半谷 恭一(はんや きょういち、1932年11月4日 - 2… 半谷 恭一(はんや きょういち、1932年11月4日 - 2011年2月5日頃)は、日本の元裁判官、元弁護士。茨城県古河市出身で、主に刑事裁判を担当。水戸家庭裁判所長、宇都宮地方裁判所長、東京高等裁判所部総括判事等を歴任し、退官後は公証人・弁護士を務めた。東京地裁部総括時代には、ロッキード事件児玉・小佐野ルートやダグラス・グラマン事件の審理などを担当した。
茨城県:1,636人
半谷 恭一(はんや きょういち、1932年11月4日 - 2… 半谷 恭一(はんや きょういち、1932年11月4日 - 2011年2月5日頃)は、日本の元裁判官、元弁護士。茨城県古河市出身で、主に刑事裁判を担当。水戸家庭裁判所長、宇都宮地方裁判所長、東京高等裁判所部総括判事等を歴任し、退官後は公証人・弁護士を務めた。東京地裁部総括時代には、ロッキード事件児玉・小佐野ルートやダグラス・グラマン事件の審理などを担当した。
長谷川 五郎(はせがわ ごろう、本名:長谷川敏、1932年〈… 長谷川 五郎(はせがわ ごろう、本名:長谷川敏、1932年〈昭和7年〉10月19日 - 2016年〈平成28年〉6月20日)は、日本のボードゲーム研究家、ボードゲーム開発者。特にオセロのパッケージを開発したことで知られる。五郎はペンネームであり、オセロに関しては本名の長谷川敏で商標権を取得している。 日本オセロ連盟元会長。オセロ名誉十段。オセロ以外にも88オセロ、グランドオセロ、ソクラテス、ミラクルファイブ、セルゴ、大碁(だいご)といったボードゲームを開発した。将棋・囲碁共にアマチュア五段でもある。 茨城県水戸市出身。英文学研究者で、茨城大学教授の長谷川四郎を父として生まれる。旧制水戸中学校(現在の茨城県立水戸第一高等学校)に入学。
石井 連藏(いしい れんぞう、1932年6月26日 - 20… 石井 連藏(いしい れんぞう、1932年6月26日 - 2015年9月27日)は、日本のアマチュア野球選手、監督。早稲田大学野球部第9代・第14代監督。 水戸第一高等学校では、エースとして1949年秋季関東大会県予選決勝に進むが、水戸商に惜敗。翌1950年夏の甲子園予選でも北関東大会決勝に進むが、宇都宮工の神田昌男、吉成武雄(いずれものち大洋ホエールズ)のバッテリーに完封を喫し甲子園出場を逸する。 1951年に早稲田大学野球部に進み、東京六大学野球リーグでは在学中3度の優勝を経験。2年生からエースとして剛速球のストレートと大きなカーブを武器に活躍、なかでも早慶戦では6勝を挙げ大活躍した。2年次の1952年は慶應の河合貞雄と春秋にわたって全試合に投げ合いを演じ、春季2位、秋季優勝の記録を残した。
石井 連藏(いしい れんぞう、1932年6月26日 - 20… 石井 連藏(いしい れんぞう、1932年6月26日 - 2015年9月27日)は、日本のアマチュア野球選手、監督。早稲田大学野球部第9代・第14代監督。
川島淳夫(かわしま あつお、1932年6月10日- )は、日… 川島淳夫(かわしま あつお、1932年6月10日- )は、日本のドイツ語学者、獨協大学名誉教授。 茨城県鉾田市生まれ。1955年東京教育大学独語独文学科卒業、1961年同大学院修士課程修了。1966‐1968年ケルン大学留学。関西大学文学部助教授・東京教育大学文学部助教授・北海道大学文学部助教授、岩手大学教授・獨協大学教授、2003年定年、名誉教授。
宮川 俊行(みやがわ としゆき、1932年3月15日 - 2… 宮川 俊行(みやがわ としゆき、1932年3月15日 - 2022年12月14日)は、日本の神学者、哲学者。カトリック教会司祭。元長崎純心大学教授。安楽死に関する研究で知られる。 1932年、茨城県土浦市生まれ。1944年に大村教会で洗礼を受けた。長崎県立長崎東高等学校を経て、1955年に東京大学経済学部卒業後、東京カトリック神学院に入学。1957年から1968年にかけてローマとミュンヘンへ留学し、1963年に司祭叙階を受けた。1965年教皇庁立ウルバニアナ大学大学院神学研究科、1968年同大学大学院哲学研究科をそれぞれ修了し、神学博士号と学術博士号を取得した。 1967年に東京純心女子短期大学専任講師となり、1971年長崎純心女子短期大学(現:長崎純心大学短期大学部)教授を経て、1995年長崎純心大学人文学部教授。
大川 とみ(おおかわ とみ、1932年2月26日 - )は、… 大川 とみ(おおかわ とみ、1932年2月26日 - )は、日本の元卓球選手、卓球指導者。 茨城県結城郡三妻村大字三坂(現:常総市三坂町)出身。 1956年に東京で行われた世界卓球選手権大会の女子シングルスで日本人女子として初の優勝をかざった。この優勝を記念して地元の茨城県では大川杯卓球大会が翌1957年から開催されていたが2008年3月に行われた第51回大会で幕を閉じた。 1956年から1960年頃、会計検査院に所属した。1960年頃結婚し岡田とみとなっている。 現在は東京都調布市の「メイジ・コミュニティ・スポーツクラブ」卓球教室にて、平岡義博(明治大学卓球部元監督)や夫と共に後進の指導を行っている。
矢田部 理(やたべ おさむ、1932年2月15日 - 202… 矢田部 理(やたべ おさむ、1932年2月15日 - 2021年12月5日)は、日本の政治家・弁護士・平和運動家・作家。参議院議員(4期)、初代新社会党委員長。矢田部理法律事務所代表。茨城県大子町出身。 茨城県大子町出身。茨城県立太田第一高等学校から中央大学法学部に進学。在学中から左翼思想に傾倒し、活動にいそしむ。苦学の末、司法試験に合格する。司法修習所での研修を経て、弁護士開業。 1974年、第10回参議院議員通常選挙の茨城県選挙区に日本社会党から立候補し、当選。以後、改選数2で、「自民党と社会党の指定席」と言われた同選挙区で4回の当選を果たす。その間、党内では茨城県本部委員長となり、左派系の論客として知られ、参議院では予算委員会等での自民党政権追及に活躍、「参院の爆弾男」と呼ばれた。
新井 明(あらい あきら、1932年1月17日- 2023年… 新井 明(あらい あきら、1932年1月17日- 2023年10月9日)は、日本の英文学者、日本女子大学名誉教授。ジョン・ミルトンが専門で、聖書も研究した。 茨城県水戸市生まれ。1954年東京教育大学英文科卒。アマースト大学卒、東京教育大学大学院修士課程修了、ミシガン大学修士。1961年、名古屋大学講師、のち助教授。1968年、東京教育大学助教授。1972年、「ミルトン研究 ヒロイズム観の展開」で東京教育大学文学博士。1977年、大妻女子大学教授。1981年、日本女子大学教授、2000年退任、名誉教授。敬和学園大学学長。2009年退任。 2023年10月9日午前に老衰のため藤沢市の老人ホームで死去。
池田 充男(いけだ みつお、1932年〈昭和7年〉- )は、… 池田 充男(いけだ みつお、1932年〈昭和7年〉- )は、日本の作詞家。 茨城県稲敷郡岡田村東猯穴(牛久町を経て、現在の牛久市東猯穴町)出身。岡田国民学校(現在の牛久市立岡田小学校)、岡田農業青年学校(後の牛久町立岡田中学校)、県立取手第一高等学校に進む。高校生の時に作詞家を志す。テイチクレコードより黒田春雄(後のアイ・ジョージ)歌唱の「心の十字路」で作詞家デビューし、現在も現役で活動している。 1992年の第34回日本レコード大賞歌謡曲・演歌部門で、大月みやこの『白い海峡』が大賞、1999年には服部浩子の『旅路の花』が第32回日本作詩大賞、2006年には香西かおりの『最北航路』が第39回日本作詩大賞を受賞するなど多くの作品で日本作詞家大賞を受賞する。
久米 博(くめ ひろし、1932年 - 2023年9月16日… 久米 博(くめ ひろし、1932年 - 2023年9月16日)は、日本の哲学者、翻訳家。 ポール・リクールを中心に多くのフランス現代思想を翻訳した。 茨城県日立市生まれ。1957年、東京大学文学部哲学科卒業。1962年、東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学。1967年、ストラスブール大学プロテスタント神学部で宗教学博士。桐朋学園大学教授。1995年、立正大学教授。2003年、定年退職。 2023年9月16日、死去。
香川 京子(かがわ きょうこ、1931年〈昭和6年〉12月5… 香川 京子(かがわ きょうこ、1931年〈昭和6年〉12月5日 - )は、日本の女優。本名は、牧野 香子()。茨城県行方郡麻生町(現行方市)生まれ。東京都立第十高等女学校卒業。身長162 cm、体重45 kg。 茨城県行方郡麻生町(現・行方市)で生まれる。生まれてすぐに父親の仕事の都合で兵庫県の芦屋へ移る。 小学校に入る1年前に東京に戻るも、女学校に上がった1944年に空襲を避けるため、茨城県の下館に疎開。間もなく母親が麻生町に疎開したため、自らも麻生町に戻る。 女学校時代は勤労奉仕ばかりで、勉強することはあまりなかった。 1945年に東京に移り住む。 1949年に東京都立第十高等女学校を卒業。
石谷 行(いしたに すすむ、1931年(昭和6年)11月30… 石谷 行(いしたに すすむ、1931年(昭和6年)11月30日 - 2002年6月20日)は日本の教育学者、平和運動家。良心的軍事費拒否の会代表。 東京生まれ。13歳のときに長崎で被爆する。水戸第一高校在学中、米国クエーカー教徒で数学教師ニール・ハートマンの戦争拒否体験談を聴いて、クエーカー主義のキリスト教に入信、日本キリスト友会に加入する。茨城大学教育学部を卒業し、国際基督教大学大学院修士課程修了。明星大学講師の頃に、非暴力行動準備会に入り、ミニコミ誌『非暴力』を発行する。また、明星大学の学生闘争を支持して非常勤講師を解雇される。その後、「ジャテックの脱走兵支援活動」にも参加し、1969年(昭和44年)に法政大学助教授、のち教授。
大野 瑞男(おおの みずお、1931年11月8日 - 202… 大野 瑞男(おおの みずお、1931年11月8日 - 2026年1月4日)は、日本史学者、東洋大学名誉教授。 水戸市生まれ。1954年東京大学文学部国史学科卒、58年同大学院修士課程修了。1961年文部省史料館研究員・国文学研究資料館助教授、教授、1982年東洋大学文学部教授、2002年定年退任、名誉教授、1997年「江戸幕府財政史論」で東大文学博士。 2026年1月4日、膀胱がんで死去。94歳没。
大里 晴信(おおさと はるのぶ、1931年10月1日 - 2… 大里 晴信(おおさと はるのぶ、1931年10月1日 - 2019年4月21日)は、茨城県常総市出身の元プロ野球審判員。審判員袖番号は5。 茨城県立水海道第一高等学校(のちに同校野球部監督も務めた)を経て法政大学を卒業後、1959年にセ・リーグ審判部入局。1981年からインサイドプロテクターを使用し、長らく中堅審判員として活躍したが、1973年6月12日の巨人対阪神タイガース戦で江夏豊が王貞治に対して投じた内角球をボールと判定したところ不服に思った江夏に突き飛ばされて、江夏を退場処分とした。また1990年の巨人対ヤクルト開幕戦で、巨人の打者・篠塚和典がヤクルトの内藤尚行から放ったライトポール際の打球を、一塁塁審の大里がホームランと判定した。
三田 きえ子(みた きえこ、1931年9月29日 - 202… 三田 きえ子(みた きえこ、1931年9月29日 - 2025年7月8日)は、日本の俳人。本名は三田 きい。 1931年9月29日、茨城県結城市に生まれる。1968年、産経学園自由ヶ丘教室で秋元不死男の指導を受け「氷海」入会。あわせて上田五千石に師事。1974年、氷海賞受賞、「氷海」同人となる。1975年、「畦」同人。1994年、第九回俳句研究賞受賞。2000年1月、「かなえ」改め「萌」の主宰となる。俳人協会評議員、日本文芸家協会会員、国際俳句交流協会評議員。 2025年7月8日、老衰のため死去。93歳没。
宮島 達夫(みやじま たつお、1931年8月3日 - 201… 宮島 達夫(みやじま たつお、1931年8月3日 - 2015年12月5日)は、日本の言語学者、国語学者。 茨城県水海道町(現・常総市)生まれ。1953年東京大学文学部国文科卒業、同大学院修士課程修了。国立国語研究所勤務ののち、1991年より大阪大学文学部教授、1995年より京都橘女子大学教授、2005年校名変更により京都橘大学教授、2009年退任。国立国語研究所名誉所員。 心筋梗塞で死去。享年84歳。 言語学研究会の主要なメンバーの一人で、教育科学研究会・国語部会その他における言語教育(主に語彙教育)においても指導的役割を果たしている。宮島は語彙論を「言語の基本的単位で、単語の語彙的性質を研究する分野」としているが、これは言語学研究会の言語観を基盤としているもので、形態論や構文論とセットで考える伝統的な言語学の枠組みである。
木内 幸男(きうち ゆきお、1931年7月12日 - )は、… 木内 幸男(きうち ゆきお、1931年7月12日 - )は、茨城県土浦市出身の高校野球指導者。茨城県立取手第二高等学校・常総学院高等学校の野球部監督を歴任したことで知られる。
塩瀬 盛道(しおせ もりみち、1931年5月23日 - 20… 塩瀬 盛道(しおせ もりみち、1931年5月23日 - 2001年3月25日)は、日本のプロ野球選手(投手・外野手。右投右打)、大学野球指導者(監督)、実業家。 初打席初本塁打を放つも、以後再び打席に立つことも試合に出ることもなかったため、通算打率10割・通算長打率40割・通算OPS5.000という、稀有の記録を有する選手である。この記録は、日本プロ野球の歴史の中で、塩瀬とドン・シュルジー(オリックス)の2例しか見受けられない。通算出場試合が1試合、しかも初球で仕留めた記録となると、塩瀬のみである。 東京府荏原郡馬込町(現在の東京都大田区馬込)で生まれる。戦火に遭い、母親の実家がある茨城県稲敷郡牛久村(現在の牛久市)へ疎開する。
飯山 利雄(いいやま としお、1931年 <昭和6年> 5月… 飯山 利雄(いいやま としお、1931年 <昭和6年> 5月6日 - 2001年 <平成13年> 6月26日)は、日本の政治家。元茨城県日立市長。位階は正六位。勲等は勲四等瑞宝章。 日立市出身。早稲田大学政経学部卒業。 日立市に入り、都市計画部長、市長公室長、教育長を経て、1991年(平成3年)日立市長に当選。1999年(平成11年)4月まで務めた。 2001年6月 死去。死没日付をもって正六位に叙され、勲四等瑞宝章追贈。
田村 晃祐(たむら こうゆう、1931年2月5日 - 202… 田村 晃祐(たむら こうゆう、1931年2月5日 - 2022年7月1日)は、日本の仏教学者。学位は、文学博士(東京大学・乙種・1989年)。東洋大学名誉教授。専門は日本仏教史。最澄と徳一研究の第一人者。その他に聖徳太子、親鸞、井上円了も研究。茨城県多賀郡日立町(現、日立市)生まれ。 1931年2月、茨城県多賀郡日立町の真宗大谷派の寺院に生まれる。1949年、茨城県立日立第一高等学校を卒業後、東京大学文学部印度哲学梵文学科(現:インド哲学仏教学専修課程)に進む。1954年に同大学院人文科学研究科修士課程に進み、1961年に同博士課程満期退学。1989年に『最澄教学の研究 - 最澄,徳一論争を通じて-』で文学博士(乙種、東京大学)。
中島 清治(なかじま きよじ、1931年〈昭和6年〉- 20… 中島 清治(なかじま きよじ、1931年〈昭和6年〉- 2015年〈平成27年〉)は、日本の作詞家。茨城県稲敷郡牛久村(現在の牛久市)出身。 茨城県稲敷郡牛久村(現在の牛久市)大字新地(現在の新地町)出身。牛久国民学校(現在の牛久小学校)を卒業後、学徒動員されて地元の軍事工場で働く。終戦後、高等科を卒業し、東京都に働きに出る。その後に板倉文雄に誘われて作詞家となる。1963年に日本クラウンレコード専属歌手となった津田耕次のデビュー作「お聞き下さい皆様よ」を作詞する。15年以上に渡り東京で作詞活動をするが、医者に進められて自身と家族の体調を考え牛久に里帰りした。平成22年には牛久市立ひたち野うしく小学校の開校に伴い、校歌の作詞を手掛けた。
新井 欣弥(あらい きんや、1931年(昭和6年) - )は… 新井 欣弥(あらい きんや、1931年(昭和6年) - )は日本の実業家。鹿島建設株式会社代表取締役元副社長、鹿島出版会元社長。 昭和6年茨城県生まれ。昭和21年旧制水戸中学校(現水戸第一高等学校)入学。疎開先の旧制新庄中学(現新庄北高等学校)に在籍した後、昭和25年水戸中学校卒業。昭和28年法政大学経済学部卒業、鹿島建設株式会社入社。建築本部経理部長、東京支店次長兼支店長室長等を経て平成2年より取締役、常務、専務を歴任。平成9年代表取締役副社長に就任。さらに鹿島出版会社長。
松本 和男(まつもと かずお、1930年11月20日 - 2… 松本 和男(まつもと かずお、1930年11月20日 - 2012年10月9日)は、日本の経済学者、日本文学研究者。 茨城県土浦市生まれ。筆名・謙治。1953年一橋大学経済学部卒業。日本経済新聞記者、1960年大井証券に入社、68年和光証券と改称、72年取締役、76年常務、79年和光経済研究所専務取締役、副社長。一橋大学講師、愛知学院大学教授。景気循環学会監事、資本市場フォーラム代表幹事、日本経済新聞社社友。 経済アナリストとして、景気循環にもとづく株価予測を行い、2003年及び2012年の日経平均株価の底を的中させた。ヘゲモニーサイクルを含む景気循環理論を用いて予測を行っている経済アナリストは、本邦でも彼のみである。
倉田 弘(くらた ひろし、1930年〈昭和5年〉9月21日 … 倉田 弘(くらた ひろし、1930年〈昭和5年〉9月21日 - 2018年〈平成30年〉4月15日)は、昭和時代後期から平成時代の政治家。茨城県新治郡桜村長、つくば市長。 茨城県新治郡桜村栗原(現つくば市栗原)出身。1948年(昭和23年)茨城県立土浦中学校卒業。桜村助役を経て、1983年(昭和58年)桜村長に就任した。村長在任中は合併協議が難航する中で、6町村の合併を呼び掛け、協議をまとめ上げ、新市誕生に尽くした。1987年(昭和62年)11月30日、筑波郡谷田部町、大穂町、豊里町、新治郡桜村の3町1村が新設合併しつくば市が誕生。当初の市役所は旧第一圏民センター(現市民ホールやたべ)に置かれ、市長職務代理者には木村操旧谷田部町長が就任し、倉田は稲葉勝行旧大穂町長、野堀豊定旧豊里町長とともに副市長に就任した。
深作 欣二(ふかさく きんじ、1930年7月3日 - 200… 深作 欣二(ふかさく きんじ、1930年7月3日 - 2003年1月12日)は、日本の映画監督・脚本家。愛称はサクさん。茨城県緑岡村出身。 6人兄弟姉妹の次男(第5子)として生まれる。茨城大学教育学部附属中学校、水戸第一高等学校、日本大学芸術学部卒業。1953年(昭和28年)に東映へ入社。 1961年(昭和36年)、千葉真一の初主演作品となる『風来坊探偵 赤い谷の惨劇』で監督デビュー。千葉とはこののち23作品でコンビを組み、ヒットを連発していく。千葉を主演に据え置き演出した『風来坊探偵シリーズ』『ファンキーハットの快男児シリーズ』、1966年(昭和41年)の『カミカゼ野郎 真昼の決斗』は、『キイハンター』(1968年 - 1973年)の土台となった作品で、『キイハンター』の企画にも関わり、第1,2,157,158,178話を演出した。
初岡 栄治(はつおか えいじ、1930年6月22日 - 20… 初岡 栄治(はつおか えいじ、1930年6月22日 - 2015年1月8日)は、茨城県出身の元プロ野球選手(投手・外野手)。 下妻中では1947年に4番・投手として夏の甲子園茨城大会で優勝し、北関東大会に進出するも初戦で敗退。卒業後は東京鉄道局に進み、シュート、ドロップを武器に主戦投手として活躍。 その後は専修大学を中退し、1950年に新球団の国鉄スワローズへ入団。球威はないものの変化球や制球が良かったため高橋輝に次ぐ主戦投手として期待されたが、結果を出せずに2年目の1951年からは外野手に転向。3年目の1952年には規定打席に到達するが、佐藤孝夫の外野転向と安居玉一の入団、町田行彦の成長もありレギュラーから陥落。
牛山 純一(うしやま じゅんいち、1930年2月4日 - 1… 牛山 純一(うしやま じゅんいち、1930年2月4日 - 1997年10月6日)は、日本のドキュメンタリー映像作家。父は歴史学者の牛山栄治 東京都出身。小学6年生から旧制中学校卒業まで現在の茨城県龍ケ崎市で過ごす。 茨城県立龍ヶ崎中学校(現在の竜ヶ崎第一高等学校)を経て1953年、早稲田大学第二文学部西洋史学専修卒業。早稲田大学卒業後、開局したての日本テレビに入社し、報道記者として活躍。 1954年に日本テレビで放送された、吉田内閣不信任案における国会の混乱や造船汚職事件などを扱った『特集第十九国会』が彼のテレビ・ドキュメンタリーのデビューとなった。 1961年から、ドキュメント番組『ノンフィクション劇場』を制作。
所 理喜夫(ところ りきお、1929年(昭和4年)5月1日 … 所 理喜夫(ところ りきお、1929年(昭和4年)5月1日 - 2016年)は、日本史学者、駒澤大学名誉教授。 茨城県結城郡石下町(現在の常総市)生まれ。茨城県立下妻中学校(現在の茨城県立下妻第一高等学校)、陸軍士官学校、東京高等師範学校から東京教育大学に編入、1955年同大学院修士課程を修了し、桐朋高等学校教諭に就任。1956年東京都立城北高等学校赤羽分校(後の赤羽商業高等学校)教諭、1970年駒澤大学文学部専任講師、1972年助教授、1978年教授、1989年文学部長、1996年から1998年までは図書館長を務めた。2000年駒澤大学を定年退任、名誉教授に就任した。 1977年「徳川権力体制完成過程の基礎的研究」で東京教育大学文学博士。
新川 和江(しんかわかずえ、1929年4月22日 - 202… 新川 和江(しんかわかずえ、1929年4月22日 - 2024年8月10日)は、日本の詩人。 西條八十に師事。第1詩集『睡り椅子』(1953年)を刊行し、詩誌「地球」の同人となった。愛情にあふれた詩風が特徴。作品に『ローマの秋・その他』(1965年)、『ひきわり麦抄』(1986年)、『いつもどこかで』(1999年)、『記憶する水』(2007年)など。 息子に作曲家・編曲家・キーボーディストの新川博がいる。 茨城県結城市出身。県立結城高等女学校(のちの茨城県立結城第二高等学校)卒業。小学校のころより野口雨情などの童謡に親しみ、定型詩などを作る文学少女だった。女学校在学中、近くに疎開してきた詩人の西條八十に詩の手ほどきを受けた。
葉梨 信行(はなし のぶゆき、1928年12月16日 - )… 葉梨 信行(はなし のぶゆき、1928年12月16日 - )は、日本の政治家。元自由民主党衆議院議員。北海道大学大学院理学系研究科修士課程修了。東京都出身。父は衆議院議員を務めた葉梨新五郎。三女の夫は衆議院議員の葉梨康弘。
いばら 美喜(いばら みき、1928年5月12日 - )は、… いばら 美喜(いばら みき、1928年5月12日 - )は、日本の漫画家。現在の茨城県ひたちなか市出身。本名は藤咲昇(ふじさく のぼる)。茨城県立水戸第一高等学校卒業、武蔵野美術大学中退。 茨城県に生まれる。高校卒業後、美大進学のために上京するも金銭的な問題で中退し、街頭で似顔絵を描いて生計を立てる。 その後、貸本漫画家デビュー。時代劇漫画やホラー漫画などを主に描いていた。桜井昌一の「東考社」とも付き合いがあり、水木しげるの自伝にいばらがモデルとされる貧乏漫画家が登場する。 貸本漫画業界の消滅後は「ひばり書房」で描き下ろしホラー単行本を多数執筆。劇画誌にも連載を持っていた。
田宮 謙次郎(たみや けんじろう、1928年2月11日 - … 田宮 謙次郎(たみや けんじろう、1928年2月11日 - 2010年5月5日)は、茨城県下館市(現・筑西市)出身の元プロ野球選手(外野手、投手)・コーチ・監督、解説者・政治家。
岡田 新一(おかだ しんいち、1928年1月9日 - 201… 岡田 新一(おかだ しんいち、1928年1月9日 - 2014年10月27日)は、日本の建築家、都市計画家。日本芸術院会員。茨城県水戸市生まれ。 1945年、東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業。同期に建築学者の鈴木成文がいる。旧制静岡高等学校を経て、1955年に東京大学工学部建築学科を卒業。1957年に東京大学大学院修士課程を修了し、鹿島建設に入社した。 その後留学。1963年にイェール大学建築芸術学部大学院を修了し、帰国後の1969年、独立して岡田新一設計事務所を設立した。 2014年、呼吸不全のため死去。享年87(満86歳没)。
山野邊 義方(やまのべ よしまさ、1928年 - )は、日本… 山野邊 義方(やまのべ よしまさ、1928年 - )は、日本の経済学者。流通経済大学名誉教授、専攻は物流論、物流管理。茨城県水戸市出身 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
黒木 曜之助(くろき ようのすけ、1928年 - 没年不明)… 黒木 曜之助(くろき ようのすけ、1928年 - 没年不明)は、日本の作家・ノンフィクション作家。本名塚野 昭、別名筑波 昭。 茨城県日立市生まれ。日本大学芸術学部中退。茨城新聞に入社、編集局次長などをつとめる。 1957年「クレオパトラの毒蛇」が『宝石』懸賞の最終候補になる。1967年、江戸川乱歩賞で最終候補作となった「野望の接点」を刊行。 1989年以降目立った著作はなく、日本推理作家協会においては物故会員とされている。2012年には、茨城新聞記者として1957年に担当した原子力平和利用博覧会について朝日新聞の取材に答えている。
石川 周(いしかわ いたる、1927年12月14日 - )… 石川 周(いしかわ いたる、1927年12月14日 - )は、日本の銀行家。常陽銀行頭取を務めた。 茨城県水戸市出身。1953年に東京大学経済学部経済学科を卒業し、同年に大蔵省に入行。1982年6月に造幣局長、1983年7月に国土庁長官官房長を経て、1984年7月から1985年7月までに国土事務次官を務めた。1985年9月に常陽銀行顧問に就任し、1986年6月に取締役、同年7月に副頭取を経て、1988年7月には頭取に就任。1993年6月に会長を経て、1999年6月には取締役相談役に退いた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
大橋 幸雄(おおはし ゆきお、1927年(昭和2年)11月1… 大橋 幸雄(おおはし ゆきお、1927年(昭和2年)11月18日 - 2020年(令和2年)8月20日)は、日本の政治家。茨城県取手市長(2期)。 現在の茨城県取手市に生まれる。1945年茨城県立取手園芸学校(現・茨城県立取手第一高等学校)卒。取手市議会議員を経て、茨城県議会議員に当選(自由民主党)。5期務め、県議会副議長を務めた。1995年取手市長に当選。1999年に再選。2003年に元取手市職員の塚本光男に敗れた。2020年に死去した。
川上 宏昭(かわかみ ひろあき、1927年11月6日 - )… 川上 宏昭(かわかみ ひろあき、1927年11月6日 - )は、日本の作詞家。別名義に日野 あきら(ひの あきら)がある。 茨城県水戸市出身。旧制土浦中学校(現在の茨城県立土浦第一高等学校)を経て1948年(昭和23年)に明治学院専門学校(現在の明治学院大学)を卒業。茨城県内の中学校・高等学校で教諭を務める。1963年(昭和38年)、県が歌詞を公募した「茨城県民の歌」で応募作が入選。これ以後も第29回茨城国体記念の国体音頭や県内の校歌・幼稚園の園歌などの作詞を多数手掛けている。 1964年(昭和39年)に茨城県庁へ入庁し、教育庁社会教育課主事・県立水戸青年の家所長・県立社会教育研修センター所長等を経て1982年(昭和57年)に社会教育課長へ至る。
七ッ海 操(ななつうみ みさお、1927年10月18日 - … 七ッ海 操(ななつうみ みさお、1927年10月18日 - 1994年12月24日)は、茨城県猿島郡七郷村(※現役当時、現・同県坂東市大谷口)出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は野口 操(のぐち みさお)。最高位は西前頭12枚目(1954年5月場所)。現役時代の体格は188cm、109kg。得意手は左四つ、吊り、小股掬いなど。 小学校を卒業後、地元の消防署に勤務していたが、19歳の時に立浪部屋へ入門。1947年6月場所で初土俵を踏んだ。 当初の四股名は、本名と同一の「野口」。その後「七ッ海」に改名したが、これは、故郷の猿島郡七郷村に因んでいる。 以来、恵まれた体躯を生かして順調に出世し、1952年9月場所で新十両に昇進。
鶴田 卓彦(つるた たくひこ、1927年9月1日 - 202… 鶴田 卓彦(つるた たくひこ、1927年9月1日 - 2020年3月13日)は、日本の新聞経営者。日本経済新聞社社長、横綱審議委員会12代委員長。茨城県水戸市出身。 茨城県水戸市生まれ。旧制茨城中学校(現、私立茨城中学校・高等学校)を経て早稲田大学第一政治経済学部卒業後、日本経済新聞社入社。経済部長等を経て、1977年取締役選任。1993年社長に就任する。在任中は48ページ一連印刷体制の整備やカラー設備の増強で新聞増に貢献したほか、BSジャパン(現BSテレビ東京)の設立で衛星放送に参入し、日経グループを総合メディアとして発展させる。 2003年3月に会長に退くが、子会社の架空取引疑惑などが発覚し、5月に相談役に退いた。
岡田 昭守(おかだ あきもり、1927年(昭和2年)3月15… 岡田 昭守(おかだ あきもり、1927年(昭和2年)3月15日 - 1992年(平成4年)5月30日)は、日本の政治家、茨城県龍ケ崎市長を務めた(3期)。 茨城県出身。1942年(昭和17年)旧制茨城県立龍ヶ崎中学校(現在の茨城県立竜ヶ崎第一高等学校・附属中学校)を卒業した。電機会社に勤めた後、稲敷郡龍ケ崎町役場に奉職する。龍ケ崎市制施行後の市役所内では消防署長、議会事務局長、総務部長、助役を務めた。助役時代の1981年(昭和56年)5月30日、当時の龍ケ崎市長の中村忠雄が交通事故により死去した。その後を受けて市長選挙に立候補し、当選した。当選後は前市長が進めたニュータウンの造成を中心とする総合都市を計画を実施し、「産業文化都市・龍ケ崎」を位置づけした。
浅香 鉄心(あさか てっしん、本名:浅香 昌平、1926年〈… 浅香 鉄心(あさか てっしん、本名:浅香 昌平、1926年〈昭和元年〉12月26日 - 1997年〈平成9年〉11月22日)は、日本の書家。書游会創立者。吉澤鐵石、大久保龍石とともに日本書作院を創設し、理事長も務めた。 後の茨城県真壁郡下館町に生まれ、小学4年生から書道を始める。第二次世界大戦中は、海軍兵長として従軍し、巡洋艦「摩耶」に乗り組んでいたが、マリアナ沖海戦で至近弾を受けて重傷を負い、内地に送られた。戦後、復員した後、地元で書道塾を開いた。また、平尾孤往に師事した。 1957年に日展に初入選。 1963年、吉澤鐵石、大久保龍石とともに日本書作院を創設し、理事長も務めた。 1970年には青山杉雨の教えを受けた。
根本 陸夫(ねもと りくお、1926年11月20日 - 19… 根本 陸夫(ねもと りくお、1926年11月20日 - 1999年4月30日)は、茨城県那珂郡東海村出身(水戸市生まれ)のプロ野球選手(捕手)・コーチ・監督・実業家、解説者。 引退後は近鉄バファローズコーチ、広島東洋カープコーチ・監督、クラウンライター→西武ライオンズ監督、福岡ダイエーホークス監督の他、西武ライオンズ球団管理部長、福岡ダイエーホークス代表取締役専務・代表取締役社長と、球団フロントの要職を歴任した。 ニックネームは「球界の寝業師」、ドラフト会議やトレードで辣腕を振るい、その仕事ぶりは「根本マジック」(#根本マジック参照)、「黄金時代の陰に根本あり」とも称された。肩書きこそ違ったが、事実上のGMとしてその敏腕ぶりを発揮。
西島 和彦(にしじま かずひこ、1926年〈大正15年〉10… 西島 和彦(にしじま かずひこ、1926年〈大正15年〉10月4日 - 2009年〈平成21年〉2月15日)は、日本の物理学者。東京大学名誉教授。京都大学名誉教授。茨城県土浦市生まれ。 大阪市立大学時代、中野董夫、マレー・ゲルマンら(独立)と素粒子の新しい規則性となる中野・西島・ゲルマンの法則を発見する。そのほかにも、多くの業績がある。生前、1960年と1961年、1964年、1966年 - 1970年にノーベル物理学賞の候補に挙がっていたものの、受賞を逸している。 西嶋と中野は、それ以前から知られていた量子数(素粒子の特性)である電荷とバリオン数のほかに新しい量子数であるストレンジネスをもつことを示した。
川又 昻(かわまた たかし 1926年7月3日 - 2019… 川又 昻(かわまた たかし 1926年7月3日 - 2019年10月5日)は、日本の撮影監督。日本映画撮影監督協会(J.S.C.)元・副理事長・名誉会員。 昂と正字体で表記されることもあるが、戸籍上の名は略字体の昻である。尚、昴(すばる)の表記は明らかな間違いである。 東京府東京市下谷区出生。茨城県水戸市出身。茨城県立水戸中学校(現在の茨城県立水戸第一高等学校)、日本映画学校卒業。1945年松竹に入社。 松竹大船撮影所で小津安二郎作品の撮影助手を経て、33歳で撮影監督に抜擢される。 以降、同世代の大島渚、野村芳太郎監督らのコンビで98本に及ぶ作品で撮影監督を務める。新人の頃、スター女優・原節子に付けられたあだ名は「訛りの坊や」。
金田 常代(かねだ つねよ、1926年〈大正16年〉6月21… 金田 常代(かねだ つねよ、1926年〈大正16年〉6月21日 - 1988年〈昭和63年〉3月30日)は、日本の画家・絵本作家。茨城県古河市生まれ。 小学校・幼稚園の教師を経て、自由で豊かな感性を育む子どものためのアトリエを開設。アジア各地を旅し、長年にわたって子どもをテーマに絵を描き続けた。 代表作「ロミラの夢」(偕成社)は、1982年に絵本にっぽん賞を受賞した作品で、英語および韓国語にも翻訳・出版されている。 1926年(大正16年) - 茨城県古河市に生まれ、4人姉妹の末娘として育つ。 1948年(昭和23年) - 行動美術研究所にて向井潤吉、高井貞二に師事、本格的な絵の勉強を始める。
大内山 平吉(おおうちやま へいきち、1926年6月19日 … 大内山 平吉(おおうちやま へいきち、1926年6月19日 - 1985年11月1日)は、茨城県那珂郡平磯町(現:ひたちなか市)出身で双葉山道場、時津風部屋に所属した大相撲力士。本名は大内 平吉(おおうち へいきち)。最高位は東大関。 1926年6月19日に茨城県那珂郡平磯町(現・茨城県ひたちなか市)で漁師を営む家に長男として生まれる。幼少時代から潜水が得意で、鮑や蛸を捕る腕はプロの潜水士にも劣らなかった。小学生の時は際立って大きくなく、平均よりやや高い程度の身長だったが、小学校を卒業してから船に乗って漁を手伝う内に急激に背が高くなった。1943年に家の漁船が大日本帝国海軍に徴用され、父と共に対潜哨戒部隊に配属されたが、海軍軍属の立場で食事に不自由しなかったことからさらに体格が大きくなり、周囲の軍人達の勧めと口利きで、1944年に双葉山相撲道場へ入門した。
梶山 静六(かじやま せいろく、1926年〈大正15年〉3月… 梶山 静六(かじやま せいろく、1926年〈大正15年〉3月27日 - 2000年〈平成12年〉6月6日)は、日本の政治家。位階は正三位。 内閣官房長官(第60・61代)、法務大臣(第52代)、通商産業大臣(第49代)、自治大臣(第36代)、国家公安委員会委員長(第46代)、衆議院議員(9期)、自由民主党国会対策委員長(第35代・37代)、自由民主党幹事長(第29代)を歴任した。竹下派七奉行の1人に数えられる。 茨城県出身。茨城県立太田中学校(現在の茨城県立太田第一高等学校)、陸軍予科士官学校、陸軍航空士官学校(59期・軍曹)卒業後、日本大学旧工学部(現・日本大学理工学部)土木工学科卒業。家業の石材業を継ぐ。
神雷 龍之助(じんらい りゅうのすけ、1926年3月27日 … 神雷 龍之助(じんらい りゅうのすけ、1926年3月27日 - 1984年11月6日)は、伊勢ヶ濱部屋、荒磯部屋に所属した元大相撲力士。本名は海津 正道(かいづ まさみち)。現在の茨城県神栖市出身。168cm、109kg。最高位は西十両12枚目。得意技は右四つ、寄り。 1941年5月場所に初土俵。1953年1月場所に十両昇進。十両は計13場所務め、十両下位で2場所連続で4勝11敗と大敗した1956年9月場所限りで廃業した。廃業後は滋賀県大津市で相撲料理店「ちゃんこ神雷」を経営した。