山路 ふみ子(やまじ ふみこ、1912年〈明治45年〉3月1… 山路 ふみ子(やまじ ふみこ、1912年〈明治45年〉3月13日 - 2004年〈平成16年〉12月6日)は、日本の女優・実業家・社会事業家・慈善家。兵庫県神戸市長田区出身。本名・大久保 ふみ子(おおくぼ ふみこ)。映画人の育成、功績のあった人の賞賛、教育・文化・福祉事業への支援活動に、私財を投げ打った。 1912年、兵庫県神戸市に生まれる。1930年、森高等女学校(現・神戸学院大学附属高等学校)在学中に神戸新聞社主催のミス神戸に選出され、同年、大阪松竹楽劇部(現・OSK日本歌劇団)を経て、帝国キネマ演芸株式会社に新人幹部候補生として入社し、『時代の反抗児』で映画デビューを飾る。たちまち看板スターとして脚光を浴び、雑誌や広告にもモデルとして登場するが、演技への評価はあまり高くなかった。
本間 文子(ほんま のりこ、1911年11月29日 - 没年… 本間 文子(ほんま のりこ、1911年11月29日 - 没年不詳)は、日本の女優。本名は武田 サダ(たけだ - )。旧芸名は本間 敦子など。息子は、元俳優の園田哲也。
及川 道子(おいかわ みちこ、1911年10月25日 - 1… 及川 道子(おいかわ みちこ、1911年10月25日 - 1938年9月30日)は、日本の女優。 1920年代後半〜1930年代前半の日本映画で、清楚で近代的なキャラクターを数多く演じ、「永遠の乙女」と呼ばれた。 1911年10月20日、東京府豊多摩郡渋谷町(現・東京都渋谷区)に生まれる。父・鼎寿は、社会主義運動家の経歴を持ち、後に出版社の春秋社に勤務した。両親ともにクリスチャンであり、その影響で道子も敬虔なキリスト教信者となる。1924年に小学校を卒業し、当時存在した東京音楽学校一橋分教場声楽科に入学。同年秋、小山内薫の紹介で、築地小劇場に加わる。 同年12月の第18回公演『そら豆の煮えるまで』で主役の少年に抜擢され初舞台。
北林 谷榮(きたばやし たにえ、1911年5月21日 - 2… 北林 谷榮(きたばやし たにえ、1911年5月21日 - 2010年4月27日)は、日本の女優・声優。 本名・安藤 令子/蓮以子(あんどう れいこ)[4][5]。長男は画家の河原朝生。
水原 玲子(みずはら れいこ、1911年3月10日 - 19… 水原 玲子(みずはら れいこ、1911年3月10日 - 1935年10月12日)は、日本の女優である。本名、吉野 美智子(よしの みちこ)。 1911年(明治44年)3月10日、広島県広島市下柳町(現在の同市中区銀山町)に生まれる。 旧制・広島県立広島第一高等女学校(現在の広島県立広島皆実高等学校)に進学するが、同校を中途退学して大阪に移り、道頓堀の「カフェー赤玉」の女給に入り、人気を得る。梅田新道の「パリジャン」に移籍するが、1930年(昭和5年)9月、帝国キネマ演芸が広津和郎の小説『女給』を映画化すべくヒロインを探していたところ、白羽の矢が当たり、同社太秦撮影所現代劇部に入社する。主役の『女給』と脇役の『春遠からず』(いずれも監督曾根純三)が同時進行で撮影され、前者が翌1931年(昭和6年)1月10日、後者が同年1月5日に公開されて前者が大ヒットとなり、満19歳のデビュー作にして「女給出身のスター」と話題になった。
千葉 早智子(ちば さちこ、1911年2月16日 - 199… 千葉 早智子(ちば さちこ、1911年2月16日 - 1993年10月22日)は、日本の元女優。PCL(後の東宝)の主演女優第1号。映画監督の成瀬巳喜男は元夫。広島県芦品郡新市町(現在の同県福山市)出身。本名:千葉 鶴子。 広島市立高等女学校(現・広島市立舟入高等学校)卒業。明眸、豊麗なマル顔全体が大輪咲きの花となって微笑みかけて来るような絢爛たる美貌と、育ちのいいお嬢さん然として品位に加え、幼児から邦楽、洋楽どちらにも親しんだ音楽的素養も深く、殊に箏は宮城道雄について本格的に学び、尺八の吉田晴風と組んでアメリカに演奏旅行(1931年~1932年)をしたこともあるという多彩な経歴の持ち主。 1933年、新映画社の『叫ぶアジア』で純情可憐な中国娘役で映画デビュー。
入江 たか子(いりえ たかこ、本名・東坊城 英子(ひがしぼう… 入江 たか子(いりえ たかこ、本名・東坊城 英子(ひがしぼうじょう ひでこ)、1911年(明治44年)2月7日 - 1995年(平成7年)1月12日)は、昭和期の日本の映画女優。 東京市四谷区四谷箪笥町(現・新宿区四谷三栄町)に生まれる。公卿華族・東坊城家(菅原氏)の出身で父の東坊城徳長は子爵、貴族院議員。生母は北村キミ。1922年(大正11年)、父が亡くなり、翌1923年(大正12年)の関東大震災で千駄ヶ谷の東坊城家の住居が半壊し生活に困窮するも、文化学院中学部に入学し油絵を習う。次姉の敏子(1899~1991)が権掌侍「白百合の局」として貞明皇后の女官を長く務めた縁で、宮城の御局から文化学院まで徒歩通学する。
大久保 清子(おおくぼ きよこ、1911年1月30日 - 2… 大久保 清子(おおくぼ きよこ、1911年1月30日 - 2006年8月4日)は、日本の女優である。出生名笹井 朝子(ささい あさこ)、結婚後の本名は伊藤 朝子(いとう あさこ)。女優引退後は、伊藤大輔夫人として知られる。 1911年(明治44年)1月30日、京都府京都市上京区三条通千本(現在の同府同市中京区三条通千本)に生まれる。父は笹井幸二郎、伯父は千本組当主の笹井三左衛門、従兄に笹井末三郎がいる。旧制小学校(現在の京都市立朱雀第一小学校)、同市東山区の華頂高等女学校(現在の華頂女子高等学校)を卒業した。『芸能人物事典 明治大正昭和』等には「精華高等女学校」を卒業した旨の記述があるが、同校は現在の精華高等学校であり、当時は大阪市住吉区(現在の阿倍野区)晴明通に実在した学校であるが、誤りである。
三益 愛子(みます あいこ、1910年(明治43年)11月2… 三益 愛子(みます あいこ、1910年(明治43年)11月2日 - 1982年(昭和57年)1月18日)は、日本の女優。戦後、母物映画で一世を風靡し、「母物映画女優」と呼ばれた。 本名:川口 愛子(かわぐち あいこ)、旧姓:乾(いぬい)。大阪府大阪市南区南炭屋町(現・中央区)の生まれ。夫は直木賞作家の川口松太郎。川口との間には三男一女があり、俳優の川口浩は長男にあたる。宝塚歌劇団24期生の紀川瑠璃子は実妹にあたる。 1927年(昭和2年)に大阪府立阿倍野高等女学校を中退し、大阪の劇団『新潮劇』に加入。水町晴子の芸名で初舞台を踏んだ。曾我廼家五九郎一座などへの出演を経て1929年(昭和4年)に上京。
花岡 菊子(はなおか きくこ、1910年9月11日 - 19… 花岡 菊子(はなおか きくこ、1910年9月11日 - 1984年6月12日)は、日本の女優である。出生名は瀧川 幾代(たきがわ いくよ)、結婚後本名は松崎 幾代(まつざき いくよ)。1920年代末の松竹蒲田撮影所の喜劇女優として知られ、戦後は新東宝に所属、脇役俳優として映画に多く出演した。 1910年(明治43年)9月11日、静岡県静岡市寺町(現在の同県同市葵区駿河町)に生まれる。『一九三三年版 オール松竹俳優名鑑』(蒲田雑誌社)には「1911年9月1日出生」との旨の記述がみられる。 旧制小学校卒業後、旧制・静岡精華高等女学校(現在の静岡大成高等学校)に進学、1928年(昭和3年)3月、同校を卒業する。
木下 双葉(きのした ふたば、1910年8月9日 - 193… 木下 双葉(きのした ふたば、1910年8月9日 - 1938年8月30日)は、日本の女優である。本名は光田 貞子(みつだ さだこ)で、初期は本名で活動していた。 1910年(明治43年)8月9日、東京府東京市本所区押上町(現在の東京都墨田区押上)に「光田貞子」として生まれる。 1926年(大正15年)、名古屋のキリスト教主義学校である旧制・金城女学校(現在の金城学院高等学校)を卒業し、東京に戻って、松竹蒲田撮影所に入社する。当時は本名を名乗っていた。1929年(昭和4年)、京都に移り、東亜キネマ京都撮影所に移籍した。1931年(昭和6年)9月、東亜キネマが経営不振に陥り、福西譲治監督の『霧の中の白蓮』を最後に、同社の業務を代行する会社として設立された東活映画社(東活)に移籍する。
志賀 暁子(しが あきこ、1910年(明治43年)6月17日… 志賀 暁子(しが あきこ、1910年(明治43年)6月17日 - 1990年(平成2年)9月17日)は、日本の女優である。絶頂期に堕胎事件で有罪になったことで知られる。 京都府生まれ。父は高級官僚、母は牧師であり第8代同志社総長の海老名弾正の縁戚にあたる。1924年、父親の台湾総督府への赴任にともない、台北の高等女学校へ進学。ピアニスト志望の文学少女であったという。実母とは女学校2年の時に死別。長崎の活水女学校へ転校、クリスチャンになる。まもなく父は再婚した。女学校卒業後、一家で世田谷区へ転居。音楽学校への進学を希望していたが、父は反対。これには家産が傾いていた事も影響していた。 音楽学校の学費を自ら捻出すべく、家出して日本橋のユニオン・ダンスホールでダンサーとなったが、ダンスホールに来た客で、のちに彼女の愛人になった人気俳優の中野英治の推薦で1929年帝国キネマと19歳の時に映画出演契約。
黒木 しのぶ(くろき しのぶ、1910年5月15日-1964… 黒木 しのぶ(くろき しのぶ、1910年5月15日-1964年1月15日)は、日本の女優。本名︰石崎 錦。北海道樺戸郡月形町出身。 札幌市立高等女学校(現北海道札幌東高等学校)卒業。北海タイムス(現・北海道新聞社)編集部勤務ののち上京し、銀座でホステスとして働く。1932年、スカウトされて日活太秦撮影所現代劇部に入社、同年『さらば東京』でデビュー。その後、『一九三二年の母』『霧の夜の客間』『モダン・マダム行状記』などに助演。『さらば東京』で共演した佐分利信と結婚し1934年に引退。1964年、肝臓癌で死去した。墓所は小平霊園。 『日本映画人名事典 女優編』キネマ旬報社
橘 喜久子(たちばな きくこ、1909年10月2日 - 19… 橘 喜久子(たちばな きくこ、1909年10月2日 - 1968年12月5日)は、日本の女優。女優の大山デブ子は妹。 本名、石川政子。大阪市東区出身。1924年、松竹下加茂撮影所へ入社。「繞る秘密」(ヘンリー小谷監督)でデビュー。1925年、蒲田に移り、「孔雀の光」全6編でヒロインを演じたが、病気退社。1927年ヤマト映画製作所、1928年河合映画に入社する。葉山純之輔、雲井竜之介らの相手役で現・時代劇に出演し、1933年大都映画に改称後も多くの作品に助演。1942年合併で大映東京撮影所に所属し、1967年「早射ち犬」を最後に引退した。1968年12月5日、59歳で死去した。
出雲 八重子(いずも やえこ、1909年9月8日 - 没年不… 出雲 八重子(いずも やえこ、1909年9月8日 - 没年不詳)は、日本の女優である。本名は泉 ヤエ(いずみ やえ)。別名に出雲 八枝子、出雲 八恵子がある。 1909年(明治42年)9月8日、青森県八戸町(現八戸市)に生まれる(原籍地は鹿児島県鹿児島市新照院町九八)。実科高等女学校卒業後、エリアナ・パヴロワのもとでダンスを習う。 1930年(昭和5年)5月、松竹蒲田撮影所に入社、五所平之助監督の『微笑む人生』で映画デビューする。1932年(昭和7年)に斎藤寅次郎監督の『女は寝て待て』で主演の小倉繁の相手役に抜擢され、以来、剽軽で愛敬のある顔が買われて、斎藤監督の短編喜劇映画に重用された。『腰の抜けた女』では主役を務め、キネマ旬報ベストテンに第7位でランキングされた『この子捨てざれば』では女房役を好演、短編喜劇の三枚目女優として活躍した。
原 ひさ子(はら ひさこ、1909年(明治42年)8月6日 … 原 ひさ子(はら ひさこ、1909年(明治42年)8月6日 - 2005年(平成17年)12月4日)は、日本の女優。本名は石島 久(いしじま ひさ)。旧芸名に原緋紗子、原緋沙子。 1909年(明治42年)、静岡県静岡市に四人兄妹の末っ子として生まれた。父は銀行員だったが、6歳の時に亡くなっている。 不二高等女学校(現:静岡雙葉高等学校)を卒業すると同時に上京し、伯父夫婦の養子となった。伯父は会社のエンジニアだったが、東京大学の近くで下宿と喫茶店も経営していた。この当時原は家業を手伝ったり、長唄や生け花を習うなど花嫁修業をしていた。 1933年(昭和8年)、新聞の広告で見た前進座の座員募集に応募した。
峰 吟子(みね ぎんこ、1909年7月21日 - 1993年… 峰 吟子(みね ぎんこ、1909年7月21日 - 1993年1月27日)は、日本の女優である。本名︰馬場 夏世(旧名︰馬場 奈都)。愛称︰ミネギン。 1909年(明治42年)7月21日、岐阜県本巣郡北方町に生まれる。本巣高等女学校卒業後、ダンサーになり神戸のダンスホールで働く。そこでホールの客だったパラマウント映画大阪支社の社長である日系二世のロイ・田中(日本名:田中亮平)と出会い、結婚する。1930年(昭和5年)、田中の知人である日活所属の映画監督村田実に薦められ日活太秦撮影所に入社。東坊城恭長監督『見果てぬ夢』で映画初出演する。この後『銀座セレナーデ』、『この太陽』に続けて出演しヴァンプ女優として売り出される。
田中 路子(たなか みちこ、1909年7月15日 - 198… 田中 路子(たなか みちこ、1909年7月15日 - 1988年5月18日)は、日本の女優、声楽家。生涯の半生以上を欧州で過ごした。「MICHI」の愛称でドイツ語圏で有名だった。 1909年に、東京府神田区(神田鈴木町17)で日本画家・田中頼璋の一人娘として生まれる。17代目中村勘三郎とは根岸小学校の時に同窓だったことがある。小学校卒業後文化学院に入学したが、雙葉高等女学校(現雙葉中学校・高等学校)に転校。関東大震災後に母方の実家がある広島市へ移り、広島英和女学校(現広島女学院中学校・高等学校)に転学した。当時の音楽教師は杉村春子だった。広陵中学(現・広陵高校)のエース銭村辰巳に初恋をした。4年後帰京し、東京音楽学校(現・東京芸術大学)へ入学。
仲 みどり(なか みどり、1909年〈明治42年〉6月19日… 仲 みどり(なか みどり、1909年〈明治42年〉6月19日 - 1945年〈昭和20年〉8月24日)は、昭和時代の新劇女優。太平洋戦争中、移動演劇桜隊に所属し公演先の広島県広島市で原爆投下の被害を受けた。医学的に認定された原爆という核兵器による攻撃の被害を受けた人類史上初の原爆症認定患者としても知られる。 東京府東京市日本橋区区本町(現・東京都中央区日本橋本町)の塗料問屋で近衛騎兵中尉・仲万次郎の三女として生まれる。 仏英和高女(現・白百合学園中学校・高等学校)に進学するが中退。大阪のウヰルミナ女学校(現・大阪女学院中学校・高等学校)を卒業後、浅草の剣劇団「明石潮一座」を経て1931年(昭和6年)、築地小劇場内に設立されたプロット(プロレタリア演劇同盟)研究所に入所。
沢村 貞子(さわむら さだこ、旧字体:澤村、1908年11月… 沢村 貞子(さわむら さだこ、旧字体:澤村、1908年11月11日 - 1996年8月16日)は、日本の女優、随筆家。本名は大橋 貞子(おおはし ていこ)。
川島 奈美子(かわしま なみこ、1908年10月22日 - … 川島 奈美子(かわしま なみこ、1908年10月22日 - 没年不詳)は、日本の女優である。川島 なみ子(かわしま なみこ)とも。本名高野 千代(たかの ちよ)。 1908年(明治41年)10月22日、東京市神田区(現在の東京都千代田区神田)に生まれる。 神田錦町の正則英語学校中等科(現在の正則学園高等学校)を4年次で修了し、1925年(大正14年)、東亜キネマ甲陽撮影所に入社する。満18歳となる1926年(大正15年)、西本武二監督の『漁村の唄』で映画界にデビュー、同作で注目される。1927年(昭和2年)、同社が甲陽撮影所を閉鎖、等持院の「東亜キネマ京都撮影所」に製作拠点の一元化にともない、京都に異動する。
竹内 京子(たけうち きょうこ、1908年7月22日 - 1… 竹内 京子(たけうち きょうこ、1908年7月22日 - 1995年11月13日)は日本の女優。本名・外松百合子。旧芸名・白瀬喬子。父親は男爵の外松亀太郎、実兄は俳優の竹内良一、義姉は女優の岡田嘉子。劇団新派所属。 東京出身。男爵外松亀太郎(外松孫太郎長男)と日本女子大教師大山たま子(混血の声楽教師)の娘として生まれ、1925年に女子学習院卒業。岡田嘉子一座(1927年結成)に弟子入りし、1928年の東京劇場『フィガロの結婚』にて初舞台を踏む。1952年には劇団新派へ入団し、脇役として活躍する。1987年第12回菊田一夫演劇賞特別賞、芸団協芸能功労者表彰をそれぞれ受賞。 1990年の舞台『大つごもり』を最後に芸能活動から遠ざかっていたが、1995年11月13日、老衰のため東京都内の病院で死去。
戸田 春子(とだ はるこ、1908年5月28日 - 没年不詳… 戸田 春子(とだ はるこ、1908年5月28日 - 没年不詳)は、日本の女優。本名同じ。 茨城県出身。出生は栃木県。 旧制佐藤高等女学校(現在の女子美術大学付属高等学校・中学校)卒業。 1927年に日本映画俳優学校卒業。同年2月、日活大将軍撮影所に入社。現代劇部に所属し、軽喜劇などで三枚目を務めたほか、母親役で出演した。興亜映画を経て、1942年、松竹太秦撮影所所属。1945年、東宝入社。1948年にフリーランスとなり、三元プロ、三木事務所を経て、1968年、天地プロ所属。その後、たつみプロに所属していた。 戦後は山本薩夫監督や今井正監督らの独立プロ映画や東映映画を中心に出演し、脇役、老け役で活躍した。
佐久間 妙子(さくま たえこ、1908年3月11日 - 不明… 佐久間 妙子(さくま たえこ、1908年3月11日 - 不明)は、日本の女優。本名、西島 静子。 映画監督の勝見正義は義兄(姉の夫)。夫は俳優の竹内良一。
河原崎 しづ江(かわらざき しづえ、1908年1月25日 -… 河原崎 しづ江(かわらざき しづえ、1908年1月25日 - 2002年1月1日)は、日本の女優。旧姓は山岸。初期の芸名は山岸 静江(後に山岸 しづ江)など。しづ江をしず江と表記することもある。 東京市日本橋区(現在の東京都中央区)生まれ。石川県出身。1923年、帝国劇場附属技芸学校(帝国女優養成所)の7期生として卒業。同期に飯島綾子らがいる。子爵家の長男大河内信威と結婚し、男児・信具を儲ける。1931年、前進座の創設に参加し、山岸しづ江の芸名で舞台に立った他、1933年以降は前進座がユニット出演した映画に出演した。1932年に夫の信威が共産党事件で逮捕される。 信威とは離婚し、1936年、前進座座員の河原崎長十郎と結婚。
初音 礼子(はつね れいこ、本名:小南艶子、旧姓:武藤、19… 初音 礼子(はつね れいこ、本名:小南艶子、旧姓:武藤、1908年1月7日 - 1987年4月15日)は、日本の元宝塚歌劇団雪組主演男役クラス・雪組組長の女優。兵庫県神戸市出身。旧芸名=初音麗子。愛称はキューピーさん、ムーヤン。
長岡 輝子(ながおか てるこ、1908年〈明治41年〉1月5… 長岡 輝子(ながおか てるこ、1908年〈明治41年〉1月5日 - 2010年〈平成22年〉10月18日)は、日本の女優・演出家。2度目の結婚以後の本名は、篠原 輝子(しのはら てるこ)。岩手県盛岡市出身。 英文学者長岡擴(ながおか ひろむ)の三女として生まれる。東洋英和女学院卒業。 文化学院文学科中退後、聖心語学校(現・聖心インターナショナルスクール)に移る。1928年(昭和3年)に渡仏留学し、パリで2年間演劇修業、1930年(昭和5年)に帰国。アトリエ座研究所で学んだ後、後に最初の夫となった金杉惇郎と劇団テアトル・コメディを設立。劇団には当時旧制成城高校生の有島行光(森雅之)も参加した。翌年、金杉と結婚し一子(後にNHKのプロデューサーとなる沼野芳脩〈1934年 - 1997年〉)をもうけた。
浪花 千栄子(なにわ ちえこ、本名:南口 キクノ(なんこう … 浪花 千栄子(なにわ ちえこ、本名:南口 キクノ(なんこう きくの)、1907年〈明治40年〉11月19日 - 1973年〈昭和48年〉12月22日)は、日本の女優。昭和初期から中期(1920年代後半 - 1970年代前半)に活動した。 大阪府南河内郡大伴村大字板持(現在:富田林市東板持町)に、養鶏業を営む家に生まれる。8歳の時に道頓堀の仕出し弁当屋に女中奉公に出される。その後、京都で女給として働いていたが、18歳のとき、知人の紹介で村田栄子一座に入る。間もなく舞台にも立つようになるが、不入りが続き、東亜キネマ等持院撮影所に移る。香住 千栄子の芸名で端役出演を続け、1926年(大正15年)に山上伊太郎の初シナリオによる大作『帰って来た英雄』の準主役に大抜擢され、それ以来順調に役をこなしていく。
生野 初子(いくの はつこ、1907年〈明治40年〉4月27… 生野 初子(いくの はつこ、1907年〈明治40年〉4月27日 - 1967年〈昭和42年〉)は、日本の女優である。本名は出生名が生野 静子(いくの しずこ)、俳優の高木新平と結婚して高木 静子(たかぎ しずこ)となった。 1907年4月27日、福岡県浮羽郡吉井町(現在の同県うきは市吉井町)に「生野静子」として生まれる。 満12歳になる1919年(大正8年)に女歌舞伎の一座に入団し、熊本市内にあった旭座で初舞台を踏む。1924年(大正13年)1月、京都のマキノ映画製作所等持院撮影所に入社、阪東妻三郎主演、寿々喜多呂九平脚本、後藤秋声監督のサイレント映画『山猫の眼』に阪東の相手役として出演し、「生野初子」の名で映画界にデビューした。
河上 君榮(かわかみ きみえ、1907年1月30日 - 没年… 河上 君榮(かわかみ きみえ、1907年1月30日 - 没年不詳)は、日本の女優である。新漢字表記河上 君栄。本名川上 高江(かわかみ たかえ)、旧芸名光村 貴美子(みつむら きみこ、光村 きみ子とも)、河上 君江、河上 君枝と表記されることもある。 1907年(明治40年)1月30日、愛媛県松山市に生まれる。 同市内にある旧制・松山市裁縫女学校を卒業するとともに京都に移り、満17歳となった1924年(大正13年)7月、日活大将軍撮影所に置かれた関根達発の研究所の研究生として入社する。「光村 貴美子」の名で脇役出演を始め、満18歳になった1925年(大正14年)11月12日に公開された『愛国の血刃』(監督高橋寿康)に出演して、認められるようになり、1926年(大正15年)4月1日に公開された『実録忠臣蔵 天の巻 地の巻 人の巻』(監督池田富保)では大野群右衛門の妻に抜擢されたが、端役が続き、同年9月には同社を退社、同年10月1日、関根達発の紹介により牧野省三のマキノ・プロダクションに移籍、「河上 君榮」と改名し、関根主演の『勝てば官軍』(監督富沢進郎)で相手役に抜擢されて再デビューを果たした。
マキノ 智子(マキノ ともこ、1907年〈明治40年〉1月2… マキノ 智子(マキノ ともこ、1907年〈明治40年〉1月29日 - 1984年〈昭和59年〉10月20日)は、日本の女優である。「日本映画の父」といわれた牧野省三の四女。父の映画の子役からスタートし、大スターとなった。本名は加藤 恵美子(かとう えみこ、旧姓:牧野)。芸名はほかにも、マキノ輝子(マキノ てるこ)、牧野智子、藤野智子(ふじの ともこ)、牧野輝子、マキノ恵美子(マキノ えみこ)、マキノ笑子(マキノ えみこ)などがある。 京都市に生まれる。1歳年下の弟に映画監督のマキノ雅弘、2歳年下の弟に映画プロデューサーのマキノ光雄がいる。家政高等女学校(後の家政学園高等学校。現・京都文教中学校・高等学校)卒業後に、父が経営するマキノ映画製作所に入社する。
飯島 綾子(いいじま あやこ、1907年 - 1954年9月… 飯島 綾子(いいじま あやこ、1907年 - 1954年9月25日)は、日本の舞台女優、日本舞踊家、歌手、声優。主に戦前の昭和初期に活躍した。本名は飯田 日出子(いいだ ひでこ)。舞踊家としては藤間 勘秀(ふじま かんひで)を名乗る。元夫は俳優の三島雅夫。 東京府東京市赤坂区(現・東京都港区赤坂)出身。幼少時に父親を亡くし、仕立物で生計を立てる母親のもとで育つ。 1921年(大正10年)に帝国劇場付属技芸学校(旧・帝国女優養成所。女優川上貞奴の創立した養成所)の7期生として入学し、1923年(大正12年)に卒業。同期に女優の河原崎しづ江(山岸静江→山岸しづ江)・舞踊家の吾妻徳穂(藤間春江)らがいる。
徳川 良子(とくがわ よしこ、1906年(明治39年)8月1… 徳川 良子(とくがわ よしこ、1906年(明治39年)8月1日 - 没年不明)は、日本の女優。日活向島・帝国キネマ・新興キネマにそれぞれ所属した。 愛知県名古屋市出身。椙山高等女学校卒業後、1923年(大正12年)に日活向島からデビュー。1930年(昭和5年)に帝国キネマに移籍、新興キネマをへて1935年(昭和10年)まで活躍した。 その後は満洲に渡ったとされるが、詳細は不明。
稲垣 きくの(いながき きくの、1906年7月26日 - 1… 稲垣 きくの(いながき きくの、1906年7月26日 - 1987年10月30日)は、日本の俳人、茶道教授であり、元女優である。女優時代の芸名は若葉 信子(わかば のぶこ)、旧芸名露原 桔梗(つゆはら ききょう)、出生名は野口 キクノ(のぐち きくの)、俳優の宮島啓夫との婚姻時には、本名を宮島 公子(みやじま きみこ)とした。 1906年(明治39年)7月26日、神奈川県愛甲郡厚木町(現在の同県厚木市)に生まれる。生年月日および生地については、『現代俳句大系 第12巻 昭和34年-昭和43年』(角川書店)、『日本人名大辞典』(講談社)、『CD - 人物レファレンス事典 日本編』(日外アソシエーツ)等、俳人「稲垣きくの」を紹介する記事においては上記あるいはそれに準じた記述があるが、女優「若葉信子」を紹介する『日本映画俳優全集・女優編』(キネマ旬報社)、『芸能人物事典 明治大正昭和』(日外アソシエーツ)では、「1908年(明治41年)7月23日」に「福井県福井市」で生まれたとする記述がある。
佐々木 清野(ささき きよの、1906年〈明治39年〉5月2… 佐々木 清野(ささき きよの、1906年〈明治39年〉5月27日 - 没年不明)は、大正・昭和戦前期の日本の映画女優。群馬県藤岡市出身。 声優の野沢雅子は姪。女優引退後、佐々木は子役時代の野沢のマネージャーをしていたとされる。 1906年(明治39年)群馬県多野郡藤岡町(現・藤岡市)に生まれる。1924年(大正13年)、日本女子大学附属女学校を卒業し、同年松竹蒲田撮影所へ入社。1927年(昭和2年)、準幹部に昇格するが、翌1928年(昭和3年)に松竹蒲田撮影所を退社する。 1931年(昭和6年)、キヨノ教育映画社を設立し、教育・宣伝映画などの製作に取り組む。 1939年(昭和14年)、新興キネマに入社し、数本の映画に助演したのち引退。
杉村 春子(すぎむら はるこ、1906年〈明治39年〉1月6… 杉村 春子(すぎむら はるこ、1906年〈明治39年〉1月6日 - 1997年〈平成9年〉4月4日)は、広島県広島市出身の新劇の女優。本名:石山 春子。旧姓:中野。 築地小劇場より始まり文学座に至る日本の演劇界の屋台骨を支え続け、演劇史・文化史に大きな足跡を残した、日本を代表する女優。称号は東京都名誉都民。 1906年、当時の軍都、広島県広島市西地方町(現在の広島市中区土橋町、河原町付近)生まれ。芸者の母、軍人だったとされる父が春子の幼時に死んだため、花柳界の中にある建築資材商と置屋経営者の養女となる。養父は近所の寿座という西日本一の芝居小屋の株主だった関係で、幼少期から歌舞伎や新派、歌劇、文楽などに親しむ。
細川 ちか子(ほそかわ ちかこ、1905年(明治38年)12… 細川 ちか子(ほそかわ ちかこ、1905年(明治38年)12月31日 - 1976年(昭和51年)3月20日)は、日本の女優である。本名横田 冬(よこた ふゆ)。 東京市麹町区内幸町1-5(現在の千代田区内幸町1-5、現在の千代田区立内幸町ホール、第一ホテルアネックスの辺り)に生まれる。 香蘭女学校を卒業し、1925年に小山内薫らの「築地小劇場」に入団、新劇の世界に入った。演出家土方与志は恩師。細くて近眼の女だからと、芸名を「細川ちか子」と命名したのは土方である。 『各人各説』で伏見直江らと初舞台を踏み、その美貌でスターとなった。1929年、23歳のときに丸山定夫らとともに同劇団を脱退し、「新築地劇団」結成に参加する。
田村 秋子(たむら あきこ、1905年10月8日 - 198… 田村 秋子(たむら あきこ、1905年10月8日 - 1983年2月3日)は、日本の新劇女優。 小説家・劇作家の田村西男の長女として東京市下谷区に生まれる。神田高等女学校卒業。1924年築地小劇場に入り、1925年3月、俳優友田恭助と結婚。結婚後の本名は伴田秋子。1927年「愛欲」などに出演する。1932年友田ともに築地座を結成、1936年解散。 1937年9月6日、夫とともに「文学座」の結成に参加。だが友田はすぐに日中戦争に召集され10月6日に戦没した。文学座は、11月31日、秋子を主役とした旗揚興行を予定していたが、秋子が「遺骨が戻ってくるまでは出演をしない」と拒否して公演は延期となった。 戦後1949年、文学座に名誉座員として迎えられ、自作「姫岩」で舞台復帰し1950年『ヘッダ・ガブラー』に主演、自伝『一人の女優の歩んだ道』(1962)がある。
岸 輝子(きし てるこ、本名:伊藤 キシ〈いとう キシ〉、1… 岸 輝子(きし てるこ、本名:伊藤 キシ〈いとう キシ〉、1905年5月1日 - 1990年5月10日)は、日本の女優。夫は千田是也。千田らとともに劇団俳優座を創設。 北海道出身。北海高等女学校卒業。一旦は就職したものの俳優を志し、1925年に築地小劇場に入り研究生となる。初舞台は、『寂しき人々』。築地小劇場の分裂を経て、1936年、新築地劇団に入団。1940年に弾圧による解散後、1944年2月に青山杉作、千田是也、東野英治郎、小沢栄太郎、東山千栄子ら10人で劇団俳優座を創立、以降俳優座の中心女優として活躍し、多くの舞台に立った。『肝っ玉おっ母とその子供たち』はその代表作で、1966年に芸術祭奨励賞を受賞している。
泉 春子(いずみ はるこ、1905年〈明治38年〉4月20日… 泉 春子(いずみ はるこ、1905年〈明治38年〉4月20日 - 1998年〈平成10年〉?)は、日本の女優である。本名は、出生名が吉村 春子(よしむら はるこ)、俳優の中根龍太郎と結婚して山口 春子(やまぐち はるこ)、死別後に再婚して徳田 春子(とくだ はるこ)となった。デビュー作での芸名は沢村春子であったが、次の作品でこの芸名に改名した。身長は4尺3寸(約162.9センチメートル)、体重は12貫(約45.0キログラム)。 1905年(明治38年)4月20日、長崎県佐世保市下京町に「吉村春子」として生まれる。 1918年(大正7年)、旧制白南風小学校(現在の佐世保市立白南風小学校)を卒業、満15歳になる1920年(大正9年)には「娘歌舞伎」に入門する。
村瀬 幸子(むらせ さちこ、1905年〈明治38年〉3月21… 村瀬 幸子(むらせ さちこ、1905年〈明治38年〉3月21日 - 1993年〈平成5年〉10月9日)は、日本の女優。東京市本所区(現在の東京都墨田区)出身。本名は北村 さだ(旧姓:松井)。芸名を藤真 みや子としたこともある。夫は演劇家の北村喜八(1960年死別)。 東京府立第二高等女学校(現在の都立竹早高等学校)卒業、東京女子大学を中退。 1925年に築地小劇場に研究生として入った。1929年の劇団分裂後は劇団築地小劇場に参加。解散後の1931年、松竹蒲田撮影所に入社し、映画に出演した。1937年に北村喜八とともに芸術小劇場を結成した。同劇場は1943年に解散した。 1944年に千田是也、東野英治郎、東山千栄子、小沢栄太郎らとともに俳優座結成に参加し、以後劇団の中心人物として活動した。
浦路 輝子(うらじ てるこ、1904年7月22日 - 没年不… 浦路 輝子(うらじ てるこ、1904年7月22日 - 没年不詳)は、日本の女優である。本名は堀内 照子(ほりうち てるこ)。 1904年(明治37年)7月22日、東京府東京市小石川区(現在の東京都文京区)に「堀内照子」として生まれる。 名古屋市内の旧制・尋常小学校を卒業、京都市内の旧制・高等小学校を一年次で終了、長崎県佐世保市の長崎県立佐世保高等女学校(長崎県立佐世保北高等学校と長崎県立佐世保南高等学校の前身)に入学した。1921年(大正10年)、同女学校を三年次で中途退学し、東京少女歌劇団に入団する。1925年(大正14年)には、渡瀬淳子が主宰する「渡瀬淳子演劇研究所」に参加、舞台女優を目指す。
毛利 菊枝(もうり きくえ、1903年〈明治36年〉11月3… 毛利 菊枝(もうり きくえ、1903年〈明治36年〉11月3日 - 2001年〈平成13年〉8月20日)は、日本の女優。本名は森 キク(旧姓:小林)。夫は美術史家の森暢。 杉村春子、山本安英らと同世代の新劇女優であり、岸田國士に師事。幾つかの劇団を経て、京都市に劇団くるみ座を創設し、長く代表をつとめた。戦後は映画やテレビドラマにも多く出演し、老け役で活躍した。 1903年(明治36年)、群馬県利根郡沼田町(現沼田市)に生まれる。群馬県立高崎高等女学校(現群馬県立高崎女子高等学校)中退。 1925年(大正14年)、岸田國士主宰の新劇研究所に第1期生として入る。1929年(昭和4年)、喜劇座『御意に任せて』で初舞台を踏む。
梅村 蓉子(うめむら ようこ、1903年10月21日 - 1… 梅村 蓉子(うめむら ようこ、1903年10月21日 - 1944年3月8日)は、日本の女優である。本名は鈴木 花子(すずき はなこ)。 1903年(明治36年)10月21日、東京府東京市日本橋区日本橋蛎殻町(現在の東京都中央区日本橋蛎殻町)の瀬戸物問屋に「鈴木花子」として生まれる。 旧制小学校に上がる1910年(明治43年)には、東京市本郷区(現在の文京区本郷)の本郷座で新派の初舞台を踏む。有楽座のお伽芝居の舞台にも立つ。 1922年(大正11年)、松竹蒲田撮影所に入社し、翌1923年(大正12年)公開、島津保次郎監督の『散りにし花』で映画界にデビューする。同年9月1日の関東大震災によって同撮影所は稼動を停止し、京都の松竹下加茂撮影所に異動になる。
歌川 八重子(うたがわ やえこ、1903年8月22日 - 1… 歌川 八重子(うたがわ やえこ、1903年8月22日 - 1943年9月13日)は、日本の女優。本名、深川 政江[5]。
清川 玉枝(きよかわ たまえ、1903年5月24日 - 19… 清川 玉枝(きよかわ たまえ、1903年5月24日 - 1969年1月21日)は、日本の女優。 1903年(明治36年)5月24日、東京府東京市芝区(現在の東京都港区)に生まれる。東洋高等女学校(現在の東洋女子高等学校)卒業後、新劇女優として芽生座、築地座、創作座などに参加して舞台に立つ。この間の1928年(昭和3年)、山田隆弥製作の『肉弾決笑記』で映画に初出演する。 1936年(昭和11年)、P.C.L.映画製作所(後に東宝映画)に入社。成瀬巳喜男監督の『君と行く路』、山本薩夫監督の『お嬢さん』『田園交響楽』、島津保次郎監督の『兄の花嫁』などに出演し、個性的で柔軟な演技の脇役として活躍する。戦後は、数本に東宝作品に出演したのち、東宝争議で新東宝に移る。
龍田 静枝(たつた しずえ、1903年2月11日 - 196… 龍田 静枝(たつた しずえ、1903年2月11日 - 1962年1月21日)は、大正末期から昭和初期のサイレント映画で活躍した女優である。本名塩野 静枝(しおの - 、旧姓)、山形県出身。 女優以前の経歴には不明な点が多く、複数の説がある。 1903年(明治36年)2月11日、山形県南村山郡堀田村(現在の上山市金瓶)で生まれる。「1906年(明治39年)山形市生まれ」説あり。 山形高等小学校(旧制、現在の山形市立第一山形小学校)を卒業後、山形高等女学校(現在の山形県立山形西高等学校)卒業の説、米沢高等女学校(現在の同県立米沢東高等学校)卒業の説あり。 上京して日本女子大学に入学するも写真家を目指して中退、いっぽう「17歳で結婚、直後に夫病死、1923年(大正12年)母とともに上京」説あり。
繪島 千歌子(えじま ちかこ、1903年2月8日 - 没年不… 繪島 千歌子(えじま ちかこ、1903年2月8日 - 没年不詳)は、日本の女優である。新漢字表記絵島 千歌子、本名・旧芸名東 八重子(あずま やえこ)。舞台協会在籍時、日活向島撮影所との提携で映画初出演を果たし、後年は東亜キネマ甲陽撮影所の看板女優として大正末期まで活動した。 1903年(明治36年)2月8日、東京府東京市深川区(現在の東京都江東区深川)に生まれる。『世界のキネマスター』(報知新聞社)によれば、本名は東 八枝(あずま やえ)であるという。 日本聖公会系の立教高等女学校(現在の立教女学院中学校・高等学校)を卒業する。満18歳のときに1921年(大正10年)、花柳章太郎が同年に設立した新派の劇団・新劇座に参加、翌1922年(大正11年)には、山田隆弥らの新劇の劇団・舞台協会に参加している。
高井 ルビー(たかい ルビー、1903年2月7日 - 197… 高井 ルビー(たかい ルビー、1903年2月7日 - 1972年7月5日)は、日本の歌手、女優である。本名は「天田 春音(あまだ はるね)」。大正期~昭和初期の浅草オペラでソプラノの歌姫として活躍。 東京都本所区向島にて出生。東京育ちではあるが、祖父は群馬の博徒国定忠治の子分の一人であり左の腕にあたる人物であったという。 鎌倉高等女学校を卒業後、歌手・井上起久子に師事。1920年に演出家の獏与太平に見初められオペラ女優の仲間入りを果たす。初期の芸名は「高井爾美」(読み同じ)。この芸名は井上に付けられたという。なお、芸名の由来は駆け出しの頃大学生のパーティに招かれた際、指輪がないので小道具の指輪をはめて行き、学生に「あっ、高いルビー」と言われたのにちなんだと言われる。
浦辺 粂子(うらべ くめこ、1902年10月5日 - 198… 浦辺 粂子(うらべ くめこ、1902年10月5日 - 1989年10月26日)は日本の女優。本名は木村 くめ。