藤沼 大輔(ふじぬま だいすけ、1953年1月9日 - )は… 藤沼 大輔(ふじぬま だいすけ、1953年1月9日 - )は、日本の実業家。株式会社読売広告社代表取締役社長。 熊本県出身。1976年立教大学社会学部卒業。1984年博報堂入社。博報堂第一ビジネスユニット第五営業局第三営業部長、第一広告カンパニー第五営業局長、第四アカウントユニットエグゼクティブアカウントディレクターを経て、2010年読売広告社取締役執行役員営業副統括。2012年読売広告社取締役常務執行役員。2015年読売広告社取締役専務執行役員。2016年から読売広告社代表取締役社長を務め、チェブラーシカのライセンス管理を行ってSwimmyDesignLabとのコラボレーションを進めるなどした。
梅本 洋一(うめもと よういち、1953年1月9日 - 20… 梅本 洋一(うめもと よういち、1953年1月9日 - 2013年3月12日)は、日本の映画批評家、元横浜国立大学教授(映画論、フランス演劇史)である。長期留学中に、パリ大学(第8大学)で芸術学博士を授与。帰国後、文学博士(早稲田大学)を授与[要出典]。また、当初の執筆書籍には芸術学博士と書いていたことも多かったようだ[要出典]。 1953年1月9日、神奈川県横浜市出身。 1981年、28歳のとき、『視線と劇場』で「第二回ダゲレオ出版評論賞」を受賞、日本の映画批評界にデビューする。留学先のパリから帰国した1980年代初頭、東京日仏学院で「梅本洋一の木曜シネクラブ」を開き、『月刊イメージフォーラム』(ダゲレオ出版刊)で同名の連載を開始。
富井 義夫(とみい よしお、1953年1月9日 - )は、日… 富井 義夫(とみい よしお、1953年1月9日 - )は、日本の写真家。世界遺産写真家の第一人者として知られる。 40年以上に渡り世界中を駆け回り、世界遺産を中心に空気感のある写真を追求し続けている。2022年7月現在、海外取材歴241回、132の国と地域を旅する。世界遺産サイト611箇所撮影。 北海道札幌市在住(2022年時点)。 1953年、東京都北区で生まれる。7歳のときに父を、18歳のときに母を亡くし、生活のため経済的に自立する必要性に迫られて高校卒業後はサラリーマンとして働き始める。数年して気持ちに余裕ができはじめると、何とはなしに海外への憧れを抱き始めた。 22歳頃、会社帰りに英会話の勉強のための書籍を購入するために立ち寄った書店で写真学校の学校案内が目にとまり、長く続けられる趣味としての写真に興味を抱き、夜間コースの願書を送付する。
多原 良子(たはら りょうこ、1953年1月9日 - )は、… 多原 良子(たはら りょうこ、1953年1月9日 - )は、アイヌ文化伝承者。札幌アイヌ協会事務局次長。札幌市アイヌ生活相談員。札幌アイヌ文化協会事務局長。 北海道鵡川町出身。2002年11月に「アイヌ女性の複合差別問題フォーラム」を開催。2003年には、マイノリティ女性の実態調査の一環としてアイヌ女性に対するアンケート調査を初めて行った。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
佐藤 公彦(さとう きみひこ、1952年1月9日 - 201… 佐藤 公彦(さとう きみひこ、1952年1月9日 - 2017年6月24日)は、1970年代初期から中期に活動した日本のシンガーソングライター。東京都大田区生まれ。中央大学中退。 アマチュア時代の1967年、ピピ&コットのリードボーカルとギターを担当していた。中性的でキュートなルックスとセンシティブな歌声から、ケメという愛称で、ティーンエイジャーの女性を中心に絶大な人気を博し、後にエレックレコードからソロデビューする。「通りゃんせ」などのヒット曲を出すが、周囲の求めるアイドル性と自身の追求する音楽性との間のずれが次第に深まり、音楽活動から遠ざかる。 2009年、NHK-BS2への出演をきっかけに20年ぶりに音楽活動を再開する。
倉井 敏磨(くらい としきよ、1952年1月9日 - )は、… 倉井 敏磨(くらい としきよ、1952年1月9日 - )は、日本の実業家。三菱ガス化学代表取締役社長を経て、同社代表取締役会長、日本無機薬品協会副会長。 新潟県新潟市出身。新潟県立新潟高等学校を経て、1975年東北大学工学部卒業、三菱瓦斯化学(現三菱ガス化学)入社。2003年機能化学品カンパニー無機化学品事業部長。2006年執行役員機能化学品カンパニー無機化学品事業部長。2008年執行役員機能化学品カンパニープレジデント。2009年取締役常務執行役員に昇格。2012年代表取締役専務執行役員。2013年から代表取締役社長を務め、M&Aやトリニダード・トバゴでの生産体制整備などを進めた。2016年度市村産業賞本賞受賞。
長島 忠美(ながしま ただよし、男性、1951年1月9日 -… 長島 忠美(ながしま ただよし、男性、1951年1月9日 - 2017年8月18日)は、日本の政治家。 新潟県中越地震で被災した新潟県古志郡山古志村の、最後の村長である。衆議院議員(4期)、復興副大臣、復興大臣政務官兼農林水産大臣政務官、山古志村長(2期)、山古志村議会議員(2期)、東洋大学理事長、国際ボランティア学生協会特別顧問、自民党たばこ議員連盟幹事長代理を務めた。
大坪 研一(おおつぼ けんいち、1951年1月9日 - )は… 大坪 研一(おおつぼ けんいち、1951年1月9日 - )は、日本の農学者。学位は、農学博士。新潟薬科大学応用生命科学部教授、穀物研究ユニット長(食品・作物資源利用学研究室)、中国天津農学院客座教員。一般社団法人メディカルライス協会副理事長。 1951年1月9日、大分県中津市の出身。1974年3月、東京大学理学部生物化学科を卒業。1981年、農林水産省に入省し、食品総合研究所(現在の農研機構食品研究部門)に配属。1989年、農学博士(東北大学)。1990年4月、北陸農業試験場米品質評価研究室長。1993年4月、食品総合研究所穀類特性研究室長、1997年、PCR法による米のDNA品種判別技術を開発。
西村 元延(にしむら もとのぶ、1951年1月9日 - )は… 西村 元延(にしむら もとのぶ、1951年1月9日 - )は、日本の経営者。マンダム社長を務めた。大阪府出身。 1974年に明治学院大学経済学部を中退し、1975年4月にマンダムに入社。1984年6月に取締役に就任、1987年6月に常務を経て、1990年6月に副社長に就任、1995年6月には社長に昇格。2021年4月から会長を務めた。 2026年4月、旭日小綬章を受章。
村井 英司(むらい ひでし、1950年1月9日 - )は、北… 村井 英司(むらい ひでし、1950年1月9日 - )は、北海道札幌市出身の元プロ野球選手(捕手、外野手)・コーチ。 札幌市立南小学校および札幌市立柏中学校を経て、1965年に進学した北海高校では主将兼外野手を務める。3年次の1967年には夏の甲子園南北海道予選決勝で苫小牧東高を降して甲子園に進むが、村井は予選で骨折したため本大会出場はならなかった。同年のドラフトで南海ホークスから15位指名を受けるも拒否し、卒業後の1968年には電電北海道へ入社。捕手として1971年から1973年まで3年連続で都市対抗に出場。ヤクルトの若松勉は2歳年上で、北海高校、電電北海道で一緒にプレーした。 1973年のドラフト4位で日本ハムファイターズに入団。
吉田 慎一(よしだ しんいち、1950年(昭和25年)1月9… 吉田 慎一(よしだ しんいち、1950年(昭和25年)1月9日 - )は、日本のジャーナリスト、実業家。朝日新聞社上席執行役員を経て、テレビ朝日ホールディングス(テレビ朝日HD)、テレビ朝日社長などを務めた。群馬県出身。 群馬県立前橋高等学校卒業。1974年(昭和49年)東京大学法学部卒業後、朝日新聞社に入社。福島支局に配属となり、県政担当記者となる。木村守江福島県知事の土地開発に絡む収賄汚職事件を取材。それにより、78年度の日本新聞協会賞を受賞。その後、東京本社浦和支局を経て、79年政治部に異動。 1990年(平成2年)ハーバード大学ケネディ行政大学院修了(行政学修士)。同大では新芝宏之(岡三証券グループ社長)と一緒に勉強した。
卜部 敏直(うらべ としなお、1950年(昭和25年)1月9… 卜部 敏直(うらべ としなお、1950年(昭和25年)1月9日 - )は、日本の外交官。アイルランド駐箚特命全権大使を経て、2011年3月から2014年8月5日までフィリピン駐箚特命全権大使。 東京都出身。父卜部敏男は外交官で1969年から1974年まで駐比大使を務めている。卜部自身も父親の赴任に従いフィリピンの幼稚園で幼年時代を過ごしている。東京都立新宿高等学校から一橋大学法学部に入学。一橋大在学中に外務公務員採用上級試験に合格する。1974年(昭和49年)一橋大を卒業し、外務省に入省した。 2012年(平成24年)11月22日、フィリピンのマニラ首都圏のホテルで講演し、尖閣諸島をめぐる対立で日中関係が悪化したことに触れ、両国関係の重要性を強調し関係改善を訴えるとともに、尖閣諸島7歴史的にも日本固有の領土であると日本政府の立場を説明した。
南 佳孝(みなみ よしたか、1950年〈昭和25年〉1月9日… 南 佳孝(みなみ よしたか、1950年〈昭和25年〉1月9日 - )は、日本のシンガーソングライター・作曲家・音楽プロデューサー。 東京都大田区出身。明治学院大学卒業。 週刊誌『週刊平凡』1986年3月14日号に「シティーミュージックのパイオニア的存在」と書かれている。 子供の頃から兄や姉の影響で洋楽ばかりを聴いて育ち、中学時代には仲間と共にバンドを結成した。このバンドではジャンケンで負けたためドラムを担当したという。そして中学生の時点から既に「音楽で身を立てて生きていく」ことも決心していたという。また、明治学院大学在学中ジャズに傾倒していたことが後の曲作りに大きく影響している。 1972年にテレビ番組『リブ・ヤング!』(フジテレビ系)のシンガーソングライターコンテストで3位になり、翌1973年9月21日に松本隆プロデュースによるアルバム『摩天楼のヒロイン』でデビュー。
伍藤 忠春(ごとう ただはる、1950年1月9日 - )は、… 伍藤 忠春(ごとう ただはる、1950年1月9日 - )は、日本の厚生労働官僚。厚生労働省雇用均等・児童家庭局長を経て、長寿社会開発センター理事長、日本製薬工業協会理事長、湘南シーサイドカントリー倶楽部理事長、日本障がい者スポーツ協会副会長等を歴任した。 大分県生まれ。1972年九州大学法学部卒業。1973年厚生省入省。社会保険庁年金保険部計画課課長補佐、外務省在タイ日本国大使館一等書記官、厚生省大臣官房人事課課長補佐、厚生省大臣官房総務課広報室長、厚生省大臣官房政策課企画官、総務庁長官官房参事官、厚生省年金局企業年金課長、厚生省障害保健福祉部企画課長、厚生省児童家庭局企画課長、厚生省社会援護局企画課長等を歴任。
長坂 一(ながさか はじめ、1950年1月9日 - )は、日… 長坂 一(ながさか はじめ、1950年1月9日 - )は、日本の実業家。東海カーボン株式会社代表取締役社長。 山梨県出身。1972年3月慶應義塾大学商学部卒業後、同年4月に東海電極製造(現東海カーボン)に入社。2006年に取締役執行役員を経て、2008年3月に取締役常務執行役員、カーボンブラック事業部担当補佐兼カーボンブラック事業部副事業部長、同事業部販売部長、同事業部管理購買部長、大阪支店長等を歴任。2012年3月に取締役専務執行役員、カーボンブラック事業部、電極事業部を担当し、2014年3月に副社長に就任。2015年2月に同社代表取締役社長に就任。2021年、旭日小綬章受章。
堀越 哲美(ほりこし てつみ、TETSUMI HORIKOS… 堀越 哲美(ほりこし てつみ、TETSUMI HORIKOSHI、1950年1月9日 - )は、日本の環境デザイナー。名古屋工業大学名誉教授。名古屋工業大学副学長を経て、愛知産業大学学長。 専門は、建築環境、都市環境、デザイン。生気象学会長、愛知県建築審査会会長、名古屋市都市計画審議会会長、矢作建設工業取締役等も歴任した。 1950年東京都生まれ。1973年北海道大学工学部衛生工学科卒業。1978年東京工業大学大学院理工学研究科建築学専攻博士課程修了。同年日本国有鉄道に入社し、設計活動に携わる。1981年豊橋技術科学大学工学部助手。1985年大阪市立大学生活科学部講師。1988年名古屋工業大学工学部助教授。
谷口 由美子(たにぐち ゆみこ、1949年〈昭和24年〉1月… 谷口 由美子(たにぐち ゆみこ、1949年〈昭和24年〉1月9日 - )は、日本の翻訳家。ローラ・インガルス・ワイルダーの著作をはじめ、主にアメリカの児童文学の翻訳を行っている。本名、玉田由美子。 山梨県甲府市出身。1963年12月末に東京都世田谷区に転居、翌年4月都立駒場高等学校に進学。上智大学外国語学部英語学科4年のとき、1970年から1971年にかけて交換留学生として米国のセント・メアリ・カレッジ(英語版)で学ぶ。留学先の大学図書館に十代の初めごろから関心のあったローラ・インガルス・ワイルダー著の「小さな家シリーズ」(ローラ物語)の原書が所蔵されてあるのを見つけ、原書をこのときはじめて読み通している。
宮地 佑紀生(みやち ゆきお、1949年〈昭和24年〉1月9… 宮地 佑紀生(みやち ゆきお、1949年〈昭和24年〉1月9日 - 2026年〈令和8年〉1月10日)は、中京圏を拠点に活動していたタレント、ミュージシャン、ラジオパーソナリティ。 愛知県名古屋市中区大須生まれ。実家は緞帳屋を営んでいた。大須小学校、前津中学校、愛知高校 を卒業した。身長163cm。 愛知学院大学卒業後、専門学校東京デザイナー学院に入学した。23歳で、アクセサリーショップ「参百六拾六日の店」を創業した。25歳の時、当時の名鉄セブン社員による生CMに出演したことがきっかけで、東海ラジオのプロデューサー 塩瀬修充の誘いを受け、ラジオパーソナリティとなる。タレント活動開始当初は『ミッドナイト東海』(月曜)『どんどん土曜大放送』などを担当した。
貴島 孝雄(きじま たかお、1949年1月9日 - )は、日… 貴島 孝雄(きじま たかお、1949年1月9日 - )は、日本の工学者。山陽小野田市立山口東京理科大学工学部教授。マツダの元エンジニア。徳島県吉野川市出身。 ロードスターやRX-7、787Bといった同社を代表するスポーツカー、レーシングカーの開発で知られる。 徳島県麻植郡鴨島町(現在の吉野川市)出身。徳島県立徳島東工業高等学校(現在の徳島県立徳島科学技術高等学校)卒業後、1967年に東洋工業(現在のマツダ)に入社。 1994年、平井敏彦の退職に伴い初代ロードスターの開発主査に就任し、その後は順次、2代・3代ロードスター及び3代目RX-7の開発主査を務める。2009年にマツダ株式会社定年退職。同年、山口東京理科大学(現在の山陽小野田市立山口東京理科大学)工学部機械工学科教授就任。
甲斐 和雄(かい かずお、1949年1月9日 - )は、宮崎… 甲斐 和雄(かい かずお、1949年1月9日 - )は、宮崎県日南市出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 日南高校では1966年夏の甲子園県予選決勝に進出するが、宮崎大宮高に延長16回の熱戦の末に敗退、南九州大会進出を逸する。1966年第1次ドラフト会議で西鉄ライオンズから3位指名を受け、入団。 大型遊撃手として期待され、1970年には25試合に先発出場を果たす。翌年も一軍で活躍するも、1973年に藤井信行との交換トレードでロッテオリオンズへ移籍。飯塚佳寛、千田啓介と遊撃手の定位置を争うが同年限りで引退した。
上田 卓味(うえだ たくみ、1949年1月9日 - )は、日… 上田 卓味(うえだ たくみ、1949年1月9日 - )は、日本の実業家。共立メンテナンス元代表取締役社長。 1949年(昭和24年)1月9日、福井県出身。1972年関西学院大学法学部卒業、2000年共立メンテナンス入社・共立メンテナンス取締役を経て、2002年同社代表取締役副社長就任。2017年同社代表取締役社長。2021年同社取締役相談役。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
白幡 洋三郎(しらはた ようざぶろう、1949年1月9日 -… 白幡 洋三郎(しらはた ようざぶろう、1949年1月9日 - 2022年3月13日)は、日本の造園学者。国際日本文化研究センター名誉教授。専門は比較文化史、特に庭園や都市公園を対象とした庭園史、産業技術史。 1949年、大阪府豊中市生まれ。京都大学農学部林学科で学び、1972年に卒業。同大学大学院農学研究科修士課程を経て、1980年に博士課程を満期退学。1975年から2年間、ハノーファー工科大学(西ドイツ)に留学した。 1980年、京都大学農学部助手に採用された。後に助教授昇格。1987年、国際日本文化研究センター助教授に転じ、1996年に教授昇格。1990年、学位論文『19世紀ドイツ都市公園史の研究』を京都大学に提出して農学博士号を取得。
白須光美(しらす みつよし、1949年1月9日 - )は、日… 白須光美(しらす みつよし、1949年1月9日 - )は、日本の財務官僚。総理府民間資金等活用推進室長、財務省理財局次長(国有財産担当)、衆議院財務金融委員会専門員などを務めた。 東京都渋谷区出身。東京教育大学附属駒場高等学校から東京大学に入学。東京大学法学部第1類(私法コース)を卒業し、1971年7月 大蔵省に入省(主計局総務課)。同期に藤井秀人、寺澤辰麿、福田進、高木祥吉、志賀櫻、窪野鎮治、坂井建、田村義雄、坂井隆憲、山本幸三らがいる。1976年7月 銚子税務署長。 1995年6月 大臣官房地方課長兼財政金融研究所次長。1996年7月 大臣官房参事官(大臣官房担当)兼総理府金融検査監督庁(仮称)設立準備室主任室員。
石井 明三(いしい あけぞう、1948年1月9日 - )は、… 石井 明三(いしい あけぞう、1948年1月9日 - )は、日本の政治家。元京都府京田辺市長(3期)。 1963年(昭和38年)3月、田辺町立田辺中学校(現・京田辺市立田辺中学校)卒業。1966年(昭和41年)3月、大谷高等学校卒業。1971年(昭和46年)3月、中京大学文学部卒業。同年11月、田辺町役場に採用される。 1997年(平成9年)4月1日、田辺町は市制施行し京田辺市となる。京田辺市役所の市長公室参事、経済環境部長などを歴任。 2007年(平成19年)4月、京田辺市長選挙に初当選。4月30日、市長就任。2019年(平成31年)の市長選は出馬せず3期で引退。 2020年、旭日小綬章受章。
寺田 逸郎(てらだ いつろう、1948年(昭和23年)1月9… 寺田 逸郎(てらだ いつろう、1948年(昭和23年)1月9日 - )は、日本の裁判官、司法官僚。第18代最高裁判所長官。第10代最高裁判所長官を務めた寺田治郎は父親にあたる。
本田 元広(ほんだ もとひろ、1948年1月9日 - )は、… 本田 元広(ほんだ もとひろ、1948年1月9日 - )は、日本の実業家。愛媛銀行代表取締役頭取を経て、同行代表取締役会長。元愛媛経済同友会代表幹事。 愛媛県伊予市出身。松山商科大学(現松山大学)経済学部卒業。1970年愛媛相互銀行入行。1992年愛媛銀行尾道支店長。1995年愛媛銀行高松支店長。2003年愛媛銀行公務ふるさと部長。2004年愛媛銀行人事教育部長。2006年愛媛銀行取締役人事教育部長。同年愛媛銀行常務取締役。2011年愛媛銀行専務代表取締役。2012年愛媛銀行代表取締役頭取。2014年愛媛経済同友会代表幹事。2018年愛媛銀行代表取締役会長。愛媛電算取締役、愛媛エフ・エー・ゼット取締役、松山観光港ターミナル監査役、松山市文化・スポーツ振興財団理事長、三浦教育振興財団評議員、弓削商船高等専門学校技術振興会副会長、四国経済連合会常任理事、愛媛県国際交流協会理事長、愛媛県信用保証協会理事なども歴任した。
山崎 摩耶(やまざき まや、1947年1月9日 - )は、日… 山崎 摩耶(やまざき まや、1947年1月9日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(2期)、国民民主党北海道連代表、日本看護協会理事などを務めた。 日本看護協会は旧来より、傘下の政治団体である日本看護連盟を通して自由民主党を支持する団体であり、協会の幹部を日本看護連盟の推薦候補・自民党の公認候補として国政に輩出している(参議院議員の清水嘉与子・南野知惠子、衆議院議員の阿部俊子・能勢和子など)。山崎は、これらの議員と異なり、日本看護連盟の推薦を受けておらず、個人としての立候補である。
石井 由己雄(いしい ゆきお、1947年(昭和22年)1月9… 石井 由己雄(いしい ゆきお、1947年(昭和22年)1月9日 - )は、日本の政治家、実業家。元山梨県大月市長(3期)。 1947年(昭和22年)、山梨県北都留郡大月町(現在の大月市)に生まれる。山梨県立都留高等学校卒業(落語家の三遊亭小遊三と同期に当たる)。1969年(昭和44年)3月、日本大学理工学部土木工学科卒業。同年4月、石井工業株式会社に就職。1988年(昭和63年)9月、同社の代表取締役社長に就任。2003年(平成15年)5月、社団法人山梨県建設業協会会長に就任。2007年(平成19年)5月、同協会の会長を退任。6月、石井工業株式会社を退社。 2007年7月1日に行われた大月市長選挙に出馬し初当選。
中野 悟(なかの さとる、1947年1月9日 - )は、日本… 中野 悟(なかの さとる、1947年1月9日 - )は、日本の元競泳選手。広島県出身。1964年東京オリンピック・1968年メキシコシティーオリンピック日本代表。 広島市立高陽中学校、大阪府立桜宮高等学校、早稲田大学卒。 1964年東京オリンピック選考会兼日本選手権の1500m自由形で2位に入り、オリンピック代表に選出された。1964年東京オリンピックでは1500m自由形に出場し、予選落ちとなった。 1968年メキシコシティー選考会兼日本選手権の200m自由形で2位に入り、2大会連続となるオリンピック代表に選出された。1968年メキシコシティーオリンピックの200m自由形で予選落ち、400mフリーリレーで8位、800mフリーリレーで予選落ちだった。
岸部 一徳(きしべ いっとく、本名:岸部 修三(きしべ しゅ… 岸部 一徳(きしべ いっとく、本名:岸部 修三(きしべ しゅうぞう)、1947年1月9日 - )は、日本の俳優、ミュージシャン。旧芸名:岸部 修三(きしべ おさみ)、岸部 おさみ。愛称:サリー[4]、一徳兄さん。ザ・タイガース、PYG、井上堯之バンドのベーシスト。身長181cm。京都府京都市出身。京都市立伏見工業高等学校建築科[4]卒業。所属事務所はアン・ヌフ。
波多野 修(はたの おさむ、1947年1月9日 - )は、東… 波多野 修(はたの おさむ、1947年1月9日 - )は、東京都出身のプロゴルファー。 18歳からゴルフを始め、学習院大学時代は1967年の関東学生で9位タイ、1968年の関東学生では5位タイに入る。 卒業後の1971年にプロ入りし、1977年の阿蘇ナショナルパークオープンでは初日を野口茂・金井清一・藤井義将・尾崎将司と並んでの2位タイでスタートすると、最終日には上野忠美・前田新作と並んでの7位タイに入った。 1978年の関東オープンでは初日、ラフが深いゆえにグリーンの難しさもあってアンダーパーは9人であった中、ハーフを4バーディーと好スタートを切り、5バーディーの67でまとめて首位に立った。それまでは堅いプレーでスコアを一つでも縮めると、それをなんとか守り切ろうとするのが欠点であったが、関東オープン初日にはスタートからバーディーを取りまくり、途中からベストスコア賞30万円に執着して初のトーナメントリーダーになった。
高部 豊彦(たかべ とよひこ、1947年1月9日 - )は、… 高部 豊彦(たかべ とよひこ、1947年1月9日 - )は、日本の経営者。勲等は旭日中綬章。東日本電信電話社長を務めた。静岡県出身。 1969年に東京大学法学部を卒業し、同年に日本電信電話公社に入社。1999年7月に日本電信電話取締役に就任し、2002年6月に副社長を経て、2005年6月に東日本電信電話社長に就任。2008年6月に相談役に退いた。 2025年秋の叙勲で旭日中綬章を受章した。
永田 和一(ながた かずいち、1947年1月9日 - )は、… 永田 和一(ながた かずいち、1947年1月9日 - )は、日本の実業家、三井不動産株式会社元専務取締役専務執行役員、フロンティア不動産投資法人元執行役員。 1947年1月9日生まれ。1969年3月、立教大学法学部卒業。同年4月、三井不動産株式会社入社。 1990年4月、関西支社業務施設事業部長、1998年6月、取締役グループ経営企画本部グループ経営企画部長に就任。 2001年6月、常務執行役員グループ経営本部長、2003年6月、専務取締役専務執行役員関連事業本部長、2005年4月、専務取締役専務執行役員商業施設本部長に就任。 商業施設本部長として、「ラゾーナ川崎プラザ」などの大型複合施設の開発を進め、地域の発展に寄与した。
本田 孝一(ほんだ こういち、1946年1月9日 - )は、… 本田 孝一(ほんだ こういち、1946年1月9日 - )は、日本の書道家。日本アラビア書道協会会長。元大東文化大学国際関係学部国際文化学科教授。東京都出身。
北西 憲二(きたにし けんじ、1946年1月9日 - )は、… 北西 憲二(きたにし けんじ、1946年1月9日 - )は、日本の精神科医。森田療法を中心に行う。 埼玉県生まれ。1970年東京慈恵会医科大学卒、1978年「うつ病の日内変動に関する研究」で医学博士。1972年スイス・バーゼル大学・うつ病研究部門に留学。1979-1995年東京慈恵会医科大学附属第三病院講師。その後成増厚生病院、日本女子大学教授、2007年森田療法研究所所長・北西クリニック院長。
菊地 哲榮(きくち あきひで、1946年1月9日 - )は、… 菊地 哲榮(きくち あきひで、1946年1月9日 - )は、日本の音楽プロデューサー。 (株)ハンズオン・エンタテインメント代表取締役会長。 (株)ハッピーチャイルド代表取締役社長。 (株)幽玄屋代表取締役社長 早稲田大学理工学部電気通信学科卒業。早稲田大学応援部出身。 渡辺プロダクション時代、沢田研二、木の実ナナなどを担当し、天地真理をデビューさせたことで知られる。 1979年、渡辺プロダクションから独立、株式会社ポケットパーク(現:株式会社ハッピーチャイルド)を設立。松原みき、遠藤賢司をマネージメント。 1980年、株式会社ハンズ(現:株式会社ハンズオン・エンタテインメント)代表取締役に就任。
田中 俊一(たなか しゅんいち、1945年1月9日 - )は… 田中 俊一(たなか しゅんいち、1945年1月9日 - )は、日本の元公務員、工学者(原子力工学、放射線物理学・放射線遮蔽工学)。学位は工学博士(東北大学・1978年)。 日本原子力研究所副理事長、独立行政法人日本原子力研究開発機構特別顧問、社団法人日本原子力学会会長(第28代)、内閣府原子力委員会委員長代理、財団法人高度情報科学技術研究機構会長、内閣官房参与、原子力規制委員会委員長(初代)などを歴任した。 1945年、福島県福島市生まれ。国鉄職員だった父の転勤により福島県伊達郡伊達町(のちの福島県伊達市)で小学校に通ったのち、中学生から会津地方(福島県西部)で過ごし、福島県立会津高等学校を卒業する。
韮澤 潤一郎(にらさわ じゅんいちろう、1945年1月9日 … 韮澤 潤一郎(にらさわ じゅんいちろう、1945年1月9日 - )は、日本の実業家で、たま出版社長・編集長である。自称UFO、超常現象研究家。量子力学、意識の問題を研究しているとも述べている。 新潟県生まれ。法政大学文学部を卒業。 1995年に第17回参議院議員通常選挙(参院選)の比例代表区で「開星論」のUFO党より立候補、落選。
桐原 史雄(きりはら ふみお、1945年1月9日 - )は、… 桐原 史雄(きりはら ふみお、1945年1月9日 - )は、日本の男性俳優。島根県出身。本名同じ。
西原 篤夫(にしはら あつお、1945年1月9日 - )は、… 西原 篤夫(にしはら あつお、1945年1月9日 - )は、日本の大蔵官僚。 国際復興開発銀行理事、東京証券取引所常務理事、東京証券取引所常務、造幣局理事長などを務めた。 妻は吉瀬維哉の長女。福岡県大牟田市出身(父母も福岡県)。血液型はA型。 1963年3月:東京都立日比谷高等学校卒業。1967年3月:東京大学法学部卒業。 1967年4月:大蔵省入省(国有財産局総務課)。1968年6月15日:主税局国際租税課。 1969年4月:主税局付(ハンブルク大学留学)。1971年7月:主税局税制第二課調査係長。 1972年7月:大月税務署長。1973年7月:銀行局金融制度調査官付課長補佐(金融制度調査会資料)。
小林 治(こばやし おさむ、1945年1月9日 - )は、日… 小林 治(こばやし おさむ、1945年1月9日 - )は、日本のアニメーター、アニメーション演出家、アニメーション監督。東京都府中市出身。亜細亜堂所属。小林 おさむ、ススキダ トシオ名義でも活動する。 同業のイラストレーター、メカニックデザイナー、アニメ監督の小林治とは同姓同名の別人である。 1963年、東映動画(現:東映アニメーション)に18歳で入社。同期に芝山努などがおり、同じ年の約半年前に宮崎駿が入社していた。 1965年、東映動画にいた楠部大吉郎に誘われてAプロダクション(現:シンエイ動画)の設立に参加。創立メンバーは楠部、小林、芝山、椛島義夫・森下圭介。アニメーターとして『オバケのQ太郎』『巨人の星』『アタックNo.1』などを手がけたほか、芝山とのコンビで『ど根性ガエル』などで作画監督を担当。
栗川 仁(くりかわ じん、1944年(昭和19年)1月9日 … 栗川 仁(くりかわ じん、1944年(昭和19年)1月9日 - 2011年(平成23年)12月4日)は、日本の政治家。黒磯市長を1期、那須塩原市長を2期務めた。 1962年(昭和37年)3月、栃木県立那須農業高等学校(現栃木県立那須拓陽高等学校)卒業。1983年(昭和58年)4月の黒磯市議会議員選挙で初当選し、2003年(平成15年)まで市議会議員を5期務めた。この間、1995年(平成7年)5月から1997年(平成9年)5月まで、2001年(平成13年)4月から2002年(平成14年)12月まで市議会議長を務めた。 2003年(平成15年)2月9日に実施された黒磯市長選挙では無所属で立候補し渡辺喜美衆議院議員の黒磯後援会長で自民党の推薦を受けた候補者などを破り初当選を果たした。
桂 紹隆(かつら しょうりゅう、1944年1月9日- )は、… 桂 紹隆(かつら しょうりゅう、1944年1月9日- )は、日本の仏教学者。広島大学名誉教授。 滋賀県生まれ。1966年京都大学文学部卒、同大学院修士課程修了。1974年トロント大学博士課程修了、A study of Harivarman's Tattvasiddhi でPh.D.。1987年「インド論理学における遍充概念の生成と発展 チャラカ・サンヒターからダルマキールティまで」で京都大学文学博士。1977年ミシガン大学招聘講師、オックスフォード大学客員研究員、広島大学文学部講師、助教授、1989年教授。2004年広島大学を退職し名誉教授、同年に龍谷大学文学部教授を経て龍谷大学アジア仏教文化研究センター長。
小谷 博泰(こたに ひろやす、1944年1月9日 - )は、… 小谷 博泰(こたに ひろやす、1944年1月9日 - )は、日本の国語学者、歌人、甲南大学名誉教授。 兵庫県神戸市生まれ。1966年甲南大学経済学部卒、74年同大学院文学研究科国文学科博士課程満期退学、同助手、76年講師。奈良教育大学講師、助教授、甲南大学文学部教授。2011年退任、名誉教授。上代日本語を専門とする。 短歌は安田章生に師事、結社「白珠」同人、「鱧と水仙」同人。 師・安田章生の、「一首のなかに文語と口語とを混用することも、美感を損しない限り許されるべきことであって、すべて窮屈に考える必要はない」という教えに従い、故郷の方言である播州弁を混交させた短歌を作る。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
藤田 文子(ふじた ふみこ、1944年1月9日- )は、日本… 藤田 文子(ふじた ふみこ、1944年1月9日- )は、日本のアメリカ文化学者、津田塾大学名誉教授。 北海道出身。1966年に津田塾大学学芸学部英文学科を卒業し、その後に東京大学大学院へ進み、社会学研究科(国際関係論)修士課程を1969年に修了。1971年まで東京大学教養学部助手、ニューヨーク市立大学大学院(歴史学)博士号取得。津田塾大学英文学科教授を務めた。 2014年に定年となり名誉教授。夫は藤田博司・元上智大学教授。
佐藤 博之(さとう ひろゆき、1944年1月9日 - )は、… 佐藤 博之(さとう ひろゆき、1944年1月9日 - )は、日本の経営者。ダイビル社長、会長を務めた。山口県出身。 1967年に東京大学法学部を卒業し、同年に大阪商船三井船舶に入社。1996年6月に取締役に就任し、1998年6月に常務、1999年6月に専務、2003年6月に副社長を経て、2006年6月から2011年6月までにダイビル社長を務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
小島 伸夫(こじま のぶお、1943年1月9日 - )は、… 小島 伸夫(こじま のぶお、1943年1月9日 - )は、日本の経営者。十六銀行頭取を務めた。 岐阜県出身。1965年に慶應義塾大学商学部を卒業し、同年に十六銀行に入行した。1991年6月に取締役に就任し、1995年6月に常務、1999年6月に専務を経て、2000年6月に頭取に就任。2009年6月には顧問に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
黒田 日出男(くろだ ひでお、1943年1月9日 - )は、… 黒田 日出男(くろだ ひでお、1943年1月9日 - )は、日本の歴史学者。東京大学名誉教授。専門は日本中世史(絵画史料論、歴史図像学)。東京大学史料編纂所所長、立正大学文学部史学科教授、群馬県立歴史博物館館長を歴任。 東京生まれ。1961年東京都立白鷗高等学校卒、早稲田大学第一文学部史学科国史専修入学。1972年早稲田大学大学院文学研究科博士課程満期退学。1986年『日本中世開発史の研究』で早稲田大学より文学博士の学位を取得。 1972年東京大学史料編纂所・教務職員、1973年助手、1984年助教授、1989年教授、1997-1999年所長、1999-2003年東京大学史料編纂所附属画像史料解析センター長。
澤部 肇(さわべ はじめ、1942年1月9日 - )は、日本… 澤部 肇(さわべ はじめ、1942年1月9日 - )は、日本の経営者。TDK社長、会長を務めた。 東京都出身。早稲田大学高等学院を経て、1964年に早稲田大学政治経済学部を卒業し、同年に東京電気化学工業(のちのTDK)に入社した。1996年6月に取締役に就任し、1998年6月に社長に就任。2006年6月から2011年6月までに会長を務めた。 2020年4月に旭日重光章を受章した。
高木 一巳(たかぎ かずみ、1941年1月9日 - )は、岐… 高木 一巳(たかぎ かずみ、1941年1月9日 - )は、岐阜県大垣市出身の元プロ野球選手(捕手、内野手)。 大垣商業高等学校では、捕手として1959年夏の甲子園県予選を勝ち抜き三岐大会決勝に進出するが、鈴木正のいた松阪商に敗退し、甲子園出場はならなかった[要ページ番号]。 大型捕手として注目され、1960年に中日ドラゴンズに入団。しかし二軍暮らしが長く、1963年に野手転向。1964年は20試合に起用され、一塁手として先発出場も果たすが、その後はあまり出場機会に恵まれなかった。1966年から捕手に戻り、地味ながら控えをこなす。1972年限りで引退した。