川嶋 至(かわしま いたる、1935年(昭和10年)2月15… 川嶋 至(かわしま いたる、1935年(昭和10年)2月15日 - 2001年(平成13年)7月2日)は、文芸評論家。北海道札幌市生まれ。1958年(昭和33年)北海道大学文学部国文科卒業後、1964年(昭和39年)同大学院博士課程満期退学。日本近代文学を専攻していた在学中に『位置』の同人となる。その後、岩手大学講師、東京工業大学助教授、教授を歴任。川端康成の研究家として知られ、川端の元恋人の伊藤初代の実体をいち早く究明した研究者として注目された人物である。 大学院時代の1961年(昭和36年)3月、評論「『伊豆の踊子』を彩る女性(上・下)」を発表し、いち早く川端康成の初期の恋人「伊藤初代」の存在に着目していたが、この論はほとんど注目されなかった。
馬場 璋造(ばば しょうぞう、1935年2月13日 - 20… 馬場 璋造(ばば しょうぞう、1935年2月13日 - 2021年12月20日)は、日本の建築評論家、建築批評家、建築史家、編集者、建築ジャーナリスト。 1935年埼玉県川越市生まれ。1957年早稲田大学建築学科卒。1959年早稲田大学経済学科卒、新建築社入社。1972年新建築社取締役編集長。1989年から「高松宮殿下記念世界文化賞」建築部門の選考委員を務めた。1990年建築情報システム研究所設立。1992年日本建築学会理事。1995年日本文化デザイン会議福岡議長。2002年日本建築学会賞業績賞受賞。 コンペのプロフェッショナル・アドバイザー、さいたまスキップ・シティ技術提案競技審査委員長、中国仏山市スポーツセンター国際指名設計競技審査員、ブリーゼタワー国際指名設計競技審査員等を歴任。
渡邊 學而(わたなべ がくじ、1935年〈昭和10年〉2月9… 渡邊 學而(わたなべ がくじ、1935年〈昭和10年〉2月9日 - 2025年〈令和7年〉4月4日)は、日本の音楽評論家、合唱指揮者。新字体で渡辺学而または渡邊学而と記載されることがある。 東京教育大学附属高等学校を経て、1959年(昭和34年)3月、慶應義塾大学経済学部卒業。在学中は慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団の学生指揮者を務めた。同年4月日本ビクター株式会社へ就職したが1961年(昭和36年)10月に同社退職。同年よりヴォイストレーナーとして学習院輔仁会音楽部男声合唱団の指導に携わり、1962年(昭和37年)から1972年(昭和47年)まで前田幸市郎とともに男声合唱団の常任指揮者を務めた。
牛島 秀彦(うしじま ひでひこ、1935年1月27日 - 1… 牛島 秀彦(うしじま ひでひこ、1935年1月27日 - 1999年7月12日)は、日本のノンフィクション作家、文芸評論家。 中華民国青島市にて生まれる。1953年佐賀県立佐賀高等学校卒業、1958年早稲田大学第一文学部東洋哲学科卒業、同年4月旺文社雑誌編集部入社。1969年3月旺文社退社、同年4月日本リーダーズ・ダイジェスト特別出版部入社。1974年2月日本リーダーズ・ダイジェスト退社、同年5月富士観光開発ハワイ入社、単身ハワイに渡り、8月には家族をハワイに呼び寄せる、1976年3月富士観光開発退社。1981年4月、東海女子大学文学部助教授(比較文化論、英米文化担当)。1985年4月、東海女子大学文学部教授。
磯貝 勝太郎(いそがい かつたろう、1935年1月26日 -… 磯貝 勝太郎(いそがい かつたろう、1935年1月26日 - 2016年6月16日)は、日本の文芸評論家。日本文芸家協会、日本ペンクラブ、大衆文学研究会、各会員。 東京牛込区生まれ。少年時代、歌舞伎に熱中する父親のもとで講談全集を読みあさる。1945年の東京大空襲で埼玉県川口市に移り家計の事情で高校進学を断念、通商産業省の研究所給仕となった。その後、夜学へ通ったのち昼間の大学にも進む。1961年、慶應義塾大学文学部図書館学科を卒業。 もとは作家志望だったが、のち大衆文学研究を志す。国際基督教大学図書館に勤務し主幹となった。のちに「国際基督教大学史」の編纂主幹。 1980年から海音寺潮五郎記念会評議員、1996年から司馬遼太郎記念財団評議員、2001年から新田次郎文学会監事、2000年から大衆文学研究会副会長を務め、さいたま市スポーツ文学賞選考委員も務めた。
堀本 律雄(ほりもと りつお、1935年1月20日 - 20… 堀本 律雄(ほりもと りつお、1935年1月20日 - 2012年1月14日)は、大阪府大阪市出身のプロ野球選手(投手)、コーチ、解説者・評論家。 桃山学院高校では3年次の1952年、夏の大阪府大会で準決勝に進出するが、明星高に敗退。高校卒業後は1953年に立教大学へ入学するが、同期のエース東実や1年下の杉浦忠の陰に隠れ、あまり活躍の機会はなかった。専ら他校のエースを真似た練習台の投手であった。他の大学同期に矢頭高雄がおり、一年下に長嶋茂雄がいた。大学卒業後は1957年に日通浦和へ入社し、同年の都市対抗では3勝を挙げて決勝に進出。熊谷組の島津四郎と投げ合うも完封を喫するが、この大会の久慈賞を獲得。
石子 順(いしこ じゅん、1935年1月10日 - )は、日… 石子 順(いしこ じゅん、1935年1月10日 - )は、日本の漫画評論家、映画評論家。本名は石河 糺(いしこ ただし)で、1960年代後半ごろから「石子順」のペンネームを使用する。 評論家の石子順造(本名:木村泰典、1929年 - 1977年)とはペンネームが似ている上に、主たる評論分野が同じ漫画及び映画であり、活動期間が1970年代において重なっていて、しかも両者ともに日本共産党との関係が深い(石子順造は離党している)ために混同されやすく、親子もしくは親戚とおもわれている場合もあるが全くの別人で血縁関係もない。 1935年、京都府京都市生まれ。1953年に中国より帰国。1961年、東洋大学文学部卒。
岩堀安三(いわぼり やすぞう、1935年1月3日- )は、公… 岩堀安三(いわぼり やすぞう、1935年1月3日- )は、公認会計士、経営・税制評論家。 東京出身。1957年東京大学経済学部商業経学科卒。三年間三菱銀行勤務ののち再度大学で学び、公認会計士、税理士試験に合格。1968年から東海大学、国際商科大学講師。1970年岩堀公認会計士事務所を開業、事務局長、国際マネジメントを設立、代表取締役。
井上 隆一郎(いのうえ りゅういちろう、1935年 - )は… 井上 隆一郎(いのうえ りゅういちろう、1935年 - )は、日本の国際問題評論家、桜美林大学名誉教授。本名・井上朗。 兵庫県芦屋市生まれ。1957年、関西学院大学経済学部卒業。1959〜61年、フランス、イタリアに留学。日本貿易振興会(ジェトロ)に入り、調査部、経済情報部、パリ、アムステルダム駐在、主任調査研究員を経て、桜美林大学教授。2006年定年、名誉教授、日本貿易振興機構客員研究員。
森村 稔(もりむら みのる、1935年 - )は、日本の評論… 森村 稔(もりむら みのる、1935年 - )は、日本の評論家。大阪府生まれ。東京大学文学部卒業。博報堂勤務を経て、1963年にリクルート入社。出版部長、制作本部長、専務取締役。1997年、退職後、東京経済大学・お茶の水女子大学講師。作文指導・メディア論などを担当。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
保田 武宏(やすだ たけひろ、1935年 - )は、演芸評論… 保田 武宏(やすだ たけひろ、1935年 - )は、演芸評論家。 石川県生まれ。東京大学経済学部を卒業後、読売新聞社に入社。地方部、運動部、文化部、芸能部記者を経て、編集委員を最後に定年退職し、演芸評論家となる。 落語のレコードやCD、DVDに多くの解説を書く。文化庁芸術祭審査委員、国立演芸場花形演芸大賞の審査員を長年務め、2006年の国立演芸場40周年記念式典で感謝状を受ける。
柴辻 政彦(しばつじ まさひこ、1935年 - )は美術評論… 柴辻 政彦(しばつじ まさひこ、1935年 - )は美術評論家。京都府京都市生まれ。1959年立命館大学法学部卒業。美術工芸研究所主宰。1996年までは自身でも窯業に携わるなど、陶芸家としても活躍。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
水沢 渓(みずさわ けい、本名・阪本 遵 さかもと じゅん、… 水沢 渓(みずさわ けい、本名・阪本 遵 さかもと じゅん、1935年〈昭和10年〉 - 2009年〈平成21年〉6月4日)は、日本の経済評論家・作家・出版社代表取締役。 北海道函館市生まれ。早稲田大学第一政治経済学部政治学科卒業。山一證券入社。山一證券従業員労働組合執行委員を経て、社会福祉法人函館共愛会病院事務長となる。同会退会後、経済評論家・作家に転身。1989年、小説『巨大証券の犯罪』(健友館)がベストセラーとなる。 以後、経済小説やノンフィクション、医療問題、官僚腐敗、酒や食品に関する著書を多く手がける。 その傍ら東京都中野区野方にあった出版社健友館の代表取締役兼編集長となり、自身の著書のほかは主に医学専門書やアマチュア作家の自費出版作品を多く扱ったが、2004年6月、負債1億7000万円を抱えて倒産した。
海老坂 武(えびさか たけし、1934年12月7日 - )は… 海老坂 武(えびさか たけし、1934年12月7日 - )は、日本のフランス文学者、評論家。 東京・大森生まれ。 東京都立小山台高等学校を経て東京大学入学。在学中は東京大学運動会硬式野球部に所属し、一番打者・遊撃手を務め1956年秋リーグ戦の東大通算100勝に貢献した。シーズンによっては同世代の長嶋茂雄よりも海老坂の方が打率成績が良かった。俊足選手であり、1957年春リーグ戦の対明大2回戦では、東大野球部の1試合最多盗塁記録4個をマークした。1959年、東京大学文学部仏文科卒業。1963年から2年間フランスに留学。1966年、同大学院博士課程単位取得退学、同年より一橋大学勤務、のち教授。1996年、定年退官ののち、関西学院大学文学部教授。
古川 のぼる(ふるかわ のぼる、本名:古川 隆〈ふるかわ の… 古川 のぼる(ふるかわ のぼる、本名:古川 隆〈ふるかわ のぼる〉、1934年11月29日 - 2015年2月9日)は教育評論家、事業家。株式会社日本家庭教師センター学院などの創業者。公認候補者として所属した自由連合では政策審議会副会長を務めた。旧来「ふくろう博士」と自称しているが、正式な学位としての博士号は無い。ただし、ディプロマミルから得た名誉博士号を複数所持するのみならず、自らもディプロマミルを主宰している。息子の隆弘(獣医師)が「ふくろう博士Jr.」と称するほか、かつては「カンガルー博士」も存在した模様。 HEARTへようこそ - オールディーズ・ラヴ - カリフォルニア・サンセット - 青葉青助 ザ・根性 - スリーピィな気分だぜ - Pumpkin Night - シャバダバだけど - Hey, ミスター・バイク! Time Wave - Shining Wave/Toshio II - Heartful Wave - Topio - Image I LOVE EXCITING MINI ペンギン村の仲間たち - 春助ロンリーナイト - リュックマンのテーマ - 立ち食いの歌 - 必殺!学園便利屋ボーイズ - 口笛の気持ち・ピッコロ編 Living Fire - Save My Heart シン - カイ・シデン - オリビエ・ポプラン - ロイ・キャンベル - ルパン三世 - 諸星あたる - ねずみ男 - エドワード・ニグマ /リドラー ブルー将軍 - ピッコロ(マジュニア) キン肉マン(キン肉スグル) - 委員長(ハラボテ・マッスル) 劇薬処方箋 声優・古川登志夫の演劇的自伝エッセー 1 麒麟 - 2 天馬 - 3 テレスコープ 古川登志夫と平野文のオールナイトニッポンGOLD - 古川登志夫と平野文のレジェンドナイト 青二プロダクション - 青二塾 - 大阪芸術大学短期大学部 - 古川のぼる - 柿沼紫乃
菱村幸彦(ひしむら ゆきひこ、1934年11月9日- )は、… 菱村幸彦(ひしむら ゆきひこ、1934年11月9日- )は、日本の元文部官僚、教育行政学者、教育評論家。 岐阜県高山市出身。1959年京都大学法学部卒。文部省に入り、教科書検定課長、高等学校教育課長、初等中等教育局審議官を経て、1988年総務審議官、初等中等教育局長。1991年退任、放送大学学園監事、1993年国立教育研究所長。駒場東邦中学校・高等学校長、学校法人清真学園理事長、財団法人学習ソフトウエア情報研究センター理事長を歴任した。日本図書教材協会会長。
大久保 健治(おおくぼ けんじ、1934年11月8日 - 2… 大久保 健治(おおくぼ けんじ、1934年11月8日 - 2014年1月17日)は、日本のドイツ文学者、評論家、翻訳家。東京都立大学 (1949-2011)名誉教授。 1957年東京大学独文科卒、1960年同大学院修士課程修了、1964年ゲーテ賞を受賞し西ドイツに留学、1968年ドイツ語学文学振興会奨励賞受賞、東京都立大学助教授、教授を務め、定年後、大妻女子大学比較文化学部教授として勤めた。 アドルノ、ルカーチ、ジンメルなどドイツの批評家を翻訳するほか、『源氏物語』に関する批評的著作もある。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
奥田 継夫(おくだ つぐお、1934年〈昭和9年〉10月28… 奥田 継夫(おくだ つぐお、1934年〈昭和9年〉10月28日 - )は、日本の児童文学作家・評論家・翻訳家。 大阪府出身。大阪府立住吉中学校(旧制)進学、同級生には眉村卓がいた。卒業後、同志社大学文学部国文科に進学。在学中に乙骨淑子、柴田道子、山下明生、掛川恭子らと同人誌「こだま」に参加、卒業後に創作活動に専念する。 1968年、自らの太平洋戦争中の集団疎開の体験をもとに書いた処女作『ボクちゃんの戦場』(理論社)にてデビューした。この作品は1985年大澤豊の監督、前田吟や藤田弓子ら出演で映画化された。 1988年『この心さわぐ冒険、愛』(ほるぷ出版)が第35回産経児童出版文化賞の「推薦」に選ばれた。
副田 義也(そえだ よしや、1934年10月17日 - 20… 副田 義也(そえだ よしや、1934年10月17日 - 2021年10月8日)は、日本の社会学者・漫画評論家。筑波大学名誉教授。 東京生まれ。父は牧師・副田正義(1906年-2004年、青山学院神学部卒業)。 1953年、東京都立新宿高等学校卒業。1957年、東京大学文学部社会学科卒業。1959年、同大学院社会科学研究科修士課程修了。1995年、「生活保護制度の社会史」で東京大学より博士(社会学)の学位を取得。1959-1966 日本社会事業大学 嘱託・助手・講師・助教授。1966-1977 東京女子大学助教授・教授。1977-1998 筑波大学 教授 1995年、副学長。1998-2010 金城学院大学教授。
西本 鶏介(にしもと けいすけ、1934年9月30日 - )… 西本 鶏介(にしもと けいすけ、1934年9月30日 - )は、日本の児童文学作家、児童文学評論家。昭和女子大学名誉教授。 日本児童文学者協会、日本児童文学学会、日本文芸家協会、日本児童文芸家協会に所属。坪田譲治文学賞選考委員。 奈良県高市郡(現大和高田市)に県庁職員の長男として生まれる。年少時に児童文学者の中川正文の子ども会に参加する。 1958年國學院大學文学部日本文学科卒業。大学三年の時に、句集『薔薇と母』を刊行する。俳号を鶏介とする。卒業後、医学系出版社に務めるが、文学への志を捨てきれず、山本和夫らの「トナカイ村」に参加する。 1988年昭和女子大学文学部教授、2003年人間文化学部教授、2004年名誉教授、2005年退職。
金坂 健二(かねさか けんじ、1934年9月22日 - 19… 金坂 健二(かねさか けんじ、1934年9月22日 - 1999年7月2日)は日本の映画作家、評論家、写真家。 東京都生まれ。祖父はうなぎ屋だが、父親は家業を継がず家を貸して不動産収入で遊食していた。足立区立千住小学校から旧制東京都立江北中学校に入学、学制改革を経て、1952年、東京都立江北高等学校卒業。同校在学中は美術部に籍を置き、英語が得意で、成績は学年400人中1番から2番で通していた。東京大学に落ちて1浪で早稲田大学と慶應義塾大学文学部に合格し、後者に入学、1957年、同英米文学科卒業。松竹映画国際部に社長(城戸四郎)付きの通訳として籍を置き、ハーヴァード大学の国際セミナーに参加するうちに米国のアングラ映画作家と知り合い、松竹を休職中にフルブライト基金を受けて渡米、ノースウェスタン大学に1年間留学。
小中 陽太郎(こなか ようたろう、1934年〈昭和9年〉9月… 小中 陽太郎(こなか ようたろう、1934年〈昭和9年〉9月9日 - 2024年〈令和6年〉12月3日)は、日本の小説家、社会評論家、翻訳家。 兵庫県神戸市生まれ。 幼時を上海で過ごす。東京都立大学附属高等学校を経て、東京大学文学部仏文科で渡辺一夫に師事。1958年に同大学を卒業してNHKに入り、ディレクターとして『夢であいましょう』などを手がける。 1964年に退職してフリーとなり、野坂昭如の薫陶を受けてルポルタージュやコラムを執筆。 1965年、小田実たちと共にベ平連を結成。世話人としてパリやハノイやストックホルムに赴き、国際連帯に貢献する。特に脱走兵援助では、ハノイやモスクワを巡った。 1970年から法政大学講師を務める。
長部 日出雄(おさべ ひでお、1934年〈昭和9年〉9月3日… 長部 日出雄(おさべ ひでお、1934年〈昭和9年〉9月3日 - 2018年〈平成30年〉10月18日)は、日本の小説家、評論家。ミュージシャンの大友康平は甥。 青森県弘前市出身。弘前市第一大成国民学校、弘前市立第三中学校、青森県立弘前高等学校卒業。早稲田大学第二文学部哲学科を中退し、読売新聞社に入社。1957年『週刊読売』記者となる。大島渚、永六輔、野坂昭如、筒井康隆、小林信彦らをいち早く評価し、彼らと交友する[要出典]。その後退職し、雑誌『映画評論』編集者、映画評論家・ルポライターを経て、作家となる。 1973年『津軽じょんから節』と『津軽世去れ節』により、第69回直木賞を受賞。1979年『鬼が来た-棟方志功伝』により、第30回芸術選奨文部大臣賞を受賞。
武村 正義(たけむら まさよし、1934年〈昭和9年〉8月2… 武村 正義(たけむら まさよし、1934年〈昭和9年〉8月26日 - 2022年〈令和4年〉9月28日)は、日本の政治家、自治官僚、政治評論家。位階は従三位。 八日市市長、滋賀県知事(3期)、衆議院議員(4期)、新党さきがけ代表、内閣官房長官、大蔵大臣を歴任。政界引退後は龍谷大学客員教授、徳島文理大学大学院教授を務めた。 滋賀県蒲生郡玉緒村(現・東近江市柴原南町)の農家に生まれた。母を小学2年、祖父を中学3年、父を高校2年のときに亡くす。兄勘一。滋賀県立八日市高等学校では日本民主青年同盟に入って活動を行った。新聞部の部長だった2年生のとき、友人の書いた文章の内容が偏っているとして、担任が不掲載を求めた。
江國 滋(えくに しげる、1934年8月14日 - 1997… 江國 滋(えくに しげる、1934年8月14日 - 1997年8月10日)は、東京出身の演芸評論家、エッセイスト、俳人。俳号は滋酔郎。 長女は小説家の江國香織。 小学校は慶應義塾幼稚舎であったが、1945年秋、東京から静岡県庵原郡蒲原町(現在の静岡市清水区)に転校して徹底的ないじめを受ける。当時の経験を後に「怨み骨髄、あのときのいじめの下手人たちの顔も名前も身体的特徴も、いまだに忘れていない」と語り、文筆家になってからも紀行文の中で当時の恨みつらみを吐露している。 静岡県立清水東高等学校を経て慶應義塾大学法学部政治学科を卒業した。卒業後は新潮社に入社して、十年間『週刊新潮』の編集部にいたが、1966年に退社。
鈴木 武樹(すずき たけじゅ、1934年8月11日 - 19… 鈴木 武樹(すずき たけじゅ、1934年8月11日 - 1978年3月27日)はドイツ文学者・評論家。静岡県磐田市出身。
小山 正明(こやま まさあき、1934年7月28日 - 20… 小山 正明(こやま まさあき、1934年7月28日 - 2025年4月18日)は、兵庫県明石市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、解説者・評論家。 優れた制球力から「投げる精密機械」と称えられ、金田正一、米田哲也に次ぐ日本プロ野球歴代3位の320勝、同5位の290完投を記録した。通算無四球試合も鈴木啓示に次ぐ歴代2位。2001年に野球殿堂入り。 小山が通った高砂高校はもともと女学校で、小山の入学する1年前の1949年に男女共学となって野球部が設立されたばかりであり、野球では全く無名であった。小山は高校3年秋に進学を勧める父親を説得し、その父親のつてで大阪タイガースの入団テストを受ける。なお、小山の父が息子の入団テストを依頼する手紙を監督の松木謙治郎宛に書いたが、それが大変な達筆であったと松木は数十年後に回顧しており、小山本人からはたいした印象を受けなかったとされる。
中村 慶一郎(なかむら けいいちろう、1934年〈昭和9年〉… 中村 慶一郎(なかむら けいいちろう、1934年〈昭和9年〉6月29日 - 2020年〈令和2年〉10月29日)は、日本の政治評論家、元読売新聞政治部記者。内閣総理大臣秘書官(三木内閣)、内閣官房参与、国民新党顧問を務めた。 東京府の出身で、早稲田大学政治経済学部を卒業後の1957年に読売新聞社へ入社して地方部と政治部に勤務する。政治部で三木派の番記者を務めた。 1974年に読売新聞社を退職して12月に発足した三木内閣で総理秘書官を務めた。三木内閣退陣後はラジオ関東報道部長を経て、政治評論家として日本テレビ系列の「読売新聞あすの朝刊」でニュースキャスターを、早朝番組「ルンルンあさ6生情報」と「ジパングあさ6」、深夜ニュースワイド「NNNきょうの出来事」でそれぞれコメンテーターを担当した[要出典]。
岡安 辰雄(おかやす たつお、本名:伊藤 辰雄、1934年5… 岡安 辰雄(おかやす たつお、本名:伊藤 辰雄、1934年5月19日 - 2014年5月31日)は、愛知県出身の演劇評論家、元新聞記者 。名古屋タイムズ社を経て、中日新聞社に勤務した。 愛知県西尾市生まれ。1953年愛知県立西尾高等学校卒業、1957年愛知大学法経学部経済学科卒業。同年名古屋タイムズ社入社、報道部長、文化部長、編集局次長を務めたのち、中日新聞社に転職し、2010年放送芸能部退社。新聞記者として「芸能」のほかに「釣り」「囲碁」などの取材執筆も担当した。 2010年からは演劇評論家、フリーランス記者として活動した。御園座・名鉄ホール・中日劇場の興業を軸に半世紀以上、主たる興業の稽古取材・プログラム執筆を手掛けた。
本郷 美則(ほんごう よしのり、1934年5月9日 - 20… 本郷 美則(ほんごう よしのり、1934年5月9日 - 2020年7月28日)は、日本の時事評論家、元朝日新聞記者、研修所長。 北海道室蘭市生まれ。早稲田大学政治経済学部新聞学科卒。朝日新聞入社。同期には本多勝一や筑紫哲也がいる。社会部や整理部などを経て、研修所長を務めた。1994年(平成6年)の退社後は執筆活動を行う。 日本文化チャンネル桜に出演し、マスメディアの問題点や朝日新聞に関する問題について論じている。 2020年7月28日、神奈川県鎌倉市にて死去。86歳没。 2007年に第1次安倍内閣への朝日新聞の報道姿勢に対して として批判している。
大内 順子(おおうち じゅんこ、1934年5月4日 - 20… 大内 順子(おおうち じゅんこ、1934年5月4日 - 2014年10月30日 )は、元モデル、ファッション評論家、ファッションジャーナリスト。本名、宮内順子。 後年のトレードマークはサングラスとボブヘア。身長は161-162cmあったという。 祖父に大内暢三。長女はファッションコラムニストの宮内彩。 衆議院議員大内暢三の孫、生物学者大内義郎の次女として1934年5月4日に中華民国上海市で生まれる。父が上海自然科学研究所に勤務していたため、幼少期は上海のフランス租界で育つ。 1944年12月、太平洋戦争および日中戦争激化のため母と姉と共に帰国。神戸、大阪や岡山県など疎開先を転々とし、岡山県金光町で終戦と父の帰国を迎えた。
小倉 正史(おぐら まさし、1934年(昭和9年)5月3日 … 小倉 正史(おぐら まさし、1934年(昭和9年)5月3日 - 2020年(令和2年)3月1日)は、日本の美術評論家、フランス語翻訳家。国際美術評論家連盟会員。千葉県千葉市出身。1994年にフランス共和国芸術文化勲章シュヴァリエ賞受賞。
佐藤 欣子(さとう きんこ、1934年4月26日 - 200… 佐藤 欣子(さとう きんこ、1934年4月26日 - 2008年12月24日)は、日本の弁護士、法学者、評論家、秀明大学元教授。東京生まれ。旧姓斎藤。夫は政治学者の佐藤誠三郎、息子は評論家の佐藤健志。 父駒之助は郵政省に勤め、杉並郵便局長、鶴見郵便局長などを務めた。1948年母ツネ子が死去。欣子は、 東京地方検察庁、横浜地方検察庁を経て東京高等検察庁勤務。ハーバード大学研究員、国連アジア犯罪防止研修所次長、内閣総理大臣官房参事官、1981年退官し弁護士となる。
田原 総一朗(たはら そういちろう、1934年〈昭和9年〉4… 田原 総一朗(たはら そういちろう、1934年〈昭和9年〉4月15日 - )は、日本のジャーナリスト、評論家、ニュースキャスター。元ドリームインキュベータ社外取締役。元東京12チャンネル(現:テレビ東京)ディレクター、元映画監督。日本国際フォーラム参与、政策委員。公益財団法人日印協会顧問、一般社団法人外国人雇用協議会顧問、NPO法人万年野党会長。芸能事務所のブルーミングエージェンシーと業務協力。 滋賀県彦根市出身。田原節子は2番目の妻、その妹に古賀さと子がいる。田原は2人の妻をいずれも癌で亡くしている。 近江商人の末裔。第二次世界大戦中は人並みな軍国少年で、「海軍兵学校を経て海軍に入り、特攻隊員として戦闘機に乗り敵の軍艦にぶつかって死ぬ」のが夢だった。
伊東 一雄(いとう かずお、1934年4月7日 - 2002… 伊東 一雄(いとう かずお、1934年4月7日 - 2002年7月4日)は、日本の野球解説者、メジャーリーグ評論家。 「パンチョ伊東」の愛称・通称で広く知られた。 東京都豊島区西巣鴨に生まれ、小学生時は戦火を逃れるために千葉県市川市へ転居し、以後居住する。 子供時代から父親の影響で野球に親しみ、後楽園球場の東京巨人軍戦、神宮球場の大学野球に通いスコアカード記入などをした。1942年5月24日に後楽園球場の日本プロ野球史上最長の大洋軍対名古屋軍の延長28回戦や、1953年10月31日に大友工が日米野球でニューヨーク・ジャイアンツ相手に完投勝利を収めた試合も観戦した。 西巣鴨第四小、市川小、市川一中を経て、都立三高へ進学し、千葉大学文理学部を中退した。
森永 勝也(もりなが かつや、1934年4月5日 - 199… 森永 勝也(もりなが かつや、1934年4月5日 - 1993年12月7日)は、山口県柳井市出身のプロ野球選手(外野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。息子は元俳優の森永健司。 1958年から1962年までの登録名は「森永 勝治」。 柳井商工ではエースとして活躍し、2年次の1951年に秋季中国大会県予選準決勝へ進むが、下関商に敗れる。3年次の1952年には夏の甲子園へ出場し、2回戦(初戦)でエース堀内庄を擁する松商学園に完封勝ち。準々決勝では、この大会に優勝した芦屋高の植村義信と投げ合うが、0-2と完封を喫する。 高校卒業後は1953年に専修大学へ進学し、外野手に転向。東都大学野球リーグでは、1年次の同年春季リーグからレギュラーになり在学中全試合に出場し、2度の優勝を経験。
天野 勝文(あまの かつふみ、1934年4月 - )は、日本… 天野 勝文(あまの かつふみ、1934年4月 - )は、日本のジャーナリスト、 メディア評論家。元筑波大学教授、元日本大学教授。新聞、テレビ、メディアを研究。 千葉県船橋市に生まれる。1957年(昭和32年)東京大学文学部 社会学科を卒業。 1959年(昭和34年)4月、毎日新聞東京本社入社、社会部、名古屋報道部、編集委員、論説委員などを歴任。 1986年(昭和61年)筑波大学助教授(ジャーナリズム担当)、その後同教授。1997年(平成9年)日本大学法学部新聞学科教授(新聞論担当)になる。2004年(平成16年)3月に同教授を定年退官。 この間、日本マス・コミュニケーション学会、日本記者クラブ会員で現在に至る。
上前 淳一郎(うえまえ じゅんいちろう、1934年(昭和9年… 上前 淳一郎(うえまえ じゅんいちろう、1934年(昭和9年)3月31日 - )は、日本の評論家、ノンフィクション作家、エッセイスト。 岐阜県生まれ。1959年、東京外国語大学英米科を卒業後、朝日新聞社に入社。通信部、社会部記者を経て、1966年退社。以後、評論家として活動。 1976年に上梓した太平洋戦争中、ハワイの捕虜収容所で対日降伏勧告ビラ作製に協力した捕虜たちの足跡を追った『太平洋の生還者』で、日本ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。『週刊文春』に1984年から2002年まで「読むクスリ」を長期連載。古荘多聞の名で小説を一作だけ書いている。2002年以降、著述は途絶えている。
山崎 正和(やまざき まさかず、英語: Masakazu Y… 山崎 正和(やまざき まさかず、英語: Masakazu Yamazaki、1934年〈昭和9年〉3月26日 - 2020年〈令和2年〉8月19日)は、日本の劇作家、評論家、演劇研究者。文化功労者、文化勲章受章者。 関西大学文学部教授、大阪大学文学部教授、東亜大学学長、文部科学省中央教育審議会会長(第4期)、LCA大学院大学学長、サントリー文化財団副理事長、大阪大学名誉教授、経済産業省参与、日本芸術院会員などを歴任した。 『世阿弥』(1963年)、『後白河法皇』(1966年)、『冬の花火』(1968年)など多数の話題作を発表し、劇作家としての地位を築く。一方、評論の分野でも活動。『劇的なる日本人』(1971年)では、従来劇的でないとされてきた日本人の生活の中に、西洋とは異質の劇的精神があることを指摘した。
石川 佐智子(いしかわ さちこ、1934年3月9日 - ) … 石川 佐智子(いしかわ さちこ、1934年3月9日 - ) は日本の教育評論家、政治運動家、右翼。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
漆原 智良(うるしばら ともよし、1934年1月19日 - … 漆原 智良(うるしばら ともよし、1934年1月19日 - 2022年4月15日)は、日本の児童文学作家、教育評論家。 東京・浅草の煙草店に生まれた。縁故疎開で1945年から2年間、栃木県芳賀郡南高根沢村(現在の芳賀町)で過ごした。東京大空襲で家族を亡くす。 1948年(14歳)、栃木県宇都宮市の横松電機店に拾われる。作家・立松和平の実家であり、お守りをしたという(『つらかんべぇ』(今人舎)より)。法政大学文学部を卒業した。最初の赴任地・八丈小島をはじめとして、東京都の公立小・中学校で28年間勤務後、依願退職した。立教大学、実践女子短期大学、秋草学園短期大学で講師を務めた。 八丈小島赴任中の1962年11月に八丈小島のマレー糸状虫症撲滅のために東京大学伝染病研究所に協力した。
仲 衛(なか まもる、1934年1月9日 - 1997年5月… 仲 衛(なか まもる、1934年1月9日 - 1997年5月2日)は、日本のジャーナリスト、政治評論家。 京都府船井郡丹波町(現・京丹波町)生まれ。1958年京都大学法学部卒、毎日新聞社に入り、政治部記者。首相官邸キャップ、特別報道部デスク、政治部副部長、政治部編集委員、1982年論説委員となった。退任後、常葉学園大学教授を務めた。
井家上 隆幸(いけがみ たかゆき、1934年1月1日 - 2… 井家上 隆幸(いけがみ たかゆき、1934年1月1日 - 2018年1月15日)は、日本の文芸評論家、コラムニスト。日本推理作家協会会員。 岡山県津山市出身。岡山大学文学部卒。1958年に三一書房に入社し編集者となり、斎藤龍鳳『遊撃の思想』(1965年)、清水一行『小説 兜町』(1966年)、小沢昭一『私は河原乞食・考』(1969年)、竹中労『エライ人を斬る』(1971年)などを担当。 1972年に退社し、創樹社で『なにが粋かよ:斎藤龍鳳の世界』(1972年)を担当。その後、創刊準備中の日刊ゲンダイに編集局次長として入ったが創刊前に退社。再びフリーとなり、書評を中心に執筆活動を行う一方、白川書院に編集者として関わり、竹中労の「日本映画縦断」シリーズ(1974-1976年)、『聞書アラカン一代:鞍馬天狗のおじさんは』(1976年)、マキノ雅弘・稲垣浩編『山上伊太郎のシナリオ』(1976年)、高平哲郎『みんな不良少年だった』(1977年)、夏文彦『映画・挑発と遊撃』(1978年)などを担当。
長沼 博明(ながぬま ひろあき、1934年 - ?)は、日本… 長沼 博明(ながぬま ひろあき、1934年 - ?)は、日本の評論家。福岡県生まれ、明治大学法学部卒業。ナショナリズム、ファシズムの研究家。「ヒトラー通俗本」を執筆し、日本の新左翼やネオナチに影響を与えた。 『ファシズム革命』で否定的に捉えられがちなファシズムの再評価を行った。瀬戸弘幸は『ヒトラーの闘争』を読んで感激し、長沼を訪問、日本学生会議のOBを紹介してもらい、機関紙を見るなどして政治活動の世界に入るきっかけになったと発言している。瀬戸によれば2010年時点で既に亡くなっており、「膨大なヒトラー関連の資料は水害事故かで消失されたと記憶しています」とのことである。
松村 劭(まつむら つとむ、1934年 - 2010年1月2… 松村 劭(まつむら つとむ、1934年 - 2010年1月28日)は、日本の陸上自衛官、軍事評論家。専門は戦略・戦術研究・情報分析。デュピュイ戦略研究所東アジア代表を務め、国際戦略研究所会員であった。大阪府出身。東京都に在住した。 陸上自衛隊在隊間は陸上幕僚監部情報幕僚、同指揮幕僚、西部方面総監部防衛部長、第7師団第7戦車大隊長(当時。現・第71戦車連隊)、富士学校機甲科部副部長等の要職を歴任した。国際活動では、アメリカ陸軍指揮幕僚大学教官、在ジュネーブ軍縮代表部スタッフを経験している。 また、陸上自衛隊幹部学校時代の学友である楊鴻儒退役大佐との再会をきっかけに台湾を訪問。デュピュイ戦略研究所で考案された「定量的戦術判定法」(TNDM)の基本理論を、中華民国軍陸軍参謀本部の作戦部の人々に説明した。
馬場 雅夫(ばば まさお、1933年12月14日 - 199… 馬場 雅夫(ばば まさお、1933年12月14日 - 1993年11月24日)は、日本のアナウンサー、演芸・競輪評論家。 神奈川県横浜市出身。神奈川県立横浜緑ケ丘高等学校、明治大学文学部英米文学科卒業後、新日本放送(現在の毎日放送)に入局。1959年、日本教育テレビ(略称:NET。現在のテレビ朝日)開局のため、出向という形で転籍したが、以後もNETに在籍することになる。テレビ朝日(NET)在籍時代には、前任司会者の山田吾一の後を受け、1973年11月から1974年3月1日までアフタヌーンショーの司会者、時代劇・破れ傘刀舟悪人狩りのナレーションなどを務めたが、顕著な活動が見られたのは、落語の評論である。
森野 安弘(もりの やすひろ、1933年(昭和8年)12月8… 森野 安弘(もりの やすひろ、1933年(昭和8年)12月8日 - )は、東京都出身の軍事評論家、元陸上自衛官(最終階級は陸将)。 いずれも「森野軍事研究所」として出版。
国正 武重(くにまさ たけしげ、1933年11月27日 - … 国正 武重(くにまさ たけしげ、1933年11月27日 - 2019年11月21日)は、日本の政治評論家、ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。愛媛県出身。 1958年早稲田大学法学部第一法学部卒業、早稲田大学院入学。1959年朝日新聞に入社、1967年東京本社政治部に配属される。以来、佐藤栄作内閣を皮切りに歴代政権を担当した。1978年政治部次長、大平内閣の首相官邸クラブ責任者となる。1981年編集委員(政治担当)、1993年役員待遇。1995年退社、以後フリージャーナリストとして活躍した。 1999年に月刊誌『世界』に発表した湾岸戦争に関する論説記事で、同年度の日本記者クラブ賞を受賞。
竹内 成明(たけうち しげあき/せいめい、1933年11月1… 竹内 成明(たけうち しげあき/せいめい、1933年11月12日 - 2013年3月11日)は、日本の評論家・思想史学者。同志社大学名誉教授。 大阪府出身。京都大学文学部仏文科卒、同大学院修士課程修了。京都大学人文科学研究所助手、1973年同志社大学文学部助教授、教授。2004年定年、名誉教授。
有馬 真喜子(ありま まきこ、1933年11月12日 - )… 有馬 真喜子(ありま まきこ、1933年11月12日 - )は、女性問題の評論家、ジャーナリスト。 国民生活センター会長、財団法人横浜市女性協会顧問、特定非営利活動法人ユニフェム日本国内委員会理事長。所属団体は日本記者クラブ、日本エッセイストクラブ、京都大学人類学研究会。 本名は酒井 真喜子 (さかい まきこ)。夫は元朝日新聞編集委員・元東洋大学教授の酒井寛。元夫は明電舎元社員・日本共産党元常任幹部会委員の有馬治雄。父は陸上自衛隊武器学校初代校長や東急車輛製造取締役を歴任した海軍軍人・実業家の谷本政一。 広島県呉市出身。1957年、津田塾大学学芸学部英文学科を卒業し、朝日新聞社に入社。朝日新聞社初の女性記者となった。