佐藤 満彦(さとう みつひこ、昭和8年(1933年) - )… 佐藤 満彦(さとう みつひこ、昭和8年(1933年) - )は、山形県鶴岡市出身の、植物学者、理学博士、東京都立大学 (1949-2011)理学部教授。
山形県:1,217人
佐藤 満彦(さとう みつひこ、昭和8年(1933年) - )… 佐藤 満彦(さとう みつひこ、昭和8年(1933年) - )は、山形県鶴岡市出身の、植物学者、理学博士、東京都立大学 (1949-2011)理学部教授。
佐藤 廣士(さとう ひろし、1933年(昭和8年) - )は… 佐藤 廣士(さとう ひろし、1933年(昭和8年) - )は、山形県鶴岡市出身の、切り絵作家。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
松木 正利(まつのき まさとし、1933年(昭和8年) -2… 松木 正利(まつのき まさとし、1933年(昭和8年) -2018年(平成30年) )は、日本の園芸家、ダリア研究家、東北ダリア作出家協会会長、鶴岡ダリア研究会会長、元荘内日報社編集局長。 庄内農業高等学校在学中にダリアの研究を始め、卒業後は、農業荘内社『農業荘内』主幹、荘内日報社編集局長経て、1952年に「鶴岡ダリア研究会」を発足させて会長に就任、1956年には「東北ダリア作出家協会」を発足して会長に就任し、協会本部を自宅に置いた。 1947年から1965年までの間に、種苗商によって発表・発売された4874品種の全品種を、植物学者の芳賀卓(現・北海道教育大学名誉教授)と共に、カードに書き込んで「ダリア・リスト」を完成させた。
佐竹 十喜雄(さたけ ときお、1933年 - )は、日本の牧… 佐竹 十喜雄(さたけ ときお、1933年 - )は、日本の牧師、神学校教師。国分寺バプテスト教会協力牧師、国内開拓伝道会(KDK)総主事、東京キリスト教学園評議会、聖契神学校牧会学教師。山形県山形市生まれ。 1949年7月10日、保守バプテスト同盟山形第一聖書バプテスト教会でバプテスマ(洗礼)を受ける。1959年、聖書神学舎を卒業、山形第一聖書バプテスト教会牧師に就任。1962年、山形第一聖書バプテスト教会牧師を辞任。山形県新庄市で開拓伝道を開始し、新庄東山バプテスト教会(現保守バプテスト同盟新庄東山教会)を設立。1963年、仙台バプテスト神学校で舎監と教師を務める。1965年 東京都国分寺市で開拓伝道を開始する。
菅 洋(すげ ひろし、1932年12月9日 - )は、日本の… 菅 洋(すげ ひろし、1932年12月9日 - )は、日本の農学者、東北大学名誉教授。農学博士。専門は作物生理学。 山形県鶴岡市生まれ。1955年東北大学農学部卒業。農林省中国農業試験所勤務、1962年農林省農業技術研究所、1966年「大麦の出穂性に関する育種学的研究」で東北大学農学博士。1978年東北大学農学部助教授、82年教授。87年農学研究所長、89年遺伝生態研究センター長。96年定年退官、名誉教授。1983年日本作物学会賞受賞。
鈴木 正雄(すずき まさお、1932年9月18日 - )は、… 鈴木 正雄(すずき まさお、1932年9月18日 - )は、日本の実業家。ソープランド32軒や宝石店やボクシングジム、不動産会社、バスタオル洗濯会社などを擁する角海老グループの創業者・経営者で「ソープの帝王」と呼ばれる。 富裕な家具屋と妾の間に生まれ、山田家の養子となる。東京府東京市金曾木国民学校(現:台東区立金曾木小学校)を経て、1945年4月、旧制開成中学校(現:開成中学・高校)に入学。同年5月、山形県に疎開し、旧制山形中学校(現:山形県立山形東高等学校)に転入。 第二次世界大戦後、東京に戻るが、実家と養家の没落に伴い実母の元に戻り、困窮生活を送り、アルバイトをしながら旧制開成中学校に3年間学ぶ。
笹原 信一郎(ささはら しんいちろう、1932年(昭和7年)… 笹原 信一郎(ささはら しんいちろう、1932年(昭和7年)7月26日 - 2022年(令和4年)3月14日)は、日本の銀行家。富士銀行取締役、荘内銀行頭取、鶴岡商工会議所会頭を務めた。 鶴岡の名門である笹原家に生まれる。父の笹原儀三郎は、鶴岡南高校長等を歴任した。 東大法学部卒業後、富士銀行入行。同行時代は支店10年、大企業向けホールセール10年、本部企画業務に10年、それぞれ従事した。1986年(昭和61年)には、頭取在任14年となった玉城俊一が代表権のない会長に退いたため、招聘され荘銀頭取に就任した。 頭取在任時は、金融の自由化や国際化に対応した。一方で、庄内地方における農業経済の不振や、山形県内陸部との経済格差拡大に伴い、経営は苦戦を強いられた。
鈴木 実(すずき みのる、1932年7月16日 - )は、日… 鈴木 実(すずき みのる、1932年7月16日 - )は、日本の児童文学作家、教育者。山形童話の会代表、羽陽学園短期大学非常勤講師。 山形県山形市出身。山形二中(現・山形県立山形南高等学校)の文芸部では芳賀秀次郎から教えを受ける。 早稲田大学第一政治経済学部および山形大学教育学部卒業。早大在学中に早大童話会に参加。古田足日らと交流を持つようになり、1953年に古田とともに県内文学界の中心で活動していた須藤克三を訪ね、地域の児童文学を盛んにするために山形童話の会を創立。同士とともに、「もんぺの子」を創刊した。「もんぺの子」は戦前、山形で綴り方教育を普及させた国分一太郎が学級文集として出していた「もんぺ」「もんぺの弟」にちなんだもの。
山形 英夫(やまがた ひでお、本名:新国英夫。1932年5月… 山形 英夫(やまがた ひでお、本名:新国英夫。1932年5月10日 - )は、日本の歌手である。本名の新国英夫の表記もある。
高橋 俊龍(たかはし しゅんりゅう、1932年3月9日 - … 高橋 俊龍(たかはし しゅんりゅう、1932年3月9日 - 2019年2月18日)は、日本の地方公務員。東京都港湾局長や、東京都副知事、東京都競馬代表取締役社長、ゆりかもめ代表取締役社長などを歴任した。 山形県西置賜郡白鷹町出身。山形県立長井高等学校を経て、1954年東京教育大学教育学部卒業。1966年中央区教育委員会事務局社会教育課長。1967年中央区教育委員会事務局学務課長。1969年中央区総務部財務課長。1971年東京都総務局人事部給与課長。1972年東京都総務局人事部調査課長。1976年東京都監察員。1977年東京都公害局参事。1979年東京都総務局勤労部長。1982年東京都総務局総務部長。
渡辺信夫(わたなべ のぶお、1932年2月18日-2001年… 渡辺信夫(わたなべ のぶお、1932年2月18日-2001年1月15日)は、日本の日本史学者。 山形県西村山郡河北町生まれ。1957年東北大学大学院国史学修士課程修了。福島工業高等専門学校助教授、1967年東北大学文学部助教授、教授、文学部長。 1995年、定年退官、名誉教授、放送大学教授。 交通・流通史研究を軸とした近世東北地域史研究を専攻とした。 1967年、東北大学より文学博士の学位を取得。
高橋 達也(たかはし たつや、本名:高橋 達朗(たかはし た… 高橋 達也(たかはし たつや、本名:高橋 達朗(たかはし たつろう)、1931年12月27日 - 2008年2月29日)は、日本のジャズ・テナーサックス奏者、バンドリーダー。 山形県鶴岡市生まれ。1951年、仙台の米軍キャンプでプロデビューしその後上京する。1964年にビッグバンド「東京ユニオン」に加入、1966年には4代目バンドリーダーに就任、「高橋達也と東京ユニオン」として名実共に日本一のビッグバンドに成長させる。 1977年、三木敏悟作品アルバム『北欧組曲』でスイングジャーナルジャズディスク大賞、日本ジャズ賞受賞。1978年・1980年、モントルー・ジャズ・フェスティバル出演。1980年代を中心にテレビ音楽を始め数々の演奏を行ってきたが、人気絶頂の1989年11月に心筋梗塞に倒れ緊急入院。
土田 浩(つちだ ひろし、1931年12月10日 - 200… 土田 浩(つちだ ひろし、1931年12月10日 - 2009年8月28日)は、日本の政治家・酪農家。満洲出身。酪農学園短期大学通信課程卒。青森県六ヶ所村村長(1989年-1997年)。 山形県立酒田東高等学校卒業後、18歳で青森県上北郡六ヶ所村の「庄内地区」に入植。酪農業を手がけ、青森県酪農協会連合会会長や庄内酪農協同組合理事長も務めた。1975年から六ヶ所村村議会議員を連続4期務め、1989年に核燃料サイクル施設の工事凍結を公約に六ヶ所村長選挙に無所属で出馬し六ヶ所村長に初当選。以後連続2期8年を務めた。村長就任後は、使用済み核燃料再処理工場など核燃料サイクル事業推進へ方針転換し、ITER(国際熱核融合実験炉)の誘致にも関わった。
深沢 宏(ふかざわ ひろし、1931年10月9日 - 198… 深沢 宏(ふかざわ ひろし、1931年10月9日 - 1986年8月26日)は、日本の歴史学者・経済学者。専攻は南アジア史。学位は、博士(ラクナウ大学)。元一橋大学教授。日経・経済図書文化賞受賞。 山形県酒田市生まれ。大連市富士小学校、大連市上葭国民学校、大連中学校、広島陸軍幼年学校、横手中学校(現秋田県立横手高等学校)を経て、1948年熊本県立中学済々黌(現熊本県立済々黌高等学校)を卒業し、東京商科大学(現一橋大学)専門部入学。1953年一橋大学経済学部卒業、1955年一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。1956年からインド政府給費留学生としてラクナウ大学大学院経済学研究科博士課程に留学。
早坂 忠(はやさか ただし、1931年9月25日 - 199… 早坂 忠(はやさか ただし、1931年9月25日 - 1995年7月10日)は、日本の経済学史・経済思想史学者。 山形県山形市生まれ。東京大学教養学科卒業、大学院社会科学研究科理論経済学専攻博士課程単位取得退学(木村健康に師事)。1958年、東京大学教養学部助手。外国語部会英語科の講師、助教授を経て、1983年8月、教授。1990年3月、定年を待たずに退職し、4月より学習院大学経済学部教授、1992年5月、退職。1995年、叙正四位、叙勲三等授瑞宝章。 ケインズを中心に研究を行っていたが、東大では教養学部の英語科に所属しており、経済学ではなく英語の教授だった。
相馬健一(そうま けんいち、1931年(昭和6年)8月13日… 相馬健一(そうま けんいち、1931年(昭和6年)8月13日 - )は、日本の実業家。元山形新聞社社長、会長。
渋谷孝(しぶや たかし、1931年6月− 2019年11月2… 渋谷孝(しぶや たかし、1931年6月− 2019年11月25日)は、日本の文学研究者、国文学・日本語教育学者、宮城教育大学名誉教授。 山形県長井市生まれ。山形師範学校、東北大学文学部国文学科卒業、同大学院国文学国語学専修博士課程中退。新潟大学助教授、教授、79年宮城教育大学教授。1997年定年退官。この間附属小学校長、附属図書館長。東北地区国語教育研究協議会会長。2012年、瑞宝中綬章受章。2019年死去。叙正四位。 はじめ平安朝文学を専攻したが、国語科教育と文学の関係に疑問を抱き、多くの著作を著す。
芳賀 徹(はが とおる、1931年5月9日 - )は、日本の… 芳賀 徹(はが とおる、1931年5月9日 - )は、日本の文学研究者、比較文学者。国際日本文化研究センター・東京大学名誉教授、京都造形芸術大学名誉学長。
植松 要作(うえまつ ようさく、1931年5月7日 - 19… 植松 要作(うえまつ ようさく、1931年5月7日 - 1988年1月16日)は、日本の児童文学作家。 山形県北村山郡東根町(現東根市)出身。村山農学校卒。 自身が営む果樹園が第二次世界大戦中に日本軍に接収された。さらに戦後、新たに開墾したリンゴ園はアメリカ軍によって接収された。このため土地の奪還を図るため大高根基地(現:陸上自衛隊神町駐屯地大高根演習場及び在日米軍神町大高根演習場)反対闘争に参加。1961年には、この経緯を共同執筆した児童文学作品である『山が泣いてる』で第1回日本児童文学者協会賞を受賞。『山が泣いている』と誤記されることがある。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
吉村 和夫(よしむら かずお、1931年〈昭和6年〉4月18… 吉村 和夫(よしむら かずお、1931年〈昭和6年〉4月18日 - 2003年〈平成15年〉8月20日)は、日本の政治家。元山形市長(第16代、1期)。 山形県山形市出身。山形県立山形南高等学校を経て、山形大学文理学部を卒業する。 鹿野彦吉衆議院議員秘書を16年あまり務め、1971年(昭和46年)の山形県議選で初当選。以後通算6期、山形市選挙区にあっては、常にトップでの当選を果たした。またその間には、県議会副議長を務めたほか、自民党県連政調会長、同副会長も歴任をした。しかし、秘書時代から世話をしてきた鹿野道彦が政治改革を巡って、自民党を離党をしたことに伴い自身も離党した。 山形市長選には、金澤忠雄を対抗馬にして1986年(昭和61年)、1990年(平成2年)と出馬するも落選。
富塚 陽一(とみづか よういち、1931年(昭和6年)4月1… 富塚 陽一(とみづか よういち、1931年(昭和6年)4月16日 - 2018年(平成30年)6月18日)は、日本の政治家。初代鶴岡市長、旧鶴岡市12代市長。2011年旭日中綬章受章。 鶴岡市出身。東北大学経済学部を卒業後、山形県庁に入庁。企画調整部長等を歴任。 1991年、旧鶴岡市の市長選で初当選。以後5期18年にわたって市長を務めた。市長在任中には、学術研究機関の整備による地域振興を政策理念の柱にとし、慶應義塾大学先端生命科学研究所の招致などに尽力した。「官僚的な人物だった」と一部では評価されている。 2011年、旭日中綬章受章。 2018年6月18日、肺炎のため鶴岡市内の病院で死去。87歳没。
上野 建一(うえの けんいち、1931年2月25日 - )は… 上野 建一(うえの けんいち、1931年2月25日 - )は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(2期)。 山形県鶴岡市生まれ。1945年2月に、海軍少年兵に志願して、防府海軍通信学校に入った。復員後、鶴岡市役所土木課に勤める。県立鶴岡高等学校(現・山形県立致道館高等学校)定時制在学中に社会党に入党した。1953年、高校を卒業した。同年、上京して『社会タイムス』の記者となった。『社会タイムス』が1954年に休刊すると同年社会主義協会に入局、『社会主義』編集などに携わる。明治大学法学部中退。1962年10月に社会主義協会を退職した。 1963年千葉県議に当選し4期務めた。三里塚闘争初期において小川国彦らとともに支援活動を行う。
多田 省吾(ただ しょうご、1931年〈昭和6年〉2月18日… 多田 省吾(ただ しょうご、1931年〈昭和6年〉2月18日 - 2010年〈平成22年〉9月4日)は、日本の政治家。山形県山形市出身。東北大学工学部化学工学科卒業。参議院議員(4期)。 1931年2月18日、山形県山形市に生まれる。 1953年、東北大学工学部化学工学科を卒業し、聖教新聞社に勤める。 1965年7月4日、第7回参議院議員通常選挙に、全国区から、公明党公認で立候補し、初当選(以降4回)する。 1970年代に、公明党副委員長に就任し、15年以上に渡り務める。公明党参議院議員団長の二宮文造の後任として、公明党参議院議員団長に就任する。日中国交正常化交渉の際、第2次、第3次訪中団に参加する。
富樫 実(とがし みのる、1931年(昭和6年)1月2日 -… 富樫 実(とがし みのる、1931年(昭和6年)1月2日 - 2020年11月25日)は、日本の彫刻家。成安造形大学名誉教授、櫛引町名誉町民(現・鶴岡市名誉市民)。第47代横綱柏戸剛は再従兄弟にあたる。
船岡末利(ふなおか すえとし、1931年 - )は、日本のフ… 船岡末利(ふなおか すえとし、1931年 - )は、日本のフランス文学者。山形県鶴岡市生まれ。1954年東北大学経済学部卒業。大手商社勤務ののち、66年から68年までパリ大学に留学、フランス文明、現代文学でディプロマ取得。71年京都大学文学研究科仏語学仏文学専攻修士課程修了。仏語非常勤講師。79年東海大学外国語教育センター助教授、85年教授。97年定年退職。
五十嵐 卓三(いがらし たくざん、1931年 - )は、日本… 五十嵐 卓三(いがらし たくざん、1931年 - )は、日本の僧侶。山形県鶴岡市善寶寺第42世住職(前住職)。鶴岡市湯野浜乗慶院25世。大本山總持寺顧問。前大本山總持寺西堂。 鶴岡市生まれ。駒澤大学大学院修士課程修了。曹洞宗教化研修所研修員、乗慶院住職、京都大学特別研修員を歴任。国立鶴岡工業高等専門学校、鶴岡市立荘内看護専門学校にて哲学・心理学を20年にわたり講義を行う。発表論文多数。1983年から2000年までヨーロッパでの講義・講演に招聘された。 2010年に善寶寺42世住職となる。大本山總持寺顧問。令和4年(2022年)4月、退董し善宝寺東堂となる。 著書に『瑩山思想の本質―瑩山禅師の垂語参究』『道元思想の本質―道元禅師の垂語参究』などがある。 「国立国会図書館サーチ」を参照 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。
横山 昭男(よこやま あきお、1930年10月16日 - 2… 横山 昭男(よこやま あきお、1930年10月16日 - 2022年11月30日)は、日本の歴史学者、山形大学名誉教授。日本近世史(藩政史・交通史)専攻。 山形県北村山郡大石田町生まれ。1960年東北大学大学院文学研究科修士課程修了。山形大学助教授、教授、1996年定年退官、名誉教授。1981年「近世河川水運史の研究 最上川水運の歴史的展開を中心として」で東北大学より文学博士。 2022年11月30日、老衰のため山形市の病院で死去、92歳。
渡部 昇一(わたなべ しょういち、1930年〈昭和5年〉10… 渡部 昇一(わたなべ しょういち、1930年〈昭和5年〉10月15日 - 2017年〈平成29年〉4月17日)は、日本の英語学者、哲学者。歴史論・政治・教育・社会評論家。上智大学名誉教授。 専攻は英語文法史。学位はミュンスター大学(ヴェストファーレン・ヴィルヘルム大学)哲学博士。ミュンスター大学名誉哲学博士。公益財団法人日本財団評議員。 山形県鶴岡市出身。旧制山形県立鶴岡中学校在学中に学制改革が実施され、1949年に山形県立鶴岡第一高等学校(現・山形県立鶴岡南高等学校)を卒業。なお同校は新制高等学校であるが、渡部は「私にとっての友達をつくる上で一番よかった時代は、やはり旧制高校に通っていたときだと思う」「旧制高校には各地域から選ばれた優秀な人間が集まってきていたので、周りを見渡せば『すごい』と思える人間ばかりだった」と回顧している。
鷹羽 狩行(たかは しゅぎょう、1930年(昭和5年)10月… 鷹羽 狩行(たかは しゅぎょう、1930年(昭和5年)10月5日 - 2024年(令和6年)5月27日)は、日本の俳人、日本芸術院会員。本名・髙橋行雄(たかはし ゆきお)。 山形県出身。山口誓子と秋元不死男に師事。「狩」を創刊・主宰。知的な構成でウィットに富む句風で現代社会を描く。第一句集『誕生』(1965年)のほか、『月歩抄』(1977年)、『十五峯』(2007年)など。 山形県新庄市生まれ。父は土木技師。父の仕事の関係で、少年期を旧豊田郡瀬戸田町(尾道市)で育ち、1943年、旧制尾道商業高校に入学。1946年、同校の教師新開千晩の教えを受け、校内俳句雑誌「銀河」で俳句を始める。1947年より佐野まもる「青潮」に投句。
星川 保松(ほしかわ やすまつ、1930年(昭和5年)8月2… 星川 保松(ほしかわ やすまつ、1930年(昭和5年)8月20日 - )は、日本の政治家。尾花沢市議会議員、山形県議会議員、尾花沢市長を歴任。その後参議院議員を1期務め、民主改革連合常任幹事(代表)として細川内閣の連立に参加し、日本社会党に移籍。落選後は、民主党山形県連代表代行、同顧問などを歴任。勲三等旭日中綬章。
丹羽 厚悦(にわ こうえつ、1930年〈昭和5年〉8月12日… 丹羽 厚悦(にわ こうえつ、1930年〈昭和5年〉8月12日 - 2023年〈令和5年〉6月23日)は、日本の銀行家。元山形銀行頭取。 山形県山形市出身。福島経済専門学校(のち福島大学経済学部、現在の同大学人文社会学群経済経営学類)卒業後、両羽銀行(現在の山形銀行)入行。 1993年(平成5年)、8年あまり頭取を務めた三浦新の後任として昇格する。これは戦後初めて、創業家である三浦家、長谷川家以外での頭取就任となった。 2005年(平成17年)には在任12年を迎えたこと、じゅうだん会による新システムも稼動となったことから、長谷川吉茂専務に大政奉還し顧問に退いた。その堅実な経営手腕には定評があった。
髙橋 和雄(たかはし かずお、1930年〈昭和5年〉7月28… 髙橋 和雄(たかはし かずお、1930年〈昭和5年〉7月28日 - 2022年〈令和4年〉1月8日)は、山形県の政治家。山形県知事(在任期間・1993年〈平成5年〉2月14日 - 2005年〈平成17年〉2月14日)。山形県山形市出身。 旧制山形中学(現:山形県立山形東高等学校)、東北大学法学部を経て同大学院を修了。山形銀行頭取を務めた丹羽厚悦は、旧制山形中学で同学年で親しき仲だった。 1953年(昭和28年)に山形県庁に入庁。 東京事務所長、 農林水産部長、 教育長等を歴任後、1986年(昭和61年)副知事に就任し、1988年(昭和63年)秋、病に倒れた板垣清一郎知事が東京・虎の門病院に2ヶ月余り入院した際には板垣に代わり県政の指揮を執った。
深瀬 鋭次郎(ふかせ えいじろう、1930年7月28日 -2… 深瀬 鋭次郎(ふかせ えいじろう、1930年7月28日 -2025年5月7日 )は、日本の技術者[要出典]、企業経営者である。株式会社三和エレック(後のサンワコムシスエンジニアリング株式会社)にて社長、会長を務めた。美術評論家の深瀬鋭一郎は子にあたる。 山形県上山市出身。1954年、東北大学工学部土木工学科を卒業し日本電信電話公社(後のNTTグループ)へ入社。1977年、同公社にて建設技術開発室長に任じられる。1980年、日本通信建設株式会社(後の日本コムシス株式会社)へ入社し、1982年に取締役土木部長、1990年6月には専務取締役安全品質管理本部長となる。 1993年、三和大榮電気興業株式会社へ入社し、同年6月、社長に就任。
菊地 隆知(きくち りゅうち、1930年2月28日 - 20… 菊地 隆知(きくち りゅうち、1930年2月28日 - 2018年11月3日)は日本の版画家。山形県長井市出身。版画家棟方志功の兄弟弟子(版画家平塚運一に師事)。古民家、廃屋などの田舎の風景、子ども、最上川や雪景色など郷土の風景を題材とした作風で知られる。 その他、山形県長井市の文化誌、月刊「芳文」の表紙を長らく担当した。
佐藤 久一(さとう きゅういち、1930年1月5日 - 19… 佐藤 久一(さとう きゅういち、1930年1月5日 - 1997年1月23日)は、日本の実業家。山形県酒田市生まれ。酒田商業に入学後、酒田中学校に編入学。日本大学芸術学部中退。 父、久吉は日本酒醸造元「金久(きんきゅう)酒造」を経営、市議会議長、商工会会頭などを歴任、テニスの振興に尽力するなど、名家の主として知られる。 久一は、大学中退後、20歳で映画館「グリーンハウス」支配人に就任。洋画専門館として名を馳せる。淀川長治や荻昌弘が羨んだという映画館だった。1964年には映画館の職を辞して、上京、日生劇場に勤務。同劇場の劇場課、のち食堂課に勤務。1967年8月、父、久吉の求めで酒田に戻り、以後、「レストラン欅」、「ル・ポットフー」の支配人として活躍。
山澤 進(やまざわ すすむ、1930年(昭和5年)1月5日 … 山澤 進(やまざわ すすむ、1930年(昭和5年)1月5日 - 2025年(令和7年)5月4日)は、日本の実業家。ヤマザワ名誉会長。2010年旭日小綬章受章。 山形県山形市出身。6人兄弟の3男として生まれる。 1952年に東根町(現:東根市)に山澤薬局を開業。1962年にヤマザワを設立し、山形駅前大通りに県内初のスーパーマーケットを開業する。以来、多店舗化を進め、山形県を代表するスーパーマーケットチェーンに育て、1994年に株式を店頭公開した(2005年、東証2部を経て同1部に指定替え)。2007年に代表取締役会長に退く。 2019年2月20日、山澤を含む社内取締役9人と社外取締役2人の全員出席で開かれた取締役会で、山澤の代表権解任の緊急動議が出され、山澤を除き、賛成9人、反対1人で可決され、取締役会長となった。
板垣 昭一(いたがき しょういち、1930年(昭和5年) -… 板垣 昭一(いたがき しょういち、1930年(昭和5年) - 2014年(平成26年)[要出典])は、日本の小説家、国語教育研究者。 元中学校国語教師、機関誌『教育国語』元編集員。山形県鶴岡市宝町在住。 1930年(昭和5年)、山形県鶴岡市生まれ。 1990年、余目町立余目中学校(現・庄内町立余目中学校)を最後に教員を定年退職。 2007年、小説「北のはざま」で、第23回「真壁仁・野の文化賞」受賞。 小説家としての代表作には、歴史小説の『北辰軸』と、その続編の『北のはざま』があり、ともに主人公は庄内藩藩士の松本十郎である。小説『北のはざま』では第23回「真壁仁・野の文化賞」を受賞した。 国語教育研究者としては、長く教育科学研究会・国語部会の会員として活動し、読み方教育における「2次読み」の研究を続けている。
茂木 清夫(もぎ きよお、1929年(昭和4年)12月28日… 茂木 清夫(もぎ きよお、1929年(昭和4年)12月28日 - 2021年(令和3年)6月6日)は、日本の地震学者・火山学者。専門分野は、固体地球物理・地震学・岩石力学。地震の発生機構および地震予知に関心を持ち、地震学および地震予知の権威である。地震学・火山学の研究における数々の業績を残した。東京大学名誉教授。元日本大学教授、元地震予知連絡会会長。山形県出身。 1929年(昭和4年)、山形県谷地町南町(現河北町谷地)に生まれる。旧制寒河江中学・山形高等学校を経て、1953年(昭和28年)に東京大学理学部(地球物理学科)を卒業。同年に三菱鉱業に入社し、1954年(昭和29年)に東京大学助手となる。
風間 吉也(かざま きちや、1929年12月21日 - )は… 風間 吉也(かざま きちや、1929年12月21日 - )は、日本の医師、医学博士、開業医、風間病院院長、酒田風間氏分家・東美系の一族。
石井 米雄(いしい よねお、1929年10月10日 - 20… 石井 米雄(いしい よねお、1929年10月10日 - 2010年2月12日)は、日本の歴史学者。京都大学名誉教授、神田外語大学名誉教授。文化功労者。専門は東南アジア史、特にタイ王国研究。 1929年、東京生まれ。1945年3月、山形県飽海郡高瀬村(元遊佐町)に疎開。疎開先の酒田中学校で学びつつ、帝国石油の油田で勤労動員に応じた。戦後の1947年東京に戻り、旧制早稲田第一高等学院(1949年学制改革後、早稲田大学に移行)に入学するも、東京工業大学の言語学者小林英夫の言語学講義にのめり込み、その中でその後に学び続けることになるタイ語やラテン語など言語研究やタイ語学者松山納など研究者と出会うことになった。
近藤 鉄雄(近藤 鐵雄、こんどう てつお、1929年8月11… 近藤 鉄雄(近藤 鐵雄、こんどう てつお、1929年8月11日 ‐ 2010年3月4日)は、日本の政治家。位階は正三位。自由民主党衆議院議員。三木派・河本派に所属した。愛称は「コンテツ」。 母の実家のあった現在の山形県南陽市で生まれ、米沢市で育った。父の道雄は海軍軍人で、近藤が小学校3年時に37歳で戦死した。以後、織物工場の寮母となった母の手ひとつで育てられた。 海軍兵学校(77期)、高等商船学校を経て1953年3月に一橋大学経済学部を卒業。マルクス経済学の杉本栄一ゼミ出身。在学中は、ゼミの同期の宮川公男(一橋大学名誉教授)、玉井龍象(金沢大学名誉教授)とともに、日曜日朝から杉本の家で開かれるゼミで、杉本の指導の他、ゼミの特別研究生であった伊東光晴(京都大学名誉教授)や浅野栄一(中央大学名誉教授)、ゼミOBの宮崎義一(京都大学名誉教授)、宮崎犀一(元東京女子大学教授)からも指導を受けた。
笹原 正三(ささはら しょうぞう、1929年(昭和4年)7月… 笹原 正三(ささはら しょうぞう、1929年(昭和4年)7月28日 - 2023年(令和5年)3月5日)は、日本の元アマチュアレスリング選手。山形県山形市出身。 中央大学でレスリングを始め、1956年メルボルンオリンピックで日本選手団の旗手を務め、レスリング競技(フリースタイル・フェザー級)で金メダルを獲得、得意技は「またさき」であった。東京オリンピックではフリースタイルのコーチを務めた。 国際レスリング連盟副会長、JOC副会長、1995年夏季ユニバーシアード団長、シドニーオリンピック日本選手団副団長などを歴任し、1989年から2003年まで日本レスリング協会会長に就いた。2006年には国際レスリング連盟殿堂に表彰された。
遠藤 登(えんどう のぼる、1929年4月27日 - 201… 遠藤 登(えんどう のぼる、1929年4月27日 - 2011年9月14日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(2期)を経て、山形県天童市長(3期)を務めた。2009年旭日重光章。2011年従四位。 山形県天童市の農家に生まれる。1950年山形県立天童高等学校定時制卒。 青年団活動を経て、30歳で天童市議に初当選。4期務めた後、山形県議に転身し4期務める。 1990年の総選挙で旧山形1区から立候補し、当選。1993年の総選挙で再選。衆議院議員を2期務める。第一次橋本内閣で通商産業省政務次官を担う。 初の小選挙区比例代表並立制が用いられた1996年10月の第41回衆議院議員総選挙に立候補せず、次期天童市長選への出馬に向け準備を進める。
山口彦之(やまぐち ひこゆき、1929年2月2日- 2019… 山口彦之(やまぐち ひこゆき、1929年2月2日- 2019年7月8日)は、日本の遺伝子農学者。農学博士(1961年)。東京大学名誉教授。 山形県酒田市出身。1953年東京大学農学部卒、同大学院修了、1961年農学博士。1962年東大農学部助教授、1970年教授。1976-78年同大原子力総合研究センター所長併任、1989年定年退官、名誉教授となり、駒澤短期大学放射線科教授を務めた。酒田市・庄内バイオ研修センター所長。日本生物環境工学会初代会長。世界平和教授アカデミー代表理事。米、大麦の突然変異を研究した。
庄司 和晃(しょうじ かずあき、1929年2月 - 2015… 庄司 和晃(しょうじ かずあき、1929年2月 - 2015年5月5日)は日本の教育実践家・教育学者。本名は庄司宗晃(しょうじむねあき)。 1929年山形県西村山郡本郷村葛沢(現、大江町葛沢)で生まれる。生家は曹洞宗の寺院で、父親はその住職。山形県立寒河江中学校に入学したが、予科練を志願し、その後小松海軍航空隊に転勤。一時期、藤沢市の日本精工に動員される。その後、中学校を卒業し、山形師範学校入学。卒業後、1948年より長井市豊田小学校に赴任。翌1949年に成城学園初等学校に教諭として転職。当時、成城学園にて社会科構想を説いていた柳田國男に師事する。1955年日本大学文学部(現、文理学部)宗教学科卒業。
中島 春雄(なかじま はるお、1929年〈昭和4年〉1月1日… 中島 春雄(なかじま はるお、1929年〈昭和4年〉1月1日 - 2017年〈平成29年〉8月7日)は、日本の俳優、スーツアクター、スタントマン。愛称は春ちゃん。山形県酒田市出身。趣味・特技は水泳、潜水、スキューバ・ダイビング、柔道。 実家は食堂を兼ねた肉屋で、5人兄弟の三男(末子)だった。水泳・素潜りが得意で、のちのゴジラ役では大いにこれが役立った。三男坊で家業は継げず、父親の死去や中学受験に失敗したことなども重なり、小学校卒業後に横須賀へ移る。 1943年(昭和18年)、14歳で横須賀の海軍航空技術廠の養成所に入る。 1944年(昭和19年)、養成員(予科錬)となり、航空母艦信濃の発着機部(カタパルト担当)配属となる。
28代 木村 庄之助(にじゅうはちだい きむら しょうのすけ… 28代 木村 庄之助(にじゅうはちだい きむら しょうのすけ、1928年12月15日 - 2010年4月1日)は大相撲の立行司の一人である。木村庄之助としての在位期間は1991年1月~1993年11月。山形県鶴岡市出身。出羽海部屋所属。本名は後藤悟(ごとう さとる)(旧姓・赤松-あかまつ)。平成の名行司と謳われている。 史上屈指の名行司であった松翁20代木村庄之助に入門。1938年5月に9歳で木村松尾の名で初土俵を踏み、当時は「豆行司」と呼ばれて人気を博したという。のちに松翁の養子となる。松翁の死後に22代庄之助の預かり弟子となった。 1947年式守松男時代より場内アナウンスを担当。 1949年5月に師匠の22代庄之助の前名である林之助(式守林之助)を名乗る。
伊藤 茂(いとう しげる、1928年3月2日 - 2016年… 伊藤 茂(いとう しげる、1928年3月2日 - 2016年9月11日)は、日本の政治家。 運輸大臣(第67代)、衆議院議員(8期)、日本社会党政策審議会長(第12代)、社会民主党副党首、同幹事長、同政策審議会長を歴任した。 山形県最上郡舟形町出身。舟形小学校、新荘中(現:山形県立新庄北高等学校)を経て、陸軍予科士官学校在籍(久保亘、高沢寅男、奥田敬和らと同期)。復員し旧制山形高等学校を経て、1952年東京大学経済学部経済学科を卒業。大学在学中に日本社会党に入党し、恩師大内力東大教授の勧めにより党本部に勤務する。社会党本部職員時代は安保改定阻止国民会議事務局次長、党中央執行委員、国民運動局長を歴任。
粒来 哲蔵(つぶらい てつぞう、1928年1月5日 - 20… 粒来 哲蔵(つぶらい てつぞう、1928年1月5日 - 2017年6月2日)は、日本の詩人。 山形県米沢市生まれ。1934年福島県郡山市に転居。福島師範学校卒業。1952年古河第一小学校教諭。1954年上京し、『歴程』同人。弓月煌の筆名を用いる。1960年詩集『舌のある風景』で第2回晩翠賞、1972年『詩集 孤島記』でH氏賞、1977年『望楼』で高見順賞、2002年『島幻記』で現代詩人賞、2012年『蛾を吐く』で第63回読売文学賞詩歌俳句賞受賞。藤村記念歴程賞選考委員、尚美学園短期大学教授、白鷗大学教授を歴任。 母方の従弟に粕谷栄市がいる。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
中村 晃(なかむら あきら、1928年 - )は、日本の歴史… 中村 晃(なかむら あきら、1928年 - )は、日本の歴史小説作家。山形県寒河江市生まれ。東北大学文学部哲学科卒業。山形市芸術文化協会理事。 1986年(昭和61年)直江兼続の軍略と生涯を描いた『大軍師直江山城守』にてデビュー。主に史実に取材した歴史小説を手掛ける。『量の次代』『諸行無常の歌』で青鷗賞準賞受賞。明治以降の政治家・軍人の生涯を描いた小説作品が多く、古典作品の現代語訳も手掛ける。 ※ 単行本の刊行順に記す。