宗方 勝巳(むなかた かつみ、1937年〈昭和12年〉7月2… 宗方 勝巳(むなかた かつみ、1937年〈昭和12年〉7月25日 - 、本名同じ)は、日本の俳優。一般財団法人グリーンクロスジャパン評議員。大阪府堺市出身。現在は神奈川県鎌倉市在住。妻は女優の長内美那子。旧芸名は宗方 勝己(読みは同じ)及び谷川 勝巳(たにがわ かつみ)。 明治大学付属中野高等学校定時制を経て明治大学文学部仏文科卒業。 1958年にテレビドラマ『バス通り裏』に出演して知名度を上げ人気に。 長内美那子とは、テレビドラマ『古都』での共演がきっかけで1967年に結婚。 2006年に脳梗塞を患い、2007年には大腸癌を併発し闘病生活を送っていたが現在は克服している。 また妻と共にワイドショーの司会も務めるなど多岐に渡り活躍。
緒形 拳(おがた けん、1937年〈昭和12年〉7月20日 … 緒形 拳(おがた けん、1937年〈昭和12年〉7月20日 - 2008年〈平成20年〉10月5日)は、日本の俳優。旧芸名および本名は緒形 明伸(おがた あきのぶ)。趣味は絵手紙と水墨画。 東京府東京市牛込区(現・東京都新宿区)出身、千葉県千葉市育ち。長男は緒形幹太、次男は緒形直人で共に俳優。義理の娘(直人の妻)に女優の仙道敦子、孫に緒形敦(直人の息子)がいる。 なお、後述の通り、芸名の読みは元来「おがた"こぶし"」であるとされるが、一般には「おがた"けん"」として知られる。 1937年7月20日(火曜日)、東京府東京市牛込区で生まれる。男5人兄弟の四男として誕生。太平洋戦争中、空襲で牛込の家が焼かれたため、小学校2年生の時に千葉県千葉市登戸町(現・中央区登戸)に一家で疎開したという。
大和屋 竺(やまとや あつし、1937年6月19日 - 19… 大和屋 竺(やまとや あつし、1937年6月19日 - 1993年1月16日)は、日本の脚本家、映画監督、俳優。アニメーション脚本家、中央競馬馬主の大和屋暁は息子。 1937年6月19日、北海道三笠市幌内町に生まれる。父は炭鉱労働者、母は没落旧家の出身だった。 1953年、父の停年退職に伴い、一家で上京。葛飾区青砥に住む。 1958年、2年間の浪人生活を経て早稲田大学第一文学部に入学(専攻は日本史)。在学中は田中陽造らと「稲門シナリオ研究会」に所属し、田中の脚本で16ミリ映画『一・〇五二』を監督した。 1962年、早稲田大学卒業。日活株式会社助監督部(第8期)に入社。同期に岡田裕、曽根義忠(中生)、山口清一郎らがいた。
伊東 四朗(いとう しろう、本名: 伊藤 輝男、1937年〈… 伊東 四朗(いとう しろう、本名: 伊藤 輝男、1937年〈昭和12年〉6月15日 - )は、日本のコメディアン、俳優、タレント、テレビ司会者。日本喜劇人協会相談役。オルテ企画所属。東京府東京市下谷区(現在の東京都台東区)出身。血液型はO型。5人きょうだい(兄2人、姉1人、妹1人)の三男。 兄は教育評論家の伊藤竹三。息子は俳優・タレントの伊東孝明。 1937年6月15日、東京府東京市下谷区竹町(現在の東京都台東区台東)にて、服地商の子として生まれる。父親は静岡県榛原郡相良町(現在の牧之原市)、母親は同県掛川市の出身。男、女、男、男、女の5人きょうだいの上から4番目の三男が伊東。戦時中は母親の実家のある掛川市に疎開した。
左 とん平(ひだり とんぺい、1937年〈昭和12年〉5月3… 左 とん平(ひだり とんぺい、1937年〈昭和12年〉5月30日 - 2018年〈平成30年〉2月24日)は、日本の俳優、歌手、タレント。東京市王子区(現・東京都北区)出身。しまだプロダクション所属。世田谷高校卒業。息子の肥田木隆広は主婦の友社で雑誌の編集長を務めた。 父親は逓信省の役人で、退官後は旅館業、飲食店などを手広く経営していた。高校卒業後、進学せずにブラブラしているのを見かねた父親から、新丸子にある寿司屋の経営を任せられる。 1957年、高校の同級生だった辻しげるらと劇団を結成。その後、三木鶏郎、永六輔、いずみたくらが在籍する冗談工房に入団する。当時のマネージャーは、のちに作家となる野坂昭如だった[信頼性要検証]。
郷 鍈治(ごう えいじ、1937年5月29日 - 1992年… 郷 鍈治(ごう えいじ、1937年5月29日 - 1992年9月11日)は、日本の俳優。本名:瀬川 鍈治(せがわ えいじ)。旧姓:宍戸(ししど)。 妻はちあきなおみ。兄は宍戸錠、甥は宍戸開。大阪府大阪市出身。明治大学経営学部卒業。 1960年、日活に入社し『狂熱の季節』で俳優デビュー。兄の錠とは『早射ち野郎』など複数の作品で共演。映画『ハレンチ学園』で錠が演じたマカロニ先生を、テレビドラマで演じている。日活がロマンポルノに転向したため、1972年の千葉真一主演映画『麻薬売春Gメン 恐怖の肉地獄』(東映)を皮切りに、他社の作品にも出演していく。 その強面の容貌からヤクザ・凶悪犯・殺し屋などの悪役を演じる機会が多かった。
栗塚 旭(くりづか あさひ、1937年〈昭和12年〉5月9日… 栗塚 旭(くりづか あさひ、1937年〈昭和12年〉5月9日 - 2025年〈令和7年〉9月9日)は、日本の俳優。男性。身長175cm(1967年1月)。劇団くるみ座出身。 北海道札幌市出身。札幌市立向陵中学校、京都府立洛北高校卒業。 1965年にテレビドラマで演じた土方歳三が当たり役となり、以降も多くのドラマや映画、舞台で土方を演じた。 幼少のころに父を亡くし、札幌市立向陵中学校を卒業するころには母も亡くしたため、教師をしていた兄夫婦を頼って1953年に京都市へ移り住む。 高校へは編入というかたちで入学し、定時制へ1年間通ったのち、全日制へ移った(定時制当時は、法然院などへ来ていた映画撮影隊のロケーションを昼間の空いた時間を使ってよく観に行っていた)。
中村 孝雄(なかむら たかお、1937年5月7日 - )は日… 中村 孝雄(なかむら たかお、1937年5月7日 - )は日本の俳優。本名同じ。 東京府(現・東京都)出身。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。俳優小劇場、田村企画、中里事務所に所属していた。 俳優座養成所第11期生。 主に時代劇や刑事ドラマに出演し、多数の悪役を演じている。 近年は、千葉県浦安市で演劇サークルの演劇指導を行っている。元芸優(芸能企画部)専属講師。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
加山 雄三(かやま ゆうぞう、1937年〈昭和12年〉4月1… 加山 雄三(かやま ゆうぞう、1937年〈昭和12年〉4月11日 - )は、日本の歌手、俳優、タレント、ギタリスト、ピアニスト、ウクレレ演奏者、画家。本名、池端 直亮(いけはた なおあき)。ニックネームは、若大将。作曲家として、弾 厚作(だん こうさく)のペンネームを用いる。 神奈川県横浜市生まれ、茅ヶ崎市出身。公益財団法人日本セーリング連盟応援団長、文化功労者。勲等は旭日小綬章。 父は俳優の上原謙(池端清亮)、母は女優の小桜葉子(池端具子)。妹は池端亮子。母方の高祖父は明治の元勲・岩倉具視である。 神奈川県横浜市神奈川区幸ケ谷の家に生後8か月まで、次の東京都大田区田園調布には1歳9か月までいた。
巽 秀太郎(たつみ しゅうたろう、1937年4月7日 - )… 巽 秀太郎(たつみ しゅうたろう、1937年4月7日 - )は、日本の元俳優。京都府出身。 本名は坂井 秀太郎(さかい ひでたろう)。 大阪工業大学卒業。松竹ニューフェースで俳優デビュー。森繁自由劇団、東映、フリーランス期間を経て、さち子プロに所属していた。 1961年に『ナショナルキッド』で小嶋一郎に変わりナショナルキッド / 旗竜作役を演じ知名度をあげる。デビューからしばらくは精悍な顔つきであったが、役者活動後期は肉付きの目立つ体型に変化した。 1980年代中盤にラジオ番組に出演したのを最後に公の場から姿を消している。
園田 裕久(そのだ やすひさ、1937年4月6日 - )は、… 園田 裕久(そのだ やすひさ、1937年4月6日 - )は、日本の俳優、司会者、ナレーター。本名は同じ。 満洲国奉天市生まれ、大分県育ち。大分県立大分工業高等学校卒業。劇団東芸、劇団俳優小劇場、田村企画、オフィス三井を経て、三喜プロモーションに所属。 1957年に上京後、友人が芝居をやっていたことから自分も一緒に演劇の道に進む。 1968年、俳優小劇場入団(1972年退団)。 特技は動物の声帯模写。
江原 達怡(えはら たつよし、1937年3月26日 - 20… 江原 達怡(えはら たつよし、1937年3月26日 - 2021年5月1日)は、日本の俳優、実業家。血液型はA型。東京府出身。慶應義塾大学卒。 劇団の地方巡業に参加していたのを経て、1948年に『鐘の鳴る丘』に子役で出演。その後東宝へ入社し、久保明らと共に若手青春スターとして活躍。 1961年にスタートした『若大将シリーズ』では、若大将の友人・江口役でレギュラー出演。加山雄三らと共に若々しい演技に加え、清潔感ある都会派の好青年役で人気を集めた。 その他、黒澤明監督の『椿三十郎』、『赤ひげ』などの名作に出演。岡本喜八監督作品の常連として、『独立愚連隊』、『江分利満氏の優雅な生活』などにも助演し、印象を残した。
千波 丈太郎(せんば じょうたろう、1937年3月25日 … 千波 丈太郎(せんば じょうたろう、1937年3月25日 - )は、日本の俳優。本名:小野 貞夫。 大阪府出身。清風高等学校、拓殖大学 政経学部経済学科卒業。日活、大映を経て、田中プロモーションに所属していた。 大学を卒業した後、オーディションを経て1959年に第7期ニューフェースとして新東宝に入社し、1960年に映画『大虐殺』でデビュー。同年、日活に移籍して“鹿島貞夫”名義で数本の映画に出演した後、1962年に大映と専属契約を結ぶ。悪役俳優として頭角を現し、粗暴なヤクザからニヒルな殺し屋までの数々を演じたことから、大映作品に欠かせない顔となる。 大映倒産後の1970年代からはテレビに活路を見出し、東映を中心に各社のアクションドラマにも多数出演。
柴田 秀勝(しばた ひでかつ、1937年3月25日 - )は… 柴田 秀勝(しばた ひでかつ、1937年3月25日 - )は、日本の声優、俳優、ナレーター、演出家。
城戸 卓(きど たく、1937年3月3日 - )は日本の俳優… 城戸 卓(きど たく、1937年3月3日 - )は日本の俳優。 熊本県玉名市出身。熊本県立玉名高校から1955年に長崎造船大学造船科に進み1958年中退。1960年10月、松竹大船撮影所に入社し1961年水溜りでデビュー。65年3月、松竹の女優・光映子(本名・美代子)と結婚、1男がある。168センチ、67キロ。燃ゆる若者たち(62)など松竹制作の映画に多数に脇役で出演、その後はテレビドラマにも多く出演した。後年はピンク映画への出演もある。2000年代半ば以降の映画やテレビドラマへの出演は確認できない。 電気溶接、弱電管理者、日商2級簿記の資格を所持。イーアンドエーに所属。
二瓶 鮫一(にへい こういち、1937年〈昭和12年〉2月2… 二瓶 鮫一(にへい こういち、1937年〈昭和12年〉2月21日 - )は、日本の俳優。福島県出身。本名は同じ。身長170cm、体重77kg。血液型はB型。CLEO所属。以前は劇団三十人会に所属していた。早稲田大学卒業。 おもに『水戸黄門』などの悪役や、舞台で活動。 趣味はナレーション、朗読、コーラス、自転車。「芝居の原点はテレビなき時代の紙芝居屋の親父」をモットーに、童話や絵本などの朗読もライフワークとしている。 「こどもちゃれんじ」シリーズのお話コーナーの朗読を担当し、朗読数は歴代1位を誇り、「ミスター朗読」と呼ばれることがある[要出典]。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。
砂川 啓介(さがわ けいすけ、1937年2月12日 - )は… 砂川 啓介(さがわ けいすけ、1937年2月12日 - )は、日本の俳優、タレント。東京都出身。妻は女優、声優の大山のぶ代。
伊藤 孝雄(いとう たかお、1937年1月31日 - 202… 伊藤 孝雄(いとう たかお、1937年1月31日 - 2024年8月14日)は、日本の俳優。岩手県東磐井郡大東町(現:一関市)出身。劇団民藝所属。身長174cm。 岩手県立一関第一高等学校を経て、1955年に早稲田大学法学部に入学する。同年10月に早大在籍のまま、宝塚映画に入社し、映画『箱入娘と番頭』でデビュー。1959年には、日活の『密会』(中平康監督)でヒロイン役の桂木洋子の相手役として抜擢される。同年早大を中退するとともに、宝塚映画を退社。翌1960年、俳優座養成所に12期生として入所する(同期は中村敦夫、山本圭、成田三樹夫、東野英心、松山英太郎、樫山文枝)。 1963年に俳優座養成所を修了し、劇団民藝に入団。
常田 富士男(ときた ふじお、1937年〈昭和12年〉1月3… 常田 富士男(ときた ふじお、1937年〈昭和12年〉1月30日 - 2018年〈平成30年〉7月18日)は、日本の俳優、声優、歌手、ナレーター。本名同じ。個性派の怪優として知られた。また歌手として、ビートルズを題材としたカルトGSのレコードも発表している。長男に俳優の倉崎青児がいる。 長野県下高井郡上木島村(現・木島平村)で生まれ、定職を持たぬ父とともに東京・浅草、横浜、静岡、九州を転々とし、小学3年時より熊本県阿蘇郡南小国町で育つ。中学を卒業すると親元を離れ、熊本県立済々黌高等学校定時制に通う。 高校卒業後、上京して劇団民藝養成所へ入所。養成所を出た後は、劇団員にならず、1960年に米倉斉加年、岡村春彦らと劇団青年劇場を結成。
瑳川 哲朗(さがわ てつろう、1937年1月22日 - 20… 瑳川 哲朗(さがわ てつろう、1937年1月22日 - 2021年2月17日)は、日本の俳優・歌手、声優。本名は、勝野 忠孝(かつの ただたか、旧姓・田辺)。デビュー当時の芸名は伊達京史。身長176cm、血液型はA型。千葉県館山市出身。
柳生 博(やぎゅう ひろし、1937年〈昭和12年〉1月7日… 柳生 博(やぎゅう ひろし、1937年〈昭和12年〉1月7日 - 2022年〈令和4年〉4月16日)は、日本の俳優、司会者、タレント、声優、団体役員。 茨城県稲敷郡舟島村(現在の阿見町)出身。茨城県立土浦第一高等学校卒業。東京商船大学(現在の東京海洋大学)中退。竹内事務所に所属していた。 作庭家(庭師)としても活動し、第5代日本野鳥の会会長・名誉会長を務め、コウノトリファンクラブ会長も務めた。身長175cm。血液型O型。 柳生新陰流で知られる柳生宗厳(柳生氏)の末裔にあたる家系に誕生。 船員を目指し大学に入学したが、視力が悪く断念。その後体調を崩し中退。 その後、役者を志し、劇団俳優座の養成所へ入所。
山本 學(やまもと がく、1937年〈昭和12年〉1月3日 … 山本 學(やまもと がく、1937年〈昭和12年〉1月3日 - )は、日本の俳優。山本 学 表記での出演作も数多く、クレジットが「山本學」に統一されたのは、1990年代半ば以降である。 大阪府茨木市生まれ、東京育ち。成蹊中学校・高等学校卒業、成蹊大学中退、俳優座養成所第7期生。建築家の山本勝巳の長男。俳優の山本圭、山本亘は弟。元妻に水野久美がいる。1953年に起こった日章丸事件で、舞台となった出光興産所有のタンカー・日章丸の船長であった新田辰男は伯父にあたる。 SHIN ENTERTAINMENT所属。 成蹊高校の同級生に梶谷剛、服部克久がいた。 当初は建築家の父を継ぐつもりであったが、たまたま見た芝居の舞台装置に興味を持ち、弟・山本圭の友人だった東野英心の父・東野英治郎に相談し、1955年に俳優座養成所第7期生となる。
花紀 京(はなき きょう、本名:石田 京三(いしだ きょうぞ… 花紀 京(はなき きょう、本名:石田 京三(いしだ きょうぞう)、1937年〈昭和12年〉1月2日 - 2015年〈平成27年〉8月5日)は、日本のお笑いタレント、喜劇俳優である。 生前は吉本興業に所属し、盟友の岡八朗と共に吉本新喜劇の二大巨星と呼ばれ、新喜劇の黄金時代を築き、長きに渡って君臨した。 大阪府大阪市天王寺区出身、阿倍野区育ち。父は漫才師の横山エンタツで、エンタツの次男でありながら少年時代は笑芸に興味がなく、中学時代まで父親が喜劇人エンタツであることを認識していなかった。また、父子は一度も共演していない。また兄は関西テレビの元プロデューサーで、吉本新喜劇の中山美保は義姉(兄嫁)に当たる。
北村 三郎 (きたむら さぶろう、1937年 - ) は、沖… 北村 三郎 (きたむら さぶろう、1937年 - ) は、沖縄県北谷村出身の俳優・演出家。本名は高宮城 實(実)政 (たかみやぎ じっせい)。
滝 雅也(たき まさや、1936年12月12日 - )は、日… 滝 雅也(たき まさや、1936年12月12日 - )は、日本の男性俳優、声優である。長野県出身。 岡山県立笠岡高等学校卒業。NHK岡山放送劇団、ABC放送劇団、中部日本放送放送劇団を経て、以前は東京俳優生活協同組合に所属していた。 ヨーヨーが特技である。そのため、『スケバン刑事』ではヨーヨー指導を担当した。 1982年に『お笑いスター誕生!!』にコミックマジシャンとして挑戦したが、1週目で落ちた。その後再挑戦で4週まで勝ち抜いた。 太字はメインキャラクター。
高城 丈二(たかぎ じょうじ、1936年12月3日 - )は… 高城 丈二(たかぎ じょうじ、1936年12月3日 - )は、日本の元俳優・元歌手。本名・清水嘉美(しみず よしみ)。 大阪府豊中市出身。大阪府立北野高等学校卒業。デビュー当時の芸名は若杉 啓二(わかすぎ けいじ)。その風貌から和製ジュリアン・ソレルと称された。その後輸血によって肝炎を患い、闘病生活を余儀なくされた事により、俳優業を自ら退いた。その後は実業家に転じている。
山﨑 努(やまざき つとむ、1936年〈昭和11年〉12月2… 山﨑 努(やまざき つとむ、1936年〈昭和11年〉12月2日 - )は、日本の俳優。妻は元宝塚歌劇団星組出身の黛ひかる。娘は山崎直子。 千葉県東葛飾郡松戸町(現︰松戸市)出身。東京都立上野高等学校卒業。 俳優座養成所を経て、1959年に文学座に入団。 1960年、岡本喜八監督作品の『大学の山賊たち』で映画デビュー。 1963年、劇団雲結成に参加し、1975年の劇団雲分裂を機にフリーになる。 1963年、黒澤明監督作品のサスペンス映画『天国と地獄』で誘拐犯・竹内銀次郎役を演じ、一躍注目を浴びる。この年、前年のNHKドラマ『アラスカ物語』 での共演がきっかけで交際していた元・宝塚歌劇団星組の黛ひかると結婚。
山﨑 努(やまざき つとむ、1936年(昭和11年)12月2… 山﨑 努(やまざき つとむ、1936年(昭和11年)12月2日 - )は、日本の俳優・ナレーター。千葉県東葛飾郡松戸町(現:松戸市)出身。東京都立上野高等学校卒業。妻は元宝塚歌劇団星組出身の黛ひかる。娘は山崎直子。
寺島 達夫(てらしま たつお、1936年12月2日 - 19… 寺島 達夫(てらしま たつお、1936年12月2日 - 1997年9月12日)は、日本の俳優。元東映フライヤーズ投手。東京都世田谷区出身。海城高等学校卒業。本名ならびに選手時代の登録名は寺島 達(てらしま とおる)。
久保 明(、1936年〈昭和11年〉12月1日 - )は、日… 久保 明(、1936年〈昭和11年〉12月1日 - )は、日本の俳優。本名は山内 康儀()。東京都江東区出身。立教大学文学部卒業。俳優・歌手の山内賢は実弟。 通っていた小学校で演劇が盛んだったことから、教師の勧めで舞台のオーディションを受けて合格。ラジオドラマ『鐘の鳴る丘』の舞台版に子役として出演。中学時代も映画撮影所が近所に多かったことから、教育映画などにも出演。 劇団創作座、劇団薔薇座を経て、1948年に松竹と契約。『鐘の鳴る丘』の映画版でスクリーンデビュー。 1952年、東宝専属となり、『思春期』で本格的に映画俳優の活動を開始。本名での出演だったが、その後は同作品で演じた役名にちなんで「久保明」と改名。
里見 浩太朗(さとみ こうたろう、1936年11月28日 -… 里見 浩太朗(さとみ こうたろう、1936年11月28日 - )は、日本の俳優、声優、歌手。 旧芸名は鏡 小五郎・富士川 一夫・里見 浩太郎・風間 太郎を経て、1970年より今の芸名とする。本名は佐野 邦俊(さの くにとし)。東京市渋谷区道玄坂出身、静岡県富士宮市育ち。自らが社長を務める株式会社 里見プロモーション所属。 父・亀一は19歳で志願して近衛兵となり、帝国陸軍の麹町憲兵隊に転属したのち、秋葉原のパン屋で働いていた静岡県庵原郡松野村(現在の静岡県富士市)出身の木伏エツと結婚。里見が生後8ヶ月の時に、盧溝橋事件により支那駐屯憲兵隊に臨時増加配属を命じられ、その年の9月に中国大陸山西省の小塞村(平型関の入り口)にて平型関の戦いで戦没しており、静岡県富士宮市にある母・エツの実家を頼った母子家庭で兄・要とともに育った。
坂本 スミ子(さかもと スミこ、本名:石井 寿美子、旧姓:坂… 坂本 スミ子(さかもと スミこ、本名:石井 寿美子、旧姓:坂本、1936年〈昭和11年〉11月25日 - 2021年〈令和3年〉1月23日)は、ラテン・歌謡曲の歌手、俳優。愛称は「おスミ(さん)」。異名は「ラテンの女王」。 大阪府大阪市東住吉区出身。学生時代から発声をクラシックの木下保のもとで学び、プール学院高等学校を卒業する。プール学院時代の同級生に女優の三ツ矢歌子がいた。NHK大阪合唱団を経て、大阪キューバン・ボーイズの近藤正春の勧めもありラテン歌手として独立してデビューするが、当初は歌手として全く売れなかった。 1959年12月にアイ・ジョージと共にトリオ・ロス・パンチョス日本公演の前座歌手となり、「ラテンの女王」として一躍名が知れて人気歌手となる。
井川 比佐志(いがわ ひさし、1936年〈昭和11年〉11月… 井川 比佐志(いがわ ひさし、1936年〈昭和11年〉11月17日 - )は、日本の俳優、声優。満洲国奉天市(現:中国・瀋陽市)生まれ。東京都出身。 父親は測量技師で、戦後は日本測量専門学校(現:国土建設学院)で測量士の育成にも尽力した。 小学生の頃、旧満洲からの引き揚げを経験。 1955年、東京都立千歳丘高等学校を卒業。 高校卒業後に俳優座養成所に第7期生として入所。同期に山本学、水野久美、清水マリ、藤巻潤、藤岡重慶、田中邦衛、大山のぶ代、露口茂、中町由子がいた。 1958年、座員に昇格。 1962年、安部公房原作・脚本、勅使河原宏の監督映画『おとし穴』に主演して注目を浴びる。 1973年に退座し、田中邦衛らと「安部公房スタジオ」の旗揚げに参加。
山口 崇(やまぐち たかし、1936年11月17日 - )は… 山口 崇(やまぐち たかし、1936年11月17日 - )は、日本の俳優・テレビ司会者・長唄三味線奏者・民話研究家。本名:山口 岑芳(たかよし)。兵庫県三原郡阿那賀村(現:南あわじ市)出身。所属事務所はオフィス天童。長男は長唄唄方の杵屋巳津也(山口太郎)。長女は長唄三味線方の杵屋 巳織(きねや みおり)(山口由紀)。
北島 三郎(きたじま さぶろう、1936年〈昭和11年〉10… 北島 三郎(きたじま さぶろう、1936年〈昭和11年〉10月4日 - )は、日本の演歌歌手、俳優、ミュージシャン、馬主。東京都八王子市在住。 『函館の女』にはじまる「女」シリーズ、『兄弟仁義』などの「任侠」シリーズといった数々のヒット曲があり、サブちゃんの愛称で知られる。日本を代表する演歌歌手の一人。 原 譲二(はら じょうじ)のペンネームで作詞・作曲活動を行っており、自身の楽曲の制作以外にも舞台のシナリオ・演出や、北島ファミリーはじめ他の演歌歌手への楽曲提供など、マルチな活動を行っている。 作曲家・船村徹門下出身で、門下生で作る「船村徹同門会」(会長・鳥羽一郎)では名誉相談役を務める。 北島ファミリーからは親しみを込めてオヤジと呼ばれている。
伊藤 弘一(いとう こういち、1936年9月23日 - )は… 伊藤 弘一(いとう こういち、1936年9月23日 - )は、日本の俳優。千葉県館山市出身。本名同じ。 安房第一高校、舞台芸術学院卒業。 劇団俳優座養成所、千田杉山教室を経て、劇団俳優小劇場に入団。初舞台は『十二夜』。フリーランス期間を経て、劇団俳小、エヌ・エー・シーに所属していた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
真田 健一郎(さなだ けんいちろう、1936年9月10日 -… 真田 健一郎(さなだ けんいちろう、1936年9月10日 - 2008年12月17日)は、日本の俳優。本名は藤森 弘義。旧芸名は藤森 達雄、藤森 健之。 東京都墨田区出身。日本大学藝術学部卒業。劇団昴を経て、アクトレインクラブに所属していた。 大学卒業後に新国劇に入団し、辰巳柳太郎に師事。以後1982年に退団するまで26年間に渡って主に新国劇で活躍。舞台以外にもテレビや映画の時代劇にも出演。池波正太郎からの信任が厚く、池波原作の演劇・テレビ作品の常連。「真田健一郎」の芸名も、新国劇退団時に池波が名付け親になって改名したものである。『鬼平犯科帳』では丹波哲郎主演版と中村吉右衛門主演版で、火付盗賊改方同心・沢田小平次役を演じており、『三毛猫ホームズの推理』など現代劇にも出演した。
宗近 晴見(むねちか はるみ、1936年〈昭和11年〉9月8… 宗近 晴見(むねちか はるみ、1936年〈昭和11年〉9月8日 - 2025年〈令和7年〉7月31日)は、日本の男性俳優、声優。本名は北村 克己。東京都出身。身長170cm、体重72kg。血液型はB型。最終所属はヘリンボーン。 明治大学文学部卒業。俳優座養成所7期卒業。1958年4月に劇団新人会に入団し、1960年10月まで在籍。1961年5月に新劇場に入団。その後、エヌ・エー・シー、芹川事務所、大沢事務所に所属していた。 2010年代以降は仕事量を抑える傾向にあり、映像作品への出演は2011年のテレビドラマ『坂の上の雲』第3部が、舞台を含めると、2014年の舞台『赤い糸、みぃつけた。』が最後の仕事となっている。
服部 哲治(はっとり てつじ、1936年9月1日 - 200… 服部 哲治(はっとり てつじ、1936年9月1日 - 2000年7月2日)は、日本の元俳優、元声優。東京都中野区出身。 小学生であった1946年、児童劇団こけし座に入団。NHKラジオの学校放送などに出演し、1955年に映画『たけくらべ』でデビュー。慶應義塾高等学校卒業。慶應義塾大学経済学部中退。 1956年、桑野みゆきや毒蝮三太夫、増山江威子らと劇団山王を結成。衣笠プロ、三木事務所を経て、1970年の時点では天知プロに所属していた。その後、1977年には藤山寛美の誘いで松竹新喜劇へ入団し活動した。 二枚目だが敵役や三枚目の役もこなし、中堅俳優として活躍した。 2000年に死去するが、遺族との連絡がつかないらしく、aRmaに権利者が捜索されている。
川口 浩(かわぐち ひろし、1936年(昭和11年)8月22… 川口 浩(かわぐち ひろし、1936年(昭和11年)8月22日 - 1987年(昭和62年)11月17日)は、日本の映画俳優・タレント・探検家。作家で大映専務の川口松太郎、女優の三益愛子夫妻の長男。女優の野添ひとみの夫、元俳優の川口恒、川口厚、元女優の川口晶(現在は陶芸家の国重晶)の長兄。元タカラジェンヌで宝塚歌劇団24期生の紀川瑠璃子は母方の叔母にあたる。
井原 幹雄(いはら みきお、1936年7月22日 - )は、… 井原 幹雄(いはら みきお、1936年7月22日 - )は、日本の俳優である。プロダクション・タンク所属。島根県出身。 日本大学芸術学部演劇科、東宝現代劇、劇団四季、劇団仲間劇団員を経て現在に至る。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
待田 京介(まちだ きょうすけ、1936年6月22日 - )… 待田 京介(まちだ きょうすけ、1936年6月22日 - )は、日本の俳優、空手指導家。千葉県館山市出身。 都立大泉高校卒業後、さまざまな職業に就くが俳優を志し、「俳優座養成所」「東宝芸能」を経て1958年(昭和33年)に日活へ入社する。1956年の映画『ドラムと恋と夢』では脚本を担当した。同年、井上梅次監督により『素晴らしき男性』で石原裕次郎の弟役にキャスティングされてデビュー。続いて小杉勇監督の『船方さんよ』の主役に起用された。小林旭、川地民夫らと共に売り出され、多くの作品に主演する。1959年(昭和34年)『らぶれたあ』に主演した。1961年に日活を退社してフリーランスへ。 テレビドラマでは、1961年(昭和36年)7月17日より3年間にわたって放送された『月曜日の男』(月曜日夜9時半から10時まで、TBS系列で放送)に主演しブレイク。
内山 森彦(うちやま もりひこ、1936年5月27日 - )… 内山 森彦(うちやま もりひこ、1936年5月27日 - )は、日本の俳優、声優。長野県諏訪市出身。アンテーヌ所属。 長野県諏訪清陵高等学校卒業、法政大学文学部日本文学科卒業。 以前は劇団三十人会、プロダクション・エムスリーに所属していた。
諸口 あきら(もろぐち あきら、本名:南 弘人(みなみ ひろ… 諸口 あきら(もろぐち あきら、本名:南 弘人(みなみ ひろと)、1936年〈昭和11年〉5月21日 - 2017年〈平成29年〉9月10日 )は、日本のタレント、ラジオパーソナリティ、カントリーシンガー、俳優、評論家、書家。妻はプロゴルファーの中村悦子。 福岡県門司市(現在の北九州市門司区)出身で、多摩美術大学油絵学科を卒業した。1960年代に、「茂呂 弘人」や「諸口 旭」名義で俳優として活動した。 1970年代にカントリーシンガーとして一世を風靡したほか、関西地方を中心にディスクジョッキーや放送タレントとしての活動を展開した。『日本列島ズバリリクエスト』(KBS京都ラジオ)や『MBSヤングタウン』(毎日放送ラジオ)をはじめ、関西地方のラジオ局が制作する番組に数多く出演した。
市原 清彦(いちはら きよひこ、1936年5月5日 - )は… 市原 清彦(いちはら きよひこ、1936年5月5日 - )は、東京都出身の日本の俳優、声優。身長170 cm。体重63 kg。血液型はB型。 東京都立立川高等学校卒業後、俳優座養成所に11期生として入所。1962年に劇団三期会(現 - 東京演劇アンサンブル)に入団。初舞台は『日本人民共和国』の矢田部一役。 かつては東京演劇アンサンブル、独立企画、アクターズ・カンパニー、希楽星に所属していた。 特技はジョギング。趣味は野球。
早川 保(はやかわ たもつ、1936年4月18日 - )は、… 早川 保(はやかわ たもつ、1936年4月18日 - )は、日本の俳優である。本名は持田芳男(もちだ よしお)。神奈川県川崎市出身。
毒蝮 三太夫(どくまむし さんだゆう、1936年3月31日 … 毒蝮 三太夫(どくまむし さんだゆう、1936年3月31日 - )は、日本の俳優、タレント、ラジオパーソナリティ。まむしプロダクション所属。本名及び旧芸名:石井 伊吉(いしい いよし)。。愛称は「まむちゃん」「まむし(さん)」。 江戸弁の要素がみられる話し方が特徴的な東京・浅草育ちの俳優で、1969年から開始した『ミュージックプレゼント』(TBSラジオ)の中継先レポーターとして長年活躍し、聴衆一人一人に語りかける際の愛のある悪口が人気を呼び、長寿番組となった。 関東地方では高い知名度を誇るラジオスターの一人である。 聖徳大学短期大学部客員教授も務める。 大工の息子として大阪市住吉区に生まれたが、生後3カ月で東京市荏原区中延(現:東京都品川区中延)に転居。
飯田 和平(いいだ わへい、1936年3月26日 - 201… 飯田 和平(いいだ わへい、1936年3月26日 - 2012年3月8日)は、日本の男性俳優、声優。劇団昴所属。東京都出身。東京都立上野高等学校卒。
吉田 輝雄(よしだ てるお、1936年3月23日 - )は、… 吉田 輝雄(よしだ てるお、1936年3月23日 - )は、大阪府高槻市出身の俳優、歌手。 高槻市立第一中学校時代は野球部に属していた。北陽高等学校、立命館大学経済学部卒業後、1958年湯浅電池に入社(営業部に配属)。翌1959年、新東宝の大蔵貢社長にスカウトされ、湯浅電池を退職後、新東宝に入社。菅原文太、高宮敬二、寺島達夫ら長身の若手二枚目スターと共に「ハンサムタワーズ」として売り出し、主演スターとして活躍。代表作『地帯(ライン)シリーズ』(監督・石井輝男)では、天知茂、三原葉子らと共演。このシリーズは5部作にも及ぶ人気シリーズになった。 1961年、新東宝の倒産に伴い、ハンサムタワーズのメンバーと共に松竹へ移籍。
夏木 陽介(なつき ようすけ、1936年2月27日 - 20… 夏木 陽介(なつき ようすけ、1936年2月27日 - 2018年1月14日)は、日本の俳優、ラリードライバー。本名:阿久沢 有()。三船プロダクション、株式会社夏木プロダクション代表取締役社長(~2014年)を経て、オフィス夏木(2015年~2018年)所属。 東京府八王子市出身。桜美林高等学校を卒業。 1954年、明治大学経営学部に入学。同級生だったホキ徳田の祖母の家に画家の中原淳一が寄宿していたことが縁で中原が編集者を務めていたひまわり社を見学した際、中原が発行する雑誌「ジュニアそれいゆ」のモデルにスカウトされ、1958年、大学卒業と同時に東宝へ入社。この時、中原の命名によって「夏の太陽に向かって真っすぐに伸びていく若木のように、たくましく生き生きとした俳優になって欲しい」という意味を込められた「夏木陽介」の芸名を受け、数日後には『美女と液体人間』で映画デビューを飾る。