横山 準(よこやま じゅん、1928年1月15日 - )は、… 横山 準(よこやま じゅん、1928年1月15日 - )は、日本の元子役、俳優である。本名は横山 昇一(よこやま しょういち)。子役時代の芸名は爆弾小僧(ばくだんこぞう)。 1928年(昭和3年)1月15日、新潟県東頚城郡(現在の同県十日町市)に生まれる。 1933年(昭和8年)3月1日、松竹蒲田撮影所に入社。野村芳亭監督映画『島の娘』に初出演する。1935年(昭和10年)の清水宏監督映画『若旦那 春爛漫』から爆弾小僧の芸名を名乗る。『有りがたうさん』『風の中の子供』『按摩と女』など清水の作品に多数出演、また斎藤寅次郎監督の映画にも重用される。同時期に松竹に所属していた突貫小僧、葉山正雄、アメリカ小僧とともに子役の四天王と評された。
長谷川 弘(、1928年1月3日 - )は、日本の俳優である… 長谷川 弘(、1928年1月3日 - )は、日本の俳優である。本名は長谷川 宇之助。東京市淀橋区(現・東京都新宿区)出身。 東京都立高輪工業高等学校(現・東京都立六郷工科高等学校)卒業。1962年、東宝の『どぶ鼠作戦』でデビュー。 以降、岡本喜八監督作品の常連となり多数の映画に出演。テレビドラマでは主に小悪党的な悪役(ヤクザ、悪徳商人、悪徳役人など)として活躍した。
平田 昭彦(ひらた あきひこ、1927年〈昭和2年〉12月1… 平田 昭彦(ひらた あきひこ、1927年〈昭和2年〉12月16日 - 1984年〈昭和59年〉7月25日)は、日本の俳優。本名は小野田 昭彦(おのだ あきひこ)。 主に東宝映画、テレビドラマで活躍。特撮分野の名優としても知られる。吉江企画に所属していた。 夫人は女優の久我美子。実兄に映画監督の小野田嘉幹、義姉(嘉幹の妻)に女優の三ツ矢歌子、実妹に女優の音羽美子がいる。 日本統治時代の朝鮮の京城生まれ、東京都中野区出身。東京陸軍幼年学校、陸軍士官学校(60期)、旧制第一高等学校を経て、東京大学法学部政治学科卒。 陸士での同期には中條高徳がいた。また、東大での親しい同期には児島襄、松下康雄らがいた。
小山田 宗徳(おやまだ むねのり、1927年〈昭和2年〉12… 小山田 宗徳(おやまだ むねのり、1927年〈昭和2年〉12月14日 - 1986年〈昭和61年〉5月13日)は、日本の俳優、声優である。福島県石川郡石川町出身で、東京府立第六中学校を経て東京高等学校 (旧制)を1948年に卒業した。 1951年に俳優座養成所へ三期生として入所し、1954年に卒業した。同期に穂積隆信、渡辺美佐子らがいた。1960年に小沢昭一らと7人で「劇団俳優小劇場」を旗揚げ、小劇場活動で先駆的役割を務めた。1961年に、水谷八重子に招かれて「女の勲章」で新派の舞台に立った。 舞台公演の傍ら1950年代後半からテレビドラマにも活躍の場を広げ、「今日を生きる」「白い南風」などのいわゆる『よろめきドラマ』に出演すると、誠実で落ち着いた雰囲気と風貌が主婦層に高く人気を得た。
石井 均(いしい きん、1927年〈昭和2年〉11月30日 … 石井 均(いしい きん、1927年〈昭和2年〉11月30日 - 1997年〈平成9年〉12月31日)は、日本の俳優、喜劇役者。 大分県豊後高田市是永町出身。本名は石原 仁。芸名の由来は、「〝一〟獲千〝金〟」という言葉が好きな事に由来。(一均=井均) 熊本逓信講習所卒業(昭和18年)。 1948年(昭和23年)、八幡の寿座で初舞台を踏み、以後旅回りをする。 1956年(昭和31年)、新宿フランス座に加入。体技型のコメディアンとして頭角を現す。 1958年(昭和33年)6月、軽演劇一座「笑う仲間」を旗揚げ、後に「石井均一座」に改組。主に新宿の松竹演芸場を根城にし、座員には戸塚睦夫のほか、石井の弟子の伊東四朗(当時は伊藤証)、財津一郎(当時は財津肇メ)らがいた。
門脇 三郎(、1927年〈昭和2年〉11月28日 - )は、… 門脇 三郎(、1927年〈昭和2年〉11月28日 - )は、日本の元俳優。東京市(現:東京都)出身。日本映画俳優学校卒。東宝を経て、新星プログループに所属していた。 書籍『ゴジラ大百科 [メカゴジラ編]』では、大塚秀男や宇留木 耕嗣に並ぶ地味な俳優と評している。 2016年から映像コンテンツ権利処理機構に連絡のとれない権利者として掲載されている。
喜味 こいし(きみ こいし、1927年〈昭和2年〉11月5日… 喜味 こいし(きみ こいし、1927年〈昭和2年〉11月5日 - 2011年〈平成23年〉1月23日)は、日本の漫才師、俳優。実兄の夢路いとしと共に漫才コンビ「夢路いとし・喜味こいし」のツッコミ担当として活動した。本名は篠原 勲(しのはら いさお)。神奈川県横浜市出身。 上方漫才を代表する人物であるが、川越出身とされているのは、一家が旅回りの芸人一家であったからたまたま川越で生を受けたという事情によるものである。川越以外にも、全国津々浦々の地を少年時代から回っていた。旅回り中に生まれたため出生届の提出が遅れ、戸籍上の生年月日は1927年11月5日となっているが、本当の生年月日は1927年8月6日であるとテレビ番組や新聞取材において明かしていた。
鈴木 瑞穂(すずき みずほ、1927年〈昭和2年〉10月23… 鈴木 瑞穂(すずき みずほ、1927年〈昭和2年〉10月23日 - 2023年〈令和5年〉11月19日)は、日本の男性俳優・声優。オフィスODA所属。劇団銅鑼団友。以前は其田事務所に所属していた。 満洲出身。安東中学校卒業。1943年に海軍兵学校に入学し、在学中に終戦を迎える。戦後は京都大学経済学部に入学。劇団民藝の公演『かもめ』を観て感動したことで、京都大学を中退して日本大学芸術学部に転じる。 1952年、劇団民藝の研究生となり、「五稜郭血書」で初舞台を踏んだ。 1962年に『るつぼ』での演技で文化庁芸術祭奨励賞を受賞。 1971年に民藝を退団。1972年、劇団銅鑼を結成し、10年間代表を務めた後、フリーとなる。
高桐 真(たかぎり まこと、1927年9月8日 - )は、日… 高桐 真(たかぎり まこと、1927年9月8日 - )は、日本の俳優。本名、道下 真二。 東京俳優生活協同組合、芸峰制作、ワシオ企画、鳥プロを経て、大木由美子オフィスに所属していた。 大阪府大阪市出身。呉服屋を営む父と母の二男四女の次男。関西大学経済学部卒業。大学在学中の1948年、劇団制作座を結成し、中心俳優として『三人姉妹』『罪と罰』『ルノアール群島』などに出演する一方、ラジオドラマ、テレビドラマにも出演。映画にも劇団の資金集めのため、『江戸っ子野郎と娘たち』(1960年、第二東映)を皮切りに各社の作品に助演した。制作座はのちに解散し、関西芸術座の創立メンバーを経てフリーとなる。 テレビドラマでは、NHK大河ドラマ『太閤記』(1965年)、『新・平家物語』(1972年)、『元禄太平記』(1975年)や、特撮テレビドラマ『忍者キャプター』(1976年)などにレギュラー出演した。
井上 昭文(いのうえ しょうぶん、1927年8月22日 - … 井上 昭文(いのうえ しょうぶん、1927年8月22日 - 2013年1月28日)は、日本の俳優。本名は同じ。 愛知県名古屋市出身。中京商業高等学校卒業。劇団新人会を経て、六芸社、グループ71に所属していた。 妻は女優の第1回紀伊國屋演劇賞個人賞を受賞した馬場恵美子。 俳優座養成所2期生。養成所卒業後、劇団新人会の創立メンバーの一員となる。 色川武大の『浅草葬送譜』によれば、名古屋から家出をして清水金一の付き人をしていたという。中京商業が母校。 東宝で若干のキャリアを積んだ後、1957年に『幕末太陽傳』で日活デビュー。1961年から1965年までは日活と専属契約を結び、名バイプレイヤーとして数多くの作品に出演し、石原裕次郎、小林旭、吉永小百合らのスターを引き立てながら、日活映画の黄金期を支えた。
十代目 岩井 半四郎(いわい はんしろう、1927年〈昭和2… 十代目 岩井 半四郎(いわい はんしろう、1927年〈昭和2年〉8月8日 - 2011年〈平成23年〉12月25日)は、俳優、歌舞伎役者、日本舞踊家。屋号は大和屋。定紋は丸に三ツ扇、替紋は杜若丁字。俳名に杜若・紫若・扇蝶。本名は仁科 周芳(にしな ただよし)。所属事務所はミナァバ。明治大学文芸科卒業。 舞踊家花柳壽太郎の長男として東京に生まれる。1935年有楽座の『侠艶録』で仁科周芳で初舞台。1939年2月、二代目市川猿之助の門人となり二代目市川笑猿を襲名。同年5月有楽座『隅田川続俤』「法界坊」で里の子喜三松。1951年10月歌舞伎座『源氏物語』の若き光の君と『寿曽我対面』の化粧坂少将で十代目岩井半四郎を襲名。
名川 貞郎(ながわ さだお、1927年8月6日 - 2021… 名川 貞郎(ながわ さだお、1927年8月6日 - 2021年4月15日)は、日本の俳優。 宮城県出身。東京俳優生活協同組合所属にしていた。身長164cm。体重65kg。日本大学芸術学部卒業。 2021年4月15日18時13分、老衰のため死去。満93歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
和田 啓(わだ けい、1927年8月5日 - )は、日本の男… 和田 啓(わだ けい、1927年8月5日 - )は、日本の男性声優、俳優。東京府東京市(現・東京都)出身。 1948年、劇団民衆座入団。1958年、劇団七曜会入団。その後は河の会の代表を経て、後継組織である劇団河で役者として活動しながらアニメの声優、吹き替え、俳優としても活躍した。現在は劇団河を離れ、フリーとして活動している。 趣味・特技は奈良弁、囲碁、釣り。 この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJ:アニメ/PJ:声優)。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
久地 明(くじ あきら、1927年7月27日 - 2017年… 久地 明(くじ あきら、1927年7月27日 - 2017年9月17日)は、日本の俳優、殺陣師。本名は千葉 太郎。香川県観音寺市出身。 ※いずれも殺陣の担当作品 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
鈴木 昭生(すずき しょうせい、1927年6月19日 - 2… 鈴木 昭生(すずき しょうせい、1927年6月19日 - 2009年8月18日)は、日本の男性俳優、声優。東京府(現:東京都)出身。 長男はムーンライダーズの鈴木慶一、次男は同じくムーンライダーズの鈴木博文。 東京都立青山高等学校卒業。日本大学専門部工科卒業。身長169cm、体重55kg。声域はバリトン。 1947年2月15日、劇団文化座入団。その後、九プロダクションに所属していた。 2004年に咽頭癌を患い、その後2006年に咽頭及び声帯切除により芸能活動を引退、治療に専念していたが、2009年8月18日、自宅にて心不全により死去。82歳没。
南原 宏治(なんばら こうじ、1927年〈昭和2年〉6月7日… 南原 宏治(なんばら こうじ、1927年〈昭和2年〉6月7日 - 2001年〈平成13年〉12月20日)は、日本の俳優。本名は伍井 卯和二(いつい うわじ、旧姓は則竹)。神奈川県横浜市出身。最後の所属事務所はアクターズプロモーション。 元妻は、宝塚歌劇団出身で女優の上月左知子。長女は元宝塚歌劇団月組男役の嘉月絵理。長男は俳優の南原健朗、次男は元俳優の山口正朗。 父親が刑務所長だったことから横浜刑務所の官舎で生まれ、東京府八王子市などで育った後、学徒動員で中国に渡り、天津で終戦を迎える。戦後は東京農業教育専門学校を経て、東京大学農学部中退。 1951年、スポーツニッポン新聞社主催の「ミスターニッポンコンテスト」で準ミスターニッポンに選出されたのをきっかけに、第6期ニューフェイスとして大映入りする。
杉 義一(すぎ ぎいち、1927年6月7日 - 2017年3… 杉 義一(すぎ ぎいち、1927年6月7日 - 2017年3月20日)は、日本の元俳優。京都市右京区太秦出身。本名は杉 義一(すぎ よしかず)。 俳優・杉狂児の長男として生まれる。明星学園在学中の1941年、児童劇団かもしか座が創立されると同時に入団する。帝国劇場で初舞台。1942年、NHKラジオ『潜水飛行機 とびうお号』にレギュラー出演。明星学園卒業後、日本大学文学部に入るが、1947年5月に中退。同年7月に創立した東横映画に父・狂児と共に入社。同年、東横映画第1回作品『こころ月の如く』が映画デビューとなる。 1967年、東横を退社してフリーとなり、1973年から1975年までは千葉真一のジャパン・アクション・クラブの代表を務めた。
相原 巨典(あいはら きょすけ、1927年6月5日 - 19… 相原 巨典(あいはら きょすけ、1927年6月5日 - 1990年3月2日)は、日本の俳優。本名は相原 巨介。 東京府東京市蒲田区出身。日本大学芸術学部映画学科中退。東宝、日活 を経て、東京俳優生活協同組合に所属していた。 1946年、東宝ニューフェイス第1期に合格。1955年に日活へ移籍。映画やテレビドラマなどで脇役として活躍した。 1990年3月2日、狭心症のため死去。62歳没。 特技は柔道、乗馬、殺陣。
垂水 悟郎(たるみ ごろう、本名:垂水 五郎、1927年〈昭… 垂水 悟郎(たるみ ごろう、本名:垂水 五郎、1927年〈昭和2年〉5月29日 - 1999年〈平成11年〉1月21日)は、日本の俳優。岡山県新見市出身。岡山県立新見高等学校卒。 長男は俳優・モデルの垂水藤太。 劇団民藝で演劇をしていたが、退団後は映画やテレビドラマに出演していた。 1999年(平成11年)1月21日午後5時55分、くも膜下出血のため東京都内の病院で死去、71歳没。
三島 耕(、1927年〈昭和2年〉5月20日 - )は、日本… 三島 耕(、1927年〈昭和2年〉5月20日 - )は、日本の俳優。東京府北豊島郡日暮里町出身。本名は長谷 勝博。 1947年、東京都立第四高等学校理科卒業。1950年、太泉映画のニューフェイスとなり、翌年『我が一高時代の犯罪』でデビュー。引き締まった男性的な風貌と堅実な演技を見せた。その後、松竹、日活、綜芸プロを経て、1958年に東宝と契約を結ぶ、多くの作品で主に脇役として活躍した。東宝特撮映画の出演も多い。1962年にフリーランスとなり、太平洋テレビジョン、さち子プロに所属していた。 また、1950年代後半から1970年代にかけてテレビドラマにも出演していたが、後に芸能界を引退した。
土屋 嘉男(つちや よしお、1927年5月18日 - )は、… 土屋 嘉男(つちや よしお、1927年5月18日 - )は、日本の俳優。本名同じ。身長173cm、体重72kg。
武内 亨(たけうち とおる、1927年5月16日 - 200… 武内 亨(たけうち とおる、1927年5月16日 - 2006年8月4日)は、日本の俳優。本名:武内 享。 愛媛県今治市出身。明治大学予科中退。劇団俳優座養成所第2期生を経て、劇団俳優座に所属していた。 テレビ時代劇『水戸黄門』では、徳川綱吉・大名・商人・梅小路大納言などを演じた。 2006年8月4日、肝内胆管癌のため神奈川県川崎市の病院で死去。79歳没。
勝田 久(かつた ひさし、1927年4月2日 - )は、日本… 勝田 久(かつた ひさし、1927年4月2日 - )は、日本の声優、ナレーター、俳優。東京都出身。聖学院高等学校を卒業。東宝演劇部、NHK東京放送劇団、俳協を経て、アーツビジョン所属。
北村 和夫(きたむら かずお、1927年〈昭和2年〉3月11… 北村 和夫(きたむら かずお、1927年〈昭和2年〉3月11日 - 2007年〈平成19年〉5月6日)は、日本の俳優、声優。東京府(現東京都)出身。早稲田大学第一文学部芸術科(現・演劇科)卒業。文学座に所属していた。 息子は俳優の北村有起哉、娘は女優の北村由里。紫綬褒章(1989年)、勲四等旭日小綬章(1997年)受章。 出生地は、東京市小石川区(現東京都文京区)竹早町、出身地は静岡県三島市[信頼性要検証]。父の肇は医師で、その二男として生まれた。祖父の北村利吉は富坂警察署で特高係をしていた。東京都立第十一中学(現在の東京都立江北高等学校)卒業。研数専門学校、東京工業専門学校に進み、終戦を迎える。
早野 寿郎(はやの としろう、1927年2月26日 - 19… 早野 寿郎(はやの としろう、1927年2月26日 - 1983年2月20日)は、日本の演出家、俳優、声優。劇団俳小主宰、早野演劇研究所主宰。小劇場活動の先駆者。自宅は東京都港区六本木。 台湾生まれでその後岐阜県大垣市に移る。4歳から旧制中学4年まで沖縄で育つ。沖縄県立第二中学校(現・沖縄県立那覇高等学校)の1学年上に大城立裕がいた。 旧制浦和高等学校を経て東京大学文学部仏文科中退。1949年に俳優座養成所を2期生として卒業し、1954年に小沢昭一たちと劇団新人会を結成。 1960年、小沢や小山田宗徳、宮崎恭子、楠侑子たちと劇団俳優小劇場の結成に参加し、新人会から分裂。 千田是也や田中千禾夫の影響下に小劇場運動の基礎を築く。
谷村 昌彦(たにむら まさひこ、1927年〈昭和2年〉2月2… 谷村 昌彦(たにむら まさひこ、1927年〈昭和2年〉2月25日 - 2000年〈平成12年〉8月6日)は、日本の俳優、タレント、コメディアン。山形県山形市出身。血液型はB型。旧芸名は谷村伸一。本名は武田忠。 1941年に上京。文化座に入団。 浅草公園六区の舞台で役者としての活動を始め、同時に高輪工業学校(現・高輪中学校・高等学校)に通ったが、最終的には中退。 1944年に森川信一座へ入団。その後は空気座に所属し、1954年に金星プロに所属。 田舎訛りのキャラクターや東北弁を使っているのが受けて、刑事ドラマや時代劇のレギュラーとして活躍。 日本喜劇人協会の理事も務めていた。 『Gメン'75』には多くゲスト出演があったが、晩年に古田刑事としてレギュラーに迎えられる。
植木 等(うえき ひとし、本名同じ、1927年2月25日 -… 植木 等(うえき ひとし、本名同じ、1927年2月25日 - 2007年3月27日)は、日本の俳優、コメディアン、歌手、ギタリスト、タレント。「ハナ肇とクレージーキャッツ」のメンバー。愛称は、「ボンさん」「植木屋」「植木やん」。 父は僧侶の植木徹誠。長男は作曲家の比呂公一。妹の夫は部落問題研究者の川村善二郎。父方の祖母の親類に御木本幸吉がいる。 1927年(昭和2年)2月25日、父・植木徹誠、母・いさほの間に三男として愛知県名古屋市で生まれた。父・徹誠は、真宗大谷派名古屋別院にて僧侶としての教修中だった。 実際の生年月日は1926年12月25日。ちなみにこの日は、大正天皇が崩御した日である。植木本人が『徹子の部屋』で語ったことによると、父が出生時に体調を崩しており、叔父・保之助に役所への届けを依頼したが叔父がそれを忘れ、翌年ようやく出生届を出したことから、戸籍上の生年月日が翌年になったという。
織本 順吉(おりもと じゅんきち、1927年〈昭和2年〉2月… 織本 順吉(おりもと じゅんきち、1927年〈昭和2年〉2月9日 - 2019年〈平成31年〉3月18日)は、日本の俳優・ナレーター。本名:中村 正昭(なかむら まさあき)。 神奈川県横浜市出身。神奈川県立工業学校(現・神奈川県立神奈川工業高等学校)卒業。劇団青俳、BMGメイクII を経て、アルファエージェンシーに所属していた。 身長174 cm、体重72 kg、血液型B型。晩年は栃木県に在住していた。放送作家・脚本家の中村結美は娘にあたる。 2歳の頃に実母を亡くし、15歳で父を亡くし、以降は義母と生活をともにする。 電機会社に勤務後、1949年に新協劇団へ入団し、舞台『破戒』で初舞台を踏む。NHKがテレビ放映を開始した直後、『ビルマの竪琴』に水島上等兵役で出演。
熊倉 一雄(くまくら かずお、1927年〈昭和2年〉1月30… 熊倉 一雄(くまくら かずお、1927年〈昭和2年〉1月30日 - 2015年〈平成27年〉10月12日)は、日本の俳優、声優、演出家。テアトル・エコー所属で、生涯に渡って代表取締役演劇担当を務めていた。 東京府東京市麻布区(現在の東京都港区)三ノ橋出身。父は工作機械のセールスマン。母方の祖父は傘の会社の技師長。青山で1年ほど暮らして、5歳の時、一家は下町、東京府東京市京橋区入船町(現在の東京都中央区入船)に越して父の両親と同居。この町で小学校時代を送っていたが、元々虚弱体質であり、小学2年生の時に肋膜炎を罹り3ヶ月ほど自宅療養し、本ばかり読んでいた。将来は発明家になりたいと考えており、エジソンが好きだった。
金井 大(かない だい、1927年〈昭和2年〉1月29日 -… 金井 大(かない だい、1927年〈昭和2年〉1月29日 - 2001年〈平成13年〉6月17日)は、日本の俳優、声優。 長男は俳優の金井節。 群馬県高崎市出身。中央大学専門部法科中退。舞台芸術学院卒業。 劇団群芸、劇団泉座、新協劇団、劇団中芸、東京芸術座、劇団三期会、劇団青俳を経て、小川企画、現代制作舎、東京俳優生活協同組合、中里事務所などに所属していた。 小学校の教員をしていたがまもなく俳優に転向。劇団河童座の設立に参加。小川四郎の芸名で活動した後、高崎演劇サークル設立を経て、劇団群芸に入団。群芸退団後は上京し、劇団泉座に参加。 初舞台は『明るい部屋』の鋼鉄工役。 新藤兼人監督の『第五福竜丸』『竹山ひとり旅』などの映画に出演した他、テレビドラマや舞台などで主に脇役として活躍。
山本 麟一(やまもと りんいち、1927年〈昭和2年〉1月1… 山本 麟一(やまもと りんいち、1927年〈昭和2年〉1月16日 - 1980年〈昭和55年〉10月16日)は、日本の俳優。愛称は山麟(ヤマリン)。北海道旭川市出身。 札幌市の北海中学出身。明治大学時代はラグビー部に所属し、1946年12月8日に神宮競技場で行われた明早戦にロック(4番)のポジションで出場。 卒業後の1953年、第1期東映ニューフェイスとして東映へ入社。翌年『学生五人男』に主演デビュー。以後『警視庁物語シリーズ』(全24作)の刑事役、『網走番外地シリーズ』の囚人役・看守役など、主にアクション映画の脇役・悪役として活躍。特に1960年代後半以降のヤクザ映画では悪役として活動し、『日本侠客伝シリーズ』、『昭和残侠伝シリーズ』における強面のヤクザ役を演じた。
若林 彰(わかばやし あきら、1926年12月26日 - 2… 若林 彰(わかばやし あきら、1926年12月26日 - 2013年10月22日)は日本の俳優、演出家、戯曲翻訳家。本名は若林忠昭(わかばやし ただあき)。上海出身(一族は水戸市)、血液型はO型、身長178cm、趣味は鳥類飼育、犬猫ブリード。長男は若林忠宏、長女は若林マリ子で共に音楽家。 1926(昭和元)年12月26日、上海に生まれる。当時父親は、日本水産から独立し上海で海鮮問屋を経営。一家は、上海と若林家の地元茨城県水戸と東京荻窪の別宅を行き来する。代々一族は、水戸藩の足軽頭(馬廻組頭)もしくは書院番を勤め、長男には「忠」の文字を入れることが家訓であった。昭和元年に生まれたため「忠昭」となり、水戸藩士からは十一代目。
佐田 啓二(さだ けいじ、1926年〈大正15年〉12月9日… 佐田 啓二(さだ けいじ、1926年〈大正15年〉12月9日 - 1964年〈昭和39年〉8月17日)は、1940年代後半から1960年代にかけて活躍した日本の俳優。身長173.2cm(172cmとも)。本名は中井 寛一(なかい かんいち)。監督や共演者からは、本名から「寛ちゃん」と呼ばれた。 女優・エッセイストの中井貴惠と、俳優の中井貴一は実子である。 京都市下京区柳馬場仏光寺南の商家で父・敬蔵、母・イトコの二男として生まれ、両親と5歳上の兄と2歳上の姉のもとで育つ。聚楽小学校から京都市立第二商業学校(後の北野中学)を卒業し早稲田大学専門部政経科(のちの政治経済学部)に入学。中学3年生の頃に母、大学入学時に父を亡くすが、兄と姉が親代わりとなり佐田の生活を支えた。
八波 むと志(はっぱ むとし、1926年〈大正15年〉12月… 八波 むと志(はっぱ むとし、1926年〈大正15年〉12月1日 - 1964年〈昭和39年〉1月9日)は、日本のコメディアン、俳優。本名、坪田 稔(つぼた みのる)旧姓、富沢(とみさわ)。 1926年(大正15年)12月1日、鹿児島県大島郡徳之島町に生まれる。父は道楽好きで母が四人も変っており、幼少期を極貧で過ごす。 東京工専卒業後1943年(昭和18年)に志願兵で兵隊入り、1946年(昭和21年)に森川信の一座に入り、浅草常盤座で八波むと志の名で初舞台。浅草フランス座1代目座長。1956年(昭和31年)に南利明、由利徹と脱線トリオを結成し浅草を中心にテレビ・ラジオ、はたまた役者として活躍する。
小田部 通麿(おたべ みちまろ、1926年11月24日 - … 小田部 通麿(おたべ みちまろ、1926年11月24日 - 2004年8月29日)は、日本の俳優・住職。福岡県山門郡柳川町出身。本名:釈 通麿(とき みちまろ)、別名:小田部 道磨。 柳川町の寺の息子として生まれ、18歳で太平洋戦争に応召する。復員後は拓殖大学専門部司政科)に通い、1948年に卒業。終戦後に町で戦災孤児たちが盗みを働いて少年院に送られる姿に同情し、これらの少年たちのために何かしてやりたいと考え、大阪府茨木市の「浪速少年院」や福岡県の「福岡少年院」で教官を務めた。 少年院での仕事に行き詰まりを感じていた1955年、たまたま訪れた東映京都撮影所にて面構えが強面だったことで俳優への道を勧められ東映京都撮影所に入社する。
片山 明彦(かたやま あきひこ、1926年11月11日 - … 片山 明彦(かたやま あきひこ、1926年11月11日 - 2014年11月16日)は、日本の俳優、元子役。本名は鹿児島 燁彦。東京市世田谷区船橋[要出典](現:東京都世田谷区船橋[要出典])出身。京都府京都市出生[要出典]。暁星中学校・高等学校卒。 太平洋戦争以前に映画会社日活多摩川で子役として映画に出演した。戦時中は長崎県大村市の西部方面後方支援隊に召集された。戦後は70年代前半まで俳優として活動した。所属した映画会社は、大映、東宝、新東宝、東映、赤坂プロダクションなどであった。 2014年11月16日、心不全のため死去。88歳没。墓所は多磨霊園。 父は俳優の島耕二、母は女優の大谷良子。
ク・ボンソ(具 鳳書、朝鮮語: 구봉서、1926年11月5日… ク・ボンソ(具 鳳書、朝鮮語: 구봉서、1926年11月5日 - 2016年8月27日)は、大韓民国のコメディアン、俳優。本貫は綾城具氏。キリスト教徒。 日本統治時代の平安南道平壌府(現・平壌直轄市)出身。実家は衣料品を商う裕福な家庭であった。3歳時に大同郡に、次に京城府に移住した。様々な楽器を扱うことができたため、キム・ヨンファン楽劇団の団員をしていた。1945年に大東商業高等学校(現・大東税務高等学校)を卒業後、1947年に東洋音楽学校(現・東京音楽大学)を卒業した。1945年から1954年まで太平洋・白鳥歌劇団および陸軍軍芸団で活動し、海兵芸能隊を創設した。1961年喜劇に登場し、出世作『オブジャ』で「末っ子」という愛称がついた。
小松 方正(こまつ ほうせい、1926年〈大正15年〉11月… 小松 方正(こまつ ほうせい、1926年〈大正15年〉11月4日 - 2003年〈平成15年〉7月11日)は、日本の俳優、声優。本名は小松 豊成(こまつ とよしげ)。 長野県松本市出身。生まれつき体が弱く、3歳の頃に肺炎を患い生死の境をさまよったことがあるという。小学校卒業後、叔父を頼って上京し昌平中学に入学した。卒業後、満鉄の技術員養成所に入るが、結核を患って退社する。1945年(昭和20年)、終戦直前に海軍へ入り、同年8月6日の原爆投下の前日まで広島市にいた。東京の警備隊に転勤となり前夜8月5日、最終列車で東京に向かう。新型爆弾投下をラジオで聞いた場所は、空襲の影響で列車が止まった静岡県掛川駅だった。
高橋 貞二(たかはし ていじ、1926年10月20日 - 1… 高橋 貞二(たかはし ていじ、1926年10月20日 - 1959年11月3日)は、日本の俳優。本名は高橋貞次。愛称は貞ちゃん。 東京府南葛飾郡奥戸村大字曲金(現・東京都葛飾区高砂)出身。 日本映画学校卒業後、1945年に松竹に入社。翌1946年、映画『物交交響楽』でデビュー。佐田啓二(中井貴一の父)、鶴田浩二と共に「松竹大船の三羽烏」と言われ、松竹映画の主力男優の1人として多くの作品に出演した。 1959年2月に結婚。同年11月3日22時40分頃、神奈川県横浜市西区の横浜駅前において、自ら飲酒運転するメルセデス・ベンツ300Sクーペのハンドル操作を誤り、横浜市電(第7系統中央市場発浦舟町止まり終車。
森塚 敏(もりつか びん、1926年〈大正15年〉10月1日… 森塚 敏(もりつか びん、1926年〈大正15年〉10月1日 - 2006年〈平成18年〉6月19日)は、日本の俳優。本名と漢字は同じだが、もりつか としと読む。 東京市下谷区(現・東京都台東区)出身。慶應義塾大学専門部国文科卒業。劇団青年座に所属していた。 1947年に劇団俳優座に入団。 1954年、山岡久乃、東恵美子、初井言榮、成瀬昌彦ら若手メンバーと劇団青年座を結成。劇団の座長として、西田敏行、津嘉山正種、高畑淳子などを育てる。 穏やかな性格と人望から、日本劇団協議会会長や芸術家会議副会長、日本俳優連合の常任顧問などの要職も務めた。 私生活では1956年に同じく青年座の創立メンバーだった山岡久乃と結婚したが、1971年に離婚。
東 千代之介(あずま ちよのすけ、1926年8月19日 - … 東 千代之介(あずま ちよのすけ、1926年8月19日 - 2000年11月9日)は、日本の俳優・日本舞踊若菜流の家元。 本名、若和田 孝之(わかわだ たかゆき)。東京府出身。 長唄の六代目杵屋弥三郎の子。七代目坂東三津五郎に師事して日本舞踊を学ぶ。暁星学園を経て、1949年(昭和24年)東京音楽学校(現・東京藝術大学)邦楽科卒業。1954年(昭和29年)東映に入社し、『雪之丞変化』でデビュー。端整な容貌と日本舞踊で鍛えたしなやかな身のこなしで人気を集め、中村錦之助、大川橋蔵らと共に東映時代劇の黄金期を支えた。1960年代半ば、時代劇の衰退に伴い当時の東映京都撮影所長・岡田茂が時代劇を切り捨て、任侠路線に急転換したため、これに反撥して、中村錦之助(萬屋錦之介)、里見浩太朗らと1965年に東映の俳優組合(東映俳優クラブ組合)を結成し副代表になった。
小泉 博(、1926年〈大正15年〉8月12日 - 2015… 小泉 博(、1926年〈大正15年〉8月12日 - 2015年〈平成27年〉5月31日)は、日本の俳優、司会者。本名は小泉 汪(読み同じ)。神奈川県鎌倉市出身。身長173センチメートル、体重72キログラム、血液型はA型。趣味はゴルフ。 政治家の小泉策太郎の八男として生まれる。兄に日本画家の小泉淳作がいる。 11歳で父と死別し、慶應義塾高等学校を経て1943年、慶應義塾大学経済学部に入学。昭和23年(1948年)に卒業、NHK第20期アナウンサーとして入局。この進路選択については、「日本を農業と軽工業の国に変革させる、という当時のアメリカGHQの発表に対する不安感があった」とコメントしている。 NHK入局後、昭和25年(1950年)ごろに大分放送局に配属される。
浜口 喜博(はまぐち よしひろ、1926年〈大正15年〉6月… 浜口 喜博(はまぐち よしひろ、1926年〈大正15年〉6月23日 - 2011年〈平成23年〉8月10日)は、香川県出身の競泳選手、俳優。 1952年ヘルシンキオリンピック男子800m自由形リレー銀メダリスト。引退後は俳優に転向するも、その後は日本水泳連盟役員を歴任、死去時は顧問を務めていた。 1926年6月13日、香川県香川郡雌雄島村大字男木(男木島、現・香川県高松市男木町)にて出生。香川県立大川中学校(現・香川県立三本松高等学校)、日本大学卒業。 1952年のヘルシンキオリンピック男子800m自由形リレーで鈴木弘、後藤暢、谷川禎次郎とともに銀メダルを獲得。自由形100mでも準決勝に進出し、わずかの差で決勝進出を逃している。
内藤 武敏(ないとう たけとし、1926年〈大正15年〉6月… 内藤 武敏(ないとう たけとし、1926年〈大正15年〉6月16日 - 2012年〈平成24年〉8月21日)は、日本の俳優、ナレーター。本名は同じ。 福岡県小倉市出身。旧制常磐中学校、日本大学予科卒業。劇団民藝、其田事務所を経て、さいど事務所に所属していた。 血液型はAB型。身長165cm、体重60kg。 映画制作を志し、俳優養成所へ入所。当初は演出家希望だったが、指導者の勧めで演劇コースへ進む。 1950年、宇野重吉・加藤嘉・北林谷栄・鈴木瑞穂らと共に劇団民藝の創立に参画するも、1970年に退団。 1952年に公開された吉村公三郎監督の『暴力』でスクリーンデビュー。 大河ドラマへ多数出演したほか、山口百恵主演の赤いシリーズでは3作品でナレーションを担当していた。
安藤 昇(あんどう のぼる、1926年(大正15年)5月24… 安藤 昇(あんどう のぼる、1926年(大正15年)5月24日 - 2015年(平成27年)12月16日)は、日本の元ヤクザ、俳優、小説家、歌手、プロデューサー。東京府豊多摩郡(のちに東京市淀橋区)東大久保天神下(現・東京都新宿区新宿6丁目)出身。 サラリーマンの三男一女の長男として大久保天神下で生まれる。小学3年時に6年の番長を刺し学校を制圧。神奈川県川崎市立川崎中学校に進学するも喧嘩に明け暮れ、濡れ衣を着せられ、15歳で調布市の感化院に入れられる。旧制中学校時代は転校を繰り返し、父の満州転勤に伴い16歳のとき満州に渡り、奉天第一中学校に進学。同校退学後内地へ戻り、京王商業転入。不良学生を束ねて加納貢と意気投合し兄弟分になる。
飯沼 慧(いいぬま けい、1926年〈大正15年〉5月17日… 飯沼 慧(いいぬま けい、1926年〈大正15年〉5月17日 - 2011年〈平成23年〉12月24日)は、日本の俳優、声優。大阪府出身。 京都府京都市に生まれて幼少時代に大阪府に移住。 関西工業学校(現・常翔学園高等学校=旧・大阪工業大学高等学校)土木科卒業後、兵庫県土木部西宮土木出張所(現・近畿中国森林管理局)に就職するも兵役に就く。終戦後に帰還。 1948年に大阪に本拠地を置く劇団芸術劇場→民衆劇場に入団。青年期より、飄々とした風貌から老け役を得意とする。直後に三座が合併したため関西芸術座となり座員となる。 1960年に『関西芸術座』を退座した後、劇団プロメテに移籍。 1966年、劇団プロメテ退団後に上京して文学座養成所に入所。
市村 美津子(いちむら みつこ、1926年5月5日 - 没年… 市村 美津子(いちむら みつこ、1926年5月5日 - 没年不詳)は、日本の元子役、女優である。本名は松田 光子(まつだ みつこ)。 1926年(大正15年)5月5日、東京府荏原郡大森町(現在の東京都大田区)出身。1930年(昭和5年)3月、3歳で松竹蒲田撮影所に入社、小津安二郎監督の『その夜の妻』でデビューする。1931年(昭和6年)の『マダムと女房』に渡辺篤と田中絹代の娘役で出演し注目を集める。1932年(昭和7年)の『残されたお菊ちゃん』では主演を務めるなど、数々の作品で活躍。蒲田名子役の一人となる。 1938年以降は出演記録が無く、1940年(昭和15年)に退社。1943年(昭和18年)の『愛機南へ飛ぶ』に端役で出演しているが、その後の消息は不明である。
千葉 敏郎(ちば としお、1926年4月30日 - 2010… 千葉 敏郎(ちば としお、1926年4月30日 - 2010年)は、日本の俳優。旧芸名及び本名は鈴木 登四男(すずき としお)。 千葉県出身。明治大学卒業後に1950年に大映入社(大映ニューフェース6期生)。1953年に映画『社長秘書』で千葉 登四男名義で正式デビュー。1958年に千葉 敏郎に改名。1965年に大映を退社するまでに100本以上の映画に強面の斬られ役などの端役で出演した。 テレビドラマに活動の場を移してからも、主に時代劇でヤクザの親分や用心棒の浪人役などで強い印象を残し、1980年代頃まで活躍した。とりわけ近衛十四郎主演の素浪人シリーズ『素浪人 花山大吉』などへの出演は多い(いずれも悪役としての出演)。
中条 静夫(ちゅうじょう しずお、1926年〈大正15年〉3… 中条 静夫(ちゅうじょう しずお、1926年〈大正15年〉3月30日 ‐ 1994年〈平成6年〉10月5日)は、日本の俳優。本名、中條 靜雄(読み同じ)。 東京府八王子市出身。東京府立第二商業学校(後の東京都立第二商業高等学校)卒業。田上事務所に所属していた。 新聞記者の父がもうけた二男二女の長男として静岡で生まれる。名の静雄は生誕の地名・静岡の一字からとられたものだという。小学生の時、父の仕事の都合で上京(新宿から八王子へと移る)。1943年12月、東京府立第二商業学校を繰り上げ卒業して兵役につき、1945年9月に復員。従軍当時の上官から「学生のくせに名前がチュウジョウ(中将)とは何事か、お前がチュウジョウなわけがない、お前はナカジョウだ」と理不尽な説教をされてたびたび殴られたと後年テレビインタビューで述懐している[要出典]。
桜井 センリ(さくらい センリ、1926年〈大正15年〉3月… 桜井 センリ(さくらい センリ、1926年〈大正15年〉3月20日 - 2012年〈平成24年〉11月10日)は、日本のピアニスト、コメディアン、俳優。本名・桜井 千里。ワタナベエンターテインメント所属。 公式プロフィール上では1930年(昭和5年)3月20日生まれとなっているが、実際は1926年(大正15年)生まれ。これはハナ肇とクレージーキャッツの他のメンバーとのバランスを取るためだったとされている(最年少の安田伸は1932年(昭和7年)生まれ)。その結果、旧制中学の後輩である石橋エータロー、犬塚弘より年少ということになった。旧名・桜井 ヘンリーとして父志郎の赴任地のイギリス・ロンドンに生まれ、3歳までその地で育つ。