佐藤 博史(さとう ひろし、1983年2月18日 - )は、… 佐藤 博史(さとう ひろし、1983年2月18日 - )は、北海道釧路市出身の元アイスホッケー選手。ポジションはフォワード。 釧路市立昭和小学校、釧路市立鳥取中学校、北海道釧路江南高等学校卒業。 2002年、日本製紙クレインズ入団。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
尾野 貴之(おの たかゆき、1983年2月11日- )は、北… 尾野 貴之(おの たかゆき、1983年2月11日- )は、北海道苫小牧市出身の元プロアイスホッケー選手。ポジションはディフェンスマン。 東海大学卒業後、2005-2006シーズンから日光神戸アイスバックス(現:H.C.栃木日光アイスバックス)に入団し、4シーズンプレー。 その後、2009年4月に韓国のチームである安養ハルラ(現:HLアニャン)と2年契約を結んだ。同チームでプレーする日本人選手としては瀬高哲雄、佐藤正和。に続いて3人目、ディフェンスマンとしては初めての選手となった。 2011-2012シーズンからH.C.栃木日光アイスバックスへの復帰が決まった。4シーズンプレーした後、2015年5月に自身のFacebookで引退を発表。
久保 英恵(くぼ はなえ、1982年12月10日 - )は、… 久保 英恵(くぼ はなえ、1982年12月10日 - )は、北海道苫小牧市出身の女子アイスホッケー選手である。北海道苫小牧工業高等学校、浅井学園大学短期大学部(現・北翔大学短期大学部)卒業。ポジションはフォワード。岩倉ペリグリン(現・道路建設ペリグリン)、オークビルアイス(カナダ)を経てSEIBUプリンセス ラビッツ所属。日本代表選手として冬季オリンピック3大会(2014年ソチ、2018年平昌、2022年北京)に出場している。 兄の影響で4歳からアイスホッケーを続けてきた。小学生時には男子に混じって苫小牧市選抜チームの主力として活躍。 中学生時の1997年にアイスホッケー女子日本代表に初選出され、1998年長野オリンピック時は代表候補。
福藤 豊(ふくふじ ゆたか、1982年9月17日 - )は、… 福藤 豊(ふくふじ ゆたか、1982年9月17日 - )は、北海道釧路市出身のプロアイスホッケー選手。ポジションはゴールテンダー。アジアリーグアイスホッケーのH.C.栃木日光アイスバックス所属。 日本人初のNHL選手である。 小学3年でアイスホッケーを始め、釧路景雲中時代は全国優勝。東北高等学校に進み、U-18世界選手権・世界ジュニア選手権などに出場。3年時には高校生初の日本代表入り。 2001年にコクド(後のプリンスホテル/SEIBUプリンス ラビッツ)に入社。 2002-03年シーズンはイーストコースト・ホッケー・リーグ(ECHL)のシンシナティ・サイクロンズ(英語版)でプレーした。 2004年6月27日にNHLドラフト(英語版)8巡目(全体238位)でロサンゼルス・キングスから指名された。
上原 大祐(うえはら だいすけ、1981年12月27日 - … 上原 大祐(うえはら だいすけ、1981年12月27日 - )は、日本の元パラアイスホッケー(アイススレッジホッケー)選手。長野県北佐久郡軽井沢町出身。長野大学社会福祉学部を卒業。現在は特定非営利活動法人 D-SHiPS32の代表として活動中。 生まれつき二分脊椎症という障害を抱えながらも、小・中・高と普通学級で過ごす。 19歳の時にアイススレッジホッケーに出会い、トリノパラリンピック、バンクーバーパラリンピックに出場。2010年バンクーバーでは銀メダルを獲得した。 2014年6月9日に自身のブログにて、アイススレッジ競技から引退することを宣言。2017年に現役復帰し、日本代表選手として、平昌2018冬季パラリンピック出場。
小野 粧子(おの しょうこ、1981年9月5日 - )は、北… 小野 粧子(おの しょうこ、1981年9月5日 - )は、北海道旭川市出身の女子アイスホッケー選手。ポジションはフォワード。既婚で旧姓は二本柳粧子(にほんやなぎしょうこ)。 立命館慶祥高校、日本体育大学女子短期大学部体育学科卒業。所属チームはコクドレディースを経てフルタイムシステム御影グレッズに所属。勤務先は芽室町にある蕎麦屋「紀山」。アイスホッケー女子日本代表に選出されている。 2004年8月にはトリノオリンピック最終予選に向けた代表候補に選ばれている。2018年平昌オリンピック日本代表。 2009年に小野豊と結婚。それを機に清水町に移住した。 2018年9月14日、日本アイスホッケー連盟は、所属する女子アイスホッケーチームの御影グレッズで、中高生3人に対する指導によるパワーハラスメント行為があったとして、当時コーチだった豊に登録停止3年、選手兼コーチ(選手としては同年3月に引退)だった粧子に活動停止6カ月に処分が下された。
二本柳 粧子(にほんやなぎ しょうこ、1981年9月5日 -… 二本柳 粧子(にほんやなぎ しょうこ、1981年9月5日 - )は、北海道旭川市出身の女子アイスホッケー選手。ポジションはフォワード。既婚で現姓は小野粧子(おのしょうこ)。
石川 央(いしかわ ひさし、1981年9月2日 - )は、神… 石川 央(いしかわ ひさし、1981年9月2日 - )は、神奈川県横浜市出身の元アイスホッケー選手。ポジションは ゴールキーパー。 2004年に日本製紙クレインズに入団。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
飯村 喜則(いいむら よしのり、1981年8月4日 - )は… 飯村 喜則(いいむら よしのり、1981年8月4日 - )は、北海道帯広市出身のアイスホッケー選手。ポジションはフォワード。帯広市立西小学校、帯広市立帯広第二中学校、白樺学園高等学校、明治大学卒業、A型。 2004年にHC日光アイスバックスへ入団。 2006年に日本製紙クレインズへ移籍。 2012年シーズン限りでクレインズを退部し、2013年シーズンからアイスバックスに復帰。 これまでユニバーシアードや長野カップ、アイスホッケー世界選手権の日本代表に選ばれている。 2015年シーズンを最後に引退。 引退後はアイスバックスのフロントスタッフからGM(ゼネラルマネージャー)に就任。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。
清川 和彦(きよかわ かずひこ、1981年7月28日 - )… 清川 和彦(きよかわ かずひこ、1981年7月28日 - )は、日本のアイスホッケー選手。北海道苫小牧市出身。ポジションは ゴールキーパー。白樺学園高等学校卒業。B型。 雪印→札幌ポラリス→日光神戸アイスバックス→王子製紙を経て、2008年日本製紙クレインズ入団。2014-2015シーズンより日光アイスバックスに9年ぶりに復帰。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
衣笠 伸正(きぬがさ のぶまさ、1981年7月24日 - )… 衣笠 伸正(きぬがさ のぶまさ、1981年7月24日 - )は、兵庫県神戸市出身の元アイスホッケー選手。ポジションはフォワード。埼玉栄高校、法政大学卒業。兄はドラマーの衣笠智英。既婚。 2003年冬季ユニバーシアード日本代表。
岡嵜 雄介(おかざき ゆうすけ、1981年7月19日 - )… 岡嵜 雄介(おかざき ゆうすけ、1981年7月19日 - )は、広島県呉市出身の元プロ野球選手(外野手)、高校野球指導者、ホッケー指導者。武田高等学校情報科教諭。 小学校6年時より野球を始める。 高校は県内の強豪・広島県立広島商業高等学校に進学。在学中に甲子園大会に出場するが控え選手だったため自身の出場はない。 神戸学院大学人文学部に一般受験を経て入学。関西六大学野球連盟所属の野球部に所属した。 大学卒業後は地元の社会人チームのワイテックに入社。2年間所属し、ショーケーストライアウト受験のため渡米。フロンティアリーグのチームからオファーを受けるも、ビザの関係で断念し、帰国した。 2006年のシーズン途中に四国アイランドリーグの徳島インディゴソックスに入団。
小原 大輔(おばら だいすけ、1981年6月4日 - )は、… 小原 大輔(おばら だいすけ、1981年6月4日 - )は、北海道釧路市出身のプロアイスホッケー選手。ポジションはフォワード。愛称は「バリ」。 釧路市立芦野小学校、釧路市立景雲中学校、駒澤大学附属苫小牧高等学校、早稲田大学卒業。 イーストコースト・ホッケー・リーグ(ECHL)、コクド(後にSEIBUプリンス ラビッツ)を経て、2009年に日本製紙クレインズに移籍。2011-2012シーズンより日本製紙クレインズキャプテンに就任。 2013-2014シーズン終了後に王子イーグルスへ移籍。 2020-2021シーズンより6シーズンぶりに古巣ひがし北海道クレインズに移籍。 2022-2023シーズンより東北フリーブレイズに移籍。
藤尾 香織(ふじお かおり、旧姓:千葉、1981年1月29日… 藤尾 香織(ふじお かおり、旧姓:千葉、1981年1月29日 - )は、山梨県白根町(現南アルプス市)出身の女子ホッケー選手である。ポジションはフォワード。 1986年の国体で地元がホッケー会場になったのがきっかけで小5でホッケーを始める。 巨摩高校、山梨学院大学からソニーイーエムシーエス一宮テック(ソニーHC BRAVIA Ladies)に入社。 2004年にはアテネ五輪に出場。 2006年のW杯では得点ランク4位の活躍で5位入賞に貢献。国際ホッケー連盟が選ぶ世界オールスターチームの18人に選ばれた。2007年には日本人で初めてホッケーで世界最高峰とも言われるオランダリーグにフル参戦した。 2008年の北京オリンピックでは「さくらジャパンの千葉ちゃん」として人気を集め、上位入賞を期待されたが10位と低迷。
酒井 隆行(さかい たかゆき、1980年1月15日 - )は… 酒井 隆行(さかい たかゆき、1980年1月15日 - )は、北海道釧路市出身の元アイスホッケー選手。ポジションはフォワード。 釧路市立新川小学校、釧路市立景雲中学校、北海道釧路江南高等学校、早稲田大学卒業。2012年(平成24年)4月、現役引退を発表。 “メンバープロフィール”. 日本製紙クレインズオフィシャルウェブサイト. 2011年8月14日閲覧。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
任田 大泰(とうだ ひろやす、1980年1月13日 - )は… 任田 大泰(とうだ ひろやす、1980年1月13日 - )は、日本の元アイスホッケー選手。 小学校1年生からアイスホッケーホッケーを始める。埼玉栄高等学校3年時にはアシスタントキャプテンを務め、1998年の第47回全国高等学校アイスホッケー競技選手権大会でチームは準優勝となった(南関東の高校としては初の決勝進出であった)。 進学した東洋大学では1年生の春からレギュラーとなり、4年時にはキャプテンを勤める。大学時代は数々の個人賞を受賞、チームでは3度大学日本一となった。大学卒業後は日本製紙クレインズに入団。6季プレーした。引退後は母校の東洋大学でコーチを7季務め、2015年現在は女子チーム釧路ベアーズのヘッドコーチ。
土田 亜希(つちだ あき 1979年5月29日 - )は、北… 土田 亜希(つちだ あき 1979年5月29日 - )は、北海道釧路市出身のアイスホッケー選手。ポジションはフォワード。 北海道釧路江南高等学校在学中、1998年の長野オリンピックのアイスホッケー女子日本代表に選ばれた。当時高校生で代表に選ばれたのは彼女と仲晶子の2人だけだった。1999年アジア冬季競技大会では銀メダルを獲得した。 2004年11月13日に行われたトリノオリンピック最終予選、ロシア戦では1ゴールをあげたが2-3で敗れオリンピック出場権獲得はならなかった。 2005年女子アイスホッケー世界選手権ディビジョンIのデンマーク戦ではゲームベストプレーヤーに選ばれた。 2006年3月の第25回全日本女子アイスホッケー選手権大会では六花亭ベアーズの優勝に貢献、最優秀選手に選ばれた。
堀江 航(ほりえ わたる、1979年5月25日 - )は、東… 堀江 航(ほりえ わたる、1979年5月25日 - )は、東京都出身のパラアイスホッケー選手。元プロ車いすバスケットボール選手。平昌パラリンピック・パラアイスホッケー(アイススレッジホッケー)日本代表。ブラジリアン柔術道場『CARPEDIEM世田谷』代表。身長179cm、体重75kg。日本体育大学体育学部体育学科卒。イリノイ州立大学(英語版)大学院体育学・教育学修士課程修了。 幼少時代よりサッカーに没頭。ジュニア時代は三菱養和でプレー。同期には井手口純、宇留野純、三上卓哉、一年先輩には永井雄一郎がいる。東京都立駒場高等学校では、1998年に学校史上初となる高校選手権に出場。1年後輩に後に妻となる高畑百合子やお笑い芸人「しずる」のメンバーである村上純がいる。
東 克彦(あずま かつひこ 1979年2月24日 - )は、… 東 克彦(あずま かつひこ 1979年2月24日 - )は、日本の元アイスホッケー選手。ポジションはフォワード。左利き。 苫小牧市立明倫中学校、北海道苫小牧工業高等学校を経て東洋大学へ進学、大学時代に1度ユニバーシアード代表に選ばれた。4年次には春季リーグ、秋季リーグ、インカレの三冠を達成した。 大学卒業後、2001年に王子製紙アイスホッケー部に加入、2006-07シーズン終了後、王子製紙を退団した。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
近藤 陽子(こんどう ようこ、1979年2月13日 - )は… 近藤 陽子(こんどう ようこ、1979年2月13日 - )は、青森県八戸市出身の女子アイスホッケー選手である。ポジションはディフェンダー。SEIBUプリンセス ラビッツ所属。日本体育大学女子短期大学部卒業。身長164cm。 小学生の時に地元の少年団「八戸南ジュニア」でアイスホッケーを始め、八戸レッズを経て(高校は八戸工業大学第一高等学校)、日本体育大学短期大学部進学に合わせコクドレディース(現SEIBUプリンセス ラビッツ)へ入団。 1998年には19歳で長野オリンピックに日本代表として出場。以来代表の中心選手として活躍を続ける。 2005年より久保英恵とともにカナダのプロリーグNWHLのオタワレイダースで1シーズンプレーした。
髙橋 和廣(たかはし かずひろ、1978年12月4日 - )… 髙橋 和廣(たかはし かずひろ、1978年12月4日 - )は、日本のパラアイスホッケー(アイススレッジホッケー)の選手。パラアイスホッケー日本代表としてパラリンピックの4大会に出場している。東京アイスバーンズ所属。 東京都西東京市(旧保谷市)生まれ。小学6年生からアイスホッケーのジュニアクラブ(西武ホワイトベアーズ)に所属、盛岡中央高等学校在学時には3年連続でインターハイに出場した。 大学進学後もアイスホッケーを続けていたが、21歳の時にスノーボードの転倒事故により脊髄を損傷。退院後のリハビリとしてアイススレッジホッケーに出会う。当初はアイスホッケーとは勝手の違うアイススレッジホッケーに対応できず「面白くないスポーツだ」と感じていたが、徐々に競技にのめりこみ、1年後の2002年ソルトレークシティパラリンピックのアイススレッジホッケー日本代表に選出された。
伊藤 賢吾(いとう けんご、1978年12月4日 - )は、… 伊藤 賢吾(いとう けんご、1978年12月4日 - )は、北海道釧路市出身の元プロアイスホッケー選手。ポジションはディフェンス。 釧路工業高等学校を卒業後、1997年より日本製紙クレインズに入団。ルーキーイヤーである日本リーグ 97-98シーズンは高卒ルーキーながら39試合に出場。 5シーズン目となる2001-02シーズンには、40試合に出場し43ポイント(13ゴール、21アシスト)を記録し、チームメイトのジョエル・ディックらと共に、攻撃型DFとして活躍。 2003-04シーズンは一時期イーストコースト・ホッケー・リーグ(ECHL)のシャーロット・チェッカーズ(英語版)でプレーした。日本では日本リーグからアジアリーグへ移行し、日本製紙クレインズの初優勝、アジアリーグ初代王者に貢献。
荻野 順二(おぎの じゅんじ 1978年11月29日 - )… 荻野 順二(おぎの じゅんじ 1978年11月29日 - )は、大阪府出身の元アイスホッケー選手、アイスホッケー監督。ポジションはゴールテンダー。左利き。 水戸短期大学附属高等学校、法政大学を経て、王子製紙アイスホッケー部(現:レッドイーグルス北海道)に入団。 2001-2002シーズンに日本リーグ初出場、2002-2003シーズンは1試合も出場できなかったが、長野カップ2004、2004年アイスホッケー世界選手権の代表に選ばれている。 2006年3月に東伏見アイスアリーナで行われた「アジアリーグ・エアホッケー2006」に菊地尚哉、二瓶次郎、春名真仁とともに出場、決勝で菊地を破り優勝した。 2012年5月に大阪工業大学アイスホッケー部への講習会に参加、北国の選手でなくとも、やる気と努力でトップに立てると語った。
北條大輔(ほうじょう だいすけ、1978年6月12日 - )… 北條大輔(ほうじょう だいすけ、1978年6月12日 - )は、北海道釧路市出身のアイスホッケー選手。
高橋 一馬(たかはし かずま、1978年4月17日- )は、… 高橋 一馬(たかはし かずま、1978年4月17日- )は、青森県出身の元アイスホッケー選手。青森県八戸市議会議員。 八戸工大一高→早稲田大学から西武鉄道アイスホッケー部、コクド、HC日光アイスバックスを経てECHLのユタ・グリズリーズ、SPHLのルイジアナ・アイスゲイターズでプレーした後、日光神戸アイスバックスに復帰した。アイスホッケー選手時代のポジションはフォワード。 これまでに世界ジュニアアイスホッケー選手権(1997年、1998年)、ユニバーシアード(1999年、2001年)で日本代表に選出されたことがある。 北米在住中、アメリカコーチングライセンス"LEVEL3,LEVEL4"取得。中学校・高等学校の教員免許も保持。
五十嵐 充子(いがらし みつこ、1977年8月21日 - )… 五十嵐 充子(いがらし みつこ、1977年8月21日 - )は、北海道苫小牧市出身のアイスホッケー選手。 兄の影響でアイスホッケーを始めた。1992年の全日本女子アイスホッケー選手権大会で最優秀新人賞を受賞、アイスホッケー女子日本代表として1996年アジア冬季競技大会で銀メダルを獲得した。 北海道苫小牧工業高等学校卒業後は岩倉ペリグリンに所属した。長野オリンピック日本代表にも選ばれた。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
森本 さかえ(もりもと さかえ、1977年1月20日 - )… 森本 さかえ(もりもと さかえ、1977年1月20日 - )は、奈良県橿原市出身の元女子ホッケー選手。ポジションはFW。165cm、63kg。天理高教諭。 天理高校卒業。天理大学卒業。ゴールドウイン入社(1999年)。天理大学職員(2000年~2009年)。天理高校(2009年~ ) 天理高校で、ホッケーを始め、天理大2年で日本代表(現さくらJAPAN)入り。 1999年、ゴールドウインに入社。日本リーグ、社会人、全日本、国体の四冠を獲得。 2000年12月、所属チームの休部に伴い、天理大に移籍。同大社会人ホッケーチームの選手兼コーチとなる。 2004年、アテネオリンピックに出場(日本代表五輪初出場、8位入賞)。
岡村 育子(おかむら いくこ、1976年9月17日 - )は… 岡村 育子(おかむら いくこ、1976年9月17日 - )は、埼玉県飯能市出身の女子競輪選手、元女子ホッケー選手。競輪選手としては、日本競輪選手会埼玉支部所属、ホームバンクは西武園競輪場。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第102期生。師匠は田淵浩一(55期)。 埼玉県立飯能高等学校に入学後、友人に誘われてホッケー部に入部。以後、ポジションはゴールキーパー一筋であった。 その後、ホッケーの名門、天理大学を経て、H.F.C - HANNOに所属。また、駿河台大学のコーチも務めていた。 2011年、競輪学校第102回(女子第1期)適性試験に合格。在校競走成績は1勝で第29位。 2012年5月1日、日本競輪選手会埼玉支部所属の競輪選手として登録された。
菅原 宣宏(すがわら のぶひろ、1976年 - )は、北海道… 菅原 宣宏(すがわら のぶひろ、1976年 - )は、北海道出身の元アイスホッケー選手、アイスホッケー監督。ポジションはディフェンス。 駒澤大学附属苫小牧高等学校卒。王子製紙へ入団し2007-2008シーズンまでプレー。ブロックショットでピンチを防ぎ、闘志あふれるプレーでゴールを守る。 2019-2020シーズンより王子イーグルスに監督に就任し、ジャパンカップ優勝に導く。王子最後の、そしてレッドイーグルス北海道初代の監督である。
菊地 尚哉(きくち なおや、1975年8月23日 - )は、… 菊地 尚哉(きくち なおや、1975年8月23日 - )は、北海道釧路市出身の元アイスホッケー選手。ポジションはゴールキーパー。 1998年から2011年の間、日本のトップリーグ(日本アイスホッケーリーグ、アジアリーグアイスホッケー)でプレー。元日本代表。 愛国小学校でアイスホッケーを始めた。釧路景雲中、釧路緑ヶ丘高等学校(現・武修館高等学校)の時にはアイスホッケーU20世界選手権代表に選ばれた。また2年次にはインターハイにも出場している。法政大学へ進学。大学ナンバーワンGKとの評価を得て、1998年、日本リーグ所属の西武鉄道に入社。 当初の3シーズンは、長野オリンピックの日本代表GK、芋生ダスティの壁に阻まれわずか9分47秒の出場にとどまる。
鈴木 貴人(すずき たかひと、1975年8月17日 - )は… 鈴木 貴人(すずき たかひと、1975年8月17日 - )は、北海道苫小牧市出身の元プロアイスホッケー選手。ポジションはフォワード。元アイスホッケー日本代表主将。 6歳でアイスホッケーを始める。駒澤大学附属苫小牧高校3年生次の1994年1月に開催された全国高等学校アイスホッケー競技選手権大会では4試合で9ゴール、3アシストの活躍で優勝に貢献。1994年4月、東洋大学に進学。2年生次の大学リーグ戦で得点、アシスト、ポイントの3冠を獲得して優勝に貢献。日本学生氷上競技選手権大会でも優勝。3年次はカナダのオウガスターナ大学に留学。1997年にはアイスホッケー日本代表に選出され、11月に長野オリンピック日本代表選考のカナダキャンプに参加したが、練習試合で負傷したため、オリンピック日本代表には選出されなかった。
熊谷 昌治(くまがい まさはる 1975年2月6日 - )は… 熊谷 昌治(くまがい まさはる 1975年2月6日 - )は、日本のパラアイスホッケー(アイススレッジホッケー)選手。日本代表メンバー。長野県飯田市出身。長野サンダーバーズ所属。 身長170cm,体重73kg,血液型B型。長野県下伊那農業高等学校を卒業。 幼少期よりあらゆるスポーツに取り組み活躍する。2009年夏、通勤途中に自動車との接触事故に巻き込まれ、右足下腿切断という不慮の事故に遭う。 長野県岡谷市のやまびこスケートの森を拠点とし活動する長野サンダーバーズに所属。ポジションFW。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:スポーツ/PJ:スポーツ人物伝)。
荒城 啓介(あらき けいすけ、1974年10月12日 - )… 荒城 啓介(あらき けいすけ、1974年10月12日 - )は、北海道苫小牧市出身のアイスホッケー選手・監督である。ポジションはフォワード。ライトハンド。O型。170cm、77kg。 苫小牧市立和光中学校、駒澤大学附属苫小牧高校から明治大学に進学した後、大学4年次にはインカレで決勝に進出したが、延長の末にペナルティショットをポストに当てて失敗し、チームは準優勝に終わった。1997年には古河電工アイスホッケー部に加入し、2シーズン目の第33回日本アイスホッケーリーグ(1998/99シーズン)で初ゴールをあげた。2001/02シーズンにはレギュラーとなったが、左膝靭帯を損傷したため、5試合の出場に終わった。
飯塚 祐司(いいづか ゆうじ、1974年5月17日 - )は… 飯塚 祐司(いいづか ゆうじ、1974年5月17日 - )は、日本の元アイスホッケー選手、アイスホッケー指導者。 現在、アイスホッケー女子日本代表監督。 北海道釧路市出身。北海道釧路工業高等学校卒業後に王子製紙に入社。アイスホッケー選手として日本リーグでプレー。 現役引退後に指導者に転身。2008年に男子U-20日本代表コーチを務め、その後にアイスホッケー女子日本代表監督に就任。2009年冬季ユニバーシアード(ハルビン/ 中国)及び2011年アジア冬季競技大会(アルマトイ&アスタナ/ カザフスタン)で女子日本代表を率い、アジア大会では準優勝を収めた。 女子日本代表を率いて冬季オリンピック出場を目指し、2010年バンクーバーオリンピック世界最終予選(上海/ 中国)に臨んだ際は、最終戦で中華人民共和国に0-2で敗れて出場権を逸した。
坂田 淳二(さかた じゅんじ、1974年5月10日 - )は… 坂田 淳二(さかた じゅんじ、1974年5月10日 - )は、北海道帯広市出身の元プロアイスホッケー選手、アイスホッケー指導者。ポジションはフォワード。引退後はクリエイティブアスリートとして活動中。ARIGATO HOCKEY CLUB チェアマン。 日本人初のヨーロッパでのプロ契約を結んだ選手。アジア人初となるチェコエクストラリーグでのプロ契約選手。 9歳で帯広大空アイスホッケー少年団に入団、アイスホッケーを始める。小学6年生のころに全北海道大会で優勝。中学3年時には全国大会で3位。白樺学園高等学校に進み、世界ジュニア選手権などに出場。卒業後、コクドに入団。入団1年目からレギュラーとして活躍し最優秀新人賞を受賞。
三浦 浩幸(みうら ひろゆき、1973年12月31日 - )… 三浦 浩幸(みうら ひろゆき、1973年12月31日 - )は、北海道釧路市出身の元アイスホッケー選手である。ポジションはディフェンダー。愛称はチャラ。 兄の三浦孝之(英語版、ドイツ語版)も元アイスホッケー選手であり、孝之の息子(浩幸からみて甥に当たる)三浦優希はアイスホッケー選手としてECHLのアイオワ・ハートランダーズ(英語版)(ミネソタ・ワイルド傘下)でプレーしている。 釧路緑ヶ岡高校を卒業後、コクドに入社。 1992年のNHLドラフト(英語版)全体260位でモントリオール・カナディアンズにドラフト指名された。日本人初のドラフト指名選手となった。 1998年には男子アイスホッケー日本代表として長野オリンピックに出場した。
春名 真仁(はるな まさひと、1973年7月16日 - )は… 春名 真仁(はるな まさひと、1973年7月16日 - )は、北海道釧路市出身の元アイスホッケー選手、アイスホッケー指導者。ポジションはゴールテンダー。 釧路市立鳥取西中学校から北海道釧路湖陵高等学校へ進学、3年次のインターハイでは準決勝にチームを導いた。早稲田大学を経て古河電工アイスホッケー部(現:H.C.栃木日光アイスバックス)に加入、コクド戦で日本リーグ初勝利をあげた。 1998年の長野オリンピックの日本代表候補に1997年6月20日選ばれたが、同年末に芋生ダスティの帰化が認められたためオリンピック代表には選ばれなかった。1999年アジア冬季競技大会ではカザフスタン戦で先発出場し引き分けに持ち込んでいる。
小田 由香(おだ ゆか、 1973年3月15日 - )は、日… 小田 由香(おだ ゆか、 1973年3月15日 - )は、日本のアイスホッケー選手。ポジションはゴールテンダー。北海道出身。 室蘭市出身。駒澤短期大学卒業。岩倉ペリグリンを引退した後、トヨタシグナスに加入した。 アイスホッケー女子日本代表として、1996年アジア冬季競技大会で銀メダル、1998年の長野オリンピックに出場した。1999年アジア冬季競技大会では銀メダルを獲得した。長野五輪には同じ短大出身の佐藤理絵、尾野聡美も選出された。 2003年2月の第22回全日本女子アイスホッケー選手権大会(A)ではベスト6に選ばれた。同年ラトビアで行われた女子アイスホッケー世界選手権ディビジョンIでは日本の守護神として5戦全勝に貢献した。
片山 立規(かたやま たつき、1973年1月26日 - )は… 片山 立規(かたやま たつき、1973年1月26日 - )は、北海道釧路市出身の元アイスホッケー選手である。ポジションはDF。レフトハンド。 釧路江南高からカナダのフォートサスカチュアン・トレーダースを経てコクドに入社。 ジュニア世代から日本代表に選ばれ、8度の世界選手権や長野オリンピックにも出場。コクドでもタイトル獲得に貢献。 引退後は日本大学のコーチを務める。 2005年、クラブチームの横浜ゴールデングリフィンズの旗揚げに参加。 2008年、SEIBUプリンス ラビッツのコーチに就任。
渡辺 はる香(わたなべ はるか、1972年12月13日 - … 渡辺 はる香(わたなべ はるか、1972年12月13日 - )は、栃木県足利市出身のアイスホッケー選手。 成城大学を1995年に卒業、コクドレディースでプレーした。 アイスホッケー女子日本代表として、1998年の長野オリンピックに出場、1996年アジア冬季競技大会、1999年アジア冬季競技大会では銀メダルを獲得した。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
桜井 邦彦(さくらい くにひこ、1972年4月11日 - )… 桜井 邦彦(さくらい くにひこ、1972年4月11日 - )は、北海道苫小牧市出身の元アイスホッケー選手である。ポジションはフォワード。ライトハンド。 駒大苫小牧高では1988年インターハイ優勝を経験。1989年にはアジア大会代表にも選ばれ優勝に貢献。 卒業後、王子製紙に入団。長らくチームの中心選手として活躍しチームに多くのタイトルをもたらした。 第72回全日本選手権ではMVPに選ばれる。 代表としても世界選手権4度出場。長野オリンピックにも出場した。 2009年12月13日に日本リーグ、アジアリーグ最多出場となる604試合出場を達成。 2009-10シーズンを最後に引退。日本リーグ、アジアリーグ通算試合数は618試合まで伸ばした(2014年10月11日に高橋淳一に更新される)。
大津 英人(おおつ ひでと、1971年12月26日 - )は… 大津 英人(おおつ ひでと、1971年12月26日 - )は、栃木県日光市出身のアイスホッケー選手。ポジションはディフェンス。 長男はプロアイスホッケー選手の大津晃介。次男もプロアイスホッケー選手の大津夕聖。 釧路市立鳥取西小学校、釧路市立鳥取西中学校、北海道釧路工業高等学校出身。 1990年古河電工アイスホッケー部入部。1999年HC日光アイスバックス。2002年引退。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:スポーツ/PJ:スポーツ人物伝)。
馬島 誠(まじま まこと、1971年8月24日 - )は、… 馬島 誠(まじま まこと、1971年8月24日 - )は、日本のパラアイスホッケー選手、パラ・パワーリフティング選手。2010年バンクーバーパラリンピックアイススレッジホッケー銀メダリスト。長野県生まれ。 上伊那郡辰野町出身。辰野西小学校、辰野中学校、長野県伊那北高等学校、1997年に駒澤大学法学部卒業。 幼少から剣道や杖道など武道に励む。大学3年生のときアルバイト先での測量作業中、6万6000ボルトの特別高圧の送電線に接触する事故に遭い、下半身に障がいを負い、車いす生活となる。一命は取り留めたものの2~3週間意識が戻らず、3回の植皮手術とリハビリで丸1年入院した。 大学卒業後、長野県内の企業セイコーエプソンに就職。
中島谷 友二朗(なかじまや ゆうじろう、1971年2月16日… 中島谷 友二朗(なかじまや ゆうじろう、1971年2月16日 - )は、北海道釧路市出身の元アイスホッケー選手、アイスホッケー指導者、通訳、アイスホッケー解説者。ポジションはディフェンスマン。左利き。 アイスホッケー世界選手権に日本代表として5回出場している。180cm、83kg。 釧路市立北中学校からサスカチュワン州のノートルダム高校に進学した。高校卒業後はサスカチュワン・ミジェットAAAリーグの年間ベストDFに選ばれている。 日本アイスホッケーリーグでは1990年の第25回からコクドに所属しプレーした。 29歳となった2000年にはNHLのナッシュビル・プレデーターにトライアウト参加し、プレシーズンマッチにも出場した。
山中 武司(やまなか たけし、1971年1月30日 - )は… 山中 武司(やまなか たけし、1971年1月30日 - )は、北海道苫小牧市出身の元アイスホッケー選手、指導者。現役時代のポジションはディフェンダー。右利き。 妻の宏美(旧姓:山本)は元スピードスケート選手で、1994年リレハンメルオリンピック・女子5000mの銅メダリスト。 兄たちの影響を受けてアイスホッケーを始め、苫小牧南高校在学中の1987年アジア・オセアニアジュニア大会準優勝を経験。 卒業後、王子製紙に入社し、アイスホッケー部に所属。主将も務め全日本選手権5連覇などに貢献。 日本代表としても1996年、1997年アイスホッケー世界選手権、長野オリンピックなどに出場した。 2002年に現役を引退し、会社に残り苫小牧工場に勤務する一方で苫小牧明倫中学校などで指導に当たった。
村上 裕幸(むらかみ ひろゆき、1971年1月14日-)は、… 村上 裕幸(むらかみ ひろゆき、1971年1月14日-)は、北海道苫小牧市出身の元アイスホッケー選手、監督。現役時代のポジションはセンターフォワード。血液型はO型。身長183cm。 小学校3年生よりクラブチームにてアイスホッケーを始める。 高校は北海道苫小牧東高等学校へ進学し、1年生からアイスホッケー部の主力選手として活躍し、主将も務めた。高校3年生の1989年にはU20日本代表に選出され、以後3年連続アイスホッケーU20世界選手権に出場した。 明治大学へ進学後は本格的に頭角を現し、関東大学リーグ得点王やMVP等数多くの賞を受賞した。2、4年生時にはユニバーシアード日本代表に選出され活躍した。主将を務めていた4年生時には、全日本選手権において日本リーグ(現アジアリーグ)の雪印を撃破する歴史的な試合も経験している。
桝川 浩司(ますかわ こうじ 1969年9月23日 - )は… 桝川 浩司(ますかわ こうじ 1969年9月23日 - )は、日本の元アイスホッケー選手。フォワード。右利き。 苫小牧市立明倫中学校、北海道苫小牧東高等学校から早稲田大学に進学、同期の小堀恭之、荒沢義寛と三羽烏と呼ばれ、3年次には24シーズンぶりにインカレを制した。大学卒業後は、王子製紙アイスホッケー部に入り活躍した。 アイスホッケー日本代表にも1996年2月、1997年6月、長野オリンピック代表候補、長野カップ2004などで選ばれている。 2005年、王子製紙を退団、2006年にヨコハマ ゴールデングリフィンズに入団している。
柳 承辰(ユ・スンジン、유승진、1969年1月20日 - )… 柳 承辰(ユ・スンジン、유승진、1969年1月20日 - )は韓国、大邱市出身の男子ホッケー選手・ホッケー指導者。 高校時代より韓国代表で活躍し、1986年アジア競技大会での優勝に貢献、1988年ソウルオリンピック(10位)、1996年アトランタオリンピック(5位)韓国代表として出場。 中京大学大学院修了後、1991年からホッケー日本リーグの表示灯男子ホッケー部(現在の名古屋フラーテルホッケーチーム)で選手として活躍。1996年には同チーム監督を務めた。 更に1996年から2001年までホッケー男子日本代表コーチ、2006年から2007年まで天理大学女子ホッケー部(天理大学ベアーズ)監督、2006年からホッケー女子日本代表ヘッドコーチ、2008年からはホッケー日本リーグ女子のコカ・コーラウエストレッドスパークス(現・コカ・コーラレッドスパークス)監督を務めている。
岩崎 伸一(いわさき しんいち、1968年8月21日 - )… 岩崎 伸一(いわさき しんいち、1968年8月21日 - )は、北海道栗山町出身の元アイスホッケー選手、監督。ポジションはゴールテンダー。178cm、85kg。 苫小牧市立沼ノ端中学校、苫小牧東高校から明治大学に進学、ユニバーシアードに2度出場した。1991年に国土計画(後にコクド)入社。正ゴーリーの座を射止めタイトル獲得に貢献。日本アイスホッケーリーグ3連覇、全日本アイスホッケー選手権3連覇に貢献した。 日本代表でも10年間活躍、長野オリンピックなどに出場した。 コクドが西武鉄道アイスホッケー部と合併したのに伴い、2003年引退。新生コクドでコーチとなる。 2005年、監督に就任。
杉沢 明人(すぎさわ あきひと、1967年7月20日 - )… 杉沢 明人(すぎさわ あきひと、1967年7月20日 - )は、北海道苫小牧市出身の元アイスホッケー選手である。ポジションはフォワード。170cm、64kg。ライトハンド。愛称は「スギ」。 元雪印のGK杉沢義人は実兄。 駒大苫小牧高から1986年に王子製紙に入社し、アイスホッケー部に所属。日本リーグ4連覇など王子黄金時代に活躍。 1998年の長野五輪では日本代表最初の得点を記録。正代表として9試合出場。 2000-2001年シーズンよりコーチ兼任となった。 2004年12月4日のゴールデンアムール戦で日本リーグ・アジアリーグ通算288得点目を記録し、本間貞樹のもつリーグ記録を更新した。 2004-05年シーズン後現役を引退、コーチ専任となった。