朱鷺 裕基(とき ゆうき、1999年3月12日 - )は、日… 朱鷺 裕基(とき ゆうき、1999年3月12日 - )は、日本の男性プロレスラー、元大相撲力士。 小学3年生から高校3年生までの学生時代は野球に打ち込んでいた。高校卒業後に立浪部屋に入門。四股名は朱鷺、最高位は序二段三十枚目、大相撲での成績は48勝57敗7休。大相撲時代はあんこ体型であったが廃業後にアニマル浜口ジムで体を絞り、プロレスラー向けの体型とした。2022年4月にプロレスリングZERO1に入団し、2023年1月1日の後楽園ホール大会にて対星野良戦でデビューした。 大相撲出身ということもあり、イベント等でちゃんこ担当となることもある。
武将山 虎太郎(ぶしょうざん こたろう、1995年12月6日… 武将山 虎太郎(ぶしょうざん こたろう、1995年12月6日 - )は、茨城県水戸市出身で藤島部屋所属の現役大相撲力士。本名は藤原 虎太郎(ふじわら こたろう)。身長171.0cm、体重180.0kg、血液型はAB型。最高位は東前頭12枚目(2024年9月場所)。趣味は読書、好物はオムライス。 小学校2年次に、武双山(18代藤島)の父の尾曽正士が主宰する「水戸尾曽相撲道場」で相撲を始めた。小学校4年次に武双山の引退相撲で稽古をつけてもらっている。そのようなことから当時より「大きくなったら武双山の弟子になりたい」と夢を持っていた。小学校6年次に全日本小学生相撲優勝大会で3位になるなど、小学生時代から全国大会に出場していた。
髙安 晃(たかやす あきら、1990年2月28日 - )は、… 髙安 晃(たかやす あきら、1990年2月28日 - )は、茨城県土浦市出身で田子ノ浦部屋(入門時は鳴戸部屋)所属の現役大相撲力士。本名同じ。身長188.0cm、体重173.0kg、血液型はA型。得意手は突っ張り、押し、左四つ、寄り。先代師匠13代鳴戸(隆の里)と同じく上手捻りも得意とする。最高位は東大関。靴のサイズは2018年2月時点で35cm。 好物は煮魚(特にサバの味噌煮)。入門前は野菜嫌いであったが現在では好き嫌いが無いという。趣味は音楽鑑賞。メディアによって、高安晃の表記も見られる。TwitterとFacebookを利用している。2020年7月、演歌歌手の杜このみと結婚。 父が日本人、母がフィリピン人という家庭に高安は生まれる。
稀勢の里 寛(きせのさと ゆたか、1986年〈昭和61年〉7… 稀勢の里 寛(きせのさと ゆたか、1986年〈昭和61年〉7月3日 - )は、茨城県牛久市出身(出生地は兵庫県芦屋市)で田子ノ浦部屋(入門時は鳴戸部屋)に所属した元大相撲力士。第72代横綱(平成時代に横綱昇進を果たした最後の横綱)。現在は、年寄・二所ノ関。 本名は萩原 寛(はぎわら ゆたか)。愛称はハギ、キセノン。身長188cm、体重177kg、足のサイズ32cm、血液型はB型。趣味はスポーツ観戦。好きな食べ物はのっぺい汁、焼き鳥、フグ刺し、紀州南高梅、茶碗蒸し[リンク切れ]、からつバーガー、ホヤ。大相撲引退後に早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修了。 得意手は左四つ・寄り・突き・押し、左突き落とし。
男女ノ里 泰之(みなのさと やすゆき、1983年7月12日 … 男女ノ里 泰之(みなのさと やすゆき、1983年7月12日 - )は、茨城県つくば市出身で、高砂部屋に所属していた元大相撲力士。本名は岡田 泰之(おかだ やすゆき)。現役時代の体格は身長176cm、体重134kg、血液型はA型。最高位は西三段目3枚目(2009年9月場所)。 2007年5月場所から2010年3月場所までの3年間、本場所での弓取式担当力士を務めたことで知られる。 小学生時代に柔道をはじめ、その腕前は初段に認定されるほどだった。つくば市立豊里中学校を卒業見込みとなったため高砂部屋に入門して1999年3月場所で初土俵を踏んだ。入門同期生には琴光喜、高見盛(現・振分)、若荒雄 (現・不知火)、千代白鵬、若麒麟、濵錦らがいる。
武誠山 一成(ぶせいざん いっせい、1981年5月27日 ‐… 武誠山 一成(ぶせいざん いっせい、1981年5月27日 ‐ )は、茨城県笠間市出身で藤島部屋(入門時は武蔵川部屋)に所属していた元大相撲力士。本名は中野 一成(なかの いっせい)。現役時代の体格は身長184cm、体重153kg、血液型O型。得意技は押し、左四つ、寄り。最高位は東幕下7枚目(2011年7月場所)。 笠間小学校3年生で相撲を始め、笠間中学校3年生の時には全国中学校相撲選手権大会で準優勝した。金沢市立工高を経て東洋大学へ進学し、大学時代は個人タイトル7個を獲得した。2003年には相撲部主将を務め、国体成年Aでは決勝で大学の先輩である横山英希(のち十両・高見藤)を敗って優勝し、幕下付出資格を得た。
若東龍 秀史 (わかとうりゅう ひでふみ、1978年7月27… 若東龍 秀史 (わかとうりゅう ひでふみ、1978年7月27日 - )は,、茨城県筑西市(旧真壁郡関城町)出身で松ヶ根部屋に所属した元大相撲力士。本名は野寺 秀史(のでら ひでふみ)。身長177cm、体重156kg。趣味は読書。最高位は西十両3枚目(2001年5月場所)。得意技は突き、押し。 野寺農機商会・新日本交通の二男で、幼い頃から相撲を始めて小学校4年生から3年連続で全国大会に出場しており、中学校3年生の頃には相撲界への入門を決意していた。相撲の他には柔道を習っており、筑西市立関城西小学校3~4年生まで「ムテキンズ」で野球を経験した後に柔道を習い始め、筑西市立関城中学校に入学してからは2年生まで柔道部に所属した。
大子錦 大伍郎(だいごにしき だいごろう、1977年10月1… 大子錦 大伍郎(だいごにしき だいごろう、1977年10月12日 - )は、茨城県久慈郡大子町出身で高砂部屋に所属した元大相撲力士。本名は齋藤 佳信(さいとう よしのぶ)。身長176cm、体重188kg、血液型はA型。最高位は西三段目77枚目(2002年9月場所)。 茨城県立大子第一高等学校(現・茨城県立大子清流高等学校)出身。 高校時代はレスリングに没頭し、在学中に体重が120kgに達した。3年生の夏休み期間中に高砂部屋の関係者・久慈乃里(高砂部屋の同郷力士)の父・高校の担任教諭の3名が齋藤の元を訪れ、高砂部屋への勧誘が行われた。齋藤は入門を断ったが、夏休み明けの9月に当時現役で同部屋の幕内力士として有名だった水戸泉が勧誘のために学校に訪問したため、学校中が騒然となった。
雅山 哲士(みやびやま てつし、1977年(昭和52年)7月… 雅山 哲士(みやびやま てつし、1977年(昭和52年)7月28日 - )は、茨城県水戸市出身で藤島部屋(入門時は武蔵川部屋)に所属した元大相撲力士。本名は竹内 雅人(たけうち まさと)。最高位は西大関。現在は年寄・二子山。 3人きょうだいの長男(第2子。姉と妹がいる) として茨城県水戸市で生まれる。実家は茨城県内にバス路線網を持つ旧茨城交通グループのオーナー一族である。小学生時代には空手やソフトボール、バスケットボールに取り組んでいたが、小学校6年時に担任の先生から「大会で勝ったら、焼肉をいっぱい食べさせてあげるから」と言われ水戸市の少年相撲大会に出場したところ優勝したことで相撲に興味を持ち始める。
壽山 勝昭(じゅざん かつあき、1975年4月8日 - )は… 壽山 勝昭(じゅざん かつあき、1975年4月8日 - )は、茨城県笠間市出身で押尾川部屋に所属した元大相撲力士。本名は石崎 勝昭(いしざき かつあき)。身長180cm、体重167kg。最高位は東十両2枚目(2001年7月場所)。得意技は押し、右四つ、寄り。趣味は音楽鑑賞。愛称は「エイヘイ」、血液型B型。報道では「壽」を新字体表記の「寿」に改編した寿山表記となる場合もある。 幼い頃から相撲を始めた。中学時代は柔道部に所属し、全国大会に出場する活躍を見せた。3年の夏に元幕内大至の父に勧誘され押尾川部屋の入門が決まり、中学卒業直前の1991年3月場所に初土俵を踏んだ。幕下までは順調に昇進したが、同期生の金開山や千代天山らが早々と上位に番付を上げていったのとは対照的に、怪我の影響で長く幕下中位で低迷していた。
双筑波 勇人(ふたつくば ゆうと、1974年10月7日 - … 双筑波 勇人(ふたつくば ゆうと、1974年10月7日 - )は、茨城県つくば市出身で立浪部屋所属の元大相撲力士。本名は廣瀬 昌司(ひろせ まさし)。身長185cm、体重144kg。最高位は西十両13枚目(1999年1月場所)。得意技は左四つ、寄り、上手投げ、小手投げ。 誕生時の体重は3750gもあり、幼少期から同年代の子どもよりも体が大きかった。相撲好きの祖父の影響で、幼少期からテレビで相撲を観戦していた。小学校5年生の頃には既に力士を志しており、当時は千代の富士の大ファンであった。小学校6年生時から石下町体育協会の柔道教室に通っていたが、協会長の紹介で、中学3年時には、立浪部屋に体験入門をしたこともあった。
武双山 正士(むそうやま まさし、1972年2月14日 - … 武双山 正士(むそうやま まさし、1972年2月14日 - )は、茨城県水戸市出身(出生地は勝田市、現在のひたちなか市)で武蔵川部屋に所属した元大相撲力士。本名は尾曽 武人(おそ たけひと)。最高位は東大関。身長184 cm、体重177kg。現在は年寄・藤島、得意手は突き、押し、突き落とし、巻き落とし、左四つ。趣味は釣り。独身。 父の尾曽正人(以下、父と表記)は茨城県相撲連盟理事長というアマチュア相撲の大御所でありアマチュア選手として国体に11回出場した経験も持っている。息子である尾曽武人(以下、角界入りまで尾曽と表記)が後に冠した四股名「武双山正士」の下の名前の由来は父の名前にある。尾曽は元々相撲ではなく魚釣りやソフトボールを好んでいた。
琴吉(ことよし、1970年9月15日 - )は、大相撲の呼出… 琴吉(ことよし、1970年9月15日 - )は、大相撲の呼出。本名:高橋正樹(たかはし まさき)。茨城県北相馬郡取手町(現:取手市)出身。佐渡ヶ嶽部屋所属。血液型:B型。 「吉」の正確な表記は「」(「土」の下に「口」、つちよし)である。 この項目は、相撲に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ相撲)。
日立龍 栄一(ひたちりゅう えいいち、1969年10月19日… 日立龍 栄一(ひたちりゅう えいいち、1969年10月19日 - )は、茨城県日立市出身で押尾川部屋所属の元大相撲力士。本名は脇坂 栄一(わきさか えいいち)。身長180cm、体重133kg。得意手は右四つ、寄り、蹴手繰り。最高位は東前頭14枚目(1993年3月場所)。 日立市立多賀中学校時代は相撲部に所属し、3年生の時に団体戦において茨城県大会で優勝して全国中学校相撲選手権大会に出場した。 中学校の1年先輩に大至がおり、その縁で中学校を卒業すると押尾川部屋に入門し、1985年(昭和60年)3月場所で初土俵を踏んだ。四股名の日立龍は、出身地の日立市と中学校の大先輩である兄弟子の多賀竜に因んでいる。
大至 伸行(だいし のぶゆき、1968年8月23日 - )は… 大至 伸行(だいし のぶゆき、1968年8月23日 - )は、茨城県日立市出身で押尾川部屋に所属した元大相撲力士。本名は高野 伸行。最高位は東前頭3枚目(1996年7月場所)。力士時代の体格は182cm、172 kg。得意手は突き、押し、右四つ、寄り。現在は相撲甚句はもとよりライブ、ミュージカルまでこなすマルチ歌手として活動中、血液型はB型、星座は乙女座。浅井企画に所属していたが2023年4月30日に退社し、「チーム大至」という歌手としての活動を支えるグループを組み、精力的に活動を展開している。2023年4月29日には、東京オペラシティ・リサイタルホールにて自身初のリサイタルを行い好評を博した。
梅の里 昭二(うめのさと しょうじ、1964年5月3日 - … 梅の里 昭二(うめのさと しょうじ、1964年5月3日 - )は、茨城県水戸市出身で高砂部屋に所属した元大相撲力士。本名は小泉 昭二(こいずみ しょうじ)。趣味は読書。最高位は西十両13枚目(1993年7月場所)、血液型はO型。得意技は右四つ、寄り。 兄は元関脇・水戸泉政人。兄と共に力士のサイン会に参加した際に高砂部屋に勧誘され、中学卒業と同時に入門し1980年3月場所に初土俵を踏んだ。四股名「梅の里」(後、梅乃里)は地元の水戸の梅まつりに由来しており、祭りに参加することは裕福でなかった家族の貴重な娯楽であり楽しい思い出だったという。三段目までは順調に番付を上げて行ったが膝の怪我や循環器系の疾患もあり、幕下で苦労した。
水戸泉 政人(みといずみ まさと、1962年9月2日 - )… 水戸泉 政人(みといずみ まさと、1962年9月2日 - )は、茨城県水戸市出身で高砂部屋所属の元大相撲力士。最高位は東関脇。本名は小泉 政人(こいずみ まさと)。身長194cm、体重192kg(最高200kg、1996年1月場所)、現在は年寄・錦戸、得意手は突っ張り、左四つ、寄り、上手投げ。愛称は「水戸ちゃん」、「イズミちゃん」など、趣味は油彩画。 幼少の頃に父を亡くし弟の昭二(元十両13・梅の里)とともに母1人の手で育てられた。茨城県水戸市立飯富中学時代には母の勧めで柔道に打ち込み初段になる腕前の持ち主だった。1977年の暮に力士のサイン会に行った。本人は貴ノ花のサイン会だと思っていたそうだったが実は高見山と富士櫻のサイン会だった。
飛円 美智浩(とびまる みちひろ、1961年2月18日 - … 飛円 美智浩(とびまる みちひろ、1961年2月18日 - 没年不明[要出典])は、茨城県常陸太田市出身で宮城野部屋に所属した元力士。本名は澤幡 美智浩。身長176.5cm、体重90kg。最高位は西幕下2枚目。 茨城県立水戸農業高等学校相撲部に所属。1979年3月初土俵を踏む。1991年9月引退。軽量ながら幕下上位に定着していたが、ついに十両昇進はならなかった。 引退後の2015年8月、日本相撲協会主催の「第1回相撲指導適格認定証認定講習会受講者」に参加、講習と実技実習の後、筆記試験を受け、合格し、認定証を受けた。 通算76場所262勝240敗23休 自己最高位で迎えた1987年5月場所9日目に、十両の土俵に上がり市ノ渡三四四と対戦している。
関の花 勉(せきのはな つとむ、1959年5月2日 - )は… 関の花 勉(せきのはな つとむ、1959年5月2日 - )は、茨城県真壁郡関城町(現在の筑西市)出身で伊勢ヶ濱部屋に所属した元大相撲力士。本名は栗原 勉(くりはら つとむ)。186cm、106kg。最高位は東十両11枚目。得意技は右四つ、寄り、吊り。 中学校で柔道を始め、父親の知人が伊勢ヶ濱部屋の後援会に入っていた縁で入門した。1975年3月場所に初土俵。出世は早い方ではなかったが、怪力を活かした右四つからの投げや吊りといった豪快な相撲で着実に番付を上げて行き、1983年11月場所に十両昇進。この場所は4勝11敗と負け越して1場所で幕下に陥落。十両はこの1場所のみであった。その後も幕下上位で相撲を取り続けたが、1990年5月場所限りで廃業。
多賀竜 昇司(たがりゅう しょうじ、1958年(昭和33年)… 多賀竜 昇司(たがりゅう しょうじ、1958年(昭和33年)2月15日 - )は、茨城県日立市出身(本籍地は北茨城市)で鏡山部屋に所属した元大相撲力士。本名は黒谷 昇(くろたに のぼる)。最高位は西関脇(1983年(昭和58年)11月場所)。現役時代の体格は178cm、139kg。得意手は右四つ、寄り、上手出し投げ。 現在は、年寄・鏡山として追手風部屋に所属。 日立市立成沢小学校時代はあまりにも元気がありすぎて、5年生の時にサッカーのゴールポストで逆上がりしてポストごと倒れ、顔に17針も縫う傷を負ったこともあるという。 日立市立多賀中学校では野球部に所属し、捕手でキャプテンを務めた。野球の腕を買われて東洋大学附属牛久高等学校への入学が一旦決定したが、経済的な事情で断念。
若筑波 茂(わかつくば しげる、1956年10月30日 - … 若筑波 茂(わかつくば しげる、1956年10月30日 - )は、茨城県土浦市出身で高砂部屋所属の元大相撲力士。本名は田中 茂(たなか しげる)。得意手は右四つ、寄り、下手投げ。身長174cm、体重114Kg。最高位は西十両8枚目(1984年7月場所)。 中学時代は柔道部に所属し、土浦市大会で準優勝の活躍を見せた。定時制高校に進学し、高校に通学しながら千代田区神田の市場で勤務していたが、市場内の食堂の主人が高砂部屋の元力士だったので声を掛けられ、入門を勧められた。しかし、身長が170cm 体重が67kgしかなく、角界でやっていける自信がなかったので、高校の先生に相談すると「勧める自信は無いがその気が有るなら夏休みを利用して一度試してごらん。
松光 正文(まつひかり まさふみ、1943年4月11日-没年… 松光 正文(まつひかり まさふみ、1943年4月11日-没年不明)は、茨城県日立市出身で若松部屋に所属した元大相撲力士。本名は黒澤 政文(くろさわ まさふみ)。172cm、111kg。最高位は東十両10枚目。得意技は左四つ、押し。 日立市立多賀中学校ではサッカー部に所属して主将を務めたが、相撲も好きだったのでどちらを取るか考えた結果、相撲を取り、自分で部屋に手紙を書いて入門を願った。当初は同郷の大関・大内山がいる時津風部屋に入門しようと考えたが、大部屋であったので自分の実力でやっていけるか不安だったので、小さくても関取がいる若松部屋なら活躍できるだろうと踏んで入門を決意した。1959年5月場所に初土俵、1964年5月場所に十両昇進。
若浪 順(わかなみ じゅん、1941年3月1日 - 2007… 若浪 順(わかなみ じゅん、1941年3月1日 - 2007年4月16日)は、茨城県猿島郡七郷村(のち同郡岩井町→岩井市、現・坂東市)出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は冨山 順(とみやま じゅん)。最高位は東小結(1968年5月場所)。現役時代の体格は178cm、103kg。得意手は左四つ、寄り、吊り、うっちゃり。 引退後は、年寄・大鳴戸から同・玉垣を襲名した。 実家は農家で土地相撲の大関を務めた父に似たのか、幼少の頃から怪力で、小学生の時に米俵を持ち上げ兄弟達を驚かせていた。自身の証言によると、米俵を担いだのは中学1年生の頃であり、2年生の時には80㎏の墓石を持ち上げた。兄弟はみな力が強く、冨山も野球、柔道、走り高跳び、砲丸投げで体を鍛えた。
海乃山 勇(かいのやま いさむ、1940年6月28日 - 1… 海乃山 勇(かいのやま いさむ、1940年6月28日 - 1997年7月5日)は、茨城県龍ケ崎市出身で小野川部屋(のち出羽海部屋)に所属した大相撲力士。本名は入井 勇(いりい いさむ)。最高位は東関脇(1968年1月場所)。現役時代の体格は172cm、120kg。得意手は左四つ、寄り、蹴手繰り、蹴返し、突き落とし。 中学校卒業後に角界入りし、1956年5月場所、小野川部屋から初土俵を踏んだ。最初は本名でもある「入井」の名で番付に付いたが、当時日本で人気が高かった元力士のプロレスラー・力道山にあやかろうとして、「海力山(かいりきざん)」という四股名を考え、日本相撲協会に改名届を出した。ところが、実際に発表された1957年1月場所の番付表には、なぜか「海乃山」と記されていた。
七ッ海 操(ななつうみ みさお、1927年10月18日 - … 七ッ海 操(ななつうみ みさお、1927年10月18日 - 1994年12月24日)は、茨城県猿島郡七郷村(※現役当時、現・同県坂東市大谷口)出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は野口 操(のぐち みさお)。最高位は西前頭12枚目(1954年5月場所)。現役時代の体格は188cm、109kg。得意手は左四つ、吊り、小股掬いなど。 小学校を卒業後、地元の消防署に勤務していたが、19歳の時に立浪部屋へ入門。1947年6月場所で初土俵を踏んだ。 当初の四股名は、本名と同一の「野口」。その後「七ッ海」に改名したが、これは、故郷の猿島郡七郷村に因んでいる。 以来、恵まれた体躯を生かして順調に出世し、1952年9月場所で新十両に昇進。
大内山 平吉(おおうちやま へいきち、1926年6月19日 … 大内山 平吉(おおうちやま へいきち、1926年6月19日 - 1985年11月1日)は、茨城県那珂郡平磯町(現:ひたちなか市)出身で双葉山道場、時津風部屋に所属した大相撲力士。本名は大内 平吉(おおうち へいきち)。最高位は東大関。 1926年6月19日に茨城県那珂郡平磯町(現・茨城県ひたちなか市)で漁師を営む家に長男として生まれる。幼少時代から潜水が得意で、鮑や蛸を捕る腕はプロの潜水士にも劣らなかった。小学生の時は際立って大きくなく、平均よりやや高い程度の身長だったが、小学校を卒業してから船に乗って漁を手伝う内に急激に背が高くなった。1943年に家の漁船が大日本帝国海軍に徴用され、父と共に対潜哨戒部隊に配属されたが、海軍軍属の立場で食事に不自由しなかったことからさらに体格が大きくなり、周囲の軍人達の勧めと口利きで、1944年に双葉山相撲道場へ入門した。
神雷 龍之助(じんらい りゅうのすけ、1926年3月27日 … 神雷 龍之助(じんらい りゅうのすけ、1926年3月27日 - 1984年11月6日)は、伊勢ヶ濱部屋、荒磯部屋に所属した元大相撲力士。本名は海津 正道(かいづ まさみち)。現在の茨城県神栖市出身。168cm、109kg。最高位は西十両12枚目。得意技は右四つ、寄り。 1941年5月場所に初土俵。1953年1月場所に十両昇進。十両は計13場所務め、十両下位で2場所連続で4勝11敗と大敗した1956年9月場所限りで廃業した。廃業後は滋賀県大津市で相撲料理店「ちゃんこ神雷」を経営した。
竜ヶ嵜 唯雄(りゅうがさき ただお、1920年1月28日 -… 竜ヶ嵜 唯雄(りゅうがさき ただお、1920年1月28日 - 没年不明)は、昭和時代の大相撲力士。芝田山部屋から高砂部屋所属。茨城県龍ケ崎市出身。本名は中山 唯雄(なかやま ただお)。最高位は東十両12枚目。得意技は左四つ、寄り、上手投げ。 横綱・宮城山福松の芝田山部屋に入門、1935年5月場所で初土俵を踏む。親方が亡くなり、高砂部屋に移籍した1944年1月場所に十両に昇進するが、応召され全休する。翌5月場所に出場するが2勝8敗と負け越し、幕下に陥落する。その後は勝ち越すことなく、三段目まで陥落した1946年11月場所に廃業。廃業後は広島の野球チームグリーンバーグ(のち結城ブレーブス)に入団、捕手となった。
常陸海 光房(ひたちうみ みつふさ、1916年1月19日 -… 常陸海 光房(ひたちうみ みつふさ、1916年1月19日 - 没年不明)は、茨城県筑波郡谷和原村(現つくばみらい市)出身で時津風部屋(入門時は荒汐部屋)に所属した大相撲力士。本名は飯塚 光房。最高位は東前頭12枚目。身長171cm、体重90kg。 茨城県筑波郡谷和原村(現つくばみらい市)出身。荒汐部屋に入門し、1936年5月場所に初土俵を踏む。順調に昇進し、1941年5月に新十両、1943年1月には西十両2枚目で10勝5敗と入幕確実の星を挙げる。その場所限りで荒汐部屋は閉鎖され、力士たちは双葉山道場に引き取られることになった。そのため、新入幕の1943年5月場所から廃業まで双葉山道場→時津風部屋の所属となった。
筑波嶺 清平(つくばね せいへい、1909年4月1日 - 1… 筑波嶺 清平(つくばね せいへい、1909年4月1日 - 1948年11月20日)は、現在の茨城県稲敷郡河内町出身で錦島部屋に所属した大相撲力士。本名は加藤 清平(かとう せいへい)。身長170cm、体重105kg。最高位は西前頭2枚目(1933年5月場所)。得意技は突っ張り、右四つ、寄り、吊り。 千葉県立佐原中学校(現在の千葉県立佐原高等学校)を出て、錦島部屋に入門。1927年5月場所に初土俵を踏む。1932年5月場所に新十両、十両を2場所で通過後、1933年1月場所に新入幕。この場所、春秋園事件からの復帰力士たちと伍して7勝4敗の好成績を挙げ、翌場所は西前頭2枚目まで番付を上げたが3勝8敗に終わった。
男女ノ川 登三(みなのがわ とうぞう、1903年9月17日 … 男女ノ川 登三(みなのがわ とうぞう、1903年9月17日 - 1971年1月20日)は、茨城県筑波郡菅間村(現在のつくば市磯部)出身で佐渡ヶ嶽部屋(入門時は高砂部屋)に所属した大相撲力士。第34代横綱。本名は坂田 供次郎(さかた ともじろう(きょうじろう))。 1903年9月17日に茨城県筑波郡菅間村(現在のつくば市磯部)で農家を営む一家に三男として生まれる。元々は屋根の修理屋で働いていたが、ある時修理中の屋根を踏み抜いてしまい、その力の強さに驚いた周囲の勧めで地元の相撲大会に出場するといきなり優勝してしまった。そのまま筑波郡大会・茨城県大会でも優勝し、自信を持って力士を志すようになった。そんなある日、偶然茨城県へ巡業に来ていた阿久津川高一郎を訪ねて入門を志願するものの、最初は厳しい稽古の話に終始したため諦めて戻るが、力士を目指す気持ちが全く揺るがなかったために4度訪問して、ようやく入門を許可された。
霞ヶ浦 忠男(かすみがうら ただお、1902年4月23日 -… 霞ヶ浦 忠男(かすみがうら ただお、1902年4月23日 - 1945年)は、茨城県行方郡牛堀町(現・潮来市)出身で、出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は今泉 忠。最高位は十両5枚目。 出羽ノ海部屋に入門し、1919年1月「諏訪錦」の四股名で序ノ口に就く。1929年1月、十両に昇進する。この場所と翌場所も2場所続けて負け越したため幕下に落ちた。1930年1月、再び十両に昇進して四股名を「霞ヶ浦」と改めた。5月に幕下に落ち、1931年1月に十両に復帰する。1932年1月、春秋園事件が起こり、霞ヶ浦は天竜三郎に従い、相撲協会を脱退した。その後、新興力士団、関西角力協会に所属し、同協会が1937年に解散した後も相撲協会に復帰しなかった。
御西山 政夫(おにしやま まさお、1892年3月25日 - … 御西山 政夫(おにしやま まさお、1892年3月25日 - 1978年8月30日)は、茨城県水戸市出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は田中 正夫。第19代横綱・常陸山谷右エ門の従弟(甥とも伝わる)。170cm、92kg。最高位は東前頭6枚目。 1910年6月初土俵、1917年5月十両昇進。1918年5月新入幕したが、この場所途中休場してからは成績不振に陥り、一度は幕下まで転落した。なお、御西山の四股名は常陸山谷右エ門が若い時分に名乗っていたものである。 1923年1月に廃業し剣道家に転向した。
19代 式守 伊之助(じゅうきゅうだい しきもり いのすけ、… 19代 式守 伊之助(じゅうきゅうだい しきもり いのすけ、1886年〈明治19年〉12月15日 - 1966年〈昭和41年〉12月14日)は大相撲の立行司である。茨城県那珂郡勝田村(現・ひたちなか市)出身。本名:高橋金太郎。 幼少期は茨城県水戸市に住む。小さい頃から相撲好きで居住地の近くに住む相撲好きの和菓子屋永寿堂(現、茨城県水戸市本町の天保元年創立。油屋老舗)の2代目、稲葉角之助に可愛がられ、角之助の援助を受け都内の相撲部屋を訪問した際に「体が小さいから相撲取りは無理。でも行司でどうか。」と提案を受け、力士は断念したが、そのまま当時の峰崎部屋に入門し、角之助の援助を受け続けた上で行司の修行に入った。
上ヶ汐 福治郎(あげしお ふくじろう、1881年3月5日 -… 上ヶ汐 福治郎(あげしお ふくじろう、1881年3月5日 - 1935年6月12日)は、現在の茨城県筑西市下館地区出身で若藤部屋、伊勢ノ海部屋、友綱部屋に所属した力士。本名は渡辺 福次郎(わたなべ ふくじろう)。8代若藤。身長171cm、体重は79kg。最高位は西前頭3枚目。得意技は右四つ、上手投げ、掬い投げ。 1899年5月場所序ノ口。その後応召されて、日露戦争に従軍。復帰後、1907年5月場所に十両昇進。1909年1月場所に入幕を果たす。二枚鑑札となっていたが、1913年5月場所限り引退。年寄・若藤として巡業の先乗りに手腕を発揮し、理事も務めたが、弟子の沖ツ海福雄の急死に気落ちし、部屋を復活させようとした矢先の1935年6月12日、胃癌で死去。
常陸山 谷右エ門(ひたちやま たにえもん、1874年1月19… 常陸山 谷右エ門(ひたちやま たにえもん、1874年1月19日 - 1922年6月19日)は、茨城県東茨城郡(のちの水戸市)出身の大相撲力士。第19代横綱。本名は市毛 谷右衛門(いちげ たにえもん)。 大相撲を「国技」に押し上げ、その品格力量から角聖と呼ばれた。出羽ノ海部屋師匠として3横綱4大関など多くの力士を育て、出羽海一門を角界の保守本流として確立したほか、ちゃんこ鍋や後援会などの風習を始めたとされる。 1874年(明治7年)、旧水戸藩士だった市毛高成の長男として水戸の宝鏡院の門前に生まれる。市毛高成は明治維新後に河川運送業と倉庫業を営んだが、荷主から預かった商品を騙し取られ、責任を一身に負って弁償してからは経営が悪化して両方とも倒産してしまった。
有村 直吉(ありむら なおきち、1871年3月15日(明治4… 有村 直吉(ありむら なおきち、1871年3月15日(明治4年1月25日) - 1911年(明治44年)5月7日)は、現在の茨城県桜川市出身で入間川部屋に所属した力士。本名は小池 直吉(こいけ なおきち)。11代入間川。165cm、109kg。得意手は押し。最高位は東前頭3枚目。 1894年5月場所に初土俵。1903年1月場所に十両昇進、有村直吉に改名。幕末の藩士有村次左衛門に因んだとされるが関係は不明である。1905年5月場所に新入幕。1909年12月に師匠の入間川清藏が廃業した為、以降は二枚鑑札。1910年6月場所に引退。脳病と心臓病に罹っていたので酒を断っていたが、再婚の宴席上で嬉しさの余り酒を飲んでしまい、1911年5月7日に急逝した。
稲瀬川 栄治郎(いなせがわ えいじろう、1864年9月17日… 稲瀬川 栄治郎(いなせがわ えいじろう、1864年9月17日(元治元年8月17日) - 1925年(大正14年)1月22日)は、現在の茨城県笠間市出身で入間川部屋に所属した力士。本名は小幡 栄次郎。169cm、98kg。最高位は西前頭筆頭。 1889年幕下格で初土俵、四股名は師匠の入間川清藏が一時名乗っていたものに因む。1897年5月十両昇進。1902年1月新入幕、1910年6月廃業した。1907年6月から1910年6月までは最年長力士。廃業後は男爵古河虎之助の家に召し抱えられ、身辺の世話や相撲の指導を行った。大正14年1月22日東京滝野川区西ヶ原の自宅で腎臓病の為60歳で没する。東京都台東区谷中の慈雲山瑞輪寺に埋葬されている。
狭布里 錦太夫(きょうのさと きんだゆう、1859年7月11… 狭布里 錦太夫(きょうのさと きんだゆう、1859年7月11日(安政6年6月12日) - 1926年6月28日)は、現在の茨城県筑西市(旧真壁郡)出身で伊勢ノ海部屋に所属した力士。本名は関 喜市(旧姓本橋)。170cm、81kg。最高位は東前頭3枚目。 1883年1月初土俵、1890年5月十両昇進。四股名の狭布里錦太夫とは、部屋の先輩である柏戸宗五郎 (1810年生)が若い時分に名乗っていたもの。1896年1月に入幕。翌5月にこの場所横綱に昇進した小錦を破り金星を獲得。幕内を連続17場所務め、44歳まで幕内に在位したが、1904年5月に十両に陥落。1905年1月に廃業した。 海老ノ海→狭布里錦太夫 この項目は、相撲に関連した書きかけの項目です。
常陸山 虎吉(ひたちやま とらきち、1850年2月25日(嘉… 常陸山 虎吉(ひたちやま とらきち、1850年2月25日(嘉永3年1月14日) - 1915年(大正4年)11月1日)は、現在の茨城県水戸市出身で入間川部屋に所属した大相撲力士。最高位は前頭筆頭。本名は五十嵐 虎吉(後出羽ノ海姓)。4代出羽ノ海。横綱常陸山谷右エ門の師匠。 1873年(明治6年)4月入間川部屋から初土俵を踏む。徐々に番付を上げ、1878年(明治11年)5月二段目10枚目以内(現在の十両相当)昇進。1882年(明治15年)に入幕した。幕内上位から中堅で活躍し、1886年(明治19年)5月大関剣山と預かり、1891年(明治24年)1月、1892年(明治25年)1月剣山、1894年(明治27年)1月関脇朝汐を破っている。
木村 瀬平(きむら せへい、1837年 - 1905年2月5… 木村 瀬平(きむら せへい、1837年 - 1905年2月5日)は、明治時代の大相撲の立行司。本名:柴崎留吉。下総国岡田郡豊岡村(のち茨城県結城郡豊岡村→水海道町→水海道市、現・常総市)出身。 1846年12代木村庄之助に入門し、1850年11月木村留吉、正五郎、のち庄五郎となる。1881年三役格。1884年緋房免許で同じころ年寄木瀬を兼務。1891年行司名も木村瀬平と改める。1893年に番付面に不満があり、一時引退したが1895年に復帰。1897年に15代木村庄之助と8代式守伊之助が相次いで亡くなり、翌1898年5月に9代式守伊之助と同時に立行司となった。1899年3月吉田司家より紫房の免許が下り、その後1905年の死去まで16代木村庄之助と9代式守伊之助の間で立行司であった。
一力 長五郎(いちりき ちょうごろう、1815年(文化12年… 一力 長五郎(いちりき ちょうごろう、1815年(文化12年) - 1859年9月21日(旧暦8月25日))は、常陸国河内郡若柴村(現在の茨城県龍ケ崎市若柴)出身で木瀬部屋に所属した大相撲力士。本名は山崎 安好(やまざき やすよし)。 常陸国河内郡若柴村で生まれる。1837年10月場所において序ノ口から初土俵を踏み、1849年11月場所で新入幕を果たした。結果的に三役昇進は果たせなかったものの、劔山谷右エ門、小柳常吉に強く、両者には無敗だったことから江戸相撲の中では「大物食い」として名を馳せた。1859年に奥州・一ノ関で行われた巡業に参加中、急逝した。44歳没。死因は病死または斬殺と伝わる。 出身地である龍ケ崎市若柴の星宮神社には、一力が奉納したと伝わる灯篭2基が残っている。
稲妻 雷五郎(いなづま らいごろう、1795年? - 187… 稲妻 雷五郎(いなづま らいごろう、1795年? - 1877年3月29日)は、常陸国河内郡阿波崎村(現:茨城県稲敷市阿波崎)出身で錦嶋部屋(入門時は佐渡ヶ嶽部屋)に所属した大相撲力士。第7代横綱。本名は根本 才助(ねもと さいすけ)。 1795年頃に生まれる 。佐渡ヶ嶽部屋へ入門後に錦嶋部屋へ移籍し、松江藩抱えの力士となった。 1821年2月場所、「槇ノ嶌」の四股名で幕下から初土俵を踏む。1824年10月場所で新入幕を果たすと同時に「稲妻 雷五郎」に改名し、その場所で7勝1預2休の好成績を挙げ、1825年1月場所では小結に昇進する。その後もトントン拍子に出世していき、1827年には大関へ昇進した。