平館 利雄(ひらだて としお、1905年11月2日 - 19… 平館 利雄(ひらだて としお、1905年11月2日 - 1991年4月26日)は、日本の経済学者。専修大学・青森大学・横浜国立大学で教授を務めた。 福島県西白河郡白河町(現在の白河市)に生まれる。家業の不振により白河から平に転居する。1919年平商業学校に入学し、3年修了で福島商業学校4年に編入し、1924年に同校を卒業、横浜高等商業学校に入学する。1927年に同校を卒業し、東京商科大学本科に入学する。大学では大塚金之助教授のゼミに参加し、また、ロシア語を学ぶ。1930年に東京商科大学を卒業し、東京社会科学研究所に入り、小椋広勝の紹介で「プロ科」に参加し、プロ科では、経済批判会に属して主に翻訳活動に従事する。
塩野谷 九十九(しおのや つくも、1905年10月12日 -… 塩野谷 九十九(しおのや つくも、1905年10月12日 - 1983年6月4日)は、日本の経済学者。名古屋大学名誉教授。 ケインズ経済学研究の権威で、ケインズの著書『雇用・利子および貨幣の一般理論』の初代翻訳者(1941年)。 愛知県出身。1926年名古屋高等商業学校(現名古屋大学経済学部)卒業、1930年東京商科大学(現一橋大学)卒業(高垣寅次郎門下)。1931年横浜市立横浜商業専門学校(現横浜市立大学)教授。1934年叙正七位。 1943年名古屋高等商業学校教授。1948年名古屋大学法経学部経済原論講座担任教授。1956年金融制度調査会臨時委員。1958年名古屋大学経済学部長。1959年公認会計士審査会試験委員。
武村 忠雄(たけむら ただお、1905年10月10日 - 1… 武村 忠雄(たけむら ただお、1905年10月10日 - 1987年12月14日)は、日本の経済学者。専門は景気予測や経済分析、マルクス理論。慶應義塾大学教授。旧姓氏名は奥田忠雄。 1905年に東京麹町に生まれる。1928年に慶應義塾大学経済学部を卒業、同大学助手となる。加田哲二のゼミナールに所属し、オーストリア派マルクス主義者マックス・アドラー (マルクス主義者)(英語版)をテーマに卒業論文を執筆した。 1929年から陸軍で10ヶ月の兵役を行い、1931年から予備役陸軍主計少尉に就任、予科講師を兼ねた。1933年から1935年までミュンヘン大学に留学し、アドルフ・ヴェーバー (経済学者)(英語版)とルートヴィヒ・フォン・ミーゼスのゼミナールで学び、オスカー・モルゲンシュテルンから個人指導を受ける。
高橋 泰蔵(たかはし たいぞう、旧字:髙橋泰藏。1905年1… 高橋 泰蔵(たかはし たいぞう、旧字:髙橋泰藏。1905年10月9日 - 1989年5月22日)は、日本の経済学者。一橋大学名誉教授。元日本学士院会員。 静岡県出身。1929年東京商科大学(現一橋大学)学部卒。同期に深見義一一橋大名誉教授がいる。東京商大教授、戦後一橋大教授。1960-61年一橋大学附属図書館長。1961-64年学長。1981-1989日本学士院会員。近代経済学専攻。貨幣論、金融論。 佐藤定幸(一橋大学名誉教授)、石川滋(一橋大学名誉教授)は、高橋ゼミナールの出身。
小川 徳治(おがわ とくじ、1905年8月2日 - 2001… 小川 徳治(おがわ とくじ、1905年8月2日 - 2001年1月5日)は、日本の経済学者。立教大学経済学部元教授。専門は貿易商務。恩師のポール・ラッシュとともに立教大学にアメリカンフットボール部を創設して部長を務め、明治大学のアメリカンフットボール部の創設も支援した。日本アメリカンフットボール協会理事長も務め、フットボールの発展に携わった。日本アメリカンフットボール殿堂顕彰者。立教大学学生部長、就職部長、総務部長など大学運営の要職も務めたほか、立教大学の硬式野球部や空手部、スキー部の各部長も歴任し、アメリカンフットボールのみならず学生スポーツの振興に大きく貢献した。 東京市小石川区原町に小川延秋の二男として生まれる。
神谷慶治(かみや けいじ、1905年4月2日 - 1998年… 神谷慶治(かみや けいじ、1905年4月2日 - 1998年10月26日)は、日本の農業経済学者。東京大学名誉教授。 静岡県掛川市生まれ。1931年東京帝国大学農学部農業経済学科卒、1932年同副手となり、1935年講師、1939年助教授、1948年教授となり、東京大学農学部教授、1962年農学部長を務め、1966年定年退官、名誉教授、東京農業大学教授、1976年退職。そのほか、1951年農林省農業綜合研究所長。1974-1979年大日本報徳社社長。日本農業経済学会会長、日本農村更生協会会長を務めた。日本学術会議会員。1960年「日本農業機械化の分析」(共編)で日経・経済図書文化賞、1968年日本農学賞受賞。
藤田 武夫(ふじだ たけお、1905年2月27日 - 198… 藤田 武夫(ふじだ たけお、1905年2月27日 - 1988年10月6日)は、昭和期の経済学者、立教大学名誉教授。専門は財政学。財政学研究の第一人者として、地方財政論を開拓した権威。 1905年(明治38年)、京都府宮津市に生まれる。1930(昭和5年)九州帝国大学(現・九州大学)経済学部卒業。1934年(昭和9年)京都大学大学院修了。 立命館大学講師、財団法人東京市政調査会(現・後藤・安田記念東京都市研究所)調査課長、明治大学講師、中央大学講師を務めたのち、1946年(昭和21年)、立教大学教授に就任。 1952年(昭和27年)、立教大学経済学部経済学科長に就任。1959年(昭和34年)から1961年(昭和36年)まで経済学部長を務め、大学施設の増築にともない大学院読書室の開設を実現し、経営学科(現・経営学部)関連のスタッフの充実に尽力した。
川田 寿(かわだ ひさし、1905年(明治38年)2月18日… 川田 寿(かわだ ひさし、1905年(明治38年)2月18日 - 1979年(昭和54年)7月5日)は、日本の経済学者。元慶應義塾大学、大阪学院大学教授。 茨城県稲敷郡朝日村(現・土浦市および阿見町に分離)で生まれる。慶應義塾大学に進学し、社会科学研究会に加入するとともに、学生社会科学連合会再建運動に加わる(後者は野呂栄太郎の影響による)。しかし、1930年(昭和5年)に検挙され、大学は3年で中退した。 アメリカ合衆国に渡り、ペンシルベニア大学大学院でニューディール下の労働運動研究に従事する。アメリカでは反戦運動にも加わった。 1941年(昭和16年)に帰国して、世界経済調査会主事となる。 1942年(昭和17年)9月11日、神奈川県警察部特高課に「アメリカ共産党の指令を持ち帰った」という容疑により妻とともに検挙される。
小泉 貞三(こいずみ ていぞう、1905年2月4日 - 19… 小泉 貞三(こいずみ ていぞう、1905年2月4日 - 1975年2月9日 )は、経済学者、経営学者、経済学博士。関西学院大学名誉教授・ 元関西学院大学商学部長。 交通経済学の研究において数多くの研究、業績を残し、その学問の発展に寄与された。滋賀県神崎郡生まれ。
大河内 一男(おおこうち かずお、1905年〈明治38年〉1… 大河内 一男(おおこうち かずお、1905年〈明治38年〉1月29日 - 1984年〈昭和59年〉8月9日)は、日本の経済学者。位階は正三位。 東京大学総長、同名誉教授。専修大学学長。日本学士院会員。専攻は社会政策。 1905年、東京下谷生まれ。東京府立第三中学校、旧制第三高等学校を経て、東京帝国大学に入学。大学では河合栄治郎に師事した。 大学卒業後、東京帝国大学経済学部助手に採用され、のちに講師昇進。しかし、平賀粛学に際して1939年(昭和14年)1月30日に辞表を提出。しかし平賀譲総長から慰留され、対処をめぐって改めて師の河合栄治郎、河合門下の三羽烏と呼ばれた木村健康・安井琢磨と相談をしたところ、あくまで辞表を撤回するなとする師のメッセージに、それまで持っていた師のイメージが変わってしまい、師と袂を分かつ決意をする。
大木 金次郎(おおき きんじろう、1904年(明治37年)8… 大木 金次郎(おおき きんじろう、1904年(明治37年)8月3日 - 1989年(平成元年)8月3日)は、日本の教育者、経済学者、経済学博士。青山学院大学第11代院長、青山学院理事長。 1904年8月3日、山梨県甲府市に生まれる。1922年3月、甲府商業学校を卒業し、校長の推薦により同年4月に朝鮮銀行に就職する。同年10月、同行大邱支店在勤中にF.H.スミスから洗礼を受け、さらにクリスチャンだった支店長の薦めにより、1925年に青山学院高等学部商科に無試験入学する。1929年3月に卒業した後、同年6月に同学院の留学生として渡米し、アメリカのオハイオ・ウェスリアン大学経済学部に留学し、その卒業後さらにコロンビア大学大学院で経済政策を専攻してマスター・オブ・アーツの学位を取得する。
今村 武雄(いまむら たけお、1904年8月2日 - 199… 今村 武雄(いまむら たけお、1904年8月2日 - 1993年8月6日)は、日本のジャーナリスト、経済学者。 東京生まれ。1929年慶應義塾大学経済学部卒。報知新聞社に入り、日本経済新聞で論説委員、東京商工会議所理事、慶大新聞研究所教授、1970年定年、奥州大学教授、富士大学教授。女子学院理事長。
高島 善哉(たかしま ぜんや、1904年7月13日 - 19… 高島 善哉(たかしま ぜんや、1904年7月13日 - 1990年1月10日)は、日本の経済学者、社会学者。専攻はマルクス主義及びアダム・スミス研究。一橋大学名誉教授、関東学院大学名誉教授。 岐阜県出身。旧制岐阜中学校(現岐阜県立岐阜高等学校)首席を経て、1927年東京商科大学(現一橋大学)卒。大学では当初福田徳三ゼミナールに参加したが、福田の留学のため大塚金之助の指導を受けた。卒業論文「経済静学と経済動学の国民経済学的意義:ヨセフ・シュンペーターの研究」だが、おもにマルクス主義とアダム・スミスを研究した。 1927年指導教官大塚金之助の推薦を受け、母校東京商科大学助手に就任。1927年、渋沢栄一の孫である尾高豊作や尾高朝雄の支援を得て設立され、大塚が所長を務める東京社会科学研究所研究員を兼務し、杉本栄一とともに同研究所での活動に従事。
岡崎 次郎(おかざき じろう、男性、1904年〈明治37年〉… 岡崎 次郎(おかざき じろう、男性、1904年〈明治37年〉6月29日 - 1984年〈昭和59年〉9月30日以降?)は、日本のマルクス経済学者、翻訳家。マルクスの大著『資本論』の翻訳で知られる。 北海道江差生まれ。第一高等学校を経て、1927年(昭和2年)に東京帝国大学文学部、1929年(昭和4年)に同経済学部を卒業。戦後、1950年(昭和25年)より九州大学教養部教授。ついで法政大学経済学部教授となる。1968年(昭和43年)法政大学教授を辞任、以降は著述業に専念した。 1983年(昭和58年)に青土社から出版した『マルクスに凭()れて六十年 自嘲生涯記』という自伝で向坂逸郎を批判。本書を友人・知人らに献本し、さりげなく別れの会を持った岡崎は、「これから西の方へ行く」という言葉を残して、80歳となる直前の翌1984年(昭和59年)6月6日からクニ夫人とともに死出の旅に出た。
栗原 佑(くりはら たすく/ゆう、1904年5月26日 - … 栗原 佑(くりはら たすく/ゆう、1904年5月26日 - 1980年1月4日)は、日本の経済学者、大阪市立大学名誉教授。広島県出身。
中谷 実(なかたに みのる、1904年4月9日 - 1982… 中谷 実(なかたに みのる、1904年4月9日 - 1982年4月)は、日本の経済学者。教育者。 1904年(明治37年)4月9日、大阪府に生まれる。1928年(昭和3年)京都帝国大学経済学部卒業後、同学部講師となり1938年(昭和13年)に助教授、1946年(昭和21年)に教授。1962年 経済学博士 取得、1968年(昭和43年)に京都大学を退官して名誉教授。同年、甲南大学の教授。1972年(昭和47年)から京都学園大学教授、翌年から1980年(昭和55年)まで同大学学長。1982年(昭和57年)4月死去。
美濃部 亮吉(みのべ りょうきち、1904年〈明治37年〉2… 美濃部 亮吉(みのべ りょうきち、1904年〈明治37年〉2月5日 - 1984年〈昭和59年〉12月24日)は、日本のマルクス経済学者、政治家。東京都知事(第6・7・8代)、参議院議員(全国区)も歴任した。
森谷 克己(もりたに かつみ、1904年(明治37年)1月1… 森谷 克己(もりたに かつみ、1904年(明治37年)1月1日 - 1964年(昭和39年)11月17日)は、日本の経済学者。専門は経済史。 1904年、岡山県上房郡上水田村(現:真庭市北房地域)生まれ。岡山県立高梁中学校(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学し、同期には、関西電力取締役になる板野道夫がいた。1921年3月に同校を卒業、板野と同じく同年4月第六高等学校文科乙類に進学。1924年3月六高卒業、同年4月東京帝国大学法学部に入学。1927年3月東大法学部卒業した。 1927年6月、京城帝国大学法文学部助手に任ぜられる。1929年京城帝大助教授に就任。1945年11月敗戦により引き上げ。1946年5月名目のみ教授となるが自然退官。
金巻 賢字(かなまき けんじ、1904年(明治37年) - … 金巻 賢字(かなまき けんじ、1904年(明治37年) - 1984年(昭和59年))は、日本の経済学者・経営学者・教育者。専門は社会思想史・簿記論。元・札幌商業高等学校校長。北海道生まれ。 この他、1949年(昭和24年)北海学院兼任教授や、1949年(昭和24年)~1956年(昭和31年)まで学校法人北海学園理事。また、1948年(昭和23年)~1984年(昭和59年)まで学校法人北海学園評議員。
正木 千冬(まさき ちふゆ、1903年(明治36年)12月1… 正木 千冬(まさき ちふゆ、1903年(明治36年)12月10日 - 1982年(昭和57年)4月6日)は、日本の経済学者、官僚、ジャーナリスト、政治家(鎌倉市長)。
楊井 克巳(やない かつみ、1903年11月8日 - 199… 楊井 克巳(やない かつみ、1903年11月8日 - 1997年9月14日)は、日本の経済学者、東京大学名誉教授。 1903年、山口県生まれ。旧制山口高等学校を経て、東京帝国大学経済学部に進む。大学では矢内原忠雄に師事した。 太平洋戦争後、東京大学経済学部教授となり、経済学部長をつとめた。1959年、「アメリカ帝国主義史論」を提出して経済学博士号を取得。1964年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。その後も日本大学教授、立正大学教授、帝京大学教授として教鞭をとり、1990年に退職した。
矢口 孝次郎(やぐち たかじろう、1903年10月4日 - … 矢口 孝次郎(やぐち たかじろう、1903年10月4日 - 1978年11月12日)は、日本の経済学者。関西大学教授、第22代関西大学学長、第4期・6期・7期・8期日本学術会議会員、文部省の学術奨励審議会専門委員等を歴任。 長野県松本市出身。旧制松本商業学校を経て、1927年旧制東京商科大学(のちの一橋大学)卒業。1928年関西大学専任講師、助教授を経て1934年関西大学教授となった。1959年に関西大学第22代学長、1974年より大阪商業大学教授。神戸商業大学の宮下孝吉、大阪商科大学の五島茂とともに関西におけるイギリス経済史研究をリードした。学外においては、1937年社会経済史学会の評議員に選ばれ、 理事、 常務理事を歴任。 戦後、1950年には日本西洋史学会評議員を務めるなど学会の発展に尽くした。
久武 雅夫(ひさたけ まさお、1903年(明治36年)9月2… 久武 雅夫(ひさたけ まさお、1903年(明治36年)9月24日 - 2003年(平成15年)10月8日)は、日本の経済学者。専門は数理経済学。学位は、経済学博士(1958年)(学位論文「価格理論の基礎」)。一橋大学名誉教授。国際基督教大学第3代学長。 高知県生まれ。東京商科大学(現一橋大学)卒、同教授、一橋大学教授、1951年に佐藤信吉らと商業数学研究会(のちの日本経営数学会)を設立。1958年「価格理論の基礎」で経済学博士の学位を取得。1965年定年退官、名誉教授、1967年から69年まで国際基督教大学学長、名誉教授、駒澤大学教授、1981年定年。日本数理経済学会会長。2003年10月8日、急性呼吸不全のため川崎市川崎区の病院で死去。
森 嘉兵衛(もり かへえ、1903年6月15日 - 1981… 森 嘉兵衛(もり かへえ、1903年6月15日 - 1981年4月8日)は、日本の歴史学者、岩手大学名誉教授、経済学博士。主な研究テーマは南部藩を中心とする近世史だが、中尊寺金色堂の調査にも参加するなど、活動分野は多岐にわたった。 岩手県盛岡市の豪商の家に生まれる。盛岡中学から法政大学経済学部に進み、小野武夫の下で近世日本経済史を研究した。1929年卒業。岩手県教育会書記を務め、岩手師範学校教授。 1947年、昭和天皇が岩手県に戦後巡幸された際に拝謁し、岩手県の開拓史について奏上する。その後、1949年に岩手大学教授、1969年定年退官。学内では学芸学部長、教育学部長を歴任した。退官後は、盛岡短期大学講師や富士大学教授を務めた。
木下 彰(きのした あきら、1903年6月6日 - 1982… 木下 彰(きのした あきら、1903年6月6日 - 1982年3月28日)は、日本の経済学者。 和歌山県出身。1929年東北帝国大学法文学部経済科卒。1951年「商業的農業論 典型的商業的農業としての柑橘業の分析的研究」で東北大学経済学博士。1930年東北帝大助手、1933年講師、1935年助教授、1942年教授、東北大学経済学部教授、1956年経済学部長、1967年定年退官、名誉教授、長野経済短期大学学長、長野中央学園理事長、東北福祉大学教授。1973年勲二等瑞宝章受勲。1981年「名子遺制の構造とその崩壊」で日本学士院賞受賞。経済政策,農業経済学を専攻。
丸山 邦雄 (まるやま くにお、1903年〈明治36年〉6月… 丸山 邦雄 (まるやま くにお、1903年〈明治36年〉6月2日 - 1981年〈昭和56年〉10月17日)は、日本の経済学者、社会運動家、明治大学教授。 終戦直後、安全の確保や飢餓、流行病に苦しむ旧満洲在留邦人救済のため新甫八朗、武蔵正道らとともに日本国政府や連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)などとの交渉や働きかけに奔走。旧満洲に取り残された旧満洲在留邦人の祖国引揚げ(葫芦島在留日本人大送還)に貢献する。(170万人のうち実際に引き揚げできた者は約105万人とされる )。 長野県下水内郡柳原村(現 飯山市)に生まれる。旧制高校卒業と同時に明治大学法科に入学、法律を学ぶ。 1930年(昭和5年) 明治大学卒業。
大道 安次郎(だいどう やすじろう、1903年5月1日 - … 大道 安次郎(だいどう やすじろう、1903年5月1日 - 1987年1月11日)は、日本の経済学者、社会学者。専攻はマルクス主義及びアダム・スミス研究。関西学院大学教授。初代社会学部長、図書館長。 福井県敦賀市出身。旧制敦賀商業学校(現福井県立敦賀高等学校)首席を経て、1927年関西学院高等商業学部(現関西学院大学)卒。同時に九州帝国大学へ進学し、1930年高等商業学部講師に就任。以後、助教授、教授となり、19944年、旧制大学法文学部教授に移籍。新制大学後、文学部教授となり、1960年の社会学部設立に際して中心的役割を果たし、初代社会学部長に就任。1972年定年退職。だが、おもにマルクス主義とアダム・スミスを研究した。
堀江 薫雄(ほりえ しげお、1903年(明治36年)1月28… 堀江 薫雄(ほりえ しげお、1903年(明治36年)1月28日 - 2000年(平成12年)8月27日)は、日本の銀行家、経済学博士。東京銀行頭取を務めた。 徳島県麻植郡鴨島町に生まれる。旧制徳島中学校、 第五高等学校を経て1928年、東京帝国大学法学部政治学科卒業。 大学卒業後、横浜正金銀行に入行、海外各支店に勤務した。終戦後、GHQの命令により、横浜正金銀行改組室長に任命されて整理にあたり、東京銀行を創立した。1946年、取締役となり、常務取締役、副頭取、頭取、会長を歴任し、1967年に退任した。 1952年にサンフランシスコで行われた対日講和条約の調印では吉田茂首相の経済演説の原稿を書くとともに、その講義を一週間続けて行った。
渡邉 佐平(わたなべ さへい、1903年 - 1983年)は… 渡邉 佐平(わたなべ さへい、1903年 - 1983年)は、日本の経済学者。元法政大学総長。 栃木県出身。1927年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、法政大学経済学部講師に就任、助教授を経て1933年に教授となり、金融論・貨幣論を講じた。その傍ら後藤隆之助らの昭和研究会に参加し、昭和研究会の研究者養成機関である昭和塾でも講師を務めた。 1948年に政府の経済安定本部員として国民所得調査室長を務める。法政大学経済学部長・常務理事などを歴任し、1960年に「通貨学派の研究」により経済学博士(法政大学)を取得、1967年3月15日に総長に就任する。町田市へのキャンパス移転などを計画したものの、学生紛争が激化する中で体調を崩し1968年4月8日に辞任。
山田 雄三(やまだ ゆうぞう、1902年12月20日 - 1… 山田 雄三(やまだ ゆうぞう、1902年12月20日 - 1996年5月25日)は、日本の経済学者(理論経済学)、一橋大学名誉教授。社会保障研究所長、国民年金審議会会長等を歴任。池田内閣の所得倍増計画に参画した。 山梨県出身。1927年旧制東京商科大学(現一橋大学)卒業。福田徳三門下。1929年同助手、1934年同予科教授、1935年助教授、1941年教授。1944年東京商科大学附属図書館長。1949年から1963年までは東京経済大学教授を兼任。一橋大学教授、1955年一橋大学経済学部長。66年定年退官。社会保障研究所(現国立社会保障・人口問題研究所)初代所長。96年従三位。 1951年「日本国民所得推計資料」は国民所得分析の先駆的業績。
野村 寅三郎 (のむら とらさぶろう、1902年 <明治35… 野村 寅三郎 (のむら とらさぶろう、1902年 <明治35年> 11月30日 - 1985年 <昭和60年> 1月22日)は、日本の交通経済学者。神戸大学名誉教授。元日本海運経済学会副会長。位階は正四位。 京都市下京区四条通室町東入函谷鉾町生まれ。1921年京都市立第一商業学校(現京都市立西京高等学校)卒業。級友に新庄博神戸大学名誉教授がいた。 1924年神戸高等商業学校(現神戸大学)本科第二学年修了。1927年東京商科大学(現一橋大学)卒業。内池廉吉ゼミ出身で、専門は交通論。同年同大学補手。1928年中央気象台附属測候技術官養成所(現気象大学校)講師。1929年神戸商業大学助手。 1930年から文部省留学生として、ドイツやウィーン、イタリア、アメリカ合衆国に留学し、レオポルト・マイヤーに師事するなどした。
玉城 肇(たまき はじめ、1902年11月25日 - 198… 玉城 肇(たまき はじめ、1902年11月25日 - 1980年1月11日)は、日本の経済学者、歴史学者。 専門は家族史、経済史。 宮城県出身。第二高等学校卒、東北帝国大学経済学科卒。東北学院大学教授、愛知大学第6代学長、法経学部教授。1957年「近代日本における家族構造」で関西学院大学文学博士。1960年中日文化賞受賞。 長男・徹は歌人、次男・哲は農業経済学者・専修大学教授、三男・素は現代コリア研究所理事長。歌人花山多佳子は孫、花山周子は曾孫。
高倉 新一郎(たかくら しんいちろう、1902年11月23日… 高倉 新一郎(たかくら しんいちろう、1902年11月23日 - 1990年6月7日)は、日本の農業経済学者・歴史学者。北海道大学名誉教授。農業経済学・北海道史・アイヌ文化史で業績がある。 1902年、北海道帯広市で実業家・高倉安次郎の子として生まれた。札幌中学校(現北海道札幌南高等学校)で学び、1920年に北海道帝国大学入学した。農学部教授であった高岡熊雄に師事し、農政学植民学を学んだ。1926年、北海道帝国大学農学部農業経済学科を卒業。 卒業後は同年より、北海道帝国大学農学部副手に就き、1927年に助手、1936年に植民学講座の助教授に就任した。1945年、北海道帝国大学に学位論文『アイヌ政策史』を提出して農学博士号を取得。
小椋 広勝(おぐら ひろかつ、1902年11月19日 - 1… 小椋 広勝(おぐら ひろかつ、1902年11月19日 - 1968年11月6日)は、日本の経済学者。東京出身。東京商科大学(現在の一橋大学)卒。共産党系の文化団体・プロ科で活動しつつ法政大学商業学校(現在の法政大学中学高等学校の前身のひとつ)で教えるが、1928年、三・一五事件で検挙され退職。1937年、同盟通信社に入社。戦後はレッドパージにあい、世界経済研究所理事、1959年、立命館大学教授。在職中に死去。
小宮 孝(こみや たかし、1902年11月15日 - 197… 小宮 孝(こみや たかし、1902年11月15日 - 1975年11月16日)は、日本の経済学者。関西学院高等商業学部教授、関西学院大学経済学部教授、同学院院長などを歴任した。 神奈川県横浜市出身。兵庫県立神戸商業学校(現:兵庫県立神戸商業高等学校)、第一神港商業学校(現:神戸市立神港高等学校)を経て、1929年(昭和4年)に、東京商科大学(現:一橋大学)卒業後、関西学院高等商業学部(のちの関西学院高等商業学校、現関西学院大学経済学部・商学部)の経済学担当教授に就任した。 関西学院初代教職員組合長、初代宗教活動委員会委員長を経て、1950年(昭和25年)から1954年(昭和29年)まで関西学院大学経済学部長を務めるなどし、関西学院におけるキリスト教活動の活性化及び民主化に尽力した。
磯部 喜一(いそべ きいち、1902年10月18日 - 19… 磯部 喜一(いそべ きいち、1902年10月18日 - 1987年8月15日)は、日本の経済学者・経営学者。専門は、工業経済学、中小企業論。東京工業大学・武蔵大学名誉教授。 大阪府大阪市生まれ。1926年京都帝国大学経済学部卒。1949年「日本漆器工業論」で、京都大学より経済学博士の学位を取得。1928年関西大学専任講師、助教授、教授、1944年東京工業大学生産工学部助教授、教授、1963年定年退官、名誉教授、広島大学工学部教授・武蔵大学教授。1972年武蔵大学名誉教授。日本工業経営学会会長。
柴田 敬(しばた けい、1902年(明治35年)9月2日 -… 柴田 敬(しばた けい、1902年(明治35年)9月2日 - 1986年(昭和61年)5月22日)は、日本の経済学者。京都大学教授、山口大学教授、青山学院大学教授などを歴任。数理マルクス経済学の開拓者であり、マルクス、ベーム=バヴェルクへの理論的批判で知られる。 1902年(明治35年)、福岡県福岡市で生まれた。福岡商業学校、山口高等商業学校(現・山口大学経済学部)を卒業後、高商時代の恩師である作田荘一を追うように京都帝国大学経済学部に入学した。そこでは河上肇のゼミに参加し、マルクス経済学を学んだ。また、先輩の高田保馬からローザンヌ学派の研究について学んだ。 卒業後は、京都帝国大学助教授に就いた。
新庄 博(しんじょう ひろし、1902年8月16日 - 19… 新庄 博(しんじょう ひろし、1902年8月16日 - 1978年11月17日)は、日本の経済学者。専攻は、金融論・国際金融論。神戸大学経済学部教授・関西学院大学商学部教授を歴任。 京都市立第一商業学校(現:京都市立西京高等学校)の級友に野村寅三郎神戸大学名誉教授がいた。同校を経て、神戸高等商業学校(現:神戸大学)卒業後、東京商科大学(現:一橋大学)に入り、高垣寅次郎の下で金融論を専攻。テニス部出身。1928年(昭和3年)に卒業し、神戸高等商業学校講師となる。その後、同校の昇格に伴い神戸商業大学助教授、神戸経済大学教授、神戸大学経済学部教授として勤務。 門下生には、神戸大学名誉教授・三木谷良一(神戸大学名誉教授)、則武保夫(神戸大学名誉教授)、千田純一(名古屋大学名誉教授)、片山貞雄(滋賀大学名誉教授)などがいる。
岸本 誠二郎(きしもと せいじろう、1902年7月5日 - … 岸本 誠二郎(きしもと せいじろう、1902年7月5日 - 1983年4月5日)は、日本の経済学者。京都大学名誉教授。専門は理論経済学。「分配と価格」に関する基本原理を作り上げた。 岡山県出身。第六高等学校を経て1925年東京帝国大学経済学部卒、同大学院入学。1940年「価格の理論」で経済学博士(東京商科大学 (旧制))。法政大学経済学部長、東京高等師範学校教授を経て、1946年京都帝国大学教授・経済学部長となる。京都大学経済研究所の創設に尽くし1962年初代所長となる。1966年定年退官、名誉教授、國學院大學経済学部教授。その後、同経済学部長。1979年國學院大學栃木短期大学3代学長(~1981年)に就任。
淡川 康一(あわかわ こういち、1902年6月1日 - 19… 淡川 康一(あわかわ こういち、1902年6月1日 - 1976年12月3日)は、日本の経済学者・地理学者・禅画研究家、立命館大学名誉教授。 京都府生まれ。京都市立第一商業学校(現:京都市立西京高等学校・附属中学校)で学び、1921年、20歳の時、名古屋高等商業学校に一期生として入学して、宮田喜代蔵 (1896-1977) の経済学などを学んだ。1924年、京都帝国大学経済学部独逸経済学科に入学。財部静治 (1881-1946) 教授の統計学に傾き、経済地理学へと向かう。1927年京都帝国大学経済学部卒。立命館大学教授、1967年定年退任、名誉教授、大阪学院大学教授。 禅画の研究、蒐集を行った。
富永 祐治(とみなが ゆうじ、1902年(明治35年)3月2… 富永 祐治(とみなが ゆうじ、1902年(明治35年)3月29日 - 1997年7月25日)は、日本の交通経済学者。大阪市立大学経済学部名誉教授。 東京商科大学(のち一橋大学)卒、大塚金之助に師事。1929年大阪商科大学付属大阪市経済研究所勤務、1933年大阪商大助教授、教授、1953年「交通における資本主義の発展」で大阪商大経済学博士、大阪市立大学経済学部教授、1965年定年退官、名誉教授。都市交通研究所長。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
小林 珍雄(こばやし よしお、1902年3月2日 - 198… 小林 珍雄(こばやし よしお、1902年3月2日 - 1980年4月10日)は、日本の経済学者。上智大学名誉教授。 1902年、神奈川県横浜市で生まれた。1926年に東京帝国大学法学部を卒業。1929年、東京帝大大学院卒業。帰国したばかりの岩下壮一神父が東京帝大で試みていた「カトリック研究会」に出席したことで、岩下神父を知る。同師の影響を受けて、1931年に上智大学内でヨハネス・クラウス神父より洗礼を受けた。1938年より上智大学経済学部教授。1940年の10月8日より、興亜院の要請を受けた岩下神父と共に秘書として華北地方を視察し、同年11月11日に東京に帰還。1954年より上智大学経済学部長を務めた。
松野 賢吾 (まつの けんご、1902年2月28日 - 19… 松野 賢吾 (まつの けんご、1902年2月28日 - 1993年11月9日)は、日本の経済学者。松野新次郎の長男。熊本県八代市生まれ、神奈川県湯河原で逝去。
東井金平(とうい きんぺい、1902年1月27日-?)は、日… 東井金平(とうい きんぺい、1902年1月27日-?)は、日本の農業経済学者。 石川県出身。慶應義塾大学経済学部卒。1959年「欧米における日本農業の研究」で慶大経済学博士。農林省農業総合研究所勤務。1962年『欧米における日本農業の研究』で日経・経済図書文化賞受賞。
舟越 康寿(ふなこし やすじゅ、1901年12月13日 - … 舟越 康寿(ふなこし やすじゅ、1901年12月13日 - 1971年6月27日)は、日本の経済学者、歴史学者。 鳥取県日野郡生まれ。1921年、鳥取師範学校卒。1925年3月に廣島高等師範学校を卒業。このころ、名字を岡と改める。同年、岐阜県立大垣高等女学校教諭、1927年広島県立府中中学校教諭、1929年から1933年3月まで熊本県立御船中学校教諭。同年4月に廣島文理科大学入学。卒業論文「メロヴィング朝に於ける土地制度の発達」をまとめ、1936年3月同大学西洋史学科を卒業し、同大学副手として西洋史学教室勤務ののち、1940年文部省図書監修官補となる。その後、文部省民族研究所嘱託を経て、1945年に立命館専門学校講師、1946年に同校教授。
豊崎 稔(とよさき みのる、1901年11月28日 - 19… 豊崎 稔(とよさき みのる、1901年11月28日 - 1984年9月13日)は、日本の経済学者。京都大学名誉教授。 1901年、徳島県徳島市生まれ。徳島県立徳島中学校(現徳島県立城南高等学校)を卒業し、山口高等商業学校を経て、1927年東北帝国大学法文学部経済学科を卒業した。 卒業後、母校の東北帝国大学助手に採用。1931年より大阪商科大学講師。1932年に同助教授、1941年に同教授に昇進。1945年に大阪商科大学に学位論文を提出して経済学博士号を取得。1946年、京都帝国大学経済学部教授となった。1949年より経済学部長。1951年からは日本学術会議会員となった。また、1959年税制調査会委員。
高橋 正雄(たかはし まさお、1901年11月21日 - 1… 高橋 正雄(たかはし まさお、1901年11月21日 - 1995年9月10日)は、昭和・平成期の日本の経済学者、社会運動家。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
近藤 文二(こんどう ぶんじ、1901年10月24日 - 1… 近藤 文二(こんどう ぶんじ、1901年10月24日 - 1976年11月25日)は、日本の経済学者。大阪市立大学名誉教授。保険学、社会保障論を研究。 戦前から保険の歴史や民間保険を研究。1942年の共著『労働者年金保険法論』では「戦費調達説」を提起し、同書刊行または1948年の『社会保険』刊行の頃から社会保険の研究に関心を移した。社会保険を重視する社会保障論を展開し、社会保険の社会事業化・公的扶助化を批判した。1963年の『社会保険』は「社会保険に関する理論・歴史・政策が三位一体となったこの分野の名著」「近藤自身のこれまでの研究の総仕上げ」だと評価されている。第6回日経・経済図書文化賞を受賞した。
山中篤太郎(やまなか とくたろう、1901年9月4日-198… 山中篤太郎(やまなか とくたろう、1901年9月4日-1981年1月16日)は、日本の経済学者。第3代一橋大学学長。日本経済政策学会代表理事、中小企業学会会長、労働省中央労働基準審議会会長等を歴任。
森田 優三(もりた ゆうぞう、1901年8月29日 - 19… 森田 優三(もりた ゆうぞう、1901年8月29日 - 1994年2月7日)は、日本の経済学者。一橋大学教授・内閣統計局長・日本統計学会会長を歴任。1974年勲一等瑞宝章受章。 指導学生に溝口敏行(一橋大学名誉教授)、宮川公男(一橋大学名誉教授)など。