須田 幸太(すだ こうた、1986年7月31日 - )は、茨… 須田 幸太(すだ こうた、1986年7月31日 - )は、茨城県石岡市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者、野球解説者。 茨城県立土浦湖北高等学校時代はエース兼4番打者で、2年秋にチームを関東大会初優勝、3年春に選抜高等学校野球大会初出場。3年春の選抜大会では、練習試合で投げすぎた影響で右肘を痛めながら、鵜久森淳志、高橋勇丞、福井優也などを擁する済美高校と対戦。0 - 9で初戦敗退する。 高校卒業後に早稲田大学へ進学。東京六大学野球では、エースナンバーの11を背負った3年の春季にリーグ戦初勝利し、斎藤佑樹と並んで先発に定着。3勝1敗を記録し、チームは優勝する。4年の春季リーグ戦で最優秀防御率。
東野 峻(とうの しゅん、1986年7月11日 - )は、茨… 東野 峻(とうの しゅん、1986年7月11日 - )は、茨城県鉾田市出身の元プロ野球選手(投手)、コーチ。右投右打。 茨城県鹿島郡鉾田町(現在の鉾田市)出身。大竹小3年で外野手として野球を始め、6年時に投手へ転向。鉾田南中では主将を務め春の県大会3位。鉾田一高では1年春からベンチ入りし、3年夏の茨城大会は4回戦で常総学院に敗退した。打撃では高校通算36本塁打を記録した。 2004年11月17日に行われたドラフト会議では、読売ジャイアンツから7巡目指名を受け、入団。背番号は93。 2005年から2007年までは怪我が重なり、2006年までは二軍でも打ち込まれることが多かった。ハワイ・ウィンターリーグに派遣され、先輩の林昌範のグアム自主トレにも同行し、迎えた2007年は、二軍のセットアッパーとして活躍、27試合に登板し、1敗1セーブ、31回を投げ、34奪三振、防御率1.74という好成績を収める。
坂 克彦(さか かつひこ、1985年9月6日 - )は、茨城… 坂 克彦(さか かつひこ、1985年9月6日 - )は、茨城県新治郡出島村(後に霞ヶ浦町を経て、現:かすみがうら市)出身の元プロ野球選手(内野手・外野手、右投左打)・コーチ・監督。 霞ヶ浦町立南中学校では軟式野球部に所属。常総学院高校では1年時からレギュラーとなり、3年連続で全国高等学校野球選手権大会に出場。2年夏の第84回全国高等学校野球選手権大会では森岡良介、筧裕次郎らを擁し初優勝した明徳義塾高校に敗れたものの16強入り。その後、新チーム結成時には主将となったが翌年6月に降りた。3年夏、県大会決勝で美馬学を擁した藤代高校に勝利、その後の第85回全国高等学校野球選手権大会では3番遊撃手として出場。
大原 慎司(おおはら しんじ、1985年6月30日 - )は… 大原 慎司(おおはら しんじ、1985年6月30日 - )は、茨城県日立市出身の元プロ野球選手(投手)、コーチ。左投左打。 小学校4年時に日立南リトルリーグへ入団した後に、日立市立泉丘中学校で軟式野球部に所属。明秀日立高校への進学を機に、投手へ本格的に転向すると、1年時の夏からエースの座を確保した。ただし、在学中には春夏ともに、阪神甲子園球場での全国大会へ出場できなかった。 常磐大学への進学後は、1年春からベンチ入りを果たした。在学中には、関甲新学生野球のリーグ戦で、通算11勝14敗を記録。通算の奪三振率は8.40で、最終シーズンであった4年時の秋季リーグ戦では、防御率0.64という好成績を残した。
神戸 拓光(こうべ たくみ、1985年2月23日 - )は、… 神戸 拓光(こうべ たくみ、1985年2月23日 - )は、茨城県牛久市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。 小学1年生時に牛久リトルで野球を始める。 中学では龍ヶ崎シニアに所属し、投手として関東大会へ出場。 中学時代のシニアリーグでは大崎雄太朗と同じクラブに所属していた。 高校は土浦日大高校に進学し、外野手へ転向、4番として活躍。 土浦日大高から、流通経済大学へ進学。 大学では、経済学部経営学科に在籍。1年春の全日本大学野球選手権大会で最優秀新人賞を獲得した。大学通算14本塁打、ベストナイン5回。 大学時代は大変な酒豪として知られていた。チーズが大好物で、チーズプロフェッショナルの資格取得も考えている。
井坂 亮平(いさか りょうへい、1984年10月19日 - … 井坂 亮平(いさか りょうへい、1984年10月19日 - )は、茨城県取手市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 取手東中学校(現取手第一中学校)を経て、藤代高校に入学。2年生の2001年、春のセンバツに出場し、初戦の四日市工業高校戦で完封勝利、3回戦で敗退した。 東都の中央大学では、大学2年次に右肘を故障、3年次に右肘を手術した。3年秋は入替戦で敗れ、4年次は2部。東都1部リーグで4試合に登板し1勝0敗。2部リーグで17試合に登板し2勝2敗。中澤雅人は大学の同期であり当時のエース。また、後に楽天で同僚となる美馬学は高校・大学の後輩である。 大学卒業後は、社会人野球の住友金属に入社。野球部では1年目から活躍。
大﨑 雄太朗(おおさき ゆうたろう、1984年10月18日 … 大﨑 雄太朗(おおさき ゆうたろう、1984年10月18日 - )は、茨城県つくば市出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。埼玉西武ライオンズ所属。
長峰 昌司(ながみね しょうじ、1984年8月8日 - )は… 長峰 昌司(ながみね しょうじ、1984年8月8日 - )は、茨城県鹿島郡鉾田町(現・鉾田市)出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。 茨城県鉾田市出身。茨城県立水戸商業高等学校では、1年夏からベンチ入り。2年春に第73回選抜高等学校野球大会に出場、先発した3回戦で敗退する。3年夏は県大会準優勝。2002年のドラフトで中日ドラゴンズから5巡目指名され入団。 ルーキーイヤーの2003年は一軍登板なしに終わる。2004年シーズンに一軍に抜擢。7月17日の対阪神タイガース戦で初登板。金本、桧山、アリアスの主軸3人を全員三振に斬る完璧な投球を見せた。8月29日の対横浜ベイスターズ戦では5回1失点に抑え、先発初勝利を挙げる。
大塚 淳(おおつか じゅん、1984年6月8日 - )は、茨… 大塚 淳(おおつか じゅん、1984年6月8日 - )は、茨城県土浦市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手、捕手)。 かつてヤクルト、南海でプレーしたプロ野球選手大塚徹は父親。 土浦三高では1年春からレギュラー。2年の新チームから主将をつとめる。主将として参加した2001年秋の県大会で準優勝。関東大会でもベスト8に残っている。2002年春の選抜大会に21世紀枠で候補に残っていたが、部員の不祥事により部活動休止の憂き目にあっている。3年夏は県大会4回戦で敗退した。 2002年のドラフト11巡目でヤクルトに入団。高校通算打率.520、16本塁打。小柄な体格ながら意外性のある打撃と、身体能力が評価されての指名となった。
鴨志田 貴司(かもしだ たかし、1983年12月29日 - … 鴨志田 貴司(かもしだ たかし、1983年12月29日 - )は、茨城県久慈郡大子町出身の元プロ野球選手(投手)、元コーチ。右投右打。 大子リトルで野球を始め、勝田シニアでエース。水戸短大附高校時代は最速152km/hの速球で鳴らし、3年春は県大会優勝。同じく速球派投手であり、後にオリックスでチームメイトとなる日南学園高の寺原隼人とともに「東の鴨志田、西の寺原」と言われた。 2001年度ドラフト会議にて読売ジャイアンツから3巡目指名を受け、入団。 2002年にその年の独走優勝もあり消化試合で一軍テスト登板。新人ながら10月10日の対ヤクルトスワローズ戦で初セーブを挙げる。 2003年はリリーフ崩壊をうけ原辰徳監督に戦力として期待されるが、7月18日の対横浜ベイスターズ戦で小田嶋正邦にサヨナラ満塁本塁打を浴びるなど、満足な成績を挙げられず二軍へ降格。
加藤 暁彦(かとう あきひこ、1982年10月6日 - )は… 加藤 暁彦(かとう あきひこ、1982年10月6日 - )は、茨城県鹿嶋市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。実兄は元プロサッカー選手の加藤慎也。 1年秋は東北大会準優勝。2年次にセンバツに出場する。玉野光南高に敗れはしたが、自身は3番打者として4打数2安打と結果を残した。2年秋は東北大会ベスト4。3年次には4番打者を務めていた。ちなみに3番打者は後藤伸也である。なお渡辺雅弘ともチームメイトである。3年春は東北大会優勝、夏の県大会は準優勝。 2000年のドラフト会議にて、福岡ダイエーホークスから3位指名を受け入団。入団時はパワーあふれる打撃がセールスポイントであった。 プロ一年目である2001年シーズンは、ファームで経験を積んだ。
鈴木 健之(すずき たけゆき、1982年5月11日 - )は… 鈴木 健之(すずき たけゆき、1982年5月11日 - )は、茨城県出身の元プロ野球選手(投手)。 藤代高では1年秋に野口祥順らと県大会準優勝、3年春は県大会準決勝で常総学院を相手に延長10回を完投するがサヨナラ負け。夏も準決勝で同校と対戦して延長12回を投げたがサヨナラ負け。2000年のドラフト会議にて5位指名で横浜ベイスターズに入団。 関東屈指の本格派右腕として期待されていたが、一軍登板はないまま2004年に引退。 引退後は家業の大工を継いだ。
野口 祥順(のぐち よしゆき、1981年〈昭和56年〉5月1… 野口 祥順(のぐち よしゆき、1981年〈昭和56年〉5月16日 - )は、茨城県土浦市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。右投右打。 茨城県新治郡新治村(現・土浦市)生まれ。中学時代は地元のシニアクラブに所属しつつ、臨時で陸上競技にも出場し、走り幅跳びでは県大会で優勝したこともある。 藤代高に進学し、陸上部に入るつもりだったが持丸修一監督と出会い、野球を続けた。天性のバネを生かす指導を受け、鳥谷敬(聖望学園高)と並んで、長打力と強肩を売りにした関東屈指のスケールが大きい遊撃手として活躍。2年秋は1学年下の鈴木健之投手らと関東大会へ進み、初戦で本塁打を放つが敗退。3年の夏は常総学院に敗れてベスト8どまりも、俊足強肩と、高校通算30本塁打が示す、つぼにはまった時のパンチ力があった。
森田 丈武(もりた じょうぶ、1980年11月29日 - )… 森田 丈武(もりた じょうぶ、1980年11月29日 - )は、茨城県つくば市出身の元プロ野球選手(内野手)。
渡辺 直人(わたなべ なおと、1980年10月15日 - )… 渡辺 直人(わたなべ なおと、1980年10月15日 - )は、茨城県牛久市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。 現役最終年の2020年には楽天の現役選手として初めて一軍打撃コーチを兼務した。 小学3年時から軟式野球を始める。 牛久市立下根中学校、牛久高等学校から城西大学へ進み、3年秋に明治神宮大会の同校初出場で準優勝に貢献。4年春はベストナイン遊撃手。三菱ふそう川崎に入社。入社後は遊撃手として、1年目と3年目に都市対抗野球大会での優勝を経験した。2004年の東京スポニチ大会では大会新記録となる打率を記録。4年目の2006年には、第16回IBAFインターコンチネンタルカップに日本代表として全9試合に出場。
杉山 春樹(すぎやま はるき、1980年5月7日 - )は、… 杉山 春樹(すぎやま はるき、1980年5月7日 - )は、茨城県北相馬郡利根町出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。現在は埼玉西武ライオンズプロスカウト。 竜ヶ崎第一高校時代からプロ注目の投手であったが、卒業後は専修大学に進学。大学時代は、1年上に酒井泰志、同期に江草仁貴らの投手陣が揃っており主戦格ではなかった。1部リーグは1年春と4年秋のみで、通算2試合に登板、0勝0敗、防御率0.00。 大学では1年夏に右ひじを手術後あまり登板機会はなく、4年以降は大学に籍を置き1年間アルバイト生活をしながら、プロ入りを目指し練習を行なっていた。2003年のドラフト会議にて西武ライオンズから8巡目の指名を受け入団。
林 稔幸(はやし としゆき、1979年12月21日 - )は… 林 稔幸(はやし としゆき、1979年12月21日 - )は、茨城県出身の元社会人野球選手(外野手)。右投右打。 土浦日大高校から東都大学野球リーグの立正大学に進学したが、甲子園や大学選手権への出場経験はない。大学時代は、当時チームは東都の二部に低迷していたが、4年春に二部でシーズン9本塁打を記録し注目された。 大学卒業後の2002年に社会人野球の富士重工業に入部。持ち味である長打力を買われ、1年目から主軸を任された。翌2003年の第74回都市対抗野球大会では予選から打棒が爆発し、本大会でもチームを8強まで導いた。また2005年の第76回都市対抗野球大会では住友金属鹿島の補強選手として、これまたチームを8強に導く活躍を見せた。
井川 慶(いがわ けい、1979年〈昭和54年〉7月13日 … 井川 慶(いがわ けい、1979年〈昭和54年〉7月13日 - )は、茨城県東茨城郡大洗町出身のプロ野球選手(投手、左投左打)、野球解説者・野球評論家。 NPBの阪神タイガースとオリックス・バファローズ、MLBのニューヨーク・ヤンキースでプレーし、阪神では2003年と2005年の2度、エースとしてチームのセントラル・リーグ優勝に貢献した。また、阪神甲子園球場開催試合で9連勝した記録を持っており、2022年に伊藤将司が10連勝を達成するまで阪神における投手としての最高記録であった。2025年シーズン終了時点でセ・リーグ最後のシーズン20勝投手でもある。 個人では最多勝利1個、最優秀防御率1個、最多奪三振3個、最高勝率1個のタイトル6個と、沢村栄治賞1個、最優秀選手1個、ベストナイン1個の主要表彰3個を獲得している。
金澤 健人(かなざわ たけひと、1979年1月12日 - )… 金澤 健人(かなざわ たけひと、1979年1月12日 - )は、茨城県北茨城市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 茨城県立磯原高校時代は目立った活躍はしなかったが、1997年にNTT関東に入り、1998年の日本選手権でリリーフとして登板し、チームも優勝して注目を浴びた。NTTグループの再編によりNTT関東の野球部がその年限りで廃部となったため、規定より1年早く1998年のドラフト会議で阪神タイガースに2位指名され入団。 2002年には中継ぎを中心に50試合に登板、5勝を挙げた。 2003年も36試合で防御率2点台と安定感を誇った。日本シリーズ第2戦に登板したが、2回8失点を喫した。 2004年には史上9人目となる1イニング4奪三振を記録。
小林 聡(こばやし さとし、1977年8月21日 - )は、… 小林 聡(こばやし さとし、1977年8月21日 - )は、茨城県水戸市出身の元プロ野球選手(投手)。 中学1年の時に野球を始める。水戸農業高では2年次の夏の茨城大会ベスト8が最高成績。 1995年ドラフト会議で読売ジャイアンツに6位で入団。 2年目の1997年にシーズン最終戦ながら一軍初登板するが、その後は一軍で登板することなく1999年に戦力外通告を受ける。横浜ベイスターズの入団テストを受けたが不合格に終わり現役を引退した。
長谷川 昌幸(はせがわ まさゆき、1977年7月16日 - … 長谷川 昌幸(はせがわ まさゆき、1977年7月16日 - )は、茨城県神栖市出身の元プロ野球選手(投手)。 市立銚子高時代には、2年秋県大会ベスト8。PL学園の福留孝介、南京都高校の斉藤和巳とともにドラフトの注目株とされ、投手では星野智樹(四日市工)を含めてビッグ3と呼ばれた。3年夏は県大会初戦で14奪三振を記録したが4回戦で敗れた。2番手投手に窪田淳がいた。1995年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから1位指名を受けて入団。 1997年8月10日の対阪神戦(広島市民球場)でプロ初登板初先発勝利を収める。 2001年には9勝(対阪神に対して5勝)を挙げ、期待の若手投手として頭角を表す。 2002年は細身の体から投げ込むストレートと切れ味鋭いカーブを武器に自己最多・チームトップの13勝を挙げる。
小山田 保裕(おやまだ やすひろ、1976年7月27日 - … 小山田 保裕(おやまだ やすひろ、1976年7月27日 - )は、茨城県下館市(現:筑西市)出身の元プロ野球選手(投手)。 横浜生まれ。土浦日大高では1年時からエースとして活躍し、秋は県大会準優勝も関東大会初戦で横浜高に敗退、2年夏は県大会ベスト4で秋は県大会準優勝したが関東大会初戦で桐蔭学園に完投するも惜敗。3年夏の県大会決勝では前年夏に続いて水戸商に惜敗し、準優勝。その後城西大へ進み、大学通算6勝、防御率3.08の活躍で、3年春にはリーグ優勝に貢献した。 1998年度ドラフト会議にて広島東洋カープから5位指名を受けて入団。 入団当初はオーバースローから150km/hを超える速球を投げる投手だった。
工藤 建太(くどう けんた、1974年11月13日 - )は… 工藤 建太(くどう けんた、1974年11月13日 - )は、日本の野球指導者、元アメリカンフットボール選手。埼玉西武ライオンズのスタッフを務めた(2018年まではコーチ)。 筑波大大学院でスポーツ医学を学び、理学療法士の資格を取得する。 かつてはアメリカンフットボールの選手で、1997年にXリーグのアサヒビールシルバースターに所属、同年の新人賞に輝く。ポジションはDB(ディフェンシブバック)。理学療法士としての顔を持ち合わせながら、二足の草鞋で現役を続けた。 野球関連のトレーナーとして、社会人野球の新日鐵住金鹿島や高校野球の水戸短期大学附属高等学校(現・水戸啓明高等学校)で指導経験があり、2017年より埼玉西武ライオンズ二軍トレーニングコーチに就任した。
大友 進(おおとも すすむ、1974年6月18日 - )は、… 大友 進(おおとも すすむ、1974年6月18日 - )は、茨城県多賀郡十王町(現:日立市)出身の元プロ野球選手(外野手、右投左打)、野球指導者、野球評論家。元妻は女優の秋本祐希。 一卵性双生児の兄。日立工高では弟と共に1年秋からレギュラーとなる。1年夏は中堅手と投手を兼任し、2年秋には茨城県大会で準優勝して関東大会に進み、ベスト8で浦和学院に敗れた。3年夏の茨城大会でも準優勝に終わり、甲子園出場はならなかった。その後、兄弟で東京ガスへ進む。外野手となり都市対抗野球には補強を含め2回出場。1995年度ドラフト会議で西武ライオンズから2位指名を受けて入団。 1996年シーズン後半戦に監督の東尾修に抜擢され、一軍昇格を果たすと62試合出場で打率.301の成績を残し、レギュラーの座を掴む。
野上 修(のがみ おさむ、1974年4月4日 - )は、日本… 野上 修(のがみ おさむ、1974年4月4日 - )は、日本の野球選手(内野手)、野球指導者。シドニー五輪代表。 小学校3年の時に地元のソフトボールクラブに入り、その後野球に転向した。大宮中学校から水戸商に進み、2年夏には遊撃手のレギュラーを務めて茨城大会準決勝で竜ヶ崎一高に1点差で惜敗。秋からは主将を務め、関東大会で準優勝して3年春の第64回選抜高等学校野球大会に出場し、初戦で自らの送球が走者に当たる不運もあって和歌山県の南部高に1対2で敗れた。3年夏の県大会は準々決勝で常総学院に敗れている。 高校卒業後は明治大学に進み、同級生に橿渕聡や筒井壮がいた。3年春からレギュラー遊撃手となり、同季の六大学リーグ戦でリーグ3位の打率.367を記録してベストナインを獲得。
石本 豊(いしもと ゆたか、1973年6月4日 - )は、茨… 石本 豊(いしもと ゆたか、1973年6月4日 - )は、茨城県出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。右投右打。 藤代紫水高時代は、3年次の1991年に4番・エースとして夏の茨城県大会で決勝に進出するも竜ヶ崎一高にサヨナラ負け。高校通算50本塁打をマーク。 1991年のプロ野球ドラフト会議で横浜大洋ホエールズから5位指名を受け入団。 長打力を期待されていたが、一軍出場がないまま1997年シーズン終了後に現役を引退。その後、2002年に社会人野球のクラブチームである横浜球友クラブ入団。 現在は、元楽天ゴールデンイーグルスの森田丈武が運営する「JOBU BASEBALL ACADEMY」の臨時バッティングコーチを務める。
上野 忠(うえの ただし、1972年11月2日 - )は、茨… 上野 忠(うえの ただし、1972年11月2日 - )は、茨城県出身の元プロ野球選手(捕手)。 霞ヶ浦高時代は、2年秋の関東大会優勝で3年春のセンバツに出場。初戦で、天理高に敗れた。 1990年オフ、ドラフト外でヤクルトスワローズに入団。しかし、当時のヤクルトは捕手が充実しており目立った活躍はできず、1999年オフに自由契約となった。 2001年、ブルペン捕手としてオリックス・ブルーウェーブと契約した。 2005年、球団の合併により新規参入した東北楽天ゴールデンイーグルスに移り、2010年までブルペン捕手を務めた。ブルーウェーブのブルペンスタッフで楽天へ移籍したのは上野だけで、「新規球団で一からやってみたかった」と2005年のMSNのインタビューで答えている。
岩本 守道(いわもと もりみち、1972年7月3日 - )… 岩本 守道(いわもと もりみち、1972年7月3日 - )は、茨城県出身の元プロ野球選手(外野手)。 中学生の時は400m走全国2位の脚力だった。 茨城東高から、1990年オフにドラフト外で横浜大洋ホエールズに入団。投手として入団したが、外野手に転向。しかし、一軍公式戦に出場がないまま1997年限りで現役を引退。 その後は、スポーツジムのインストラクターを務めている。
藤田 正大(ふじた まさひろ、1972年6月10日 - )… 藤田 正大(ふじた まさひろ、1972年6月10日 - )は、茨城県出身の元プロ野球選手(内野手)。 緑岡高では、内野手だけでなく捕手や外野手の経験もあり、公式戦通算打率は4割を超えていた。 オフ、ドラフト外で横浜大洋ホエールズに入団。一軍公式戦出場のないまま1997年限りで現役を引退。
仁志 敏久(にし としひさ、1971年10月4日 - )は、… 仁志 敏久(にし としひさ、1971年10月4日 - )は、茨城県古河市出身の元プロ野球選手(内野手・右投右打)、野球指導者、体育学者。学位は体育学修士(筑波大学大学院・2016年)。江戸川大学客員教授。 常総学院高等学校では1年生からレギュラーを務め、エースの島田直也と共に活躍した。全国高等学校野球選手権大会に3年連続で出場し、1年時の第69回全国高等学校野球選手権大会では決勝でPL学園高等学校に敗退し準優勝。1988年の第70回大会では始球式打者として、当時の徳仁親王と対戦。高校通算28本塁打。1989年のドラフト会議では指名候補に挙がるが、この時は指名を受けることはなかった。 早稲田大学人間科学部に入学。
渡辺 秀一(わたなべ ひでかず、1971年7月13日 - )… 渡辺 秀一(わたなべ ひでかず、1971年7月13日 - )は、茨城県下館市(現在:筑西市)出身の元プロ野球選手(投手)。 1996年から1999年の登録名はヒデカズ。 福岡のローカルアイドル・れいしゅしゅに所属していた渡辺帆乃夏は娘。 作新学院高校入学時は内野手。当時の大塚監督に投手転向を勧められた。高校3年の夏は初戦で県立の進学校である足利高校に敗れる。 神奈川大学に進学し同大学野球部所属。1991年の2年時、春季リーグ戦で優勝しベストナインを獲得した。続く大学選手権で慶応大を2-1、東海大を15-2(7回コールド)で下したものの、準決勝で関西大に3-5で敗退。第20回日米大学野球選手権大会において、後にダイエーでチームメイトとなる浜名千広や鳥越裕介とチームメイトとなる。
田口 昌徳(たぐち まさのり、1970年8月26日 - )は… 田口 昌徳(たぐち まさのり、1970年8月26日 - )は、茨城県北相馬郡藤代町(現・取手市)出身(生まれは常陸大宮市)の元プロ野球選手(捕手、右投右打)・コーチ。現在は読売ジャイアンツで二軍バッテリーコーチを務める。 小学2年生の時にソフトボールを、小学4年生の時に野球を始める。藤代紫水高等学校では1年生からレギュラーとなり、2年秋の県大会で優勝。関東大会に出場したが初戦敗退し甲子園には出場できなかった。高校通算38本塁打。駒澤大学へ進学し、2学年先輩の捕手・関川浩一の後を受けて3年生からは1学年先輩で主将の若田部健一、竹下潤ともバッテリーを組んだ。4年春には同期の鶴田泰や2学年下の河原純一、投手であった高木浩之らの活躍もあって大学選手権で優勝。
島田 直也(しまだ なおや、1970年3月17日 - )は、… 島田 直也(しまだ なおや、1970年3月17日 - )は、千葉県柏市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。常総学院高等学校職員。 常総学院高等学校硬式野球部の出身。2003年に現役を引退してからは、(独立リーグを含む)日本のプロ野球3球団でのコーチや監督などを経て、2020年7月26日から同部の監督を務めている。 小学1年から野球を始め柏市立富勢中学時代はエースピッチャーであった。常総学院高時代は捕手、内野手、外野手と様々なポジションを経験した後に再び投手となる。1987年の甲子園に春・夏連続出場を果たし、春は常総学院初の甲子園出場も1回戦敗退、夏は決勝でPL学園高に敗れて準優勝投手となる。
増田 政行(ますだ まさゆき、1969年4月13日 - )は… 増田 政行(ますだ まさゆき、1969年4月13日 - )は、茨城県北相馬郡利根町出身の元プロ野球選手(投手)。1993年から1996年までの登録名は増田 康栄(ますだ やすひで)。 印旛高では3年時捕手を務め、1学年上にプロでも同僚となる土橋勝征がいた。国士舘大学では東都大学2部リーグで通算12勝。 1991年のプロ野球ドラフト会議でヤクルトスワローズから3位指名を受け入団。 1992年から一軍登板を果たした。 1996年には自己最多の22試合に登板する。 1998年以降は一軍登板がなかった。 1999年シーズン終了後に退団。 退団後は、社会人野球の鷺宮製作所に在籍した。
大川 隆(おおかわ たかし、1967年8月2日 - )は、茨… 大川 隆(おおかわ たかし、1967年8月2日 - )は、茨城県行方郡麻生町(現:行方市)出身 の元プロ野球選手(外野手、内野手、投手)。本名は「大川 隆哉」(読み方は「おおかわ りゅうさい」)。 銚子商業高では、3年次の1985年に同期の片平哲也と投の二本柱を組み、同年の夏の選手権に出場する。千葉県大会の決勝では、先発を務め7回を無失点で片平に繋いで市立柏高に圧勝した。本大会の1回戦では、片平が先発を務め、自身は1番・中堅手として出場、途中から救援登板したがこの大会で準優勝した宇部商業高の田上昌徳(新日本製鐵光)に抑えられ敗退した。 1985年のプロ野球ドラフト会議で横浜大洋ホエールズから投手として3位指名を受け入団する。
大久保 博元(おおくぼ ひろもと、1967年2月1日 - )… 大久保 博元(おおくぼ ひろもと、1967年2月1日 - )は、茨城県東茨城郡大洗町出身の元プロ野球選手(捕手、右投右打)、野球解説者・野球評論家、YouTuber、プロゴルファー、実業家。 愛称はデーブ、ブーちゃん。現役引退後はデーブ大久保名義で活動しており、埼玉西武ライオンズコーチ時代は登録名としても使用した。第59代巨人4番打者、第5代東北楽天ゴールデンイーグルス監督。東京都港区新橋・居酒屋「肉蔵でーぶ」オーナー、東京/横浜「デーブ ベースボールアカデミー」主宰者。 大洗町立大貫小学校、水戸市立第五中学校、茨城県立水戸商業高等学校出身。中学2年次に加倉井実が水戸市内で営んでいた下宿屋へ下宿するため、大洗町立南中学校から水戸五中へ転校している。
石田 文樹(いしだ ふみき、1966年〈昭和41年〉8月22… 石田 文樹(いしだ ふみき、1966年〈昭和41年〉8月22日 - 2008年〈平成20年〉7月15日)は、茨城県出身のプロ野球選手(投手)。 1994年から1998年までの登録名は「石田 大也」(読み方は「いしだ ともや」)。血液型はA型。 1966年(昭和41年)8月22日、茨城県新治郡新治村(現在の土浦市)で生まれる。小学3年の時に投手として野球を始める。それ以来、投手一筋でやってきた。 取手第二高では当時の監督であった木内幸男の指導の下、1年秋からエース投手になる。高校同期のチームメイトに捕手の吉田剛(のち遊撃手)がいた。甲子園に通算3回出場した。2年生の時の1983年春の第55回選抜では1回戦で泉州高に敗退した。
原田 明広(はらだ あきひろ、1966年7月25日 - )は… 原田 明広(はらだ あきひろ、1966年7月25日 - )は、茨城県出身の元プロ野球選手(投手)。 現友部リトルシニア監督 笠間高から、1984年オフにドラフト外で読売ジャイアンツに入団。中央球界では無名だが、右の本格派でレベルが高い茨城高校野球界でも2年生のころから注目されていた。 1990年、途中で一軍昇格を果たすなど、二軍で7勝1敗、防御率2.54の成績を残し、イースタン・リーグで防御率4位、最高勝率となる。もっとも、この年の一軍は、チームで70完投で一軍登板を果たした投手が10人だけという戦力だったため、原田に一軍登板の機会はなかった。そのため、この年の偵察メンバーとしての野手出場(1990年7月22日大洋戦・6番右翼)が、原田にとっての生涯唯一の一軍公式戦出場となった。
中島 彰一(なかじま しょういち、1966年7月1日 - )… 中島 彰一(なかじま しょういち、1966年7月1日 - )は、茨城県石岡市出身の元アマチュア野球選手(捕手)、野球指導者。 取手第二高校では捕手としてプレーし、高校3年生の時に1984年の夏の甲子園に出場し、決勝でPL学園の桑田真澄から決勝3ランを放ち、チームの全国制覇に貢献した。同年の高校日本代表の韓国遠征のメンバーにも選ばれた。 東洋大学では3年秋に優勝を経験、4年次は主将を務めるが秋の入替戦で敗れた。黒須隆の入学後は控えとなった。1学年先輩に山下徳人がいた。社会人野球の住友金属鹿島のチームで主将も務めた。 引退後はコーチを経て、2002年から2008年まで、2015年から再度、日本製鉄鹿島の監督を務めている。
加茂川 重治(かもがわ しげはる、1966年3月17日 - … 加茂川 重治(かもがわ しげはる、1966年3月17日 - )は、茨城県水戸市出身の元プロ野球選手(投手)。 水戸市立緑岡中学校時代は、茨城県内の古豪である水戸商業高校への進学を考えていたが、自宅を訪ねて来た当時創立3年目の茨城東高野球部監督から「必ず3年後、甲子園に連れて行く」と誘われ、同校に進学しエースとして活躍。2年秋の県大会では決勝で取手二高を下して優勝したが、関東大会初戦で横浜商の三浦将明に完投されて敗れた。1983年夏の県大会決勝で、大久保博元がマスクを被る水戸商業高を下し、夏の甲子園に初出場を果たす。2回戦(初戦)で市尼崎高と対戦、池山隆寛に本塁打を浴び延長10回惜敗。 1983年のプロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツ(巨人)から4位指名を受け入団。
山中 律俊(やまなか のりとし、1965年10月14日 - … 山中 律俊(やまなか のりとし、1965年10月14日 - )は、茨城県北相馬郡利根町出身の元プロ野球選手(内野手)。 印旛高時代は、1982年の第13回明治神宮野球大会に出場。翌1983年夏の第65回全国高等学校野球選手権大会に遊撃手で出場し、チームは3回戦まで進出した。この大会の県予選で三試合連続本塁打を記録している。 プロ野球ドラフト会議で南海ホークスから4位指名を受け入団。 4年間在籍したが、一軍未出場のまま1987年限りで現役を引退。 引退後は少年野球のコーチや、2012年に出身地の利根町に開学した日本ウェルネススポーツ大学軟式野球部のコーチとして活動し、野球の指導に当たっている。 息子の山中裕貴は2016年に大相撲の式秀部屋に入門した。
戸塚 友行(とつか ともゆき、1965年9月19日 - )は… 戸塚 友行(とつか ともゆき、1965年9月19日 - )は、茨城県出身の元プロ野球選手(投手)。右投げ右打ち。 古河第一高から、1983年のプロ野球ドラフト会議で横浜大洋ホエールズから5位指名を受け入団。 プロ4年目の1987年にはMLB・テキサス・レンジャーズ傘下(当時)のルーキー級ビュート・カッパーキングスに野球留学した。 しかし、一軍公式戦に出場することなく1988年限りで現役を引退。
冨田 勇(とみた いさむ、1964年12月15日 - )は、… 冨田 勇(とみた いさむ、1964年12月15日 - )は、茨城県水戸市出身の元プロ野球選手(投手)。 茨城・大宮高から、1982年オフにドラフト外で阪急ブレーブスに入団。 1988年限りで現役を引退。1989年は打撃投手を務めた。 右の上手投げから、スライダー、カーブ、シュートを武器とした。 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。
阿井 英二郎(あい えいじろう、1964年9月29日 - )… 阿井 英二郎(あい えいじろう、1964年9月29日 - )は、茨城県稲敷郡美浦村出身の元プロ野球選手(投手)。 2005年から2012年まで埼玉県川越市の川越東高等学校の地理歴史教諭および野球部監督を務めた後、2013年から2015年まで北海道日本ハムファイターズの一軍ヘッドコーチを務めた。2016年からは、野球解説者として活動した。2018年9月からは硬式野球クラブのイートファクトリーベースボールクラブでシニアアドバイザー、2019年1月からは札幌国際大学スポーツ人間学部の教授も務める。 ユニフォームの背ネーム「AI」は、王貞治(OH)、呂明賜(RO)らと並び、日本プロ野球史上最も短い背ネームである。
関 清和(せき きよかず、1964年9月26日 - )は、茨… 関 清和(せき きよかず、1964年9月26日 - )は、茨城県出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 鉾田一高時代から速球投手として有名な存在だった。2年時の1981年秋季関東大会では準々決勝に進むが、横浜商業高の三浦将明と投げ合い0-1で惜敗、春の選抜出場を逸する。翌1982年夏の甲子園県予選は、決勝で羽生田忠克のいた土浦日大高を降し、甲子園出場を決める。しかし本大会では2回戦(初戦)で広島商業高に2-6で敗退した。 高校卒業後は、専修大へ進学。東都大学リーグでは1983年秋季リーグで二部に降格するが、1985年春季は最優秀投手、秋季リーグも2季連続で二部優勝、翌季から一部に復帰した。1986年秋季リーグで、当時の東都大学野球の記録上円子宏に次ぐ2位となるシーズン81奪三振を記録。
羽生田 忠克(はにゅうだ ただかつ、本名:羽生田 忠之(はに… 羽生田 忠克(はにゅうだ ただかつ、本名:羽生田 忠之(はにゅうだ ただゆき)、1964年5月1日 - )は、茨城県新治郡桜村(現:つくば市)出身の元プロ野球選手(外野手)、元野球指導者。 1983年から1988年までの登録名は本名である羽生田 忠之。プロ野球人生15年間のうちで10回リーグ優勝、5回日本一を経験。2022年からは鳥越アズーリFMにて毎月第1・第2・第3週の月曜日11:00より『基本的には野球の話』という自身初の冠番組に生放送で出演中。 土浦日大高では、1982年夏の甲子園県予選で決勝に進むが、鉾田一高の関清和に完封を喫し、甲子園出場を逸する。 1982年オフに、ドラフト外で西武ライオンズに入団。
益田 尚哉(ますだ なおや、1964年3月14日 - )は、… 益田 尚哉(ますだ なおや、1964年3月14日 - )は、茨城県結城市出身の元プロ野球選手(内野手)。 國學院栃木高では2年秋の栃木県大会で優勝し、関東大会では1回戦で後関昌彦がエースの習志野高校に完投勝利したが2回戦では翌春の選抜出場で話題となる高崎高校に敗れた。3年夏の県大会・芳賀高戦でノーヒットノーランを達成。國學院大學へ進み、在学中に投手から内野手へ転向すると4年次は主将。 大学卒業後は、社会人野球の日本通運へ進み勝呂博憲のプロ入り後に遊撃手へ定着すると1988年オフにドラフト外で広島東洋カープへ入団。 1989年に一軍出場を果たすが、翌1990年限りで現役を引退した。
斉藤 学(さいとう まなぶ、1963年8月12日 - )は、… 斉藤 学(さいとう まなぶ、1963年8月12日 - )は、茨城県下館市(現在の筑西市)出身の元プロ野球選手(投手)、コーチ。右投右打。 2019年以降の登録名は齋藤 学(読み同じ)。姓については一部報道で「斎藤」と表記されることもある。 下妻一高では1年夏からアンダースローの投手になる。2年夏にエースで県大会準優勝、3年夏はノーヒットノーランも達成してベスト4。1982年、青山学院大学に進む。東都大学リーグでは3年生の1984年春に2部リーグでMVP、最優秀投手となり、1年上の小川博投手とチームの1部昇格に貢献。4年次の1985年春季1部リーグ戦では8勝3敗で最優秀投手とベストナインに選出された。
広澤 克実(ひろさわ かつみ、本名:広沢 克己(読み同じ)、… 広澤 克実(ひろさわ かつみ、本名:広沢 克己(読み同じ)、1962年4月10日 - )は、元プロ野球選手(内野手、外野手)、元プロ野球コーチ、ナショナルチーム・コーチ、野球解説者。茨城県結城市出身。
茅場 孝史(かやば たかし、1961年12月4日 - )は、… 茅場 孝史(かやば たかし、1961年12月4日 - )は、茨城県出身の元プロ野球選手(内野手)。 土浦第三高では小松崎善久とクリーンアップを形成、1979年オフにドラフト外で横浜大洋ホエールズに入団。 内臓疾患のため1981年に一時引退するが、1983年に復帰。しかし、一軍出場はないまま同年限りで現役を引退。 子息も同じ高校を経て、BCリーグの富山サンダーバーズでプレーしていた。その後は地元で親子揃って野球教室にも協力している。