村上 早(むらかみ さき、1992年 - )は、日本の銅版画… 村上 早(むらかみ さき、1992年 - )は、日本の銅版画家。 群馬県高崎市生まれで、実家は動物病院。 高崎市立高崎経済大学附属高等学校(芸術コース)を卒業後、2010年に武蔵野美術大学造形学部油絵学科版画専攻に入学し銅版画を始める。同大学院在学中の2015年に「FACE 2015 損保ジャパン日本興亜美術賞」優秀賞、「第6回山本鼎版画大賞展」大賞、「トーキョーワンダーウォール賞」の連続受賞で注目を集める。2016年に同大学院造形研究科修士課程美術専攻版画コース修了。故郷の高崎市にアトリエを構える。 心の傷を銅版画特有の工程に重ねて紡ぎ、「私にとって銅の版は〈人の心〉で、付ける傷は〈心的外傷〉、傷に詰めるインクは〈血〉、刷り取る紙は〈包帯やガーゼ〉なのです」と痛みやトラウマを主なモチーフとする。
小野田 藍(おのだ あい、1988年 - )は、日本の画家。… 小野田 藍(おのだ あい、1988年 - )は、日本の画家。 群馬県前橋市生まれ。 2014年武蔵野美術大学造形学部芸術文化学科卒業。同年日本郵便入社(2020年退職)。2020年より東京芸術大学大学院に在籍。 2022年より武蔵野美術⼤学芸術⽂化学科研究室助⼿。 「越後妻有アートトリエンナーレ 2015 限界芸術百選」「前橋映像祭2021」「BankART Under 35 2022」に参加。 Dadada!TVを2017年から2020年まで行う。出演者は白川昌生、内田望美、藤原秦佑、彦坂尚嘉、衣真一郎、泉太郎、会田誠、加藤翼、若山満大、居原田遥などがいる。 フェイスブックやインスタグラムに流れる広告やニュース画像を素朴なテイストで毎日表現している。
渡辺 香奈(わたなべ かな、1980年 - )は、日本の洋画… 渡辺 香奈(わたなべ かな、1980年 - )は、日本の洋画家、一般社団法人二紀会準会員。群馬県美術会会員。 1980年、岩手県に生まれる。1998年に二紀展入選。 1999年、群馬県立高崎女子高等学校卒業。2003年、慶應義塾大学総合政策学部卒業。2005年、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。 2008年、第3回三菱商事アート・ゲート・プログラム作品買い上げ。 2009年、第44回昭和会展松村謙三賞(第2席)を受賞。第63回二紀展で優賞(第2席)を受賞。 2010年1月17日 - 2月21日、『作家王国-横田尚・渡辺香奈-ウォーターガール(2人展)』を開催(高崎市美術館)。同年4月2日 - 4日に『アートフェア東京2010』日動画廊ブースに出展(東京国際フォーラム)。
池田 実穂(いけだ みほ、1978年 - )は、日本の木版画… 池田 実穂(いけだ みほ、1978年 - )は、日本の木版画家。 群馬県利根郡月夜野町(現・みなかみ町)出身。1997年に群馬県立沼田女子高等学校を卒業後、東京学芸大学教育学部小学校教員養成課程美術科に入学する。2001年に大学を卒業後、同大学大学院教育学研究科美術教育専攻を2003年に修了。その後、2004年にイタリア・カッラーラ国立美術アカデミー彫刻科に留学し、翌年の2005年にカッラーラのアトリエで木版画の制作を始める。2006年には東京とイタリア・マッサ市で初の個展を開催し、2009年にカッラーラ国立美術アカデミー彫刻科を卒業する。2013年には「夏の水の半魚人」前田司郎著(新潮文庫)の装丁画を制作し、その翌年にはノルウェーのウス市の国際絵画シンポジウムに参加する。
田村 吉康(たむら よしやす、1977年 - )は、日本の漫… 田村 吉康(たむら よしやす、1977年 - )は、日本の漫画家・画家・イラストレーター。群馬県吾妻郡中之条町出身。フランス在住。近年は画家として活動する傍ら、漫画家、イラストレーターとしても作品を発表し、海外での講演やワークショップにも数多く参加している。漫画、絵画など多分野で海外を中心にマルチな活動をしている。
山口 晃(やまぐち あきら、1969年8月2日 - )は、日… 山口 晃(やまぐち あきら、1969年8月2日 - )は、日本の画家、現代美術家。 1969年、東京都生まれ。群馬県桐生市で育つ。桐生市立昭和小学校、桐生市立昭和中学校を経て、群馬県立桐生高等学校を卒業。多摩美術大学を1年で中退後、1994年に東京芸術大学美術学部絵画科油画専攻を卒業、1996年に東京芸術大学大学院美術研究科絵画専攻(油画)修士課程を修了。1997年、会田誠に誘われ「こたつ派」展に参加。2001年に岡本太郎記念現代芸術大賞優秀賞を受賞。2013年に『ヘンな日本美術史』で第12回小林秀雄賞を受賞。 大和絵や浮世絵のようなタッチで、非常に緻密に人物や建築物などを描き込む画風で知られる。
おかべてつろう(本名:岡部 哲郎、1966年-)は、日本の画… おかべてつろう(本名:岡部 哲郎、1966年-)は、日本の画家、イラストレーター、作詞家、詩人、グラフィックデザイナー、アーティスト、装丁家 。 群馬県安中市出身、桑沢デザイン研究所卒、公益社団法人日本グラフィックデザイン協会(JAGDA :読み/ジャクダ)元会員。 桑沢デザイン研究所卒業後、企業にてグラフィックデザイナーとして活動後、独立。 モスバーガーパッケージデザインやジャストシステムの一太郎スマイルのアイコンに代表されるようなamana作者番号02221のタイプの抽象的なイラスト作品や、現在SNSで発信しているような猫のキャラクターとしてのイラスト作品の両方を手掛ける。 様々なスタイルで創作を行い、抽象画、彫像などをしCDジャケットや表紙等を手がけていたが、イラストレーターに転身し、現在は画家。
小池 アミイゴ(こいけ アミイゴ、1962年 - )は、日本… 小池 アミイゴ(こいけ アミイゴ、1962年 - )は、日本のイラストレーター、画家。 群馬県勢多郡粕川村出身。群馬県立桐生南高等学校卒業。東洋大学文学部中国哲学文学科中退。セツ・モードセミナー卒業。 2018年TIS東京イラストレーターズ・ソサエティ副理事長。2019年からTIS東京イラストレーターズ・ソサエティ理事長。 2022年、『はるのひ』(徳間書店)で第27回日本絵本賞を受賞。
金井田 英津子(かないだ えつこ、1955年(昭和30年) … 金井田 英津子(かないだ えつこ、1955年(昭和30年) - )は、日本の版画家、装幀家、造本家。群馬県桐生市出身。1980年(昭和55年)筑波大学大学院修了。
星野 富弘(ほしの とみひろ、1946年4月24日 - )は… 星野 富弘(ほしの とみひろ、1946年4月24日 - )は、日本の詩人・画家。現在も詩画や随筆の創作を続けており、また国内外で「花の詩画展」が開かれている。
坂爪 厚生(さかづめ あつお、1941年(昭和16年) - … 坂爪 厚生(さかづめ あつお、1941年(昭和16年) - )は、日本の銅版画家。群馬県沼田市生まれ。 群馬県立沼田高等学校を経て、1965年、京都大学工学部合成化学科を卒業。大学在学中より西洋画に興味を持ち始め、はじめは油画や半立体の作品を制作していたが1968年頃からメゾチント技法による銅版画を始める。1970年からは日本版画協会展への出品を始め、以降連年同会展に出品し、1974年に同会会員となり現在に至る。1985年には大英博物館で開催された現代日本版画展に出品した。 その他多数の画廊で個展開催 京都市美術館、京都国立近代美術館、京都文化博物館、大阪府立現代美術センター、東京都現代美術館、福岡市美術館、栃木県立美術館、愛知県美術館、大分県立美術館、いわき市立美術館、青梅市立美術館、大英博物館、スミソニアン博物館 他
清水 榮三(しみず えいぞう、1940年(昭和15年)3月1… 清水 榮三(しみず えいぞう、1940年(昭和15年)3月18日 - )は、群馬県前橋市在住の日本画家。退職までは群馬県前橋市にあったフランスパンで働く傍ら日本画を描き続ける。他にも前橋市盆栽会会長も務める。 1940年(昭和15年)、群馬県前橋市に生まれる。1962年(昭和37年)、日本画の絵画館や思想にひかれ、日本画家、日本画府(日府展)審査員京都出身成田一方に師事す。1963年(昭和38年)、群馬県美術家連盟展で初出品し初入選。その後、1964年(昭和39年)、群馬県美術家連盟展に出品しY氏賞を受賞。1965年(昭和40年)、群馬県美術家連盟展に出品、東京新聞者賞を受賞。同年、日本画府、日府展に初出品し初入選。
森村 道美(もりむら みちよし、1935年〈昭和10年〉6月… 森村 道美(もりむら みちよし、1935年〈昭和10年〉6月25日 - 2012年〈平成24年〉10月29日)は、日本の都市計画家。都市研究者。東京大学、長岡技術科学大学教授を歴任。工学博士(1987年)。ケーススタディを駆使した都市計画の策定や研究で知られる。 群馬県伊勢崎市出身。群馬県立前橋高等学校を経て、1959年(昭和34年)東京大学工学部建築学科を卒業。1964年(昭和39年)同大学院博士課程単位取得退学。同助手となり、1971年(昭和46年)同助教授を経て1987年(昭和62年)教授に就任。 1987年(昭和62年)度日本都市計画学会学会賞受賞。1995年(平成7年)、東京大学大学院工学系研究科教授。
金井 南龍(かない なんりゅう、1917年6月5日 - 19… 金井 南龍(かない なんりゅう、1917年6月5日 - 1989年2月27日)は、日本の宗教家、易者、治療師、画家。「神理研究会」創設者で、月刊誌『さすら』の編集発行人。本名、金井三吉。筆名、金井久蜘蛛(くくも)。「一人一宗」を提唱した。 1917年(大正6年)、群馬県北甘楽郡福島町星田(現・富岡市)に生まれる。父・谷五郎は福島町の町長だった。生まれつき霊能があり、日常的に神霊との交流があったという。20歳で近衛師団に召集され、皇居や御用邸の警備にあたる。22歳で満州に出征。ノモンハンの戦闘(1939年)に参加したが、途中で肺結核に罹患し兵役免除となる。 1947年(昭和22年)、30歳で自動車販売会社を興す。
久保田 魁(くぼた かい/いさお、1915年〈大正4年〉3月… 久保田 魁(くぼた かい/いさお、1915年〈大正4年〉3月6日 - 1976年〈昭和51年〉5月27日)は、昭和時代に活動した日本画家、日展会員。 単色・同系色を繊細に使いこなして日本の山川を表現する風景画を得意とし、多くの作品が絵画として頒布されている。同時期に活動していた奥田元宋らとともに児玉希望に師事し、不忍池辯天堂の天井絵を合同で描いた。 1915年、群馬県桐生市にて生まれる。 奥田元宋や佐藤太清と親友関係にあり、絵の世界でも切磋琢磨しあう関係だったとされている。奥田と佐藤は文化勲章を叙勲しており、久保田もその才能に期待はされていたものの、久保田は長らく戦争に出兵しており惜しくもその機を逃した。
藤牧 義夫(ふじまき よしお、1911年〈明治44年〉1月1… 藤牧 義夫(ふじまき よしお、1911年〈明治44年〉1月19日 - 1935年〈昭和10年〉9月2日失踪)は、日本の版画家。1930年代の東京下町を描いた創作版画を手掛け、隅田川周辺を題材にした長大な白描絵巻版画で知られる。24歳で行方不明となり、長い間幻の木版画家だったが、1978年の遺作展によって再び注目された。 群馬県館林市出身。藤牧家は代々館林藩に仕えた士族だが、父は明治維新後永年教職にあり、小学校長も歴任し、「三岳」と号し絵や書をよくした。2歳で実母を、13歳で父親を亡くす。父没後に家族で日用雑貨小売を自宅で始め、その二軒隣りに、七歳年上の藤野隆秋(天光)が住んでいた。 義夫は小学校時代から美術が得意で周囲を驚かせた。
山口 薫(やまぐち かおる、1907年〈明治40年〉8月13… 山口 薫(やまぐち かおる、1907年〈明治40年〉8月13日 - 1968年〈昭和43年〉5月19日)は、群馬県出身の洋画家。元東京芸術大学教授。 1907年(明治40年)8月13日、群馬県群馬郡箕輪村金敷平(現・高崎市箕郷町金敷平)の大地主山口家で、父彦太郎、母佐登の間に11人きょうだいの末子として生まれる。 箕輪尋常小学校卒業後、旧制高崎中学校(現・群馬県立高崎高等学校)に進む。中学時代の絵日記が、のちに『山口薫中学時代絵日記』として出版されている。絵日記には油絵を描いたり、帝展を見に東京に出かける等の逸話が現れる。4年次に旧制水戸高校理科を受験するも失敗し、5年の冬に上京し当時藤島武二が洋画を指導していた川端画学校で学ぶ。
志村 立美(しむら たつみ、1907年2月17日 - 198… 志村 立美(しむら たつみ、1907年2月17日 - 1980年5月4日)は、日本画家、挿絵画家、美人画家。群馬県高崎市生まれ。本名 仙太郎。 群馬県高崎市新町甲百番地の有馬屋質店の長男として生まれ、その後横浜市中区へ移住する。神奈川県立神奈川工業高等学校図案科を中退して、1924年(大正13年)山川秀峰に入門美人画を修める。当時、山川秀峰は鏑木清方同門であった伊東深水と共に、挿絵での活動もしていた。岩田専太郎、志村立美と小林秀恒は、挿絵界の「三羽烏」。山川秀峰の推薦を受け、立美も挿絵での活動を行うようになる。また、金田信武の株式会社金田商店から、新版画と呼ばれている木版画も描いている。 肉筆画も鏑木清方主宰の郷土会、師である山川秀峰、伊東深水らの主宰する青衿会等へ出品をする。
塚本 茂(つかもと しげる、1903年〈明治36年〉3月14… 塚本 茂(つかもと しげる、1903年〈明治36年〉3月14日 - 1983年〈昭和58年〉1月25日)は、昭和期の洋画家である。 1903年(明治36年)、群馬県多野郡美土里村(現・藤岡市)に生まれる。旧制前橋中学校に学び、雑誌で見た中村彝「エロシェンコ氏の像」に感動し、美術教師・曽根末次郎の影響もあり画家を志す。東京美術学校図画師範科に入学し、藤島武二に教えを受け、学外で中村彝、牧野虎雄にも師事する。在学中の1924年(大正13年)に第5回帝展に『緑蔭』を出品し初入選する。1925年(大正14年)同校を卒業。 卒業後は神奈川県立湘南中学校(現・湘南高等学校)教諭となり、1946年(昭和21年)まで勤務。
久保 一雄(くぼ かずお、1901年2月16日 - 1974… 久保 一雄(くぼ かずお、1901年2月16日 - 1974年1月26日)は、日本の映画美術監督、洋画家。 群馬県藤岡市生まれ。 日本映画美術監督協会の創立者の一人。独立美術協会会員。 川端画学校洋画部で学んだ後、日活撮影所に入所。 撮影所の労働運動に関わり、「三・一五事件」で検挙される。転向しないままに奈良刑務所を出所後、PCLに入社。『人情紙風船』(山中貞雄監督)では岩田専太郎の美術考証にもとづいて、装置を担当。戦中・戦後にかけて、成瀬巳喜男、木村荘十二、山本嘉次郎、マキノ雅弘、黒澤明ら有力な監督の下で美術を担当。フリーとなってからは、山本薩夫、今井正の独立プロの映画制作に協力した。 戦前戦後の映画関連の労働運動経験者としても、山本薩夫『私の映画人生』(新日本出版社、1984年)、井上雅雄『文化と闘争――東宝争議1946-1948』(新曜社、2007年)で言及されている。
南城 一夫(なんじょう かずお、1900年〈明治33年〉3月… 南城 一夫(なんじょう かずお、1900年〈明治33年〉3月29日 - 1986年〈昭和61年〉2月25日)は、日本の画家。花や小動物などをモチーフとして、詩情豊かな作品を描いた。 1900年(明治33年)群馬県前橋市一毛町(現・城東町)に、南城要三郎・ふみの長男として生まれる。群馬師範学校附属小学校を経て、旧制前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)に学ぶ。前橋中学校の同級生に洋画家の横堀角次郎や詩人の萩原恭次郎がいる。 1918年(大正7年)に同校を卒業すると、先輩の俳優・河原侃二のすすめにより岡田三郎助主宰の本郷洋画研究所に入所し絵画を学んだ。ここで岡鹿之助、伊藤廉と知り合う。1920年(大正9年)に東京美術学校(現・東京芸術大学)西洋画科に入学。
福沢 一郎(ふくざわ いちろう、1898年(明治31年)1月… 福沢 一郎(ふくざわ いちろう、1898年(明治31年)1月18日 - 1992年(平成4年)10月16日)は、日本の洋画家。日本にシュルレアリスムを紹介した画家として知られる。文化功労者、文化勲章受章、群馬県名誉県民。 1898年(明治31年)1月18日、群馬県北甘楽郡富岡町(現富岡市)に生まれる。祖父・常五郎は繭商人として組合製糸・甘楽社を設立し成功を収めた人物で、富岡町長や県会議員を務めた。常五郎の長男・仁太郎は衆議院議員・宮口二郎の姪・ハツと結婚し、夫婦の最初の子として生まれたのが一郎である。仁太郎も後に富岡町長を務めた。 一郎は1910年に富岡尋常高等小学校を卒業後、旧制富岡中学校に入学し1915年に卒業。
小林 真二(こばやし しんじ、1890年〈明治23年〉3月5… 小林 真二(こばやし しんじ、1890年〈明治23年〉3月5日 - 1965年〈昭和40年〉4月4日)は、群馬県出身の洋画家。浦和画家のひとり。赤城山の風景を好んで描いたことから「赤城絵かき」とも称された。 群馬県大間々町(現・みどり市)に生まれる。群馬県立前橋中学校卒業後、上京し白馬会研究所に入り黒田清輝、長原孝太郎らに師事した。風景画を主体とする。関東大震災後、埼玉県浦和町(現さいたま市)に居住。第一美術協会を創設した。光風会審査員、埼玉県展運営委員・審査員。実践女子大学講師。 志賀直哉の小説『焚火』に「画家S」として登場する。
トーマス永井(とーます ながい、1886年 - 1966年)… トーマス永井(とーます ながい、1886年 - 1966年)は洋画家。魔術的リアリズムの担い手として独自の作風を確立。しかし太平洋戦争の混乱によりその業績は長らく埋もれたままになっていた。忘れられた洋画家として近年評価が急速に高まってきている。本名は永井富三(ながい とみぞう)
小室 翠雲(こむろ すいうん、1874年〈明治7年〉8月31… 小室 翠雲(こむろ すいうん、1874年〈明治7年〉8月31日 - 1945年〈昭和20年〉3月30日)は、明治時代から昭和前期に活躍した日本画家、南画家。本名は貞次郎(ていじろう)。号には翠雲のほか、翠湖・翠雲衜人・長興山人・佳麗庵など。文展・帝展審査員、帝国美術院会員、帝室技芸員などをつとめた。 1874年(明治7年)、栃木県邑楽郡館林町(現・群馬県館林市)で、呉服商を営む父・牧三郎、母・ふきの長男として生まれる。父・牧三郎は、谿邨の号で文人画もたしなんでいた。 翠雲は館林小学校に入学。小学校時代に善導寺の満成和尚に書を、画家の岡戸仙渓や岸浪柳渓から絵を習った。1887年(明治20年)館林小学校中等科を退学し、上京して印刷工となるが1年ほどで帰郷。
大塚 榛山(おおつか しんざん、明治4年4月15日〈1871… 大塚 榛山(おおつか しんざん、明治4年4月15日〈1871年6月2日〉 - 昭和19年〈1944年〉2月5日)は、明治から昭和戦前期に活動した日本画家。本名・文治郎。 群馬県吾妻郡荻生村(現・東吾妻町荻生)に生まれる。生家は農業のかたわら酒造業を営んでいた。地元の荻生尋常小学校を経て、中之条の吾妻高等小学校を卒業。その後は実家で農業に従事する。 父の反対を周囲が説得し、上京して南画の大家だった滝和亭に弟子入りする。1889年(明治22年)に榛山の雅号を与えられた。奈良・京都の神社仏閣を巡り、古画の研究に取り組む。法隆寺金堂壁画の修復を手がけたことで名前を知られた。この名声が広がり、吉野神宮、高野山などから招かれ、壁画の修復にあたった。
新井 洞巌(あらい どうがん、慶応2年4月10日〈1866年… 新井 洞巌(あらい どうがん、慶応2年4月10日〈1866年5月24日〉 - 1948年〈昭和23年〉5月2日)は、明治から昭和前期に活躍した南画家。本名は信吉。号は白雲、後に洞巌。養子は住友生命保険社長・会長を務めた新井正明。「洞厳」は誤記。 上野国吾妻郡原町須郷沢(現・群馬県吾妻郡東吾妻町)に、新井半重郎の次男として生まれた。6歳の時に母、13歳の時に兄、19歳の時に父を亡くし、継母は異母妹を連れて郷里へ帰ったため天涯孤独となる。 長井雲坪、四谷延陵、菅原白龍、高森砕巌に南画を、漢学を貫名海雲に学んだ。1896年(明治29年)から18年に渡って日本全国や中国の洞庭湖、台湾などを旅した。その絵は吉川英治や安岡正篤らに評価され、吉川からは「最後の南画人」と評された。
藤島 華僊(ふじしま かせん、慶応2年〈1866年〉3月 -… 藤島 華僊(ふじしま かせん、慶応2年〈1866年〉3月 - 1929年〈昭和4年〉2月18日)は明治時代から昭和時代にかけての浮世絵師、日本画家。 慶応2年3月に上野国利根郡沼田倉村(現・群馬県沼田市)において生まれた。通称は徳四郎。浮世絵師としては藤島年美と号しており、後に永柳、華僊と号した。幼時より絵画を好み、12歳で青山翠山(福島柳圃の弟子)に師事、南宗画を習得し、後に東京へ上京して月岡芳年について風俗画を学び、小林永濯に師事し、永濯から画技を認められ、彼の養嗣子となった。1886年(明治19年)頃、芳年から門人27名にあてた書状『芳年門人一覧』の23番目に「上松本町二十番地細山方 藤嶋徳四郎殿」とみられる。