白石 公子(しらいし こうこ、1960年6月15日 - )は… 白石 公子(しらいし こうこ、1960年6月15日 - )は、詩人、エッセイスト。岩手県東磐井郡千厩町(現:一関市千厩町)生まれ。宮城県鼎が浦高等学校、大妻女子大学国文科を卒業。 1980年、19歳の時に第18回現代詩手帖賞を受賞。22歳で詩集『ラプソディ』を刊行、その後エッセイストとしても活躍。2009年、早稲田大学文学学術院客員教授に就任した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
遊人(ゆうじん、1959年6月15日 - )は、日本の漫画家… 遊人(ゆうじん、1959年6月15日 - )は、日本の漫画家。 山口県宇部市出身。代表作に『ANGEL』、『桜通信』(1995年 - 2000年まで『週刊ヤングサンデー』に連載)、『学園天国』など。 1979年、『同姓契約』でデビュー。 初期は『モーニング』や旺文社の中学生向け学年誌等で作品を掲載。その後、『実話タイムス』で初の連載をつかむものの単行本が売れず、約10年間漫画家の道を模索する。 1988年より『週刊ヤングサンデー』(小学館)で連載していた『ANGEL』が大ブレイクしたが、1990年ごろの有害図書問題の槍玉にあがり、社会問題に発展。『ANGEL』は、数年後アダルトゲーム化やOVA化され、シュベール出版から成年向け作品として再出版された。
片瀬 裕文(かたせ ひろふみ、1959年(昭和34年)6月1… 片瀬 裕文(かたせ ひろふみ、1959年(昭和34年)6月15日 - )は、日本の経産官僚。経済産業省産業技術環境局長や通商政策局長、経済産業審議官を経て、日本I-Pulse株式会社代表取締役社長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
小久保 徳子(こくぼ のりこ、1958年6月15日 - )は… 小久保 徳子(こくぼ のりこ、1958年6月15日 - )は、ウェブ同窓会「この指とまれ!」の設立者で運営企業である株式会社ゆびとまの元経営者であり、株式会社アイシーティアイの東京ブランチ所属。長崎県西彼杵郡高島町(現・長崎市)出身。 高島町立高島小学校(現・長崎市立高島小学校)、長崎市立土井首中学校、長崎県立長崎東高等学校、千代田電算機学院卒業。卒業後、千代田コンピュータサービス株式会社(現・三菱電機インフォメーションテクノロジー)入社。1990年に有限会社ヌーベルバーグを創業、同社代表取締役。 出身高校の同窓会の案内をきっかけにインターネット上での仮想同窓会を着想、自らシステム構築をして同窓会サイト「この指とまれ!」を1996年5月に開設した。
山下 裕二(やました ゆうじ、1958年6月15日 - )は… 山下 裕二(やました ゆうじ、1958年6月15日 - )は、日本の美術史家・美術評論家・明治学院大学教授。 1958年、広島県呉市で生まれた。はじめは琴の演奏家をめざしていた[要出典]。東京大学文学部美術史学科に進学し、辻惟雄に師事した。日本美術史を専攻し、室町時代の水墨画を研究テーマとした。卒業後、同大学大学院に進み、修了。 1990年より明治学院大学文学部芸術学科で教鞭をとっている。現在、同大学教授。 1996年、赤瀬川原平と「日本美術応援団」を結成し、団長を務める。専門外でも様々な絵師や画家、作品を応援し、その普及と再評価に努めている。 専門は日本美術史。東京大学で辻惟雄に師事し、山下が監修した2019年の東京都美術館での展覧会「奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド」では、恩師の辻惟雄を特別顧問として招聘した。
唐井 直(からい ただし、1957年6月15日 - )は、神… 唐井 直(からい ただし、1957年6月15日 - )は、神奈川県横浜市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 早稲田大学政治経済学部を卒業 して、1980年に東芝に入団。1981年に全日空横浜サッカークラブへ移籍した。1985-86年シーズンは主将を務めたが、1986年3月22日の三菱重工戦の直前に競技場から姿を消して試合をボイコット(全日空横浜サッカークラブ・ボイコット事件)したことを理由として日本サッカー協会から無期限の出場停止処分を受けた(1989年に処分解除)。 1986年9月、横浜スポーツ&カルチャークラブ (Y.S.C.C.横浜)を創設。1990年1月から1994年6月まで公認会計士として青山監査法人(現:みすず監査法人)で勤務した。
俵 英三(たわら えいぞう、1957年6月15日 - )はフ… 俵 英三(たわら えいぞう、1957年6月15日 - )はフラメンコギターリスト。京都府出身。京都府立峰山高等学校、立命館大学産業社会学部卒業。 9歳からクラシックギターの英才教育を受けた。フラメンコギターに出会ったのは立命館大学のギタークラブ時代。1982年、スペイン・セビージャへ移住。日本人旅行者相手にスペイン語通訳兼ガイドをしながら生計を立て、フラメンコギタリストとしてプロデビュー。アンダルシア地方各地のタブラオ、フェスティバル、ライブ、劇場、テレビなどで活躍。 2002年には、ヘレスの大舞台フィエスタ・デ・オトーニョに、2003年には、フェスティバル・デ・ヘレスに、外国人として初めて出演するなどした。
古市 剛史(ふるいち たけし、1957年6月15日 - )は… 古市 剛史(ふるいち たけし、1957年6月15日 - )は、日本の霊長類学者、京都大学霊長類研究所教授。 大阪府出身。大阪府立三島高等学校卒業、1980年京都大学理学部卒業、1986年同大学院博士後期課程修了、「ニホンザル野生群における優劣関係の現われ方と社会的共存について」で京大理学博士。1991年明治学院大学一般教育部専任講師、1994年助教授、2000年教授、2002年国際学部教授、2008年京都大学霊長類研究所教授。 妻は京大霊長類研究所助教の橋本千絵(1964年 - )。
坂本 隆(さかもと たかし、1957年6月15日 - )は、… 坂本 隆(さかもと たかし、1957年6月15日 - )は、日本の経営者。東京都民銀行頭取、東京きらぼしフィナンシャルグループ会長を務めた。兵庫県出身。 1980年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に東京都民銀行に入行した。2009年に取締役に就任し、2014年に副頭取を経て、2016年4月には頭取に就任。2018年5月から2020年6月までに東京きらぼしフィナンシャルグループ会長を務めた
井上 力(いのうえ ちから、1957年〈昭和32年〉6月15… 井上 力(いのうえ ちから、1957年〈昭和32年〉6月15日 - )は、日本の海上自衛官。最終階級は海将。 青森県八戸市出身。防衛大学校(第24期)を卒業し、海上自衛隊に入隊。入隊後は主に艦艇や海上幕僚監部等で勤務したのち、第4護衛隊群司令、練習艦隊司令官、自衛艦隊司令部幕僚長、統合幕僚監部運用部長等の要職を歴任し、2012年(平成24年)7月から舞鶴地方総監を務め、2014年(平成26年)10月14日、第43代横須賀地方総監に任命された。2015年(平成27年)12月1日に退官。
大野 治夫(おおの はるお、1956年6月15日 - )は、… 大野 治夫(おおの はるお、1956年6月15日 - )は、ウェザーマップ所属の気象予報士、防災士である。 埼玉県本庄市出身。本庄市立本庄東中学校、埼玉県立熊谷高等学校、埼玉大学工学部機械工学科を卒業。 大学卒業後は自動車部品の会社に就職し、設計業務を担当した。 1993年、東京メトロポリタンテレビジョン(東京MXテレビ)開局時のお天気キャスターの公募に合格。気象予報士の森田正光にスカウトされ、ウェザーマップに所属する。 1995年5月に気象予報士として登録される。1996年からTBSラジオの番組に出演し、天気予報を行う。 2014年3月末をもって、長年出演していたTBSラジオから、開局時に所属していた東京MXテレビに気象デスクとして移籍した。
亀山 千広(かめやま ちひろ、1956年(昭和31年)6月1… 亀山 千広(かめやま ちひろ、1956年(昭和31年)6月15日 - )は、日本のテレビドラマプロデューサー、株式会社BSフジコンテンツアドバイザー。 株式会社フジテレビジョン代表取締役社長、株式会社フジ・メディア・ホールディングス取締役、株式会社BSフジ代表取締役社長を歴任した。 静岡県三島市出身。静岡県立韮山高等学校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。 早大在学中に三島在住であった映画監督五所平之助(当時日本映画監督協会理事長)の書生を務め、映画製作を経験。五所の助言によりテレビ業界を志す。読売テレビ解説委員を務めた辛坊治郎は、大学の同期で、共に同じ年にフジテレビを受験している。 1980年、同局入社。
小野 申人(おの しんじ、1956年〈昭和31年〉6月15日… 小野 申人(おの しんじ、1956年〈昭和31年〉6月15日 - )は、日本の政治家。第9代広島県府中市長(2期目)。元・府中市議会議員(4期、元・創生会会長)。府中市議会第23代・25代議長。一般社団法人府中青年会議所 第32代理事長。 広島県芦品郡新市町出身。1969年福山市立新市小学校卒業 1972年福山市立新市中央中学校卒業1975年 広島県立福山誠之館高等学校卒業、1979年 横浜国立大学卒業。 1979年(昭和54年)、旭化成入社。 1981年、菊水株式会社入社。 1994年(平成6年)1月、一般社団法人府中青年会議所 第32代理事長。 1999年、PTA会長。 2002年(平成14年)、府中市議会議員に初当選し、市議会会派「平成クラブ」に所属。
松本 敏郎(まつもと としろう、1956年6月15日 - )… 松本 敏郎(まつもと としろう、1956年6月15日 - )は、日本の政治家。高知県黒潮町長(1期)。元・黒潮町役場情報防災課課長。 高知県黒潮町出身。高知県立中村高等学校卒業。1975年7月に大方町役場入庁。2012年4月に情報防災課課長に就任し、2017年3月に黒潮町役場を退職。2018年5月にNPOあかつき理事長に就任し、2020年9月にNPOあかつきを退会。 2020年10月4日に行われた黒潮町長選挙で5375票(得票率97%)を獲得し、無所属新人で会社社長の小田々豊を破って初当選した。 2024年6月、町議会定例会で同年9月の町長選挙には立候補せず1期での退任を表明した。
平野 公三 (ひらの こうぞう、1956年6月15日 - )… 平野 公三 (ひらの こうぞう、1956年6月15日 - )は、日本の政治家。岩手県上閉伊郡大槌町町長(3期目)。前職は同町職員で、東日本大震災により当時の町長が死亡したため町長不在となっていた際に職務代理者を務めたことでも知られる。 安渡地区出身。駒澤大学法学部卒業。1980年に大槌町役場入庁。2010年、総務課主幹。2011年、総務課長。 2011年3月11日に東日本大震災が発生した際、当時の町長であった加藤宏暉が津波に巻き込まれて死亡した(3月19日遺体発見)。副町長である東梅政昭がただちに町長職務代理者となったが、東梅も同年6月20日をもって副町長の任期を満了したため両職とも退任となった。
大島 保彦(おおしま やすひこ、1955年6月15日 - )… 大島 保彦(おおしま やすひこ、1955年6月15日 - )は、日本の教育者、翻訳家。駿台予備学校英語科専任講師。東大進学塾エミール英語科講師。 群馬県立前橋高等学校卒業、東京大学文学部哲学科卒業、東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得満期退学、修士論文は『宗教比較の可能性 - ニコラウス・クザーヌスの場合』。 千葉大学、東海大学などで哲学の非常勤講師も務める。 2006年6月には大学英語教育学会関東支部大会の全体シンポジウム「なぜ英語力は低下したのか?」に参加している。
森村 進(もりむら すすむ、1955年6月15日 - )は、… 森村 進(もりむら すすむ、1955年6月15日 - )は、日本の法学者。一橋大学教授。専門は法哲学。東京都出身。妻は翻訳家、法学者の森村たまき。
原 健太郎(はら けんたろう、1955年6月15日 - )は… 原 健太郎(はら けんたろう、1955年6月15日 - )は、大衆演劇研究家、編集者。浅草芸能大賞専門審査委員。喜劇映画研究会の前身「喜劇研究会」の会員で、東京コメディ倶楽部代表、東京喜劇研究会幹部。 東京都世田谷区に生まれる。明治大学文学部(演劇学専攻)卒業(菅井幸雄に師事)。在学中の1976年、映画・演劇サークル「騒動舎」を創設し、ドタバタ喜劇の製作に乗り出す。のちの劇作家ケラリーノ・サンドロヴィッチも、当時高校生の身ながらこの一党に参加。「騒動舎」での後輩に「ジョビジョバ」などがいる。 卒業後、出版社くもん出版に編集者として勤務するかたわら、劇団「笑ボート」を旗揚げ。のち、改組して劇団「ズーズーC」となる。
タケ・ウケタ(1954年6月15日 - )は日本の俳優、歌手… タケ・ウケタ(1954年6月15日 - )は日本の俳優、歌手、リポーター。本名・旧芸名は北原 弘一。旧芸名は葵たかし。 東京都出身。日本大学第二高等学校卒業。成プロ企画所属。以前は東京俳優生活協同組合に所属していた。 1965年、テレビドラマ『チャコちゃんハーイ!』(TBS)でデビュー。 1975年、「恋人は妹のように」(葵たかし名義)でレコードデビュー。 特技は、ギター、ものまね。
布袋 嘉之(ほうたい よしゆき、1954年<昭和29年>6月… 布袋 嘉之(ほうたい よしゆき、1954年<昭和29年>6月15日 - )は、日本の地方公務員。鹿児島県副知事、鹿児島県信用保証協会会長を歴任。瑞宝中綬章受章。 鹿児島県出身。1977年 九州大学卒業、鹿児島県庁入庁。2013年 (平成25年) 4月 副知事就任、2017年3月 副知事退任、同年6月 鹿児島県信用保証協会会長就任、2018年6月 日本ガス取締役、2021年 (令和3年) 5月 鹿児島県信用保証協会会長退任、同年6月 鹿児島県社会福祉協議会会長就任、同月 鹿児島県共同募金会会長、2022年3月 鹿児島興業信組非常勤監事。
今川 晃(いまがわ あきら、1954年6月15日 - 201… 今川 晃(いまがわ あきら、1954年6月15日 - 2016年9月24日)は、日本の政治学者。同志社大学教授。専門は行政学、行政統制論、地方自治論。佐藤竺に師事。 2016年9月24日に急性心筋梗塞のため死去。
山田 隆司(やまだ たかし、1954年6月15日 - )は、… 山田 隆司(やまだ たかし、1954年6月15日 - )は、日本の脚本家、構成作家。山梨県出身。法政大学卒業。 1979年に『宇宙空母ブルーノア』第8話「あの塔を撃て!」で脚本家デビュー。執筆作品は主にアニメ、特撮や、ノベライズ。 栗山緑というペンネームも持っている(『明日のナージャ』のみK・Y・グリーンという栗山緑の変名を使用)。
中西 勝則(なかにし かつのり、1953年(昭和28年)6月… 中西 勝則(なかにし かつのり、1953年(昭和28年)6月15日 - )は、日本の銀行家、実業家。しずおかフィナンシャルグループ代表取締役会長兼静岡銀行取締役会長。静岡県経営者協会会長。 静岡県庵原郡蒲原町(現:静岡市清水区)にて運送業を営む家庭に生まれる。 父が中学3年時に病死し、長男である中西は家計を支えるため実業高等学校へ入学すべきか悩んだ末に、静岡県立清水東高等学校への進学を選択した。また小学校から高校まで児童・生徒会長を務めた。高校卒業後、国立大学の理系学部への進学を希望していたが、不合格であったことから併願していた慶應義塾大学商学部に進む。同大時代には学費こそは母に負担してもらったが、生活費はすべてアルバイトで捻出した。
高木 孝治(たかぎ こうじ、1952年6月15日 - )は、… 高木 孝治(たかぎ こうじ、1952年6月15日 - )は、茨城県勝田市(現在のひたちなか市)出身の元プロ野球選手(投手)。 水城高では1969年秋季関東大会県予選準決勝に進むが、磯原高に9回裏逆転サヨナラ負けを喫した。その後も県予選で敗れ甲子園には届かなかった。 高校卒業後は、日本鉱業日立に進む。エースとして鈴木康二朗がおり、あまり出場の機会はなかった。 1972年のプロ野球ドラフト会議で近鉄バファローズから7位指名を受け入団した。 なかなか一軍に上がれなかったが、1976年に一軍初登板を果たすと主に中継ぎで21試合に登板した。 1978年シーズン途中、野崎恒男との交換トレードで中島浩一と共にクラウンライターライオンズに移籍した。
柏原 純一(かしわばら じゅんいち、1952年6月15日 -… 柏原 純一(かしわばら じゅんいち、1952年6月15日 - )は、熊本県八代市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ、解説者・評論家・YouTuber。 実家はイグサ農家で、母親は代用教員をしていたという家庭だった。4人きょうだいの第3子(姉、兄、妹がいる)。高校から本格的に野球を始め、八代東高校では3年次の1970年、春の選抜にエースとして出場。1回戦で日大三高の渡部良克(日大)と投げ合うも0-2で完封負けを喫した。同年の夏の甲子園県予選では、準々決勝で熊本一工に延長15回の末、敗退した。 同年のドラフトで南海ホークスから8位指名を受け、外野手として入団。当時は中央球界ではまだ無名の存在で、地元のファンがたまたま訪れていた南海のスカウトに紹介したことがそのままプロ入りに繋がったという。
八重樫 幸雄(やえがし ゆきお、1951年6月15日 - )… 八重樫 幸雄(やえがし ゆきお、1951年6月15日 - )は、宮城県仙台市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ・監督。野球解説者。 宮城県仙台市に生まれる。 仙台商高では1年生の時に一塁手、7番打者として、1967年の夏の甲子園に出場。2回戦で、同大会に優勝した習志野高と対戦し敗れている。翌1968年からは正捕手となり、夏の県大会に出場するが、東北大会準決勝で東北高と対戦し、チームは相手校のエース佐藤政夫に抑えられ惜敗した。秋は東北大会決勝で三沢高の太田幸司に完封負け。1969年夏は東北大会準決勝をで磐城高を延長15回の末に破るなどの躍進で優勝。夏の甲子園には4番打者として本大会に出場した。2回戦では広陵高の佐伯和司を打ち崩し、仙台商高は同校として初の夏の甲子園ベスト8まで駒を進めるが、準々決勝で玉島商のエース松枝克幸(法大-西川物産)に抑えられ敗退した。
垣野 多鶴(かきの たづる、1951年6月15日 - 202… 垣野 多鶴(かきの たづる、1951年6月15日 - 2021年4月4日)は、野球選手(内野手)・監督。元社会人野球・NTT東日本硬式野球部監督。第15回アジア競技大会野球日本代表監督。 長崎県佐世保市出身。長崎県立佐世保工業高等学校では、1968年の2年次に右翼手、一番打者として夏の甲子園県予選決勝に進むが、海星高に敗退。翌1969年夏も県予選準決勝で長崎工に敗れ、甲子園には届かなかった。 1970年に卒業後、東海大学に進学し内野手として活躍。首都大学野球リーグでは、いずれも秋季に4回の優勝を経験。リーグ戦通算82試合出場、297打数95安打、打率.320、12本塁打、52打点。ベストナイン6回(遊撃手1回、二塁手5回)受賞。
中桐 大寿(なかぎり だいじゅ、1951年6月15日 - )… 中桐 大寿(なかぎり だいじゅ、1951年6月15日 - )は、日本の経営システム工学者・知的財産学者。大阪工業大学知的財産学部元教授、工経会会員。工業経営学修士。青藍会副会長。日本経営工学会関西支部元役員。日本経営システム学会関西支部第7期運営委員。 専門は、経営工学/経営システム工学・経営情報学、知的財産・技術マネジメント(特にQC、MRP、OR)、マーケティング科学/経済工学・行動科学。 1974年大阪工業大学工学部工業経営学科(のちの経営工学科)卒業。1976年同大学院工業経営学専攻修士課程修了。摂南大学経営情報学部助教授などを経て、2006年大阪工業大学知的財産学部教授。2017年大阪工業大学退官。
岩崎 清隆(いわさき きよたか、1951年6月15日 - )… 岩崎 清隆(いわさき きよたか、1951年6月15日 - )は、福岡県福岡市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手、内野手。 博多工業高校では1968年、2年生の時に一塁手として春の選抜に出場。1回戦で平安高の池田信夫に完封負け。この試合でリリーフとして甲子園初登板を果たす。その後、エースとして今久留主邦明とバッテリーを組み、同年の秋季九州大会で決勝に進出。宮崎商の西井哲夫と投げ合うが惜敗した。1969年の春の選抜に連続出場。準々決勝で県岐阜商の鍛治舎巧に投げ勝ち、準決勝に進むが、堀越高校の但田裕介に完封負けを喫する。他の高校同期に遊撃手の入江道生がいる。 1969年ドラフト会議で東映フライヤーズから4位指名を受け入団。
あべ 十全(あべ じゅうぜん、1950年6月15日 - )は… あべ 十全(あべ じゅうぜん、1950年6月15日 - )は、日本のローカルタレント、歌手、政治家。秋田県由利本荘市議会議員(2期)。ボランティアサークル「ビーンズ会」会長。 本名は阿部 十全(読み同じ、政治家としては本名名義)。秋田県本荘市(現:由利本荘市)出身(生まれは旧由利郡東由利町)。1973年、フォークグループ『田吾作』としてデビュー。『田吾作音頭』がヒットした。1987年10月15日から2017年9月18日まで、秋田放送の人気ラジオ番組『歌謡曲ふれあいリクエスト』に出演、親近感のある秋田弁トークが人気を博す。 2017年10月22日に由利本荘市議会議員選挙に当選。2021年10月17日の市議選にも再選。
村上 義則(むらかみ よしのり、1950年6月15日 - )… 村上 義則(むらかみ よしのり、1950年6月15日 - )は、香川県小豆郡小豆島町出身の元プロ野球選手(投手)。中日ドラゴンズに所属した。
竹居明男(たけい あきお、1950年6月15日 - )は、同… 竹居明男(たけい あきお、1950年6月15日 - )は、同志社大学名誉教授。文化史家。専門は天神信仰。 1950年京都市に生まれ、洛星高校を経て、1969年同志社大学文学部文化学科文化史学専攻に入学、笠井昌昭に師事。1972年修士課程入学、1979年同志社大学文学部助手、1981年専任講師、1984年助教授、1990年教授、2016年定年退職、名誉教授。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
野尻 俊明(のじり としあき、1950年6月15日 - )は… 野尻 俊明(のじり としあき、1950年6月15日 - )は、日本の法学者。専攻は、独占禁止法・物流政策。学校法人流通経済大学顧問。前学校法人流通経済大学理事長。元流通経済大学学長。栃木県石橋町出身。 生家の家業が鉄道貨物輸送を利用した通運業を営んでいた事から、干瓢、益子焼、貨物輸送に用いる馬など、輸送貨物として持ち込まれる様々な商品の流通過程に興味を持つ。この経験が、物流への学問的関心を覚えた原点と語っている。 専攻は独占禁止法、物流政策の法学者。国内外の運輸・物流関係(特に陸運・鉄道貨物輸送分野)の法体系や政策に精通する、国内では数少ない経済法研究者である[要出典]。 趣味は、バードウォッチング。
斉藤 清六(さいとう せいろく、本名:斎藤 精陸(読みは同じ… 斉藤 清六(さいとう せいろく、本名:斎藤 精陸(読みは同じ)、1948年6月15日 - )は、日本の俳優、お笑いタレント。欽ちゃんファミリーの一人であった。 東京都北区赤羽出身。日本大学法学部卒業。浅井企画所属であったが後に独立し、個人事務所「清六企画」を立ち上げた。 実家は米屋であった。地元区立小中学校を経て日大豊山高校入学。演芸が好きで中学高校時代に浅草等に通う。付属校対象による日大統一試験により内部推薦で日大法学部へ入学するも、学園紛争のあおりでレポートのみで卒業した。本人がメディア・著作で語ったところによると、学園紛争が無かったら卒業出来なかったという。 1971年、萩本欽一に弟子入りを求めて押しかける。
牧野 広義(牧野 廣義、まきの ひろよし、1948年6月15… 牧野 広義(牧野 廣義、まきの ひろよし、1948年6月15日- )は、日本の哲学研究者、阪南大学名誉教授。ヘーゲル弁証法が専門。関西勤労者教育協会会長。 奈良県生まれ。1971年京都大学文学部哲学科卒、1977年同大学院博士課程単位取得満期退学、大阪経済法科大学教養部講師、助教授、阪南大学経営情報学部教授。労働者教育協会副会長。
兜 眞徳(かぶと みちのり、1948年6月15日 - 200… 兜 眞徳(かぶと みちのり、1948年6月15日 - 2006年10月10日)は、日本の疫学研究者。 「生活環境中電磁界による小児の健康リスクに関する研究」、通称、兜研究を担当した。
藤森 利雄(ふじもり としお、1948年6月15日 - )は… 藤森 利雄(ふじもり としお、1948年6月15日 - )は、日本の実業家。名港海運代表取締役社長を経て、同社代表取締役会長、名古屋商工会議所副会頭、愛知県公安委員会委員長、日本港運協会副会長、名古屋税関保税会会長、東海港運協会会長、名古屋港運協会会長。黄綬褒章受章。 愛知県出身。1971年南山大学経済学部卒業、名港海運入社。2000年業務企画室長。2003年取締役業務部長兼業務企画室長に昇格。2007年常務取締役。2011年専務取締役。2013年から代表取締役社長を務めた。2016年には小林耕士、安井香一らとともに名古屋商工会議所副会頭に選任された。 平成30年度海事関係大臣表彰受賞。2019年名港海運代表取締役副会長。
柳瀬 房子(やなせ ふさこ、1948年6月15日 - )は、… 柳瀬 房子(やなせ ふさこ、1948年6月15日 - )は、日本の作家、反地雷活動家。 東京都生まれ。フェリス女学院短期大学卒。特定非営利活動法人「難民を助ける会(AAR Japan)」理事長(2000年-2008年6月)、同会会長(2009年7月~)。地雷撤去キャンペーン絵本「地雷ではなく花をください」により日本絵本賞読者賞受賞。1996年多年にわたる国際協力活動により、外務大臣表彰を受ける。2002-2004年法務省出入国管理政策懇談会難民問題に関する専門部会委員。 2021年4月21日に衆議院法務委員会で「難民を助ける会」からの参考人として、「参与員制度が始まったのは2005年からですので、私は既に17年間、参与員の任にあります。
秋山 佐和子(あきやま さわこ、1947年6月15日 - )… 秋山 佐和子(あきやま さわこ、1947年6月15日 - )は、日本の歌人、近代日本文学研究者。現代歌人協会理事。日本歌人クラブ中央幹事。 山梨県東山梨郡後屋敷村(現山梨市)生まれ。旧姓、堀内。山梨英和中学校・高等学校、國學院大學文学部卒。岡野弘彦に師事し、1974年「人」短歌会入会。1985年、「応答に抑揚ひくき日本語よ - 宮柊二の歌とともに」で第3回現代短歌評論賞次席。日本語教師として働くかたわら、1990年の第5回「現代短歌を評論する会」にて「フェミニズムを体現した歌人たち」のテーマで研究発表。以後、三ヶ島葭子などの女性歌人を中心に「青鞜」の女性運動について研究を行うようになる。 1993年、「人」解散に伴い藤井常世主宰の「笛」に参加。
立山 良司(たてやま りょうじ、1947年6月15日 - )… 立山 良司(たてやま りょうじ、1947年6月15日 - )は、国際政治学者、防衛大学校名誉教授。
山本 麗子(やまもと れいこ、1947年6月15日- )は、… 山本 麗子(やまもと れいこ、1947年6月15日- )は、宮城県出身の料理研究家(クッキングプロデューサー)。日本体育大学女子短期大学部卒業。 4歳から東京で暮らし、台湾で生活をした両親の影響で中国料理に目覚め、今も年に数回中国に出掛ける。20代にフランス料理を食べ歩き。フランスを中心にヨーロッパ等で料理を学ぶ。その後、香港をはじめとしてアジア料理の研究を重ね、広く和洋中の料理を探求。リヨンのピラミッドで衝撃的なタルトタタンに出会い、ケーキ、デザートの道に入る。1994年、長野県北佐久郡北御牧村(現在の東御市)に移住し、自宅で料理、お菓子教室を主宰している。北は北海道、南は沖縄から通う受講生もいる。
小倉 エージ(おぐら エージ、本名:小倉 栄司(おぐら えい… 小倉 エージ(おぐら エージ、本名:小倉 栄司(おぐら えいじ)、1946年〈昭和21年〉6月15日 - )は、日本の音楽評論家、料理評論家。 兵庫県神戸市出身。甲南大学卒業後、URCレコードのディレクターとなり、はっぴいえんどのデビューアルバム『はっぴいえんど』の制作を手がけた(12弦ギターも演奏)。 またその頃、音楽雑誌『ニュー・ミュージック・マガジン』(現『ミュージック・マガジン』(ミュージック・マガジン))の創刊に携わり、以後は主に音楽評論家として活動している。 洋楽から歌謡曲、アジアン・ポップスまで評論の幅は広く、日本レコード大賞の審査員も務めるなど、音楽業界の重鎮の一人である。NHK-FMの人気番組だった『クロスオーバーイレブン』の選曲も長きに渡り担当していた。
寺本 勇(てらもと いさむ、1945年6月15日 - 198… 寺本 勇(てらもと いさむ、1945年6月15日 - 1983年2月8日)は、日本の元プロ野球選手(外野手)。 島根県八束郡美保関町日向出身。鳥取県立境高等学校を経て、1963年に広島カープに入団。しかし、在籍3年で5試合の出場(打席記録なし)に終わり、1966年に現役引退。
藤沼 昇(ふじぬま のぼる、1945年6月15日 - )は、… 藤沼 昇(ふじぬま のぼる、1945年6月15日 - )は、日本の竹工芸家。重要無形文化財保持者(人間国宝)。 栃木県大田原市に生まれる。地元の工業高校卒業後外資系企業に就職。一念発起して1976年(昭和51年)30歳で地元の竹工芸作家・八木澤啓造に師事。僅か一年半で独立して以来独学で竹工芸を学んだ。 精緻で日本の伝統を重んじながらも独創的な作品は、高い評価を受け、1980年(昭和55年)の初入選より日本伝統工芸展で受賞を重ね、1986年(昭和61年)日本工芸会会長賞、1992年(平成4年)東京都知事賞受賞。2004年(平成16年)紫綬褒章受章。2010年特別展日本伝統工芸展第50回記念では、アサヒビール大山崎山荘美術館賞受賞。
三田村 周三(みたむら しゅうぞう、1944年6月15日 -… 三田村 周三(みたむら しゅうぞう、1944年6月15日 - )は、北海道出身の俳優。 劇団三田村組主宰。バウスプリット株式会社所属。 北海道札幌南高等学校、舞台芸術学院卒業。劇団地球座を経て、1971年に劇作家・金杉忠男と出会い、金杉が率いる劇団中村座に入団。以降、1990年の同劇団解散まで全ての作品に出演する。現在も主に舞台を中心に活動する一方、映画やテレビドラマなどにも度々出演している。 舞台では自身の劇団の他、MODEや星屑の会などに中心俳優として客演。テレビドラマではフジテレビ系『イマジン』で、主演の深田恭子の隣に住むおじさん役を演じ、毎回数分の出演ながら強い印象を残した。
花野昭男(はなの あきお、1944年6月15日 - 2006… 花野昭男(はなの あきお、1944年6月15日 - 2006年9月23日)は日本の大蔵官僚。血液型はA型。東京都世田谷区梅丘2丁目在住。理財局総務課長、東海財務局長、大臣官房審議官(銀行局担当)、造幣局長、預金保険機構理事、全国信用協同組合連合会理事長などを務めた。 神奈川県川崎市出身(父母は新潟県)。東京都立雪谷高等学校、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。1967年 大蔵省に入省(大臣官房文書課)。1972年7月 加治木税務署長。1973年7月 杉並税務署長。その後は主計局主計官補佐(建設第一、二係主査)、主計局主計官補佐(公共事業総括、第一係主査)などを務める。1986年7月 大臣官房参事官(理財局資金第一課担当)。
喜安 幸夫(きやす ゆきお、1944年6月15日 - )は、… 喜安 幸夫(きやす ゆきお、1944年6月15日 - )は、日本の作家。時代小説を多く執筆している。 中華民国生まれ。兵庫県姫路市出身。埼玉県新座市在住。国士舘大学政経学部卒。台湾大学政治研究所修了。1998年『台湾の歴史』で第7回日本文芸家クラブノンフィクション賞受賞、2001年『はだしの小源太』『身代わり忠義』等で第30回池内祥三文学奨励賞受賞。主な代表作:『台湾の歴史』、『大江戸番太郎』シリーズ(※木戸番人・杢之助を主人公とした時代小説の捕物シリーズで、廣済堂出版 → 光文社と出版社を跨いで継続している長期作品)。日本文芸家クラブ、日本歴史時代作家協会会員、一般財団法人新鷹会理事。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
小倉 充夫(おぐら みつお、1944年6月15日 - )は、… 小倉 充夫(おぐら みつお、1944年6月15日 - )は、日本の社会学者・アフリカ学者、津田塾大学名誉教授。 父は農林官僚・経済学者の小倉武一。兄は外交官の小倉和夫。 東京都出身。東京都立日比谷高等学校を経て、1968年東京大学文学部社会学科卒業。1973年同大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。津田塾大学講師・助教授、在ザンビア日本大使館専門調査員、津田塾大学教授、上智大学教授、津田塾大学学芸学部教授を務めた。2015年定年、名誉教授となる。
梁瀬行雄(やなせ ゆきお、1944年(昭和19年)6月15日… 梁瀬行雄(やなせ ゆきお、1944年(昭和19年)6月15日 - )は、日本の銀行家。元あさひ銀行頭取、オリックス相談役。 旧・埼玉銀行出身で、あさひ銀行最後の頭取。大和銀ホールディングスとの経営統合を決断し、りそなホールディングスの副社長を兼任。りそな銀行発足後にはHDの副社長専任となり、2003年の株主総会後に社長昇格が内定していたが、りそなグループの国有化で就任辞退を余儀なくされた。 その後、オリックスグループCEOの宮内義彦によってオリックスに迎えられ、同社の社長を歴任後、相談役に退いた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
志田 威(しだ たけし、 (1943-06-15) 1943… 志田 威(しだ たけし、 (1943-06-15) 1943年6月15日 - )は、日本の街道研究家。 元東海旅客鉄道株式会社(JR東海)専務取締役・元ジェイアール東海不動産社長。 東海道町民生活歴史館館長、特定非営利活動法人生涯学習・健康福祉推進センター理事長、恵那市観光協会恵那観光大使、朝日大学客員教授を務めながら、正しい街道文化を伝えるとともに観光誘客による地域活性化を促進するため「東海道57次交流会」「街道交流会」「東海道57次講演会」「東海道・街道文化シンポジウム」等の講演会を開催している。 1967年に東京大学経済学部を卒業して日本国有鉄道(現JR)に入社。 1973年名古屋鉄道管理局人事課長、1983年大阪鉄道管理局総務部長、1985年国鉄本社経理局調査役。