中島 良史(なかじま よしふみ、1944年2月5日 - )は… 中島 良史(なかじま よしふみ、1944年2月5日 - )は、日本の音楽家、作曲家・編曲家、指揮者、音楽プロデューサー、元国立音楽大学准教授。東京都出身、国立音楽大学作曲科卒業、同専攻科修了。 「国際音楽祭ヤング・プラハ」創設者の一人で、1992年以来21年間にわたり日本代表を務め、チェコ屈指の音楽祭として確立させたことで知られる。 1944年(昭和19年)2月5日、東京都に生まれる。1945年、戦火を避けるため母とともに福島県岩瀬郡桙衝村(現・須賀川市)へ疎開。父は茨城県内の駐屯地で終戦を迎えた。1947年に帰京し、三鷹町(現・三鷹市)に居住戦後混乱期の社会情勢を目の当たりにしながら幼少期を過ごす。
朝月 廣臣(あさづき ひろおみ、1944年1月22日 - 2… 朝月 廣臣(あさづき ひろおみ、1944年1月22日 - 2009年9月13日)は、日本の歌手、作曲家。 千葉県千葉市出身。1964年に日本コロムビアより『若いんだもの』で歌手としてデビュー。当時の芸名は「朝月景一」だった。 1978年に都はるみと結婚。結婚期間中の1981年には、宮崎 雅(みやざき ただし)名義で都はるみとのデュエット曲『ふたりの大阪』を発売し、ヒットとなったが、1982年2月に離婚。その後は作曲家として活動する傍ら、千葉県で歌謡教室を開くなどの活動をしていた。 2009年9月13日、すい臓がんの為に逝去。65歳没。
小椋 佳(おぐら けい、1944年〈昭和19年〉1月18日 … 小椋 佳(おぐら けい、1944年〈昭和19年〉1月18日 - )は、日本のシンガーソングライター、作詞家、作曲家。本名・神田 紘爾(かんだ こうじ)。 1971年に歌手としてデビュー。当初はフォークソングあるいはニューミュージックに分類されていたが、次第にジャンルを広げていった。銀行員としてエリートコースを歩む一方、デビューから20年以上もの間、ほとんど表舞台に出ないアーティストとして活躍する。 1993年、銀行を早期退職すると、音楽活動の一方で再び母校の東京大学法学部に学士入学し、1995年に法学部第3類(政治コース)を卒業。さらに東京大学文学部思想文化学科とその大学院(人文社会系研究科の思想文化コース)でも学び、2000年に修士号を取得した(哲学専攻)。
服部 和彦(はっとり かずひこ、英: Kazuhiko Ha… 服部 和彦(はっとり かずひこ、英: Kazuhiko Hattori、1944年 - )は、日本の音楽家・音楽批評家・音楽プロデューサー・作曲家・朗読演出家。 1966年日本大学第二工学部卒業。1976年から1977年まで民族音楽研究のため、アジア、中東、アフリカの各国を歴訪。 1973年に作曲コンクールに1位入賞すると音楽活動を開始。 1975年、国際芸術連盟会長に就任。琴祥流琴祥会(大正琴)会長、日韓音楽文化交流委員会代表などを歴任している。 室内楽を中心に独奏曲、管弦楽、劇音楽など数多くのジャンルで活躍。Asia Composers Leagueのフェスティバルで室内楽作品が6回・声楽アンサンブルが1回入選。
加藤 登紀子(かとう ときこ、本名:藤本 登紀子、1943年… 加藤 登紀子(かとう ときこ、本名:藤本 登紀子、1943年〈昭和18年〉12月27日 - )は、日本初の女性シンガーソングライター、作詞家、作曲家、女優。日本訳詩家協会6代目会長。「おときさん」の愛称で親しまれている。 「百万本のバラ」(1987年 のヒット曲)の日本語歌詞作詞を行ったことや、「難破船」(自身の歌唱後、中森明菜がカバーした)の作詞作曲などでも知られる。『ほろ酔いコンサート』を50年以上に渡って開いている(2023年現在)。 城西国際大学観光学部で客員教授をした後、星槎大学共生科学科客員教授(2025年1月現在)。日本訳詩家協会会長に就任(2021年5月〜)。夫は学生運動活動家の藤本敏夫。
丸山 雅仁(まるやま まさひと、1943年12月23日 - … 丸山 雅仁(まるやま まさひと、1943年12月23日 - 2020年6月3日)は、日本の作曲家、編曲家。 2014年、第56回日本レコード大賞で編曲賞を受賞。 2020年6月3日、急性呼吸器不全のため死去。76歳没。約2年前から体調を崩して療養中だった。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、音楽関係者(バンド等)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:芸能人)。
古賀 義弥(こが よしや、1943年12月8日 - )は、日… 古賀 義弥(こが よしや、1943年12月8日 - )は、日本の作曲家、ギタリスト、演出家、ボイストレーナー。旧芸名:古賀 修。 福岡県福岡市出身。福岡大学法学部法律学科卒業。 音楽大学を志すも家族(特に姉)の反対により断念し、法学部に進学。地元の福岡でカントリーバンド「シュガーフット・ブラザース」を結成しボーカルを担当。1966年に渡辺プロダクションにスカウトされて上京、GSグループの「レオ・ビーツ」を結成し、ギター・ボーカルを担当。キングレコードから『霧の中のマリアンヌ』でデビュー。 1973年に渡辺プロから独立し、レオ・ビーツ6名のうち3名に新しいメンバー1名を加えて「ブルー・ジャッカス」結成。
大前 哲(おおまえ さとし、Satoshi Ohmae、19… 大前 哲(おおまえ さとし、Satoshi Ohmae、1943年11月25日 - )は日本の現代音楽の作曲家。兵庫県出身。相愛大学音楽学部元教授。大阪教育大学の前身に該当する大阪学芸大学卒業。多くの国際作曲賞を受賞するほか、世界での委嘱作品を発表し、各種の現代音楽演奏会および音楽祭に出品している。 大前哲の楽曲一覧を参照。
海勢頭 豊(うみせど ゆたか、 (1943-11-17) 1… 海勢頭 豊(うみせど ゆたか、 (1943-11-17) 1943年11月17日(82歳)- )は、沖縄県与那城町(現うるま市)平安座島出身の日本の作曲家、シンガーソングライターである。 1962年にギターの演奏および音楽理論、編曲、作曲法を独学で習得し、琉球大学ギターアンサンブルを創設する。 1982年、東京国立劇場にて文化庁主催・沖縄県本土復帰10周年記念『沖縄のこころとかたち』コンサートにて「さとうきびの花」がNHK「みんなのうた」で放送された。 2007年には沖縄那覇市民会館にてバレエ「血の婚礼」を公演し、冠船流川田禮子芸歴70周年記念公演「川田禮子の世界」(前進座劇場にて)三隅治雄作・演出の創作琉球舞踊劇「伊野波節の女」の音楽を担当する。
四方 章人(よも あきと、 (1943-11-14) 194… 四方 章人(よも あきと、 (1943-11-14) 1943年11月14日(82歳) - )は、岩手県出身の作曲家・作詞家である。 1943年生まれ、岩手県水沢市出身。音楽での立身を思い上京し、ビクターレコードの歌手オーディションに合格、猪俣公章の門下生になり、作曲を始める。その後、歌手としては売れなかったが、1973年に作曲した三善英史「遠い灯り」、1980年に作詞作曲した田辺靖雄ほかの「おれでよければ」、1984年に発売された木村友衛ほかの「浪花節だよ人生は」(作曲を担当)などがヒットした。 主な作品として資料より、各賞受賞作を中心にピックアップした。(順不同。なお特記の無い限り作曲を担当)
池辺 晋一郎(いけべ しんいちろう、1943年9月15日 -… 池辺 晋一郎(いけべ しんいちろう、1943年9月15日 - )は、日本の作曲家。学位は芸術学修士(東京芸術大学・1971年)。一般社団法人全日本合唱連盟顧問、東京音楽大学名誉教授、文化功労者。本名:池邉 晋一郎(読み同じ)。 東京音楽大学音楽学部教授、東京音楽大学付属民族音楽研究所所長、横浜みなとみらいホール館長などを歴任した。 茨城県水戸市出身。幼少期は体が弱く、小学校就学が一年遅れるほどであったが読書にいそしみ、そして体調によってはピアノを弾き、家にあったピアノを使って独学していた。近所にあった立花隆の家と家族ぐるみで付き合いがあり、立花も池辺も互いの家の蔵書まで読んでいた。1963年、東京都立新宿高等学校卒業。
たかしま あきひこ(1943年5月24日 - 2016年10… たかしま あきひこ(1943年5月24日 - 2016年10月16日)は、日本の作曲家、編曲家。東京府(現:東京都)出身。 本名は高島 明彦(読み同じ)で、本名名義での作品も存在する。 1968年に東京藝術大学作曲科を卒業。山本直純門下生であり、山本が音楽を担当していたTBSのバラエティ番組『8時だョ!全員集合』では山本のアシスタントを務める。 1970年代からは、山本から役目を引き継いで『全員集合』の音楽を担当したほか、『ドリフ大爆笑』(フジテレビ)のテーマ曲やBGM、ザ・ドリフターズのオリジナル曲、および志村けんのバラエティ番組挿入曲などの作曲・編曲を手がける。またドリフターズ関連以外にも、テレビドラマ・テレビアニメや映画等の劇伴音楽、バラエティ番組のBGM、報道番組のテーマ曲、CMソング等の作曲・編曲を数多く手がけた。
玉木 宏樹(たまき ひろき、1943年〈昭和18年〉3月13… 玉木 宏樹(たまき ひろき、1943年〈昭和18年〉3月13日 - 2012年〈平成24年〉1月8日)は、兵庫県神戸市出身の作曲家、指揮者、ヴァイオリン演奏家。別名、多摩 零。 兵庫県神戸市に生まれ、6歳まで山の上の禅寺、その後は兵庫県武庫郡鳴尾村(現・西宮市)、小3から高校までは神戸市兵庫区石井町三丁目に住んだ。神戸市立平野小学校、神戸市立湊中学校(現・神戸市立湊翔楠中学校)卒業。中学時代は阪急今津線で甲東園のバイオリンの古武滋野のもとへ通っていた。 1965年、東京芸術大学音楽学部器楽科卒業。在学中から東京交響楽団に所属して演奏家としての活動を開始。また、大学の先輩である山本直純に作曲と指揮を学んだ。
北村 俊彦(きたむら としひこ、1943年 - )は、日本の… 北村 俊彦(きたむら としひこ、1943年 - )は、日本のリコーダー専門の作曲家。 京都府立洛東高等学校卒業、大学卒業後はサラリーマンになったのち、大阪音楽大学夜間学部卒業。30歳より大阪府松原市の小学校で音楽専科の教諭として30年間勤務した。 1975年以来松原市の小学生のリコーダー合奏団の指揮を務めている。東京リコーダー協会西日本本部長として全国でリコーダー指導の講習会を行ってきた。 現在もリコーダー教室で指導にあたっている。 著書の笛星人は毎年数万部、累計百万部発行されている。
帰山 栄治(かえりやま えいじ、1943年 - 2022年1… 帰山 栄治(かえりやま えいじ、1943年 - 2022年11月22日)は、日本の作曲家・編曲家。福井県大野市出身。 1962年に名古屋大学文学部に入学し、ギターマンドリンクラブに入部、後に同クラブ第6代指揮者。同期のコンサートマスターが榊原喜三である。作曲を中田直宏に師事。名古屋マンドリン合奏団の指揮者、いくつかの学生マンドリンクラブの指導、マンドリン及び合唱コンクールの審査員など。作曲作品は、マンドリン音楽のほか、ギター合奏曲、現代邦楽、室内楽、独奏曲、歌曲、合唱曲、劇音楽、舞踊音楽など百数十曲。マンドリン合奏への編曲作品も二百数十曲あり、特に、ロシア民族楽器オーケストラ曲の紹介に注目すべきものがある。
出門 英(でもん ひで、1942年〈昭和17年〉12月15日… 出門 英(でもん ひで、1942年〈昭和17年〉12月15日 - 1990年〈平成2年〉6月17日)は、日本の歌手、作曲家(作詞家の担当も有り)、俳優。本名は加藤秀男(かとうひでお)。夫婦デュオ「ヒデとロザンナ」の一人として知られる。血液型A型。 妻は歌手でテレビタレントのロザンナ、長男は音楽家・画家の加藤士門(しもん)。次男はミュージシャンの加藤来門(らいもん)。長女はモデルの万梨音(まりおん)。 東京府出身。中央大学中退後、ポニー音楽スクール卒。 水木 英二(みずき えいじ)の芸名で日活第6期ニューフェースに合格後、日活での約1年間の俳優活動と並行して1962年にソロ歌手として『東京ロマンチックガイ』で東芝レコードからデビュー。
吉田 多宏(よしだ かずひろ、1942年〈昭和17年〉12月… 吉田 多宏(よしだ かずひろ、1942年〈昭和17年〉12月12日 - 2021年〈令和3年〉1月5日[要出典])は、日本のサクソフォーン奏者・音楽家・作曲家。ジャズのサックス奏者・フルート・クラリネット奏者として活動した。 群馬県太田市(旧新田郡尾島町)出身。群馬県立太田高等学校卒。小学校5年生の時、トランペット奏者の実兄(後に「スマイリー小原とスカイライナーズ」「東京キューバン・ボーイズ」等で活動した吉田智次郎)の影響でクラリネットを始める。この頃米軍・極東放送網(FEM)から流れるジャズに触発され17歳でプロとなる。 翌年、米国のアルトサックス奏者チャーリー・パーカーに影響され、アルト・サクソフォーンに転向。
久保田 孝(くぼた たかし、1942年7月12日 - )は、… 久保田 孝(くぼた たかし、1942年7月12日 - )は、日本の指揮者・作曲家・マンドリン教師。東京都小石川区(現文京区)出身。明治大学法学部、カールスルーエ音楽大学指揮科、ウィーン国立音楽大学指揮科卒業。 明治大学卒業後、三石精一に師事。後1968年に西ドイツへ留学し、カールスルーエ音楽大学指揮科でアルトゥール・グリューバーに師事。後1972年ウィーン国立音楽大学指揮科ハンス・スワロフスキーに師事。指揮者としての研鑽を積む。帰国後、東京フィルハーモニー交響楽団、札幌交響楽団、群馬交響楽団、新星日本交響楽団、日本新交響楽団、ディベルティメント室内管弦楽団を指揮した。青少年音楽日本連合(JMJ)主催の青少年音楽祭では、ジュネス・ミュジカル・マンドリンオーケストラの指揮を1976年より以後7年間務めた。
三枝 成彰(さえぐさ しげあき、1942年7月8日 - )は… 三枝 成彰(さえぐさ しげあき、1942年7月8日 - )は、日本の作曲家、編曲家、コラムニスト。株式会社メイ・コーポレーション代表取締役、東京音楽大学客員教授、日本作編曲家協会副会長、日本交響楽振興財団理事、日本現代音楽協会理事、渡辺音楽文化フォーラム理事、全日本ピアノ指導者協会(PTNA)相談役、サイバー大学客員教授、AXNエンタテインメント放送番組審議会委員。1989年までは本名の三枝 成章(読みは同じ)名義で活動していた。 疎開先の兵庫県西宮市に生まれ、生後40日で東京都に移り、千葉県や神奈川県を転々として育つ。1946年頃からピアノを習い始め、1951年、桐朋学園の子供のための音楽教室に入り、入野義朗に作曲を師事。
山下 洋輔(やました ようすけ、1942年2月26日 - )… 山下 洋輔(やました ようすけ、1942年2月26日 - )は、日本のジャズピアニスト、作曲家、エッセイスト、作家である。ひじで鍵盤を鳴らす独自の奏法[要検証 – ノート]を交えながら演奏する。
坂田 晃一(さかた こういち、1942年2月10日 - )は… 坂田 晃一(さかた こういち、1942年2月10日 - )は、日本の作曲家、編曲家。尚美学園大学名誉教授。 東京生まれ。早稲田大学高等学院を卒業。東京芸術大学器楽科(チェロ専攻。中退)の後、1963年から1967年にかけて山本直純のアシスタントを務めると同時に作編曲を師事した。1965年に作曲家としてデビュー。 作品は幅広く、ビリーバンバンの「さよならをするために」、伝書鳩の「目覚めた時には晴れていた」、西田敏行の「もしもピアノが弾けたなら」、杉田かおるの「鳥の詩」、チェリッシュの「あの空へ帰ろう」の作曲・編曲を手がけている。 また、フジテレビの「世界名作劇場」の音楽を担当した他、数々のTVドラマや映画、アニメの音楽も手がけている。
浅川 マキ(あさかわ マキ、1942年1月29日 - 201… 浅川 マキ(あさかわ マキ、1942年1月29日 - 2010年1月17日)は、日本の歌手、作詞(詩)家、作曲家、編曲家。淺川マキと綴られることもある。本名:森本悦子。 石川県石川郡美川町(現:白山市)出身。石川県立金沢二水高等学校卒業。 浅川マキは詳しい生い立ちを公表せず、学習研究社が1980年5月に刊行した『NEW MUSIC'81 ニューミュージック事典』の「アーティスト名鑑」では「1961年に法律の勉強をするため上京。その後某放送局ののど自慢で8人抜きをしたことから、浜口庫之助に認められ歌の世界に入る。黒人霊歌やジャズなどを得意とする」などと書かれている。 町役場で国民年金窓口係の職に就くも程なくして上京する。
田鎖 大志郎(たくさり だいしろう、1942年 - )は日本… 田鎖 大志郎(たくさり だいしろう、1942年 - )は日本の作曲家。横浜国立大学名誉教授。 長野県松本市出身。東京芸術大学音楽学部作曲科卒業、同大学院修了。作曲を石桁眞禮生に師事。 横浜国立大学教育学部教授を務めた。 作曲家の会《環》各会員。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
金子 詔一(かねこ しょういち、1942年 - 2025年4… 金子 詔一(かねこ しょういち、1942年 - 2025年4月1日)は、日本の作詞家・作曲家、英語教育者、実業家。日本の歌百選に選ばれた「今日の日はさようなら」の作詞・作曲者。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、音楽関係者(バンド等)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:芸能人)。
浦田 健次郎(うらた けんじろう、1941年12月15日 -… 浦田 健次郎(うらた けんじろう、1941年12月15日 - 2022年12月25日)は、日本の作曲家。東京都出身。 1964年東京芸術大学音楽学部器楽科(トロンボーン専攻)卒業。1969年同大作曲科卒業、1973年同大大学院修士課程修了。1975年より東京芸術大学音楽学部作曲科にて指導にあたり、2009年3月定年により退官。1969年、日本吹奏楽指導者協会作曲賞受賞。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。
福田 和禾子(ふくだ わかこ、1941年11月28日 - 2… 福田 和禾子(ふくだ わかこ、1941年11月28日 - 2008年10月5日)は、日本の作曲家、編曲家、ピアニスト。東京都出身。父は流行歌手の松平晃。 東京学芸大学附属世田谷小学校・中学校、東京芸術大学音楽学部附属音楽高等学校、東京芸術大学音楽学部作曲科卒業。作曲を下総皖一、池内友次郎、矢代秋雄、いずみたくに師事。大学在学中から、父の親友であった藤山一郎の専属ピアニストとして活動。 大学卒業後の1964年から、NETテレビや東京12チャンネルの学校放送、およびNHK教育テレビジョンの子供番組の音楽の作曲・演奏を担当。『おかあさんといっしょ』や『いないいないばあっ!』、『みんなのうた』等の楽曲を数多く手がけた。
宮下 伸(みやした しん、1941年11月5日 - )は、日… 宮下 伸(みやした しん、1941年11月5日 - )は、日本の箏・三十絃演奏家、作曲家。東京生まれ。財団法人日印協会理事、中央教育審議会専門委員、元創造学園大学副学長、元堀越学園理事、宮下伸箏曲研究所主宰などを歴任した。 5歳より、父である山田流箏曲演奏家・作曲家の初世宮下秀冽より箏曲のてほどきを受ける。1964年に東京藝術大学を卒業(在学中、安宅賞受賞)。卒業後、NHK邦楽育成会第9期を首席で修了。NHK「全国今年のホープ」に選ばれる。 1968年、第1回芸術選奨新人賞受賞。1973年、「宮下伸 箏・三十弦リサイタル」の演奏、作曲により文化庁芸術祭大賞を受賞。1975年以降は、各国の招待や外務省派遣の文化特使として、ウィーンをはじめ世界各国で公演した。
佐藤 允彦(さとう まさひこ、1941年10月6日 - )は… 佐藤 允彦(さとう まさひこ、1941年10月6日 - )は、ジャズピアニスト、作曲家。東京都両国生まれ。 両国国技館前で電飾看板商を営んでいた父のもとに次男として生まれた。両国生まれだが、目黒、渋谷、西大崎、川崎、赤坂と3年ごとに引っ越した。 目黒区立中目黒小学校、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学経済学部を首席で卒業。 元妻は作家の中山千夏(1971年結婚、1978年離婚)。慶應義塾大学アート・センター訪問所員。2019年12月、文化庁長官表彰。 その他、“セレクト・ライブ・アンダー・ザ・スカイ '90”で誕生した『ランドゥーガ』(スウィング・ジャーナル誌「日本ジャズ賞」受賞)のフランスでのリリースなど。
木村 雅信(きむら まさのぶ、1941年10月5日 - 20… 木村 雅信(きむら まさのぶ、1941年10月5日 - 2021年6月27日 )は日本の作曲家、ピアニスト。 中国河北省石門市(現、石家荘市)で生まれ、種子島に育つ。東京芸術大学・大学院で学び1970年に修了。作曲は長谷川良夫と小倉朗に師事。1972年、札幌大谷短期大学専任講師に就任。同短期大学の助教授・教授、札幌大谷大学音楽学部教授を歴任。1964年、第33回日本音楽コンクール第3位、1973年に第2回モスクワ国際バレエコンクール最優秀伴奏ピアニスト賞、2006年に札幌芸術賞。などの受賞歴がある。国内、中国、ロシア、ヨーロッパ、オーストラリアなどで作品が演奏されており、札幌現代音楽展(歴代の同人に座光寺公明、保木誠、泉史夫、蛯子元、小林隆一、出路茂子、吉田均、兵井秀和、小森俊明らが名を連ねる)を主宰していた。
岡 宏(おか ひろし、1941年10月1日 - 2024年1… 岡 宏(おか ひろし、1941年10月1日 - 2024年11月8日)は、日本のバンドマスター、指揮者、作曲家、テナーサックス奏者、芸能プロダクション社長。本名:金好植(キム・ホシク)。元妻は歌手のキム・ヨンジャ。NHK教育テレビ『テレビでハングル講座 』の音楽を監修・担当した。 日本大学芸術学部に在籍中、日本大学ソサエティ楽団にアルトサックス奏者として入団。文化放送大学対抗バンド合戦において「マ・カレナ」のソロで優勝。在学中ビクターオーケストラの専属となり、卒業後プロの道に入る。その後テナーサックスのソロプレイヤーとなる。 1974年にクリアトーンズ・オーケストラを結成し、その指揮者として活動。
井上 大輔(いのうえ だいすけ、本名及び旧芸名:井上 忠夫(… 井上 大輔(いのうえ だいすけ、本名及び旧芸名:井上 忠夫(いのうえ ただお)、1941年9月13日 - 2000年5月30日)は、日本のミュージシャン、作曲家。東京都出身。日本大学豊山高等学校、日本大学芸術学部卒業。 有楽町(数寄屋橋)の寿司・おでん料理の店・富可川本店の長男として生まれる。祖父の忠治郎は山形県米沢市から上京し、官吏や俳優、土工など様々な職を転々としたが、店を一代で築いた人物。また東京音頭の元となる盆踊り大会を企画した旦那衆の一人であった。泰明小学校入学し、コーラス部に所属。日本大学附属豊山高校2年からブラスバンドでクラリネットを吹き始める。その後、日本大学芸術学部に進学し、映画学科演出コースから音楽学科作曲部門に移り、学生バンドを作ってジャズ喫茶などでモダン・ジャズを演奏していた。
桑原 洋明(くわはら ひろあき、1941年9月12日 - 2… 桑原 洋明(くわはら ひろあき、1941年9月12日 - 2022年2月15日)は、日本の作曲家、編曲家。 東京都立川市生まれ。国立音楽大学作曲科卒業。菊川廸夫、外崎幹二、島岡譲、高田三郎に師事。1970年に「吹奏楽のための3つの断章」でJBA作曲賞を受賞。 藤田玄播、斎藤高順、岩河三郎、岩井直溥、名取吾朗、川崎優、奥村一とともに作曲家グループ「ニュー・エイトの会」を結成し、意欲的に吹奏楽曲の作曲を行った。また、クラシック曲からの吹奏楽編曲も多く手がけている。
河野 土洋(かわの くにひろ、1941年8月31日 - 20… 河野 土洋(かわの くにひろ、1941年8月31日 - 2017年10月29日)は、日本の作曲家・編曲家。東京都出身。長男は、作曲家の河野圭。 テレビ・CM・吹奏楽など幅広いジャンルで活躍。シンセサイザーによる楽曲も多く手掛けた。代表作に、AC(公共広告機構)のサウンドロゴ、テレビアニメ『サザエさん』の劇伴(BGM〈2代目〉)など。 中学生の頃からヴァイオリンを始め、朝日ジュニア・オーケストラにて指導者で作曲家の呉泰次郎に音楽の基礎を学ぶ。東京都立新宿高等学校卒業。 学生時代には大学のオーケストラや芥川也寸志が音楽監督を務めた新交響楽団のコンサートマスターとして活動。芥川直々の指導のもと、長期にわたるリハーサルや数多くのコンサートを通じて楽曲を演奏・分析した経験が、その後の音楽活動に大きな影響を与えることとなった。
大野 雄二(おおの ゆうじ、英: Yuji Ohno、194… 大野 雄二(おおの ゆうじ、英: Yuji Ohno、1941年〈昭和16年〉5月30日 - )は、日本のジャズピアニスト、作曲家、編曲家。静岡県熱海市出身。『ルパン三世』シリーズの作曲家としても知られる。 日本テレビ音楽専属、フリーを経て、バップ専属で活動している。 静岡県熱海市にある旅館瑞雲荘大野屋(後のホテル大野屋)を創業した大野市郎の次男として生まれ、小学生の時からピアノを始める。6年生の2学期までは地元の小学校に通い、その後は小田原にある小学校・中学校まで越境通学していた。小田原市立第一中学校(現:小田原市立城山中学校)卒業後は慶應義塾高等学校に進学。同級生だった明石勇(クラリネット担当、後にNHKアナウンサーとなる)らと「ジュニア・ライト・ミュージック」を結成。
石坂 まさを(いしざか まさを、本名:澤ノ井 龍二、1941… 石坂 まさを(いしざか まさを、本名:澤ノ井 龍二、1941年5月18日 - 2013年3月9日)は、日本の作詞家・作曲家。一般社団法人真世界宗教連合会元相談役。 東京都新宿区出身。父親の澤ノ井音次郎は、十数人の弟子を持つ看板業を営んでいた。家業が繁盛し裕福になると女遊びに手を出し、正妻の他に8人の妾を持ち、石坂自身も4番目の妾の婚外子であった。しかし子に恵まれなかった音二郎の正妻・千恵の元で女手一つ愛情深く育てられ、石坂もまた千恵への深い思慕で結ばれていた。新宿区立四ツ谷第二中学校を卒業後、肺結核と闘いながら職を転々とする。 19歳の秋、自死を考えるが、鶴田浩二の「街のサンドイッチマン」を聴き、発奮され作詞家を志すようになる。
井上 堯之(いのうえ たかゆき、1941年3月15日 - 2… 井上 堯之(いのうえ たかゆき、1941年3月15日 - 2018年5月2日)は、日本のギタリスト・作曲家・歌手・音楽プロデューサー。本名は同じ。別名は井上 孝之。愛称はイノヤン。兵庫県神戸市出身。 兵庫県立星陵高等学校卒業後は、滝の茶屋駅前の「すしひろ」で板前だったが、TVのオーディション番組をきっかけに、歌の世界に入る。 ザ・スパイダース結成時代は、「スリージェット」という3人組のコーラス&ダンスグループの一員として活躍したが、リバプールサウンド編成に伴い、ギターを独学し、ボーカルと、リード・ギターを担当するまでになった。ザ・スパイダース時代は井上 孝之と名乗っていた。 1970年のザ・スパイダース解散後、1971年にPYGに参加し、「花・太陽・雨」「自由に歩いて愛して」などを作曲した。
井上堯之(いのうえ たかゆき、1941年3月15日 - )は… 井上堯之(いのうえ たかゆき、1941年3月15日 - )は、日本のミュージシャン・ギタリスト・作曲家・歌手・音楽プロデューサー。兵庫県神戸市出身。本名は同じ。別名は井上 孝之。愛称はイノヤン。
加瀬 邦彦(かせ くにひこ、1941年3月6日 - 2015… 加瀬 邦彦(かせ くにひこ、1941年3月6日 - 2015年4月20日)は、日本の作曲家、音楽プロデューサー。 東京府(現東京都)生まれ。一歳年上の姉がいる。幼稚舎から慶應義塾に通う。 1957年11月、慶應義塾高等学校1年生の時、東京都から神奈川県茅ヶ崎市に転居したが、これが縁で同年12月23日にアメフト部の先輩の紹介により俳優・上原謙のクリスマス・パーティーに誘われ、当時、慶應義塾大学2年生だった加山雄三に出会い、音楽面のみならず、プライベートでも親交を深めるようになる。 慶應義塾大学法学部政治学科在学中の1961年に、初めてのバンド「ザ・トップビーツ」を結成する。その後、ホリプロに所属し、清野太郎、かまやつひろしらとバンド「キャノンボール」を結成。
中山 大三郎(なかやま だいざぶろう、1941年2月15日 … 中山 大三郎(なかやま だいざぶろう、1941年2月15日 - 2005年4月7日)は、日本の作詞家、作曲家。 主に演歌、歌謡曲を中心に作詞、作曲を行っていた。 宮崎県北諸県郡高崎町(現・都城市)出身。1995年に結婚した三佐子夫人は、アナウンサー小川宏の次女。 宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校卒業。法政大学在学中、作詞家の星野哲郎に師事、作曲家としての活動を始める。 クラウンレコードの専属作曲家を経て、尾形大作の『無錫(むしゃく)旅情』、島倉千代子の『人生いろいろ』、天童よしみの『珍島(ちんど)物語』などの大ヒット曲を作詞、作曲した。 また、別名義に水沢圭吾・なかやま和郎・山下孝一郎がある。 テレビのワイドショーのコメンテーター(TBSテレビ『3時にあいましょう』『スーパーワイド』など)としても活躍する一方で、1989年から日本作詩家協会の常務理事を務めていたが、1999年に癌であることを公表した。
吉村 弘(よしむら ひろし、1940年10月22日 - 20… 吉村 弘(よしむら ひろし、1940年10月22日 - 2003年10月23日)は日本の音楽家、作曲家。神奈川県横浜市出身。早稲田大学第二文学部美術科卒業。 サウンド・デザインやグラフィック・デザイン、ヴィジュアル・ポエトリーを含有したサウンド・オブジェやパフォーマンス、環境音楽の制作を行い、特にTOAとの共同施工で多くの音デザイン事業を手がけた。日本の環境音楽の草分け的存在とされる。国立音楽大学音楽デザイン学科非常勤講師や千葉大学工学部工業意匠学科非常勤講師を歴任し、美術館などでの市民参加のワークショップにも力を注いでいたが、2003年に皮膚がんのため死去。
野田 暉行(のだ てるゆき、1940年6月15日 - 202… 野田 暉行(のだ てるゆき、1940年6月15日 - 2022年9月18日)は、日本の作曲家。東京藝術大学名誉教授。 三重県津市に生まれる。高校時代、放送委員としてさまざまなクラシック音楽のレコードに触れたことがきっかけとなって作曲家になることを決意し、独学でピアノ練習や交響曲などの作曲を試みる傍ら、1959年、池内友次郎の許を訪ねて本格的に作曲理論の勉強を開始する。1964年、東京藝術大学音楽学部作曲科卒業、1967年、東京藝術大学大学院修了。池内友次郎、矢代秋雄、島岡譲に師事。在学中の1963年、日本音楽コンクール第1位。 類いまれな和声感や構造性、真髄を捉えた旋律は国内外からも非常に高く評価され頻繁に演奏されている。
小菅 泰雄(こすげ やすお、1940年〈昭和15年〉6月8日… 小菅 泰雄(こすげ やすお、1940年〈昭和15年〉6月8日 - )は、日本の作曲家。現代音楽を中心に活動し、弦楽四重奏や歌曲、オペラなど多様なジャンルの作品を手がけている。 埼玉県秩父市に生まれる。埼玉大学卒業。 1976年、ピアノ組曲《十二支》により、第30回全国学芸コンクール(社会人の部・作曲部門)において第二席を受賞。翌1977年には、弦楽四重奏曲第1番で同コンクール第一席を受賞し、文部大臣奨励賞も併せて授与された。 1977年10月14日には、室内楽作品《シンメトリア1》が、第2回埼玉県新人演奏会オーディションに合格し、同演奏会にて初演された。 1968年6月より現代音楽グループ「葵の会」に所属、2001年3月まで会長を務めた。
筒美 京平(つつみ きょうへい、1940年5月28日 - )… 筒美 京平(つつみ きょうへい、1940年5月28日 - )は、日本の作曲家、編曲家。本名は渡辺栄吉(わたなべ えいきち)。東京府東京市牛込区(現・東京都新宿区)出身。青山学院大学経済学部卒業。弟は音楽プロデューサーの渡辺忠孝。筒美音楽事務所(個人事務所)代表(神奈川県逗子市所在)。2003年、紫綬褒章受章。
鈴木 宏昌(すずき ひろまさ、1940年5月26日 - 20… 鈴木 宏昌(すずき ひろまさ、1940年5月26日 - 2001年5月21日)は、東京都出身のジャズピアニスト、作曲家、編曲家。ニックネームが「コルゲン」であることから、愛称は「コルゲンさん」。 歯科医の息子として生まれ、慶應義塾大学経済学部に進学。大学在学中はジャズ・ピアノに傾倒し、佐藤允彦、大野雄二と共に「慶應三羽烏」として名をはせる。ニックネームの「コルゲン」はもともとは佐藤のものであったが、佐藤が渡米し、その後を受けた形で参加したグループで「二代目コルゲン」と言われていた鈴木がいつしか「コルゲン」のニックネームとなって定着した。 大学在学中より「ジョージ川口とビッグ4+1」に加入し、プロとして活動を開始。
小林 研一郎(こばやし けんいちろう、1940年(昭和15年… 小林 研一郎(こばやし けんいちろう、1940年(昭和15年)4月9日 - )は、日本の作曲家、指揮者。愛称は「(炎の)コバケン」、通称「炎のマエストロ」。 福島県石城郡小名浜町(合併により磐城市、いわき市へと変遷)生まれ。高校の体育教諭の父・正毅と小学校教諭の母・喜代子の長男として生まれる。父親は若い日に音楽家になることを目指したが挫折、家には多くの楽譜や音楽書籍があった。小学校3、4年生の頃、ラジオから流れてきたベートーヴェンの交響曲第9番を聴いて感動し、父親の持っている楽譜を見ながら独学で楽典の勉強を開始。小学5年生の時には、石川啄木の短歌「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」によるピアノ伴奏付きの歌曲を作曲するほどの腕前になる。
森田 公一(もりた こういち、1940年〈昭和15年〉2月2… 森田 公一(もりた こういち、1940年〈昭和15年〉2月25日 - )は、日本の作曲家、歌手。北海道留萌市出身。1970年代には作曲家として、作詞家の阿久悠、編曲家の馬飼野俊一と組むことが多かった。 北海道留萌高校を卒業後、会社勤めをするが1年で退社。日本大学芸術学部に入学、作曲を学んだ。1965年、コーラスグループ原トシハルとB&B7に参加。ピアノおよび作・編曲を担当。68年には森山良子に「愛する人に歌わせないで」を提供した。1969年、森田公一とトップギャランを結成。71年にデビュー曲「恋のグアム島」を発売。 1971年 日本テレビ系列のオーディション番組『スター誕生!』の審査員を務めた。
吉崎 清富(よしざき きよとみ、1940年 - )は、日本の… 吉崎 清富(よしざき きよとみ、1940年 - )は、日本の現代音楽作曲家。 秋田県大館市生まれ。中学卒業と同時に上京し、桜美林高等学校卒業。東京芸術大学卒業、同大学院修了。作曲を下総皖一、石桁眞禮生に師事。ドイツ政府給費留学生としてベルリン国立音楽大学に留学。ボリス・ブラッハー、ジェルジ・リゲティに学ぶ。在学中の69、70、72年、ダルムシュタット夏季現代音楽講習会に参加。ヴィオッティ国際音楽コンクール、ベルリン国際作曲コンクールなどの国際コンクールで入賞を果たす。同大卒業後、ベルリン工科大学電子音楽スタジオ研究員に着任。79年、スタンフォード大学コンピュータ音楽セミナーに参加。 鹿児島大学講師着任後、東京学芸大学教授、国立音楽大学講師、鹿児島大学教授を歴任。
三田 信一(みた しんいち、1940年 - 2000年2月2… 三田 信一(みた しんいち、1940年 - 2000年2月25日)は、日本の木管楽器奏者、作曲家。 1940年、沖縄県越来村(現沖縄市)で、大阪出身の父と沖縄出身の母の間に生まれる。 沖縄県立コザ高等学校卒業後、フルートや尺八の奏者として嘉手苅林昌、玉城安定らのコンサートやレコーディングに木管楽器奏者として参加。手先が器用で、マッチ棒を数千本を組み合わせて尺八を手作りした逸話がある。 作曲家としてフォーシスターズが歌い、沖縄県だけで10万枚を売上げる大ヒットとなった「ちんぬくじゅうしい」のほか、「ウーマクカマデー」(以上、朝比呂志作詞)「たうちー一代(作詞:上原直彦)」「軽便鉄道節(作詞:徳田安周)」などの曲を書き上げる。
大野 克夫(おおの かつお、1939年〈昭和14年〉9月12… 大野 克夫(おおの かつお、1939年〈昭和14年〉9月12日 - )は、日本の作曲家、編曲家、キーボーディスト、音楽プロデューサー。京都府京都市出身。 1962年から1970年までザ・スパイダース、1971年から1972年までPYG、1971年から1980年まで井上堯之バンドのメンバーとして活動。1980年に大野克夫バンドを結成し、活動を続ける。愛称は克夫ちゃん。 後述するように、沢田研二をはじめ多数の歌手へ楽曲を提供している。1975年の「時の過ぎゆくままに」は約92万枚の売り上げを記録。1977年の「勝手にしやがれ」は89万枚の売り上げを記録。第19回日本レコード大賞の大賞、第8回日本歌謡大賞の大賞、第10回日本有線大賞の大賞を受賞し、主要な賞レースを独占した。
須田 くにお(すだ くにお、1939年7月24日 - )は、… 須田 くにお(すだ くにお、1939年7月24日 - )は、福島県福島市渡利地区在住の合唱指揮者、作曲家。代表作に混声合唱組曲「安積野」や「日本楽器の為の四重奏」、福島大学学生歌「今日の世紀に」等がある。 福島県立福島商業高等学校卒業。古関裕而の後輩に当たる。東京で下総皖一に作曲を師事。 福島アカデミー音楽学院を経営するかたわら、飯野中学校の客演講師や福島市の第九のためのコール・フロイデなどで、福島県の合唱の発展に尽くす。山形交響楽団もブラームスやモーツァルト等のレパートリーの指揮者陣に属する。