盛山 毅(もりやま たけし、1941年(昭和16年)1月1日… 盛山 毅(もりやま たけし、1941年(昭和16年)1月1日 - )は、東京都出身の元アナウンサー。 東京都立西高等学校を経て、慶應義塾大学法学部政治学科卒業後の1964年にフジテレビへ入社。同学年で同じフジテレビアナウンサーかつ友人でもあった露木茂よりも1年遅れての入社であった。また、高校の同級生に元JR東海の葛西敬之がいる。 1960年代後半から1980年代前半にかけて数々の競馬実況を行い、1973年からは東京優駿の実況を毎年行ってきた鳥居滋夫の後を受け、1986年まで同競走の実況を務める。その間はフジテレビ競馬中継のメイン実況者として、関西テレビの杉本清と共にフジ系列の競馬中継の「顔」として君臨。
小山 靖憲 (こやま やすのり、1941年1月1日 - 20… 小山 靖憲 (こやま やすのり、1941年1月1日 - 2005年5月14日)は、日本の歴史学者。専攻は日本中世史。和歌山大学名誉教授。兵庫県出身。 1964年、東京教育大学文学部史学科を卒業。1971年、同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。 和歌山大学のちに帝塚山大学の教授として大学および大学院の指導にあたるほか、立命館大学(12ヵ年)、高野山大学(4ヵ年)、関西大学(3ヵ年)、大阪教育大学(2ヵ年)、大阪大学(2ヵ年)、大阪市立大学、新潟大学、岡山大学、関西学院大学、大阪樟蔭女子大学、堺女子短期大学、奈良女子大学、國學院大學(各1ヵ年)などに出講し、後進の研究者の多くに影響を与えた。 荘園絵図研究、熊野古道研究の第一人者として知られ、晩年は「紀伊山地の霊場と参詣道」の世界遺産登録に尽力した。
市野 紀生(いちの のりお、1941年1月1日 - 2023… 市野 紀生(いちの のりお、1941年1月1日 - 2023年7月19日)は、日本の実業家。東京ガス代表取締役元社長、会長。社団法人日本ガス協会元会長。日本野球連盟元会長。NPO法人日本防災士機構評議員。 広島県呉市出身。1964年に早稲田大学法学部を卒業し株式会社東京瓦斯入社。1998年常務取締役事業開発本部長などを経て2000年代表取締役専務取締役事業開発本部長、2001年代表取締役専務取締役、2002年代表取締役副社長執行役員コーポレート・コミュニケーション本部長、2003年代表取締役社長社長執行役員就任。2008年から取締役会長。 2009年5月から社団法人日本ガス協会会長。その他、日本取締役協会・内部統制研究会座長、東商環境委員会委員長なども務める。
堀田 明(ほった あきら、1941年1月1日 - )は、大阪… 堀田 明(ほった あきら、1941年1月1日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手(外野手)、アマチュアゴルファー。
鈴木 松美(すずき まつみ、男性、1941年1月1日 - )… 鈴木 松美(すずき まつみ、男性、1941年1月1日 - )は、日本における音響・音声の研究家。音響研究所所長。前日本音響研究所所長。 東京都生まれ、近畿大学理工学部電気工学科卒業。警察庁通信局を経て、科学警察研究所にて主として音声、音響分野の研究に携わり、1969年12月、退官。富士ゼロックス(現:富士フイルムビジネスイノベーション)を経て、1968年に個人経営の「日本音響研究所」を設立。1986年有限会社に移行。その後、NHKの教養講座講師なども務める。 2012年9月、日本音響研究所を息子の鈴木創に託し退任すると共に、自らの研究を進めるため、渋谷区神宮前に「音響研究所」を設立し所長を務める。
坂本 正元(さかもと まさもと、1941年1月1日 - )は… 坂本 正元(さかもと まさもと、1941年1月1日 - )は、日本の経営者。富士ゼロックス(現在の富士フイルムビジネスイノベーション)社長を務めた。 神奈川県出身。1964年に慶應義塾大学法学部政治学科を卒業し、同年に富士ゼロックスに入社。1988年1月に取締役、1992年1月に常務、1993年1月に専務、1996年1月に副社長を経て、1998年1月に社長に就任。2002年6月に相談役に就任。 2002年11月に藍綬褒章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
藤井 武彦(ふじい たけひこ、1941年1月1日 - )は、… 藤井 武彦(ふじい たけひこ、1941年1月1日 - )は、日本の経営者。トーハン社長、会長を務めた。島根県出身。 1988年に中央大学法学部を卒業し、同年に三和銀行に入行した。1994年にトーハン取締役に就任し、1997年に副社長、2006年に財務顧問を経て、2012年6月に社長に就任。2018年6月には顧問に退いた。
浅井 光昭(あさい みつあき、1941年1月1日 - )は、… 浅井 光昭(あさい みつあき、1941年1月1日 - )は、日本の経営者。住友ゴム工業社長を務めた。愛媛県出身。 1965年に東京大学経済学部を卒業し、同年に住友ゴム工業に入社。1991年3月に取締役に就任し、1994年3月に常務を経て、1998年3月に専務に就任。1999年3月には社長に昇格。2005年3月に会長に就任。2011年3月に相談役に就任。2011年11月に旭日中綬章を受章。
矢野 弘典(やの ひろのり、1941年(昭和16年)1月1日… 矢野 弘典(やの ひろのり、1941年(昭和16年)1月1日 - )は、日本の実業家。元横綱審議委員会委員長。 東京府東京市(現在の東京都)出身。父親の転勤により、中学生時代には高知県での在住歴がある。少年時代は学校の校庭で友人と相撲を取り、高知在住当時は街頭テレビの大相撲中継に熱中した。 1963年東京大学法学部卒業後、1963年に東京芝浦電気(現在の東芝)に入社。東芝では国際畑を歩み、1969年にはアメリカ合衆国ウィスコンシン州のウィスコンシン大学への研究派遣も経験している。 1997年から1年、欧州総括事務所代表兼東芝ヨーロッパ社長を務める。また学生時代に柔道をやっていたことで東芝柔道部の部長を務めて社員を指導していたこともあった。
沢井 一恵(さわい かずえ、1941年1月1日 - 2026… 沢井 一恵(さわい かずえ、1941年1月1日 - 2026年2月15日)は、日本の箏曲家。十七絃箏演奏者。 京都府出身。1964年東京芸術大学音楽学部卒業。宮城道雄に師事。1979年に夫の沢井忠夫とともに沢井箏曲院を設立した。欧米各地で現代邦楽を公演した。沢井箏曲院現会長の沢井比河流は長男。 2026年2月15日、85歳で死去。
大塚 俊郎(おおつか としろう、1941年(昭和16年)1月… 大塚 俊郎(おおつか としろう、1941年(昭和16年)1月1日 - )は、日本の地方公務員。新銀行東京取締役会長。元東京都副知事。 栃木県出身。1968年、早稲田大学政治経済学部を卒業し、東京都庁に入庁。東京都主税局長を経て、2001年7月に東京都出納長に就任。石原慎太郎東京都知事の下で、石原知事の発案による、当時公的資金の注入や実質的な免税措置で強い批判を受けていた都市銀行に対する外形標準課税の導入を推進した。2004年7月、東京都副知事(序列第3位)に就任。2005年、副知事を一旦辞職し、改めて再任された(序列第2位)。2007年5月、石原知事の3選後に辞職。都庁を退職後、非常勤の新銀行東京取締役会長に就任。
沓掛 良彦(くつかけ よしひこ、1941年1月1日 - )は… 沓掛 良彦(くつかけ よしひこ、1941年1月1日 - )は、日本の比較文学者・西洋古典学者、翻訳家。東京外国語大学名誉教授。井伊 華言(いいかげん)名義の著書もある。 1941年、長野県上田市で生まれた。1959年、長野県上田高等学校を卒業。早稲田大学第一文学部ロシア文学科に進学し、1965年に卒業。東京大学大学院人文科学研究科比較文学比較文化専攻に進み、比較文学を専攻。西脇順三郎を読んで地中海世界に憧れ、寺田透と木村彰一に師事した。1971年に博士課程を中退。 その後は大阪市立大学専任講師に就いた。東北大学助教授を経て、東京外国語大学外国語学部教授となった。1990年、学位論文『サッフォー:詩と生涯』を東北大学に提出して文学博士の学位を取得。
角廣 勲(すみひろ いさお、1941年1月1日 - )は、… 角廣 勲(すみひろ いさお、1941年1月1日 - )は、日本の経営者。広島銀行頭取を務めた。 広島県出身。1967年に早稲田大学法学部を卒業し、同年に広島銀行に入行した。1998年9月に取締役に就任し、2000年6月に常務、2003年6月に専務を経て、2006年6月には頭取に就任。2012年6月に会長に就任し、2018年6月には特別顧問に就任。 2017年4月に旭日中綬章を受章した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
樋口 年子(、1940年1月1日 - 1979年頃)は、日本… 樋口 年子(、1940年1月1日 - 1979年頃)は、日本の元女優。東京都世田谷区出身。 八雲学園高在学中の1957年、『隠し砦の三悪人』のオーディションに応募し、百姓娘役を射止める。 1959年俳優座養成所に十一期生として入る。1962年卒業と同時に俳優座に入る。おもな出演作に『大学のお姐ちゃん』(1959年 杉江敏男)、『椿三十郎』(1962年 黒澤明)など。 工藤堅太郎の回想記『役者ひとすじ 我が人生&交遊録』(風詠社・2014年11月)では、実名こそ明かしていないが、樋口が病のため39歳で亡くなったと記されている。
沢渡 朔(さわたり はじめ、1940年〈昭和15年〉1月1日… 沢渡 朔(さわたり はじめ、1940年〈昭和15年〉1月1日 - )は、日本の写真家。東京府出身。女性ポートレートの分野を中心に幅広く活動。『少女アリス』等の写真集を出版。 中学の修学旅行の際に中古のリコーフレックスを入手し、写真を撮り始める。日大二高では写真部に所属。高校3年時に『サンケイカメラ』誌月例コンテストの中高の部でいきなり3作品を入賞させ、その後も月例コンテストの常連となる。 日芸の写真学科に進学後、月例コンテストの選者だった佐藤明のアドバイスで月例コンテストからは撤退。この頃、映画『死刑台のエレベーター』を見てジャズやヌーヴェルヴァーグに傾倒。詩人の白石かずことともに横田基地に通い、黒人女性や子供たちの撮影に取り組む。
田島 莊三(たじま しょうぞう、1940年1月1日 - 20… 田島 莊三(たじま しょうぞう、1940年1月1日 - 2021年1月28日)は、日本の音響監督。愛知県名古屋市中区出身。 名古屋市立前津中学校、名古屋市立菊里高等学校、日本大学芸術学部映画学科卒業。 東映の時代劇を好み助監督を志すが、試験日に寝過ごしてしまい、1年留年して翌年の試験に備えたものの、翌年には募集そのものがなくなってしまった為、産業訓練用スライドの制作会社ピーアールシープロダクション(現:PRC)に入社。2年後、太平洋テレビジョンに勤めていた友人と入れ替わる形で同社に移り、演出部のアシスタントとして吹き替え仕事に関わり始め、1967年に放送された『キャット 闇に挑む男』で演出デビュー。
吉村 英夫(よしむら ひでお、1940年1月1日 - )は日… 吉村 英夫(よしむら ひでお、1940年1月1日 - )は日本の映画評論家、著述家。 1940年三重県津市に生まれる。久居中学校、三重県立津高等学校、早稲田大学教育学部国語国文科卒業。1962年4月、三重県立高等学校(国語科)教諭となる。1996年3月、津東高等学校退職。1997年4月~2006年3月三重大学(共通教育機構)非常勤講師。2001年4月、愛知淑徳大学非常勤講師。2007年4月愛知淑徳大学教授。2010年4月愛知淑徳大学非常勤講師、2015年3月退職。 1979年、キネマ旬報創刊60周年記念論文「『祇園の姉妹』と溝口健二の先駆性」で佳作入選。1982年、『男はつらいよの世界』刊行などによって三重県文化奨励賞(文学部門)受賞。
九里 一平(くり いっぺい、1940年1月1日 - 2023… 九里 一平(くり いっぺい、1940年1月1日 - 2023年7月1日)は、日本の漫画家、アニメ監督、アニメーションプロデューサー、キャラクターデザイナー。株式会社タツノコプロ第3代代表取締役。京都府京都市出身。本名:吉田豊治(よしだ とよはる)。 タツノコプロ創業経営者一族の「吉田三兄弟」の三男で、長兄は漫画家・アニメ原作者・タツノコプロ初代社長の吉田竜夫、次兄はアニメプロデューサー・タツノコプロ第2代社長・初代会長の吉田健二。 ペンネームの由来は「お前は目がクリクリしているから」と言われ「クリ=九里」とし、さらに「一平」をつけたことによる。 挿絵画家・漫画家として活躍していた竜夫の後を追い上京。
加藤 一二三(かとう ひふみ、1940年〈昭和15年〉1月1… 加藤 一二三(かとう ひふみ、1940年〈昭和15年〉1月1日 - 2026年〈令和8年〉1月22日)は、日本の将棋棋士。剱持松二九段門下(当初は南口繁一九段門下)。棋士番号は64。勲等は旭日小綬章。文化功労者。 62年後の2016年に藤井聡太が14歳2か月で更新するまで、14歳7か月で当時の史上最年少中学生棋士となったことから神武以来の天才(詳細は後述)と呼ばれ、また早指し棋戦の名手でもあったことから1分将棋の神様の異名を持つ。 実力制6人目の名人で、戦前生まれの名人経験者としては最後の存命者であった。2017年6月20日に現役引退。 福岡県嘉麻市出身、同市の名誉市民。仙台白百合女子大学客員教授(2017年6月23日 - 2026年1月22日)。
田畑 治(たばた おさむ、1940年1月1日 - )は、日本… 田畑 治(たばた おさむ、1940年1月1日 - )は、日本の臨床心理学者。臨床心理士。同朋大学大学院人間福祉研究科客員教授。名古屋大学名誉教授。教育学博士(京都大学・1971年)。元名古屋大学教育学部附属中学校・高等学校校長。専門は、心理臨床学・発達援助臨床学。山口県光市生まれ。
石原 碩夫(いしはら せきお、1940年1月1日 - )は、… 石原 碩夫(いしはら せきお、1940年1月1日 - )は、岡山県出身の元プロ野球選手。
井上 輝夫(いのうえ てるお、1940年1月1日 - 201… 井上 輝夫(いのうえ てるお、1940年1月1日 - 2015年8月25日)は、日本のフランス文学者、詩人、翻訳家。慶應義塾大学名誉教授。 兵庫県西宮市夙川生まれ。慶應義塾大学文学部仏文学科卒業。同大学大学院を経て、フランスのニース大学で博士号取得。弟弟子にル・クレジオがいた。留学時代にキリスト教に入信。慶應義塾大学経済学部助教授・教授を経て、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)の新設に参画し、1990年同キャンパス総合政策学部教授。1999年から慶應義塾ニューヨーク学院長就任。2005年定年退職、名誉教授、中部大学人文学部教授。2010年、同大学を退職。 1961年、会田千衣子、岡田隆彦、吉増剛造、鈴木伸治とともに詩誌『ドラムカン』を創刊、詩人として活動した。
岡部 うた子(おかべ うたこ、1940年1月1日 - )は、… 岡部 うた子(おかべ うたこ、1940年1月1日 - )は、日本の翻訳家。 山梨県都留市生まれ。駒澤大学文学部英文科卒業。神奈川県横浜市の高校教諭となる。主に児童書の翻訳を手掛けた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
青木 勝治(あおき かつじ、1940年1月1日 - 2011… 青木 勝治(あおき かつじ、1940年1月1日 - 2011年10月25日 )は、日本の弁護士(登録番号:14642、横浜弁護士会)。いちょう総合法律事務所所属だった。 神奈川県横浜市出身。上智大学法学部卒、上智大学大学院法学研究科修了。32歳の時に司法試験に合格し、1975年、弁護士として開業した。
森 紀旦(もり としあき、1940年1月1日 - 2018年… 森 紀旦(もり としあき、1940年1月1日 - 2018年7月10日)は、日本の聖職者、神学者、教育者。聖公会神学院校長、ウイリアムス神学館館長、日本聖公会中部教区主教。 1940年、埼玉県生まれ。 1966年に聖公会神学院を卒業し、翌1967年に執事叙任。1969年に司祭叙任。 1970年、立教大学大学院文学研究科修士課程修了。 1971年、米国マサチューセッツ州ケンブリッジのエピスコパル神学校に留学。 1976年、立教大学大学院文学研究科博士課程修了。 日本聖公会北関東教区の諸教会で牧会し、立教大学文学部キリスト教学科の講師を務め、ギリシア語や新約聖書を講じる。 聖公会神学院校長、ウイリアムス神学館館長を歴任し、新約聖書学、礼拝学を教える。
草原 タカオ(くさはら タカオ、本名:草原 孝雄、1940年… 草原 タカオ(くさはら タカオ、本名:草原 孝雄、1940年1月1日 - 2018年2月13日)は、日本の漫画家、イラストレーター。鹿児島県曽於郡末吉町出身。 1958年に上京し、川崎の東芝のテレビ工場に入社。その傍ら東京のお茶の水絵画研究所で8年間デッサンを学ぶ。1970年に退社しプロ入り。主に青年誌や新聞紙でナンセンス漫画を描く。 1977年『真夜中の子守歌』他作品にて第23回文藝春秋漫画賞受賞。 『農業共済新聞』にて『花咲かじいさん』を連載していた。 2018年2月13日に脳内出血のため死去。78歳没。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
荒川 文夫(あらかわ ふみお、1940年1月1日 - )は… 荒川 文夫(あらかわ ふみお、1940年1月1日 - )は、現在の佐賀県武雄市出身で二所ノ関部屋に所属した元大相撲力士。本名同じ。176cm、94kg。最高位は東十両8枚目。得意技は左四つ、寄り。 1956年5月場所初土俵、1964年3月場所十両昇進。しかし十両中位の壁を破れず、1966年9月場所を以て廃業した。 2024年8月20日に放送された『開運!なんでも鑑定団』(テレ東)のコーナー「出張!なんでも鑑定団」(岡山県矢掛町)に、依頼人の大伯父(依頼人の祖母が荒川の妹)として観客席で出演。それによると引退後は佐賀でちゃんこ鍋料理店を2014年頃に畳むまで経営していたという。その際、同期で後に横綱となった大鵬とは仲が良く、荒川の引退の時に大鵬から餞別として贈られた、大鵬が大関時代に使っていた化粧廻しの一つが出品された。
小島 三児(こじま さんじ、1939年〈昭和14年〉1月1日… 小島 三児(こじま さんじ、1939年〈昭和14年〉1月1日 - 2001年〈平成13年〉4月16日)は、日本のコメディアン・俳優。東京都足立区出身。 駒込高校卒業後、佐山俊二に弟子入り。その後テレビの台頭に伴い東八郎・原田健二とともにトリオスカイラインを結成。東など他人の肩に頭を乗せて「懐くな!」とツッコミを入れられる芸風や、とぼけた風貌で人気を博す。トリオ解散以降も数多くの映画やテレビドラマにおいて、コミカルな三枚目から悪役まで、多様な役柄をこなす脇役として活躍した。 2001年4月16日、腎不全のため62歳で死去。
粟森 喬(あわもり たかし、1939年1月1日 - 2023… 粟森 喬(あわもり たかし、1939年1月1日 - 2023年3月24日)は、日本の政治家、実業家。位階は正五位。参議院議員(1期)を務めた。 1957年金沢大学附属高等学校卒業。1983年、全国電気通信労働組合(全電通)石川県委員長を経て衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧石川県第2区(現在の石川3区)から立候補するが落選する。1989年、第15回参議院議員通常選挙に連合の会(後の民主改革連合)から立候補。定数1の石川県選挙区で現職で自由民主党公認の嶋崎均を抑えて初当選する。 1993年、奥田敬和の自民党離党、新生党結成により協力関係を構築し、翌年の県知事選で推薦した谷本正憲が当選したことで県政の主流派に属する。
富田 一雄(とみた かずお、1939年1月1日 - )は、日… 富田 一雄(とみた かずお、1939年1月1日 - )は、日本の元競泳選手。福岡県久留米市出身、福岡県立三潴高等学校・日本大学卒業。1960年ローマオリンピック競泳男子4×100mメドレーリレー銅メダリスト。 高校在学中の1956年メルボルンオリンピック競泳代表に選ばれ、競泳男子100m背泳ぎ準決勝で敗退。また、三潴高校水泳部の全国大会優勝にも貢献。1960年ローマオリンピックでは競泳男子100m背泳ぎで準決勝敗退したものの男子4×100mメドレーリレーでは銅メダル獲得に貢献した。
萩原 津年武(はぎわら つとむ、1939年1月1日 - )は… 萩原 津年武(はぎわら つとむ、1939年1月1日 - )は放送作家。埼玉県熊谷市生まれ。法政大学英米文学科卒。株式会社トマホーク代表取締役でもある。
小川 元(おがわ はじめ、1939年(昭和14年)1月1日 … 小川 元(おがわ はじめ、1939年(昭和14年)1月1日 - 2024年〈令和6年〉10月15日)は、日本の政治家、外交官。元衆議院議員(3期)。位階は従四位。 元駐チリ特命全権大使。長野県諏訪郡富士見町出身。司法大臣、鉄道大臣などを歴任した小川平吉の孫。 1939年(昭和14年)1月1日、小川一平・俊子夫妻の長男として生まれる。父・一平は弁護士・政治家小川平吉の長男、母・俊子は実業家・杉本甫の姉。 1961年(昭和36年)、学習院大学政経学部卒業。同年、三菱商事入社。 1970年(昭和45年)、ブラジル三菱商事株式会社取締役としてリオデジャネイロに5年間駐在し、帰国後は非鉄金属本部長代理などを歴任。
秋津 知子(あきつ ともこ、1939年(昭和14年)1月1日… 秋津 知子(あきつ ともこ、1939年(昭和14年)1月1日 - )は日本の翻訳家。 東京都出身。1961年、津田塾大学英文科卒。 同年、日本出版貿易勤務を経て、1963年太平洋テレビジョン勤務に転じテレビ映画の翻訳に従事した。
平田 哲男(ひらた てつお、1939年1月1日 - 2016… 平田 哲男(ひらた てつお、1939年1月1日 - 2016年3月1日)は、日本の歴史学者。おもに日本の20世紀の現代史について、左翼的観点から研究した。 山口県宇部市生まれ。東京教育大学文学部日本史学科を卒業し。同大学院文学研究科日本史学専攻修士課程を経て、法政大学大学院社会学専攻博士課程を単位取得退学した。その後は、中央大学、法政大学、都留文科大学などで非常勤講師を務め、長く歴史科学協議会で活動し、1960年代以来長く『歴史評論』などに多数の論考を発表するとともに、歴史科学協議会による『歴史科学大系』の編集にも参加した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
吉田 光昭(よしだ みつあき、1939年1月1日 - )は、… 吉田 光昭(よしだ みつあき、1939年1月1日 - )は、日本のウイルス学者、分子生物学者。東京大学名誉教授。薬学博士。専門はがんウイルスと発がん機構。成人T細胞白血病ウイルスの分子構造を明らかにした。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
安達 治彦(あだち はるひこ、1939年〈昭和14年〉1月1… 安達 治彦(あだち はるひこ、1939年〈昭和14年〉1月1日 - 2000年〈平成12年〉4月12日)は、昭和後期から平成期にかけて活躍したラジオパーソナリティ・タレント。 大阪府大阪市出身。立命館大学卒業。大学在学中にアルバイトで司会を始め、卒業と同時にデビューし、数々の番組に出演した。特に「安達治彦のメモリーズ・オブ・ユー」では、洋楽ファンの人気を受ける。しかし、1992年秋に脳卒中で倒れ、すべての番組を降板。命に別状がなかったものの、半身が不随となり、タレント活動を休止した。その後、リハビリを経て、1997年「父さんからのクリスマスメッセージ」に出演した。 2000年4月12日に肝臓がんのため死去した。
楠部 三吉郎(くすべ さんきちろう、1938年1月1日 - … 楠部 三吉郎(くすべ さんきちろう、1938年1月1日 - 2020年3月20日)は、日本のアニメーションプロデューサー。シンエイ動画株式会社名誉会長・元代表取締役社長。旧・満洲国生まれ、群馬県沼田市出身。楠部大吉郎(Aプロダクション・シンエイ動画創業者、前代表取締役会長)は実兄、ライターの楠部工は甥、イラストレーターの楠部文は姪に当たる。 俳人だった父(楠部南崖)を関東軍将校が「取り巻き」の一人として旧満洲国に連れて行ったことから、自身も満洲で生まれ育つ。終戦とともに引き上げ、群馬県沼田市に居住した。群馬県立沼田高等学校から明治学院大学経済学部卒。楠部自身の記述では高校卒業後、酒問屋で1年半勤めてから受験して明治学院大に進んだものの、授業には全く出席せず、保持していた運転免許を生かしたアルバイトに明け暮れていたという。
井上 秀一(いのうえ ひでかず、1938年1月1日 - 20… 井上 秀一(いのうえ ひでかず、1938年1月1日 - 2021年12月27日)は、日本の実業家。 東京都出身。東京都立戸山高等学校を経て、1961年に東京大学法学部を卒業し、日本電信電話公社に入社。日本電信電話でグループ事業推進本部副本部長や東海支社長などを歴任し、1991年6月に取締役に就任し、1995年6月に常務、1996年6月に副社長を経て、1999年7月に統合再編により発足した東日本電信電話の社長を2002年6月までに務めた。 2003年4月に日本郵政公社非常勤監事に就任し、2007年10月に郵便局社外取締役に就任した。 2015年旭日重光章受章。 2021年12月27日、急性骨髄性白血病のために死去。
黒田 恭一(くろだ きょういち、1938年1月1日 - 20… 黒田 恭一(くろだ きょういち、1938年1月1日 - 2009年5月29日)は、日本の音楽評論家。 1938年、東京市神田区(現在の東京都千代田区)生まれ。東京都立西高等学校、早稲田大学教育学部卒業。 在学中からクラシック音楽評を雑誌などに書き、以後、音楽評論一筋を歩んだ。新聞、雑誌への執筆が多くあり、特にコンサートやオペラ、レコードなどの評論で活躍した。 かつては隔月刊誌「暮しの手帖」の花森安治に依頼され、同誌の『レコード・ショップ』というコーナーを担当していた時期もあった。 1984年にステレオサウンド社から創刊された『音楽通信』では編集長を務めたが、半年で休刊に追い込まれた。 1999年には東京の東急Bunkamuraオーチャードホールのプロデューサーに就任。
今泉 幸雄(いまいずみ ゆきお、1938年1月1日 - 20… 今泉 幸雄(いまいずみ ゆきお、1938年1月1日 - 2009年1月26日)は、昭和期の日本のプロ野球選手。ポジションは捕手、内野手。背番号44。日本大学鶴ヶ丘高等学校、日本大学卒業。 埼玉県入間郡鶴ヶ島町(現在の同県鶴ヶ島市)出身日本大学鶴ヶ丘高等学校→高橋ユニオンズ・トンボユニオンズ・高橋ユニオンズ→日本大学 高校在学中に高橋ユニオンズの入団テストを受け合格。高校に通学しながらプロ野球選手として活躍する異色の経歴を持つ。現役時代は日本初の300勝投手・スタルヒン投手ともバッテリーを組むが、高校卒業と同時に高橋ユニオンズの球団合併に伴い引退し、日本大学に進学。プロ経験者のため大学リーグではプレーできなかったが、高木時夫(中日)、宮田征典(巨人)らとともに野球部で大学生活を送った。
加藤 千麿(かとう かずまろ、1938年(昭和13年)1月1… 加藤 千麿(かとう かずまろ、1938年(昭和13年)1月1日- 2023年(令和5年) 2月25日)は、日本の実業家。元名古屋銀行取締役会長。関東州大連市生まれの引揚者。長女はフリーアナウンサーの加藤千佳。名古屋銀行頭取の藤原一朗は娘婿(次女の夫)。 関東州大連市で加藤廣治の子として出生して同地で9歳まで過ごし、1945年の敗戦で引揚者として日本に入国した。 愛知県立旭丘高等学校を経て、1963年に慶應義塾大学法学部卒業後、東海銀行入行。1968年に父が創業した名古屋相互銀行入行。1974年に取締役となり、1975年に代表取締役常務就任、以後43年間にわたり代表取締役を務めた。 1982年に名古屋相互銀行社長就任、1989年に名古屋相互銀行の普通銀行への転換により、名古屋銀行頭取就任。
中村 晃毅(なかむら こうき、1938年(昭和13年)1月1… 中村 晃毅(なかむら こうき、1938年(昭和13年)1月1日 - 2012年(平成24年)4月7日)は、日本の政治家。愛知県西尾市長(1期)、愛知県議会議員(3期)、西尾市議会議員(2期)などを歴任した。2009年(平成21年)に受託収賄容疑で逮捕され、市議会の不信任決議により失職した。 愛知県幡豆郡平坂町(現・西尾市)に生まれる。平坂町立平坂中学校(現・西尾市立平坂中学校)卒業。愛知県立西尾高等学校卒業後、父親から農業と瓦製造業を引き継ぐ。その傍ら青年団活動に没頭。西尾市青年団協議会長にもなった。 1975年(昭和50年)1月、父親の後継者として西尾市議会議員選挙に出馬し初当選。1979年(昭和54年)4月、愛知県議会議員選挙に西尾市選挙区(定数1)から無所属で出馬し初当選した。
白井 博文(しらい ひろふみ、1938年1月1日 - )は、… 白井 博文(しらい ひろふみ、1938年1月1日 - )は、日本の政治家、裁判官、弁護士。元山口県山陽小野田市長(3期)。 山口県山陽小野田市出身。九州大学法学部卒業。 1968年から2002年12月まで裁判官を務めた。2003年1月、法律事務所を開設。2005年3月まで旧小野田市顧問弁護士を務めた。
石原 典子(いしはら のりこ、1938年〈昭和13年〉1月1… 石原 典子(いしはら のりこ、1938年〈昭和13年〉1月1日 - 2022年〈令和4年〉3月8日)は、日本のエッセイスト。夫は小説家で東京都知事、運輸大臣、環境庁長官、衆議院議員などを務めた石原慎太郎。旧名は石田 由美子。結婚後も戸籍上の本名は由美子のままであり、典子は通称である。 1938年、落下傘の紐などを製造する紡績会社・東洋麻糸紡績に勤めていた父・石田光治が同社の彦根工場に赴任し、召集令状を受け中国戦線に出征した後、母方の実家のある広島県広島市己斐町(現在の同市西区己斐)で生まれた。父親は典子と会うことなく33歳で戦死した。 その後神奈川県に転居し、鎌倉、金沢八景、逗子で育つ。 関東学院六浦高校の3年生だった1955年12月、小学生の時からの知り合いだった[要出典]小説家の石原慎太郎と17歳のときに結婚する。
國井 利泰(くにい としやす、1938年1月1日 - 20… 國井 利泰(くにい としやす、1938年1月1日 - 2020年11月3日)は、日本の情報科学者、理学博士。東京大学名誉教授。会津大学名誉教授。 東京都出身。1962年、東京大学理学部化学科を卒業した。1967年、東京大学より理学博士号を取得。1978年、東京大学情報科学科教授に就任する。1993年、会津大学の初代学長となる。 1991年、ビジュアルコンピューティングへの功績により米国電気電子学会(IEEE)よりフェローに叙される。1998年、同じくIEEEよりコンピュータ教育への貢献を評価されTaylor L. Booth Education賞を受賞。 2013年、瑞宝中綬章を受章。 功績としてReeb graph(英語版) の提唱、および、コンピュータグラフィックスへの応用がある。
蕭 泰然(シャオ・タイラン/しょう たいぜん、Hsiao T… 蕭 泰然(シャオ・タイラン/しょう たいぜん、Hsiao Tyzen, 1938年1月1日 - 2015年2月24日)は、台湾の作曲家。 高雄県鳳山市出身。祖父は長老派教会の宣教師で、父は日本で学んだ歯科医師で長老。母は日本でピアノを学んだ経験があったので、彼は幼いころから西洋音楽に親しんだ。父は歯科医師の道を進むことを望んだが、彼の才能を惜しんだ中学校長の説得で音楽の道を進むことになった。 1959年、台湾省立師範大学(現在の国立台湾師範大学)に入学し、ピアノを専攻するとともに、許常恵から作曲を学んだ。1963年に卒業後、高雄中学の音楽教師となった。 1965年、武蔵野音楽大学に留学し、中根伸也にピアノを学ぶとともに、藤本秀夫から個人的に作曲を学んだ。
椋尾 篁(むくお たかむら、1938年1月1日 - 1992… 椋尾 篁(むくお たかむら、1938年1月1日 - 1992年6月9日)は、長崎県佐世保市出身のアニメーション美術監督。武蔵野美術学校洋画科卒。元ムクオスタジオ主宰。“光と影と質感の詩人”の異名を持つ。 生家は代々平戸藩お抱えの焼物店だったが、本人曰く、自身が生まれた1938年頃に閉店したとのこと。高校卒業後は大阪に出て凸版印刷に就職するが、だんだん仕事に違和感を感じてきたということで2年ほどで退職。思い返せば子供の頃から絵を描くことが好きだったことから、やはり将来は絵をやっていこうと思い立って武蔵野美術学校に進学。しかし美術学校を出てもすぐに仕事は見つからず、同じ武蔵野美術学校の1年先輩でもある半藤克美に相談したところ「自分の所で仕事しないか」と誘われて虫プロダクションで仕事を始める。
上田 正治(うえだ しょうじ、1938年〈昭和13年〉1月1… 上田 正治(うえだ しょうじ、1938年〈昭和13年〉1月1日 - 2025年〈令和7年〉1月16日)は、日本映画の撮影監督。千葉県船橋市出身。 1956年に東宝撮影所の撮影助手として入社。1985年に黒澤明監督の映画、乱で撮影を担当。アカデミー撮影賞にノミネートされる。 2025年1月16日、急性心筋梗塞のため横浜市の病院で死去。87歳没。 この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
杉田 光良(すぎた みつよし、1937年〈昭和12年〉1月1… 杉田 光良(すぎた みつよし、1937年〈昭和12年〉1月1日 - 2008年〈平成20年〉6月14日)は、日本の政治家。茨城県常総市長(1期)、茨城県議会議員(3期)、水海道市議会議員(3期)。 茨城県水海道市(現在の常総市)出身。茨城県立水海道第一高等学校卒業。1979年(昭和54年)4月から水海道市議会議員を連続3期務める。1990年12月の茨城県議会議員選挙に水海道市選挙区から自民党公認で立候補し、初当選。1999年に3期目の当選。2002年の県議選で前市議の長谷川典子に敗れる。 2007年、任期満了にともなう常総市長選挙に立候補し、現職の遠藤利を僅差で破り初当選した。 ※当日有権者数:51,545人 最終投票率:74.67%(前回比:-pts) 5月1日に就任した。
大嶽 青児(おおたけ せいじ、1937年1月1日 - )は、… 大嶽 青児(おおたけ せいじ、1937年1月1日 - )は、東京出身の俳人。本名・一昭。東京市(現・北区)生。東京都立工芸高校機械科卒。在学中より作句。1965年、「春燈」の木下夕爾追悼号を読んだことで同誌に興味を持ち、1967年入会。安住敦に師事、成瀬櫻桃子に兄事。1975年、春燈賞受賞。1982年、『遠嶺』で第6回俳人協会新人賞受賞。2004年、「春燈」退会し、季刊同人誌「瀝」を創刊、代表同人を務める。2007年、『笙歌』で第47回俳人協会賞受賞。代表句に「笛吹いて了る童話よ遠嶺に雪」などがあり、叙情味のある自然詠が特色。他の句集に『桐の花』がある。