佐々木 斗夢(ささき とむ、1997年5月20日 - )は、… 佐々木 斗夢(ささき とむ、1997年5月20日 - )は、日本のプロ野球選手(内野手・外野手)、野球指導者。右投右打。四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグス所属で、2026年シーズンより選手兼任監督を務める。 北海道札幌市出身。父親の指導により6歳の時に野球を始める。 北照高等学校では3年生時に全国高等学校野球選手権南北海道大会決勝に進出したが、北海高等学校に敗退した(佐々木は三塁手で出場)。 立正大学に進学し、野球部では、3年生の2018年に東都大学野球秋季リーグの対東洋大学戦で藤井聖から本塁打を放つなどの活躍を見せ、リーグ戦や第49回明治神宮野球大会の優勝メンバーとなる。
今川 優馬(いまがわ ゆうま、1997年1月25日 - )は… 今川 優馬(いまがわ ゆうま、1997年1月25日 - )は、北海道札幌市出身(釧路市生まれ)のプロ野球選手(外野手)。右投右打。北海道日本ハムファイターズ所属。 父としたキャッチボールが楽しかったため、札幌市立南小学校3年時より山鼻イーグルスで軟式野球を始める。札幌市立真駒内曙中学校では軟式野球部に所属していた。 高校は道内の強豪・東海大学付属第四高等学校に一般入試を経て入学。2年秋からベンチ入り。3年夏の甲子園大会には同級生の西嶋亮太(JR北海道)らとともに出場。自身は背番号16の控えで2回戦の山形県立山形中央高等学校戦では代打安打も記録している。高校通算本塁打数は2本であった。高校時代の同級生には上記の西嶋の他に大学でもチームメイトとなる上野純輝らがいた。
上野 純輝(うえの じゅんき、1997年1月15日 - )は… 上野 純輝(うえの じゅんき、1997年1月15日 - )は、北海道北広島市出身の元プロ野球選手(捕手、内野手)。 東海大四高在学時には甲子園大会に出場。スローボールで甲子園を沸かせた西嶋亮太とバッテリーを組んだ。高校時代の同級生は前述の西嶋や大学でもチームメイトとなる今川優馬らがいた。 高校卒業後は高校に隣接している東海大学札幌キャンパスに進学。 大学卒業後は地元・北海道の社会人野球チームのTRANSYSでプレー。 2020年は四国アイランドリーグplusの徳島インディゴソックスにてプレー。出場試合こそ少なかったが、投手陣を支えた[要出典]。同年をもって退団。 徳島退団後の2021年は地元・北海道に戻り、地元の製菓企業の六花亭に入社し、軟式野球部にて野球を継続していることを本人がツイッターで公表している。
佐藤 龍世(さとう りゅうせい、1997年1月15日 - )… 佐藤 龍世(さとう りゅうせい、1997年1月15日 - )は、北海道厚岸郡厚岸町出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。 スピードスケート選手で2018年の平昌オリンピック女子団体パシュート金メダリストの佐藤綾乃は従姉にあたる。 厚岸町立真龍小学校2年生から「真龍ファイターズ」で野球を始める。厚岸町立真龍中学校時代は「釧路中央シニア」でプレーしていたが、廃部になり「釧路シニア」でプレー。 高校は全国選手権への最多出場回数を誇る札幌市の北海高等学校に進学し、4番打者を担った。しかし、佐藤の代は一度も甲子園出場を果たせず、特に2年夏と3年夏は南北海道大会の札幌支部予選で初戦敗退を喫した。この結果から一度は野球に対する気持ちが折れ、厚岸に戻って漁師か消防士の仕事に就くことを考えていたが、高校の監督に説得され、富士大学経済学部経営法学科への入学を勧められた。
齋藤 綱記(さいとう こうき、1996年12月18日 - )… 齋藤 綱記(さいとう こうき、1996年12月18日 - )は、北海道札幌市北区出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。中日ドラゴンズ所属。 札幌市立新光小学校3年生のときに新光スワローズで野球を始め、当初から投手を務めていた。札幌市立光陽中学校では軟式野球部に所属。 北照高校へ進学すると、1年秋からベンチ入り。1年秋の明治神宮大会準決勝(対仙台育英)、2年夏の甲子園1回戦(対常総学院)にリリーフで登板した。2年秋の北海道大会・小樽地区予選では、5回参考記録(コールドゲーム)ながら完全試合を達成。3年時には、コーチに就任した松岡弘から呼吸法・体重移動・精神面に関する指導を受け、3年春の北海道大会では優勝を果たした。
伊藤 優希(いとう ゆうき、1996年8月31日 - )は、… 伊藤 優希(いとう ゆうき、1996年8月31日 - )は、北海道苫小牧市出身の元プロ野球選手(外野手)。 苫小牧市立苫小牧東中学校時代には硬式野球の苫小牧クラブに所属。中学3年時には第14回 IBAF 16U 世界選手権の日本代表に選出された。 進学した駒澤大学附属苫小牧高等学校では2014年春の選抜大会に出場。2試合で7打数4安打、3盗塁とチームを牽引した。また、U18日本代表の1次候補にも選出された。 高校卒業後は東都大学野球所属の亜細亜大学に進学し、1年春より公式戦に出場した。 大学卒業後は地元の社会人野球チームの北海道ガスに入社。しかし、度重なるけがで目立った活躍ができず、社会人2年目は、突発的な吐き気や激しいめまいなどが頻発し、日常生活もままならない状況に陥り、1か月で体重が10kgも落ちたこともあった。
大友 潤(おおとも じゅん、1996年8月8日 - )は、北… 大友 潤(おおとも じゅん、1996年8月8日 - )は、北海道上川郡上川町生まれ、札幌市出身の社会人野球選手(外野手)。 北海道上川郡上川町で生まれ育ち、小学校に上がる頃に札幌市へ引っ越す。小学時代はサッカーや柔道をしていたが、札幌市立柏中学校の軟式野球部で本格的に野球に取り組むようになる。中学時代に札幌市大会優勝などを果たすも、大友自身は特に目立った選手ではなかった。 スポーツ推薦ではなく一般受験で札幌第一高等学校に進む。硬式野球部に所属するも3年間で一度もベンチ入りできず、挫折を経験した。 一浪後に高崎経済大学に進学。浪人中は野球を続けるつもりはなかったが、当時、関甲新学生野球連盟三部リーグ所属の同大学野球部で野球を再開。
戸川 大輔(とがわ だいすけ、1996年4月29日 - )は… 戸川 大輔(とがわ だいすけ、1996年4月29日 - )は、北海道沙流郡日高町出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。 日高町立厚賀小学校2年生の時に投手として野球を始め、日高町立厚賀中学校時代は札幌グロウィングス(現・札幌北広島ボーイズ)でプレーした。北海高等学校では1年生時の秋に背番号「1」でベンチ入りし、2年生時の秋に投手から外野手に転向した。3年生時の第96回全国高等学校野球選手権大会・南北海道大会札幌予選では2回戦で北海道札幌南高等学校に敗れている。高校通算13本塁打。同期に佐藤龍世がいる。 2014年10月23日に行われたドラフト会議で、埼玉西武ライオンズから育成選手ドラフト1位指名され、支度金350万円、年俸300万円(金額は推定)で仮契約を結んだ。
西嶋 亮太(にしじま りょうた、1996年4月10日 - )… 西嶋 亮太(にしじま りょうた、1996年4月10日 - )は、北海道帯広市出身の元社会人野球選手(投手)。 小学1年生の頃から野球を始め、帯広市立帯広第六中学校時代はとかち帯広シニアに所属。部員わずか12人のチームを牽引し、全道大会準優勝を果たした。投手をしない時にはショートを守っていた。当時は道内中学ナンバーワン投手として進路が注目されていた。 高校は道内でも強豪の東海大学付属第四高等学校に進学。2014年夏の甲子園大会に出場する。後にプロ入りする清水優心、山本武白志、古澤勝吾、富山凌雅らを擁した九州国際大学付属高等学校との1回戦では球速が計測不能のスローボールを多用し、1失点完投勝利をおさめ、注目を浴びた。
山本 大貴(やまもと だいき、1995年11月10日 - )… 山本 大貴(やまもと だいき、1995年11月10日 - )は、北海道札幌市厚別区出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 札幌市立信濃小学校3年の時に「信濃スターズ」で野球を始め、札幌市立信濃中学校時代は江別リトルシニアに所属。3年時には全国大会にも出場した。 高校は公立高校に進学することを考えていたが、偶然北星学園大学附属高等学校の監督の目に留まったことで、同高に進学。1年夏からベンチ入りし、2年秋からはエースを務めたが、3年夏は全国高等学校野球選手権南北海道大会札幌地区予選3回戦で札幌琴似工業に敗退するなど、3年間で全道大会への出場は果たせなかった。スカウトからの注目も集めていたためプロ志望届を提出したが指名されず、北海道内の大学に進学を予定していた。
齊藤 誠人(さいとう まさと、1995年8月7日 - )は、… 齊藤 誠人(さいとう まさと、1995年8月7日 - )は、北海道札幌市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投左打。妻は女優の楠木杏。 札幌市立札苗中時代に所属していた札幌北シニアでは、選手が10人しかいない中で補欠であった。 札幌光星高時代は、3年次夏の南北海道予選で8強に進出したのが最高成績。 高校卒業後は、体育教師を目指すために北海道教育大学岩見沢校に進学する。当初は野球を続けるつもりはなかったが、練習を見学した際の部員たちからの強引な勧誘によって札幌学生野球連盟に加盟する同校の硬式野球部に入部しプレーを継続することとなる。指導者がいない中、選手たちで意見を出し合い練習メニューを決め、3年次からは齊藤が事実上の采配をふるっていた。
砂田 毅樹(すなだ よしき、1995年7月20日 - )は、… 砂田 毅樹(すなだ よしき、1995年7月20日 - )は、北海道札幌市中央区出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 高校野球の経験者であった義父の影響で、小学校2年時に野球を始める。札幌市立伏見中学校時代は札幌南シニアに所属した。 秋田市にある明桜高等学校への進学後は、1年生の春からベンチ入りを果たした。しかし、利き腕に死球を受けるアクシデントなどの影響で、在学中には春夏とも甲子園球場での全国大会に出場できなかった。3年生の夏には、選手権秋田大会準々決勝で敗退したが、大会通算投球回数25イニングで自責点1、40奪三振という好成績を残し、NPB球団のスカウトから一躍注目されるようになった。 2013年のNPB育成ドラフト会議で、横浜DeNAベイスターズから1巡目で指名。
吉田 雄人(よしだ ゆうと、1995年4月21日 - )は、… 吉田 雄人(よしだ ゆうと、1995年4月21日 - )は、北海道茅部郡森町出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。 小学1年から森クラブ野球少年団で野球を始める。森中時代は函館東リトルシニアで投手兼外野手の傍ら、俊足を活かして陸上部も掛け持ちしていた。 北照高等学校には当初投手として入学したが、打者としての大成を目指し野手に専念。1年秋からレギュラーの座を獲得すると、2年春、3年春・夏と、3度にわたって甲子園球場での全国大会出場を経験した。全国大会では、通算5試合で16打数8安打を記録。主将を務めた3年時には、夏の選手権大会後に開かれた第26回AAA世界野球選手権大会(IBU野球ワールドカップ)に、日本代表のメンバーとして出場。
笠井 崇正(かさい たかまさ、1994年8月7日 - )は、… 笠井 崇正(かさい たかまさ、1994年8月7日 - )は、北海道旭川市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 旭川市立共栄小学校3年時から軟式野球を始めると、東陽中学校時代には軟式野球部に所属していた。 旭川西高校への進学後に硬式野球部へ入ると、2年時の春からベンチ入り。夏の選手権大会では、旭川支部の予選を勝ち抜いた末に、チーム44年ぶりの北北海道大会出場を果たした。3年時の春には、チーム史上初めて全道大会へ出場すると、野球部創部後の対外試合では初めての完封勝利(9回5安打11奪三振)を1回戦で達成した。後に2回戦まで進出したが、在学中には春夏共に、阪神甲子園球場での全国大会へ出場できなかった。
樋越 優一(ひごし ゆういち、1993年9月28日 - )は… 樋越 優一(ひごし ゆういち、1993年9月28日 - )は、北海道網走市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投左打。プロでは育成選手であった。 小学生の時に地元の野球クラブで野球を始めた。 中学では始め網走市の中学校で軟式野球をしていたが、中学2年の冬に埼玉県の中学校に転校。東京・東練馬シニアで硬式野球をプレーした。 千葉経済大学附属高等学校では3年夏に5番・捕手で出場した第93回全国高等学校野球選手権千葉大会8強が最高で、甲子園への出場経験は無かった。当大会では打率.474を記録し、2011年7月24日に行われた準々決勝、対習志野高等学校戦において、2安打を放つも延長10回サヨナラ負けを喫する。
川越 誠司(かわごえ せいじ、1993年6月30日 - )は… 川越 誠司(かわごえ せいじ、1993年6月30日 - )は、北海道札幌市豊平区出身のプロ野球選手(外野手)。左投左打。中日ドラゴンズ所属。 札幌市立豊平小学校2年生の時に野球を始め、札幌市立八条中学校では札幌豊平東シニアで投手としてプレーした。当時のチームメイトには1歳下に水野滉也がいる。 北海高等学校では、3年生の第83回選抜高等学校野球大会で3試合に「4番・右翼手」として先発出場し、1回戦・対創志学園高等学校戦では同点の8回に決勝本塁打を放つなど、計12打数6安打、1本塁打、2打点、打率.500の成績だった。第93回全国高等学校野球選手権大会・1回戦の対明徳義塾高等学校戦では「4番・右翼手」として先発出場し、4打数1安打1打点、打率.250の成績でチームはサヨナラ負けした。
又野 知弥(またの ともや、1992年10月9日 - )は、… 又野 知弥(またの ともや、1992年10月9日 - )は、北海道函館市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。 小学3年生の時地元の少年野球チーム昭和ジャガーズに入り野球を始める。函館市立亀田中学校時代は函館東シニアに所属し3年春に全国出場した。 北照高校では1年夏からベンチ入り。2年夏は一塁手・外野手として出場。6番に座り、打率.5割3分8厘・2本塁打10打点の活躍で南北海道大会準優勝に輝く。2年秋からエースで4番を務め北海道大会では3試合連続完投勝利を挙げ、防御率1.50の投球で10年ぶりの優勝に貢献した。甲子園は春夏連続で出場し、甲子園の春夏両大会で本塁打を放った。 2010年のドラフトで東京ヤクルトスワローズから4位指名を受けた。
成瀬 功亮(なるせ こうすけ、1992年8月19日 - )は… 成瀬 功亮(なるせ こうすけ、1992年8月19日 - )は、北海道旭川市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。プロでは育成選手であった。 小学3年の時、野球を始める。中学時代は、旭川北陵シニアに所属し三塁手兼投手としてプレー。 旭川実業高時代は、3年時の春にエースナンバーを背負ったが、その後故障もあり夏には同期の鈴木駿平にエースの座を譲り控え投手になった。北北海道予選では1試合の登板に留まったが、甲子園では初戦の佐賀学園高戦にリリーフで登板、キレの良い投球で3回と2/3を3奪三振1失点、最速145km/hを記録する快投を見せるもチームは敗退。その他の同期に玉井大翔がいる。 2010年10月28日、プロ野球ドラフト会議にて読売ジャイアンツから育成6位指名を受ける。
玉井 大翔(たまい たいしょう、1992年6月16日 - )… 玉井 大翔(たまい たいしょう、1992年6月16日 - )は、北海道常呂郡佐呂間町出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。北海道日本ハムファイターズ所属。 佐呂間小学校1年の時に「佐呂間ライオンズ」で野球を始め、佐呂間中学校時代は軟式野球部に所属し、地区2回戦が最高成績。旭川実業高等学校進学後は1年秋の支部予選に背番号18で初のベンチ入りを果たすも、同級生に鈴木駿平と成瀬功亮がおり、公式戦の登板は2年秋の全道大会準々決勝の北照戦が最後。3年夏の甲子園は背番号11も登板機会はなかった。高校卒業後、東京農業大学生物産業学部(北海道網走市)へ進学する。 大学進学後は1年時の春季リーグ開幕戦、北海道教育大学函館校戦で先発を任されるとリーグ史上7人目のノーヒットノーランを達成。
佐藤 明義(さとう あきよし、1992年3月3日 - )は、… 佐藤 明義(さとう あきよし、1992年3月3日 - )は、北海道砂川市出身の元アマチュア野球選手(投手)、監督。2022年から2023年まで、すながわリバーズの監督を務めた。 小学生時代は砂川スティッカーズで、中学生時代は砂川中学校の野球部で野球をプレー。 砂川高等学校では1年秋から主戦投手としてほとんどの試合で登板。身長166cmと小柄ながら、右腕エースとして活躍した。高校卒業後は上京し、創価大学に進学。東京新大学野球連盟所属の野球部でも投手としてプレー。4年生のときに同部が出場した第62回大学選手権ではベンチ入りするも、同期には石川柊太がおり、同大会での登板の機会は無かった。 大学卒業後は航空自衛隊に入隊し、北海道に戻る。
杉浦 稔大(すぎうら としひろ、1992年2月25日 - )… 杉浦 稔大(すぎうら としひろ、1992年2月25日 - )は、北海道帯広市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。 妻はフリーアナウンサーで、モーニング娘。元メンバーの紺野あさ美。 小学校3年生から野球を始め、中学時代は軟式野球部に所属していた。野球と並行し、中学時代までアイスホッケー選手としても活躍した。帯広大谷高等学校野球部3年時には決勝まで進んだ。しかし、決勝で後に大学でチームメイトとなる柿田竜吾を擁する旭川大学高等学校に敗れた。その後、プロ志望届を提出したが指名漏れとなる。 高校卒業後は東都大学野球連盟に加盟する國學院大學(文学部)に進学。硬式野球部では、竹田利秋(1年の春季までは監督、後に総監督)の指導を受ける。
眞下 貴之(まっか たかゆき、1991年4月19日 - )は… 眞下 貴之(まっか たかゆき、1991年4月19日 - )は、日本の元プロ野球選手・社会人野球選手(投手)。なお、報道などでは苗字を真下と表記する場合もある。 実父が社会人野球・新日本製鐵室蘭の選手だったことから、同社の製鉄所がある北海道室蘭市で生まれた。その後、1歳の時に父親が新日本製鐵君津製鐵所へ転勤となり、これに伴って家族で千葉県君津市へ転居した。 小学5年生の時に「子安クラブ」で野球をスタート。中学生時代には「君津リトルシニア」へ所属、2年生の時から投手へ専念した。 東海大望洋高校への進学後は、1年生の秋から公式戦へのベンチ登録を果たすと、控え投手としてチームの千葉県大会ベスト8進出に貢献した。
佐藤 峻一(さとう しゅんいち、1991年1月8日 - )は… 佐藤 峻一(さとう しゅんいち、1991年1月8日 - )は、北海道常呂郡置戸町出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。2017年からは社会人野球の日本製鉄室蘭シャークスに所属している。 小学3年生の時に置戸ジャガーズで野球を始める。中学校時代には、外野手を経て、2年生から投手に転向。3年生の時には、北見市の大会で優勝を経験している。 北見柏陽高校へ進学すると、1年夏からベンチ登録。当時から140km/h台のストレートを投げていたという。3年夏の全国高等学校野球選手権北北海道大会では、北見支部予選の初戦から、大会の準々決勝で駒大岩見沢高校に敗れるまで無失点を続けていた。高校の同級生にタレントの菊地亜美(元アイドリング!!!)がいる(菊地は芸能活動のため2年生から上京し、東京都の日出高校へ転校)。
鍵谷 陽平(かぎや ようへい、1990年9月23日 - )は… 鍵谷 陽平(かぎや ようへい、1990年9月23日 - )は、北海道亀田郡七飯町出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 妻は女優の青谷優衣。 小学1年生から野球を始め、5年時に内野手から投手へ転向した。七飯町立七飯中学校時代は、軟式野球部に所属。野球推薦の話があったことと、野球を続けるなら親に甘えたくないという理由から札幌市にある北海高校に進学。 高校時代は1年時の夏からベンチ入し、2年時の秋からエースとなる。3年時の夏に南北海道予選を制し、第90回全国高等学校野球選手権記念大会に出場するが、1回戦の東邦高校戦で先頭打者本塁打を含む14被安打12失点と打ち込まれ、7回途中で降板しチームも10-15で敗退。
大累 進(おおるい すすむ、1990年8月31日 - )は、… 大累 進(おおるい すすむ、1990年8月31日 - )は、北海道出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。右投右打。改姓したため、現在の本名は北山進。 小学校3年で野球を始め、中学時代は札幌新琴似シニアで三塁手としてプレー。駒澤大学附属苫小牧高校入学後に遊撃手に転向。2学年上に田中将大がいたが、自身は甲子園出場経験無し。1年夏(第88回選手権大会、引き分け再試合の末に準優勝)、2年夏(第89回選手権大会、1回戦敗退)はベンチ外。2年秋からベンチ入りするも、3年夏は南北海道大会の準々決勝で鍵谷陽平擁する北海高校に0-9で敗れた。 道都大学(札幌学生野球連盟所属)では1年時の春から公式戦に出場。3年時には、春・秋連続で遊撃手でベストナインに選出された。
白崎 浩之(しらさき ひろゆき、1990年8月20日 - )… 白崎 浩之(しらさき ひろゆき、1990年8月20日 - )は、北海道岩見沢市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。現在は埼玉西武ライオンズのアカデミーコーチ。 小学校1年生から岩見沢市立第一小学校、岩見沢第一アトムズにて野球を始め、岩見沢市立緑中学校では岩見沢シニアに所属。投手兼遊撃手として2年夏にジャイアンツカップに出場し、3年には全国大会ベスト16に貢献。 高校は道内の強豪校に進まず、「甲子園ではなくプロが目標。北海道から出た方がスカウトの目に留まる機会が多いから」という理由で、埼玉栄高等学校に進学。1年から三塁手のレギュラーに定着したが、埼玉大会ベスト8が最高で、全国選手権出場はなし。
伏見 寅威(ふしみ とらい、1990年5月12日 - )は、… 伏見 寅威(ふしみ とらい、1990年5月12日 - )は、北海道千歳市出身のプロ野球選手(捕手、内野手)。右投右打。阪神タイガース所属。 小学3年から野球を始めた。中学は札幌白石シニアに所属し、その時の監督に捕手を命じられる。 東海大学付属第四高等学校では春の全道大会で優勝、夏はベスト4。卒業後は東海大学へ進学。 東海大学では1年秋から正捕手として定着し、1学年上の菅野智之とバッテリーを組み活躍、2年になると4番打者も務めるようになった。2010年に行われた第5回世界大学野球選手権大会では日本代表に選出。リーグ通算で79試合、287打数90安打、6本塁打、52打点、打率.314、MVP、ベストナイン各2回、首位打者1回。
西村 優希(にしむら ゆうき、1990年1月28日 - )は… 西村 優希(にしむら ゆうき、1990年1月28日 - )は、北海道紋別郡遠軽町出身の元プロ野球選手(投手)、雪合戦選手。プロでは育成選手であった。 父親とのキャッチボールをきっかけに、小学3年生のときに遠軽東イースターズで野球を始める。遠軽町立遠軽中学校では野球部に所属した。 地元の北海道遠軽高等学校に進学すると、硬式野球部では1年秋からベンチ入りし、エースになる。2年夏は北見支部予選を勝ち上がり、北北海道予選大会の決勝・白樺学園まで進むが、先発投手が打ち込まれ、西村の登板後も更に差を広げられてしまい、1対9に敗れ、甲子園出場を逃した。3年夏も北北海道予選大会までは進むが、1回戦で敗退。 3年時に2007年ドラフト会議で読売ジャイアンツから育成2巡目で指名を受ける。
田代 将太郎(たしろ しょうたろう、1989年12月13日 … 田代 将太郎(たしろ しょうたろう、1989年12月13日 - )は、北海道石狩市出身の元プロ野球選手(外野手)。左投左打。YouTuberとしても活動。 小学校4年生の時に外野手として野球を始めると、中学生時代は石狩中央シニアに所属していた。 東海大学付属第四高等学校への進学後は、3年夏の第89回全国高等学校野球選手権大会南北海道大会の札幌地区代表決定戦まで進んだことが最高成績で、春夏共に阪神甲子園球場での全国大会へ出場できなかった。高校卒業後は東海大学へ進学を希望し、大学の練習場でセレクションを受けたが、「特待生では取れない」と言われる。なお、田代がなれなかった特待生に菅野智之と田中広輔がいた。
武隈 祥太(たけくま しょうた、1989年11月24日 - … 武隈 祥太(たけくま しょうた、1989年11月24日 - )は、北海道上川郡東神楽町出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 小学5年時に東聖イーグルスで野球を始める。中学では旭川北稜球シニアに所属し、2004年に全国大会出場を経験した。 北海道旭川工業高等学校時代は、高校1年生の夏に甲子園に出場しているが登板はしていない。その際試合前の公式練習で三塁打を打ったと語っている。しかしながら3年間は甲子園はおろか全道大会のマウンド経験もなく、全国的にはまったく無名の選手であった。公式戦には8試合に登板し防御率1.23。 2007年5月29日、練習中に人差し指の第1関節部じん帯損傷・第2関節部骨折で全治5週間と診断された。
山崎 まり(やまざき まり、1989年11月17日 - )は… 山崎 まり(やまざき まり、1989年11月17日 - )は、北海道出身の元女子プロ野球選手。 3歳年上の兄が野球をしており、毎週末にグラウンドで見ていた影響で、小学2年生の時に真駒内スターズに入団。中学に入って、札幌真駒内シニアに入団。 高校の時は野球部のマネージャーを務めたほか、男子選手と混ざり練習したり、土日には女子硬式クラブチーム「ホーネッツレディース」に所属した。 大学は、筑波大学体育専門学群に入学。男子学生と混じり軟式野球部に所属。在学中の3年生の時2010年にベネズエラで行われた第4回IBAF女子ワールドカップで世界一となった。卒業後は東京都に移り、荒川区の非常勤講師として荒川区立第三中学校で体育・部活指導、土日にはアサヒトラスト女子硬式クラブチームの選手として、多忙な日々を送った。
浅沼 寿紀(あさぬま としのり、1989年7月21日 - )… 浅沼 寿紀(あさぬま としのり、1989年7月21日 - )は、北海道旭川市出身の元プロ野球選手(外野手)。
寺田 龍平(てらだ りゅうへい、1989年6月20日 - )… 寺田 龍平(てらだ りゅうへい、1989年6月20日 - )は、北海道恵庭市出身の元プロ野球選手(投手)。右投両打。 島松ジュニアイーグルスで小学2年から野球を始める。中学校時代は札幌広島グロウィングスに所属した。 高校は、進学校である札幌南高校に進学。1年秋からベンチ入りし、3年時は地区大会準決勝まで進出したものの、函館工高に0-1で敗戦した。 慶應義塾大学のAO入試を受験するつもりで準備をしていたが、2007年10月3日、高校生ドラフトにて東北楽天ゴールデンイーグルスから1位指名(佐藤由規の外れ指名)を受け、入団。 プロ入り後は、高校時代に最速145km/hを記録した球速が130km/h台にまで落ち、ファームでも制球難で自滅する試合をたびたび経験。
鷲谷 修也(わしや なおや、1988年10月3日 - )は、… 鷲谷 修也(わしや なおや、1988年10月3日 - )は、北海道登別市出身の元プロ野球選手(外野手)、元陸上競技選手(短距離走)、車椅子ソフトボール選手。 小学3年生の時に野球を始める。登別西陵中時代はリトルシニアチームでプレーし、3年時に北海道大会で準優勝。複数の強豪校から勧誘を受けたが、見学した時の雰囲気が気に入ったという駒大苫小牧高に特待生として入学。田中将大と同期となる。 1年夏までは「落ちこぼれ組」だったが、香田誉士史監督のアドバイスで打撃が向上し秋の明治神宮野球大会で初めてベンチ入りする。2005年の第87回全国高等学校野球選手権大会に出場、優勝メンバーとなる。翌2006年春には不振となり一時ベンチ入りメンバーからも外れたが、夏の南北海道大会では2打席連続本塁打、第88回全国高等学校野球選手権大会にはレギュラーとして出場し3回戦の青森山田高戦でも本塁打を放つ。
山本 優(やまもと ゆう、1988年8月20日 - )は、北… 山本 優(やまもと ゆう、1988年8月20日 - )は、北海道札幌市出身の女子ソフトボール選手(内野手)・指導者。元ソフトボール日本代表。2021年開催の東京オリンピック金メダリスト。 北海道札幌市出身。兄の影響で小学校2年で野球を始め、地元の野球チームで中学まで続けた。北海道当別高等学校1年時にソフトボールに転向すると、2年・3年時に北海道選抜チームのメンバーに選出され国体出場を果たした。 2007年にルネサス高崎に入団。同年、日本ジュニア代表に選ばれ、世界ジュニア女子ソフトボール選手権で準優勝。その後日本代表となり、2014年の世界選手権で優勝し、2016年と2018年の同大会では準優勝。
本間 篤史(ほんま あつし、1988年8月3日 - )は、北… 本間 篤史(ほんま あつし、1988年8月3日 - )は、北海道余市郡余市町出身の社会人野球選手(外野手)、野球指導者。右投右打。 余市町立沢町小学校4年時から野球を始める。余市町立西中学校では余市シニアに所属。 高校は道内でも強豪の駒澤大学附属苫小牧高校に進学。同級生には田中将大がいた。高校時代は前年の夏の優勝校でありながら2年生で4番として2005年夏の甲子園大会で甲子園夏連覇。新チーム結成当初は田中が主将を務めていたが、「(田中)将大が、主将としての取材、投手としての取材の両方を受けるのは疲れが溜まる」という監督の香田誉士史の配慮から、73年ぶりの夏の大会3連覇に挑んだ大会直前に田中から主将を引き継いだ。
黒滝 将人(くろたき まさと、1988年4月21日 - )は… 黒滝 将人(くろたき まさと、1988年4月21日 - )は、北海道留萌郡小平町出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小平小3年時に同小学校の野球少年団「小平ファイターズ」に所属し野球を始める。小平中学校では、エースで4番を務め、札幌日本大学高等学校に進学。高校時代は2年秋からエースを務め、駒大苫小牧の田中将大と北照の植村祐介の3人で、北海道右腕三羽烏と呼ばれ周囲の注目を集めていた。高校野球での成績は、2006年春の北海道大会準決勝で駒大苫小牧に敗れたのが最高で、春・夏ともに甲子園への出場はかなわなかった。 2006年、千葉ロッテマリーンズに高校生ドラフト3巡目で指名を受け、入団。最速146km/hの速球が魅力。
武藤 好貴(むとう よしたか、1987年7月22日 - )は… 武藤 好貴(むとう よしたか、1987年7月22日 - )は、北海道札幌市南区出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 JR北海道硬式野球部を経て、2012年から2017年まではNPBの東北楽天ゴールデンイーグルスに所属。2018年シーズンからは、クラブチームに鞍替えした古巣のJR北海道硬式野球クラブでプレーを続けていた。 小学4年生の頃から野球を始める。中学時代は、軟式野球部に所属し内野手としてプレー。 札幌藻岩高校に進学し、投手に転向。2年生の時からエースとなり、秋には北海道大会決勝に進出し、田中将大擁する駒大苫小牧高校に敗れ準優勝。3年生の夏は南北海道予選の札幌支部予選2回戦で敗退し、甲子園出場は果たせなかった。
田沢 由哉(たざわ ゆうや、1987年4月17日 - )は、… 田沢 由哉(たざわ ゆうや、1987年4月17日 - )は、北海道旭川市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。 旭川大高に入学すると、1年生にして早くも甲子園の舞台で登板し141km/hという速球を投げて注目された。 2005年夏、旭川商高に北北海道大会旭川地区代表決定戦で敗れ、甲子園出場を逃した。同年のドラフトで西武ライオンズに3巡目に指名され、投手として入団。 2006年は2軍で7試合に投げて防御率6.63、2007年は15試合に投げて防御率8.29、30四球、被本塁打8本とまだまだ荒削りなピッチングであった。 2009年シーズン終了後に内野手へ転向した。 2010年はファームで主に三塁手、外野手として出場するも打率.108と結果を残せず10月1日、球団から戦力外通告を受けた。
佐々木 孝介(ささき こうすけ、1987年1月10日 - )… 佐々木 孝介(ささき こうすけ、1987年1月10日 - )は、北海道余市郡余市町出身の元アマチュア野球選手・現アマチュア野球指導者。 駒澤大学附属苫小牧高等学校では1年生時の秋から内野手のレギュラーとなり、2年生時の春に第75回選抜高等学校野球大会、夏に第85回全国高等学校野球選手権大会に出場。3年生時の夏に主将として、第86回全国高等学校野球選手権大会で北海道勢初となる優勝を果たす。自身も決勝戦で7回の勝ち越し二塁打を含む3安打を記録するなど、同大会打率.429(21打数9安打)を記録。 高校卒業後は駒澤大学へ進学し、3年生時から学生コーチに転身。大学卒業後は駒澤大学附属苫小牧高等学校のコーチを経て、2009年7月31日に駒澤大学附属苫小牧高等学校の監督への就任が同校から発表された。
神保 貴宏(じんぼ たかひろ、1986年12月9日 - )は… 神保 貴宏(じんぼ たかひろ、1986年12月9日 - )は、北海道苫小牧市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。プロでは育成選手であった。 苫小牧市立沼ノ端小学校3年時に、「沼ノ端スポーツ少年団」で野球を始める。苫小牧市立沼ノ端中学校時代は、軟式で投手・捕手として全道大会ベスト8に進出。 北海道栄高時代は、2年時の夏、3年時の夏の南北海道予選決勝でいずれも駒大苫小牧高に敗れ準優勝。 高校卒業後は、関甲新学生野球連盟に加盟する平成国際大学に進学。2年時から中堅手のレギュラーに定着するも、全国大会出場への出場経験は無し。2学年先輩に、牧田和久がいる。 大学卒業後は、兵庫県の社会人クラブチームの強豪トータル阪神に入団。
瀬川 隼郎(せがわ はやお、1986年10月21日 - )は… 瀬川 隼郎(せがわ はやお、1986年10月21日 - )は、北海道札幌市厚別区出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 小学校4年生の時に野球を始め、もみじ台中学校時代は「札幌白石シニア」でプレーした。北海高校では1年秋からエースとなる。1試合27奪三振なども記録したが甲子園出場経験はない。 高校卒業後は、社会人野球・クラブチームの室蘭シャークスに入団し、働く傍らプレーした(ドラフト指名時は日鉄住金テクノロジーで勤務)。入団当初は制球難に苦しみ、伸び悩む時期が続いたが、投球フォームの改善や、監督の庫田雄平のアドバイスなどもあり、徐々に才能が開花。第39回社会人野球日本選手権大会道地区予選の対航空自衛隊千歳戦では、7回を1失点に抑え、さらに翌日の対JR北海道戦では8回から救援し、延長10回までの3イニングを7奪三振・無失点と好投し、本大会進出に貢献した。
久古 健太郎(きゅうこ けんたろう、1986年5月16日 -… 久古 健太郎(きゅうこ けんたろう、1986年5月16日 - )は、東京都豊島区出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 東京都豊島区巣鴨出身で、両親は北海道上川郡新得町出身。小学1年から野球を始め、中学時代は豊島シニアに所属。国士舘高校時代は、1年秋から新垣勇人に続く2番手の先発投手となり、明治神宮野球大会では1回戦の延岡学園高校戦で先発投手を務める。2年春には第75回選抜高等学校野球大会に出場し、初戦(2回戦)で堂上剛裕を擁する愛知工業大学名電高校と対戦して7回を2安打1失点で、0対1で敗退。エースとして迎えた3年夏は東東京大会の準々決勝で正則学園高校に敗れた。 高校卒業後は青山学院大学に進学し、野球部に所属。
明石 健志(あかし けんじ、1986年1月9日 - )は、北… 明石 健志(あかし けんじ、1986年1月9日 - )は、北海道旭川市出身の福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手(内野手)。
渡部 龍一(わたなべ りゅういち、1985年10月2日 - … 渡部 龍一(わたなべ りゅういち、1985年10月2日 - )は、北海道白老郡白老町出身の元プロ野球選手・社会人野球選手(捕手)。右投右打。現在は北海道日本ハムファイターズのブルペン捕手。 父は元社会人野球選手・監督で、バルセロナオリンピック銅メダリストの渡部勝美。 1998年、小学校卒業までは白老町で過ごし、中学は札幌市の札幌市立月寒中学校に通う。 札幌第一高時代は、2002年の2年時の夏に第84回全国高等学校野球選手権大会に正捕手として出場し、1回戦で同大会の準優勝校である智辯和歌山高に延長10回の末に4-5で敗れた。 2003年のプロ野球ドラフト会議で、2004年からの本拠地北海道移転が決定していた日本ハムに7巡目で指名され、入団した。
柴田 誠也(しばた まさや、1985年9月21日 - )は、… 柴田 誠也(しばた まさや、1985年9月21日 - )は、北海道苫小牧市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ。 小学2年生で野球を始め、4年生から投手となる。 北海道尚志学園高等学校(現北海道科学大学高等学校)では、1年秋の全道大会ベスト4。2年夏の南北海道大会でリリーフとして準優勝に貢献。秋からエースとなり、全道大会は準決勝で延長14回を投げ切ったが駒大苫小牧高に敗れた。3年時は春季北海道大会優勝、夏はベスト4。 プロ野球ドラフト前は地元の北海道日本ハムファイターズへの入団を希望しており、スポーツ紙等で相思相愛等とも報道されていたが、2003年度ドラフト会議でオリックス・ブルーウェーブが強行指名。
青山 浩二(あおやま こうじ、1983年8月12日 - )は… 青山 浩二(あおやま こうじ、1983年8月12日 - )は、北海道函館市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。野球解説者、コーチ。 小中学時代は主に外野手を務め、北海道函館工業高等学校時代から本格的に投手に転向。高校3年春の全道大会では決勝で北海高等学校に敗れて準優勝。高校3年の夏は南北海道大会でベスト4に進出した。高校1年次のエースは大学の先輩でもある石川賢だった。 青森県の八戸大学(現・八戸学院大学)に進学し、硬式野球部では大学通算20勝無敗、ベストナイン3回の成績を挙げた。2005年の大学選手権では準々決勝で創価大の八木智哉と9回を投げ合うが同点のまま降雨コールドとなり、再試合も先発完投したが延長10回サヨナラ負けした(八木も2回から投げ切った)。
上村 和裕(うえむら かずひろ、1983年2月20日 - )… 上村 和裕(うえむら かずひろ、1983年2月20日 - )は、北海道滝川市出身の元プロ野球選手(捕手)。 捕手としては珍しい俊足で、一時期スイッチヒッターであったが、後に右打ちに専念することとなった。 滝川シニアで全国ベスト4。北照高では2年の時は外野手(1学年上に米野智人がいたため)。3年春の甲子園で主将を務めたが、2回戦で福島商業の左腕芳賀健の前に惜敗した。 夏は決勝で札幌南高校に敗退し、甲子園出場はならなかった。 2000年のドラフト3位でオリックス・ブルーウェーブに入団。 2年目の2002年に高卒捕手としては早くも一軍出場を果たす。しかし2003年は打撃の不振で一軍出場が無かった。2004年も不振は続き、夏に気分転換に左打ちで打撃練習をしていた際に、当時二軍打撃コーチだった藤井康雄に左打ちを褒められ、スイッチヒッターに転向する。
志村 亜貴子(しむら あきこ、1982年11月9日 - )は… 志村 亜貴子(しむら あきこ、1982年11月9日 - )は、日本の女子野球選手(投手・外野手)、女子野球日本代表選手、野球指導者。 北海道広尾町出身。野球少年であった次兄の影響を受け、小学4年から野球を始めたが次兄は急逝。兄が達し得なかった野球選手への夢を亜貴子が引き継いだ。男子に混じり小学時代はスポーツ少年団で、中学時代は部活で野球を続けたが、この時期になると男女の体格差もあり、北海道広尾高校時代は野球を離れて陸上競技のやり投に専念した。北海道浅井学園大学に進学すると軟式野球チームに所属した。全日本チームへの意識が昂じ、硬式野球を始め札幌ホーネッツの立ち上げに参画した。全日本選手のセレクションに挑戦すること4度目にして全日本メンバー入りを果たした。
米野 智人(よねの ともひと、1982年1月21日 - )は… 米野 智人(よねの ともひと、1982年1月21日 - )は、北海道札幌市北区出身の元プロ野球選手(捕手、外野手、内野手)、コーチ。右投右打。Westside合同会社代表。 札幌新琴似シニアリーグ、小樽市の北照高等学校では2年春の選抜に出場、1999年度ドラフト会議にてヤクルトスワローズから3位指名を受け、入団。背番号は51。 2000年は一軍出場なしに終わる。 2001年に一軍に初昇格する。9月7日の対巨人戦で途中起用され、プロ入り初出場を記録した。 2002年は初安打を放ち、8月11日の対横浜ベイスターズ戦で初の先発出場。その試合で吉見祐治からプロ初本塁打を放ち、初打点を記録する。8月19日の阪神戦では11回裏二死満塁からプロ初サヨナラ打を放った。