鈴木 裕美(すずき ゆみ、1963年12月30日 - )は、… 鈴木 裕美(すずき ゆみ、1963年12月30日 - )は、日本の劇作家、演出家。 日本女子大学家政学部住居学科在学中の1982年、大学内で飯島早苗らと劇団「自転車キンクリート」を結成、1985年より飯島が脚本を書き、鈴木が演出に当たった。 結成のきっかけとして、日本女子大学附属高等学校時代に演劇部の先輩であった大石静が永井愛と二兎社を結成したことで、「自分もできるのでは?」と思ったからと語っている。 主たる演出作品として1987年の『水に絵を描く』、1992年の『ソープオペラ』があり、1994年に飯島との共同脚本による『法王庁の避妊法』はヒット作となった。 「自転車キンクリートSTORE」を含め、ほとんどの公演を演出。
飯島 早苗(いいじま さなえ、1963年10月12日 - )… 飯島 早苗(いいじま さなえ、1963年10月12日 - )は、日本の劇作家、脚本家。東京都出身。日本女子大学文学部国文学科卒業。 1982年、日本女子大学在学中に鈴木裕美と「自転車キンクリート」を結成。主に脚本を手がける。また、テレビドラマや映画の脚本も手がける。
成瀬 活雄(なるせ かつお、1963年6月29日 - )は、… 成瀬 活雄(なるせ かつお、1963年6月29日 - )は、日本の映画監督・脚本家・劇作家・演出家。愛知県刈谷市出身。妻は唐橋ユミ。 愛知県刈谷市出身。刈谷市立依佐美中学校、愛知県立刈谷北高等学校卒業後、東京大学文学部国文学専修課程卒業。大正大学教授。元城西国際大学幕張キャンパス所長。元城西大学日本/東アジア映像研究センター所長。 数々の劇場映画制作に助監督として携わり、映画監督である篠田正浩の元で脚本も手がけるようになる。1997年、『不機嫌な果実』(松竹)で監督デビュー。同年、『瀬戸内ムーンライト・セレナーデ』がベルリン国際映画祭で上映されたほか、最近はテレビ番組にも進出、『夢で逢いましょう』『嫌われ松子の一生』『小さな巨人』『二月の勝者-絶対合格の教室-』などの脚本を担当した。
ケラリーノ・サンドロヴィッチ(Keralino Sandor… ケラリーノ・サンドロヴィッチ(Keralino Sandorovich、1963年1月3日 - )は、日本の劇作家、演出家、映画監督、音楽家、俳優。演劇分野では「ケラリーノ・サンドロヴィッチ」名義で活動。音楽分野では「ケラ」名義(あるいは「KERA」名義)で活動。出生名は小林 一三(こばやし かずみ)。 東京都渋谷区出身。日本大学鶴ヶ丘高等学校、横浜放送映画専門学院(現:日本映画大学)卒業。劇団「ナイロン100℃」およびインディーズレーベル「ナゴムレコード」主宰。テクノポップバンド「有頂天」で1980年代にブレイクした。所属事務所はキューブ。妻は女優の緒川たまき。 父親はジャズ・ミュージシャンの小林巽。
詩森 ろば(しもり ろば、1963年[リンク切れ] - )は… 詩森 ろば(しもり ろば、1963年[リンク切れ] - )は、日本の劇作家・舞台演出家・脚本家。演劇ユニット「serial number」主宰。 宮城県仙台市に生まれ、小学生のときから岩手県盛岡市で過ごす。岩手県立盛岡第一高等学校を卒業後に上京する。 1993年、 劇団風琴工房旗揚げ。以後ほとんどの脚本とすべての演出を担当。2018年より劇団名を改名し、演劇ユニットserial numberとして活動している。 全国どこへでも飛び回る綿密な取材で、多彩な題材を他にない視点で立ち上げる。外部作品提供も多数。 詩森が演劇で扱ってきた題材は歴史劇、金融、福祉車両の開発、コンドームの開発、アイスホッケー、死刑制度、マイノリティ、将棋と多岐にわたるが、詩森自身は2025年に掲載されたインタビューの中で「でも、たぶん書きたいことはひとつ。
青木 秀樹(あおき ひでき、1963年 - )は、日本の劇作… 青木 秀樹(あおき ひでき、1963年 - )は、日本の劇作家、演出家である。奈良県出身で、大阪芸術大学映像学科卒業後、1989年に劇団クロムモリブデンを旗揚げした。以来、同劇団の主宰・作家・演出家を務めている。 2006年には、同劇団が本拠地を東京都杉並区に移転するにあわせ東京へ転居し、2007年現在は東京・大阪を中心に活動中である。
鈴江 俊郎(すずえ としろう、1963年 - )は、日本の劇… 鈴江 俊郎(すずえ としろう、1963年 - )は、日本の劇作家、演出家、俳優。office 白ヒ沼代表。 大阪府大阪市出身。大阪府立千里高等学校、京都大学経済学部卒業、京都大学大学院農学研究科農林経済学専攻修士課程中退。近畿大学文芸学部助教授、桐朋学園芸術短期大学演劇専攻准教授を歴任。 劇作、演出、役者、照明を手がける製作者。京都の舞台芸術活性化のため「京都舞台芸術協会」の設立に参加するなど積極的な活動を行っている。戯曲は英語、ドイツ語、ロシア語、インドネシア語に翻訳され海外でも上演されている。元日本劇作家協会」京都支部長。
松尾 スズキ(まつお スズキ、本名:松尾 勝幸(まつお かつ… 松尾 スズキ(まつお スズキ、本名:松尾 勝幸(まつお かつゆき)、1962年12月15日 - )は、日本の俳優、劇作家、演出家、脚本家、映画監督、コラムニスト。福岡県北九州市八幡西区生まれ。八幡大学附属高等学校(現・九州国際大学付属高等学校)、九州産業大学芸術学部デザイン学科卒業。『大人計画』主宰。コクーンアクターズスタジオ学長。以前は松尾すずきと表記していた。愛猫は「オロチ(雌)」、その後「チース」。現在は飼っていない。既婚。 漫画家になりたくて高校生の時に漫画賞に応募し続け、大学ではデザインを専攻し漫画研究会に入ったが、漫研の中で最も絵が下手であったためプライドが叩き潰され、演劇研究会に入った。
平田 オリザ(ひらた オリザ、1962年11月8日 - )は… 平田 オリザ(ひらた オリザ、1962年11月8日 - )は、日本の劇作家、演出家、劇団「青年団」主宰、こまばアゴラ劇場支配人、芸術文化観光専門職大学学長(初代)。青森県立美術館館長。戯曲の代表作に『東京ノート』『ソウル市民』三部作など。小説『幕が上がる』は2015年に映画化され、第70回毎日映画コンクール(TSUTAYA映画ファン賞日本映画部門)などを受賞。 現代口語演劇理論の提唱者であり、自然な会話とやりとりで進行していく「静かな演劇」の作劇術を定着させた。戯曲集のほか『現代口語演劇のために』など理論的な著書も多い。 現在、東京藝術大学アートイノベーションセンター特任教授、四国学院大学客員教授・学長特別補佐、京都文教大学臨床心理学部客員教授、大阪大学コミュニケーションデザインセンター客員教授、東京都立大学客員教授、シューレ大学アドバイザー、日本劇作家協会理事、NPO法人ワークショップデザイナー推進機構理事、日本学術会議委員を務める。
要 ゆうじ(かなめ ゆうじ、本名非公表。1962年3月28日… 要 ゆうじ(かなめ ゆうじ、本名非公表。1962年3月28日 - )は、日本の脚本家・劇作家・ライター・俳優・声優・ナレーター。北海道旭川市出身。北海道旭川北高等学校卒業。 高校時代より、伝説のサブカルチャー雑誌「ビックリハウス」(パルコ出版)の常連投稿者として活動する(当時のペンネームは“かなめゆうじ”)。投稿時代の同期には、大槻ケンヂ、渡辺いっけい、犬童一心、常盤響などが常連投稿者だった。 18歳でアメリカに留学。帰国後上京し、同郷の作家である窪田僚に師事。1982年、窪田の紹介で雑誌ライターとしてデビューする。 1980年代前半の雑誌創刊ブームに乗り、主に芸能雑誌のインタビュアーとして活躍。
坂手 洋二(さかて ようじ、1962年3月11日 - )は、… 坂手 洋二(さかて ようじ、1962年3月11日 - )は、日本の劇作家。劇団「燐光群」主宰。日本演出者協会理事。岸田国士戯曲賞選考委員。
松田 正隆(まつだ まさたか、1962年 - )は、日本の劇… 松田 正隆(まつだ まさたか、1962年 - )は、日本の劇作家・演出家、立教大学教授。日本劇作家協会所属(過去に理事を務めたこともある)。 長崎県北松浦郡出身。長崎県立猶興館高等学校、立命館大学文学部哲学科卒業。 1990年、劇団「時空劇場」を設立し、作・演出を手掛ける。代表作は『紙屋悦子の青春』『どん底』『蜻蛉』『坂の上の家』『海と日傘』『月の岬』など。 1997年に同劇団を解散。その後フリーの劇作家として活躍している。 2004年には平田オリザ(演出)と組んで『天の煙』の劇作を担当。舞台戯曲の他、黒木和雄監督作品『美しい夏キリシマ』にて映画脚本を手がけ、『紙屋悦子の青春』は映画化されている。
村上 晴彦(むらかみ はるひこ、1962年 - )は、日本の… 村上 晴彦(むらかみ はるひこ、1962年 - )は、日本の劇作家(日本劇作家協会員)・演出家(日本演出者協会員)。 東京学芸大学在学中に劇団を旗揚げ、主宰として公演活動を行う。 現在は、中学校演劇の指導、劇団NACをはじめ各地での公演スタッフなどを務める。練馬区などでは、中学校の演劇部員を対象とする演劇ワークショップ「台本ぷち×2シアター」の講師として活躍中。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
越川 大介(こしかわ だいすけ、1961年10月18日 - … 越川 大介(こしかわ だいすけ、1961年10月18日 - )は、日本のお笑いタレント、俳優、劇作家、演出家。鳥取県出身。血液型はA型。 鳥取県立鳥取商業高等学校情報処理科卒業。劇団青年座研究所出身。1984年に藤井一男とコントグループ「ちびっこギャング」を結成。結成10周年の1994年にちびっこギャングを解散。 解散後は演劇カンパニー「D.K HOLLYWOOD」を設立。 私生活では1984年に青年座の先輩である声優の島本須美と結婚、娘(越川詩織)が一人いる。
成井 豊(なるい ゆたか、1961年10月8日 - )は、日… 成井 豊(なるい ゆたか、1961年10月8日 - )は、日本の演出家、劇作家。埼玉県出身。演劇集団キャラメルボックス代表。東京学芸大学教育学部附属高等学校、早稲田大学第一文学部卒業。作家のエージェント会社 株式会社アップルシード・エージェンシー契約作家。 早稲田大学時代に学生演劇サークルてあとろ50'に在籍。高校教師を経て、同窓で、学生時代に下記『不思議なクリスマスのつくりかた』の原案作品である『キャラメルばらーど』を見てその才能を見込んだ加藤昌史に口説き落とされ、1985年に演劇集団キャラメルボックスを結成。全公演の演出を手掛ける。作風はエンターテインメントでファンタジーが基調。現在[いつ?]は同劇団で脚本・演出を担当するかたわら、ENBUゼミナールで演劇の授業を行っている。
横内 謙介(よこうち けんすけ、1961年9月22日 - )… 横内 謙介(よこうち けんすけ、1961年9月22日 - )は、日本の演出家、劇作家。劇団扉座主宰。 東京都生まれ。父の転勤に伴い、母親の出身地である福岡県北九州市小倉で小学校5年生から中学1年生までを過ごす。 1979年、神奈川県立厚木高等学校在学時に処女作『山椒魚だぞ!』が、全国高等学校演劇大会にて優秀賞と創作脚本賞を受賞。六角精児と岡森諦は、この時演劇部員として出演しており、「扉座」(後述)の座員でもある。 高校卒業後、早稲田大学第一文学部在学中(1982年)に劇団「善人会議」を旗揚げする。劇団はその後「扉座」と改名。 横内には劇団での作・演出の他に、他のプロデュース公演への書き下ろしが多数ある。
三谷 幸喜(みたに こうき、1961年〈昭和36年〉7月8日… 三谷 幸喜(みたに こうき、1961年〈昭和36年〉7月8日 - )は、日本の劇作家、脚本家、演出家、映画監督、俳優。 劇団「東京サンシャインボーイズ」主宰。シス・カンパニー所属。身長174 cm。 東京都世田谷区出身。父が好きだった大相撲力士・大鵬幸喜(当時は大関、後に横綱に昇進)にちなんで「幸喜」(こうき)と命名。両親は九州出身で、父は福岡市の中洲でクラブを数店舗経営していた実業家であった。家は裕福であったが、父は三谷が10歳の時に亡くなった。 小学生の頃、「ビバ!チャップリン」シリーズからチャールズ・チャップリンのファンになり、スイスにあった自宅前までチャップリンに会いに行ったことがある。
関 秀人(せき ひでと、1961年7月4日 - )は、日本の… 関 秀人(せき ひでと、1961年7月4日 - )は、日本の劇作家、演出家、俳優。元劇団立身出世劇場の座長。大阪府豊中市出身。龍谷大学文学部卒業。ライターズカンパニー田畑冨久子事務所所属。 大学時代に始めたアクションショーのアルバイトをきっかけに、劇団“演劇群・翔”に入団。 同劇団を退団後、1987年、阪本武雄と共に、劇団立身出世劇場を結成。 2004年の劇団解散まで同劇団で46本の舞台に出演し、多くの公演で作・演出も手がける。 劇団解散の1年後、東京に移住。東京と大阪を行き来しながら、舞台、テレビ等で活動中。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
吉崎 宏人(よしざき ひろと、1961年5月21日 - )は… 吉崎 宏人(よしざき ひろと、1961年5月21日 - )は日本の劇作家・演出家、編集者。「吉崎ひろと」名義もあり。 福岡県京都郡生まれ。東京都世田谷区、日野市、兵庫県神戸市と転居し、高校は兵庫県立伊川谷高等学校を卒業。同級生に脚本家の薩川昭夫がいた。1981年、早稲田大学社会科学部入学。早稲田大学アナウンス研究会に所属し、同級生には歌人の俵万智がいた。卒業後、大ファンだったつかこうへいに出版社の編集者として原稿依頼に行き、その際俵を引き合わせたところ、つかから、「万智が脚本を書いて、オマエ(吉崎)が演出しろ」と言われ、「はいはい」と二つ返事で請けて演出家デビューが決まった。 1994年4月★☆北区つかこうへい劇団劇作家・演出家コースの1期生となり、1996年に退団。
飴屋 法水(あめや のりみず、1961年3月22日 - )は… 飴屋 法水(あめや のりみず、1961年3月22日 - )は、日本の現代美術家、演出家、劇作家、アートパフォーマーである。動物商であったこともあり、Twitterのプロフィールには、自分の職業がわからないとも書いている。 山梨県甲府市生まれ。神奈川県育ち。神奈川県立小田原高等学校卒。高校の演劇部在籍中は安部公房、唐十郎の戯曲を演出。1978年(17歳)唐十郎の「状況劇場(紅テント)」に参加、5年間、音響を担当。1983年に独立し「東京グランギニョル」を旗揚げ。当時庭師であった嶋田久作やバイト先の同僚、ミュージシャンのコシミハルなど演劇未経験者を起用しながら、発語と音楽、物と身体を等価にあつかうような、その「残酷劇」は、当時の小劇場の中でも異質な存在として注目されるも、4作品で解散。
上田浩寛(うえだ こうかん、1960年〈昭和35年〉12月2… 上田浩寛(うえだ こうかん、1960年〈昭和35年〉12月2日 - )は、日本の劇作家、脚本家、演出家、プロデューサー。 大阪府池田市出身。本名は、上田浩人。長年にわたり松竹株式会社に勤務し、チーフプロデユーサーを務める一方、人情喜劇の脚本を執筆し、数多くの舞台作品の製作に携わっている。 大阪教育大学附属池田高校を経て大阪府立大学社会福祉学部を卒業した1985年、松竹株式会社に就職。入社以来、京都南座、大阪道頓堀の中座で企画宣伝を担当し、中村鴈治郎(1990年)、中村梅玉(1992年)、中村福助(1992年)、渋谷天外(1992年)などの襲名公演や、藤山寛美劇団葬(1990年)、ミヤコ蝶々の最後の舞台(1999年)等に携わる。
久松 真一(ひさまつ しんいち、1960年10月23日 - … 久松 真一(ひさまつ しんいち、1960年10月23日 - ) は日本の脚本家、劇作家、演出家。 福岡県北九州市八幡東区出身。天理大学外国語学部フランス学科卒業後、天理教道友社出版部に勤務。1987年より2年間、富良野塾にて脚本家倉本聰に師事する。第五期生。 1991年、日本テレビの連続ドラマ『助教授一色麗子 法医学教室の女』(主演篠ひろ子)の最終回を執筆してデビュー。2004年、NHKのドラマ『玄海〜わたしの海へ〜』で、放送文化基金賞テレビドラマ部門本賞を受賞。2011年、WOWOWのドラマ『再生巨流』で、ATP賞テレビグランプリ2011、ドラマ部門優秀賞を受賞。同年、渡哲也、渡瀬恒彦の兄弟が40年ぶりに共演した話題のドラマ、ドラマ特別企画2011『帰郷』(TBS)を執筆。
大竹野 正典(おおたけの まさのり、1960年〈昭和35年〉… 大竹野 正典(おおたけの まさのり、1960年〈昭和35年〉9月17日 - 2009年〈平成21年〉7月19日)は日本の劇作家、演出家。本業は会社員。 「演(や)りたい時が演(や)り時よ」を合言葉に精力的に数々の舞台作品を執筆、上演。2009年7月19日に不慮の事故に遭い死去。享年49歳。 生涯、自ら戯曲賞に応募したことは無く、他人の手による応募も全部を通して計4回のみ。その理由として「社会で普通に仕事をする目線が無くなると、僕は台本をかけない」という返事がいつも返ってきた。(妻・後藤小寿枝 談)大竹野の作品を敬愛する者は多く、没後もあらゆる団体、劇団によって遺した作品が上演されている。 大阪府大阪市で生まれる。
はせ ひろいち(1960年6月22日 - )は、日本の劇作家… はせ ひろいち(1960年6月22日 - )は、日本の劇作家、演出家。岐阜県岐阜市生まれ。劇団ジャブジャブサーキット代表。 1960年、岐阜市に生まれる。岐阜大学卒業後、1984年に劇団ジャブジャブサーキット結成。1989年、地元新聞社退社を期に作・演出に専念。以降、劇団代表。書き下ろし戯曲は110本を越す。観客との想像力共有を計った戯曲と、会話劇にセリフ外の関係性構築を要求する演出論を武器に、演劇に残されたリアリティーを追求する。拠点にアトリエを構えた地域ならではの繊細な芝居作りが信条。90年代に全国的に同時多発した「静かな演劇」の一角を担いつつ、独自の物語性と題材の柔軟さが評価され、その新しい進化型として注目を集める。
天野 天街(あまの てんがい、1960年5月20日 - 20… 天野 天街(あまの てんがい、1960年5月20日 - 2024年7月7日)は、日本の劇作家、演出家。 愛知県一宮市出身。愛知学院大学文学部史学科中退。 1982年、劇団少年王者舘旗揚げ、主宰。名古屋を拠点に演劇活動を行う。 1997年、名古屋市芸術奨励賞受賞。1998年より、KUDAN Project始動。2000年、「くだんの件」で岸田國士戯曲賞候補。 漫画家・つげ義春の作品「必殺するめ固め」の映画化(脚本・監督)を進めていることを公表。絵コンテも公表している(「コミックボックス別冊VOL.7」、04年)が、多忙の為中断している。 2024年7月7日に肺がんのため死去。64歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
大日 琳太郎(だいにち りんたろう、1960年3月10日 -… 大日 琳太郎(だいにち りんたろう、1960年3月10日 - )は、日本の劇作家、演出家、作曲家、俳優。ふるさとの物語制作委員会の芸術監督。宮城県芸術協会会員。 宮城県仙台市出身。本名は針生登志雄(はりうとしお)。父貞一、母貴美子の次男として生まれた。仙台市立若林小学校、仙台市立八軒中学校、宮城県仙台第一高等学校、東北大学経済学部卒業。 東北大学入学後、作曲を佐藤真に師事。ピアノを松浜恵子、杉山哲雄に師事。楽典を鶴岡たみ子に師事する。大学卒業後上京し、1988年第12回神奈川芸術祭作曲コンクール入選。その後、20年にわたり東京で俳優として活躍しながら、能の謡曲と仕舞を古川充 (観世流九皐会)に師事、義太夫教室にも通い、近松門左衛門や真山青果、三島由紀夫らに私淑し多くの戯曲を執筆、また演出した。
加納 幸和(、1960年1月25日 - )は日本の俳優、劇作… 加納 幸和(、1960年1月25日 - )は日本の俳優、劇作家、脚本家、演出家。劇団「花組芝居」主宰。お笑いタレント、喜劇俳優、講談師の森田展義とは親同士がいとこのため、はとこである。その他の親戚に俳優、声優の森田順平、俳優の森田浩平、俳優の森田晋平がいる。 兵庫県尼崎市出身。日本大学芸術学部演劇学科卒業。大学の卒業論文「『櫻姫東文章』の再生と可能性」で芸術学会賞を受賞。 1984年10月、演劇プロデュース団体「加納幸和事務所」を設立。1987年、劇団「花組芝居」に改名。同年4月1日、『ザ・隅田川』公演で旗揚げ。 花組芝居の全作品の脚本、演出を手掛け、主に歌舞伎をモチーフにした作品が多い。 俳優、雑誌のコラム連載、専門学校の講師としても活動している。
いのうえ ひでのり(本名:猪上 秀徳、1960年1月24日 … いのうえ ひでのり(本名:猪上 秀徳、1960年1月24日 - )は、日本の演出家、劇作家。劇団☆新感線主宰。 福岡県出身。福岡大学附属大濠高等学校卒業後、大阪芸術大学芸術学部舞台芸術学科に入学。大学在学中の1980年に劇団☆新感線を結成(初の公演は『熱海殺人事件』)。旗揚げ当初は役者も兼ねていたが、1995年からは演出に専念している。 演出家としてはハードロックやヘヴィメタルを大音量で頻繁に使用し、ライブコンサート並みの派手な照明を駆使するのが特徴。特に歴史や神話をモチーフとした作品はいのうえ歌舞伎と呼ばれ、演劇ファンのみならず音楽ファンも巻き込んだ爆発的な観客動員数を誇る。劇団の本公演以外にもホリプロやジャニーズ事務所、松竹など大手芸能事務所と手を組み、数々の公演を手掛けている。
川村 毅(かわむら たけし、1959年12月22日 - )は… 川村 毅(かわむら たけし、1959年12月22日 - )は、日本の劇作家、演出家。 東京都生まれ、横浜育ち。神奈川県立希望ヶ丘高等学校卒。明治大学政治経済学部在学中、1980年に劇団第三エロチカを結成、1986年には「新宿八犬伝 第一部」で第30回岸田國士戯曲賞を受賞。1991年に映画「ラスト・フランケンシュタイン」の監督を務め、2002年に自作戯曲上演プロデュースカンパニー「T factory(ティーファクトリー)」を創立。『せりふの時代』編集委員。小説も書いたことがある。2013年、『4 four』で第16回鶴屋南北戯曲賞、芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
宮城 康博(みやぎ やすひろ、1959年12月18日 - )… 宮城 康博(みやぎ やすひろ、1959年12月18日 - )は、日本の沖縄県の政治家、作家、劇作家。前南城市議会議員(1期)、前名護市議会議員(3期)、ジュゴン保護キャンペーンセンター共同代表。市民グループ「オキュパイ普天間」代表。 名護市における米軍のヘリポート基地建設の是非を問う市民投票を担った、市民団体「ヘリポート基地建設の是非を問う名護市民投票推進協議会」の代表を務めた。 1959年、沖縄県名護市に生まれる。 1980年代、「東京演劇アンサンブル」にて活動 1992年、沖縄に帰郷し、企画・編集プロダクションを営む 1997年、同年に結成された市民団体「ヘリポートいらない名護市民の会」に所属し、名護市においてヘリ基地反対運動を行う。
内藤 裕敬(ないとう ひろのり、1959年12月4日 - )… 内藤 裕敬(ないとう ひろのり、1959年12月4日 - )は、栃木県出身の劇作家・演出家・俳優。劇団「南河内万歳一座」座長、大阪芸術大学舞台芸術学科教授。 大阪芸術大学舞台芸術学科卒業。秋浜悟史教授(劇作家・演出家)に師事。 大学在学中の1980年、劇団「南河内万歳一座」を旗揚げ。『蛇姫様』(作・唐十郎)を自身の演出で上演する。以降、同劇団の全作品の作・演出を手がける。大阪を活動拠点とし、年2回の2都市公演(東京・大阪)を基本に活動中。海外へは特にアジアに目を向け、韓国公演(1987、88年)中国公演(1995年)を実施。現代的演劇の基礎を土台とし、常に現代を俯瞰した作品には定評がある。劇団外での作・演出も多く、俳優としても唐組・兵庫県立ピッコロ劇団等客演多数。
マキノ ノゾミ(1959年9月29日 - )は、日本の俳優・… マキノ ノゾミ(1959年9月29日 - )は、日本の俳優・劇作家・脚本家・演出家である。劇団M.O.Pを主宰するとともに、オフィス・マキノに所属している。本名は牧野 望。 静岡県浜松市出身[リンク切れ]。浜松日体高等学校、同志社大学文学部卒業。 1984年、劇団M.O.Pを結成。同年つかこうへい作『熱海殺人事件』公演で旗揚げ。以後、役者として舞台に立つ傍ら演出もこなしている。近年は脚本家としての活動が多く、外部の舞台へも作・演出と幅広く活動する。 2002年後期のNHK連続テレビ小説『まんてん』の脚本を担当したことで広くその名を知られるようになった。 妻は劇団M.O.P.に所属した女優のキムラ緑子。
中島 かずき(なかしま かずき、1959年8月19日 - )… 中島 かずき(なかしま かずき、1959年8月19日 - )は、日本の脚本家、劇作家、小説家、編集者。劇団☆新感線の座付作家。福岡県田川市出身。1978年、福岡県立田川高等学校卒業。1982年、立教大学文学部心理学科卒業。初期のペンネームはかずき 悠大。 立教大学在学中は漫画研究会に所属した。 2010年8月20日付で退社するまでは双葉社の会社員で、脚本家・作家業はその傍らに行っていた。双葉社在籍中は『漫画アクション』『ルパン三世officialマガジン』などの編集者を務めた。漫画家の臼井儀人とは初期作品の編集を担当した縁で交流を深めるようになり、2002年には『クレヨンしんちゃん』劇場映画10作目を記念して『クレヨンしんちゃん映画大全』を企画・出版した。
わかぎ ゑふ(わかぎ えふ、1959年2月13日 - )は、… わかぎ ゑふ(わかぎ えふ、1959年2月13日 - )は、日本の女優、劇作家、演出家、エッセイスト。旧芸名、若木え芙、わかぎえふ。 大阪府出身。劇団リリパットアーミーII所属、座長を務める。玉造小劇店主宰。所属事務所はオフィスPSC。夫はリリパットアーミーII所属の俳優・演出家の朝深大介。 作家としての代表作は『大阪の神々』(2003年,ISBN 978-4-08-747608-8)及び『小説リトル・チャロ』(2009年,ISBN 978-4-14-005564-9)。 大阪で、外国航路の船長であった明治生まれの父親とその後妻である母親の間の一粒種として生まれる。兄たちは父の先妻の子で全て戦前の生まれという特異な家庭環境にあり、「自分より年上の甥、姪がいる」という複雑な立場。
古城十忍(こじょう としのぶ、1959年 - )は日本の劇作… 古城十忍(こじょう としのぶ、1959年 - )は日本の劇作家・演出家。宮崎県小林市出身。東京都在住。本名、古城俊伸。 1959年、宮崎県小林市生まれ。宮崎県立小林高等学校、熊本大学法文学部法科卒業。 熊本日日新聞政治経済部記者を経て、1986年、劇団一跡二跳を結成。 2005年文化庁新進芸術家派遣にてロンドン及びスコットランドに200日間留学。 2008年7月同劇団を解散。 2009年、劇団ワンツーワークスを結成。 社団法人日本劇団協議会専務理事。新国立劇場演劇研修所講師。日本劇作家協会理事。
上野火山(うえの かざん、1958年12月14日 - )は、… 上野火山(うえの かざん、1958年12月14日 - )は、日本の劇作家・翻訳家・演出家・俳優。「Drama Project 空中スケッチ」主宰。法政大学文学部日本文学科「比較演劇学」講師。 岩手県出身。岩手県立一関第一高等学校卒。 慶應義塾大学文学部哲学科在学中より、演劇活動を開始し、演出家・奈良橋陽子に師事。演劇集団UPS(あっぷす)の創設に参加。Method Acting(メソッド演技法)を修得し、俳優としてキャリアを積む。その後、ドラマ性の高い脚本と音楽性の高い演出で独自の世界を創造している。 父は作家・上野霄里。動物行動学者・上野吉一は実弟。
池田 政之(いけだ まさゆき、1958年11月28日 - )… 池田 政之(いけだ まさゆき、1958年11月28日 - )は、日本の脚本家、劇作家、演出家。兵庫県西脇市出身。劇団NLT文芸演出部所属。日本演劇協会会員(1995年)。日本劇作家協会会員(2011年)。日本舞踊藤間流名取。 兵庫県立西脇高等学校、京都産業大学を卒業。劇団NLT入団。1985年『物言へぬ鸚鵡の兄弟』で劇作家デビュー。 1989年(平成元年)にNLT退団、フリーとなり、主に商業演劇で活躍。東西ほとんどの大劇場から、新劇、小劇場、時代劇、現代劇、喜劇、悲劇などジャンルを一切問わない幅の広さがある。その後、2006年(平成18年)にNLT文芸演出部に復帰。 2011年(平成23年)に地元である兵庫県西脇市より西脇市文化賞、2016年(平成28年)に中村美律子『長編浪曲歌謡・無法松の恋〜松五郎と吉岡夫人』で第58回日本レコード大賞企画賞(作詞担当)、2019年(平成31年)『やっとことっちゃうんとこな』他の作・演出で第20回テアトロ演劇賞を受賞、2025年(令和7年) 演劇論文『弁慶の足 ~十三代目市川團十郎白猿はなぜ左足を上げたのか』にてシアターアーツ賞佳作受賞。
山内 ケンジ(やまうち ケンジ、1958年11月2日 - )… 山内 ケンジ(やまうち ケンジ、1958年11月2日 - )は、日本のCMディレクター、舞台演出家、劇作家、映画監督。本名は山内 健司(読み同じ)で、かつてはこの名義で活動。 1958年東京都生まれ。早稲田大学卒業。1983年、電通映画社入社。1992年フリーを経て、黒田秀樹事務所所属(2019年まで)。CMのみならず、ショートフィルムや舞台の作・演出もこなす。 演劇公演を行う際のユニット名は、城山羊の会。2008年に深浦加奈子が死去するまで、脚本・演出=山内ケンジ、主演=深浦加奈子、を定則に公演を行ってきた。 演劇に携わるようになってからは、劇団青年団に同姓同名の役者がいるため、名義を「山内ケンジ」と片仮名表記するようになった。
蟷螂 襲(とうろう しゅう、1958年10月21日 - 20… 蟷螂 襲(とうろう しゅう、1958年10月21日 - 2023年10月24日)は、日本の俳優、劇作家。PM/飛ぶ教室主宰。ライターズカンパニー田畑冨久子事務所所属。 兵庫県尼崎市出身。立命館大学文学部[リンク切れ]哲学科卒業。 1979年、犯罪友の会にて初舞台を踏む。 劇団満開座を経て、1989年より中島らも主催の笑殺軍団リリパットアーミーに所属。 1994年、PM/飛ぶ教室を旗揚げ。 2023年10月24日に脳梗塞のため死去。65歳没。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
山崎純(やまざき じゅん、1958年9月8日 - )は、東京… 山崎純(やまざき じゅん、1958年9月8日 - )は、東京都出身の放送作家、劇作家、実業家。株式会社ブルーマウンテン代表取締役社長。日本放送作家協会理事、日本脚本家連盟会員。埼玉県立所沢高校卒業(バレーボール部所属)。 1982年、「闇夜のエトランゼ」にて文化庁舞台芸術創作奨励特別賞を受賞(「日高瞬」名義)。 東放学園講師(企画に関する授業)、多摩美術大学特別講師、エファップ・ジャポン講師、カルチャースクール 東急セミナーBE講師。 「山ちゃんの調べてミソヅケ」(鎌倉書房)
鴻上 尚史(こうかみ しょうじ、1958年8月2日 - )は… 鴻上 尚史(こうかみ しょうじ、1958年8月2日 - )は、日本の劇作家・演出家である。元・日本劇作家協会会長(代表理事)、日本劇団協議会・日本演出者協会理事。桐朋学園芸術短期大学演劇専攻名誉教授。株式会社サードステージ代表取締役。執筆・インタビュー・講演は株式会社サードステージがマネジメント。その他、株式会社ホリプロのマネジメントにより、 テレビ・ラジオなどへも出演している。 愛媛県新居浜市生まれ。 両親はともに小学校の教師で、日教組の組合員だった。当時の日教組は政府・文部省と激しく対立しており、教育委員会に組合員切り崩しの見せしめで、四国山脈の奥地にある小学校に飛ばされた。その間の数年間は米穀店を営んでいた祖父母に育てられた。
高泉 淳子(たかいずみ あつこ、1958年7月26日 - )… 高泉 淳子(たかいずみ あつこ、1958年7月26日 - )は、日本の女優、劇作家、演出家。宮城県古川市(現在の大崎市古川)出身。 早稲田大学社会科学部卒業後の1983年、白井晃とともに遊◎機械/全自動シアターを結成。おもに「家族」をテーマにした戯曲を数多く発表する。同劇団の看板役者として子供から老人まで様々な役柄を演じ分ける。舞台『僕の時間の深呼吸』から登場した、チリチリ頭に黒ブチ眼鏡の小学生「山田のぼる」が当たり役となり、外見から「日本一ランドセルが似合う女優」とも評された。山田のぼるを主人公とした戯曲を数本作るとともに、1993年10月から1994年9月にかけては、そのキャラクターのままフジテレビの子供番組『ポンキッキーズ』にMCとしても出演した。
川下 大洋(かわした たいよう、1958年7月3日 - )は… 川下 大洋(かわした たいよう、1958年7月3日 - )は、俳優、ナレーター、劇作家、演出家。演劇集団「Piper」および「大田王」のメンバー。2023年からフリーランス。(旧所属事務所は吉本興業/Showtitle) 別名ドナインシタイン博士。旧芸名ははりけーん・ばんび。愛称は「ハカセ (Doc)」、「大洋さん」。 長崎県長崎市出身。ラ・サール中学校・高等学校を経て、1983年に京都大学理学部を卒業。1978年から劇団そとばこまちに所属し、はりけーん・ばんびの名前で辰巳琢郎(当時 つみつくろう)・上海太郎・生瀬勝久(当時 槍魔栗三助)・山西惇らと共に活動、50数本の公演に出演した。 1988年に退団後、芸名を本名の「川下大洋」に改め、芝居バンドでのライブ活動や劇団MOTHER、笑殺軍団リリパットアーミー、劇団M.O.Pなどの劇団への客演を経て1997年には劇作家・演出家の後藤ひろひとと「Piper」を結成、翌98年より吉本興業所属となる。
唐沢 俊一(からさわ しゅんいち、1958年5月22日 - … 唐沢 俊一(からさわ しゅんいち、1958年5月22日 - 2024年9月24日)は、日本のカルト物件評論家、コラムニスト、ラジオパーソナリティ、劇作家、演出家。元朝日新聞書評委員。 サブカルチャー、カルトとされる文化や物件について幅広い関心を持つ。書籍・映像・音楽・雑貨など昭和期における事物を今日的視点からB級文化として紹介することをライフワークとしていた。また、オタク文化の評論家として、各種メディアでのコメンテーターや、日本オタク大賞といったイベントの審査員を務めた。 北海道札幌市東区出身。本人の主張するところによれば、札幌光星高等学校、青山学院大学文学部教育学科卒業。東北薬科大学薬学部中退。
羽生 まゆみ(はにゅう まゆみ、女性、1958年2月9日 -… 羽生 まゆみ(はにゅう まゆみ、女性、1958年2月9日 - )は日本の劇作家、演出家、小説家。 劇団「羽生一家玉組」主宰。劇団PinkNoise演出家。 大分県出身。大阪芸術大学時代に学生演劇サークル劇団群に在籍し役者としての活動を始める。のち、京都小劇場、劇団赤らべる社を経て上京。十月劇場入団。 1995年『Take a life』で初の脚本・演出を手がける。同作品をきっかけにプロデュース公演の演出が続き、1997年『がぶり寄る恋』に出演した役者たちによって、羽生一家玉組が結成される。以来、「羽生一家玉組」全公演の脚本・演出を手がける。 2017年、劇団PinkNoiseの演出家となる。
秋山 シュン太郎(あきやま しゅんたろう、1957年8月29… 秋山 シュン太郎(あきやま しゅんたろう、1957年8月29日 - )は、日本の劇作家・演出家。元『一心寺シアター倶楽』プロデューサー。元『なにわ人形芝居フェスティバル』『中高年ミュージカル劇団 発起塾』代表。『劇団★虚航船団パラメトリックオーケストラ』座付作家。 大学在学中の1981年「人力ヒコーキのバラード」でキャビン'85戯曲賞佳作受賞。シュン太郎劇団を旗揚げ、同作品の作・演出、オレンジルーム(現:HEPHALL)での上演でデビュー。ストレート芝居を得意とするも、ミステリー、ミュージカル台本、TV,ラジオドラマなどの台本も手がける。 第一回オレンジ演劇祭で、辰巳琢郎、いのうえひでのり(劇団新感線)、渡辺いっけい、筧利夫などと演劇祭を開催。
鄭 義信(チョン・ウィシン/てい よしのぶ、정의신、1957… 鄭 義信(チョン・ウィシン/てい よしのぶ、정의신、1957年7月11日 - )は、劇作家、脚本家、演出家。兵庫県姫路市出身。韓国籍。 戦後、不法居住者が多く集まっていた姫路城の敷地内で生まれる。鄭の一家は現地で石垣を壊し、庭にするなどしていたという。姫路市立飾磨高等学校を経て同志社大学文学部中退後、横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)美術科卒業。松竹で美術助手を務めた後、1987年劇団「新宿梁山泊」を旗揚げ、座付き作家となる。1994年、『ザ・寺山』で岸田國士戯曲賞受賞。1995年新宿梁山泊退団。邦画の脚本を担当するようになる。俳優として活動することもある。 2007年、新宿梁山泊が『それからの夏』を上演しようとし、鄭は自身の著作権を主張してこれを差し止めたが、金守珍を代表とする新宿梁山泊は、この戯曲が劇団の共同制作であることを主張し、自主上演権を求めて提訴した。
小松 杏里(こまつ あんり、男性、1957年2月4日 - )… 小松 杏里(こまつ あんり、男性、1957年2月4日 - )とは、東京都渋谷区出身の劇作家・演出家・編集者である。演劇プロジェクト月光舎の主宰であり、ドワンゴクリエイティブスクール講師。現在は福岡県久留米市在住。
宮沢 章夫(みやざわ あきお、1956年12月9日 - 20… 宮沢 章夫(みやざわ あきお、1956年12月9日 - 2022年9月12日)は、日本の劇作家、演出家、作家。遊園地再生事業団主宰。早稲田大学文学学術院教授。 1956年、静岡県掛川市生まれ。多摩美術大学美術学部建築科中退。大学在学中、映像演出研究会で8ミリ映画の制作をする。大学を中退し、それからしばらく定職に就かなかったものの、24歳になってから執筆活動を開始した。吉田照美のてるてるワイドの構成作家を経て、1985年、大竹まこと、きたろう、斉木しげる、いとうせいこう、竹中直人、中村ゆうじらとパフォーマンスユニット「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」を結成して活動した。1988年、放送関連の仕事などそれまでしていた仕事をすべて辞め、マダガスカルに数ヶ月滞在した。
長谷川 孝治(はせがわ こうじ、1956年10月23日 - … 長谷川 孝治(はせがわ こうじ、1956年10月23日 - 2023年1月21日)は、日本の劇作家・演出家。「弘前劇場」主宰。青森県立美術館舞台芸術総監督。 青森県浪岡町(現青森市)生まれ。1978年、立正大学文学部哲学科に入学、福士賢治(俳優)、野村眞仁(舞台監督)らと劇団「弘前劇場」を旗揚げ。当初は弘前市を本拠地とし、現在は青森市。 1995年「職員室の午後」で第1回日本劇作家協会最優秀新人戯曲賞受賞。2001年、『FRAGMENT VII「アザミ」』で第46回岸田國士戯曲賞にノミネートされる。 2012年、大林宣彦監督『この空の花 長岡花火物語』の脚本を執筆、2015年長谷川の「なななのか」を原作とした『野のなななのか』が制作された。