原 健太郎(はら けんたろう、1955年6月15日 - )は… 原 健太郎(はら けんたろう、1955年6月15日 - )は、大衆演劇研究家、編集者。浅草芸能大賞専門審査委員。喜劇映画研究会の前身「喜劇研究会」の会員で、東京コメディ倶楽部代表、東京喜劇研究会幹部。 東京都世田谷区に生まれる。明治大学文学部(演劇学専攻)卒業(菅井幸雄に師事)。在学中の1976年、映画・演劇サークル「騒動舎」を創設し、ドタバタ喜劇の製作に乗り出す。のちの劇作家ケラリーノ・サンドロヴィッチも、当時高校生の身ながらこの一党に参加。「騒動舎」での後輩に「ジョビジョバ」などがいる。 卒業後、出版社くもん出版に編集者として勤務するかたわら、劇団「笑ボート」を旗揚げ。のち、改組して劇団「ズーズーC」となる。
保坂 嘉弘(ほさか よしひろ、1955年3月30日 - )は… 保坂 嘉弘(ほさか よしひろ、1955年3月30日 - )は、日本の雑誌編集者、ゲームデザイナー、実業家。株式会社マッグガーデン代表取締役会長。持株会社であるIGポートの取締役を兼任。 秋田県出身。亜細亜大学経済学部卒業後、漫画原作者、ゲームデザイナーを経て1984年にエニックス(現スクウェア・エニックス)入社。元々はゲームプロデューサーであったが、コミック部門創設に参加し、『月刊少年ガンガン』の初代編集長となる。『ドラゴンクエスト4コママンガ劇場』の作家を主軸に、『週刊少年ジャンプ』など既存の少年誌や児童誌を参考にしつつ、ファンタジー色の強い少年漫画とギャグ漫画を前面に押し出して混沌とした独特の誌面を作り上げた。
干場 弓子(ほしば ゆみこ、1955年3月15日 - )は、… 干場 弓子(ほしば ゆみこ、1955年3月15日 - )は、日本の編集者、文筆家、実業家。ディスカヴァー・トゥエンティワン取締役社長。
木俣 正剛(きまた せいごう、1955年(昭和30年)3月7… 木俣 正剛(きまた せいごう、1955年(昭和30年)3月7日 - )は、日本の編集者、ジャーナリスト。文藝春秋常務取締役を歴任後、岐阜女子大学教授、副学長・理事を経て、大阪キリスト教短期大学客員教授・OCC教育テック上席研究員を務める。 京都市生まれ。父は京都市会議長をつとめた木俣秋水。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。文藝春秋入社。『週刊文春』、月刊『文藝春秋』各編集長、第二出版局長などをへて常務取締役。2018年退社後、危機管理会社リスクヘッジ取締役。同年9月より岐阜女子大学教授、副学長・理事。専門はマスメディア論、日本語文章表現の基礎。現在は、大阪キリスト教短期大学のA保育やICT教育の実験授業のメディア宣伝担当。
竹内 義和(たけうち よしかず、1955年〈昭和30年〉2月… 竹内 義和(たけうち よしかず、1955年〈昭和30年〉2月27日 - )は、作家、コラムニスト、編集者、YouTuberである。 和歌山県和歌山市出身。妻は作家の竹内眠。 初エッセイ『ピンポンパン地獄』をきっかけにコラムニストに。『BRUTUS』での連載「日本ビデオスター列伝」が好評を博し、1988年(昭和63年)、『大映テレビの研究』で本格的著作家デビュー。同年より始まったABCラジオ『MAKOTOのサイキック青年団』で人気を得る。長編アニメとして映画化された『パーフェクトブルー』ほか著書多数。 2014年(平成26年)には『メルマ旬報』連載の『ゆゆも』を出版。現在大阪市肥後橋のトークライブハウス「アワーズルーム」にて連日トークライブや配信、また弘兼憲史とのラジオ番組など著述活動のみならず精力的に活動中。
松竹 伸幸(まつたけ のぶゆき、1955年2月4日 - )は… 松竹 伸幸(まつたけ のぶゆき、1955年2月4日 - )は、日本のジャーナリスト、編集者。かもがわ出版編集主幹。元・かもがわ出版編集長、元・日本共産党中央委員会勤務員。 日本平和学会会員、日本ジャーナリスト会議出版部会世話人。専門は外交・安全保障。 自衛隊を活かす:21世紀の憲法と防衛を考える会事務局長、国際刑事法典の制定を国会に求める会事務局長を務める。 1955年、長崎県西海市生まれ。父親は炭鉱労働者。閉山のため東京、神戸に移住。兵庫県立神戸高等学校を経て、一橋大学経済学部・一橋大学社会学部卒業。全日本学生自治会総連合(全学連)委員長を務め、学費値上げ反対闘争を率いた。大学の経済学部卒業後の社会学部への学士入学は全学連での活動継続が主目的だったため、入学試験での面接ではどう回答するか苦労したという。
池田 憲章(いけだ のりあき、1955年1月14日 - 20… 池田 憲章(いけだ のりあき、1955年1月14日 - 2022年10月17日)は、日本の特撮研究家、映像評論家、フリーライター、編集者、プロデューサー。 日本推理作家協会会員、日本SF作家クラブ会員。名前の読みを「けんしょう」としている場合もある。 埼玉県所沢市出身。駒澤大学文学部卒業。大学在学中に、特撮ムック編集の先駆者であった竹内博が主催する日本最初期の怪獣映画を研究する同人集団『怪獣倶楽部』に参加、ライター・編集活動に入る。 得意とする執筆分野は主に特撮とアニメ。特撮、アニメ関係の専業ライターとしては1970年代より活動する草分け的存在。大学在学中よりプロのライターとして活動し、特撮、アニメ、海外ドラマの書籍の編集を行なう。
山﨑 和彦(やまざきかずひこ、1955年 - )は、日本の研… 山﨑 和彦(やまざきかずひこ、1955年 - )は、日本の研究者・編集者・教育者・デザイナー。千葉工業大学教授、武蔵野美術大学教授を歴任。 学位は博士(芸術工学)(神戸芸術工科大学・2002年)。神奈川県平塚市生まれ。 神奈川県立平塚江南高等学校卒業(1974年)。東京理科大学理学部応用数学科中途退学(1975年)。京都工芸繊維大学工芸学部意匠工芸科卒業(1979年)。 神戸芸術工科大学大学院芸術工学研究科博士課程単位取得満期退学(2001年)。神戸芸術工科大学大学院芸術工学研究科より博士(芸術工学)の学位を取得(2002年)。東京大学大学院新領域創成科学研究科博士後期課程単位取得満期退学(2006年)。
川島 睦保(かわしま むつほ、1955年 - )は、日本のジ… 川島 睦保(かわしま むつほ、1955年 - )は、日本のジャーナリスト、編集者、翻訳家。週刊東洋経済編集長や、東洋経済新報社取締役出版局長を経て、フリージャーナリスト。 福岡県生まれ。1979年横浜国立大学経済学部卒業、東洋経済新報社入社。1991年から92年までフルブライト・プログラムでハーバード大学経済学部客員研究員。会社四季報記者、月刊金融ビジネス副編集長等を経て、1997年週刊東洋経済副編集長。2000年オール投資編集長。2002年東洋経済新報社第一編集局週刊東洋経済編集部長兼週刊東洋経済編集長。2005年東洋経済新報社出版局編集第一部長。2009年東洋経済新報社取締役出版局長。2017年に退社し、フリージャーナリスト、翻訳家となった。
小西 英人(こにし ひでと、1954年11月27日 - )は… 小西 英人(こにし ひでと、1954年11月27日 - )は、随筆家、編集者。おもに釣りと魚の随筆を執筆したり、魚類図鑑の企画、製作、編集などを行ったりしている。 徳島県徳島市出身。1976年、桃山学院大学社会学部在学中に父の小西和人とともに株式会社週刊釣りサンデーを起こし、「週刊釣りサンデー」を創刊、カメラマンとして活躍。その後、写真部長、出版編集長、週刊釣りサンデー編集長、編集主幹、代表取締役社長などを歴任する。日本各地、世界各地を釣り歩き、写真や紀行文を発表。また数多くの書籍、雑誌などの製作や編集を行う。 2001年、インターネットで【WEB魚図鑑】【さかなBBS】などの活動を始め、読者投稿型のネット図鑑を成功させ、民生用としては最大のものに育てる。
松永 真理(まつなが まり、1954年11月13日 - )は… 松永 真理(まつなが まり、1954年11月13日 - )は、日本の編集者、著作家、実業家。松永真理事務所代表。 株式会社日本リクルートセンター、株式会社リクルートでの勤務を経て、エヌ・ティ・ティ移動通信網株式会社ゲートウェイビジネス部企画室室長などを歴任した。 長崎県佐世保市出身。祖父は海軍中将松永貞市、父は海軍大尉で作家の松永市郎。長崎県立佐世保北高等学校、明治大学文学部仏文科卒業。 1977年、日本リクルートセンター(現在のリクルート)入社。雑誌「とらばーゆ」、「リクルートブック」等の編集部を経て、1986年7月「就職ジャーナル」編集長、1988年7月「とらばーゆ」編集長。1997年7月退社し、エヌ・ティ・ティ移動通信網(現在のNTTドコモ)入社。
大徳哲雄(だいとく てつお、1954年10月16日 - )は… 大徳哲雄(だいとく てつお、1954年10月16日 - )は、アニメ書籍編集者、樹想社代表、『月刊OUT』の元編集長。東京都出身。 1978年に立教大学文学部フランス文学科を卒業し、みのり書房に入社する。1979年には『月刊OUT』の編集部に配属され、1980年には同誌の編集長(4代目)に就任し、「T編集長」の通称で名物編集長となる。その間、アニメ『機動戦士ガンダム』のムック本『ガンダムセンチュリー』を出版する。 1988年にみのり書房を退社し、1989年には樹想社を設立して代表取締役に就任する。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
永山 薫(ながやま かおる、1954年9月11日 - )は、… 永山 薫(ながやま かおる、1954年9月11日 - )は、日本の漫画評論家・文筆家・編集者。本名は福本義裕。 大阪府生まれ。近畿大学商経学部経済学科を卒業後上京し、松岡正剛の遊塾を経てライター・編集業に携わる。 白夜書房(後のコアマガジン)が発行していた『Billy』『漫画ホットミルク』『コミックジャンキーズ』でのレビューをはじめ、エロマンガへの造詣が深い。『マンガ論争』の編集長をしている。 2006年11月には著書『エロマンガ・スタディーズ』(イーストプレス)を出版。 日本マンガ学会の発足時からの会員である。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
新井敏記(あらい としのり、1954年9月2日 - )は、日… 新井敏記(あらい としのり、1954年9月2日 - )は、日本の編集者、インタビュアー。スイッチ・パブリッシング代表取締役社長。 茨城県筑西市出身。國學院大學栃木高等学校、日本大学芸術学部芸術研究所卒業。1985年にインタビュー・カルチャー・マガジン『Switch』を創刊、1991年に『Literary Switch』と改題、2003年12月まで同誌編集長を務めたのち、スイッチ・パブリッシング社長に就任。2004年旅する雑誌『coyote』を刊行し、編集長。2013年『MONKEY』を刊行した。2015年、第7回伊丹十三賞受賞。
後藤 繁雄(ごとう しげお、1954年8月16日 - )は、… 後藤 繁雄(ごとう しげお、1954年8月16日 - )は、日本の編集者・クリエイティブディレクター、京都造形芸術大学教授。
綱島 理友(つなしま りとも、1954年8月15日 - )は… 綱島 理友(つなしま りとも、1954年8月15日 - )は、日本のプロ野球史研究家、プロ野球意匠学研究家、野球コラムニスト、編集者、エッセイスト。有限会社綱島理友事務所所属。日本プロ野球の歴史研究、特にユニフォームなどの意匠研究の第一人者として知られ、著書の出版のほか、複数のプロ野球チームに研究成果を提供している。 本名は武藤誠一郎。ペンネームの苗字の「綱島」は住んでいた横浜市港北区の地名「綱島」に由来、名前の「理友」はイタリア・フィアット社の小型車、リトモに由来する。なお活動初期には「理友」を「よしとも」と読ませていた。 神奈川県横浜市中区に生まれ。東京都立桜町高等学校、日本大学藝術学部美術学科(デザインコース)卒業。
森 まゆみ(もり まゆみ、1954年7月10日 - )は、日… 森 まゆみ(もり まゆみ、1954年7月10日 - )は、日本の作家・エッセイスト・編集者・市民運動家。公益財代法人日本ナショナルトラスト理事。早稲田大学ジャーナリズム研究所特別招聘研究員。明治学院大学国際平和研究所研究員。 作家の近藤富枝は伯母。日本人音楽グループの在日ファンク・ギターの仰木亮彦は甥。従姉妹に武蔵野大学大学院言語文化研究科教授の堀井惠子。化学者の水島三一郎は母方の遠戚。 東京都文京区動坂出身。両親とも歯科医の家に生まれる。処女作のペンネームは母方の苗字に由来している。 文京区立誠之小学校、お茶の水女子大学附属中学校・高等学校卒業。早稲田大学政治経済学部卒業(藤原保信に師事)。 出版社(オズマPR及びサイマル出版会)で企画・編集の仕事に携わった後、東京大学新聞研究所(現・東京大学大学院情報学環教育部)修了(稲葉三千男、香内三郎らに師事)。
小牧雅伸(こまき まさのぶ、1954年7月10日 - 202… 小牧雅伸(こまき まさのぶ、1954年7月10日 - 2022年1月24日)は、日本の編集者、ライター。 京都府福知山市出身。「スタジオ小牧」主宰。城西国際大学メディア学部メディア情報学科非常勤講師。 アニメ雑誌『アニメック』の元編集長で、誌上では(ま)のペンネームを用いた。以前はKを使用していたが、使用者が増えたために変更している。 1974年、東京電機大学入学のため上京。放送中の『宇宙戦艦ヤマト』を知り、ファンクラブ「ヤマトラボ」の設立に携わる。SF・アニメ・特撮のサークルや、江古田の喫茶店「まんが画廊」で人脈を拡げ、1977年に櫛野麻美、浜松克樹、氷川竜介、伊藤秀明らと『月刊OUT』創刊2号のヤマト特集を担当。
鈴木 比佐雄(すずき ひさお、1954年7月9日 - )は、… 鈴木 比佐雄(すずき ひさお、1954年7月9日 - )は、日本の詩人、評論家、編集者。出版社コールサック社の創業者。 東京都荒川区に生まれる。法政大学文学部哲学科卒業。1987年、詩誌「コールサック」(石炭袋)を創刊。2006年、株式会社コールサック社を創業し現在も代表者。「コールサック」(石炭袋)は出版社になってから俳句・短歌・小説・評論などを含めた季刊の総合文芸誌となって2020年6月までに102号が刊行されている。2007年に企画・編集・発行した『原爆詩一八一人集』<日本語版>』と『Against Nuclear Weapons A collection of Poems by 181 Poets 1945-2007』(『原爆詩一八一人集』<英語版>)によって2008年9月に第18回宮沢賢治学会イーハトーブセンター『イーハトーブ賞奨励賞』を受賞。
高杉 弾(たかすぎ だん、1954年4月23日 - )は、日… 高杉 弾(たかすぎ だん、1954年4月23日 - )は、日本の編集者、文筆家、実業家、AV監督。自販機本『Jam』『HEAVEN』初代編集長。日本大学芸術学部文芸学科中退。本名は佐内 順一郎(さない じゅんいちろう)。 「作文家」を自称する文筆家で、1970年代後半から1990年代以降のアンダーグラウンド/サブカルチャー・シーンに与えた影響は大きい。現在は定職を持たず「メディアマン」というコンセプトのもとに国際的な隠居生活を送りながら、編集者、企画家、観光家、ステレオ写真家、臨済禅研究家、蓮の花愛好家として多方面で活動。 1954年4月23日、東京都品川区生まれ。その後、神奈川県に転居し1958年から1963年まで川崎市等々力の水郷地帯で蓮の実を食べて育つ。
早川 清(はやかわ きよし、1954年4月2日 - )は、新… 早川 清(はやかわ きよし、1954年4月2日 - )は、新潮社の編集者。 1978年、慶應義塾大学法学部卒業。『週刊新潮』『新潮45』編集部、ネットワーク編集室を経て、2001年、松田宏の後任として『週刊新潮』編集長に就任(同誌8月30日号から)。2005年6月から新潮社取締役。2009年のニセ赤報隊実名手記事件について「『週刊新潮』はこうして『ニセ実行犯』に騙された」(4月23日号)と題する10頁のトップ記事を掲載し、誤報を認めた。その後、2009年4月30日号を最後に『週刊新潮』編集長を退任。
二階堂 裕(にかいどう ゆたか 、1954年 - )は、日本… 二階堂 裕(にかいどう ゆたか 、1954年 - )は、日本の自動車専門誌編集者・自動車評論家・経営者。北海道旭川市生まれ。 アールブイフォーワイルドグース株式会社代表取締役社長、エスエスシー出版有限会社代表取締役社長、絵本作家、作家。日本ジムニークラブ会長。盛和塾元横浜塾生。現フィロソフィー経営実践塾(横浜)。神奈川県隊友会員。厚木市法人会員。日本赤十字社員。NPO法人 四駆レスキュー隊副理事長。NPO法人 山梨県地震対策四駆隊顧問。 旭川市立六合中学校卒業。北海道旭川北高等学校卒業。1973年、海上自衛隊に第25期航空学生として入隊。4年間のパイロット生活を送るが、病気のために地上勤務となり、厚木基地の航空集団司令部、音響解析室に勤務。
浜松 克樹(はままつ かつき、1954年 - )は、日本の雑… 浜松 克樹(はままつ かつき、1954年 - )は、日本の雑誌編集者。ペンネームの「イニシャルビスケットのK」名義での著述活動も行う。編集部員や読者達からは、「Kさん」の愛称で親しまれている。 中央大学法学部卒業。朝日紙業に入社。同社の子会社みのり書房に移籍して、『官能劇画』の編集を経て、1977年、『月刊OUT』に配属。創刊2号の『宇宙戦艦ヤマト』の特集を担当し、同誌のアニメ雑誌としての性格を決定づける。以後も同誌の『超人ロック』特集や増刊号の『ランデヴー』誌と『ランデヴーコミック』誌も担当した。『月刊OUT』では、読者投稿コーナー「Fromお茶の水」も担当して人気編集者となる。1978年10月にみのり書房を退社。
長谷川 晋一(はせがわ しんいち、1954年 - )は、東京… 長谷川 晋一(はせがわ しんいち、1954年 - )は、東京創元社の元編集者。元代表取締役社長。 東京都生まれ。明治大学卒業。 1977年、東京創元社に入社し編集部へ配属となる。以後20数年にわたり翻訳書担当を務め、さらに製作・広告宣伝・装幀関係の仕事を兼務ののち、1997年に取締役出版部長に就任する。2001年から2019年までは、代表取締役社長を務めた。 創元ノヴェルズで「モダンホラー」を企画担当していたことでも知られる。また、明治大学漫画研究会出身で、「長谷川並一」名義で漫画も描き、同名義で創元推理文庫のカバーの装丁も担当した。
佐藤 一彦(さとう かずひこ、1954年 - )は、日本の編… 佐藤 一彦(さとう かずひこ、1954年 - )は、日本の編集者。リトルランド代表取締役社長。 埼玉県出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、早稲田大学第一文学部卒業。主婦の友社入社。『ef』、『Cawaii!』等の編集長を経て、主婦の友リトルランド(現・リトルランド)代表取締役社長に就任。2019年株式譲渡により親会社が、主婦の友社から城南進学研究社に変わり、リトルランドに社名変更。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
椛島 良介(かばしま りょうすけ、1954年〈昭和29年〉‐… 椛島 良介(かばしま りょうすけ、1954年〈昭和29年〉‐ )は、漫画雑誌の編集者。北海道室蘭市出身。 『週刊少年ジャンプ』(集英社)にて荒木飛呂彦の連載を担当し、「ジョジョの奇妙な冒険」の誕生のきっかけとなった人物として知られる。 祖父は挿絵画家、漫画家の樺島勝一。叔父は赤塚不二夫等を担当した編集者の樺島基弘。 1954年、製鉄会社に勤務していた父親の転勤先である北海道の室蘭市に生まれ、幼少時代に東京都へ移り住む。子供時代から漫画に夢中となり、横山光輝やちばてつやの漫画の他、少年キング、少年サンデー等の熱心な読者となる。 大学時代に創刊された月刊プレイボーイに感銘を受け、卒業後の1979年に集英社に入社。
塩山 芳明(しおやま よしあき、1953年9月10日 - )… 塩山 芳明(しおやま よしあき、1953年9月10日 - )はエロ漫画編集者。編集プロダクション「漫画屋」代表。文筆家。群馬県富岡市在住。 群馬県富岡市一ノ宮生れ。群馬県立富岡高等学校、明治大学二部卒業。1977年、遠山企画に入社。1993年、「漫画屋」設立に参加。 一方で、読書家、映画マニアとしても知られる。 公私にわたる強烈な毒舌と、渋い趣味の本や映画の感想がつづられる日記エッセイ「嫌われ者の記」を、様々なエロ漫画雑誌をまたいで長期連載中。1996年にはその初期の連載分が単行本にまとめられ、また2006年には、20年分の連載内容からセレクトしたヴァージョンがちくま文庫から刊行された。 近年は、「ちくま文庫版」のセレクションを担当した南陀楼綾繁と親交が厚く、南陀楼が主催するトークイベントにしばしばゲスト出演している。
川本 耕次(かわもと こうじ、1953年〈昭和28年〉5月3… 川本 耕次(かわもと こうじ、1953年〈昭和28年〉5月3日 - 2022年〈令和4年〉12月26日)は、元みのり書房、アリス出版、群雄社出版の漫画編集者、官能小説家、カメラマン、ライター。批評集団『迷宮』メンバー。 伝説的自販機本『少女アリス』2代目編集長。三流SF漫画誌『Peke』編集長。『ロリコンHOUSE』監修者。後に実業家、ブロガー、アダルトメディア研究家に転身。WEBサイト『ネットゲリラ』管理人。三流劇画ブーム・ロリコンブームの仕掛け人といわれる。 座右の銘は「ネットゲリラは潜水艦戦である。潜水艦戦に前線はない。自分に有利な時と場所で戦闘を開始する」。 静岡県三島市出身。大学在学中から貸本劇画を研究していた縁で米沢嘉博や長谷川秀樹らと出会い、コミックマーケットの創設母体となった批評集団「迷宮」の集会に出入りする。
米沢 嘉博(よねざわ よしひろ、1953年3月21日 - 2… 米沢 嘉博(よねざわ よしひろ、1953年3月21日 - 2006年10月1日)は、日本の漫画評論家、大衆文化評論家、編集者。 コミックマーケット準備会の第2代代表である。有限会社コミケット取締役社長、日本マンガ学会理事、手塚治虫文化賞選考委員、日本オタク大賞審査員なども務めた。「おたく四天王」の一人に挙げられる。愛称は米やん。名字について戸籍上は「米澤」表記であるが、普段は「米沢」表記を使っていた。 妻の英子(えいこ)はサークル「迷宮」以来の仲間。コミックマーケット準備会代表補佐として夫とともに運営に関わり、夫の死後は準備会副代表・有限会社コミケット社長に就任した。英子との間には1男2女の3人の子供がいる。
米澤 嘉博(よねざわ よしひろ、1953年3月21日 - 2… 米澤 嘉博(よねざわ よしひろ、1953年3月21日 - 2006年10月1日)は日本の漫画評論家、大衆文化評論家、編集者、コミックマーケット準備会の第2代代表である。有限会社コミケット取締役社長、日本マンガ学会理事、手塚治虫文化賞選考委員、日本オタク大賞審査員なども務めた。「おたく四天王」の一人に挙げられる。愛称は米やん。
佐山 一郎(さやま いちろう、1953年(昭和28年)3月7… 佐山 一郎(さやま いちろう、1953年(昭和28年)3月7日 - )は日本の作家、編集者。立教大学社会学部兼任講師。 東京都目黒区出身。早稲田実業学校高等部普通科、成蹊大学文学部文化学科卒業。大学卒業後に流行通信に入社し80年代前半よりアンディ・ウォーホルズ『Interview』と独占契約を結ぶ月刊『STUDIO VOICE』の編集長を務めた。 1980年代中頃からノンフィクション掌編、ラジオ、テレビ出演、新聞、雑誌における新刊評、コラムなどの活動を始める。インタビューをした人物は1,000人を超え、吉本興業会長・林正之助、吉本隆明、ジャニー喜多川、マイケル・ジャクソン、ヨハン・クライフ、筒井康隆らの自宅でのインタビュー歴がある。
今村 正樹(いまむら まさき、1953年(昭和28年)1月2… 今村 正樹(いまむら まさき、1953年(昭和28年)1月21日 - )は、日本の編集者、実業家。株式会社偕成社代表取締役社長。旧姓:永野。 東京都出身。永野正・貞子夫妻の長男として生まれ、小学校の一時期と大学時代を除き東京で育つ。麻布中学校・高等学校を経て、1976年(昭和51年)東北大学法学部卒業。損害保険会社(東京海上)勤務を経て、1980年(昭和55年)児童書の老舗出版社・偕成社に入社。1982年(昭和57年)シラキュース大学西洋美術史のB.A.取得、美術史学科卒業。1992年(平成4年)偕成社社長に就任。2014年(平成26年)1月一般社団法人出版梓会理事長に就任。 妻は先代社長今村廣の次女。
富川 淳子(とみかわ あつこ、1953年 - )は、日本の編… 富川 淳子(とみかわ あつこ、1953年 - )は、日本の編集者。多くの雑誌の編集長を経て、跡見学園女子大学文学部現代文化表現学科教授となり、ファッションや雑誌文化の研究に取り組んでいる。 中学・高校時代はバレーボール、大学時代にはスキーに打ち込んだ。 上智大学法学部を卒業し、法政大学大学院経営学研究科修士課程を修了した。 フリーライターとして活動した時期を経て、1990年にマガジンハウスに入り、『BRUTUS』副編集長や、『Hanako』編集長、『an・an』編集長を歴任した。 2003年、ぴあに移り、『Invitation』と『Colorful』の編集長を兼ねた。さらに2006年にはエスクァイア マガジン ジャパンに移り、『エスクァイア日本版』と『Dear』の編集長を兼ね、2008年6月から同社顧問となったが、2009年に退社した。
都築 伸一郎(つづき しんいちろう、1953年 - )は、日… 都築 伸一郎(つづき しんいちろう、1953年 - )は、日本の雑誌編集者。小学館集英社プロダクション代表取締役社長。 徳島県小松島市に生まれ、紡績会社に勤務していた父に伴って兵庫県赤穂市、三重県伊勢市などを転々とする。1977年、早稲田大学政治経済学部を卒業し、小学館に入社。『週刊少女コミック』であだち充を担当し、『陽あたり良好!』などのヒット作を出す。後に編集長となる。 2000年には『週刊少年サンデー』15代目編集長に就任。その後も『週刊ヤングサンデー』3代目編集長、小学館取締役、小学館集英社プロダクション取締役などを歴任し、2015年に小学館を退社。現職に至る。
打田 稔(うちだ ねん、1953年 - 2016年)は、日本… 打田 稔(うちだ ねん、1953年 - 2016年)は、日本のモーターサイクルジャーナリスト、編集者、写真家(JPS日本写真家協会、JRPA日本レース写真家協会会員)、オフロードライダーである。本名:打田 稔(うちだ みのる)。エディトリアルプロダクション有限会社シフト代表。山形県鶴岡市出身、東京都在住。1987年から1999年までの12年間、月刊ガルル(実業之日本社・刊)の編集長を務め、国内にオフロードバイク人気とエンデューロブームを築いた。自らも国際ラリーレイドなどに出場し、海外のオフロードレースを紹介したオフロードバイク界の第一人者。
宮本 雅史(みやもと まさふみ、1953年 - )は、日本の… 宮本 雅史(みやもと まさふみ、1953年 - )は、日本の新聞記者、産経新聞社編集委員、元雑誌編集者。 和歌山県出身。慶應義塾大学法学部卒業後、産業経済新聞社に入社。1990年、ハーバード大学国際問題研究所(CFIA)に訪問研究員として留学。司法クラブキャップ、警視庁記者クラブキャップ、バンコク支局長、社会部次長などを歴任した。産経新聞社を退社後、角川書店へ移籍。書籍編集に携わり、2003年に独立してフリーに転向。2005年、産経新聞社へ復帰し、フジサンケイ ビジネスアイを担当後、2010年6月に那覇支局長に異動となり、東京本社編集委員。 2010年1月9日、沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場のそばに隣接する普天間第二小学校について、当時の那覇支局長であった宮本は、移転するための予算も土地も準備できていたにもかかわらず、市民団体が基地反対運動のために移転に反対、「小学校を盾にし、子供たちを人質にした」という話を記事にした。
山田 順(やまだ じゅん、1952年12月16日 - )は、… 山田 順(やまだ じゅん、1952年12月16日 - )は、日本のジャーナリスト、編集者、翻訳家。日本外国特派員協会(FCCJ)会員。 神奈川県横浜市南区出身。立教大学文学部卒業。大学卒業後、1976年に株式会社光文社に入社。『女性自身』編集部でデスク、副編集長として、主に社会事件、芸能面を担当。1999年から『カッパブックス』編集長代理となり、2002年に日本で初めての欧米型のペーパーバックス(光文社ペーパーバックス)を創刊し、『日本がアルゼンチンタンゴを踊る日』(ベンジャミン・フルフォード)『内側から見た富士通 成果主義の崩壊』(城繁幸)などの作品を扱う。この間、川崎 順平、神山 冴などのペンネームで、執筆、翻訳活動を続け、ゴーストライターとしても活動。
高橋 章子(たかはし あきこ、1952年〈昭和27年〉10月… 高橋 章子(たかはし あきこ、1952年〈昭和27年〉10月28日 - )は、日本のエッセイスト、元雑誌編集者。 東京都出身。武蔵野美術大学在学中から、雑誌『ビックリハウス』の出版に携わる。卒業後、パルコ出版に入社し、1977年から『ビックリハウス』の編集長となる。以来、1985年の終刊まで編集長として勤める。また、編集長時代から様々なメディアに多数出ていたので「花編アッコ」との別名が名付けられていた。『ビックリハウス』編集長時代、『ビックリハウス音頭』のシングルB面曲『ある乙女の祈り』を歌唱する。シングルジャケット裏の歌詞には名前の横に(ビックリハウス·花の編集長)と併記されていた。 終刊後は、パルコ出版を退職、独立。
鳥嶋 和彦(とりしま かずひこ、1952年〈昭和27年〉10… 鳥嶋 和彦(とりしま かずひこ、1952年〈昭和27年〉10月19日 - )は、日本の編集者、実業家。元白泉社顧問。 『週刊少年ジャンプ』(集英社)の編集に長らく携わっており、特に鳥山明を見出し、編集担当したことで知られる。 新潟県小千谷市出身。実家は小千谷駅前で洋品店を営んでいた。新潟県立小千谷高等学校を経て、慶應義塾大学法学部を卒業後、1976年(昭和51年)、集英社に入社。『週刊少年ジャンプ』編集部に配属され、以後一貫してジャンプ関連の雑誌・書籍の編集を担当。漫画以外にも、企画ページの『ジャンプ放送局』、『ファミコン神拳』などの編集や、連載漫画のメディアミックス化を手がけたり、さくまあきらや堀井雄二などの外部の人間を起用しゲームの世界に導いたり、『ドラゴンクエスト』(以下『ドラクエ』)誕生にも一役かっている。
佐藤 辰男(さとう たつお、1952年9月18日 - )は、… 佐藤 辰男(さとう たつお、1952年9月18日 - )は、日本の実業家、編集者。株式会社コーエーテクモホールディングス社外取締役。株式会社KADOKAWA顧問。 株式会社メディアワークス代表取締役社長・会長、株式会社角川グループホールディングス(現・KADOKAWA KEY-PROCESS)代表取締役社長、株式会社メディアリーヴス代表取締役社長・会長、株式会社KADOKAWA・DWANGO(現・KADOKAWA)代表取締役社長(初代)・会長(2代目)、学校法人角川ドワンゴ学園初代理事長を歴任。 静岡県出身。写真館の家に生まれる。静岡県立富士高等学校を経て、1976年に早稲田大学第一文学部卒業。
小林 一郎(こばやし いちろう、1952年9月17日 - )… 小林 一郎(こばやし いちろう、1952年9月17日 - )は、日本の建築評論家、編集者。ガード下(鉄道高架橋)空間利用考察のパイオニア。横丁と路地の考察も手がける。淑徳大学池袋サテライトキャンパス・エクステンションセンター講師、朝日カルチャーセンター千葉講師、東急セミナーBE自由が丘講師。 東京都葛飾区柴又出身。東京外国語大学の日本語教育学者・小林幸江教授は従姉にあたる。 1975年明治大学卒。卒業後、出版社の編集を経て、1984年、土木・建築を中心とした編集プロダクション・秋耕社を設立。鹿島出版会のほかX-Knowledgeなどの雑誌で執筆、単行本制作に長年たずさわる。書評歴も長く、「住宅建築」(建築資料研究社)では10年以上続けていた。
富田 倫生(とみた みちお、1952年(昭和27年)4月20… 富田 倫生(とみた みちお、1952年(昭和27年)4月20日 - 2013年(平成25年)8月16日)は、日本の著作家・編集者。電子図書館サイト『青空文庫』の主宰者で、同サイトの「呼びかけ人」のひとり。 1952年(昭和27年)、広島県広島市に生まれる。広島大学附属小学校、広島大学附属中学校・高等学校を経て、1975年(昭和50年)に早稲田大学政治経済学部政治学科を卒業し、編集プロダクションのオメガ社に入社する。 1983年(昭和59年)にオメガ社を退社、フリーランスの編集者となり、1985年(昭和60年)2月には、日本電気がパーソナルコンピュータを作り出し、それを発売するまでを取材してとりまとめた文庫本『パソコン創世記』を出し、その後もコンピューターに関わる書籍を執筆する。
北村 肇(きたむら はじめ、1952年3月14日 - 201… 北村 肇(きたむら はじめ、1952年3月14日 - 2019年12月23日)は、日本のジャーナリスト・編集者・会社経営者。毎日新聞記者、サンデー毎日編集長、週刊金曜日編集長、「株式会社金曜日」発行人を歴任。 東京都生まれ。青葉中学校、墨田高校、東京教育大学文学部日本史学科卒業。高校時代、生徒会で「学生服、学帽の廃止運動」に取り組み、2年かけて「自由化」を勝ち取る。 1974年、毎日新聞社に入社し、社会部デスク、サンデー毎日の編集長、社長室委員を歴任。 1995年8月から2年間にわたり日本新聞労働組合連合の委員長(日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)議長兼任)を務め、「新聞労連ジャーナリスト大賞」を創設、「新聞人の良心宣言」をまとめた。
湯谷 昇羊(ゆたに しょうよう、1952年(昭和27年)2月… 湯谷 昇羊(ゆたに しょうよう、1952年(昭和27年)2月27日- )は、日本の経済ジャーナリスト、編集者。ダイヤモンド社元取締役、『週刊ダイヤモンド』元編集長。 1952年(昭和27年)、鳥取県鳥取市に生まれる。法政大学経済学部を卒業する。1986年(昭和61年)ダイヤモンド社に入社し、銀行を中心とした金融界を主な取材対象として活動する。 1992年(平成4年)に『週刊ダイヤモンド』副編集長、2004年(平成16年)に同編集長に就任する。2007年(平成19年)に営業局長兼論説委員、同年6月に取締役営業局長に就任する。2008年(平成20年)に退社し、フリーの経済ジャーナリストとなる。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
高取 英(たかとり えい、1952年1月17日 - 2018… 高取 英(たかとり えい、1952年1月17日 - 2018年11月26日、本名:非公開)は、日本の劇作家、演出家、マンガ評論家、編集者。男性。月蝕歌劇団代表。京都精華大学マンガ学部マンガプロデュースコース学科教授、大正大学表現学部客員教授を務めた。 大阪府堺市出身。大阪府立岸和田高等学校、大阪市立大学商学部卒業。 大阪市立大学の学生時代に白夜劇場を結成し、1974年に「白夜月蝕の少女航海紀」を作・演出。これが演劇のデビューとなる。 大学卒業後、寺山修司の取材・出版スタッフとなる一方、エロ劇画誌『漫画エロジェニカ』三代目編集長となり、『劇画アリス』編集長の亀和田武らと三流劇画ブームを起こす。『漫画エロジェニカ』は、最高12万部弱を売り上げた。
千厩 ともゑ(せんまや ともえ、本名:松山 朝江〈まつやま … 千厩 ともゑ(せんまや ともえ、本名:松山 朝江〈まつやま ともえ〉、1952年〈昭和27年〉 - )は、日本の旅行作家、編集者、曹洞宗の住職(方丈)。岩手県東磐井郡小梨村(現:一関市千厩町小梨)出身。明治大学文学部史学地理学科卒業。 日伊協会や朝日カルチャーセンターでアグリツーリズモ講座の講師を務めており、取材で渡伊した際に出会ったアグリツーリズムの魅力を紹介している。 1952年、岩手県東磐井郡小梨村(現:一関市千厩町小梨)の常楽寺に長女として生まれる。千厩町立南小梨小学校、千厩町立小梨中学校、岩手県立千厩高等学校を経て明治大学文学部史学地理学科に入学。塩野七生の本『チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』に感銘を受け、西洋史学を専攻した。
平山 周吉(ひらやま しゅうきち、1952年 - 、本名:細… 平山 周吉(ひらやま しゅうきち、1952年 - 、本名:細井 秀雄)は、日本の評論家・元編集者。雑文家を自称する。 東京都生まれ。慶應義塾大学文学部国文科卒。文藝春秋に入社、『諸君!』『文學界』編集長を務めた。1999年7月に鎌倉の自宅で自決した江藤淳に、編集担当者として最後に会い原稿を受け取った。筆名は小津安二郎の「東京物語」の主人公にちなむ。2025年5月より中央公論webで「小林秀雄の戦争と平和」連載を開始した。
高橋 良平(たかはし りょうへい、1951年12月8日- )… 高橋 良平(たかはし りょうへい、1951年12月8日- )は、日本のSF小説及びSF映画評論家、翻訳家、フリー編集者。日本SF作家クラブ会員。 愛知県豊橋市出身。高校時代からSFファン活動を開始。1976年中央大学文学部哲学科を卒業し、すばる書房に入社。のち、SFヴィジュアル雑誌『スターログ』副編集長を経て、フリーに。 『本の雑誌』に「戦後日本SF出版史」を長期連載していたが、2021年5月号で終了。この連載は2025年4月現在、単行本化がされていない。 『本の雑誌』1997年3月号において、日本のSFが商業的に成功していない当時の状況へのいらだちから、「ここ十年のSFはみんなクズだ!」と題して鏡明と対談し、いわゆる「SFクズ論争」の口火を切った。
村上 知彦(むらかみ ともひこ、1951年11月29日 - … 村上 知彦(むらかみ ともひこ、1951年11月29日 - 2024年12月22日)は、日本の編集者、漫画評論家。元神戸松蔭女子学院大学文学部教授。手塚治虫文化賞選考委員。日本マンガ学会理事、日本漫画家協会参与。 父は「具体」のメンバーだった画家の村上三郎。かつてのニックネームは「ギャーさん」。 兵庫県芦屋市に生まれ、1歳から西宮市で育ち、関西学院中学部・高等部に進学した。高校の文化祭で、阪神間の高校生が作った自主映画の上映を企画。同学年の大森一樹と知り合う。関西学院大学社会学部卒業。 1967年に創刊された漫画雑誌『COM』に衝撃を受け、特に、峠あかね(真崎守の筆名)の漫画評論の影響を受ける。
鍜治 真起(かじ まき、1951年10月8日 - 2021年… 鍜治 真起(かじ まき、1951年10月8日 - 2021年8月10日)は、日本の実業家、雑誌編集者。株式会社ニコリの創設者。 1951年、北海道札幌市生まれ。東京都立石神井高等学校卒業、慶應義塾大学文学部国文学科中退。 1980年、印刷会社に務めながら友人たちと共同で「パズルの雑誌(『パズル通信ニコリ』創刊準備号)」を発行する。1983年に、ニコリを設立する。 1984年、アメリカのパズル誌に載っていた「Number Place」というパズルを名称だけ「数字は独身に限る」と変えて日本で発表したところ、2005年に世界的なヒットとなり、「Godfather of Sudoku(数独の父)」の異名をとった。