井木 尚武(いぎ なおたけ、1972年2月19日 - )は元… 井木 尚武(いぎ なおたけ、1972年2月19日 - )は元レーシングドライバー・実業家。新潟県・長岡市出身。 レース活動は1990年から2000年まで、2014年からN-ONE OWNERS CUPに出場。2016年ツインリンクもてぎの茂木チャンピオンシップ第1戦で2位でチェッカーを受けたがその後失格にそれ以降は4輪公式戦には出場していないその後バイクのロードレースに転向今はフランスウェルネス株式会社代表取締役 この項目は、モータースポーツに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。
横山 崇(よこやま たかし、1971年12月31日 - 19… 横山 崇(よこやま たかし、1971年12月31日 - 1997年10月19日)は、日本のレーシングドライバー。群馬県太田市出身。 N1耐久(後のスーパー耐久)、FJ1600などを経て、1994年に渡英しフォーミュラ・ボクスホール・ロータスに参戦。1995年にイギリスF3のBクラス、翌年にはトムスGBよりイギリスF3に参戦し、マカオGPにも出場した。 1997年は日本に戻り、全日本F3選手権に童夢からエントリーした。同年10月19日、富士スピードウェイで行われた第9戦の決勝レースで、スタート直後のAコーナー(現在のコカコーラ・コーナー)で脇阪薫一とトム・コロネルが接触しコースアウト。脇阪のマシンは裏返しになり、救出するためにセーフティカーが導入され、「SC」ボードと黄旗が提示された。
谷口 信輝(たにぐち のぶてる、1971年5月18日 - )… 谷口 信輝(たにぐち のぶてる、1971年5月18日 - )は、広島県佐伯郡大野町(現:廿日市市)出身のレーシングドライバー、YouTuber。愛称は「ノブ」「NOB(谷口NOB)」。 日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。 16歳(1987年)よりバイクに夢中になり、18歳(1989年)でミニバイクレースで日本一に輝く。その後、いくつかのバイクチームからのオファーもあり、ライダーのステップアップも考えていたが、バイクレースの帰り道にドリフトしながら交差点を曲がって行くAE86に遭遇し、ドリフトに興味を持ち始める。その時、知人からバイク運搬用としてマツダ・ボンゴを購入予定だったが、マツダ・RX-7(FC3S)でドリフトしたいと思っていた。
中野 信治(なかの しんじ、1971年4月1日 - )は、日… 中野 信治(なかの しんじ、1971年4月1日 - )は、日本のレーシングドライバー。大阪府高槻市出身。 実父の常治も家業と兼業しながらFFスーパーシビックレースや全日本F2選手権などに参戦したレーシングドライバーであり、中野は父がレースに参戦する姿を鈴鹿サーキットで見て育つ。1982年夏、11歳の中野を父がカート場に連れて行ったことがきっかけでレーシングカートを開始。それ以後は父が自身のレース活動を引退し、中野のカートチーム監督となりレースの参戦準備やマシン整備などを担当、まずは地方選手権から参戦をスタートする。なお、金石勝智や光貞秀俊は同じカート大会に参戦しており、光貞は地方選手権時代に参戦クラスも同じだったことがある。
木村 武史(きむら たけし、1970年10月22日 - )は… 木村 武史(きむら たけし、1970年10月22日 - )は、日本の実業家、レーシングドライバー。千葉県松戸市出身。千葉商科大学付属高等学校、千葉商科大学卒業。 大学卒業後不動産業界に入り、2001年に株式会社ルーフ(RUF)を創立。2021年現在も同社の社長を務める。 元々子供の頃からスーパーカー好きであったことから、34歳のときにメルセデス・ベンツ・SL55 AMGを購入したのを機に車にのめり込み始め、2015年には自らのチームとして「CARGUY Racing」を設立し本格的にモータースポーツに参入。本人によれば「CARGUY活動で出会うレース仲間やスーパーカーオーナーは富裕層が多く、不動産取引にも繋がるので、レースを始めて会社の業績も上がった」とのことで、単なる道楽ではなく本業との相乗効果もあるという。
長島 正興(ながしま まさおき、1970年(昭和45年)9月… 長島 正興(ながしま まさおき、1970年(昭和45年)9月26日 - )は、日本の元レーシングドライバー、環境活動家。本名は長嶋 正興(読み同じ)。血液型B型。 長嶋茂雄の次男(末子)として東京都大田区に生まれた。アメリカ留学などを経て暁星国際高等学校卒業後、駒澤大学経済学部経済学科に進学。硬式野球部に入部し、鶴田泰、田口昌徳らが同期であったが退部。大学在学中の1992年からレース活動を始めた。 ホンダ・シビックワンメイクレースを皮切りに、フォーミュラ・トヨタ、全日本F3選手権、全日本GT選手権などへ参戦し数々の優勝、入賞を飾る。また、マカオグランプリで行われたフォーミュラ・ルノーにも参戦した。
高木 真一(たかぎ しんいち、1970年5月6日 - )は、… 高木 真一(たかぎ しんいち、1970年5月6日 - )は、山口県柳井市出身のレーシングドライバー。 1990年鈴鹿フレッシュマンレースのホンダ・シビッククラスでレースデビュー。 1993年から2年間FJ1600に参戦。1995年に英国フォーミュラ・ボクスホールで修行した後、山口県のディーラーでメンテナンスの仕事をしつつ、1997年フォーミュラ・トヨタWEST(西日本シリーズ)で全戦優勝でチャンピオンを獲得。 1998年に全日本GT選手権(JGTC)GT500クラスへスープラでINGINGよりGTデビュー。翌1999年にはGT300クラスへ土屋エンジニアリングよりトヨタ・MR2をドライブし、チームタイトルを獲得した。
熊久保 信重(くまくぼ のぶしげ、1970年2月10日 - … 熊久保 信重(くまくぼ のぶしげ、1970年2月10日 - )は、福島県二本松市出身のレーシングドライバー、エビスサーキット支配人。D1グランプリなどのドリフト競技で活躍し、近年はダートトライアルにも参戦している。血液型O型。父は東北サファリパークの創業者、熊久保勅夫。日本大学東北高等学校卒業。主な愛称は「支配人」「クマ」など。 福島県二本松市出身。日本大学東北高等学校卒業後日本大学工学部に進む。 小学生の頃から、父が所有していたダートラのコース(現在のエビスサーキット)でモトクロスを始める。のちに全日本選手権まで上り詰めるが、怪我をしたことや成績が伸び悩んだことから、20歳過ぎの頃に参戦を止める。
飯田 章(いいだ あきら、1969年〈昭和44年〉12月18… 飯田 章(いいだ あきら、1969年〈昭和44年〉12月18日 - )は、日本のレーシングドライバーである。愛称は「アキラ」、「飯田アキラ」、「へなちょこ」、「チョコさん」。 東京都昭島市に生まれ、数年後に神奈川県津久井郡津久井町(現・相模原市緑区)へ転居。津久井町立鳥屋小学校、津久井町立鳥屋中学校[要出典]、神奈川県立城山高等学校普通科を経て、日本大学農獣医学部卒業。大学在学中であった19歳(1989年)の時に、モータージャーナリストの姉(飯田裕子)の代役として、富士フレッシュマンレースでレースデビュー。AE86型カローラレビンに乗り、初戦において3位入賞の結果を残した。 1991年、日産ワークスドライバーの検定に合格し、同年よりN1耐久シリーズに「ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル(NISMO)」に所属し参戦。
後藤 聡(ごとう さとる、1969年9月11日 - )は日本… 後藤 聡(ごとう さとる、1969年9月11日 - )は日本のレーシングドライバー。愛知県出身。青山学院大学理工学部機械工学科卒業。 自動車販売と修理を営む家庭に生まれ、幼少の頃から車に興味を持つ。大学在学中に2輪のロードレースに参戦。就職に伴いレースから離れるが、1996年にザウルスJr.シリーズで再びレース活動を再開。FJ1600、フォーミュラ・トヨタに参戦し、2000年にフォーミュラ・トヨタでシリーズチャンピオンを獲得。2001年から全日本GT選手権(現:SUPER GT)に参戦を開始。デビューイヤーの第5戦で初優勝を果たした。
桧井 保孝(ひのい やすたか、1969年5月11日 - )は… 桧井 保孝(ひのい やすたか、1969年5月11日 - )は、日本のレーシングドライバー、実業家。広島県出身。血液型はB型。「檜井保孝」名義でも参戦歴がある。 1988年にFJ1600でレースデビューし、1990年には、バブル景気の真っただ中で40台近い参戦台数を数えた全日本F3選手権にステップアップし、最高位8位を記録。「インターナショナルF3リーグ」にも参戦した。 1991年に渡英し、イギリス・フォーミュラ・ボクスホールに参戦。1992年に全日本F3選手権に復帰し、開幕戦で3位に入り初表彰台を獲得。10月のF1日本グランプリのサポートレースでは2位を獲得。また、前年に続いて「インターナショナルF3リーグ」にも参戦した。
織戸 学(おりど まなぶ、1968年12月3日 - )は、千… 織戸 学(おりど まなぶ、1968年12月3日 - )は、千葉県船橋市出身、神奈川県在住のレーシングドライバー。MAX ORIDOとしても知られる。愛称は「オリダー」「モン吉」。A型。 千葉県立船橋二和高等学校から自動車整備の専門学校に進学。卒業後、自動車雑誌『CARBOY』主催のドリフトコンテストで頭角を現し、初代グランドチャンプとなった後に坂東正明率いる坂東商会に入社し、21歳の1991年より富士フレッシュマンレースのNA1600クラスでレーシングドライバーとしてデビューした。マシンはAE86レビンのN2仕様で、周囲はベテランドライバーばかりだったため、よく目の敵にされたとビデオオプション[要文献特定詳細情報]で語っている。
加藤 寛規(かとう ひろき、1968年2月23日 - )は、… 加藤 寛規(かとう ひろき、1968年2月23日 - )は、神奈川県伊勢原市出身のレーシングドライバー。 1990年にカートレースを始め、1992年にフォーミュラ・トヨタで本格的に4輪レースにデビュー。1993年にはシリーズ2位を獲得。1994年からは全日本F3選手権に参戦。1995年にはシリーズ3位、1998年にはマカオグランプリでFPトップタイムを記録、決勝でも6位入賞を果たすなど活躍。ここでの活躍が認められ海外のレースにも参戦するようになる。 1999年には郷和道率いるチーム郷よりBMWでル・マン24時間レースに出場するがリタイアに終わる。2000年にはアメリカン・ル・マンシリーズに日本人初のワークスドライバーとしてパノスから参戦し、シリーズ10位。
保阪 尚希(ほさか なおき、本名:同じ、旧芸名:保阪尚希→保… 保阪 尚希(ほさか なおき、本名:同じ、旧芸名:保阪尚希→保阪尚輝→保坂尚輝、1967年12月11日 - )は、日本の俳優、タレント、歌手、料理研究家、通販コンサルタント、レーシングドライバー。
影山 正美(かげやま まさみ、男性、1967年5月2日 - … 影山 正美(かげやま まさみ、男性、1967年5月2日 - )は、神奈川県藤沢市出身のレーシングドライバー。血液型はRh+B型。元レーシングドライバーの影山正彦は実兄。 兄・正彦のマネージャーからドライバーに転身し、富士スピードウェイでレースデビューを果たした。結果は予選23位、決勝7位入賞というジャンプアップであった。 若手ドライバーがレースキャリアをスタートさせる登竜門として知られていた富士フレッシュマン・シリーズに初参戦。1989年に日産ザウルスカップ(ジュニア・フォーミュラ)でフォーミュラカー・レースにデビュー。1990年に新設されシリーズ初年度であったフォーミュラ・トヨタ・シリーズにステップアップすると、全4戦中3勝を挙げシリーズの初代チャンピオンとなった。
石川 資章(いしかわ もとあき、1967年4月7日 - )は… 石川 資章(いしかわ もとあき、1967年4月7日 - )は、兵庫県出身の医師でレーシングドライバー。現在、モナコ在住。 当初はロータスカップなどへ参戦していた。2004年のF4西日本シリーズ第3戦TIラウンドにて、37歳でフォーミュラレースデビュー。その後2005年は、F4にスポット参戦しながらフォーミュラ・ドリームのドライバー・オーディションに合格し(このシリーズを戦うためには事前に審査が行われ合格しなければならない)、フル参戦を果たしている。2006年もF4にスポット参戦する傍ら、全日本スポーツカー耐久選手権に挑戦した。 2007年は、40歳で全日本F3選手権に参戦。「親父の挑戦」として開幕前に話題を集めた(チームも新規参戦のSHION FORMULA LTD.)。
榎本 広行(えのもと ひろゆき、1967年2月19日 - )… 榎本 広行(えのもと ひろゆき、1967年2月19日 - )は、日本の元レーシングドライバー。埼玉県川越市出身。e-cube group CEO。 1987年に筑波プロダクションレースにてレースデビュー。 1992年に真田睦明率いるチームトランスグローバルに加入し、TSC、RJ、Fミラージュ、Fトヨタ、F4、F3、ミラージュカップ、N1耐久、GT選手権等で活躍。 1991年 東日本RJ選手権シリーズチャンピオン 1994年,1995年 N1耐久クラス2(BMW M3)シリーズチャンピオン。 1999年まで活躍した。 引退後は実業家として、現在e-cube groupのCEOを務める。
小林 賢二(こばやし けんじ、1967年 - )は日本の歯科… 小林 賢二(こばやし けんじ、1967年 - )は日本の歯科医、レーシングドライバー。東京都世田谷区出身。 日本大学鶴ヶ丘高等学校、日本大学松戸歯学部卒業。1995年に「こばやし歯科」を開院。近年は「MI治療(Minimal Intervention)」を心掛けた診療を行っており、インプラント等にも力を入れている。 幼少の頃よりモータースポーツとポルシェに強い憧れを抱き、アイルトン・セナのファンでもあった。1996年に「日本ポルシェクラブ」に入会後、31歳で筑波ナイター9時間でレースデビュー。ポルシェ・カレラカップ・ジャパン、鈴鹿1000km、ニュルブルクリンク24時間レース、GTアジア・シリーズ、ドバイ24時間レース、VLNニュル耐久シリーズ等を戦い、2012年にはFIA 世界耐久選手権とSUPER GT・GT300クラスに参戦。
白井 直樹(しらい なおき、1966年9月13日 - )は、… 白井 直樹(しらい なおき、1966年9月13日 - )は、日本のレーシングドライバー、元オートバイ・ロードレース選手。東京都出身。
大西 太一郎(おおにし たいちろう、1966年7月13日 -… 大西 太一郎(おおにし たいちろう、1966年7月13日 - )は、日本の元レーシングドライバー、現在は実業家として広告代理店、株式会社アイ・ピー・エー及び株式会社ピー・アール・エムを経営。 立教大学経済学部卒業後、レーシングドライバーとして活動を開始。FJ1600を皮切りに全日本F3やフォーミュラ・ニッポンなどに参戦した。またフォーミュラ・ボクスホールなど海外のシリーズにも参戦した経験を持つ。 第一線を退いてからは、レーシングスクールの講師を中心に活動。その後、実父が起業した広告会社を引き継ぎ、現在は同社の代表を務めている。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
服部 尚貴(はっとり なおき、Naoki Hattori、1… 服部 尚貴(はっとり なおき、Naoki Hattori、1966年6月13日 - )は、三重県四日市市出身のレーシングドライバー。2024年現在、スパ・フランコルシャン24時間レースで総合優勝した経験を持つ唯一の日本人ドライバーである。 高校時代にカートの草レースに出場。1985年にスターレットでダートトライアルに出場し、初レースで優勝する。翌1986年にフォーミュラカテゴリーのFJ1600へ参戦。1987年に鈴鹿FJ1600シリーズチャンピオンを獲得する。 1988年から全日本F3選手権にステップアップ。F3での二年目となる1989年、無限・MF204エンジン勢が優勢の中、服部は第6戦・筑波でフォルクスワーゲンエンジンで1勝を挙げランキング4位と健闘。
松本 玲二(まつもと りょうじ、1966年5月30日 - )… 松本 玲二(まつもと りょうじ、1966年5月30日 - )は日本のバンド、TUBEのドラマー、レーシングドライバー。神奈川県座間市出身。 幼稚園のころからアコースティックギターを弾いて、両親の影響でクラシック音楽を聴きはじめる。小学生のころには、両親や兄の影響でKISSなどの洋楽に興味を持ち始め、のちにバンドを組むことになるがドラムを担当する人がいなかったために仕方なくドラムを始める。なお、ドラムは完全なる独学。独学ゆえに、多ジャンルの演奏を素直に吸収できる器用さを持つ。 神奈川県立厚木北高等学校時代は軽音楽部に所属していた。この軽音楽部の一学年先輩にはTUBEのメンバー角野秀行が在籍していた。
田中 哲也(たなか てつや、1965年12月16日 - )は… 田中 哲也(たなか てつや、1965年12月16日 - )は京都府出身のレーシングドライバー。
山野 哲也(やまの てつや、TETSUYA YAMANO、1… 山野 哲也(やまの てつや、TETSUYA YAMANO、1965年10月2日 - )は、日本のレーシングドライバー。東京都出身。帰国子女。上智大学経済学部経営学科卒業。茨城県守谷市在住。もりや広報大使。弟の山野直也もプロドライバー。 東京都武蔵野市に生まれ、主に東京都府中市で育つ。15歳だった1981年、父親の仕事の都合で家族でロサンゼルスに移住。国立市の桐朋高等学校からカリフォルニア州トーランス市のサウス・ハイスクール(英語版)に転校した。16歳で運転免許を取得し、自動車の運転を始めた。南カリフォルニア大学に入学後、両親と弟はドイツ・フランクフルトへ移住。山野は単身で1年間アメリカに残った後、日本に帰国し上智大学へ編入。
佐藤 久実(さとう くみ、1965年6月17日 - )は、日… 佐藤 久実(さとう くみ、1965年6月17日 - )は、日本のレーシングドライバー、自動車評論家。 東京都出身、明治薬科大学卒業。大学在学中から自動車競技に参加するようになり、ワンメイクレースを経て、耐久レースを中心に出場するようになった。本格的な自動車競技デビューは、1988年の「つくば9時間耐久レース」。その後、2001年までの12年に渡りスーパー耐久、JGTCなどの国内レースに参加した。 2008年にはVLN(ニュルブルクリンク耐久シリーズ)第4戦にLEXUS IS250で出場し、豊田章男と組んでクラス2位を獲得。2011年にも第3戦と第5戦にLEXUS CTで出場してクラス2位となったほか、第9戦にはLEXUS IS FのサーキットバージョンCCS-Rの車両開発を兼ねて出場、クラス8位となる。
石川 朗(Akira Ishikawa, いしかわ あきら、… 石川 朗(Akira Ishikawa, いしかわ あきら、1965年6月16日 - )は、日本の元レーシングドライバー。工学院大学卒。エアーズモータースポーツ(神奈川県綾瀬市)代表。大阪府出身。 12歳の時にレーシングカートを開始。大学進学後の1987年より入門フォーミュラのFJ1600に参戦し、1988年に筑波FJ1600Aシリーズチャンピオンに輝いた。 1989年、全日本F3選手権にステップアップ。1990年よりカプコンのスポンサードを得て参戦体制が整うと、安定した速さを発揮し6位以内入賞を積み重ねた。1991年第4戦筑波ではポール・ポジションを獲得し決勝でも3位表彰台を獲得するなど上位の常連となり年間ランキング8位となる。
野村 謙(のむら けん、1965年5月19日 - )は、福岡… 野村 謙(のむら けん、1965年5月19日 - )は、福岡県出身の元レーシングドライバー、実業家、ユーチューバー。愛称は「のむけん」。血液型A型。 日本初のワークスドリフトドライバーとして知られる。D1グランプリにはシリーズ設立当初から2018年まで参戦しており、初代D1選手会長を務めた。独特な口調の博多弁の明るいキャラクターに、白煙番長(詳細は後述)と呼ばれる派手な走行スタイルで、D1ドライバーの中でも人気の高い選手であった。 福岡県福岡市出身、九州産業大学付属九州産業高等学校卒業。運転免許を取得後、走り屋として峠を走り込むようになり、ドリフトに熱中する。1992年にスポーツランドやまなしで開催された第13回いかす走り屋チーム天国(以下「いか天」)で優勝し、後に開催された全国大会でも準優勝を果たす。
村松 栄紀(むらまつ えいき、1965年4月23日 - 19… 村松 栄紀(むらまつ えいき、1965年4月23日 - 1990年3月23日)は、日本のレーシングドライバー。山梨県中巨摩郡櫛形町(現・南アルプス市)出身。身長182cm。
三原 じゅん子(みはら じゅんこ、本名:中根 順子、旧姓:三… 三原 じゅん子(みはら じゅんこ、本名:中根 順子、旧姓:三原、1964年〈昭和39年〉9月13日 - )は、日本の政治家、女優・歌手、介護施設経営者、元レーシングドライバー。自由民主党所属の参議院議員(3期)。自由民主党人事局長。 以前は出生名の三原 順子で活動。芸能活動期間の所属事務所は東京宝映テレビ。 女性活躍担当大臣、共生社会担当大臣、内閣府特命担当大臣(こども政策、少子化対策、若者活躍、男女共同参画、共生・共助)、厚生労働副大臣、内閣府大臣補佐官、参議院厚生労働委員長、参議院消費者問題に関する特別委員長、参議院環境委員長、参議院政府開発援助等及び沖縄・北方問題に関する特別委員長、自由民主党女性局長などを歴任。
近藤 真彦(こんどう まさひこ、1964年7月19日 午後1… 近藤 真彦(こんどう まさひこ、1964年7月19日 午後1時35分- )は、日本の実業家、歌手、俳優、タレント、レーシングドライバー。ジャニーズ事務所取締役、所属。血液型O型。身長173cm。ニックネームはマッチ (Matchy)(名付け親は事務所の先輩・松原秀樹)。既婚者。神奈川県大和市出身。
山路 慎一(やまじ しんいち、1964年(昭和39年)5月3… 山路 慎一(やまじ しんいち、1964年(昭和39年)5月3日 - 2014年(平成26年)5月26日)は、日本の元・レーシングドライバー。千葉県野田市出身。血液型はA型。身長181cm。 1986年(昭和61年)、筑波サーキットプロダクションカーレースでデビュー。 1987年(昭和62年)には富士スピードウェイ JSSレースに参戦する。1990年には、富士フレッシュマンレースのRX-7クラスでシリーズチャンピオンを獲得。 1991年(平成3年)からジュニアフォーミュラにステップアップし、フォーミュラ・トヨタ、フォーミュラ・ミラージュで好成績を残す。また、グループA仕様のカローラレビンでJTCやマカオGPのサポートレースであるギアレースにも参戦した。
田中 篤(たなか あつし、1964年(昭和39年)3月6日 … 田中 篤(たなか あつし、1964年(昭和39年)3月6日 - )は、日本のレーシングドライバー。長崎県佐世保市出身。 ランナップスポーツおよびランナップグループ代表である。1986年(昭和61年)に西日本サーキットシビックレースでデビューし、F3、FC45、全日本ツーリングカー選手権 (Gr.A)やN1耐久シリーズ(現:スーパー耐久)などに出場した。現在は SUPER GT・GT300クラス及びSRO・ジャパンカップにドライバーとして参戦中。 SUPER GTに参戦開始以降、多くの若手ドライバーを起用。その中にもトップドライバーに成長した若手も多数いる。 2014年と2015年に参戦。所属していた時期は田中から「何回も車を壊している」と指摘される程粗削りなのが目立つドライバーだったが、その後GAINERやGreen Brave等トップチームを渡り歩き、2020年にはGT300クラスで初優勝、2023年にはシリーズチャンピオンを獲得した。
井上 隆智穂(いのうえ たかちほ、1963年9月5日 - )… 井上 隆智穂(いのうえ たかちほ、1963年9月5日 - )は、日本の元F1ドライバーで元レーシングドライバー、実業家。兵庫県神戸市出身。血液型O型。日本国外では「タキ・イノウエ (Taki Inoue) 」と呼称及び表記されることが多い。 神戸生まれ。幼少期に生沢徹などが載った雑誌などを見たことがきっかけでレーサーを志すようになる。三田学園中学校・高等学校に進学後、12歳の時には両親に内緒でレーシングカートを購入し、近所をバイクで走っていた高校生に混じって住宅街を走ったりしていた。 その後大学に進学する。自宅の近所にある片山義美のガレージ「カタヤマレーシング」を訪れ、練習用にマツダ・ファミリアを購入し、レース用に改造するとともにレースデビューに向けて練習に励んだ。
影山 正彦(かげやま まさひこ、1963年8月8日 - )は… 影山 正彦(かげやま まさひこ、1963年8月8日 - )は、日本のレーシングドライバー。神奈川県藤沢市出身。血液型はAB型。同じくレーシングドライバーの影山正美は実弟。 16歳でオートバイに乗り始め、18歳で自動車免許を取るとスカイライン・RSに乗り峠道を走るようになった。そこで先輩が出入りしていたタイヤショップがTSサニーでのツーリングカーレースに関わっていたことで初めて富士フレッシュマンレースを観戦し、「これに挑戦したい」と衝撃を受けレースの世界に足を踏み入れた。 1984年、富士フレッシュマンレースでレースデビュー。毎日睡眠3時間でアルバイトに励み資金を作っていたが、1985年を終えると参戦資金が底をつき借金も大きくなったため、レース参戦を辞める決断をする。
片山 右京(かたやま うきょう、男性、1963年5月29日 … 片山 右京(かたやま うきょう、男性、1963年5月29日 - )は、神奈川県相模原市出身のレーシングドライバー、登山家、自転車競技選手。KATAYAMA PLANNING株式会社 代表取締役。 神奈川県相模原市の名誉観光親善大使、白山ジオトレイル名誉顧問、大阪産業大学工学部客員教授。 東京都生まれ、神奈川県相模原市(南区)鵜野森育ち。相模原市立鹿島台小学校に通い、登山愛好家だった父の影響もあり、この頃から自転車や登山にいそしむ。将来は植村直巳のような地球をめぐる冒険をしたいと憧れていた少年だった。 中学・高校は、日本大学第三中学校・高等学校に進学。陸上部に入部し、長距離走の選手だった。大学の体育学部への進学を志望していたが、受験日直前にオートバイの転倒事故を起こし負傷。
鈴木 学(すずき まなぶ、1963年3月20日 - )は、東… 鈴木 学(すずき まなぶ、1963年3月20日 - )は、東京都足立区出身の元レーシングドライバー、自動車レビュアー、グラフィックデザイナー、自動車イベントなどでのMC。有限会社エムエスアール代表取締役。愛称は「マナピー(マナP)」、「マカオちゃん」、「鈴木ペラ男」、「舌の乾かない男」。 全日本プロドリフト選手権(D1グランプリ)やD1グランプリの下位カテゴリーであるD1ライツなどのドリフト大会・イベントのMC・実況として活動しつつ、D1車両やチューニングカーなどのバイナルグラフィックのデザインを手掛ける。 18歳で運転免許を取得後、アマチュアレースの世界に飛び込む。20歳頃から、レース資金のためにカッティングシートを使った自動車の外装のグラフィックデザインを手掛けるようになる。
桃田 健史(ももた けんじ、1962年8月4日 - )は、日… 桃田 健史(ももた けんじ、1962年8月4日 - )は、日本の元レーシングドライバー、自動車評論家。 神奈川県横浜市出身。桐蔭学園小学校・中学校・高等学校を経て、1985年に東海大学工学部動力機械工学科を卒業。同年に全日本ツーリングカー選手権(JTC)に参戦し、記念すべきJTCの第1戦目となる同年6月のスポーツランドSUGOでのレースで星野薫とのコンビで総合優勝を飾った。なおこのときはなぜか「桃田健司」の名前でエントリーしている。 その後、渡米してNASCARやパイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライム、フォーミュラ・アトランティックに出場。1992年にはヒロ松下と共にインディ500にも参戦するが、予選中のクラッシュにより予選不通過に終わる。
和田 久(わだ ひさし、1962年6月7日 - )は、日本の… 和田 久(わだ ひさし、1962年6月7日 - )は、日本のレーシングドライバー。 1984年に鈴鹿サーキットで行われる鈴鹿シルバーカップレースNSクラスでレースデビュー。1987年にはFJ1600に参戦し、鈴鹿B・西日本Aの2シリーズでチャンピオンを獲得した。 1989年より全日本F3選手権に本格的に参戦を開始し、1990年には開幕戦から服部尚貴とのデッドヒートと共にチャンピオン争いを繰り広げた。1991年に国内最高峰フォーミュラである全日本F3000選手権にステップアップ。同年からは全日本ツーリングカー選手権にも参戦を開始した(〜1992年)。 1989年途中より、コンピュータゲームソフトでヒット作を生み出していた「カプコン」のスポンサードを受けていたが、1994年にバブル崩壊の余波を受けカプコンがスポンサードから撤退したため、全日本F3000参戦を継続できなくなった。
黒澤 琢弥(くろさわ たくや、1962年6月7日 - )は、… 黒澤 琢弥(くろさわ たくや、1962年6月7日 - )は、静岡県御殿場市出身のレーシングドライバー、自動車評論家、実業家。血液型A型、身長164cm。 父親は、日本のモータースポーツ黎明期から活躍したレーシングドライバーで、自動車評論家としても著名な「ガンさん」こと黒澤元治。弟の黒澤治樹と黒澤翼もレーシングドライバーというレース一家の出身である。 フォーミュラカー、GTカー、ツーリングカーと、いずれのトップカテゴリーにおいても複数の優勝経験を持ち、表彰台かリタイヤかというアグレッシブなレースぶりから「和製マンセル」とよばれた。また全日本GT選手権とその後継となるSUPER GTのGT500クラスにおいて、トヨタ、ニッサン、ホンダの国内3大メーカー全てのマシンをドライブしている数少ないドライバーの1人である。
藤永 敬道(Yoshimichi Fujinaga, ふじな… 藤永 敬道(Yoshimichi Fujinaga, ふじなが よしみち、1962年1月30日 - )は、山口県宇部市出身の元レーシングドライバー。 1983年、21歳の時に西日本サーキットスターレットカップでレーシングキャリアをスタート。1985年にホームコースである西日本で開催された全日本ツーリングカー選手権(N1クラス)にスターレットで参戦。 1988年にマナティMK6、マナティMK7を操り鈴鹿FJ1600Bシリーズおよび西日本FJ1600Aシリーズで年間チャンピオンを獲得し頭角を現す。 1989年、全日本F3選手権にステップアップ。1990年から結果が伴い始め、第2戦富士でF3初表彰台を獲得などランキング10位に入る。
星野 敏(ほしの さとし、1961年(昭和36年)4月7日 … 星野 敏(ほしの さとし、1961年(昭和36年)4月7日 - )は、日本の実業家、レーシングドライバー、元フェンシング選手。NEXUSCEO(取締役代表執行役員)。元日本フェンシング協会会長。群馬県利根郡片品村出身。 経営者としては関東圏を中心に展開するパチンコホール「D'STATION」の運営会社NEXUSのCEO、アスリートとしては企業として後援しているカーレースに自らも参戦してレーシングドライバー、学生時代にはフェンシング選手として全日本選手権を制覇するなど多彩な顔を持つ。 群馬県立沼田高等学校を経て、1984年、法政大学を卒業。 片品村で舞茸や谷川岳の材木などを運搬する運送会社を経営する家に生まれる。
ヒロ 松下(ヒロ まつした、英語:Hiro Matsushi… ヒロ 松下(ヒロ まつした、英語:Hiro Matsushita、1961年3月14日 - )は、日本の実業家、元レーシングドライバー。本名は松下 弘幸(まつした ひろゆき)。日本人としてインディカー・ワールド・シリーズおよびインディ500に初参戦を果たした。 レーシングカー製造業のスウィフト・エンジニアリングを起業・経営しているが、競業企業との争いに敗れ、現在は航空宇宙産業のサプライヤーをメイン事業としている。 松下電器産業の2代目社長を務めた松下正治の次男として、1961年に兵庫県西宮市に生まれる。パナソニックの創業者である松下幸之助は祖父に当たる。 甲南幼稚園、甲南小学校、甲南中学校・高等学校、甲南大学経営学部を卒業。
小林 且雄(こばやし かつお、1961年2月28日 - )は… 小林 且雄(こばやし かつお、1961年2月28日 - )は、日本のレーシングドライバー。長野県小諸市出身で血液型はB型。 免許取得後にラリーを始め、その後ダートトライアルに転向。 1989年、1990年には日産・マーチスーパーターボで全日本ダートトライアル選手権のC2クラスチャンピオンを獲得する(特に89年は全戦全勝という快挙。1991年はダートラ休業)。 また、1990年にはレースにも参戦し始め同年富士フレッシュマンシリーズ・シルビアのチャンピオンを獲得する。 1991年、1992年にはミラージュインターカップに参戦。1992年からダートラ復帰、新設された軽自動車によるAIクラスに参戦、2年連続シリーズ2位の成績を残す。
岡安 由美子(おかやす ゆみこ、1961年2月25日 - )… 岡安 由美子(おかやす ゆみこ、1961年2月25日 - )は、日本の女優、歌手、レーシングドライバー。本名:岡安 裕美子(読み同じ)。株式会社愛企画所属。独身。 東京都千代田区出身。妹がいる。銀行員の父の転勤のため、小学生時代は北九州市で過ごすなど転居が多かった。幼稚園児の頃から絵とピアノを習う。この頃、絵ではよく抽象画のような絵を描いていたという。女子美術大学付属高等学校卒業→女子美術大学デザイン学科卒業。大学生時代、ストリートパフォーマンスで「ホコ天の女王」とマスコミに取りあげられる。一方で千葉県の中学校へ2週間教育実習に行っていたことがある。 ストリートパフォーマンスチーム「秘密結社G」のメンバーとして人気を集め、フジテレビの深夜番組『オールナイトフジ』の司会を経て、女優および歌手として活動。
高橋 徹(たかはし とおる、1960年10月6日 - 198… 高橋 徹(たかはし とおる、1960年10月6日 - 1983年10月23日)は、広島県賀茂郡西条町(現・東広島市)出身のレーシングドライバー。ウイングカーの申し子との異名を持つ。血液型A型。 父親は公務員でごく普通の家庭で育ったが、中学2年の時、野呂山スピードパーク(1974年まで存続)で初めてレースを見てレーシングドライバーになる夢を抱く。広島県立広島工業高校化学科を1年留年した後2年生時で中退。18歳になり運転免許を取得したその日、地元の街道レーサーだった5歳上の兄・邦雄の愛車であった日産・スカイラインを譲り受けた。2,200ccにボアアップしノンスリップデフを装着したシャコタン車で、兄に速く走る方法を仕込まれるとその初日にはフェンスに張りつくスピンをするほど乗り回していたという。
木下 隆之(きのした たかゆき、1960年5月5日 - )は… 木下 隆之(きのした たかゆき、1960年5月5日 - )は、日本のレーシングドライバー、著作家。日本自動車ジャーナリスト協会会員。 東京都出身。血液型はA型。明治学院大学経済学部卒業。妻は料理研究家の飛田和緒。日本カーオブザイヤー選考委員(09-10等)。 2005年当時、専門学校テクニカルカレッジ神戸の非常勤講師を務めていた。 明治学院大学在学中は自動車部で主将を務め、学生ジムカーナやダートトライアルに出場していた。 初レース時のクルマはトヨタKP61スターレットであり、非力なクルマであったことが逆に闘争心に火をつけたと語っている。このレースで初優勝し、その走りを見ていたP'Sプロモータースポーツ監督の上村にスカウトされ、プロのレーサーとして出発する事になる。
太田 哲也(おおた てつや、1959年(昭和34年)11月6… 太田 哲也(おおた てつや、1959年(昭和34年)11月6日 - )は、日本のモータージャーナリスト、元・レーシングドライバー。群馬県前橋市出身。日本大学第二高等学校、武蔵大学経済学部卒業。東京都世田谷区在住。太田哲也オウンドメディア ~KEEP ON RACING~ (日本語) 1982年(昭和57年)にレースデビュー。その後、当時レーシングチームを経営していたチェッカーモータースの兼子眞に見出され、富士グランチャンピオンレース(富士GC)などに参戦。1987年(昭和62年)からは全日本F3000選手権に出場。1989年(昭和64年/平成元年)にはマツダとワークス契約を結び、全日本F3000に加えて全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権 (JSPC) などにも出場する。
舘 善泰(たち よしひろ、1959年2月9日 - )は、日本… 舘 善泰(たち よしひろ、1959年2月9日 - )は、日本の元レーシングドライバーで、現在はracing F代表。三重県鈴鹿市出身。 1980年、鈴鹿シルバーカップでレースデビュー。1982年に全日本F3選手権へとステップアップし、1984年から最高峰カテゴリーの全日本F2選手権にステップアップ。スピードスターホイールレーシングより長谷見昌弘のチームメイトとして4年間参戦した。その後、一時F3選手権にステップダウンするも(1989年-1990年)、1991年に再び全日本F3000選手権に参戦。1993年に全日本F3選手権参戦し、この年限りで現役を引退。 引退後は三重県鈴鹿市でレーシングガレージ「racing F」を運営している。
中谷 明彦(Akihiko Nakaya, なかや あきひこ… 中谷 明彦(Akihiko Nakaya, なかや あきひこ、1957年11月3日 - )は、日本のレーシングドライバーであり、自動車評論家である。 私立暁星小学校、港区立城南中学校(現港区立六本木中学校)、東京都立八潮高等学校を経て、武蔵工業大学(現東京都市大学)工学部機械工学科卒業。大学時代の同級生には元・本田技研工業代表取締役社長の八郷隆弘がいる。 レーシングドライバーの中でも特に理論派として知られ、自らが主催する「中谷塾」ではドライビングテクニックを座学中心に学ぶという従来のレーシングスクール等と一線を画すカリキュラムにより、佐藤琢磨を初めとする多くのドライバーを育てている。 日本でもトップクラスのレーシングドライバーでありながらジャーナリストを兼ねるという稀有な存在であり、日産・GT-Rの開発主管を務めた水野和敏からは、ジャーナリストの中で「(GT-Rを)ちゃんと乗りこなせていたのは中谷明彦氏くらい」と高く評されている。
萩原 光(はぎわら あきら、1956年7月21日 - 198… 萩原 光(はぎわら あきら、1956年7月21日 - 1986年4月7日)は、レーシングドライバー。神奈川県小田原市出身。星野一義の弟子。 14歳の時、まだ無免許であったがトヨタ・クラウンをこっそり運転し、レーサーにあこがれを抱く。当時、免許取得前に車を運転したいと考え、最も早い手段が暴走族に入る事だったため、暴走族グループに所属していたこともあった。しかし萩原は暴走行為に全く興味はなく、車に乗ることと速く走る技術を磨くことだけに関心があった。自著でも「族に入ってたというだけで白い目で見る人もいるけど、目指したのは走りそのものだけだ。」と記している。18歳で自動車運転免許取得。以後マツダ・サバンナ、日産・フェアレディZと乗り継ぎ、「小田原一速い男」として峠道など街道レーサーとして現状で出来得るテクニックを追求した。