岡野 薫子(おかの かおるこ、1929年2月28日 - )は… 岡野 薫子(おかの かおるこ、1929年2月28日 - )は、日本の児童文学作家。
職業が作家・小説家:6,475人
岡野 薫子(おかの かおるこ、1929年2月28日 - )は… 岡野 薫子(おかの かおるこ、1929年2月28日 - )は、日本の児童文学作家。
福島 正実(ふくしま まさみ、1929年2月18日 - 19… 福島 正実(ふくしま まさみ、1929年2月18日 - 1976年4月9日)は、樺太出身の編集者、SF作家、SF評論家、翻訳家。 本名:加藤 正実(かとう まさみ)。別名:加藤 喬(かとう きょう)、原 狷介(はら けんすけ)がある。 長男の加藤 喬(かとう たかし、1957年 -)は元米陸軍大尉で米国防総省外国語学校日本語学部長であり、第3回開高健賞奨励賞受賞者である。次男の加藤まさし(別名・桑沢慧、1963年 - )も翻訳・著述を手がけている。義弟(妹の夫)は内田庶(宮田昇)。詩人田村隆一の2度目の妻は正実の従姉妹。 初代『S-Fマガジン』編集長であり、それまで日本の出版界では商業的に成功しなかったSFを日本に定着させるため、様々な分野で精力的に活動し、「SFの鬼」と呼ばれた。
鳥海 尽三(とりうみ じんぞう、1929年2月1日 ‐ 20… 鳥海 尽三(とりうみ じんぞう、1929年2月1日 ‐ 2008年1月17日)は、日本の男性脚本家、小説家。シナリオサークル鳳工房主幹、早稲田シナリオ義塾講師、代々木アニメーション学院講師、日本シナリオ作家協会会員、日本放送作家協会会員。 主にテレビアニメの脚本を執筆。『昆虫物語 みなしごハッチ』『科学忍者隊ガッチャマン』『新造人間キャシャーン』など、アニメ制作会社タツノコプロの草創期から1970年代まで黄金時代のほぼ全ての作品を企画文芸の中核として支えた。また、1970年に師匠である脚本家・陶山鉄の長男で、日活企画室に勤務していた陶山智、同じく日活で陶山の上司だった陣野修、SF作家の広瀬正をタツノコプロへ招聘して、人材面でも大きな役割を果たした人物でもある。
李 錦玉(り くむおく、1929年1月30日 -2019年7… 李 錦玉(り くむおく、1929年1月30日 -2019年7月2日 )は、在日韓国・朝鮮人の児童文学作家。本名・李金玉(朝: 이금옥)。 大阪生まれ。金城女子専門学校(現金城学院大学)卒業。2004年詩集『いちど消えたものは』で第35回赤い鳥文学賞、第9回三越左千夫少年詩賞を受賞。詩誌「バオバブ」「みみずく」同人。東京都中野区在住。朝鮮民話の再話も多い。
時実 新子(ときざね しんこ、本名:大野 恵美子(おおの え… 時実 新子(ときざね しんこ、本名:大野 恵美子(おおの えみこ)、1929年1月23日 - 2007年3月10日)は、日本の川柳作家、随筆家。現代川柳の一時代を築いた人物として知られる。岡山県上道郡九蟠村(現・岡山市東区西大寺)出身。 1941年、岡山県立岡山西大寺高等女学校(現・岡山県立西大寺高等学校)入学。学徒動員や空襲を経て、1946年兵庫県姫路市の文具商と結婚。傷痍軍人であった夫の暴力に苦しむ中で、新聞の投稿欄で川柳に出会う。もともとは学生時代から短歌を詠んでいたが[要出典]、1954年神戸新聞の川柳壇に初めて投句して入選する。1956年「ふあうすと」に参加するも、翌年同会を退会して『川柳研究』幹事となる。
村木 明(むらき あきら、1929年1月11日 - 2017… 村木 明(むらき あきら、1929年1月11日 - 2017年1月17日)は、日本の美術評論家、小説家。 岐阜県出身。1951年に旧制名古屋外国語専門学校(南山大学の前身)フランス語科卒業、1954年に早稲田大学政経学部卒業。また、中央大学文学部仏文科も卒業。紀伊國屋書店洋書部勤務などを経て、日本美術評論家連盟会員、国際美術評論家連盟会員になる。1971年頃から1974年まで読売新聞に美術批評、美術関係の記事を寄稿をする。美術雑誌『みづゑ』に「海外短信」の題名で日本国外の美術情報を連載、他誌でも展覧会評を寄稿した。 美術館や東京都内デパートの展覧会の監修も行い、カタログに寄稿した。1979年の第1回日本秀作美術展(読売新聞社主催)の審査、監修をし、2003年の第25回まで務めた。
岸田 衿子(きしだ えりこ、1929年〈昭和4年〉1月5日 … 岸田 衿子(きしだ えりこ、1929年〈昭和4年〉1月5日 - 2011年〈平成23年〉4月7日)は、日本の詩人・童話作家、翻訳家。詩誌『櫂』同人。 詩集に『忘れた秋』『らいおん物語』『ソナチネの木』などがある。1966年、絵本『かばくん』でドイツ児童図書賞、1974年、絵本『かえってきたきつね』で産経児童出版文化賞大賞を受賞した。 劇作家岸田国士の長女として東京府(現・東京都杉並区)に生まれる。妹は女優の岸田今日子。従弟に俳優の岸田森がいる。 立教女学院小学校、立教女学院女学校、東京芸術大学油絵科卒業。画家を志すも肺病を患い詩人になる。 1954年10月4日、北軽井沢大学村にて交友のあった谷川俊太郎と結婚。
上野 正彦(うえの まさひこ、1929年1月1日 - )は、… 上野 正彦(うえの まさひこ、1929年1月1日 - )は、日本の法医学者、医事評論家、作家。元東京都監察医務院長。医学博士(日本大学)。専門は法医学。 解剖5,000体以上、検死20,000体以上の死体を見てきた死体の専門家。 茨城県生まれ、小学6年間を北海道美国町(現在の積丹町)で過ごす。実父は美国町で開業医として無償で多くの診療を行い名誉町民となる。地元に旧制中学がないため上京。1954年東邦医科大学卒業後、日本大学医学部法医学教室に入る。1959年医学博士(日本大学)、論文は「酸塩基平衡失調時の寒冷血球凝集反応」、 同年東京都監察医務院に入り監察医となる。1984年同院長。その間、1981年から厚生省医道審議会委員、1984年杏林大学医学部客員教授を務める。
川端 新二(かわばた しんじ、1929年1月 - )は、日本… 川端 新二(かわばた しんじ、1929年1月 - )は、日本の鉄道著作家、元機関士。福井県出身。 1929年(昭和4年)1月、福井市に生まれる。1943年(昭和18年)に国民学校高等科を卒業して国鉄に入社、名古屋機関区庫内手を経て機関助士となり、15歳にして関西本線や東海道本線で蒸気機関車の乗務に従事した。東海道本線では遠州灘を走行中に何度もアメリカ海軍の艦砲射撃や戦闘機の機銃掃射に遭い、炭水車の下に隠れて生き延び終戦を迎えている。 1953年(昭和28年)に電気機関車機関助士となった後、1957年(昭和32年)に蒸気機関車へ戻り機関士に就き、名古屋機関区では最後の蒸気機関車乗務経験者となった。
俵 元昭(たわら もとあき、1929年 - )は、日本の歴史… 俵 元昭(たわら もとあき、1929年 - )は、日本の歴史家、記録作家。 島根県生まれ。学徒勤労動員で身体障害者になり結核も患う。のち大検を受け通信教育で教養課程を終え1956年慶應義塾大学文学部史学科卒業。港区史作成に携わり同区職員となる。港区立三田図書館港区資料室主査、東京百年史編纂会議員、港区役所麻布支所長、港区文化財保護審議会委員、東京地縁社会史研究所所長をへて1986年日本私家本図書館(現自費出版図書館)館長。私家本賞を設立。 1962年「京から来た運孤」で講談倶楽部賞受賞(市谷文也名義)。1977年『東京都港区近代沿革図集』で長谷川伸賞受賞。
矢野 四年生(やの よねお、1929年 - 2001年)は作… 矢野 四年生(やの よねお、1929年 - 2001年)は作家、小学校教師。子どもの本研究家。日本子どもの本研究会・理事。熊本県菊池郡津田村(現・菊陽町)出身。加藤清正に関する著書が多い。 1929年、熊本県で生まれた。熊本師範学校、玉川大学教育学部を卒業した。1976年当時、東京都足立区立千寿第七小学校(現・千寿桜小学校)に勤務。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
木々 康子(きぎ やすこ、1929年 - )は、日本の作家・… 木々 康子(きぎ やすこ、1929年 - )は、日本の作家・美術史研究者。 1929年、裁判官だった父親の任地先の三重県津市で出生(父親の出生地は富山県氷見市)。東京女子大学で、歴史・哲学を学び、私小説を主とする日本の近代文学に飽き足りず、「日本の近代とは何か」をテーマとして、幕末期から現代までを、膨大な資料を駆使して緻密な長編小説を描く。 特に近代とはまだ呼べなかった「初期の近代日本」の中で、苦闘し、祖国との乖離に傷つく知識人に焦点を当てる。とりわけ明治時代初期に、パリで美術商を営んだ義祖父林忠正については、いくつかの評伝、資料解説を執筆。林忠正研究の第一人者である。義曾祖父に当たるフランス法学者の磯部四郎の生涯も掘り起こした。
中村 英夫(なかむら ひでお、1929年 - 2024年)は… 中村 英夫(なかむら ひでお、1929年 - 2024年)は、日本の洋画家・絵物語作家・挿絵画家。北海道、信州など、日本の各地の渓流、海、民家、富士を写実的なタッチで描く。 現在の東京都中央区入船で生まれ育つ。実家は製本工場で、製本師・装丁家の中村重義の三男。名付け親は、書物研究家・「書物展望社」の齋藤昌三であった。 明治大学政経学部を卒業。連合国軍最高司令官総司令部に1年間勤務した後、実家の製本工場の関係で秋田書店に創業時に入社。社員として勤務しながら独学で学んだ絵で『譚海』誌に絵物語を描く。社外の仕事がきっかけとなり秋田書店社長から独立を勧められ、退社して専業の絵物語作家となった。中本達也(元多摩美術大学教授、第3回安井賞受賞者)と舞台美術の仕事にも携わる。
福永 令三(ふくなが れいぞう、1928年〈昭和3年〉12月… 福永 令三(ふくなが れいぞう、1928年〈昭和3年〉12月25日 - 2012年〈平成24年〉11月19日)は、日本の童話作家。愛知県名古屋市出身。 名古屋市立東白壁小学校、愛知県立明倫中学校、第二早稲田高等学院を経て、早稲田大学第一文学部国文科卒業。大学在学中は小説を1か月に原稿用紙千枚以上必ず[要出典](200枚程度)書いていたという。大学卒業後は文筆生活に入り、純文学、児童文学、ミステリなどジャンルを問わず様々な文学賞に応募をし続けた。1946年より静岡県熱海市に移住し、生涯在住した。 1956年に「赤い鴉」で、黒岩松次郎(後の団鬼六)らを抑えて文藝春秋の第9回オール新人杯を受賞。 代表作は、1964年に第5回講談社児童文学新人賞を受賞した『クレヨン王国の十二か月』。
武鹿 悦子(ぶしか えつこ、1928年12月20日 - )は… 武鹿 悦子(ぶしか えつこ、1928年12月20日 - )は、日本の児童詩人、児童文学作家、翻訳家。 東京生まれ。本姓・荒谷。東京都立第八高等女学校卒業。 戦後西條八十との出会いを契機に、NHKラジオ「うたのおばさん」に童謡を発表、文筆生活に入る。 フランス民謡の曲「踊る少女」と「きらきら星」の訳詞を担当。 1983年『詩集ねこぜんまい』で産経児童出版文化賞、日本童謡賞受賞。2014年『星』で日本児童文学者協会賞、日本童謡賞受賞。 2009年に三郷町図書館に「武鹿文庫」を設立した。 児童詩、絵本、再話、翻訳、子供向け伝記など多数を執筆している。奈良県三郷町在住。
土本 典昭(つちもと のりあき、1928年12月11日 - … 土本 典昭(つちもと のりあき、1928年12月11日 - 2008年6月24日)は、記録映画作家、ルポルタージュ作家。
川辺 為三(かわべ ためぞう、1928年11月29日 - 1… 川辺 為三(かわべ ためぞう、1928年11月29日 - 1999年4月16日)は、日本の教育者・小説家。樺太生まれ。作品集『岬から翔べ』で第18回北海道新聞文学賞受賞。 北海道学芸大学(現在の北海道教育大学)卒。札幌市とその周辺で高校教員(国語科)として勤務、のちには國學院女子短期大学(國學院短期大学)助教授[要出典]、北海道立文学館を運営する財団法人北海道文学館の評議員も務めた。教職のかたわら、渡辺淳一や高橋揆一郎、寺久保友哉らを輩出する文芸同人誌『くりま』創刊の中心となって小説作品を発表し、後年は札幌の月刊同人誌『北方文芸』の編集者として、またカルチャーセンター講座「創作教室」の講師として多くの作家を育てた。
梶 龍雄(かじ たつお、1928年11月21日 - 1990… 梶 龍雄(かじ たつお、1928年11月21日 - 1990年8月1日)は、日本の推理作家、小説家、翻訳家。本名は、可児 秀夫。 1928年岐阜県生まれ。慶應義塾大学文学部英文科卒業後、小学館に勤める。1952年に雑誌『宝石』に「白い路」を発表し作家活動のスタートを切る。1959年小学館退社後、児童小説や後に多数執筆する推理小説の翻訳などに参加し、このころからミステリー・推理小説などに関わりをもった。 1977年、真相究明によるサスペンスをとりいれながらも主人公の恋をドラマチックに描いた推理小説「透明な季節」で第23回江戸川乱歩賞を受賞。自作小説で賞を勝ち取ったのはこれが最初である。 その後の活動としては、『透明な季節』と同じ部類に入る旧制高校を舞台にした本格派推理小説をシリーズとして多数を執筆したほか、トラベル・ミステリーのような推理小説なども執筆した。
たかし よいち(高士 与市、1928年11月10日 - 20… たかし よいち(高士 与市、1928年11月10日 - 2018年1月7日)は、日本の児童文学作家。鹿児島女子短期大学名誉教授、久留米信愛女学院短期大学教授・図書館長。 熊本県熊本市出身。東洋語学専門学校(現在の熊本学園大学)中国語科卒業。熊本大学図書館司書を経て、教科書会社校正員、児童雑誌編集者を勤めた。 1962年『狩人タロの冒険』を処女出版。1965年『埋もれた日本』で第5回日本児童文学者協会賞、1977年『竜のいる島』で国際アンデルセン賞優良作品賞およびサンケイ児童出版文化賞、2008年『天狗』で赤い鳥文学賞受賞。考古学、古生物学などに基づく児童向け図書を数多く刊行し、児童文学に新たな分野を開いた。
寺村 輝夫(てらむら てるお、1928年11月8日 - 20… 寺村 輝夫(てらむら てるお、1928年11月8日 - 2006年5月21日)は、日本の児童文学作家。東京都出身。代表作は『王さまシリーズ』『こまったさん』『わかったさん』シリーズ、『かいぞくポケット』など。 東京都本郷区(現・文京区)真砂町に、9人兄弟(男7人・女2人)の6男として生まれる。父は日本橋馬喰町の名刺メーカーに勤める中流階級、母は浅草田原町の宮大工の娘。天皇即位礼(御大典)の影響で典夫と名づけられる予定だったが、ありきたりな名という事で、当時の新聞に目立った「輝」を取って輝夫と命名された。幼少時は「特定の境遇にある者を差別してはいけない」と寺村に何度も教えた母の後を追いかけてばかりだったという。
内田 庶(うちだ ちかし、1928年11月6日 - 2019… 内田 庶(うちだ ちかし、1928年11月6日 - 2019年3月14日)は、日本の児童文学作家、翻訳家、編集者、著作権コンサルタント、実業家。東京都出身。日本ユニ著作権センター代表理事理事兼顧問著作権相談員。本名は宮田 昇(みやた のぼる)。1953年、明治大学文学部文学科中退。 戦後、近代文学社、南雲堂などに勤務ののち、1952年から早川書房の編集者となり、ハヤカワ・ポケット・ミステリの創刊を企画する。のち1955年に退社し、チャールズ・イー・タトル商会で勤務するかたわら、ペンネーム内田庶(うちだ ちかし)名で数多くの児童書の執筆・翻訳を手がける。1967年、独立して矢野浩三郎と矢野著作権事務所を興す。
大竹 三郎(おおたけ さぶろう、1928年10月31日 - … 大竹 三郎(おおたけ さぶろう、1928年10月31日 - )は、日本の化学者、科学読物作家。湘南工科大学名誉教授。 神奈川県藤沢市出身。1949年東京物理学校(のち東京理科大学)理化学科卒。神奈川県公立学校教員をへて、1965年相模工業大学講師、1975年教授、1977年副学長、理事。校名変更で湘南工科大学名誉教授。 1975年『黒つちがもえた』でサンケイ児童出版文化賞、1982年『ふしぎないろみず』で日本科学読物賞受賞。
香山 美子(こうやま よしこ、1928年10月10日 - )… 香山 美子(こうやま よしこ、1928年10月10日 - )は、日本の児童文学作家・絵本作家、詩人。日本児童文学者協会評議委員。 東京都生まれ。旧制金城女子専門学校(現:金城学院大学)国文学科卒。 1963年、『あり子の記』でNHK児童文学奨励賞、日本児童文学者協会賞を受賞。 数多くの創作・詩・絵本などの著書がある。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
神吉 拓郎(かんき たくろう、1928年(昭和3年)9月11… 神吉 拓郎(かんき たくろう、1928年(昭和3年)9月11日 - 1994年(平成6年)6月28日)は、日本の小説家、俳人、随筆家。
草鹿 外吉(くさか そときち、1928年8月28日 - 19… 草鹿 外吉(くさか そときち、1928年8月28日 - 1993年7月25日)は、日本のロシア文学研究者、詩人、小説家、翻訳家。 後の神奈川県鎌倉市に生まれる。父は海軍兵学校校長を務めた草鹿任一であり、草鹿龍之介も親戚にあたるという海軍一家に育ち、湘南中学校から1945年海軍兵学校に入学する(77期)も、まもなく終戦を迎え、復員する。 第二次世界大戦復員後は、横浜工業専門学校を卒業後、早稲田大学に編入学して、ロシア文学を学ぶ。その後、早稲田大学や中央労働学院などで教えながら、日本福祉大学の教授となり、副学長も務めた。 また、詩人としては〈詩人会議〉の常任運営委員も務め、詩集も刊行した。 アレクサンドル・プーシキンを中心とした19世紀文学と、エフゲニー・エフトゥシェンコなどの同時代の詩人を中心に研究し、その方面の著書・訳書も多い。
泉 大八(いずみ だいはち、1928年8月25日 - )は、… 泉 大八(いずみ だいはち、1928年8月25日 - )は、日本の小説家。本名は百武 平八郎(ひゃくたけ へいはちろう)。鹿児島県出身。 職業軍人の家庭に生まれ、自身も陸軍予科士官学校へ進学したが終戦後は電電公社(NTTの前身)で組合活動をしながらプロレタリア文学を執筆し、芥川賞候補となる。 1960年代後半に電電公社を退社して専業作家となってからは官能小説に転じ、宇能鴻一郎や川上宗薫と並ぶ「ポルノご三家」と評されていた。 1928年(昭和3年)8月25日、鹿児島県出水郡出水町(現在の出水市)に生まれる。祖父は肥前国佐賀藩の出で、出水へ移り鍛冶屋を営んでいた。元海軍大将・侍従長の百武三郎は祖父の親類に当たる。
上野 瞭(うえの りょう、1928年8月16日 - 2002… 上野 瞭(うえの りょう、1928年8月16日 - 2002年1月27日)は、日本の児童文学作家。 息子の上野宏介はイラストレーター。 京都府京都市生まれ。本名は瞭(あきら)。父は炭や米を扱う商人で、戦後は食糧公団に勤め、京都米穀株式会社の役員となるが、晩年は不遇だった。母は眼を病んでいた。6人兄弟の長男。第二錦林尋常小学校時代から「少年倶楽部」を愛読するが、「よい子」「頑張る子」「できる子」への反発から佐藤紅緑と佐々木邦だけは読まなかった。 京都市立第二商業学校時代に太平洋戦争が開戦し、舞鶴へ学徒動員に送られる。立命館専門学校二部在学中から「木馬」「子ども・詩の国」に童話を発表し始める。同志社大学文学部文化学科に編入し、哲学を専攻して卒業。
太田 經子(おおた きょうこ、1928年8月15日 - 20… 太田 經子(おおた きょうこ、1928年8月15日 - 2008年12月2日)は、日本の小説家、官能小説家。一般に太田 経子と表記される。 静岡県生まれ。東京府立第五高等女学校(現東京都立富士高等学校)卒。 長与善郎、石川利光に師事、丹羽文雄の『文学者』や『女流』といった同人誌で小説を書く。1957年「渇き」が室生犀星に認められてデビュー。その後『小説宝石』などに官能小説を書く。1996年の『青眉の女』は高く評価された。
出口 裕弘(でぐち ゆうこう、1928年8月15日 - 20… 出口 裕弘(でぐち ゆうこう、1928年8月15日 - 2015年8月2日)は、昭和・平成期の日本の作家、翻訳家、フランス文学者。元一橋大学教授。 東京府北豊島郡日暮里町(現在の東京都荒川区東日暮里)の生まれ。ただし『北海道名士録 昭和35年度版』(1頁には千葉県松戸市出身とある。本名の訓みはヤスヒロといい、葛飾区立堀切小学校から東京府立第十一中学校(東京都立江北高等学校)を経て1945年4月、旧制浦和高等学校理科1組入学、1945年7月1日、武原寮(ぶげんりょう)に入寮しここで敗戦を迎えた。寮で1級下の野沢協と相識る。 1945年10月、文科甲類に転科する。在学中は文芸部に所属し、短歌や俳句、詩や小説などの創作活動に熱中した。
高橋 光子(たかはし みつこ、1928年8月15日 - 20… 高橋 光子(たかはし みつこ、1928年8月15日 - 2026年1月24日)は、日本の小説家。上条由紀名義で70年代から80年代にかけて少女小説も手掛けた。東京都武蔵野市在住。日本文藝家協会会員。 愛媛県川之江町(現・四国中央市)生まれ。川之江高等女学校在学中は勤労動員で日本陸軍の秘密兵器「風船爆弾」を作っていた。 卒業後はテレビ、ラジオの脚本の仕事を経て、1965年「蝶の季節」で文學界新人賞受賞、同作で芥川賞候補、1972年「遺る罪は在らじと」で二度目の候補。また上条由紀の名で 集英社コバルト文庫を中心に少女小説を執筆、1993年『高畠華宵とその兄』で潮賞ノンフィクション部門優秀賞受賞。 日本文藝家協会会員、「群青」同人。
松谷 健二(まつたに けんじ、1928年8月12日 - 19… 松谷 健二(まつたに けんじ、1928年8月12日 - 1998年2月9日)は、日本のドイツ文学研究家、翻訳家、作家。元山形大学教授。 1928年、東京市(現大田区)に生まれ、幼少年時代をここで過ごす。東京外国語大学を経て1953年に東北大学文学部ドイツ文学科卒業。 1959年、初出版は『文学における彼岸表現の研究』内の論文「北歐の彼岸表象」。 1971年、「宇宙英雄ペリー・ローダン」シリーズの第1巻『スターダスト計画』が刊行される。1974年に山形大学を退職。 1998年、肝硬変のため山形県の病院で死去。享年69。
葉治 英哉(はじ えいさい、1928年7月18日 - 201… 葉治 英哉(はじ えいさい、1928年7月18日 - 2016年2月29日)は、日本の小説家。本名は奥山英一(おくやま えいいち)。 青森県出身。八戸市在住。青森師範学校中退。 法政大学文学部日本文学科卒業。1957年「農婦トヨ」で第1回東奥小説賞(佳作2席)受賞。1989年「戊辰牛方参陣記」で第37回地上文学賞受賞。1994年「(またぎ)物見隊顛末」で第1回松本清張賞受賞(「またぎ」は「犭+又」) 。 2016年2月29日死去。87歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
森 禮子(もり れいこ 1928年7月7日 - 2014年3… 森 禮子(もり れいこ 1928年7月7日 - 2014年3月28日)は小説家・劇作家。芥川賞作家。 クリスチャンで独身。福岡市大円寺町(現・唐人町)生まれ。福岡県立福岡高等女学校(現・福岡県立福岡中央高等学校)卒業。1947年、西南学院バプテスト教会にて受浸(バプテスマ)。1949年まで西南学院大学図書館に勤務。 1950年、第3期九州文学に参加し、処女作『レエヌのある風景』を発表。NHK福岡放送局作家グループのメンバーとなり、放送作家としても活動する。27歳の時に上京して『文芸首都』に入り、北杜夫、なだいなだ、佐藤愛子らと交際。小説「鎮魂曲」が「婦人朝日」の懸賞小説に入選。1963年、「未完のカルテ」で女流新人賞次席。
中村 博(なかむら ひろし、1928年7月7日- )は、日本… 中村 博(なかむら ひろし、1928年7月7日- )は、日本の小学校教師、児童文学作家。 東京生まれ。愛媛県出身。1950年日本大学文学部卒。1948年世田谷区立松沢小学校教師となり、78年世田谷区立三宿小学校で退職。東京総合教育センター教育相談員。日本子どもの会会員。日本子どもを守る会会長(1997~2003年)。民話の再話や教育評論などの著作をなした。
渡辺 一雄(わたなべ かずお、1928年7月3日 - 201… 渡辺 一雄(わたなべ かずお、1928年7月3日 - 2014年12月8日)は、日本の作家・評論家。 本姓・小川。大丸に勤めて1976年、デパートの内幕を描いた『野望の椅子』で日本作家クラブ賞を受賞。企業小説、経営評論を多く執筆した。 1928年(昭和3年)7月3日、京都市中京区西ノ京冷泉町で生まれる。父親は岐阜県から小学校卒業と共に上洛して京都市電の運転士をしており、母親は小さな雑貨商をしていた。長男の一雄の2年下に妹、5歳下に弟がいたほか、祖父母も同居し、7人で暮らしていた。 西ノ京冷泉町や朱雀第六小学校の付近は京都市役所、繁華街の四条河原町と同じ中京区にもかかわらず、行政に忘れられたような寂しいエリアであった。
吉住 侑子(よしずみ ゆうこ、1928年6月16日 - 20… 吉住 侑子(よしずみ ゆうこ、1928年6月16日 - 2014年7月20日)は、作家。 千葉県生まれ。本名・根本美代。早稲田大学国文学専攻科修了。『文学者』『三田文学』『季刊文科』などに作品を発表。1985年「遊ぶ子どもの声きけば」で北日本文学賞受賞。2004年「戯れの秋」で小島信夫文学賞受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
中込 道夫(なかごめ みちお、1928年6月10日 - 20… 中込 道夫(なかごめ みちお、1928年6月10日 - 2010年)は、日本の政治学者、川柳作家。 東京府(北区)出身。柳名・清水みちを。早稲田大学政治経済学部卒、同大学院国際政治学専攻修士課程修了。新聞記者、私立高校教諭などをへて、1967年神奈川県逗子市で池子弾薬庫反対市民会議を結成。1983年6月フィリピンのミンダナオ島の未開地で青年海外協力隊などの協力で農業大学を開設、副学長となる。足利工業大学教授、適正科学研究所所長。
津村 節子(つむら せつこ、1928年〈昭和3年〉6月5日 … 津村 節子(つむら せつこ、1928年〈昭和3年〉6月5日 - )は、日本の小説家。勲等は旭日中綬章。本名は吉村 節子(よしむら せつこ、旧姓北原)。日本芸術院会員、文化功労者。名誉三鷹市民。 福井県福井市生まれ。1965年「玩具」で芥川賞、1990年『流星雨』で女流文学賞、1998年『智恵子飛ぶ』で芸術選奨文部大臣賞、2003年「長年にわたる作家としての業績」で恩賜賞・日本芸術院賞受賞。同年日本芸術院会員となる。2011年「異郷」で川端康成文学賞受賞。ふるさと五部作に『炎の舞い』、『遅咲きの梅』、『白百合の崖』、『花がたみ』、『絹扇』がある。夫も小説家の吉村昭。
小堺 昭三(こさかい しょうぞう、1928年5月24日 - … 小堺 昭三(こさかい しょうぞう、1928年5月24日 - 1995年3月7日)は、日本の作家。 福岡県大牟田市生まれ。旧制福岡県立八幡中学校卒。火野葦平の秘書を務め、のち『週刊文春』のルポライターを経て作家となる。1951年「朝鮮海峡」で新潮社文学賞佳作、1959年「基地」で芥川賞候補、1960年「自分の中の他人」で直木賞候補。『密告―昭和俳句弾圧事件』(ダイヤモンド社、1979年)では西東三鬼を特高のスパイと断定し、三鬼の遺族から版元ともども名誉毀損で民事提訴され、1983年に敗訴した。 戦記、昭和史、近代史実録もの、官能小説、また政界・実業界実録ものなど、週刊誌記者出身らしい作風で知られた。
佐野 洋(さの よう、1928年〈昭和3年〉5月22日 - … 佐野 洋(さの よう、1928年〈昭和3年〉5月22日 - 2013年〈平成25年〉4月27日)は、日本の推理作家、評論家。本名は丸山一郎。 東京市大森(現・東京都大田区大森)出身。東京中学卒業。 旧制一高に首席合格、東京大学文学部心理学科卒業。大学時代、日野啓三、大岡信らと同人誌『二十代』、『現代文学』を作る。彼ら文学仲間には「推理小説好き」であることはかくしていた。 1953年、読売新聞社に入社。当初兼業作家だったため、ペンネームは「社の用」にかけて付けた。1959年に新聞社を退社。最も好きな推理作家として英国のアンドリュー・ガーヴの名を挙げている。黒岩重吾に「血や汗を流していない小説」と批判され、「むしろ賛辞と受け止めたい」と返したほど知的遊戯としてのミステリを貫いているが、一方で「同一の主人公のシリーズばかり書くと、作品のパターンが繰返しになり、マンネリズムに陥る」などの理由からシリーズ探偵には否定的な立場を取り、エキセントリックな犯罪、大掛かりなトリック、大邸宅大家族などのゴシックロマン的な背景も排除するなど、ほどのよいリアリズム、中庸さが持ち味でもある。
五十嵐 豊(いがらし ゆたか、1928年5月20日 - 19… 五十嵐 豊(いがらし ゆたか、1928年5月20日 - 1982年3月4日)は、日本の芸術家、郷土民芸作家、スキー選手。 スキーの国体選手・監督(栃木県)でもある。 作品は、那須町の自然や動物、子供を題材にした作品が多く特に駒やりんどうが描かれていることが多い。木工品や益子焼、黒羽藍染、烏山和紙、木彫、布絵など作品は多岐にわたるが、栃木県の伝統工芸を使用しているのが特徴である。 栃木県那須郡那須村(現・那須町)出身。 那須温泉郷の1つ八幡温泉五十嵐旅館の次男坊として誕生。 旧制宇都宮中学を卒業後、1947年(昭和22)東京美術学校(東京美術学校最後の卒業生)に入学。在学中は高田正二郎などに師事し、1952年(昭和27)に卒業した。
七宮 涬三(しちのみや けいぞう、1928年5月11日 - … 七宮 涬三(しちのみや けいぞう、1928年5月11日 - 2011年2月16日)は、日本の歴史学者・作家・実業家。富士大学名誉教授。 主に平安時代末期から戦国時代にかけての氏族に関する著書や、岩手県の政治家や経済人に関する著作が多い。 東京府生まれ。岩手大学教育学部卒業。岩手日報社東京支社編集部長、みちのくコカ・コーラボトリング取締役などを経て富士大学教授、1999年定年、名誉教授。日本中世史以外の著書に、『晩年の石川啄木』『岩手県人』『岩手宰相論』など、岩手県に関する著書も多数。 2011年、急性肺炎により死去。享年82。
宗田 理(そうだ おさむ、1928年5月8日 - )は、日本… 宗田 理(そうだ おさむ、1928年5月8日 - )は、日本の作家、小説家。
宮越 郷平(みやこし きょうへい、1928年4月25日 - … 宮越 郷平(みやこし きょうへい、1928年4月25日 - 2013年6月23日)は、日本の作家。秋田県出身。本名、道晃(どうこう)。 1928年(昭和3年)、西仙北町刈和野(現:大仙市)生まれ。秋田中学校(現:秋田県立秋田高等学校)、1948年(昭和23年)駒澤大学予科卒業。同年駒澤大学国文科中退。舞台芸術学院修了後、舞台座に入団。その後、小学校教員を経て角館南高校教諭、県教育庁社会教育課長、県生涯学習センター所長。秋田県コミュニティ・カレッジ学長を経て、秋田県社会教育委員連絡協議会長を歴任。 1955年(昭和30年)から1966年まで魁新年文芸に「ある挿話」など入選8回。その間、中編小説に「夜ぶりの頃」が第一席、「河岸段丘」が『家の光』連載小説で佳作。
三島 佑一(みしま ゆういち、1928年4月11日- 201… 三島 佑一(みしま ゆういち、1928年4月11日- 2016年1月5日)は、日本近代文学研究者・作家。四天王寺大学名誉教授。 大阪船場道修町生まれ。大阪大学付属薬学専門部、京都大学文学部国文科卒。四天王寺国際仏教大学教授をへて、名誉教授。はじめ友川泰彦の筆名を用い、その後も小説を書く一方、堀辰雄、谷崎潤一郎などを論じた。船場大阪を語る会会長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
松永 義弘(まつなが よしひろ、1928年4月10日 - 2… 松永 義弘(まつなが よしひろ、1928年4月10日 - 2016年6月13日)は、日本の作家。 佐賀県生まれ。日本大学法文学部史学科卒。歴史小説を数多く書いた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
高橋 揆一郎(たかはし きいちろう、1928年4月10日 -… 高橋 揆一郎(たかはし きいちろう、1928年4月10日 - 2007年1月31日)は、北海道出身の日本の小説家。本名、良雄(よしお)。歌志内市名誉市民。 歌志内市上唄の炭鉱長屋で生まれる。歌志内小学校卒業後、北海道庁の給仕をしながら、庁職員養成を目標とした札幌市の私立昭和中学校(夜間中学)を卒業。 卒業後、母校の歌志内小学校で代用教員を2年間勤め退職、北海道第一師範学校(現・北海道教育大学札幌校)に進学するも中退し、住友石炭鉱業上歌志内砿に入社。1970年に退社した後、時事漫画を中心としたイラストレーターの傍ら「くりま」で小説の同人活動を続け、1971年「3年間だけ小説を書かせてくれ」と妻に頼み込み、執筆活動に集中。
久里 洋二(くり ようじ、1928年4月9日 - 2024年… 久里 洋二(くり ようじ、1928年4月9日 - 2024年11月24日)は、日本のアニメーション作家、イラストレーター、絵本作家、洋画家。一コマ漫画家としても活動している。本名:栗原 英夫(くりはら ひでお)。 2016年以降、クリ ヨウジ、または姓名の間に中黒を入れたクリ・ヨウジの名義を併用して活動している。 福井県今立郡鯖江町(のちの鯖江市)出身。父は軍人。陸軍幼年学校の受験に失敗後、旧制福井県立武生中学校(のちの福井県立武生高等学校)へ入学。中学時代に終戦を迎えた。1947年、京都市美術学校の入学試験に合格するが、父親が公職追放となり、学費の目処が立たなくなったために進学を断念し、郷里で様々な職業について家計を助けた。
加藤 富夫(かとう とみお、1928年(昭和3年)4月3日 … 加藤 富夫(かとう とみお、1928年(昭和3年)4月3日 - 1977年(昭和52年)12月2日)は、日本の小説家、教員。 秋田県雄勝郡湯沢町(現・湯沢市)生まれ。1968年に文學界新人賞を受賞したほか、1971年から1975年にかけて四度芥川賞候補となった。 秋田県立横手中学校(現・横手高等学校)在学中に予科練に入隊し、土浦海軍航空隊で桜花特攻要員として訓練中、秋田県北秋田郡合川町(現・北秋田市)の大野岱で終戦を迎えた。復員後、秋田県立湯沢南高等学校(現・湯沢高等学校)から秋田大学学芸学部(現・教育文化学部)英語科に進み、1954年(昭和29年)3月に卒業。秋田県の高校英語科教員として、横手・湯沢北 ・湯沢高校などで教鞭を執った。
田畑 麦彦(たばた むぎひこ、1928年3月31日 - 20… 田畑 麦彦(たばた むぎひこ、1928年3月31日 - 2008年6月6日)は、日本の小説家。本名・篠原省三。東京府生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。佐藤愛子の元夫。実姉・篠原逸子は、服部金太郎の孫である。 東京急行電鉄社長を務めた篠原三千郎の二男として生まれる。妹の桂子は渥美昭夫の妻。中学校から慶應義塾に通う。毎日新聞社、東映映画に勤務。 1953年『三田文学』に「夜の窓」を発表、『文藝首都』同人として小説を書く。1956年、同人誌仲間であった佐藤愛子と結婚。1962年「嬰ヘ短調」で文藝賞受賞。同年より妻愛子とともに産業教育教材販売会社「日本ソノサービスセンター」の設立、経営に参画する。1964年より日本ソノフィルムやエスプリ企画の代表取締役社長を務めるが、事業の失敗により離婚。