山本 清三郎(やまもと せいざぶろう、1876年11月13日… 山本 清三郎(やまもと せいざぶろう、1876年11月13日 - 1933年11月30日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 兵庫県出身。慶應義塾普通部卒。アメリカへ留学し、エール大学とコロンビア大学で学ぶ。燧洋電燈、有馬土地(株)取締役、(株)東洋製鋼所社長となる。 1920年の第14回衆議院議員総選挙において愛知6区から立憲政友会公認で立候補して当選する。衆議院議員を1期務め、1924年の第15回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。1933年に死去した。
中山 太郎(なかやま たろう、本名:中山 太郎治、明治9年(… 中山 太郎(なかやま たろう、本名:中山 太郎治、明治9年(1876年)11月13日 - 昭和22年(1947年)6月13日)は、柳田國男・折口信夫らと同時代に活躍した栃木県出身の民俗学者。 民俗学研究の一般的手法であるフィールドワークを殆ど行わず、史料文献を多用する研究方法から自らの学問を歴史的民俗学と称した。 中山民俗学の基礎は、上京後に図書館通いを続けあらゆる地誌類を読み作り上げた三万枚ものカードであった。柳田國男に「上野の図書館の本を全て読もうとした男」と怖れられるほどの読書家でもあった。 中山は研究者として執筆活動に専念した五十歳のころに売笑・婚姻・巫女・若者・盲人・祭礼・信仰・葬儀・伝説・職人の十種の研究を上古から現代まで民俗資料をもとにして編年史を纏め上げる壮大な野望を持った。
真島 利行(まじま としゆき、または故実読みで りこう、18… 真島 利行(まじま としゆき、または故実読みで りこう、1874年(明治7年)11月13日 - 1962年(昭和37年)8月19日)は、京都市生まれの有機化学者。大阪帝国大学総長などを歴任。
前川 謙三(まえかわ けんぞう、1873年(明治6年)11月… 前川 謙三(まえかわ けんぞう、1873年(明治6年)11月13日 - 1946年(昭和21年)3月1日)は、日本の写真家。小西寫眞専門学校(後の東京工芸大学)創立時の講師の一人でもある。 1873年(明治6年)に福井県大野郡鹿谷村大字矢戸口(現・勝山市鹿谷町矢戸口)の医師・前川九兵衛の次男として誕生した。鹿渓小学校卒業後、1888年(明治11年)7月に東京府芝区新桜田町に丸木写真館を構えていた同じ福井県出身の丸木利陽に師事。5年間の契約だったが、期間満了後も技師として丸木写真館に残った。 1895年(明治28年)からは築地明石町のサンマース英語学校にも通い、1898年(明治31年)に渡米して写真術を研究したが、レンブラント採光法を取り入れようとしていた丸木の意向もあったとされる。
山田 永俊(やまだ えいしゅん、明治5年10月13日(187… 山田 永俊(やまだ えいしゅん、明治5年10月13日(1872年11月13日) – 昭和31年(1956年)9月24日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会→政友本党)。医師。漢詩人。 岐阜県本巣郡七郷村(現在の岐阜市)出身。済生学舎で学び(現・日本医科大学)、1895年(明治28年)に医術開業試験に合格。1901年(明治34年)に岐阜市に眼科医院を開業した。1913年(大正2年)より岐阜市会議員に選ばれ、議長にも選出された。 1920年(大正9年)、第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。 その他、岐阜県医師会長、同保険部長、日本医師会理事、同副会長、岐阜脳病院理事長などを務めた。 また五洋と称し漢詩を善くした。
磯部 検三(いそべ けんぞう、明治5年10月13日(1872… 磯部 検三(いそべ けんぞう、明治5年10月13日(1872年11月13日) - 1949年(昭和24年)8月3日)は、日本の医師、学校経営者。日本医科大学の前身・日本医学校の創立に事務責任者(肩書は「幹事」)として関与し、のちに日本医科大学の維持員となった。かつては本人の主張に基づき日本医科大学の創立者として扱われていたが、現在では創立者と見なされていない。磯部の申し立てた経歴や業績には詐称や虚飾が多かったことが判明している。 名前は検蔵とも表記される。また嬰賓、孔夏、椿軒とも号した。 明治5年(1872年)10月13日、長門国厚狭郡(現・山口県山陽小野田市埴生)の医師・重枝化甫の三男として生まれ、叔父の磯部禎太郎の養子となった。
南 弘(みなみ ひろし、1869年11月13日〈明治2年10… 南 弘(みなみ ひろし、1869年11月13日〈明治2年10月10日〉- 1946年〈昭和21年〉2月8日)は、日本の官僚・政治家。 後の富山県氷見市仏生寺の豪農岩間覚平の次男・鉄郎として生まれる。岩間家は3代にわたり県会議員を輩出した名望家で、広大な屋敷地や山林を所有していた。生家の近くに御田神社があり、幼少時よりその宮司平井正承の教えを受けた。その後仏生寺小学校、富山中学校、第四高等学校に進み、1896年(明治29年)に東京帝国大学法科大学政治学科を卒業、文官高等試験に合格し官僚となった。 その後、同県高岡の旧家出身で第2代富山県会議長を務めた南兵吉の養子となり、その長女・操と結婚した際、「弘」と改名した。
西村 種礼(にしむら たねのり、1869年11月13日(明治… 西村 種礼(にしむら たねのり、1869年11月13日(明治2年10月10日) - 1932年(昭和7年)1月25日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 鹿児島県の阿久根出身。阿久根村長白浜貫以は兄。陸軍士官学校に入るが、眼病のため転学し、慶應義塾で学ぶ。事情により慶応義塾も中退し、阿久根へ帰郷して学務委員となる。農業と漁業を営む。兄貫以の後をうけ阿久根村長に就任。その後鹿児島県会議員、同参事会員、地方森林会議員となる。1908年鹿児島県会副議長。 1917年の第13回衆議院議員総選挙において鹿児島県郡部から立憲政友会公認で立候補してトップ当選する。衆議院議員を1期務め、1920年の第14回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。
上泉 徳弥(かみいずみ とくや、1865年11月13日(慶応… 上泉 徳弥(かみいずみ とくや、1865年11月13日(慶応元年9月25日) - 1946年(昭和21年)11月27日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 米沢藩士(興譲館教頭)・上泉清次郎の長男として生まれる。私立米沢中学校、攻玉社を経て、1886年12月、海軍兵学校(12期)を卒業し、1888年1月に海軍少尉任官。海軍大学校で丙号学生として学び、「日進」「葛城」「高千穂」の各分隊長、佐世保海兵団分隊長、呉鎮守府参謀、大連湾要港部副官、「龍田」分隊長、「済遠」砲術長などを経て、1897年12月、海大将校科(1期)を卒業し、さらに水雷術練習所で学んだ。 「鎮遠」水雷長、「八重山」副長、「敷島」回航委員・水雷長、「秋津洲」「千代田」の各副長、佐世保海兵団副長、竹敷要港部第2水雷敷設隊司令、「高砂」副長、軍令部副官、兼同第1局員などを歴任。
野村 三四郎(のむら さんしろう、1865年11月13日〈慶… 野村 三四郎(のむら さんしろう、1865年11月13日〈慶應元年9月25日〉- 1933年〈昭和8年〉6月7日)は 明治期の大蔵官僚、田中鉱山の監査役。 現在の茨城県の鹿行地域にあたる常陸国鹿島郡の日川砂漠を開拓した柳川宗左衛門秀勝の三男。 第二代・柳川宗左衛門(秀勝)の三男として常陸国鹿島郡若松村(現在の茨城県神栖市若松)に生まれ、後に東京府・野村せいの養子となり野村家を継ぐ。1880年(明治13年)に東京へ出ると、浅草にある小永井五八郎の私塾・濠西塾(濠西精舎)で漢学を学んだ。さらに中央大学の前身である東京法学院に入学するが中退し、1885年(明治18年)より大蔵省預金部に勤める。1893年(明治26年)にこれを辞すと、当時岩手県南閉伊郡釜石町(現在の釜石市)における製鉄業で知られていた田中長兵衛の東京本店に入店し、会計主任を務めた。
吉松 忠敬(よしまつ ちゅうけい、1865年11月13日(慶… 吉松 忠敬(よしまつ ちゅうけい、1865年11月13日(慶応元年9月25日) - 1937年(昭和12年)8月27日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 日向国那珂郡、のちの宮崎県南那珂郡福島町(現串間市)で生まれた。日清戦争に参加し、陸軍砲兵一等軍曹となる。帰国後は林業を営み、南那珂郡福島村長、宮崎県議、同議長を務める。 1924年の第15回衆議院議員総選挙において宮崎1区から政友本党公認で立候補して当選した。のち立憲政友会に移り、衆議院議員を1期務めた。1928年の第16回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。1937年死去。子孫にはジャーナリストの田中耕がいる。
成清 博愛(なりきよ ひろえ、1864年11月13日(元治元… 成清 博愛(なりきよ ひろえ、1864年11月13日(元治元年10月14日)- 1916年(大正5年)1月18日)は、明治から大正前期の実業家、政治家。衆議院議員、福岡県山門郡小川村長。号・的山(てきざん)。金山王と称された。 筑後国山門郡、のちの福岡県山門郡小川村 (瀬高町を経て現みやま市)で生まれた。柳川藩儒者・西田麗川に師事し漢学を修めた。1887年(明治20年)慶應義塾に入塾したが、1888年(明治21年)病のため中退して帰郷した。 1890年(明治23年)小川村会議員に選出され、九州改進党の結成に尽力した。政治活動資金を捻出するため炭坑、金山の経営に乗り出したが失敗し財産を失うが、小川村長、山門郡会議員、福岡県会議員、瀬高銀行取締役などを務めた。
有賀 長雄(ありが ながお、万延元年10月1日(1860年1… 有賀 長雄(ありが ながお、万延元年10月1日(1860年11月13日) - 大正10年(1921年)5月17日)は、日本の法学者、社会学者。法学博士。文学博士。姓はあるがとも。
上遠野 富之助(かどの とみのすけ、1859年11月13日〈… 上遠野 富之助(かどの とみのすけ、1859年11月13日〈安政6年10月19日〉 - 1928年〈昭和3年〉5月26日)は、明治から昭和初期にかけて活動した日本の実業家・政治家である。 秋田県出身ながら愛知県名古屋市に移り名古屋財界で立身、名古屋商業会議所会頭や名古屋鉄道社長を務めた。政界では名古屋市会議員・同議長を歴任した。 上遠野富之助は、安政6年10月19日(新暦:1859年11月13日)、出羽国横手城下(現・秋田県横手市)に久保田藩士上遠野群吾の次男として生まれた。実家上遠野家は代々剣術・槍術師範をつとめる家であり、実兄秀忠(幼名:馬之助)も剣術家となっている。一方で富之助は生まれて5か月で実子のいない伯父・上遠野実の養子に引き取られた(養子だが戸籍上は豊の長男という扱い)。
横山 勇喜(よこやま ゆうき、1852年11月13日(嘉永5… 横山 勇喜(よこやま ゆうき、1852年11月13日(嘉永5年10月2日)- 1897年(明治30年)11月7日)は、明治期の農業経営者、政治家。衆議院議員、秋田県会議長。 出羽国秋田郡東大館町長倉(秋田県北秋田郡大館町を経て現大館市長倉)で、久保田藩士・横山運之助の長男として生まれた。藩校・明徳館で学んだ。 1874年(明治7年)10月、父の死去に伴い家督を相続。農業を営む。 1879年(明治12年)3月、秋田県会議員に選出された。通算6期在任し、1891年(明治24年)4月から4か月間、同議長を務めた。 1894年(明治27年)3月、第3回衆議院議員総選挙(秋田県第2区、立憲革新党)で当選したが、同年9月の第4回総選挙で落選し、衆議院議員に1期在任した。
波多野 敬直(はたの よしなお、1850年11月13日〈嘉永… 波多野 敬直(はたの よしなお、1850年11月13日〈嘉永3年10月10日〉- 1922年〈大正11年〉8月29日)は、明治・大正時代の官僚・政治家。司法大臣・宮内大臣などを歴任した。位階・勲等・爵位は、正二位勲一等子爵。 1850年(嘉永3年)10月、肥前国小城郡牛津(現:佐賀県小城市)に小城藩士横尾(波多野)信倚の長男として生まれた。小城藩校興譲館、熊本の木下塾、大学南校でドイツ語などに学び、1873年(明治6年)、江藤新平が司法卿を務めた司法省に出仕。十二等判事に任じられた。 1881年(明治14年)、広島始審裁判所長に就任。その後、司法省参事官、京都地方裁判所長、大審院判事、司法書記官、函館控訴院長、東京控訴院検事長、司法次官、司法総務長官などを歴任した。
原 亮三郎(はら りょうざぶろう、1848年11月13日(嘉… 原 亮三郎(はら りょうざぶろう、1848年11月13日(嘉永元年10月18日) - 1919年(大正8年)12月8日)は、明治から大正時代の政治家。公吏。実業家。出版経営者。銀行家。衆議院議員。 美濃国羽栗郡平方村(岐阜県羽栗郡平方村、福寿村を経て現羽島市)出身。原忠左衛門の子。生家は代々農業を営み、同地の里正を務めた。亮三郎は16歳にして家業を継ぎ、大庄屋となった。 1871年(明治4年)東京に出て藤川三渓の門に入り、のち神奈川県史生に任ずる。ついで権少録に進み戸長も務めた。1875年(明治8年)横浜に出版社金港堂を創業し、翌年東京日本橋に移転する。教科書や文芸雑誌、書籍などの出版にあたった。
曾根 俊虎(そね としとら、1847年11月13日〈弘化4年… 曾根 俊虎(そね としとら、1847年11月13日〈弘化4年10月6日〉 - 1910年〈明治43年〉5月30日)は、幕末期の武士(米沢藩士)、大日本帝国海軍大尉、号は暗雲、中国名は曾嘯雲。幼名は小太郎。近代日本史におけるアジア主義の中の最重要人物とされ、興亜会の創立者としてよく知られている。 米沢藩の儒者・曽根敬一郎の子。曽根家は明治元年まで代々上杉家の家臣(馬廻組)を勤め、戊辰戦争後に父・魯庵を失った後、俊虎は百五十石を賜っている。藩校興譲館で漢学を学び、雲井龍雄の感化を受けた。戊辰戦争で父を失った後、米沢で渡辺洪基に英学を学び、さらに江戸に出て慶應義塾に入り、福澤諭吉・吉田賢輔に洋学を学んだ。
石谷 董九郎(いしがや とうくろう、1840年11月13日(… 石谷 董九郎(いしがや とうくろう、1840年11月13日(天保11年5月)- 1908年(明治41年)2月13日)は、明治期の実業家、政治家。衆議院議員、鳥取県会議長。 因幡国岩井郡恩志村(鳥取県岩美郡本庄村大字恩志村を経て現岩美町恩志)で、大庄屋・石谷藤四郎の長男として生まれた。 1872年(明治5年)鳥取県第16区戸長に就任。同県第五大区第五小区長、同第二大区副区長・凖15等出仕を歴任。1876年(明治9年)鳥取県が島根県に合併し、1879年(明治12年)4月、島根県会議員となる。1881年(明治14年)鳥取県が再置され、同年11月、鳥取県会議員に当選し、同副議長、同議長を務めた。その他、岩美郡参事会員、徴兵参事員、地方森林会議員などにも在任した。
神山 裕紀(こうやま ゆき、11月13日 - )は、日本の女… 神山 裕紀(こうやま ゆき、11月13日 - )は、日本の女性声優。熊本県出身。マウスプロモーション所属。 主な代表作に『アキの奏で』(須藤美園)がある。 2011年、青二プロダクション附属俳優養成所東京校 入所。2012年、青二プロダクション所属。 2017年、マウスプロモーションに移籍。 方言は熊本弁。趣味・特技は写真を撮ること、紅茶を飲むこと、バスケットボール。 高校時代に友人の前で披露していたイラストは独特である。『崖の上のポニョ』が上映されて間もない頃に描いたイラストがボニョっと、ブニョっとしていたことから、一部の友人からボブと呼ばれていた。
Saopanic(サオパニック、11月13日- )は、日本の… Saopanic(サオパニック、11月13日- )は、日本のDJ、音効師。静岡県出身。 神奈川大学卒。イベント制作会社で働いたのち、バブルラン全国ツアー等のフェスに出演。 B.LEGUEアルバルク東京(2016-2017)Fリーグフウガドールすみだ(続行中)アリーナDJを担当。 テレビ東京ドラマ25MASKMENでは斎藤工が扮する人印のネタ音を担当し、第8話に登場した。 NHKラジオひるのいこいにて選曲、音の送出を行なっている。基本的に水曜日の担当。 現在の主な仕事は出演と音響効果、楽曲制作等。 15歳の時に沼津市のレコードショップにてターンテーブル、テクニクス1200を購入し、DJのキャリアをスタートさせた。
吉木 絵里子(よしき えりこ、11月13日 - )は、日本の… 吉木 絵里子(よしき えりこ、11月13日 - )は、日本の作曲家、編曲家、作詞家。La Gauno所属。 東京芸術大学音楽学部器楽科バイオリン専攻を卒業。 ZAIN PRODUCTS所属を経て現在はLa Gaunoに所属している。
児島 由美(こじま ゆみ、11月13日 - )は、日本のシン… 児島 由美(こじま ゆみ、11月13日 - )は、日本のシンガーソングライター、生田流箏奏者である。奏者としては児島雅月、雅月(まさつき/Masatwuki。生田流の雅号)としても活動している。愛称は「のの」。夫は蟠龍寺スタジオ代表の吉田哲。父親がパナソニック役員で大阪府守口市など引越しが多かったため、札幌から後に埼玉県浦和市(現さいたま市)に移る。大学卒業後は東京都目黒区在住。A型。北海道札幌市出身。 幼少時よりクラシックピアノ、10代から箏を習った。中学の時に当時地元で攻勢を極めていたウラワ・ロックンロール・センターに触発され、バンド活動に誘われてオリジナル曲を作り始める。埼玉県立浦和第一女子高等学校在学中には友人がこっそり応募した「告別式」でヤマハポピュラーソングコンテスト(ポプコン)関東・甲信越大会に参加。
大久保 ちか(おおくぼ ちか、11月13日 - )は、日本の… 大久保 ちか(おおくぼ ちか、11月13日 - )は、日本の舞台女優、声優、紙芝居師。紙芝居師名は「こむぎちゃん」。福岡県北九州市出身。 玉川大学芸術学部卒 。かつてはファンカスキャンパーズ009(旧名・衝突安全ボディー)に所属していた。2014年4月よりアップアンドアップスに所属。 2015年7月より「紙芝居師こむぎ」としても活動開始。2018年8月、紙芝居師かみはる、紙芝居師あいり~んとともに女子紙芝居師ユニット「織紙姫」を結成。 2018年9月1日、紙芝居師ゴンちゃんとしても活動している声優の中山和久と結婚したことを発表した。同日、声優の大久保ちかとしては、アップアンドアップスに所属しながら、紙芝居師こむぎちゃんとして、MANKAI productionに所属したことも発表した。