清澤 茂宏(きよさわ しげひろ、1962年10月28日 - … 清澤 茂宏(きよさわ しげひろ、1962年10月28日 - )は、日本の実業家、政治家。芦別市議会議員(2期)、元芦別市長(1期)。 北海道芦別市生まれ。芦別市立緑ヶ丘小学校、芦別市立芦別中学校、北海道芦別高等学校を卒業。 1982年、三井芦別石炭の子会社である「三井芦別鉄道株式会社」に入社し貨車の組成、入替え連結等々の鉄道員としての仕事に従事する。国の第8次石炭政策の影響下で同社が解散する事となり、1989年、26歳の時に退職する。同年三井石炭(株)の雇用開発室の紹介により「スピードファスナー株式会社」入社、同社の東京支店に勤務する。1990年札幌支店に転勤。この後、同系の企業2〜3社を転職し札幌、旭川と転居した。
谷岡 雅樹(たにおか まさき、1962年10月20日 - )… 谷岡 雅樹(たにおか まさき、1962年10月20日 - )は、日本の映像評論家。ノンフィクション作家。 北海道虻田郡真狩村出身。北海道札幌南高等学校を卒業後、草創期のビデオレンタル会社社員等を経て1991年より文筆業。 Vシネマ評論を『映画芸術』『ユリイカ』『図書新聞』などに寄稿するほか、文化庁芸術選奨映画部門推薦委員も務める。 高校野球と阪神タイガースのファン。
有江 活子(ありえ かつこ、1962年10月15日 - )は… 有江 活子(ありえ かつこ、1962年10月15日 - )は、日本のフリーアナウンサー。 北海道札幌市出身。北海道札幌旭丘高等学校、北海道教育大学札幌校卒業。中学校教諭を経て、オーディションを受けてNHK札幌放送局の契約キャスター、結婚に伴い上京、1995年4月よりラジオセンター、2013年4月よりフリー。 なお、m.c.A・Tとは幼馴染である。2014年4月からは特定非営利活動法人日本ランニング振興機構事務局長。また医療ジャーナリストとして、医療関係の取材や関連フォーラムの司会なども行っている。
大乃国 康(おおのくに やすし、1962年10月9日 - )… 大乃国 康(おおのくに やすし、1962年10月9日 - )は、北海道河西郡芽室町出身で放駒部屋(入門時は花籠部屋)に所属した元大相撲力士。第62代横綱(昭和最後の横綱)。本名は青木 康(あおき やすし)。現在は年寄・芝田山。芝田山部屋の師匠を務めている。 1962年に、北海道河西郡芽室町で牧畜と農業を営む家の長男として生まれる。2歳のときに北海道東部の健康優良児として表彰を受けた。小学校から帰ってくると畑仕事を手伝い、小学校3年の時に、畑の中でトラクターを動かし、刈り取った豆を脱穀機まで運んでいた。小学校4年の時に、実家の牛と預かった近所の農家の牛に水をやり、サイロから餌を出して牛舎に運んでいた。
牛尾 滋(うしお しげる、1962年10月7日 - )は、日… 牛尾 滋(うしお しげる、1962年10月7日 - )は、日本の外交官。駐コンゴ民主共和国特命全権大使、NGO担当大使、外務省アフリカ部長駐ポルトガル特命全権大使、駐南アフリカ兼エスワティニ兼レソト特命全権大使を歴任した。 北海道札幌市出身。1986年東大法第三類卒、外務省入省。フランス語研修。 外務省経済協力局開発協力課首席事務官等を経て、2003年在マレーシア日本国大使館参事官。2004年在フランス日本国大使館参事官。2006年外務省中東アフリカ局アフリカ第一課長。2009年外務省国際協力局総合計画課長。同年外務省国際協力局開発協力総括課長。2011年在インドネシア日本国大使館公使。2014年から特命全権大使コンゴ民主共和国駐箚兼コンゴ共和国駐箚を務め、少年兵の復帰支援のための武装解除・動員解除・社会復帰プロジェクトへの拠出などにあたった。
菊池 馨実(きくち よしみ、男性、1962年10月5日- )… 菊池 馨実(きくち よしみ、男性、1962年10月5日- )は、日本の法学者。専門は社会保障法。早稲田大学法学部教授、学校法人早稲田大学理事。厚生労働省社会保障審議会会長代理。 札幌市生まれ。1985年北海道大学法学部卒、富士銀行(現みずほ銀行)勤務、1993年北大大学院社会保障法博士課程修了、「アメリカ年金保険制度の展開と基本構造」で法学博士の学位を取得。1994年北海道大学法学部助手、1997年大阪大学大学院法学研究科助教授、2001年早稲田大学法学部助教授。2002年教授、早稲田大学比較法研究所所長、早稲田大学大学院法学研究科長を経て、2021年学校法人早稲田大学理事(法務、リスク・コンプライアンス担当)。
田村 秀(たむら しげる、1962年10月2日 - )は、日… 田村 秀(たむら しげる、1962年10月2日 - )は、日本の行政学者。長野県立大学公共経営コース長 。専門は行政学・地方自治・公共政策・食によるまちづくりなど。国際基督教大学博士(学術)。北海道苫小牧市出身。
山本 譲司(やまもと じょうじ、1962年〈昭和37年〉9月… 山本 譲司(やまもと じょうじ、1962年〈昭和37年〉9月20日 - )は、日本の政治家、ジャーナリスト、訪問介護員。れいわ新選組所属の衆議院議員(3期)。同党幹事長(2代目)。元東京都議会議員(2期)。 山本 ジョージとも表記される。社会活動家として、更生保護法人「同歩会」の理事、出所者支援機構「生活再建相談センター」の運営委員、「東京都更生保護就労支援事業者機構」の理事も務めている。 北海道札幌市生まれ、佐賀県育ち。佐賀県立三養基高等学校を経て、早稲田大学教育学部卒業(ゼミは政治学を専攻、指導教授は萩野浩基、同ゼミ生に辻元清美)。 社会民主連合代表の菅直人の新聞公募秘書(公設秘書)を経て、1989年東京都議会議員選挙に立川市選挙区から「菅直人の秘書」を看板に立候補し初当選。
内村 直子(うちむら なおこ、1962年8月5日 - )は、… 内村 直子(うちむら なおこ、1962年8月5日 - )は、洗足こども短期大学幼児教育保育科教授、元フリーアナウンサー、ニッポン放送アナウンサー。現姓:下尾。社会福祉学博士(日本女子大学)。 北海道小樽市出身。1985年3月、日本女子大学人間社会学部社会福祉学科卒業後の同年4月、ニッポン放送に入社。入社同期は、現:CP局報道スポーツコンテンツセンタースポーツ部契約アナウンサーの松本秀夫、元アナウンサーの西田麻里、元制作部ディレクターで編成局長、専務で現・同局代表取締役社長の檜原麻希。 入社以後、音楽ワイド番組、バラエティ番組のアシスタントなどで出演。担当番組の中で、現在の夫である番組の構成作家と出会った事をきっかけに、1988年7月頃にニッポン放送を退職し、フリーアナウンサーに転じる。
北沢 欣浩(きたざわ よしひろ、戸籍上の表記は北澤 欣浩、1… 北沢 欣浩(きたざわ よしひろ、戸籍上の表記は北澤 欣浩、1962年8月4日 - )は、北海道釧路市出身の元スピードスケート選手。「キンコウ」の愛称で知られていた。
小田 佳奈子(おだ かなこ、1962年8月3日 - )は、日… 小田 佳奈子(おだ かなこ、1962年8月3日 - )は、日本の女性作詞家。北海道釧路市出身。 ビーイングとの関わりが深く1990年代のビーイングに所属する歌手の中で、作詞を活動の主としないアーティストの作品には必ずと言っていいほど名を連ねていたが、2003年以降作詞活動は確認されていない。 最初に作詞を手がけたのは、栗林誠一郎の「Secret Lover」(但し、アルバム『LA JOLLA(ラ・ホーヤ)』では、小田加奈子名義)。栗林曰く、「彼女の作詞はアーティストの心情を反映した作品」とのこと。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
水戸 将史(みと まさし、1962年7月28日 - )は、日… 水戸 将史(みと まさし、1962年7月28日 - )は、日本の政治家、税理士、行政書士。民進党所属の衆議院議員(1期)。参議院議員(1期)、神奈川県議会議員(3期)を務めた。
はた 万次郎(はた まんじろう、1962年7月16日 - )… はた 万次郎(はた まんじろう、1962年7月16日 - )は、日本の漫画家。北海道釧路市出身、北海道上川郡下川町在住。 1981年に上京。日本電信電話公社(電電公社・現在のNTT)電報課に勤めながらプロの漫画家を目指し、1985年に漫画家生活をスタート。1992年に北海道上川郡下川町に移住、愛犬のウッシー(2009年没)との田舎暮らしの日々を綴った漫画『ウッシーとの日々』を『ビジネスジャンプ』(集英社)に連載。もともとルポ漫画やエッセイ漫画が多かったが、下川町移住後は文章によるエッセイも執筆。 一貫してエッセイ漫画がメインである。しかし東京時代と北海道時代ではコマ割りや絵に大きな変化がある。与えられるページが少ないこともあり、東京時代の「おもしろ図鑑」までの作品はコマ割りが非常に細かく、1ページあたり20コマ前後の細かいコマ割りであった。
田中 健二(たなか けんじ、1962年7月3日 - )は、日… 田中 健二(たなか けんじ、1962年7月3日 - )は、日本の元アイスホッケー選手。 北海道苫小牧市出身。ポジションはフォワード。レフトハンド。背番号は14を背負っていた。 苫小牧市立和光中学校、駒澤大学附属苫小牧高等学校出身。 雪印乳業に入社し、アイスホッケー部に入部。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています。 このテンプレートは分野別のサブスタブテンプレートやスタブテンプレート(Wikipedia:分野別のスタブテンプレート参照)に変更することが望まれています。
西本 和人(にしもと かずひと、1962年6月19日 - )… 西本 和人(にしもと かずひと、1962年6月19日 - )は、北海道河東郡鹿追町出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 東海大四高では、1年生の秋からエースとして活躍。1978年秋季北海道大会に進むが、1回戦で旭川大高に敗退。翌1979年夏の甲子園南北海道予選は決勝で札幌商に完封負け。同年の秋季北海道大会は決勝で室蘭大谷高を降し、1980年春の選抜に出場。しかし1回戦で中井哲之、原伸次らを擁する広陵高に9回裏サヨナラ負けを喫する。同年夏は南北海道予選準決勝で札幌開成高に敗退、夏の選手権には出場できなかった。 1980年オフに、ドラフト外で西武ライオンズに入団。 1年目の1981年は、後期最終戦で初登板し、セーブを記録。
三沢 光晴(みさわ みつはる、1962年6月18日 - 20… 三沢 光晴(みさわ みつはる、1962年6月18日 - 2009年6月13日)は、日本のプロレスラー。本名:三澤 光晴(みさわ みつはる)。1981年に全日本プロレスにてデビュー。同団体のトップレスラーとして活躍した後、2000年にプロレスリング・ノアを旗揚げ。レスラー兼社長として同団体を牽引。2009年6月13日、試合中リング禍により死去。46歳没。
冨田 恵一(とみた けいいち、1962年〈昭和37年〉6月1… 冨田 恵一(とみた けいいち、1962年〈昭和37年〉6月1日 - )は、日本の音楽家、音楽プロデューサー、作曲家、編曲家。北海道旭川市出身。別名義に冨田ラボ(とみたラボ、Tomita Lab.)、KEDGEがある。 獨協大学在学中より音楽家として活動を開始。当時はコンサートのバックバンドでのギタリストとしての活動が中心であった。 1988年にユニット「KEDGE」名義にてアルバム『COMPLETE SAMPLES』を発表。以後、作編曲家として活動し、遊佐未森等を手がける傍ら、テレビドラマ等の劇伴作家としても活動する。 1997年にプロデュースを手がけたキリンジが音楽業界を中心に注目を集め、2000年にMISIAの最大のヒット曲となる「Everything」を、2001年には中島美嘉の1stシングル「STARS」をプロデュース。
穂村 弘(ほむら ひろし、1962年5月21日 - )は、日… 穂村 弘(ほむら ひろし、1962年5月21日 - )は、日本の歌人。歌誌「かばん」所属。 加藤治郎、荻原裕幸とともに1990年代の「ニューウェーブ短歌」運動を推進した、現代短歌を代表する歌人の一人。批評家、エッセイスト、絵本の翻訳家としても活動している。 第一歌集『シンジケート』(1990年)が反響を呼ぶ。ほかの歌集に『ドライ ドライ アイス』(1992年)、『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』(2001年)など。 北海道札幌市に長男(ひとりっ子)として生まれる。父親は鉱山技師で、夕張市の炭鉱に勤務した後、建設会社に勤務した。両親はともに北海道出身(父親は北見市出身、母親は東京都生まれの北見市育ち)。
渡部 勝美(わたなべ かつみ、1962年5月16日 - )は… 渡部 勝美(わたなべ かつみ、1962年5月16日 - )は、北海道芦別市出身の元社会人野球選手(投手、左投右打)・コーチ・監督。長男は元プロ野球選手の渡部龍一。 砂川南高校では、エースとして1979年秋季北海道大会準々決勝に進むが、旭川実に惜敗。卒業後の1981年、北海道5強の一角である大昭和製紙北海道(白老町)に入社。しばらくの間は芽が出なかったが、貴重な左腕として徐々に重要なポジションを任せられるようになる。1988年の都市対抗ではエースとして準決勝に進むが、東芝の三原昇に抑えられ敗退。翌1989年の都市対抗は決勝に進出、プリンスホテルに惜敗するが同大会の久慈賞を獲得する。30歳となった1992年にはバルセロナオリンピック野球日本代表に選出され、銅メダル獲得に貢献。
鈴木 靖(すずき やすし 1962年〈昭和37年〉5月15日… 鈴木 靖(すずき やすし 1962年〈昭和37年〉5月15日 - )は、北海道鵡川町(現北海道むかわ町)出身のスピードスケート選手。 1962年(昭和37年)5月15日、北海道勇払郡鵡川町(現むかわ町)出身。駒澤大学附属苫小牧高等学校を経て三協精機(現日本電産サンキョー)へ入社。 高校時代よりスピードスケート選手として頭角を現し、高校1年時に2000mリレーにて高校日本新記録を樹立、その後も、500m1000mで表彰台に上る。数々の世界大会に出場。1984年のサラエボオリンピック日本代表として男子500mに出場した。500m、1000m両距離に強さがあったスプリンター。 1983年ドイツ国際大会・中国国際大会では500m優勝の実績もある。
小野 敦生(おの あつお、1962年5月12日 - 1993… 小野 敦生(おの あつお、1962年5月12日 - 1993年5月22日)は、将棋棋士。棋士番号163。北海道旭川市出身。安恵照剛八段門下。 北海道旭川東高等学校将棋部に在籍し、1979年の第15回全国高等学校将棋選手権大会男子団体で優勝。また、第34回(1980年)全日本アマチュア名人戦に北海道代表として出場。その後間もなく奨励会へ入会。18歳と極めて遅い入会であったが、僅か3年(1983年12月1日付)で四段に昇段する。 1984年2月3日・第10期棋王戦において、永作芳也(のちに退会)に勝利し、プロとして初の公式戦を白星で飾った。 初参加の第43期順位戦では6勝4敗と次期につなげる成績を残した。
鈴井 貴之(すずい たかゆき 1962年5月6日 - )は、… 鈴井 貴之(すずい たかゆき 1962年5月6日 - )は、北海道を中心に活動するタレント、映画監督、放送作家。株式会社CREATIVE OFFICE CUEの取締役会長、株式会社 キュー・プロダクツの取締役会長、有限会社 マンホールフィルム取締役会長も務める。愛称はミスター。CREATIVE OFFICE CUE社長の伊藤亜由美は元妻。
野村 修也(のむら しゅうや、1962年4月12日 - )は… 野村 修也(のむら しゅうや、1962年4月12日 - )は、日本の法学者、弁護士。専門は海事法・商法・保険法・会社法。学位は法学修士。中央大学大学院法務研究科教授。コメンテーターとしてテレビにも出演している。ノースプロダクション所属。北海道函館市出身。永井和之門下。 北海道函館市生まれ。北海道教育大学附属函館中学校、函館ラ・サール高等学校、中央大学法学部卒業。1987年同大学院にて法学修士を取得。博士課程に進んだが、1989年西南学院大学法学部の専任講師職となり中退。同大学助教授を経て、1998年に中央大学法学部教授。学内では陸上競技部の部長を務め、箱根駅伝での同大学復活を推進。また、旧制度下の特例弁護士(学者経験を条件に司法試験及び司法修習考試を経ずに登録される弁護士)として、2004年に弁護士登録し第二東京弁護士会に所属した。
岩本裕司(いわもと ゆうじ、1962年4月8日 - )は、北… 岩本裕司(いわもと ゆうじ、1962年4月8日 - )は、北海道苫小牧市出身の元アイスホッケー選手、指導者。アジアリーグアイスホッケーの横浜GRITSに所属。 苫小牧市立和光中学校、駒大苫小牧高に進学し、1981年に雪印乳業に入社し、アイスホッケー部に入部。1999年からは選手兼任監督に就任。2001年の廃部に伴い現役を引退した。日本リーグ通算604試合出場は2009年時点での歴代最多出場記録であった。 第22回日本アイスホッケーリーグでは、ベスト6・アシスト王・ポイント王を獲得した。 日本リーグでは604試合の出場で、239ゴール、263アシスト、502ポイントをあげた。 「アイスホッケーの鉄人」「ミスター雪印」と呼ばれ、日本アイスホッケー界を牽引した。
要 ゆうじ(かなめ ゆうじ、本名非公表。1962年3月28日… 要 ゆうじ(かなめ ゆうじ、本名非公表。1962年3月28日 - )は、日本の脚本家・劇作家・ライター・俳優・声優・ナレーター。北海道旭川市出身。北海道旭川北高等学校卒業。 高校時代より、伝説のサブカルチャー雑誌「ビックリハウス」(パルコ出版)の常連投稿者として活動する(当時のペンネームは“かなめゆうじ”)。投稿時代の同期には、大槻ケンヂ、渡辺いっけい、犬童一心、常盤響などが常連投稿者だった。 18歳でアメリカに留学。帰国後上京し、同郷の作家である窪田僚に師事。1982年、窪田の紹介で雑誌ライターとしてデビューする。 1980年代前半の雑誌創刊ブームに乗り、主に芸能雑誌のインタビュアーとして活躍。
松村 和子(まつむら かずこ、1962年〈昭和37年〉3月2… 松村 和子(まつむら かずこ、1962年〈昭和37年〉3月23日 - )は、日本の演歌歌手。 北海道天塩郡遠別町生まれ、苫小牧育ち[要出典]。デビュー曲である「帰ってこいよ」で知られる。 苫小牧市立緑小学校、和光中学校卒業。歌手で北海芸能プロダクション社長の松村一郎は実父。実母は民謡歌手で、民謡茶屋「じょんがら」を経営していた。3人兄弟の真ん中。O型。既婚(死別)。 野口五郎に憧れて歌手を目指し、高校生の時に実母に歌を習い始める。高校生になるまでは人前で歌った事がなかった。 1980年4月21日、ロングヘア姿で津軽三味線をギターの様に操る、演歌歌手としては異色のスタイルでビクター音楽産業からデビュー。
岩﨑 元是(いわさき もとよし、1962年3月19日 - )… 岩﨑 元是(いわさき もとよし、1962年3月19日 - )は、作曲家、編曲家、ギタリスト、歌手。北海道釧路市出身。作曲家、編曲家の岩崎文紀は実兄に当たる。 1984年、シンセサイザーの喜多郎と出会い、「岩崎元是 with 喜多郎」としてシングルをリリース。1986年、岩﨑元是&WINDYとしてデビュー。4枚のシングルと2枚のアルバムを残す。グループ解散後の1988年以降は、コーラス・ミュージシャン、ソングライター、編曲家として活動する。様々な歌手に楽曲を提供したり、作詞やコーラスアレンジを手掛けたり、歌唱やコーラスとして楽曲に参加したりと、活動の幅を広げる。その他、アニメやゲームのサウンドトラックなども手がける。
岡崎 潤司(おかざき じゅんじ、1962年2月24日 - )… 岡崎 潤司(おかざき じゅんじ、1962年2月24日 - )は、TBSの元アナウンサーで、元TBSホールディングス経営企画局グループ企業部担当部長。 北海道余市町出身。実家は米穀店。小樽潮陵高等学校、早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。 大学生時代は放送研究会に所属。大学時代、高校教員採用試験にも合格していたが、マスコミ界に入りたいがために留年を決意。入社試験は一般職とアナウンサーの両方を受け、本人曰く「自身が無かった」アナウンサーの方に合格。卒業後1986年4月にTBSにアナウンサー22期生として入社(同期には岡田泰典・武方直己・戸崎貴広)。入社から約10年間はアナウンサーとして活躍。森本毅郎時代の『モーニングEye』では、マッハ文朱とのコンビで出演していたこともあった。
林 譲治(はやし じょうじ、男性、1962年2月6日 –)は… 林 譲治(はやし じょうじ、男性、1962年2月6日 –)は、日本の小説家、SF作家。日本SF作家クラブ会員(第19代会長)・宇宙作家クラブ会員。 RYU NOVELS PHPビジネスライブラリー BL NOVELS 全て角川スニーカー文庫
橋本 裕志(はしもと ひろし、1962年2月5日 - )は、… 橋本 裕志(はしもと ひろし、1962年2月5日 - )は、日本の脚本家。北海道出身。北海道旭川北高等学校、小樽商科大学卒業。 大学時代は演劇部で活動。上京して孫家邦主宰の劇団に所属し、荒戸源次郎に浦沢義雄を紹介される 。1989年、『とっておき Virgin Love! 童貞物語3』(バンダイ)で脚本家デビュー。その後浦沢の紹介で、アニメの脚本・シリーズ構成などに携わる。1998年の『ショムニ』以降は実写作品中心となる。
笹川 敏幸(ささがわ としゆき、1962年2月1日 - )は… 笹川 敏幸(ささがわ としゆき、1962年2月1日 - )は日本の作曲家、ゲームクリエイター、スピリチュアルカウンセラー。 北海道函館市出身。函館ラ・サール高等学校卒業。1983年、21歳のときに北海道教育大学函館校を中退し、札幌市に移ってハドソンにプログラマーとして入社。ゲームの開発業務を行っていたが、音楽が得意である事から次第にサウンドの方へと転向する。 1986年に代表作とも言える『迷宮組曲 ミロンの大冒険』を発売。開発における殆どのセクションを自らこなし、独特な作品世界を構築した。 その後は主にサウンド面のプロデュースを担当した他、『天外魔境ZERO』『天外魔境 第四の黙示録』では作曲を担当し、同社のゲーム開発を支える。
浅野 琢也(あさの たくや、1962年1月30日 - )は、… 浅野 琢也(あさの たくや、1962年1月30日 - )は、日本のファッションデザイナー、インスタレーション作家(現代美術家)。北海道夕張市生まれ。東京都江東区内に在住。 オーダーメードからさまざまな職種の制服をデザインする。デザイン画の講師として、後進への指導・アドバイスを行っている。また、発明家(クリエイター)としても活動し、複数の特許実用新案を出願している。東京大気汚染公害裁判の原告団幹事を勤めるなど市民運動の経験があり、発明の内容も環境への配慮がなされている。開放特許となった発明は大手玩具メーカーによって商品化された。登録商標はベルヌである。 北星学園男子高等学校、北海道立高等職業訓練学校(製版印刷科)卒業。
国本 剛章(くにもと たけあき、1962年1月11日 - )… 国本 剛章(くにもと たけあき、1962年1月11日 - )はゲームミュージックの作曲家、ベーシスト。愛称は「キノコ」で、「キノコ国本剛章」名義でも活動している。 北海道札幌市出身。北海道札幌南高等学校普通科卒、北海道大学工学部出身。 6歳の時に父からピアノを買い与えられ、小中学生の9年間ピアノを習う。また、中学生の頃からロックや洋楽に興味を持ち始める。 大学時代はバンド活動とアルバイトに明け暮れ、結果的に大学は2回留年し6年通った末に除籍となっている。1度目の留年をした1985年の5年生の時には、当時ヤマハのMSX用ミュージックシーケンサーソフトで曲の打ち込みをしていた腕を買われ、ヤマハ札幌店の店内で自動演奏のデモや接客のアルバイトを行っていた。
綿貫 泰之(わたぬき やすゆき、1962年1月8日 - )は… 綿貫 泰之(わたぬき やすゆき、1962年1月8日 - )は、日本の経営者。 北海道旭川市出身。北海道旭川東高等学校を経て、1985年に北海道大学経済学部を卒業し、同年に日本国有鉄道に入社した。九州旅客鉄道社長の古宮洋二、西日本旅客鉄道社長の倉坂昇治とは、国鉄での同期に当たる。 1987年、北海道旅客鉄道入社。鉄道事業本部営業推進本部営業部長、取締役総務部長、同函館支社長、常務取締役総合企画本部長、取締役副社長を歴任し、2022年6月から代表取締役社長に就任した。道内出身者が社長に就くのは中島尚俊以来11年ぶりとなる。
赤坂 祐二(あかさか ゆうじ、1962年(昭和37年)1月3… 赤坂 祐二(あかさか ゆうじ、1962年(昭和37年)1月3日 - )は、日本の経営者、技術者。日本航空代表取締役会長。公益財団法人日本交通公社評議員。 北海道札幌市出身。少年時代はプラモデルの戦闘機が好きで狸小路の中川ライター店に通い、中学生の頃から航空機の設計に関心を持った。小学生時代はのちに本田技研工業の社長となる三部敏宏と少年野球で一緒にプレーし仲が良かった。中学1年で三部の転居のため離ればなれになったが、社長となってから再会している。札幌北高等学校時代はスキージャンプの選手だった。 国産航空機の設計に携わりたいと考えたことから、東京大学の航空学科に進み、1987年に同大学大学院工学系研究科を修了後、同年技術系として日本航空入社。
徳永 エリ(とくなが エリ、本名:鈴木 エリ、1962年1月… 徳永 エリ(とくなが エリ、本名:鈴木 エリ、1962年1月1日 - )は、日本の政治家。元テレビリポーター、企画プロデュース会社役員。立憲民主党所属の参議院議員(3期)。立憲民主党政務調査会長(第6代)、参議院政策審議会長。 参議院東日本大震災復興特別委員長、旧国民民主党参議院政策審議会長、立憲民主党ジェンダー平等推進本部長、常任幹事会議長を歴任した。 北海道札幌市出身。札幌市立緑丘小学校、藤女子中学校・高等学校卒業。法政大学通信教育部法学部法律学科中退。 1981年よりオフィスモンタ(タレントみのもんたの事務所)に付き人・リポーターとして所属し、大学在学中に日本テレビ「ルックルックこんにちは」にリポーターとしてデビュー。
佐々木 芽生(ささき めぐみ、1962年 - )は、ニューヨ… 佐々木 芽生(ささき めぐみ、1962年 - )は、ニューヨークを拠点に活動する日本人の映画監督。 1962年生まれ[要出典]。北海道出身。北海道札幌南高等学校、青山学院大学文学部仏文科を卒業。東北新社勤務を経て1987年に渡米し、以降ニューヨーク州に在住。ベルリンの壁崩壊をきっかけに単独で東欧に渡り、「Yomiuri America」にてルポを連載。 1992年よりNHKニューヨーク総局にて「おはよう日本」キャスターや、1994年から「ワールド・ナウ」リポーターを務めた。1996年より独立してテレビドキュメンタリー制作に携わる。テレビ番組の制作に世界40ヶ国以上を飛び回った[要出典]。 2002年、自身の独立プロダクション「Fine Line Media」を創設。
牛丸 元(うしまる はじめ、1962年 - )は、日本の経営… 牛丸 元(うしまる はじめ、1962年 - )は、日本の経営学者。明治大学経営学部教授。明治大学経営学部長を経て、明治大学副学長。日本経営学会幹事、アイセックジャパン理事、公認会計士試験試験委員等を歴任 北海道出身。北海道札幌北高等学校を経て、1985年小樽商科大学商学部商学科卒業。1989年筑波大学大学院経営・政策科学研究科修士課程修了、経済学修士。協和銀行入行後、富士総合研究所、北海学園大学経営学部教授等を歴任し、2001年には論文「国際合弁の安定性に関する実証研究」で北海道大学より博士(経営学)の学位を取得。2005年明治大学経営学部教授。明治大学経営学部長を経て、2018年明治大学副学長。
南 俊明(みなみ としあき、1962年-)は、日本の吹奏楽作… 南 俊明(みなみ としあき、1962年-)は、日本の吹奏楽作曲家。北海道函館市生まれ。札幌市在住。全日本吹奏楽コンクールの課題曲の作曲などで知られる。函館市立五稜中学校、北海道函館中部高等学校を卒業後、北海道大学理学部に進む。卒業後、同大学院修了。中学から高校時代にかけては吹奏楽を続けていた。数学科教諭として北海道静内高等学校、北海道函館中部高等学校、北海道石狩南高等学校に勤務した。北海道石狩南高等学校に在職中に全日本吹奏楽コンクールの課題曲を2曲制作。同氏は教頭として北海道稚内高等学校、北海道斜里高等学校、北海道函館中部高等学校、校長として北海道津別高等学校、北海道苫小牧東高等学校を歴任し、2023年3月に定年退職。
月脚 達彦(つきあし たつひこ、1962年 - )は、日本の… 月脚 達彦(つきあし たつひこ、1962年 - )は、日本の歴史学者。東京大学大学院総合文化研究科教授。専門は朝鮮近代史。総合文化研究科グローバル共生プログラム (GHP) 運営委員。 1962年、北海道宗谷郡で生まれた。北海道旭川西高等学校を卒業し、東京外国語大学外国語学部朝鮮語学科に進んだ。1986年、同大学を卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科史学専攻に進み、1994年に博士課程を単位取得退学。 1995年、東京外国語大学外国語学部助手に採用。1997年に同専任講師、2001年に同助教授に昇格。2006年、東京大学総合文化研究科言語情報科学専攻助教授となった。2012年に教授昇格。 19世紀末から20世紀前半にかけての朝鮮思想史を専門としている。
辻 琢也(つじ たくや、1962年 - )は、日本の政治学者… 辻 琢也(つじ たくや、1962年 - )は、日本の政治学者、行政学者。一橋大学大学院法学研究科教授。政策研究大学院大学教授、国立大学法人一橋大学理事・副学長、総務省国地方係争処理委員会委員長代理、内閣府地方制度調査会委員等を歴任。 北海道函館市生まれ。函館ラ・サール高等学校を経て、1985年東京大学教養学部第三・相関社会科学分科卒業。1990年東京大学大学院総合文化研究科相関社会科学専攻博士課程単位取得満期退学。1994年東京大学学術博士。 1990年東京大学助手、1996年ジョンズ・ホプキンス大学SAISライシャワーセンター客員研究員、1997年政策研究大学院大学助教授、2003年同教授。2005年、一橋大学に国際・公共政策大学院が開設されると、一橋大学大学院法学研究科教授兼国際・公共政策大学院教授に就任。
福島 秀夫(ふくしま ひでお、1962年 - )は、日本の外… 福島 秀夫(ふくしま ひでお、1962年 - )は、日本の外交官。パナマ大使等を経て、2024年退官。 北海道札幌市生まれ。 1985年 東京大学法学部卒業 1988年 ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院卒業 1985年外務省入省。在外研修後、本省にて地球環境・気候変動、広報文化外交戦略等の各種ポストを歴任。 2008年、在アメリカ合衆国日本国大使館公使、2010年、在ロシア日本国大使館公使、2012年、在イタリア日本国大使館次席公使、2015年在タイ日本国大使館次席公使兼国連アジア太平洋経済社会委員会常駐代表、2018年、在ヒューストン日本国総領事を経て、2021年より駐パナマ日本国特命全権大使。
久保 健一郎(くぼ けんいちろう、1962年 - )は、日本… 久保 健一郎(くぼ けんいちろう、1962年 - )は、日本の日本史学者、早稲田大学教授。 北海道網走市生まれ。1985年早稲田大学第一文学部卒業、93年同大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。早稲田大学文学部助手、助教授、2007年同文学学術院准教授、教授。2001年「戦国大名における公儀の研究」で文学博士。
田原 牧(たはら まき、1962年 - )は、東京新聞(中日… 田原 牧(たはら まき、1962年 - )は、東京新聞(中日新聞東京本社)特別報道部記者。紙面では戸籍名の田原拓治名義でも執筆している。
人羅 格(ひとら ただし、1962年 - )は、日本のジャー… 人羅 格(ひとら ただし、1962年 - )は、日本のジャーナリスト、政治記者。毎日新聞社論説委員。北海道札幌市出身。東北大学法学部卒業。 人羅格は、毎日新聞社で政治記者として国政や地方の動きを取材してきたジャーナリストである。1985年に毎日新聞社に入社し、1989年から政治取材に携わる。政治部官邸キャップとして首相官邸の取材を担当し、政治部デスク、政治部副部長などを経て、2008年4月から論説委員を務めている。政局取材を主に担当したほか、地方自治を専門領域としている。 2025年現在は全国町村会のコラムで地方創生や地域課題をテーマに執筆を行っているほか、週刊エコノミストの「東奔政走」で政治分析の記事を発表している。
大森 ゆかり(おおもり ゆかり、芸名:大森友伽里、1961年… 大森 ゆかり(おおもり ゆかり、芸名:大森友伽里、1961年(昭和36年)12月21日 - )は、日本の元プロレスラー、元タレント。第74代WWWA世界タッグ王者、第76代WWWA世界タッグ王者、第33代WWWA世界シングル王者。ニックネームはナツコ、女力道山。北海道札幌市出身。 1961年(昭和36年)12月21日、北海道札幌市に生まれる。格闘技好きの父の勧めで幼少期から柔道やわんぱく相撲に出場していた。 1980年(昭和55年)、鏡山親方を後見人として、全日本女子プロレスへ入門。同期にはクレーン・ユウ、ダンプ松本、長与千種、ライオネス飛鳥らがいる。同年入門者はのちにトップ選手へ成長し、「昭和55年組」と呼ばれるようになった。
合田 道人(ごうだ みちと、1961年12月13日 - ) … 合田 道人(ごうだ みちと、1961年12月13日 - ) は、北海道釧路市出身の日本の芸能タレント。ミュージック・オフィス合田代表取締役社長、オフィスキコ、キタガワサウンズ代表取締役会長。日本歌手協会理事長、日本報道協会理事、日本音楽著作権協会正会員。父はノンフィクション作家の合田一道。[要出典]
金沢 克彦(かなざわ かつひこ、1961年12月13日 - … 金沢 克彦(かなざわ かつひこ、1961年12月13日 - )は、プロレス・格闘技ライター、編集者。北海道帯広市出身。青山学院大学経営学部卒業。 週刊ゴング編集部時代はGK(ゴング金沢)と呼ばれ、現在もその呼称で呼ばれることが多い。眼鏡と長髪が特徴。 1986年に新大阪新聞社へ入社し、東京支社で同社発行の週刊ファイト編集部記者となる。1989年に日本スポーツ出版社へと引き抜かれ入社、同社発行の週刊ゴング編集部入り。週刊ゴング編集部時代は担当の新日本プロレス贔屓の筆で知られた。当時、新日本プロレスの現場責任者であり、マスコミとは一線を画していた長州力に食い込んで信頼関係を築き、数々の単独インタビューの機会を得た。
滝吉 直樹(たきよし なおき、1961年10月27日 - 2… 滝吉 直樹(たきよし なおき、1961年10月27日 - 2022年6月14日)は北海道出身の日本の柔道家。95kg超級の選手。現役時代は身長184cm。体重143kg。 東海大第四高校3年の時には金鷲旗で、後に95kg級で世界選手権2連覇を達成することになる1年後輩の須貝等とともに活躍して、初優勝をもたらした。さらに、インターハイの重量級でも優勝を飾った。新人体重別では3位だった。1980年には東海大学に進学すると、優勝大会では3度も優勝を果たした。3年の時には優秀選手にも選ばれた。講道館杯でも優勝を果たした。4年の時には講道館杯で2連覇を達成したが、無差別で争われる全日本学生選手権では決勝で天理大学3年の正木嘉美に敗れて2位だった。
三遊亭 道楽(さんゆうてい どうらく、1961年10月19日… 三遊亭 道楽(さんゆうてい どうらく、1961年10月19日 - )は、北海道釧路市出身の落語家。五代目円楽一門会所属。本名∶斎藤 稔哉。出囃子は『のっと』。 北海道釧路北陽高等学校を経て、1980年に北海道教育大学釧路分校(現・北海道教育大学釧路校)小学校教員養成課程に入学した。 1983年3月、五代目三遊亭圓楽に入門、命名「道楽」で初高座。北海道生まれのため「道楽」と名付けられたか、一門などによく「道楽好き」だからそう名付けられたとネタにされる。 1986年10月に二ツ目昇進。 1991年10月、三遊亭栄楽と共に真打に昇進した。