東郷 晴子(とうごう はるこ、1920年〈大正9年〉3月15… 東郷 晴子(とうごう はるこ、1920年〈大正9年〉3月15日 - 2011年〈平成23年〉3月3日)は、日本の女優。元宝塚歌劇団雪組組長。東京都出身。本名は森治子。 桜蔭高等女学校(現:桜蔭中学校・高等学校)卒業。宝塚歌劇団時代の愛称はハコちゃん。 1937年、宝塚音楽歌劇学校(現・宝塚音楽学校)に入る。宝塚入団時の成績は93人中2位。同期生に越路吹雪、乙羽信子、月丘夢路、大路三千緒らがいた。1955年、宝塚歌劇団を退団。 その後は、映画、舞台、テレビドラマに出演した。 2011年3月3日、呼吸不全のため横浜市の病院で死去。90歳没。 社団法人映像コンテンツ権利処理機構においては不明権利者とされている。
東屋 五郎(あずまや ごろう、1920年2月26日 - 20… 東屋 五郎(あずまや ごろう、1920年2月26日 - 2010年7月8日)は、日本の数学者。神奈川県横浜市出身。 1940年、東京大学に入学。1949年、彌永昌吉のもとで学位を取得。多元環の研究で知られており、東屋多元環(英語版)やクルル・シュミット・東屋の定理、東屋の補題(いわゆる中山の補題)に名を残している。名古屋大学、北海道大学などで教授を務め、亡くなる際にはインディアナ大学で教授を務めていた。1949年に中山正と共に第2回中日文化賞を受賞。 この項目は、数学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
近藤 道生(こんどう みちたか、1920年2月2日 - 20… 近藤 道生(こんどう みちたか、1920年2月2日 - 2010年6月30日)は、日本の海軍軍人・大蔵官僚、実業家。国税庁長官を経て博報堂代表取締役社長を務めた。1982年聖シルベストロ騎士勲章、1992年勲一等瑞宝章、1993年日本宣伝賞大賞を受賞。 神奈川県小田原市出身。旧制小田原中学校(現:神奈川県立小田原高等学校)、旧制武蔵高校を経て、1942年7月に高等試験行政科に合格、同年9月に東京帝国大学法学部政治学科を卒業。同年同月、大蔵省に入省して理財局に配置される。高等試験は100番前後で入省成績も相澤英之が最下位で近藤がブービーだといわれていた。入省直後に海軍経理学校補修学生、海軍主計見習尉官(短期現役組(短現組)9期)となる。
梅村 正司(うめむら しょうじ、1920年1月29日 - 2… 梅村 正司(うめむら しょうじ、1920年1月29日 - 2004年7月13日)は、日本の経営者。日興証券社長を務めた。神奈川県横浜市出身。 1933年に日興証券に入社し、1942年に早稲田大学専門部政治経済学科を卒業。1962年11月に取締役に就任し、1968年8月に常務、1971年11月に専務、1976年11月に副社長を経て、1981年12月には社長に就任。1986年12月に会長に就任し、1996年6月には相談役に就任。 1984年11月に藍綬褒章を受章し、1995年11月に勲一等瑞宝章を受章。 2004年7月13日に肺炎のために死去。84歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
兵藤 和男(ひょうどう かずお、1920年1月26日 - 2… 兵藤 和男(ひょうどう かずお、1920年1月26日 - 2012年6月23日)は、日本の洋画家。 1920年(大正9年)1月、横浜市中区真砂町1丁目の絹織物輸出商の家庭に兄一人・姉二人のいる末っ子として生まれる。父の和四朗は河東碧梧桐に師事した俳人、母せいは群馬県桐生の機織業者矢島家の三女であった。1923年に発生した関東大震災の後に、三渓園にほど近い中区間門町に移る。1932年、考古学を専攻する兄に代わり家業を継ぐため横浜市立横浜商業学校に入学。1933年、同校2年生在学中に、幼稚園からの同窓の堀江祐造に刺激され油絵を始める。翌年の夏休みからは市内弘明寺町にあった川村信雄の画塾に通い、主に石膏デッサンを学ぶ。
林 忠明(はやし ただあき、1920年1月2日 - 2017… 林 忠明(はやし ただあき、1920年1月2日 - 2017年8月29日)は、神奈川県秦野市出身の元卓球選手。 12歳のときに卓球を始めた。1940年に汎太平洋卓球大会の日本代表に選ばれて国際試合に出場したが、太平洋戦争の勃発で歩兵部隊の幹部として満州や南方戦線を転戦した。 復員後、1946年に全日本軟式で優勝、1950年には全日本卓球選手権のシングルスで優勝、日本初参加となった1952年にインドのボンベイで行われた世界卓球選手権で藤井則和とのペアで男子ダブルス優勝している。このとき渡航費用として40万円がかかったが半分の20万円は自己負担したという。 晩年は荒川区で卓球用品の会社を経営していた。
西嶋 和夫(にしじま かずお、1919年11月29日 - 2… 西嶋 和夫(にしじま かずお、1919年11月29日 - 2014年1月28日)は、日本の仏教学者。 神奈川県横浜市出身。東京府立第五中学校、旧制静岡高校を経て、東京帝国大学法学部法律学科へ進学。卒業後大蔵省入省。日本証券金融等に勤務のかたわら仏教研究を行い、その主著は道元の著した「正法眼蔵」全巻の現代日本語訳である「現代語訳正法眼蔵全12巻」と、さらにその詳細な解説をした「正法眼蔵提唱録全34冊」である。「正法眼蔵」の現代語訳と同時にその詳細な「提唱」を行ったのは、日本で最初である。2007年頃まで日本証券金融常任監査役を経て、㈱井田両国堂顧問。仏教に関する多数の著書があり、ナーガールジュナ(龍樹尊者)の著作「中論」の日本語訳を出版して以降はその講義と再改訂ならびに英語訳に取り組んでいる。
岡田 実(おかだ みのる、1919年11月5日 - 1989… 岡田 実(おかだ みのる、1919年11月5日 - 1989年3月11日)はNHKの元アナウンサー。 ミュージシャンの岡田徹は息子。 神奈川県横浜市出身。早稲田大学政治経済学部卒業。1944年、NHKにアナウンサーとして入局。スポーツアナウンサーの大御所であった志村正順のもとでスポーツ実況の訓練を受ける。当時、志村のもとで訓練を受けた若手アナウンサーに宮田輝、高橋圭三、鈴木文彌、北出清五郎、斎藤正男、松本憲夫らがいる。岡田自身もその後、若手アナウンサー育成に寄与した。 主にプロ野球中継で活躍したほか、ラグビー、テニス、大相撲、オリンピック中継も担当している。明朗な声で歯切れもよく、正確な描写、試合の確信を突く分析力が受け、アナウンサー志望者に多大な影響を与えた。
國領 經郎(こくりょう つねろう、1919年 <大正8年> … 國領 經郎(こくりょう つねろう、1919年 <大正8年> 10月12日 - 1999年 <平成11年> 3月13日)は、洋画家、日本芸術院会員。位階は従四位。 神奈川県横浜市生まれ。東京美術学校図画師範科卒業。日展、光風会展、日洋展などのほか、国際形象展、アジア現代美術展などにも出品、国際的に活動。戦前の中学校美術科教諭に始まり、1985年に横浜国立大学教育学部の教授を退任するまで、美術教育の分野でも多くの業績を残した。 1947年日展初入選、1955年、1969年、1971年の日展で特選、1983年第2回宮本三郎記念賞受賞、1986年日展で内閣総理大臣賞受賞。1991年日本芸術院賞受賞、同年日本芸術院会員。
加倉井 和夫(かくらい かずお、1919年9月11日 - 1… 加倉井 和夫(かくらい かずお、1919年9月11日 - 1995年9月24日)は、日本画家。日本芸術院会員。俳人・建築家の加倉井秋を(加倉井昭夫)は兄。 神奈川県横浜市に生まれる。1938年、茨城県立太田中学校(現在の茨城県立太田第一高等学校)卒業。1944年、東京美術学校日本画科卒業。山口蓬春に師事。第8回日展(1952年)から第13回日展(1957年)まで入選を重ねる。1981年、「青苑」で日本芸術院賞受賞。1989年、日本芸術院会員。1990年、日展常務理事。1992年、勲三等瑞宝章受章。1995年春、ニューヨークで「私の映像 - 加倉井和夫展」を開催。 同年9月24日、急性心不全のため横浜市内の病院で死去。
辻 英雄(つじ ひでお、1919年7月8日 - 2005年1… 辻 英雄(つじ ひでお、1919年7月8日 - 2005年11月29日)は、日本の官僚、政治家。自由民主党衆議院議員。
岩波 雄二郎(いわなみ ゆうじろう、1919年〈大正8年〉6… 岩波 雄二郎(いわなみ ゆうじろう、1919年〈大正8年〉6月25日 - 2007年〈平成19年〉1月3日)は、日本の実業家。岩波書店社長・会長・相談役。神奈川県出身。 岩波書店の創業者である岩波茂雄の次男として生まれる。東京府立第一中学校、旧制成城高校を経て、東京帝国大学文学部を卒業。 1946年(昭和21年)1月16日に岩波書店に入店する。1949年(昭和24年)4月25日、同社が株式会社に改組されたおり社長に就任した。1949年(昭和24年)9月3日、東京青年商工会議所(現・東京青年会議所)の発足に参画し、発足当初のチャーター・メンバー48名のひとりとなる。およそ30年に渡って社長を務め、社長在任中には広辞苑を刊行している。
田治米 鏡二(たじめ きょうじ、1919年6月24日 - 2… 田治米 鏡二(たじめ きょうじ、1919年6月24日 - 2018年12月5日)は、日本の物理学者・地震学者。北海道大学名誉教授。専門は応用地球物理学・弾性波動論。
戸沢 政方(戸澤 政方、とざわ まさかた、1919年5月4日… 戸沢 政方(戸澤 政方、とざわ まさかた、1919年5月4日 - 2005年2月14日)は、日本の政治家、厚生官僚。衆議院議員(4期)。 1919年(大正8年)、現在の神奈川県小田原市に生まれる。小田原中学校(現:小田原高等学校)を経て、1944年(昭和19年)、東京帝国大学法学部卒。同年、内務省に入る。翌年厚生省に転じる。1970年(昭和45年)保険局長。1972年(昭和47年)社会保険庁長官。1973年(昭和48年)厚生事務次官。翌1974年(昭和49年)厚生省を退官。翌年、神奈川県知事選挙に立候補するが落選。1976年(昭和51年)から神奈川3区から立候補して4回当選した。1990年(平成2年)の第39回衆議院議員総選挙で落選。
藤井 和郎(ふじい かずろう、1919年3月29日 - 20… 藤井 和郎(ふじい かずろう、1919年3月29日 - 2012年8月29日)は、日本の経営者。不二家社長、会長を務めた。神奈川県横浜市出身。 1937年に東京府立第一商業学校を卒業し、同年に不二家に入社。1946年に取締役に就任し、1970年に専務を経て、1985年に社長に就任し、1989年には会長に就任。 1994年には勲三等瑞宝章を受章。 2012年8月29日心不全で在任中に死去。93歳没。
春名 和雄(はるな かずお、1919年3月15日 - 200… 春名 和雄(はるな かずお、1919年3月15日 - 2002年3月3日)は、日本の経営者。神奈川県横浜市出身。 1940年に東亜同文書院大学を卒業し、同年に丸紅の前身である大同貿易に入社。 ロンドン支店長などを経て、1968年に取締役に就任し、常務、専務、副社長を歴任し、1983年に社長に就任した。1987年から1997年までに会長を務めた。 経済界における中国通とも知られており、社長時代には対中ビジネスを切り開き、1991年から1999年までに日中経済協会副会長を務めた。 2002年3月3日心不全のために死去。82歳没。
田川 亮三(たがわ りょうぞう、1919年〈大正8年〉3月8… 田川 亮三(たがわ りょうぞう、1919年〈大正8年〉3月8日 - 1995年〈平成7年〉9月18日)は、日本の官僚、政治家。三重県知事を務めた。 神奈川県横須賀市生まれ。旧制神奈川県立横須賀中学(現:神奈川県立横須賀高等学校)卒業。1942年(昭和17年)京都大学農学部卒業。農林省から三重県秘書課長、企業庁長、三重県副知事を歴任。1971年(昭和46年)9月、副知事を退任した。 退任後は三重テレビの副社長となった。その後、1972年(昭和47年)、次期衆院選に旧三重1区から民社党公認で立候補することを表明した。しかし、知事の田中覚が同じ三重1区から立候補を表明。これを受け、急遽離党して三重県知事選挙に立候補することになった。
中林 賢二郎(なかばやし けんじろう、1919年1月17日 … 中林 賢二郎(なかばやし けんじろう、1919年1月17日 - 1986年1月11日)は、日本の歴史学者。労働運動史を研究した。法政大学教授。 横浜市生まれ。1944年9月、東京帝国大学文学部西洋史学科卒業。翌1944年10月-1946年3月、財団法人東亜研究所に勤務。1946年10月-1951年11月、財団法人政治経済研究所に勤務。のち、1956年5月まで世界労働運動研究協議会事務局に勤務。1957年7月、社会主義経済研究所に入所。1959年10月より学校法人中央労働学園講師を兼任、1976年まで「労働運動と統一戦線」「国際労働運動史」を担当。東京都立大学 (1949-2011)法経学部講師、労働者教育協会理事、中央労働学園理事・常務理事を歴任。
上野 章子(うえの あきこ、大正8年(1919年)1月10日… 上野 章子(うえの あきこ、大正8年(1919年)1月10日 - 平成11年(1999年)1月15日)は、日本の俳人、随筆家。高浜虚子の六女で上野泰の妻。 1919年、高浜虚子の六女として鎌倉市に生まれる。フェリス和英女学校卒。1936年、在学中に虚子の渡欧に随行する。1942年、『ホトトギス』同人の上野泰と結婚する。戦後は夫婦で結社「春潮」を立ち上げるも1973年、泰の急逝により主宰となる。俳人協会会員。俳句の他、高浜家や虚子、夫の泰のことなど多くの随筆も残している。1999年1月15日、心不全により79歳で死去。
白井 泰四郎(しらい たいしろう、1919年1月1日- 20… 白井 泰四郎(しらい たいしろう、1919年1月1日- 2014年)は、労働問題研究者翻訳家。 鎌倉市生まれ。1944年東京帝国大学経済学部卒。日本労働協会主任研究員、法政大学経営学部教授、90年定年退任、名誉教授となった。城浩一の筆名をもち、アメリカ文学の翻訳もした。
松崎 鉄之介(まつざき てつのすけ、1918年12月10日 … 松崎 鉄之介(まつざき てつのすけ、1918年12月10日 - 2014年8月22日)は、神奈川県出身の俳人。本名・敏雄。 横浜市生まれ。横浜商業専門学校(現・横浜市立大学)卒。在学中より俳句をはじめ、「馬酔木」に投句。1939年、加藤楸邨の勧めに従って大野林火に師事し、「石楠」に入会。1947年、復員後に林火の「濱」に同人として参加。1949年、東京国税局に入局。1970年、退職し銀座で税理士事務所を経営する。 1971年、俳人協会設立に参加し理事を務め、俳句文学館建設にも寄与した。1982年、林火の死去にともない「濱」主宰を継承。同年、『信篤き国』により第22回俳人協会賞受賞。同年俳人協会会長に就任。
鈴木 竹柏(すずき ちくはく、1918年12月4日 - 20… 鈴木 竹柏(すずき ちくはく、1918年12月4日 - 2020年2月7日)は、日本画家、日本芸術院会員。日展の事務局長や理事長、会長を歴任。神奈川県生まれ。
桜井 七之助(さくらい しちのすけ、1918年11月4日 -… 桜井 七之助(さくらい しちのすけ、1918年11月4日 - 没年不明)は、神奈川県出身のプロ野球選手。ポジションは投手、一塁手、三塁手、外野手。 神奈川工業学校在籍中は、快速球とカーブを兼ね備えた好投手として知られており、1935年夏の大会の甲神静大会予選では準決勝の静岡中学戦でノーヒットノーランを達成。決勝の甲府中学戦で五味芳夫(のち金鯱)と投げ合い、4-5で惜敗して惜しくも甲子園出場は成らなかった。 翌1936年に大東京軍の結成に参加。1936年秋季シーズンでは開幕投手を務めるなど、ドロップやカーブを武器に、チームの主戦投手として活躍した。しかし、同シーズンの大東京は歴史に残る大不振で、5勝21敗2引き分け(うち16連敗〈1リーグ時代の最多連敗記録〉がある)しか残せず、桜井自身も1勝10敗、防御率5.20と散々な成績に終わった(最多敗戦投手及びリーグワースト防御率〈規定投球回達成者19人中〉でもあった)。
鈴木 亨(すずき とおる、1918年9月29日 - 2006… 鈴木 亨(すずき とおる、1918年9月29日 - 2006年12月9日)は詩人。神奈川県横浜市出身。 慶應義塾大学文学部国文科卒業、同大学院修士課程修了。第2次『四季』に寄稿、のち編集に当たる。1939年『山の樹』を創刊、主宰。90年より詩誌「木々」を主宰。98年「火の家」で丸山薫賞受賞。明治大学教授、跡見学園女子大学教授、宇都宮文星短期大学教授。 2006年に肺炎のため死去した。享年88。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
谷口 五男(たにぐち かずお、1918年9月17日 - 19… 谷口 五男(たにぐち かずお、1918年9月17日 - 1986年6月30日)は、社会科中学・高校教諭。 横浜市生まれ。1940年東京高等師範学校卒、43年東京文理科大学国史学科卒、44年東京高等師範学校助手兼教諭、応召をへて46年東京高師附属中学校教諭、49年東京教育大学附属中学校教諭、59-64年教頭、64年同附属高等学校教諭、78年筑波大学附属高等学校に校名変更、82年定年退職。没後勲五等受勲。 数多くの副読本を書き、文部省の教育課程改訂調査研究協力者委員も務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
油井 正一(ゆい しょういち、1918年8月15日 - 19… 油井 正一(ゆい しょういち、1918年8月15日 - 1998年6月8日)は、日本のジャズ評論家。1950年代から晩年まで、日本のジャズ評論の第一人者と評される活躍をした。 横浜市生まれ。1924年、神戸市へ移り、同地で育つ。兵庫県立第三神戸中学校を経て、慶應義塾大学法学部に学び1941年に卒業した。ジャズへの関心は学生時代からのもので、当時から既にレコードの収集、ジャズ評論の執筆を始めていた。戦時中は兵役に就き、前橋陸軍予備士官学校から東部22部隊へ配属され、将校として高射砲部隊にいた。戦後は評論活動を再開し、神戸で朝比奈次郎と名乗り、1952年に開局したラジオ神戸(現・ラジオ関西)で「ジャズ・アメリカーナ」という番組を担当し、選曲にもあたった1955年に神戸から上京し、評論家としての本格的な活動に入った。
杉山 博(すぎやま ひろし、1918年8月4日 - 1988… 杉山 博(すぎやま ひろし、1918年8月4日 - 1988年10月20日)は、日本の歴史学者。東京大学名誉教授。専門は日本中世史。 神奈川県小田原市出身。國學院大學文学部で高柳光寿、渡辺世祐の指導を受け日本中世史を学び、1941年に卒業。卒業論文は「中世末期に於ける夫役に就て」。その後、兵役につき、戦後、1946年國學院大學図書館司書、翌1947年から東京大学史料編纂所に勤務し、1966年に助教授、1972年4月から1976年4月まで教授。1976年から駒澤大学文学部教授。 地方史研究協議会の創立にも加わっており、史料・文書や自治体史の編修に尽力した。
花山院 親忠(かさんのいん ちかただ、1918年〈大正7年〉… 花山院 親忠(かさんのいん ちかただ、1918年〈大正7年〉8月3日 - 1994年〈平成6年〉2月28日)は、日本の華族、神職。花山院家36代目当主。佐賀県立三養基高等学校校長、春日大社宮司を歴任した。 1986年当時、奈良県神社庁常任理事、神社本庁評議員、奈良県教育委員会委員であった。 大正7年(1918年)8月3日、花山院親家の長男として、東京府に生まれる。 大正13年(1924年)3月11日に父の親家が薨去すると、7月15日、6歳で家督を継承し襲爵した。第二開成中学校を経て、昭和12年(1937年)、國學院大學国文学科に入学。武田祐吉や折口信夫に学び、『御湯殿上日記』を研究した。 昭和16年(1941年)、國學院大學国文学科を卒業。
山本 進(やまもと すすむ、1918年6月12日 - )は、… 山本 進(やまもと すすむ、1918年6月12日 - )は、日本のジャーナリスト、国際政治学者。 横浜市生まれ。1942年東京帝国大学経済学部卒、毎日新聞社に入り北米、南米特派員をへて経済部副部長を務めた。武蔵大学講師。
田川 誠一(たがわ せいいち、1918年6月4日 - 200… 田川 誠一(たがわ せいいち、1918年6月4日 - 2009年8月7日)は、日本の政治家。位階は正三位。 衆議院議員(11期)。新自由クラブ代表(2代)、進歩党代表。元神奈川県議会議員田川誠治の長男。リベラル派、進歩主義派の代表的な政治家だった。 神奈川県横須賀市出身。田川家は大地主の家系。横浜商業学校(現・横浜市立横浜商業高等学校)を経て、1941年12月慶應義塾大学法学部政治学科卒業。朝日新聞社に入社したが、翌年に陸軍・近衛歩兵第5連隊補充隊(東部第8連隊)に入営した。復員後は朝日新聞社に復職し、通信部及び政経部記者、同社労組委員長等を務める。退社後、松村謙三衆議院議員(元文部大臣)秘書を経て、1960年の第29回衆議院議員総選挙に初当選。
石川 京一(いしかわ きょういち、1918年〈大正7年〉5月… 石川 京一(いしかわ きょういち、1918年〈大正7年〉5月2日 - 2002年〈平成14年〉2月5日)は、昭和から平成時代の政治家。神奈川県平塚市長。 平塚市出身。1936年(昭和11年)旧制厚木中学校卒業。 同年、中郡金田村役場に入り、1950年(昭和25年)助役。1956年(昭和31年)平塚市に合併後は農産課長となり、1964年(昭和39年)経済部長、1967年(昭和42年)企画部長、1971年(昭和46年)助役を経て、1979年(昭和54年)以来、平塚市長に4選した。1995年(平成7年)引退。
本明 寛(もとあき ひろし、1918年5月1日 - 2012… 本明 寛(もとあき ひろし、1918年5月1日 - 2012年12月6日)は、日本の心理学者、早稲田大学名誉教授。 神奈川県川崎市生まれ。1941年早稲田大学文学部心理学科卒業。1945年早稲田大学助教授、教授。1960年「刺激効果と認知特徴による自我機能診断の方法に関する研究」で早稲田大学文学博士。1989年定年退職、名誉教授。1983年紫綬褒章を受章。1988年11月勲三等旭日中綬章を受章 日本心理学会理事長(1983年 - 1989年)を務め、1988年には日本健康心理学会を創設して20年にわたり理事長を務めた。このほか、NPO健康心理教育実践センター理事長、日本認定心理士会顧問、日本心理職協会・現代QOL学会永世名誉顧問などを歴任した。
磯野 富士子(いその ふじこ、1918年3月24日 - 20… 磯野 富士子(いその ふじこ、1918年3月24日 - 2008年1月5日)は、日本のモンゴル研究家、翻訳家。 広島県生まれ。日本女子大学附属高等女学校卒業。日本女子大学校英文科卒業。磯野誠一と結婚、1943年誠一とともにモンゴルに行き、西北研究所の所員となる。 戦後帰国、『冬のモンゴル』を刊行。1961年「再び主婦労働について」を発表し、第二次主婦論争の口火を切る。1966年『オルドス口碑集』の翻訳を出版、パリのラティモア-モンゴル学研究所主任研究員となる。 父は海軍技術少将穂積律之助、伯父に東大教授穂積重遠と叔父に京城電気取締役穂積真六郎。祖父東大教授穂積陳重、祖母歌子は渋沢栄一の長女であり、父の律之助は栄一の2番目の孫であった
相武山 信男(そうぶやま のぶお、1918年1月11日 - … 相武山 信男(そうぶやま のぶお、1918年1月11日 - 没年不明)は、神奈川県津久井郡(現相模原市緑区)出身で出羽海部屋に所属した昭和年間の元大相撲力士。本名は橋本 信男(はしもと のぶお)。最高位は西十両2枚目。得意技は左四つ、寄り。 1937年1月場所に初土俵を踏む。1942年5月場所に十両に昇進。立ち合いに相手の懐に飛び込んで鋭い出足を生かし、左を差して一気に出る颯爽な取り口が持ち味だった。しかし、腰が軽く四つに組まれて出足を止められると、攻め手がなく苦戦した。十両4場所目の1944年1月場所、13勝2敗の好成績を挙げた(十両優勝は上位の九州錦)。翌5月場所は自己最高位となる西十両2枚目まで上がるが、3勝7敗と負け越し、11月場所は全休し、この場所限りで廃業した。
磯部 健雄(いそべ たけお、1918年 - 没年不明)は、神… 磯部 健雄(いそべ たけお、1918年 - 没年不明)は、神奈川県出身のプロ野球選手。 小田原中学校から國學院大學を経て、1938年秋に名古屋金鯱軍へ入団。1940年に退団。
伊原 昭(いはら あき、1917年10月24日 - 2018… 伊原 昭(いはら あき、1917年10月24日 - 2018年5月20日)は、日本の国文学者、梅光女学院大学名誉教授。本名・昭子。 鎌倉市生まれ。東京女子大学卒業、日本大学文学研究科修了。1970年「平安朝文学の色相」で日大文学博士。国立国会図書館主査、和洋女子大学助教授、同教授、1977年梅光女学院大学教授、1988年定年退任、名誉教授。 1975年『日本文学色彩用語集成 中世』で風俗史学会第一回「野口眞造記念染色研究奨励金」受賞、1977年『日本文学色彩用語集成 中古』で風俗史学会第六回「江馬賞」受賞。2007年エイボン女性年度賞受賞。古典文学における色彩について研究してきた。 2018年5月20日、老衰のため死去。
長島 三芳(ながしま みよし、1917年9月14日 - 20… 長島 三芳(ながしま みよし、1917年9月14日 - 2011年9月7日)は、日本の詩人。 神奈川県横須賀市生まれ。横浜専門学校(現在の神奈川大学)卒業。北園克衛の詩誌「VOU」に参加。1937年より中支を転戦し、負傷して帰国。戦後は「日本未来派」同人、「植物派」主宰となる。1958年、横浜詩人会設立に参加。現代詩人会会員。また、神奈川近代文学館評議員を務めた。 戦争体験を直截に描いた詩を多数書く。三好達治や草野心平など多くの詩人と交流があり、その直筆原稿や書、掛け軸などは、死後、遺族によって神奈川近代文学館に寄贈された。遺稿「駆けぬけた夏」は、「現代詩手帖」2012年1月号に掲載された。
相模川 佶延(さがみがわ よしのぶ、1917年7月13日 -… 相模川 佶延(さがみがわ よしのぶ、1917年7月13日 - 1987年1月22日)は、神奈川県愛甲郡南毛利村(現在の同県厚木市)出身で春日野部屋に所属した大相撲力士。本名は原島 寶(はらじま たから)。身長189cm、体重124kg。得意手は左四つ、突っ張り、上手投げ。最高位は西関脇(1944年5月場所)。 17歳の時に春日野部屋へ入門し、1935年5月場所で初土俵を踏んだ。 1937年5月場所で序二段優勝してから上昇気流に乗り、三段目・幕下・十両をそれぞれ1場所で突破し、1939年5月場所に於いて新入幕を果たした。 長身から繰り出す突っ張りは威力があり、それが上位へ進出する際の大きな武器になった。
安藤彦太郎(あんどう ひこたろう、1917年(大正6年)6月… 安藤彦太郎(あんどう ひこたろう、1917年(大正6年)6月14日 - 2009年(平成21年)10月27日)は、日本の日中関係史学者、早稲田大学名誉教授。 1917年、神奈川県横浜市生まれ。早稲田大学政治経済学部を卒業。 「中国の会」は、尾崎秀樹が普通社主宰で1960年ごろに立ち上げ、野原四郎、竹内好、橋川文三、安藤、新島淳良、今井清一らをメンバーとした。 早稲田大学政経学部教授を務め、文化大革命の際は新島淳良や野村浩一とともにこれを礼賛した。1988年に定年退任、名誉教授となった。また、日中学院長をつとめ、のち名誉学院長。現代中国学会幹事を長く務めた。2009年10月27日、膀胱癌で死去、享年92歳。
加藤 馨(かとう かおる、1917年5月5日 - 2016年… 加藤 馨(かとう かおる、1917年5月5日 - 2016年3月19日)は、日本の実業家、陸軍軍人(陸軍中尉)。ケーズデンキの前身・加藤電機商会の創業者。 神奈川県津久井郡千木良村(現相模原市緑区千木良)の農家に生まれる。高等小学校在学中に父が死去したため、大日本帝国陸軍に入り、陸軍航空士官学校少尉候補者学生24期前期を卒業。陸軍航空通信学校で教官を務め陸軍中尉で終戦を迎えた。 日本の降伏後公職追放され仕事が見つからなかったため、1947年にラジオの修理などを行う加藤電機商会を茨城県水戸市元台町で創業を開始。1955年有限会社加藤電機商会として法人化し、1973年には株式会社カトーデンキに改組した。
島尾 敏雄(しまお としお、1917年(大正6年)4月18日… 島尾 敏雄(しまお としお、1917年(大正6年)4月18日 - 1986年(昭和61年)11月12日)は、日本の小説家。日本芸術院会員。 大学卒業後に海軍予備学生に志願し第十八震洋特攻隊隊長として、奄美群島加計呂麻島に赴任。1945年8月13日に特攻戦が発動され、出撃命令を受けたが発進の号令を受けぬまま即時待機のうちに終戦を迎えた経験を持つ。「ヤポネシア」という概念を考案したことでも知られる。 作品は超現実主義的な『夢の中での日常』などの、戦争中の体験を描いた作品群、『出発は遂に訪れず』などの作品群、さらに家庭生活を描いた『死の棘』などの作品群に大別される。また、小説作品との決定的な差異はないとされる日記や、紀行文など記録性の高いテキスト群や南島論なども多く書き続けた。
小泉 幸之輔(こいずみ こうのすけ、1917年3月21日 -… 小泉 幸之輔(こいずみ こうのすけ、1917年3月21日 - 1991年2月24日)は、日本の経済学者。 横浜市生まれ。1938年横浜市立経済専門学校卒。華北綜合調査研究所労務調査担当。戦後石炭鉱業会社で労務担当。1949年横浜市立大学助手、1951年助教授、1971年日本大学文理学部社会学科教授。1988年定年退任。
望月 優子(もちづき ゆうこ、本名:鈴木 美枝子、旧姓:里見… 望月 優子(もちづき ゆうこ、本名:鈴木 美枝子、旧姓:里見、1917年1月28日 - 1977年12月1日)は、日本の女優、映画監督、政治家。参議院議員(1期、日本社会党)。位階は正五位。 神奈川県横浜市出身。妹は女優の中村雅子。加藤嘉は義弟(妹の夫)。1930年、東京市立忍岡高等女学校(現東京都立忍岡高等学校)を中退。 望月美恵子の芸名でムーランルージュ新宿座などで初舞台を踏む。 1942年、川端康成の媒酌で鈴木重雄と結婚。戦後は劇団民藝に参加。 1950年に松竹と契約。1958年『米』での演技が評価されてブルーリボン主演女優賞受賞。三益愛子と並んで「母物映画女優」と呼ばれた。 1959年(昭和34年)8月2日、モスクワ国際映画祭に出席のため、ソビエト連邦を訪問。
大沢 清(おおさわ きよし、1916年12月1日 - 200… 大沢 清(おおさわ きよし、1916年12月1日 - 2005年7月14日)は、神奈川県鎌倉郡川口村大字片瀬(現:藤沢市片瀬海岸)出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。プロ野球選手の大沢紀三男、大沢啓二は弟。タレントの大沢あかねは従孫娘。 神奈川県立商工実習学校、國學院大學を経て、1937年に名古屋軍へ入団しプロ入り。1年目から内野のユーティリティプレイヤーとして活躍し、1939年には川上哲治に次ぐ打率.310を記録する。第二次世界大戦終戦後、1946年に後身である中部日本軍へ復帰し、1949年に東急フライヤーズへ移籍。 1950年には新球団として発足した大洋ホエールズへ移籍し、一塁手に定着。
武田 考玄(たけだ こうげん、1916年12月1日 - 20… 武田 考玄(たけだ こうげん、1916年12月1日 - 2000年12月31日)は命理家・遁甲家、演出家。横浜市出身。本名:土屋達一郎。ライジングサン石油株式會社(後のシェル石油→昭和シェル石油)の創設者の1人と妾の間に5人兄妹の長男として生を受けた。旧制私立芝中学校、早稲田大学政治経済学部卒業。NETテレビ(日本教育テレビ)で演出を行なううちに、メークアップの研究が観相学へと結びついた。その後四柱推命などの運命学を中国の原書から研究し始め、本場中国の原書を元にした子平(四柱推命学)の日本への導入に努めた。通信講座などで門弟も多く、日本命理学会を主宰。実妹は舞踏家の花柳三弥、元女優の島崎雪子。
力石 健次郎(ちからいし けんじろう、1916年〈大正5年〉… 力石 健次郎(ちからいし けんじろう、1916年〈大正5年〉8月6日 - 1995年〈平成7年〉2月9日)は、日本の外交官。 愛媛県喜多郡大洲町(現:大洲市)出身。旧大洲藩士・力石八十綱の三男・力石敏三郎(海軍中佐)の次男として母マツ(海軍主計中将池辺安雄の妹)との間に横須賀市汐入で生を受ける。 敏三郎は力石雄一郎の弟にあたる。幼少期は海軍士官だった父の赴任先である朝鮮鎮海にも帯同している(妹 スミ子の出生地)。 父が本土に戻った後、一時期母マツの実家でもある熊本で暮らし熊本市立春日尋常小学校卒業~中学校入学となるが、その後横浜(神奈川区台町とも)に移り住み神奈川県立第一中学校に転校。 その後旧制第一高等学校を経て1940年(昭和15年)に東京帝国大学法学部政治学科を卒業。
伊藤鳳雲(いとう ほううん、1916年6月13日 - 200… 伊藤鳳雲(いとう ほううん、1916年6月13日 - 2001年9月19日)は、日本の書家。本名は伊藤弘三。かな書を中心に活動し、書作品「三吉野の歌」により日本芸術院賞を受賞した。田中塊堂に学び、日展を中心に活動した。 神奈川県秦野市に生まれた。大阪外国語大学インドネシア語部を卒業した。幼少期から書に親しみ、昭和28年に田中塊堂の門に入り、かなを学んだ。 成田山書道美術館によれば、1958年の日展初入選後に頭角を現した。1962年に日展特選・苞竹賞、1970年に日展第5科・菊華賞を受賞した。また、日本芸術院の歴代授賞者一覧では、平成元年度・第46回日本芸術院賞(第一部・書)を「書『三吉野の歌』に対し」受賞したことが確認できる。
目迫 秩父(めさく ちちぶ、1916年3月24日 - 196… 目迫 秩父(めさく ちちぶ、1916年3月24日 - 1963年3月18日)は、神奈川県出身の俳人。本名は文雄。 横浜市生。県立商工実習学校(現神奈川県立商工高等学校)卒。1941年、昭和特殊製鋼に入社。1946年、スト争議により退社。同年「濱」に入会し大野林火に師事。1949年に結核を発病。貧困生活の中、入退院を繰り返しながら意欲的に病涯を詠んだ。代表句『狂へるは世かはたわれか雪無限』他。1958年、句集『雪無限』により第7回現代俳句協会賞。1963年、喀血による窒息で死去。「濱」(1963年7月号)では追悼号が組まれた。
松田 瓊子(まつだ けいこ、1916年(大正5年)3月19日… 松田 瓊子(まつだ けいこ、1916年(大正5年)3月19日 - 1940年(昭和15年)1月13日)は、日本の小説家。父は小説家の野村胡堂。夫は政治学者の松田智雄。 東京市小石川区(現在の東京都文京区)に4人兄弟の次女として生まれる。作家の父と高等女学校の教員であった母のもと、文化的に恵まれた家庭に育つ。日本女子大附属高等女学校(現在の日本女子大学附属中学校・高等学校)に入学した頃から少女小説を書き始め、女学校卒業の頃に初めての長編である『人形の歌』を完成する。女学校卒業後は日本女子大学校(現在の日本女子大学)英文科に入学する。卒業生名簿に名前が記載されていないことから、卒業はしなかったとされている。
加藤 長治(かとう ちょうじ、1916年(大正5年)3月13… 加藤 長治(かとう ちょうじ、1916年(大正5年)3月13日 - 2004年(平成16年)11月4日)は、日本の政治家。戦後から平成初期にかけて活躍した相模原市議会議員。位階は従五位。 1916年3月13日、神奈川県津久井郡青根村で、加藤開・妻フジの第4子として生まれる。当時、山間部である津久井郡青根村(280戸)と青野原村(320戸)は平均耕作面積が狭く、炭焼きなどの山仕事しかない貧しい村であったが、過剰な人口を抱えて、昭和15年には県の経済更生指定村となった為、国策に基づき分村計画を立て満州に開拓団を送り出すことが義務付けられた。丁度、加藤長治が名古屋の騎兵第三連隊から二年十一か月の軍隊生活を終わり除隊して帰宅した頃であった。