須賀 彦次郎(すが ひこじろう、1889年〈明治22年〉3月… 須賀 彦次郎(すが ひこじろう、1889年〈明治22年〉3月4日 - 1941年〈昭和16年〉2月5日)は、日本の海軍軍人。海軍の中国専門家。最終階級は海軍中将。位階勲等は従四位勲二等。三重県飯南郡松阪町(現・松阪市)出身。 旧制三重県立松阪中学校を経て海軍兵学校第38期入校。入校時成績順位は150名中4番、卒業時成績順位は149名中54番。津田静枝、佐藤脩に続き、日本海軍が養成した中国関係の専門家である。尉官時代は水雷屋で「葦」駆逐艦長在職中は美保関事件に遭遇。部下28名が殉職した。 河川砲艦「堅田」艦長着任後は殆ど中国関係の勤務に限定された。情報活動に携わったが、中国人協力者の信頼が厚く、国民党政権が重慶に移ってからも、須賀のもとには重慶からの情報が絶えずもたらされていた。
後藤 格次 (ごとう かくじ、1889年3月4日 - 196… 後藤 格次 (ごとう かくじ、1889年3月4日 - 1969年11月29日)は、日本の農芸化学者。東京大学農学部教授。日本学士院会員。
伊藤 武夫(いとう たけお、1887年〈明治20年〉3月4日… 伊藤 武夫(いとう たけお、1887年〈明治20年〉3月4日 - 1968年〈昭和43年〉3月4日)は、日本の砂防工学者、農林技師。林学博士。東京帝国大学農学部林学科林学第四講座 第3代教授、新潟県立農林専門学校 第2代校長。新潟大学名誉教授。位階は正三位。 1887年(明治20年)3月4日に新潟県古志郡長岡東神田町2丁目(現 長岡市東神田2丁目)の旧越後長岡藩藩士・伊藤亀之助の次男として出生。 1906年(明治39年)3月に新潟中学校を卒業、1907年(明治40年)9月に第一高等学校に入学、1910年(明治43年)7月に卒業、1913年(大正2年)7月に東京帝国大学農科大学林学科を卒業、9月に東京帝国大学農科大学大学院に入学。
宮坂 英弌(みやさか ふさかず、1887年3月4日 - 19… 宮坂 英弌(みやさか ふさかず、1887年3月4日 - 1975年6月11日)は、日本の考古学者、茅野市尖石縄文考古館初代館長。 長野県考古学会初代会長。茅野市名誉市民。 長野県諏訪郡豊平村(現茅野市)出身。長野県立諏訪中学校(現長野県諏訪清陵高等学校)卒業。 1922年に泉野尋常高等小学校(現在の茅野市立泉野小学校)の代用教員となる。このころ俳人、小平雪人が主宰する句会「牧馬会(まきばかい)」に入会。以後小学校教員、中学校教員を務め、1929年、伏見宮博英王の八ヶ岳西側山麓の茅野市の尖石・与助尾根遺跡の発掘を、小平雪人とともに手伝う。その事から考古学の魅力に目覚め、研究を続ける。1930年宮坂が独力で尖石・与助尾根遺跡を発掘、縄文時代中期の集落(ムラ)研究の基礎を築いた。
桑島 主計(くわしま かずえ、1884年〈明治17年〉3月4… 桑島 主計(くわしま かずえ、1884年〈明治17年〉3月4日 - 1958年〈昭和33年〉9月24日)は、日本の外交官。駐オランダ公使、ブラジル大使。 香川県出身。1906年(明治39年)に早稲田大学政治科を卒業し、外務書記生試験に合格した。清国に在勤し、1908年(明治41年)に高等文官試験に合格し、外務属となった。1911年(明治44年)、外交官及領事官試験に合格し、領事官補、領事、外務書記官・帝都復興院書記官、大使館一等書記官を歴任し、その間に奉天、漢口、サンフランシスコ、バンクーバー、シカゴ、ワシントンD.C.に勤務した。さらにホノルル総領事、漢口総領事、大使館参事官、天津総領事、外務省亜細亜局長、同東亜局長を務めた。
早瀬 太郎三郎(はやせ たろさぶろう、旧字体: 早瀨 太郞三… 早瀬 太郎三郎(はやせ たろさぶろう、旧字体: 早瀨 太郞三郞、前名:為治郎・為次郎、1884年〈明治17年〉3月4日 - 1968年〈昭和43年〉5月30日)は、日本の商人(質商)、大阪府多額納税者、資産家、地主、実業家。 大阪府大阪市東区横堀五丁目生まれ。早瀬太郎三郎の長男。大阪府立堂島中学校に入り、1902年に卒業、先代太郎三郎の病没により、家督を相続し、前名・為次郎を改め襲名した。1907年、早稲田大学商科卒業。1年志願兵となり、除隊後所有土地の経営に従う。 「今木屋」と称し、貸地業を営み、傍ら会社の重役であった。桐花興業社長、大阪土地協会会長、大神中央土地、木津川土地運河、八馬汽船各取締役、東北興業、九州石炭鉱業、早瀬塗料店、東洋ベアリング、呉羽紡績各監査役、早稲田大学評議員などをつとめた。
松岡 洋右(まつおか ようすけ、1880年(明治13年)3月… 松岡 洋右(まつおか ようすけ、1880年(明治13年)3月4日 - 1946年(昭和21年)6月27日)は、日本の外交官、政治家。 南満洲鉄道(満鉄)総裁を務め、満洲国の実力者「弐キ参スケ」の一人とされた。第2次近衛内閣では外務大臣に就任し、日独伊三国同盟や日ソ中立条約締結を推進。しかしドイツのソ連侵攻後は南進論が大勢を占める政府で北進論を主張し、第3次近衛内閣発足を機に事実上外相を解任された。アメリカ合衆国外交官ジョセフ・グルーと親交があり、佐藤栄作は義理の甥にあたる(妹の娘婿で養子)。 1880年(明治13年)3月4日廻船問屋の四男として、山口県熊毛郡室積村(現:光市室積)で生まれた。 洋右が11歳の時に父親が事業に失敗し破産したことや、親戚が渡米し成功していたことから、1893年(明治26年)に留学のため13才で渡米する。
有馬 忠三郎(ありま ちゅうさぶろう、1879年(明治12年… 有馬 忠三郎(ありま ちゅうさぶろう、1879年(明治12年)3月4日 - 1958年(昭和33年)6月2日)は、日本の弁護士、弁理士。法学博士。貴族院勅選議員。帝国弁護士会理事。 香川県大内郡丹生村(現:東かがわ市)出身。有馬米次郎の六男。1904年(明治37年)京都帝国大学法科大学独法科を卒業。1912年、分家して一家を創立する。 弁護士・弁理士事務所を開業し、後には第一東京弁護士会会長を務めた。1917年(大正6年)からは東京帝国大学農学部講師を務めた。1922年(大正11年)論文『不正競業論』で法学博士の学位を授与された。その他、高砂生命保険(のち三井生命保険)、復興建築助成各監査役や日本石油顧問などを務めた。
有島 武郎(ありしま たけお、1878年3月4日 - 192… 有島 武郎(ありしま たけお、1878年3月4日 - 1923年6月9日)は、日本の小説家。 学習院中等科卒業後、農学者を志して北海道の札幌農学校に進学、洗礼を受ける。1903年に渡米。ハバフォード大学大学院を経て、ハーバード大学で1年ほど歴史、経済学を学ぶ。帰国後、志賀直哉や武者小路実篤らと共に同人「白樺」に参加する。1923年、軽井沢の別荘(浄月荘)で波多野秋子と心中した。 代表作に『カインの末裔』『或る女』や、評論『惜しみなく愛は奪ふ』がある。 東京・小石川(現:文京区)に旧薩摩藩郷士で大蔵官僚、実業家の有島武の長男として生まれる。母は幸子。祖父の宇兵衛も同じく郷士であった。武郎4歳の時、父の横浜税関長就任を機に一家で横浜に移る。
菅 楯彦(すが たてひこ、明治11年(1878年)3月4日 … 菅 楯彦(すが たてひこ、明治11年(1878年)3月4日 - 昭和38年(1963年)9月4日)は、日本画家。鳥取県鳥取市出身。本名は藤太郎。号は、初め盛虎、のち静湖、静香。大阪美術会会員。大阪市名誉市民、倉吉市名誉市民。浪速の風俗を愛し「浪速御民(なにわみたみ)」と標榜、はんなりとした情趣ある浪速風俗画で「最も大阪らしい画家」と呼ばれた。 明治11年(1878年)、鳥取市で菅大治郎(画号・盛南)の長男として生まれる。本名は藤太郎。父は元倉吉藩士の日本画家であり、塩川文麟の門下で岸派を折衷したという。5歳頃まで、父母の郷里・倉吉で過ごす。陶器の絵付を指導する父と共に姫路、ついで赤穂へ転居。明治14年(1881年)、京都へ向かう途中大阪の身内に引き留められ、ここに住むことになる。
矢島 専平(やじま せんぺい、1876年〈明治9年〉3月4日… 矢島 専平(やじま せんぺい、1876年〈明治9年〉3月4日 - 1955年〈昭和30年〉6月17日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。旧姓・小倉。 山口県熊毛郡島田村(周南町、光町を経て現光市)出身。小倉甚吉の三男として生まれ、矢島作郎の養子となる。1898年(明治31年)陸軍士官学校(10期)卒。陸軍歩兵大尉となり、日露戦争に参加する。その後、長周銀行頭取、下松銀行、北満州金鉱(株)各取締役となる。 1920年(大正9年)第14回衆議院議員総選挙において山口7区から無所属で立候補して当選する。のち、庚申倶楽部に入り、衆議院議員を1期務め、1924年(大正13年)第15回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。
東園 基光(ひがしぞの もとみつ、1875年(明治8年)3月… 東園 基光(ひがしぞの もとみつ、1875年(明治8年)3月4日 - 1934年(昭和9年)2月26日)は、明治から昭和初期の内務・警察官僚、政治家、華族。官選富山県知事、貴族院子爵議員。 東京府出身。侍従・宮中顧問官・子爵、東園基愛の長男として生まれる。学習院高等学科を経て、1903年(明治36年)東京帝国大学法科大学政治学科を卒業し大学院に進む。同年、文部省に入省し普通学務局属となる。1904年(明治37年)11月、文官高等試験行政科試験に合格した。 1905年(明治38年)内務省に転じ内務属となる。以後、岡山県事務官、静岡県事務官・第二部長、滋賀県事務官・警察部長、愛知県事務官・警察部長、茨城県内務部長、東京府内務部長などを歴任。
内田 銀蔵(うちだ ぎんぞう、1872年3月4日(明治5年1… 内田 銀蔵(うちだ ぎんぞう、1872年3月4日(明治5年1月25日) - 1919年(大正8年)7月22日)は、日本の歴史学者。専門は日本経済史。文学博士。日本経済史学の先駆者。 明治5年(1872年)1月、東京府足立郡千住宿中組(現在の東京都足立区)の旧家に生まれる。明治22年(1889年)、東京専門学校(現:早稲田大学)邦語政治科卒業。第一高等中学校(のちの一高)に編入し、1896年(明治29年)に帝国大学文科大学国史科を卒業した。国史科の同期に、喜田貞吉・黒板勝美・笹川種郎・原勝郎・幸田成友らがいた。帝国大学卒業後、同大学院に進学し、「日本経済史及び史学と経済学との教育的価値」をテーマに研究した。
国富 友次郎(くにとみ ともじろう、明治3年2月3日(187… 国富 友次郎(くにとみ ともじろう、明治3年2月3日(1870年3月4日) - 昭和28年(1953年)12月1日)は、日本の教育者。岡山市長。 備中国浅口郡鴨方(現在の岡山県浅口市)の高戸家に生まれ、岡山市の国富大三郎の養子となった。岡山県師範学校卒業後、岡山県下の小学校で校長を務めた。1904年(明治37年)に岡山実科女学校校長に就任し、1908年(明治41年)には岡山実科高等女学校(のち就実高等女学校に改称)を設立し、両校の校長を兼ねた。岡山県教育副会長、岡山市教育会長、帝国教育会理事を歴任。また県会議員、市会議員、同参事会員、同議長に選出された。 1941年(昭和16年)、岡山市長に就任し、1944年(昭和19年)まで務めた。
田淵 貞四郎(たぶち さだしろう、1869年3月4日(明治2… 田淵 貞四郎(たぶち さだしろう、1869年3月4日(明治2年1月22日)- 1922年(大正11年)12月1日)は、明治から大正時代の政治家、実業家。衆議院議員(1期)。 のちの香川県三野郡桑山村(三豊郡桑山村、豊中村、豊中町を経て、現在の三豊市豊中地区)に生まれる。農業を営む傍ら、桑山村会議員、三豊郡会議員、同参事会員、同副議長、香川県会議員、同参事会員、県農会副会長を歴任する。実業家としては讃岐土管取締役、香川県蚕糸同業組合連合会長を務める。 1915年(大正4年)3月の第12回衆議院議員総選挙では香川県郡部から憲政会所属で出馬し当選。1期務めた。
野津 左馬之助(のつ さまのすけ、1867年3月4日(慶応3… 野津 左馬之助(のつ さまのすけ、1867年3月4日(慶応3年1月28日) - 1943年2月17日)は、明治 - 昭和期の日本の郷土史家。『島根県史』編纂委員。「前方後方墳」の命名者。号は「天籟」。幼名は馬之助。 島根県島根郡東持田村(現・松江市東持田町)に生まれる。11歳時に左馬之助に改名した。 1888年(明治21年)、島根県尋常師範学校を卒業後、美濃郡で尋常小学校の訓導となった。以後、島根県尋常中学校(現・島根県立松江北高等学校、1897年着任)、長野県立長野中学校(現・長野県長野高等学校、1899年着任)、島根県第三中学校(在職中に島根県杵築中学校に改称、現・島根県立大社高等学校、1904年着任)で勤務し、1910年(明治43年)に教職を退いた。
山屋 他人(やまや たにん、慶応2年3月4日(1866年)4… 山屋 他人(やまや たにん、慶応2年3月4日(1866年)4月18日 - 昭和15年(1940年)9月10日)は、日本の海軍軍人。海軍大将。皇太子徳仁親王妃雅子は曾孫にあたる。
加藤 公平(かとう こうへい、1865年3月4日(元治元年2… 加藤 公平(かとう こうへい、1865年3月4日(元治元年2月7日) - 1923年(大正12年)8月5日)は、戦前日本の政治活動家、実業家、教育者。 本名は加藤 正雄(かとう まさお)。石見国安濃郡(現・島根県大田市)出身。波根東村上川内本加藤家13代目当主。 明治期に石見地方で展開された自由民権運動において、明治自由党石陽部に加わり、小原鉄臣、堀哲三、米田和一らと活動を共にした。 波根八幡宮の偽党撲滅会は、社殿の中央に演台を設け壇上には緋毛布を敷き白地に赤文字で偽党撲滅怪社退治と記した幕を、社殿中は 一面に商燈を点じ聴衆数百人に演説を促がしたものであった。 『第一席には、多久礼造が偽党撹滅去の組合という題にて改進党が偽党であることを弁じ立憲改進党を撲滅するは今日の急務であると演じた。
矢島 浦太郎(やじま うらたろう、1860年3月4日(安政7… 矢島 浦太郎(やじま うらたろう、1860年3月4日(安政7年2月12日) - 1917年(大正6年)10月17日)は日本の政治家、弁護士。衆議院議員(5期、立憲同志会)。 信濃国水内郡善光寺町字岩石町(現長野市)に生まれる。長野県師範学校を卒業し、東京法学校(現・法政大学)で法律学を修める。長野日日新聞記者を経て、弁護士の業務に従事し、長野町会議員、上水内郡会議員、長野市会議員、同参事会員、長野県議会議員を経て、1903年(明治36年)に第8回衆議院議員総選挙に出馬し、当選する。以後連続5期当選する。 また、湊鉄道・産業銀行・東京生命各取締役、茨城炭礦監査役などを歴任する。1917年(大正6年)に死去。
尾澤 福太郞(おざわ ふくたろう、1860年3月4日〈万延元… 尾澤 福太郞(おざわ ふくたろう、1860年3月4日〈万延元年2月12日〉 - 1937年9月17日)は、日本の実業家。姓の「澤」は「沢」の旧字体、名の「福」は「福」の旧字体、「郞」はJIS X 0208では「郎」と同一の区点が割り当てられていることから、尾澤 福太郞(おざわ ふくたろう)、尾澤 福太郎(おざわ ふくたろう)、尾沢 福太郎(おざわ ふくたろう)とも表記される。 尾澤組組長(第2代)、諏訪電気株式会社社長(第3代)、株式会社尾澤組社長(初代)、片倉製糸紡績株式会社常務取締役、朝鮮生糸株式会社社長、京浜電力株式会社取締役、片倉殖産株式会社取締役、第二京浜電力株式会社取締役、諏訪工材株式会社取締役、武州製糸株式会社取締役、片倉生命保険株式会社監査役、富国火災海上保険株式会社監査役、千曲電気株式会社代表取締役、日本相互電気株式会社取締役、岩手県是製糸株式会社取締役、尾澤組合名会社代表社員などを歴任した。
本城 安次郎(ほんじょう やすじろう、1860年3月4日(万… 本城 安次郎(ほんじょう やすじろう、1860年3月4日(万延元年2月12日)- 1901年(明治34年)11月5日)は、明治期の実業家、政治家。衆議院議員。 石見国那賀郡、のちの島根県那賀郡周布村(現浜田市)で、建築業・本城新輔の息子として生まれた。大阪開明学校を卒業し、上京して攻玉塾で学び、1878年(明治11年)ころ工部大学校に入学したが、病のため1879年(明治12年)秋に退学した。 健康が回復すると神戸で紙類廃売店を開業し、また、貿易店を営み、日清戦争時には軍需物品を扱い、大阪に本城商会を設けて遼東、台湾へも事業を拡張した。その他、神戸樟脳取引所理事、大阪浪速商品取引所創立委員長、神戸商業会議所議員などを務めた。
南里 琢一(なんり たくいち、1859年3月4日(安政6年1… 南里 琢一(なんり たくいち、1859年3月4日(安政6年1月30日)- 1938年(昭和13年)4月14日)は、明治から大正期の政治家。衆議院議員、佐賀県小城郡芦刈村長。 肥前国小城郡川越村(佐賀県小城郡浜枝川村、芦刈村、芦刈町川越を経て現小城市芦刈町浜枝川川越)で、小城藩士・南里俊八の長男として生まれる。小城藩校興譲館で学び、さらに川副二水に師事し漢学を修めた。農業を営み、地域の産業振興に尽力した。 2代刈芦村長に就任し13年間在任した。小城郡会議員、同参事会員、佐賀県会議員、西芦刈水利組合議員なども務めた。松田正久の側近として活動し、立憲政友会佐賀県支部長を務めた。 1915年(大正4年)3月の第12回衆議院議員総選挙に佐賀県郡部から政友会所属で出馬して初当選。
北里 貞之(きたざと さだゆき、1857年3月4日(安政4年… 北里 貞之(きたざと さだゆき、1857年3月4日(安政4年2月9日) - 1928年(昭和3年))は日本の裁判官、弁護士。元・大審院判事。 1857年(安政4年2月9日)、熊本藩士北里一格の長男として生まれる。東京法学校(現・法政大学)で学び、1887年(明治20年)に判事検事登用試験に合格する。1890年(明治23年)に北里崎次郎の養子となる。 福島地方裁判所判事、宮崎地方裁判所長、大分地方裁判所長、鹿児島地方裁判所長を経て、1919年(大正8年)に大審院判事に就任する。正五位勲四等。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
鈴木 儀左衛門(儀左衞門、すずき ぎざえもん、1856年3月… 鈴木 儀左衛門(儀左衞門、すずき ぎざえもん、1856年3月4日(安政3年1月28日)- 1933年(昭和8年)8月6日)は、明治から昭和初期の農業経営者、教育者、実業家、政治家。衆議院議員、千葉県会議長、千葉県海上郡嚶鳴村長。 下総国夷隅郡琴田村(千葉県夷隅郡琴田村、嚶鳴村琴田、海上町 を経て現旭市琴田)で、農業、先代・鈴木儀左衛門の長男として生まれた。安中藩儒・伊藤桂次郎に師事し漢籍を修めた。 1872年(明治5年)大区選挙人に就任。1876年(明治9年)地租改正で苦しむ村民の先頭に立ち、地租等級の改訂を誓願する減租運動を10年有余にわたって継続し、ついに改定を実現した。また自由党の板倉中、西村甚右衛門らと交際し、1890年(明治23年)自由党系の政治結社・興東倶楽部を結成した。
高橋 直治(たかはし なおじ、1856年3月4日(安政3年1… 高橋 直治(たかはし なおじ、1856年3月4日(安政3年1月28日) - 1926年(大正15年)2月18日)は、明治から大正期の実業家、政治家。衆議院議員、貴族院多額納税者議員。 越後国刈羽郡石地村(現・柏崎市)で高橋喜惣八の長男として生まれる。1875年(明治8年)小樽に渡り荒物商の店員となる。1878年(明治11年)に独立し合羽荒物雑貨商を開業し、さらに米穀海産委託問屋、味噌醤油製造、石炭販売、精米所、回漕業を営んだ。1896年(明治29年)弟・喜蔵と共に高橋合名会社を組織し代表社員に就任。事業を米雑穀業に転換した。第一次世界大戦により日本からヨーロッパへ菜豆類の輸出が急増した際に、大量の大豆を貯蔵し直輸出を行い、日本やロンドン市場を左右するほどの影響を与えたことから「小豆将軍」と称された。
渡辺 信(わたなべ まこと、天保11年2月1日(1840年3… 渡辺 信(わたなべ まこと、天保11年2月1日(1840年3月4日) - 明治44年(1911年)12月13日)は、明治時代の素封家、政治家、実業家、蔵書家。号は青洲(せいしゅう)。市川大門村(現在の市川三郷町)の自宅内に青洲文庫という私立図書館を設立した。 甲斐国島上条村(現・甲斐市島上条)の小田切五郎右衛門の三男、小田切五三郎として生まれる。万延元年(1860年)、甲斐国西八代郡市川大門村の豪農・豪商渡辺寿の次女ふじのの婿養子となり、名を信(まこと)に改める。1871年(明治4年)家督を相続する。 1877年(明治10年)、甲州葡萄の主要生産地である八代郡祝村(甲州市勝沼町)で、雨宮広光を社長として大日本山梨葡萄酒会社が発足し、渡辺は藤村紫朗・栗原信近・若尾逸平・初鹿野市右衛門らとともに株主の一人となっている。
渡 忠秋(わたり ただあき、1811年3月4日(文化8年2月… 渡 忠秋(わたり ただあき、1811年3月4日(文化8年2月10日) - 1881年(明治14年)6月5日)は、幕末から明治初期の歌人。御歌所御用掛。本姓は鳥居氏。通称は新太郎、楊園・桂蔭と号した。 1811年3月4日((旧暦)文化8年2月10日)近江国高島郡舟木(現滋賀県高島市安曇川町南舟木)に生まれ、鳥居家より渡家を継いだ。楊園の号は、『万葉集』のあど川柳の歌(霰降り遠江のあど川柳、刈れどもまたも生ふちう あど川柳)にちなんで名付けたと伝えられる。同郷の国学者 中江千別に学び、のちに和歌の道を志し、京都に出て香川景樹の門に入る。 家を弟に譲り京都に住み、時の右大臣三条実万に仕え、香川景樹の没後は桂園派を守った。
松野 芳子(まつの よしこ、3月4日 - )は、日本のナレー… 松野 芳子(まつの よしこ、3月4日 - )は、日本のナレーター、フリーアナウンサー、俳優。 東京都世田谷区出身。身長161cm。東京都立目黒高等学校、慶應義塾大学文学部心理学科卒業。 学生時代に文学座演劇研究所に入所。文学座の研究生の時に欽ちゃんの週刊欽曜日にレギュラー出演。文学座演劇研究所研修科を卒業後は、主にフリーアナウンサーとして活動。テレビ東京系『大前研一の平成談義』のサブ司会を務めた他、伊丹十三監督の『あげまん』」『ミンボーの女』『大病人』 などの映画にも出演。現在はMCをしながら仕事を声優(主にナレーション)にシフト。 大学では佐藤方哉教授のゼミに所属。 趣味は映画、音楽、演劇鑑賞。
星波 綾(ほしなみ あや、3月4日 - )は、日本の元女性ナ… 星波 綾(ほしなみ あや、3月4日 - )は、日本の元女性ナレーター、声優。大阪府大阪市出身。 自身の公式ツイッターで2017年9月30日をもって所属事務所を退所し、芸能活動を終了することを発表した。 ※太字は主役・ヒロイン
福田 亨(ふくだ とおる、3月4日 - )は、日本の男性DJ… 福田 亨(ふくだ とおる、3月4日 - )は、日本の男性DJ、ナレーター。 懸樋プロダクション所属。 大阪府出身。日本大学芸術学部放送学科卒業。 CM・インフォマーシャル ナレーション多数
濱田 理恵(はまだ りえ、3月4日 - )は、日本のシンガー… 濱田 理恵(はまだ りえ、3月4日 - )は、日本のシンガーソングライター、作曲家・作詞家。歌手名としてはダリエ(Darie)を使っている。大阪府出身。武蔵野美術大学卒業。主にNHKなどでの子供向け番組の音楽やCM音楽の分野で活動する。また自らキーボードなどでレコーディングに参加している。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
桑田 乃梨子(くわた のりこ、3月4日 - )は、日本の漫画… 桑田 乃梨子(くわた のりこ、3月4日 - )は、日本の漫画家。新潟県長岡市出身。 1988年、『LaLa DX』春の号(白泉社)掲載の『ひみつの犬神くん』でデビュー。『花とゆめ』、『LaLa』などで活躍。代表作に『おそろしくて言えない』、『男の華園-A10大学男子新体操部』、『だめっこどうぶつ』(2005年キッズステーションでアニメ化)、『豪放ライラック』などがある。現在は白泉社を離れ、幻冬舎の漫画雑誌などで執筆をしている。 マンガチックな画風で、作品には学園コメディと動物ものが多いほか、頻繁にオカルトテーマが(明るく)からむ傾向がある。背景の書き文字による楽しい自己ツッコミと、脇役のキャラクターの強さ(相対的に主人公のキャラクターの弱さ)が特徴。