小林 英文(こばやし ひでふみ、1957年(昭和32年)9月… 小林 英文(こばやし ひでふみ、1957年(昭和32年)9月22日 - )は、日本の銀行家。七十七銀行代表取締役頭取。仙台経済同友会代表幹事。 宮城県仙台市出身。宮城県仙台第一高等学校を経て、1981年3月東北大学経済学部卒業、同年4月七十七銀行入行。行内では営業、企画部門、マーケット部門など幅広く経験する。また総合企画部長や本店営業部長などの主要ポストを歴任し、早くから頭取候補とされていた。副頭取時代には人事担当として、ダイバーシティー推進や働き方改革を進めた。 2018年6月28日、代表取締役頭取に就任。前頭取の氏家照彦会長は、小林を「大変穏やかで安定感がある」と評価している。 2021年、弘進ゴムの西井英正社長とともに仙台経済同友会の代表幹事に就任した。
伊藤 健二(いとう けんじ、1955年〈昭和30年〉3月19… 伊藤 健二(いとう けんじ、1955年〈昭和30年〉3月19日 - )は、日本の金融家、銀行家。日本政策金融公庫の副総裁等を歴任した。 1955年、宮城県加美郡中新田町(現・加美町)で生まれた。東北地方の地方経済の発展が求められる中、地元の加美町立中新田中学校、宮城県古川高等学校を経て、東北大学経済学部に進学。1978年に同大学を卒業し、国民金融公庫(後の日本政策金融公庫)に入庫した。入庫当時の日本は高度経済成長の終盤を迎えており、オイルショックなどの影響も受けながら、産業構造の転換が求められていた。伊藤は地方経済と中小企業の金融支援の重要性を認識し、金融政策の現場で経験を積んだ。2008年、日本政策金融公庫が設立されると、その国民生活事業本部の事業運営部長に就任。
鈴木 隆(すずき たかし、1954年(昭和29年)1月20日… 鈴木 隆(すずき たかし、1954年(昭和29年)1月20日 - )は日本の銀行家、実業家。仙台銀行取締役会長。 宮城県仙台市出身。1977年、成蹊大学文学部卒業後、振興相互銀行(現在の仙台銀行)に入行。 推進部副部長や営業課長などを歴任。2003年には取締役に選任され、2009年に代表取締役常務となる。 2012年、仙台銀行ときらやか銀行の経営統合でじもとホールディングスが発足すると、同社の取締役も兼任する。 2013年、三井精一の後任として、仙台銀行頭取およびじもとHD会長に就任する。 2021年、粟野学がじもとHD社長から退いたことに伴い、社長となった。 2024年9月、きらやか銀行が2024年3月期に大幅赤字に転落し、9月末に迫った200億円の公的資金の返済が困難となったことから経営責任をとり、じもとHD社長を辞任する。
氏家 照彦(うじいえ てるひこ、1946年〈昭和21年〉8月… 氏家 照彦(うじいえ てるひこ、1946年〈昭和21年〉8月29日 - )は、日本の銀行家。七十七銀行相談役。慶應義塾大学仙台三田会副会長。七十七銀行頭取・会長を務めた4代目氏家清吉の孫。七十七銀行頭取・会長を務めた氏家榮一の長男。 氏家榮一の長男として宮城県に生まれる。慶應義塾大学経済学部を卒業後、日本興業銀行に入行。関連事業部参事役等を歴任する。 1993年に七十七銀行へ入行。以降、専務、副頭取等を歴任。2010年には頭取に昇格。2018年会長に退き、2025年相談役。
三井 精一(みつい せいいち、1942年(昭和17年)7月1… 三井 精一(みつい せいいち、1942年(昭和17年)7月11日 - )は、日本の銀行家、実業家。仙台銀行相談役。カメイ社外取締役。 宮城県出身。宮城県仙台第二高等学校、東北学院大学文経学部経済学科卒業後、当時の振興相互銀行に入行。 枢要店での勤務を担うなど、営業の第一線を歩んだ。 在任が約8年に及んだ、日下睦男の後任として末席常務より抜擢され、2001年頭取に就任する。 頭取在任時にはきらやか銀行との経営統合に手腕を発揮したほか、東日本大震災後もいち早く公的資金の注入を受け入れた上、勘定系システムのリプレースも完了させるなど、業績回復の道筋を付け、2013年6月、じもとHD会長・仙銀頭取を退任。
小栗宏夫(おぐり ひろお、1941年(昭和16年)8月24日… 小栗宏夫(おぐり ひろお、1941年(昭和16年)8月24日 - )は、日本の銀行家。肥後銀行顧問。 父が南満洲鉄道に勤務していたため、満洲国奉天市で生まれる。終戦により引揚者として帰国。その後父が国鉄に入社したこともあり、転勤のため日本各地を転居して暮らした。 東大法学部卒業後、当時預金残高日本一であった富士銀行に入行した。 同行時代においては、各店支店長を務め営業の第一線を歩んだほか、審査部門を長らく担当した。 1998年(平成10年)、当時の稲垣精一頭取が富士銀出身だったことや、山本惠朗富士銀頭取の勧めもあり、肥後銀行に入行。2001年(平成13年)、頭取に就任した。 2013年(平成25年)には、会長を経て顧問退いた。
鎌田 宏(かまた ひろし、1941年(昭和16年)4月11日… 鎌田 宏(かまた ひろし、1941年(昭和16年)4月11日 - )は、日本の銀行家。七十七銀行頭取を務めた。 七十七銀行専務取締役を歴任した鎌田英一の長男として、宮城県仙台市に生まれる。 慶應義塾大学法学部卒業後、七十七銀入行。1993年(平成5年)に取締役昇格。親子2代にわたって役員として、同行の経営に携わることとなった。 2005年(平成17年)頭取、10年会長、18年相談役。 2010年(平成22年)10月、仙台商工会議所会頭に就任し、22年10月名誉会頭となる。 2011年(平成23年)6月には、東北楽天ゴールデンイーグルス監督である星野仙一の仙台後援会「楽仙会」の会長に就任した。
丸森 仲吾(まるもり ちゅうご、1932年〈昭和7年〉12月… 丸森 仲吾(まるもり ちゅうご、1932年〈昭和7年〉12月23日 - 2021年(令和3年)10月25日)は、日本の銀行家。七十七銀行頭取、仙台商工会議所会頭などを歴任した。 出生地は現在の登米市だが、実家は、姓の由来でもある宮城県丸森町の山林地主にあたる。 宮城県佐沼高等学校、東北大学時代は野球部で捕手として活躍。同大野球部でバッテリーを組んだ先輩が七十七銀行に入行しており、その紹介もあって就職を決める。 労働組合書記長や委員長を歴任したほか、人事部長に就任するまで14年間にわたり人事部に在籍。それ以降は、ほとんど営業一筋にキャリアを積んだ。 2001年(平成13年)頭取に昇格し、不良債権処理を進め、強固な経営基盤の確立や人材育成に力を入れた。
日下 睦男(くさか むつお、1931年(昭和6年)4月26日… 日下 睦男(くさか むつお、1931年(昭和6年)4月26日 - 2026年(令和8年)5月15日)は、日本の銀行家。仙台銀行頭取を務めた。 宮城県白石市出身。1955年、東北学院大学卒業後、振興相互銀行に入行。企画部次長、平、石巻支店長を歴任。 1982年2月、普通銀行に転換し仙台銀行に改称。1983年6月、取締役に選任され、本店営業部長委嘱。 1989年6月、常務取締役・推進部長委嘱。1990年8月、取締役副頭取・業務本部副本部長委嘱。1993年5月、取締役頭取・業務本部長委嘱。 頭取時代には、多額の不良債権を抱える同じ仙台市に本店を置く徳陽シティ銀行が経営破綻。日下は仙台銀行が営業譲渡で受け皿金融機関の中核となる決断をし、宮城県内55店(うち19店は建物も)分の営業権や預金、行員152人を引き受けた。
本山 剛(もとやま つよし、1931年(昭和6年)3月5日 … 本山 剛(もとやま つよし、1931年(昭和6年)3月5日 - 2001年(平成13年)7月7日)は、日本の銀行家。北都銀行副会長、秋田あけぼの銀行頭取を歴任した。 宮城県仙台市出身。東北大学法学部卒業後、日本銀行に入行。 1980年には、秋田相互銀行に移り常務、専務を歴任。副社長時代には、普銀転換の陣頭指揮にあたり、1990年には、プロパーや創業者家系の多い秋田県の金融界では異色の存在、日銀出身者として秋田あけぼの銀行頭取に就任した。頭取在任時は、第三次オンラインシステムを鳥取銀行、沖縄海邦銀行と共同開発にあたったほか、羽後銀行との合併を成功裡にまとめあげた。 1993年の北都銀行発足後には、副会長に就任。
村松 巖(むらまつ いわお、1926年(大正15年)1月1日… 村松 巖(むらまつ いわお、1926年(大正15年)1月1日 - 2010年(平成22年)3月11日)は、日本の銀行家。七十七銀行頭取。 宮城県亘理町出身。東京大学経済学部卒業後、七十七銀行入行。 総務、人事、融資部門を長く担当した実務派で、銀行業務全般に通じた手腕が買われ、1991年に頭取に就任した。 頭取在任時においては、ATMの日曜稼動、7ヶ店の支店出張所の新設など営業基盤の拡充に取り組んだ。 仙台商工会議所会頭時代は、大手の圧力に対して仙台市の伝統である1月2日初売りを堅持する方針を崩さず、元日営業の店舗でも基本的に通常営業にとどめさせ、いわゆる「初売り」は2日に行わせるという方針を徹底させた。
早坂 啓(はやさか けい、1925年(大正14年)9月8日 … 早坂 啓(はやさか けい、1925年(大正14年)9月8日 - 没年不明)は、日本の銀行家。德陽シティ銀行社長を務めた。 早坂順一郎・ともよの長男として、現在の大崎市古川(旧・古川市)で生まれる。 古川高等学校、東海科学専門学校を卒業。1950年に三徳無尽に入社。翌年の相互銀行法の施行に伴い、三徳無尽は「德陽相互銀行」に改称した。入行後、経理、業務各課長、業務部次長を歴任し、1962年4月取締役に選任される。その後、常務、専務、副社長を経て、1980年1月社長に就任した。このほか、東北放送、仙台空港ビル、宮城県開発の各取締役、仙台商工会議所副会頭、仙台経済同友会副代表幹事も務めている。 啓が社長に就任した頃の德陽相互銀行は、東北の相互銀行界ではトップに位置し、全国でも資金量(1986年3月末現在6187億円)では18位で上位グループに属した。
佐藤 智義雄(さとう ちぎお、1920年(大正9年)11月2… 佐藤 智義雄(さとう ちぎお、1920年(大正9年)11月2日 - 2003年(平成15年)3月11日 )は、日本の銀行家、実業家。七十七銀行頭取を務めた。 宮城県仙台市出身。1942年に大倉高等商業学校を卒業。 1946年、七十七銀行に入行。経理部主計課長、企画部企画課長兼調査課長、総務部次長兼総務課長等を歴任。1967年10月に取締役に選任、1969年3月に東京支店長兼東京事務所長委嘱、1970年3月に常務、1982年4月に専務を経て、1987年4月に頭取に就任。1991年6月に会長に退き、1995年6月からは相談役を務めた。 2003年3月11日、心不全のために死去。82歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
氏家 栄一(うじいえ えいいち、1915年(大正4年)12月… 氏家 栄一(うじいえ えいいち、1915年(大正4年)12月12日 - 2002年(平成14年)12月6日)は、日本の銀行家。七十七銀行会長、頭取。 四代目氏家清吉(七十七銀行頭取)の長男として、宮城県伊具郡角田町(現・角田市)に生まれる。 1940年(昭和15年)、短期現役海軍主計科士官(4期)に志願。同年5月、海軍経理学校に入校して海軍主計中尉に任官。同年9月に卒業。重巡「摩耶」庶務主任などを務めた。1945年(昭和20年)5月、海軍主計少佐に進級して終戦を迎えた。 日銀勤務を経て、頭取だった父・清吉の死去に伴い、七十七銀行に副頭取として入行。1970年(昭和45年)には、頭取に昇格する。 トップ在任時においては、経営の近代化に努め、1972年(昭和47年)の東証2部上場(翌年1部に指定替え)、現本店ビルの竣工等を実現。
4代氏家 清吉(うじいえ せいきち、1892年(明治25年)… 4代氏家 清吉(うじいえ せいきち、1892年(明治25年)4月15日 - 1956年(昭和31年)12月14日)は、日本の銀行家。元七十七銀行頭取・会長。
永沢 清之助(ながさわ せいのすけ、1855年(安政2年4月… 永沢 清之助(ながさわ せいのすけ、1855年(安政2年4月)- 1906年(明治39年)6月28日)は、明治時代の政治家、実業家、銀行家、大地主。貴族院多額納税者議員。 陸奥仙台藩領志田郡古川村(古川町、古川市を経て現大崎市古川)に生まれる。1889年(明治22年)古川町会議員に当選したのを皮切りに、志田郡会議員、宮城県農工銀行、同商業銀行、古川馬車鉄道各取締役などを歴任した。 1904年(明治37年)高橋徳右衛門の後を受けて宮城県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から務めたが、在任中に死去した。
飯淵 七三郎(飯渕、いいぶち しちさぶろう、1846年11月… 飯淵 七三郎(飯渕、いいぶち しちさぶろう、1846年11月8日(弘化3年9月20日)- 1926年(大正15年)4月20日)は、明治から大正時代の政治家、銀行家。貴族院多額納税者議員。 素封家・飯淵藤七の長男として陸奥仙台藩領柴田郡船岡村(船岡町を経て現柴田町)に生まれる。1874年(明治7年)11月、家督を相続した。1879年(明治12年)船岡村会議員に当選。翌年、宮城県会議員となる。1893年(明治26年)久保寺豊太郎から仙台の日進学舎を買収し、同校の改革に努めた。ほか、柴田郡会議員、同議長代理などを歴任した。また、農家の指導啓発に尽力するとともに、船岡村農会を設立して肥料購入、資金融資の便宜を図った。
高橋 徳右衛門(たかはし とくえもん、1845年6月20日(… 高橋 徳右衛門(たかはし とくえもん、1845年6月20日(弘化2年5月16日) - 1915年(大正4年)4月28日)は、明治時代の政治家、実業家、銀行家、大地主。貴族院多額納税者議員。幼名・幸治郎。 陸奥仙台藩領栗原郡若柳村(宮城県若柳町を経て現栗原市)に生まれる。1884年(明治17年)若柳村会議員に当選。ついで宮城県会議員、栗原郡会議員、同参事会員のほか、栗原郡岩ヶ崎製糸会社社長、塩釜水産、第八十八銀行各取締役、第七十七銀行監査役などを歴任した。ほか、仙台米穀取引所の設立に関与した。 1900年(明治33年)宮城県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年11月29日から1904年(明治37年)9月28日まで在任した。