池田 三四郎(いけだ さんしろう、1909年(明治42年)5… 池田 三四郎(いけだ さんしろう、1909年(明治42年)5月30日 - 1999年(平成11年)12月15日)は、日本の木工家。 1909年、長野県松本市に生まれる。旧制松本中学校(現・長野県松本深志高等学校)を経て、1932年、東京高等工芸学校(現・千葉大学工学部)写真科卒業。 1938年、東京で建築写真業「三六工房」を始める。1944年、中央構材工業会社(後の松本民芸家具)設立に参加。 1948年、柳宗悦に師事し、民藝運動に参加。柳の「用の美」の思想を実践。飛騨山脈に自生するミズメ桜、欅などを用いて、松本で指物師に受け継がれていた技術を生かす。その丈夫さは、「スクラップアンドビルド」の風潮に抵抗するもので、和家具にヨーロッパや李朝の家具の技術を取り入れた作品で知られる。
海江田 進(かいえだ すすむ、1909年〈明治42年〉5月3… 海江田 進(かいえだ すすむ、1909年〈明治42年〉5月30日 - 1984年〈昭和59年〉9月16日)は、日本の英文学・英語学者。海江田信義の子孫。 東京生まれ。1931年東京外国語学校英語科卒。1952年東京外国語大学助教授、教授、73年定年退官、名誉教授、明星大学教授。大学入試英語の教科書などを多く執筆した。
伊馬 春部(いま はるべ、1908年(明治41年)5月30日… 伊馬 春部(いま はるべ、1908年(明治41年)5月30日 - 1984年(昭和59年)3月17日)は日本の作家、劇作家。本名は高崎英雄。旧筆名は伊馬鵜平。戦前から戦後にかけてユーモア小説やラジオドラマなどの分野で活躍。釈迢空門下の歌人としても知られる。
蓬茨 祖運(ほうし そうん、1908年5月30日 - 198… 蓬茨 祖運(ほうし そうん、1908年5月30日 - 1988年9月20日)は、浄土真宗の僧、仏教学者。 石川県出身。大谷大学卒。真宗大谷派参務。1970年九州大谷短期大学教授、二代目学長。賢隆寺住職。宇宙物理学者・蓬茨霊運は長男。
戒能 通孝(かいのう みちたか、1908年(明治41年)5月… 戒能 通孝(かいのう みちたか、1908年(明治41年)5月30日 - 1975年(昭和50年)3月22日)は、日本の法学者。専門は民法。早稲田大学教授、旧東京都立大学教授などを歴任。弁護士。 1908年、長野県飯田市生まれ。本籍は愛媛県。父は旧制飯田中学教師として飯田に赴任した。1927年、第五高等学校卒、1930年、東京帝国大学卒。法学博士。 師は穂積重遠、末弘厳太郎。在学中セツルメント法律相談部に参加。 満鉄調査部の宮崎正義が率いる日満財政研究会に、当時、東京帝国大学経済学部助手だった古賀英正(後の作家南條範夫)らとともに参加。軍による東亜支配を経済的に支える統制経済計画の策定に深く関与する。
出口 神暁(でぐち しんぎょう 1907年5月30日 – 1… 出口 神暁(でぐち しんぎょう 1907年5月30日 – 1985年3月9日)は、日本の蔵書家、郷土史家。 岸和田市の称名寺の長男として生まれる。平安中学校卒業。岸和田市役所書記等を勤めたのち、1947年、称名寺住職を継ぐ。市役所勤務のころから、郷土資料の収集・研究を行い、のちに反町茂雄から「異常に熱心な郷土資料の蒐集家」と評された。1943年4月に蔵書をもとに鬼洞文庫を設立。蔵書は、現在は関西大学図書館や大阪歴史博物館などに収められている。1949年には和泉文化研究会を設立し、機関誌として『流木』(のち『和泉志』と改題)を創刊し、また和泉文化研究会図書館の館長も務めた。その他に「鬼洞叢書」や「和泉史料叢書」として史料集の編纂刊行を行った。
柴垣 和三雄(しばがき わさお、1906年5月30日 - 2… 柴垣 和三雄(しばがき わさお、1906年5月30日 - 2001年5月1日)は日本の数学者、九州大学名誉教授、学位は理学博士。専攻は数学。 1906年金沢市生まれ。1929年に東京大学理学部物理学科卒業。 1941年に「n変数の一つの実函数の此等変数のm(<n)個の方程式によって定義さる超曲面上におけるクルチカルポイントについて」で東京大学より理学博士号を取得。その後九州大学、東京理科大学理学部教授を歴任。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
岩城 長保(いわき ながやす、1905年(明治38年)5月3… 岩城 長保(いわき ながやす、1905年(明治38年)5月30日 – 1983年(昭和58年)4月14日)は、富山県出身の実業家。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
尾崎 喜左雄(おざき きさお、1904年〈明治37年〉5月3… 尾崎 喜左雄(おざき きさお、1904年〈明治37年〉5月30日 - 昭和53年〈1978年〉1月4日)は、日本の歴史学者・考古学者。主に群馬県で古墳の調査を行い、群馬県の考古学の礎を築いた。文学博士、群馬大学名誉教授。 1904年(明治37年)、神奈川県足柄上郡川村(現・山北町)に生まれる。1923年(大正12年)神奈川県立第一横浜中学校(現・神奈川県立希望ケ丘高等学校)を卒業。1926年(大正15年)日本メソヂスト静岡教会で受洗。同年静岡高等学校卒業後、東北帝国大学法文学部に入学するも中退。1930年(昭和5年)九州帝国大学法文学部を卒業(法学士)。1932年(昭和7年)近衛砲兵大隊に入隊し工兵科幹部候補生となるが同年除隊し予備役となる。
菅 太郎(かん たろう、1904年(明治37年)5月30日 … 菅 太郎(かん たろう、1904年(明治37年)5月30日 - 1980年(昭和55年)1月11日)は、日本の内務官僚、政治家。衆議院議員(5期)。 愛媛県松山市出身、東京帝国大学法学部卒業。戦前は内務省の革新官僚の一人で、内務事務官や企画院調査官を務めた他、1936年12月より一時期は満洲国総務庁に配属されている。また1941年に発足した大日本翼賛壮年団の訓練部長や理事に就任した(1943年まで)。 戦後、公職追放となり、1952年に追放解除。同年の第25回衆議院議員総選挙で改進党から愛媛県第1区より初当選。1953年の第26回衆議院議員総選挙では落選した。その後も当選と落選を繰り返し、1955年の第27回衆議院議員総選挙で日本民主党から2度目の当選を果たし、同年の保守合同(自由民主党結党)に参加。
蓮實 重康(はすみ しげやす、1904年5月30日 - 19… 蓮實 重康(はすみ しげやす、1904年5月30日 - 1979年1月11日)は、日本美術史学者、元京都大学教授。東京市麻布生まれ。
李 在鶴(イ・ジェハク、朝鮮語: 이재학、1904年5月30… 李 在鶴(イ・ジェハク、朝鮮語: 이재학、1904年5月30日または5月31日 - 1973年11月23日)は、日本統治時代の朝鮮の官僚、大韓民国の官僚、政治家。丹陽郡守、制憲・第2・3・4・5代韓国国会議員を歴任し、第3・4代議員在任中は国会副議長を務めた。 本貫は原州李氏。号は東恩。妻は李正守(朝鮮語版)、元国会議員の李教善(朝鮮語版)と李応善(朝鮮語版)は息子。 江原道洪川郡西面出身。1924年に京城第1高等普通学校(現・京畿高等学校)を卒業し、1929年京城帝国大学(現・ソウル大学校)法文学部卒。1938年から忠清北道学務課嘱託・視学・社会課長を務め、1944年に丹陽郡守となった。 光復後は江原道学務局長・警務局長・内務局長・知事代理・知事署理、春川農業大学(現・江原大学校)学長を経て、1948年の初代総選挙で国会議員に当選した。
林 房雄(はやし ふさお、1903年(明治36年)5月30日… 林 房雄(はやし ふさお、1903年(明治36年)5月30日 - 1975年(昭和50年)10月9日)は、日本の小説家、文芸評論家。大分県大分市出身。本名は後藤 寿夫(ごとう ひさお)。戦後の一時期の筆名は白井 明。戦後は中間小説の分野で活動し、『息子の青春』、『妻の青春』などを出版し舞台上演され流行作家となった。 父が酒に溺れたため、家業の雑貨商が破産。このため母が紡績工場の女工として家計を支えた。1916年(大正5年)、旧制大分中学校(現・県立大分上野丘高校)入学後は、銀行家の小野家の住み込み家庭教師として働きながら苦学し、1919年(大正8年)、第五高等学校に入学してからも小野家の援助を受ける。
鳴山 草平(なるやま そうへい、1902年(明治35年)5月… 鳴山 草平(なるやま そうへい、1902年(明治35年)5月30日 - 1972年(昭和47年)3月7日)は、日本の小説家。本名は前田好照。昭和初期に時代小説を数多く手がけるほか、自身の教師体験をもとにしたを「きんぴら先生」シリーズで知られる。
堤 経長(つつみ つねなが、1901年(明治34年)5月30… 堤 経長(つつみ つねなが、1901年(明治34年)5月30日 - 1992年(平成4年)1月16日)は、日本の子爵。堤家の第15代当主。東京帝国大学法学部卒業。東京都出身。伯母は明治天皇の典侍で大正天皇の生母である柳原愛子。 東京都出身。子爵・堤雄長とその妻である柳原浜の長男として生まれる。母である浜の姉が明治天皇の権典侍の柳原愛子で、大正天皇の従弟に当たる。1940年(昭和15年)から1947年(昭和22年)まで子爵であった。。 1914年(大正3年)から1921年(大正10年)宮内省東宮職出士。東京帝国大学農学部、法学部を卒業し、鉄道局参事、仙台鉄道局職員、運輸省鉄道総局食糧増産本部次長、興亞火災海上保険(現、日本興亜損害保険)取締役、東海開発社長、歌会始読師、霞会館評議員、監事などを歴任した。
若林 義孝(わかばやし よしたか、1900年(明治33年)5… 若林 義孝(わかばやし よしたか、1900年(明治33年)5月30日 - 1981年(昭和56年)5月17日)は、昭和時代の政治家。衆議院議員(2期)。福井県敦賀市長、大阪府箕面市長。 三重県上野市にて生まれる。1927年(昭和2年)京都帝国大学法学部を卒業し、同大学生監事務嘱託を経て、国民同志会に入る。同会では理事に進み、長らく国民の政治教育に傾倒した。のち、学士会倶楽部大阪支部書記長を経て、1938年(昭和13年)12月12日に前福井県敦賀市長の森本一雄が逝去すると、同職の後任となった。 ついで、日本人造皮革工業連合会長、黒住教顧問などを歴任。1946年(昭和21年)第22回衆議院議員総選挙岡山全県区に自由党から出馬して当選し、第24回総選挙でも当選して計2期在任した。
正木 清(まさき きよし、1900年(明治33年)5月30日… 正木 清(まさき きよし、1900年(明治33年)5月30日 - 1961年(昭和36年)4月12日)は、日本の政治家。位階は従三位。 衆議院議員(7期)。衆議院副議長(第40代)を務めた。 福島県石城郡好間村(現いわき市)出身。小学校卒業後、炭坑の給仕などを経て1921年(大正10年)に上京するが、関東大震災で帰郷。1924年(大正13年)24歳の時北海道小樽市に移住し、鉄筋工などとして働く。小樽総労働組合に参加し、北海道地方評議会常任執行委員として多数の争議を指導する。1928年(昭和3年)の三・一五事件で2年間投獄される。出獄後は日雇労働を経て、1931年(昭和6年)、新労農党に参加。1934年(昭和9年)、全札幌労働者組合の支持を得て8年ぶりとなる無産派の札幌市議に選出される。
及川 貞(おいかわ てい、1899年(明治32年)5月30日… 及川 貞(おいかわ てい、1899年(明治32年)5月30日 - 1993年(昭和61年)11月13日)は日本の女流俳人。旧姓は野並(のなみ)。 東京市麹町区(現千代田区)生まれで、幼い頃は麻布にて育つ。 1916年(大正5年)に東京府立第三高等女学校(現在の都立駒場高等学校)を卒業後、海軍将校、及川鉄五郎の元へ嫁ぐ。そして夫に随って、佐世保、呉、舞鶴などの軍港都市に転居を繰り返した。1932年(昭和7年)に息子の中学入学のために四谷に仮寓する。その翌年、神田で開かれた俳句会にて水原秋桜子の指導を受け、俳人として進むきっかけとなった。 後に『馬酔木』婦人句会を起こしたことで知られ、多くの優れた女流俳人を輩出した。
森村 勇(もりむら いさむ、1897年5月30日 - 19… 森村 勇(もりむら いさむ、1897年5月30日 - 1980年3月23日)は、日本の実業家。日本特殊陶業社長や、全日本空輸社長、日本航空常務取締役、日本陶器取締役、東洋陶器取締役、日本碍子取締役などを歴任した。 1918年高千穂高等商業学校(現高千穂大学)卒業。1936年日本特殊陶業取締役。1944年日本特殊陶業取締役社長。1950年大日本製糖監査役。1951年日本特殊陶業取締役会長。1953年日本航空常務取締役。1955年日本航空監査役、日本特殊陶業取締役社長。1961年日本陶器取締役、東洋陶器取締役、日本碍子取締役、日本特殊陶業取締役会長。1962年全日本空輸取締役、日東石膏取締役。1963年東洋サーモコントロール監査役。
田中 誠二(たなか せいじ、1897年5月30日 - 199… 田中 誠二(たなか せいじ、1897年5月30日 - 1994年12月23日)は、日本の法学者。専門は商法。学位は、法学博士(東京帝国大学・論文博士・1939年)。一橋大学名誉教授。初代一橋大学法学部学部長を歴任。1981年12月12日より日本学士院会員。授勲勲二等瑞宝章。 指導学生等に堀口亘(一橋大学名誉教授)、好美清光(一橋大学名誉教授)、吉永榮助(一橋大学名誉教授)、加美和照(中央大学名誉教授)などがいる。 田中ゼミ出身者に堀口亘(一橋大学名誉教授)、好美清光(一橋大学名誉教授)、並木俊守(元日本大学教授、人気弁護士)、加美和照(中央大学名誉教授)、原茂太一(元青山学院大学教授)、佐藤節子(元青山学院大学教授)、柿沼幸一郎(元公正取引委員会委員)、岡村勲(元日本弁護士連合会副会長)、倉島研二(元法務省法務総合研究所教官)など。
杉田 久女(すぎた ひさじょ、1890年(明治23年)5月3… 杉田 久女(すぎた ひさじょ、1890年(明治23年)5月30日 - 1946年(昭和21年)1月21日)は、鹿児島県出身の日本の俳人。本名は杉田 久(すぎた ひさ)。高浜虚子に師事。長谷川かな女、竹下しづの女とともに、近代俳句における最初期の女性俳人で、男性に劣らぬ格調の高さと華やかさのある句で知られた。家庭内の不和、師である虚子との確執など、その悲劇的な人生はたびたび小説の素材になった。 大蔵省書記官・赤堀廉蔵と妻・さよの三女として鹿児島県鹿児島市で生まれる。父の転勤に伴い、12歳になるまで沖縄県那覇市、台湾嘉義県、ついで台北市と移住して過ごす。1908年(明治41年)、東京女子高等師範学校附属高等女学校(現・お茶の水女子大学附属中学校・お茶の水女子大学附属高等学校)を卒業。
三木 寛治(みき かんじ、1884年5月30日 - 1961… 三木 寛治(みき かんじ、1884年5月30日 - 1961年11月19日)は、日本の経営者。阿波商業銀行(現在の阿波銀行)頭取を務めた。 徳島県出身。1909年に東京帝国大学政治学科を卒業。藤本ビルブローカー証券での勤務を経て、1934年に阿波商業銀行常務、1940年に専務、1948年に副頭取を経て、1949年10月には頭取に就任。 1961年11月19日、急性心不全のために在任時に死去。77歳没。
塩谷 鵜平(えんや うへい、1877年(明治10年)5月30… 塩谷 鵜平(えんや うへい、1877年(明治10年)5月30日 - 1940年(昭和15年)12月8日)は、日本の俳人。本名は熊蔵、のちに宇平。別号に芋坪舎、華園など。農業。岐阜県稲葉郡鏡島村(現在の岐阜市)出身。 岐阜県鏡島村の裕福な地主の家に生まれる。塩谷宇平の長男。1898年、東京専門学校(現在の早稲田大学)邦語政治科(現在の政治経済学部)卒業。農業を営む。俳句は中学から詠み始め、当初は正岡子規に師事しホトトギスに投句するも、新傾向俳句に移行していった河東碧梧桐に陶酔し、碧梧桐の門人となる。自身の句誌『壬子集』と合併する形で、碧梧桐が主宰する海紅に参加、自由律俳句を詠むようになる。海紅同人とともに、郷里の岐阜でも『鵜川』『俳薮』などの俳誌を次々と発行、とくに1913年に発行した個人誌『土』は生涯に渡って続けられた。
今給黎 誠吾(いまきいれ せいご、1876年(明治9年)5月… 今給黎 誠吾(いまきいれ せいご、1876年(明治9年)5月30日 - 1953年(昭和28年)2月16日)は、明治から昭和時代前期の政治家。衆議院議員(1期)、第3代東南方村長・初代枕崎町長(現枕崎市)。枕崎市名誉市民。 鹿児島県出身。鹿児島県川辺郡鹿籠村西鹿籠(後に西鹿籠村、東南方村、枕崎町、枕崎市)の今給黎久清(児玉久清、初代東南方村長)の長男として生まれる。1878年(明治11年)家督を相続する。長谷場敦(衆議院議員、串木野町長)は実弟。 市立大阪商業学校に学ぶ。農業を営む傍ら、同県川辺郡東南方村長、鹿児島県会議員、同参事会員、枕崎町長を歴任する。1910年(明治43年)第3代東南方村長に就任してから初代枕崎町長を1947年(昭和22年)に退任するまで、連続36年8カ月在任した。
10代 吉野 周太郎(よしの しゅうたろう、1871年5月3… 10代 吉野 周太郎(よしの しゅうたろう、1871年5月30日〈明治4年4月12日〉 - 1937年〈昭和12年〉5月22日)は、明治から昭和初期の農業経営者、実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。旧姓は伊藤、幼名は要三。福島経済界の「巨人」と称された。 陸奥国白河郡、後の福島県西白河郡白河町(現白河市)で素封家・伊藤善右衛門の三男として生まれ、1888年(明治21年)7月、信夫郡八島田村(信夫郡野田村、吾妻町を経て現:福島市八島田)の9代吉野周太郎の婿養子となる。1911年(明治44年)8月、養父の死去に伴い家督を継承し、同年11月、10代周太郎を襲名した。 養父の築いた多額の財産により、福島第六銀行頭取、第百七銀行頭取、福島銀行頭取、武蔵野銀行頭取、岩代銀行頭取、福島電灯社長、夏井川水電取締役会長、福島羽二重取締役会長、福島県購買組合連合会理事長、同県信用組合連合会理事長などを務めた。
戸板 関子(といた せきこ、明治2年4月19日(1869年5… 戸板 関子(といた せきこ、明治2年4月19日(1869年5月30日) - 昭和4年(1929年)1月14日)は、日本の教育者。戸板学園の創立者。 1869年(明治2年)、仙台藩士で漢学者の戸板善内の一人娘として仙台北5番町で生まれた。生まれた年に父を亡くし、母の手で育てられた。 仙台の松操女学校で学び、18歳で小学校教員となった。自らの知識を磨くために上京し、横浜のフェリス女学校に入学する一方、フェリス女学校、東洋英和女学校、東京女学館で裁縫教師を務めた。1893年、鳥居坂教会の武田芳三郎牧師と結婚し家庭に入るが、教育への情熱から夫と離れて戸板姓に戻った。後に芳三郎と和解し、芳三郎が戸板家に入ることとなった。
小山 久左衛門(こやま きゅうざえもん、1862年5月30日… 小山 久左衛門(こやま きゅうざえもん、1862年5月30日〈文久2年5月2日〉- 1918年〈大正7年〉7月21日)は、日本の実業家、政治家、篤志家。小山家23代当主。諱は正友、幼名は邦太郎。信濃国佐久郡出身。政治家小山邦太郎・画家小山敬三の父。 出自には諸説あるが、源義光の曾孫である安田義定を祖とする説が小諸市内の小山姓において存在する。義定は甲斐源氏の一族であったため、その勢力を警戒した源頼朝により粛清されるが、子孫の安田義知が武田信虎に仕え、村上義清に備えて信濃国佐久郡に与良城を築城し、安田氏から与良氏へ改称したという。その後、その庶流の一族が同国高井郡小山郷を所領とし、与良氏から小山氏に改称したといわれている。
秋野 孝道(あきの こうどう、1858年5月30日(安政5年… 秋野 孝道(あきの こうどう、1858年5月30日(安政5年4月18日) - 1934年(昭和9年)2月20日)は、日本の仏教学者、曹洞宗の僧侶。曹洞宗大学(現・駒澤大学)学長。總持寺貫首、曹洞宗管長。別号・大忍。黙照円通禅師。 1858年(安政5年)、遠江国相良(現・静岡県牧之原市)に秋野新七の三男として生まれる。静岡・長興寺で出家し、1872年(明治5年)伊藤慶道について得度。曹洞宗大学専門本校(のち駒澤大学)卒業。 1880年兄弟子の加藤玄裔に嗣法。西有穆山に師事し「正法眼蔵」を研究。總持寺、天徳寺、大洞院を経て、1892年(明治25年)曹洞宗大学林学監、1900年教頭、1902年総監となる。
塚本 正之(つかもと まさゆき、天保3年5月1日(1832年… 塚本 正之(つかもと まさゆき、天保3年5月1日(1832年5月30日) - 大正7年(1918年)2月28日)は、江戸時代後期から明治時代の近江商人、社会事業家。湖国治山の父とも呼ばれる。塚本家はツカモトコーポレーションの創業一族。 塚本正之は、天保3年(1832年)に近江神崎郡川並村(現滋賀県東近江市五個荘川並町)の豪商初代定右衛門(1789年-1860年)の次男として誕生し、通称粂右衛門と称した。兄塚本定次(1826年-1905年)は勝海舟も大物と称した商人で、正之は兄を助け家業に精励し、県会議員を務めると共に一生を通じて公共事業に尽くした。 明治6年(1873年)6月学校世話方に選ばれ故郷川並村における小学校創立に力を注ぎ、明治9年(1876年)以降戸長・副区長・村会議員・連合村会議員、明治15年(1882年)6月第二回滋賀県会議員選挙において当選し(同19年(1886年再選)、神崎・愛知郡衛生会議員、勧業諮問委員等を歴任した。
夢野まな(ゆめの まな、5月30日 - )は、日本のアイドル… 夢野まな(ゆめの まな、5月30日 - )は、日本のアイドル、グラビアアイドル、タレントである。神奈川県横浜市出身。 名古屋ローカルアイドル『さくらシンデレラ』出身。 T158・B83・W57・H87。 趣味:ぬいぐるみと遊ぶ・ゴルフ・メイドカフェ巡り・写真モデル・茶道・日舞。 特技:ピアノ・着付け・ぶりっ娘。 2020年8月、浅草華雅きものアンバサダー就任。
貴咲 美里(きさき みり、5月30日 - )は、日本の元女優… 貴咲 美里(きさき みり、5月30日 - )は、日本の元女優。 元宝塚歌劇団雪組の娘役スター。鹿児島県名瀬市(現:奄美市)出身。名瀬市立大川中学校卒業[要出典]。身長164cm。愛称はみり。
早乙女 わかば(さおとめ わかば、5月30日 - )は、日本… 早乙女 わかば(さおとめ わかば、5月30日 - )は、日本の女優。元宝塚歌劇団月組・星組の娘役スター。 兵庫県神戸市、県立宝塚北高等学校出身。身長162cm。血液型A型。愛称は「わかば」。 所属事務所はニチエンプロダクション。 2006年、宝塚音楽学校入学。 2008年、音楽学校卒業後、宝塚歌劇団に94期生として入団。入団時の成績は24番。月組公演「ME AND MY GIRL」で初舞台。その後、星組に配属。 目を引く美貌で早くから注目を集め、2010年の「ハプスブルクの宝剣」で新人公演初ヒロイン。入団2年目での抜擢となった。その後も4度に渡って新人公演ヒロインを務める。 2011年の「ランスロット」でバウホール公演初ヒロイン。
梓 唯央(あずさ いお 、5月30日 - )は、元宝塚歌劇団… 梓 唯央(あずさ いお 、5月30日 - )は、元宝塚歌劇団宙組の男役。 長野県長野市、信州大学教育学部附属長野中学出身。身長169cm。愛称は「まっすー」。 2016年4月、宝塚音楽学校入学。 2018年4月、宝塚歌劇団に104期生として入団。入団時の成績は17番。星組宝塚大劇場公演『ANOTHER WORLD/Killer Rouge』で初舞台。 2018年12月、「白鷺の城/異人たちのルネサンス」東京公演千秋楽を休演。 2026年1月4日の東京宝塚劇場公演「PRINCE OF LEGEND/BAYSIDE STAR」で宝塚歌劇団を退団。 高峰妙子・・初代瀧川末子・・奈良美也子・・汐見洋子・・神代錦・・打吹美砂・・越路吹雪・・淀かほる・・星空ひかる・・麻鳥千穂 ・・甲にしき - 安奈淳、松あきら&瀬戸内美八 - 榛名由梨&安奈淳 - 安奈淳 - 松あきら - 松あきら&順みつき - 順みつき - 高汐巴 - 大浦みずき - 安寿ミラ - 真矢みき - 愛華みれ - 匠ひびき - 春野寿美礼 - 真飛聖 - 蘭寿とむ - 明日海りお - 柚香光 - 永久輝せあ(現役) 秋田露子・・初代春日花子・・初代大江美智子・・久美京子・・打吹美砂・・日下輝子・・宮城野由美子・・鳳八千代・・夏亜矢子・・美和久百合・・竹生沙由里・・上原まり(固定でない) - 上原まり&北原千琴 - 美雪花代 - 若葉ひろみ - 秋篠美帆 - ひびき美都 - 森奈みはる - 純名里沙 - 千ほさち - 大鳥れい - ふづき美世 - 桜乃彩音 - 蘭乃はな - 花乃まりあ - 仙名彩世 - 華優希 - 星風まどか - 星空美咲(現役) 高砂松子 - 初代瀧川末子 - 奈良美也子 - 三浦時子 - 汐見洋子 - 神代錦 - 打吹美砂 - 大路三千緒 - 藤波洸子 - 打吹美砂 - 畷克美 - 美吉左久子 - 淡路通子 - 恵さかえ - 但馬久美 - 宝純子 - 北小路みほ - 未沙のえる - 星原美沙緒 - 磯野千尋 - 夏美よう - 高翔みず希 - 美風舞良(現役)
敬也(けいや、5月30日 - )は、日本の男性シンガーソング… 敬也(けいや、5月30日 - )は、日本の男性シンガーソングライター、音楽プロデューサー、俳優である。音楽クリエイターチームamazuti代表、元Purple Stoneメンバー。兵庫県姫路市出身。 2013年よりヴィジュアル系ロックバンドPurple Stoneのメンバー「keiya」として活動していたが、2018年にPurple Stoneが解散となった。Purple Stone解散後は「敬也-keiya-」として、また同時に以前より活動していた歌い手「イヌゥ」としてソロ活動を活発化させた。 2020年、株式会社ANSSA creationを設立した。ANSSA creationの事業としてライバー事務所CAICALinks及び自身のクリエイターチーム「amazuti」を立ち上げた。
朝陽 つばさ(あさひ つばさ、5月30日 - )は、元宝塚歌… 朝陽 つばさ(あさひ つばさ、5月30日 - )は、元宝塚歌劇団月組男役。 群馬県前橋市、東京農業大学第二高校出身。169cm。愛称は「あさぴ」、「つーたん」。 2011年4月、宝塚音楽学校入学。同期には野々花ひまり、美園さくら、彩みちる、小桜ほのか、OGに笘篠ひとみ、舞雛かのんらがいる。 2013年3月、宝塚歌劇団に99期生として入団。入団時の成績は32番。雪組公演「ベルサイユのばら -フェルゼン編-」で初舞台。 2014年2月、組廻りを経て月組に配属。 2025年3月9日、『ゴールデン・リバティ/PHOENIX RISING -IN THE MOONLIGHT-』千秋楽をもって、宝塚歌劇団を退団。