杉崎 重光(すぎさき しげみつ、1941年 - )は、日本の… 杉崎 重光(すぎさき しげみつ、1941年 - )は、日本の大蔵官僚である。東京国税局長、証券取引等監視委員会事務局長、国際通貨基金(IMF)副専務理事、損害保険ジャパン総合研究所理事長、ゴールドマン・サックス証券副会長などを歴任する。義父は政治家の金子一平である。 1941年に東京で生まれ、東京都立大学附属高等学校を経て、東京大学教養学部教養学科を卒業する。在学中に国家公務員上級甲種試験(経済)に合格する。1964年に大蔵省へ入省(大臣官房財務参事官付)し、行政官在外研究員制度でコロンビア大学へ留学する。米国留学組に藤原武平太らがいる。 1967年にコロンビア大学大学院国際関係論修士課程を修了し、8月に帰国して主税局国際租税課租税協定係長となる。
野口 悠紀雄(のぐち ゆきお、1940年12月20日 - )… 野口 悠紀雄(のぐち ゆきお、1940年12月20日 - )は、日本の元官僚、経済学者。専門は、日本経済論、ファイナンス理論。一橋大学教授、東京大学教授、スタンフォード大学客員教授、早稲田大学教授を経て、早稲田大学ファイナンス総合研究所顧問、一橋大学名誉教授。
原口 幸市(はらぐち こういち 1940年11月24日 - … 原口 幸市(はらぐち こういち 1940年11月24日 - 2009年10月4日)は、日本の元外交官、官僚。
秋山 收(あきやま おさむ、1940年11月21日 - )は… 秋山 收(あきやま おさむ、1940年11月21日 - )は、日本の通産官僚。内閣法制局総務主幹、内閣法制局第四部部長、内閣法制局第二部部長、内閣法制局第一部部長、内閣法制次長、内閣法制局長官、財団法人新エネルギー財団会長などを歴任した。東京府出身。 1963年から通商産業省で、通商政策局通商調査課、機械情報産業局計量課、貿易局為替金融課、産業政策局調査課にて、それぞれ課長を務めた。のちに内閣法制局に出向し、総務主幹を経て、第四部、第二部、第一部にてそれぞれ部長を務めるなど、要職を歴任した。1999年には内閣法制次長に就任した。2002年には津野修の後任として内閣法制局長官に就任し、第1次小泉内閣から第2次小泉内閣にかけて同職を務めた。
橋本 鋼太郎(はしもと こうたろう、1940年(昭和15年)… 橋本 鋼太郎(はしもと こうたろう、1940年(昭和15年)9月11日 - )は、日本の建設官僚。元建設事務次官。土木学会認定特別上級土木技術者(調査・計画)。
秋山 昌廣(あきやま まさひろ、1940年5月15日 - )… 秋山 昌廣(あきやま まさひろ、1940年5月15日 - )は、日本の大蔵・防衛官僚。血液型はB型。第22代防衛事務次官、財団法人海洋政策研究財団理事長、公益財団法人東京財団理事長、笹川日中友好基金運営委員を歴任した。 東京都港区出身(父は茨城県、母は東京都)。東京都立日比谷高等学校を経て、1964年東京大学法学部第3類(政治コース)卒業。同年、大蔵省入省。同期には野田毅、田波耕治、野口悠紀雄、高橋厚男(関税局長)、涌井洋治(主計局長・JT会長)、杉崎重光(証取監視委事務局長・IMF副専務理事)、野口卓夫(大証副理事長)など。
横堀 恵一(よこぼり けいいち、1940年5月15日 - )… 横堀 恵一(よこぼり けいいち、1940年5月15日 - )は、帝京大学教授、元通産官僚。
小川 是(おがわ ただし 昭和15年(1940年)2月26日… 小川 是(おがわ ただし 昭和15年(1940年)2月26日 - 2017年8月21日)は、日本の銀行家、元大蔵官僚。国税庁長官、大蔵事務次官、日本たばこ産業代表取締役会長、横浜銀行取締役会長などを歴任。 実父は裁判官の小川善吉、義父は元参議院議員(民社党)の三治重信。 1940年2月26日 東京生まれ。新宿区立牛込仲之小学校、東京教育大学附属中学校(現・筑波大学附属中学校)、東京都立戸山高等学校を経て、1962年 東京大学法学部第2類(公法コース)を首席で卒業。東大法学部在学中に国家公務員上級試験を2位で合格。大蔵省入省。振り出しは銀行局。吉田太郎一金融制度調査官付事務官。 1974年 竹下登大蔵大臣秘書官、1980年 主計局主計官兼法規課、1983年 梅沢節男主税局長の下で主税局税制二課長[要出典]。
川嶋烈(かわしま つよし、1940年1月27日 - )は日本… 川嶋烈(かわしま つよし、1940年1月27日 - )は日本の大蔵官僚。血液型はB型。東京都出身(父母は静岡県)。造幣局東京支局長、東北財務局長、国土庁長官官房審議官(計画・調整局担当)、交通営団理事、茨城銀行取締役頭取などを務めた。
中山 恭子(なかやま きょうこ、1940年〈昭和15年〉1月… 中山 恭子(なかやま きょうこ、1940年〈昭和15年〉1月26日 ‐ )は、日本の政治家、大蔵・財務官僚。靖国神社崇敬奉賛会会長。 内閣府特命担当大臣(少子化対策、男女共同参画)(福田康夫改造内閣)、拉致問題担当大臣(福田康夫改造内閣)、公文書管理担当大臣(福田康夫改造内閣)、内閣総理大臣補佐官(拉致問題担当)(第1次安倍内閣・第1次安倍改造内閣・福田康夫内閣・麻生内閣)、参議院議員(2期)、日本のこころ代表、日本のこころを大切にする党代表、次世代の党代表、日本維新の会政策調査会拉致問題対策委員長 、たちあがれ日本参議院幹事長代理などを歴任。この他、内閣官房参与、在ウズベキスタン特命全権大使、国際交流基金常務理事、大蔵省大臣官房参事官兼審議官、大蔵省四国財務局長などを務めた。
大森 義夫(おおもり よしお、1939年〈昭和14年〉12月… 大森 義夫(おおもり よしお、1939年〈昭和14年〉12月22日 - 2016年〈平成28年〉9月11日)は、日本の警察官僚。内閣情報調査室長、警察大学校長、日本文化大学学長などを歴任した。 警察大学校長、内閣情報調査室長などを歴任。父は大森寛(陸上幕僚長、防衛大学校長)、弟に大森敬治(防衛施設庁長官、内閣官房副長官補、駐オマーン大使) 2016年9月11日、腎盂癌のために死去。76歳没。
田波 耕治(たなみ こうじ、1939年9月10日 - )は、… 田波 耕治(たなみ こうじ、1939年9月10日 - )は、日本の大蔵官僚。国際協力銀行総裁、大蔵事務次官を歴任した。
飯田彬(いいだ あきら、1939年6月2日 - )は日本の大… 飯田彬(いいだ あきら、1939年6月2日 - )は日本の大蔵官僚。日本貿易振興会理事、多数国間投資保証機関長官などを務めた。 東京都出身。都立日比谷高校を経て東京大学法学部第1類(私法コース)を卒業し、1963年 大蔵省入省(銀行局金融制度調査官付)。同期に小村武、日高壮平、中平幸典、西村吉正、米澤潤一、金野俊美らがいる。 1968年7月 行橋税務署長。 1986年6月 銀行局検査部管理課長。1987年6月 国際復興開発銀行東京事務所長。1989年6月 大臣官房審議官(関税局担当)。1990年6月29日 退官。 同年7月 日本貿易振興会理事。1992年7月 多数国間投資保証機関長官。その後、日本大学法学部政治経済学科教授。
関口 祐弘(せきぐち ゆうこう、1939年〈昭和14年〉2月… 関口 祐弘(せきぐち ゆうこう、1939年〈昭和14年〉2月12日 - 2005年〈平成17年〉2月9日)は、日本の警察官僚。第17代警察庁長官(在任1997年 - 2000年)。東京都出身。従三位瑞宝重光章。 都立大学附属高校を経て、1963年に東京大学法学部卒業。同年、警察庁に入庁。山梨県警察本部長、警察庁刑事局保安部長、大阪府警察本部長、警察庁長官官房長、警察庁次長などを歴任。警察庁長官狙撃事件を受け、國松孝次の後任として1997-2000年まで警察庁長官を務めた。 オウム真理教事件の捜査を指揮、通信傍受法を成立させた。1999年には覚醒剤を使用した警察官の隠蔽を初めとする神奈川県警察の不祥事が明らかになるなど、全国で警察不祥事が相次いだ。
中平 幸典(なかひら こうすけ、1939年 - 2009年9… 中平 幸典(なかひら こうすけ、1939年 - 2009年9月23日)は、日本の大蔵官僚。財務官。
松野允彦(まつの のぶひこ、1938年3月27日 - 201… 松野允彦(まつの のぶひこ、1938年3月27日 - 2014年12月27日)は日本の大蔵官僚。血液型はA型。 東京都立小石川高等学校、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。1961年 大蔵省入省(理財局総務課)。主計局防衛第一係長、公正取引委員会事務局経済部国際課係長の後、1968年7月 立川税務署長。課長補佐時代は証券局と理財局で勤務。1984年6月 銀行局銀行課長。1985年6月 銀行局総務課長。1986年6月10日 関東信越国税局長。1987年6月25日 関東財務局東京証券取引所監理官兼大臣官房審議官(証券局担当)。1988年6月15日 大臣官房審議官(証券局担当)。1989年6月23日 大臣官房審議官(銀行局担当)。
岡本吉司(おかもと よしじ、1937年6月7日 - 2016… 岡本吉司(おかもと よしじ、1937年6月7日 - 2016年9月12日)は日本の大蔵官僚。国税庁直税部長、国税庁次長、農用地整備公団副理事長などを務めた。血液型はO型。 東京都台東区出身。東京都立上野高等学校、東京大学法学部卒業。1961年 大蔵省入省(管財局総務課)。1967年7月 津税務署長。 1985年6月25日 国税庁長官官房総務課長。1986年6月10日 福岡国税局長。1987年6月25日 関東信越国税局長。1988年6月15日 国税庁直税部長。1989年6月23日 国税庁次長。1990年6月29日 大臣官房付、退官。 同年7月 農用地整備公団副理事長。1994年6月 福岡銀行常務取締役。
村田 直昭(むらた なおあき、1937年(昭和12年)5月 … 村田 直昭(むらた なおあき、1937年(昭和12年)5月 - )は、東京都出身の元防衛官僚。第21代防衛事務次官。
高桑 昭(たかくわ あきら、1937年4月1日 - 2025… 高桑 昭(たかくわ あきら、1937年4月1日 - 2025年8月3日)は、日本の法学者・法務官僚・弁護士。学位は、法学博士(京都大学)。立教大学法学部教授・京都大学大学院法学研究科教授・帝京大学教授などを歴任。 東京市渋谷区生まれ。1955年東京都立小石川高等学校卒業、1959年司法試験合格、1960年東京大学法学部卒業。 1962年東京地方裁判所判事補、その後法務省民事局参事官(外務省条約局併任)、1968年コロンビア大学修士課程修了。1976年辞職。1988年立教大学法学部教授、1993年京都大学大学院法学研究科教授、2000年定年、帝京大学教授、2003年成蹊大学大学院法務研究科教授、2013年退職。
畠山蕃(はたけやま しげる、1937年3月18日 - 199… 畠山蕃(はたけやま しげる、1937年3月18日 - 1995年6月1日)は、日本の大蔵官僚。防衛事務次官。血液型はO型。兄は通産審議官などを務めた畠山襄、甥は資源エネルギー庁次長や産業技術環境局長を歴任した畠山陽二郎。 東京都出身(父は東京都、母は鹿児島県)。武蔵高等学校中学校、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。1961年 大蔵省入省(主計局法規課)。1966年9月 厚生省薬務局企業課企画係長。1967年10月 厚生省環境衛生局環境衛生課。課長補佐時代は主に主計局を中心に勤務。1977年6月 熊本県企画開発部長。主計局主計官(防衛担当)、主計局調査課長などを経て、1985年6月 大臣官房調査企画課長。
白鳥 正喜(しらとり まさき、1937年 - )は、日本の大… 白鳥 正喜(しらとり まさき、1937年 - )は、日本の大蔵官僚、経済学者。元大蔵省国際金融局次長。専門は国際金融論、開発経済学。 東京都立大学附属高等学校を経て、1960年に東京大学法学部第2類(公法コース)を首席で卒業。大蔵省に入省する(為替局総務課)。1962年6月に関東財務局理財部。1963年6月には経済企画庁調整局貿易為替課へ出向。1964年4月に大臣官房財務参事官付調査主任(フルブライト留学生としてコロンビア大学留学)。1966年12月に国際金融局企画課長補佐(総括・企画・貴金属特会)。その後、IMF財務局上級エコノミストやOECD日本政府代表参事官などを経て、国際金融局課長・次長となる。
田中 努(たなか つとむ 1936年4月17日 - )は、日… 田中 努(たなか つとむ 1936年4月17日 - )は、日本の官僚。経済企画事務次官。
岩崎文哉(いわさき ふみや、1936年 <昭和11年> 4月… 岩崎文哉(いわさき ふみや、1936年 <昭和11年> 4月1日 - 2024年 <令和6年> 11月18日)は日本の大蔵官僚。血液型は型。国際金融局総務課長、神戸税関長、大臣官房審議官(国際金融局担当)、国際金融局次長、印刷局長などを歴任した。位階は従四位。 東京府東京市杉並区出身(父は福島県、母は岡山県)。東京都立新宿高等学校、東京大学経済学部経済学科卒業。1959年4月 大蔵省に入省。銀行局金融制度調査官付。1966年7月 八王子税務署長。課長補佐時代は主に国際金融局で勤務。1983年6月 国際金融局総務課長。1984年6月 神戸税関長。1985年6月 大臣官房審議官(国際金融局担当)。1987年6月 国際金融局次長。
畠山 襄(はたけやま のぼる、1936年 (昭和11年)2月… 畠山 襄(はたけやま のぼる、1936年 (昭和11年)2月17日 - 2021年(令和3年)3月13日)は、日本の通産官僚。通商産業審議官、JETRO理事長などを歴任。 1958年に通産省入省。ジャパン・バッシングが最高潮に達していた日米貿易摩擦を経て、バブル崩壊が始まる1990年代前後に通商政策局長から通産審議官を務めた。通産省で1期上の鈴木直道(通産審議官)や棚橋祐治(産業政策局長、通産次官)らと共に日米構造協議に関わり、二国間通商対話で引き続き対米輸出自主規制枠を設けることで合意譲歩した。弟は大蔵官僚の畠山蕃、息子は経産官僚の畠山陽二郎。
尾崎 護(おざき まもる、1935年(昭和10年)5月20日… 尾崎 護(おざき まもる、1935年(昭和10年)5月20日 - )は、日本の大蔵官僚。元大蔵事務次官。博士(法学)(早稲田大学・論文博士・2002年)。血液型はO型。 聖橋学園中学校、都立小石川高校卒業。1958年(昭和33年):東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。東京大学在学中には文芸クラブに所属して小説を書いていた。 1957年(昭和32年):国家公務員上級試験2位合格。1958年(昭和33年)4月:大蔵省入省(主税局調査課)。1960年6月 関東財務局総務部。1961年7月 名古屋国税局調査査察部。1962年4月 大蔵省大臣官房調査課調査主任。1963年4月 大蔵省主計局調査課計画係長。
城内 康光(きうち やすみつ、1934年(昭和9年)12月5… 城内 康光(きうち やすみつ、1934年(昭和9年)12月5日 - )は、日本の元警察官僚。元警察庁長官。日本会議代表委員。長男は現衆議院議員の城内実。
大山 綱明(おおやま つなあき、1934年9月17日 - 2… 大山 綱明(おおやま つなあき、1934年9月17日 - 2024年6月9日)は、日本の大蔵官僚。大臣官房審議官(主税局担当)、関税局長、農用地整備公団副理事長、サントリー副社長、全国清涼飲料連合会会長、公益財団法人日本関税協会理事長などを務めた。 鹿児島県出身。都立戸山高校、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。1957年 大蔵省入省(主計局法規課)。1964年7月 藤沢税務署長。外務省在ニューヨーク日本総領事館領事の後、1971年7月 銀行局銀行課長補佐(総括・都市銀行等)。1973年7月 国際金融局総務課長補佐(総括)。1974年7月 国税庁長官官房参事官。1975年7月 主税局主税企画官。
内海 孚(うつみ まこと、1934年(昭和9年)5月17日 … 内海 孚(うつみ まこと、1934年(昭和9年)5月17日 - )は、東京都中央区出身の元大蔵(財務)官僚。現在は、東海東京フィナンシャル・ホールディングス株式会社 グローバル・アドバイザリー・ボード議長、公益財団法人東芝国際交流財団理事などを務める。
望月 秀一(もちづき しゅういち、1933年(昭和8年)10… 望月 秀一(もちづき しゅういち、1933年(昭和8年)10月6日 - 2006年(平成18年)1月9日)は、日本の警察官僚。元警察大学校教授。科学警察研究所総務部長や佐賀県警察本部長などを歴任した。東京市出身。
神馬常郎(じんま つねお、1933年9月27日 - )は日本… 神馬常郎(じんま つねお、1933年9月27日 - )は日本の大蔵官僚。東京税関長、国土庁計画・調整局次長、明光証券経済研究所会長などを務めた。 埼玉県出身。東京都立小山台高等学校、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。1956年 大蔵省入省(大臣官房秘書課)。1957年5月 大臣官房秘書課調査係長心得。1960年7月 主計局総務課企画係長。1962年7月 主計局調査課計画係長。1963年7月 四日市税務署長。この後は富山県に出向。1981年6月 東京税関長。1982年6月 国土庁計画・調整局次長。1983年9月 退官。地域振興整備公団理事。1988年7月 明光証券顧問。1989年 明光証券特別顧問。
黒田 眞(黒田真、くろだ まこと、1932年10月1日 - … 黒田 眞(黒田真、くろだ まこと、1932年10月1日 - 2026年4月5日)は、日本の通産官僚。通商産業審議官などを歴任。 東京都出身。東京都立小山台高等学校を経て、1955年に東京大学法学部卒業、同年、通商産業省入省。ジュネーブ代表部一等書記官、通商政策局国際経済課長、通商政策局長など通商畑を歩む。 1980年代半ばから半導体をめぐり激化した日米貿易摩擦における日本側当事者の一人。当時の交渉過程で米国側から「タフ・ネゴシエーター」の異名を付けられたことで知られている。 通産審議官在任中の1987年4月17日、日米半導体協定交渉の最終段階における「対日措置」発動の際の、日本側責任者の一人であった。
鈴木 良一(すずき りょういち、1932年(昭和7年)9月 … 鈴木 良一(すずき りょういち、1932年(昭和7年)9月 - )は、日本の警察官僚。警察庁長官を務めた。
藤井 裕久(ふじい ひろひさ、1932年(昭和7年)6月24… 藤井 裕久(ふじい ひろひさ、1932年(昭和7年)6月24日 - )は、日本の引退した政治家、元大蔵官僚。民主党顧問。
吉田 正輝(よしだ まさてる、1932年3月26日 - 20… 吉田 正輝(よしだ まさてる、1932年3月26日 - 2011年2月7日)は、東京府出身の大蔵官僚。銀行局長。
福川 伸次(ふくかわ しんじ、1932年3月8日 - )は、… 福川 伸次(ふくかわ しんじ、1932年3月8日 - )は、日本の通産官僚・実業家。学校法人東洋大学総長(2018年12月より)。通商産業事務次官・株式会社神戸製鋼所副会長・株式会社電通総研社長・学校法人東洋大学理事長などを歴任した。 東京府出身。父の福川篤四郎は鉄道官僚で運輸省鉄道総局総務長官などを務めた。東京都立第八高等学校(現:東京都立小山台高等学校)から慶應義塾大学工学部に進むも転学し、1955年3月に東京大学法学部卒業。 大臣官房企画室長、大平正芳内閣総理大臣秘書官、貿易局長、通産大臣官房長、産業政策局長を経て、1986年6月から1988年6月まで事務次官。中曽根内閣からの要請で、1986年4月に起こったチェルノブイリ原子力発電所事故をきっかけに、省内で台頭してきた原発撤退派を排除する使命を担ったとされる。
山田 英雄(やまだ ひでお、1932年(昭和7年)2月3日 … 山田 英雄(やまだ ひでお、1932年(昭和7年)2月3日 - )は、日本の元警察官僚。第12代警察庁長官(在任1985年8月25日-1988年1月)。チームおてんとうさま特別顧問。
宮脇 磊介(みやわき らいすけ、昭和7年(1932年)1月2… 宮脇 磊介(みやわき らいすけ、昭和7年(1932年)1月2日 - 平成26年(2014年)2月9日)は、日本の警察官僚。元皇宮警察本部長。元内閣広報官。
工藤 敦夫(くどう あつお、1931年〈昭和6年〉12月20… 工藤 敦夫(くどう あつお、1931年〈昭和6年〉12月20日 - 2016年〈平成28年〉8月20日)は、日本の法制・通産官僚。元内閣法制局長官。 東京都出身。東京都立第五新制高等学校(現・東京都立小石川中等教育学校)などを経て[要出典]、1953年に東京大学法学部を卒業。同年、通商産業省に入省。入省同期に小長啓一、豊島格、真野温(通産省基礎産業局長、住友電気工業顧問)、若杉和夫ら。 通産省で立地公害局立地指導課長を務めた後、内閣法制局参事官に出向。以後、同局総務主幹、同第四部長、同総務室第一部長、内閣法制次長などを歴任した。味村治の後任として1989年8月から1992年12月まで第1次海部内閣、第2次海部内閣、宮澤内閣の内閣法制局長官を務めた。
小粥 正巳(こがゆ まさみ 、1931年8月28日 - 20… 小粥 正巳(こがゆ まさみ 、1931年8月28日 - 2004年3月16日)は、東京府出身の大蔵官僚。位階は正三位。 過去に、内閣総理大臣秘書官、大臣官房長、主計局長、大蔵事務次官、公正取引委員会委員長、日本開発銀行総裁、日本政策投資銀行総裁、日本経済研究所会長等を歴任。 旧制東京都立第四中学校(現・東京都立戸山高等学校)、第一高等学校理科甲類を経て、1947年の学制改革の後、新制東京大学理科一類を受験し合格した。しかし、GHQ占領下の世相の混乱とインフレに心が揺さぶられ、意を決して行政官か法曹になるべく、翌年の春に東大文科一類を受験し直して合格した。東京大学法学部第1類(私法コース)卒業後の1956年、大蔵省入省。
田邊 昇学(たなべ しょうがく、1931年4月 - 2008… 田邊 昇学(たなべ しょうがく、1931年4月 - 2008年6月10日)は、日本の造園系建設官僚。 1949年に旧制成蹊高等学校高等科理科甲類を卒業し、群馬県土木部、建設省都市局公園緑地課長などに勤務した[要出典]。 1982年当時は住宅・都市整備公団理事を務めていた。同年、第7回日本公園緑地協会北村賞を受賞した。 東京都公園審議会会長、都市公園法施行五十周年記念事業実行委員会委員などの役職を歴任した[要出典]。日本公園緑地協会では会長を務めた。 死去前年の2007年に『20世紀後半期における都市およびその都市圏の変遷に関する比較研究』で博士(農学)の学位を東京大学より取得している。 2008年6月10日、呼吸不全のため死去。
安倍 基雄(あべ もとお、1931年3月31日 - 2004… 安倍 基雄(あべ もとお、1931年3月31日 - 2004年1月23日)は、日本の大蔵官僚、政治家。位階は正四位。 文部政務次官(細川内閣)、衆議院議員(通算4期)を務めた。父は内務大臣を務めた安倍源基。 1931年(昭和6年)、東京生まれ。永田町小学校(現麹町小学校)、旧制成蹊高等学校を経て、1953年(昭和28年)、東京大学法学部法律学科卒業。大蔵省に入省。理財局総務課に配属。昭和28年旧制入省組同期には、吉野良彦、大場智満、津島雄二、近藤鉄雄らがいた。1959年(昭和34年)、フルブライト留学生としてペンシルベニア大学大学院に留学、計量経済学を専攻。1961年(昭和36年)、ペンシルベニア大学大学院でPh.D.(経済学博士号)を取得。
宮本 保孝(みやもと やすたか、1930年3月18日 - 2… 宮本 保孝(みやもと やすたか、1930年3月18日 - 2006年2月27日)は、東京府出身の大蔵官僚。 大蔵省では銀行局長、理財局長などを務めた。銀行局長に就任し、同期のなかで最も早く局長に就いた。時に国際化や自由化、金利一元化にみる郵貯問題で銀行局や業界事態が地盤沈下していた中での就任だったが、就任理由は、澄田智元銀行局長の下で金融効率化問題を手掛けるなど、課長補佐時代から将来の銀行局長候補といわれていたこと、直接的には、前任の米里恕局長が新銀行法制定作業を巡り銀行業界(全銀協)と対立。銀行界が造反し、時の渡辺美智雄蔵相に直訴したトラブルで、翌年夏に更迭されたため。 退官後は信金中央金庫(全信協ないし全信連)の初代理事長を務めた。
金子 仁洋(かねこ じんよう、1930年 - )は、日本の警… 金子 仁洋(かねこ じんよう、1930年 - )は、日本の警察官僚。筆名は島一芳。 新潟県で生まれ、中学2年生の時に上京。東京都立小山台高等学校を経て、東京大学法学部卒業。1955年、官界に入る。厚生省、警察庁、内閣官房、警察大学校校長等を歴任。その後、文筆、講演、ラジオ、テレビ出演等幅広く活躍。趣味にスキー。 国際刑事課の新設に尽力して、初代課長に推され、シンガポール警察の交番制導入に現地調査団長を務める。主として新規事業の中心となって活躍。また、岩手、栃木、大阪、兵庫の各府県警本部で地方の経験を積み、科学警察研究所総務部長、警察大学校校長等を歴任、警察官教育に精力を割く。一方で中曽根内閣の内閣広報室長としても活躍。
大場 智満(おおば ともみつ、1929年5月8日 - 202… 大場 智満(おおば ともみつ、1929年5月8日 - 2023年5月11日)は、日本の大蔵官僚、元財務官。東京府(現在の東京都杉並区)出身。国際金融の専門家として、日本の金融自由化を推進した。 大蔵省では吉野良彦(のち大蔵事務次官)らと入省同期にあたる。1983年に財務官就任後、日米円・ドル委員会(1983年11月設置、のちの日米金融協議 (コトバンク))での東証のオフショア市場開設会合や、1985年のプラザ合意での政策決定交渉過程に、行天豊雄(国際金融局長)らと共に日本側事務方代表の財務官職として実務者協議に関わった。 のちに、プラザ合意が日本のバブル経済の直接的原因ではなかった点も述べている(プラザ合意#議論・評価、竹内道雄、金融政策#日本も参照)。
越智 通雄(おち みちお、1929年〈昭和4年〉4月23日 … 越智 通雄(おち みちお、1929年〈昭和4年〉4月23日 - 2021年〈令和3年〉1月30日)は、日本の大蔵官僚、政治家。位階は正三位。 衆議院議員(8期)、経済企画庁長官(第41・44代)、金融再生委員会委員長(第2代)を歴任。日韓親善協会中央会会長。 東京生まれ。東京高師附属中(現・筑波大附属中・高)卒業。同期生に大川慶次郎、大島通義、岡野行秀、三浦公亮など。旧制一高を経て、東京大学法学部法律学科を卒業後、大蔵省に入省。ニューヨーク副領事、福田赳夫大蔵大臣秘書官、主計局調査課長などを経て退官。 1972年の第33回衆議院議員総選挙で賀屋興宣の後継として旧東京3区より出馬し当選(当選同期に小泉純一郎・加藤紘一・山崎拓・石原慎太郎・三塚博・村岡兼造・保岡興治・瓦力・野田毅・深谷隆司など)。
森山 眞弓(もりやま まゆみ、1927年〈昭和2年〉11月7… 森山 眞弓(もりやま まゆみ、1927年〈昭和2年〉11月7日 - 2021年〈令和3年〉10月14日)は、日本の労働官僚、政治家。位階は正三位。旧姓名は古川 眞弓。 労働省婦人少年局長、参議院議員(3期)、衆議院議員(4期)、環境庁長官、内閣官房長官(女性初)、文部大臣、法務大臣、白鷗大学学長(2007年2月 - 2013年3月)などを歴任した。 北海道硫黄株式会社社長の古川俊雄の三人姉妹の長女として生まれた。津田塾専門学校外国語学科(現・津田塾大学)へ入学。極東国際軍事裁判において翻訳のアルバイトをしていた。津田塾専門学校を卒業後、女性として初めて東京帝国大学法学部法律学科(現在の東京大学法学部)へ入学(同期東大入学に中根千枝がいる)。
森山 眞弓(もりやま まゆみ、1927年(昭和2年)11月7… 森山 眞弓(もりやま まゆみ、1927年(昭和2年)11月7日 - )は、日本の元官僚(労働官僚)、元政治家。旧姓名は古川 眞弓。
山口 光秀(やまぐち みつひで 1927年9月16日 - 2… 山口 光秀(やまぐち みつひで 1927年9月16日 - 2004年7月26日)は、日本の官僚。元大蔵事務次官、元東京証券取引所理事長。従三位勲一等瑞宝章。
岸田 文武(きしだ ふみたけ、1926年〈大正15年〉8月1… 岸田 文武(きしだ ふみたけ、1926年〈大正15年〉8月19日 - 1992年〈平成4年〉8月4日)は、日本の通産官僚(中小企業庁長官)、政治家。元自由民主党所属の衆議院議員(5期)。位階は正四位勲二等、勲章は旭日重光章。 父は元自由党衆議院議員の岸田正記、弟は大蔵省証券局長・広島銀行会長・相談役を務めた岸田俊輔。妻は元日東製粉社長井口良二の次女。長男は衆議院議員で第27代自民党総裁、第100・101代内閣総理大臣の岸田文雄。派閥は宏池会に所属した。 広島県広島市南区段原町出身。1945年、旧制東京高等学校(現:東京大学教育学部附属中等教育学校)卒業後、東京帝国大学へ進学。しかし、戦争末期のころであり、入学早々から勉強どころではなく、連日の勤労動員に続いて、終戦間近の同年7月には、学徒動員で旭川の師団に入隊した。
三角 哲生(みすみ てつお、1926年(大正15年)7月19… 三角 哲生(みすみ てつお、1926年(大正15年)7月19日 - 2016年(平成28年)4月15日)は、日本の官僚。元文部事務次官。 旧制東京高等学校、東京大学法学部卒業後、文部省に入省した。文部省大臣官房会計課長、大学局審議官を経て、1977年(昭和52年)管理局長、1980年(昭和55年)初等中等教育局長に就任した。1982年(昭和57年)、文部事務次官に就任した。 1983年(昭和58年)に退官後は、1983年(昭和58年)日本育英会理事長、1990年(平成2年)国立西洋美術館長、1992年(平成4年)ユネスコアジア文化センター理事長、2003年(平成15年)新国立劇場運営財団理事長を歴任した。