永山 竜樹(ながやま りゅうじゅ、1996年4月15日 - … 永山 竜樹(ながやま りゅうじゅ、1996年4月15日 - )は、日本の柔道家。北海道美唄市出身。身長156cm。組み手は右組み。血液型はA型。得意技は背負投、袖釣込腰。パリオリンピック柔道男子60kg級銅メダリスト。 柔道は4歳の時に美唄市少年柔道会で始めた。小学校2年からは女子57kg級で活躍する玉置桃の父親が指導する岩見沢柔道少年団で稽古を積むようになった。この当時身に付けた小柄な体格を活かした担ぎ技や足技が自らの柔道の原型となった。道内で勝てない選手がいたこともあって、中学は愛知県の大成中学へ進んだ。3年の時には全日本カデ50kg級で優勝すると、世界カデでも優勝を飾った。その直後に出場した全国中学校柔道大会の55kg級では準々決勝で神戸生田中学2年の阿部一二三に有効で敗れて5位に終わった。
浅利 昌哉(あさり まさや、1995年11月12日 - )は… 浅利 昌哉(あさり まさや、1995年11月12日 - )は、北海道伊達市出身の、日本の柔道選手である。階級は66kg級。身長170cm。血液型はB型。段位は五段。組み手は左組み。得意技は体落、背負投、寝技(とりわけ腕挫十字固)。 柔道は5歳の時に伊達柔道スポーツ少年団で始めた。東海大四中等部3年の時には全国中学校柔道大会60kg級で2位になった。東海大四高へ進むと、1年の時には全日本カデで2位だった。2年の時にはインターハイで2位になると、全国高校選手権では優勝を飾った。3年のインターハイでは3位にとどまった。 2014年には東海大学へ進学すると、階級を66kg級に上げた。1年の時には全日本ジュニアで5位だったものの、2年の時には優勝を果たした。
玉置 桃(たまおき もも、1994年9月16日 - )は、北… 玉置 桃(たまおき もも、1994年9月16日 - )は、北海道岩見沢市出身の日本人の女子柔道選手。階級は57kg級。身長162cm。リーチ163cm。段位は四段。組み手は右組み。得意技は大内刈。2026年1月現在、三井住友海上に所属している。 柔道家だった両親の影響で、6歳の時に弟と一緒に柔道を始めると、妹もそれに続いた。その後、父親が自宅裏に開設した玉置塾で稽古するようになった。なお、世界選手権銅メダリストの永山竜樹もこの道場に通っていた。 光陵中学3年の時には全国中学校柔道大会48kg級で優勝を飾った。 高校は東京にある藤村女子高校に進むと、三井住友海上でも練習をこなすことになった。1年の時にインターハイに出場するが、3回戦で比叡山高校3年の遠藤宏美に背負投で敗れた。
高橋 良介(たかはし りょうすけ、1991年10月28日 -… 高橋 良介(たかはし りょうすけ、1991年10月28日 -)は北海道出身の日本の柔道家。100 kg級の選手。身長は178 cm。組み手は左組み。得意技は大外刈。 柔道は10歳の時に柳柔会高畑道場で始めた。永山中学2年の時には全国中学校柔道大会の90kg級決勝で大成中学3年の菅原健志に敗れて2位だった。その後大成中学へ転向すると、近代柔道杯団体戦では優勝を飾った。3年の全国中学校柔道大会では個人戦決勝で三国中学3年の近藤拓也に敗れて再び2位にとどまったが、団体戦ではチームメイトの六郷雄平や稲木貴統、稲田基などとともに活躍して優勝した。全日本選抜少年柔道大会でも優勝に貢献して、チームは2年連続中学団体3冠(近代柔道杯、全国中学校柔道大会、全日本選抜少年柔道大会)を達成した。
山部 佳苗(やまべ かなえ、1990年9月22日 - )は、… 山部 佳苗(やまべ かなえ、1990年9月22日 - )は、北海道札幌市東区出身の日本の元女子柔道選手。階級は78kg超級。段位は五段。身長172cm。体重100kg。組み手は右組み。血液型はB型。得意技は払腰。 現在はミキハウスに所属している。趣味はスノーボード、スキー、音ゲーの「ピアノタイル2」をプレイすること。ももいろクローバーZのファンで、コンサートにも出向いたりしており。なお、2017年8月に発売されたシングル「BLAST!」のミュージックビデオでは柔道の選手役で出演している。 山梨学院大学・ミキハウスの同期にロンドンオリンピック競泳メダリストの鈴木聡美がいて、競技は違えどお互いの試合を応援しに行く仲でもある。
上野 巴恵(うえの ともえ、1989年11月1日 - )は、… 上野 巴恵(うえの ともえ、1989年11月1日 - )は、北海道旭川市出身の、日本人の女子柔道選手である。階級は70キロ級。身長168cm。得意技は大外刈。組み手は左組み。段位は参段。血液型はA型。旭川南高校を卒業して、2008年に三井住友海上に入社するが2012年に退社して、2012年10月に退社した。2013年4月、自衛隊体育学校に入校[4]。
川島 巴瑠菜(かわしま はるな、1988年9月7日 - )は… 川島 巴瑠菜(かわしま はるな、1988年9月7日 - )は北海道旭川市出身の日本の柔道家。78kg級の選手。身長172cm。血液型はA型。組み手は右組み。得意技は内股、大外刈。 柔道は6歳の時に末広北道場で始めた。春光台中学3年の時には全国中学校柔道大会70kg超級決勝で小杉中学3年の田知本愛を破って優勝を飾った。旭川大高校へ進むと、1年の時には全国高校選手権の78kg超級で3位になった。3年の時にはインターハイ78kg級で2位となった。全日本ジュニアでは5位にとどまったにもかかわらず、1回戦負けの可能性もあるが優勝を狙うならこの選手しかいないということで、世界ジュニア代表に選出された。世界ジュニアでは決勝まで進むと、イギリスのサリー・コンウェイを大外刈の有効で破って優勝を飾り、コーチ陣の期待に応えた。
森本 奈々美(もりもと ななみ、1988年2月27日 -)は… 森本 奈々美(もりもと ななみ、1988年2月27日 -)は北海道札幌市出身の日本の柔道家。52kg級の選手。身長は163cm。血液型はA型。組み手は右組み。得意技は内股。 柔道は父親の影響で4歳の時に始めた。札幌市立八軒中学校から札幌山の手高校に進むと、2年の時にはこの年から新設されたインターハイの女子個人戦48kg級で決勝まで進むも、藤村女子高校3年の山岸絵美に敗れて2位だった。 広島大学へ進学すると、2年の時には全日本ジュニアの決勝で藤枝順心高校2年の加賀谷千保に敗れた。3年の時には学生体重別の決勝で埼玉大学1年の斉藤美貴に敗れてまたも2位にとどまった。 2010年には了徳寺学園職員になると、体重別では初戦で中学生ながら講道館杯で3位になるなど注目されていた桐蔭学園高校1年の山本杏を有効で破るも、準決勝で三井住友海上の中村美里に大内刈で敗れて3位だった。
佐藤 愛子(さとう あいこ、1983年10月18日 - )は… 佐藤 愛子(さとう あいこ、1983年10月18日 - )は、北海道名寄市出身の柔道家。現役時代は女子柔道57kg級の選手。身長は157cm。血液型はO型。組み手は右組み。段位は四段。得意技は背負投、寝技。北海道旭川南高等学校、筑波大学卒業。了徳寺学園職員を経て、2016年より東京女子体育大学の教員及び柔道部監督。
澤田 敦士(さわだ あつし、1983年8月20日 - )は、… 澤田 敦士(さわだ あつし、1983年8月20日 - )は、日本のプロレスラー、政治家、元柔道家。千葉県我孫子市議会議員(3期)。北海道旭川市出身。 小学1年で柔道を始め、小学校を卒業すると講道学舎へ入門(22期生)。 世田谷区立弦巻中学校、世田谷学園高校の柔道部では日本一を経験した。 2002年、明治大学に入学。 2002年9月8日、全日本ジュニア柔道体重別選手権大会100kg級で優勝を果たした。 明治大学卒業後、プロレスラーになるべく小川直也の主宰する小川道場に入門。 2007年9月8日、IGF「GENOME」の石川雄規戦にてプロレスデビューを果たしたが、7分20秒スリーパーホールドで絞め落とされた。
上野 順恵(うえの よしえ、1983年7月1日 - )は、北… 上野 順恵(うえの よしえ、1983年7月1日 - )は、北海道湧別町出身の日本の女子柔道選手である。階級は女子63kg級。段位は四段。身長163cm。血液型はO型。得意技は体落、大外刈、寝技。2016年現在は三井住友海上でコーチを務めている。姉はアテネオリンピックおよび北京オリンピック女子柔道70kg級金メダリストの上野雅恵で、妹の上野巴恵は70kg級の世界ジュニアチャンピオン[5]。2016年からは全日本女子代表チームのコーチに就任した[6]。
倉持 亜佐美(くらもち あさみ、1982年4月30日 - )… 倉持 亜佐美(くらもち あさみ、1982年4月30日 - )は北海道旭川市出身の日本の柔道家。現役時代は48kg級の選手。身長154cm。得意技は背負投。 幼少の頃にはヨルダンに3年ほど住んでいた。小学校2年の時に帰国すると、兄が柔道を始めたことがきっかけで、双子の姉である亜佑美とともに始めた。姉はすぐに辞めてしまったために寂しい思いをしたものの、永山中学2年の時には全国中学校柔道大会48kg級で3位になった。3年の時には準決勝で沖学園中学3年の松田邦恵に判定で敗れて3位だった。続く全国女子体重別ではこの階級トップの田村亮子と長井淳子が出場しなかったものの、予想外の活躍で決勝まで進むと、同じ中学3年生である松田と史上初となるシニアの全国大会における中学生同士の対決となった。
上野 雅恵(うえの まさえ、女性、1979年1月17日 - … 上野 雅恵(うえの まさえ、女性、1979年1月17日 - )は、日本の柔道選手である。階級は女子70kg級に属する。2004年アテネオリンピック、2008年北京オリンピック柔道女子70kg級金メダリスト。さらには、ミュンヘン世界選手権、大阪世界選手権の70kg級金メダリストでもある。出生地は北海道旭川市だが、2歳の時に湧別町に住む。北海道旭川南高等学校卒業。身長161cm。血液型はA型。得意技は大内刈、大外刈、寝技。上野3姉妹の長女で、次女の順恵は世界選手権63kg級2連覇を達成。三女の巴恵は70kg級の世界ジュニアチャンピオンとなった。2016年現在、三井住友海上柔道部のコーチを務めている。
斎藤 順道(さいとう まさみち、1979年1月10日 - )… 斎藤 順道(さいとう まさみち、1979年1月10日 - )は、北海道出身の日本の柔道家。現役時代は73kg級の選手。身長は167cm。 90kg級で活躍していた斎藤制剛を兄に持ち、札幌市立北白石中学校、北海高校、国士舘大学と、大学まで同じ進路を歩んだ。 中学3年生時、全国中学校柔道大会の65kg級決勝で阿蘇市立一の宮中学校3年の内柴正人に敗れて準優勝。北海高校3年生時にはインターハイの軽中量級で優勝して、前年に中量級で優勝した兄に続いて兄弟での連覇を果たした。全日本ジュニアの71kg級では2位にとどまった。 1997年に国士舘大学へ進学。3年の時に優勝大会で初優勝すると、新設された体重別団体でも兄の制剛や同級生の内柴などとともに活躍して優勝を勝ち取り、団体2冠を達成した。
森 大助(もり だいすけ、1978年8月23日 -)は北海道… 森 大助(もり だいすけ、1978年8月23日 -)は北海道旭川市出身の日本の柔道家。現役時代は100kg超級の選手。身長187cm。体重110kg。得意技は小外刈。 柔道は8歳の時に始めた。北都中学から旭川大高校に進むと、3年の時にインターハイ軽重量級と全日本ジュニアの95kg級でそれぞれ3位となった。1997年に天理大学へ進学すると、全日本学生柔道優勝大会では1年生から4年連続で3位、学生体重別団体では3年生から2年連続3位になるなど団体戦では一定の活躍を示したが、個人戦では際立った活躍が見られなかった。2001年には北海道警察所属となり、全国警察柔道選手権大会100kg級で優勝した。2003年の全日本選手権では準決勝で世界チャンピオンである綜合警備保障の井上康生と対戦すると、先に谷落で技ありと小外刈で有効を取るなど大きくリードする健闘を見せたが、その後背負投で逆転負けを喫したものの、3位入賞を果たした。
斎藤 制剛(さいとう せいごう、1977年5月4日 - )は… 斎藤 制剛(さいとう せいごう、1977年5月4日 - )は、北海道札幌市出身の柔道家。1995年、第23回札幌市民スポーツ賞受賞者。 小学校、中学校、高校までは北海道代表として全国大会で活躍し、高校3年時には得意の内股、大内刈、寝技を武器にインターハイの中量級で優勝。北海高等学校卒業後は国士舘大学に進学し、国士舘大学が全国制覇した際には主将としてチームを牽引した。 大学卒業後は旭化成に籍を置き、個人戦で講道館杯を4連覇、全日本選抜体重別選手権で2連覇、全日本実業個人選手権で3連覇するなど同階級の第一人者として活躍した。 しかし、大学4年時と社会人1年目に相次いで両膝を故障(靱帯損傷)した影響により、それまでの正攻法の柔道から肩車・朽木倒・返し技などの変則柔道に偏重していった事や、同階級に飛塚雅俊、矢嵜雄大、泉浩といった強豪が揃っていたなど数々の不運もあり、オリンピックや世界選手権に個人代表として出場する事は無かった(2005年には全日本選抜体重別選手権で優勝するも、「外国人選手を相手に結果を残していない」という理由で同年の世界選手権代表には選ばれなかった)。
木屋 好絵(きや よしえ、1975年11月15日 -)は北海… 木屋 好絵(きや よしえ、1975年11月15日 -)は北海道根室市出身の日本の柔道家。72kg超級及び78kg超級の選手。身長167cm。 柔道は6歳の時に父親の影響で始めた。根室市立啓雲中学から釧路湖陵高校へ進むと、2年の時に高校選手権72kg超級で5位になった。1994年には筑波大学へ進学すると、2年の時に優勝大会で3位となった。3年の時には無差別で争われる全日本学生選手権の準決勝で拓殖大学3年の妹尾ひでみに敗れるも3位となると、世界学生では個人戦の無差別で2位、団体戦で3位となった。4年の時には優勝大会で3位だったが、全日本学生選手権では決勝で東和大学4年の山下まゆみを判定で破って優勝を飾った。
小山 昌規(こやま まさのり、1975年8月9日 - )は、… 小山 昌規(こやま まさのり、1975年8月9日 - )は、北海道出身の日本の柔道家。81kg級の選手。身長175cm。 栄南中学から札幌第一高校へ進むと、3年の時にはインターハイ中量級の準々決勝で優勝候補筆頭である東海大相模高校3年の藤田博臣を一本背負投の技ありで破るも、準決勝で国士舘高校3年の窪田和則に背負投の有効で敗れて3位だった。 1994年に近畿大学へ進学すると、2年の時に優勝大会で3位になった。4年の時には講道館杯81kg級決勝でJRAの瀧本誠に敗れて2位だった。 1998年には大阪府警の所属となった。1999年の体重別では決勝で瀧本に敗れた。全国警察柔道選手権大会では3位だった。2001年の体重別では決勝でアトランタオリンピック71kg級金メダリストである旭化成の中村兼三を破って初優勝を飾るが、実績面で中村に及ばないことから世界選手権代表には選出されなかった。
恵本 裕子(えもと ゆうこ、1972年12月23日 - )は… 恵本 裕子(えもと ゆうこ、1972年12月23日 - )は、日本の女性柔道家。段位は四段。身長163cm。北海道旭川市出身。1996年アトランタオリンピック柔道女子61kg級金メダリスト。2017年現在、三井住友海上柔道部の特別コーチを務めている。
藪下 めぐみ(やぶした めぐみ、1972年3月2日 - )は… 藪下 めぐみ(やぶした めぐみ、1972年3月2日 - )は、日本の女性総合格闘家、プロレスラー、柔道家。北海道旭川市出身。旭川大学高等学校卒業。FIGHT CHIX所属。初代スマックガール無差別級王者。柔道家の藪下由香は妹。 旭川大学高等学校、ミキハウスと柔道で活躍。
五十嵐 準子(いがらし じゅんこ、1971年12月5日 - … 五十嵐 準子(いがらし じゅんこ、1971年12月5日 - )は北海道出身の日本の柔道家。72kg超級の選手。現役時代の身長は173cm、体重95kg。 根室市立啓雲中学からとわの森三愛女子高校へ進学するが、この当時は柔道だけでなくバスケットボールにも取り組んでいた。1年の時には高校選手権72kg超級の決勝で、暫くライバル関係が続くことになる東海大仰星高校1年の松尾徳子に判定で敗れた。2年の時には決勝で松尾を裏投げで破って優勝を飾った。 1990年には国士舘大学へ進学すると、1年の時には全日本選手権の準決勝で世界選手権61kg級3位である筑波大学4年の小林貴子に合技で敗れるも3位入賞を果たした。
越野 忠則(こしの ただのり、 1966年4月3日 - )は… 越野 忠則(こしの ただのり、 1966年4月3日 - )は、日本の柔道家(講道館6段)。北海道白糠郡白糠町出身。 1991年の世界選手権で優勝し、1992年のバルセロナオリンピックでは銅メダルを獲得。現在は国際武道大学の准教授を務める。身長159cm。 1966年、釧路支庁(当時)に属する白糠町で、代々漁業を営む家の長男として生まれる。生まれつき大人しく内向的な性格の越野を見かねた両親の勧めで、小学校3年の時に町のスポーツ少年団で柔道を始めた。 心身を鍛えるために始めた柔道がいつの間にか生活の中心となり、町立白糠中学時代には道内でも知られる存在に。中学卒業後は漁師の道を歩むことを決められていた越野だが、柔道を続けたい気持ちを抑えきれず、両親と「中学校の全道大会で優勝したら高校進学、負けたら家業を継ぐ」という約束を取り付け、優勝を成し遂げた。
渡辺 直勇(わたなべ なおたけ、1965年6月27日 - )… 渡辺 直勇(わたなべ なおたけ、1965年6月27日 - )は、北海道出身の、日本の柔道選手である。階級は95kg超級。現役時代は身長174cm。体重120kg。現在は、金沢学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。専門は柔道方法学、コーチ学。 旭川龍谷高校1年の時に1年先輩の野村幸生などとともに活躍して全国高校選手権の団体戦で優勝を飾った。 筑波大学2年の時に、この当時全日本学生柔道連盟と対立関係にあった全柔連傘下の全日本大学柔道連盟が主催する、団体戦の全日本大学柔道大会で優勝した。3年の時は2位だったが、4年の時は再びチームの優勝に貢献した。 1988年には筑波大学大学院へ進学した。1989年の全日本選手権では予想外の活躍で準決勝まで進むも、東海大学4年の関根英之に判定負けを喫したが3位入賞を果たした。
小野 幸司(おの こうじ、1964年2月23日 - )は北海… 小野 幸司(おの こうじ、1964年2月23日 - )は北海道出身の日本の柔道家。現役時代は60kg級の選手。身長164cm。2022年現在は帯広緑陽高校の教員を務める。 東海大第四高校から東海大学へ進むと、2年の時に新人体重別の60kg級で2位となった。4年の時には講道館杯で優勝すると、選抜体重別でも3位になった。正力杯で優勝すると、神戸で開催されたユニバーシアードでは個人戦で2位にとどまったものの、団体戦で優勝を飾った。 1986年には東海大学の大学院へ進むと、講道館杯で3位だったものの選抜体重別で優勝を果たした。1986年ソウルアジア大会では決勝でロサンゼルスオリンピック銀メダリストである地元韓国の金載燁に背負投で敗れて2位に終わった。
八戸 かおり(はちのへ かおり、1964年1月4日 - )は… 八戸 かおり(はちのへ かおり、1964年1月4日 - )は、北海道函館市出身の日本の女子柔道家。61kg級の選手。身長162cm。得意技は大外刈と寝技。現姓は森山。 小中学生の頃は水泳を習っていて、全国レベルで活躍する。さらに柔道も中学2年で始める。遺愛女子高校に入学すると柔道に専念して、早くも全日本女子体重別の上位に入る活躍を見せ、東海大学に入学後はついに体重別で優勝を果たし、大学3年の時には世界選手権で3位に入る。 また、無差別の全日本選手権の第1回大会では61kg級の選手ながら、体重を70Kg近くまで増量して出場、決勝では自分より50kgも重い松本宣子と対戦して判定勝ちを収めて優勝を飾った。
須貝 等(すがい ひとし、1962年12月29日 - )は、… 須貝 等(すがい ひとし、1962年12月29日 - )は、北海道古平町出身の日本の柔道家。 中学生の時に柔道を始めて、東海大四高に入学後は個人戦や団体戦で全国優勝を果たし東海大学に進学。怪我に悩まされたこともあったが克服して、数々の大会で活躍する。新日本製鐵に入社した年に初の世界選手権代表となり、それまで日本選手がメダルを取ったことのなかった95キロ級で、オリンピックチャンピオンである地元の河亨柱を決勝において見事な体落で破るなど、オール一本勝ちで優勝を果たす。 翌年のアジア大会では2位に終わったものの、1987年の世界選手権では2回戦でブラジルのアウレリオ・ミゲルに苦戦した以外は順当勝ちして2連覇を果たした。
滝吉 直樹(たきよし なおき、1961年10月27日 - 2… 滝吉 直樹(たきよし なおき、1961年10月27日 - 2022年6月14日)は北海道出身の日本の柔道家。95kg超級の選手。現役時代は身長184cm。体重143kg。 東海大第四高校3年の時には金鷲旗で、後に95kg級で世界選手権2連覇を達成することになる1年後輩の須貝等とともに活躍して、初優勝をもたらした。さらに、インターハイの重量級でも優勝を飾った。新人体重別では3位だった。1980年には東海大学に進学すると、優勝大会では3度も優勝を果たした。3年の時には優秀選手にも選ばれた。講道館杯でも優勝を果たした。4年の時には講道館杯で2連覇を達成したが、無差別で争われる全日本学生選手権では決勝で天理大学3年の正木嘉美に敗れて2位だった。
佐藤 宣践(さとう のぶゆき、1944年1月12日 - )は… 佐藤 宣践(さとう のぶゆき、1944年1月12日 - )は、日本の柔道家。北海道函館市出身。2012年、九段に昇段。東海大学名誉教授、2016年4月より桐蔭横浜大学第三代学長。身長178cm、体重88kg。 東京教育大学卒業後、博報堂に入社。1967年の世界選手権の軽重量級で優勝。その後も1969年無差別級で3位、1971年軽重量級で2位、1973年軽重量級で優勝と安定した成績を挙げた。全日本選手権においても90kg前後の体格ながら1967年と1971年に準優勝、1974年優勝と好成績を残す。またサンボも経験しており、1972年のヨーロッパ選手権では優勝を成し遂げている。 現役時代は左組からの体落、大内刈を得意とした。
竹内 善徳(たけうち よしのり、1937年 <昭和12年> … 竹内 善徳(たけうち よしのり、1937年 <昭和12年> 8月27日 - 2006年 <平成18年> 5月14日)は、日本の柔道家。1962年全日本選手権の覇者。国際柔道連盟副会長、筑波大学名誉教授らを歴任。叙従四位、授瑞宝中綬章。 北海道札幌市出身。北海道札幌東高等学校で本格的に柔道をはじめ、北海道チャンピオンとなる。高校卒業後は柔道の道を志し東京教育大学(のちの筑波大学)へ進学。大学での同級生に学生初の全日本選手権覇者となる猪熊功がいたが、2人の先輩にあたる長谷川博之(埼玉県柔道連盟副会長)は「荒武者でファイターの猪熊に対し、竹内は理論派で紳士」と語っている 1960年に大学を卒業すると、大分の大分上野丘高校にて教師に。
山本 秀雄(やまもと ひでお、1911年8月6日 - 199… 山本 秀雄(やまもと ひでお、1911年8月6日 - 1991年11月16日)は、日本の柔道家(講道館9段)。 東京市品川の二本榎に生まれた。父が寺の住職をしていた関係で小学校と中学校時代は北海道の函館で過ごし、函館中学校(後の函館中部高校)を経て早大一高に進学、この頃から柔道で頭角を現し始めた。同時期、小内落を考えだし研究し完成させた。膝を柔らかく保って両足の指先は左右に開かず真っ直ぐ平行に構え、小柄な体格と他人には真似のできないその独特の足運びから小さな大選手として名を馳せた。1933年10月の第7回明治神宮大会柔道競技では準決勝戦で東京高等師範学校の加藤幸蔵5段を小内落で降し、同門対決となった決勝戦では早大専門部の山口利雄5段の払釣込足に辛酸を舐めたものの準優勝という成績を残した。
飯田 憲二(いいだ けんじ、1892年9月10日 - 198… 飯田 憲二(いいだ けんじ、1892年9月10日 - 1983年5月15日)は、日本の柔道家(講道館8段・大日本武徳会教士)。 通信教育と独学で柔道を学んだ後に海軍で本格的に柔道を稽古し、全日本選士権大会や講道館の月次試合、春秋紅白試合等に出場・活躍した。また、少年柔道の普及と振興に腐心して全日本柔道少年団の発足に尽力し、今日の青少年柔道の発展に大きく貢献した事でも知られる。 1892年、北海道浦河郡浦河町の専業農家の家に生まれる。高等小学校を卒業後は笈を負っての上京を望んだが両親の反対で実現せず、代わりに、板垣退助を会長に据え野口清が主宰する帝國尚武會に入会。自宅の馬小屋を改造して小さな柔道場を作り、同会の通信講座を基に独学で柔道修行に励んだ。
渡部 五月(わたべ さつき)は、北海道江別市出身の日本の柔道… 渡部 五月(わたべ さつき)は、北海道江別市出身の日本の柔道家。現役時代は56kg級の選手。 野幌高校2年の時には体重別選手権の56kg級決勝で児島高校2年の藤本涼子を破って優勝を飾った。3年の時には体重別選手権の決勝で井筒景子を破って優勝を飾り、世界選手権の代表に選出された。ウィーンで行われた世界選手権では初戦でオーストラリアのスザンヌ・ウイリアムスに敗れるも、その後敗者復活戦を勝ち上がり3位決定戦でフランスのカトリーヌ・アルノーと対戦するが敗れて5位にとどまった。福岡国際では3位に入った。1985年に北海道女子短大へ進むと、強化選手選考会では決勝で国際武道大学3年の加古智美を破って優勝を果たした。