)東京大学医学部卒、同精神科入局。1964年(昭和39年)東京都立松沢病院勤務。1980年(昭和55年)三枚橋病院勤務、のち理事。病院地域精神医学会理事長。同愛記念病院勤務。国連非政府組織 (NGO) 国際医療職専門委員会日本代表。イギリス王立精神医学会選出会員。患者の権利のために戦い宇都宮病院事件でも活躍した。
寺岡 暉(てらおか あきら、1935年 - )は、日本の医師… 寺岡 暉(てらおか あきら、1935年 - )は、日本の医師(医学博士)。社会医療法人 社団 陽正会 寺岡記念病院 会長。
岩崎 徹也(いわさき てつや、1935年 - )は、東京生ま… 岩崎 徹也(いわさき てつや、1935年 - )は、東京生まれの日本の精神科医、精神分析家。
斎藤毅(さいとう つよし、1935年 - )は、日本の歯科医… 斎藤毅(さいとう つよし、1935年 - )は、日本の歯科医師、歯学者。日本大学名誉教授。学術著作権協会代表理事。元日本大学歯学部歯科保存学第II講座教授。元日本歯科医学会会長、元日本口腔インプラント学会副会長。 1959年日本大学歯学部卒業、1963年同大学院修了し、以後同大学助手、講師、助教授を務め、1973年より教授に就任、2005年より名誉教授。 1963年日本大学より歯学博士号を得る。論文の題は「象牙質齲蝕の病巣における蛋白質(ことにそのアミノ酸組成)糖質Ca,Mg,Pの量的変動 」。 2014年11月瑞宝中綬章受章。
永田 一郎(ながた いちろう、1935年 - )は、日本の医… 永田 一郎(ながた いちろう、1935年 - )は、日本の医師。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
大森 健一(おおもり けんいち、1935年(昭和10年) -… 大森 健一(おおもり けんいち、1935年(昭和10年) - )は、日本の医学者、精神科医。専門は精神病理学。獨協医科大学名誉教授。元学校法人獨協学園理事長。元獨協医科大学学長。医学博士。
内沼 幸雄(うちぬま ゆきお、1935年(昭和10年) - … 内沼 幸雄(うちぬま ゆきお、1935年(昭和10年) - )は、日本の医学者、精神科医。専門は精神病理学。帝京大学名誉教授。医学博士。
大田 嘉弘(おおた よしひろ、1935年 - 2015年8月… 大田 嘉弘(おおた よしひろ、1935年 - 2015年8月10日)は、日本の歯科医師、軍事史研究者。 九州歯科大学を卒業。竹原・豊田歯科医師会会長、広島県歯科医師会理事、竹原市教育委員長などを歴任。 厚生労働大臣賞、文部科学大臣賞、防衛大臣賞等を受賞した。2010年に瑞宝双光章を受章。 軍事研究としては、沖縄戦・インパール作戦に関する著作を残した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
秋野 豊明(あきの とよあき、1935年(昭和10年)- 2… 秋野 豊明(あきの とよあき、1935年(昭和10年)- 2025年6月22日)は、日本の医学者(医学博士)。専門は、医科学。札幌医科大学名誉教授。元札幌医科大学学長。元医療法人渓仁会理事長。 樺太恵須取町(現ロシア・サハリン州ウゴレゴルスク)生まれ。北海道空知郡上砂川町で育つ。1955年(昭和30年)北海道大学教養部入学。1957年(昭和32年)札幌医科大学医学部入学。1961年(昭和36年)札幌医科大学医学部卒業。三井砂川炭鉱病院でインターンを経て、1966年(昭和41年)札幌医科大学大学院医学研究科博士課程修了。札幌医科大学医学部生化学講座助手。1969年(昭和44年)札幌医科大学生化学第一講座講師。
林 正高(はやし まさたか、1935年 - 2016年9月1… 林 正高(はやし まさたか、1935年 - 2016年9月10日)は、日本の医師。専門は、日本住血吸虫症の研究。 旧満洲(現在の中国東北部)大連市出身。長野県岡谷市育ち。兄は農学者の林尚孝。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1962年信州大学医学部卒業。1987年甲府市立甲府病院神経内科部長。医師として臨床に携わる傍ら、日本住血吸虫症が流行するフィリピンを45回、中華人民共和国を6回訪れ、現地医療に尽力。個人でボランティア団体「地方病に挑む会」を1987年12月に創設し、発起人の1人である大岡昇平とともに「700円募金」(1口700円の意味であり、1人当たりの薬代が日本円に換算して約700円)を募り、15年間で約8919万円の募金を集めて現地の患者に治療薬プラジカンテルを届けるNGO活動を行った。
成瀬 宇平(なるせ うへい、1935年(昭和10年) - 2… 成瀬 宇平(なるせ うへい、1935年(昭和10年) - 2016年(平成28年)8月23日)は、日本の栄養学者(医学博士)。鎌倉女子大学名誉教授。 現在の福島県いわき市に生まれる。1958年(昭和33年)、日本大学農獣医学部(現 生物資源科学部)卒業。同大学学部助手、講師、東邦大学医学部研究生、東京大学応用微生物研究所研究生を経て、武蔵野栄養専門学校講師、鎌倉女子大学教授、同家政学部長を歴任。鎌倉女子大学名誉教授。 日本テレビ「3分クッキング」、テレビ朝日「いまどき!ごはん」などの元アドバイザー。お魚博士として、NHK「ためしてガッテン」、フジテレビ「発掘!あるある大事典」、日本テレビ「おもいっきりテレビ」「所さんの目がテン!」、TBS「はなまるマーケット」などにも出演した。
矢田 純一(やた じゅんいち、1934年11月10日 - )… 矢田 純一(やた じゅんいち、1934年11月10日 - )は、日本の医師・医学者、東京医科歯科大学名誉教授。免疫学・小児科学が専門。 東京市葛飾区出身。東京大学医学部卒、1964年同大学院博士課程修了、医学博士。東大医学部小児科助手、1971年東邦大学小児科講師となり、1973年助教授、1976年教授をへて、1978年東京医科歯科大学教授。1999年定年退官、名誉教授、実践女子大学生活科学部教授。2005年退職。
時枝 正昭(ときえだ まさあき、1934年〈昭和9年〉10月… 時枝 正昭(ときえだ まさあき、1934年〈昭和9年〉10月30日 - 2016年〈平成28年〉11月29日)は、日本の政治家、内科医。医学博士、大分県宇佐市長(3期)。 大分県宇佐市出身。1959年、九州大学医学部卒業。1967年「飲泉の胆汁分泌におよぼす影響に関する研究」により九州大学から医学博士号を授与された。九州大学温泉治療学研究所講師を務めた。1970年、地元で内科医院を開業する。2000年宇佐市長選挙に立候補し、初当選する。2004年には無投票で再選。翌2005年宇佐市は宇佐郡院内町と安心院町と合併し、新たな宇佐市が発足。合併後の市長選挙に立候補し、無投票で当選した。合併後の宇佐市長を2009年まで1期務めた。
河合 洋(かわい ひろし、1934年10月25日 - 200… 河合 洋(かわい ひろし、1934年10月25日 - 2005年2月23日)は、精神科医。 東京品川生まれ。1959年慶應義塾大学医学部卒、1965年「境界例の力動精神病理学的研究 主として精神療法的観察から」で慶大医学博士。国立小児病院勤務、1969年同精神科医長。かわいクリニック・発達医学研究所所長。NHKラジオ「子供電話相談室」担当。 当時[いつ?]引きこもりは登校拒否と呼ばれ、入院治療が行われていた。その際は、投薬、身体拘束(ベットに縛り付けられること)が行われていた。それに対し、不登校という概念を打ち出し、不登校は病気ではないとの運動を行う。当時、不登校の概念は画期的であり、その後の医療に大きな変化をもたらした。
原田 正純(はらだ まさずみ、1934年9月14日 - 20… 原田 正純(はらだ まさずみ、1934年9月14日 - 2012年6月11日) は、日本の医師。学位は医学博士。 鹿児島県さつま町出身。ラ・サール高等学校、熊本大学医学部卒業。 熊本大学医学部で水俣病を研究し、胎児性水俣病も見いだす。水俣病と有機水銀中毒に関して数多くある研究の中でも、患者の立場からの徹底した診断と研究を行い、水俣病研究に関して詳細な知識を持った医師でもあった。熊本大学退職後は熊本学園大学社会福祉学部教授として環境公害を世界に訴える。 1972年6月、スウェーデンのストックホルムで開催された「国際連合人間環境会議」に環境学者の宇井純、水俣病患者の濱元二徳、坂本フジエ、坂本しのぶらと出席。
奈倉 道隆(なぐら みちたか、1934年7月29日- )は、… 奈倉 道隆(なぐら みちたか、1934年7月29日- )は、名古屋市出身の浄土宗の僧侶、医師、東海学園大学名誉教授。専門は共生人間論、老年医学。 名古屋市生まれ。1960年京都大学医学部卒。1973年医学博士。1974年 佛教大学文学部仏教学科卒。大阪社会事業短期大学助教授、大阪府立大学社会福祉学部教授、1986年龍谷大学社会学部教授、1997年東海学園大学教授、2005年同名誉教授、四天王寺国際仏教大学教授、放送大学客員教授。 2018年6月22日、奈倉ら吉田寮出身者で組織される「21世紀に吉田寮を活かす元寮生の会」が、京都大学の総長の山極寿一に2018年9月以降に吉田寮の旧棟を保存活用するよう求める要請書を提出した。
行武 正刀(ゆくたけ まさと、1934年(昭和9年)5月11… 行武 正刀(ゆくたけ まさと、1934年(昭和9年)5月11日 - 2009年(平成21年)3月26日)は、日本の医師である。専門は呼吸器学。第二次世界大戦中に毒ガス製造に従事していた元工員らが罹患した後遺症の治療、研究に尽力した。 1934年、広島県、現在の三原市で生まれる。1962年(昭和37年)7月、広島大学大学院から当時の忠海病院(現在の呉共済病院忠海分院)に赴任、広島県大久野島における毒ガス製造に従事したことによる後遺症で入院していた元工員らを診療し、その治療法を研究した。晩年にはイラン・イラク戦争における毒ガス被害者や現地医師への国際的協力も行った。現在、忠海分院の症歴室には、行武が診療した約4,200人の患者カルテが保管されている。
坂口 力(さかぐち ちから、1934年〈昭和9年〉4月1日 … 坂口 力(さかぐち ちから、1934年〈昭和9年〉4月1日 - )は、日本の政治家、医師、医学博士。 衆議院議員(11期)、労働大臣(第58・69代)、公明党副代表、厚生大臣(第85代)、厚生労働大臣(第1・2・3代)、公明党特別顧問などを歴任した。 1934年4月1日、三重県一志郡白山町(現:津市)に生まれる。三重県立松阪北高等学校を経て、三重県立大学(現:三重大学)医学部卒業。三重大学大学院医学研究科博士課程修了。大学院修了後は日本赤十字社血液センターで勤務した。 1972年12月、第33回衆議院議員総選挙に出馬し初当選(通算9回)。竹入義勝党委員長の下で党政策審議副会長に就任。以後、10年に渡り同職を務めた。