中鉢 良治(ちゅうばち りょうじ、1947年9月4日 - )… 中鉢 良治(ちゅうばち りょうじ、1947年9月4日 - )は、日本の実業家。学位は工学博士(東北大学・1977年)。国立研究開発法人産業技術総合研究所最高顧問、東京情報デザイン専門職大学学長。 ソニー株式会社執行役副社長兼COO、同取締役・代表執行役社長兼エレクトロニクスCEO、同取締役・代表執行役副会長、国立研究開発法人産業技術総合研究所理事長、社団法人日本経済団体連合会評議員会副議長・産業技術委員会共同委員長、ゆうちょ銀行取締役、NTT取締役などを歴任した。 1947年、宮城県大崎市にて生まれた。宮城県仙台第二高等学校卒業。小野寺正(のちにKDDI社長)は高校の理系クラスの同級生。高校卒業後は、東北大学工学部へ進学。
井上 英之(、1947年〈昭和22年〉9月4日 - )は、日… 井上 英之(、1947年〈昭和22年〉9月4日 - )は、日本の映画監督、全映連・東宝支部執行委員長。東宝スタジオ所属。 宮城県仙台市出身。1969年に東宝へ入社。多くの監督の下で助監督を務めた。 『恋する女たち』(1986年)や『ゴジラvsビオランテ』(1989年)でついた大森一樹とはやりやすかった一方で、現場でカット割りを変えてしまうこともあり、井上から両方撮影しようと進言することもあったという。 『vsビオランテ』で撮影助手を務めた清久素延は、気さくな大森に対し、井上は鬼軍曹という雰囲気であったと述べている。 この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
中原 誠(なかはら まこと、1947年9月2日 - )は、将… 中原 誠(なかはら まこと、1947年9月2日 - )は、将棋棋士。2009年3月、引退。十六世名人、および、永世十段・永世王位・名誉王座・永世棋聖という5つの永世称号を保持し、かつ、いずれも引退前から名乗る。通算1308勝は大山康晴、加藤一二三、羽生善治に次ぎ歴代4位。通算タイトル獲得数64期は歴代3位。
大谷 尚文(おおたに なおふみ、1947年9月 - )は、日… 大谷 尚文(おおたに なおふみ、1947年9月 - )は、日本のフランス文学者、石巻専修大学人間学部名誉教授。 1972年東北大学仏文科卒、1975年同大学院修士課程修了、弘前大学教養部講師、助教授、教授、石巻専修大学理工学部教授、人間学部教授を歴任。 ボードレールを専攻するが、ツヴェタン・トドロフなどのフランス哲学・文芸批評を多く翻訳する。
とよた かずひこ(1947年8月29日 - )は、日本の絵本… とよた かずひこ(1947年8月29日 - )は、日本の絵本作家。本名:豊田一彦。 宮城県仙台市出身。仙台市立東六番丁小学校、東北大学附属中学校(現宮城教育大学附属中学校)、宮城県仙台第二高等学校、早稲田大学第一文学部卒業。フリーのイラストレーターを経て、長女の誕生をきっかけに絵本作家へ。 1997年、『でんしゃにのって』で厚生省中央児童福祉審議会児童文化財特別推薦を受ける。『どんどこももんちゃん』で第7回日本絵本賞受賞。『あめですよ』が小学1年生の国語の教科書(東京書籍)に採用される。
高野 ムツオ(たかの ムツオ、1947年7月14日 - )は… 高野 ムツオ(たかの ムツオ、1947年7月14日 - )は、宮城県出身の俳人。本名は高野睦夫。金子兜太の「海程」所属を経て佐藤鬼房に師事、鬼房の跡を継ぎ現「小熊座」主宰。2024年、現代俳句協会会長に就任。 岩ケ崎町(現栗原市)に生まれる。栗駒町立岩ヶ崎中学校、大崎市古川(旧・古川市)にある宮城県古川工業高等学校を経て、國學院大學文学部文学科を卒業。小学生のころより父に連れられて句会や吟行会に参加。10歳のころ、初の投句が句会で来町していた阿部みどり女の選に入る。中学時代には『河北新報』のみどり女選の俳句欄に投句、高校時代よりみどり女主宰の俳誌「駒草」に投句した。神奈川県の地方公務員として勤務する傍ら、国学院の夜間部では俳句研究会に入会し機関誌を発行。
小池 光(こいけ ひかる、1947年(昭和22年)6月28日… 小池 光(こいけ ひかる、1947年(昭和22年)6月28日 - )は、日本の歌人。学位は理学修士(東北大学)。本名は小池 比加兒。仙台文学館館長(第2代)。 1947年、宮城県柴田郡船岡町(現在の柴田町)に、大池唯雄(小池忠雄)の長男として生まれる。父の大池は、「兜首」および「秋田口の兄弟」にて第8回直木三十五賞を受賞するなど、小説家として活動していた。 宮城県仙台第一高等学校を経て、東北大学理学部物理学科を卒業。その後、同大学の大学院に進学し、理学研究科修士課程を修了。 1972年、短歌結社「短歌人」に入会。その後、高瀬一誌の薫陶を受ける。1975年、埼玉県の浦和実業学園高等学校へ理科教師として就職。
妹尾 一朗(せのお いちろう、1947年6月11日 - 20… 妹尾 一朗(せのお いちろう、1947年6月11日 - 2015年6月26日)は、日本の洋画家。生命と宇宙の神秘をテーマに、動植物をモチーフとした幻想絵画の世界観を描く。作品の主な表現技法として、油彩・テンペラを用いている。宮城県塩竈市出身。 1971年 上智大学文学部社会学科卒業。 1972年 東京芸術学園卒業。 1973年 独立展入選。 1975年 ブロードウェイ新人展新人賞第一席受賞、同ギャラリーと契約。太陽美術展銅賞受賞。 1976年 フランス国際展国際賞受賞。ル・サロン交流展選抜。ブロードウェイギャラリーにて個展。太陽美術展銀賞受賞。太陽美術協会会員。 1977年 第一回日洋展入選。ル・サロン展銅賞受賞。
石崎 一夫(いしざき かずお、1947年6月2日 - )は、… 石崎 一夫(いしざき かずお、1947年6月2日 - )は、宮城県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 仙台育英学園高等学校では2年生の時、倉橋寛、加藤俊夫のバッテリーを擁し、八番打者、三塁手として1964年夏の甲子園に出場。しかし1回戦で滝川高の芝池博明に完封を喫する。翌1965年夏は東北大会準決勝で磐城高に敗れたが、県予選、東北大会を通じて16打数7安打、4割3分7厘の好打率を記録した。 1965年のドラフト10位で大洋ホエールズに入団。守備位置は三塁手、外野手。しかし3年間の在籍中一度も一軍公式戦に出場できず、1968年限りで退団した。
千葉 準一(ちば じゅんいち、1947年3月9日 - 201… 千葉 準一(ちば じゅんいち、1947年3月9日 - 2011年10月26日)は、日本の会計学者。宮城県名取郡岩沼町出身。首都大学東京都市教養学部教授、法政大学経済学部教授、同大学院イノベーション・マネジメント研究科アカウティング専攻(会計大学院)兼担教授を経て、2011年4月より国士舘大学経営学部教授を務めた。経済学博士(東京大学)。専門は財務会計論、国際比較会計制度論(日英中比較会計制度論)、日本近代会計制度史。 日本会計学会、日本会計史学会、経営史学会等の学会に所属した。日本公認会計士協会国際会計基準検討会委員 (1991-1995)、税理士試験委員(1997-2002)、公認会計士試験第2次試験試験委員(2004-2006)、神奈川県情報公開審査会委員を歴任した。
佐々木 力(ささき ちから、1947年3月7日-2020年1… 佐々木 力(ささき ちから、1947年3月7日-2020年12月4日 )は、日本の科学史学者。 東京大学教養学部教授、大学院総合文化研究科教授。中国科学院大学教授、中部大学中部高等学術研究所特任教授、神奈川県和算研究会会長を歴任した。 専門は科学史・科学哲学、とくに数学史であり、日本オイラー研究所名誉所長なども務めた。また「反時代的な社会主義者」を自称するトロツキストでもあり、日本陳独秀研究会会長も務めた。また、「九条科学者の会」呼びかけ人を務めていた。 東北大学大学院時代に「近代科学の認識構造ー近代科学の意味解明への視覚ー」を『思想』558号(1970年)に執筆して注目される。プリンストン大学から帰国し東大に就職して以降、『思想』を論考の公表の場として活躍し、同誌への執筆回数では最高を記録している。
菊地 健次郎(きくち けんじろう、1947年〈昭和22年〉1… 菊地 健次郎(きくち けんじろう、1947年〈昭和22年〉1月26日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日中綬章。元宮城県多賀城市長(4期)、元宮城県議会議員(3期)、元多賀城市議会議員(2期)。 宮城県塩竈市出身。東北学院榴ケ岡高等学校、中央大学法学部卒業。不動産会社に勤務。多賀城市議会議員を2期務める。 1995年(平成7年)、宮城県議会議員選挙に無所属で立候補し初当選した。その後、自由民主党に所属した。2003年(平成15年)に3選。 2006年(平成18年)8月6日に行われた多賀城市長選挙に立候補。3新人を相手に戦い初当選を果たした。8月28日、市長就任。2018年(平成30年)に4選。 2020年(令和2年)8月28日に健康上の不安を理由に辞任を表明。
石川 理夫(いしかわ みちお、1947年 - )は、日本の温… 石川 理夫(いしかわ みちお、1947年 - )は、日本の温泉評論家。日本温泉地域学会会長。環境省中央環境審議会温泉小委員会専門委員。 仙台市生まれ。東京大学法学部卒業。出版社勤務後、企画編集会社を起業。その傍ら、国内外の温泉地と国内外の温泉地取材と温泉史・共同湯・温泉文化論の研究活動に携わり、日本における温泉評論の草分けとなる。NHKBS『ふだん着の温泉スペシャル』『ぜんぶ、温泉!』やNHKラジオ深夜便温泉紀行担当をはじめテレビ・ラジオ出演、雑誌・新聞等での温泉執筆や講演会などを数多くこなす。日本温泉地域学会主催「温泉観光士養成講座」では温泉文化論を担当している。温泉執筆や評論活動はよく知られているが、共同湯の考察をはじめ温泉史・温泉文化論に関する研究活動も行っている。
遠藤 保雄(えんどう やすお、1947年 - )は仙台大学教… 遠藤 保雄(えんどう やすお、1947年 - )は仙台大学教授、農学博士。元農水官僚。 1947年、宮城県仙台市生まれ。1969年3月、東北大学経済学部を卒業し、同年4月農林省へ入省。1974年、イリノイ大学へ留学し、農業経済学修士を取得。その後、砂糖行政、貿易関税行政等に参画後、1986年、在米日本大使館の農務参事官として1989年まで担当。その後、牛乳乳製品課長、1996年、国際部長として世界食料サミット宣言の起草に参画、統計情報部長などを歴任。 1998年7月、環境庁へ出向し、水質保全局長に就任。2001年1年まで担当後農水省を退官。2002年、国連食糧農業機関(FAO)の戦略企画部長へ就任し、その後日本事務所長を歴任。
和泉 耕二(いずみ こうじ、1947年(78 - 79歳) … 和泉 耕二(いずみ こうじ、1947年(78 - 79歳) - )は、日本の作曲家。 宮城県石巻市出身。国立音楽大学大学院音楽研究科作曲専攻修了。高田三郎、廣瀬量平、島岡譲らに師事する。尚美学園講師を経て、1997年より大阪音楽大学教授、ほかに京都市立芸術大学で教える。日本現代音楽協会と日本作曲家協議会会員、オーケストラ・プロジェクト同人。作風は最初の戦後世代らしくはっきりした語法と主張が特徴的。
氏家 照彦(うじいえ てるひこ、1946年〈昭和21年〉8月… 氏家 照彦(うじいえ てるひこ、1946年〈昭和21年〉8月29日 - )は、日本の銀行家。七十七銀行相談役。慶應義塾大学仙台三田会副会長。七十七銀行頭取・会長を務めた4代目氏家清吉の孫。七十七銀行頭取・会長を務めた氏家榮一の長男。 氏家榮一の長男として宮城県に生まれる。慶應義塾大学経済学部を卒業後、日本興業銀行に入行。関連事業部参事役等を歴任する。 1993年に七十七銀行へ入行。以降、専務、副頭取等を歴任。2010年には頭取に昇格。2018年会長に退き、2025年相談役。
佐藤 一郎(さとう いちろう、1946年8月26日 - )は… 佐藤 一郎(さとう いちろう、1946年8月26日 - )は、日本の男性画家であり、絵画材料学、絵画技術学の研究者である。1999年から2014年に東京芸術大学教授を務め、定年退職後、2014年から2019年まで金沢美術工芸大学大学院専任教授、2019年から2025年まで東北生活文化大学学長。。 マックス・デルナーの『絵画技術体系』の訳者にしてウィーン幻想派の画家ルドルフ・ハウズナーに師事した画家にふさわしい、混合技法による数々の絵画を描いている。それは、グレーズ (彩色技術)(英語版)やインプリマトューラといった技法を巧みに用い、強い光沢を備えているものもそれでいてくどくない、油絵具の透明性や物体性を活かした霊妙な作品である。
石井 隆(いしい たかし、1946年7月11日 - 2022… 石井 隆(いしい たかし、1946年7月11日 - 2022年5月22日)は、日本の漫画家、脚本家、映画監督。本名・石井 秀紀。 宮城県仙台市出身。宮城県仙台第二高等学校を経て、早稲田大学商学部卒業。 早稲田大学ではシナリオ研究会に所属していたが、学生運動に巻き込まれることを嫌い、革マル派の影響が薄かった映画研究会へ転属。在学中から後に脚本家となった金子裕と組んで、雑誌のライターやカメラマンで生活していた。 卒業後の1970年、『事件劇画』誌で出木英杞のペンネームで劇画漫画家としてデビュー。1975年頃より主に「ヤングコミック」誌等で執筆する。自作『天使のはらわた』(1977年)が大ヒットし、1978年から日活ロマンポルノにてシリーズ映画化される。
倉橋 寛(くらはし ひろし、1946年6月2日 - )は、宮… 倉橋 寛(くらはし ひろし、1946年6月2日 - )は、宮城県出身の元プロ野球選手。 仙台育英高校では、エースとして加藤俊夫とバッテリーを組み、1964年夏の甲子園に出場。しかし1回戦で滝川高の芝池博明に完封を喫する。この時のチームメイトに三塁手の石崎一夫がいる。 1965年に南海ホークスへ入団。一軍登板はなく1967年に戦力外となり退団する。 退団後は地元仙台に戻りサラリーマンとして活動していたが、プロ復帰を諦めきれず1971年に大洋ホエールズのテスト入団に合格して復帰する。1972年、1973年とも各1試合に登板するが、1973年限りで引退。
平 朝彦(たいら あさひこ、1946年〈昭和21年〉5月30… 平 朝彦(たいら あさひこ、1946年〈昭和21年〉5月30日 - )は、日本の地質学者。専門は海洋地質学。東京大学名誉教授、国立研究開発法人海洋研究開発機構理事長・顧問、東海大学海洋研究所所長。日本地質学会会長。 宮城県仙台市生まれ。1970年、東北大学理学部卒業。1976年、テキサス大学ダラス校で博士課程修了。 1977年から高知大学理学部助教授、1985年より東京大学海洋研究所教授。2002年からは日本地質学会会長を務めた。 2004年、独立行政法人・海洋研究開発機構 地球深部探査センター初代センター長に就任。その後、2007年からは海洋研究開発機構理事を務め、2012年からは海洋研究開発機構理事長を務める。
柳家 三寿(やなぎや さんじゅ、1946年5月23日 - 2… 柳家 三寿(やなぎや さんじゅ、1946年5月23日 - 2020年6月20日)は、宮城県気仙沼市出身の落語家。落語協会所属。本名∶鈴木 猛。出囃子は「東京音頭」。 宮城県気仙沼高等学校、 明治大学法学部卒業。 柳家 千壽(やなぎや せんじゅ、1962年? - )は、落語家。東京都渋谷区生まれ、葛飾区育ち。出囃子は「お江戸日本橋」。
阿部 良男(あべ よしお、1946年5月15日 - 2017… 阿部 良男(あべ よしお、1946年5月15日 - 2017年6月29日[要出典])は、宮城県石巻市出身のプロ野球選手(外野手)。 宮城水産高校を卒業後、クラブチームのオール常磐(旧:常磐炭鉱)に進む。1966年の都市対抗で活躍、準々決勝に進出するが日本石油(エースは平松政次)に抑えられ敗退。チームメイトに、後にプロ入りする矢部祐一がいた。1968年のドラフト4位指名で、西鉄ライオンズへ入団。 1969年から一軍で活躍し、右翼手、中堅手として69試合に先発出場、同年のジュニアオールスターにも選出される。 1971年には開幕から一番打者として起用され、104試合に出場。 1972年には中堅手の定位置を得て、初の規定打席(打率.256)に達する。
森 憲二(もり けんじ、1946年5月3日 - )は、宮城県… 森 憲二(もり けんじ、1946年5月3日 - )は、宮城県岩沼市出身の元プロゴルファー。 名取高校中退後は阿武隈ゴルフ場を経て、川崎国際カントリークラブでドアボーイをしながら、1966年にプロ入りする。 1969年の日本プロでは石井裕士・杉原輝雄・村上隆に次ぐと同時に陳健忠( 中華民国)・日吉定雄・鷹巣南雄・内田袈裟彦・鈴村久・安田春雄を抑えての4位、1971年の日本オープンでは2日目と最終日に69をマークし、村上と並ぶ5位タイ と健闘。 ホームコースの川崎国際CCで行われたロレックストーナメント→ロレックスクラシックでは、1971年には初日を前後半とも3バーディずつ、ボギーは前半1、後半2の計3アンダーの69で首位スタート。
星 吉昭(ほし よしあき、1946年3月16日 - 2004… 星 吉昭(ほし よしあき、1946年3月16日 - 2004年10月1日)は、日本のシンセサイザー奏者。姫神(旧:姫神せんせいしょん)としての活動で知られる。 宮城県栗原郡若柳町(現:栗原市)出身。1971年、ビクター電子音楽コンクールでグランプリ受賞。1980年、姫神せんせいしょん結成。翌年、シングル『奥の細道』でレコード・デビュー。シンセサイザーで表現した日本の原風景的音楽で注目を集める。 大学時代を東京で過ごしていた頃は、ディキシーランド・ジャズに傾倒していた。帰郷後、南部牛追唄をシンセサイザーで演奏できないかという発想を契機に、姫神せんせいしょんを結成する。 1984年、ユニット名を姫神と改め、ソロ・ユニットとして活動を始める。
伊藤 卓美(いとうたくみ、1946年1月15日 - )は、… 伊藤 卓美(いとうたくみ、1946年1月15日 - )は、日本の版画家。 母の実家である宮城県登米郡登米町(現・登米市)で、洋画家である伊藤悌三の三男として生まれる。高校2年の時、版画家の馬淵聖が版画で作成した父宛の年賀状と出会い、自身も本格的に版画制作を始める。秋田の版画家勝平得之の影響を受けた民俗芸能をテーマにした作品で、1967年に初の個展を開く。 1979年に日版会版画展に『群鹿』を出品、新人賞を獲得して会友に推挙される。以後日版会賞や文部大臣賞を受賞した。2004年に日版会会長となるが、自作の版画制作を優先すべく2014年に退会した。 2024年に、岩手県花巻市の第34回イーハトーブ賞を受賞した。
三浦 亨(みうら とおる、1946年 - )は、日本の振付師… 三浦 亨(みうら とおる、1946年 - )は、日本の振付師、ダンサー。宮城県桃生郡桃生町(現・石巻市)出身。 カーニバル三浦という芸名での活動もしている。 宮城県桃生郡桃生町(現・石巻市)出身。宮城県石巻高等学校、日本大学芸術学部演劇学科卒業。 1970年、西条満の元でダンサーとしてデビュー。1973年に天地真理「恋する夏の日」で振付師としてデビュー。1970年代中盤から1980年代まで放送されたNHKの音楽番組『レッツゴーヤング』でダンス指導を担当し、所謂「80年代アイドル」やバックダンサーのスクールメイツの振り付けを多く担当する。 1985年からはおニャン子クラブの振り付けを担当。以降フジテレビの番組の振り付けを多く担当する。
田村 光彰(たむら みつあき、1946年 - )は、日本のド… 田村 光彰(たむら みつあき、1946年 - )は、日本のドイツ研究者、ヨーロッパ地域研究者、いしかわ教育総合研究所所長。 ともに第二次世界大戦の敗戦国である日本とドイツの戦後反省や、ヨーロッパにおける移民や難民の問題に関心を寄せた研究をしている。 仙台市生まれ。埼玉大学理工学部に学ぶが、在学中にベトナム反戦運動に関わり、ベトナムにおけるアメリカ合衆国の関与に対する批判意識からナチス・ドイツへの関心をもち、卒業後に金沢大学文学部に転じてドイツ文学を学び、さらに大学院に進学して、金沢大学大学院修士課程独文専攻を修了した。この間、ドイツへの1年間の留学も経験した。 その後、長く北陸大学で教鞭を執り、法学部助教授を経て、1997年からは法学部教授を務め、ドイツ語のほか、国際政治史やヨーロッパ地域研究についても講義を担当した。
浅野 裕一(あさの ゆういち、1946年 - )は、日本の中… 浅野 裕一(あさの ゆういち、1946年 - )は、日本の中国哲学研究者、東北大学名誉教授。 1946年、宮城県仙台市生まれ。1971年、東北大学文学部で中国哲学を専攻して卒業。同大学院文学研究科に進み、1976年に博士課程を満期退学。 卒業後は、1977年に島根大学教育学部の助手となり、1978年に講師、1982年に助教授昇格。1988年に母校の東北大学教養部助教授に転じ、1991年に教授昇格。1991年、学位論文『黄老道の研究』を東北大学に提出して文学博士号を取得。1993年より国際文化研究科教授、環境科学研究科教授となり、2011年に東北大学を定年退任。定年と共に名誉教授となった。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
いわさ ゆうこ(岩佐 祐子、1946年 - )は、日本の絵本… いわさ ゆうこ(岩佐 祐子、1946年 - )は、日本の絵本作家、イラストレーター。宮城県仙台市出身、東京都在住。武蔵野美術大学造形学部油絵科卒業。 絵本図鑑シリーズなど、植物をテーマにした作品が多い。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
佐々木 多利爾(ささき たりじ、1946年 -)は、日本のグ… 佐々木 多利爾(ささき たりじ、1946年 -)は、日本のグラフィックデザイナー。宮城県大崎市出身。『月刊コロコロコミック』の表紙装丁の2代目デザイナーとして知られる(初代は有賀一宇)。 小学館とのかかわりが長く、『コロコロコミック』の表紙装丁を1986年1月号(No.93)から担当。2020年11月18日には、同一の児童向け雑誌の表紙を最も長く担当したデザイナーとしてギネス世界記録に認定され、認定証を授与された(同年7月15日までの34年213日が「同一雑誌の表紙をデザインした最長期間」とされている)。 以前は『幼稚園』のデザインにも携わっており、『コロコロコミック』の創刊準備室が『幼稚園』編集部の隣にあったことから、『コロコロコミック』との縁が生まれたという。
井口 経明(いぐち つねあき、1945年〈昭和20年〉12月… 井口 経明(いぐち つねあき、1945年〈昭和20年〉12月22日 - )は、日本の政治家。元宮城県岩沼市長。 岩沼市出身。宮城教育大学卒業。 岩沼市議会議員を務めた。また、1996年(平成8年)1月12日から1998年(平成10年)5月21日まで第11代同議長を務めた。 同年5月31日の市長選挙に立候補して、現職だった小野光彦を破って、初当選を果たした。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:69.50%(前回比:-pts) 前回と同じ顔ぶれになったが、これを破って再選を果たした。 ※当日有権者数:32,033人 最終投票率:61.68%(前回比:-pts) 2006年(平成18年)の市長選挙は無投票で3選を果たした。
沼沢 聖一(沼澤 聖一、ぬまざわ せいいち、1945年12月… 沼沢 聖一(沼澤 聖一、ぬまざわ せいいち、1945年12月10日 - )は、宮城県仙台市出身のプロゴルファー。 実妹に女優の篠ひろ子がおり、その夫である直木賞作家の伊集院静は義弟にあたる。また実弟にゴルフクラブ設計家の沼沢雄二、甥に元プロサッカー選手の青山隼がいる。 東北学院高校時代は1962年の全国高校ゴルフ選手権個人・男子で猛暑にもかかわらず粘り強さを発揮し、三上法夫を抑えて初出場初優勝。1963年の同大会では午前のラウンドを78にまとめた後、午後のインでは1アンダーの35、アウトも1番から7番まで連続パーで140台が期待されたが8番のショートホールでバンカーショットをミスしてダブルボギー。
沼沢 聖一(沼澤 聖一、ぬまざわ せいいち、1945年12月… 沼沢 聖一(沼澤 聖一、ぬまざわ せいいち、1945年12月10日 - )は、宮城県仙台市出身のプロゴルファー。 実妹に女優の篠ひろ子がおり、その夫である直木賞作家の伊集院静は義弟にあたる。また実弟にゴルフクラブ設計家の沼沢雄二、甥に元プロサッカー選手の青山隼がいる。 東北学院高校時代は1962年の全国高校ゴルフ選手権個人・男子で猛暑にもかかわらず粘り強さを発揮し、三上法夫を抑えて初出場初優勝。1963年の同大会では午前のラウンドを78にまとめた後、午後のインでは1アンダーの35、アウトも1番から7番まで連続パーで140台が期待されたが8番のショートホールでバンカーショットをミスしてダブルボギー。
原口 證(はらぐち あきら、1945年11月27日 –)は日… 原口 證(はらぐち あきら、1945年11月27日 –)は日本の元技術者(現在は退職)である。円周率の暗記で知られている。 宮城県古川市(現・大崎市古川)の寺院で生まれ育つ。宮城県古川工業高等学校卒業後、東北沖電気工業、日立製作所茂原工場に30年余年勤務した。退職後、円周率の暗記を始め、2004年に当時の世界記録である54,000桁を達成する。その後、同年に記録を68,000桁に伸ばし、2005年に83,431桁、2006年に100,000桁の暗記を達成した。トイレにまでカメラでついていくなど、不正が無いことを証明するため徹底的に記録された。しかし、この記録はギネス・ワールド・レコーズに申請中の段階であり、2017年時点でも正式に認定されていない(インド人のスレシュ・クマール・シャルマの70,030桁が、ギネス世界記録公認の世界記録である)。
サトル・サトウ(佐藤 達〈さとう さとる〉、1945年11月… サトル・サトウ(佐藤 達〈さとう さとる〉、1945年11月14日 - )は、フランスを拠点に活動する画家、造形作家。宮城県登米市出身。宮城県佐沼高等学校卒。フランス・パリ在住。 1969年、パリでデビュー。1979年、「鉛直主義」を世界に向けて宣言し国際的抽象画家となったサトルは、幾何学構成的絵画から立体作品、環境造形作家として、パリを拠点に多くの制作、発表を各国で行っている。 これまで、個展70回、グループ展380回、環境造型作品制作設置は40点を数え、30か国で発表している。
橋本 克彦(はしもと かつひこ、1945年〈昭和20年〉11… 橋本 克彦(はしもと かつひこ、1945年〈昭和20年〉11月8日 - )は、日本のノンフィクション作家。 宮城県生まれ。仙台市立仙台高等学校卒業。日本大学芸術学部除籍。 雑誌記者を経て、1984年に『線路工手の唄が聞えた』で大宅壮一ノンフィクション賞受賞。1990年『日本鉄道物語』で交通図書賞受賞。
三宅 義行(みやけ よしゆき、1945年(昭和20年)9月3… 三宅 義行(みやけ よしゆき、1945年(昭和20年)9月30日 - )は、日本の重量挙げ選手、陸上自衛官。1964年東京オリンピック・メキシコシティオリンピックの重量挙げ金メダリスト三宅義信は実兄、ロンドンオリンピック重量挙げ銀メダリストリオデジャネイロオリンピック重量挙げ銅メダリスト・三宅宏実は娘、全日本女子ヘッドコーチを務めた三宅敏博は次男。長男も競技経験者。
古澤 良治郎(ふるさわ りょうじろう、1945年9月5日 -… 古澤 良治郎(ふるさわ りょうじろう、1945年9月5日 - 2011年1月12日)は日本のジャズ・ドラマー。モダン・ジャズからフリー・ジャズ、フュージョンと、様々なセッションに参加し、さらにジャンルの枠を超えてフォークやロック分野のミュージシャンたちと数多く共演したほか、作曲も行い、演劇や映画などにも音楽を提供した。 仙台市出身。永く西荻窪に住んだが、終生仙台訛りで喋った。国立音楽大学音楽学部打楽器科を卒業。 在学中からジャズ・ドラマーを志し、この頃から板橋文夫とともに演奏することが多かった。卒業後の1969年に本田竹広のグループに参加し、プロ・ドラマーとしての活動を始めた。以降、自らがリーダーのグループをもちながら、山下洋輔トリオ、渋谷毅トリオ、ELBCTRO JAZZ GROUP(本田竹廣、渡辺香津美など)、向井滋春クインテット、本多俊之PROJECT 4、峰厚介クインテットなどをはじめ、数多くのグループ、セッションに参加する。
後藤 一蔵(ごとう いちぞう、1945年8月22日 - )は… 後藤 一蔵(ごとう いちぞう、1945年8月22日 - )は、日本の社会学者。日本では数少ない消防団についての研究者であり、2017年現在は東北福祉大学兼任講師や消防庁消防団員確保アドバイザーなどを務めている。宮城県遠田郡小牛田町(現・美里町)出身、宮城県古川高等学校、東北大学教育学部卒業、専門は地域防災論、農村社会学。 1945年(昭和20年)、宮城県遠田郡小牛田町(現・美里町)で生まれ、1965年(昭和40年)宮城県古川高等学校、1969年(昭和44年)東北大学教育学部教育学科を卒業。宮城県佐沼高校、古川女子高(現・宮城県古川黎明高校)、古川高校、小牛田高等養護学校などの教諭や宮城教育大学非常勤講師(ボランティア活動論)を勤めた後東北福祉大学兼任講師(地域防災論)に就任。
田中 良紹(たなか よしつぐ、1945年5月1日 - 202… 田中 良紹(たなか よしつぐ、1945年5月1日 - 2025年10月7日)は、日本のジャーナリスト。 宮城県仙台市出身。慶應義塾大学経済学部卒業。 現在はジャーナリストらのブログサイト「THE JOURNAL」の『田中良紹の「国会探検」』で政治についての評論をしているほか、チームニッポンの連載『田中良紹のニッポン維新』も行っている。BS11デジタルの田中康夫の番組にっぽんサイコー!にも頻繁に出演している。2009年11月14日よりインターネット「コールイン」番組『政治ホットライン〜あなたの声が届きます』のナビゲーターを務める。
門脇 陸男(かどわき りくお、1945年(昭和20年)3月1… 門脇 陸男(かどわき りくお、1945年(昭和20年)3月10日‐)は日本の演歌・民謡歌手。 宮城県登米郡南方町(現・登米市)出身。 高校卒業後、就職したバス会社(のちの宮城交通)入社後から民謡を始め、1980年、東北の民謡コンクールで優勝。 レコードデビュー直前は宮城交通のバス運転手と農業の兼業だった。 1982年、東北放送の人気ラジオ番組「民謡でごきげん」放送三百回記念として、クラウンレコードとタイアップして作られた「祝い船」でデビュー。レコード会社の宣伝文には「やったぜ!リック」とミスマッチなコピーが記されていた。当初、レコード会社はまったく宣伝しなかったが、地元の有線放送で支持され、当時流行していたカラオケで歌われるようになり、仙台から東北、さらには東京へと広まり、2年半越しで全国に浸透。
大石 正光(おおいし まさみつ、1945年1月28日 - )… 大石 正光(おおいし まさみつ、1945年1月28日 - )とは、日本の政治家である。公益財団法人緑の地球防衛基金理事長である。 参議院議員(1期)、衆議院議員(5期)、参議院財政金融委員長などを歴任した。農林大臣、環境庁長官を務めた元衆議院議員の大石武一は父である。 宮城県仙台市生まれ。暁星高等学校、立教大学文学部史学科卒業。大学卒業後、米国ウィットワース大学(Whitworth University, ワシントン州スポケーン)政治学部に留学。帰国後、国土計画(現・プリンスホテル)勤務を経て、父、大石武一の秘書となる。1976年に武一が農林大臣に就任した際は大臣秘書官を務めた。 1986年の第38回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で旧宮城2区から立候補し、初当選した。
河内 剛 (かわうち つよし、1945年1月4日 - )は、… 河内 剛 (かわうち つよし、1945年1月4日 - )は、元競輪選手。現役時代は日本競輪選手会宮城支部に所属していた。 東北高等学校を経て、日本大学に在学中だった1964年の東京オリンピックにおいて、スクラッチ(現在のスプリント)に出場(予選敗退)。 1965年、日本競輪学校第21期生(同期に群馬の田中博、神奈川の伊藤繁らがいる)としていわき平競輪場でデビューし1着。後2日間も勝ち、3連勝完全優勝を果たす。 1972年、日本選手権競輪(西武園競輪場)優勝。ちなみにこのレースでは、連勝単式(枠番連勝単式)車券において同大会決勝戦史上初の万車券決着となった。
岩渕 勝好(いわぶち かつよし、1945年 -2018年)は… 岩渕 勝好(いわぶち かつよし、1945年 -2018年)は、日本のジャーナリスト、産経新聞論説委員。東北福祉大学教授、川崎医療福祉大学教授。
日下部 元雄(くさかべ もとお、1945年 - )は、日本の… 日下部 元雄(くさかべ もとお、1945年 - )は、日本の官僚。世界銀行の元副総裁。
みなみ らんぼう(本名:南 寛康(みなみ ひろやす)、194… みなみ らんぼう(本名:南 寛康(みなみ ひろやす)、1944年〈昭和19年〉12月13日 - )は、日本のフォークシンガー、シンガーソングライター、俳優。 「らんぼう」という芸名はフランスの詩人アルチュール・ランボーにあやかったものである。 宮城県栗原郡志波姫町(現・栗原市)生まれ。プロボクシング元WBA世界スーパーフライ級王者の河野公平は娘婿に当たる。 1963年、宮城県築館高等学校卒業。1967年、法政大学社会学部卒業。その後、コピーライター、ラジオ台本作家を経て1971年、日活映画『ネオン警察 ジャックの刺青』の挿入歌『酔いどれ女の流れ唄』で作詞・作曲家としてデビュー。1973年に『ウイスキーの小瓶』で歌手デビューした。
若生 和也(わこう かずや、1944年11月16日 - )は… 若生 和也(わこう かずや、1944年11月16日 - )は、宮城県出身の元プロ野球選手(投手)。 塩釜高校では、鉄砲肩を誇る捕手だった。高校卒業後、社会人野球の仙台鉄道局に入団し投手へコンバート。その後、岩崎電気を経て立正佼成会へ移籍。1965年の都市対抗野球に初出場。大会史上に残る大応援団のもと、1回戦で後藤博を救援し好投、三重交通を降しチーム初勝利に貢献した。しかし2回戦では松下電器に打ち込まれ敗退。この時のチームメートに田中辰次(鷺宮製作所から補強)がいた。 1967年にはエースとして都市対抗に再度出場。1回戦では三菱重工神戸に完投勝利、2回戦でも日本楽器を相手に好投するが、9回裏にサヨナラ本塁打を喫し惜敗。
日下 正勝(くさか まさかつ、1944年10月17日 - )… 日下 正勝(くさか まさかつ、1944年10月17日 - )は、宮城県石巻市出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。 東北高等学校では1961年、2年生の時に夏の甲子園に左翼手として出場。2回戦で岐阜商に敗退。高校同期に及川宣士投手、村上宏通二塁手(阪急)がいる。 1962年に大洋ホエールズへ入団。1964年にイースタンリーグの本塁打王と打点王を獲得。同年のジュニアオールスターにも出場する。翌1965年もイースタンリーグ本塁打王を再度獲得。1966年には一軍に定着し、左翼手として16試合に先発出場。その後は守備固め外野手としての出場が多かったが、次第に粘り強い打撃が評価され、左投手への代打として起用される。
山下 則夫(やました のりお、1944年9月29日 - )は… 山下 則夫(やました のりお、1944年9月29日 - )は、日本の元俳優。本名同じ。 宮城県出身。仙台商業高校卒業。 東映演技研修所出身。 1970年代に東映作品を中心にテレビドラマ・映画に脇役として出演した。その一方で『ガッツジュン』(TBS)、『サンダーマスク』(日本テレビ)など、東映作品以外のテレビドラマでもレギュラー出演の実績がある。 特技は、スキー、球技。
辺見 庸(へんみ よう、本名:辺見 秀逸、1944年(昭和1… 辺見 庸(へんみ よう、本名:辺見 秀逸、1944年(昭和19年)、9月27日 - )は、日本の小説家、ジャーナリスト、詩人。元共同通信社記者。1991年、『文學界』(文藝春秋)1991年5月号「自動起床装置」で第105回芥川賞受賞。『もの食う人びと』(1994年)などのルポルタージュでも異彩を放つ。ほかに『赤い橋の下のぬるい水』(1992年)、『水の透視画法』(2011年)など。 宮城県石巻市南浜町出身。宮城県石巻高等学校を経て、早稲田大学第二文学部社会専修卒業。共同通信社に入社し、外信部のエース記者として知られた。北京、ハノイ特派員などを務め、北京特派員時代の1979年(昭和54年)には福原亨一と共に『近代化を進める中国に関する報道』により日本新聞協会賞を受賞(共同受賞)。