高木 貞治(たかぎ ていじ、1875年〈明治8年〉4月21日… 高木 貞治(たかぎ ていじ、1875年〈明治8年〉4月21日 - 1960年〈昭和35年〉2月28日)は、日本の数学者。学位は、理学博士。東京帝国大学名誉教授。第1回フィールズ賞選考委員。文化勲章受章者、文化功労者。 岐阜県大野郡数屋村(現:本巣市)に生まれる。岐阜尋常中学校(現:岐阜県立岐阜高等学校)を経て第三高等中学校(現:京都大学)へ進学し、1894年(明治27年)に卒業。 帝国大学理科大学(現在の東京大学理学部)数学科へ進み、卒業後にドイツへ3年間留学。ヒルベルトに師事し、多大な影響を受ける。 代数的整数論の研究では類体論の確立に貢献し、特に高木の存在定理の証明で知られる。 ヒルベルトの23の問題のうち、第9問題と第12問題(に関連した世界的な難問)を肯定的に解決した。
有川 鷹一(ありかわ たかいち、1873年(明治6年)4月2… 有川 鷹一(ありかわ たかいち、1873年(明治6年)4月21日 - 1955年(昭和30年)1月31日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 山口県豊浦郡、のちの長府町字金屋浜(現下関市)出身。旧長府藩士・有川常友の長男として生れる。山口高等中学校中退を経て、1895年(明治28年)2月、陸軍士官学校(6期)を卒業。同年5月、工兵少尉に任官し工兵第5大隊付となる。1898年(明治31年)12月、陸軍砲工学校高等科(6期)を優等で卒業し陸軍築城部本部付となる。 1899年(明治32年)8月、ドイツ駐在となり、砲工学校教官を経て、1904年(明治37年)6月、第8師団兵站電信部長に就任して、同年10月から1906年(明治39年)1月まで日露戦争に出征し、この間、第3軍司令部付(兵站電信部長)を務めた。
錦戸 春吉(にしきど はるきち、1872年4月21日(明治5… 錦戸 春吉(にしきど はるきち、1872年4月21日(明治5年3月14日) - 1945年4月24日)は、愛知県豊川市赤坂町出身(当時は額田県赤坂町)で錦戸部屋に所属した力士。本名は吉澤 春吉(旧姓:大場)。5代錦戸。164cm、96kg。最高位は西前頭15枚目。 静岡県で草相撲をしていたが、1891年5月錦戸部屋に入門し初土俵を踏む。1901年5月、29歳で十両昇進。そして1909年6月、旧両国国技館が開館した場所に初土俵から18年、37歳にして新入幕を果たした。幕内在位は1場所のみで、その後幕下まで陥落。すでに二枚鑑札となっており、1911年6月に引退して、親方業に専念した。一時、招猫の四股名を名乗った。
赤塚 自得(あかつか じとく、1871年4月21日(明治4年… 赤塚 自得(あかつか じとく、1871年4月21日(明治4年3月2日) - 1936年(昭和11年)2月1日)は日本の漆芸家、専門は蒔絵、本名は平左衛門。 東京市芝区浜松町、代々漆芸の家系に生まれる。勧学義塾に学びながら狩野久信に日本画、蒔絵を師事、のち寺崎広業に師事し、白馬会で洋画も学ぶ。 作品の発表先を求めて1925年に金工家の香取秀真、陶芸家の板谷波山らと工芸済々会を結成。 1927年には第8回帝国美術院展覧会で漆工の審査委員を務め、1930年、帝国美術院会員となる。 伝統を踏まえながらも自らの創意で自然を描き、漆芸の近代化を進め、大正・昭和初期の漆芸界で指導的役割を果たした。 1936年、65歳で死去。
佐伯 美津留(さえき みつる、1871年4月21日(明治4年… 佐伯 美津留(さえき みつる、1871年4月21日(明治4年3月2日) - 1948年7月16日)は、日本の発明家。 山形県山形市出身。海軍兵学校に入るが、近眼となり、退学し、1894年(明治27年)に逓信省に入った。逓信省では、無線電信電話の研究、船舶無線電信局、海岸電信局、長距離大電力無線電信局などの設計・施設に従事した。1923年(大正12年)に勅任官に任ぜられた。1925年(大正14年)に日本無線電信会社が創立されると、技師長となった。 正四位勲四等。墓所は多磨霊園。
小山 豊太郎(こやま とよたろう、明治2年3月10日〈186… 小山 豊太郎(こやま とよたろう、明治2年3月10日〈1869年4月21日〉 - 昭和22年〈1947年〉8月4日)は日本のテロリスト。別名に六之助/録之助(ろくのすけ)。日清戦争の講和会議に際して清国全権大使・李鴻章を狙撃したことで知られる(李鴻章狙撃事件)。 現在の群馬県館林市大島町に生まれる。父・孝八郎は県会議員を務めた村の名士であった。 館林で高橋渡に3年ほど理学の教えを受け、さらに栃木県中学校に学ぶ。栃木県中学校を中退。1884年(明治17年)ごろに上京して慶應義塾に学ぶが1886年(明治19年)に脚気で退塾し故郷へ帰る。放蕩のため父から勘当され、1888年(明治21年)に廃嫡された。
田中 延次郎 (たなか のぶじろう、旧姓 市川、1864年4… 田中 延次郎 (たなか のぶじろう、旧姓 市川、1864年4月21日(元治元年3月16日) - 1905年(明治38年)6月21日)は、日本の菌類学者である。日本における最初の近代菌類学書、『日本菌類図説』を執筆した。植物病理学の分野でも桑樹萎縮病の対策に貢献した。 江戸・千住南組の酒問屋の長男に生まれた。 東京帝国大学理科大学植物学科を1889年に卒業した。高等菌類、植物寄生菌など、広い分野に関心を持った。在学中に『植物学雑誌』の発行を提唱し、自らもハツタケなどキノコの2新種の記載論文を発表し、日本人による菌類の新種の初記載論文とされ、イギリスの雑誌に転載された。後に田中の与えた学名、Lactarius hatsudake はイギリスのマイルズ・ジョセフ・バークリーによって命名された種、Lactarius lividatusのシノニムとなった。
中村 静興(なかむら せいこう、1864年4月21日(元治元… 中村 静興(なかむら せいこう、1864年4月21日(元治元年3月16日) - 1927年(昭和2年)4月22日)は、日本の医師、政治家。衆議院議員(1期)。 鹿児島県出水郡阿久根村(後の阿久根町、阿久根市)。1890年、第五高等中学校医学部(のち長崎医学専門学校→長崎医科大学、現・長崎大学医学部)、1893年、東京帝国大学専科、1900年、伝染病研究所(のち東京大学医科学研究所)研究科卒。医師を開業する。阿久根村で温泉を経営し、阿久根村会議員、出水郡会議員、出水郡医師会長、鹿児島県医師会代議員、日本医師会代議員となる。 1917年の第13回衆議院議員総選挙において鹿児島県郡部から無所属で立候補して当選した。
三輪 桓一郎(みわ かんいちろう、1861年4月21日(文久… 三輪 桓一郎(みわ かんいちろう、1861年4月21日(文久元年3月12日) - 1920年(大正9年)2月1日)は、理学博士。東京物理学講習所(後の東京物理学校、現在の東京理科大学)の創立者の一人である。 墓標は、谷中霊園内の寛永寺霊園に所在。
牧野 元(まきの はじめ、文久元年3月12日(1861年4月… 牧野 元(まきの はじめ、文久元年3月12日(1861年4月21日) - 大正10年(1921年)1月25日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、長野市長。 信濃国伊那郡鼎村(現在の長野県飯田市)出身。漢学を学び、1882年(明治15年)に下伊那郡全部町村聯合会議員に、1884年(明治15年)に鼎村戸長に就任した。1890年(明治23年)より長野県会議員を務め、1893年(明治26年)には県参事会員に、1899年(明治32年)に県会副議長に選出された。 1902年(明治35年)、第7回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、第8回、第9回と連続当選を果たした。 1910年(明治43年)、長野市助役に就任。
和田 維四郎(わだ つなしろう、安政3年3月17日(1856… 和田 維四郎(わだ つなしろう、安政3年3月17日(1856年4月21日) - 大正9年(1920年)12月20日)は、日本の鉱物学者、書誌学者、貴族院議員。号は雲村。 若狭国(現在の福井県)で小浜藩士和田耘甫の三男として生まれる。幼名は猪三太、または三吉。 明治3年(1870年)旧暦10月に小浜藩の貢進生として満14歳で上京し、大学南校に入学。明治5年(1872年)に大学南校が廃止されると和田は第一大学区第一番中学に入学し、ドイツ語コースを選択する。明治6年(1873年)に第一大学区第一番中学は開成学校と改称し、ドイツ語コースは鉱山学科となり、和田はカール・アウグスト・シェンクに鉱物学を学ぶ。
安岡 雄吉(やすおか ゆうきち、1854年4月21日(嘉永7… 安岡 雄吉(やすおか ゆうきち、1854年4月21日(嘉永7年3月24日)- 1920年(大正9年)11月1日)は、明治期の官僚、政治家。勲四等旭日章。大東亜戦争の際、終戦詔勅の起草文を刪修した陽明学者安岡正篤の祖父にあたる。 土佐国幡多郡中村(高知県中村市、現四万十市)出身。安岡良亮の長男として生まれる。上京して大学南校、慶應義塾に学ぶ。 1878年(明治11年)、内務省に入る、元老院御用掛を経て後藤象二郎の大同団結運動に参加。1892年(明治25年)、第2回衆議院議員総選挙に吏党系から出馬し、自由党の片岡健吉・林有造を破るが、松方内閣が行った選挙干渉が問題となり、訴訟の結果当選無効となってしまった。
戸狩 権之助(とがり ごんのすけ、1852年4月21日(嘉永… 戸狩 権之助(とがり ごんのすけ、1852年4月21日(嘉永5年3月3日) - 1923年(大正12年)3月12日)は、日本の政治家。衆議院議員(7期)。 山形県出身。山形県議、同常置委員、同参事会員、米沢市議、同議長となる。また、山形運輸(株)社長、山形商業会議所会頭、山形米穀生糸株式取引所理事長を務めた。 米沢市の生まれ。父は米沢藩士の戸狩権之助(同名)で、父の名を襲名している。1879年に山形県会議員に当選し8期を務める。1890年の第1回衆議院議員総選挙に出馬するも落選。その後3回落選した。 1898年の第6回衆議院議員総選挙において山形1区から憲政党公認で立候補して初当選する。以来当選7回。
松野 礀(まつの はざま / かん、英: Hazama Jo… 松野 礀(まつの はざま / かん、英: Hazama Johannes Matsuno、1847年4月21日〈弘化4年3月7日〉 - 1908年〈明治41年〉5月14日)は、日本の林学者、林学教育者。東京山林学校初代校長兼教授。旧長州藩臣。ドイツ留学を経て日本への山林科学・林学導入と人材養成の基礎作りに貢献した。配偶者はベルリン出身の松野クララ。 長門国美祢郡大田村(現・山口県美祢市美東町大田)にて,長州藩郷士大野徳右衞門の四男(第七子)として生まれる。幼名は常松。一時他家の養子となったが復籍、以後義兄の医師長松幹の家で育てられた。万延元年(1860年)まで、郷士羽仁藤左衛門より和漢学を習い、文久元年(1861年)より山口にて藩儒岡守節等に就いて漢学を修業する傍ら、義兄に倣って医業を志し、蘭方医坪井信友(二代信道)に就いて初めて蘭学を学んだ。
小野 光景(おの みつかげ、弘化2年3月15日〈1845年4… 小野 光景(おの みつかげ、弘化2年3月15日〈1845年4月21日〉 - 大正8年〈1919年〉9月18日)は近代日本の実業家、政治家。幼名、彦太郎。 信濃国伊那郡小野村(天領、現長野県上伊那郡辰野町)の名家、小野兵右衛門光賢の子として生まれ、高遠藩の藩校・進徳館で学ぶ。明治15年(1882年)、横浜商業高校の前身にあたる横浜商法学校を創立。翌16年(1883年)、絹糸輸出商社の小野商店を創業。その後横浜正金銀行(東京銀行の前身)頭取、横浜商工会議所会頭などを歴任。郷里の小野で小野駅の開設や、私財を投じての学校、図書館、病院等の建設に貢献した。 1910年(明治43年)神奈川県多額納税者として補欠選挙で貴族院多額納税者議員に互選され、同年2月7日に就任し1918年(大正7年)9月28日まで在任した。
泉 麟太郎(いずみ りんたろう、1842年〈天保13年4月2… 泉 麟太郎(いずみ りんたろう、1842年〈天保13年4月21日〉 - 1929年〈昭和4年〉1月7日)は、北海道栗山町の前身である角田村の開祖。 1842年(天保13年4月21日)、陸奥国伊具郡角田にて、陸奥石川氏に仕える添田保の子として生まれる。幼名は拙之助。 成教堂で経史を修めた拙之助は、生徒たちに書物の読み方を教える「句読役」を命じられ、さらに仙台への遊学を経てからは、成教堂目付兼武頭役に就いた。 1864年(元治元年)8月1日、角田藩重役の泉靖七郎の養子となり、10月6日には藩主・石川義光から「麟太郎」の名を賜る。 1868年(慶応4年)に戊辰戦争が勃発すると、仙台藩一門の筆頭格たる石川家は、はじめ仙台の警備にあたっていた。
倉富 胤厚(くらとみ たねあつ、文政12年3月18日(182… 倉富 胤厚(くらとみ たねあつ、文政12年3月18日(1829年4月21日) - 明治23年(1890年)6月30日)は、筑後国久留米藩領出身の儒者・政治家。通称は八兵衛、字は士簡、号は篤堂(とくどう)。 文政12年(1829年)、筑後国三潴郡大隈村(現・福岡県久留米市梅満町)の庄屋・園田為右衛門の次男として生まれる。幼名は熊三郎。 はじめ田主丸の重富縄山に儒学を学び、16歳で豊後日田の咸宜園に入門して広瀬淡窓に学んだ。なお、重富縄山も広瀬淡窓門下である。 18歳のとき、親族である竹野郡徳童村(現・久留米市田主丸町)の庄屋・倉富又市の婿となり、その後を継ぐ。慶応3年(1867年)には藩命を受けて、当時大宰府に滞在していた三条実美ら五卿(七卿落ち参照)の警護にあたっている。
中川 梨花(なかがわ りか、4月21日 - )は、日本の女優… 中川 梨花(なかがわ りか、4月21日 - )は、日本の女優、声優、タレント。北海道札幌市出身。サンミュージックプロダクション所属。 解散した北海道のローカルアイドル「PEACEFUL」の元メンバー。北海高校在学時には弁論部に所属し、2016年度文部科学大臣旗全国高等学校弁論大会(第40回全国高校総合文化祭弁論部門)にて最優秀賞を受賞した。 約1年半の間、テレビ北海道の生活情報番組「スイッチン!」にて箕輪直人とともにMCを務めた。「アリスインデッドリースクール オルタナティブ・SAPPORO」にて初舞台(2016年5月)。映画『写真甲子園 0.5秒の夏』の撮影で多忙だったため大学受験を半年遅らせ、2017年9月に慶應義塾大学総合政策学部に入学。
咲城 けい(さきしろ けい、4月21日 - )は、宝塚歌劇団… 咲城 けい(さきしろ けい、4月21日 - )は、宝塚歌劇団星組に所属する男役。
竹内 文香(たけうち あやか、4月21日 - )は、日本の漫… 竹内 文香(たけうち あやか、4月21日 - )は、日本の漫画家。既婚。愛知県大府市出身。牡牛座。血液型O型。 特記した以外の作品は全て集英社、マーガレットコミックス(DIGITAL)から刊行されている。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
志垣 佳奈(しがき かな、4月21日 - )は、日本のフリー… 志垣 佳奈(しがき かな、4月21日 - )は、日本のフリーアナウンサー。フリーライターとしても活動している。 福岡県福岡市出身。筑紫女学園高等学校、西南学院大学文学部卒業。 1990年4月から1992年4月までNHK福岡放送局のラジオDJとリポーターを務めた。 1993年4月1日、同年10月の開局を控えていた大分朝日放送に入社し、同期の武本靖子、長田次郎、中村康人、原田多美子とともに同局のアナウンサーになる。 1997年4月に大分朝日放送を退社。再びNHK福岡放送局と契約し、1997年4月から2000年4月まで同局の契約キャスターを務めた。 2001年からはフリーで活動。 データは、本人が局アナnet(下記外部リンク節を参照)で公開しているプロフィールからの参考。