島崎 憲明(しまざき のりあき、1946年8月19日 - )… 島崎 憲明(しまざき のりあき、1946年8月19日 - )は、日本の実業家。長く住友商事に勤め、代表取締役副社長を経て特別顧問となっているのをはじめ、様々な企業や団体の役員を歴任している。 北海道網走支庁(後のオホーツク総合振興局)の、後の湧別町に生まれた。先祖は、旧・高岡藩から屯田兵として北海道に入植した一族であるという。 北海道湧別高校まで地元で過ごした後、小樽商科大学商学部に進み、智明寮で寮生活を送りながらバスケットボールに打ち込み、さらに応援団長なども務めた。 1969年に小樽商科大学を卒業して、住友商事に入り、大阪で経理畑を経験した後、東京勤務を経て、ニューヨーク駐在員として8年間勤務した。
川越 泰博(かわごえ やすひろ、1946年8月19日 - )… 川越 泰博(かわごえ やすひろ、1946年8月19日 - )は、日本の東洋史学者、中央大学名誉教授。 宮崎県日南市生まれ。1976年中央大学大学院文学研究科東洋史学科博士課程単位取得満期退学、1996年「明代建文朝史の研究」で博士(史学)の学位を取得。1984年中央大学文学部専任講師、1987年助教授、1992年教授となり、2017年定年、名誉教授。明代史が専門。
中島 平三(なかじま へいぞう、1946年8月19日 - )… 中島 平三(なかじま へいぞう、1946年8月19日 - )は、日本の言語学者・英語学者。旧・東京都立大学名誉教授、学習院大学元教授。ランニング、テニス、登山などが趣味[要出典]。 東京都出身。専門領域は理論言語学、生成文法、英語学。英語の記述的研究、言語特質の理論的研究、言語脳科学でERP(事象関連電位)・fMRIを用いた言語学的仮説の実験研究などを手掛ける。Ph.D.(言語学)。 旧・東京都立大学法経学部に入学し、法学部と経済学部に分離したため経済学部に入るが、二年生で人文学部英文科に転部、1970年卒業、72年同大学院修士課程修了、80年からアリゾナ大学大学院博士課程に学び、82年アリゾナ大学大学院言語学科でPh.D.取得。
小野沢 愛子(おのざわ あいこ、1945年8月19日 - )… 小野沢 愛子(おのざわ あいこ、1945年8月19日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。メキシコオリンピック銀メダリスト。 神奈川県津久井郡中野町(現相模原市緑区)出身。高身長だったため、先生の強い勧めで中学1年よりバレーボールを始める。中学時代には陸上競技大会の砲丸投で全国10位入賞の経験がある。 高校は県内強豪校の京浜女子商業高校に進学し、1961年の秋田国体3位入賞に貢献した。卒業後は実業団のヤシカに入部する。 1967年度の第1回日本リーグでは、スパイク賞とブロック賞を獲得し、ヤシカは準優勝ながら最優秀選手に選出された。 1967年に全日本メンバーに選出され、同年の世界選手権優勝、1968年のメキシコオリンピック準優勝に貢献した。
榛名 由梨(はるな ゆり、1945年〈昭和20年〉8月19日… 榛名 由梨(はるな ゆり、1945年〈昭和20年〉8月19日 - )は、兵庫県三田市出身の女優。元宝塚歌劇団月組・花組トップスターで専科にも所属した。 本名:山下 正代(やました まさよ)、愛称はショーちゃん。身長(現在の公称)166cm、血液型A型。現在の所属事務所は株式会社Brilliant由梨Office。 大の宝塚ファン同士の両親のもとに第一子として出生、兄弟は弟がひとり、また父方の祖父に日本画家・山下摩起(やました まき)がいた。 中学1年生から3年間、宝塚コドモアテネに通い、西宮市立大社中学校卒業後、宝塚音楽学校入学。芸名は当時実弟が所有していた旧海軍の『榛名』の模型から命名した。 1963年、宝塚歌劇団に入団。
佐藤 一子(さとう かつこ、1944年8月19日 - )は、… 佐藤 一子(さとう かつこ、1944年8月19日 - )は、日本の教育学者。勲等は瑞宝中綬章。東京大学名誉教授。 東京都目黒区生まれ。東京都立新宿高等学校卒、1967年東京大学教育学部教育行政学科卒業、1974年同大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。1976年埼玉大学教育学部講師、1979年助教授、1992年教授、1993年東京大学教育学部(のち教育学研究科)教授、2007年定年退任し、名誉教授、法政大学キャリアデザイン学部教授となる。2015年退職。専門は社会教育学・生涯学習論。読売教育賞審査委員、葛飾区くみんカレッジ理事。 2025年秋の叙勲で瑞宝中綬章を受章。
池原 年昭(いけはら としあき、1944年8月19日 - )… 池原 年昭(いけはら としあき、1944年8月19日 - )は、日本の経営者。飛島建設社長を務めた。大阪府出身。 1967年に京都大学工学部を卒業し、同年に飛島建設に入社。2005年6月に社長に就任。2008年10月に特別顧問に就任。
桜井 紘一(さくらい こういち、1944年8月19日 - )… 桜井 紘一(さくらい こういち、1944年8月19日 - )は、日本の経営者。兵庫県出身。 1967年に東京大学工学部を卒業。日本国有鉄道での勤務を経て、1998年に西日本旅客鉄道専務、2000年に西日本JRバス社長を歴任し、2004年6月には近畿車輛社長に就任。2012年6月には取締役相談役に退いた。
村瀬 春樹(むらせ はるき、1944年8月19日 - )は、… 村瀬 春樹(むらせ はるき、1944年8月19日 - )は、日本のエッセイスト。神奈川県横浜市生まれ。1964年、早稲田大学政経学部新聞学科に入学し、独立プロダクションの反戦映画製作などに関わる。大学卒業後、1970年から、パートナーのゆみこ・ながい・むらせとともに吉祥寺でライブハウス「ぐゎらん堂」を主宰(ぐゎらん堂は1985年に閉店)。1979年、通信販売会社に入社。1980年にハウスハズバンド(主夫)となり、のちに『怪傑!ハウスハズバンド』(1984年)を刊行。住宅、家族等をテーマにエッセイを執筆。
庄司 正弘(しょうじ まさひろ、1943年8月19日 - )… 庄司 正弘(しょうじ まさひろ、1943年8月19日 - )は、日本の工学者である。専門は熱流体、東京大学名誉教授、神奈川大学名誉教授。元神奈川大学工学部機械工学科教授。元神奈川大学工学部長兼第二工学部長。
楢崎 欣弥(ならざき きんや、1943年8月19日 - 20… 楢崎 欣弥(ならざき きんや、1943年8月19日 - 2019年3月15日)は、日本の政治家。民主党所属の元衆議院議員(2期)。 衆議院議員、社会民主連合書記長・副代表を務めた楢崎弥之助は父。母は、部落解放同盟執行委員長の松本治一郎の姪の長女である。名前は泉鏡花の『瀧の白糸』に登場する検事・村越欣弥に由来。 福岡県福岡市生まれ。東福岡高等学校、日本大学法学部政治経済学科卒業。大学卒業後、農用地開発機械公団(現森林整備センター)勤務を経て、父・楢崎弥之助の秘書を務める。 1996年、第41回衆議院議員総選挙に新進党公認で福岡3区から立候補したが、自由民主党の太田誠一に敗れ、落選した。福岡3区は、父・弥之助の選出選挙区であった旧福岡1区に含まれる。
二代目 松本 白鸚(にだいめ まつもと はくおう、1942年… 二代目 松本 白鸚(にだいめ まつもと はくおう、1942年〈昭和17年〉8月19日 - )は、日本の歌舞伎役者、日本舞踊家、俳優。屋号は高麗屋。定紋は四つ花菱、替紋は浮線蝶。歌舞伎名跡「松本白鸚」の当代。前名の九代目 松本 幸四郎(くだいめ まつもと こうしろう)としても知られる。俳名に錦升(きんしょう)がある。また舞台演出家としては九代 琴松(くだい きんしょう)の名を用いることがある。東京都出身。暁星中学校・高等学校卒業、早稲田大学第一文学部文学科演劇専修中退。本名は藤間 昭曉(ふじま てるあき)。 日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受賞者。 身長175cm、体重78kg、血液型B型。 歌舞伎では、お家の高麗屋の芸を継承するだけでなく、外祖父の播磨屋の重厚な演目も受け継いでおり、『勧進帳』の武蔵坊弁慶役は1200回という現役最多の出演記録を誇り、時代物の主人公役は高く評価される。
九代目 松本幸四郎(くだいめ まつもと こうしろう、1942… 九代目 松本幸四郎(くだいめ まつもと こうしろう、1942年8月19日 - )は、日本の俳優、歌舞伎役者、舞踊家。日本藝術院会員。本名、藤間 昭暁(ふじま てるあき)。
中山 賢一(なかやま けんいち、1941年8月19日 - )… 中山 賢一(なかやま けんいち、1941年8月19日 - )は、日本の経営者。小松マテーレ代表取締役会長兼社長、日本染色協会会長、石川県染色工業協同組合理事長などを歴任。 1941年(昭和16年)石川県小松市生まれ。石川県立小松高等学校卒業後、1964年同志社大学経済学部卒業
後藤 卓也(ごとう たくや、1940年8月19日 - )は、… 後藤 卓也(ごとう たくや、1940年8月19日 - )は、東京都出身、日本の経営者。元花王株式会社代表取締役社長、元花王株式会社取締役会長。現在は、日本マーケティング協会会長、オリンパス株式会社の社外取締役などを務める。
宇田 一明(うだ かずあき、1940年8月19日- )は、日… 宇田 一明(うだ かずあき、1940年8月19日- )は、日本の法学者。専門は商法。札幌学院大学名誉教授。弁護士、弁護士法人愛知リーガルクリニック代表社員。愛知県名古屋市出身。 1964年愛知大学法経学部法学科卒業。1969年愛知大学大学院法学研究科単位取得満期退学。 1969年愛知大学法経学部助手。浜松短期大学幼児教育科非常勤講師。1970年札幌学院大学商学部専任講師、1975年同商学部助教授。1976年札幌学院大学商学部教授。1983年札幌学院大学法学部教授。1996年札幌学院大学大学院法学研究科教授。2005年札幌学院大学早期退職。同名誉教授。弁護士登録。愛知大学大学院法務研究科教授。2010年愛知大学定年退職。
仲井眞 弘多(なかいま ひろかず、1939年8月19日 - … 仲井眞 弘多(なかいま ひろかず、1939年8月19日 - )は、日本の通産官僚、実業家、政治家。沖縄県知事(本土復帰後第6代)。報道などでは新字体を用い仲井真 弘多とも表記される。
西永 頌(にしなが たたう、1939年8月19日 - )は、… 西永 頌(にしなが たたう、1939年8月19日 - )は、日本の工学者。工学博士(名古屋大学)。専門は、半導体工学、結晶成長学。東京大学教授等を経て、豊橋技術科学大学学長(2002年-2008年)。東京大学名誉教授。豊橋技術科学大学名誉教授。栃木県生まれ。 半導体結晶を作る技術の世界的権威で、日本結晶成長学会会長(1994年-1996年)、結晶成長国際機構(IOCG)会長(1995年-2001年)等を歴任。また、結晶成長国際機構(IOCG)Laudise賞、日本結晶成長学会業績賞等を受賞。
植松 敏(うえまつ さとし、1938年8月19日 - )は、… 植松 敏(うえまつ さとし、1938年8月19日 - )は、日本の官僚。特許庁長官などを歴任。 神奈川県藤沢町(現在の藤沢市)生まれ。神奈川県立湘南高等学校から東京大学に入学。東京大学法学部第2類(公法コース)在学中に国家公務員上級甲種試験をトップ合格。1961年、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業、同年通商産業省入省(大臣官房総務課)。 同期には内藤正久(産業政策局長)、佐藤剛男、山本貞一(資源エネルギー庁長官、川崎製鉄副社長)、和田文雄(日本自転車振興会副会長)、三野正博(第二電電専務)などがいるが、事務次官は出ていない。 特許庁長官を務めた後に退官してからは、中小企業金融公庫理事となり、1993年7月から1998年12月まで公正取引委員会委員。
小櫻 秀爾(こざくら しゅうじ、1938年8月19日 - )… 小櫻 秀爾(こざくら しゅうじ、1938年8月19日 - )は日本の作曲家。 愛知県名古屋市出身。1961年に愛知学芸大学(現在の愛知教育大学)を卒業した後、東京芸術大学で長谷川良夫、南弘明らに作曲を学び、1970年に卒業した。長く名古屋音楽大学に勤め、現在は名誉教授。 1977年「ふしぎなマンドリン」で第2回日本マンドリン合奏曲作曲コンクール佳作入選。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。
當間 一郎(当間一郎、とうま いちろう、1938年8月19日… 當間 一郎(当間一郎、とうま いちろう、1938年8月19日 - 2020年6月18日)は、日本の沖縄芸能研究者。 サイパン島生まれ、沖縄県那覇市出身。1960年に國學院大學文学部文学科を卒業した。大学時代に宮良當壯と出会い、組踊写本などの芸能研究を行うようになり、写本の発掘・整理、組踊の復活上演、真境名由康・島袋光裕らの実演家との交流、沖縄藝能史研究会の立ち上げなど、沖縄芸能の発展と継承に貢献した。沖縄県立博物館・美術館館長も務めた。 2020年6月18日、腎臓癌のため糸満市の病院で死去。
若林 薫(わかばやし かおる、1938年8月19日 - )は… 若林 薫(わかばやし かおる、1938年8月19日 - )は、東京府東京市(現・東京都)出身の元バスケットボール選手。 東京教育大学在学中、全日本に選ばれローマオリンピックに出場。 卒業後、日本鋼管に入社。全日本で活躍し、1963年世界選手権と東京オリンピック、1967年世界選手権に出場。 この項目は、バスケットボール関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:BASKET)。
水田 宗子(みずた のりこ、1937年8月19日 - )は、… 水田 宗子(みずた のりこ、1937年8月19日 - )は、日本の比較文学者、詩人。学校法人城西大学理事長や理事を歴任したが、不適切な支出で理事長を2016年に辞任し、理事を2017年9月に解任された。 東京府東京市大森区生まれ。父は城西大学創立者で大蔵大臣の水田三喜男。第二次世界大戦時に父の故郷千葉県安房郡曽呂村と勝山町で疎開する。 雙葉小学校、雙葉中学校、高等学校を経て、東京女子大学文理学部英米文学科を卒業後、1970年にイェール大学大学院で博士(アメリカ文学)。1970年からメリー・マウント大学、スクリップス大学英文学部で助教授として現代英米文学、批評理論などを担当し、1974年から南カリフォルニア大学で比較文学部助教授、準教授を務め、アメリカ文学、日欧米比較文学、フェミニズム批評理論などを講義した。
下山田 裕彦(しもやまだ やすひこ、1937年8月19日- … 下山田 裕彦(しもやまだ やすひこ、1937年8月19日- )は、日本の教育学者。静岡大学名誉教授。 国際基督教大学教育学科卒、東京教育大学大学院博士課程満期退学、白梅学園短期大学講師、1973年静岡大学教育学部助教授、1982年教授、静岡大学教育学部附属養護学校長、国立音楽大学教授。
安原 裕(やすはら ひろし、1936年8月19日 - )は、… 安原 裕(やすはら ひろし、1936年8月19日 - )は、日本の経営者。富士紡績社長、会長を務めた。 岡山県高梁市出身。1961年に学習院大学政経学部政治学科を卒業し、同年に富士紡績に入社。1990年6月に取締役に就任し、1991年6月に常務、1996年12月に専務を経て、1998年6月に社長に就任。2001年6月に取締役相談役を経て、2002年6月には顧問に就任。
稲垣 正夫(いながき まさお、1935年8月19日 - 20… 稲垣 正夫(いながき まさお、1935年8月19日 - 2015年4月6日)は、神奈川県横浜市鶴見区出身のプロ野球選手。ポジションは二塁手。 鶴見高校では1年生から右翼手、三番打者として活躍。1951年夏の甲子園県予選決勝に進むが、希望ヶ丘高に完封を喫し、甲子園出場を逸する。同年秋季関東大会県予選では準々決勝で小田原高に敗退。卒業後は千葉大学に進学。千葉県大学野球リーグでは1954年秋季リーグから5季連続優勝。 1957年に東映フライヤーズに入団。浜田義雄、松岡雅俊らと二塁手の定位置を争う。3年目の1959年にレギュラーポジションを獲得、同年は主に七番打者として71試合に先発出場。翌1960年は102試合に出場し、規定打席には届かなかったが自己最高となる打率.269を記録した。
八名 信夫(やな のぶお、1935年8月19日 - )は、俳… 八名 信夫(やな のぶお、1935年8月19日 - )は、俳優、元プロ野球選手。岡山県岡山市出身。血液型B型。悪役商会所属。本名は同じ。
降旗 康男(ふるはた やすお、1934年8月19日 - )は… 降旗 康男(ふるはた やすお、1934年8月19日 - )は、日本の映画監督である。長野県松本市出身。
桑原 研郎(くわばら よしろう、くわばら けんろう、1934… 桑原 研郎(くわばら よしろう、くわばら けんろう、1934年8月19日 - 2007年6月1日)は日本の作曲家。東京都出身。武蔵野音楽大学卒業。 下総皖一、クラウス・プリングスハイムに師事。宝塚歌劇団出身の俳優・華村りこ(RICO)は実子。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
松本 徹(まつもと とおる、1933年8月19日 - )は、… 松本 徹(まつもと とおる、1933年8月19日 - )は、日本の文芸評論家。近畿大学・武蔵野大学教授、三島由紀夫文学館館長を経て顧問。 北海道札幌市生まれ。大阪市立大学文学部国語国文学科卒業後、産経新聞社に入社。記者時代の1963年に「森鷗外ノート」で第6回群像新人文学賞(評論部門)候補。1973年に「三島由紀夫論」を発表。文芸評論、小説を書き、徳田秋声論を書いている。1977年に姫路工業大学、1980年に近畿大学教養部教授。1982年から『文學界』で同人雑誌評を担当、1993年から2004年まで武蔵野女子大学(現:武蔵野大学)教授。その時期は作家・漫画家の白倉由美の指導教官だった。 2006年『徳田秋声全集』(八木書店)の編纂で菊池寛賞受賞。
大平 晃(おおひら あきら、1933年8月19日 - 202… 大平 晃(おおひら あきら、1933年8月19日 - 2024年9月7日)は、日本の経営者。三菱ガス化学社長を務めた。東京都出身。 1957年に東京大学工学部応用化学科を卒業し、同年に日本瓦斯化学工業(のちの三菱ガス化学)に入社。1988年6月に取締役に就任し、1991年6月に常務、1994年6月に専務を経て、1995年6月に社長に就任。2001年6月には会長に就任し、2003年6月には代表取締役も兼任し、2007年6月には相談役に退いた。 2018年11月には旭日中綬章を受章。
白方 勝(しらかた まさる、1932年(昭和7年)8月19日… 白方 勝(しらかた まさる、1932年(昭和7年)8月19日 - )は、国文学者、愛媛大学名誉教授。愛媛県松山市生まれ。1955年愛媛大学教育学部中等教育国語科卒業、愛媛県立松山東高等学校教諭、1962年新居浜工業高等専門学校講師、1974年愛媛大学教育学部助教授、78年教授。1997年定年退官、名誉教授、松山東雲女子大学教授。2003年退職。第26回河竹賞受賞。愛媛出版文化賞受賞。2012年4月瑞宝中綬章受章。
西川 順之助(にしかわ じゅんのすけ、1932年〈昭和7年〉… 西川 順之助(にしかわ じゅんのすけ、1932年〈昭和7年〉8月19日 - 2024年〈令和6年〉3月15日)は、日本のバレーボール選手、新聞記者、実業家。三重県松阪市出身で、中日新聞社名古屋本社事業局長、取締役、常務を務め、2001年(平成13年)10月10日から2011年(平成23年)3月25日まで中日ドラゴンズ球団代表取締役社長を務めた。 早稲田大学に入学し、バレーボール部に入部し、6人制バレーボールの草分け的存在となる。1953年には、渡米チームのメンバーにも選ばれた。 大学卒業後の1957年(昭和32年)4月に中日新聞社へ入社し、主にスポーツ取材に携わる。バレーボール担当記者を長く務め、テレビ解説も担当した。
野﨑 幸雄(のざき ゆきお、1931年(昭和6年)8月19日… 野﨑 幸雄(のざき ゆきお、1931年(昭和6年)8月19日 -2024年(令和6年)3月19日 )は、日本の裁判官。検察官。弁護士(尾崎法律事務所)。元名古屋高等裁判所長官。 1956年(昭和31年)判事補任官。法務省人権擁護局長、宇都宮地裁、横浜地裁各所長等を経て、1992年(平成4年)に仙台高裁長官。1993年(平成5年)に名古屋高裁長官に転じ、1996年(平成8年)定年退官。 退官後は弁護士登録し、各種企業役員、政府審議会委員等を務める。2001年(平成13年)の秋の叙勲で勲二等旭日重光章を受章。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
大高 順雄(おおたか よりお、1931年8月19日 - 20… 大高 順雄(おおたか よりお、1931年8月19日 - 2019年7月26日)は、日本のフランス中世文学研究者、大阪大学名誉教授。 大阪府出身。1954年東京大学文学部仏文科卒。同大学院修士課程修了。岡山大学講師、助教授、フランス・パリ大学大学院で博士号取得。1969年「アントワヌ=ド・ラ・サルの研究」で名古屋大学文学博士。1971年大阪大学教養部助教授、言語文化部教授、1995年定年退官、名誉教授。大手前大学教授。1987年「Marie de France : Oeuvres complètes」で新村出賞受賞。2011年旭日中綬章受勲。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
行平 次雄(ゆきひら つぎお、1931年8月19日 - 20… 行平 次雄(ゆきひら つぎお、1931年8月19日 - 2010年4月1日)は、日本の実業家。山一證券の社長・会長、日本証券業協会会長等を歴任。「山一のドン」と評された。 旧関東州の旅順で生まれる。旧制奉天第一中学校在学中に終戦を迎え、両親と共に福岡県豊前市へ引き揚げる。 1955年に一橋大学法学部卒業、山一證券入社。入社後、投資信託本部に所属し、行平の前に社長を務めた植谷久三、横田良男の2人の下で働く。同じ本部には後に三木淳夫も配属された。一時、証券団体協議会専門調査員に出向、日興證券の岩崎琢弥など、後に四大証券の幹部となる人々と机を並べて仕事をした。 証券団体協議会から帰任する際、既に取締役金融法人部長となっていた横田良男の引きで金融法人部へ所属することとなった。
上野 修(うえの おさむ、1930年〈昭和5年〉8月19日 … 上野 修(うえの おさむ、1930年〈昭和5年〉8月19日 - 2002年〈平成14年〉6月30日)は、日本のラジオ番組のプロデューサー。 「ドン上野」の愛称で知られていた。 北海道小樽市出身。北海道小樽潮陵高等学校、日本大学法学部卒業。 1952年、NHK札幌放送局入局。NHKを退局した後、1954年に当時開局して間もなかったニッポン放送へ入社、編成局庶務部(効果班)に配属され、1963年まで効果音製作を主に務める。 1963年に効果部から制作部へ異動、番組制作を手がけるようになり、ニッポン放送で『ザ・パンチ・パンチ・パンチ』『夜のドラマハウス』『オールナイトニッポン』の4時間スペシャル生ラジオドラマなどを手がけ話題になる。
椎名 素夫(しいな もとお、1930年8月19日 - 200… 椎名 素夫(しいな もとお、1930年8月19日 - 2007年3月16日)は、日本の政治家、実業家、物理学者。衆議院議員(4期)、参議院議員(2期)、自由の会代表、無所属の会代表などを務めた。 自由民主党副総裁、外務大臣、通商産業大臣を歴任した椎名悦三郎の次男。 東京府東京市(現・東京都文京区)出身。旧制府立高等学校を経て1953年名古屋大学理学部物理学科を卒業。電源開発に入った後、アメリカアルゴンヌ国立研究所に入所する。帰国後、精密機械メーカーサムタクを設立し、自ら取締役に就任した。1979年、父・椎名悦三郎の引退に伴い、第35回衆議院議員総選挙に旧岩手2区から自由民主党公認で立候補し、初当選する。
藤居 寛(ふじい ひろし、1930年8月19日 - 2013… 藤居 寛(ふじい ひろし、1930年8月19日 - 2013年6月7日)は、日本の実業家。帝国ホテル社長。 東京都出身。終戦直後の夏1945年9月6日、15歳で両親を中央線笹子駅構内脱線転覆事故で亡くした。さらに事故の10日後に、身元確認のため埋葬されていた遺体を掘り起こし、その後自らの手で一晩かけて火葬した。以後、土木作業員などとして働き、祖母、妹、弟を養いながら学校に通った。大学時代は秋山富一(元住友商事社長)らとともに、体育会ラグビー部に所属。旧制東京府立千歳中学校(東京都立千歳高等学校の前身)を経て、1953年3月に一橋大学経済学部を卒業。 1953年4月 第一銀行入行、本店配属。堀留支店、労働組合副委員長、全国銀行協会連合会出向等を経たのち、第一勧業銀行で神田支店長、取締役個人開発部長、常務取締役等を務めた。
小野 かおる(おの かおる、1930年8月19日 - 202… 小野 かおる(おの かおる、1930年8月19日 - 2020年10月13日)は、日本の絵本作家・画家、スペースデザイナー。東京造形大学名誉教授。 本名は成子(=しげこ)。父は詩人でロシア文学者の中山省三郎。娘は絵本作家おのりえん(小野里宴)。 東京芸術大学美術学部油絵科卒業。2007年、長年にわたる昔話絵本の創作活動に対して第30回巖谷小波文芸賞受賞。厚生大臣賞、サンケイJR賞、吉村証子賞のほか、『オンロックがやってくる』(福音館書店)で第43回産経児童出版文化賞受賞。
松下 圭一(まつした けいいち、1929年8月19日 - 2… 松下 圭一(まつした けいいち、1929年8月19日 - 2015年5月6日)は、日本の政治学者・法学博士。法政大学名誉教授。元日本政治学会理事長。専門は、政治学、政治思想史、地方自治論。 福井県福井市生まれ。旧制福井中学、第四高等学校を経て、1952年東京大学法学部卒業。在学中は東京大学新聞編集長を務めた。丸山眞男門下として名高く、法政大学法学部に赴任後、助教授、教授を経て、2000年に法政大学を定年退職。また、日本政治学会理事長や日本公共政策学会会長を歴任した。マルクス主義全盛の時代潮流において大衆社会論を唱えて論壇に登場し、江田三郎の構造改革論や、地方自治のイデオローグとして活躍した。 2015年5月6日午前1時20分、心不全のため死去。
山本 兵蔵(やまもと へいぞう、1929年8月19日 - )… 山本 兵蔵(やまもと へいぞう、1929年8月19日 - )は、日本の経営者。大成建設社長、会長を務めた。 佐賀県西松浦郡有田町出身。1952年に東京大学経済学部経済学科を卒業し、同年に大成建設に入社。1985年6月に取締役に就任し、1987年6月に常務、1989年6月に専務を経て、1991年6月に副社長に就任し、1993年6月には社長に昇格。1997年4月に会長に就任し、2001年4月に取締役相談役を経て、同年6月には相談役に就任。
島田 修二(しまだ しゅうじ、昭和3年(1928年)8月19… 島田 修二(しまだ しゅうじ、昭和3年(1928年)8月19日 - 平成16年(2004年)9月12日)は、日本の歌人。洋画家で文化功労者の島田章三は実弟。 神奈川県横須賀市大津出身。父英之は浦賀船渠の客船インテリアデザイナー。母敏子は斎藤茂吉に師事した「アララギ」の歌人。四男一女の次男。 旧制横須賀中学校(34期)を卒業。国語教師は小田切秀雄であった。旧制静岡高等学校在学中の1943年に、北原白秋主宰の「多磨」に入会。小川国夫は高校の同級生である。1944年、兄・陽一(横中30期、海兵73期、海軍中尉、敷波乗組)を戦災で亡くす。江田島の海軍兵学校(77期)在学中には広島原爆を目撃した。 1948年の「コスモス」創刊に参加し、宮柊二に師事する。
森川 壽(もりかわ ひさし、1928年8月19日 - 200… 森川 壽(もりかわ ひさし、1928年8月19日 - 2005年5月29日)は、日本の数学者。専門は代数幾何。学位は、理学博士(名古屋大学・1957年)(学位論文「アーベル多様体について」)。名古屋大学名誉教授。 1928年愛知県名古屋市生まれ。東海高等学校卒。1951年名古屋大学理学部数学科を卒業。1954年まで名古屋大学大学院に在学。1954年名古屋大学理学部助手。1957年名古屋大学講師。1959年名古屋大学助教授を経て、1964年名古屋大学理学部教授。1992年名古屋大学名誉教授。日本学術会議において数学研究連絡委員会を勤めた。1993年4月から1998年9月まで会津大学コンピュータ理工学部総合数理科学センター教授。
薮崎 昭(やぶざき あきら、1928年(昭和3年)8月19日… 薮崎 昭(やぶざき あきら、1928年(昭和3年)8月19日 - )は日本の油彩画家。本来の表記は藪崎。 1928年8月、福岡県久留米市で生まれる。本籍は静岡県焼津市。3歳の時、静岡市に移り、1941年、静岡市立城内尋常小学校卒業。1945年3月、静岡県立静岡中学校(61回)卒業。五年制の中学を戦争の激化で四年で繰り上げ卒業となり、1年上級の60回と同時に卒業した。終戦後間もなく父を亡くしたが、医者の兄が復員し生活できるようになると「公立なら美術学校に入ってもよい」と言われた。東京美術学校は当時、新制大学への移行の為募集せず、翌年受験規則書を取り寄せると、受験資格が学歴11年となっており、旧制中学繰り上げ卒業のため、受験に必要な学歴が一年足りず、新制となっていた母校に三年次編入した。
金子 才十郎(かねこ さいじゅうろう、1926年〈大正15年… 金子 才十郎(かねこ さいじゅうろう、1926年〈大正15年〉8月19日 - 2017年〈平成29年〉2月8日)は、日本の実業家。カネコ種苗株式会社代表取締役社長・会長・相談役、日本種苗協会会長、前橋商工会議所会頭、群馬県教育委員長などを務めた。3代目才十郎で、旧名は博(ひろし)。 祖父・初代金子才十郎は勢多郡南橘村上細井(現・前橋市上細井町)の農家に生まれ、1895年(明治28年)に農産物のタネの販売を始めた。父・2代才十郎(旧名・五郎)は初代才十郎の五男。太平洋戦争中に群馬県種苗統制株式会社の社長を務め、戦後の1947年(昭和22年)に、金子種苗店の営業基盤をもとにカネコ種苗株式会社を設立した。
岸田 文武(きしだ ふみたけ、1926年〈大正15年〉8月1… 岸田 文武(きしだ ふみたけ、1926年〈大正15年〉8月19日 - 1992年〈平成4年〉8月4日)は、日本の通産官僚(中小企業庁長官)、政治家。元自由民主党所属の衆議院議員(5期)。位階は正四位勲二等、勲章は旭日重光章。 父は元自由党衆議院議員の岸田正記、弟は大蔵省証券局長・広島銀行会長・相談役を務めた岸田俊輔。妻は元日東製粉社長井口良二の次女。長男は衆議院議員で第27代自民党総裁、第100・101代内閣総理大臣の岸田文雄。派閥は宏池会に所属した。 広島県広島市南区段原町出身。1945年、旧制東京高等学校(現:東京大学教育学部附属中等教育学校)卒業後、東京帝国大学へ進学。しかし、戦争末期のころであり、入学早々から勉強どころではなく、連日の勤労動員に続いて、終戦間近の同年7月には、学徒動員で旭川の師団に入隊した。
東 千代之介(あずま ちよのすけ、1926年8月19日 - … 東 千代之介(あずま ちよのすけ、1926年8月19日 - 2000年11月9日)は、日本の俳優・日本舞踊若菜流の家元。 本名、若和田 孝之(わかわだ たかゆき)。東京府出身。 長唄の六代目杵屋弥三郎の子。七代目坂東三津五郎に師事して日本舞踊を学ぶ。暁星学園を経て、1949年(昭和24年)東京音楽学校(現・東京藝術大学)邦楽科卒業。1954年(昭和29年)東映に入社し、『雪之丞変化』でデビュー。端整な容貌と日本舞踊で鍛えたしなやかな身のこなしで人気を集め、中村錦之助、大川橋蔵らと共に東映時代劇の黄金期を支えた。1960年代半ば、時代劇の衰退に伴い当時の東映京都撮影所長・岡田茂が時代劇を切り捨て、任侠路線に急転換したため、これに反撥して、中村錦之助(萬屋錦之介)、里見浩太朗らと1965年に東映の俳優組合(東映俳優クラブ組合)を結成し副代表になった。
熊谷 直彦(くまがい なおひこ、1926年8月19日- )… 熊谷 直彦(くまがい なおひこ、1926年8月19日- )は、日本の経営者。三井物産社長、会長を務めた。兵庫県神戸市出身。 1951年に京都大学法学部を卒業し、同年に三井物産に入社した。1979年8月に人事部長に就任し、取締役、常務、専務を経て、1988年6月に副社長に就任し、1990年6月には社長に昇格した。1996年6月に会長に就任し、2000年6月から相談役を務めた。 経済団体連合会副会長も務めた。 1991年4月には藍綬褒章を受章し、2017年4月に旭日大綬章を受章した。
渡辺 実(わたなべ みのる、1926年8月19日 - 201… 渡辺 実(わたなべ みのる、1926年8月19日 - 2019年12月6日)は、日本の国語学者・国文学者。京都大学名誉教授。文学博士。 京都市生まれ。1948年、京都大学文学部卒業。1962年、「国語構文論」で文学博士(京都大学)。大阪女子大学助教授、京都大学教養部助教授、教授、1985年退官、名誉教授、上智大学教授、1997年退任。1991年6月から3年間、国語学会代表理事を務めた。 2019年12月6日20時56分、肺炎のため、神奈川県藤沢市の病院で死去。93歳没。