綱川 和夫(つなかわ かずお、1948年4月10日 - )は… 綱川 和夫(つなかわ かずお、1948年4月10日 - )は、日本短波放送および青森放送に所属していた社員。青森県弘前市出身。 日本短波放送(現:日経ラジオ社)在籍後、1973年に青森放送入社。1997年にアナウンサー職から離れ、その後視聴者センター、支社勤務などを経て、2005年より報道制作局放送部長として再びアナウンサーに復帰。2008年に定年後も2017年まで嘱託として在籍した。 Category:青森放送のアナウンサーを参照 本多徳治 / 加納登 / 池谷賢一 / 高森邦夫 / 大友寿郎 / 大竹辰也 / 鈴木伸夫 / 米澤章子-2005 / 綱川和夫2005-2008 / 米澤章子2008-2015.9 / 秋山博子2015.10-2018.3 / 田村啓美2018.4- この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。
長内 敬(おさない たかし、1948年(昭和23年)3月8日… 長内 敬(おさない たかし、1948年(昭和23年)3月8日 - )は、日本の外交官。ロシア公使などを経て、初代駐ラトビア特命全権大使。 青森県藤崎町出身。1966年青森県立弘前高等学校卒業、1974年一橋大学社会学部卒業。1976年外務省入省。ソヴィエト連邦勤務を希望し、ロシア語研修を受ける。 1988年国際連合日本政府代表部一等書記官、1990年在ソヴィエト連邦日本大使館一等書記官、1992年在ロシア日本国大使館一等書記官、1993年参事官。 1993年欧州復興開発銀行日本理事代理、1997年大蔵省関税局調査保税課長。 1999年外務省大臣官房通信課長、2001年外務省大臣官房外務参事官兼総合外交政策局(軍備管理・科学担当)、2002年在ロシア日本国大使館公使。
鹿内 博(しかない ひろし、1948年3月4日 - )は、日… 鹿内 博(しかない ひろし、1948年3月4日 - )は、日本の政治家。青森県議会議員(7期)元青森県青森市長(2期)。青森市議会議員(3期)を務めた。 青森県青森市生まれ。青森市立原別中学校、青森県立青森高等学校卒業。高校卒業後、株式会社信行商会、青森県新生活協議会に勤務した後、1976年から1981年まで青森市社会教育委員を務める。1973年、1977年に青森市議会議員選挙に出馬するも落選し、1981年の青森市議選で初当選を果たした。1991年、青森県議会議員選挙に鞍替えし、当選。青森県議を5期務める。 2009年4月19日に行われた青森市長選挙に社会民主党・日本共産党の支持を受けて無所属で出馬。
三浦 忠司(みうら ただし、1948年(昭和23年)2月19… 三浦 忠司(みうら ただし、1948年(昭和23年)2月19日 - )は、八戸歴史研究会会長で安藤昌益資料館館長。八戸市の郷土史家。息子は前青森県八戸市議会議員の三浦博司。 五戸町出身。弘前大学卒業し、教諭を務めた後に1999年から八戸市史の編纂に携わる。 八戸歴史研究会の会長を務め、2009年に八戸市八日町にオープンした安藤昌益資料館の館長に就任した。 郷土史家としても八戸藩に関する本など、多くの著書を執筆している。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
木野 花(きの はな、本名;木野目 留美子、1948年1月8… 木野 花(きの はな、本名;木野目 留美子、1948年1月8日 - )は、日本の女優及び演出家。青森県出身。吉住モータース所属。青森県立青森西高等学校、弘前大学教育学部美術学科卒業。身長160cm、血液型はA型。
上山 博康(かみやま ひろやす、1948年 - )は、日本の… 上山 博康(かみやま ひろやす、1948年 - )は、日本の脳神経外科医。社会医療法人禎心会特別顧問、禎心会脳疾患研究所所長、旭川赤十字病院脳神経外科顧問、札幌北脳神経外科顧問、コスモ脳神経外科顧問。 1948年(昭和23年)、青森県三戸郡五戸町生まれ。 幼い時から絵が得意で、北海道旭川北高等学校時代には美術の教師に画家を目指すべきではと言われるほどだった。しかし高校時代には画家と飛行機を作る技術者という夢があり、進路に悩んでいた。そんな時に週刊誌に「交通事故の多発により脳を損傷し死亡する人が多くなっており、日本にはもっと優秀な脳外科医が必要」と書いてあったのを読み、脳外科医を目指した。 1967年に北海道大学医学部に入学。
米田 一彦(まいた かずひこ、1948年 - )は、クマの研… 米田 一彦(まいた かずひこ、1948年 - )は、クマの研究者。 青森県十和田市生まれ。秋田大学教育学部卒業。秋田県庁生活環境部自然保護課に勤務、鳥獣保護行政を担当した。1986年、退職。1990年、中国地方西部のクマ保全を目指し、広島県佐伯郡吉和村(現廿日市市)に移り住んだ。1991年、日本で初めての奥山放獣をおこなった。1997年より、大韓民国や中華人民共和国でクマの保全事業に取り組んだ。2001年、特定非営利活動法人日本ツキノワグマ研究所を設立し理事長に就任した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
戸部 博(とべ ひろし、1948年 - ) は、日本の植物学… 戸部 博(とべ ひろし、1948年 - ) は、日本の植物学者。京都大学名誉教授。京都府立植物園園長。元日本植物学会会長。 青森県青森市生まれ。1970年東北大学理学部生物学科卒業。1973年東北大学大学院理学研究科博士課程中退。1977年東北大学理学博士。千葉大学助手、ミズーリ植物園での研究を経て、1986年京都大学教養部助教授。1993年京都大学総合人間学部教授。1999年京都大学大学院理学研究科教授。2012年京都大学名誉教授。2013年日本植物学会会長。2018年京都府立植物園園長。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
木村 洋二(きむら ようじ、1948年 - 2009年8月1… 木村 洋二(きむら ようじ、1948年 - 2009年8月19日)は、日本の社会学者。『笑い』が主要な研究テーマであった。青森県八戸市出身。関西大学社会学部教授。現役で逝去。 1948年、青森県上長苗代村(現・八戸市)生まれ。木村の談によれば、父は満州から引き揚げた獣医師で、よく自転車で馬や牛の往診に出かけていたという。 八戸市立三条小学校、三条中学校、青森県立八戸高校、京都大学文学部卒業、京都大学大学院修了。 専攻は理論社会学とコミュニケーション論で、『笑い』を研究テーマとし、その方面での著作や論文が多いことで知られた。『笑い』を研究テーマとしたのは、木村自身があるときに3時間笑い続けた際に、「これを統一した理論に出来ないか」と思いついたからだという。
安保 徹(あぼ とおる、1947年10月9日 - 2016年… 安保 徹(あぼ とおる、1947年10月9日 - 2016年12月6日)は、日本の医学者。医学博士。専門は免疫学。新潟大学大学院医歯学総合研究所名誉教授。日本自律神経病研究会終身名誉理事長。 Original Papers(Letter)
栃勇 義治(とちいさみ よしはる、1947年10月2日 - … 栃勇 義治(とちいさみ よしはる、1947年10月2日 - )は、青森県南津軽郡田舎館村出身で春日野部屋に所属した元大相撲力士。本名は阿保 鉄雄(あぼ てつお)。身長177cm、体重115kg。得意手は左四つ、押し、吊り。最高位は東前頭7枚目(1971年1月場所) 中学生の時から相撲を始めて同郷の栃ノ海に憧れ、中学校卒業後に栃ノ海の姉の紹介で春日野部屋へ入門し、1963年(昭和38年)3月場所に於いて初土俵を踏んだ。 入門後は押し相撲の指導を受け、1969年(昭和44年)7月場所で新入幕を果たした。しかし立合いの鋭さに欠けたために幕内では苦戦し、さらに1972年(昭和47年)9月場所で右肩を負傷してからは不振で、翌年9月場所では幕下まで落ちた。
梅内 恒夫(うめない つねお、1947年8月23日 - 生死… 梅内 恒夫(うめない つねお、1947年8月23日 - 生死不明)は、共産主義者同盟赤軍派の活動家。 1947年、青森県に生まれる。青森県立八戸高等学校卒業後、福島県立医科大学に入学。在学中に共産主義者同盟に加盟し、赤軍派の結成と同時に赤軍派のメンバーとなる。後に連合赤軍メンバーとなる植垣康博を赤軍派にオルグしたりしている。 梅内は爆弾製造を担当しており、考案した爆弾は俗に「梅内爆弾」と呼ばれるようになり、新左翼の爆弾闘争を飛躍させることになる。しかし、大菩薩峠事件の捜査で梅内の名前が浮上したことから、爆発物取締罰則違反で指名手配となった。その直後に地下に潜行した。手記で表された思想は、後に日本原住民論として結実し、反日テロが続発するきっかけとなった。
熊谷 俊範(くまがい としのり、1947年8月5日 - 20… 熊谷 俊範(くまがい としのり、1947年8月5日 - 2010年3月14日)は、日本の実業家、発明家。エイブルコーポレーション及びシングルロケ運営会社シティレジャーの創業者。日本アミューズメントマシン協会(JAMMA)理事、アミューズメントビジネス研究会(ABSG)会長などを歴任。JAMMA役員として倫理部会長、消費・流通部会長及び流通委員長、AMショー委員などを務めた。 1947年(昭和22年)8月5日、樺太泊居郡泊居町に4人兄弟の末っ子として出生。熊谷家は祖父の代から樺太に渡り、山や海での権利を持つ樺太きっての豪商であった。常時ロシア人の従業員が数百人働いており、商売も繁盛し、生活も豊かだった。
木村 藤子(きむら ふじこ、1947年6月8日-)は、日本の… 木村 藤子(きむら ふじこ、1947年6月8日-)は、日本の作家。 信用金庫の元職員。青森県むつ市在住。 青森県下北郡田名部(現・青森県むつ市)に、8人兄弟の末っ子として生まれる。母親は、周囲から霊能力者とみなされる人物であった。高校卒業後、信用金庫に勤める。30代の時、神の声を聞いて霊視・透視能力を授かる。 1990年(平成2年)9月、むつ市内のマエダ百貨店で開催された爬虫類ショーのアミメニシキヘビが逃げた際、その所在を言い当てたとして全国的にその名が知れわたり、「青森の神様」「ヘビの神様」と言われる。美輪明宏・江原啓之らと『オーラの泉』に出演した。
山崎 力(やまざき つとむ 、1947年5月8日 - )は、… 山崎 力(やまざき つとむ 、1947年5月8日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の前参議院議員(3期)。参議院総務委員長、予算委員長、総務副大臣を務めた。祖父は衆議院議員・青森県知事を務めた山崎岩男、父は参議院議員・環境庁長官を務めた山崎竜男、また次女は青森県外ヶ浜町町長に当選した山崎結子(2017年4月24日就任予定、同県内初の女性首長)。
伊奈 かっぺい(いな かっぺい、本名:佐藤 元伸〈さとう も… 伊奈 かっぺい(いな かっぺい、本名:佐藤 元伸〈さとう もとのぶ〉、1947年〈昭和22年〉4月16日 - )は青森県を中心に活動するローカルタレント、パーソナリティ、ラジオ・CMディレクター、詩人、イラストレーター、シンガーソングライター。有限会社おふぃす・ぐう所属。 青森県弘前市出身。青森県立弘前南高等学校、青森短期大学商経科を卒業した。この間、演劇を志しNHK放送劇団に入団。短大卒業後、弘前市の陸奥新報社に入社するも、入社当日に整理部に配属され、午後6時出社を言い渡されて「そんなのやってらんねーや」と思い即日退職。1968年、青森放送に履歴書をレタリング文字で書き応募したのが目にとめられ、入社。
杉本 康雄(すぎもと やすお、1947年(昭和22年)2月2… 杉本 康雄(すぎもと やすお、1947年(昭和22年)2月27日 - )は、日本の実業家、銀行家。みちのく銀行(現・青森みちのく銀行)相談役、青森県レクリエーション協会代表理事会長、棟方志功記念館理事長。 青森県三沢市生まれ。青森県立八戸高等学校を経て、高崎経済大学経済学部を卒業。 1969年、弘前相互銀行(みちのく銀行→青森みちのく銀行)に入行。常務まで昇進するが、当時の大道寺小三郎会長との間で、新システム移行の件で確執が生じ、取締役支店長に降格となった。その後、みちのくユーシーカード(現・みちのくカード)の社長に転じたが、2005年の不祥事の頻発と業務改善命令の発動に伴い、ほぼ役員全員の辞職という事態になり、役員派遣を要請されたみずほFG側の懇請により、頭取として復帰した。
根深 誠(ねぶか まこと、1947年2月6日 - )は、日本… 根深 誠(ねぶか まこと、1947年2月6日 - )は、日本のルポライター、登山家。 青森県弘前市出身。青森県立弘前高等学校、明治大学農学部卒業。同大学山岳部OB。小学校の時から登山に親しみ、家を出てから下駄履きで岩木山登山をして帰って来たときもあった。 1964年1月に岩木山でおきた大館鳳鳴高生の岩木山遭難事件では、同じ高校生として厳冬期の岩木山に偶然居合わせ、捜索活動などに参加している。このため、この事件を扱ったテレビドラマ(2001年8月20日NHK放映 ノンフィクションドラマ『遭難』)や、開高健賞を受賞した田沢拓也の「空と山のあいだ」に高校生時代の根深が出てくる。 1977年ヒマール・チュリ、1981年エヴェレストともに失敗。
千葉 作龍(ちば さくりゅう、1947年1月25日 - )は… 千葉 作龍(ちば さくりゅう、1947年1月25日 - )は青森ねぶたのねぶた制作者(ねぶた師)。第5代ねぶた名人。本名は千葉 伸二(ちば しんじ)。 千葉作太郎の息子として生まれる。10歳のころから作太郎のねぶた制作を手伝い始め、1959年に12歳で作太郎の助手となる。青森県立青森高等学校を卒業してからも、看板屋とねぶた師を目指していたが、1966年作太郎が脳を患って倒れ、57歳で亡くなる。翌年20歳で手探りの状態ながらも大型ねぶたを作り上げ、一本立ちする。伸二は北川啓三等当時活躍していたねぶた師からも技術を吸収していった。 1973年に26歳で初の最高賞・田村麿賞を受賞、さらに1975年、76年と2年連続で同賞を受賞し、「若手のホープ」として注目を浴びた。
天坂 格郎(あまさか かくろう、1947年 - )は、日本の… 天坂 格郎(あまさか かくろう、1947年 - )は、日本の生産工学者。青山学院大学名誉教授。元オペレーションズマネジメント&ストラテジー学会会長。元日本生産管理学会副会長。 青森県青森市出身。八戸工業高等専門学校機械工学科卒業後、1968年トヨタ自動車工業入社。元町工場検査部品質調査課技術員、オーストラリア室技師補、元町工場検査部技術員室技師、元町工場機械部技術員室係長等を経て、1997年広島大学博士(工学)、1998年トヨタ自動車TQM推進部主査[部長]。2000年青山学院大学理工学部経営システム工学科教授。2002年日本科学技術連盟デミング賞審査委員会委員。2003年日本生産管理学会副会長。
石木 幹人(いしき みきひと、1947年 - )は、日本の医… 石木 幹人(いしき みきひと、1947年 - )は、日本の医師。専門は総合診療。元岩手県立高田病院院長、岩手県医療局名誉院長。東日本大震災後の陸前高田市の地域医療復興に尽力した。 1947年、青森県青森市浅虫温泉に生まれる。5人兄弟の3番目で、父は内科開業医。青森県立青森高等学校を経て、1971年に早稲田大学理工学部を卒業し修士課程へ進む。その後1973年に東北大学医学部へ入学し、1979年に卒業した。岩手県立中央病院呼吸器外科長兼臨床研修科長を務めた後、2004年に岩手県立高田病院院長に就任。高田病院院長就任時、病院は経営難で前年に5億円の赤字を計上していた。「日本一高齢者に優しい病院」を掲げ、地域コミュニティを回る健康講座の実施、ケアマネージャーや訪問看護師との連携強化などの改革を行い、4年で黒字転換を果たした。
森越 康雄(もりこし やすお、1947年(昭和22年)-)は… 森越 康雄(もりこし やすお、1947年(昭和22年)-)は、日本の教育者。元日教組委員長。
貴田 庄(きだ しょう、1947年(昭和22年) - )は、… 貴田 庄(きだ しょう、1947年(昭和22年) - )は、日本の映画評論家、書物史家、工芸家。 小津安二郎を中心とした映画、俳優に関する評論を書く。 青森県弘前市生まれ。早稲田大学大学院芸術学修士課程修了。1977年からパリ装飾美術学校書物中央校で学び、1981年修了。
三浦 雅士(みうら まさし、1946年12月17日 - )は… 三浦 雅士(みうら まさし、1946年12月17日 - )は、日本の編集者、文芸評論家、舞踊研究者。日本芸術院会員。1978-80年は執筆時に今井裕康というペン・ネームを使用した。 「ユリイカ」「現代思想」の編集長を経て評論家に。文学、芸術、思想を中心に批評活動を展開する。著書に『メランコリーの水脈』(1984年)、『小説という植民地』(1991年)、『考える身体』(1999年)、『人生という作品』(2010年)など。 青森県弘前市出身。青森県立弘前高等学校卒業。 1969年、青土社創業とともに入社、『ユリイカ』創刊に参画。1972年より『ユリイカ』編集長。1975年より『現代思想』編集長。1982年退社。
田中 英壽(田中 英寿、たなか ひでとし、1946年〈昭和2… 田中 英壽(田中 英寿、たなか ひでとし、1946年〈昭和21年〉12月6日 - 2024年〈令和6年〉1月13日)は、学校法人日本大学第12代理事長、日本オリンピック委員会(JOC)元副会長。 青森県北津軽郡金木町(現在の五所川原市金木町)で農家の三男として生まれた。青森県立木造高等学校を経て1965年、日本大学経済学部に入学。日大紛争では、体育会系学生として日大全学共闘会議議長・秋田明大と対峙している。1969年、日本大学経済学部経済学科を卒業し、日本大学農獣医学部体育助手兼相撲部コーチに就任。1999年学校法人日本大学理事、2000年日本大学保健体育事務局長、2001年日本大学校友会本部事務局長、2002年学校法人日本大学常務理事、2005年日本大学校友会会長、2008年から2021年まで学校法人日本大学理事長などを歴任した。
佐々木 新一(ささき しんいち、1946年12月3日 - 2… 佐々木 新一(ささき しんいち、1946年12月3日 - 2022年5月12日)は、日本の演歌歌手である。本名:佐々木 新市。既婚。 青森県南津軽郡藤崎町出身。 1946年(昭和21年)12月3日、母は津軽民謡の二代目・津軽家すわ子、父は津軽三味線演奏者の佐々木繁月という民謡一家に生まれる。 1963年(昭和38年)、青森市立第一高校2年生の時に上京、作曲家の桜田誠一の門下生となる。 1965年(昭和40年)5月、キングレコードより『若さの世界』でデビュー。当時のニックネームは“ニューワン”。 1966年(昭和41年)1月リリースの『あの娘たずねて』が大ヒット、ミリオンセラーとなる。 2012年、同じキングレコード所属歌手の鏡五郎、池田輝郎とともに、平均年齢64.7歳のユニット"佐田鏡五一郎"(さだかがみ ごいちろう)を結成。
葛西 憲之(かさい のりゆき、1946年(昭和21年)11月… 葛西 憲之(かさい のりゆき、1946年(昭和21年)11月3日 - )は、日本の政治家。元青森県弘前市長(2期)。 青森県弘前市にて出生。弘前市立和徳小学校、弘前市立第一中学校卒業。1967年(昭和42年)3月、函館工業高等専門学校土木工学科卒業。1970年(昭和45年)4月、青森県庁に入庁。 2002年(平成14年)4月、県土整備部道路課長に就任。2004年(平成16年)4月、弘前県土整備事務所長に就任。2006年(平成18年)7月、県土整備部長に就任。2007年(平成19年)3月、県庁を退職。 2007年(平成19年)7月、道路公社、土地開発公社、住宅供給公社理事長に就任。同年12月、弘前市副市長就任。
小山田 久(おやまだ ひさし、1946年10月8日 - )は… 小山田 久(おやまだ ひさし、1946年10月8日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日小綬章。元青森県十和田市長(4期)。 1965年(昭和40年)、青森県立三本木高等学校卒業。1970年(昭和45年)3月、北里大学畜産学部獣医学科卒業。同年4月、青森県庁に採用され、農林部(木造家畜保健衛生所)に勤務する。2007年(平成19年)3月、退職。同7月、青森県草地畜産協会常務理事に就任。2008年(平成20年)7月、青森県畜産協会専務理事に就任。同年9月、退任。 2009年(平成21年)1月18日に行われた十和田市長選挙に連合青森の推薦を受けて立候補。現職の中野渡春雄、元青森県議会議員の中村友信(民主党・国民新党推薦)らを破り初当選した。
河野 満(こうの みつる、1946年9月13日- )は、日本… 河野 満(こうの みつる、1946年9月13日- )は、日本の元卓球選手。1977年開催の第34回世界卓球選手権バーミンガム大会で優勝した、元世界チャンピオンでもある。青森県十和田市出身。 現在は青森大学卓球部監督。 コピー選手を育成するシステムが存在していた頃の中国卓球ナショナルチームに於いても「河野選手とワルドナー選手だけはコピー出来ない」と言われた。 ワルドナーは「自分が手本にしたプレイヤーは王会元選手と河野選手である」と明言している。 青森県十和田市の運動具店に生まれた。 青森商業高校時代、全日本卓球選手権大会ジュニアの部で優勝。 専修大学3年次の1967年に開催された第29回世界卓球選手権ストックホルム大会にて、世界選手権初出場。
大島 理森(大嶌 理森、おおしま ただもり、1946年〈昭和… 大島 理森(大嶌 理森、おおしま ただもり、1946年〈昭和21年〉9月6日 - )は、日本の政治家、元衆議院議員。勲等は桐花大綬章。尾崎行雄記念財団会長、もくもく会名誉会長、横綱審議委員会委員長。 衆議院議長(第76・77代)、農林水産大臣(第33代)、文部大臣(第128代)、科学技術庁長官(第61代)、原子力委員会委員長(第61代)、環境庁長官(第32代)、内閣官房副長官(第2次海部内閣・第2次海部改造内閣)、衆議院議員(12期)、衆議院予算委員長、同議院運営委員長、青森県議会議員(2期)、自由民主党副総裁(第15代)、同幹事長(第48代)、同国会対策委員長(第45・49代)、同東日本大震災復興加速化本部長、同国会対策筆頭副委員長、同国会対策副委員長、同副幹事長、同青森県支部連合会会長を歴任した。
大里 洋吉(おおさと ようきち、1946年〈昭和21年〉8月… 大里 洋吉(おおさと ようきち、1946年〈昭和21年〉8月22日 - )は、日本の芸能プロモーター。芸能事務所・アミューズの創業者で、現在は同社代表取締役会長兼社長。アミューズの子会社である、アミューズクエスト代表取締役会長も務めている。妻はアミューズ相談役ファウンダーの大里久仁子。 青森県青森市出身。青森県立青森高等学校、立教大学文学部英米文学科卒業。中学・高校時代は、剣道とブラスバンドに明け暮れていた。 1969年(昭和44年)、渡辺プロダクション(ナベプロ)入社。同期にヒップランドミュージックの創業者で現会長の中井猛などがいる。ナベプロではザ・ピーナッツ、ザ・ワイルドワンズ、梓みちよ、あいざき進也、岸部四郎、沢田研二、キャンディーズらのマネージャーを務めた。
浜 圭介(はま けいすけ、1946年4月8日 - )は、日本… 浜 圭介(はま けいすけ、1946年4月8日 - )は、日本の作曲家、元歌手。旧満洲(中国東北部)出身。 旧芸名は牧 宏次、大木 賢、浜 真二。本名は金野 孝(こんの たかし)。妻は元歌手の奥村チヨ。 1946年4月8日、旧満洲(中国東北部)の収容所で生まれ、1歳の時に日本に引き揚げる。青森県大鰐町、次いで北海道札幌市に移り住み幼少期を過ごす。 15歳の時に高校を中退し、歌手を目指し上京。森山加代子の付き人となる。 1964年、牧 宏次の芸名で『波止場のロック』で歌手デビュー。しかしヒットに恵まれず、一度青森に戻る。1966年に大木 賢(おおき けん)の芸名で『これが愛さ』で歌手として再デビュー。
鈴木 正幸(すずき まさゆき、1946年3月19日 - )は… 鈴木 正幸(すずき まさゆき、1946年3月19日 - )は、日本の俳優。所属事務所はオフィスPSC。 青森県弘前市(旧中津軽郡相馬村)出身。1965年~1971年に『劇団世代』で活動。1971年~1975年には商業演劇で、新宿コマ劇場、芸術座、日生劇場、東京宝塚劇場の舞台で活動する。 『3年B組金八先生』を筆頭とする、いわゆる『桜中学シリーズ』に唯一全シリーズに出演したことで知られ、津軽訛りで主人公に絡む巡査・大森巡役が当たり役となる。津軽訛りについては、劇団時代から「お前はいつも訛ってる」と指摘され、演出家からも「イントネーションを何とかしないと舞台には立てない」とよく言われていた。そんな中、1975年にポーラテレビ小説『加奈子』(TBS)の出演者に起用されたのをきっかけに、テレビ界に進出。
福原 一臣(ふくはら かずおみ、1946年3月16日 - 2… 福原 一臣(ふくはら かずおみ、1946年3月16日 - 2007年7月28日)は、青森県青森市出身の俳優。法政大学経済学部卒。文学座第8期生。劇団黒テント創立メンバー。胃がんのため死去。
土岐 哲(とき さとし、1946年3月3日 - 2011年6… 土岐 哲(とき さとし、1946年3月3日 - 2011年6月23日)は、日本の言語学・音声学・日本語教育学者。 青森県西津軽郡深浦町出身。早稲田大学文学部日本文学科卒業。東海大学講師、同助教授、名古屋大学助教授、大阪大学文学部助教授、文学研究科教授、2009年定年退任、名誉教授、京都外国語大学教授。2009年「日本語教育からの音声研究」で阪大文学博士。現代日本語の音声学的研究、日本語学習者の音声教育などを研究した。 2011年6月23日、東京都千代田区の病院で死去。65歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
松倉 公憲(まつくら ゆきのり、1946年 - )は、日本の… 松倉 公憲(まつくら ゆきのり、1946年 - )は、日本の地理学者。専門は地形学。筑波大学名誉教授。元日本地形学連合会長。理学博士。 青森県八戸市出身。1969年東京教育大学理学部地学科地理学専攻卒業。1971年東京教育大学大学院理学研究科地理学修士課程修了。1972年東京教育大学理学部地学科専攻生修了。1976年東京教育大学大学院理学研究科地理学専攻博士課程修了、理学博士、東京教育理学部大学助手、筑波大学地球科学助手併任。1977年筑波大学地球科学系助手。1981年筑波大学地球科学系講師。1988年筑波大学地球科学系助教授。1997年筑波大学地球科学系教授。2004年日本地理学会理事。2009年日本地形学連合会長。
田中 隆治(たなか たかはる、1946年 - )は、青森県… 田中 隆治(たなか たかはる、1946年 - )は、青森県出身の日本のバイオ技術者。サントリー顧問・元取締役基礎研究所長、「青いバラ (サントリーフラワーズ)」の開発チームリーダー。元星薬科大学学長。理学博士(大阪大学)。 青森県青森市生まれ。桃山学院高等学校卒、金沢大学理学部生物学科卒、神戸大学大学院理学研究科修士課程修了。サントリー入社後、酵母菌の研究に携わり、サントリーの医薬品分野を開拓していく。ポリフェノールの研究成果を応用し、10年の歳月を経て、世界で初めて青いバラ (サントリーフラワーズ)の開発に成功した。 2005年より東京大学大学院農業生命科学研究科特任教授、2008年より金沢大学理事。
相馬 宏男(そうま・ひろお、1945年10月16日 - )は… 相馬 宏男(そうま・ひろお、1945年10月16日 - )は、NHKの元アナウンサー。 青森市生まれ、青森県立青森高等学校卒業、早稲田大学法学部卒業、1969年入局。定年退職後、シニアスタッフとして76歳までNHK仙台放送局で勤務。
森 英一(もり えいいち、1945年10月10日- )は、日… 森 英一(もり えいいち、1945年10月10日- )は、日本近代文学研究者、金沢大学名誉教授。 青森県弘前市生まれ。北海道大学大学院博士課程中退。金沢大学教育学部助教授、教授を経て、2011年定年退職、名誉教授。金沢近代文芸研究会(『イミタチオ』発行)代表理事。筆名・三木進一。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
加福義貞(かふく よしさだ、1945年(昭和20年)9月20… 加福義貞(かふく よしさだ、1945年(昭和20年)9月20日 - )は、日本の銀行家。青森銀行取締役相談役。青森県公安委員会委員。 青森県弘前市出身。明大卒業後、青森銀行に入行する。 28歳からは7年間にわたり労働組合に従事。その間には委員長も務めた。 各店支店長等を歴任後、取締役に昇格する。 2007年(平成19年)には、「新中期経営計画」の遂行に際して、新体制で臨むことが最適であると判断され頭取に昇格する。 トップ在任時には、店舗統廃合を実施を推進した他、農業や青森県外を含め営業拡大に注力した。
熊谷 勝弘(くまがい かつひろ、青森県弘前市出身 1945年… 熊谷 勝弘(くまがい かつひろ、青森県弘前市出身 1945年8月9日 - )は、日本の総理府技官、工学博士、技術士、土木学会認定特別上級土木技術者(総合)。北海道開発庁北海道開発局長や、伊藤組土建代表取締役副社長を務めた。 1970年北海道大学大学院修了。1973年北海道開発庁北海道開発局札幌開建道路建設課橋梁係長。1976年北海道開発庁北海道開発局土木試験所舗装研究室副室長。1977年建設省計画局国際課長補佐。1978年外務省在ケニア日本国大使館一等書記官(ウガンダ・セイシェルズ・マラウイ兼轄)。1981年北海道開発庁北海道開発局道路計画課付。1981年北海道開発庁北海道開発局室蘭開発建設部道路第一課長。
大津留克明(別名・パパ大津留、1945年3月11日 - )は… 大津留克明(別名・パパ大津留、1945年3月11日 - )は、ジャズトロンボーン奏者。青森県弘前市生まれ。「ジギングのパパ」とも呼ばれる。 高校生の頃より吹奏楽部に所属、トロンボーンを演奏を目指して昭和38年に上京。音楽学校を中退しジョージ川口&オールスターズのオーディションを受け合格(大津留の芸名は当時の仇名から)、ジャズミュージシャンとしてのキャリアをスタートさせる。その後、スマイリー小原とスカイライナーズに6年間在籍。さらに豊岡豊&スイングフェイスを経て、自己のバンド「オークション」「エボニー・ファンクショップ」「オールディーズ・ブルースキャンペーン」を結成(その頃からパパと呼ばれる)。ライブ演奏の傍ら、音楽番組や劇場音楽の作編曲者として活動する。
高橋 祐次郎(たかはし ゆうじろう、1945年3月7日 - … 高橋 祐次郎(たかはし ゆうじろう、1945年3月7日 - 1998年11月29日)は、日本のドイツ語翻訳家。音楽評論家。ボンヘッファー研究会に属し、キリスト教ジャーナリストとして活躍。編集者として『カラー版聖書大事典』『新教/タイムズ聖書歴史地図』を世に遺した。柳生直行、水谷昭夫などとも親交があった。
長崎 昭義(ながさき あきよし、1945年3月3日 - 20… 長崎 昭義(ながさき あきよし、1945年3月3日 - 2017年9月4日)は、日本のノルディックスキー・クロスカントリースキー選手、放送記者、ニュースキャスター、実業家。青森放送代表取締役会長、青森商工会議所相談役、東北稲門スキー倶楽部会長、青森県スキー連盟会長。青森県南津軽郡大鰐町生まれ(本籍地は弘前市)。早稲田大学(教育学部国語国文学科)卒業。旧姓:松岡(まつおか)。 小学校3-4年時、大鰐スキークラブ会長を務めた父の儀助に連れられ阿闍羅山で滑り始め、間もなく「学校で一番早かったから」自然な形で距離スキーに入っていった。 青森県立弘前高等学校で長利武記の指導を受け、2年時に全国高等学校総合体育大会ノルディックスキー・クロスカントリー男子15キロで優勝。
池田 修一(いけだ しゅういち、1945年2月12日 - 2… 池田 修一(いけだ しゅういち、1945年2月12日 - 2006年7月3日)は、将棋棋士。花村元司九段門下。棋士番号102。青森県八戸市出身。 1960年に15歳で奨励会に入る。 1964年 - 1965年の頃に肺結核を発症し、1966年(昭和41年)の7月から1968年(昭和43年)5月まで故郷で治療入院していた。当時三段で無収入であったが、医療費は医師の温情で出世払いとなり、生活費は親友でプロになりたての中原誠四段(当時)が支えていた。病気復帰の翌年である1969年に四段昇段。 1972年・1982年の王位戦で本戦リーグ入り。1982年には、米長邦雄永世棋聖(当時棋王)を破るなど活躍した。
岩崎 信(いわさき しん、1945年(昭和20年)1月26日… 岩崎 信(いわさき しん、1945年(昭和20年)1月26日 - )は日本の工学者、青森県十和田市生まれ、岩手県盛岡市育ち。東北大学大学院教育情報学研究部教授、同研究部長(2006~2007年度)、ISTU支援室長(2004~2005年度)などを歴任。博士(工学)。 R.M.ガニェ他著『インストラクショナルデザインの原理』北大路書房、2007年。(鈴木克明と共監訳) この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
中村 隆司(なかむら りゅうじ、1945年1月25日 - 2… 中村 隆司(なかむら りゅうじ、1945年1月25日 - 2024年7月5日)は、日本の実業家。日清製粉代表取締役社長や、オリエンタル酵母工業代表取締役社長、製粉協会会長などを務めた。 青森県八戸市出身。青森県立八戸高等学校を経て、1967年東北大学経済学部卒業、日清製粉入社。製粉業務部長を経て、1995年取締役製粉業務部長に昇格。1996年から1998年まで製粉開発部長を兼務した。2000年常務取締役物流部長。2001年に日清製粉グループ本社が設立されると同社常務取締役及び日清製粉専務取締役に就任。2004年から日清製粉代表取締役社長を務め、2006年から2007年までは製粉協会会長を兼務した。
林 倬史(はやし たかぶみ、1944年10月23日 - ) … 林 倬史(はやし たかぶみ、1944年10月23日 - ) は、日本の経営学者。学位は、経済学博士(立教大学・1991年)。立教大学名誉教授。 北京生まれ。青森県八戸市出身。 1968年慶應義塾大学商学部卒業。1970年同大学院商学研究科修士課程修了、1974年同博士課程単位取得満期退学。1991年「多国籍企業と知的所有権 特許と技術支配の経済学」で立教大学から経済学博士の学位を取得。 1982年福岡大学商学部専任講師、1985年助教授。1990年立教大学経済学部経営学科助教授、1992年同教授、2006年経営学部教授、2010年名誉教授。同年国士舘大学政経学部教授、2011年経営学部教授、2015-19年客員教授。
石田 逸男(いしだ いつお、1944年5月14日 - )は、… 石田 逸男(いしだ いつお、1944年5月14日 - )は、青森県出身の元プロ野球選手。 青森商業高校から1963年に西鉄ライオンズへ入団。シュートボールを武器とした。1967年に引退。
藤本 一美(ふじもと かずみ、男性、1944年3月15日 -… 藤本 一美(ふじもと かずみ、男性、1944年3月15日 - )は、日本の政治学者、専修大学法学部名誉教授。専門は、アメリカ政治。日本政治学会理事。日本臨床政治学会第二代理事長。日本臨床政治研究所所長。 青森県五所川原市出身。弘前高校卒業後松木屋に就職するが退職し、2浪後明治大学農学部農芸化学科に入学。1969年、同学部卒業。1974年、同大学院政治経済学研究科博士課程修了。田口富久治に師事。日米友好基金賞受賞、2013年、日本政治法律学会より学会賞受賞。国立国会図書館職員、明治大学、東京大学講師、明海大学不動産学部教授を経て現在に至る。国立国会図書館では主に調査員として勤務した。また、近年では郷里・青森県の戦後政治史についての論文・著作を多数発表。