相原 史郎(あいはら しろう、2001年1月20日 - )は… 相原 史郎(あいはら しろう、2001年1月20日 - )は、日本のアルペンスキー選手。主に回転競技に出場している。株式会社小泉所属。2026年ミラノ・コルティナ冬季五輪アルペンスキー日本代表。 父は元日本代表のアルペンスキー選手で東海大学国際文化学部教授、東海大学スキー部監督、J Sports解説者の相原博之。 北海道札幌市出身。北海道の東海大学付属第四高等学校中等部から東海大学付属札幌高等学校へ進学。その後、東海大学国際文化学部地域創造学科へ入学。2023年に同大学を卒業、現在は株式会社小泉に所属している。 2015-16年シーズンにJOCジュニアオリンピックGS/SLで優勝し、2016-17年シーズンに初めて日本代表に選出される(高校1年生)。
住吉 輝紗良(すみよし きさら、2000年3月8日 - )は… 住吉 輝紗良(すみよし きさら、2000年3月8日 - )は、日本のフリースタイルスキー選手。2022年に引退を表明、現役時代は在学する日本大学に所属した。夫は同じくフリースタイルスキー選手の堀島行真。日本大学卒。 北海道倶知安町出身。 小学3年時からスキーチーム「ニセコB&J」に所属。小学校高学年から本格的にモーグルを始め、小学校6年生で北海道選手権優勝。中学2・3年時にはジュニア五輪を連覇した。北海道倶知安高等学校1年時からナショナルチーム入りし、3年時に出場した2017年全日本選手権デュアルモーグルで初優勝。 高校卒業後、日本大学に進学。日大入学後は2018年ジュニア世界選手権、2019年冬季ユニバーシアードで優勝。
成田 秀将(なりた ひでゆき、1993年9月23日 - )は… 成田 秀将(なりた ひでゆき、1993年9月23日 - )は、日本の元アルペンスキー選手。 北海道恵庭市出身。北海道恵庭市立恵北中学校から北照高等学校、東海大学国際文化学部地域創造学科卒業(4年次スキー部主将)2017年2月よりミキハウス所属、マネジメント会社は株式会社クロスブレイス。2022年3月に行われた、FIS宮様大会を最後に引退。回転種目で1位を獲得する有終の美であった。 第8回冬季アジア大会 この成績により2015/2016のFIS WORLD CUP個人出場権利を獲得 2014/2015にフィンランドのLeviで開催されたワールドカップ スラロームに初出場、最後の急斜面で転倒してしまうがスイッチバックし、レースを続けた。
佐藤 瞳(さとう ひとみ、ラテン文字:Hitomi Sato… 佐藤 瞳(さとう ひとみ、ラテン文字:Hitomi Sato、1988年6月28日 - )は、日本のフリースタイルスキー選手(女子スロープスタイル)、2018年平昌オリンピック強化指定選手である。 北海道旭川市生まれ。親に連れられ2歳でスキーを始める。小学生の頃親の転勤で福島県福島市松川町へ。競技スキーとの出会いは、小学生の頃長野オリンピックでの日本人選手の金メダル獲得という活躍を目の当たりにし、自らもオリンピックで金メダルをとりたいという思いから。 両親の反対を押し切るため、高校卒業と共に親元を離れ、アルバイトをし、自ら競技資金を稼ぎながら、19歳で本格的に競技スキーを始める。国内で独学でトレーニングに励むも、結果に結びつかない時期を過ごす。
吉田 圭伸(よしだ けいしん、1987年1月12日 - )は… 吉田 圭伸(よしだ けいしん、1987年1月12日 - )は、日本、北海道中川郡音威子府村出身のクロスカントリースキー選手。おといねっぷ美術工芸高校、中央大学を卒業。自衛隊体育学校冬季特科。現所属は東川町役場。 音威子府中学3年時に全国中学校スキー大会フリー種目で初の全国制覇。おといねっぷ美術工芸高校2年時には全国高等学校スキー大会でクラシカル、フリー、男子リレーの3冠に輝き、学校対抗男子総合優勝に大きく貢献。翌3年時には、フリー種目で優勝。学校対抗でも男子総合優勝をし、2連覇を果たす。ノルディックスキージュニア世界選手権クロスカントリースキー競技では、日本人高校生史上初となる銀メダルを獲得。中央大学卒業後は陸上自衛隊冬季戦技教育隊(現:自衛隊体育学校冬季特科)に所属。
狩野 亮(かのう あきら、1986年3月14日 - )は、日… 狩野 亮(かのう あきら、1986年3月14日 - )は、日本のチェアスキーヤー。 北海道網走市出身。1994年に小学校3年生のとき登校中の自動車事故で脊髄を損傷、その後さまざまなスポーツを経験し、中学1年生のときスキーを始める。岩手大学福祉システム工学科で学び、現在はマルハンに所属している。冬季パラリンピックのアルペンスキー競技に2006年のトリノパラリンピックより4大会連続出場。2010年のバンクーバーパラリンピックでは男子座位スーパー大回転で金メダル、男子座位滑降で銅メダルを獲得した。このバンクーバー大会の功績により、2010年6月10日、北海道栄誉賞を受賞した。 2014年3月8日、ソチパラリンピックのアルペンスキー男子滑降において、金メダルを獲得、日本人選手の金メダル第一号となった。
加藤 大平(かとう たいへい、1984年7月30日 - )は… 加藤 大平(かとう たいへい、1984年7月30日 - )は、日本のスキー選手。種目はノルディック複合。サッポロノルディックスキークラブ所属。 北海道上川郡和寒町出身。和寒町立和寒中学校を経て北海道下川商業高等学校卒業。 2003年1月よりノルディック複合ワールドカップBに出場。2005/06シーズンの3月11日ラハティ大会スプリントで2位に入り初めて表彰台を獲得。2006/07シーズンもワールドカップBを転戦した後、札幌での世界選手権に初出場。その後ノルディック複合・ワールドカップに初出場した。 2008/09シーズンは開幕時よりワールドカップメンバー入りし、11月29日クーサモ大会で11位。
湯浅 直樹(ゆあさ なおき、1983年4月24日 - )は日… 湯浅 直樹(ゆあさ なおき、1983年4月24日 - )は日本のアルペンスキー選手。現在はYUASA SNOW ACADEMY代表 株式会社ヤマヲ所属。 冬季オリンピック3大会出場(2006年 トリノ・2014年 ソチ・2018年 平昌)。 日本人で初めて国産のスキー(Hart)を使用してワールドカップで表彰台に立った。この時に使用したスキーはアルペングループ(名古屋)の子会社である株式会社ジャパーナが制作した純国産のスキー。 アルペンスキーにおける独立した世界3大大会(オリンピック・世界選手権・ワールドカップ)の全てで入賞を果たした日本人唯一の選手。 ワールドカップにおけるクオリファイ(1本目30位以内に入り2本目に進出すること)回数は48回であり、日本人で最も長い15年間連続でクオリファイし続けた記録を持つ。
佐々木 明(ささき あきら、1981年9月26日 - )は、… 佐々木 明(ささき あきら、1981年9月26日 - )は、日本のプロスキーヤー、実業家。ゴーグル・アパレルブランドEMUSIを所有する有限会社AKスクエアの社長である。元妻は山本美憂。 北海道大野町(現:北海道北斗市)出身。北海道の北照高校から日本体育大学体育学部体育学科入学後にオーストリアへ移住した為退学 日体大2年次にソルトレークシティーオリンピックに初出場、のちトリノ五輪・バンクーバー五輪・ソチ五輪と4大会連続日本代表。 アルペンスキー・ワールドカップでアジア人人として最高位最多の3回表彰台に立った(2019年1月現在)。 2014年ソチオリンピックの終了後には、より自然とつながる山岳スキーへ転向。
石田 正子(いしだ まさこ、1980年11月5日 - )は、… 石田 正子(いしだ まさこ、1980年11月5日 - )は、日本のクロスカントリースキー選手。日本大学文理学部体育学科卒業。現所属はJR北海道。日本人選手で初めてワールドカップ長距離種目(30kmクラシカル)3位入賞をしている。美幌町「栄誉賞」受賞。 北海道網走郡美幌町出身、札幌市在住。旭川大学高校では高校総体、高校選抜、ジュニアオリンピック、国体で優勝している。日本大学進学後は2001年3月にクロスカントリースキー・ワールドカップに初出場。インカレでも3連覇を達成。大学卒業後はJR北海道(2011年3月まではJR北海道グループの札新開発に勤務し、JR北海道スキー部所属、2011年4月以降はJR北海道とのユニフォームスポンサー契約)。
柏木 久美子(かしわぎ くみこ、1978年10月9日 - )… 柏木 久美子(かしわぎ くみこ、1978年10月9日 - )は、東京都出身のアルペンスキーヤー。小樽双葉女学園卒。
井山 敬介(いやま けいすけ、1978年6月28日 - )は… 井山 敬介(いやま けいすけ、1978年6月28日 - )は日本の男性プロスキーヤー。北海道富良野市出身。全日本ナショナルデモンストレーター認定7期(2006-2020)。ばんけいスキー学校所属。 札幌第一高等学校在学中からナショナルチームに入る。1996年には米国Breckenridgeの回転にてFISワールドカップに出場する。 2000年より技術選に参戦。2007年・2008年に2連覇、2014年には3度目の優勝を果たす。 2007年10月にはスキー仲間の丸山貴雄、柏木義之、吉岡大輔らとニュージーランドを舞台に業界20年ぶりとなるスキー映画「4ce Cut the Wind」を製作、出演。目黒にて上映会開催。
滝下 靖之(たきした やすゆき、1976年(昭和51年)1月… 滝下 靖之(たきした やすゆき、1976年(昭和51年)1月31日 - )は、日本のアルペンスキー選手。 北海道留萌市出身。札幌第一高等学校卒業。ミズノに所属。1998年長野オリンピックと2002年ソルトレークシティオリンピックに出場した。
阿部 雅司(あべ まさし、1965年8月13日 - )は、北… 阿部 雅司(あべ まさし、1965年8月13日 - )は、北海道留萌郡小平町出身のスキー・ノルディック複合の元選手、元指導者。1990年代に活躍し、オリンピックおよびノルディックスキー世界選手権の団体戦で3度金メダルを獲得した。現在は北海道名寄市の特別参与と札幌オリンピックミュージアム名誉館長を兼任している。 小学1年でスキーを始め、当時の指導者の勧めで小学3年からジャンプ競技を開始。小平町立小平中学校に進学後、中学1年でノルディック複合に転向。3年連続全国大会出場の実績を残して、強豪・東海大学付属第四高等学校に進学した。高校3年時にはキャプテンに抜擢され、全日本選手権・少年組で優勝。インターハイと国体では2位となる活躍を見せた。
千葉 晴久 (ちば はるひさ、1951年〈昭和26年〉6月3… 千葉 晴久 (ちば はるひさ、1951年〈昭和26年〉6月3日 - 2006年〈平成18年〉2月8日)は、日本の元アルペンスキーヤー。 1951年、北海道旭川市出身。北日本学院高校(現在の旭川大学高校)から進学した専修大学在学中、1972年札幌オリンピックと1976年インスブルックオリンピックに出場した。1972年第50回全日本スキー選手権大会アルペン競技「回転」で優勝。札幌オリンピック大回転19位。プロに転向する[いつ?] SRAプロスキーサーキットプロレレースに参戦し、日本人初の優勝。 後進の指導に取り組み選手層を厚くするため、1986年に任意団体会長、長野オリンピック開催の1998年にNPO法人ナスターレース協会初代会長に就任。
斉藤 博(さいとう ひろし、1948年〈昭和23年〉10月 … 斉藤 博(さいとう ひろし、1948年〈昭和23年〉10月 - )は、日本の元アルペンスキー選手・指導者。 選手時代は中央大学スキー部、その後札幌の三共電装にノンプロ選手として所属し、その後歌志内市役所の職員となった後の28歳まで選手として活動。[要出典] その後かもい岳レーシングチームを設立。 選手としては宮様国際スキー競技会、富良野での国体、北海道選手権などで優勝。[要出典] 北海道美唄市出身。 北海道美唄市で生まれ、5歳の時に父親から買ってもらったスキーでスキーをはじめる。 当時は美唄にはリフトのあるスキー場はなく、自分の足で登って滑る毎日を過ごした。 その後美唄市立栄小学校、東明中学校、美唄東高校を経て、中央大学に入学する。
古川 年正 (ふるかわ としまさ、1947年5月11日 - … 古川 年正 (ふるかわ としまさ、1947年5月11日 - )は、日本のアルペンスキーヤー 。 北海道枝幸郡出身。北海高等学校を経て、芝浦工業大学へ進む。1972年札幌オリンピックで男子回転に出場したが、骨折による途中棄権で終わった。のち日本オリンピック委員会の理事や選手強化副本部長、全日本スキー連盟常務理事を歴任し、2014年ソチオリンピックでは日本代表選手団の副団長を務めた。2017年(平成29年)第一線から退いた。2018年(平成30年)現在、長野県上高井郡野沢温泉村に在住し、ペンション・シュネーを経営している。
気田 義也(きだ よしなり、1943年9月29日 - 200… 気田 義也(きだ よしなり、1943年9月29日 - 2009年9月13日)は、日本の元アルペンスキー選手。東京都生まれ、北海道蘭越町育ち。北海道倶知安高等学校卒。 倶知安高校在学時の1961年に全日本スキー選手権大回転を制した。早稲田大学進学後の1964年インスブルックオリンピックに出場し男子回転で34位、男子大回転で39位となっている。全日本スキー選手権では1965年、1966年と回転で連覇、北海道拓殖銀行就職後に出場した1968年のグルノーブルオリンピックでは予選で敗退した。2009年に死去。65歳没。
福原 吉春(ふくはら よしはる、1942年(昭和17年)2月… 福原 吉春(ふくはら よしはる、1942年(昭和17年)2月10日 - 1975年(昭和50年)9月23日?)は、日本のアルペンスキーヤー。 北海道磯谷郡蘭越町出身。北海道倶知安農業高等学校から明治大学に進み、大学3年時の1963年に第41回全日本スキー選手権大会アルペンスキー競技に滑降と回転の2種目で優勝する。1963年、北海道スポーツ賞を受賞する。 1964年1月19日、オーストリアで開かれたゴルデック国際スキー大会の回転競技で優勝する。同年、オーストリアチロル州のインスブルックで開かれた第9回オリンピック冬季競技大会に出場した。成績は滑降が45位、回転が23位、大回転が25位であった。 1965年1月にスイスで開かれたラウバーン国際スキー大会において、男子滑降で43位、男子回転レースで14位に終わる。
大平 義博 (おおひら よしひろ、1940年9月9日 - )… 大平 義博 (おおひら よしひろ、1940年9月9日 - )は、日本のアルペンスキーヤーである。 北海道出身。彼は、オーストリアのチロル州インスブルックで開催された1964年冬季オリンピックに出場した。 この項目は、スキーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:スポーツ/Portal:スポーツ)。
安達 晟(あだち あきら、1939年5月3日 - 2020年… 安達 晟(あだち あきら、1939年5月3日 - 2020年7月25日[要出典])は、北海道余市町出身の元ノルディックスキー(スキージャンプ)選手、スキー指導者、スキージャンプ審判員。 北海道余市町大川町出身。北海道余市高等学校ではスキー部に所属。在学中、ジャンプ競技では、2年生時に全道スキー大会純ジャンプ2位、全国高等学校スキー大会2位、3年生時に全国高等学校スキー大会2位の成績を残す。 1958年(昭和33年)、札幌鉄道管理局(国鉄北海道支社、現在の北海道旅客鉄道鉄道事業本部に相当)に入社。札幌鉄道管理局スキー部に入部した。当時の札鉄スキー部は、純ジャンプに秋葉信夫、大内誠一、 距離競技では工藤誠二、谷口明見(ノルディック複合、オリンピック3回出場)らの有力選手を擁していた。
見谷 昌禧(みたに まさよし、1938年1月5日 - )は、… 見谷 昌禧(みたに まさよし、1938年1月5日 - )は、日本の元アルペンスキー選手、スキー指導者、スキージャーナリスト、スキー技術研究家。 見谷スキースクール会長。国際スキージャーナリスト協会(AIJS)会員。 戦後北海道小樽市に移る。小樽潮陵高時代、全国高等学校スキー大会の大回転で優勝する。 卒業後、早稲田大学に進み、1959年の第37回全日本スキー選手権大会アルペンスキー競技では、回転で猪谷千春に次いで2位となり、翌1960年のスコーバレーオリンピッの代表に選出される。同オリンピックでは、アルペンスキーの滑降で53位、大回転で33位となったが、回転では失格した。 1962年には、フランス・シャモニーで開催された世界選手権と、スイス・ヴィラールで開催されたユニバーシアードに出場し、世界選手権では回転で21位、大回転で28位、ユニバーシアードでは回転で3位に入賞した。
多田 修(ただ おさむ、1935年5月16日 - )は、北海… 多田 修(ただ おさむ、1935年5月16日 - )は、北海道出身の元アルペンスキー選手。 北海高 → 早稲田大学 → 伊勢丹 1955年の第28回全日本学生スキー選手権大会の回転で優勝。荒削りながら、コースの選定には独特の勘があったと言われる。1959年のスコーバレーのプレオリンピックでは、欧米の強豪を相手に、滑降・回転・大回転の3種目総合で4位に入る健闘を見せた。同年の第37回全日本スキー選手権大会アルペンスキー競技では、回転で猪谷千春・見谷昌禧に次いで3位に入り、翌1960年のスコーバレーオリンピックの代表に選出される。同オリンピックでは、アルペンスキーの滑降で46位、回転で26位、大回転で35位だった。
藤沢良一(ふじさわ りょういち、1927年5月25日 - )… 藤沢良一(ふじさわ りょういち、1927年5月25日 - )は、北海道小樽市出身で1950年代に活躍した日本の元クロスカントリースキー、ノルディック複合、スキージャンプ選手。小樽水産高校から明治大学を経て松尾鉱山。1998年の長野オリンピックでは、聖火リレーの走者を務めた。
水上 久(みなかみ ひさし、1925年7月9日 - )は、北… 水上 久(みなかみ ひさし、1925年7月9日 - )は、北海道小樽市出身の元アルペンスキー選手。 旧制小樽中学校 → 国鉄 1949年、第27回全日本スキー選手権大会のアルペンスキー成年新複合(滑降・回転)で優勝。翌年の同大会同種目では猪谷千春に次いで2位だったが、回転では猪谷を抑えて優勝している。 1952年オスロオリンピック代表に選出され、同オリンピックのアルペンスキー競技では、大回転で26位、滑降・回転では失格した。 引退後はプロに転向し、新潟県でインストラクターをつとめた。
関戸 力(せきど つとむ、後に矢崎姓、1915年3月25日 … 関戸 力(せきど つとむ、後に矢崎姓、1915年3月25日 - 1987年11月23日)は、北海道小樽市出身のノルディック複合、クロスカントリースキー選手。 旧制小樽商業学校 → 札幌鉄道管理局(現・JR北海道鉄道事業本部) 小樽商業時代の1933年、第11回全日本スキー選手権大会のノルディック複合個人とクロスカントリースキー個人長距離(18km)の少年の部で優勝。卒業後札幌鉄道管理局に入り、1935年の全日本スキー選手権大会のノルディック複合とクロスカントリースキー個人長距離(17km)の成年の部でともに2位となり、翌1936年のガルミッシュパルテンキルヒェンオリンピックの代表に選出される。同オリンピックのノルディック複合個人では35位、クロスカントリースキー個人長距離(18km)では55位、4x10kmリレーで12位だった。
但野 寛(ただの ひろし、1914年1月29日 - 1986… 但野 寛(ただの ひろし、1914年1月29日 - 1986年9月6日)は、北海道旭川市出身のクロスカントリースキー、アルペンスキー選手。 旧制旭川中学校 → 日本国有鉄道札幌鉄道管理局 1935年の第13回全日本スキー選手権大会クロスカントリースキー個人耐久(56km)で3位となり、翌1936年のガルミッシュパルテンキルヒェンオリンピックの代表に選出される。同オリンピックのクロスカントリースキー競技では、個人耐久(50km)で28位、個人長距離(18km)で59位、4x10kmリレーで12位の成績を残した。また、同オリンピックより採用されたアルペンスキー競技のアルペンスキー複合(滑降・回転)にも、同じ距離選手の関口勇・関戸力とともにエントリーしたが、後半の回転で全員失格した。
関口 勇(せきぐち いさむ、1910年10月28日 - 未詳… 関口 勇(せきぐち いさむ、1910年10月28日 - 未詳)は、北海道小樽市出身の元スキージャンプ、ノルディック複合、アルペンスキー選手。 旧制北海商業学校 → 札幌鉄道管理局 → 北海道帝国大学若労会 中学時代からジャンプの選手として知られ、卒業後はノルウェースキー連盟副会長のオラフ・ヘルセット中尉の指導を受けた。飛型の美しさには定評があり、日本で初めて本場北欧のジャンプを身につけた選手と言われる。1930年の第8回全日本スキー選手権大会ジャンプ競技で優勝。1932年レークプラシッドオリンピックの日本代表に選出されるが、大会直前に病気で途中帰国した。 その後ノルディック複合に転向し、1935年の全日本スキー選手権大会ノルディック複合で優勝、翌1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピックの代表に選出される。
栗谷川 平五郎(くりやがわ へいごろう、1908年10月4日… 栗谷川 平五郎(くりやがわ へいごろう、1908年10月4日 - 1993年2月20日)は、北海道名寄市出身のクロスカントリースキー、ノルディック複合選手。 戦前を代表する名選手の一人である。 旧制札幌第一中学校 → 札幌鉄道管理局(現・JR北海道鉄道事業本部) → 明治大学 → 札幌鉄道管理局 札幌一中から札幌鉄道管理局に入り、1928年の第6回全日本スキー選手権大会クロスカントリースキーの個人30kmとリレーで優勝。その後明大に進み、1929年から31年までの全日本学生スキー選手権大会の個人18kmで3連覇した他、1930年の全日本スキー選手権大会のノルディック複合で優勝する。1932年レークプラシッドオリンピックでは、クロスカントリースキー個人長距離(18km)と個人耐久(50km)、ノルディック複合の3種目にエントリーする。
高橋 昴(たかはし あきら、1902年8月31日 - 199… 高橋 昴(たかはし あきら、1902年8月31日 - 1992年7月4日)は、北海道出身の元クロスカントリースキー選手。 旧制北海中学校 → 早稲田大学 早大在学中、1925年の第3回全日本スキー選手権大会クロスカントリースキー個人4kmとリレーで優勝。翌年の同大会でも、クロスカントリースキー個人25kmとリレーの2冠を達成した。日本初参加となった1928年サンモリッツオリンピックの代表に選出され、クロスカントリースキー個人長距離(18km)で36位、個人耐久(50km)で25位だった。 引退後は全日本スキー連盟の理事をつとめた。
坪川 武光(つぼかわ たけみつ、1909年 - 1940年1… 坪川 武光(つぼかわ たけみつ、1909年 - 1940年12月19日)は、北海道小樽市出身のクロスカントリースキー、ノルディック複合選手。 旧制札幌商業学校 → 早稲田大学 → 北海道庁 早大在学中、1930年の第8回全日本スキー選手権大会クロスカントリースキー個人18kmとリレーで優勝。翌1931年の全日本学生スキー選手権大会でも、早大チームのメンバーとして、クロスカントリースキー32kmリレーを制する。1932年レークプラシッドオリンピックの代表に選出され、クロスカントリースキー個人長距離(18km)で15位、ノルディック複合では前半の距離で5位、総合でも日本人選手最高の15位に入る健闘を見せた。