李 方子(り まさこ、朝: 이방자〈イ・バンジャ〉、1901… 李 方子(り まさこ、朝: 이방자〈イ・バンジャ〉、1901年〈明治34年〉11月4日 - 1989年〈平成元年〉4月30日)は、日本の元皇族であり、李王垠の妃。梨本宮守正王と同妃伊都子の第1王女子。肥前佐賀藩主・鍋島直正の曾孫。旧名は、方子女王(まさこじょおう)。皇室典範における敬称は殿下。 宮家(梨本宮家)の第1王女子(女王)として生まれ、日本国内で王公族として皇族に準じる待遇をうけた李垠(旧大韓帝国、高宗第七皇子)に嫁した。「李方子」とは、第二次世界大戦後、王公族としての身分を喪失したことにより夫の姓を名乗ったものである。 1901年(明治34年)11月4日、梨本宮守正王と同妃伊都子夫妻の第1王女子(第1子)として誕生し、御七夜の11月11日に「方子」と命名された。
初代雷門福助(かみなりもん ふくすけ、1901年(明治34年… 初代雷門福助(かみなりもん ふくすけ、1901年(明治34年)10月20日 - 1986年(昭和61年)6月11日)は、落語家。本名は川井初太郎。通称「落語界のシーラカンス」。 東京の深川の芝居道具師の家に生まれた。生年月日は口伝えでは2月3日の初午の日で、それゆえに初太郎と名付けられた。 奉公に出た後は陸軍省大臣・田中義一の運転手の助手をしたり、徳川夢声の元で活動弁士の下働きなどをしていた。 1922年(22歳)頃から幇間をしていた友人の薦めで六代目雷門助六に入門して福助を名乗る。二つ目のときに師匠が名古屋に「助六興行部」を設立したので同行した。関東大震災が起こった際は東京に戻らずそのまま名古屋に住み着いた。
鶴丸 睦彦(つるまる むつひこ、1901年10月10日 - … 鶴丸 睦彦(つるまる むつひこ、1901年10月10日 - 1989年7月5日)は、日本の俳優。本名は松井 睦彦。 1901年(明治34年)10月10日、鹿児島県鹿児島市に医師の父・文蔵の6人兄妹の長男として生まれる。早稲田高等学院卒業後の1923年(大正12年)に渡米し、その後エル・グレコの絵を見たさに旅費をためてスペインに渡る。1927年(昭和2年)に帰国。左翼系劇団の美術部員から俳優に転じ、同年に佐々木孝丸、村山知義らの前衛劇場に入り、1928年(昭和3年)には東京左翼劇場、1934年(昭和9年)には新協劇団に参加する。1938年(昭和13年)、木村荘十二監督の『牧場物語』で映画に初出演する。
村野 四郎(むらの しろう、1901年〈明治34年〉10月7… 村野 四郎(むらの しろう、1901年〈明治34年〉10月7日 - 1975年〈昭和50年〉3月2日)は、日本の詩人。日本現代詩人会会長。理研コンツェルン役員。長男はセイコー株式会社代表取締役社長を務めた村野晃一。 東京北多摩郡多磨村に生まれた。父、兄たちが、それぞれ俳句や短歌を作るという文学的環境に育った。慶大理財科を卒業したが、詩への情熱は強く、1926年に第1詩集『罠』を刊行。ドイツ近代詩の影響を受け、モダニストの立場を鮮明にした。 頭で考えるのではなく、実際の物に即して考えるという新即物主義にもとづいた『体操詩集』は、人間存在と社会と宇宙の関係をとらえた画期的な詩集。戦後は独自の歩みをつづけ、「不在の神への近接」という実存的な詩境に達した。
西野 綱三(にしの こうぞう、1901年10月6日 - 19… 西野 綱三(にしの こうぞう、1901年10月6日 - 1984年6月15日)は、日本の元ラグビー選手及び同監督。
岡松 成太郎(おかまつ せいたろう、1901年 <明治34年… 岡松 成太郎(おかまつ せいたろう、1901年 <明治34年> 9月29日 - 1991年 <平成3年> 7月18日)は、日本の官僚、経営者。商工次官、北海道電力社長を歴任。位階は従三位。勲二等旭日重光章。 東京府出身。父は京大法科教授・岡松参太郎。東京府立第四中学校、第一高等学校を経て、1925年に東京帝国大学法学部卒業。1928年、商工省入省。特許局属。1940年、総力戦研究所員、以後、東北地方鉱山局長、軍需省管理局長、商工省商務局長、燃料局長などを経て、石炭庁次長兼総務局長に。1947年に商工次官に就任。 退任後は、日本商工会議所専務理事、北海道電力社長を3期6年務め、江別火力発電所や送電・変電の整備に尽くした。
筑土 鈴寛(つくど れいかん、1901年9月28日 - 19… 筑土 鈴寛(つくど れいかん、1901年9月28日 - 1947年2月12日)は、日本の僧侶、民俗学者。東京府北多摩郡神代村(現東京都調布市)生まれ。初名を寛也。 私立天台宗中学校(現駒込高校)、國學院大學予科に学び、1924年(大正13年)東漸院住職となる。1926年國學院大學文学部国文学科卒業、東京帝国大学文学部副手、1928年(昭和3年)大正大学予科講師、同予科・専門部教授を経て1944年大正大学教授。 折口信夫より唱導文芸の研究を受け継ぎ、中世の宗教芸文に関する研究を確立した。 1947年に宗教芸文学会を設立したが、まもなく若くして亡くなった。 国文学の業績が多く、折口の後継者の一人と目されていた。
秋山 逸生(あきやま いっせい、1901年9月27日 - 1… 秋山 逸生(あきやま いっせい、1901年9月27日 - 1988年5月22日)は、日本の木工芸家。 重要無形文化財「木象嵌」保持者。大坂弘道など木象嵌に優れた木工芸家はいるが、2006年現在では「木工芸」ではなく「木象嵌」で人間国宝に認定されたのは秋山のみである。 旧東京府隅田村(現 東京都墨田区)に生まれる。師に供して千葉県市川市に移り住み、生涯を市川で過ごす。 1918年、芝山象嵌師の島田逸山に師事。その後、兄の秋山聴古(本名秋山鉄次郎)に木画技法、彫金師桂光春らにも学ぶ。木象嵌は木地に色や木目の違う木材や金属などのさまざまな素材を加工して嵌め込み木地にさまざまな文様を表す。とくに複雑な文様を示すものは木画といい、下総国芝山の芝山専蔵が起こした象嵌法を芝山象嵌といい秋山逸生の師島田逸山や兄秋山聴古は芝山象嵌師である。
渡辺 一夫(渡邊 一夫、わたなべ かずお、1901年(明治3… 渡辺 一夫(渡邊 一夫、わたなべ かずお、1901年(明治34年)9月25日 - 1975年(昭和50年)5月10日)は、日本のフランス文学者・評論家。東京大学名誉教授、日本学士院会員。ルネサンス期フランスのフランソワ・ラブレーやエラスムスなどの研究、及び『ガルガンチュワとパンタグリュエル』の日本語訳で知られる。 1901年、銀行家の長男として東京府で生まれた。暁星中学校でフランス語を始め、少年時代は巖谷小波や夏目漱石、芥川龍之介、十返舎一九、式亭三馬、『三国志』『西遊記』などを愛読し、詩や和歌も読む文学少年だった。第一高等学校文科丙類を経て、東京帝国大学文学部仏文学科に進学。辰野隆に師事し、鈴木信太郎、山田珠樹、豊島與志雄らの薫陶を受ける。
山中篤太郎(やまなか とくたろう、1901年9月4日-198… 山中篤太郎(やまなか とくたろう、1901年9月4日-1981年1月16日)は、日本の経済学者。第3代一橋大学学長。日本経済政策学会代表理事、中小企業学会会長、労働省中央労働基準審議会会長等を歴任。
杉本 栄一(すぎもと えいいち、1901年8月9日 - 19… 杉本 栄一(すぎもと えいいち、1901年8月9日 - 1952年9月24日)は、日本の経済学者。
谷 幹一(たに かんいち、1901年7月18日 - 1939… 谷 幹一(たに かんいち、1901年7月18日 - 1939年9月12日)は、日本の俳優である。愛称は「タニカン」、本名は岡村 文雄(おかむら ふみお)である。第二次世界大戦後、同姓同名のコメディアン・俳優の谷幹一が登場したころにはすでに他界していた。 1901年(明治34年)7月18日、東京市京橋区(現在の東京都中央区)に「岡村文雄」として生まれる。 神田区錦町(現在の千代田区神田錦町)にあった錦城学校尋常中学校(現在の錦城学園高等学校)を卒業し、美術学校に入学、日本画を専攻する。19歳になる1920年(大正9年)10月に設立された松竹キネマ研究所に入所、小山内薫に師事した。翌1921年(大正10年)8月には同研究所は解散した。
菊池 重三郎(きくち しげさぶろう、1901年7月3日-19… 菊池 重三郎(きくち しげさぶろう、1901年7月3日-1982年4月16日)は、日本の作家、編集者、翻訳家。「芸術新潮」初代編集長。 宮崎県臼杵郡北方村(現在の延岡市) で生まれる。1920年、旧制日本大学中学校(現在の日本大学第一高等学校)卒業、1925年、立教大学文学部英文科を卒業。1925年から3年間、麻布中学校の英語教師を務め、1928年渡欧し、1930年帰国。 研究社、春秋社、新潮社に勤務し、傍ら文筆活動にも努める。 新潮社では、1950年「芸術新潮」初代編集長となり、創刊から62号まで携わり、1955年退職。 晩年の島崎藤村と交流があり、1947年の木曾馬籠の藤村記念館の設立に尽している。
山際 正道(やまぎわ まさみち、1901年6月12日 - 1… 山際 正道(やまぎわ まさみち、1901年6月12日 - 1975年3月16日)は第20代日本銀行総裁。大蔵次官。東京出身。
岩田 専太郎(いわた せんたろう、旧字体:專太郞、1901年… 岩田 専太郎(いわた せんたろう、旧字体:專太郞、1901年〈明治34年〉6月8日 - 1974年〈昭和49年〉2月19日)は、日本の画家、美術考証家。連載小説の挿絵を多く手がけ、数多くの雑誌・書籍の表紙で「専太郎張り」と呼ばれる画風の美人画を発表した。昭和の挿絵の第一人者として知られる。妹は女優の湊明子。 1901年(明治34年)6月8日、東京市浅草区黒船町(現在の東京都台東区寿)に生まれる。生家は印刷業で、版木の名人と言われた父方のおじや絵双紙屋のおばがいるという環境だった。幼い頃から絵が好きで画才を示し、妹の湊明子の回想では、彼女が尋常小学校に入学したときに講堂に兄の絵が飾られていたという。
中村 幸四郎(なかむら こうしろう、1901年6月6日 - … 中村 幸四郎(なかむら こうしろう、1901年6月6日 - 1986年9月28日)は日本の数学者。専攻は数学基礎論、数学史。大阪大学名誉教授、関西学院大学名誉教授、兵庫医科大学名誉教授、文学博士。従四位勲三等旭日中綬章。
高橋 敏雄(たかはし としお、1901年(明治34年)6月 … 高橋 敏雄(たかはし としお、1901年(明治34年)6月 - 1967年(昭和42年)11月15日)は、日本の内務・厚生官僚。官選群馬県知事。
里見 明(さとみ あきら、1901年〈明治34年〉5月16日… 里見 明(さとみ あきら、1901年〈明治34年〉5月16日 - 1972年〈昭和47年〉12月27日)は、日本の俳優である。サイレント映画時代の映画スターである。本名は松本 米三(まつもと よねぞう)。「浅草オペラ」のスターから映画俳優に転向した。旧芸名小松 明(こまつ あきら)。 1901年(明治34年)5月16日、東京府東京市本所区向島須崎町(現在の東京都墨田区向島4-5丁目のあたり)に生まれる。兄はのちの映画監督の松本英一である。築地工手学校(現在の工学院大学)予科を修了後、太平洋画会(現在の太平洋画会研究所)で洋画を学んだが、兄同様に芝居に転向していく。 佐藤紅緑の劇団「日本座」に入団し函館で初舞台を踏み、浅草公園六区の「観音劇場」、新日本劇団を経て、「浅草オペラ」の根岸大歌劇団に入団、「小松明」名で一躍人気を集めた。
足利 惇氏(あしかが あつうじ、1901年〈明治34年〉5月… 足利 惇氏(あしかが あつうじ、1901年〈明治34年〉5月9日 - 1983年〈昭和58年〉11月2日)は、日本のインド・ペルシア学者。第5代東海大学学長。京都大学・東海大学名誉教授。文学博士(京都大学、1949年)。日本オリエント学会会長。 東京市本郷区駒込千駄木林町(現:東京都文京区千駄木)生まれ。インド学において業績を残すとともに日本に本格的なイラン学を導入した。東海大学付属図書館には『足利惇氏文庫』と冠して資料が所蔵されている。 関東公方系足利氏で旧喜連川藩家の足利子爵家当主。先代当主足利於菟丸と後妻ヒロの長男。前名・惇麿。妻は有馬頼寧の次女・澄。父の隠居に伴い、1935年(昭和10年)12月2日に子爵を襲爵した。
北小路 功光(きたこうじ いさみつ、1901年〈明治34年〉… 北小路 功光(きたこうじ いさみつ、1901年〈明治34年〉4月23日 - 1989年〈平成元年〉2月27日)は、昭和時代の華族(子爵)、歌人。母は歌人として知られる柳原白蓮(柳原燁子)。昭和天皇とは又従兄弟にあたり、自身の誕生から6日後に誕生している。 1901年(明治34年)、北小路資武の長男として東京で生まれる。一家は困窮のため、北小路家縁の京都鞍馬口へ転居する。功光が5歳のときに両親が離婚したため、祖母・久子によって育てられた。 同志社中学から学習院を経て、東京帝国大学文学部中退。学習院時代には霊南坂教会に通っていた。1942年(昭和17年)2月28日に父子爵の資武が亡くなると、7月15日に子爵を襲爵した。
浦野理一(うらの りいち、1901年4月22日-1991年)… 浦野理一(うらの りいち、1901年4月22日-1991年)は、日本の染織研究家、染織プロデューサー。飛鳥時代から江戸末期までの染織物数万点を収集して研究し、作品づくりや著作に反映させた。そのコレクションは日本で唯一ともいわれた。雑誌『ミセス』誌上で長期にわたって連載を持ち、小津安二郎の映画では衣装を担当した。 1901年4月22日、群馬県高崎市にて、父・彦三郎、母・たきの長男として生まれる。美に敏感で、小学生の頃からきものに興味を持ちはじめた。東京・神田の錦城商業学校を卒業し、1918年(大正7年)、日本橋白木屋(元東急百貨店日本橋店)に入社し、呉服部に勤めた。染織研究のためのきものやボロきれ集めに熱中し、古着屋や骨董屋を巡って月給の大半を注ぎ込んだ。
小栗 虫太郎(おぐり むしたろう、1901年(明治34年)3… 小栗 虫太郎(おぐり むしたろう、1901年(明治34年)3月14日 - 1946年(昭和21年)2月10日)は、日本の小説家、推理作家、秘境冒険作家。本名:小栗 栄次郎(おぐり えいじろう)。東京都千代田区外神田出身。 漢語カタカナルビと西洋の知識に彩られた、極度のペダントリー(衒学趣味)的作風で著名。代表作は、デビュー作『完全犯罪』、推理小説の三大奇書の一つといわれる『黒死館殺人事件』、秘境探検小説の連作『人外魔境』など。 1901年3月14日、東京市神田旅籠町(現・東京都千代田区外神田)で生誕。生家は代々の酒問屋の小田原屋の分家であった。父親は1911年に死去しているが、本家からの仕送りや貸家の賃貸収入のため生活には困らなかった。
木本 大果(きもと たいか、1901年(明治34年)3月7日… 木本 大果(きもと たいか、1901年(明治34年)3月7日 - 2001年(平成13年)11月9日)は、大正から平成時代の日本画家。 16歳で松本楓湖に師事する。松本の没後は、荒木十畝の読画会に所属する。昭和4年に帝国美術院展覧会で入選し、昭和8年には「秋林」が特選を受賞する。荒木は昭和19年に没する。その後、伊東深水から鎌倉にあった自宅に招かれ、自身が顧問を務める日月社への入会を勧められるが、所属していた読画会を離れなかった。 東京都世田谷区に居住していた。
植竹 圓次(うえたけ えんじ、1901年(明治34年)2月2… 植竹 圓次(うえたけ えんじ、1901年(明治34年)2月28日 - 1977年(昭和52年)11月16日)は、ジャーナリスト・政治家。第16 - 18代八王子市長を務めた。 1901年(明治34年)2月28日東京府八王子町元子安(現八王子市子安町)で三男として生まれる。町立第三尋常小学校(現八王子市立第三小学校)、攻玉社中学校、早稲田高等学院を経て1927年(昭和2年)早稲田大学政治経済学部を卒業。在学中に高等文官試験行政科に合格するも東京日日新聞社(現毎日新聞社)に入社。1936年(昭和11年)には整理部長、1948年(昭和23年)には毎日小学生新聞部長、1954年(昭和29年)には地方部長兼地方版編集長となり1956年(昭和31年)定年退職。
岸 良子(きし よしこ、1901年〈明治34年〉2月16日 … 岸 良子(きし よしこ、1901年〈明治34年〉2月16日 - 1980年〈昭和55年〉6月14日)は、日本の56・57代内閣総理大臣である岸信介の妻。山口県出身。 山口県の士族である岸信政の娘として生まれる。実践高等女学校を卒業後、東京帝国大学法学部に在学中だった従兄の岸信介(信政の養子)と結婚を前提に同棲、1919年(大正8年)11月に結婚。 1921年(大正10年)に長男・信和、1928年(昭和3年)に長女・洋子をそれぞれ出産。 1980年(昭和55年)6月14日、心不全のため東京都港区の山王病院で死去。79歳没。
犬塚 稔(いぬづか みのる、1901年2月15日 - 200… 犬塚 稔(いぬづか みのる、1901年2月15日 - 2007年9月17日)は、日本の脚本家、映画監督である。最高齢の映画人であった。長谷川一夫のデビュー作と引退作の脚本を執筆し(デビュー作『稚児の剣法』 は監督兼任)、勝新太郎の当たり役『座頭市』の脚本家としても知られる。 1901年(明治34年)2月15日、東京府東京市浅草区(現在の東京都台東区)花川戸に生まれ、台湾の台北市で少年時代を過ごす。父は『劇団新派』の前身の一つとされる『成美団』の座付作家・大須賀豊(本名・犬塚福太郎)だが犬塚が五歳の時に死別した。 成人して台北銀行(※犬塚本人の回想では台湾銀行)に就職するが、演劇に興味を持ち退職。
伊志井 寛(いしい かん、1901年2月7日 - 1972年… 伊志井 寛(いしい かん、1901年2月7日 - 1972年4月29日)は、日本の俳優である。 本名:石井 淸一、旧芸名及び別名:竹本 津駒太夫(たけもと つこまだゆう)、石井 寛(読み同じ)。 1901年2月7日(木曜日)、東京府東京市牛込区神楽坂(現:東京都新宿区)に、落語家4代目三升亭小勝と竹本清之助(本名は富沢つね)の子として生まれる。1906年、5歳で父と死別する。 17歳まで銀座の商家に奉公に出ていたが身に合わず、1919年に文楽座の竹本津太夫の門に入り、竹本津駒太夫名義で初舞台を踏む。ところが満20歳の徴兵検査を機に文楽界を退き、1922年、松竹蒲田撮影所に入社。伊志井寛と改名し、旧劇活動写真の写実化に成功したといわれている1923年公開の野村芳亭監督映画『女と海賊』等に脇役として出演。
吉田 暎二(よしだ てるじ、1901年〈明治34年〉2月5日… 吉田 暎二(よしだ てるじ、1901年〈明治34年〉2月5日 ‐ 1972年〈昭和47年〉9月30日)とは、大正から昭和にかけての浮世絵・歌舞伎の研究家。 東京本所区(現在の墨田区)の東両国で生まれる。父は東海銀行支店長の吉田源次郎。1907年(明治40年)相生尋常小学校に入学、1914年(大正3年)東京府立第三中学校(現東京都立両国高等学校・附属中学校)に入学。1919年(大正8年)早稲田大学露文科に入学したが、のちに関東大震災により中退する。1924年(大正13年)東京歌舞伎座に入社、雑誌『歌舞伎』、『歌舞伎研究』の編集を担当する。1927年(昭和2年)に歌舞伎座を退社、その後高見沢木版社、また北光書房に勤務することがあった。
石川 冷(いしかわ れい、1901年1月25日 - 没年不詳… 石川 冷(いしかわ れい、1901年1月25日 - 没年不詳)は、日本の俳優である。本名は石川 良平(いしかわ りょうへい)だが、婚姻後は齋藤 良平(さいとう - )と名乗った。旧芸名は石川 鳳堂(いしかわ ほうどう)。妻は舞踊家の藤間寿美枝(本名は斎藤 千代子)である。 1901年(明治34年)1月25日、東京府東京市本所区業平(現在の東京都墨田区)に生まれる。父親である杢平は人形師であった為、人形作りを手伝いながら、1914年(大正3年)に小学校を卒業。卒業後は琴古流尺八を習い、石川鳳堂と名乗った。 1920年(大正9年)、新派俳優の武田正憲(1890年 - 1962年)の門下となり、東京で初舞台を踏む。
村山 知義(むらやま ともよし、1901年(明治34年)1月… 村山 知義(むらやま ともよし、1901年(明治34年)1月18日 - 1977年(昭和52年)3月22日)は、日本の小説家、画家、デザイナー、劇作家、演出家、舞台装置家、ダンサー、建築家。日本演出者協会初代理事長。
難波 経一(なんば つねかず、1901年1月11日-1986… 難波 経一(なんば つねかず、1901年1月11日-1986年2月22日)は、大正・昭和期の官僚、実業家。東京府出身。妻直子は男爵岩倉道倶の二女、岩倉具視の孫娘である。
入江 俊郎(いりえ としお、1901年(明治34年)1月10… 入江 俊郎(いりえ としお、1901年(明治34年)1月10日 - 1972年(昭和47年)7月18日)は、日本の官僚、政治家、裁判官。法制局長官、貴族院議員、衆議院法制局長、最高裁判所判事。東京府出身。 府立三中、第一高等学校、東京帝国大学卒業。1924年に内務省に入り、1927年、法制局参事官となる。 戦後の1945年9月には法制局第一部長、同年11月には法制局次長、1946年3月には法制局長官となり、日本国憲法の立案責任者になった。1946年5月18日、昭和天皇により貴族院議員に勅選され、同和会に所属し1947年5月2日の貴族院廃止まで在任した。 日本国憲法により帝国議会及び貴族院は廃止され、国立国会図書館専門調査員であったところ、芦田内閣期の1948年7月に衆議院の法制局長に任命された。
湯浅 清子(ゆあさ きよこ、1901年〈明治34年〉1月1日… 湯浅 清子(ゆあさ きよこ、1901年〈明治34年〉1月1日 - 1972年〈昭和47年〉4月22日)は、日本の教育者、宗教家である。元日本基督教女子青年会副会長。夫は同志社総長の湯浅八郎、矢嶋楫子の孫。湯浅洋は息子である。旧姓鵜飼清子。 1901年に鵜飼猛、妙子の長女として東京府に生まれる。1913年に女子学院に入学し、祖母矢嶋楫子や植村環の薫陶を受けた。 1914年からアメリカ合衆国アイオワ州シンプソン大学で学ぶ。1922年に卒業し、イリノイ州で湯浅八郎と結婚する。夫と共に、ヨーロッパで学び、1924年に帰国する。1927年、26歳の時に京都YWCAの会長になる。日本YWCAの要職を歴任した。
大石 郁雄(おおいし いくお、1901年 - 1944年12… 大石 郁雄(おおいし いくお、1901年 - 1944年12月4日)は、日本の映画監督、アニメーション作家、脚本家である。初期には大石 郁(おおいし いく)とも。 1901年(明治34年)、東京府東京市日本橋区(現・東京都中央区)に生まれる。東京開成中学校 から黒田清輝画塾に通い、同門の横尾泥海男、鈴木重吉と知り合って漫画映画製作に興味を持ち、鈴木の所有していたドイツ製のウエルテルカメラを使って動画の習作をいくつか制作する。 1918年(大正7年)8月、森永製菓が「森永ミルクチヨコレート」発売に際し、宣伝用漫画映画『兎と亀』を製作、習作動画の腕を買われ、16歳の「大石郁」がこの動画を制作。日本初の広告用アニメーションであるが、本作は現存しない。
寺崎 英成(てらさき ひでなり、1900年(明治33年)12… 寺崎 英成(てらさき ひでなり、1900年(明治33年)12月21日 - 1951年(昭和26年)8月21日)は、日本の外交官、元・宮内省御用掛。 1900年、貿易商・寺崎三郎(福岡藩出身)の二男として神奈川県に生まれた。兄は、外交官・寺崎太郎。暁星中学より旧制一高を経て東京帝大法学部を中退し、1927年に外務省入省。ブラウン大学に公務留学。1931年、ワシントンD.C.の日本大使館在勤中に米国人グエンドレン・ハロルド(Gwen Harold, 1908-1990)と出会い結婚。 その後、上海(勤務時に娘マリコが出生)、ハバナ、北京など在外勤務を経て、1941年に再びワシントンの日本大使館に赴任。
中西 利雄(なかにし としお、1900年〈明治33年〉12月… 中西 利雄(なかにし としお、1900年〈明治33年〉12月19日 - 1948年〈昭和23年〉10月6日)は、日本の洋画家。透明水彩絵具に不透明水彩絵具を併用する新たな水彩技法を編み出した。 東京府京橋区(現・東京都中央区)に生まれる。日本中学校、1927年東京美術学校西洋画科卒業。1920年代、日本水彩展、光風会展、帝展などに参加し、1928年(昭和3年)にフランスへ渡る。翌年、大学同期の小磯良平とともにヨーロッパをめぐり、サロン・ドートンヌに多数作品を出品して入選した。1931年(昭和6年)11月に日本へ帰国。帰国後の1934年(昭和9年)、第15回帝展に「優駿出場」を出品して特選。1935年(昭和10年)には第二部会展で「婦人帽子店」特選。
鳥取 春陽(とっとり しゅんよう、1900年12月16日 -… 鳥取 春陽(とっとり しゅんよう、1900年12月16日 - 1932年1月16日)は大正時代の街頭演歌師。街頭演歌師の立場から洋楽の手法をもって民衆歌謡を創作した。 岩手県新里村(現在の宮古市)出身。本名:鳥取 貫一(とっとり かんいち)。 「籠の鳥」を作曲し、演歌師・作曲家として一世を風靡した。また、ヒコーキ印の帝国蓄音器商会で吹込んだ「船頭小唄」は鳥取春陽の街頭演歌師としての声価を高めた。 1923年、関東大震災後、活動拠点を大阪に移し、歌手兼作曲家として活躍。大正後期、鳥取春陽は絶頂期を迎えた。「すたれもの」「赤いばら」などが街頭やカフェーで流れた。1926年、日本蓄音器商会傘下のオリエントレコード専属となる。
五島 茂(ごとう しげる、1900年12月5日 - 2003… 五島 茂(ごとう しげる、1900年12月5日 - 2003年12月19日)は、日本の歌人、経済史学者。
柴田 衛(しばた まもる、1900年12月4日 - 1977… 柴田 衛(しばた まもる、1900年12月4日 - 1977年12月29日)は、日本の鉄道・機械技術者。 日本の電車用連結器として21世紀初めまでもっとも広範に用いられている柴田式密着連結器の開発者として知られる。 同じく鉄道省に勤務した技術者で柴田式自動連結器開発者の柴田兵衛は実兄。 本籍地は東京府豊多摩郡杉並町。1916年(大正5年)岩倉鉄道学校卒業、鉄道院に入職。以後鉄道省改組後も勤務し、工作局車両課の技手として長く電車を担当した。業務と並行して日本大学高等工学校(現在:理工学部)に学び1923年(大正12年)卒業。1938年(昭和13年)3月に技師に昇格したが、1939年(昭和14年)12月退官。
美濃部 洋次(みのべ ようじ、1900年11月1日 - 19… 美濃部 洋次(みのべ ようじ、1900年11月1日 - 1953年2月28日 52歳)は、日本の商工官僚。
杉村 勇造(すぎむら ゆうぞう、1900年11月1日 - 1… 杉村 勇造(すぎむら ゆうぞう、1900年11月1日 - 1978年9月29日)は、中国美術学者。号は「丁父」。大東文化大学名誉教授。 1900年、東京市深川区亀住町(現・東京都江東区深川)で生まれた。1919年、無窮会漢学研究生として中華民国・北京に留学。1924年、無窮会会長・平沼騏一郎の斡旋により3年間北京に留学。金石学を馬衡(中国語版)に、書誌学を徐鴻宝(中国語版)の下で学んだ。 1927年、北京東方文化事業総委員会の図書籌備員となり、人文科学研究所図書館の設立にあたった。 1932年、満州国立図書館、国立奉天博物館の開設準備に携わった。1933年10月に満日文化協会が発足すると、常務理事、満州芸文協会理事となった。
高野 弘正(たかの ひろまさ、1900年〈明治33年〉10月… 高野 弘正(たかの ひろまさ、1900年〈明治33年〉10月31日 - 1987年〈昭和62年〉5月27日)は、日本の剣道家。称号は剣道範士、一刀流中西派(または小野派一刀流中西派)宗家。 小野派一刀流の剣道家高野佐三郎の次男として東京に生まれる。6歳より父の道場明信館で剣術を修行し、後に小野派一刀流を継承する。小野派一刀流の中西子定から数えて8代目にあたる。 1918年(大正7年)、旧制日本大学中学校(現在の日本大学第一中学校・日本大学第一高等学校)を卒業。1923年(大正12年)、東京高等師範学校体育科を卒業。1926年(大正15年)、大日本武徳会から精錬証を授与される。 昭和に入り、早稲田大学に奉職する一方、修道学院を運営、さらに劇団を作って主演もした。
赤堀 四郎(あかほり しろう、1900年10月20日 - 1… 赤堀 四郎(あかほり しろう、1900年10月20日 - 1992年11月3日)は、日本の生化学者(生物有機学)。勲等は勲一等。学位は理学博士(東北帝国大学・1931年)。大阪大学名誉教授。日本学士院会員、大阪大学総長、理化学研究所理事長などを歴任した。 苦学しながら醤油の香り成分の研究などで業績を残した。日本学士院会員、大阪大学総長、理化学研究所理事長を歴任し、勲一等を贈られた。日本学士院、ドイツ自然科学アカデミー・レオポルディーナ、ソビエト連邦科学アカデミーなどの会員に選ばれている。また、アメリカ生化学会名誉会員、静岡県小笠郡大東町名誉市民などの称号を贈られている。 1900年(明治33年)、静岡県小笠郡千浜村(現・掛川市千浜)で小学校教師の赤堀秀雄と妻・しのの息子として生まれた。
池谷 信三郎(いけたに しんざぶろう、1900年10月15日… 池谷 信三郎(いけたに しんざぶろう、1900年10月15日 - 1933年12月21日)は、日本の小説家、劇作家。 東京生まれ。東京帝國大學法学部、ベルリン大学法科中退。 暁星小学校、東京府立第一中学校(現在の東京都立日比谷高等学校)、旧制第一高等学校卒業。一高在学時より校友会雑誌に短歌などを発表し創作活動をはじめる。1922年に東京帝大へ入学するが、その年の終わりには休学してベルリン大学へ行き、先にベルリンへ来ていた一高時代の先輩である村山知義の影響を受けヨーロッパの芸術運動に触れる。最終的に東大は中退した。 1923年9月1日に起きた関東大震災により実家を失い帰国。 1925年、ベルリン滞在の経験を元に執筆した『望郷』が「時事新報」の懸賞小説に当選。
田中 弥(たなか わたる、1900年10月13日 - 193… 田中 弥(たなか わたる、1900年10月13日 - 1936年10月18日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大尉。
戸坂 潤(とさか じゅん、1900年9月27日 - 1945… 戸坂 潤(とさか じゅん、1900年9月27日 - 1945年8月9日)は、日本の哲学者。
梅田 良忠(うめだ りょうちゅう、ポーランド語:Ryochu… 梅田 良忠(うめだ りょうちゅう、ポーランド語:Ryochu Umeda、1900年9月25日 - 1961年12月7日)は日本の僧、歴史学者。 1922年(大正11年)駒澤大学卒業後、ポーランドに留学し、ワルシャワ大学卒業。同大学講師。同国の「東洋学院」の教授にも任命され、日本語、日本文化を担当した。日本大使館の文化関係の委託業務を行った。戦時中は朝日新聞社ソフィア駐在嘱託。東欧諸国語の権威。1955年関西学院大学教授。1960年「ヴォルグ・ブルガール史の研究」で関西学院大学 文学博士。 梅田良忠は日本橋槙町で弁護士、梅田貞次の長男として生まれた。生まれた時の名前は梅田芳穂であったが、これは彼の長男と同じ名前である。
上山 珊瑚(かみやま さんご、1900年9月23日 - 19… 上山 珊瑚(かみやま さんご、1900年9月23日 - 1927年9月8日)は、日本の女優。本名は三田小枝子。山川浦路の実妹にして上山草人の義妹。 1900年、東京市麹町区(現在の東京都千代田区)に、鉱物学者の守一の娘として生まれる。東京女学館へ通うが、父の事業不振のため、大阪のプール女学院に転校後、中退。姉・千枝子(山川浦路)が上山草人と結婚したつながりから、近代劇協会が上演した舞台『ヴェニスの商人』などに出演。草人の友人だった谷崎潤一郎の紹介で1920年大正活映に入社。葉山三千子主演の『アマチュア倶楽部』に出演。谷崎潤一郎脚本映画『月の囁き』に主演予定だったが企画が頓挫。代わりに、泉鏡花原作、谷崎脚色、トーマス栗原監督の『葛飾砂子』に主演。
粟田 賢三(あわた けんぞう、1900年9月15日 - 19… 粟田 賢三(あわた けんぞう、1900年9月15日 - 1987年2月8日)は、日本の哲学者、編集者。 1900年、長崎県で生まれた。8歳で東京に移り、幼少期を過ごした。東京府立第四中学校(現・東京都立戸山高等学校)、第一高等学校理科を卒業し、東京帝国大学文学部哲学科に進学。1925年に卒業した。 卒業後は教員となり、武蔵高等学校に勤務。1934年、日本共産党に数百円の資金提供を行ったとして治安維持法違反の疑いで夫人とともに逮捕された。1935年に出獄し、その後は岩波書店に勤務した。「K・P・A」の名で『思想』の「思想の言葉」を執筆していた。編集部副部長を務め、後に嘱託。古在由重などの哲学者と親しかった。
杉村 章三郎(すぎむら しょうざぶろう、1900年9月7日 … 杉村 章三郎(すぎむら しょうざぶろう、1900年9月7日 - 1991年12月2日)は、日本の法学者。法学博士。専門は、行政法・租税法。東京大学名誉教授、青山学院大学名誉教授。 法学博士の一木喜徳郎(枢密院議長)の三男として東京に生まれ、1924年に医学博士杉村七太郎(東北帝国大学名誉教授)の婿養子となる。1918年東京府立第四中学校卒業。1921年第二高等学校卒業。1923年東京帝国大学法学部卒業。 1924年東京帝国大学法学部助手(指導教官は筧克彦)。1926年同法学部助教授。1935年東京帝国大学法学部教授となる。1944年学術研究会議会長。終戦後は東京大学法学部教授。1949年旧司法試験第二次試験考査委員(~1960年)。