浅野 洋一郎(あさの よういちろう、1956年11月26日 … 浅野 洋一郎(あさの よういちろう、1956年11月26日 - )はJRA・美浦トレーニングセンターに所属していた元調教師。浅野武志調教師は義父。旧姓は小島。 1956年東京都新宿区にて4人兄姉の末子として出生。当時「小島」姓を名乗っていた洋一郎であるが暫くして両親が離婚し、彼だけが母方の故郷である山梨県の富士吉田市の祖母の元で幼少期を送る。 その後、母が浅野武志調教師(東京競馬場所属)と息子洋一郎を連れて再婚。洋一郎は東京の府中市にある小学校へ転校、再び東京に移り住むこととなる。洋一郎は母の再婚後も小島姓を名乗っていたが中学1年の夏に自らの希望により「浅野」へと姓を改めている。 中学1年生から父・武志の厩舎業務を手伝うようになった洋一郎は、やがて馬関係の仕事に就きたいと告げ、「馬をやるなら『馬の足元』を勉強するのが一番」という父・武志の助言もあり、駒場学園の装蹄畜産科を経て麻布獣医大学へと進学。
高岡 秀行(たかおか ひでゆき、1956年4月29日 - )… 高岡 秀行(たかおか ひでゆき、1956年4月29日 - )は滋賀県出身の元騎手、元調教師。ホッカイドウ競馬からシンガポールターフクラブに移籍した。 滋賀県立八日市高等学校卒業後、2年間の浪人生活を送るも、大学受験に失敗。その後は縁もゆかりもない北海道へ渡る。 牧場でアルバイトをするうちに騎手を志すようになり、1979年にデビュー。23歳と遅咲きながら通算524勝を挙げ、1992年に引退。 1993年からは調教師に転身し、2000年には年間54勝でリーディングトレーナーとNARグランプリの最優秀調教師賞を受賞。 ホッカイドウ競馬ではJRA1勝を含む通算356勝を挙げたが、2002年に3人の日本人スタッフを引き連れてシンガポールターフクラブへ移籍。
加藤 和宏(かとう かずひろ、1956年3月4日 - )は、… 加藤 和宏(かとう かずひろ、1956年3月4日 - )は、日本中央競馬会(JRA)美浦トレーニングセンターに所属する調教師、元騎手。 1975年に中央競馬で騎手デビュー。所属する二本柳俊夫厩舎の主戦騎手として2年連続のJRA年度代表馬となったホウヨウボーイや、東京優駿(日本ダービー)優勝馬シリウスシンボリなど4頭の八大競走・GI級競走優勝馬に騎乗、またフリーとなってからもエリザベス女王杯に優勝したホクトベガなどに騎乗した。2005年に騎手を引退し、調教師に転身。主な管理馬にオーストラリアのGI競走オールエイジドステークスに優勝したハナズゴールがいる。 JRA元騎手で調教師の加藤士津八は長男。他に息子の1人が小島太厩舎の厩務員をしていた。
根本 康広(ねもと やすひろ、1956年1月31日 - )は… 根本 康広(ねもと やすひろ、1956年1月31日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) の元騎手、元調教師。美浦トレーニングセンターに所属していた。 1977年に騎手デビュー。当初は障害競走で活躍し、1981年までにバローネターフ、ナカミショウグンといった騎乗馬で中山大障害3勝を挙げる。1985年秋の天皇賞においてギャロップダイナに騎乗し、「皇帝」と称されていた本命馬シンボリルドルフを破り、GI競走初制覇。1986年にはメリーナイスで朝日杯3歳ステークスを、翌1987年には東京優駿(日本ダービー)を制した。1997年に騎手を引退し、1998年より調教師として美浦トレーニングセンターに厩舎開業。
矢内 博(やうち ひろし、1956年1月10日 - )は、船… 矢内 博(やうち ひろし、1956年1月10日 - )は、船橋競馬場所属の元騎手、現調教師。最終所属は凾館一昭厩舎。北海道苫小牧市出身、血液型A型。騎手時代の勝負服の柄は胴白・赤玉霰、袖桃。 凾館政一厩舎から騎手デビュー。1972年10月20日ヒサヤマヨシで初騎乗。同日イクセルプリンスで初勝利。 1999年6月13日3回東京8日目第9競走菖蒲ステークス15番人気アスキットマジックで中央競馬初騎乗(15頭立て13着) 調教師転身のため、2008年5月31日付けで騎手引退。 地方通算成績は10023戦891勝・2着939回・3着1002回・勝率8.9%・連対率18.3% 中央競馬通算2戦0勝 2008年5月21日調教師試験に合格し、同年6月1日付けで調教師免許取得。
南田 美知雄(みなみだ みちお、1955年9月30日 - )… 南田 美知雄(みなみだ みちお、1955年9月30日 - )は、熊本県天草郡(現・天草市)出身の元調教師、元騎手、元調教助手。 次男の雅昭は元騎手で、現在は萩原清厩舎の調教助手。 実家はみかん園で、競馬と無縁の環境で育った。 高校3年生の時に公務員試験を受けに上京した際、新横浜で働いていた義兄に競馬場に連れて行かれ、義兄から「おめえ体ちっちゃいから、馬に乗る仕事でもしたらどうだ?」と言われたのが騎手を目指すきっかけとなった。義兄の同級生が中山・中野吉太郎調教師の娘と結婚していた縁で、1974年に中野厩舎に騎手候補生として入門。馬も触ったこともなかった南田は右も左も分からず、毎日草むしりや靴磨きなどの下働きをし、乗馬苑では「お前は田舎に帰った方がいい」と言われていた。
岡林 光浩(おかばやし みつひろ、1955年5月28日 -)… 岡林 光浩(おかばやし みつひろ、1955年5月28日 -)とは、船橋競馬場所属の元調教師である。日本大学第一高等学校卒業。2000・2010年代の南関東公営競馬を代表する調教師のひとりで、帝王賞をはじめ多くのビッグタイトルを制覇しており、中央競馬の重賞優勝も果たした。千葉県調教師会会長もつとめた。父・喜和も元調教師。 初出走は1988年7月14日船橋競馬第9競走(ミロク、2着)、初勝利は同年10月2日川崎競馬第2競走(コナウインズ)。 2007年11月12日船橋競馬第2競走で、地方競馬通算500勝を達成した。 2008年2月27日付で関東地区公営競馬協議会により認定厩舎(外厩)を認定された。場所はミッドウェイファームで馬房数は3。
国枝 栄(くにえだ さかえ、1955年4月14日 - )は、… 国枝 栄(くにえだ さかえ、1955年4月14日 - )は、日本の元調教師。調教師時代は日本中央競馬会(JRA)美浦トレーニングセンターに所属。岐阜県立本巣高等学校、東京農工大学農学部獣医学科卒業。 苗字の戸籍上の表記は旧字体が含まれた「國枝」だが、JRAでは旧字体等での登録が認められていない為、新字体の「国枝」に修正して登録している。 調教師として2度の牝馬三冠達成や、JRA牝馬GIでは松田博資と並んで最多タイ記録となる12勝を挙げるなど、牝馬の育成で優れた実績を残しており、「牝馬の国枝」の異名を得ている。 息子は斎藤誠厩舎で臨時の調教厩務員を務め、調教助手転身とともに池上昌弘厩舎に移籍し、2011年より自厩舎所属の調教助手である国枝純(長男)と勢司和浩厩舎にて厩務員を務め、2019年に自厩舎所属となった国枝翔(三男)。
河内 洋(かわち ひろし、1955年2月22日 - )は、日… 河内 洋(かわち ひろし、1955年2月22日 - )は、日本中央競馬会(JRA)に所属していた元調教師、元騎手。 1974年に中央競馬でデビュー。関西新人賞を受賞するなど早くから頭角を現し、1980年には全国リーディングジョッキー(年間最多勝利騎手)となる。以後1985年、1986年と三度その座に就いた。短距離路線整備の黎明期にマイルGI競走で3勝を挙げたニホンピロウイナー、中央競馬史上初の牝馬三冠馬メジロラモーヌ、「アグネス一族」と称された母仔三代にわたる4頭のクラシック優勝馬など数々の活躍馬の手綱をとり、2000年には史上5人目の五大クラシック完全制覇を達成。2001年には史上3人目、関西所属騎手としては史上初の通算2000勝を達成した。
鮫島 一歩(さめしま いっぽ、1954年4月12日 - )は… 鮫島 一歩(さめしま いっぽ、1954年4月12日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) ・栗東トレーニングセンターに所属していた元調教師。 なお、佐賀競馬所属の元騎手・調教師である鮫島克也、およびその息子でJRA所属の騎手である鮫島良太・克駿兄弟とは血縁関係はない。 父は南日本新聞の記者で、競馬とは無縁の家庭で育つ。鹿児島南高等学校ではサッカー部に入ったが、1年生の夏休みに馬術部が鹿児島国体の強化校として指定され、好奇心で入部すると3年生の時にインターハイ団体で優勝する。監督は鹿児島市で上村乗馬苑を経営し、のちに冠名「トシ」で知られた馬主の上村叶。高校卒業後はブラジルで酪農をやる夢を抱き、北海道江別市の酪農学園大学に進学すると、また馬に乗りたいと再び馬術部に入部。
小檜山 悟(こびやま さとる、1954年1月20日 - )は… 小檜山 悟(こびやま さとる、1954年1月20日 - )は日本中央競馬会 (JRA) 美浦トレーニングセンターに所属していた元調教師。小桧山 悟とも。 兵庫県西宮市出身。阪神競馬場の近く(同競馬場は宝塚市に位置する)で育ち、東京農工大学(同校の1年後輩に国枝栄が在籍していた)農学部蚕糸生物学科卒業後、競走馬育成施設に4年間勤める。 1981年に美浦・畠山重則厩舎で調教助手となり、アイルトンシンボリやマイヨジョンヌを担当。1995年に調教師免許を取得し、翌1996年3月に厩舎を開業。2008年日本ダービー2着馬スマイルジャックなどを管理した。 2024年3月5日をもって定年のため、調教師を引退した。
坂本 東一(さかもと とういち、1953年8月27日 - )… 坂本 東一(さかもと とういち、1953年8月27日 - )は、ばんえい競走の調教師、元騎手。青森県つがる市出身。血液型O型。 1975年、5月3日騎手としてデビュー。所属は梨本照夫厩舎。5月11日にヤマトニシキで初勝利。 1983年8月17日に通算100勝、1989年11月27日に通算500勝、1995年8月28日に通算1000勝を達成した。 2003年、1月6日にばんえい史上3人目となる通算2000勝を達成した。 2007年、12月19日に2007年度第3回調教師・騎手免許試験新規合格者が発表され、調教師試験に合格したことが明らかになった。12月30日の騎乗が引退レース。 2008年、1月1日付で調教師免許が交付され、4月1日付で厩舎を開業。
飯田 雄三(いいだ ゆうぞう、1953年7月31日 - )は… 飯田 雄三(いいだ ゆうぞう、1953年7月31日 - )は、日本中央競馬会(JRA)・栗東トレーニングセンターの元調教師。山口県出身。 酪農学園大学で馬術部に所属し、馬と接していくうちに競馬の世界に興味を持つようになりアルバイトで道営競馬のゲートや写真判定の係を担当した。大学馬術部の同期にのちに増本豊厩舎でともに働く鮫島一歩調教師がいる。 大学卒業後、牧場勤務を経て栗東トレセンの増本勇厩舎の厩務員となり、1977年11月から増本豊厩舎で調教助手を担当。1999年の高松宮記念優勝馬マサラッキなどの馬に携わった。 2000年にJRA調教師免許試験に合格し、翌2001年3月から厩舎を開業した。 2014年9月14日の阪神1Rの勝利でJRA通算200勝を達成。
加用 正(かよう ただし、1953年5月17日 - )は、神… 加用 正(かよう ただし、1953年5月17日 - )は、神奈川県横浜市南区出身の元騎手・元調教師。 動物が好きな母の影響で、小さい頃から生き物は身近な存在であり、イヌ、ネコ、ハトなども家にいて、加用も自然と動物が好きになった。兄2人は大学に通っていたが、加用は魅力を感じず「早くから手に職を持ちたい」と探していたところ、馬事公苑騎手課程を紹介するテレビを見たことで騎手を志す。父には反対されたが、母の後押しもあって、関東学院附属中学校卒業後に馬事公苑騎手課程へ入所。馬に乗った瞬間は感動し、目線が高くなって景色が変わり「自分が大好きな馬に乗っているんだ」と思うと、嬉しくなった。 馬事公苑2年次より京都・谷八郎厩舎の下で研修に入るが、書類上は八郎の義父である谷栄次郎厩舎であった。
後藤 由之(ごとう よしゆき、1953年5月16日 - )は… 後藤 由之(ごとう よしゆき、1953年5月16日 - )は日本中央競馬会 (JRA) 美浦トレーニングセンターに所属していた調教師。宮城県出身。東京農工大学農学部林産学科卒業。 1978年に美浦・八木沢勝美厩舎の調教助手となる。1983年に高橋祥泰厩舎へ移った。1995年に調教師免許を取得し、翌1996年に厩舎を開業。初出走は同年3月3日中山競馬第8競走のカチウマキャシーで6着。初勝利は同年3月24日中山競馬第2競走のマツグローリアスで、のべ6頭目であった。 1999年の関屋記念をリワードニンファで制して重賞初勝利。GI競走は、2002年のマイルチャンピオンシップをトウカイポイントで制して初勝利。
南井 克巳(みない かつみ、1953年1月17日 - )は、… 南井 克巳(みない かつみ、1953年1月17日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) の元騎手、元調教師。京都府京都市生まれ、愛知県刈谷市育ち。名騎手として知られ、騎手としての成績は13120戦1527勝。 名が示す通り、巳年の生まれ。元騎手で調教助手の南井大志は長男。 1953年に京都府京都市伏見区に生まれた。4歳時に転居した愛知県刈谷市の祭り「万燈祭り」で饗される古式競馬に惹かれ、騎手に憧れるようになる。刈谷市立小垣江小学校、刈谷市立依佐美中学校を卒業。なお、15歳年下の熊沢重文も南井と同じく小垣江小学校と依佐美中学校を卒業している。中学校卒業後、刈谷市に隣接する豊明市にある中京競馬場の厩舎に通い、工藤嘉見調教師に声を掛けられると、日本中央競馬会馬事公苑の長期騎手課程を受講したのち、1970年に騎手見習いとして入門する。
池添 兼雄(いけぞえ かねお、1952年10月22日 - )… 池添 兼雄(いけぞえ かねお、1952年10月22日 - )は、JRAの・栗東トレーニングセンターに所属していた元騎手、元調教師。長男は騎手の池添謙一、次男は調教師の池添学、謙一のバレットを務める娘(3番目の実子で長女)がいる。 1974年3月、栗東・大久保石松厩舎所属で騎手デビュー。4月大久保正陽厩舎となる。 1979年7月23日、長男・謙一が誕生する。 1981年10月、フリーとなる。 1992年2月、騎手を引退する(通算成績1587戦185勝)。3月、鶴留明雄厩舎の調教助手となる。 1997年、調教師免許を取得する。 1999年3月、厩舎開業。 2023年2月28日をもって調教師を引退した。
橋田 満(はしだ みつる 1952年9月15日 - )は日本… 橋田 満(はしだ みつる 1952年9月15日 - )は日本中央競馬会 (JRA) 栗東トレーニングセンターに所属する調教師。兵庫県宝塚市出身。
二ノ宮 敬宇(にのみや よしたか、1952年9月5日 - )… 二ノ宮 敬宇(にのみや よしたか、1952年9月5日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) ・美浦トレーニングセンターに所属していた元調教師。神奈川県川崎市出身。東京農業大学卒業。 高校大学時代は馬術部に所属していた。大学時代はアメリカ競馬も見たという。大学卒業後は川崎市内でサラリーマンとして働いていた。 1978年、美浦・橋本輝雄厩舎の調教助手となり、ホースマンとしてのスタートを切る。助手としての代表馬は1987年の東京優駿を制したメリーナイスで、同厩舎の屋台骨を支える敏腕として活躍。 1990年、調教師免許を取得し厩舎を開業する。8度目の挑戦での合格であった。 1994年、優秀調教師賞 (関東) を初めて受賞する。
高橋 祥泰(たかはし よしやす、1952年1月31日 - )… 高橋 祥泰(たかはし よしやす、1952年1月31日 - )は、日本中央競馬会(JRA)美浦トレーニングセンター北に所属していた元調教師。日本大学農獣医学部獣医学科卒業。 1952年、国営競馬所属騎手高橋英夫の次男として生まれる。幼少期は騎手を志していたが、身体が大きくなり過ぎたために断念。代わって獣医師を志し、日本大学第一高等学校を経て、日本大学農獣医学部獣医学科に入学した。獣医師資格取得、大学卒業後の1973年より中山競馬場、次いで日本中央競馬会宇都宮育成場で獣医師助手を務める。宇都宮育成場では助手業の傍らで騎乗技術を習得、1975年に父・英夫の厩舎で調教助手となり、7年間を務めた。 1983年に調教師免許を取得。
坪 憲章(つぼ のりあき、1951年12月29日 - )は、… 坪 憲章(つぼ のりあき、1951年12月29日 - )は、日本中央競馬会に所属した元調教師(栗東トレーニングセンター所属)。兵庫県宝塚市出身。
田中 清隆(たなか きよたか、1951年12月16日 - )… 田中 清隆(たなか きよたか、1951年12月16日 - )は、千葉県銚子市出身の元騎手・元調教師。 調教師としての主な管理馬にシンコウウインディ、グルメフロンティア、レディパステル、ホエールキャプチャなどがいる。 舅は元騎手・調教師の今津福松。 銚子商業卒業後は銚子信用金庫に入社したが、小柄かつ敏捷であったことから、競馬好きの上司に騎手になることを勧められた。数々の厩舎へ入門願いの電話を掛けた末、中山・野平省三厩舎に入門を認められ、1971年から1974年まで候補生として4年間を過ごす。 1975年に騎手免許を取得し、師匠の野平省が前年に死去していたため、跡を継いでいた野平祐二厩舎からデビュー。
小島 貞博(こじま さだひろ、1951年11月10日 - 2… 小島 貞博(こじま さだひろ、1951年11月10日 - 2012年1月23日)は、日本中央競馬会 (JRA) に所属した騎手、調教師。 騎手時代の主な騎乗馬に、1982年の最優秀障害馬キングスポイント、1992年のクラシック二冠を制したミホノブルボン、1994年の優駿牝馬(オークス)優勝馬チョウカイキャロル、1995年の東京優駿(日本ダービー)優勝馬タヤスツヨシなどがいる。騎手通算4722戦495勝。戦後デビューの騎手の内、平地・障害それぞれの最高級競走である日本ダービーと中山大障害で2勝ずつを挙げている唯一の騎手である。 2003年より調教師として栗東トレーニングセンターに厩舎を開業。2005年の中山大障害に優勝し、同年の最優秀障害馬に選出されたテイエムドラゴンなどを管理した。
金山 明彦(かなやま あきひこ、1951年10月16日 - … 金山 明彦(かなやま あきひこ、1951年10月16日 - )は、ばんえい競馬の調教師である。北海道旭川市生まれ。かつては、ばんえい競馬の騎手でもあり、「ミスターばんえい」と称される。 金山の養父は、ばんえい競馬の競走馬を売買していた。あるとき金山は養父にばん馬見物へ連れられてゆく。その時に金山が目にしたものは中西関松が活躍する姿であった。その姿に憧れを抱き、金山は小学校6年生の時に草ばん馬で騎乗するようになる。父と中西の間に親交があったこともあり、滝川市立開西中学校を卒業後、金山は中西関松厩舎で厩務員になることができた。 中西厩舎における厩務員生活は早朝4時の調教から始まり、全ての仕事を終えて就寝できるのが21時となる厳しい環境下にあったが、金山は「全く苦にはならなかった。
古賀 史生(こが ふみお、1951年10月4日-)は日本中央… 古賀 史生(こが ふみお、1951年10月4日-)は日本中央競馬会(JRA)美浦トレーニングセンター南に所属していた元調教師である。旧姓は望月。古賀末喜調教師の娘と結婚し古賀姓を名乗る。 1970年、広島県立呉三津田高等学校を卒業。浪人生活を経て翌1971年、成蹊大学法学部法律学科に入学。在学中は馬術部に所属していた。卒業後は馬に関わる仕事がしたいと思い、1975年、麻布獣医科大学獣医学部に入学。1979年に卒業し、獣医師免許を取得した。北海道の育成牧場での研修を経て1980年、JRA・美浦トレーニングセンターの斎藤籌敬厩舎で調教助手となる。1981年、古賀末喜厩舎に移籍。 1988年に調教師免許を取得し、翌1989年に厩舎開業。
藤沢 和雄(ふじさわ かずお、1951年9月22日 - )は… 藤沢 和雄(ふじさわ かずお、1951年9月22日 - )は、中央競馬(JRA)・美浦トレーニングセンターに所属していた元調教師。調教師として1570勝をあげた名伯楽として知られており、1993年から2009年までの間に、12度のJRA賞最多勝利調教師を獲得した。 戸籍上の表記は藤澤 和雄だが、JRAでは旧字体等での登録が認められていないため、新字体の「藤沢」に修正して登録、引退後の活動名も修正名義としている。ただし、一部媒体では旧字体の名義を使用することもある。 なお、同姓の調教師・藤沢則雄(栗東所属)との区別のため、競馬新聞・スポーツ新聞等では「藤沢和」と表記されていた(両者に血縁関係はない)。
堂山 芳則(どうやま よしのり、1951年1月16日 - )… 堂山 芳則(どうやま よしのり、1951年1月16日 - )は、ホッカイドウ競馬に所属していた元調教師。北海道帯広市出身。長男・堂山直樹は元騎手。 父の堂山大企知は繋駕速歩競走の騎手を経て平地競走の調教師に転じたが病に倒れ、三男である芳則も1970年から騎手を務めていたが、1980年12月1日に調教師免許を取得し、30歳で父の厩舎を引き継ぐ形で開業した。騎手としての通算成績は、2259戦255勝(うち重賞11勝)。 1981年4月26日岩見沢競馬第2競走においてマウタオロシが管理馬初出走、4月28日岩見沢第8競走をハクセカイで制して初勝利を挙げている。 1990年代中盤には西本博厩舎から移籍したササノコバンで道営記念連覇、第6回ブリーダーズゴールドカップでも2着と健闘した。
宗石 大(むねいし だい、1951年1月1日 - )は、日本… 宗石 大(むねいし だい、1951年1月1日 - )は、日本の騎手(高知競馬場)、調教師(高知競馬場)。高知県香美郡土佐山田町(現・香美市)出身。 1951年1月1日、高知県香美郡土佐山田町(現・香美市)出身。生家は農家で、農耕馬や競走馬を飼っていた。エンタツ・アチャコや藤山寛美に憧れて漫才師を志したが伝手がなかったため断念し、大工を目指して職業訓練校に通った。しかし経済的な事情から職業訓練校に通えなくなり、体が小さいことを活かして金を稼ごうと騎手になることを決意。「一発試験」と呼ばれる試験に合格し、騎手免許を取得した。騎手としては1万回以上騎乗し、1000を超える勝利を挙げた。このことについて宗石は、「下手くそに1万回も乗せてくれたのは義理と人情みたいなものだったから、私も義理と人情が大事の人間になっちゃった」と述べている。
石坂 正(いしざか せい、1950年12月24日 - )は、… 石坂 正(いしざか せい、1950年12月24日 - )は、日本中央競馬会(JRA)栗東トレーニングセンターに所属していた元調教師。 ヴァーミリアン、三冠牝馬ジェンティルドンナほか、数々の活躍馬を管理していた。 佐賀県出身。立命館大学経済学部卒。実子は調教師の石坂公一。 1950年、佐賀県に生まれる。父親は佐賀大学にて英文学専攻の教授をしていた。学生時代から熱心な競馬ファンであり、立命館大学を卒業後に北海道へ移り、競走馬の牧場に就職。この時は長続きせず退職し、以後しばしアルバイト生活を送った。しかし1978年、致命的な骨折からの闘病を続けていた競走馬・テンポイント死亡の報に接して、突如「無性に牧場で働きたく」なり、競馬雑誌に掲載されていた優駿牧場(現・待兼牧場)の従業員募集に応募、28歳で同場に就職した。
湯窪 幸雄(ゆくぼ さちお、1950年11月9日 - 202… 湯窪 幸雄(ゆくぼ さちお、1950年11月9日 - 2026年1月21日)は、鹿児島県姶良郡牧園町(現在の霧島市)出身の日本中央競馬会 (JRA) の元騎手、元調教師。 実家が馬の生産牧場(湯窪牧場)を経営しており、幼いころから多くの馬と共に育ち慣れ親しんできた。そのため湯窪は競馬にも大きな興味を抱いていたが、高校在学中に父親が本人に内密で競馬の馬術の試験を応募しており、これを受験したところ合格したことから競馬界への参入と騎手への道を決めたという[要出典]。 1968年3月、鹿児島県から関西に上京して栗東トレーニングセンター所属であった柏谷富衛調教師に騎手候補生として師事し、1970年3月1日開催の京都競馬場第7レース「5歳以上100万下」にてセブンバンコク(3着)の騎手としてプロデビューを果たし、同年4月18日の京都競馬場第8レース「5歳以上オープン」にリキエイカンで出走して自身初勝利を収める。
佐々木 一夫(ささき かずお、1950年9月28日 - 20… 佐々木 一夫(ささき かずお、1950年9月28日 - 2008年9月28日)は、ホッカイドウ競馬の元調教師(元騎手)。勝負服の柄は黄・胴赤一本輪、袖緑・黄一本輪。北海道函館市出身、身長158センチ、体重52キロ、血液型B型。函館工業高等専門学校卒業。 1969年4月29日函館競馬ツワイメリーでレース初騎乗。同年5月9日、函館競馬場でアツカシに騎乗し、初勝利。以来、1994年に引退するまでホッカイドウ競馬で数々の名馬に騎乗し、通算9510戦1539勝を記録。重賞も通算86勝を挙げた。 1995年3月31日に調教師免許を取得し、1996年に厩舎を開業。同年4月17日に調教師として管理馬を初出走。同年5月15日には調教師として初勝利。
中島 敏文(なかじま としふみ、1950年7月29日 - )… 中島 敏文(なかじま としふみ、1950年7月29日 - )は、広島県高田郡吉田町(現・安芸高田市)の元騎手・元調教師である。 実父・中島時一も元騎手、中島啓之は実兄。 父・時一は戦前の騎手・調教師で、牝馬のヒサトモで1937年の東京優駿をレコードタイムで制覇している。父母の疎開先の広島で生まれ、時一のダービー優勝時には啓之と敏文はまだ生まれていなかった。 1968年に京都・上田武司厩舎の騎手候補生となり、1969年3月にデビュー。同期には田村正光、上野(伊藤)清章、須貝四郎、楠孝志、内田国夫、西浦勝一がいる。同1日の京都第5競走障害5歳以上未勝利・フェアダッシュで初騎乗を果たすが、落馬で競走中止というほろ苦いデビューとなった。
渡辺 修一(わたなべ しゅういち、1949年9月28日 - … 渡辺 修一(わたなべ しゅういち、1949年9月28日 - )は、山形県上山市出身の元騎手(中央→上山)・元調教師(上山)。 上山競馬場の裏に実家があり、当時は競馬場には馬房がなく、民間の軒先を貸りて代用していたため、渡辺家でも競走馬を預かっていた。子供の頃から馬に接する機会はあったほか、東京・佐藤林次郎調教師と父が知り合いという競馬に縁のある環境でもあった。 馬事公苑に入学したての頃は勝負服や靴を着けても35kg程度で軽すぎると言われたが、その内に体重が増えてしまい、後には減量では随分と苦労をした。 1968年3月に東京・八木沢勝美厩舎からデビューし、同2日の中山第4競走4歳未勝利・キングオールトン(10頭中9着)で初騎乗を果たすと、20日の中山第12競走5歳以上160万下未勝利・メジロフブキで初勝利を挙げる。
若松 平(わかまつ たいら、1949年8月28日 - )は、… 若松 平(わかまつ たいら、1949年8月28日 - )は、ホッカイドウ競馬に所属していた元調教師。北海道河東郡音更町出身。 父若松進はホッカイドウ競馬で繋駕速歩競走の騎手会長を務め、繋駕速歩競走の廃止後は平地競走の調教師に転じた。 自身は当初父の厩舎で厩務員を務め、その後は調教師に転じ、1983年4月1日に開業。同年4月18日に初出走、同年4月25日に初勝利を挙げている。中村光春厩舎から移籍したシバフイルドーで1984年のクイーンカップを優勝、前厩舎から通算6連覇を達成し、日本記録となっている。 2000年にはオースミダイナーが13歳(馬齢は旧表記)で北海道スプリントカップを優勝しダートグレード競走の最高齢優勝記録を樹立、さらに同馬は翌2001年にも13歳(現表記)でエトワール賞を優勝し、日本重賞競走の最高齢優勝記録も保持している。
山内 研二(やまうち けんじ、1949年6月30日 - )は… 山内 研二(やまうち けんじ、1949年6月30日 - )は、宮崎県出身の元騎手・元調教師。 大阪工業大学短期大学部卒業後の1970年に騎手候補生となった異色の経歴を持ち、太宰義人らと共に珍しい大卒騎手であった。 短期騎手講習課程の1972年度第3期生として講習を受け、1974年に東京・松山吉三郎厩舎からデビュー。騎手免許を取得した時点で既に24歳であり、見習騎手の期間は同年12月22日までの僅かな期間であった。3月10日の中山第9競走5歳以上700万下・メジロマツカゼ(10頭中5着)で初騎乗を果たし、6月23日の中山第2競走4歳未勝利・サンロイヤルで初勝利を挙げる。1年目の同年は3勝をマーク。
嶋田 潤(しまだ じゅん、1949年3月26日 - )は、東… 嶋田 潤(しまだ じゅん、1949年3月26日 - )は、東京都出身(北海道三石郡三石町 (現・日高郡新ひだか町)生まれ)の元騎手・元調教師。 同じく元騎手・元調教師の嶋田功は実兄。元騎手で現調教助手の嶋田高宏は長男。 嶋田家は福井県からの入植で、父・福栄が入植三代目であり、男3人女7人の10人兄弟であった。 実家は後にプレクラスニー・タイセイアトムを輩出した「嶋田牧場」で、嶋田が育った時には馬だけではなく牛や羊も飼っていたが、長男の克昭の代からサラブレッドの生産牧場となった。 1966年に東京・藤本冨良厩舎に騎手候補生として入門し、1970年に同厩舎からデビューすると、兄・功の登録名が戸籍通りに「嶋田」となっている。
沖 芳夫(おき よしお、1949年2月28日 - )は日本中… 沖 芳夫(おき よしお、1949年2月28日 - )は日本中央競馬会 (JRA) 栗東トレーニングセンターに所属していた元調教師。東京農業大学農学部畜産学科卒業。 1977年に大久保石松厩舎の調教助手となる。1986年に調教師免許を取得し、翌1987年に厩舎を開業。初出走は同年10月10日京都競馬第8競走のダイオーハードで15着、初勝利は同年10月25日福島競馬第12競走のダイオーハードでのべ3頭目であった。 1989年の函館3歳ステークスをダイイチオイシで制して重賞初勝利を挙げた。1997年にはエリザベス女王杯で的場均騎乗のエリモシックが優勝し、GI競走初勝利を果たした。 渡辺薫彦は1994年のデビュー以来、一貫して所属しており、渡辺を主戦騎手として多くの管理馬に騎乗させていた。
伊藤 正徳(いとう まさのり、1948年10月22日 - 2… 伊藤 正徳(いとう まさのり、1948年10月22日 - 2020年8月20日)は、兵庫県宝塚市出身(北海道静内郡静内町生まれ)の元調教師・騎手。 それぞれ騎手・調教師を務めた伊藤正四郎は父、伊藤雄二は義兄。 太平洋戦争後の混乱期に両親は離れて暮らしており、父・正四郎は阪神で調教師として活動し、母は静内で美容室を営んでいた。正徳は母元で育っていたが、小学校卒業直前に正四郎が結核に倒れ、見舞いに駆けつけた病床で正四郎から「騎手にならんか」と誘われる。この段階で乗馬経験がなかったため、1度は首を横に振ったが、正四郎はそれで納得する父ではなかった。基礎から教えるという条件をのんで騎手になる事を決意したが、実際に正四郎が教えてくれる事はなく、それからすぐに意識不明になって間もなく死去。
松元 茂樹(まつもと しげき、1948年10月21日 - )… 松元 茂樹(まつもと しげき、1948年10月21日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) 栗東トレーニングセンターに所属していた元調教師。日本大学卒業。実父は松元正雄、実兄は松元省一で、ともにJRAの元調教師である。長男は元競艇選手の松元弥佑紀(登録名。本名は保徳)。 日本大学在学中に「京しげき」の芸名で歌手デビューし、大学卒業後も東京・六本木で弾き語りをするなど芸能活動を継続していた。その後、1974年に松元正雄厩舎で厩務員となり、翌年に調教助手となる。のちに松元省一厩舎、清水久雄厩舎所属を経ている。この間、10回近く調教師試験を受験し、1992年に調教師免許を取得。翌1993年に厩舎を開業。
中村 均(なかむら ひとし、1948年9月13日 - )は、… 中村 均(なかむら ひとし、1948年9月13日 - )は、京都府京都市左京区一乗寺出身の元調教師。 父も元調教師の中村覚之助。 2010年2月まで日本調教師会会長を務めていた。2011年の時点では同会名誉会長を務めている。 京都市立修学院小学校出身。麻布獣医科大学を首席卒業し、1971年に栗東・中村覚之助厩舎の厩務員となり、後に調教助手となる。 1977年に成宮明光に次ぐ28歳6ヶ月の若さで調教師免許を取得し、1978年に厩舎を開業。7月8日の中京第1競走アラブ3歳未勝利・アイチハヤオーが初出走で2着となり、9月10日の阪神第4競走4歳以上300万下・エスティキング(延べ6頭目)で初勝利を挙げる。
高松 邦男(たかまつ くにお、1948年2月26日 - 20… 高松 邦男(たかまつ くにお、1948年2月26日 - 2021年6月4日)は、千葉県市川市出身の元調教助手・元調教師。 高松は長男で、男一人であったため、両親に大事 に育てられた。父・三太は元騎手であり、テレビで晩年の騎乗は見ていた。スターロッチの優駿牝馬、ヒロキミの菊花賞などで、スターロッチとホマレボシで連覇した有馬記念などは家から近かった中山で直接観戦。市川市立若宮小学校では、6年生を卒業する時になっても三太より背が低かった。市川中学校を卒える時にも身長は150cm台で、東京・世田谷の馬事公苑騎手養成所を目指そうと考えた。三太は「いや、きっと、お前の手足を見れば、これから伸びる」と言ったため、高松は伸びなかったら「高1の三学期で中退」すればいいと思い、1963年に市川高校へ進んだ。
目野 哲也(めの てつや、1948年2月14日 - )は、福… 目野 哲也(めの てつや、1948年2月14日 - )は、福岡県山門郡三橋町(現・柳川市)出身の元騎手・元調教師。 飲食業を営む一家の次男として生まれ、後に養子に出て藤岡姓となる兄・藤岡範士は太平洋戦争中に戦死した母の先夫の子であり、哲也は異父弟に当たる。中学卒業後に京都・久保道雄厩舎で騎手候補生となった範士にならい、哲也も中学3年時に中央競馬騎手養成長期課程を受験。合格後、長期課程第14期生として馬事公苑に入所した。同期生には小島太、田島良保、安田富男、池上昌弘、平井雄二らがいる。騎手課程修了後は、範士の紹介で京都・鈴木和雄厩舎の所属騎手となった。 1966年3月6日、2回中京6日第7競走でデビュー。
田島 良保(たじま よしやす、1947年10月17日 - )… 田島 良保(たじま よしやす、1947年10月17日 - )は、鹿児島県姶良郡牧園町(現・霧島市)出身の元騎手・元調教師。騎手時代は数々の名騎乗を残し、「必殺仕事人」と称された。川島信二は娘婿にあたる。 生家の近所には牧場があり、幼少期から馬に親しんで育った。 中学卒業後は馬事公苑騎手養成長期課程に第14期生として入所したが、やんちゃな性格で生意気な生徒であった。同期には小島太、安田富男、平井雄二、池上昌弘などがいる。2年次の厩舎研修の際には、小島と共に勧誘を受けていた東京・高木良三厩舎に入ったが、その後は京都・谷八郎厩舎所属に決まった。谷は勝ち気な性格であった田島の良き理解者となり、少々の批判に耳も貸さず乗せ続けた。
川島 正行(かわしま まさゆき、1947年9月27日 - 2… 川島 正行(かわしま まさゆき、1947年9月27日 - 2014年9月7日)は、船橋競馬場所属の調教師・元騎手。千葉県調教師会会長。 南関東公営競馬の調教師リーディングの常連としてその名を知られた。長男の川島正一も船橋競馬場の調教師、四男の川島正太郎は騎手、五男の川島光司は厩務員である。 千葉県山武郡松尾町(現・山武市)出身。実家が農家であったことから子供のころから農耕馬が身近におり、祭りの際には実際に乗るなど親しんでいた。近所の知人の紹介で、中学校卒業後に船橋競馬場の林正夫厩舎に入門。1964年10月に初騎乗すると、同年12月20日に初勝利を挙げた。船橋競馬場のリーディングジョッキーも一度獲得している。
加藤 敬二(かとう けいじ、1947年4月21日 - )は、… 加藤 敬二(かとう けいじ、1947年4月21日 - )は、JRA栗東トレーニングセンターに所属していた元調教師。競馬界入りする前には信用金庫の職員だったという、異色の経歴を持つ。 1947年愛知県瀬戸市にて出生。父は一般企業の会社員・母も専業主婦という普通の環境で育ち、小中高と野球に勤しんでいたが自らの実力を推して知る加藤はプロ野球選手という非現実的な夢を最初から抱くことはなかったという。 高校卒業後、勉強が嫌いということから加藤は大学には進まず地元の瀬戸信用金庫へと就職。しかし配属先の犬山支店で預金係として札束勘定や営業活動に明け暮れる自分を見た加藤は「これは自分に合う仕事ではない、体を使い野外で働いてみたい」と感じるようになりほどなく退職届を提出。
飯田 明弘(いいだ あきひろ、1946年12月9日 - 20… 飯田 明弘(いいだ あきひろ、1946年12月9日 - 2017年9月15日)は、愛知県出身の元騎手・元調教師。息子は元騎手・現調教師の飯田祐史、孫はタレントの足立梨花。東邦高等学校卒[要出典]。 1965年に中京・小林稔厩舎に騎手候補生として入門し、1969年に同厩舎からデビュー。 1年目の1969年には3月1日の中京第2競走4歳未勝利・タカレットで初騎乗を果たすも2着で初勝利はならず、同馬に騎乗した同16日の中京第1競走4歳未勝利で初勝利を挙げる。夏は北海道シリーズで4勝を挙げるなど、京阪杯ではシュンサクオーでミスマルミチ・フイニイに先着する3着に入り、1年目から2桁勝利の10勝をマーク。 2年目の1970年には5月2日の阪神で初の1日2勝、9月12日・13日の阪神では初の2日連続勝利、中京記念では10頭中10番人気のゼットアローでスピーデーワンダーに勝利して枠連2万馬券の波乱で重賞初勝利を記録。
長浜 博之(ながはま ひろゆき、1946年9月19日 - )… 長浜 博之(ながはま ひろゆき、1946年9月19日 - )は、日本の調教師。調教師引退まで日本中央競馬会栗東トレーニングセンターに所属していた。中京商業高等学校(現在の中京大学附属中京高等学校)、中京大学卒業。父は調教師の長浜彦三郎。戸籍上は長濱博之。 騎手であった父・彦三郎が中京競馬場所属厩舎に移籍したため、幼少時に同競馬場がある愛知県豊明市に移住。博之は子供の頃から運動好きで、中学時代の担任の勧めで中京商業に進学し、当初は陸上部に所属。しかし同じグランドで練習していたラグビー部の様子を見て「ボールを持って走るほうが面白そう」との理由でラグビー部に転部した。そのまま大学もラグビーやりたさに中京大学に進学する(ラグビー部の特待生だった)。
嶋田 功(しまだ いさお、1945年11月8日 - 2020… 嶋田 功(しまだ いさお、1945年11月8日 - 2020年10月19日)は、北海道三石郡三石町(現・日高郡新ひだか町)出身の元騎手・元調教師。騎手時代はオークス通算5勝など牝馬限定競走で顕著な実績を残し、「牝馬の嶋田」「オークス男」等と称された。元騎手・元調教師の嶋田潤は実弟、元騎手の嶋田高宏は甥。 騎手の嶋田純次との血縁関係はない。 嶋田家は福井県からの入植で、父・福栄が入植三代目であった。嶋田は男3人女7人の10人兄弟で、上から5番目の三男として産まれる。 実家は後にプレクラスニー・タイセイアトムを輩出した「嶋田牧場」で、3歳から馬に跨がっており、揺りかご代わりにした馬の背で寝ていて泥田に落ちたこともあった。
橋口 弘次郎(はしぐち こうじろう、1945年10月5日 -… 橋口 弘次郎(はしぐち こうじろう、1945年10月5日 - )は、日本の元調教師で、日本中央競馬会(JRA)栗東トレーニングセンターに所属していた。宮崎県北諸県郡三股町出身。宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校、九州産業大学卒業。 大学卒業後の1969年より公営・佐賀競馬で騎手となり1年ほど騎乗、のちに中央競馬へ転じ調教師となった異色の経歴をもつ。1982年に厩舎開業。当時としては先進的な調教法であった坂路調教で頭角を現し、1990年にはJRA最多勝利調教師となる。1992年にGI競走を初制覇して以降、11頭のGI優勝馬を手がけ、地方競馬、日本国外成績との合算では通算1000勝を越える。 JRA騎手であった橋口満朗は実弟、JRA調教師の橋口慎介は長男。
境 征勝(さかい まさかつ、1945年8月12日 - )は、… 境 征勝(さかい まさかつ、1945年8月12日 - )は、日本中央競馬会に所属していた元調教師。美浦トレーニングセンターに所属していた。 父は境勝太郎元調教師。義弟(妹の夫)は小島太元騎手・元調教師。京都府出身。 日本大学法学部を卒業後、北海道の牧場での修行を経て、1968年、父の厩舎である境勝太郎厩舎の調教助手となる。 1971年、研修のためニューマーケット、J・ウインター厩舎へ渡英。1972年に帰国し再び境勝太郎厩舎にて調教助手を務め、1983年に調教師免許を取得し厩舎を開業。 1991年、シンボリクリエンスにてJRA賞最優秀障害馬を受賞。1992年には中山大障害の春秋連覇を達成し、2年連続で最優秀障害馬に選出される。