中村 和子(なかむら かずこ、1933年4月1日 - 201… 中村 和子(なかむら かずこ、1933年4月1日 - 2019年8月3日)は、日本のアニメーター。関東州旅順生まれ。 満州生まれで、幼少期から絵に親しみ、満州に美術学校が無かったため将来は内地の美術学校に進学するつもりでいた。12歳で同地で終戦を迎え山口県に引き揚げる。 山口県立宇部高等学校から女子美術大学洋画科に進学。画業のみで生計を立てるのは大変であるため、大学で高校と中学の美術教員免許を取得している。同大在学中、フランスの長編漫画映画『やぶにらみの暴君』(1952年/ポール・グリモア監督)を観てアニメーターに関心を持ち、卒業後、東映動画にスタジオ開設時の募集広告を見て第1期採用で入社。同期入社に大塚康生、紺野修司らがいる。
おかだ えみこ(1933年~1934年 - 2023年11月… おかだ えみこ(1933年~1934年 - 2023年11月20日)は、日本の映画評論家、アニメーション研究家、CMプランナー。 本名、岡田英美子。公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団評議員。 兵庫県芦屋市出身。1957年、慶應義塾大学文学部図書館学科卒業。横山隆一のアニメーション制作会社「おとぎプロダクション」、東映のCMプランナーを経て、フリーとなる。傍ら「映画評論」での執筆をスタート、以後、アニメーション評論家として活躍。 著書に「人形アニメーションの魅力」「歴史をつくったアニメ・キャラクターたち」、共著に「僕らの実戦アニメ塾」「アニメの世界」「ひとりから始めるアニメの作り方」などがある。
長浜 忠夫(ながはま ただお、1932年〈昭和7年〉9月26… 長浜 忠夫(ながはま ただお、1932年〈昭和7年〉9月26日 - 1980年〈昭和55年〉11月4日)は、日本のアニメ監督、舞台演出家。鹿児島県鹿児島市出身。あおいあきらのペンネームで作詞も手がけた。 中学生時代から演劇部で活動。鹿児島放送劇団に所属し、演出を担当する。日本大学芸術学部演劇学科に進学。舞台芸術学院、キリン座、青年俳優クラブ、劇団民藝(宇野重吉に師事)で演劇を学びながら、演劇雑誌『テアトロ』編集部でアルバイトをする。 1960年代前半、人形劇団ひとみ座の演出部に所属していた頃、テレビの人形劇(NHK『ひょっこりひょうたん島』、TBSテレビ『伊賀の影丸』)の演出を担当。その後、ひとみ座の同期で『伊賀の影丸』の製作者でもあった藤岡豊が設立したアニメ制作会社東京ムービーのアニメ制作を担当していたAプロダクションへ入社する。
小林 七郎(こばやし しちろう、1932年8月30日 - 2… 小林 七郎(こばやし しちろう、1932年8月30日 - 2022年8月25日)は、北海道常呂郡置戸村(現・置戸町)出身の日本のアニメーション美術監督。小林プロダクション元代表取締役。神戸芸術工科大学客員教授。 北海道の寒村の7人兄弟に生まれる。幼少期は自然よりも人間や動物や兵器のほうをよく描いていたが、中学生から自然の風景を描き始める。武蔵野美術大学卒業後、小学校の美術教師を経て1964年に東映動画入社、1967年に現代製作集団に移籍。1968年に小林プロダクションを設立。『ど根性ガエル』、『ガンバの冒険』、 『元祖天才バカボン』、『あしたのジョー2』、『侍ジャイアンツ』、『ルパン三世 カリオストロの城』、『魔法の天使クリィミーマミ』、『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』、『天使のたまご』、『お伽草子』などの作品で美術監督を歴任した。
真鍋 博(まなべ ひろし、1932年7月3日 - 2000年… 真鍋 博(まなべ ひろし、1932年7月3日 - 2000年10月31日)は、日本のイラストレーター、アニメーター、エッセイスト。日本SF作家クラブ会員。 愛媛県宇摩郡別子山村(現・新居浜市)にて村の助役の家庭に生まれ、3歳のとき父の住友金属鉱山入社に伴い新居郡中萩村(現・新居浜市)に転居。 愛媛県立新居浜西高等学校を経て、1954年、多摩美術大学油画科卒業後、東京都の教員(地方公務員)として採用され港区立赤坂中学校に美術教師として勤務。多摩美術大学大学院美術研究科修了。 当初は油彩画が活動の中心であった。抽象的で洗練された画風を得意とし、星新一、筒井康隆などのSF小説の挿絵を多く描いた。特に、星新一については名コンビと称され、『悪魔のいる天国』のように、版が変わるごとに新たに多数のイラストを書きおろすようなこともやっている。
辻 真先(つじ まさき、1932年3月23日 -)は、日本の… 辻 真先(つじ まさき、1932年3月23日 -)は、日本のアニメ・特撮脚本家、推理作家、漫画原作者、旅行評論家、エッセイスト、デジタルハリウッド大学名誉教授。 父は自由民主党の衆議院議員・中日電機工業会長の辻寛一。「実家はおでん屋」と語ることもあるが、これは父寛一が栄で「辻かん」というおでん屋を営んでいたからである。愛知県第一中学校、愛知県立明和高等学校、名古屋大学文学部卒業。 1954年、NHKに入局。制作進行、演出、プロデューサーなどを務めた。NHK在局中も脚本の執筆を行っていたが、1962年に退局し、脚本家としてアニメ・特撮などを中心に多くの脚本を担当。 小説家としては旧『宝石』の新人賞候補作が商業誌デビュー作という経歴を持つ。
岡本 忠成(おかもと ただなり、1932年1月11日 - 1… 岡本 忠成(おかもと ただなり、1932年1月11日 - 1990年2月16日)は、日本のアニメーション作家。 持永只仁や川本喜八郎とともに日本のアニメーション黎明期の礎を築き、多大な功績と発展を遺した「アニメーションの神様」の一人として知られる。 妻は人形作家の森田さと子、長男はブックデザイナーの岡本洋平。義弟にイタリア美術研究で著名な森田義之がいる。 大阪府豊中市生まれ。大阪大学法学部卒業、一般会社に就職した後にチェコのアニメ作家イジー・トルンカを始めとしたチェコのアニメーションの作品に魅せられて退社し、日本大学芸術学部映画学科に編入学。 1961年に持永只仁のMOMプロダクションに入社し、アニメーション撮影の腕を磨く。
柳原 良平(やなぎはら りょうへい、1931年8月17日 -… 柳原 良平(やなぎはら りょうへい、1931年8月17日 - 2015年8月17日)は、日本のイラストレーター、漫画家、アニメーション作家、エッセイスト。東京都出身。神奈川県横浜市中区在住。「アンクルトリス」の産みの親として、また無類の船好きとしても知られる。過去には「帆船日本丸記念財団」の理事も務めていた。西村捨三のひ孫。
大塚 康生(おおつか やすお、1931年7月11日 - 20… 大塚 康生(おおつか やすお、1931年7月11日 - 2021年3月15日)は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー。島根県生まれ、山口県育ち。演出を担当する際には、鈴木一というペンネームを用いることがある。晩年は日本アニメーター・演出協会(JAniCA)会員、テレコム・アニメーションフィルム顧問であった。 1931年、島根県に生まれる。小学2年生のときに山口県山口市に転居した。戦前から終戦直後にかけての少年時代に機関車や米軍の軍用車両などのスケッチに熱中し、やがて絵で生計を立てたいと思うようになる。 旧制中学を卒業後、1951年に山口県庁に就職するも、翌年には漫画家を目指して上京を決意。
芹川 有吾(せりかわ ゆうご、1931年6月26日 - 20… 芹川 有吾(せりかわ ゆうご、1931年6月26日 - 2000年10月4日)は、日本のアニメーション演出家、脚本家、映画監督である。東京都小石川区水道町出身。ペンネームに、浜田 稔、山中 肇、金子 健がある。父は、東京シネマ商会会長の芹川政一。 映画人の家庭に育ち、新東宝では、助監督として並木鏡太郎、中川信夫に師事した。渡辺邦男の早撮りの技術も勉強になったという。ウォルト・ディズニーの『バンビ』でアニメーションに魅了され、『白蛇伝』を見て制作した東映動画(現・東映アニメーション)へ入社。初監督作品『わんぱく王子の大蛇退治』は、内容的な評価も高く、それまでの東映動画になかった本格的な演出を持ち込み、監督という職制を確立した歴史的作品である。
田口 勝彦(たぐち かつひこ、1931年1月24日 - 20… 田口 勝彦(たぐち かつひこ、1931年1月24日 - 2020年4月27日)は、日本の映画監督、テレビドラマの演出家、アニメーション監督、脚本家。脚本家としてのペンネームは山崎久、田口章一。岡山県津山市出身。シナリオ協会作家会員。日本映画監督協会会員。 日本大学芸術学部卒業後、東映へ入社。編集業務を経て、1年後に演出部へ異動。東映東京撮影所で1961年の『ファンキーハットの快男児シリーズ』である『ファンキーハットの快男児』、『ファンキーハットの快男児 二千万円の腕』の助監督を経て、東映東京制作所でテレビドラマの監督として活動。1966年に『悪魔くん』で監督としてデビューし、初期の「仮面ライダーシリーズ」や「スーパー戦隊シリーズ」のローテーション監督として同シリーズを支えた。
手塚 治虫(てづか おさむ、本名:手塚 治〈読み同じ〉、19… 手塚 治虫(てづか おさむ、本名:手塚 治〈読み同じ〉、1928年〈昭和3年〉11月3日 - 1989年〈平成元年〉2月9日)は、日本の漫画家、アニメ監督、医師。学位は医学博士(奈良県立医科大学、1961年)。大阪府豊能郡豊中町(現・豊中市)生まれ、兵庫県宝塚市出身。宝塚市名誉市民。大阪帝国大学附属医学専門部(現・大阪大学医学部)卒業。戦後日本に於いて、漫画表現の開拓者的存在として、デビューから死の直前まで第一線で作品を発表し続け、存命中から「マンガの神様」と評された。 大阪帝国大学附属医学専門部在学中の1946年1月1日に4コマ漫画『マアチャンの日記帳』(『少国民新聞』連載)で漫画家としてデビュー。
久里 洋二(くり ようじ、1928年4月9日 - 2024年… 久里 洋二(くり ようじ、1928年4月9日 - 2024年11月24日)は、日本のアニメーション作家、イラストレーター、絵本作家、洋画家。一コマ漫画家としても活動している。本名:栗原 英夫(くりはら ひでお)。 2016年以降、クリ ヨウジ、または姓名の間に中黒を入れたクリ・ヨウジの名義を併用して活動している。 福井県今立郡鯖江町(のちの鯖江市)出身。父は軍人。陸軍幼年学校の受験に失敗後、旧制福井県立武生中学校(のちの福井県立武生高等学校)へ入学。中学時代に終戦を迎えた。1947年、京都市美術学校の入学試験に合格するが、父親が公職追放となり、学費の目処が立たなくなったために進学を断念し、郷里で様々な職業について家計を助けた。
森 康二(もり やすじ、1925年1月28日 - 1992年… 森 康二(もり やすじ、1925年1月28日 - 1992年9月4日)は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー、絵本作家。日本アニメーション所属。森やすじ、もりやすじという表記も使用した。 鳥取県鳥取市出身。台湾で幼少期を過ごす。東京美術学校(現・東京芸術大学)卒業。 政岡憲三に師事しアニメーションを学ぶ。日本における初期の本格的な商業用アニメーション製作会社・東映動画(現・東映アニメーション)に発足当初から参加し、同社草創期の作画部門において大工原章らとともに指導的な役割を果たす。以後長年にわたり、数々の児童向けアニメーション映画・テレビ番組制作に携わる。 日本アニメーションに所属してからは、アニメーション制作の他に新人、若手アニメーターの教育や指導も行っていた。
川本 喜八郎(かわもと きはちろう、1925年(大正15年)… 川本 喜八郎(かわもと きはちろう、1925年(大正15年)1月11日 - 2010年(平成22年)8月23日)はアニメーション作家、人形作家。東京都出身。勲四等旭日小綬章(1995年受章)。日本アニメーション協会会長(1996年~2010年)。日本アニメーション協会名誉会長。日本を代表する人形アニメ監督。
うしお そうじ(牛尾 走児とも、1921年12月4日 - 2… うしお そうじ(牛尾 走児とも、1921年12月4日 - 2004年3月28日)は、日本の漫画家、アニメーター、特撮・映像作品プロデューサー、演出家である。映像製作会社「ピー・プロダクション」創業者。 本名は鷺巣 富雄(さぎす とみお)。別名:若林 藤吾、若林 不二吾(わかばやし ふじご)。 弟は、アニメ制作会社エイケンでプロデューサーを務めた鷺巣政安。長男は作曲家・現ピー・プロダクション社長の鷺巣詩郎。 1921年(大正10年)東京府東京市芝区(現・東京都港区)生まれ。実家は芝区の神明で、西洋家具の製造販売や、演劇関係の小道具を扱う「明光社」という大店だった。 1939年(昭和14年)、淀橋の工学院(現・工学院大学)を心臓脚気(脚気衝心)により中退。
持永 只仁(もちなが ただひと、1919年3月3日 - 19… 持永 只仁(もちなが ただひと、1919年3月3日 - 1999年4月1日)は、日本のアニメーション監督、人形アニメーション作家。 芸術映画社でアニメーションの世界に入り、満州映画協会入社後、日本敗戦後も中国東北部に残留して中国名「方明」でアニメーション映画を製作し続け、中華人民共和国建国後は上海に移動して上海美術映画製作所の前身となるアニメスタジオの設立に携わった。帰国後、人形アニメーション映画の製作に関わる。日本アニメーション協会名誉会員。中国にはその貢献を称えて「持永只仁賞」「持永只仁奨学金」などが存在している。 題名末尾の▲印は監督・演出(導演)以外のスタッフ参加作品 ※以降の監督作品はカラーフィルムにより製作 この時期は、タイトル上の役職はAnimagic〈時にSupervisor〉
横山 隆一(よこやま りゅういち、1909年5月17日 - … 横山 隆一(よこやま りゅういち、1909年5月17日 - 2001年11月8日)は、日本の漫画家・アニメーション作家。高知県高知市出身。 政治風刺漫画が主流だった1930年代日本の漫画界において、簡略な絵柄と明快なギャグによる欧米流の「ナンセンス漫画」を志向した若手グループ「新漫画派集団」を結成し、やがて戦中・戦後初期の漫画界をリードした。戦後にはアニメーション制作会社「おとぎプロダクション」を設立したほか、広告・絵本のイラストレーションや、油彩画を描いた。 高知市堺町に生まれる。公式の誕生日(戸籍上の生年月日)は5月17日であるが、横山自身は母から、名付けの遅れのために届け出が遅れ、本当の生まれた日付は5月10日であったことを伝え聞いているという。
大石 郁雄(おおいし いくお、1901年 - 1944年12… 大石 郁雄(おおいし いくお、1901年 - 1944年12月4日)は、日本の映画監督、アニメーション作家、脚本家である。初期には大石 郁(おおいし いく)とも。 1901年(明治34年)、東京府東京市日本橋区(現・東京都中央区)に生まれる。東京開成中学校 から黒田清輝画塾に通い、同門の横尾泥海男、鈴木重吉と知り合って漫画映画製作に興味を持ち、鈴木の所有していたドイツ製のウエルテルカメラを使って動画の習作をいくつか制作する。 1918年(大正7年)8月、森永製菓が「森永ミルクチヨコレート」発売に際し、宣伝用漫画映画『兎と亀』を製作、習作動画の腕を買われ、16歳の「大石郁」がこの動画を制作。日本初の広告用アニメーションであるが、本作は現存しない。
大藤 信郎(おおふじ のぶろう、本名:大藤 信七郎、1900… 大藤 信郎(おおふじ のぶろう、本名:大藤 信七郎、1900年6月1日 - 1961年7月28日)は、東京都浅草出身の日本の男性アニメ監督である。 戦前期には江戸千代紙を用いた切り絵アニメーション、戦後は影絵と色セロファンを用いたアニメーションを個人で作り続け、とりわけ後者は日本のアニメーションとして初めて国際的な評価を受ける。特に1953年にカンヌ国際映画祭短篇部門に出品した『くじら』(1952年完成)は上映会場で画家パブロ・ピカソにも絶賛された。手塚治虫は「わが国のアニメーションの最初の功労者」としている。没後、大藤の生涯の業績を記念して毎日映画コンクールの中に大藤信郎賞が設けられた。 東京浅草の蓄音機録音スタジオを経営する家で、8人兄弟の7番目の子として生を享ける。
蕗谷 虹児(ふきや こうじ、蕗谷 虹兒、1898年〈明治31… 蕗谷 虹児(ふきや こうじ、蕗谷 虹兒、1898年〈明治31年〉12月2日 - 1979年〈昭和54年〉5月6日)は、挿絵画家、詩人、アニメーション監督。 抒情画という言葉の考案者。童謡・抒情歌「花嫁人形」の作詞者。 1898年 (明治31年) 12月2日、新潟県北蒲原郡水原町 (現・阿賀野市) 生まれ。新潟県新発田町 (現・新発田市) 出身。本名は一男といった。 蕗谷の自伝小説「花嫁人形」「乙女妻」によれば、父親・傳松 (でんまつ) は新潟市 (現・新潟市中央区)、新潟島の信濃川河口付近にあった三傳小路に土蔵と屋敷を構えた北前船の廻船問屋「三傳 (さんでん)」当主の次男であったが、当主が廃業し、新発田町にて活版印刷所を開業。
政岡 憲三(まさおか けんぞう、1898年〈明治31年〉10… 政岡 憲三(まさおか けんぞう、1898年〈明治31年〉10月5日 - 1988年〈昭和63年〉11月23日)は、日本のアニメーション作家、アニメ監督、演出家。大阪府出身。日本のアニメ黎明期において多大な貢献をしたことから「日本のアニメーションの父」「日本動画の父」と評される。 1898年(明治31年)、大阪府に生まれる。 1917年(大正6年)、京都市立美術工芸学校卒業。黒田清輝の元で学ぶ。 1925年(大正14年)、マキノプロダクションに入社。 1926年(大正15年)、京都市下加茂に吞平プロダクション(個人映画プロダクション)を設立。『貝の宮殿』を自主制作。 1929年(昭和4年)、日活太秦撮影所に入社。
みたらし 三大(みたらし さんた、本名:杉山 佑太〈すぎやま… みたらし 三大(みたらし さんた、本名:杉山 佑太〈すぎやま ゆうた〉、12月25日 - )は、日本の漫画家、アニメーター。武蔵野美術大学デザイン情報学科卒業。2024年より『週刊少年ジャンプ』(集英社)にて、たけぐし一本原作による『しのびごと』を連載し、漫画を担当している。 松本第一高等学校美術工芸コースを卒業後、武蔵野美術大学デザイン情報学科を卒業。その後、大手映像プロダクションでCMディレクターを務めた。2017年11月、受賞歴がない状態で漫画家としてデビューを果たす。『アメノフル』の掲載が決定したことにより、会社を休職し漫画家として活動している。 2021年、『週刊少年ジャンプ』(集英社)20号から41号まで『アメノフル』を連載する。
西田 亜沙子(にしだ あさこ、12月2日 - )は、日本のア… 西田 亜沙子(にしだ あさこ、12月2日 - )は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー。大阪府出身。 大阪市立工芸高等学校図案科(現・ビジュアルデザイン科)卒業。夫は同じくアニメーターの中谷誠一。AS(アズ)、中谷 亜沙子(なかたに あさこ)という別名義を使うこともある。
山田 尚子(やまだ なおこ、11月28日 - )は、日本のア… 山田 尚子(やまだ なおこ、11月28日 - )は、日本のアニメ演出家・監督、アニメーター。京都府生まれ。 幼少期は『ドラえもん』『クレヨンしんちゃん』『スタジオジブリ作品』を好んでよく観ていた。また、小学生の頃より絵を描くことが好きで、『ドラゴンボール』『機動警察パトレイバー』『ハイスクール!奇面組』などの絵を模写していた。 高校時代はテニス部と写真部に所属。京都造形芸術大学(のちの京都芸術大学)に進学後は特撮部に所属していた。学科での専攻は油絵だったが、3年次にて「キャンバスでは自分がやりたい表現は出来ない」と感じ、立体造型の製作に着手。皆が絵画に取り組む中、発泡プラスチックを削っていたという。
金澤 洪充(かなざわ ひろみつ、10月16日 - )は、日本… 金澤 洪充(かなざわ ひろみつ、10月16日 - )は、日本の男性アニメーション演出家、アニメ監督。大阪府吹田市出身、大阪市旭区育ち。 大阪芸術大学映像学科卒業後、アリスソフトを経てGoHandsに所属していたが、2019年7月からフリーランスとなり、2022年5月現在は大阪芸術大学の映像学科講師として勤めながらフリーのアニメ演出家としても活動している。 大学在学中からアリスソフトにアルバイトとして出入りし、正式に所属した後は「ちみろいむ」名義でファンクラブ専用サイトの設営、企画、管理、広報、版権管理などを担当していた。アリスソフト退社後はテレビアニメ作品のデザインや3D関係を担当。 『無敵王トライゼノン』で商業用アニメーション制作に初参加、『プリンセスラバー!』にてアニメ監督を初担当。
木村 真一郎(きむら しんいちろう、10月4日 - )は、日… 木村 真一郎(きむら しんいちろう、10月4日 - )は、日本の男性アニメ監督・演出家。別名義にきむらしんいちろう、キムラシンイチロウ、常磐鐘鳴、村木一真。愛称はキムシン。広島県出身。 幼少期は、父親がタンカー船員だった為に家を長く空ける事が多く、母親と共に時代劇やドラマ等を観て過ごす事が多かった。アニメに関しては『タイガーマスク』が印象に残っていると言い、その原作漫画やアニメ雑誌も愛読していた。 教員免許取得を目的として、大阪芸術大学芸術学部美術学科油画コースへ進学。在学中は漫画アニメーション研究会CASに所属し、漫画家・田中政志や、アニメ監督・加戸誉夫らと同期。 大学卒業後、動画スタッフとしてじゃんぐるじむに入社するも、演出業務に興味が移り、程無くスタジオワールドへ制作進行として移籍し、先輩となる小島正幸・桜井弘明らの下で演出助手として研鑽も深める。
Waboku(わぼく、7月29日 - )は、日本の男性アニメ… Waboku(わぼく、7月29日 - )は、日本の男性アニメーション作家。退廃的な世界観を軸にイラストレーション、アニメーション分野で制作活動を行っている。2015年(平成27年)から活動している。 高校時代は民俗学者になることを夢見ていたが、高校3年生のときに偶然視聴した細田守の映画サマーウォーズに影響を受け、美術系を志すようになり、東京工芸大学芸術学部アニメーション学科に進学した。 19歳のときに、カット割りが速くさまざまなシーンやキャラクターが一挙に出てくる、情報量の多い「ミュージックビデオ」に魅力を感じ、初めてアニメーションMVを作り始めた。Wabokuは当時影響を受けた作品として、中澤一登や森本晃司、田中達之の作品を挙げている。
足立 慎吾(あだち しんご、7月5日 - )は、日本のアニメ… 足立 慎吾(あだち しんご、7月5日 - )は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー、アニメ監督。大阪府出身。妻は同じアニメーターの飯塚晴子。 現在はフリーランスだが、以前はXEBECに所属していた。 大阪芸術大学映像学科を卒業後、大学の先輩である石原満に誘われて、アニメーション制作会社のXEBECに入社。 『機動戦艦ナデシコ』で初の動画を担当し、『ロックマンエグゼ』の第9話「恐怖のヨガ戦士!」にて初の作画監督を務めた。 初代監督・宮崎なぎさの降板後、作画崩壊で批判の多かった『魔法先生ネギま!』に第15話「Amicus certus in re incerta cernitur」から参加し、作画を安定させたことから注目を浴びる。
浦谷 千恵(うらたに ちえ、女性、5月31日 - )は、日本… 浦谷 千恵(うらたに ちえ、女性、5月31日 - )は、日本のアニメ監督、アニメーター・キャラクターデザイナー。夫は片渕須直。 テレコム・アニメーションフィルムに務めた後、世界名作劇場作品及びSTUDIO 4℃、マッドハウス、MAPPAにて活動。
高橋 亨(たかはし とおる)は、日本のアニメーション演出家。… 高橋 亨(たかはし とおる)は、日本のアニメーション演出家。専門学校東京デザイナー学院(現専門学校東京ネットウエイブ)出身。 元はアニメーターだったが、同窓だった長谷川眞也の誘いで少女革命ウテナに監督補佐して参加する。その後は主にJ.C.STAFFやマッドハウスなどで演出を担当している。
今村 隆寛(いまむら たかひろ)は、日本のアニメーション監督… 今村 隆寛(いまむら たかひろ)は、日本のアニメーション監督、アニメーション演出家。
森川 聡子(もりかわ さとこ)は、日本のアニメーター、キャラ… 森川 聡子(もりかわ さとこ)は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー。 大阪府立泉陽高等学校卒業。 過去にテレコム・アニメーションフィルム、日本アニメーションに在籍。
佐々木 勝利 は、日本のアニメーション演出家、アニメ監督。神… 佐々木 勝利 は、日本のアニメーション演出家、アニメ監督。神奈川県出身。
石原 立也 は、日本の男性アニメーター、アニメーション演出家… 石原 立也 は、日本の男性アニメーター、アニメーション演出家、アニメーション監督。京都府舞鶴市出身。京都アニメーション取締役。
西田 稔 は、日本の男性アニメーション美術監督。
ウシロ シンジ(本名:後 信治)は、日本の男性アニメーション… ウシロ シンジ(本名:後 信治)は、日本の男性アニメーション演出家。広島県出身。広島県立三原高等学校、東洋大学卒。
寺尾 優一(てらお ゆういち)は、日本のアニメーション撮影監… 寺尾 優一(てらお ゆういち)は、日本のアニメーション撮影監督、コンポジッター、エフェクトアーティスト、アニメーション演出家である。岡山県出身。 アニメーション制作会社ufotableに所属。ufotableデジタル映像部チーフを務める。 大阪芸術大学に入学後、栖原隆史らと自主制作のアニメーション映画を制作し、関東にある大学サークルと上映会を開催することもあった。大学3年生の時、大学の先輩からの紹介で2003年12月にアニメーション制作会社ufotableに入社した。入社当初は制作部にて制作進行を希望していたが、面接の際に映像を持ち込んでいたことから、当時、設立されたばかりの撮影部(現在のデジタル映像部)に配属となる。
obetomo(おべとも)は、東京都生まれのイラストレーター… obetomo(おべとも)は、東京都生まれのイラストレーター、アニメーション作家。 本名は岡部 知子(おかべ ともこ)。 東京造形大学視覚伝達デザイン学科卒業。血液型はB型。 ニューヨークで5歳まで育つ。「obetomo」は、学生時代のあだ名に由来する。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
戸部 敦夫(とべ あつお)は、日本の男性アニメーター、キャラ… 戸部 敦夫(とべ あつお)は、日本の男性アニメーター、キャラクターデザイナー、メカニックデザイナー。父は演出家の戸部信一で、母は声優の小原乃梨子。立教大学卒業。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
阿部 記之 は、日本の男性アニメ演出家・監督、音響監督。血液… 阿部 記之 は、日本の男性アニメ演出家・監督、音響監督。血液型はB型。本名及び旧名義は阿部 紀之、別名義として阿倍 紀之がある。早稲田大学理工学部建築学科卒。
渡辺 信一郎 は、京都府綾部市出身のアニメ演出家、アニメ監督… 渡辺 信一郎 は、京都府綾部市出身のアニメ演出家、アニメ監督、音楽プロデューサー。
山本 靖貴(やまもと やすたか)は、日本の男性アニメーター、… 山本 靖貴(やまもと やすたか)は、日本の男性アニメーター、アニメ演出家、アニメ監督。愛知県安城市出身。フリー。 じゃんぐるじむに入社し動画を担当。その後スタジオコメットに移籍し、動画を経て原画に昇格。その後、独自の演出や作品全体のコントロールに目覚め、演出家を志望。『おねがいマイメロディ』で演出助手を務めた後に同社を離れフリーになり、トランス・アーツ制作の『韋駄天翔』第34話「再びXゾーンへ!」で絵コンテ・演出デビュー。『吉宗』の第6話「萌えよ婆」などの作品に携わる。その後『ポルフィの長い旅』の助監督を経て、『戦場のヴァルキュリア』で加藤淳プロデューサーに選抜され監督デビューを飾る。 学生の頃は美術部の部長を務め、あだ名は「部長」だった。
近藤 高光(こんどう たかみつ)は、日本の男性キャラクターデ… 近藤 高光(こんどう たかみつ)は、日本の男性キャラクターデザイナー、アニメーター、漫画家。愛知県岡崎市出身。 フリーランスのアニメーターで、「サンライズ」と「スタジオ雲雀」での仕事が多く、キャラクターデザインを『宇宙海賊ミトの大冒険』では「石神零番地」名義、『クラッシュギアNitro』では「朝倉三太」名義で行っていた(『エルドランシリーズ』では全4作品中唯一キャラクターデザインを担当)。 この項目は、アニメ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJアニメ)。
伊東 岳彦(いとう たけひこ)は、日本の漫画家、イラストレー… 伊東 岳彦(いとう たけひこ)は、日本の漫画家、イラストレーター、アニメーション作家。男性。 本名や生年月日は公表されていない。代表作は『宇宙英雄物語』『星方武侠アウトロースター』『覇王大系リューナイト』。愛称は「老師」。 北海道北見市出身。高校卒業後、東京のデザイン専門学校へ進み、同時期に様々な雑誌の仕事や設定協力などを手掛ける。その後おもちゃのデザインの仕事に就いた後、漫画編集者に。しかし担当した作品がどれも面白くないと思いそれなら自分で描いたほうがいいと考えて転職、「Good Morning アルテア」をアンソロジーコミック『C-LIVE 1』(夢元社発行、東京創元社発売)に掲載。 デビュー当初はBLACK POINTというペンネームを使用しており、自画像(顔に「BP」と書かれている)や初期の作品で確認できる。
兼森 義則 は、広島県呉市出身の日本の男性アニメーター、キャ… 兼森 義則 は、広島県呉市出身の日本の男性アニメーター、キャラクターデザイナー、監督、作画監督、演出家である。スタジオM2所属。東京デザイナー学院アニメーション科卒業。日本アニメーター・演出協会 (JAniCA) 会員。
梅津 泰臣 は、日本の男性アニメーター、キャラクターデザイナ… 梅津 泰臣 は、日本の男性アニメーター、キャラクターデザイナー、アニメ演出家・監督、原作者、脚本家。福島県郡山市出身。血液型A型。
岡本 英樹(おかもと ひでき)は、日本のアニメーション演出家… 岡本 英樹(おかもと ひでき)は、日本のアニメーション演出家、アニメーション監督。奈良県奈良市出身。 サンライズの『機動新世紀ガンダムX』第26話「何も喋るな」で初の演出を飾る。その後はフリーになり、瀬田 用賀の名義で『D.C.S.S. 〜ダ・カーポ セカンドシーズン〜』などの演出も担当している。軍事(特に旧海軍や海上自衛隊、ポーランド軍)に関して造詣が深く、アニメ『ジパング』の設定考証も担当している。 この項目は、アニメ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJアニメ)。
井出 安軌(いで やすのり)は、日本のアニメーション脚本家・… 井出 安軌(いで やすのり)は、日本のアニメーション脚本家・演出家・監督。長野県松本市出身。 代表作は『おねがい☆』シリーズ監督。 サンライズ制作から、AIC(アニメインターナショナルカンパニー)に演出として移籍。文化放送のラジオドラマ、ツインビーPARADISEの脚本などで頭角を表す。フリーに転身後『おねがい☆』シリーズ監督を務め、人気を博する。自身が関わる作品に於いて楽曲の作詞活動を行う事があり、『花右京メイド隊』(第1期)のOP主題歌は電波ソングとして知られ、同シリーズが原作のブラックさを敢えて消したのは、短期シリーズであった事に加えて井出監督の意向もあったとされる。他にも声優の後藤邑子の1stアルバムの楽曲の作詞提供も行っている。
鴫野 彰 は、日本の男性アニメ演出家、アニメ監督。別名義にし… 鴫野 彰 は、日本の男性アニメ演出家、アニメ監督。別名義にしぎのあきら、義野利幸(ぎゃりこ)がある。日本アニメーター・演出協会(JAniCA)会員。北海道出身。