藤澤 拓斗(ふじさわ たくと、1990年5月27日 - )は… 藤澤 拓斗(ふじさわ たくと、1990年5月27日 - )は、大分県宇佐市出身の元プロ野球選手、野球指導者(内野手)。右投左打。 柳ヶ浦高等学校時代には投手兼三塁手としてプレー。しかし、春夏ともに甲子園での全国大会出場はならなかった。 高校卒業後に西濃運輸へ入社すると、3年目の2011年に第81回都市対抗野球大会へ出場。5年目の2013年にも東邦ガスの補強選手として、第83回都市対抗野球大会へ出場した。 2013年のプロ野球ドラフト会議で中日ドラゴンズから6巡目指名を受け、契約金3000万円、年俸1000万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は46。中日から指名された直後には、西濃運輸の選手として第39回社会人野球日本選手権大会へ出場している。
石川 駿(いしかわ しゅん、1990年〈平成2年〉5月26日… 石川 駿(いしかわ しゅん、1990年〈平成2年〉5月26日 - )は、滋賀県草津市出身の元プロ野球選手(内野手)、元社会人野球・大学野球指導者。右投右打。現在は大学講師、研究者。 三人兄弟の第二子として育ち、草津市立草津第二小学校在学中に日の出ファイターズへ入団し軟式野球を始め、草津市立草津中学校では軟式野球部に投手として所属していた。 高校は滋賀県立北大津高等学校へ入学し、硬式野球に転向。入部後は野手転向し1年夏からレギュラーとなり主に7番打者で出場し、同年秋季大会準決勝で則本昂大擁する滋賀県立八幡商業高等学校に勝利するも決勝で小熊凌祐擁する近江高等学校に敗れ、準優勝で秋の近畿大会に出場してベスト4となった。
八木 快(やぎ よしき、1990年5月26日 - )は、愛媛… 八木 快(やぎ よしき、1990年5月26日 - )は、愛媛県出身の野球選手(外野手)、プロ野球コーチ。右投右打。現在は横浜DeNAベイスターズで二軍投手戦術・育成コーチを務める。 高校時代は今治西高等学校で野球をしており、甲子園にも出場していた。また、1学年上に熊代聖人がいた。卒業後は岩手大学に進学し、野球を続ける。高校・大学時代は主に外野手としてプレーした。 その後は筑波大学大学院に進み、バイオメカニクスや動作解析を学んだ。同大学在籍中に、横浜DeNAベイスターズからバイオメカニクス部門の土台を形成して欲しいという旨のオファーを受け、入団した。 2019年秋からチーム戦略R&Dグループに所属。
藤井 宏政(ふじい こうせい、1990年5月18日 - )は… 藤井 宏政(ふじい こうせい、1990年5月18日 - )は、兵庫県高砂市出身の元プロ野球選手(内野手)、野球指導者。右投右打。育成選手として2013年まで阪神タイガースへ5年間在籍した後に、カナフレックス硬式野球部創部(2014年)への参加と現役引退(2017年)を経て、2022年まで同部のコーチや助監督を務めていた。 小学校5年生の時に野球を始めると、高砂市立鹿島中学校時代は「鹿島クラブ」に所属して遊撃手兼三塁手としてプレー。兵庫県立加古川北高等学校への進学後は、下級生の頃からクリーンナップを任されると、3年時には「3番・遊撃手」として第90回全国高等学校野球選手権記念大会の全国大会に西兵庫代表で出場した。
二保 旭(にほ あきら、1990年5月18日 - )は、福岡… 二保 旭(にほ あきら、1990年5月18日 - )は、福岡県行橋市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。現在は福岡ソフトバンクホークスに所属。
立岡 宗一郎(たておか そういちろう、1990年5月18日 … 立岡 宗一郎(たておか そういちろう、1990年5月18日 - )は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手(外野手、内野手)。
小川 泰弘(おがわ やすひろ、1990年5月16日 - )は… 小川 泰弘(おがわ やすひろ、1990年5月16日 - )は、愛知県渥美郡赤羽根町(現:田原市)出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。 5人兄弟の末っ子として生まれた。小3から野球を始め、田原市立赤羽根中学校時代は軟式野球部に所属しエースとしてチームを県大会出場に導いた。 成章高校に進学後、2年冬には愛知県選抜として中川大志や福谷浩司と共に日米親善試合に出場した。3年春には21世紀枠でセンバツに出場、1回戦で駒大岩見沢高校を3-2で前評判を覆して下し、創部103年目で甲子園での初勝利を飾った。夏の甲子園は東愛知大会決勝戦で大府高校に1対3で敗退する。夏休みはサーフィンをしたりして過ごす一方で、「とにかく野球を続けなきゃ」「プロ野球でやりたい」という気持ちが芽生えており、進路について「大学でステップを踏み、プロ入りを現実的なものにする」と考え、地元・愛知県内の大学でプレーするイメージを抱いていた。
伏見 寅威(ふしみ とらい、1990年5月12日 - )は、… 伏見 寅威(ふしみ とらい、1990年5月12日 - )は、北海道千歳市出身のプロ野球選手(捕手、内野手)。右投右打。阪神タイガース所属。 小学3年から野球を始めた。中学は札幌白石シニアに所属し、その時の監督に捕手を命じられる。 東海大学付属第四高等学校では春の全道大会で優勝、夏はベスト4。卒業後は東海大学へ進学。 東海大学では1年秋から正捕手として定着し、1学年上の菅野智之とバッテリーを組み活躍、2年になると4番打者も務めるようになった。2010年に行われた第5回世界大学野球選手権大会では日本代表に選出。リーグ通算で79試合、287打数90安打、6本塁打、52打点、打率.314、MVP、ベストナイン各2回、首位打者1回。
尾崎 直輝(おざき なおき、1990年5月8日 - )は、東… 尾崎 直輝(おざき なおき、1990年5月8日 - )は、東京都日野市出身の高校野球指導者。 國學院大學久我山高等学校保健体育科教諭、國學院大學附属幼稚園教員。 國學院久我山高校時代は外野手としてプレーするも肩と腰の怪我から2年途中からは主務兼学生コーチとしてチームを支える。 高校卒業後は系列校の國學院大學に進学するが硬式野球部には入部せずに母校の國學院久我山高校の野球部にて指導に当たる。 大学卒業後は母校の國學院久我山高校に教員として赴任。2013年秋からは当時23歳ながら硬式野球部のコーチから監督に昇格し、「若い監督を指導者として育ててほしい」と学校側から要請を受けた國學院大學総監督・竹田利秋より指導法を学んだ。
三嶋 一輝(みしま かずき、1990年5月7日 - )は、横… 三嶋 一輝(みしま かずき、1990年5月7日 - )は、横浜DeNAベイスターズに所属する福岡県福岡市出身のプロ野球選手(投手)。
髙田 知季(たかた ともき、1990年5月6日 - )は、兵… 髙田 知季(たかた ともき、1990年5月6日 - )は、兵庫県姫路市出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。現在は福岡ソフトバンクホークスに所属。
阿部 拳斗(あべ けんと、1990年5月4日 - )は、新潟… 阿部 拳斗(あべ けんと、1990年5月4日 - )は、新潟県南魚沼市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 塩沢中学校軟式野球部・中越高等学校の出身。2008年、新潟県高等学校野球連盟優秀選手表彰を受賞。 2011年、新潟アルビレックス・ベースボール・クラブに入団。同年オフにはBCリーグからの派遣でコロンビア・ウインターリーグにも参加した。2012年、13勝をあげ、チーム初となるリーグ総合優勝に貢献した。このシーズンには、前期リーグMVPを受賞した。香川オリーブガイナーズと対戦したグランドチャンピオンシップでは第2戦に先発し、1勝を挙げている。 2015年11月2日付で退団。2016年、実家の農業(稲作)に就農[要出典]。
近田 怜王(ちかだ れお、1990年4月30日 - )は、兵… 近田 怜王(ちかだ れお、1990年4月30日 - )は、兵庫県三田市出身の元プロ野球選手(投手、外野手)。
橋本 到(はしもと いたる、1990年4月28日 - )は、… 橋本 到(はしもと いたる、1990年4月28日 - )は、秋田県秋田市生まれ、宮城県仙台市育ちの元プロ野球選手(外野手)。右投左打。現在は読売ジャイアンツで三軍オフェンスコーチを務める。 小学校2年から鶴が森少年野球クラブで野球を始め、仙台市立鶴が丘中学校時代は東北シニアに所属(部活動は陸上)。2年時に投手兼中堅手として全国大会出場。 仙台育英高校では1年春からベンチ入りし、秋から中堅手としてレギュラーを獲得。2年春・夏、3年夏と甲子園に3度出場。3年夏は6打席連続ヒットを放つなど、甲子園通算で24打数12安打の高打率を残す。打撃に加え、俊足、強肩の走攻守3拍子が揃った選手として「みちのくのイチロー」の異名で呼ばれた。
松冨 倫(まつとみ りん、1990年4月26日 - )は、大… 松冨 倫(まつとみ りん、1990年4月26日 - )は、大分県大分市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。プロでは育成選手であった。 楊志館高時代は、2年時の夏に第89回全国高等学校野球選手権大会に出場。3番遊撃手として起用され、ベスト8進出に貢献した。3年時の夏は、大分県予選1回戦で国東高に敗れ初戦敗退に終わった。2学年後輩に甲斐拓也がいる。 別府大学では、1年時から主軸で遊撃手のレギュラーに定着し、ベストナインにも選出された。3学年先輩に岩尾利弘、安田圭佑がいる。 2012年10月25日、プロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから育成選手ドラフト2位指名を受け入団。 2013年は二軍で7試合に出場し3打数0安打の成績に終わった。
金子 侑司(かねこ ゆうじ、1990年4月24日 - )は、… 金子 侑司(かねこ ゆうじ、1990年4月24日 - )は、京都府京都市右京区出身のプロ野球選手(外野手、内野手)。右投両打。埼玉西武ライオンズ所属。
奥田 ペドロ(Pedro Okuda、1990年4月20日 … 奥田 ペドロ(Pedro Okuda、1990年4月20日 - )は、ブラジル・サンパウロ州マリリア出身のプロ野球選手(内野手)。 日系ブラジル人3世。小学校3年生のときから野球を始め、15歳でボーイズリーグ世界大会にブラジル代表として出場。決勝で日本に敗れた。 中学卒業後に来日し、本庄第一高等学校に入学。1年生からレギュラーに定着。2年夏には同校初となる甲子園出場を果たし、1回戦の開星高校戦でサヨナラ本塁打を放つなど活躍。3年時には年齢が19歳となり、出場資格が無かったが、ブラジルとの学制の違いが考慮され出場可能となった。しかし、埼玉大会準決勝の聖望学園高校戦で敗退。 在学中の2009年12月16日にシアトル・マリナーズとマイナー契約を結び、翌春の卒業後、ベネズエラン・サマーリーグ・マリナーズでプレー。
山林 芳則(やまりん よしのり、1990年4月15日 - )… 山林 芳則(やまりん よしのり、1990年4月15日 - )は、兵庫県洲本市出身のプロ野球選手(投手)。
戸柱 恭孝(とばしら やすたか、1990年4月11日 - )… 戸柱 恭孝(とばしら やすたか、1990年4月11日 - )は、鹿児島県肝属郡内之浦町(現:肝付町)出身のプロ野球選手(捕手)。右投左打。横浜DeNAベイスターズ所属。 鹿屋中央高時代までは内野手で、主に三塁を守っていた。駒澤大学1年時から捕手へ転向したが、学生時代には全国大会と無縁であった。プロでもチームメイトとなる白崎浩之は大学の同期生、今永昇太は3学年後輩に当たる。リーグ通算45試合に出場、154打数35安打、打率.227、0本塁打、11打点を記録。 大学卒業後にNTT西日本へ入社。入社当初は正捕手・北﨑寛明の控えに甘んじていた。入社2年目の第85回都市対抗野球大会では、チームは予選で敗退したが、大阪ガスの補強選手として出場。
坂寄 晴一(さかより せいいち、1990年4月5日 - )は… 坂寄 晴一(さかより せいいち、1990年4月5日 - )は、茨城県鉾田市出身の元プロ野球選手(投手)、警察官。左投左打。 茨城県立鉾田第一高校から国士舘大学へ進学。2年生の時に東都大学野球リーグ・春季リーグでの国学院大戦(4月7日)で先発登板し、8回2/3を投げ無失点の成績で、チームに15年ぶりの同リーグ1部での勝利をもたらした。3年春の入替戦初戦で先発するも敗戦投手となり、結局降格。秋以降は2部リーグで4年秋は最下位となるが3部との入替戦では2戦とも先発して勝利投手で2戦目は完封。1部リーグ通算、17試合1勝5敗、防御率2.94。 JR東日本での2年目の2014年、5月10日に行われた巨人の二軍との交流戦に先発、5回を投げて1人のランナーも出さなかった(パーフェクトピッチング)。
堤 雅貴(つつみ まさき、1990年4月5日 - )は、日本… 堤 雅貴(つつみ まさき、1990年4月5日 - )は、日本の元プロ野球選手(投手)。 高崎商高時代は、1年時の秋から投打で活躍。2年時の夏、3年時の春にはエースとして県ベスト4に進出したが、3年時の夏は県予選3回戦で敗退し、甲子園出場は叶わなかった。 高校卒業後、2009年に地元球団であるベースボール・チャレンジ・リーグの群馬ダイヤモンドペガサスに入団。 2009年、高卒1年目ながら後期から先発に定着。23試合に登板し、7勝2敗1セーブ、防御率1.55(リーグ1位)と同球団の優勝に貢献。シーズンMVP、ベストナイン、後期MVP、最優秀防御率賞に輝いた。 2012年7月17日、怪我の治療に専念するため、一度任意引退での退団扱いとなり、その後は練習生としてチームに帯同。
井坂 肇(いさか はじめ、1990年4月4日 - )は、東京… 井坂 肇(いさか はじめ、1990年4月4日 - )は、東京都世田谷区出身の元プロ野球選手(投手)。現役引退後の2020年からは、星槎道都大学で経営学部経営学科の助教と硬式野球部のコーチを務め、2024年現在は専任講師。 東京大学から日本の独立リーグでのプレーを経験した初めての野球選手。父は映画監督の井坂聡で、父も東京大学野球部の選手だった。 小学生の頃、元東大野球部の父・聡に連れられて、明治神宮野球場で東京六大学野球を観戦したことを切っ掛けに、父と同じく東大野球部に属することを目指すようになる。小学時代はサッカー部だったが、世田谷区立深沢中学校時代から目黒西シニアで外野手として野球を始める。東京都立日比谷高等学校進学後に投手となり、2年生夏の東東京大会では第1戦で加藤正志がエースの東京実業高を相手に延長再試合に持ち込むほどの力投を見せた。
島袋 翔伍(しまぶくろ しょうご、1990年3月30日 - … 島袋 翔伍(しまぶくろ しょうご、1990年3月30日 - )は、日本の元プロ野球選手(外野手)。 沖縄県宜野湾市出身。小学校の頃、父の影響で野球を始める。高校は中部商業高校へ入学、上原監督の下、三塁手として甲子園出場を目指すが、県大会で敗退。 2008年、那覇市の社会人野球チームビッグ開発ベースボールクラブに入団し主に1番レフトでレギュラーに定着する。2010年には都市対抗野球大会予選で初めて2次予選に進出したほか、同年の西日本クラブカップで初優勝し主に先頭打者として大きく貢献した。同年、四国アイランドリーグplusの香川オリーブガイナーズからドラフト1位指名を受け、翌2011年同球団へ入団。
菊池 涼介(きくち りょうすけ、1990年3月11日 - )… 菊池 涼介(きくち りょうすけ、1990年3月11日 - )は、東京都東大和市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。広島東洋カープ所属。 愛称は「キク」。2021年開催の東京オリンピック 野球 金メダリスト。 守備の名手として知られ、二塁手としていずれもNPB記録であるシーズン535補殺、シーズン守備率10割(無失策)、569連続守備機会無失策を記録し、10年連続でゴールデングラブ賞を受賞した。打撃面では2022年にセ・リーグ史上初となる100本塁打&300犠打を達成した。 東大和市立第三中学校時代は地元の東大和リトルシニアでプレーし、中学まで東大和市で暮らした後に、シニアの監督の勧めで長野県塩尻市にある武蔵工業大学第二高等学校へ進学。
藤井 翼(ふじい つばさ、1990年2月23日 - )は、富… 藤井 翼(ふじい つばさ、1990年2月23日 - )は、富山県黒部市出身の元プロ野球選手(内野手)、高校野球指導者。 2003年の日本シリーズがきっかけで、福岡ソフトバンクホークスと阪神タイガースのファンになった。富山県黒部市立桜井中学校3年時には全国中学軟式野球大会に出場し準優勝。 富山県立桜井高等学校3年時、第89回全国高等学校野球選手権大会に出場。初戦の東福岡高校戦では敬遠気味の球を打ちにいく(結果は内野ゴロ)など気迫を見せたが、チームは延長戦の末敗退。 北信越屈指の強打者として活躍し、富山県新記録となる高校通算39本塁打を放った。 2007年のドラフトで福岡ソフトバンクホークスから4巡指名を受け、契約金3000万円、年俸500万円(ともに推定)で入団した。
董 偉(とう い、ドン・ウェイ、1990年2月22日 - … 董 偉(とう い、ドン・ウェイ、1990年2月22日 - )は、中華人民共和国出身の元プロ野球選手(捕手)。 2013年にワールド・ベースボール・クラシック中国代表に選出される。
大嶋 匠(おおしま たくみ、1990年2月14日 - )は、… 大嶋 匠(おおしま たくみ、1990年2月14日 - )は、群馬県前橋市出身の元プロ野球選手(捕手、内野手)、ソフトボール選手(内野手、捕手)。右投左打。中学生時代から大学生時代まで一貫してソフトボール選手であり、野球経験は小学校時代に軟式野球のみという、プロ入り前に硬式野球の経験がなかった異色のプロ野球選手であった。 小学校までは軟式野球をしていたが、進学した新島学園中学校に野球部がなかったためソフトボール部に入部。硬式野球のクラブチームへの入団も検討していたが、体験練習で硬式球の死球を受けて「自分に硬球は早すぎる」と感じてしまったという。 高校進学時に野球に戻る考えもあったが、内部進学の新島学園高校でもソフトボールを継続。
島内 宏明(しまうち ひろあき、1990年2月2日 - )は… 島内 宏明(しまうち ひろあき、1990年2月2日 - )は、石川県小松市出身のプロ野球選手(外野手)。左投左打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。愛称は「ウナギイヌ」。
西村 優希(にしむら ゆうき、1990年1月28日 - )は… 西村 優希(にしむら ゆうき、1990年1月28日 - )は、北海道紋別郡遠軽町出身の元プロ野球選手(投手)、雪合戦選手。プロでは育成選手であった。 父親とのキャッチボールをきっかけに、小学3年生のときに遠軽東イースターズで野球を始める。遠軽町立遠軽中学校では野球部に所属した。 地元の北海道遠軽高等学校に進学すると、硬式野球部では1年秋からベンチ入りし、エースになる。2年夏は北見支部予選を勝ち上がり、北北海道予選大会の決勝・白樺学園まで進むが、先発投手が打ち込まれ、西村の登板後も更に差を広げられてしまい、1対9に敗れ、甲子園出場を逃した。3年夏も北北海道予選大会までは進むが、1回戦で敗退。 3年時に2007年ドラフト会議で読売ジャイアンツから育成2巡目で指名を受ける。
山根 佐由里(やまね さゆり、1990年1月24日 - )は… 山根 佐由里(やまね さゆり、1990年1月24日 - )は、三重県度会郡度会町出身の女子ソフトボール選手(投手)。元ソフトボール日本代表。日本リーグ42連勝の記録保持者。 度会町立中川小学校4年生の時に地域のスポーツ少年団(現在の度会エンペラーズ)に入団。6年生の時に第15回全日本小学生大会に出場したが、1回戦で京都のホワイトビッキーズに敗れた。 2002年、度会町立度会中学校に進学。2年生の時にピッチャーを始めた。同年、全国中学校大会に出場したが登板機会は無かった。 2005年、三重県立宇治山田商業高等学校に進学。高校3年生に進級する直前の3月、練習中に右膝の前十字靭帯を断裂した。手術が必要な大怪我であったが、5月にインターハイが、6月には世界ジュニア選手権が控えていたため、手術を後回しにして試合に出場し続けた。
豊島 明好(とよしま あきよし、1990年1月16日 - )… 豊島 明好(とよしま あきよし、1990年1月16日 - )は、石川県加賀市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。現在は横浜DeNAベイスターズのファームマネージャー兼打撃投手を務めている。 中学1年生で父を急性心筋梗塞で、2年生で母を乳がんで相次いで亡くし、13歳年上の姉に面倒を見てもらっていた。北陸大谷高等学校時代は野球部監督の自宅で下宿し、毎朝5時に起床し午後9時頃まで野球に没頭する生活を送っていた。北海道日本ハムファイターズの入団テストを受け合格し、2007年の高校生ドラフト会議で日本ハムに6巡目で指名され、契約金1500万円、年俸450万円で入団。 2008年、オープン戦で好投し、セ・パ両リーグの高卒新人で唯一、日本ハムの高卒新人投手では工藤幹夫以来29年ぶりとなる開幕一軍に選ばれると、同年3月26日の開幕5戦目・対埼玉西武ライオンズ戦(札幌ドーム)で0-8とリードされた8回に初登板を果たし、1回を三者凡退に抑えた。
八木 健史(やぎ たけし、1990年1月13日 - )は、東… 八木 健史(やぎ たけし、1990年1月13日 - )は、東京都八王子市出身の元プロ野球選手(捕手、右投右打)。コーチ。NPBでは育成選手であった。 八王子市立川口中学校時代は「八王子リトルシニア」でプレー。中学卒業後は工学院大附高へ進学。高校時代は捕手を務め、3年時の夏は西東京予選2回戦で八王子高に3-11で敗れた。甲子園出場経験はなし。 高校卒業後は、杏林大学へ進学するも中退。その後、社会人野球のクラブチームである横浜ベイブルースに入団。 2010年1月23日、ベースボール・チャレンジ・リーグの群馬ダイヤモンドペガサスの球団トライアウトに合格し入団。同年は、28試合に出場し打率.147に終わる。
橋本 ひかり(はしもと ひかり、1990年1月11日 - )… 橋本 ひかり(はしもと ひかり、1990年1月11日 - )は、熊本県熊本市出身の元女子プロ野球選手。 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。
土田 瑞起(つちだ みずき、1990年1月1日 - )は、長… 土田 瑞起(つちだ みずき、1990年1月1日 - )は、長崎県南高来郡千々石町(現:雲仙市)出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 鎮西学院高校3年時に、春の県大会で準優勝。夏は、右肘痛の影響もありベスト8で敗退。打撃では、高校通算31本塁打を記録している。 高校卒業後は、地元球団である四国・九州アイランドリーグの長崎セインツに入団。トライアウトに行く際、一人ではいやだったので一緒に来たのが、水口大地だったという。 長崎時代には、2年目の2009年に、リーグ戦33試合に登板。5勝4敗7セーブ、リーグ3位の防御率2.16を記録するとともに、球団の前期優勝に貢献した。しかし、2010年シーズン終了後に球団が解散したため、リーグ内の救済ドラフトで愛媛マンダリンパイレーツへ移籍した。
仲井 洋平(なかい ようへい、1989年12月25日 - )… 仲井 洋平(なかい ようへい、1989年12月25日 - )は、愛知県豊橋市出身の元社会人野球選手(投手)。右投右打。三菱自動車岡崎硬式野球部でプレーした。 小学3年生から「向山ビクトリー」で野球を始め、豊橋市立中部中学校では軟式野球部に所属。中学卒業後は進学校である愛知県立時習館高等学校に入学。3年生のとき、184cmの長身から繰り出す最速138km/hの速球と多彩な変化球が持ち味の右の本格派としてエースで4番打者を務めた。高校時代は同年夏の愛知大会4回戦が最高成績。長身投手であることから「東三河のダルビッシュ」と呼ぶ声もあったが、甲子園出場経験のない無名の存在だった。 早慶戦に憧れ、一浪の末、2009年、慶應義塾大学文学部に入学。
田島 慎二(たじま しんじ、1989年12月21日 - )は… 田島 慎二(たじま しんじ、1989年12月21日 - )は、愛知県名古屋市天白区出身の元プロ野球選手(投手)、コーチ。右投右打。 小学4年生時に少年野球チームドジャースに入団、捕手として野球を始める。中学時は軟式野球の瑞穂ブルーウイングスに所属し、ここでも捕手だった。 中部大学第一高校に進学後も捕手だったが、2年時の秋に先輩の朱大衛らが抜けたことから投手に転向。3年時の夏は、準々決勝まで5試合を計6失点、準決勝で伊藤隼太、堂林翔太を擁する中京大中京高校に1-8で敗れ、甲子園出場経験は無し。 愛知大学野球連盟に加盟する東海学園大学経営学部に進学し、1年時の春からリーグ戦に登板。2年時からエースとなり、春には1季のみではあるが1部リーグを経験。
中村 茜(なかむら あかね、1989年12月21日 - )は… 中村 茜(なかむら あかね、1989年12月21日 - )は、日本の女子プロ野球選手。兵庫県尼崎市出身。
知念 広弥(ちねん こうや、1989年12月18日 - )は… 知念 広弥(ちねん こうや、1989年12月18日 - )は、沖縄県那覇市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 ドッジボールの際に肩の強さを褒められたことから野球を始める。那覇市立高良小学校時代は「高良カープ」で軟式野球をプレーし、那覇市立小禄中学校時代は「沖縄ダイヤモンドクラブ」で硬式野球をプレー。中学時代はフレッシュリーグ(九州硬式少年野球協会)で3位の実績を誇る。 中学卒業後は更なるレベルアップを目指し、地元・沖縄県を離れ、岡山県浅口市のおかやま山陽高等学校に進学。高校では2年生から直球を武器にした投手として頭角を現すも、冬にフォームを見失って球速を落としてしまう。球威の戻らぬまま、高校を卒業した。
田代 将太郎(たしろ しょうたろう、1989年12月13日 … 田代 将太郎(たしろ しょうたろう、1989年12月13日 - )は、北海道石狩市出身の元プロ野球選手(外野手)。左投左打。YouTuberとしても活動。 小学校4年生の時に外野手として野球を始めると、中学生時代は石狩中央シニアに所属していた。 東海大学付属第四高等学校への進学後は、3年夏の第89回全国高等学校野球選手権大会南北海道大会の札幌地区代表決定戦まで進んだことが最高成績で、春夏共に阪神甲子園球場での全国大会へ出場できなかった。高校卒業後は東海大学へ進学を希望し、大学の練習場でセレクションを受けたが、「特待生では取れない」と言われる。なお、田代がなれなかった特待生に菅野智之と田中広輔がいた。
伊藤 和雄(いとう かずお、1989年12月13日 - )は… 伊藤 和雄(いとう かずお、1989年12月13日 - )は、埼玉県比企郡小川町出身の元プロ野球選手(投手)。 小川東中学校時代に野球をスタート。当初は控えの二塁手であった。埼玉県立坂戸西高等学校への入学後に投手へ転向すると、2年時の秋からエースの座を確保したが、在学中には全国大会と無縁であった。卒業後に高校からグラウンドが程近い東京国際大学へ進学。広島東洋カープの監督時代に日本シリーズ制覇を3度経験した古葉竹識が監督へ就任したばかりの硬式野球部で、1年時の春から東京新大学野球のリーグ戦に登板した。エースとして臨んだ4年時(2011年)の春季リーグ戦では、3完封を含む7勝を挙げて、チーム史上初の優勝に貢献。
由規(よしのり、本名:佐藤 由規〈さとう よしのり〉、198… 由規(よしのり、本名:佐藤 由規〈さとう よしのり〉、1989年12月5日 - )は、宮城県仙台市出身の元プロ野球選手(投手)、プロ野球コーチ。右投左打。 NPB入り後から一貫して由規の登録名を使用している。実弟の(佐藤)貴規も野球選手で、一時は東京ヤクルトスワローズに兄弟揃って在籍していた。 小学校4年生の時に野球を始める。仙台市立北仙台中学校1年生だった2002年には、リトルリーグの仙台東リーグの一員として全国制覇。その後、仙台東は日本代表としてアジア大会を勝ち進み、世界大会に進出。初戦の対ロシア戦に先発した由規は大会10年ぶりとなるノーヒットノーランを達成し、最終的にチームは決勝でアメリカ代表に0-1で敗れる。
阿部 寿樹(あべ としき、1989年12月3日 - )は、岩… 阿部 寿樹(あべ としき、1989年12月3日 - )は、岩手県一関市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。 愛称は「マスター」。 一関市立赤荻小学校1年(もしくは2年)で赤荻スポーツ少年団に入団して軟式野球を始め、一関市立山目中学校(2015年に一関市立中里中学校と統合し現在は一関市立磐井中学校)では、軟式野球部に所属した。硬式球や木製バットは自宅のビニールハウス内に設けられた父親手製の練習場でバッティング練習等をして親しんでいたという。 その後、進学した岩手県立一関第一高等学校では、3年春の県大会優勝、続いての東北大会優勝が最高成績だった。3年生の夏の予選では2回戦で花巻東高校と当たり、当時1年生でリリーフ登板した菊池雄星とも対戦し敗退した。
樋口 賢(ひぐち けん、1989年12月2日 - )は、広島… 樋口 賢(ひぐち けん、1989年12月2日 - )は、広島県竹原市出身の元プロ野球選手(投手)。
中井 大介(なかい だいすけ、1989年11月27日 - )… 中井 大介(なかい だいすけ、1989年11月27日 - )は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手(内野手、外野手)。
植松 優友(うえまつ まさとも、1989年11月27日 - … 植松 優友(うえまつ まさとも、1989年11月27日 - )は、大阪府大阪市北区出身の元プロ野球選手(投手)。
武隈 祥太(たけくま しょうた、1989年11月24日 - … 武隈 祥太(たけくま しょうた、1989年11月24日 - )は、北海道上川郡東神楽町出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 小学5年時に東聖イーグルスで野球を始める。中学では旭川北稜球シニアに所属し、2004年に全国大会出場を経験した。 北海道旭川工業高等学校時代は、高校1年生の夏に甲子園に出場しているが登板はしていない。その際試合前の公式練習で三塁打を打ったと語っている。しかしながら3年間は甲子園はおろか全道大会のマウンド経験もなく、全国的にはまったく無名の選手であった。公式戦には8試合に登板し防御率1.23。 2007年5月29日、練習中に人差し指の第1関節部じん帯損傷・第2関節部骨折で全治5週間と診断された。
嘉弥真 新也(かやま しんや、1989年11月23日 - )… 嘉弥真 新也(かやま しんや、1989年11月23日 - )は、沖縄県石垣市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 沖縄県石垣市白保出身。白保小学校4年時から野球を始め、中学までは軟式野球でプレーをした。石垣島には高校が3校しか無い中、のちに大嶺祐太を擁して離島旋風を巻き起こした八重山商工高校があったものの、入試に落ちたくなかったこと、八重山商工に好選手が集まっていたこと、幼馴染みの好選手・長間翔悟が八重山農林への進学を決めたことを理由に、八重山農林高校へ進学した。 同校では硬式野球部に入部し、2年夏からベンチ入り。長間がいたこともあって外野手兼2番手投手としてプレーし、3年夏の県大会では初戦で5打数4安打を記録。
山崎 まり(やまざき まり、1989年11月17日 - )は… 山崎 まり(やまざき まり、1989年11月17日 - )は、北海道出身の元女子プロ野球選手。 3歳年上の兄が野球をしており、毎週末にグラウンドで見ていた影響で、小学2年生の時に真駒内スターズに入団。中学に入って、札幌真駒内シニアに入団。 高校の時は野球部のマネージャーを務めたほか、男子選手と混ざり練習したり、土日には女子硬式クラブチーム「ホーネッツレディース」に所属した。 大学は、筑波大学体育専門学群に入学。男子学生と混じり軟式野球部に所属。在学中の3年生の時2010年にベネズエラで行われた第4回IBAF女子ワールドカップで世界一となった。卒業後は東京都に移り、荒川区の非常勤講師として荒川区立第三中学校で体育・部活指導、土日にはアサヒトラスト女子硬式クラブチームの選手として、多忙な日々を送った。
藤澤 亨明(ふじさわ こうめい、1989年11月11日 - … 藤澤 亨明(ふじさわ こうめい、1989年11月11日 - )は、長野県上田市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投左打。 上田西高時代は外野手であり、3年生夏の長野大会ベスト4。 松本大学に進学し、捕手に転向。1年春から正捕手。4年生の秋に関甲新学生野球連盟の2部リーグで優勝し、チーム史上初の1部昇格に貢献した。 2011年10月27日、プロ野球ドラフト会議で埼玉西武ライオンズから育成1位指名を受け入団。松本大学から初のドラフト指名となった。また、埼玉西武ライオンズは2011年まで育成制度を利用していなかったため、西武初の育成ドラフト指名選手となった。 2012年シーズンはイースタン・リーグに6試合出場し、2打数1安打、打率.500の成績であった。
三浦 翔太(みうら しょうた、1989年11月10日 - )… 三浦 翔太(みうら しょうた、1989年11月10日 - )は、岩手県上閉伊郡大槌町出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。プロでは育成選手であった。 小学校3年時から野球を始め、途中で滝沢村(現・滝沢市)へ引っ越す。滝沢村立滝沢南中学校時代は、滝沢いわてシニアに所属し硬式野球を始める。 盛岡大附高に進学し、野球部に入部。野球部では、唯一特進クラスに在籍していた。1年時にアンダースローに転向。2年時の秋からエースとなり、3年時の夏は岩手県予選準決勝で敗退。甲子園出場経験は無し。 高校卒業後は、国立大学の岩手大学教育学部生涯教育課程・スポーツ教育コース(現・教育学部学校教育教員養成課程)に進学。北東北大学野球連盟に加盟している同校野球部に入部する。