キダ・タロー(1930年〈昭和5年〉12月6日 - 2024… キダ・タロー(1930年〈昭和5年〉12月6日 - 2024年〈令和6年〉5月14日)は、日本の作曲家、ピアニスト、タレント、ラジオパーソナリティ。本名、木田 太良(きだ たろう)。兵庫県宝塚市出身。財団法人箕面市文化振興事業団理事。昭和プロダクションを経て、オフィスとんで最終所属(2022年7月1日より)。数多くの放送番組のテーマ曲・CM曲・企業の社歌、学校の校歌、歌謡曲を作曲し、「浪花のモーツァルト」の二つ名を持つ。妻はタレントの木田美千代。 1930年12月6日午前2時56分、兵庫県武庫郡良元村(現・宝塚市)にある宝塚警察署官舎において、五男一女の末っ子として産まれる。父親は刑事。西宮市立今津小学校を卒業(1973年の同小学校100周年記念に卒業生・来賓として来校)。
キダ・タロー(本名:木田 太良(きだ たろう)、1930年1… キダ・タロー(本名:木田 太良(きだ たろう)、1930年12月6日 - )は、日本の作曲家、タレント、ラジオパーソナリティ。元財団法人箕面市文化振興事業団理事。所属事務所は昭和プロダクション。
多田 武彦(ただ たけひこ、1930年11月22日 - 20… 多田 武彦(ただ たけひこ、1930年11月22日 - 2017年12月12日)は、日本の作曲家。大阪府大阪市南区(現:中央区)生まれ。男声合唱曲を中心に合唱曲の作曲を手がけており、その作品数は113個の組曲(うち95個が男声合唱組曲)を含む、全719曲の合唱曲に上る。殊に男声合唱に関わる者からは「タダタケ」の愛称で親しまれている。 松竹株式会社の常務取締役であった祖父・多田福太郎、株式会社歌舞伎座の専務取締役であった父・多田安雄(福太郎の養子 )からの影響を受けて育つ。 旧制大阪高校在学中に合唱を始める。先輩には東京混声合唱団桂冠指揮者の田中信昭がいる。京都大学法学部を卒業。大学在学中、京都大学男声合唱団の指揮者として活躍。
斎藤 恒夫(さいとう つねお、1930年11月8日 - 19… 斎藤 恒夫(さいとう つねお、1930年11月8日 - 1990年1月5日)は、愛知県豊川市出身の作曲家・編曲家。 2009年、編曲者として古賀政男音楽博物館が定める「大衆音楽の殿堂」入りを果たした。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、音楽関係者(バンド等)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:芸能人)。
宇都宮 安重(うつのみや やすしげ、1930年11月3日 -… 宇都宮 安重(うつのみや やすしげ、1930年11月3日 - 2005年6月24日)は、日本の作曲家、編曲家である。 長野県南佐久郡田口村(現佐久市)生まれ。4歳頃よりピアノを始める。村立田口小学校から東京市の京橋小学校へ移る。旧制暁星中学校を経て(この頃に音楽人類学者・日本打弦楽器協会会長の生明慶二と出会う)、東洋音楽学校(現・東京音楽大学)を卒業。同期に黒柳徹子、石橋エータローがいた。音楽学校在学中よりクラブ等にてジャズピアニストとして活動を始める。 ミュージシャン仲間との親交の中で小杉太一郎に師事。映画音楽、TV音楽等の作曲・編曲に携わる。中でも1979年10月からテレビ朝日系列で放送が開始されたテレビドラマ『西部警察』のメインテーマ曲が知られる。
武満 徹(たけみつ とおる、1930年〈昭和5年〉10月8日… 武満 徹(たけみつ とおる、1930年〈昭和5年〉10月8日 - 1996年〈平成8年〉2月20日)は、日本の作曲家、音楽プロデューサー。 濱田徳昭に対位法・和声を学び、作曲を清瀬保二に師事したが、東京音楽学校の入学試験を放棄。その後、若手芸術家集団「実験工房」に所属し、映画やテレビなどで幅広く前衛的な音楽活動を展開。和楽器を取り入れた「ノヴェンバー・ステップス」によって、日本を代表する現代音楽家となった。 1930年10月8日に東京市本郷区駒込曙町(現:文京区本駒込一丁目)で生まれる。父は鹿児島県川内市(現:薩摩川内市)隈之城町出身で帝国海上保険勤務、祖父の武満義雄は立憲政友会の鹿児島県幹事長を務め、第7回衆議院議員総選挙から第12回衆議院議員総選挙まで衆議院議員を連続6期15年務めた。
星 和男(ほし かずお、1930年9月28日 - 2004年… 星 和男(ほし かずお、1930年9月28日 - 2004年2月3日)は日本の作曲家、声楽家、音楽教諭。福島県出身。 声楽家で東京音楽大学准教授の星洋二は長男。 1930年(昭和5年)、福島県若松市(現在の会津若松市)馬場町に生まれる。旧制会津中学校(現在の福島県立会津高等学校)を経て国立音楽学校(現在の国立音楽大学)声楽科へ進学するが、1年で中退する。1949年(昭和24年)、藤原歌劇団合唱部に入部。 帰郷後に中学校の音楽教諭となり、会津若松市立河東第一中学校在職中の1967年(昭和42年)に県が募集していた「福島県県民の歌」の作曲部門で応募作が入選する。その後も南会津郡下郷町の町民歌「飛躍の明日へ」や会津若松市立松長小学校、喜多方市立姥堂小学校など会津地方の公立学校の校歌で作曲を手掛けた。
岩代 浩一(いわしろ こういち、1930年8月23日- 20… 岩代 浩一(いわしろ こういち、1930年8月23日- 2012年4月22日)は、熊本県出身の作曲家。父は教育者:岩代吉親、長男は作曲家、音楽プロデューサーの岩代太郎。 蘇陽高校、千原台高校、熊本北高校、苓明高校、翔陽高校、南稜高校、阿蘇清峰高校、国府高校(旧熊本女子商業高校)、慶誠高校(旧熊本女子高校)、文徳高校、熊本西高校応援歌、熊本女子商業創立記念歌 蘇陽中学校、菊池北中学校、出水南中学校、清水中学校、長嶺中学校、大津北中学校、新和中学校、楠中学校、東町中学校、井芹中学校、桜木中学校、文徳中学校、三角中学校 産山北部小学校、久木野小学校、長嶺小学校、青海小学校、東小天小学校、南ヶ丘小学校、三角小学校、境南小学校(東京都)、中松小学校百周年祝歌 県立職能短期大学校歌、東海大学学園歌 『かもめの季節』、東海大学学園歌『阿蘇に生きる』、熊本リハビリテーション学園歌 『明日への歓喜』、菊池少年自然の家の歌 『友情のうた』、熊本市保育園連盟の歌『光を浴びて』、RKK学苑歌、ライオンズクラブ記念歌 『清正公賛歌』、南阿蘇鉄道の歌、日本赤十字健康センターの歌、熊本日産モーター社歌、富田薬品社歌 『明日の花』『九州の大地に』、桜の丘特別養護老人ホームの歌 『桜の丘』、本渡市看護専門学校校歌、崇城大学・逍遥歌『鐘は鳴る』、身障者福祉連合会企画曲 『君は笑顔がよく似合う』、東京都市大学グループ学園歌『夢に翼を』 熊本県民歌『火の国旅情』、熊本県姉妹都市・桂林市歌『さよならは言わずにいこう』『不要説再見』、氷川町村連合歌『氷川のながれ』、宇土市民歌、蘇陽町の歌、三角町の歌、山江村の歌、玉名市民歌、植木農協の歌、合志町の歌、一の宮文化協会の歌、管弦楽組曲『火の国の物語』、弦楽四重奏曲『五木のファンタジー』『火の国旅情によるプレリュード アンドディベルトメント』 合唱曲『正月どんのこらした』『よへほ』『マウント・アソ』「山江村讃歌」その他
廣瀬 量平(ひろせ りょうへい、1930年(昭和5年)7月1… 廣瀬 量平(ひろせ りょうへい、1930年(昭和5年)7月17日 - 2008年(平成20年)11月24日)は、日本の作曲家。 北海道函館市で、日魯漁業(現・マルハニチロ)に勤める父・理喜男と、レストラン五島軒店主の若山徳次郎の長女・柳の長男として生まれる。1943年(昭和18年)市立函館中学校(現市立函館高等学校)に入学するが、翌年父の転勤に伴い樺太豊原市へ引越し、樺太庁立豊原中学校に転入。1945年(昭和20年)3月函館に戻る。終戦後、北海道立札幌第一高等学校(現北海道札幌南高等学校)へ転校。1948年(昭和23年)、北海道大学予科文類に入学、この頃から作曲を始める。教育学部へ進み、1953年(昭和28年)に卒業後、上京。
田中 利光(たなか としみつ、1930年7月17日 - 20… 田中 利光(たなか としみつ、1930年7月17日 - 2020年7月30日)は、日本の作曲家。 国立音楽大学名誉教授。キエフ・チャイコフスキー音楽大学名誉教授。青森県出身。 1930年(昭和5年)、青森市に生まれる。1956年(昭和31年)に国立音楽大学作曲科、翌1957年(昭和32年)に国立音楽大学専攻科を卒業。 1963年(昭和38年)に『ピアノ四重奏のための「アダージョとアレグロ」』で第32回日本音楽コンクール作曲部門の第1位となる。1965年(昭和40年)、中西音楽賞奨励賞を受賞。1967年(昭和42年)、混声合唱「四季」で芸術祭文部大臣賞を受賞。1988年(昭和63年)に第10回舞台芸術創作奨励賞、1993年(平成5年)に青森県褒章、2001年(平成13年)に青森県文化賞を受賞。
助川 敏弥(すけがわ としや、1930年7月15日 - 20… 助川 敏弥(すけがわ としや、1930年7月15日 - 2015年9月26日)は、日本の作曲家・音楽評論家・雑誌編集者。 1930年札幌市生まれ。1948年北海道庁立札幌第一中学校(現在の北海道札幌南高等学校)を経て1952年東京芸術大学音楽学部作曲科入学。上京するまでは音楽全般の基礎を荒谷正雄に、東京芸術大学では池内友次郎に師事する。 1954年日本音楽コンクール作曲部門において第一位と特賞受賞。1957年同学を卒業。林光、間宮芳生、外山雄三の結成した作曲家同人「山羊の会」に参加。1960年に「オーケストラのためのパルティータ」で文部省芸術祭奨励賞を受賞したのをはじめとして後々まで数々の賞を獲得。
牧野 由多可(まきの ゆたか、1930年7月5日 - 200… 牧野 由多可(まきの ゆたか、1930年7月5日 - 2005年1月29日)は、日本の作曲家。 東京都出身。作曲を山田耕筰に、ピアノを豊増昇、井口基成、レオ・シロタに師事。主に現代邦楽の分野で活躍した。1960年に芸術祭大賞を受賞、1961年に芸術祭奨励賞を受賞、1995年には国際エミー賞および紫綬褒章を受章、2004年4月には旭日小綬章を受章。彼の功績をたたえ、「牧野由多可の会」が設立されている。 この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。
寺島 尚彦(てらしま なおひこ、1930年7月4日 - 20… 寺島 尚彦(てらしま なおひこ、1930年7月4日 - 2004年3月23日)は、日本の作詞家、作曲家。洗足学園音楽大学教授。娘はソプラノ歌手の寺島夕紗子。
下山 一二三(しもやま ひふみ、1930年6月21日 - 2… 下山 一二三(しもやま ひふみ、1930年6月21日 - 2023年12月16日)は日本の現代音楽の作曲家。 青森県弘前市出身。1945年の第二次世界大戦終戦が一つのきっかけとなり、音楽を独習し始める。青森県立弘前高等学校卒業、弘前大学卒業。大学卒業後の1955年に上京し、松平頼則に師事。1956年「グループ20.5」を結成、第1回作品発表会を開く。1961年の第6回でグループを解散。 1969年、ISCM主催世界音楽祭(ハンブルク)に「3群の弦楽オーケストラのためのリフレクション」が入選。以後、国際的に活躍した。1979年、文化庁主催芸術祭で「管弦楽のための彩響」が芸術祭優秀賞受賞。1992年「6人の奏者とテープのための風紋V」が「ワルシャワの秋92」で世界初演。
福島 和夫(ふくしま かずお、1930年4月11日 - 20… 福島 和夫(ふくしま かずお、1930年4月11日 - 2023年8月19日)は、日本の作曲家・音楽学者。上野学園大学日本音楽史研究所所長、同研究所特任教授。本名は石橋 和夫(いしばし かずお)。 東京市麻布区霞町(現在の東京都港区)生まれ。玉川学園中学部中退後、独学で作曲を勉強。その後、鈴木博義や武満徹らと知り合い、芸術家グループ「実験工房」に参加。これには姉の福島秀子も参加している。 東洋的な響きに近いフルートのための作品を多数発表、代表作の『冥』などが生まれる。また『エカーグラ』は1959年に来日したストラヴィンスキーによって武満徹の『弦楽のためのレクイエム』などと共に絶賛されたうちの1曲である。
三木 稔(みき みのる、1930年3月16日 - 2011年… 三木 稔(みき みのる、1930年3月16日 - 2011年12月8日)は、日本の作曲家。 徳島県徳島市出身。当時の同県名東郡加茂名町字鮎喰にあった織物卸売問屋(合名会社三木新太郎商店)を生家に持ち、曽祖父は浄瑠璃の太夫、祖母は三味線、叔父の三木文夫(日本画家、1912年 - 2004年)は尺八の奏者で、幼時から邦楽を耳にして育つ。旧制徳島中学から海軍兵学校予科に入り、旧制六高理科を経て1955年東京芸術大学音楽学部作曲科卒業。作曲を池内友次郎、伊福部昭に師事する。1953年に《交響的三楽章》がNHK芸術祭管弦楽曲公募で2位入賞、N響が初演。しかし芸大卒業の年に父に逝かれ、短編映画・演劇などの仕事などで一家を支えるため通常の作曲界への登場は同世代の作曲家より大幅に遅れる。
山下 毅雄(やました たけお、1930年3月7日 - 200… 山下 毅雄(やました たけお、1930年3月7日 - 2005年11月21日)は、日本の作曲家、編曲家である。兵庫県神戸市出身。幼稚舎から一貫して慶應義塾で学び、慶應義塾大学経済学部を卒業。愛称はヤマタケ。 次男の山下透も作曲家で、父親のリスペクト・アルバムやリスペクト本に係わっている。 幼少期からフルートに親しみ、ジャズ、ハワイアンの手法を独学で学ぶ。大学在学中に作曲を始め、ラジオ放送で賞を獲得し、その才能を発揮する。同じころに影絵作家の藤城清治と出会い、NHK『学生の時間』の音楽を担当。後にビクターレコード専属となり、1960年(昭和35年)にLP『黒猫』、翌年に『黒い足音』を発表。 主としてラジオ、テレビドラマ、アニメ、CMの音楽を数多く作曲し、『七人の刑事』の主題歌で1962年(昭和37年)第4回日本レコード大賞新人作曲賞を受賞した。
原田 甫(はらだ はじめ、1930年1月20日 - 1993… 原田 甫(はらだ はじめ、1930年1月20日 - 1993年12月5日)は、日本の作曲家。 北海道旭川市出身。中学時代に伊福部昭の《交響譚詩》を聴いたことから作曲を志す。伊福部と同じ札幌第二中学校、札幌西高等学校を経て、1951年4月東京音楽学校作曲科(1952年に東京藝術大学音楽学部となる)に入学し、当時講師をつとめていた伊福部昭に師事するが、伊福部が辞任すると中退する。伊福部の映画音楽制作を手伝うようになり NHK電子音楽スタジオを利用していた 黛敏郎のアシスタントをつとめ、自身の記録映画音楽の作曲に携わり『海壁』『ぬれる』など多くの作品を手がける。 記録映画音楽、テレビドキュメンタリーの音楽などで活躍する一方、純音楽の分野では、《ギター・ソナタ》、《第一シンフォニー》などの作品があり、ギター曲は現在でも演奏されることが多い。
いずみ たく(1930年1月20日 - 1992年5月11日… いずみ たく(1930年1月20日 - 1992年5月11日)は、日本の作曲家・政治家。元参議院議員(第二院クラブ)。中黒を付けていずみ・たくと表記される場合もある。本名は今泉 隆雄(いまいずみ たかお)。 歌謡曲(演歌調からシャンソン風、ブルース、ポップスまで曲調はさまざま)から、フォークソング、CMソング、アニメソング、ミュージカル、童謡、校歌、交響曲(笙や能管などと管弦楽の組み合わせという作品も含めて数曲が残されている)と幅広いジャンルの曲を作曲。多作で知られ、総作数は15,000曲に上るという。 東京市下谷区(現:東京都台東区)谷中生まれ。家系は越智河野氏の末裔に当たる。 仙台陸軍幼年学校に在学中、敗戦を迎える。
飯田 隆(いいだ たかし、1930年 - 2008年 )は、… 飯田 隆(いいだ たかし、1930年 - 2008年 )は、日本の作曲家、音楽理論家。宇都宮大学名誉教授。 1930年、東京都出身。 東京藝術大学卒業。同専攻科修了。石桁真礼生に師事。1972年より宇都宮大学教育学部で教鞭を執る。 作曲家の会「環」の代表世話人を務めた。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
内藤 法美(ないとう つねみ、1929年11月16日 - 1… 内藤 法美(ないとう つねみ、1929年11月16日 - 1988年7月9日)は、東京都出身の作曲家・編曲家・ピアニスト。
矢代 秋雄(やしろ あきお、1929年9月10日 - 197… 矢代 秋雄(やしろ あきお、1929年9月10日 - 1976年4月9日)は、日本の作曲家。 若い頃より英才として将来を期待され、東京音楽学校作曲科、東京藝術大学研究科を卒業した後、パリ国立高等音楽院に留学。和声法で一等賞を得る等、優秀な成績を修めて卒業。晩年は、作曲家として活動する一方、東京藝術大学音楽学部作曲科の主任教授として、後進の指導にあたった。門下より、野田暉行、池辺晋一郎、西村朗、北爪道夫、荻久保和明、糀場富美子、尾高惇忠、池上敏など現在の日本を代表する作曲家を輩出している。完璧主義、寡作主義で知られる。 矢代秋雄は、1929年9月10日、東京の大森で西洋美術、美術史を専門とする評論家、矢代幸雄の長男として生まれた。
湯浅 譲二(ゆあさ じょうじ、1929年8月12日 - 20… 湯浅 譲二(ゆあさ じょうじ、1929年8月12日 - 2024年7月21日)は、日本の現代音楽の作曲家。 1929年、福島県郡山市にて開業医、寿泉堂病院(現:寿泉堂綜合病院)二代目院長湯浅大太郎(医学博士)の次男として生まれる。芸術愛好家だった父の影響で幼時より音楽に親しむ。郡山市金透尋常小学校の3年生頃からブラスバンドに入り、トランペットを担当した。 旧制福島県立安積中学校を卒業したのち上京し、慶應義塾大学医学部に進む。当時は外科医志望であり作曲は趣味として行うつもりだったが東京で日本の現代音楽の状況を知るうちに「このぐらいなら自分でもできる」と思うようになり1951年、「10年間は面倒みてやるから」との父親の合意のもとに医学部教養課程を中退して作曲の道に進む。
間宮 芳生(まみや みちお、1929年6月29日 - 202… 間宮 芳生(まみや みちお、1929年6月29日 - 2024年12月11日)は、日本の作曲家。 北海道旭川市生まれ、青森県青森市育ち。東京音楽学校(現:東京芸術大学)作曲科にて池内友次郎に師事するが、同校入学までは作曲もピアノも独学であった。 1953年、外山雄三、林光と共に『山羊の会』を結成する。 1970年代、谷川雁が創設したラボ教育センターの物語テープに音楽を提供。1981年「十代の会」の発起人の一人として同会創立に参加。 2024年12月11日、肺炎のため死去。95歳没。 ()内の人物は台本作者、作詩者、または献呈者。
秋山 邦晴(あきやま くにはる、1929年5月22日 - 1… 秋山 邦晴(あきやま くにはる、1929年5月22日 - 1996年8月17日)は、日本の音楽評論家、音楽プロデューサー、詩人、作曲家。東京都生まれ。 父は陸軍軍人でのち牧車の号で俳人となった秋山邦雄。父の転任により、1935年から1937年までの幼年期を天津で過ごす。東京都立六中(現・東京都立新宿高等学校)、長野県松本中学校(現・長野県松本深志高等学校)、早稲田大学第二高等学院を経て早稲田大学文学部フランス文学科に入学。1950年代、日比谷にあったGHQのCIE図書館(民間情報教育局)でレコード・コンサートをシリーズで開き、アメリカやヨーロッパの現代音楽を紹介。また、音楽雑誌「レコード音楽」編集長などを務めた。
濱田 徳昭(はまだ のりてる、1929年(昭和4年)3月26… 濱田 徳昭(はまだ のりてる、1929年(昭和4年)3月26日 - 1986年(昭和61年)11月18日)は、日本の音楽理論家、指揮者、音楽教育者、作曲家。姓は浜田と表記されることがある。 山口県山口市出身。1951年(昭和26年)文化学院卒業。 齋藤秀雄、諸井三郎らに幼時から音楽を学び、ピアノ・作曲・指揮法を個人教授で習得。1956年(昭和31年) - 1959年(昭和34年)成蹊グリークラブ指揮者。1958年(昭和33年)谷桃子バレエ団10周年記念公演で東京ジングアカデミーを指揮。1959年(昭和34年) - 1961年(昭和36年)広島大学音楽科交響楽団を指導。1961年(昭和36年)東北大学交響楽団を指揮。
柳沢 剛(やなぎさわ つよし、1929年2月21日 - 19… 柳沢 剛(やなぎさわ つよし、1929年2月21日 - 1989年7月4日)は、日本の作曲家。 長野県松本市出身。諏訪商業高等学校を経て、1951年日本大学芸術学部卒業、東京都の小学校教諭を務めた後、1958年日本大学講師、1982年上越教育大学助教授、のち教授。 貴島清彦に師事。1957年日本音楽コンクール作曲部門声楽曲一位。1971年からNHKの音楽を多く担当、「小犬のプルー」や「真田十勇士」で知られた。日本現代音楽協会会員。日本作曲家協議会会員。日本音楽著作権協会(JASRAC)会員。
黛 敏郎(まゆずみ としろう、1929年2月20日 - 19… 黛 敏郎(まゆずみ としろう、1929年2月20日 - 1997年4月10日)は、日本の作曲家。戦後のクラシック音楽、現代音楽界を代表する音楽家の一人として知られる。また、東京藝術大学作曲科講師として後進の育成にもあたった。
松村 禎三(まつむら ていぞう、1929年 <昭和4年> 1… 松村 禎三(まつむら ていぞう、1929年 <昭和4年> 1月15日 - 2007年 <平成19年> 8月6日)は、日本の作曲家、俳人。東京芸術大学名誉教授。 京都市(下京区仏光寺通室町西入ル)で生まれる。両親は京都の町人の出身であり、父は代々呉服屋の家系であった。父は尺八を、母は箏を嗜んでいた。禎三は、幼い頃から音楽に興味を示し、小学生で簡単な作曲は始めていた。京都時代は1945年から1949年まで高橋恒治にピアノを、1947年から1949年まで和声を長廣敏雄に師事。10歳の頃には父をがんで失い、1949年には母を結核で失う。1945年に旧制第三高等学校理科に入学。寮生活を通じて、音楽だけでなく様々な出会いと経験を積む。
宍戸 睦郎(ししど むつお、1929年1月6日 - 2007… 宍戸 睦郎(ししど むつお、1929年1月6日 - 2007年2月3日)は、日本の作曲家、洗足学園大学名誉教授。姪に歌手の松尾和子がいる。 北海道旭川市出身。東京藝術大学で池内友次郎に師事。1954年からフランスのパリへ留学しパリ音楽院でジョリヴェやメシアンのクラスで勉強。1957年に卒業したが1961年まで現地に残る。1965年に「ピアノ協奏曲第1番」で芸術祭奨励賞を受賞した。フランスの書法を取っているが日本的な力強さもある作風で、代表作に1966年にのピアノのためのトッカータがある。 1956年、ピアニストの田中希代子と結婚(1959年に離婚)。 1981年から洗足学園大学音楽学部・同学園短期大学音楽科で教鞭をとり、1995年から1999年まで大学音楽学部長・短大音楽科長を務めた。
三佳 令二(みよし れいじ、1928年(昭和3年)10月23… 三佳 令二(みよし れいじ、1928年(昭和3年)10月23日 - 2009年(平成21年)3月10日)は、日本の作詞家、作曲家、音楽プロデューサー、有限会社ドーム音楽出版社代表取締役。慶應義塾大学経済学部卒。東京都出身。本名は名和 治良(なわ はるよし)。別名義に三田 恭次、嵯峨 士郎、名和 治郎(なわ じろう)がある。 ファン・ソヌ(黄善雨)の作詞作曲した韓国の歌謡曲『釜山港へ帰れ』を日本語で作詞し、渥美二郎、ジェロなどのさまざまな歌手によって歌われてきた。他にも『離別』、『大田ブルース』などの曲の歌詞日本語訳や、八代亜紀の『舟唄』、水原弘の『君こそわが命』の制作にも携わった。 2009年3月10日、原発不明癌により、80歳で大田区内の病院にて死去した。
土肥 泰(どい ゆたか、1928年9月10日 - 1998年… 土肥 泰(どい ゆたか、1928年9月10日 - 1998年11月14日)は、日本の作曲家、指揮者、ピアニスト、埼玉大学名誉教授。下總皖一、團伊玖磨に師事。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:クラシック音楽/PJ:クラシック音楽)。
田中 正史(たなか まさぶみ、1928年7月1日 - 201… 田中 正史(たなか まさぶみ、1928年7月1日 - 2010年3月19日)は、日本の作曲家。尚美学園ディプロマコースならびにピアノ科講師、早稲田大学特別科学研究所研究員。 大阪で事務用品製造工場の経営者の家庭に生まれる。3歳からピアノに親しみ、5歳から永井幸次にピアノのレッスンと音感教育を受ける。10歳の時、朝比奈隆の指揮でモーツァルトのピアノ協奏曲を演奏。戦時中は特攻隊志望で、少年航空隊に入隊し、高知の海軍航空隊で訓練を受けていたが敗戦後に復員する。 家業を継ぐことを父から期待されていたため大阪府立化学工業専門学校(現・大阪府立大学工学部)に進んだが志は音楽にあり、在学中はオーケストラのスコアを研究するとともにアルバイトでピアニストとして活動。
佐藤 勝(さとう まさる、1928年〈昭和3年〉5月29日 … 佐藤 勝(さとう まさる、1928年〈昭和3年〉5月29日 - 1999年〈平成11年〉12月5日)は、日本の作曲家。北海道留萌市出身。 生家の近くに映画館があり、母親が映画好きだった事を受け勝は映画に興味をもち、そこから流れる音楽に心打たれた彼は将来映画音楽を担当する作曲家になろうと心に決める。旧制留萌中を経て国立音楽学校にて音楽を学び、岡本敏明に師事。卒業後は映画音楽家を志して卒業1週間前に知り合った作曲家の早坂文雄の門下に入り、音楽学校の講師やバンドマンで生計をたてながら早坂に師事する。また、同じ北海道出身の作曲家・伊福部昭の作品にも大きな影響を受けた。 1952年(昭和27年)、映画『三太と千代ノ山』(新理研映画)で映画音楽を初担当。
石河 清(いしかわ きよし、1928年4月17日 -2016… 石河 清(いしかわ きよし、1928年4月17日 -2016年6月22日)は、日本の合唱指揮者・合唱指導者・合唱曲の作曲家。合唱王国福島を築く。[要出典]福島県合唱連盟名誉理事長。福島県いわき市生まれ。
寺原 伸夫(てらはら のぶお、1928年3月1日 - 199… 寺原 伸夫(てらはら のぶお、1928年3月1日 - 1998年3月30日)は、日本の作曲家。宮崎県延岡市出身。宮崎農林専門学校(現・宮崎大学)を卒業後、中学校教員として勤務する傍ら作曲を始めた。1963年来日したアラム・ハチャトゥリアンの来日歓迎パーティーで合唱曲「日本の夜明け」を披露、才能を認められモスクワ音楽院に留学、以後7年間彼のもとで学んだ。1971年、修士課程修了作品として作曲した「チェロ協奏曲」はハチャトゥリアンやカバレフスキーに絶賛された。 吉永小百合の代表作である映画『キューポラのある街』の挿入歌『手のひらの歌』の作曲者。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。
三沢 郷(みさわ ごう、本名:手島洋一、1928年2月26日… 三沢 郷(みさわ ごう、本名:手島洋一、1928年2月26日 - 2007年11月20日)は、日本の作曲家。福岡県福岡市出身。 旧制福岡中学(現:福岡県立福岡高等学校)を経て、1952年東京大学文学部哲学科美学専攻を卒業後、コーラス・グループ『フォー・コインズ』に参加。グループ解散後は作曲家に転向し、主にテレビドラマ、アニメーションの主題歌や劇伴音楽の作品を手掛けた。 1976年からはアメリカ合衆国に移住し、同地でも音楽活動を続けた。『エースをねらえ!』のCDブックレットには、滞在先のハワイからコメントを寄せている。 2007年11月20日(現地時間未明、日本時間同日夜)、カリフォルニア州パームスプリングス郊外の病院で死去。
若松 正司(わかまつ まさし、1928年〈昭和3年〉1月11… 若松 正司(わかまつ まさし、1928年〈昭和3年〉1月11日 - 2009年〈平成21年〉10月18日)は、日本の作曲家、編曲家。東京都出身。慶應義塾大学経済学部卒業。作曲家の若松歓は息子にあたる。ヤマハ音楽振興会理事や日本作曲家協議会監事、日本童謡協会常任理事などを歴任した。 1953年(昭和28年)に放送用の音楽を手始めに作曲家を志向。作曲を服部正、指揮を高階正光に師事。1955年(昭和30年)のNHKのオーケストラ番組の編曲担当をきっかけに恒常的にレギュラー番組を担当。以後、NHKみんなのうたなどNHKの番組を中心に幅広く活動。1993年(平成5年)に第23回日本童謡賞受賞。また、日本大学習志野高校の応援歌(作詞:山上路夫)を作曲したりしたこともあった。
小橋 稔(こばし みのる、1928年(97 - 98歳) -… 小橋 稔(こばし みのる、1928年(97 - 98歳) - )は日本の作曲家。 東京芸術大学卒業で声楽家として活動するが、後に石桁真礼生に師事。1960年代頃から作曲を始め前半は管弦楽で、後半は声楽作品で数々の賞を受ける。その後日本的な舞台作品、1970年代は打楽器の作曲の時代に入る。国際現代音楽協会 (ISCM) などでも入選し海外でも演奏されている。代表作は1975年作の打楽器グループのための「阿呟」(あうん)がある。 日本音楽コンクール作曲部門第1部(管弦楽曲)にて、第33回(1964年)3位、第34回(1965年)入選。 国際現代音楽協会1979年アテネにおいて「鬼女」で〈世界音楽の日々〉日本作品入選、1978年ストックホルム / ヘルシンキにて「阿呟」(あうん)入選。
日暮 雅信(ひぐらし まさのぶ、1927年9月3日 - 20… 日暮 雅信(ひぐらし まさのぶ、1927年9月3日 - 2003年3月11日)は千葉県出身の作曲家。 東京府立第一商業学校(現、東京都立第一商業高等学校)の吹奏楽部でフルートを演奏。中央大学経済学部に進学、進駐軍キャンプでジャズを演奏していた。同大学を卒業後の1952年、バンド「日暮雅信とブルーキューバン」を結成、クラブやNHKの音楽番組に出演。1956年にバンドを解散、作曲活動に専念することになる。 1961年、「管弦楽のための二つの祈り」で毎日音楽コンクール管弦楽部門に入選。以降、管弦楽、室内楽、声楽、舞踏音楽などの分野で活躍するほか、映像作品の音楽も手掛けた。また、楽器の入門書も数多く執筆している。
松永 通温(まつなが みちはる、1927年6月10日 - 2… 松永 通温(まつなが みちはる、1927年6月10日 - 2025年4月2日)は日本の作曲家。 大阪府出身。大阪学芸大学で山縣茂太郎とクラウス・プリングスハイムらに学んだあと個人的に入野義朗に師事。ISCMの1978年にはヘルシンキ国際音楽祭で7人の打楽器奏者のための「サウンド・ファースト」が入選・演奏される。その他の代表作としては「葦と枝と風と・・・」や「カウンターパフォーマンスII」などがある。大阪府立池島高等学校(大阪府立みどり清朋高等学校の前身校の一つ)の校歌も作曲している。 2025年4月2日に97歳で逝去。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。
小杉 太一郎(こすぎ たいちろう、1927年6月6日 - 1… 小杉 太一郎(こすぎ たいちろう、1927年6月6日 - 1976年8月9日)は、日本の作曲家。宮城県石巻市出身。 父は俳優・映画監督の小杉勇。同じ伊福部昭門下の作曲家山内正は義兄(妻の兄)にあたる。 当初は獣医師を志望し、東京府立第十五中学校を経て麻布獣医専門学校(現 麻布大学)に進んだが、1949年、東京音楽学校作曲科に入学。池内友次郎に対位法と和声学を、伊福部昭に作曲と管弦楽法を学ぶ。 1952年、『六つの管楽器の為のコンチェルト』で第21回毎日音楽コンクール室内楽作曲部門第1位入賞を果たす。 東京音楽学校との方針の違いから辞任した伊福部を追って中退、多くの門下生と共に伊福部のアシスタントを務める。
佐藤 慶次郎(さとう けいじろう、1927年6月6日 - 2… 佐藤 慶次郎(さとう けいじろう、1927年6月6日 - 2009年5月24日)は、日本の作曲家、造形芸術家。 慶應義塾大学医学部卒で、早坂文雄に師事、1953年に実験工房の会員、後に退会。 1954年の音楽コンクールと1961年のウィーンのISCM国際現代音楽祭に入選。電子オブジェの世界でも注目される。 代表作に1960年作曲の「ピアノのためのカリグラフィー」がある。 2002年には全音楽譜出版社から出版された早坂文雄作曲『室内のためのピアノ小品集』の監修をした。 2009年5月24日、肺がんで死去。享年81歳。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。
江口 浩司(えぐち ひろし、1927年5月12日 - 201… 江口 浩司(えぐち ひろし、1927年5月12日 - 2010年1月23日)は、日本の作曲家。 海軍軍楽隊出身で流行歌の作曲家として成功していた江口夜詩の長男として、東京府東京市神田区鍛冶町に生まれた。 1944年に海軍兵学校へ76期生として入校するも、在校中に終戦を迎えた。その後は父と同じ作曲家を志し、1947年に武蔵野音楽大学作曲科へ進み、服部正にも師事する。 1955年、作詞・作曲した「さよならのビギン」が松島詩子歌唱で発売され、流行歌の作曲家としてデビュー。 1959年から1984年にフリーになるまで、キングレコードの専属作曲家として「忘れな草をあなたに」、「下町の太陽」などを作曲した。
本田 周司(ほんだしゅうじ、Shuji HONDA、1927… 本田 周司(ほんだしゅうじ、Shuji HONDA、1927年2月21日 -2026年1月11日)は、日本の作曲家・教育者。 三重県天白村(現・松阪市)生まれ。生家は代々神主を務めており、その三男として生まれた。 長兄がヴァイオリンを弾くなど、家庭内に音楽環境はあり、幼少期より音感のよさを家族から見出されていたものの、習いごとなどを含め特段の音楽教育を受けることはなく、子ども時代を過ごした。楽譜も読めなかった。 海軍に入隊するものの、18歳のときに終戦により復員。終戦後の価値観が大きく変わる混乱期において、芸術ならば裏切られることはないと考え、作曲家の道を志す。野口源次郎及び外山道子に師事。 フランスの作曲家アルテュール・オネゲルに出会い、深く傾倒する。
江崎 健次郎(えざき けんじろう、1926年10月27日 -… 江崎 健次郎(えざき けんじろう、1926年10月27日 - )は日本の作曲家。 台湾生まれ。日本大学芸術学部卒業。作曲を松平頼則に師事する。第25回日本音楽コンクール第1位受賞。第36回国際現代音楽祭入選。1957年、松平頼暁、下山一二三らとグループ20.5を結成。後に、東京テープ音楽・音響工房を設立し、音響デザイン社社長として記録映画およびPR映画の音楽や電子チャイム、音響デザインの制作に携わる。 一作ごとに主義主張を確実に変えてゆく(本人の弁では自己否定の連続)ために、全作品のカタログすら作らない。現代音楽業界と袂を分かち、たった一人で独自のサウンドインスタレーションを展開するなど、音響重視の作曲法は活動当初から変わっていない。
三和 完児(みわ かんじ、1926年〈大正15年〉10月4日… 三和 完児(みわ かんじ、1926年〈大正15年〉10月4日 - )はタレント、作詞・作曲家、音楽評論家。 本名は松岡寿夫(まつおか かずお)。ペンネーム:佃清風(つくだ せいふう)。 神奈川県横浜市出身。 東京府南葛飾郡吾嬬町(のち東京市向島区、現墨田区立花)にて鉄筋業 松岡工業(廃業)を経営していた松岡滋忠の子として、9人兄弟の長男として生まれる。 「司会の神様」の異名を持っていた。 1945年旧制日本大学第一中学校(現在の日本大学第一中学校・高等学校)を卒業。 1946年東邦楽劇団バンドマスターを経て、美空ひばり、江利チエミ、藤山一郎等の専属司会者として活動を始める。 1953年最初の民放テレビ「私も出まショー」のレギュラー司会となる。
鏑木 創(かぶらぎ はじめ、1926年〈大正15年〉2月27… 鏑木 創(かぶらぎ はじめ、1926年〈大正15年〉2月27日 - 2014年〈平成26年〉9月4日)は日本の作曲家、編曲家。日活ロマンポルノ作品では「月見里太一」名義を用いた。 神奈川県生まれ。1945年(昭和20年)東京高等商船学校航海科卒業。1952年(昭和27年)東京音楽学校本科作曲部卒業。作曲を池内友次郎、木下忠司に師事する。 1950年代から1990年代にかけて、アクション、スリラー、喜劇、ポルノといった大衆的な娯楽映画や2時間ドラマのサスペンス物などに音楽を数多く提供。耳に馴染みやすい明快なメロディを特徴とする作風で、多くの観客に親しまれた。石井輝男、井上梅次、加藤泰といった娯楽映画の職人監督への楽曲提供が特に有名である。
荒井 英一(あらい えいいち、1926年2月14日 - 19… 荒井 英一(あらい えいいち、1926年2月14日 - 1990年11月)は、日本の作曲家。代表作は井沢八郎の「あゝ上野駅」。矢板 候ニという別名でも活動していた。 栃木県矢板市出身。1926年(大正15年)2月14日に栃木県塩谷郡矢板町万町(現在の矢板市本町)の老舗旅館「住吉荘本店」の長男として生まれた。少年時代は、野球と剣道が好きな腕白坊主だったが、19歳の1945年(昭和20年)暮れにNHKのど自慢に挑戦して合格し、歌手を目指して声楽の勉強に励み、後に作曲家へと転じた。1964年(昭和39年)には、集団就職者を題材にした「あゝ上野駅」(関口義明作詞)が大ヒットし、作曲家としての地位を不動のものにした。
島岡 譲(しまおか ゆずる、1926年〈大正15年〉1月13… 島岡 譲(しまおか ゆずる、1926年〈大正15年〉1月13日 - 2021年〈令和3年〉9月30日)は、日本の作曲家、音楽学者、音楽理論家。国立音楽大学名誉教授、元東京藝術大学教授。娘は法学者の島岡まな。 1926年、群馬県前橋市に生まれる。桃井小学校に入り群馬師範学校の岩上行忍からオルガンと和声学を習う。1935年に上京し忍岡小学校へ編入。1936年から平井康三郎にピアノと作曲を師事する。1938年田端に転居し聖学院中学に入学。1942年に東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽学部)に入学し、橋本國彦、下総皖一に師事した。1945年、東京音楽学校本科作曲部卒業。池内友次郎に師事し、1947年に同学研究科を修了。