天辰 正守(あまたつ まさもり、1886年(明治19年)8月… 天辰 正守(あまたつ まさもり、1886年(明治19年)8月19日 – 1963年(昭和38年)8月2日)は、大正から昭和期の弁護士、政治家。衆議院議員(立憲政友会)。 鹿児島県薩摩郡平佐郷天辰村(平佐村、川内町、川内市を経て現在の薩摩川内市天辰町)で、医師・天辰登雲の二男として生まれた。医師の道を避けて1917年(大正6年)京都帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。福岡地方裁判所所属の弁護士となった。その後、判事となり、那覇地方裁判所判事、鹿児島地方裁判所判事、熊本地方裁判所判事を歴任した。1923年(大正12年)に退官し、衆議院嘱託として欧米各地を視察した。翌年に帰国し、再び弁護士を鹿児島市で開業した。
伊藤 述史(いとう のぶふみ、1885年〈明治18年〉8月1… 伊藤 述史(いとう のぶふみ、1885年〈明治18年〉8月19日 - 1960年〈昭和35年〉4月3日)は、日本の外交官。情報局総裁、貴族院議員等を務めた後、戦後GHQにより公職追放された。 愛媛県新居郡宇高村(高津村を経て現新居浜市)で、医師・伊藤道冲の長男として生まれた。東京高等商業学校(現一橋大学)卒業後外務省入省。その後リヨン大学に留学。各赴任先で英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、ロシア語などを次々と習得し語学の天才と評された。法学博士。妻はフランス人。 満州事変前後を通じ国際連盟政府代表代理を務め日本の国際連盟脱退を実現。1937年から支那欧米諸国歴訪特命全権公使を務め、日独伊三国同盟推進派だった大島浩駐ドイツ大使や白鳥敏夫駐イタリア大使の説得にあたったのち、1940年からは内閣情報部長や初代内閣情報局総裁を務め情報統制を行った。
矢野 真(やの まこと、1884年8月19日 - 1962年… 矢野 真(やの まこと、1884年8月19日 - 1962年2月4日)は、日本の外交官。
安達 房治郎(あだち ふさじろう、1884年〈明治17年〉8… 安達 房治郎(あだち ふさじろう、1884年〈明治17年〉8月19日 - 1968年〈昭和43年〉8月10日)は、日本の逓信官僚、朝鮮総督府官僚。実業家。 愛知県名古屋市出身。安達知道の二男。1909年(明治42年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、高等文官試験に合格した。逓信属、逓信管理局事務官、逓信書記官、高等海員審判所理事官などを歴任。1920年(大正9年)、国際労働機関事務局職員となる。1923年(大正12年)に帰国後は、帝都復興院物資供給課長を務めた後、朝鮮総督府土地改良部長に転じ、さらに咸鏡北道知事に就いた。 1930年(昭和5年)に退官した後は、台湾電力株式会社副社長、台湾電化株式会社取締役、日本アルミニウム株式会社監査役、朝鮮蛍石株式会社社長、日本鉱業株式会社取締役、帝国石油資源開発株式会社取締役、朝鮮日産化学株式会社社長などを務めた。
矢野 真(やの まこと、1884年8月19日 - 1962年… 矢野 真(やの まこと、1884年8月19日 - 1962年2月4日)は、日本の外交官。 矢野真三郎の三男として、福岡県朝倉郡(後の朝倉市)に生まれる。炭鉱経営者の篤志家佐藤慶太郎の無条件の奨学金支援によって、福岡県立中学修猷館、東京府立第一中学校を経て、1907年(明治40年)、第一高等学校英法科を首席で卒業し、1911年(明治44年)、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業する(銀時計)。 1911年(明治44年)、高等文官試験行政科を首席合格して東京府試補となり、翌1912年、オックスフォード大学に留学。1913年(大正2年)に帰国して高等文官試験外交科を首席合格し、1914年(大正3年)、外交官補としてイギリスに在勤する。
稲葉 道意(いなば どうい、1882年(明治15年)8月19… 稲葉 道意(いなば どうい、1882年(明治15年)8月19日 ‐ 1968年(昭和43年)3月20日) は、明治末から昭和期の僧侶、政治家。衆議院議員、真宗大谷派・岐阜信願寺住職。 岐阜県不破郡赤坂村(赤坂町を経て現大垣市)で生まれ、稲葉現意の養子となる。1908年(明治41年)真宗大学(現大谷大学)を卒業。岐阜信願寺住職に就任した。 真宗大谷派宗議会議員、同副議長、同議長を歴任。1937年(昭和12年)教化研究所の初代所長に就任。さらに、真宗大谷派参務、同内務局長、同教学局長を務めた。 1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙に岐阜県全県区から日本自由党公認で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
塩原 秩峰(しおはら ちつみね、1880年(明治13年)8月… 塩原 秩峰(しおはら ちつみね、1880年(明治13年)8月19日 - 1937年(昭和12年)3月24日)は、大正時代から昭和初期に活躍した日本の演歌師、歌手。栃木県那須塩原市出身。 初期の京都オリエントで書生節を多数吹き込み、「レコード流行歌」の普及に大きな功績を持った鳥取春陽に次ぐ、人気演歌師である。やや低めの歌声が特徴。代表曲には『平和節(ジョーヂァソング)』、『金色夜叉』、『春爛漫の花の色』などがある。京都オリエントがニッポノホン大阪支社レーベルになってからは新録音発売は途切れたが、1934年(昭和9年)、大阪ニットーで吹き込んだ『兵隊ぶし』で再びヒットを放つ。片面は美ち奴とデュエットの『水兵ぶし』で、塩原はこの2曲を最後に引退する。
黒沢 準(黒澤、くろさわ ひとし、1878年(明治11年)8… 黒沢 準(黒澤、くろさわ ひとし、1878年(明治11年)8月19日 - 1927年(昭和2年)9月5日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。陸軍有数の戦術家といわれた。 宮城県出身。黒沢嫡の長男として生れる。仙台の第二高等中学校(後の旧制第二高校、その後東北帝国大学を経て現・東北大学)を経て、1898年(明治31年)11月、陸軍士官学校(10期)を卒業。翌年6月、歩兵少尉に任官し歩兵第29連隊付となる。1902年(明治35年)8月9日陸軍大学校(19期)に入学するが、日露戦争期であったため1904年(明治37年)2月9日一時中退し、1906年(明治39年)3月20日に復校し、1907年(明治40年)11月30日に優等で卒業し参謀本部出仕となった。
茨木 清次郎(いばらき せいじろう、1876年(明治9年)8… 茨木 清次郎(いばらき せいじろう、1876年(明治9年)8月19日 - 1955年(昭和30年)3月15日)は、日本の文部官僚。教育者。 石川県出身。旧制第四高等学校を経て、1899年(明治32年)に東京帝国大学文科大学英文科を卒業。翌年四高教授となり、イギリス留学の後、1908年(明治41年)から文部省視学官・図書審査官となり、1913年(大正2年)からは督学官を務めた。1917年(大正6年)、東京音楽学校校長となり、東京外国語学校校長、旧制松本高等学校校長、東京女子高等師範学校校長、旧制浦和高等学校校長を歴任した。 1935年(昭和10年)に退官し、1937年(昭和12年)からは竹田宮附別当を務めた。
坂本 龍之輔(さかもと りゅうのすけ、明治3年7月23日(1… 坂本 龍之輔(さかもと りゅうのすけ、明治3年7月23日(1870年8月19日) - 昭和17年(1942年)3月26日)は、日本の教育者。 明治期に上野下谷に日本で初めて設けられた貧民学校の校長を務め、その教育実践が、かつての教え子であった添田知道の『小説 教育者』として作品化されて、大正、昭和期に教育者の範として知られた。 神奈川県西多摩郡西秋留村(現在の東京都あきる野市牛沼)に、坂本源吾之輔、あきの五人兄弟の三男として生まれる。神奈川師範学校(現・横浜国立大学教育人間科学部)に学び、初赴任は、西多摩郡古里村の習文尋常小学校(現・西多摩郡、奥多摩町立古里小学校)だった。その後、神奈川県下で、町田村の日新尋常小学校(現・町田市立町田第一小学校)、大和市の渋谷高等尋常小学校(現・大和市立渋谷小学校)、町田村の開矇(かいもう)高等尋常小学校(現・町田市立南第一小学校)の校長を歴任。
石橋 禹三郎(いしばし うさぶろう、明治2年7月3日(186… 石橋 禹三郎(いしばし うさぶろう、明治2年7月3日(1869年8月19日) - 1898年(明治31年)3月22日または23日)は明治時代のシャム王国入植者。長崎県平戸島に生まれ、福岡、東京で英語を学んだ後、アメリカ合衆国オークランドに留学した。帰国後シャム王国への植民事業を企てたが、暹羅殖民会社、石橋商会の事業はいずれも失敗し、東京で病没した。 明治2年(1869年)7月3日、肥前国平戸町に呉服太物商石橋彦兵衛の第5子または第10子として生まれた。小学校では威圧的な振る舞いで他の児童から孤立し、また家では仕事を手伝わず、家族を困らせた。 15歳の時針浦退蔵に入門し、2年間余り儒教を学んだ。1883年(明治16年)9月留学を認めない養父長次郎の元を離れて福岡の取引先宅に身を寄せ、当初陸軍予備士官学校に入学しようとしたが、同郷南部重遠の誘いで人参畑高場乱に学んだ。
木村 艮(きむら ごん、1868年8月19日(明治元年7月2… 木村 艮(きむら ごん、1868年8月19日(明治元年7月2日)- 1930年(昭和5年)10月2日)は、明治から昭和初期の農業技術者、実業家、政治家。衆議院議員。旧姓・西川。 山城国綴喜郡、のちの京都府綴喜郡田辺村(田辺町を経て現京田辺市)で、西川長次の二男として生まれ、1885年(明治18年)木村艮司の養子となり、1891年(明治24年)4月、家督を相続した。1896年(明治29年)7月、帝国大学農科大学農学科を卒業した。 京都府技師となる。同年8月、京都府農会技師兼幹事となり1908年(明治41年)4月まで在任。この間、京都府立農林学校嘱託教師、京都蚕業講習所嘱託教師、京都府立農事試験場嘱託なども務め、京都府下の農業振興に尽力した。
西森 源兵衛(にしもり げんべえ、1866年8月19日〈慶応… 西森 源兵衛(にしもり げんべえ、1866年8月19日〈慶応2年7月10日〉 - 1931年〈昭和6年〉10月12日)は、日本の商人(皮革商、皮革貿易商)、政治家、実業家。西浜土地建物取締役。族籍は大阪府平民。旧姓・岡島、幼名・豊次郎。 兵庫県津名郡志筑町(現・淡路市)出身。岡島文吉の四男あるいは弟。1882年、来阪して親戚の皮革商・西森源兵衛の店員となる。1887年、西森源兵衛の養嗣子となる。1917年、養父源兵衛の逝去により家督を相続して先代を襲名する。 日清の国交がまさに破れようとする兆しがあるのを見ると、この機に乗じ製革原皮の大量輸入を開始し、有事にそなえようとしたが、幾許もなく戦闘が開かれ皮革の需要が激増し、軍需品として納入するほか、一般市場の供給に応じ、平和克服まで3年間ほとんど西森の一手により供給される。
深田 直城(ふかだ ちょくじょう、文久元年7月14日(186… 深田 直城(ふかだ ちょくじょう、文久元年7月14日(1861年8月19日) - 昭和22年(1947年))は、明治から昭和初期にかけての日本画家。京都で四条派を学び、その流れを組む大阪の船場派で画作に励むとともに多くの後進を育てた。 深田直城は、幕末の文久元年7月14日(1861年8月19日)に近江国膳所藩(現:滋賀県大津市)に生まれた。明治2年(1869年)に京都へ移住。明治8年(1875年)、父の友人だった加島菱洲から洋画を習い、翌9年4月に森川曾文に師事して四条派を学ぶ。明治11年(1878年)18歳で独立し、明治14年(1881年)から明治19年(1886年)まで京都画学校に出仕し、後進の育成に努めた。
片山 国嘉(かたやま くによし、安政2年7月7日(1855年… 片山 国嘉(かたやま くによし、安政2年7月7日(1855年8月19日) - 1931年(昭和6年)11月3日)は、日本の法医学者。 遠江国周智郡犬居村(現在の静岡県浜松市天竜区)の医師の二男として生まれる。大学東校を経て、1879年(明治12年)に東京大学医学部を卒業。東京大学助教授となり内務省衛生局にも勤務した。1884年(明治17年)から1888年(明治21年)まで法医学研究のためドイツ・オーストリア=ハンガリーに留学し、ベルリン大学とウィーン大学で学んだ。帰国後、東京帝国大学医科大学教授に就任し、法医学講座を担当した。また1891年(明治24年)に医学博士の学位を得た。法学部で法医学の授業を担当したほか、東京慈恵医院医学専門学校(現在の東京慈恵会医科大学)講師も務めた。
小坂 善之助(こさか ぜんのすけ、嘉永6年7月15日〈185… 小坂 善之助(こさか ぜんのすけ、嘉永6年7月15日〈1853年8月19日〉 - 大正2年〈1913年〉12月21日)は、日本の政治家、実業家。長野県会議員、衆議院議員を務めた。 明治23年(1890年)の帝国議会開設以来、4回衆議院議員に当選、中央政界に活躍するかたわら、信濃銀行(現みずほ銀行)を興し、山国長野県の豊富な水資源に着眼して長野電灯を創業、県下で最初の水力発電所をつくった。また信濃毎日新聞の基礎を固めた。 信濃国水内郡里村山村(1881年村山村に改称、現長野市)出身。父は3代目善之助(隠居名善三)。善之助の家は3代前に分家したもので、本家は代々名主を務めた豪家だった。 善之助は、少年時代から村の大将格で、村芝居ではつねに主役をつとめた。
堀内 利国(ほりうち としくに、1844年8月19日(天保1… 堀内 利国(ほりうち としくに、1844年8月19日(天保15年7月6日) - 1895年(明治28年)6月18日)は日本陸軍の軍医。明治前半に熊本や大阪鎮台病院長などを務めた。当時の日本は脚気の流行が問題になっていたが、堀内利国は大阪鎮台において兵食を白米から麦飯に変えることで兵士の脚気をほとんどゼロになるまで減らし、脚気が麦飯で予防できることを日本で初めて実験的に証明した。 明治3年(1870年)に日本で初めての陸軍病院が大阪に設置され、堀内利国は軍事病院医官となった。堀内は軍事病院の外人教師・オランダ人医師ブッケンから医学を学んだ。日本に徴兵制が敷かれて地方から大阪に集まってくる兵が増えるにつれて、軍隊の中で脚気患者が目に見えて増大するようになった。
乙原 愛(おとはら あい、8月19日 - )は、元宝塚歌劇団… 乙原 愛(おとはら あい、8月19日 - )は、元宝塚歌劇団・星組の娘役。 神奈川県藤沢市、神奈川県立湘南高等学校出身。身長は160cm。愛称はのんの。
ターザン山下(ターザンやました、8月19日 - )は、フリー… ターザン山下(ターザンやました、8月19日 - )は、フリーのラジオDJ・クラブDJ、ナレーター、タレント。本名・山下 悟(やました さとる)。イベントや結婚式(ブライダル関連)のMC・司会者なども務める他、放送制作・イベント&ブライダル等のパーティー企画運営を手がける会社・株式会社ターザン堂の代表でもある。
森本 万里奈(もりもと まりな、8月19日 - )は、フリー… 森本 万里奈(もりもと まりな、8月19日 - )は、フリーアナウンサー。元NHK契約キャスター。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。