武田 陸玖(たけだ りく、2005年6月6日 - )は、山形… 武田 陸玖(たけだ りく、2005年6月6日 - )は、山形県天童市出身のプロ野球選手(投手、外野手)。左投左打。横浜DeNAベイスターズ所属。 天童市立成生小学校で1年生の時に成生ファイヤードラゴンズで野球を始め、6年時には東北楽天ゴールデンイーグルスジュニアでプレーした。天童市立第四中学校では軟式野球部に所属していた。 山形県立山形中央高等学校に進学し、1年春からベンチ入り。同年秋からエースを務め、投手の他に一塁手や外野手を務める二刀流として活躍した。2年夏の山形大会は決勝で鶴岡東に2-3で、3年夏の山形大会でも決勝に進出したが、日大山形に4-6でいずれも敗れ、3年間で甲子園大会出場はなかった。
菅井 信也(すがい しんや、2003年6月28日 - )は、… 菅井 信也(すがい しんや、2003年6月28日 - )は、山形県南陽市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。埼玉西武ライオンズ所属。 南陽市立赤湯小学校3年時に赤湯ワイルドキッズで野球を始める。南陽市立赤湯中学校では軟式野球部に所属。 中学卒業時は、日本大学山形高等学校か山本学園高等学校(※現 惺山高等学校)のどちらに進学するか迷っていたが、「指導が合いそうなのでプロに行ける可能性が高まる」とし、山本学園への進学を決意。同校では1年夏からベンチ入りし、秋からエースナンバーを背負う。3年夏の山形大会では3回戦で羽黒と対戦して敗退するが、15イニングを投げ30個の三振を奪った。 プロ志望届を提出し、2021年10月11日に開催された2021年度ドラフト会議で埼玉西武ライオンズから育成3巡目で指名を受けた。
村上 舜(むらかみ しゅん、2001年11月1日 - )は、… 村上 舜(むらかみ しゅん、2001年11月1日 - )は、山形県米沢市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。NPBでは育成選手であった。 小学生から「米沢東部スポーツ少年団」で軟式野球を始め、米沢市立第五中学校では同校の軟式野球部に所属する。 高校は山形市の山形県立山形中央高等学校に進学。1年生の夏から先発投手を任される。甲子園出場経験は無いが、1年生の夏と3年生の夏に県大会決勝に進出する。3年生の夏の第101回全国高等学校野球選手権山形大会決勝戦、対鶴岡東高等学校戦において、5回途中からリリーフ登板するが11対7で敗れた。高校の2学年先輩に大泉周也、1学年先輩に佐藤智輝がいた。 2019年10月17日に行われたプロ野球ドラフト会議にて、福岡ソフトバンクホークスから育成ドラフト7巡目で指名され、11月13日、山形市内にて入団交渉を行い、支度金300万円、年俸360万円(金額は推定)で契約合意に達し、12月5日、福岡市内のホテルで入団発表会見が行われた。
伊藤 海斗(いとう かいと、2001年4月2日 - )は、山… 伊藤 海斗(いとう かいと、2001年4月2日 - )は、山形県飽海郡遊佐町出身の元プロ野球選手(外野手)。左投左打。 遊佐町立遊佐中学校時代は軟式野球部に所属。3年夏は山形県大会に優勝。 酒田南高校では1年夏からベンチ入りも、甲子園出場はなかった。高校通算36本塁打。 2019年10月17日に行われたプロ野球ドラフト会議において読売ジャイアンツからドラフト6巡目で指名され、11月14日に契約金3000万円、年俸540万円で仮契約した。背番号は97。担当スカウトは柏田貴史。 2020年は、イースタン・リーグ38試合に出場し、打率.234、0本塁打、5打点の成績だった。オフに、現状維持の推定年俸540万円で契約を更改した。
佐藤 智輝(さとう ともき、2000年6月5日 - )は、山… 佐藤 智輝(さとう ともき、2000年6月5日 - )は、山形県寒河江市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 寒河江市立南部小学校では小学校4年生時に寒南ガッツで野球を始め、寒河江市立陵南中学校では軟式野球部に所属。 山形中央高校進学後、1年夏からベンチ入りし、2年夏には主力投手として活躍。山形県大会決勝まで進んだが、日大山形高校に敗れ、甲子園には届かなかった。3年夏は山形県大会3回戦で新庄北高校に敗れた。 2018年10月25日に行われたドラフト会議では、東北楽天ゴールデンイーグルスから5位指名を受け、契約金3000万円、年俸600万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は61。 2019年は、イースタン・リーグで2試合に登板し、0勝0敗、防御率0.00を記録した。
吉住 晴斗(よしずみ はると、2000年3月12日 - )は… 吉住 晴斗(よしずみ はると、2000年3月12日 - )は、山形県鶴岡市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 鶴岡市立朝暘第五小学校3年時から「大宝寺スターファイブ」で軟式野球を始め、中学生になってすぐにシニアのクラブに所属し、中学2年生から鶴岡市立鶴岡第二中学校の軟式野球部に所属。当時は遊撃手がメインだったがたまに投手もしていた。 思うように上達できない葛藤などから「中学で野球をやめようか」と揺れ動いた時期もあるが、硬式野球部のある鶴岡東高校の関係者から入学を誘われたため、同校に進学し硬式野球部でプレーを継続。入学時は体重67kgと細身だったが、野球部の佐藤俊監督が体格などを総合的に判断し投手として育成する方針を決定。
佐藤 隼輔(さとう しゅんすけ、2000年1月3日 - )は… 佐藤 隼輔(さとう しゅんすけ、2000年1月3日 - )は、山形県山形市生まれ、宮城県仙台市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。埼玉西武ライオンズ所属。 山形県山形市で生まれ、宮城県仙台市で育った。 仙台市立愛子小学校4年生のときに愛子スポーツ少年野球団で野球を始め、小学6年生の冬から仙台市立広瀬中学校1年生の夏まではリトルリーグの折立スパローズに所属し、全国大会での優勝を経験。その後は広瀬中学校の軟式野球部に所属し、宮城県選抜にも選ばれた。 仙台高校に進学すると、1年夏は背番号18でベンチ入りし、宮城広瀬との初戦に先発。9回10安打9奪三振3失点という内容で完投勝利を挙げた。2年秋から背番号1。
大泉 周也(おおいずみ しゅうや、1999年9月16日 - … 大泉 周也(おおいずみ しゅうや、1999年9月16日 - )は、山形県山形市出身のプロ野球選手(外野手・育成選手)。左投左打。福岡ソフトバンクホークス所属。 山形市立金井小学校で1年生の時に山形リトルで野球を始める。山形市立金井中学校在学時は硬式野球のクラブチームである山形シニアでプレーしていた。 山形県立山形中央高等学校に進学し、1年春から公式戦に出場した。2年夏、3年夏に山形大会決勝に進出し本塁打を放ったが、チームはいずれも敗れ、3年間で甲子園大会出場はなかった。高校通算53本塁打。 高校卒業後は日本製鉄鹿島へ入社。3年間在籍したが目立った実績はなく、2020年オフに勇退した。 その後、2021年春にベースボール・チャレンジ・リーグの福島レッドホープスへ入団した。
田中 優大(たなか ゆうだい、1999年9月14日 - )は… 田中 優大(たなか ゆうだい、1999年9月14日 - )は、山形県鶴岡市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。プロでは育成選手であった。 羽黒高等学校に入学当初は外野手であったが、身体能力を買われ2年春から投手に転向した。3年春から背番号1を背負い東北大会ベスト8、夏は山形県大会ベスト8。甲子園への出場経験はなし。 2017年に読売ジャイアンツの入団テストに合格し、10月26日に行われたドラフト会議において育成ドラフト4位で指名され、支度金200万円、年俸250万円(金額は推定)で入団した。 2018年は二軍公式戦(イースタン・リーグ)1試合に登板。また三軍戦は25試合に登板して1勝1敗1セーブ、防御率2.60という成績だった。
石垣 勝海(いしがき まさみ、本名・旧登録名:石垣 雅海〈読… 石垣 勝海(いしがき まさみ、本名・旧登録名:石垣 雅海〈読み同じ〉、1998年9月21日 - )は、山形県酒田市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。 小学3年生の時に亀城小野球スポーツ少年団(亀城ブレーブス)に入り、野球を始める。 酒田南高等学校では、1年から三塁手のレギュラーに定着。2年秋から主将となってチームを牽引。3年夏の山形県大会準決勝で敗退し、甲子園出場はなかったが、3試合で4本塁打を記録。同年度の山形県高校野球連盟の奨励賞と優秀野手賞を受賞した。高校通算37本塁打。 2016年10月20日に行われたドラフト会議では、中日ドラゴンズから3位指名を受け、11月22日に契約金5000万円、年俸540万円で仮契約を結んだ。
青木 陸(あおき りく、1997年11月11日 - )は、山… 青木 陸(あおき りく、1997年11月11日 - )は、山形県天童市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。 小学校4年生の時に成生ファイヤードラゴンズにて野球を始め、中学時代にはボーイズリーグに所属する仙台ボーイズに所属した。 山形中央高校進学後、1年生春期からベンチ入りを果たし、秋から三塁手としてレギュラーとなった。2年生の夏には第96回全国高等学校野球選手権大会に出場、チームは3回戦まで進出し、青木は本塁打も記録した。秋には捕手に転向、3年生の夏は山形大会準決勝で敗退し連続の出場はならなかったが、高校通算46本の本塁打を記録した。 2015年10月22日に行われたドラフト会議で広島東洋カープから内野手として7位指名を受け、11月5日に契約金2000万円、年俸420万円で合意、12月7日入団した。
粟津 凱士(あわつ かいと、1997年3月1日 - )は、山… 粟津 凱士(あわつ かいと、1997年3月1日 - )は、山形県山形市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 山本学園高等学校では2年夏まではサードであったが、その後投手に転向。2年秋にエースとなったが、3年夏は登板なく県大会初戦敗退。野球を辞めて就職する予定だったが、東日本国際大学の入学が内定していた同級生の代わりに入学した。 東日本国際大学では、1年春からベンチ入り。3年からフォームを上手から変更すると、秋に先発投手に定着して4年秋まで3季連続で最優選手。4年時はリーグ戦で春秋最多勝、ベストナインを受賞。大学選手権の京都学園大学戦で完封勝利を挙げた。 2018年9月18日にプロ志望届を提出し、10月25日に行われたドラフト会議では、埼玉西武ライオンズから4位指名を受け、11月27日に契約金4000万円、年俸1000万円で契約した。
石川 直也(いしかわ なおや、1996年7月11日 - )は… 石川 直也(いしかわ なおや、1996年7月11日 - )は、山形県東田川郡余目町(現:庄内町)出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。オイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ所属。 余目第二小学校3年生から「余目スポーツ少年団」で野球を始め、余目中学校の軟式野球部では投手としてプレーし、東北大会に出場経験がある。 山形中央高校では1年生の秋にベンチ入りすると、2年時には春の選抜大会へ出場。大会直前の練習試合で右目下を負傷し、3日間の入院で体重が3kg減り、本調子には遠かったが、初戦の岩国商業戦の9回に登板してリードを守り、春夏通じて3度目の甲子園で同校に初勝利をもたらした。続く浦和学院戦でも登板したが、チームは1-11で3回戦敗退。
中野 拓夢(なかの たくむ、1996年6月28日 - )は、… 中野 拓夢(なかの たくむ、1996年6月28日 - )は、山形県天童市出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。阪神タイガース所属。 盗塁王の歴代最高盗塁成功率タイ記録保持者。 小学4年生から軟式野球を始める。中学時代は「山形シニア」に所属。主に遊撃手を務めた。 日大山形高校入学後、1年時は控え遊撃手としてプレーするも、2年夏からは1学年上の正遊撃手・奥村展征との兼ね合いで「2番・二塁手」に定着。第95回全国高等学校野球選手権大会に出場し、山形県勢初の夏ベスト4入りに貢献。準決勝の前橋育英高校戦では髙橋光成から安打を記録したが、チームは敗れた。3年からは「3番・遊撃手」を務め、夏は県大会準決勝で酒田南高校に敗れた。
齋藤 友貴哉(さいとう ゆきや、1995年1月5日 - )は… 齋藤 友貴哉(さいとう ゆきや、1995年1月5日 - )は、山形県東根市出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。北海道日本ハムファイターズ所属。 苗字については、自身の希望で旧字体の齋藤を登録名に用いているが、報道などで「斎藤」と表記されることもある。 東根市立小田島小学校3年時に、軟式野球の「いなほスポーツ少年団」で野球を始める。東根市立第二中学校時代に、校内の軟式野球部と硬式クラブチーム「東根ヒーローズ」と兼部。 山形県立山形中央高等学校へ進学後、1年夏の全国高等学校野球選手権山形大会でベンチ入りを果たす。チームは大会を制したが、本大会ではベンチから外れた。1学年先輩の横山雄哉をはじめ、好投手がチームに揃っていたことから、在学中には目立った実績を残せなかった。
安井 勇輝(やすい ゆうき、1994年9月12日 - )は、… 安井 勇輝(やすい ゆうき、1994年9月12日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。 吹田市立青山台中学校在学時には吹田千里山イーグルスボーイズ(現:千里山ボーイズ)に所属[要出典]。 山形県の東海大学山形高等学校を経て、関西学生野球連盟所属の近畿大学に進学する。 2016年11月、四国アイランドリーグplusのトライアウトで特別合格となり、2日後のリーグドラフト会議で愛媛マンダリンパイレーツより1位で指名を受け、入団した。 2017年シーズン終了後の11月15日に、リーグのウェーバー公示により、徳島インディゴソックスに移籍する。徳島では2019年シーズンは主将を務めたが、シーズン中の8月19日付で退団した(自由契約)。
下妻 貴寛(しもつま たかひろ、1994年4月15日 - )… 下妻 貴寛(しもつま たかひろ、1994年4月15日 - )は、山形県酒田市(旧・松山町)出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。現在は東北楽天ゴールデンイーグルスの二軍バッテリーコーチを務める。 小学校3年生から野球を始めると、松山中学校では軟式野球部に所属しつつ、「酒田ハーバーベースボールクラブ」で硬式野球も経験した。酒田南高校では1年生の春から正捕手を務める。3年の夏には甲子園に初出場、大会の選手宣誓を行った。試合は初戦で明徳義塾高校に敗れる。 2012年のプロ野球ドラフト会議で、東北楽天ゴールデンイーグルスから4巡目で指名。契約金3500万円、年俸600万円(金額は推定)という条件で入団した。
横山 雄哉(よこやま ゆうや、1994年2月21日 - )は… 横山 雄哉(よこやま ゆうや、1994年2月21日 - )は、山形県東村山郡中山町出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)。 中山町立長崎小学校2年時に軟式野球を始めると、同町立中山中学校時代に「中山ベースボールクラブ」へ所属。山形中央高校への進学後は、「菊池雄星2世」という評価を受けた。2年生の時には、エースとして、春夏連続で甲子園球場の全国大会に出場したが、いずれも初戦で敗退。春の第82回選抜高等学校野球大会では、日大三高との対戦で、18安打13得点の猛攻を受けた。在学中の1学年後輩に、齋藤友貴哉がいる。 高校3年時の秋にプロ志望届を提出したが、2011年のドラフト会議でどの球団からも指名されなかったため、卒業後に新日鐵住金鹿島へ入社した。
鈴木 駿也(すずき しゅんや、1991年1月19日 - )は… 鈴木 駿也(すずき しゅんや、1991年1月19日 - )は、山形県天童市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 山形中央リトルシニア出身。天童市立第二中学校では栗原健太の後輩にあたる。東北選抜でも活躍した。 山形中央高に進学すると、1-2年夏には内野手(遊撃手)として県予選準決勝まで進んだが敗退。2年秋に投手へ転向。3年夏は県予選準々決勝で鶴岡東高に接戦の末敗退する。 2008年、同年のドラフト会議において、福岡ソフトバンクホークスから7巡目で指名された。山形中央高の卒業生として初のプロ野球選手となった。なお、プロから指名されなかった場合は、社会人野球に進む予定だった。 2010年、7月に右肘の手術を受け復帰まで時間が必要となった。
丸山 和馬(まるやま かずま、1988年12月10日 - )… 丸山 和馬(まるやま かずま、1988年12月10日 - )は、東京都世田谷区生まれの元プロ野球選手(内野手、外野手)、野球指導者。 中学時代は目黒西シニアに所属し、2003年には春季関東大会優勝・全国大会には春(大阪府)・夏(東京都)・記念大会(北海道)と3度出場。[要出典]2003年にはBFJ日本代表(東京城南ブロック選抜)の一人として選出され、オーストラリアで開かれた第2回KOALA CUPに参加する。この遠征に単独チームで参加した緑中央シニアには福田永将(現・中日ドラゴンズ)と下水流昂がいた。大会は全日本野球連盟とオーストラリア野球連盟が合同で主催し、運営はBFJインターナショナルとクイーンズランド州野球連盟と全日本リトル野球協会が合同でおこなった。
小林 賢司(こばやし けんじ、1985年7月3日 - )は、… 小林 賢司(こばやし けんじ、1985年7月3日 - )は、山形県酒田市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 酒田第二中学時代は軟式野球部に所属し、投手兼外野手として活躍。高校は酒田南高校へ進学。1学年上の先輩には福岡ソフトバンクホークスの長谷川勇也がいる。2年の春・夏に甲子園出場するも、いずれも初戦敗退。 青山学院大学では、3年次に春のリーグ戦で最優秀防御率を獲得。4年次には高市俊の抜けたあとのエースピッチャーとしてチームを牽引した。東都大学野球連盟のリーグ戦通算38試合登板し14勝9敗、防御率2.82、184奪三振。 2007年の大学生・社会人ドラフトでは、大場翔太、篠田純平と2度の抽選に外れたオリックスから1位指名を受けた。
長谷川 勇也(はせがわ ゆうや、1984年12月22日 - … 長谷川 勇也(はせがわ ゆうや、1984年12月22日 - )は、山形県鶴岡市出身の元プロ野球選手(外野手、右投左打)、プロ野球コーチ。 小学校に入る前に5歳上の兄が所属する少年野球の練習を見たことをきっかけに野球に興味を持ち、鶴岡市立大泉小学校3年生時に両親の許可が下りて大泉スポーツ少年団で軟式野球を始めた。鶴岡市立鶴岡第四中学校でも軟式野球部に所属し、主に投手としてプレーしていた。 酒田南高等学校に進学すると、1年秋に外野手に転向し、2年夏、3年春・夏と3季連続で甲子園出場を果たした。1学年下の後輩に元オリックス・バファローズの小林賢司がいた。 専修大学では1年春からレギュラーに定着し、3年秋には東都大学リーグ2部首位打者、4年秋には41打数14安打で打率.341、6本塁打を打ちMVPを獲得した。
吉村 健二(よしむら けんじ、1984年2月22日 - )は… 吉村 健二(よしむら けんじ、1984年2月22日 - )は、ブラジル出身の元社会人野球選手(投手)。ヤマハ硬式野球部に所属していた。本名はカルロス・ケンジ・ヨシムラ(Carlos Kenji Yoshimura)。 日系ブラジル人3世。カルデーラ・チアゴ、吉田勉とともに羽黒高等学校にブラジル人留学生第一期生として入学。白鷗大学では髙谷裕亮と同期。その後ヤマハに入社、同社硬式野球部に所属。制球に難があるものの、主力投手としてチームを支えた。 2012年に第3回WBCのブラジル代表に選ばれ、2013年3月3日の対キューバ戦で登板したが、同年限りで現役を引退。現在は同社で社業に就いている。
梅津 智弘(うめつ ともひろ、1983年3月3日 - )は、… 梅津 智弘(うめつ ともひろ、1983年3月3日 - )は、山形県上山市出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者。妻は、タレント・リポーターの若林翔子。 山形県立上山明新館高等学校では2年夏の県大会で全試合に救援登板して準優勝。國學院大學へ入学後、硬式野球部に所属。大学の同期に伊藤義弘がいた。また、2015年に東北楽天ゴールデンイーグルスでチームメイトになった嶋基宏は2学年後輩、聖澤諒は3学年後輩にあたる。 大学2年生だった2002年には、東都大学野球リーグ秋季二部の拓殖大戦で完全試合を達成。2、3年の秋季には、二部で最優秀投手のタイトルを獲得した。二部通算24勝9敗。 2004年のドラフト会議で、広島東洋カープからの6巡目指名を受けて入団した。
高木 修二(たかぎ しゅうじ、1982年10月24日 - )… 高木 修二(たかぎ しゅうじ、1982年10月24日 - )は、元競輪選手、元社会人野球選手(外野手)。大阪府生まれ。 小学校の頃から野球に取り組み、酒田南高等学校で甲子園出場、東京農業大学生物産業学部を経て、社会人野球のTDKに進み、2006年の第77回都市対抗野球大会で優勝メンバーとして名を連ねた。その後、NPBの横浜ベイスターズのキャンプにテスト生として参加。 高校時代のトレーナーが順天堂大学出身で同大学出身者の海老根恵太(86期)と知り合いであるという縁もあり、競輪選手への転身を決意。大阪に戻って中澤孝之(56期)に師事し、日本競輪学校第97期生として入学。競輪学校時代の在校競走成績は35位(8勝)。
栗原 健太(くりはら けんた、1982年1月8日 - )は、… 栗原 健太(くりはら けんた、1982年1月8日 - )は、山形県天童市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。 天童市内で焼肉店を営む家庭に生まれ、小学3年生から野球を始めエースで4番を務める。中学時代のポジションは投手だった。陸上でも3種競技(走り高跳び、100m走、砲丸投げ)で市大会を制覇している。当時の日大山形高校の渋谷良弥監督は栗原の身体能力の高さを見て大型投手としての構想を描きスカウティングした。しかし、日大山形高校入学後に打撃をやらせてみるとバットコントロール、スイングスピード共に図抜けており、フェンスオーバーを連発。内野手に転向となった。1年夏にチームの5番打者となり、秋には早くも4番打者を任せられた。
佐藤 賢(さとう まさる、1981年12月6日 - )は、山… 佐藤 賢(さとう まさる、1981年12月6日 - )は、山形県最上郡金山町出身の日本の元プロ野球選手(投手)。 羽黒高等学校時代は3年春の県大会3位決定戦で5回コールド完封勝利して東北大会に出場したが初戦先発するもこの大会で優勝する仙台育英高の眞山龍と投げ合って7回コールド負け。2年、3年夏は県大会ベスト8。2000年4月、明治大学に進学。なかなか芽が出なかったが、2003年4年時の春にサイドスローに転向し台頭。春季大会で全勝優勝目前の早稲田大学戦に先発し11奪三振の好投を見せ、自ら本塁打を放つなど打撃でも活躍。特にその年のドラフトの目玉であった鳥谷敬を完璧に封じ込み注目を集めた。 2003年のドラフト会議で、ヤクルトスワローズから6巡目で指名を受け入団。
高橋 敏郎(たかはし としろう、1980年7月19日 - )… 高橋 敏郎(たかはし としろう、1980年7月19日 - )は、山形県新庄市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。 高校では2、3年夏は県大会ベスト4。大学では4年春に南東北大学野球リーグ三冠王、最優秀選手を獲得。当時全国では無名であったが、チーム初出場の大学選手権でもセカンドへの送球が1.7秒台を記録するなど、強肩強打の捕手としてプロスカウトに注目される。ベストナイン3回。 いち早く、読売ジャイアンツが目を付け、リーグ戦などにも通ったが[要出典]、最終的に2002年のドラフト会議でヤクルトスワローズから7巡目で指名され入団。 入団当初は環境に馴染むのに苦労したが、2005年には二軍でレギュラー級の活躍を重ねた。
石山智也(いしやま ともや、1979年11月2日 - )は、… 石山智也(いしやま ともや、1979年11月2日 - )は、日本野球機構所属のプロ野球審判員。山形県出身。審判員袖番号『25』。 日本大学山形高等学校を卒業後、地元で就職し2003年まで勤務。リトルシニアで2年間の審判経験があった。2004年にセントラル・リーグ審判部に入局。 2008年シーズンではイースタン・リーグの優秀審判員として表彰された。 2011年から球審での構えをボックススタンスからシザーススタンスに変更した。 2012年にオールスターゲームに初出場し第3戦で球審を務めた。 2016年5月17日、地元・山形県の荘内銀行・日新製薬スタジアムやまがたで行われた読売ジャイアンツ対横浜DeNAベイスターズ戦では球審を務めた。
加藤 武治(かとう たけはる、1978年3月24日 - )は… 加藤 武治(かとう たけはる、1978年3月24日 - )は、山形県天童市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、野球指導者。現在は北海道日本ハムファイターズの投手コーチ。 山形県立山形南高等学校から東京学芸大学教育学部へ進学。サイドスローにした3年春にリーグ最優秀防御率。1学年上のエースに大学全日本の小倉丞太郎(桐蔭学園)、また主将が同郷の庄司秀幸(母校・山形中央高を甲子園に導き、日本ハムスタッフとなる)という戦力で2位まで躍進した。 社会人の三菱ふそう川崎では1年目に都市対抗野球準決勝で先発するが2回に失点降板。その後に逆転して結果は優勝を飾る。 2002年のプロ野球ドラフト会議で横浜ベイスターズに4巡目で指名され入団。
佐藤 誠(さとう まこと、1975年6月12日 - )は、山… 佐藤 誠(さとう まこと、1975年6月12日 - )は、山形県東根市出身の元プロ野球選手(投手)、指導者。右投右打。2001年から2002年の登録名は誠。 北海道千歳市の小学生時代に学童軟式野球を始める。 駒大岩見沢高等学校では、1992年・1993年の2度、センバツに出場。1993年はチームをベスト4に導いたが、夏は南北海道大会2回戦で敗退した。その年のドラフト5位で読売ジャイアンツに入団した。背番号は69。 1997年に一軍初登板を果たしたがこの年を含め2000年までわずか5試合しか出番を得られなかった。だが、この時期に覚えたシュートが、後に活躍のきっかけとなる。 2000年は2試合の登板に終わり、オフに無償トレードで福岡ダイエーホークスに移籍。
荒木 準也(あらき じゅんや、1971年 - )は、山形県寒… 荒木 準也(あらき じゅんや、1971年 - )は、山形県寒河江市出身の元アマチュア野球選手(外野手)、野球指導者。 日大山形高校では高校2年生の時に1988年の夏の甲子園に出場した経験がある。高校卒業後に東北福祉大学に進学して硬式野球部に所属し、1993年の全日本大学野球選手権大会では同じ4年の関根裕之、三野勝大投手を擁してチームはベスト4まで進んだ。 大学卒業後は、社会人野球のプリンスホテルに入団し、東京スポニチ大会で新人賞。1995年の「'95ワールド・ベースボール・ウィーク・イン・ジャパン」の全日本メンバーにも選ばれた。1年先輩の宮本慎也や小林幹英、星野智樹らとプレー。 2000年にチームが解散したのを機に、故郷に戻り、家業の鋼材リサイクル会社で勤務していたが、2002年からは母校の日大山形高校の監督を務めており、2013年の夏の甲子園ではチームを県勢初のベスト4に導いた。
鈴木 健(すずき けん、1969年4月16日 - )は、山形… 鈴木 健(すずき けん、1969年4月16日 - )は、山形県鶴岡市出身の元プロ野球選手(投手)。 小学生から野球を始め、5年生の時に投手になる。 羽黒工業高校(現:羽黒高校)時代は1年からエースになるが、脊椎分離症を2度発症し入院した。3年生夏に復帰し、1987年に夏の県大会準々決勝でノーヒットノーランを達成するなどの活躍で準優勝した。 卒業後、1988年に日本石油へ入社し、1990年からエースとなり全日本メンバーにも選出される。1991年には日本選手権優勝を成し遂げた。翌年に行われるバルセロナオリンピックの代表候補として指名凍結選手になるが代表からは落選した。久慈照嘉、大久保秀昭とは同僚であった。
広野 准一(ひろの じゅんいち、1969年3月26日 - )… 広野 准一(ひろの じゅんいち、1969年3月26日 - )は、山形県山形市出身の元プロ野球選手(投手)。 日大山形高の3年時に、エースの故障で内野手から投手に転向した。3年春の東北大会で完封勝利。 1986年のプロ野球ドラフト会議で日本ハムファイターズから6位指名を受け入団。 一軍登板のないまま、1991年限りで現役を引退。引退後は会社員となった。
滝口 光則(たきぐち みつのり、1961年11月2日 - )… 滝口 光則(たきぐち みつのり、1961年11月2日 - )は、山形県山形市出身の元プロ野球選手(投手)。 山形南高では、エースとして1979年夏の甲子園県予選準決勝に進むが日大山形高に敗退。 1979年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから3位指名を受け入団。 プロ6年目の1985年に一軍初登板を果たし、1986年にはカーブとチェンジアップを武器にウエスタンリーグで11勝6敗の最多勝を獲得。 1988年10月に鍋屋道桜と共に高代延博との2対1の交換トレードで日本ハムファイターズに移籍。移籍後は一軍登板できないまま、1989年限りで現役を引退。 現在は、山形在住の会社員。また少年野球山形中央リトルシニアクラブの監督でもある。
佐藤 博(さとう ひろし、1951年5月12日 - )は、山… 佐藤 博(さとう ひろし、1951年5月12日 - )は、山形県酒田市出身の元プロ野球選手(投手)。 酒田商業高校では1969年の西奥羽大会県予選準々決勝に進出するが、酒田東高に敗退し、甲子園には届かなかった。日立製作所へ入社。1971年から都市対抗野球大会に3年連続出場。1973年は再試合も含め5連投、3連勝で準決勝に進出。この大会に優勝した日本鋼管に敗退するが好投手として注目を集めた。 1971年ドラフトで大洋ホエールズから4位指名を受けた。大洋ファンだった佐藤は入団を希望したが、同時に同僚の渡辺孝博もドラフト指名を受け(ヤクルトアトムズ)、「一度に2人もエースが抜けられたら困る」と会社側に反対されたため、入団を拒否した。
小山田 健一(おやまだ けんいち、1950年9月13日 - … 小山田 健一(おやまだ けんいち、1950年9月13日 - 2001年3月20日)は、山形県山形市出身のプロ野球選手(捕手)。 プロ野球選手の小山田貴雄は実子。 日大山形高では、捕手、四番打者として左腕エース柳橋明(日本石油)とバッテリーを組み、1968年夏の甲子園に出場。2回戦(初戦)で岩国商に0-1で敗れるが、強打が注目され東映フライヤーズにドラフト6位で指名を受け入団。 種茂雅之、加藤俊夫ら捕手陣の揃った東映では一軍に定着しきれなかったが、1974年9月には打力を活かし一塁手として2試合に先発出場を果たす。1976年にヤクルトスワローズに移籍。ここでも大矢明彦という不動の正捕手がいたため出場機会に恵まれなかった。
会田 豊彦(あいだ とよひこ、1937年4月1日 - 201… 会田 豊彦(あいだ とよひこ、1937年4月1日 - 2012年3月23日)は、山形県出身のプロ野球選手(外野手、内野手)。 山形南高校では、1954年秋季東北大会県予選決勝に進むが米沢商に敗れる。翌1955年夏の甲子園予選東北大会に進出、しかし1回戦で福島商に敗退。卒業後は日本大学へ進学した。東都大学野球リーグでは在学中、3度優勝を果たす。1年生時の1956年秋季リーグでは、打率.351で首位打者を獲得し優勝に貢献。リーグ通算91試合出場、321打数86安打、打率.268、0本塁打、46打点。ベストナイン(三塁手)2回。大学同期に高木時夫捕手、黒木基康、笹木士朗(日本鋼管)両外野手らがいた。 1960年に中日ドラゴンズに入団。
田沢 芳夫(たざわ よしお、1936年8月28日 - 200… 田沢 芳夫(たざわ よしお、1936年8月28日 - 2008年1月25日)は、山形県出身のプロ野球選手(投手)である。 鶴岡工業高校では、エースとして1954年夏の甲子園予選東北大会で決勝に進出するが、福島商に敗退し甲子園出場を逸する。 卒業後の1955年に南海ホークスに入団。同期には広瀬叔功、一期上には野村克也、皆川睦雄がいた。2年目の1956年にはチーム最多の15勝を挙げ、翌1957年も10勝を記録するなど先発ローテーションの一角として活躍した。 1957年6月24日の対阪急ブレーブス戦(大阪スタヂアム)では9回2死まで無安打無得点に抑えたものの、ノーヒットノーラン達成まであと1人の場面で滝田政治に初安打を許し阻止されている(後1人で阻止されたのはパ・リーグ史上2人目)。
皆川 睦雄(みながわ むつお、1935年7月3日 - 200… 皆川 睦雄(みながわ むつお、1935年7月3日 - 2005年2月6日)は、山形県南置賜郡山上村大字関根(現・米沢市)出身のプロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ・解説者・評論家。 現役当時は同期入団の野村克也と共に南海ホークス黄金期の主力選手であり、同じくアンダースロー投手の杉浦忠と共に南海黄金時代のエースとして活躍した。通算成績は759試合登板、221勝139敗、防御率2.42。通算221勝はホークス(南海、ダイエー、ソフトバンク)の球団記録であり、1983年に山田久志に更新されるまでアンダースロー投手としてのNPB記録でもあった。なお、南海の大エースとして名高い杉浦(通算187勝)よりも通算勝利数は上回っており、200勝がラインとなる日本プロ野球名球会にも入会している。